第4話 夜空と笑顔

 結論から言おう。



 リタが風邪を引いた。



 やはり夜の砂漠で薄着はいけなかったようだ。次の日の朝からリタは鼻水が酷くて、体温を計れば37.9度だった。


 そして、リタが風邪を引いたことが分かってから一日経った今日、俺はリタの部屋に朝食を持って来ていた。


 食材が限られているため、風邪に効く食事をあまり作れないが、食べやすいように食材を細かく切るなどの工夫はしたつもりだ。


「リタ、朝食持ってきたぞ」


 俺の声に対するリタの返事はない。

 俺は遠慮なく部屋の電気をつけた。


「リタ?」

「んっ……?」

 

 どうやら寝ていたのに起こしてしまったようだ。リタが目をこすりながら、上半身だけ起こす。

 リタの格好はまた下着の上にシャツが一枚だけ。そんな薄着だから風邪を引いたというのに……

 俺は見慣れたと言えばいいのか、リタのその格好に対して動揺することはもうない。

 俺がリタに朝食を渡そうとしたら、リタが寝ぼけた声で俺に話しかけてきた。


「どぉしたぁ?」


 これはデジャヴだ。

 今のリタは完全に寝ぼけている。前に俺が起こしに来た時に、リタの薄着を見てしまったあの朝のように。


「朝食を持ってきた」

「しんぶんはとってなぃ」


 駄目だ。これは何を言っても理解されないってやつだ。あと、こんな砂漠にまで新聞が来るわけないだろ。

 寝癖がひどいリタはコクリ、コクリと首を揺らしている。

 放っておくとそのまま寝てしまいそうだ。


「風邪を治すために食え。ほら、リタ、食ってくれ」

「かぁさん?」

「違う」


 意思疎通が全くできない。というか、母さんってなんだ。せめて間違うなら父さんにしてくれ。


 俺はため息をついてしまう。

 今、リタに朝食を食べてもらうのは不可能だと思い、冷めてしまうかもしれないが、俺はリタの朝食をテーブルの上に置く。


「朝食、置いとくな」


 ここに長居するのは何か嫌な予感がする。これは朝食を置いて部屋から出ていくのが一番。

 だが、部屋から出ていくという俺の目的はすぐ阻止された。俺の片腕にリタがしがみついてきたのだ。


「たべたぁい」


 普段のリタでは考えられない声音だ。

 世界最強と呼ばれる凛とした彼女の面影を何一つ感じられない。

 俺は引き離したいのだが、リタはテコでも動かない。


「朝食はここにあるって言ったぞ」

「ちがう、たべさせてぇ」


 寝ぼけて幼児退行するって意味が分からない。

 リタが俺を逃がさないように思いっきりしがみついてきた。リタからいい匂いがして少し戸惑ってしまう。


「自分で食え」

「おやすみぃ」

「この姿勢で寝るな……」


 こいつ、本気で寝ようとしている……

 この姿勢で寝られる方がこっちとしては迷惑だ。もう俺が折れるしかないのか。


「分かったよ……」


 俺がそう言ったら、リタが俺の腕から自然と離れた。俺はまたため息をついて、リタの隣に座り、朝食を持つ。


「ほら」


 スプーンでお粥を掬い、お粥をリタの口へと運んだ。リタの唇に意識がいってしまう。


「あむ……おいしぃ」

「なら良かった」


 リタに食事を食わせる。

 なんだろうな、この感じ。やってもらう側より、やっている側の方が恥ずかしいと言えばいいのか……


「つぎっ」

「くっ……分かったよ」


 この地獄とも言える嫌がらせは、リタに朝食全てを食わせ、彼女が満足気に二度寝するまで終わらなかった。

























 二度寝して起きたリタは寝ぼけておらず、昼食をすぐに済ませた。以前と同じように、寝ぼけていたときのことは覚えていなさそうだ。


