すべてを明かす時が来た!

翌日。


僕はばあちゃんに急かされながら、よく知らない場所を歩いていた。


朝早くばあちゃんの家を出て2時間ほど電車に揺られ、そこからバスで30分、バスを降りて既に20分は歩いている。


一体どこに連れていく気なんだろう?


「ばあちゃん、どこに向かってるの?」


「いいから黙ってついておいで。もうすぐだから。」


これホントに70代半ばの高齢者の歩き方?


僕は仕方なくばあちゃんの言う通りにひたすら歩く。


それにしても、さっきから同じような塀が続いてるな。


「ずいぶん長い塀だね。」


「そりゃそうよ。」


公共施設とか、この塀の中に何か大きな建物でもあるのかな?


そう思いながら角を曲がる。


「ほら、見えてきた。」


「え?」


「そこが有澤邸の正面玄関。」


「えぇっ?!」


この長い塀に囲まれたバカでかい敷地の中にある建物は、有澤家の屋敷だったのか!!


あまりの驚きで言葉も出ない。


ばあちゃんは正面玄関にたどり着くと、事もなげに屋敷の呼び鈴を押した。


「はい。」


インターホンのスピーカーから、若い女の人の声がした。


「大旦那様はいらっしゃる?」


「あの…大旦那様はご入院中ですが…どちら様でしょうか。」


「そう…大旦那様は入院なさってるのね。あなたはメイドさん?」


「はい、あの…。」


若いメイドさんはばあちゃんの勢いに押され気味だ。


「今のメイドさんで一番偉い人はどなた?」


「久野 和代さんですけど…。」


「ああ、和代さんね。和代さんに、高野 弥栄子が来たと伝えてちょうだい。」


「は、はい…。」


インターホンが途切れて少しすると、60歳前後のメイドの女性が慌てた様子で正面玄関の扉を開けた。


「弥栄子さん!!お久しぶりです!!」


「久しぶりね。お元気?」


「ハイ、おかげさまで!」


さすが元女中頭、貫禄が違う。


「大旦那様がご病気だとうかがってね。お見舞いに行きたいのだけど、入院先を教えて下さる?」



ばあちゃんは和代さんから、お祖父様の入院している病院をあっさりと聞き出した。


これからそこに向かうと言うと、和代さんが気を利かせて、屋敷に勤めている若い男性に車で送らせると言った。


この間のリムジンとまではいかないが、僕とばあちゃんは乗り心地のいい立派な車で病院まで送ってもらった。


あまりの急展開に、僕は何がなんだかわからないままばあちゃんに付き添った。



それにしても…大旦那様って、杏さんのお祖父様だよな?


いくら元女中頭とは言え、いきなり会いに行っちゃうわけ?


僕は不意に、杏さんに婚約者として紹介された時のお祖父様の眼光の鋭さを思い出して青ざめた。


お祖父様は僕の事、偽物の婚約者だって気付いてたんだよね?


お祖父様を騙した僕が、今更ノコノコ会いに行ってもいいものだろうか?


……怖すぎる…。


冷や汗を流す僕の事などお構いなしで、ばあちゃんはお祖父様の病室に向かって、すごい速さでどんどん進む。



首を斬られる覚悟くらいはしておいた方が良さそうだ。





一般の入院患者はそうそう入れないような特別室の重厚なドアの前で、僕は辞世の句を考えていた。


このドアが地獄への扉に見える。


それなのにばあちゃんは、当たり前のようにそのドアを軽やかにノックした。


「どうぞ。」


中から微かに低い声が聞こえた。


僕の鼓動が速くなる。


「失礼します。」


ばあちゃんはドアを開けて、頭を下げた。


僕も慌てて頭を下げた。


「大旦那様、お久しゅうございます。」


お祖父様がベッドの上で目を見開いた。


その顔を見て、ばあちゃんはにっこり笑った。


「修蔵ちゃんって呼んだ方がいいかしら?」


……修蔵ちゃん?!


「おお…弥栄ちゃんか!!」


……弥栄ちゃん?!


ばあちゃんとお祖父様は、子供みたいに嬉しそうに笑っている。


あの鬼気迫るオーラはどこに行ったんだよ?


一体どうなってんだ?


お祖父様はばあちゃんの隣に呆然と立ちすくんでいる僕に視線を向けた。


「おや…君は確か…。」


ここまで来てしまったものは仕方がない。


潔く覚悟を決めよう。


「お久しぶりです…鴫野 章悟です…。」


「なぜここに?」


お祖父様は怪訝な顔をして尋ねた。


ばあちゃんは僕の背中に手を添えて笑った。


「章悟は私の孫なの。」



それからばあちゃんは、僕が娘の子供である事や、娘が離婚して新しい相手と再婚する時に僕を引き取った事、僕が父親の姓を名乗っているので苗字が違う事などをお祖父様に話した。


「有澤家を辞めてから、一人でこの子を育てて来たのよ。二度目の子育てね。章悟は大学を出てから会社勤めをしているの。」


ばあちゃんは誇らしげにそう言った。


「杏の勤めていた会社だな。管理栄養士だったか。」


「ハイ。」


お祖父様は静かに息をついて、少し首をかしげた。


「あれだけ強情を張っていた杏が、突然会社を辞めて帰って来た。君以外との結婚は考えられないと言っていたのに、新社長就任後に仕事が落ち着いたら穂高と結婚すると言ってな。どうにも腑に落ちん。」


あれ…?


お祖父様、あれが芝居だったって気付いてないの?


杏さんが会社を辞めざるを得なかった理由も?


