第7話 副隊長の理由
「おはよう、ヴィレ」
「おはよう、リタ。朝食は作っておいたぞ」
濡れた手をタオルで拭きながら、ヴィレが私にそう告げた。テーブルの上を見ると、出来たての朝食が置かれていた。朝食は私の分しかない。
「ヴィレはもう朝食を済ませたのか?」
「さっきな」
随分早いな……
今はまだ七時半だ。朝食を済ませたということは、それより早い時間に食べたということになるのだが……
まぁ、朝食を作っていて腹が減ったのだろう。別に、早く食べても遅く食べても、問題なんてない。
「心理学の本はどこまで読んだ?」
私が朝食を食べていると、ヴィレはそんなことを聞いてきた。
ヴィレも貸した本がどうなっているか気になるのだろう。
「半分までは読んだぞ」
「そこまで読んだ感想は?」
「そうだな…………今までの自分の人生について考えさせられる内容だと思う。過去について考えるな、とあの本に書かれていたが、つい過去を振り返ってしまう」
「俺と同じだな……」
ヴィレが微笑んで、私の食べ終わった朝食の皿を片付ける。
心理学の本を読み終わった後にしたいと思っていることを、私はヴィレに告げた。
「私が本を読み終わったら、本の内容について話し合わないか? 心理学の言葉をどう解釈したかについて一緒に語り合いたい」
ヴィレは私の言葉を聞いて、一瞬動きを止めた。私の言葉に対する返事をすぐにくれない。
「……確かに語り合いたい。だから、なるべく早く本を読み終わってくれ……」
私に早く本を読むように急かすことを今まで言わなかったヴィレが、そんな言葉を言ったため、少し違和感がした。その言葉は心理学について語り合いたいという気持ちの表れなのだろうか?
私には少し違ったように聞こえた。
ヴィレに言われなくても早く本を読み終わりたい私は、自室で心理学の本を読み耽っていた。
「リタ」
「なんだ?」
「昼食できたぞ」
私は本を読むのに集中していた。
そのため、廊下からのヴィレの声を聞くまで、今がもう昼だということに気がつかなかった。
本を机の上に置き、私は自室から出る。
「俺はもう食べ終わったからな」
「分かった」
廊下にいたヴィレと一緒に展望室へと向かう。心理学の本の中で理解しにくかったことをヴィレに聞きながら、私は展望室で昼食を済ませた。
昼食を済ませ、ヴィレと他愛ない話をしていたら、ふと気になったことができたので聞いてみた。
「ヴィレはなぜ隊長にならないんだ?」
「藪から棒だな……」
ヴィレはこういう質問が苦手なのだろう。いや、今まで散々同じ質問をされてきたから、うんざりしているのかもしれない。
「誰だってそう思うはずだ」
デスクワークもでき、固有魔法も使うことができるので戦闘能力が低いわけじゃない。これなら隊長になっていてもおかしくない実力だ。なのに、固有魔法を持っておらずデスクワークが全くできないユウト隊長の部下で居続けている。
帝国の上層部もヴィレの行動を不思議がっていた。
私も上層部がそれを話しているのを聞き、不思議に思っていたのだ。
「なんでユウト隊の副隊長で居続ける?」
「ユウトに英雄になって欲しいからだ」
「お前は英雄になりたくないのか?」
「俺もなりたいと思っていた時期もあったが、今はユウトの方が英雄になるべきだと思っている」
なぜ?
