第10話 話し相手

 どこまでも広がる砂の海。

 紙を燃やしてしまいそうな日の光。


 歩く度に全身から汗が出る。

 数分経っただけで喉がからから。常に水を口に含んでいないと、熱中症ですぐに倒れてしまうだろう。


「リタ、水の消費が思った以上に激しい……このままだと三日持つかどうか」

「喋らない方がいい……口を開いたら喉が渇くぞ……」


 俺たちは足を止めない。

 足を止めれば、再び歩き出すことが難しいと思ったから。だから、基地を出てから、休憩は一回もしていない。

 しかし、流石に休憩を一度しないと倒れてしまう。

 そう思ったリタが立ち止まって、固有魔法を使った。


「仕方ない……休憩するか……」


 リタが物形操作で砂の形を変え、砂のドームを作った。砂のドームは二人分にしては大きい。

 俺もリタもドームの中に入って、背負っていた荷物を下ろす。


 激しい日光が無いだけだというのに、ドームの中は外よりかなり涼しい。


「昼食はどうする?」

「今はいい。私は全く食欲がない」

「俺も。こんなに暑いと、食べ物を口に含みたいなんて思えない」


 今の俺の身体は水以外を受け付けないだろう。俺と同じように汗をかいているリタが、水の入ったペットボトルを空にした。

 俺はタオルで汗まみれの顔を拭く。少しタオルがぼやけて見えた。


「俺たちは今どこにいるか分かるか?」


 俺の質問にリタが地図を出して指差す。


「ここだろう。基地とオアシスの距離の四分の一くらいだ」


 つまり、ここからオアシスまでの距離は、今まで歩いた距離の三倍ほどあるのか。


 俺はリタの横顔をちらりと見る。

 汗で地図を濡らさないように気をつけながら、彼女は地図と睨み合っていた。


 リタの顔を見ていると、昨日の泣いていた彼女を思い出してしまう。


 涙で頬を濡らした彼女。

 彼女を泣かせたのは俺のせいだ。俺が自分勝手に死のうとしたから。俺が彼女を裏切ったから。

 リタが一緒に生き残ろうと言ってくれた時はとても嬉しかった。

 もう彼女を裏切ってはいけない。

 もう彼女を泣かしてはいけない。

 俺は彼女の隣に立って、彼女を支えなければいけない。


 俺がそんなことを考えていると、リタは地図をバックに背負って立ち上がった。


「休憩は終わりだ。休むなら、オアシスで存分に休もう」


 彼女だって辛いはずだ。だけど、それでも弱音一つ吐かないで立っている。彼女は二人とも生き残るために全力なんだろう。

 俺も彼女には負けていられない。


 俺も立ち上がってバックを背負う。

 リタが固有魔法で作った砂のドームを消滅させた。

 ドームによって遮られていた日光が俺たちにまた襲いかかる。

 ゆっくりでも確実に進むために、俺たちが一歩を踏み出そうとした瞬間

 

「ぎゃああぁぁ!!」

 

 人間の叫び声が聞こえた。


「なんだ!?」


 叫び声は一つではなく複数だ。しかも、結構近いところから。

 叫んでいるのは人間だけじゃない。ミネヴァの叫び声も聞こえる。


 俺とリタはすぐに声の発生源へと向かった。

 砂漠の丘があった。声は丘の下から聞こえてくるが、丘が邪魔で下がどうなっているのか分からない。

 俺たちは砂漠の丘の上に辿り着き、寝そべって下を覗き込んだ。


 そこには複数体のミネヴァと共和国の兵士たちがいた。

 共和国の兵士たちは荷車を守るようにミネヴァと対峙していた。それに対して、ミネヴァたちは荷車を囲むように位置している。

 共和国兵は自分のナイフでミネヴァに斬りかかるが、ミネヴァは軽々と兵士のナイフを避ける。

 共和国兵が一人また一人と死んでいく。

 どう考えても、魔法を使えない共和国の兵士たちは生き残ることができないだろう。

 俺たちが敵国の兵士を助ける義理はない。

 ここから離れるという手があるが、オアシスに行くために道を迂回してしまえば、自分たちの現在位置が分からなくなる危険がある。

 ここはミネヴァたちが共和国兵を全滅させて、ここから遠ざかるのを待つべきだろう。

 俺がそんなことを考えていたら、リタが立ち上がった。


「ヴィレ、行くぞ」

「行くってあそこにか? まさか敵兵を助けるつもりなのか?」


 帝国最強はそこまで甘いのか?