 太陽が沈んで肌寒くなってきた頃、俺はリタの部屋に夕食を運びに来ていた。


「ありがたい」


 部屋で寝ていたリタが起き上がった。リタはマスクを外し、俺から食事を受け取る。彼女の顔色は始めよりもだいぶ良くなっている。


「熱は?」

「37.2だ。もう体も楽になった」


 さすがに一日だけじゃ治らないか。

 まぁ、何日も風邪で寝込むという最悪の状況にならなくて良かった、と思うべきなんだろう。

 微熱ではあるが、まだ安心できない。


「とにかく安静にな」

「ふふっ。また母親みたいだ」

「やめてくれ……」


 そのせいで、俺は母親と間違われたのだろうか。せめて父親と間違えて欲しい。

 リタは風邪を引いているとは思えない食欲で、夕食をすぐに食べ終わった。この調子なら明日の朝には熱は下がっていそうだ。

 リタが空の食器を盆へと置き、俺の方へ顔を向ける。


「そう言えば--」


 リタの質問は続かなかった。


 いきなりだ、いきなりだった。部屋の電気が消えたのだ。

 部屋の電気が勝手に消えた。これが意味することはただひとつ。


 基地の電気が無くなった。


 いずれこうなるとは分かっていたが、予想通りの約一週間。これからあと何週間は、電気が使えないなかで生活しないといけない。

 電気のない夜の部屋は真っ暗だ。何も見えることができない。これに慣れていくには、時間がかかりそうだ。


「少し待ってくれ。懐中電灯がある」


 リタが部屋の中にあった懐中電灯をつける。これからの夜はこの光を頼りに生活していくのだろう。


「リタ、風邪で辛いかもしれないが明日早く起きてくれないか。冷蔵庫の食料を処理しないと」


 基地の電気が使えないということは、冷蔵庫も使えないということ。冷やして保存しないといけないものは、すぐに腐ってしまうだろう。


「今夜からやらなくてもいいのか?」

「夜の砂漠は寒い。夜の間なら大丈夫だ。それに、今こんな暗闇の中で食料の処理なんてできない」

「わかった」


 リタは毛布で身を包み、寝る体勢になった。


「なら、私はもう寝る。明日の朝、私が寝ていても遠慮なく起こしてくれ」

「すまないが、そうさせてもらう」
























「かぁさん?」

「だから違う!」


 朝になってリタを起こしにきたが、リタはまた寝ぼけていた。

 再び地獄のやり取りが始まる。


「食材をどうにかしたいんだ。台所に行くぞ」

「わたしはそーすをかける」


 ベットの上で目をこすりながら、リタは訳の分からないことを言い出す。


「そうか、分かったから台所へ行くぞ」

「何にって聞いてぇ」


 なんでこいつは寝ぼけると幼児退行するんだ。

 リタはベットの上から出ようとしない。幼児退行したリタをある程度満足させることが、俺の目的達成に繋がるのだろうか。

 そんなことを考えてしまい、俺はしぶしぶリタの要求通りに質問した。


「はぁ……何に?」

「こんぺいとぅ」

「……」


 聞いた俺が馬鹿だった。


「それより早く台所へ行くぞ」

「らいおんはぁ」

「まだ続くのか……」

「うさぎにかてない」


 ライオンに勝つうさぎがいるなら見てみたい。

 質問してって顔で、リタがまた俺を見てきた。

 勘弁してほしい。


「じゃあ、うさぎに勝てるのはなんだ?」

「ぷりん」

「食べ物……」


 というか、ライオンよりうさぎの方が、うさぎよりプリンの方が好きなだけじゃないのか。つまり、お前の好みの順番じゃ……って俺は何を考えているんだ。それより食料が一刻も争う事態なのに。


