199XのシンデレラⅡ
深雪がこの家に、住み込み家政婦として来て(というより、無理矢理連れてこられて)1週間たった。その間、二人の間には、”既成事実”は無かった。ムードが盛り上がることすら、全くなかった。
「おはよう・・・」
「おはようございます」
あいかわらず、ボサボサ頭を掻きながら新聞片手に二階から降りてきた成一郎、まあ実業家だからって、寝起きまでクールに決める必要はないけれど。
「おっ、今朝はパンかあ~」
「きのう、暇だったから、焼いてみたんです」
「へぇ、たいしたもんだ」
「でも、初挑戦だから・・・、おいしそうに見えないけど」
「うまけりゃいいよ。ん」
大口開けて、バターロールを半分食べた。
「・・・・・・、うん、食えるぞ」
「あ~、よかったぁ。でも、オーブンがあるって感激だなあ。料理のレパートリー増えるし、ケーキだって焼けるし」
「妙なところで感激するんだな」
「だって、ウチなんか、電子レンジすら買えなかったもん」
「ふ~ん、まあ、いろいろ作ってみなよ。ところで、今夜なんだけど・・・」
”今夜”とゆう言葉にビクつく深雪、もしかして、自分の方が期待しているのかもしれない。
「ベンチャー企業激励パーティーがあるんだ、深雪さあ、俺のパートナーとして参加してもらうから」
「え――っ! そんな、私、パーティーなんか、見たこともないんですよ!!」
「そう、固くなることはないんだぞ。どっちにしろ、連れの女がいるんだからさ。頼む!」
「でも~、私なんかじゃなくても、他に代わりの女性くらいいそうだけれど・・・・・・」
「いない」
なんだか、きっぱりと言い切ってしまう。
「そんなことないでしょう。モテそうだし」
「全然。俺の場合、気に入らない人間の方が、周りには多いんだ」
「何ですか~? それ」
「とにかく、ご主人の命令。参加してもらうよ」
「強引だなあ~」
深雪は微笑した、気は乗らないけど、何だかワクワクするものがあった。
「そうそう、パーティー衣装なかったよな~。今日、土曜だろ。昼にでも、せつさんと買い物してきなよ」
「は~い、でも~」
「金は、俺の口座引き落としでいいよ」
「ついでにお昼も外食していいです?」
「はいはい、ちゃっかりしてるなあ」
朝の支度が終わる頃には、あの秘書が車で迎えにくる。毎日、定刻通りピッタリ現れるのには感心する。この人はA型かもしれない。
「じゃ、いってくるよ」
「いってらっしゃい」
黒いベンツが軽やかに移動する。通学のため駅へ向かう深雪の足取りは軽かった、ここへ来てから、生活の心配はしなくていいし、疲労仕切った家族を見なくてもすむ。そういえば、母と弟は元気でやってるのだろうか。当初は怒りで、電話なんか絶対するもんかと思っていたが、何だか、声が聞きたくなった。”私の方は、けっこう幸せだよ。今の所”と、伝えたかった。
老舗の高級デパート街。深雪にはこんな所は縁が無いから、どうも落ち着かない。
「この変な帽子が、11万・・・。買う人いるのかなあ・・・」
「深雪ちゃん、行くよ」
節子はもう、エレベーターの中にいた。
「さてと、お昼は何にしようかねえ。そうだ、和食の高級料亭があったねえ。そこにしよう」
本来の目的は忘れているのか、昼食のことで頭がいっぱいになっている。
「せつさん、そんな高いところじゃなくても」
「何いってんの、こうゆう時こそ普段食べれないものにしなきゃね」
「でも、先に買い物、付き合ってくださいね」
「あっ、そうか、それで来たんだったっけ」
デパートの婦人服売り場の相場だけでも、パート代が吹っ飛ぶような値段なのに、フォーマル衣装ともなれば桁の数も多い。深雪は思わず悲鳴を上げる。
「どうかしました?」
店員が不審そうに声をかける。
「いえ、母の給料3ヶ月分だなあと・・・」
「深雪ちゃん、これなんかどうだい?」
ピンク色のドレス、小さい頃遊んだ人形がこんな感じの衣装を着けていたのを、自分も一度着てみたいとあこがれたものだった。
「かわいい~、でも、スーツみたいな方がよくない?」
「そうかい? せっかくだから、ドレスの方がいいと思うよ」
「この際だから、全部試着しなさいな」
「それは、ちょっと・・・」
