第8話 涙の重さ

「うむ、おかしい……」


 私、リタ・バレランスは今、食料を保管している部屋の中にいた。

 ペットボトルに入った飲料水を飲み切ってしまったため新しいペットボトルを取りに来た私だが、部屋の中にある食料の量に違和感を感じた。

 食料が少ないわけではない。逆に予想よりも食料が多いのだ。

 これは食料の減りが少ないことを意味している。ヴィレがうまく節約して調理してくれているからなのだろう。

 予想では今の二倍ほど消費すると思っていたのだが、予想に反していて嬉しいことである。


「リタ、どうしたんだ?」

「ん? 水を取りにな。それより、食料の減りが予想より少なくないか?」

「まぁ節約しているからな。それより昼食を作ったぞ」

「ありがたい。お前はもう済ませたのか?」

「ああ、もう食べた」


 ヴィレが食べながら作ると言うので、ここ最近は、私が一人だけで食べることが多い。少し寂しい気もするが、ヴィレがしやすいのならそれでいいだろう。食事中にもヴィレは話し相手になってくれるから、そこまで大したことではないとも思っている。


 今日も例外なく、私は食事をしながらヴィレと会話をしていた。


「ハルナ司令はユウト隊長のことが好きなのか?」

「おそらくな……誰かから聞いたのか?」

「いや、以前食堂で二人に会った時、なんとなくそう思った」

「あの一瞬で気づいたのか、凄いな……俺は脅されるまで気づかなかった」

「脅される?」


 物騒な言葉が出てきて、思わず聞き返してしまった。ハルナ司令がヴィレを脅すのか。


「ユウトを踏み台にしたら粛清するって言われた……」


 なんだかハルナ司令がヴィレを脅す様子を想像できてしまう。ヴィレは本当に苦労してきたんだな。


 私は昼食を終えても、しばらくヴィレと会話をしていた。主にヴィレの苦労話だったが。


 一時間ほど会話をして、ヴィレは重ねた食器を持ち席を立ったが、一瞬だけよろけた。


「大丈夫か?」

「ちょっと立ちくらみしただけだ」


 大丈夫だろうか?

 ヴィレの顔色は良くないように見える。彼はちゃんと休めているのだろうか?


「手伝うぞ」

「いや、その必要はない。リタは本でも読んでおいてくれ」


 ヴィレはそのまま食器を持って行ってしまった。私はそのヴィレの様子を見るが、ヴィレは慣れた手つきで食器を洗っている。


 心配したが大丈夫そうなので、私は自室へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガシャン!


 食器が割れる音がした。珍しくヴィレが食器を落としてしまったのだろうか。

 私は読んでいた本を閉じ、自室から出て展望室へ向かう。

 割れた食器を片付ける手伝いなら私にもできるし、割れ様によっては私の物形操作で割れた皿を元に戻すことだってできる。

 割れた皿を思い切って別の形にしてみようかと考えながら、展望室の中に入れば……


「ヴィレ……?」


 割れた皿の横で、ヴィレが倒れていたのだ。


「ヴィレ!」


 私は急いでヴィレの元に駆け、うつ伏せのヴィレを仰向けにする。割れた皿による怪我はない。顔色が悪く、脈が弱い。

 なぜ倒れたのか分からない。疲労が溜まっていたからなのだろうか。でも、疲労のせいとは考えられない。私と違ってヴィレは料理をしているが、それが原因であるとすれば、始まって一週間以内ならともかく、二週間以上経った今になって倒れるのはおかしい。私が本を読む時間があるくらい、休憩する時間は有り余っているはずだ。


