第14話 安心

「ヴィレ、大丈夫か?」

「ああ」


 また朝日のない時間帯。いつも通り俺たちは砂漠を歩く。相変わらず早い時間なのだが、昨日と違ってリタは起きている。

 気のせいか昨日よりリタの腕の力が強い気がした。そして、背中から柔らかい感触が。

 駄目だ。意識してはいけない。俺が背負っているのは女性じゃない、女性の形をした彫刻なのだ。そうだ、俺は今、彫刻を背負っている。


「なぁ、ヴィレ」


 リタがもっと体をくっつけてくる。柔らかい感触がはっきりと。

 わざとじゃないだろうな?

 意識を足に集中させる。俺はただ歩けばいい、ただ歩くことだけを考えればいい。


「賭けのこと覚えているか?」

「か、賭け?」

「救助部隊と何日後に遭遇できるかという賭けだ」


 そういえばそんな賭けをしていたな。


「あれか。リタは四日後って言っていたか?」

「ヴィレは五日後だな。明後日までに遭遇できれば私の勝ちだ。逆に、それ以降だったらヴィレの勝ち」


 そうだったか。俺はすっかり賭けのことが頭から抜け落ちていた。


「勝ったら負けた方に一つ命令ができる、だったよな?」

「ヴィレは命令を何にするのか考えたか?」

「いや、俺から言い出しておいて全く考えていない。そう言うリタは?」

「私はたくさん思いついたぞ。何を聞いてもらうか迷っている」


 迷うほど思いついたのか。できれば過激じゃないのを願いたい。リタなら大丈夫だと思……えないな。なんせ世界最強が考えた命令だ。かなりの無茶ぶりを要求される気がする。

 救助部隊と会うまでの楽しみとして提案したのだが、自分の身の破滅を招いてしまったのかもしれない。


 もし明後日以内に救助部隊と出会って生き残ったら、ユウトが溜めているであろう仕事の処理かつ世界最強が考えた命令が俺を待っている。

 

……やっぱり生き残っても地獄だ。


「っ! ヴィレ、後ろを見ろ!」


 いきなりリタに肩を叩かれた。

 リタの指差す方向を見ると。


「砂嵐……!」


 かなり遠くだが、はっきりとそれを確認することができた。

 間違いない。

 奴だ。あの風を操る馬のミネヴァだ。


 俺は全力で走るが、あっちの方が速い。砂嵐との距離がどんどん縮んでいく。


「ヴィレ、私を下ろせ!」

「お前を置いていくわけないだろ!」


 その話はもう終わったはずだ。

 ここで死ぬのなら、二人ともここで死ぬ。それだけだ。


「違う! 二人とも生き残る方法がある!」


 俺は立ち止まった。そして、リタを見る。

 リタは真剣な表情だ。嘘をついているようには見えない。

 俺はリタを下ろした。


「あいつと最初から戦わなければいい」


 リタがそう言って、地面を物刑操作で操った。砂がどんどん集まってくる。

 リタのしようとしていることが理解できた。確かに有効な手段だと思う。


 リタの物刑操作によって巨大な砂の波があっという間に形成された。

 そのままリタの作った砂の波が、砂嵐を飲み込んでいく。


 砂の波が轟音を出しながら流れると、砂嵐は綺麗さっぱり無くなった。あのミネヴァも砂の波に流されたんだろう。

 これはいい。砂の波ならあのミネヴァでも風の魔法では押し返すことができない。砂嵐を見かける度にあれをすれば、俺たちは戦う必要なんてない。


 すぐにあのミネヴァがここに来るかもしれないので、俺は全速力でリタを背負いながら走った。










***



 辛い。

 人を長時間背負うと疲れ、酸素を肺に供給するために深呼吸すると胸が痛い。

 頭がくらくらしてまともに立っていられない。ちょっとした吐き気もする。


 あと何日耐えればいいのだろう。

 あと何日までだったら俺の身体は持つのだろう。

 休憩を取っていても、完全に疲れを無くすことはできない。どんどん疲れは溜まっていき、俺の身体はすぐに壊れてしまうだろう。


 タオルで汗を拭いても、身体から洪水のように汗が出てくる。


 今から食事を摂るわけだが、俺は動くことができずに寝転がっていた。

 だから、リタが缶詰をバックの中から取り出そうとしているが、なかなか缶詰を見つけることができていない。リタはバックの中を全て外に出す。水、ナイフ、地図が地面に置かれていくが、肝心の食料が出てこない。


「ヴィレ……」

「なんだ?」

「これが最後の缶詰だ……」


 リタが最後にバックが取り出したものは小さな缶詰だった。


 それが最後の食料か……

 これからは食料無しで生活しないといけない。唯一の救いは水がまだ残っているということ。

 地面に置かれているペットボトルから判断すると、水はあと三日分あるかどうか。

 かなり厳しい状況だ。あと三日以内には救助部隊に会えないと脱水症状で死んでしまうだろう。


 パカリ、と音を立てながらリタが缶詰を開けた。


「リタ、先に食べてくれ」

「いいのか?」

「今は食欲が無くてな。リタの後にさせてくれないか」

「……分かった」


 リタがスプーンを使って食べていく。俺はその間に水を飲んで体調を整えた。ほんの少しだけ楽になったような気がする。

 身体があちこち痛むが、吐き気も収まり、食事をすることぐらいはできると思う。


「ヴィレ」


 名を呼ばれてリタの方に顔を向ける。リタが缶詰とスプーンを差し出してきた。

 その缶詰の中身を見ると、半分より多めに残っていた。


「ヴィレが一番体力を消費しているからな。私は何も食べなくてもいいぐらいだったが、そうするとヴィレは反対するだろう? だからヴィレが反対できないくらいは食べさせてもらった」


