第98話

 男はエンジ色をした衣装に手を通して身に着けると、それはフード付きの修道士のローブだった。


「中々お似合いじゃないか」


「ああ、そうか」


 着た姿を自身でも眺めながらまんざらでもない表情をした男にフロイスは微笑みかけると、「それじゃあ私も」と、お揃いの品をグローブを外した手で取り、身に着けた。

 それからフロイスは「後はマスクなんだが、何が良いかな?」と呟きながら男に背を向けると、続いて仮装のマスクを選びに取りかかった。


「ふーん。ゴールドとシルバーのマスクが無くなっているようだね。ホーリーめ、中々シックに決めたじゃないか」


 カーニバルなどで広く用いられている、目元の周りだけを隠すドミノマスクのことを言っていた。


「さてと、こっちは何にしようかな?」


 十種類ほど並んだマスク類の中からどれが良いか吟味していたとき、不意に背後から声が飛んだ。男からだった。


「一つ訊いて良いか?」


「あゝ、なんだい」


「この建物は空き家なのか? 生き物の気配が全然しないのだが?」


「あゝ、そのことかい」フロイスは事もなげに応えた。


「この階には確か従業員が何人か暮している筈なんだが、この時期になると、この辺りの店舗は申し合わせによって全部休むものだから、ここも休みとなって、従業員はその休みを利用して旅行へ行っているらしいんだ」


 毎年やって来るたびに留守だったことからすらすらと口から出ていた。


「なるほど、そういうことか」


「あゝ、そういうことだ」フロイスは話しながら、これが良いだろうとフックから二つのマスクを取ると振り返り、その一つを男に差し出した。それは黒光りするハーフフェイスのホラーマスクで両側に二本の小さな角が付いていた。


「これを付けてくれるかい?」


「ああ、分かった」


 男が案外あっさりと承諾すると、その横でフロイスは自身が選んだ、尖った鼻が特徴の、鮮やかなグリーン色をしたハーフフェイスのホラーマスクを手に取り顔に被った。それから二人は、見るからにカッコよく見えた姿を「中々さまになっているな」「そっちこそ立派なものだ」と褒め合うと、お互いにまんざらでもない表情をした。

 あと残すは、お祭りの行列に参加しているだろうホーリー達ふたりに追いつくことだけだった。


 よし、用意ができたところでそろそろ出掛けようとしようか。フロイスは忘れ物が何かないかと最後に室内をちらっと一べつした。

 そして、前方のテーブルの端っこに缶ビールのパックがそのまま置かれたままになっているのを見つけると、ほくそ笑んだ。――ああ良いものがあった。

 フロイスはゆっくりとした歩みで正面にあったテーブルの前まで向かうと、直ぐに前かがみになって缶ビールのパックを開け、片手で中から二本をつかんで男の方へ振り返ると、その一本を男に差し出した。


「その前に息抜きに一杯やろうじゃないか。良く冷やしておいたから美味いぞ」


 そう言って、何が何だか分からないと言った風な顔で受け取った男に続けた。


「そいつは向こうで飲んで貰おうと思ったんだが、あいにくと切らしていたビールというものだ。向こうで飲んで貰ったラム酒と違ってアルコール度数が低くて相当飲まない限りはあんな風には酔わない代物で、私はいつも水の代わりとして飲んでいるんだ」


「ふーん」男は少し笑ったかと思うと、ゴールド色の缶の表面に『ボーニ』という名の商品名と、華やかな色彩で花柄模様がその周辺に緻密に施されたスーパープレミアム仕様のビール缶を興味深そうに眺めた。


「綺麗な模様だな」


 そんな男の呟きを、フロイスはしかしながら全く興味が無いという風に無視すると、


「今から、こいつの飲み方を教えるから、良く見ておいてくれるかい。こうやるんだ」 


 そう言って男に見せるように一方の手で缶をつかんだ状態で、もう片方の手の指先で缶表面の丸いリングをつまむとゆっくり上へ持ち上げた。すると缶のフタがぱっくりと外れて、中から白くて細かい泡がじわっとあふれ出て来た。


「缶をできるだけ真っ直ぐに立てておくことと、フタを取るときに余り勢いをつけ過ぎないようにするのがこつだ。そうしないと中身が全て泡となって噴き出てきて収拾が付かなくなる。それだけ注意すれば、あとは口元へ持っていって飲むだけだ」


 そこまで言うと、フロイスは缶を口元に持っていき缶を斜めに傾けて満足げにぐいと飲んで見せた。


「どうだい、分かったかい。さあ、一杯やってくれ」


「ふーん、おかしな飲み物だな。飲むのにこつがいるとはな」呆然と眺めていた男から、そのとき感嘆が漏れた。


「まあ、何でも慣れだ。慣れれば誰だって意識しないでも飲めるようになるものだ」


「ふん、そんなものなのか」男は首を傾げると呟いた。


「それにしても不思議な入れ物だな。非常に柔らかそうだし。これは何でできている?」


「アルミという金属だ」


「ふーん、金属か」


「あゝ。大地から採掘される鉱石の仲間で、非常に軽い性質と水では腐食しにくいという性質を持っていることから、このように飲み物の入れ物に使われているんだ」


「なるほどな」男は頷くと、「ふーん、巧くできているものだな」と言いながら、フロイスが見守る中、見よう見まねで丸いリングに指先の尖った爪をそっと引っ掛けると、押し上げた。

 ところがどこかで力の加減を間違えたのか、或いはやり方がまずかったのか、缶のフタが外れた途端、中から白い泡が勢いよくあふれ出てくると、フロアにぽたぽたと垂れ落ちた。


 次の瞬間、ほらみたことかとフロイスの怒声が、呆然とそれを眺める男に響き渡った。


「早く缶に口を持っていけ。そして泡ごと飲み干すんだ、早く!!」


「あゝ、分かった」


 男は言われたままに泡があふれ出ている缶の飲み口に慌てて口を持っていくと、一気に飲み干した。そしてほっと息をついた。


「何と飲みにくいものだな、これは?」


「まあ仕方がないさ」フロイスは半分笑いながら擁護した。「こう言っては何だが飲み始めと慣れて来た頃が一番危なくて失敗するんだ。まあ、一度経験したから次からうまくいくさ」


 ところが男は空になったビール缶を手の平に置いたまましばらく眺めていた。中身のほぼ半分ほどが泡となってフロアに流れ出てしまったのを悔やんでいるようではなかった。

 

「どうかしたのかい?」フロイスは複雑な思いで訊いた。中身より容器の方に関心があるのかな?