 俺はその意味を込めてリタを見た。

 リタはその赤い髪を風に揺らしながら俺の問いに答える。


「あの荷車に食料が入っているかもしれない。譲ってくれればよし、譲らなければ奪うだけだ」


 そう言ってリタはミネヴァたちの元へ向かった。

 一理あるが、もしあの荷車に食料が無かった時のことを考えているのだろうか?

 彼女は考えていないだろうな。無かったら無かったで別にいいと思っているのだろう。


 リタが下に降りた。そして、すぐに物形操作でミネヴァを屠っていく。

 ここからだと、彼女がミネヴァたちを蹂躙していく様子がよく見える。

 仕方ない。こうなってしまったら、ミネヴァたちを全滅させるしかない。

 俺も気が進まないが、下に降りる。一体のミネヴァが俺に気づき襲ってきた。

 俺は巨大な刃物を取り出し、物体浮遊でその刃物を操る。

 そのまま巨大な刃物でミネヴァを切り刻んだ。

 その刃物というのは、リタが基地を出発する前に作ってくれた武器だ。武器は他にも十本ほどある。武器が十本しかないというべきなのだろう。

 たくさんの武器を持つと荷物が重くなってしまう。荷物が重くなるのは避けないといけなかったため、十本しか持つことができなかった。

 二十や三十あれば、単純な動きしかできないが、物体浮遊で多数の敵を倒せるはずだった。


 とにかくリタと俺でミネヴァを全滅させる。

 共和国の兵士たちはただ荷車の前で立っているだけだった。そして、魔法を使った俺たちを帝国の人間だと理解した彼らは、すぐに俺たちに警戒した。


「なぜ助けた!」


 兵士の一人が叫んだ。おそらくこの兵士が隊長なのだろう。

 こうなることは分かっていたことだ。

 殺し合う関係。ここが戦場じゃなくて砂漠であっても、それが変わることはない。


「食料を分けてもらいたいだけだ」


 リタが淡々と共和国の兵士に告げた。

 冷静なリタに対して、おそらく興奮状態である共和国の兵士は俺たちに怒鳴ってくる。


「敵に渡す食料などない! 遠征中の同胞のための食料だ!」

「つまり、その荷車には食料があるってことか」

「っ!」


 共和国の兵士が俺の言葉に反論できない。

 良かった。こいつらが食料を持っていないという最悪の事態ではないということか。後は、貰うか奪うかの問題。


「ここから立ち去れ!」


 共和国の兵士全員がナイフを取り出した。つまりは奪うということになったのか。


「我々に勝てると思っているのか?」

「せめて相討ち--」

「遅い」

「なっ!?」

「ヴィレ!」

「分かっている」


 リタが物形操作で地面の形を変え、共和国の兵士全員を砂の槍で襲った。その砂の槍は、兵士たちが持っていたナイフに当たり、兵士たちはナイフを手から話してしまう。

 そして、俺がそのナイフ全てを物体浮遊で操り、こちらに引き寄せた。ナイフの先は敵に向け、いつでも敵兵を貫けるように浮遊させる。


「これでも譲らないか?」


 共和国の兵士たちはリタに対して何も言うことができない。

 リタは譲ると言っているが、これはもう奪うと言っているのと同じようなものだ。


「ガァァァ!!」


 完全に油断していた。

 自分たちが優位に立っていたということがあったからなのだろう、砂から出てきたミネヴァにすぐに反応することができなかった。


 現れたミネヴァはカテゴリー3に分類される大きさであり、口から大量の液体を共和国の兵士たちに向かって吐き出した。

 液体は共和国の兵士全員と荷車にかかる。


「あぁぁぁあああ!!!」


 人の肌が焼ける音がする。

 共和国の兵士たちは肌が焼けただれていく。あまりの痛みに共和国の兵士たちは叫び声を上げた。


 ミネヴァが口から出した液体。

