第13話 書き足りないもの

「はぁ……はぁ……」


 砂嵐のミネヴァから逃げて、気がつけば夜になっていた頃。

 俺は指一つすら動けなかった。

 当然のことだろう。砂漠の中、一人を背負って長時間走り続けたのだから、身体が言うことを聞かなくなるのは考えればすぐに分かることだ。

 俺はテント内で寝転がる。

 鉛の鎧を着けているのかというぐらい、身体が重い。これから夕食を作らないといけないというのに起き上がれない。


「ヴィレ、大丈夫か?」


 リタはテントの入り口に近くに座っており、俺の代わりに外を警戒していた。リタは右足を骨折しており、歩くことができない。


「リタこそ足はどうなんだ? 物形操作でどうにかならないのか?」

「人間の身体は複雑でな。壊すことはできても、治すことはできない」

「治せないのか?」

「骨や血管の位置、筋肉の量などを知らなければ治せない。無理に治そうとすると二度と歩けなくなるだろうな」


 物の形はリタのさじ加減一つで決まってしまうのか。だから中身が複雑な物ほど戻すのは難しい、と。

 それはリタの物形操作の弱点の一つと言えるだろう。


 リタが右足を骨折しているように、俺も右腕を骨折している。利き腕が動いてくれないのは、やはり不便としか言いようがない。

 右腕以外に右肩に傷を負ってしまったが、布を巻くぐらいしかできない。


 とりあえず硬い物で固定しなければ、俺の右腕だけじゃなく、リタの右足も。

 ナイフを四本取り出して、リタの物形操作で長細い板上に変化させる。後は、衣服の布の一部を切り取って固定させるだけだ。


「なぁ、ヴィレ」

「ん?」


 リタが右足を固定させてながら俺に話しかけてきた。俺は缶詰をバックから取り出している途中である。


「私はもう自分で歩けない。唯の足手まといだ。私をここに置いて行け」


 やはりというべきか、リタがそんなことを言ってきた。リタの性格からして、彼女がそう言ってくることは俺も予想していた。

 リタの綺麗な瞳に俺が映る。


「二人とも死ぬくらいなら、一人でも確実に生き残れる方がいい」


 ああ、リタ。それは違う。確かにそれは正論だ。だけど、自分勝手な正論でもある。それに、それは--


「嫌だ」

「ヴィレ!」

「それを先に否定したのは君だ」

「っ!」


 俺が何も食べずに死のうとした時、君は俺を否定した。

 一人にするな、と。

 俺にそう言ってきた君が、今度は俺を一人にしようとするのか?

