第12話 砂嵐

 一つの問題が起きた。

 オアシスの湖の水だ。


 昨日、リタが倒したミネヴァは酸を吐いていた。その強力過ぎる酸が湖の水をよごしてしまったのだ。水で薄くなっているとはいえ、それを口に含むことはできない。

 給水してから出発する予定だったが、水を諦めて俺たちはオアシスを後にした。

 一応、来た時に一度給水したため、水が少ないわけではない。ただ水は少しでも多ければ良いから、少し残念だった。


 俺たちは昨日見つけた地図によって修正した進路を歩いている。

 今日は違うが、明日から救助部隊が通るであろう道を進む予定だ。


「昼食にしよう」


 リタが砂のドームを作りながらそう言ってきた。

 リタは服が酸によって溶けてしまったが、物形操作によって毛布を服に変えて、それを着ている。

 今は午後の一時半頃。気温が高い時間帯だ。これから昼食を兼ねて一時間ほど休憩する。

 食料もあとわずかしかない。二日分あるかないか。俺が何も食べなければ、四日分の食料があるということ。

 食料が無くても、俺たちはこの暑い砂漠を歩いていけるのだろうか。

 リタも真剣に食料について悩んでいる。


「食料が少ないな……」

「やっぱり俺が何も食べないで、リタだけが二人分の食料を食べる方が--」


 リタの平手が飛んできた。














 俺は冗談八割と本気二割で言ったのに、リタは本気十割で平手をしてきた。

 まだ首が痛い。

 頬もヒリヒリする。


 ご機嫌斜めのリタと無言の昼食を済まし、リタに本気十割で謝ったらなんとか許してもらうことができた。

 次に同じことを言ったら平手だけでは済まさない、とまで言われてしまった。

 その時のリタは帝国最強として発言していたような気がする。


 俺たちは休憩を終えて歩き出した。

 周りはやはりというか、砂しかない。

 砂だらけの風景の中で、やっとオアシスを見つけた時、嬉しいというより安心したことは記憶に新しい。

 これからは砂しか見えないだろう。砂以外で見るとすれば、ミネヴァか救助部隊か。


「リタ、賭けをしないか?」

「賭け?」

「あと救助部隊と出会うまであと何日かかるかを予想して、予想と近い方が勝ちという単純な賭けだ」

「やってもいいが、どうしていきなり賭けを?」

「救助部隊と出会う日までただ過ごすよりは、こうした刺激があった方がいいと思ってな」

「勝ったらどうなるんだ?」

「負けた方は勝った方の言うことを一つ聞く、というのはどうだ?」

「いいだろう」

「なら、決まりだな」


 別に賭けをしたのは深い意味なんてない。ただの暇つぶしだ。

 救助部隊と出会えるまでが少しでも楽しくなるように。


「私は四日後に出会うと思う」

「なら、俺は五日後」

「ふふっ、私が勝ったら覚悟しておけよ」

「お手柔らかに頼む」


 会話が終わると俺たちはただ無言で歩いた。

 無言で歩くのは、余分な体力の消耗を防ぐためでもあるが、それだけではない。

 周りへの警戒をしているからだ。

 ミネヴァにいつ襲われても大丈夫なように、俺たちは歩きながら周りを見ているのだ。

 俺たちが次に会うのは救助部隊ではなく、ミネヴァだ。そして、その次もミネヴァだろう。

 餓死ならともかく、ミネヴァに殺されるわけにはいかない。

 最も、リタはミネヴァ相手に負けるとは思わないが。

 それでもリタは周りを警戒している。おそらく自分を守るためだけではなく、俺も守るため。

 歳下の少女に守られるというのは、なんとも情けない話だが、今は生き残ることが先決だ。

 リタには生き残った後で何かお礼をしないといけないな。

 彼女が貰って喜ぶ物はなんだ?

 全く分からない。後で聞いてみるか。


「ヴィレ、止まれ」


 俺がそんなことを考えていたら、リタがそう言ってきた。

 リタの隣に移動すると、巨大な砂嵐が見えた。

 その砂嵐は調査隊を襲った砂嵐と同じ大きさ。

 もし目の前の砂嵐があの時の砂嵐と同じだとしたら。


「ヴィレ、私から離れるな」


 リタがそう言った瞬間、地面から何十体ものミネヴァが現れた。そミネヴァ全てがカテゴリー2だと思われる。


 そして、俺は確信した。

 やはりあの時のミネヴァの襲撃は偶然じゃ無かったのか。

 砂嵐と同じタイミングのミネヴァの出現。

 今回も砂嵐とミネヴァの出現。

 調査隊の時のミネヴァの出現は、ただ運が悪いわけでは無かったようだ。

 ミネヴァが威嚇のつもりなのか、俺たちに叫んできた。


「ギャラァァ!」

「グバァァァ!」

「うるさい化け物だ」


 リタがそう言った瞬間には、砂の槍がミネヴァたちを貫いていた。

 ミネヴァたちは例外なく絶命する。


「リタ、どうする? 逃げるか?」

「私たちの足より砂嵐の方が早い。逃げても追いつかれるだけだ。このまま迎え撃つ」

「砂嵐の中には多分ミネヴァが」

「分かっている。私は前にあの中で戦った。安心しろ、私がお前を守ってやる」


 確かに砂嵐の中は視界が悪いとはいえ、リタがいれば負けるとは思わない。


 …………

 いや、待て?