 その推測は当たっていた。


「実に不思議だ。何も載っていないみたいだ」その問い掛けに応えるように男は呟いた。


「これくらいの入れ物だと、俺の世界で幾らでも重いものは知っているが、これだけ軽いものは見たことはない」


「ふーん、そんなものか?」フロイスは一瞬きょとんとした。


 すると何か閃いたのか男は顔を上げると、


「実は頼みがあるのだが、お前さんが飲んだあとの空き缶を俺に譲ってはくれまいか。持って帰れるかはやってみないと分からないのだが、もしできるなら俺の分と一緒にこちらへきた記念に持って帰りたいと思ってな。

 このように薄っぺらくて軽くて、精密な絵柄が施された金属の入れ物なんて、俺の世界にはないのでな」


「ふん、そんなことかい。わかったよ。こんなもので良かったら幾らでもやるよ。この世界じゃあ珍しくもないからね」


 フロイスは笑いながらそう言うと続けた。


「何なら中身が入った方も持っていくかい?」


「あゝ、それはありがたい」男は感謝した。


 フロイスは、手に持っていた飲みさしのビール缶の飲み口に口をつけると、残っていたビールを一息に飲み干し、空になった缶を男に先に手渡した。


「それじゃあ、受け取ってくれ」


 それが済むと続いてテーブルのところまで戻って残りのパックされた四缶を持つと、取って返した。そして男に引き渡した。


「遠慮せずに受け取ってくれ。持っていくと良い」


「あゝそうか、ありがとうよ。それじゃあ遠慮なく貰っておく」


 何とも言えない笑顔を男はマスクの下から見せると、受け取ったパックと手に持っていた空のビール缶をひょいとほんの数インチ投げ上げた。いや、投げ上げたというより宙に浮かせたという方が理にかなっていた。

 次の瞬間、目にも留まらぬ速さで男の両方の手が動くと、一度結んだローブの腰ひもを解いて上着をあらわにしてから上着をはだけた。そして、そのタイミングで落ちて来たというよりも空中で停止していたといっても過言でない中身が入った四本と空き缶二個とをつかむと、上着の内側に次々と放り込むようにしてしまっていった。それが終わると何食わぬ顔で元の姿に戻していた。

 時間にして一、二秒とかかっていなかった。その様子を平然と最後まで見届けて、フロイスは用意ができたかと声を掛けた。男は黙って頷いた。


「さあ行こうか!」


「あゝ分かった」晴れやかな表情で男は同意した。


 仮装した姿でフロイスとクトゥオルフは表に出ると、やって来た道路へと戻った。深夜とあって火が消えたように辺りは静かだった。静まり返っていた。しかも、季節はちょうど秋から冬にかけての過渡期にあたるせいもあって、辺りに冷たい空気が満ちあふれていた。また上空の空は厚い雲に覆われて月も星も見えない真っ暗闇と化していた。

 そのような中、二人は一緒に並ぶと、大きなストライドで肩で風を切って歩いた。

 そのとき男はフロイスに向かって一つの疑問を投げかけた。


「どうして一っ飛びで行かないんだ。直ぐに行けるだろうに。何か不都合な点でもあるのか?」


 男の素朴な質問に、フロイスはとっさに良い理由が思い浮かばず、正直困った。どうしてと言われてもね。いつも自然にやっていることだし。

 それでこう応じていた。


「あんたにこちらの世界の夜の街を見て貰って、あんたが見聞を広める手助けをしてやろうと思ってね」


 空気が冴えて、交差点の信号と等間隔に配置された街灯が、闇の中にはっきり浮かび上がっていた。そこへ持ってきて誰一人として見かけない空間は一種独特の趣があった。

 二人は最初に現れた十字路を右へ曲がると、しばらくの間、真っぐに進んだ。

 その間に普通車が三台とサイレンを鳴らした緊急車両が一台、二人が行く横の道路を通り抜けていった。

 男は普通車のときは目で追ったのみで何も言わなかった。が、緊急車両のときだけは、初めて見るものだったのか「あれは何だ!」とフロイスに問い掛けた。

 フロイスは当たり前という風に応じた。


「あれか。あれは緊急車両だ。怪我人か病人か知らないが病院まで運んでいるんだ。あのようにうるさく音を鳴らすことで、周りの車に道を譲らせて早く病院まで辿り着けるんだ」


 さらに行くと丁字路にさしかかった。

 そのとき、出合い頭に一台の黒塗りの車が凄い勢いで二人の目の前を横切ると、闇の中へ消えていった。

 二人は車がやって来た方向へ進路を取ると、道路は、それまでの生活道から道幅が倍くらい広い片側二車線の一般道へと変わっていた。

 そこでも男は訊いて来た。


「誰一人として出会わないんだが。何かあるのか?」


 歩いていて誰も見かけないことが、どうやら気になったらしかった。


「あゝ、そのことかい」フロイスは適当に応えた。「夜中はみんな物騒だと知っているからさ。あんたのところでも同じだろ」


「それはそうだ」男は素直に頷くと、自嘲気味に笑った。


 続けて行くと、道路は片側一車線と狭くなり、道路の周辺から建物は消え失せて見えなくなっていた。そうして、木立ちや草むらが存在感を増して来ると、あっという間に黒々とした森に姿を変えていた。

 その内、道路の真ん中で赤と青の鮮やかな光が行ったり来たりを連続して繰り返している光景が目に入った。近付いていくと警察の車両が一台止まっていた。遠目から見てもすぐにはっきりと分かった赤と青の光は車両の屋根に取り付けられたパトライトのものだった。

 加えて、その前には三角板とロードコーンを並べて簡易なバリケードが作ってあり、その中央と両隣に車両進入禁止のスタンド看板が設置されてあった。


「あれは警察の車両だ。この国の治安を保つために国から雇われた者達が乗っているんだ。今日は見世物があるために、このように人以外が立ち入らないようにして事故が起こらないよう監視しているんだ」


 尋ねられもしないのにフロイスは、簡単に説明を男に向かって加えると先へ向かった。一方、男はと言うと、素知らぬ顔でフロイスのすぐ後ろへ追随した。


 それから間もなくして、少し先に暖色系の灯りがぼんやりと見えた。――ようやく追いついたようだね。

 側まで行くと、一つの固まりにまとまった仮装した者達が、時折り奇声を上げたり大声で叫んだり讃美歌のような言葉を唱えながら、長い長い列を作ってぞろぞろとねり歩いていた。

 またその隣や前後では、先端部十インチほどが明るく輝いているトーチのようなものを持った男衆が彼等の足元や周辺を照らしては行進を手助けしていた。


「灯りを持った白い格好の者達が見えるだろう」


 二千年前の神官の従者の服装を模して、毛皮の帽子に生成り色をした天然繊維の上着とズボンの上下に皮手袋と革靴といった服装をした男衆をフロイスが指差すと、クトゥオルフに向かって説明した。


「あの手に持っているのが現代の松明さ。以前は木の枝をまとめたものやろうそくや油に直接火をつけて行っていたんだが、安全面の意味からあのように直接火を使わずに電気の灯りとなっているんだ」

 

 そして行列に向かって、


「みんな、中々頑張っているじゃないか」と一言感想を漏らすと続けた。


「そっちの世界のことは知らないが、私等の世界の人間達は集団で行動すると安心するようにできているんだ」


 皆が皆、思い思いの仮装をして行進する者達の熱気が、折からの深夜の冷気を白い湯気に換えると、もうもうと彼等の周りにたちこめているのが人工の灯りに照らされて垣間見れた。それくらい一体化しているのが分かるというものだった。


(さてと、どうやってあの二人を見つけるだが。ええい、なるようになるさ)


 このまましんがりを歩いたのでは二人に永久に会えないからとして意を決するとフロイスは男に呼び掛けた。


「私の後に付いてきてくれるかい」


 そう言って先に立つと、道路いっぱいに拡がって行進していた者達を避けるように道路の沿道を歩きながらホーリーとイオミルの二人を見つけに掛かった。そんなフロイスに男は何も言わずに黙って従った。


 行列は、六人からなる男衆が棺を載せた木のハシゴを前後から担いで進み、その前後左右をよく似た仮装をした男女が十数人から数十人単位でひとかたまりとなって随伴する形で行われていた。