 俺はリタが言った言葉を忘れないし、それ以外に君が言った言葉も覚えている。あの時、君はこう言ったはずだ。


「俺たちは運命共同体なんだろ?」


 言った責任は取ってもらわないと困る。その言葉を信じた俺が馬鹿みたいだからな。


「……お前の言う通りだな」


 リタが俺を説得することを諦めたのか、少し笑った。


「ふふっ、私たちは案外似たもの同士かもしれない」

「それはどうだか。リタは料理ができないからな」

「か、関係ないだろ」


 彼女もまた俺と同じように自分を犠牲にしようとした。

 俺はそれを責めることはできない。先にそれをしたのは俺で、俺の方が彼女より罪深い。でも、彼女は俺を責めてなんていない。いつも通りに接してくれた。


 他人の罪を許す。これもまた真の英雄に必要なことかもしれない。ユウトもここにいたら、リタのように許してくれただろう。

 本当に、ユウトとリタが真の英雄になる瞬間を見てみたいものだ。


 その真の英雄になり得るリタは、苦労しながらも缶詰を開ける。


「見ろ、私は缶詰も開けられるぞ」

「それで料理ができるって言うのなら、料理ができないのは赤ん坊だけだ」


 缶詰の中身をどう利用できるかが、料理をするという点において重要なはずだろ。最も、今は缶詰の中身をそのまま口にする以外ないが。

 俺は他の缶詰を開けようとして、右手が使えないことに気づく。すると、リタが俺から缶詰を奪うようにとって、蓋を開けて俺にこう言ってきた。


「少なくとも私は今のヴィレより料理ができる」


 こいつが真の英雄になれるというのは勘違いかもしれない。


「ふん、カレーの作り方も知らなかったくせに」

「よし、右手の使えないヴィレには私が食べさせてやろう」

「むぐっ!?」


 口にスプーンを押し込まれた。

 これ以上俺に喋らせないために強行手段に移ったか。

 にやにやと笑っているリタに対して、俺は口を空にしてからリタに話しかけた。


「リタ、左手は使えるから別に食べさせてくれな--」

「あーん」

「むぐっ!?」


 今度はさっきよりも強い力で押し込まれた。

 リタにテントの隅まで追い込まれ俺は逃げることができない。というより、リタを背負って走ったせいで俺はもうリタに抵抗するだけの力が残っていない。

 力で反抗できない俺は、せめて言葉でだけでもリタに反抗する


「そもそも皿洗いもしたことがない奴が料理できるわけ--」

「黙って食べようか?」

「むぐっ」

「私の分も食っていいぞ」

「む、むむっ!?」


 入れられてすぐ後にまた入れられた。どんどん入れられて息が苦しくなる。

  そういえば以前リタが寝ぼけていた時に俺が食べさせてやったような。

 前の方が今よりもマシだ。これはもはや拷問と言ってもいい。

 とりあえず俺は最後まで食べさせてもらった、いや、無理やり食べさせられた。


















***



 右足を骨折しているリタと右腕を骨折している俺。

 考えるまでもないが、リタは歩くことができない。

 そして、リタを置いて行かないとすると、俺が彼女を背負うしかない。彼女だけでなく、彼女が今まで背負ってきた荷物も俺が背負うことになる。

 物体浮遊でそれらを浮かせて移動したいが、物体浮遊は脳に負担をかける。脳に負担をかけた状態で、リタを背負って暑い砂漠を歩くのは不可能だ。

 暑い砂漠の中でリタを背負って歩くだけでもきついのに、魔法まで使うと俺の身体は持たないだろう。


 ならば、俺たちはどうするべきか。

 俺たちにできることは二つ。


 まず一つは荷物を減らすことだ。

 元々最低限しか持ってきていなかったが、更に必要なものだけに限定して持っていくことにした。主に毛布類など。テントも置いて行くことに決まり、寝る時はリタの作った砂のドームの中で過ごすことに決まった。


 そして俺たちができるもう一つのことは、移動する時間帯の変更。

 昼の太陽が出ている時間帯に歩くよりも、夜の涼しい時間に歩く方がいいに決まっている。

 だから、暑い昼は寝て過ごし、夕方、深夜と早朝の時間に歩くことにした。


 今はまだ太陽が出ていない時間帯。正直なところ寝不足だ。だけど、あの砂嵐のミネヴァが俺たちを追ってきているかもしれない。そう思うと、少しでも歩かなければならない。歩けば歩く分だけミネヴァから遠ざかり、救助部隊に近づくことができる。


 とても早く起きたため、俺の背中にいるリタは寝ている。彼女の寝息が耳にかかり少しくすぐったい。

 太陽が出ていない砂漠は寒いのだが、背中から伝わってくるリタの体温が俺を程よく温めてくれる。

 何もない砂漠には俺たち二人しかいない。俺たち以外の人間もいなければ、敵であるミネヴァもいない。救助部隊と出会えるのか不安になりながらも、敵がいないことで安心する。


 息をするのが苦しい。やはり肋骨が折れているのだろう。リタには肋骨のことを黙っている。

 リタがそれを知ったら、背負って移動することに反対するに決まっている。

 肋骨のことがバレたらとても怒られるだろうな。平手一つでは済まないと確信が持てる。でも、二人とも生き残るためには移動し続けなければならない。




 どれぐらい歩いたか分からないが、朝日が俺たちを照らし始めた。

 太陽が出てきてもまだ今は涼しい。暑くなるまでにどれだけ距離を稼げるだろうか?


「ん……」


 明るくなってせいでリタが起きてしまった。


「ん……ヴィレ?」

「リタ、寝ててもいいぞ」


 俺は歩きながら、リタに話しかける。


「ヴィレ……」


 リタが自身の頬を俺の頬にくっつけてきた。触れている頬が熱くなるのを感じる。


「なぜだかヴィレの体温を感じると安心する」


 俺はリタの体温を感じると、安心するというより戸惑うのだが……

 でも、その言葉は嬉しい。彼女が俺を信頼してくれている証と思ってもいいだろうか?


 リタはすぐにまた寝息を立てた。

 こうしていると彼女を初めて背負った日のことを思い出す。彼女が風邪を引きそうだと思って背負ったけど、結局彼女は風邪を引いてしまって。

 懐かしいな。あの日から何日経ったんだ?





 あの日のことを、いや、あの日だけじゃなくて砂漠で生き残るためのこの日々を、いつか笑い話として彼女と話し合える日が来るだろうか?