彼なら英雄の称号を貰うことができるはずなのに、そこまで隊長に英雄になって欲しいと思うのだろうか。
「あいつが英雄になるには、俺があいつの分の書類を見ないといけないからな」
なぜそんなに隊長に英雄になって欲しいと思うかは分からないが、彼が本心からそう言っているということだけは分かる。
「そうか。お前に私の隊の副隊長になって欲しかったのだが……」
「すまないが、お断りさせてもらう」
「ふっ、まさか断られるとはな」
彼がユウト隊の副隊長だから、ここまでしっかりしているのかもしれない。
副隊長になって欲しいという言葉は嘘ではない。しかし、断られても嫌な気分はしなかった。
ヴィレはユウト隊長を尊敬しているのだろう。そして、副隊長として彼の役に立っていることに誇りを持っているのかもしれない。
ユウト隊の副隊長だからこそ、ヴィレは自分の能力を最大限に生かすことができる。
私はそう結論づけることにした。
***
何度も質問されてきたことをリタが聞いてきた。うんざりはしたが、今までの誰よりも理由を話しやすかったと思う。
俺も英雄になりたいと思っていた時期はあった。そもそも英雄になりたいと思って、軍人になったのだ。自分は固有魔法を使うことができ、仕事だって人並みにはできる能力はある。そう確信していて間違ってもいなかったから、俺は英雄になれると思っていたのだ。
実際に今だってユウト隊の副隊長をやめて、自分の部隊を作れば、英雄になれる可能性は高いだろう。
だけど、俺はそれをしない。ちょっとした昔話をすれば分かることだ。
十八歳になって軍の学校を卒業した俺は、自分が配属される部隊について書かれた書類を教官から受け取った。
「ヴィレ、お前はどこの部隊だった?」
俺にそう聞いてきたのは、灰色の髪の男。その男の名はスヴァン・スクント。俺と同じ村出身であり、彼も固有魔法を使うことができる。
「ユウト隊だ。お前は?」
「スクウィ隊」
スヴァンが配属される部隊の隊長の名前はスクウィ。彼女も、俺たちと同じ村出身の女性だ。女性といってもまだ十五歳なのだが。彼女と俺たちは面識がある。そして、スクウィも英雄の称号を与えられた五人の一人。
「お前も俺と同じようにスクウィ隊だと思ったんだけどなー」
「一つの部隊に固有魔法が使える人間が三人というのは多過ぎると上層部が思ったんだろ」
「なのかもな。まぁ互いに頑張ろうぜ」
そんなことを話し合った俺たちだが、俺たちが二人ともこれから苦労するなんてこの時は思いもしなかった。
俺は仕事のできない隊長の補佐という苦労を、スヴァンは幼女のお世話という苦労を。そういう運命はここで決まったのかもしれない。
「ここか……」
俺はユウト隊の部隊室の前に立っていた。ユウト隊に配属されるのは俺だけ。
一人だけなので、少し緊張してしまう。
「失礼します」
部隊室の前でウジウジするのもどうかと思うので、俺は意を決して扉を叩き、中に入った。
「この書類は今日までって言ったでしょ!」
「うるせぇよ! 大体なんで司令官のお前がここに来てんだよ!」
「あんたがいつも書類を期限内に出さないからよ!」
「おい! こいつを入れるの許可したやつ誰だ! 俺の分の書類を押し付けてやる!」
部隊室の中は、とても騒がしかった。黒髪の男と茶髪の女が言い合っている。ほかの人たちは二人の言い合いをうるさいと思いながらも黙々と仕事をしていた。
男女の言い合いが終わるまで待っておこうと思ったが、どんなに待っていても二人の言い合いが終わりそうになかったので、とりあえず俺は二人に話しかけることにした。
「すみません」
「「なんだ!」」
「やっぱり何でもないです……」
俺の言葉になぜか息ぴったりに反応した二人。二人の勢いが凄すぎて俺は何も言えない。
言い合いをしていた二人の内の一人、茶髪の女性が俺の顔を見て、思い出したように喋った。
「ああ、今日配属される新人君ね!」
「新人?」