 共和国の兵士を見れば分かる。あの液体は酸だ。それもかなり強い酸。

 あの酸を浴びたら確実に死ぬ。

 もう浴びてしまった共和国の兵士たちは苦しみながら死ぬだろう。

 俺とリタは運良く浴びていないが、浴びる可能性は高い。


「くそっ!」


 リタが砂の槍を作り出してミネヴァを貫こうとしたが、ミネヴァは硬く、砂の槍で貫通することができなかった。


「ガラァァァ!!」


 ミネヴァがまた酸を吐き出す。

 辺り一面が酸の沼へと変わっていく。

 俺たちはミネヴァに迂闊に近づくことができない。ミネヴァに触れるほど近くに行くことができれば、リタの物形操作で簡単に倒すことができるのだが。


「……仕方ない」


 リタはそう言って、物形操作で巨大な砂の波を作った。

 砂の波がミネヴァを飲み込む。ミネヴァは抗うことができずに流されていった。

 倒すことができなかったが、これなら俺たちも無意味にミネヴァを倒す必要はない。


「行くぞ!」


 リタの掛け声を合図に、俺たちは全力でその場からオアシスがある方向へ走った。
















***



 ずっと走っていたせいか、俺たちは倒れるようにしゃがみこんだ。

 日はもう傾いている。暗い中での歩行は、襲ってくる敵に気づくことができない危険がある。

 焦って進んでも死んでしまったら元も子もない。今日はここでテントを張るべきだろう。

 俺たちはテントを張って、早めの夕食を摂る。

 缶詰だけの食事。味もイマイチで量も少ない。

 しかも、残りの食料はあと四日分しかない。

 水の消費が予想以上に早い。このまま消費すると、あと四日分あるかないか。

 共和国の荷車もミネヴァの酸でやられていたはずだ。あれでは中身も無事ではないだろう。

 食料を増やすことはできない。唯一の救いはオアシスで給水できること。

 あと四日のうちに救助隊と会えるだろうか?


「……レ」


 オアシスに行く途中で救助隊に会うことはまず無いだろう。

 ということは、三日という期限の中で救助隊と会わないといけない。


「ヴィ……」


 いや、水だけでも一日二日ぐらいなら食料が無くても生きていけるか。

 なら、期限は五日以内?


「ヴィレ!」


 俺はやっとリタに名前を呼ばれていることに気づいた。

 リタが俺の顔を覗き込んでいる。

 割と距離が近い。

 彼女の綺麗な瞳に自分が映っていることが分かるほど近い。

 というよりも、ここまでリタが近づいていることに気づかないほど、俺は考え込んでいたのだろうか。


「とても暗い顔をしていたぞ。考えすぎるな。後のことを考えても暗くなるだけだ」


 確かにリタの言う通りだ。

 こうなることは覚悟の上で、基地から出てきた。

 後悔なんてしていないが、とにかくやるべきことをやるだけだ。

 まずはオアシスを目指すこと。


「すまない」

「ヴィレが謝る必要はない。それより、未来のことを考えるなら、救助隊と出会って帝都に帰れた後のことを考えよう」


 リタが俺から少し離れて、そう提案してきた。

 助かった後のことを考えるのか。

 悪くないかもしれない。


「そうだな、帝都に帰ったら、まず何をしようか?」

「私は風呂に入りたい。汗で汚れた身体を早く洗いたいな。ヴィレは何がしたい?」


 俺のしたいことか……

 迷うな。

 風呂に入るのもいいし、ちゃんとした料理を食べるのもいい。

 まず始めに何をするべきだろうな。いや、するべきことと言えば、たくさんありそうだ。


「まぁ、やりたいことじゃないが、溜まっているであろう仕事を片付けないといけないだろうな」


 あの無能な隊長のことだ。

 書類なんて一枚も処理できていないだろう。

 あれ?