 そのような中、行列の外側に何も仮装をしていない男達が、手にランタンを持ったり、尖った裸電球が先端に付いたトーチを肩に担いで付き従っていた。


「あれは灯り係をしている運営側の人間だ。目的地までの道案内とそこへ行くまで事故が起こらない様にと監視する役目を負っているんだ」


 そのようなものが幾つも連なることで長い長い列ができていた。

 ところで仮装は、ざっと見ただけでも、――単にシーツの白布を頭に被ってゴーストに扮した一団。シンプルに仮面だけを付けただけの集団。派手な衣装でコスプレした一団。テレビや漫画の主人公や脇役のキャラクターに扮した一団。顔や身体に派手なペイントを施した一団。お揃いのスケルトンスーツに身を包んだ集団。アンデッドの格好をした一団。悪魔や天使や聖人やモンスターや色んな動物のぬいぐるみの被り物を被った一団。修道士の服装をした集団。中世の甲冑姿の一団。その他にも鍬や鋤や大鎌を持った農奴に扮したり、弓矢を持った猟師や斧を持った木こりや漁具を持った漁師や鳴り物を持った旅芸人に扮した昔から脈々と受け継がれてきた伝統的な格好をする一団と、さまざまだった。

 その中にはホーリーとイオミルと良く似た仮装をする者達も多数いたせいで、沿道を歩きながら立ち止まらずに、しかも横目で見ながら二人を確認して合流するのは中々容易なことではなかった。このままではラチがあかないといったところだった。

 ――こちらから変に声をかけるわけにはいかないし。うーん、やはり無理っぽいな。上手くいかないか。 困ったな。

 それを察したのか、フロイスの背中に男の声がふいに飛んだ。


「おい、どうするつもりだ?」


「ちょっと待て」フロイスは強く言い張ると、「今考え中だ」とぶっきらぼうに突っぱねて考えを巡らせた。


 確か、行列はこのまま最終目的地である地獄の入口まで直接行くのではなかったな。ああ、そうだった。途中で余興をするために立ち寄るんだったっけ。

 そこまで記憶をたぐると、フロイスは目を輝かせてにんまりした。


「なーに、心配はいらない。大丈夫だ。この行列は途中で一時休憩するために寄り道をする手はずになっているんだ。そのとき行列がばらけるから、そのとき捜すことにすれば良いんだ。そうすれば直ぐに見つかるさ」


「何だ、そういうことか」


「あゝ、そういうことだ」


 それから二人は良く似た仮装をした集団を見つけて一緒に行進すると、行列が横道にそれるのを待った。

 すると間もなくして、両側の沿道に防寒の服装をした大勢の人々が、行列を一目見ようと人垣を作っていた。ただし、どういうわけか子供の姿はどこにも全く見られなかったが。

 それについてフロイスは何を思ったのか尋ねられもしないのに、男に向かって、


「観客の中にガキがいないのは、昔は夜中にガキが出歩くと良く誘拐されたらしいんだ。今ではそんなことは少なくなったが、代わって別の問題があってだな。そう、ガキって言う奴は、直ぐに辺り構わず泣くし、突拍子もない行動をとるだろう。あれに一度大声で泣かれると場がいっぺんにしらけるし、見ている方も参加している方も殴りたくなるほどイラッとくるしな。それに、もし転んだりして怪我でもしたら、せっかくの見世物が途中で中止になり兼ねないんだ。

 それで、この見世物だけは初日と最終日以外はガキを参加させてはいけない決まりになっているんだ」

 

 そう言って子供が見当たらない理由を説明したちょうどそのとき、行列は道路脇の開けた場所へと入った。

 そこは広場か公園かと思われる、遮るものは何もないだだっ広い空き地で、中央辺りに何ヶ所にも渡って木の丸太を格子状に組んでしつらえられた焚き火を取り囲むように、多くの地元民や内外の観光客で埋め尽くされており、行列が到着するのを今や遅しと待ちわびている光景があった。

 真っ赤な炎が天高く立ち上り、どんよりとした夜の空を照らしていた。他にも、昔なら屋外の照明と言えば、松明か、かがり火か、ランプか、ろうそくの灯りであったものが、外灯に取って替わっていて、あちらこちらに設置してあった。それらの灯りによって周囲が柵に囲まれているのが見て取れ、柵の向こう側は何もない漆黒の闇が拡がっていた。


 フロイス達の行列が到着したとき、すでに先に入場した行列が大勢の人々に取り囲まれていて、かなりな賑わいを見せていた。それまできちんと隊列を組んでいた行列がばらけて、親しい者同士でふざけ合っていたり、誰とはなしに雑談に興じていた。中にはざっくばらんに地面に座ったり寝転がってそれを行っている者達もあった。しばしの休息を取ることはもちろん、仮装した者同士及び仮装した者達と一般人同士の間で対話や交流やふれ合いが始まっていたのだった。


「普通ならこれだけ混んでいると、スリやひったくりや痴漢や隠し撮りや変態行為が多いんだが、この見世物だけは珍しくそのような犯罪とは無縁なんだ。

 なぜなら大概そんなことをする野郎は用心深い上に験を担ぐ傾向があるからね。やばいものは敏感に分かるらしい。

 災難と流行り病の退散を祈願すると言っておきながら、本当は生きた人間を呪って地獄へ送る悪魔の儀式を、はっきり言って、ろくなことにならないとやらないみたいなんだ。それで、みんな安心していられるわけだ」


 そのようなうんちくをフロイスが男に披露していた間に、最後尾の行列が到着すると、特に理由もないのに会場は大変な熱気に包まれて、拍手と歓声まで湧き起こっていた。

 だが直にその理由が明らかとなっていた。それから間もなくして道路側に止めてあった何台もの大型トラックから会場に向かって飲み物と食べ物が台車を使って運び込まれてきたからだった。

 途端にテーブルが即席で用意されて、その場で仮装行列に参加した者達が飲み物と食べ物を受け取る列ができていた。

 またそれとは別の長い列もできていた。行列に参加していない者であっても抽選で同じものを無料で飲み食いできたからだった。その上、例え抽選にはずれたとしても寄付名目で一定額のお金を支払えば飲み物と食べ物にありつける決まりになっていたので、運試しがてら、ほとんど全員が参加して大変な賑わいを見せていた。

 ちなみにその夜のメニューとして、飲み物はホットレモンとホットチョコレートとホットジンジャエールの中からどれか一つを、食べ物は種なしパンとチーズバター入りパンからどちらか一つを選択することとなっていた。


 ご多分に漏れずにフロイスとクトゥオルフも列に並ぶと、無難なところでホットレモンとチーズバター入りのパンを受け取った。あとは会場を埋めた十万人近い者達の中からホーリーとイオミルの二人を見つけることだけだった。

 ホーリーのことだから、きっと目に付き易いところでいるに決まっている。そう踏んでフロイスは周りを見渡した。すると、一つだけ気になるものが目に入った。――あそこ辺りが、どうもあやしいな。

 それは、行列が入って来た道路寄りの付近に建っていた塔状構造物だった。


「あそこに先端が尖った石の柱がライトアップされて建っているのが見えるだろ。あれはな、その昔、このあたりで戦があって、勝った一方が勝利した記念として造ったものなんだ。つまり、ここは大昔の戦場だった場所なんだ」