「早く着替えろ!」
























***



 台所には窓が一つもない。つまり、太陽が出ていても、台所は暗いということだ。暗いと台所の食材を持ち運びすることができない。


「リタ、ここに穴を開けてくれ」

「分かった」


 その問題を解決するのが、リタの物形操作だ。穴が空くように台所の壁の形を変えると、その隙間から光がさして明るくなる。台所に少し砂が入ってくるが仕方ない。


「よし、冷蔵庫のものを全て取り出すぞ」

「どこに持って行けばいい?」

「とりあえず展望室だ。あそこが一番明るい」

「了解した」


 冷蔵庫にある物を取り出し、リタが展望室へ運ぶ。俺も自分の固有魔法、物体浮遊を使い、一気に食料や食器を運んで行く。

 何往復もして、やっと台所の物をほとんど展望室へ持ってこれた。台所の物を展望室へ運んだのは、展望室が一番明るい部屋だから。


「熱はどうだった?」

「36.7だ」


 簡易型基地の中の部屋はほとんど窓がない。電気が使えないため、窓のない部屋は昼間でも真っ暗だ。だから、これからは展望室を主に使っていくことになると思う。


「ヴィレ、肉は火を通していたのか?」

「ああ、全てな」


 リタが風邪で寝込んでいた間、俺は何もしていなかったわけじゃない。全ての肉、野菜には火を通しておいた。これで三日は持つはずだ。


「ヴィレは肉や野菜が何日持つと思う?」

「三日だな。冷凍するほど冷たくなくていいが、全く冷やさないのは駄目だ。だから、氷魔法で昼間も冷やしていればそれぐらいは持つと思う」


 夜は氷魔法で冷やさなくても大丈夫。


「保存食は二週間分しかないから厳しい」

「ヴィレ、一日二食ならどれくらい持つ?」

「長くて三週間」

「それでも厳しいな」


 救助隊がこの簡易型基地に来るのが数日違うだけで運命が変わる。


「とにかく一日でも長く生きるぞ」

「了解」


 リタが言うように、今は一日でも多く生きれるように努力をしないといけない。
























***



「一体どうやった?」


 リタが真剣に悩んでいる。


 氷魔法で食料を冷やすために、俺たちはずっと展望室にいた。そんな暇なとき、リタは偶々目に入ったトランプをとり、俺とトランプを始めたのだ。

 最初はページワン、次に神経衰弱。飽きたら遊び方を変え、また飽きたら遊び方を変えた。

 トランプで暇潰しをしているのは昨日から。明日で食べ物のほとんどが無くなる。生き残れるのか不安だ。


「全く分からない」


 そして、目の前で座っているリタがなぜ悩んでいるかというと、トランプで俺がマジックを見せたから。

 リタはそのマジックの種が分からずに悩んでいる。

 まぁ俺が物体浮遊でトランプを操っただけなのだが、リタはそのことに気がついていない。

 しょうもない種だからすぐに教えようとしたのに、リタが言うなと言ってきたのでまだ黙っている。


「分かった、元々カードを持っていたんだな」

「違う」

「じゃあ、お前がカードを作り出した」

「そんなわけない」


 カードを作り出せるわけがないだろう。発想が豊かと言えば聞こえがいいが、俺が物体浮遊を使ったことぐらい見抜けよ、と思う。

 リタが悩み続けた結果、今はもうすっかり夜だ。テーブルの上に置いた懐中電灯でお互いの顔を確認し合っている。彼女の赤い髪は夜中でも綺麗に輝いて目立つ。


「じゃあ--」


 リタが上を見上げた。

 次は何を言ってくるのだろう。

 この調子なら、明日の朝まで答えに気づかないと思うが。


「…………」


 リタが黙って、上を見続けている。

 そんなリタの様子を見て、リタと同じように俺も視線を上へ。


 夜の砂漠の空。

 それをちゃんと見たことは今までなかった。

 夜に外へ出たのは、共和国の兵士たちと戦ったときだけ。だから、綺麗な夜空に気づくことができなかった。


「明るい帝都では見れない空だ……」


 夜空の星々をその瞳に映しながら、リタは言葉を漏らした。

 確かに星だらけの空なんて初めてだ。

 ここまで自分がちっぽけに思える自然の景色は見たことない。


「帝都に戻れるだろうか……」


 そんななか、リタがそう呟いた。

 今まで俺もリタもそのことを不安に思いながら生活してきたが、口に出すことはなかった。それを口に出せば、自分たちの心は不安で覆い尽くされると思って。

 でも今、リタがそれを口に出した。

 あの世界最強と呼ばれる彼女が、だ。

 暗い中でも輝いて見える彼女の眼には、不安、恐怖、絶望といった感情が渦巻いている。

 世界最強と呼ばれていても、彼女はやっぱり一人の女の子であって……


 気づけば、俺は彼女の手に自分の手を重ねていた。


 夜空を眺めていたリタが、俺の方に振り向く。俺の行動が意外だったようで、少し驚いた顔をしていた。

 そんなリタにお構いなしに、俺は彼女にただ伝えたいことを話す。


「帰れる、俺たちなら」


 俺一人では生き残れない。リタ一人でも無理。だけど、俺たち二人なら……

 根拠はない。でも、確信はある。


 だけど、少し冷静になれば、俺は一体何を言っているのだろうと考えてしまう。

 人の手に触れ、根拠のないことを言う。

 端から見れば俺の今の状況はそれだ。


 俺はとにかく彼女にどう言い訳をすればいいか、内心焦っていたら


「……そうか、お前がそう言うなら間違いないのだろう」


 俺に微笑えんでくれた彼女の笑顔は、砂漠の夜空のどんな星よりも輝いて見えた。

 

 

 

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