[2]

 ギデオンは立ち上がった。背後で椅子がぐらぐらと揺れる。

「失礼・・・」

 カフェから立ち去ろうとした時、革製の筒がテーブルの上でコトンと音を立てた。傷みがひどく、表面はひび割れている。かなり古い。おそらく1800年ぐらい前の物だろう。それでも日ごろギデオンが研究している資料に比べれば、かなり新しい部類に入る。革筒には当然、ピジクスが欲しがっている品物にまつわる資料が入っているのだろう。見たくないと言えば嘘になる。

 ギデオンはゆっくりと筒を手に取り、中から黄ばんで端が破れかけた羊皮紙を取り出した。グラスを脇によせ、慣れた手つきで羊皮紙をテーブルに広げる。埃と古い革の匂いが立ちのぼった。

 木炭らしきもので描かれた黒い絵だった。正方形の彫刻か、正面が平らになった偶像の拓本のようだ。身体は人間だが、背中には翼があり、足には鉤爪がついている。獰猛な肉食獣を模した顔が牙を剥き、舌を突き出し、こちらに向かって唸りを上げている。

「アッカドの偶像ですね」

 ピジクスがうなづいた。

「拓本が取られたのは1600年ほど前だが、彫像自体はかなり古い」

 1匹の蠅が拓本の上を這い回る。やがて2匹、3匹と集まってきた。カフェの隅で赤ん坊が泣きだした。ギデオンは手を振って蠅を払った。なんとか泣き止んでくれないか。頭の動きは依然として鈍い。ギデオンはそれをうらめしく思った。

 ニカイア帝国は過去、この世界の3分の1を支配下に置いた一大国家だったが、その進出はアファル大陸の北端に位置するこの国―ミスル公国で終わっている。ピジクスはアファル大陸の東にニカイアの教会が見つかったと話したが、それは単に嘘としか思えない。一方、拓本の彫像は明らかにアッカドの物だ。アッカドは世界最古の文明の1つであり、それこそ何千年も昔のことだ。ニカイアとは地理的、歴史的にもつながりはない。

 ギデオンは拓本から眼を離した。ピジクスはまだ坐っている。

「アファルのニカイア教会に、なぜこの彫像があると?」

「発掘の統括者は、エヴァソにいるパーシー・グレインジャー陸軍少佐です」

 エヴァソはアファル大陸の東に位置するモンヴァサ共和国の首都である。現在、モンヴァサはエメリアの植民地になっている。

「あなたの参加は、すでに先方には伝えてある」

 ギデオンは声を低くした。

「ぼくが引き受けるとでも?」

「もう引き受けたじゃありませんか」

 ピジクスは口元に謎めいた笑みが浮かべている。それがギデオンの癇にさわり、むっとして両腕を組む。こいつは教皇府の差し金に違いない。簡単に言いなりになってたまるか。ギデオンはピジクスの瞳の奥を探ろうとした。

「あなたは一体、何様のつもりですか?」

「恩人って、とこかな」

 ピジクスは床にステッキをトンと鳴らした。

「早く行った方がいいですよ。エヴァソでは、グレインジャー少佐が首を長くして発掘現場で待ってますよ」

「引き受けるつもりは・・・ちょっと待ってください」

 ギデオンはハッとした。

「あなたは今、発掘現場と言いましたね?すると、教会は・・・」

「そう、地中に埋まっている。言わなかったかな?ただし、もうかなりの部分が掘り起こされていると思うが。グレインジャー少佐から、大量のシャベルやつるはしが発注されていたから」

「シャベル?つるはし?」

 ギデオンは眼を丸くした。

「とんでもない!蒸気シャベルを使わないと。ふるいやブラシは?せめて、それくらいは発注したんでしょうね?」

「それはどうかな」

「なんですって?いったい誰が現場を監督してるんです?」

「よく知らないが、担当の考古学者が降りてしまって、現地の人間だけで発掘を続けるよう指示されてるらしい。作業は順調なようです。専門家はいないが、現場監督と主任でどうにかやってると」

 ギデオンは体内の血が逆流するような気がした。遺跡の発掘現場では、シャベルやつるはしは極力ひかえめに使うのが原則だ。ろくに訓練を受けていない作業員が貴重な遺跡の周りでつるはしを振るっている光景を想像しただけで、嫌気がさしてくる。

 ギデオンはすばやく羊皮紙を巻き、革筒に戻した。

「モンヴァサへはどうやって行ったらいいですか?」

 ピジクスは指示を伝える。ギデオンはそれを手帳に書きつけ、革筒と封筒を手に取った。ふとテーブルにあるアビヌスの人形に眼が留まった。口の周りに1匹の蠅がたかっている。蠅を払って、人形をピジクスに押しやると、何も言わず立ち上がった。

「あなたはまだ銃を持っているでしょう?祓魔師エクソシストの証として」

 ギデオンは思わず立ち止まった。

「これを持って行きたまえ。現場は何かと物騒だからね」

「あなたは一体・・・」

 ギデオンは振り返った。ピジクスの姿はすでに消えていた。テーブルの上に回転式弾倉シリンダーが2個、3個置いてあった。ギデオンは手に取らなくても、それが何なのかは知っていた。

 神の銃弾。

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