 フロイスの話は、少し違っていたものの、まんざらでたらめではなかった。

 正確には、当地で大きな戦があったことと、一方が大勝利を収めたということが記された何万年も以前の石製のレリーフが全く偶然に中世期に発見されたことが基となっていた。

 ところがそのレリーフは、それから年月を経て世界で疫病が頻繁に大流行した時代。その場所一帯が、病を患った多くの民を隔離収容するため並びに亡くなった彼等をゴミクズと同様の扱いで葬るところとなったとき、どこへ行ったのか行方不明になっていた。

 そして近年になり、消えたレリーフに石の塔が取って代って建てられていた。

 ちなみに今現在は、その場所一帯は整備されて、駐車場やフリーマーケットやバザーやオークション会場や各種イベントの会場や大規模な集会を開く場や、今回のように特別な行事を行う場として多目的に利用されていたのだった。


 男はフロイスがあごでひょいと示した方向へ視線を送ると、確かに先端が尖るひときわ高い塔のような柱が一本そびえ立っていた。そして、その周りに大勢の人々が集っており。それから見て、中から二人を見つけることはどう見ても至難の業のように思えた。


「確かにあるな。あそこで待ち合わせをしていたのか?」


「そんな馬鹿なことはしないよ」フロイスは首を振って即座に否定すると、「私等はそんなアマチュアじゃない。仕事柄、的になるような場所を待ち合わせ場所になんかしない」


「それではどこだ?」


「あの石の柱を中心にして比較的人影が疎らなところに、たぶんいる筈だ」


 そう話したフロイスの目が途端に輝いた。「ほら、いたぞ。あの黄金色と白銀色をしたマスクを被ったのがそうだ。並んで私等と同じように飲み物と食べ物を持って立っている」


 フロイスが指さした方向へ男が目を向けると、人目を避けるようにして柵の際に立つ、周りから頭一つ分くらい身長が抜きん出ている人影が二つ見え、無料で提供された飲み物が入ったカップとパンを手に持ち、何やら話しているようだった。


「あゝ、確かに」


「それじゃあ会いに行こうとしようか」


「あゝ、そうだな」


 さっそく二人は、混み合う雑踏の中をすり抜けるようにしてその方向へ向かった。するとホーリーとイオミルの二人は、やって来るのが既に分かっていたかのように平然とした態度で出迎えた。


「来たみたいね」「ようやく来たか」と先に声を掛けて来ると、


「フロイス、遅かったじゃない。これ以上待って来なければ、朝方になるんじゃないかと思っていたのよ」


「すまない。ちょっと用事を済ませに寄り道をしたものだから遅くなってしまったんだ」


「用事って?」


「デイライトゴーストの正体を認定する証拠の品をセキカに預けてきたんだ。パティに渡してくれるようにと頼んでね」


「ふーん。私はさっそく鑑識ラボに依頼して来たわ。どうせパティだって自分で調べるはずはないもの。たぶん、知り合いの事業者に委託するはずよ」


「まあ、遅かれ早かれそうだろうな」


「それよりも、どうだった?」


「どうだったとは?」


 二人の男をほったらかしにして、ホーリーとフロイスの間で、あっけらかんとした会話が弾んだ。ちょうどその頃、祭祀関係者によって儀式の準備が着々と進んでいた。

 外灯と明るく終え上がる焚き火の炎を明かり代わりにして、麦わら人形が入った十二個の棺が運搬して来たハシゴごと広場の中央に集められ、棺から麦わら人形を取り出すことが始まった。

 全身を白いキレで巻かれた等身大の人形は、朝のうちに応急修理が施されていたもの、前夜に熱く熱した焼きごてを押し当てる火責めや、水を浴びせる水責めや、スチール製の棒で打ちすえる鞭打ちや、爆竹で一部を爆破する発破を行ったりと酷い扱いを受けていたせいもあって、見るからに傷みが激しかった。

 従って細心の注意を払いながら数人がかりで行うと、そこに前もって用意されてあった長さ三十フィートぐらいで中途でおよそ長さ六フィートの柱を十字の形に組んだもの、要するに磔台に木のツルで取り付ける作業が進められた。それがまもなくして済むと、今度はその傍にあった地面を掘った穴に支柱を立てる作業が行われて、準備が無事完了していた。

 その後、準備が終わったことを知らせるように、めらめらと燃えていた焚き火の中へ燃やすと色の付いた炎が立ち上る薪がくべられると、黄色と赤色の二色からなっていた炎が、たちまち青や紫や緑や橙やターコーズといった鮮やかな色の炎が入り混じった幻想的な炎に変わった。

 その途端、それが合図となって会場に集った人々が一斉にそれまでの食事休憩を中断してゆっくり動き出すと、広場中央に立てられた磔台を取り囲んだ。束の間の休憩時間が終わりを告げて、いよいよ本題の儀式が始まろうとしていた。


 果たして、そこへグレー色のスータンに首から黒のストールを掛けてと、どこの宗派にも属さない聖職者に仮装した白ひげの老齢の男が堂々とした威厳で、柄の長さが三十フィートほどあって、極細の鋭利な穂先が付いた、いかにも年代物という長槍を携えた白いスータン姿の男衆を前後に付き従えて現れると、一斉に注目が集まり、会場から歓迎の大きな拍手が自然と沸き起こっていた。

 昔から脈々と受け継がれてきた伝統行事を支えることを旨とする祭祀継承協会の理事で、この祭事を執り行う祭司の役を担っていた人物の登場であった。

 まもなくして、これら一団が広場の中央へ進み出ると、老齢の男が用意されていた簡易ステージの壇上に上がり、前後の男衆がその左右へ整列した。

 次の瞬間、それまでの賑やかさが嘘のように一気に静かになった。祭祀のフィナーレを飾る儀式を固唾を飲んで見守っていたのだ。

 例によって老齢の男は、一度周りを見渡してから笑みを浮かべて、やおら頷くと、手に持ってきた巻物を自身の胸の前に広げ、一つ息を大きく吸い込んで声高に中の内容を白い息を吐きながら読み上げた。マイクもなしに。

 冷え込んだ夜の空にしわがれた声が響いた。儀式の宣言文か何かだろうということは大体推測できたが、外国語を喋っているかのように聞き取り困難な言葉だった。

 それが終わると男は巻物を元に戻して懐へと終い、片方の手を挙げて左右に控えた男衆に無言で合図を送った。

 途端に、男衆は二人一組となって磔台の前に向かうと、麦わら人形の胴体部分を目がけて、手入れがされていなくて穂先が完全に錆びついた長い槍を左右から身構えた。串刺しにしようというのである。

 果たして、それを見届けた老齢の男が深く頷いて短い号令を発するや否や、男衆は大きな掛け声と共に手にした長槍を勢いよく麦わら人形の胴体へぶすりと突き刺して速やかに引き抜いた。

 そのとき、予定された内容であったとは言え、集まった人々の中から一瞬ざわめきが起こった。

 だがそんなけん騒など素知らぬ顔で男衆は後三回それを繰り返して、ようやく槍の矛先を収めると、凛とした立ち振る舞いで元居た場所へと戻った。そして最後に、締めのあいさつ代わりとして、何事も無事で終われますように、といった意味合いの言葉「アーレンナーハム」を全員で声を揃えて一斉に合唱。それが済むと、やって来た道筋を速やかに退出した。


 小一時間ほどかけて災難消除と流行り病の退散を願う儀式が、そんな風に厳かに粛々と進められたあとは、会場を埋め尽くした地元民と観光客が首を長くして待っていた祭事の始まりだった。