 今気づいたが、助かっても俺には地獄しか待っていないのか?


「ふふっ、お前は本当に苦労人だな。お前さえよければ、いつでも私の隊の副隊長になれるぞ」

「だから--」

「冗談だ」


 彼女が微笑んでくる。

 俺も彼女に釣られて笑う。


 こんな風に彼女と笑い合うなんて、最初の頃は思いもしなかった。

 最初の頃は互いに一線を引いていたが、今では冗談の一つくらい言い合う仲だ。


 風が冷たくなってきた。

 俺たちは毛布を取り出して、身を包んだ。

 リタの物形操作のおかげで、毛布は厚く、夜の砂漠の冷たい大気から俺たちを守ってくれる。


 この砂漠は何度も言うが、ミネヴァの巣だ。

 いつ襲われてもおかしくない。昼の歩いている時も、夜の寝ている時も。

 だから、俺たちは交代で見張りをすることにした。

 二時間寝て、二時間見張りし、また二時間寝る。

 要するに二時間交代だ。

 最初は俺が見張り。

 テントの外で座り、辺りを警戒するのだ。

 焚き火などはしていない。

 焚き火の光でミネヴァが集まってくるかもしれないし、そもそも燃やせるものがない。

 頼りになる光は、月と星空の明かりだけ。

 俺たちがミネヴァに気づきにくい分、ミネヴァたちも俺たちに気づきにくいことを祈ろう。


 俺が見張りを始めて十分たった頃、テントの入り口からリタが顔だけ出してきた。


「どうした?」

「ちょっと寝れなくてな。気分転換に星空を見たくなった。あと話し相手も欲しい」

「俺は見張り中だぞ?」

「もしミネヴァが襲ってきても、私がお前を守ってやる」

「それは俺が言うべき台詞じゃないか……?」


 まあ、実際にリタの方が強いのは確かなんだが。

 リタに守ってやると言われると、少し自分が情けなくなる。


 星空は相変わらず綺麗だ。

 雲が一つもない。

 星空を見たら、初めて砂漠の夜空が綺麗だと気づいた時のことを思い出した。

 不安そうだったリタに対して大丈夫と言ったあの夜。

 あの時そう言ってしまったために、リタが揚げ足を取られてしまったのは自業自得なんだろう。

 

 リタもあの時のことを思い出しているのだろうか。俺は気になって、星空から視線を下に向ける。

 毛布に包まって寝転がっているリタと目があった。

 こんな暗い夜でも、リタの赤い髪と瞳ははっきりと分かる。

 鮮やかなその色は、確かにリタがそこにいることを告げていた。


 俺は思わず彼女の綺麗な髪に触れた。そして、できるだけ優しく頭を撫でる。

 リタは嫌がる素振りを見せず、目を閉じて俺の手を受け入れてくれた。

 俺はそれが嬉しくて、リタの頭を撫で続ける。

 そして、リタは微笑みながら、こう言ってきた。


「時々、ヴィレは大胆なことをするな」


 リタに言い返せない。

 今の俺の行動が大胆なのは自覚している。


「すまない。嫌だったか」


 俺はリタの頭を撫でるのをやめ、手を放そうとしたが、リタが目を閉じたままでこう呟いた。


「やめないでくれ。なんだか、安心できる……」


 俺は再びリタの頭を撫でた。

 リタにここまで触れることができたやつはいるのだろうか?

 越えられない距離という最強の盾があるリタは、ここまで他人に触れることを許したことがあるのだろうか?

 世界最強の英雄である前に一人の少女である彼女。

 彼女が背負っているものを想像することはできない。

 せめて今だけでも彼女が安心できるように、俺は優しく彼女に囁く。


「分かった。君が寝るまでずっとこうする」

「ありがたい……」


 リタはすぐに寝息を立てた。

 俺は彼女が寝てもしばらく彼女の頭を撫で続けた。

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