「ユウト、報告書見てないのね?」
茶髪の女が鋭い視線を黒髪の男に突き刺す。男は女の視線から逃れたいためにそっぽを向いている。
「ウチの隊はもう充分なほど隊員いるだろ。もう新人が入ってくることはないってお前言ってなかったか?」
「隊員は充分いるけど、この部隊には固有魔法を使える人間がいないじゃない。だから、彼一人だけがここに配属されたのよ」
「へぇ〜。お前、名前は?」
「ヴィレ・ルータストです」
「よろしく。んじゃ、お前は今日からうちの隊の副隊長な」
「はい?」
ユウト隊長の言葉が信じられず、俺は変な声を上げてしまった。
今日入ってきたばかりの新人に副隊長を任せるというのは、意味が分からない。
「この隊はね、新人に副隊長をやらせるのが恒例なのよ」
茶髪の女性がそう説明してくるが、俺は未だに理解することができていない。
本当にそれでいいのか、とこれから先輩と呼んでいかないといけない人たちの顔を見た。
先輩たちはなぜか俺を可哀想な目で見てくる。俺が副隊長になることに反対をしている人間はいないようだ。
「これからよろしくな。ヴィレ副隊長」
「副隊長、よろしく」
「がんばってね、副隊長」
先輩たちが俺を歓迎してくれた。俺は先輩たちが反対してこないならいいと思い、副隊長になることを決めたのだが……
「なんで書類に目を通してないんですか!」
「ユウト隊長、これの締め切りは今日までです!」
「これは必要な書類じゃありません!」
「寝ていない? じゃあ、なんで書類によだれがついているんですか!」
驚くべきほどユウト隊長は仕事ができないのだ。なんで隊長になれたの、と聞きたいくらい。
ただのブラック企業が優良企業に思えるぐらいの仕事量で、俺のストレスは溜まりまくり。
未だに心に残っている出来事といえば。
「ユウト〜、兄貴が司令室に来いって言ってたわよ」
「キリジツが? なんで?」
「次の隊長会議について話があるって」
司令官なのになぜかこの部隊室によく来るハルナさん。彼女もユウト隊長に苦労させられているのだろう。
ユウト隊長は机の上に溜まっている書類を放ったらかし、司令室へと向かった。あの机の上にある書類は後で俺が全部やる羽目になるのだろう。
だからこそ、俺は目の前の仕事を早く終わらせようと机に向かったら、ハルナさんが俺の机の上に座った。
「ヴィレは英雄になりたいの?」
ユウト隊長が不在の時に、ハルナさんと話すのは初めてだ。
ハルナさんは長い髪が綺麗で、美しい容姿の持ち主だと思う。
「え、ええ、まあ」
俺は英雄になるために、軍人になったからな。
ハルナさんが俺の答えを聞き、少し低い声を出す。
「そうなんだ……」
ハルナさん。そこをどいてください。仕事を中断させる暇なんてありません。
そう言おうと思ったら、ハルナさんに肩を掴まれた。結構な力で痛い。
「いい? よく覚えておきなさい。ユウトを蹴落として、自分が隊長になろうと思うんじゃないわよ。そんなことをしたら、私があんたを粛清するから」
ハルナさんにすごい笑顔で、全く笑えない台詞を言われた。ハルナさんは笑顔だというのに殺気が物凄い。
いきなりのことで頭が追いつかない。助けを求めようと先輩たちを見るが、全員こっちを無視している。関わりたくないというオーラを先輩たちからヒシヒシと感じられる。
「いい?」
「……は…い」
ハルナさんが再度確認というか、脅迫をしてきたので、俺は微かな声でも返事をした。
ハルナさんが俺の方から手を離し、部隊室から出て行った。
「新入り! 大変だったな!」
一番近くの席の先輩が笑いながら俺に話しかけてきた。
いや、全くの笑い事じゃない。命の危険を感じたぞ。
「姐御はいつも副隊長になった奴にああ言うのさ。ユウト隊長が心配だからな」
「姐御……」
「うちの隊じゃハルナ司令のことを姐御って呼ぶことにしているのさ」
あの脅しを見たせいか、姐御という言葉がしっくりくる。俺もこれから姐御と呼ぶことにしよう。