 時を置かずに会場に設置されたスピーカーからリコーダーとドラムとリュートとタンバリンとリングベルからなる恒例の古き時代に作られた音楽が流れてくると、例年参加している者達が、仮装して行列に参加した者、いなかった者にかかわらずに要領を得たように前に躍り出て、その軽快で賑やかなリズムに合わせるようにステップを踏んで、磔台と焚き火の周りを回りながらダンスを踊り始めるのだった。そうして踊り明かすのが慣例であった。その構成は単身であったり、数人が手をつないでいたり、グループで肩を組んでいたりとさまざまで、ダンスも揃っていなかったりとみんなばらばらだった。けれど、それがかえって面白いのか楽しいのか知らないが、誰もかもが笑みや笑いを絶やすことが無かった。

 それはまるで、身体全体で喜びを表現して何かに思いを馳せているかのようで。平たく言い換えるならば、現実からかけ離れた非現実を満喫しているようだった。

 また、そこに輪をかけて音楽は飽きがこないようにと、『もろびとこぞりて』『サイレントナイト』『荒野の果てに』といった定番の讃美歌から、快活で明るい調べのさまざまなロマ音楽や『素敵な一年が訪れますように』『一夜の夢』『身分に分け隔てなく楽しもう』『テイラ』といった古くから地元に伝わる享楽的で楽しく愉快な気分になる曲がセレクトされていて、気の向くままいつまでも踊っていられるようになっていた。

 従って、間もなくしてダンスを踊る人数が、せきを切ったように次から次へと増えていき、会場は不思議な光景に包まれた。

 その光景は、魔物と人間が一ヶ所に集まって仲良く面白おかしく戯れているとしか思えないものだった。

 無論、ホーリーもフロイスも、あと異世界から来た二人の男も、その輪の中にそつなくいた。


 ダンスは焚き火の材料が無くなるまで続いた。その折、麦わら人形を運搬してきた棺とハシゴも火の中に投じられ燃やされてしまっていた。

 そしてダンスがお開きになったのが、空が白み始めて来た頃で。時間にして朝の五時過ぎ。そのとき、あれほど集っていた人々が自宅や宿泊先に戻る者と最後まで付き合う者との二手に別れて、前者は蜘蛛の子を散らすように散り散りになって去っていった。四人はもちろん後者の方であったので、そこに居残った。


 その間に人形を運搬して来た男衆が広場の中央に集まり、お互いに協力し合うと、人形を固定した全ての支柱を倒しにかかった。それが済むと、各支柱を肩に担ぎ上げ、仮装した者達を引き連れて次々と歩き出した。その先にある地獄へ通じている入口があるとされる岩山を目指して。行列は最初の頃より短くなっていたものの、それでも半マイル以上続いた。

 道路はしばらく片側一車線が真っ直ぐに続いて、いつの間にかセンターラインが消えると緩やかに曲がっていた。

 途中、木立ちが沿道にパラパラと見えるくらいしか遮るものがほとんどなかったせいで、早朝の冷たい風が何度も吹き抜けていった。

 三十分ほど歩いた頃だった。行列は、矢印と共に『モノオサアーラギケーブ』と読める標示板が道端に立っていた、道路から別れた未舗装の脇道へと入った。すると枝葉を落とした木々が目立つ荒れ野一帯の切れ間から、何の変哲もない小さな岩山が右寄りの方向にぽつんと見えてきた。

 それからしばらくして岩山の正面までやって来ると、高さは百フィートほどで、頂上には石の柱と、そこまで続いている階段が見え、その周囲は柵とフェンスが厳重に巡らされてあった。

 目的の場所で、そこにもさらにかなりの野次馬が行列を一目見ようと待っていた。その中、行列が止まると、磔台の支柱を担いだ男衆だけが、岩山への出入口になっていた扉から中へと入り、岩肌を削ってできた階段を登っていった。彼ら以外は入るのが許されていなかったせいだった。

 聞くところによると、頂上は平坦になっていて、空井戸が一つと地下へ通じる階段がある小さな建造物があるということで。そこにおいて、ようやく麦わら人形は磔台から取り外されて井戸の中へ投じられるということだった。

 ちなみに井戸は地下に通じており、底には鉄製の大鍋が設置してあって、大鍋に落ちた人形はそこで火を付けられて焼かれ、そのようにしてできた灰は、その傍の地獄の入口とされる自然にできた岩の裂け目に投棄されて、儀式は無事終了するのだった。

 余談であるが、そのとき井戸から立ち上る煙を以前は儀式の終わりを告げる合図として昼間の宴が始められていた。


 一方、行列はと言うと、男衆を見送った後は自然の成り行きで解散となって全員がとぼとぼと元の道路に向かって歩いて行った。その中にはホーリーとフロイスとイオミルとクトゥオルフの一行も含まれていた。

 やがて合流した道路は、昔からある道らしく、ぐにゃぐにゃと曲がりくねりながらどこまでも続いており、大勢の人々が一方の方向へ向かうのが見て取れた。また晩秋の朝と言うだけあって、どんよりとした空の下、辺りは薄もやがかって清々しいくらい静まり返っていた。


「一つの方角へ流れができているだろう。あの後を付いて行くと、自動的に昼の部が開かれる場所まで連れて行ってくれるんだ」


 間もなくすると道路の両側に広大な牧地と畑が現れ、その少し先の片側には、人家と思しき白壁の建物群が固まっているのが見えていた。それから更に行くと道路幅が倍になるとともに、がらりと景色が変わり、まるで中世の時代にタイムスリップしたかのような、三階建てから五階建ての石造りの古い建物が連なるように密集して建つ街並みが出現した。そして、そこまで来ると車が普通に行き交い、道路脇には人通りができていた。


「こちらの世界の日常風景ですわ」


 そこから尚も行くと、道路は片側一車線から中央分離帯で上下線が区切られた片側三車線となり、上下とも往来する車で混雑していた。車体カラーと模様が異なるバスや乗用車や商用車がひっきりなしに行き交い、送迎バス乗り場や路線バスやシャトルバス乗り場の一角では列ができていたり、客の男女が次から次へと乗り込む光景があった。


「毎日、ああやって仕事先や学校へ向かうんです」


 また古い建物に代わって、オフィスビルやテナントビルや雑居ビルや住居ビルやシテイホテルやビジネスホテルや公共施設の建物といった近代的な高層建築物が目立つようになっていた。

 そんなとき、ふと前方に視線を向けると、往復の方向共に道路がバリケードとパイロンとコンクリートブロックで封鎖されており、車両通行止めの看板が幾つも立て掛けてあった。他にも信号機の灯りがどこも消えて機能していなかった。


「分かるかい?」


 それを見たフロイスが直ちにその方向に向かって指を差すと、男達に向かって歯切れのいい声で言い添えた。


「あそこが宴の会場だ!」


 街並みがぎっしりと隙間なく広がる市街地には一度に何十万という人々を収容するスペースはどこを捜してもあるはずもなく。従って急場の凌ぎとして、市街地を縦横に走る道路の一画を通行止めにして全ての車両を締め出し、宴の場を作っていたのだった。


 また、その傍らでは地元民や観光客の男女が素顔や仮装したままの姿で一列に並んでいる長い行列が全部で五ヶ所できていた。その行列を目で辿ると、良く目立つネオンカラーのキャップに、『P』のロゴが背中に入ったウインドブレーカーを身に着けたイベントスタッフの男女が列の整理や誘導を行っていた。更にその先にはお金を支払って、その代わりに首からぶら下げるIDカードそっくりなものを貰っている光景があった。