 とにかくヴィレをここよりも涼しいところへ移動させなければ。

 私はヴィレを彼の自室へと運んだ。




















***



 あと一週間分しかない食料。

 あと二週間以内なら来る可能性が高い救助部隊。救助部隊が一週間以内に来るとは考えられない。


 人間が食料無しで生きていられるのはどんなに長くても一週間。しかし、砂漠という状況下では一週間ももたないだろう。


 生き残ることは難しい。誰だってそう思うだろう。

 ヴィレ・ルータストもそう思う--




 ただし、二人なら、という条件ならば。


 二人ではなく、一人だけなら生き残れる可能性は充分ある。


 食料は二人が消費したら一週間分だが、一人が消費するだけなら二週間分になる。つまり、一人だけなら二週間生き残れて、救助部隊に助けて貰える。


 二人ともこの基地で餓死するよりは、一人が生き残れる方がマシに決まっている。

 では、問題はどちらが生き残るべきか。考えるまでもない。彼女が生き残るべきだ。真の英雄になりうる彼女は、俺よりも生き残る価値がある。


 だから俺は食料も水も口にせず、過ごすことを決めたのだ。


 砂漠で水を飲まないで過ごすのはやっぱり無理があり、すぐに体調は悪くなった。だが、リタに悟られるわけにはいかず、いつも通りに振る舞うことを心掛けていたが--






「大丈夫か?」


 リタの昼食の皿を飲料水で洗おうと立ち上がったら、目眩がしてよろけてしまった。


「ちょっと立ちくらみしただけだ」

「手伝うぞ」


 手伝ってもらいたいが本音ではあるけど、皿洗いの最中にまた目眩がしてしまったら疑われてしまう可能性がある。


「いや、その必要はない。リタは本でも読んでおいてくれ」


 リタの視線を感じながら、俺はいつも通りを振る舞うように努めた。

 リタが自室へと向かったため、安心して休憩できる。目眩が来て、吐き気もする。自分の体が自分のものじゃないような錯覚に陥る。それでも、俺はなんとか皿を洗って片付けることができた。


 あと一日ぐらいは生きていられるだろうか。俺が生きているうちにやるべきことはたくさんある。俺が死んだ後もリタが生きていられるように、紙に料理の仕方や残りの食料について書かなければならない。


 展望室には紙とペンが置いてある。

 俺はそれらを手に取って、思いつく限りのことを紙に書いていく。


 気付けばもう夕食を作る時間。

 俺は頭が痛くても、夕食を作ろうと立ち上がった。身体が熱く、景色もぼやけて見えるがそんなことは気にせず、俺は食器を持ってまな板の近くに……


 そこで俺の意識は途切れた。

























***



「ん……」

「起きたか、ヴィレ」


 見慣れた赤髪が視界に入ってきた。

 少し薄暗い部屋。ここが俺の個室だということは分かる。


 俺はどうしてここに?