着せ替え人形みたいに、あれやこれやら試着してみたが、結局、最初のピンク色のサテンとレースのワンピースにすることにした。それに合わしたパンプスとコサージュとバッグも買う。支払いのとき金額が告げられると、深雪はひっくり返ってしまった。
表で車の音がする、成一郎が着替えのため一旦帰ってきたようだ。
「お帰りなさい」
「おおっ!」
ドレスアップした深雪の姿に、目を奪われているようだ。
「まるで、リカちゃん人形だ」
「・・・・・・それ、誉めてるんですかぁ?」
「誉め言葉のつもりなんだが、いけなかったか?」
「いえ、別に」
今時、レース物は時代遅れなのだろうか。たしかに、80年代のアイドルのような格好に見えなくもないが、節子と深雪のセンスでは、最新流行のファッションなんて縁が無いのだ。
成一郎が、タキシードに着替えてきた。やはり、長身でスマートなので、すごくカッコよく見える。
「ダンナさまぁ、素敵です・・・」
「う~ん、やっぱり。イイ男は絵になる」
自分で言ってりゃ世話はない。
「さて、お姫様。カボチャの馬車じゃなくて、中古のベンツにヤクザ顔の運転手だが、パーティーへ参りますか」
一流ホテルの何とかの間、著名人のイベントでよく使われるそうだが、庶民には別世界の空間だった。高そうな衣装に身を包んだ人々、ニュースなんかで見かける経済人の顔もある。テーブルの上には、きれいに盛り付けられた料理の数々、伊勢海老やヒラメのお造り、タラバガニなんかもある。この手のものは食べたこともない。あのローストされた牛肉は高級和牛なんだろう、会場の雰囲気にも圧倒されたが、料理に目が入ってしまうのは、なぜだろう。
著名人や成功者のスピーチが簡単に終わると、会場はガヤガヤしだした。酒や料理に手が伸びて、談笑が始まる。当然、成一郎は接客に忙しく、深雪がピッタリくっついてるわけにはいかないようだ。心細くもあるが、深雪を相手にする者もいないから、心置きなく食べることに専念できる。立食というのが、ちょっと落ち着かないが、しっかりと食べていた。何やら和牛のローストビーフに手を出そうとすると、狙ってた一切れを、誰かに取られてしまった。素早さに唖然として、顔を見る。と―――
「・・・・・・・・・お母さん!!」
「おや、やっぱり来てたのねえ。亨、しっかり食べてるかい」
「ちょっと! なんでこんな所にいるのよっ! お母さんたちが来るような所じゃないでしょっ」
「よく言うよ。あんただって、本来なら場違いじゃないの」
ああ庶民の悲しさか、お皿には乗りきらない程の料理が盛ってある。
「私は、ダンナ様に、付いてこいって言われたのっ」
「ダンナ様だって~」
「・・・・・・・・・・身売りしたのは、誰よ。まったく」
「こっちだって、”よかったら、どうぞ”って成一郎さんに言われたんだよ。でなきゃ、入れるわけないでしょうが」
「何でまた、お母さんたちを・・・・・・?」
「さあね、でも、辛抱して生きた甲斐あったねえ、こんな所には一生来れないと思ってたから・・・」
遠くを見るような顔付きの母、感慨深くなっているが、口と手はせわしなく動いていた。
「ドレスなんか着せてもらって、よく似合ってるじゃん。どうせなら、もっと脚と胸の辺り露出したのにすりゃいいのに」
「もう、いいでしょ。何でも。―――――でも、元気そうでよかった・・・・・・」
「母さん、あっちで寿司握ってるよ」
「ホントっ」
いつの間にやらいなくなってしまった。
「まったく、久々の再会なんだから、もうちょっと話してもいいじゃないのよ」
「姉ちゃん」
「亨、志望高校に行けれそう?」
「一緒にするなよ。頭の出来が違うんだから。でも、よかった・・・・・・」
「何が?」
「姉ちゃん、すごく、幸せそうだ。ウチに入る時は、こんなにニコニコしてなかったから・・・」
「亨・・・・・・・・・」
「じゃあなっ、ほら、”ダンナ様”がこっちに来てるよ」
成一郎が、肩に手をかけてきた。直に素肌に触れられて、少しドキドキする。
「あ~、くたびれた・・・」
「もう、いいんですか?」
「はあ、仕事のためとはいえ、連中の相手するのは疲れる。酒は飲めんし、飯は食えんし」
「ご苦労様です。あっちで、お寿司握ってますよ」
「じゃあ、ちょっと行って―――」
「成一郎さ~んっ!!」