 リタには越えられない距離がある。

 リタは絶対に傷つかないはずだ。

 でも、俺は彼女が血を流しているのを見たことがある。

 砂漠に取り残された最初の日。

 あの時、彼女は肩から血を流して倒れていた。

 絶対に傷つかないはずのリタが。


 あれは砂嵐が過ぎた後のことで……


「リタ、危険だ! 早く--」


 俺の言葉は続かなかった。

 なぜなら、砂嵐が俺たちを飲みこんだからだ。

 俺は服で口と鼻を覆う。強烈な砂から身を守る。

 ミネヴァたちの声が聞こえる。

 視界が悪くて、周りがどうなっているのか分からない。

 リタはどこだ?

 彼女は無事なのか?


 やがて砂嵐が収まる。

 砂嵐が通り過ぎたわけではなさそうだ。突然消えたような感じがした。


 顔を上げると、リタが立っていた。

 そして、リタの周りには無数のミネヴァの死体が転がっていた。

 リタが胸を張って俺のこう告げた。


「どうだ? 私はお前を守ったぞ」


 まさかここまでとは。

 さすが世界最強。

 俺たちとは次元が違う。

 俺に笑いかけてくるリタに、俺が近づこうとしたとき


「ぐっ!?」


 リタが吹き飛ばされた。

 突然のことで理解できない。越えられない距離のおかげで、傷つくことの無かった、あのリタが攻撃を食らったのだ。

 リタは地面に叩きつけられたが、すぐ立ち上がり、風の吹いてきた方向へ向く。

 リタが血を流していないのを確認して、俺もその方向へ向いた。


 そこにいたのは一体のミネヴァ。


 緑色の馬の姿をしており、とても巨大だった。


「カテゴリー4、だと……!?」


 数が少ないミネヴァ。

 その力は圧倒的で、カテゴリー4と出会って生き延びた人間はほとんどいない。


「このっ!」


 リタが物形操作で砂の柱を作り、馬のミネヴァを貫こうとする。


 だが、砂の槍はミネヴァを貫くことができなかった。

 ミネヴァの皮膚がとても硬く、砂の槍を弾いたのだ。

 俺のナイフでもあの馬の姿をしたミネヴァを切ることはできないだろう。


「ヒヒィィーン!!」


 ミネヴァが高らかに叫んだ。

 ミネヴァの周りの砂が大量に渦巻いていることが確認できる。


「ヴィレ! 避けろ!」


 リタの声が聞こえた時には既に時遅し。


「がはっ!?」


 俺は胸にいきなりの衝撃を受け、リタの近くまで吹き飛ばされた。

 肺の中の空気が全部押し出されて苦しい。

 失った分を取り戻そうと深呼吸をするが、激痛が体を走る。

 肋骨にヒビが入ったのだろうか。

 俺を襲ってきた衝撃は、肋骨にヒビが入っていてもおかしくないほどの衝撃だった。

 息をするだけで胸に刺すような痛みがする。

 だけど、寝転がっているわけにはいかない俺は、リタの隣に立った。


「今のは一体なんだ? リタ、何が起きたか分かるか?」

「おそらく奴は」

「ヒヒィィーン!」

「危ない!」


 リタが俺に飛びつき、俺は砂へと背中から着地してしまう。

 そして、一秒も経たないうちに、俺の立っていた場所に突風が吹いた。

 今ので理解する。

 ミネヴァが使っている魔法は。


「風を操る魔法……?」

「おそらくな。それなら私に攻撃が届いたのも納得がいく」


 風は形を持たない。

 リタの魔法でも防ぐことはできないのだろう。

 いや、防ぐことはできるが、それは空気の侵入も許さないということだから、窒息死してしまうのか。

 太陽などの光をリタが無意識に魔法で防いでいないように、空気や風もまた防いでいないのだろう。


「ヴィレ、なんとかして奴に近づくぞ。砂の槍が効かない硬さであっても、私なら触れればどんな物体も形を変えることができるからな」


 なら、俺はリタの援護をしなければならない。

 バックから十本のナイフを取り出し、物体浮遊で浮かび上がらせる。

 俺とリタは背負っていたバックを砂に置き、身を軽くした。


「リタ、行け!」


 リタが走り出す。

 俺はミネヴァにナイフを飛ばすが、ミネヴァは突風を作り、ナイフを押し返してきた。

 リタは走りながら物形操作で地面の砂を操り、砂の壁を作ってミネヴァの風から身を守っている。

 ミネヴァの突風も分厚い砂の壁を破壊することはできないようだ。

 リタがミネヴァに辿り着くのも時間の問題。

 このまま順調に行くと思った時


「ヒヒィィィン!」


 ミネヴァがその足で地面を思いっきり蹴った。風を操り、大跳躍をする。

 見上げると、ミネヴァと太陽が同じ位置にいて眩しい。だが、ミネヴァの影が大きくなってくることは分かる。

 それが意味することは……


「ヴィレ、避けろ!」


 リタの叫び声が聞こえる。

