第1話 始まる生活

 肩が痛い……


 身体を動かすことができない。

 指一本すら動かせないとは、このことを言うのだろう。


 砂と血の味がする。

 そのおかげで分かったことがある。私はどうやら砂漠で一人倒れているらしい。どうしてこうなったのか、少しずつではあるが思い出してきた。


 確か……私は自らしんがりの役を買って、百を超えるミネヴァを倒したはずだ。視界が悪い砂嵐の中、カテゴリー1からカテゴリー3に分類されるミネヴァたちをひたすら殺し続けた。

 そこだ、そこまでは覚えている。それからどうして今の状態になったのか全く覚えていない。


 私はここで死ぬのだろうか?


 この砂漠はミネヴァの巣と言っても過言ではない。ミネヴァに見つかるのも時間の問題だ。見つかって殺される。ただそれだけ。

 こんな死の間際だから、ある疑問が私の頭の中によぎる。


 結局、私の人生は何だったのだろう?


 帝国最強と呼ばれるほどまで戦い続けたが……私の心が満たされることなどなかった……

 戦いをあまり好まないくせに……私はよくここまで……生き残ってこれたな


 駄目だ……もうこれ以上考えることができない……


 重い瞼を上げることができず、私の意識は暗闇の中に落ちていく。


 気のせいか、靴音が聞こえたような気がした……














***



「うっ……」


 背中に程よい反発を感じる。今、私がいるのはベットの上だろうか?

 確か、私は身体が動かずに砂漠で倒れていたはずだ。なのに自分は生きているらしい。


「つっ!」


 ベットから上半身だけ起き上がるが、右肩から痛みがした。

 見れば、私の右肩には包帯が巻かれており、身体の怪我している他の所も包帯で巻かれていた。

 自分がいる部屋の中を見ると、ここがどこだか分かる。ここは砂漠調査のために作られた二つある簡易型基地の内の一つだ。その一室に私はいるわけだが、一体誰が私をここまで運んだのだろう?