「あれは…杏さんに僕との結婚をあきらめて家に帰らせるために言った事じゃなかったんですか?」


「なんの事だ?」


「3ヶ月以内に僕との間に子供が出来なかったら、有澤家に帰って市来さんと結婚するようにと…。」


お祖父様は意外そうな顔をした。


「そんな事は一言も言っておらんが?」


「え?」


「老い先短い身だから、生きているうちに曾孫を見たいと言ったんだ。あの杏にあそこまで言わせた男だからな。最初から君との結婚を反対などしておらん。」


……どういう事だ?


「でも僕は市来さんみたいに大会社の御曹司でもないし…。しがない庶民のサラリーマンですけど。」


「ワシも元はそうだが?」


「……ハイ?」


ばあちゃんは僕の隣でおかしそうに笑った。


「修蔵ちゃんは昔、有澤の会社に勤めていたのよ。そこで先代の会長に用があって会社に来ていた大奥さまに見初められたのよね。それから先代の会長に仕事ぶりと人柄を認められて結婚したの。」


「婿養子…ですか?」


「そうだな。妻は会社の経営など自分にはできないから、ワシに会社を任せると。」


「そうなんですか…。ところで、うちのばあちゃんとは…。」


「私と修蔵ちゃんは幼馴染みなのよ。そのよしみでお屋敷にお勤めさせてもらってね。」


なんと…。


これまた意外な…。


「ところで…杏はなぜ急に戻ってきた?君は知っているんだろう?」


この様子だと、お祖父様は何も知らないんだ。


杏さんは何も言わなかったみたいだけど、この際だから会社で起こった事や、イチキの御曹司に言われた事も話してしまおう。


「実は…。」




それから僕は、事の一部始終をお祖父様に話した。


僕の作ったメニューが盗作されて有澤グループの会社から発売された事。


その騒動の責任を取る形で杏さんが自主退職を余儀なくされた事。


盗作の犯人はまだ特定されていない事。


確証はないが、僕の回りで気になる動きをしていた同僚がいた事。


その同僚が身なりのいい金持ちそうな男と一緒にいたのを目撃されている事。


杏さんがイチキの御曹司から聞いた、お祖父様からの伝言の内容。



「なるほどな…。あいつの考えそうな事だ。」


あれ?


なんだかお祖父様は、騒動の真相に察しがついているみたいだ。


そして僕は、杏さんが本当は、好きでもない決められた相手との結婚を望んではいない事を話した。


それを聞いてお祖父様は僕の顔をじっと見た。


「杏は君との結婚を望んでいたんだろう?」


……違う。


僕は本物の恋人なんかじゃない。


これ以上お祖父様を騙し続けるのは心苦しい。


本当の事を話してしまおう。


「僕は…杏さんに頼まれたんです。市来さんとの結婚を白紙にするために、しばらく婚約者を演じてくれと…。」


「あれは…芝居だったのか?」


お祖父様は呆然としている。


僕は深々と頭を下げた。


「騙すような真似をしてすみませんでした。」


何を言われても仕方がない。


杏さんに頼まれたとは言え、僕が嘘をついたのは事実だ。


「二人で暮らしてうまくいくのかとお祖父様に言われてから、僕と杏さんはいつ様子を見に来られても疑われないように一緒に暮らしていました。」


「なんと…そこまで…。」


「一緒に暮らしていたと言っても部屋は別々だし、僕はただそこに住んで家事をしていただけなんですけど…。杏さんはいつも僕の作った料理を残さず食べて、美味しかった、ありがとうって言ってくれました。」


僕がそう言うと、お祖父様は穏やかな顔をして嬉しそうに笑った。


「そうか…人と食事をするのも、物を食べる事自体も苦手だった杏が…君の手料理は美味しいと言って食べていたんだな…。」


「さすが私の孫でしょ?」


ばあちゃんも笑ってそう言った。


「ねぇ修蔵ちゃん。最初は頼まれて婚約者を演じていただけみたいだけど、章悟は杏お嬢さんの事、好きみたいよ?」


ばあちゃんの唐突なカミングアウトに、僕は思わずむせて咳き込んだ。


「ばっ…ばあちゃん!!突然何を…!!」


「あら、本当の事でしょ?」


なんでそんなにさらっと言っちゃえるんだよ?!


「それは本当かね?」


お祖父様の真剣な眼差しに、僕は一瞬怯みそうになった。


でも本当の事を話すって僕は決めたんだから。


婚約者としては偽物だったけど、杏さんが好きだって言うこの気持ちは嘘なんかじゃない、本物だ。


僕はきちんと姿勢を正し、まっすぐにお祖父様の目を見た。


「はい。僕は杏さんが好きです。この先もずっと、杏さんに僕の作った料理を食べてもらいたいです。」


「その言葉に嘘はないんだな?」


「ありません。」


僕がキッパリと言い切るとお祖父様は大きくうなずいて、黙って部屋の入り口に控えていた男の人に手招きをした。


執事?秘書?SP?


なんだかよくわからないけど、お祖父様に仕えている人らしい。


その人がそばに駆け寄ると、お祖父様は何やら耳打ちをした。


一体何を話しているんだろう?


何度かうなずいた後、話が済んだのかその人は頭を下げて病室の外に出ていった。


お祖父様は不敵にニヤリと笑った。


「あの若造め。有澤の名に泥を塗ってくれおって…。さて、どうやって泣かせてやろうかの…。」


…お祖父様、やっぱりめちゃくちゃ怖いんですけど!!




でもとりあえず、僕が辞世の句を詠む必要はなくなったみたいだ。




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