 俺はその場から離れるために横に思いっきり飛んだ。その瞬間、ミネヴァが俺の居た場所に着地する。

 ミネヴァの着地によって大量の砂が飛び散る。

 巨体のミネヴァの着地の衝撃によって俺は地面の砂へと転がり落ちた。

 ミネヴァは俺の位置とリタの位置の中点にいることになる。

 すぐにミネヴァに振り向いたら、ミネヴァと視線があった。


 俺は無詠唱で魔法を放つ。

 固有魔法を使える人間は、通常魔法を無詠唱で放つことができる。便利な力だと思う。

 炎の塊がミネヴァへと向かう。

 しかし、炎がミネヴァに届くことはなかった。ミネヴァが作り出した風が炎を消したのだ。

 その風はかまいたちとなって俺に襲いかかった。


「くっ!」


 俺の右肩から血が出る。割と傷は深いが、致命傷ではない。

 ミネヴァに再度魔法を放とうとしたが、ミネヴァの方が俺より魔法を早く放った。

 突風が俺を襲う。

 咄嗟に右腕を身体の前に出して、突風が身体へ直撃するを避ける。


「ぐっ!」


 鈍い音が聞こえた。

 俺は地面から足が離れ、かなり遠くへと飛ばされてしまう。

 だが、俺の目的は達成した。ミネヴァの意識をリタから逸らすという目的が。


 ミネヴァが標的を俺からリタに移すが、ミネヴァはリタを簡単に見つけることができない。

 ミネヴァは動いている影に気づき、上を見る。

 そこにはリタがいた。

 俺とミネヴァの攻防の最中、リタは自分の下の砂を底面とした砂の柱を作り、上空へと移動してからミネヴァに向かって飛び降りていたのだ。

 リタが重力に従って加速する。そして、リタの右足がミネヴァに触れそうになった時……

 

 リタが空中で止まった。


 いや、止まったように見えたのは、ほんの一瞬だけだった。

 気づけば、リタは強風に流され、ミネヴァから引き離されていた。

 リタが地面に叩きつけられる。


「リタ!」


 ミネヴァの身体の周りに風の渦が現れる。砂がその渦に乗り、砂嵐ようなものが出来上がる。その様子を見て気づいたことがある。

 あの調査隊を襲った巨大な砂嵐は、このミネヴァが作り出していたのか。だから、砂嵐の中には、このミネヴァをリーダーとした群れがいて、そのミネヴァたちが砂嵐と同時に現れる訳だ。


 緑色の馬の姿をしたミネヴァが作る砂嵐の規模が、どんどん大きくなっていく。

 こいつには勝てない。

 近づいても遠ざかっても風で攻撃されてしまう。このミネヴァには死角というものがない。


 俺はまだ地面に座っているリタに叫んだ。


「リタ! 撤退だ!」

「……そうだな」


 地面が揺れる。

 砂がリタの近くに集まっていく。

 そして、砂の波が形成された。その砂の波は以前のものとは比べ物にならないほど大きく、人が食らえばまず死ぬだろう。

 巨大な砂の波が、ミネヴァの小さな砂嵐を飲み込む。

 激しい音と振動がしばらく続く。


 やがてそれらが収まり、ミネヴァはどこにいるのか分からなくなった。だけど、おそらくかなり遠くまで飛ばされただろう。逃げる時間ぐらいはあるはずだ。


「リタ、すぐにここから……リタ?」


 リタの方を向けば、リタが立ち上がって歩こうとして、うまく歩けずに地面に手を付いてしまっていた。

 俺はリタに近づく。


「ヴィレ……」


 リタの顔色が少し悪い。


「私を置いていけ」

「……何を言っている。早く立て。ここから逃げるぞ」

「右足が動かないんだ…………」

「っ!」


 リタの足を見れば、右足が真っ青になっていた。内出血、だけじゃない、動かないということは骨折しているのだろう。


「私を置いて、ヴィレだけでも--」

「ふざけるな」

「な、ヴィレ!?」


 俺はリタを背負う。

 右腕が言うことを聞いてくれない。おそらく俺の右腕も骨折しているだろう。肋骨もヒビが入っているせいなのか、息をするだけで苦しい。

 だが、俺にはリタを置いて行くという選択はしない。なぜなら--


「二人なら生き残れるってお前も言ったはずだ」


 リタが言い返せずに黙る。いや、呆れて物が言えない、という方が正しいのかもしれない。


 俺は少し離れた場所にあったバックを物体浮遊でこちらに引き寄せ、その場から全力で走った。

 身体の痛みなんて無視して走った。砂漠の高温なんて気にする暇も無く走った。

 倒せないミネヴァから逃げ切るのを確実にするために。

 今は無様でもいい。ただ生き残ることに夢中になればいい。


 ただミネヴァから逃げるためだけじゃなかった。リタを、彼女を失う恐怖から逃れるために、俺は夜になるまで走り続けた。

 

 


 

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