 私は身体の痛みを我慢し、立ち上がる。身体に鞭を打ち、部屋から出ようとする。


 そして、部屋から出た瞬間、金髪の男とぶつかった。


 その金髪の男は見たことのある顔。こいつはたしかユウト隊の……


「まだ動かないで下さい。傷が広がってしまいます」

「お前は……」


 そこにいたのは、昨日食堂に報告書を持ってきていた副隊長だった。



















「他に生存者は?」

「……いないと思われます」

「そうか」


 私はベットの上に腰をかけ、ヴィレは椅子に座って話をしている。

 彼は砂まみれであり、先ほどまで外の砂漠で行動していたことが分かる。


「テレポートは成功したのか?」

「おそらく」

「なら安心した……」


 私の行動も無駄では無かった。一番最悪な状況にならなくてよかったと思う。


「……私をここまで運んだのはお前か?」

「はい」

「そうか。礼を言う」

「帝国最強に礼を言われるほどのことはしていません」

「……。まあいい。それより、この簡易型基地ごとテレポートしなかったのか?」

「ユウト隊長がテレポートできなかった人たちのために残しました」


 ユウトという隊長は現場にいたのにも関わらず、すぐにその判断をすることができたのか。


「その判断に我々は救われたようだ。もう一つの簡易型基地は?」

「大破です。食料もぐちゃぐちゃで。この基地はほぼ無傷でしたが」


 この基地は奇跡的にミネヴァの被害を受けていない。偶然が重なって私は生きているらしい。

 身体が重たくても、私は立ち上がる。一人で歩くのは少し辛いから、隣にいるヴィレの手を借りることにする。


「手を貸してくれ」

「?」


 今、私がすべきことは--















 簡易型基地の司令室。この部屋には、方位磁針や世界地図がたくさん置かれている。

 ここに来た私たちは、テーブルの上に世界地図を広げた。


「ここが私たちのいる砂漠だ。救助隊がここに来るまで、どれくらいかかるか分かるか?」

「副司令から二週間ほどだと聞きました」


 副司令の情報なら正確だろう。そこは信じよう。だが、問題がある。


「二週間というのは、おそらく救助隊が出発してここに辿り着くまでの時間だ。救助隊を編成する時間などは含まれていないだろう」

「確かにそうですね……なら、救助隊がここに来るのは……」

「おそらく一ヶ月後だ」


 もっと早く来るかもしれないが、おそらく一ヶ月ぐらいはかかるだろう。食料の準備に一番時間がかかるはずだ。


 食料と言えば、この基地にも問題がある。この基地にどれだけの食料があるか、という問題が。


「一ヶ月分の食料はあると思うか?」

「あると思いますが、問題が一つ」

「なんだ?」


 地図に向けていた目をヴィレに向ける。ヴィレと視線がかち合う。


「食料の長期保存ができません。この砂漠調査はあと三日で終わる予定だったので、電気も多く見積もって一週間分あるかどうか」

「一週間しか電気は使えないのか……」

「節電を徹底してそれぐらいかと」

「水はどれほどある?」

「水は充分にあると思います。百人のための水と食料が三日分あるので、保存をどうするかだけが問題かと」

「一ヶ月生き残るのは厳しいか……」


 食料が一ヶ月持てば、救助隊が来るまで生き残れるはずだ。それまでどうにかしないといけない。


 地図を放ったらかしにして、私は司令室から出る。食堂へ向かいたいが、足が動いてくれない。

 よろける私の肩をヴィレが持った。


「休んでいてください。後は任せて」


 ヴィレのその言葉を聞いて、私はそのまま意識を手放してしまった。













***



 固有魔法。

 それはその人だけが使える特別な魔法。他の人が使うことができない魔法。それは先天的な物であり、後天的な物ではない。そして、固有魔法を持っている人間は、通常魔法を詠唱なしで放つことができるという共通点がある。


 英雄という称号を貰った五人は全員、固有魔法を持っている。


 それほど固有魔法は強力ということ。



 そして、リタ・バレランスは十二歳の時に固有魔法を初めて使った。

 襲ってきたミネヴァをただ殺すことに夢中で、私は自分が固有魔法を使っていたなど終わるまで気づかなかった。

 やがて、その才能を帝国軍に買われ、十四歳で軍人になった。それから三年間、命令に従いひたすら戦った。


 気づけば、周りからは戦場の女神などと言われ、今では帝国最強とまで呼ばれている。


 だが、私は思う。


 私の人生は何なのだろうか、と。


 私が軍人になったのは、私の意志ではない。戦いたくて戦ったわけではない。ただ命令に従ってきただけだ。

 英雄という称号も、帝国最強という二つ名も、私にとっては意味のないこと。


 私のやりたいことは何だろう。


 私は自分の人生の意味を理解するまで死にたくない。


 それが私の今一番したいことだ。だからこそ、私はこんな砂漠で果てる気はない。

























「うっ……」


 また同じ天井を見た。

 身体の痛みは少し引いたと思う。まだ肩の痛みはじんじん来るが。


「目が覚めてよかったです」


 まだ見慣れない金髪が視界に入る。

 どうやらヴィレが隣にいるようだ。


「どれぐらい……寝ていた?」

「二時間ぐらいです」

「そうか……」

「まだ寝ていてください」

「そうはいかん……食料の管理を」

「それはやっておきました」

「なにっ?」


 自分が一番やらなければいけないことが、もう終わっていて少し反応に困った。いや、それよりも……


「仕事が早いな……」

 

 二時間で食料の管理を終えるのは、私にも難しいことだと思う。

 この男は仕事ができる。そう打算的なことを考えてしまった。


「まあ、自分は副隊長ですから」


 ヴィレは副隊長。なら、彼の部隊の隊長は誰だっただろうか。食堂でヴィレと会ったとき、ヴィレの隣にいた黒髪の男の顔を思い出す。

 確かユウトという名前だったか?