 ……違った。そういう幸せの日々が来るのを待つんじゃなくて、俺たちは自分からそれを掴みに行っているんだ。



 俺は黙考しながら砂漠を歩いていく。


































***



 今は昼頃。

 私たちは砂のドームの中で休んでいた。

 私は座って本を読み、時々外を見てミネヴァがいないか確認する。


 外は相変わらず暑そうだが、ドーム内は比較的涼しい。この温度なら寝ることもできるだろう。

 私は隣で横になっている男を見た。

 この休憩は私のためにあるわけではない。彼のためにある。

 隣にいるヴィレはこんな気温でもぐっすりと寝ている。

 当然だ。彼は私と荷物を背負って長時間も歩いていたのだ。私が起きた時、彼の顔色はとても酷かった。

 右腕を骨折しながら人を背負う。その行為による彼の身体への負担はとても大きいだろう。

 対して私は彼の足を引っ張っているだけ。基地を捨てて救助部隊を探そうと提案したのは私だというのに、彼を苦しませている原因は足が骨折している私だ。


「ありがとうな、ヴィレ」


 彼が起きている時ではなかなか言えない言葉も今なら言うことができる。

 彼にはもっと言いたい言葉がある。だけど、今言うのはやめておく。無事に帝都に帰れたら、全部終わったら、その時に言おう。


 私は心理学の本に意識を戻す。

 この本の残りのページもあとわずかで終わる。ヴィレとこの本の内容について語り合う日もそう遠くないだろう。



























***



 夕方も歩き続け、もう日が暮れてしまっている。太陽のない砂漠は暗く、月の光だけでは心許ない。

 こんな暗い中では今、自分が何処を歩いているか分からなくなってしまう。

 だから、リタに懐中電灯を持ってもらい、俺の進行方向を照らしてもらっている。


 遅くても確実に一歩一歩進んでいく。俺たちは一言も喋ることなく周りを警戒しながら夜の砂漠を進む。












「運が良かったな。今日はミネヴァに遭遇せずに済んで」


 満月が南西に位置する頃、俺たちは砂のドーム内でひとまず寝ることにした。


「カテゴリー3までなら倒せる。カテゴリー4にだけ警戒すればいいだろう」


 カテゴリー4、つまりあの砂嵐のミネヴァか。そういえば、リタに聞きそびれたことがあった。


「リタ、気になっていたことを聞いてもいいか?」

「なんだ?」

「リタが空中からミネヴァに飛び降りて近づいた時、あと少しのところでミネヴァに吹き飛ばされたんだよな?」

「ああ」

「あの時、ミネヴァが魔法を使う時間なんてあったか? 俺には無いように見えたんだが」


 リタは完全にミネヴァの虚を突いていた。ミネヴァがリタに気づいた時には、ミネヴァに魔法を使う時間なんて無かったはずだ。なのに、ミネヴァは魔法を使った。


「あれは何と言えばいいのだろう? 風の鎧?」

「風の鎧?」

「おそらく私の越えられない距離と同じようなものだ」


 リタの越えられない距離と同じ?


「何が同じなんだ?」

「敵がある程度接近してきたら発動する点が同じだ。私の場合、形を変えることで敵に触れられることを防ぐが、あのミネヴァの場合は風で敵を遠ざけて触れられるのを防ぐのだろう」


 なるほど。確かにそれは風の鎧だ。接近しようとすれば風に押し返され、遠ざかっていても風で攻撃される。

 勝てる相手じゃない。少なくとも俺たち二人だけでは勝てない。逃げるしか方法がない。


「あの砂嵐のミネヴァより先に救助部隊に会えることを願いたいな」

「もしあのミネヴァと遭遇したら、私を置いていけ」

「リタ」

「お前が逃げる時間くらいは稼げる」

「ふざけるな」

「大真面目だ。だから、私は遺書を書こうと思う」

「遺書? 突然、何を言い出すかと思えば……」


 意味が分からない。また置いて行けなんて言い出して、今度は遺書を書くと言って。


「私が生きていた証を遺したいんだ。この砂漠でも生き残ろうとしていた証を」


 彼女にどう言い返せばいい?

 俺たちは生き残れると言うべきか?

 それを言っても意味が無いだろう。彼女は生き残れないと思ったから、遺書を書くなんて言っている。

 でも、俺は彼女を置いて行くなんてことは絶対にしない。だから……


「だったら……」

「?」

「俺も遺書を書く。お前が死ぬ時は俺も死ぬ時だ。お前だけ遺書を書くのはおかしいだろう?」


 リタだって文句は言えないはずだ。なぜなら、俺たちは--


「そうか、私たちは運命共同体だったな」


 自分を置いて行けなんて言ったリタも思い出してくれたようだ。


 カテゴリー4と出会ってしまっても、どちらかが死んでどちらかが生き残るなんて結末にはならない。両方とも死ぬか、両方とも生き残るか、ただそれだけだ。



















***



 今持っているのは鉛筆、紙、消しゴム。あと必要なのは……

 ヴィレの武器を板状に形を変えて、書くための下敷きを作った。

 ヴィレは今、ドームの外で見張りをしている。先に遺言書を書くのは私に決まった。見張りの交代まであと二時間。できる限りその時間内に終わらせたい。

 私は早速紙に


 書き込もうとして手が止まる。


 私にはもう肉親はいない。部下たちとも仲が悪いわけではないが、遺書を送るほどの仲ではない。

 自分で言い出しておいて、書く相手がいないなど、私は阿呆なのだろうか?