 リタが微笑む。

 彼女には敵わないな。

 ここは彼女の親切心に甘えるとしよう。

 右腕は骨折しているから、左手でリタからスプーンを受け取る。


「え?」


 スプーンを受け取ってすぐにそれを落としてしまった。

 慌ててすぐに拾うが、また落としてしまう。三度目の正直でスプーンを掴むことができたが、ちゃんと持つことができない。


 腕の震えが止まらないのだ。


 こんなにも身体が疲労しているとは気づかなかった。

 またスプーンを落としてしまった。

 こんな状態では食事すらできない。

 俺がスプーンを拾おうとしたら、リタが俺の震えている左手を握ってきた。


「すまない。私のせいでお前はこんなにも……」

「リタのせいじゃない。大丈夫だ。少し休めば震えなんて止まる」

「ヴィレ……」

「俺は食べることができないから、残りはリタが食べてくれ。俺はもう寝る」

「いや、お前がスプーンを持てないのなら私が持てばいい」

「え?」


 リタが缶詰の中身をスプーンで掬って俺の口に近づけてきた。


「ヴィレ、口を開けろ」

「ちょっと待て。冷静になれ。お前がそこまでする必要は--」

「ある。命の恩人が困っているんだ。これくらいはして当たり前だろ?」


 命の恩人とは大げさな。俺だってリタに助けてもらってばかりいると思う。ミネヴァとの戦いの時に俺が役に立たなかったことはたくさんある

 スプーンを持ったまま動かないリタは、どうやってでも俺に食べてもらいたいらしい。俺が拒否したら前みたいに食わされるのだろうか?

 でも、彼女は俺のためにこうしてくれているんだ。ここは素直に彼女の親切に甘えるべきか。


「リタ、すまないな」

「いいんだ。ほら」


 リタに促され、俺はスプーンを口に含んだ。

 そして今気づいてしまった。俺のスプーンは地面に落ちて砂だらけだ。だから、使われてはいない。なら、今使われているスプーンは?

 彼女がさっき使っていたスプーンはどこだ?

 リタの顔を見れば少し赤くなっている気がする。

 彼女は元々気づいていたのか。でも、使えるスプーンはそれしかないからしょうがなく使った、と。

 リタにすまないと思いながら、俺は食べさせてもらう。


 リタが缶詰の中身を空になったスプーンでまた掬い、俺の口に運んでくれる。

 前に無理やり食わされたせいか、食べさせて貰うのにそこまで抵抗を感じなかった。


 そして、リタが掬ってくれた缶詰の、最後の食料の最後の一口を口に含む。

 できるだけ味わって飲み込んだ。


「ヴィレ」

「?」

「なんで泣いているんだ?」

「え?」


 リタに言われて、目を拭って手を見てみる。そこには水滴があった。熱いものが俺の頬を伝い、砂に落ちる。

 俺は泣いているのか?

 なんで?

 リタの顔がぼやけて見える。

 ダメだ。止まらない。


 俺が混乱していると、リタが俺の頬を触ってきた。その手は優しくて、混乱していた俺も少しはまともな思考ができるようになる。


「ヴィレ」


 俺の名を呼んだ彼女はそのまま俺の頭を自らの胸に抱き寄せた。

 いきなりのことでされるがままになっていた俺は、自分の顔が赤くなっていくのを感じた。

 彼女のいきなりの行動への戸惑いと自分はどうすればいいのかという疑問が俺の頭の中を覆い尽くす。


「私が泣いた時、ヴィレはこうしてくれたな」


 リタが俺の頭を撫でてくれた。

 俺は自然と彼女の背中に腕を回していた。


 涙が止まらない。

 彼女の服が濡れてしまうのに、涙を止めることができない。

 ようやく理解した。

 泣いていたのは悲しいからじゃない、嬉しいからじゃない。

 安心したからだ。


 彼女に食べさせて貰う度に、自分が一人でないことを実感した、俺一人ではここまで来れなかったことを理解した、リタがいてくれてよかったと安心したんだ。


「ヴィレは身体だけじゃなくて心も疲れていたんだな」


 リタが俺に優しく囁いてくれる。

 リタの言うとおりかもしれない。


 ミネヴァの巣である砂漠で生き残って。

 食料と水が限られた状況でできることを精一杯して。

 本当に救助部隊に会えるかどうか分からないのに基地を捨てて。

 俺が右腕を、リタが右足を骨折するという絶望的な状況で。


 気の抜けない日々を送ってきたせいで身体も心も疲れていた中、リタが居てくれてよかったと安心して。


 俺は自然と涙を出してしまったんだろう。


「ヴィレ、ありがとう」


 リタのその言葉を聞いて、今度は涙に嬉し涙まで混じってしまう。

 止まらない。

 止めたいのに、涙が止まらない。


 自分を情けないと思う。しっかりしないといけない状況だというのに、こうも簡単に泣いてしまって。


「君が寝るまでこうする」


 リタのその言葉は、俺がリタに言った言葉だった。


「ありが…とう……」


 消えてしまいそうな掠れた声で、彼女に感謝を伝える。

 リタは俺の頭を撫でて応えてくれた。前にリタが言っていたように、彼女に頭を撫でられてなぜか安心してしまう。


 リタのおかげで、俺は今までで一番安心して寝ることができた。

 

 

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