「あれは、これから始まる宴の入場許可証を金を払って手に入れているんだ」


「あれを貰うと、宴が終わるまでの間、どれだけ飲んでも食べても全部タダなの」


 二人の説明に男達は意味が呑み込めたのか、きょとんとした顔で小さく頷いた。

 それから一行は大勢の人々が並んでいた列の一つに並ぶと、三十分程をかけて入場許可証を手に入れた。

 そして、会場となっていたバリケードで封鎖された道路側をひょいと振り返ると、底冷えがする道路のあちらこちらに置かれた大型の石油ストーブやガスヒーターの周りに多くの人影が暖を取るため集っていた。しかも彼等は建物の壁にもたれたり、道路上に座り込んだり横たわったまま全く動く気配はなかった。休憩しているか疲れ切って爆睡しているかのどちらかだろうと思われた。


「始まるまで、まだ時間があるから、ああやって待っているのさ」状況を察したフロイスがぼそっと呟いた。

 即座に好奇心に満ちた目でそれらを眺めていた二人の男から感嘆の声がほぼ同時に飛んだ。


「実に興味深い」「実に面白い」


 次いで、そこへ物腰の柔らかい声が響いた。何を思ったかホーリーからだった。


「何でしたら時間まで街を散策しませんこと。私達が案内して差し上げますわ」


 合理的な思考で気転を利かせた彼女の申し入れに、


「ふむ、そうして貰えるかな。その方がこちらとしても助かる」イオミルが応じた。少し遅れてクトゥオルフも素知らぬふりで同意した。


「あゝそうしてくれるかな。こちらとしてもぼんやり待つのは御免被りたいのでな」


「じゃあ、それで決まりね」


 二人の同意を取り付けたことで、ホーリーはにっこり微笑むと、明るい声で嬉しそうに言った。


「それじゃあ行きましょうか!」


 ホーリーとフロイスが先導する形で、その後一行はその場を離れると商店街がある大通りに向かって歩いた。

 すると、その途中の様々な場所に、屋根の部分にソーラーパネルとフラットアンテナが付いた青色と白色をした大型のコンテナハウスが、四個から八個、連結して置かれてあるのを見かけた。

 青色はおなじみのトイレで、白色は医療関係者が主に利用するためのもので。宴に備えて置かれていたのだった。

 そうやって来てみると、大通りはたくさんの人々で混み合っており、ところどころで人だかりができていた。

 人だかりは何のことはない、仮装した者達をモデルにしてアマチュアカメラマンや観光客が寄ってたかって写真を撮る即席の撮影会となっていたからであって、この祭祀の風物詩の一つでもあり、別に珍しいことでも何でもなかった。

 だがそれを目にしたホーリーとフロイスは冷ややかに、


『またやっているわ。夜中は良くないことが起こるとして撮影が禁止されているから、分からぬこともないけれどね』『あんなのにかかわっては面倒だ』と、即座に目と目で意思疎通すると、いつもの通りに人だかりをちゅうちょなく無視して行き過ぎた。そのすぐ後を男達も立ち止まらずに従った。

 果たして、揃いも揃って高身長のマスクを被った男女が堂々たる態度で通り過ぎる光景に、威圧的な雰囲気でも感じ取ったのか、後ろを振り返って見て来る者はいても、直に声を掛けて写真撮影の許可を求めて来る者は誰もいなかった。それどころか、四人から近寄り難いオーラでも出ているのか、それ以降も声をかけて来る者は一人として出てこなかった。

 それをいいことに一行は街を巡ると、土産物屋を始めとしてファストフード店や各種ホテルやカフェやレストランやスタンディングバーやダイニングバーやパンケーキパーラーや金融機関やギフトショップやバラエティショップやコンビニエンスストアや宗教用具店といった業種の店舗が道路の両側に軒を並べていた。

 一緒に並んで歩きながらホーリーとフロイスは「どこへ行く?」「そうだな。ともかく一旦休憩がとれるところが良いだろうな」「そうね、それじゃあカフェなんかどう?」「まあ、それが妥当な線だろうな」と、やり取りをすると、それら店舗の中から、特にカフェを中心に見て回った。

 そして、どこに行こうが、この国でちょくちょく同じ名前のカフェ店を見かけることからチェーン店か何かだと思われた店舗が、内部の気配からそれほど混んでいなそうだったので、二人で相談して決定していた。

 その店舗は七階建て雑居ビルの一階部分にあり、外見は比較的立派な佇まいをしていた。自動ドアを通って内部へ入ると、置かれたイスやテーブルが斬新なデザインで、おまけに照明も調度品も洗練されており、そこへ加えて天井も壁もカウンターもフロアも全ての内装が白とグレーで統一された無機質な空間となっていた。全てのレイアウトが完璧と言っても良く、一言で表現するならモダンそのものだった。

 中に入った一行は、直ぐに目に入った空いていたテーブル席に落ち着くと、そのタイミングでストライプのニットシャツにロングのエプロン姿の若い女性の店員が、無理をして作った笑みを浮かべながらオーダーを取りにやって来た。

 さっそくホーリーが辺りを見渡して壁に貼られたメニュー表に目をやると、全体的に割高に見えたソフトドリンクの中から、ブレンドコーヒーと紅茶とココアとコーラの四品とミネラルウォーターを数秒考えてから注文した。


「はい、かしこまりました」


 そう言って女性の店員が持ってきたタブレットに言われた品を入力すると、すかさずホーリーがそこへ付け加えた。


「あとそうね、空のコーヒーカップを二個お願いしたいのだけど。よろしいかしら」


 ホーリーの要求に女性は不思議そうにちょっと小首を傾げた。だがしかし、直ぐに思い直したのか、


「はい、かしこまりました」


 そう一言残して戻っていった。それからしばらくして、当の店員がホーリーが注文した品をトレイに載せて運んできた。ホーリーが、それら四つの品とミネラルウォーターの瓶と空のカップをテーブルの中央に並べて置くようにと伝えると、店員は少し困惑したような顔で目をぱちくりさせてごくりをつばを飲み込むや、若干どぎまぎしながら、指図通りにして戻っていった。周りから何かしら言われたのか定かでなかったが、明らかに緊張していたようだった。

 実際のところ、空のカップを二個注文したのは男達にコーヒーと紅茶とココアとコーラの四つの品を試飲させる目的のためで、ミネラルウォーターはその口直しのためだった。そしてそれらをテーブルの真ん中に固めて置いて貰ったのは、それをやり易くするためだったのだが。女性は一行が仮装して顔を隠していることやホーリーのおかしな要求から、チェーン店の本部から派遣された覆面調査員が店舗の状態や従業員の接客態度や飲み物のテイストを確認しにやってきたと、うっかり勘違いしていたのだった。


 ところが、そのようなことは知る由もなかったホーリーは、店員がびくびくしていた様子から自分達の正体を知ってのことかと、真っ先に疑った。

 みんなも気付いているだろうけれど、私達の正体を知ってのことかしら? でもまあ何でも良いわ。私もフロイスも今は完全武装しているわけだし。それに他の二名も普通じゃないしね。やれるものなら何でもやってきたら良いわ。何ならこのカフェごと吹き飛ばしてくれたって構わないわよ。私達には問題ないしね。