 これではヴィレに笑われるどころか呆れられるだろう。

 ちらりとドームの入り口を見る。

 見えたのは彼の金髪の一部。


 …………遺書の相手が見つかった。


 いや、でも、運命共同体って言うからには、私が死んで彼だけ生き残るなんてあり得るのか?

 ありえなくはない。だから、手紙を送る相手に彼を選んでもいいのだろうか。

 私が死んだ後、私の遺書を読んで欲しいのは誰だ?


 ヴィレだな……


 そう思ったら、手が止まることなく遺書を書くことができた。

 この砂漠で過ごした日々について書いていく。今思えばいろんなことがあった。

 いつかその日々を笑い話としてヴィレと語り合える日が来ればいいなと思う。

 あっと言う間に遺書を最後の行まで書くことができた。こうした長い文章を書くのは苦手なはずなのに、苦労することなく書けて自分に驚く。

 長いようで短い。書きたいことならまだたくさんある。だけど伝えたいことは全部書いたつもりだ。


「…………」


 ……本当にこれで全部だろうか?

 何か足りないような気がする。

 何が足りない?

 全てが終わったらヴィレに言いたい言葉もこれに書いた。遺書と言っても固い口調ではなく、話し口調で書いた。


 そう、まるでラブレターみたいに……


「…………え?」


 今、自分は何を考えた?

 ソレを書いたこともないのに?

 ソレの書き方なんて知らないのに?

 頭が混乱してくる。その言葉を忘れようとしても、頭の中ではその言葉が暴れ回っている。

 違う、と思う。いや、違わない。

 あれ?

 私は何で彼にラブレ……遺書を読んで欲しいと思ったんだ?

 え、ええ?

 自問自答しても答えが見つからない。ではなく、一つしかない答えから目を逸らし続ける。でも、結局はその答えに辿りついてしまうわけで。

 ドームの入り口を見る。金髪の男が欠伸をしている。そして、遺書に視線を戻す。


 書き足りないものは何か。

 それはラブレターには書いてあるであろう言葉。

 遺書の端に、あの言葉を付け足す。


『好きです』


 書いてしまった。いや、認めてしまった。自分のこの気持ちを、この特別な感情を。

 気がつけば、何かが足りないと思っていた遺書が完全な遺書になった。不思議だ、この一言だけでだいぶ違う。


 ああ、そうか。

 私はヴィレのことが好きなんだ……


 なんだか納得してしまう。

 ヴィレに頭を撫でられて、ヴィレの体温を感じて、安心していたのはそれが大きな理由なんだろう。


 今ここで告白するべきか?

 幸いにも相手がすぐ近くにいる。他人の視線も気にする必要はない。これは絶好のチャンスだろう。

 そして、私は……


 消しゴムで遺書の端に書いた言葉を消した。


 遺書で伝える気持ちじゃない。ヴィレが生き残ってこの遺書を見たら、この遺書はヴィレの足枷になってしまう。そんなことはしたくない。

 今ここで告白しても、それは同じだろう。彼だけが生き残ったら、結局は同じ結末になる。だから、この気持ちを伝えるのは全てが終わってからにしよう。


 遺書を書いて、ますます二人で生き残りたいという気持ちが強くなった。これはいいことだと思いたい。


 私はヴィレと見張りを交代する。

 恋心を自覚したというのに、いつも通り接することができた。いや、内心はすごい焦っているのだが、それを表には出さないように努める。

 大丈夫だ。これなら隠し通せる。

 私はそんな考え事をしながら見張りをした。


「リタ、交代だ」

「遺書は書き終わった?」

「一応な」

「なら、遺書を交換しよう」

「なんで?」

「生き残った方が死んだ方の遺書を読めるだろう?」

「死ぬのも生き残るのも一緒のはずなんだが、まあ、一理あるな」


 ヴィレが綺麗に折った遺書を私に渡し、私たちは遺書を交換する。

 ヴィレが何を書いたのかすぐに読みたいというのが本音だが、それは生き残った後にしよう。

 楽しみは後に取っておく。よく言われる言葉だ。


 今はヴィレと二人きりの状況だ。せめて少しでも楽しみたい。

 私はヴィレと砂漠の夜空を見ながら寝ることにした。

 

 

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