そして、話は戦争の出撃に移る。
帝国と共和国の戦争。
俺たちユウト隊も国境付近での戦闘に出撃していた。
その戦闘は終始、帝国軍の優勢であり、もう後は共和国の司令部を叩くだけだった。
ここで敵の司令官を倒したという手柄を手に入れたら、ユウト隊長は英雄の称号を貰えるだろう。そうなれば、副隊長である俺も出世することができ、自分の部隊を持つことができるだろう。俺が英雄になるのも夢じゃないということだ。
だけど、戦闘の途中で問題が起きた。
共和国軍の一部が、帝国の村を襲ったのだ。その村は敵の司令部とは離れており、村を助けに行ったら司令部は他の部隊の手柄になってしまう。普通なら司令部に向かうのだが……
「村を助けに行くぞ」
「隊長!」
その時、俺は人生で一番怒鳴っただろう。ユウト隊長は黙って俺を見ているだけだ。
「あんたは英雄になりたいんだろ! 英雄になれる最大のチャンスを捨てるつもりか!」
隊長をあんた呼ばわりするのは、当然許されないことだ。だけど、そんな細かいことを気にする余裕なんてない。
「村を救えなくても、敵の司令を倒して英雄になれればいい! 全ては結果だ!」
ユウト隊長は俺のその言葉を聞き、口を開いた。
「確かに結果が全てだ。だけどな、過程のない結果なんて無いんだよ」
「英雄になるという結果が--」
「それは違う。村を見捨てて英雄になるというのは、村を見捨てた英雄と糾弾される結果の過程に過ぎない」
「糾弾されるかどうかは分からないだろ! 英雄の称号を貰えたということに注目されて、村が救えなかったことは注目されないはずだ!」
「だったら、俺が村を助けに行っても、英雄になれないなんて分からないだろ?」
「敵の司令官を倒すのと村を助けるのとでは全然違う! 英雄になれるわけがない!」
「だったら英雄の称号なんていらない」
「なっ!?」
言葉を失った。
目の前の男はなんて言った?
英雄の称号なんていらない?
「俺は英雄になりたい。でも、英雄の称号なんてあってもなくてもいい。英雄は国じゃなくて人が決めるんだよ」
そんな理想論なんて知らない。
「それは英雄の称号を貰ってからでも……」
「村を見捨てて英雄の称号を貰って、自分は英雄です、なんて言えるか?」
英雄の称号さえあれば、他の事はなんとかなると思っていた。
「また次のチャンスで英雄になればいい。その方が俺は胸張って自分のことを英雄って言えるからな」
そうか、彼は違うんだ。
英雄という称号だけを望んでいた俺とは違い、彼は真の英雄になることを望んでいるんだ。
その後、結局ユウトは村に向かった。
村を占領していた共和国軍を一瞬で蹴散らしたが、ユウトは敵の司令官の首を他の部隊に譲ることとなってしまった。
でも、手柄を逃したユウトは自分の決断に後悔していなかった。
英雄になるべきなのはどっちだ?
俺なんかじゃないに決まっている。
彼が英雄になるべきだ、彼なら真の英雄になることができる。
その時に決心した、目の前のよく馬鹿なことをする隊長を英雄にすると。
だから、自分がどんなに英雄の称号を貰える機会があっても、ユウトを英雄にするまで俺は、ユウト隊の副隊長をすると誓った。
***
ユウトだけじゃない。目の前にいる彼女も真の英雄になれる。彼女もユウトと同じように英雄という称号を重視していないのだ。
もう既に英雄の称号を貰っている彼女だが、砂嵐の時、自らしんがりの役を選び、他の者たちを守った。
それができる人間は、人々の希望そのものと言っても過言じゃない。
「リタ、夕食できたぞ」
「そうか、すぐに行く」
「俺はもう食べておいたからな」
「またか?」
「食べながら作る方が効率いいんだよ」
真の英雄になりうる彼女は、必ず生き残るべきだ。
俺はそのためにどんなこともする。例え彼女に嘘をつくことになろうとも……
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