 そいつは英雄の称号に最も近い男、と誰かが言っていたような気がする。そして、軍の上層部はその男にこう評価していたような……


「そういえば、お前たちの隊長はデスクワークが全くできないという話を聞いたことがある」

「知っていたのか……」


 ヴィレは、隠していたことがばれてしまったような反応をする。英雄の一人である私に、そのことは知られたくなかったのだろう。

 そんなヴィレの様子を少し愉快に思ってしまった。


「ふふっ、昨日食堂でお前がごまかそうとしていたが、ばればれだったぞ」

「あいつが普段から報告書を俺に押し付けるから……」

「苦労しているんだな」

「そうなんだよ……ってすみません。馴れ馴れしくし過ぎました」


 ヴィレが私に敬礼した。

 そうか。私はこいつよりも上の立場だったのだな。私としては別に敬語など使われなくてもいいのだが。


「かまわん。これから一ヶ月も一緒にいるんだ。敬語など使わなくていい」

「ですが--」

「勘違いするな。これは命令だ。私に敬語を使うな」

「……」

「このリタ・バレランスの命令が聞けないのか?」


 少し意地が悪いだろうか。相手が自分に逆らえない立場だと分かっていて、こんなことを言うというのは。


「はぁ……分かりました」

「まだ敬語だな」

「……分かった」

「それでいい」


 こいつは真面目なのだろう。上下関係を意識し過ぎている。そんな状態で一ヶ月も持つとは思えない。だから、これでいいのだ。

 後、気になることと言えば--


「で、食料はどうだったんだ?」

「腐らない保存食は二週間分。冷蔵庫で保存しないといけない食料は二週間分以上はあります」

「だが、冷蔵庫は一週間使えるかどうか……」

「厳しいですね。一ヶ月以内に救助隊が来るのであれば、なんとか持ちこたえることはできると思うのですが」

「そうか……それより、また敬語になっているぞ」

「すみませ……すまない」


 敬語は慣れていけば、ヴィレも使わないようになるだろう。

 それより、食料が本当に厳しいな。救助隊が来るのが数日ずれるかどうかで私たちの生死が分かれる。


「個人の部屋はまだ調べていない。もしかしたら数日分の食料は見つかるかもな」


 ヴィレが今度は気をつけて、敬語を使わないように私に話しかけた。


「そうなることを願おう」


 私はベットから立ち上がって、部屋を出た。ヴィレも私の後ろについて来ている。


「身体の方は大丈夫ですか?」

「また敬語だぞ。身体は大丈夫だ。夕食を作ることぐらいはできる」

「もう夕食を作る時間か……」


 時計の短針はもう七時を指していた。おそらく外は真っ暗だろう。腹が減っているかと言うと、あまり減っていない。だが、これ以上遅くに食うのもどうかと思う。

 食堂に行って、この目で食料を見てみたいという思いもあった。



















***



「リタ……料理をしたことは?」

「今回が初めてだ……」


 二人は今、台所にいる。

 リタは包丁を持って、まな板の前に立っていた。そして、まな板の上には玉ねぎの無残な姿があった。


「ちなみに……何を作る気だったんだ?」

「……カレー」


 カレーの場合、一般的に玉ねぎはくし形切りにする。だが、まな板の上の玉ねぎはみじん切りにしたと言われた方が納得できる形となっていた。


「大丈夫だ。玉ねぎの形が歪でも、ちゃんと調理すれば問題ない。ヴィレは食堂で座っていてくれ」


 リタは鍋に水を入れていく。それを見て、ヴィレは思わずため息をついてしまう。


「リタ」

「なんだ?」

「カレーは水の前にまず肉を炒めるんだが……」

 ヴィレの一言で、リタの動きが完全に止まった。


「本当か?」


 そんなリタの様子を見て、ヴィレはまたため息をつく。

 ヴィレはリタから包丁を奪うように取って、まな板の前に移動する。


「食料が無駄になる。俺が食事を作ろう」

「だが--」

「あんたは台所に入るの禁止な」

「はい……」


 ヴィレの声が低くなり、さすがの帝国最強も逆らうことができなかった。













***



 台所を追い出されたリタは、食堂の椅子にちょこんと座っていた。

 台所からヴィレが現れる。

 彼の手には二つの皿。

 ヴィレはリタの目の前に皿を置いた。

 食欲のないリタだったが、胃を刺激する匂いに食欲が湧いて来る。


「あの玉ねぎを利用するためにオムライスにした。卵も腐る前に使い切らないとな。ほら、スプーン」


 リタはスプーンを受け取り、オムライスを口に運んだ。予想よりも美味しく、リタのスプーンが止まらない。


「料理、得意だったんだな」

「一人暮らしをすれば、自然とこうなっただけだ」

「私も一人暮らしなんだが……」

「……まあ、外食が多い奴もいるだろう」


 ヴィレも自分の作ったオムライスを食べる。


「この一週間はたくさん食べても大丈夫だ。腐る前に食べておこう。あんたの傷を治すためにもな」

「そうだな。その代わり、節電を心掛けないといけない」


 二人はオムライスを食べながら、今後の予定について自分の意見を述べ合った。










 オムライスも食べ終え、今後の予定も語り終わった時、もう時刻は八時を過ぎていた。


「もうこんな時間か……」

「あっと言う間だな。私はこの包帯でも変えてくる」


 リタが食器を重ねて、食堂から出て行こうとしたので、ヴィレがリタを呼び止める。


「ちょっと待ってくれ、リタ。水のことなんだが」

「どうした? 問題はないんじゃないのか?」

「飲料水は問題ない。問題なのは生活用水だ」


 生活用水。風呂、トイレ、洗濯の際に使われる水だ。

 この簡易型基地には、作戦期間中に生活用水を切らないようにポンプが設置されている。


「作戦は後三日で終わる予定だったから、多くても一週間分しかない」

「飲料水で生活用水を代用すると、水は一ヶ月持つか?」

「正直わからない。だから、節電も節水も心掛けないといけない」

「了解した。とにかくどんなことも最低限に利用すればいいんだな?」

「そうなんだが、とりあえず今言いたいことは、シャワーや風呂は使わないほうがいいってことだ。少し濡らしたタオルで身体を拭く。できるのはこれぐらいだろうな」

「そうか……風呂は好きだったのだが……」


 リタは少し残念がる。

 ヴィレはそのリタの様子を見て、一言付け加えた。


「リタの肩の怪我が治った後、一度くらいは風呂に入ってもいいと思う」


 リタがヴィレの方に向く。ヴィレは空の食器に視線を送っていた。


「そうか……その日を楽しみにしておく」


 リタは少し微笑んで、食堂から出て行った。

 ヴィレは食器を重ねて、台所へと持っていき、少量の水を出して手慣れた手つきで食器を洗う。


「つっ……」


 身体から感じる痛みを無視し、ヴィレは食器を拭き終わり、台所から出て行った。

 

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