 確か展望室で俺は……

 そうか倒れたのか。

 リタが俺をここに運んできてくれたのだろうか。


 俺がリタに礼を言おうと起き上がると……


「むぐっ!?」


 突然、リタがペットボトルを俺の口に突っ込んできた。


「ほら、水をどんどん飲め」

「ま、待て、リタっ!?」

「いや、待たない」

「ご、ごほっ……ごほっ……分かった! 飲む! 自分で飲む! だから飲ませようとするのはやめてくれ!」


 ペットボトルの水で溺れ死にそうになった。リタからペットボトルを受け取り、自分で飲み干す。

 身の危険を感じた。


「心配したんだぞ」


 リタ、心配してくれるのはありがたいが、お願いだからペットボトルの水で殺そうとしないでくれ……


 水を飲んで一気に身体の調子が戻った。

 いろいろなことが原因で倒れてしまったと思うが、脱水症状で倒れたことにしよう。何も食べていなくて倒れたことに気づかれないようにしなければ。


「脱水症状で倒れたんだろうな。展望室は暑かったし」

「水を飲んでいなかったのか?」

「倒れたってことは飲んでなかったってことだろうな」

「……ほぅ、あくまで脱水症状としらばっくれるのか」


 リタがいきなり低い声を出した。そして、彼女は俺の一番聞かれたくないことを聞いてきた。


「お前、ここ数日何も食べていないだろ?」


 心臓を掴まれた感じがした。だけど、表情には出さない。


「食べているって」


 リタに嘘をつく。嘘をつかないといけない。だけど、リタは俺の言った言葉が嘘だとすぐに分かったのだろう、俺の言葉なんて無視して言葉を続けた。


「死ぬつもり、だったんだな」

「そんなわけな--」

「こんな紙を書いておいてか?」


 リタが俺に見せてきた紙は、俺が料理の仕方や残りの食料について書いた紙だった。


「こんな遺書みたいな紙を書いておいて死ぬつもりはなかったと? もう分かっているんだ。作りながら食べているとお前は言っていたが、実際には食べていなかったのだろう? 食料の減りが少ないのが何よりの証拠だ」


 リタに違うと言い返せない。確かに俺はそうしていたから。

 リタが紙をくしゃくしゃに丸めて、ゴミ箱へ投げ捨てた。


「なんでこんなことをした?」


 リタが俺の胸ぐらを掴んでそう言った。声だけでもリタが怒っていることが分かる。

 ここまで追い込まれたら、リタに自分の考えを言うしかない。


「リタ、冷静になれ。考えてみろ、食料は二人で一週間分しかないが、一人なら二週間分になる。一人が死ねば、もう一人は救助隊に、ぐっ!」


 俺の言葉は続かなかった。リタに思いっきり殴られたのだ。

 殴られた俺は思わずリタを睨み、言葉で説得しようとした。


 だけど、何も言うことができなかった。

 

「う……ぅ……」


 リタが泣いていたのだ。その泣き顔はどこにでもいる女の子のようで。

 こんな状況で不謹慎なことではあるが、リタの泣いている様子を綺麗だと思ってしまった。


「なんでっ、二人とも生き残れる方法を探そうとしない!」


 彼女が涙で頬を濡らしながら、俺にそう言ってきた。

 俺だって二人で生き残れる方法ぐらい考えた。だけど、思いつくことはできなかった。だから、一人でも確実に生き残れる方法を選んだ。


「二人とも生き残れる方法なんてない。だから、一人でも確実に生き残れる方法を--」


 また俺の言葉は続かなかった。

 今度は殴られたわけではなく、リタが俺の胸に飛び込んできたのだ。彼女の甘い匂いが俺の鼻をくすぐる。


「ここまで一緒に生き残ってきてっ! 今更一人だけなんて言うな!」


 彼女の涙が俺の服を濡らす。

 彼女は肩を震わせながら怒鳴るが、だんだん声は小さくなっていく。

 

「私たちの運命は一緒なんだ……どっちかだけが死ぬなんてありえない……生きるのも死ぬのも二人一緒だ……」


 彼女がそう言ってくれるとは思わなかった。彼女を泣かせたくせに俺は、すまなかったという意味も込めてリタの頭を撫でる。


「私を一人にするな……」


 そのリタの一言で気づく。

 俺は、自分が死んで彼女がどう思うかなんて考えていなかった。

 砂漠に取り残された日、俺も一人だけで不安だった。一人で生き残れるなんて思いもしなかった。そして、生きている彼女を見つけて希望を感じたんだ。一人じゃなくて二人ならこの砂漠でも生き残れるという希望を。


 俺が死んで一人になった彼女は、生き残っていこうなんて思えるのだろうか。自分以外が出した音を聞くことができない、他愛ない会話をすることができない。いろいろな孤独という不安が彼女の心を蝕んでいくだろう。

 彼女はそれを想像して不安になったんだ。だから、自分を一人にしようとした俺に怒り、今泣きながら、一人にするなって呟いたんだ。

 

 

 俺は彼女の頭を撫でながら、泣いている彼女の背中に腕を回す。彼女が少しでも安心できるように。自分が行おうとしていたことの罪を実感しながら。


 彼女の涙の数が、俺の罪の重さを物語っていた。

 

 

 

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