甲高い女性の声がする、美人で華奢な若い女性が傍に来て、成一郎の腕に手を回した。スリップドレスから覗く肩や腕は、スリムを通り越して、骨のようだった。”この人、お金持ちそうなのに、食べ物に困ってるのかしら”と、深雪は本気で心配していた。
「ああ、蓉子さん」
「・・・・・・この娘は??」
「女房です」
「ハア~っ?!」
蓉子がすっとんきょうな声をあげるが、心拍数の上がってるのは深雪の方だった。
「冗談でしょう~?」
「冗談です。ウチの家政婦さん」
「そうよねえ。だって、私という婚約者がいるんですもんねぇ」
”婚約者”という言葉に動揺しなかったといえば、ウソになってしまう、深雪には中途半端なショックが走った。
「丁重におことわりしたはずなんですけどね」
「・・・・・・お父様も私も、本気にしてないわよ」
「・・・・・・・・・」
「じゃあ、私、友達が待ってるから。成一郎さん、今度ゆっくりデートしましょ」
蓉子が通り掛かりに、深雪に一言喋った。
「あなた、成一郎さんを誘惑しないでね。自分の立場をわきまえなさいよ・・・」
”わかってます”と返事を心の中でした。しかし、複雑な気分ではあった。成一郎は、テーブルに置いてあるウイスキーのロックを一気に飲み干した。
「やれやれ、のんびりしてられないな・・・。一気に”ケリ”をつけるか・・・・・・」
意味不明な言動の成一郎、深雪は不安そうな眼差しを、つい、彼に向けてしまった。
帰りの車の中、不機嫌そうな成一郎に困惑する深雪。車内の空気は何だか重苦しい、成一郎はとゆうと、窓の景色を睨みつけている。
「あの・・・・・・、結婚されないんですか?」
「・・・・・・なんで、そんなこと聞くんだよ」
「だって、あの、超有名な電気メーカーの社長令嬢なんでしすよ。きれいな人だし、迷うことなんて・・・」
今度は深雪の方を睨みつけた。
「イヤだっ」
「・・・ごめんなさい」
「あの手のお嬢様は、苦労を知らない。俺のとこみたいな土台の不安定な会社が、いつまで続くかわからない・・・・・・・・・。贅沢で派手な女なんて、やっかいなだけだ。それにタイプじゃない」
「あの・・・、ダンナ様」
「”ダンナ様”って呼ぶのやめてくれないか。なんか、時代劇みたいでヤだ」
「じゃあ、なんて?」
「成一郎さんとか、そうだ、そうしよう。これ、命令」
「それじゃ、成一郎・・・さん。その、ズボンのチャック、開いてますけど・・・・・・」
再び視線を、車窓に戻した。何かを真剣に考え込んでいるようだ、その表情は険しかった。
「いつからだっけ??」
「帰り際、車に乗る前に、トイレに行ってませんでしたっけ」
いつもは鉄仮面のような秘書が、珍しく微笑んでいた。
家に戻ると同時に、成一郎は、ネクタイを外して上着を脱ぎ散らかす、これはいつものことなのだが。真っ先に自分の部屋に上がるのに、今夜は、リビングのソファに仰向けに寝転がっている。そして、意味もなく天井を眺めている。深雪は、上着を片付けた。
「成一郎さん、お茶入れましょうか?」
返事がない、さっきから、何かを考え込んでいるようだったが。
「成一郎さん」
ソファの上から顔を覗かす、成一郎は暫くの間深雪の顔を見つめていた。熱い眼差しに耐えられなくなった深雪は、傍を離れようとすると、成一郎が首に手を回した。
「―――――――――!!!」
成一郎が深雪の唇を塞いだ。突然の出来事に、深雪の身体は硬直してしまう。
「息止めたら、苦しいんじゃない」
ハアハアと荒い呼吸が続く、深雪はラグの上に座り込んだ。心臓が爆発しそうだった、覚悟は、ぼんやりとしていたけれど、やはり、いざとなると、震えが止まらない。だが、成一郎は深雪の傍へ行き、容赦なく次のキスをした。
「・・・・・・、成一郎さん、酔ってる?!」
「ビールとウイスキー一杯で、酔うもんか」
強く抱き締められる深雪、以外に厚い胸板だなあと、妙な所で関心する余裕もできた。
「覚えてないんだな・・・」
「えっ・・・・・・??」
「君が住んでたあのボロ公団に、俺もいたことあるんだぜ。俺が高校生で、深雪が、小学生だったなあ~」
「・・・・・・・・・・・・」
深雪は、成一郎の鼓動に合わせながら、記憶の断片を辿っていった。
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