第7話


「ルエル、頂いて来まシたよ」


 アールはにこりと慈愛に満ちた表情でまるで姫に仕える執事か何かのように、ルエルに恭しく皿を差し出す。


「ありがとう」


 ルエルはさも当然の如く、アールの差し出した茶菓子を受け取る。お前はどこかのお姫様か、と俺はその状況に口を半開きにして呆れていた。


「おいおいおい、彼は小間使いでもなけりゃあお前の付き人でもねえんだぞ」


 ルエルはすまし顔でどこから用意したのか、この場にそぐわないティーカップに口をつける。


「コウ、貴方には関係のない事だと思うのだけれど?」

「いやいやいや、カンケイ大有りでしょうよ。ほとんど初対面の男を、出会った次の日には小間使い扱いしてるとかどこのお姫様だ」

「小間使いだなんて人聞きの悪い。例えるなら従者よ従者」


 俺には一緒に聞こえるんだが?


「いいのでスよ、ヘンドリクスさん。修道女に傅くのはフルラ教の神官として当然なのでスから」


 ルエルが隣で大きく頷く。


「そうよ、修道女の地位は神官よりも上、つまりアールが私に傅くのは当然のことよ」

「それは“元”修道女にも適用されるのか?」


 皮肉たっぷりめに言うと、ルエルは無言で俺を睨みつけた。


「大いなる我らの母を信じる心がある限り、どこに居てもどんな状況にあってもその尊さに変わりはないのでス」


 大真面目にアールがルエルのフォローをする。ルエルはそれ見た事か、としたり顔で俺を鼻で笑った。


「ルエルはもう少し遠慮というものをだな……」


 ぶつくさとルエルを諭そうとすると、にわかに店の外が騒がしくなる。


「どうしたのかしら」


 店の外からは怒号や女性の泣き声が聞こえる。

 こんな非常時(一応)に騒ぎが起こると否が応にも反応せざるを得ない。


「そうだな、少し見てくるか」

「ああ、私もご一緒いたしまス」


 俺が状況を確認しようと席を立つとアールも後に続いて立ち上がった。


「私も……」

「お前は座ってろ」


 立ち上がりかけた彼女の肩を掴み、椅子に戻す。


「むー」


 ルエルは不服そうに頬を膨らませてアールに援護を求める。しかしアールは状況を弁えているのか微笑み返すだけだ。

 むくれている彼女を傍目に俺は店の扉を開けた。




 外に出ると老夫婦が街の人々に対して何か説得をしているようだった。老婆は衛兵に縋りつき泣き訴え、老爺は衛兵や街の男たちに吠える様に詰め寄っている。


「どうかなされたのでスか?」


 アールがすぐ近くに居た野次馬の男に声をかける。


「あっ、神官さま」


 男はアールに気付くと手を合わせて頭を垂れる。アールはそれを右手で制止し、再び問いかける。


「いいでスよ。……それで、何があったのでスか?」

「あの老夫婦の孫娘が……ほら、東の部族と西の部族が戦争しているでしょう? そのどちらかの斥候に森の果物を取りに行っていた孫娘が攫われてしまったらしく、ああして街の人や旅人に片っ端から、助けを求めているんですよ」


 男性は淡々と無表情に切羽詰って喚き叫んでいる老夫婦を眺めている。


「みんな助けに行きたいのは山々なんですが、下手に手を出してこの街まで標的になる事は避けないといけませんし、衛兵もみんなもああして断るしか……」

「そうだな、賢い判断だ」


 俺のような旅人にしても、軍隊を相手取るなんていう無謀なヤツは旅の序盤で野たれ死んでいるだろう。


「幸いなことに、この戦争も数日後には停戦するようですから、それまで生きているように祈ることくらいしか」


 切羽詰った軍隊に若い女性が捕まったとなると、彼女のその後の処遇については想像に難くない。


「神官さま、神官さま」


 アールに気付いた老婆が男性の言葉を遮り、まるで一筋の光明を見つけたかのようによろよろと彼に縋り付く。


「どうか、どうか孫のエリアスをっ、エリアスをお助けください……」


 捕まった女性はエリアスというらしい。アールは真剣な面持ちで静かに告げる。


「貴方方にどうか女神の祝福がありまスよう――」


 希望に目を輝かせていた老婆の表情が生気を抜かれたかのように陰っていく。

 アールの発言は、彼らにとって実質的には死刑宣告と同義であった。この街に孫を助けに行く人間はおらず、戦争終結後、仮に孫が見つかったとしても、彼女が生きている確証はどこにもない。老夫婦にとってエリアスという孫の存在はとても大きなものだったのだろう。

 アールの表情はここからだと伺い知ることは出来ない。


「ああ……嗚呼、女神さま……」


 それでも祈りを止めることはない。なんて敬虔な信仰なのだろうか。

 この騒ぎもこれで終息するだろうと踵を返した時だった。宿屋からルエルがつかつかとこちらに向かって来たのだ。

 服装はいつもの綿のドレスだったが、その頭部には初めて出会った時に、修道院時代に着けていた純白のヴェールを被っている。


「お待ちなさい、チェルスター下級神官」


 静謐にしかし力強く彼の名を呼ぶ。アールはルエルに向き直り、頭を垂れその場に跪く。ルエルは彼の前で止まり、厳かな口調で告げる。


「貴公の心身は我が身に宿る神母に遵従であるか」


 アールが応える。


「ハ。我が血肉の全ては貴女の御心のままに」

「貴公に問う、彼の者の信心は如何ほどか」

「ハ。貴女に捧げるに、貴女の仔に値スるものであると」

「貴公に問う、母は仔を見捨てるか」

「時に試練を、そして、」


 ニコリ、とルエルは優しく微笑み、老婆の手を取る。


「――時に救済を。巫女ルエル・フリージアが神母に代わり貴公に託す。彼の者を助け、救いなさい」


 しばしの沈黙の後、確固たる意志を持った言葉が彼の口から紡がれた。


「ハ。貴女の御心のままに」


 ルエルはVサインを俺に向けた。


「お婆さん、あとは任せてください」

「ありがとうございますっ……ありがとうっ」


 老夫婦はただ、言葉を尽くして泣き続けた。

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