 念のためにホーリーは、不審者がいないかどうか見てみようと、店内を冷静な眼差しでちらりと一べつした、

 比較的広かった明るい店内は、せいぜい五割の入りといったところだった。店にかけた高額な備品や内装の費用を回収するためにドリンク類も食べ物もかなり強気の高額設定となっていたのが原因なのか知らないが、よそのカフェに比べて明らかに少なかった。

 また客は、一行と同じように仮装した者達と、普通に素顔を晒した男女が入り混じって滞在していた。しかも周囲には目もくれずに話し込んでいた。


 ――ふん、誰もこっちに興味がなさそうね。


 ホーリーは、素知らぬ顔で運ばれてきた二個の空のカップを男達の前に一個ずつ並べて置くと、


「これらは私達の世界では普通に飲まれている飲み物です。今からそれぞれ少しずつ飲んで貰う体験をしていただきます。よろしいかしら?」


 そう言って、その中から濃い茶色をした液体が入ったカップを人差し指の先端で示した。


「この世界で広く飲まれているコーヒーという飲み物です」


 三人が見ている前で、ホーリーはコーヒーがおよそ八割がた入ったカップの持ち手の部分をゆっくり持つと、男達の前に並べた空のカップの中に注いでいった。そしておよそ三等分に分配したところで、注ぐのをやめカップを自分の前に置いた。

 それが済むと、手本を示すように自分の前に置いたカップの残った液体を味わうようにして一口飲んで見せた。そしてそれから相向かいに座った男達の方に虚ろな視線を向けると言った。


「ご両人もどうぞ、飲んで見て下さい。そして感想を聞かせて下さい。ただし言っておきますが一気に全部飲んでしまわないように。それがこの飲み物のマナーですので」


 そう念を押された男達は恐る恐るカップの取っ手をしっかりつかむと、ゆっくり口に運んだ。

 その途端、イオミルがマスクの下で眉間にしわを寄せつつも冷静に感想を述べた。


「何ですか、この苦い液体は。とても飲めたものじゃありませんな」


 一方クトゥオルフも露骨に嫌な顔を見せると、人目もはばからずに叫んだ。


「なんだこりゃ。腐った泥水を口に入れたような感じだぜ。不味くて、とても飲めたもんじゃないな」


 その地声といったら、周りの客が一斉に振り向くほどだった。

 だが、当然想定したこととは言え、周りからの視線を感じてもホーリーは気にも留めずに、


「通はそのまま飲んでもいけるんだけれど、初めて飲んだなら、みんなそのような反応が出ます。ですが、このようにして飲むと、味がまろやかになって飲み易くなりましてよ」


 そう言うと、彼等の前で、テーブルに備え付けてあった大小の白いポットから、付属のスプーンを使って砂糖を適量とミルクを淡い茶色に変わるまでカップに注ぎ入れ、ぐいと一口飲んで見せた。


「やって見て下さい。中々なものですわよ」


 そう言われた男達は、ホーリーのマネをすると、再び一口だけ飲んだ。そして今度は穏やかな口調で、


「はっきり言って、この方が良い」「へえー、変われば変わるのものだな。一気に飲みやすくなった。これなら余裕だ」などと、それぞれ感想を述べた。それからこう付け加えた。


「味の変化が極端です。でも習慣で毎日飲むようになれば、それなりに中毒性があるかも知れませんね」


「俺は決してうまいとは思わない。だが一応味を覚えたから、向こうに戻ったら同じものを作って見ようと思う。向こうで受け入られるかどうかは分からないが」


「それは良かった。こちらも嬉しいわ」


 二人の反応が社交辞令でも何でもない、本音と見たホーリーはにっこり笑うと安堵のため息をついた。二人とも、興味を持ってくれたみたい。

 そんなときだった。


「次は私の番だね!」


 ホーリーのやり方の一部始終を涼しい顔で平然と眺めていたフロイスがそこへ口を挟んだ。


「私はこれを説明しようと思う」


 そう言うや、タンブラーグラスに入った黒っぽい液体を人差し指で指すと、


「これはコーラと言って、喉の渇きが早く取れるという理由で中に空気をいれている関係で冷たくして飲むようにできているんだ。だからこんな風に氷が入っている」


 自信満々でそう伝えると、さきほど男達が飲み干した二個のカップに氷が入らぬように注意しながらグラスの中の黒っぽい液体を並々と注いだ。それが済むと三分の一ほどを豪快に飲んで見せ、「あゝ美味い!」と感嘆のため息を付いた。そして言った。


「こいつは先のコーヒーと違って一口ずつ上品に飲む必要なんてない。好きなように飲んで構わないんだ。アルコールとも相性が良くってな、一緒に混ぜて飲まれてもいるんだ」


 フロイスが説明する間に、男達がカップをそれぞれ取ると、ゆっくり液体を口に含んだ。

 そして何かしら思い当たったのか、二人とも、うんうんと頷くと、


「これは不思議と飲み易いですね。少し色んなものが混ぜ込んであるのが気になりますが、濃過ぎず、甘過ぎず、苦過ぎず、不味過ぎずといったところでしょうか」「俺もそう思う」


 そう言って仲良く付け加えた。


「香りは、季節になると山岳地帯に綺麗な緑の花を咲かせるレステュードの花の香りに似ていて、味の方は、遠くまで向かう旅行者や行商人の携帯食料や携帯燃料に利用されたことから万能の木と呼ばれているルルハンギャガ の木の樹液の味でしょうか」


「俺もそう言おうと思っていたところだ。何も食い物がなかった時代に腹が膨れるからと、良く親父にルルハンギャガの木の枝をしゃぶらされたものだ。あのほろ苦い味に似ている」


 コーラは向こうの世界にも似たような味のものが存在するらしく、男達の間では比較的好評のようだった。そのせいか、しばしの間、二つの世界における色合いと風味と味についての談議が弾んだ。


 コーラの一件が終わると、続いてホーリーが紅茶を選択し、最後に残ったココアはフロイスが受け持った。

 これら二つには、余りかんばしくない意見が男達から口々に出た。

 例えば紅茶は、「微妙な味だ」とか「味気ない味だ」とか「何もいれないと水のように幾らでも飲めてしまう」とか「ライラッカ領域からメルクラント領域にかけて伸びているキグリ峡谷を流れる通称グローチャと呼んでいる湧き水に色見や味がそっくりだ。あそこに行くと幾ら飲んでもタダで飲めるというのに、それをわざわざ金を払って飲むことになるなんてな。こんなものに金を払って飲むとは信じられない世界だな」とか。ココアに関しては、「コーラと同様に昔は薬として飲んでいたと言う話だけあって風味も味も奇妙だ。うまいのか不味いのかさっぱり分からない」とか「味が濃くて甘苦い。この分では一度にたくさん飲めそうにないな」と言った風に。

 そのようなことを一時間ほどをかけて繰り返した四人は、カウンターの後ろで隠れるようにして店のスタッフ一同がハラハラドキドキ気をもんでいるとも知らずに、事が済むと何事もなかったかのように料金を支払い店を出た。

 それから和やかな雰囲気で辺りをぶらぶら歩いた。

 そんなときだった。ホーリーが不意に立ち止まると、ある一角に視線を投げかけて、


「あそこにちょっと立ち寄りません?」と提案した。


 そこには人で混雑する落ち着いた雰囲気の土産物屋があった。大通りの中で一際目立って人が集まっていたのを、不思議と気になったのか土産物屋の前を通るたびに、男達が幾度も興味深そうにちら見したのをホーリーが気を回したまでのことだった。


「別に良いんじゃないか」男達より先にフロイスが応じると、彼等に向かって説明した。


「あそこは土産物屋といって、地元の名物の食べ物とか地元でしか手に入らない珍しい品を売っているところなんだ。

 あんた等の世界のことは知らないが、この世界では観光や旅行に出ると、決まって自分や家族や知り合いのために土産を買い求めるのが習慣のようになっているんだ」


 男達は異を唱えなかった。それどころか「なるほど」「そういうことだったのか」と揃って納得すると、「じゃあ行きましょうか」「入ろうぜ」と告げて先に歩き掛けた二人の後ろへ従った。


 ちなみに土産物屋の内部はずいぶんと広かった。そこには観光客だろうと思われた数十人の男女が既にいた。

 また店内では、食べ物はあいにくと売っていなかったものの、仮装の衣装や装備品を始めとして、魔除け関係のアクセサリーやお洒落な日用品や色々な雑貨、例えばペンダントやブローチやネックレスやパワーストーンやリングやベル、悪魔やモンスターや色んな神々を模したフィギュアや、それらをプリントしたカード類や、鉛筆やボールペンや万年筆と言った筆記道具やノート類や書籍やぬいぐるみや占いグッズみたいなものから女性のメイク道具まで幅広い品揃えがされてあった。それらがハンガーラックに吊るされていたり、綺麗に商品棚に並べてあって、その前で客の男女が何を買おうか念入りに検討している姿があった。

 一行もそれにたがえず、その中に入って行くと、


「これなんかどう?」「いや、これが良いんじゃないか?」「そうかしら。こういうのもあるんだけれど」「ふーん、それもありかな。でもやっぱりこれだ」などと、男達が見ている前で、ああでもないこうでもないとホーリーとフロイスの間でやり取りが行われて、ようやく品定めが終わると、イオミルには彼の家族用にとメイク道具セットとぬいぐるみと絵本を、クトゥオルフには向こうの世界には無いこちらの世界の地図とカレンダーを買い求めて、後この際だから両人にこの世界の人間が自分たち以外の者達をどう見ているのか知って貰おうと、その筋の研究者が想像で著した『世界魔物怪物図鑑』を、この世界に生息する主な生き物が載った図書『世界の動物』と共に追加で買い求め、


「私達からの贈り物です。こちらの世界へ来た記念にどうぞ受け取ってくれませんこと!」


「向こうの世界まで持って帰れるのかは知らないが、遠慮なく受け取ってくれたら嬉しい」


 などと言って、男達にプレゼントしていた。もちろん男達が喜んだのは言うまでもなかった。

 そんな感じで小一時間ほど費やして店を出ると、続いてフロイスの提案で立ち飲みバーへ行こうとなって一緒に大通りを歩いていたときだった。いきなり遠くの方でドーンと大きな音が鳴った。それから数秒後に更にもう一度鳴り響いた。それはまるで花火が破裂したような耳をつんざく音だった。


 ところがフロイスとホーリーは、その瞬間ににっこり笑うと、先にフロイスが口を開いた。


「あれは私等が最後に立ち寄った岩山から空に向けて空砲を撃ったものだ。つまりだ、宴の開始を知らせる合図代わりさ」


 そう言うと男達に向かって続けた。


「悪いがすまない、お二人さん。立ち飲みバーへ行くのは無しになった。向こうへ行けばタダで飲めるというのに、わざわざ金を払ってまで飲む必要はないからね」


 フロイスは首を振って言い放つと、まじかに見えてきたスタンディングバーを無視するように素通りした。他の三人もそれにならった。

 それから真っ直ぐに宴が開かれる会場まで歩いていくと、賑やかなざわめきが聞こえてきた。そうして来てみると、やはりというか既に会場は大勢の人々が詰めかけて混んでいた。

 一行は知る由もなかったが、余りの人出の多さに、主催者側が時間を三十分早めて午前九時半に始めていたのだった。

 そのような中、大勢の人々が殺到してごったかえしている方向に目を向けると、舗道の縁石や中央分離帯に沿ってずらりと横並びに止まっていた濃いグレー色やカーキ―色やオリーブ色をした大型車両に人々が群がっていた。それらは全て軍所有のキッチンカーで、男女の兵員が白いコックコートにエプロン姿で対応にあたっていた。

 さっそく四人もそこに参加しようと、別枠で長い行列ができていた一団の最後尾に並び、首に吊るしたカードを見せて、ランチプレートとスプーンフォークがセットになったものを一人一個受け取り、人が詰めかけて黒山の人だかりとなっていた中へと向かった。


 ざっと見た限り、各車両はベイキング、電化調理、焼く、茹でる、炒める、揚げる、煮る、蒸す、混ぜ合わせる、し好品と料理の部門別に分かれているようだった。

 例えばベイキング専用の車両では、色んな種類のタルトやパイやラザニアやムサカや焼き菓子やホットケーキが焼き上がってトレイの中に並んでいたし、電化調理専用の車両では、炊きあがったライスやシーフードピラフやバターピラフが一人前ずつパック詰めされて並んでいた。また、焼く専用の車両では、トレイ台の上にグリルやローストされたチキンやポークやビーフやウインナーやシーフードやらが並べられていた。目玉焼きやオムレツがずらりと並んでいる車両もあった。トウモロコシやさつまいもやシーフードの干物を焼いたものが並べられている車両もあった。茹でる専用の車両では、茹で上がった卵とジャガイモが山のように積んであったし、炒める専用の車両では、肉やシーフードや野菜を色んなバリエーションで組み合わせて炒めた料理ができ上がった状態でトレイ別に並んでいた。

 他にも、揚げる専用の車両では、色んな種類のドーナツやアメリカンドッグやナゲットやらがトレイに並んでいた。また別の車両ではチキンやポテトや白味魚がフライにされて並べられていた。煮る専用の車両では、でき上がった色とりどりのスープが紙カップに入って並べられていた。深めのトレイの各々に肉や野菜を形が残るように煮たものが入った車両も見られた。蒸す専用の車両では、代表的な蒸し料理である点心やプリンがずらりと並んでいたし、混ぜ合わせる専用の車両では、各種生サラダが山積みされてあった。そして、全てといっていいほどタンクローリーそっくりな形状をしていた、し好品専用の車両からは、ミルクやコーヒーやワインやビールやソフトドリンクやミネラルウォーターなどが提供されていた。――とまあ、そういった風に、B級グルメがこれみよがしに勢揃いしていたのだった。


 四人は仲良く後ろへ並んで、好きなだけ食べ物と飲み物を受け取ると、その反対側へ回った。そこでは、即席に設営されたテーブル席がずらりと並んでおり、老若男女が仲睦まじく食事をとっている光景があった。この宴の主軸の一つである食事会であった。


「さてと、私等もあの輪の中に入ろうとしようか」


 フロイスの一声で一行は周りに倣い、空いていた席に腰掛けて、のんびり食事を摂り始めた。


「ねえ、どうです。面白いでしょ。世界中から観光客がやって来るここでは老いも若いも色んな年代の男女を一度に見ることができましてよ。それに肌が白い者から小麦色、褐色、黒い者まで、この世界のほとんどの人種が揃って見られるんです。

 おまけに、ここでは身分の隔てたく、お金持ちも貧乏人も、地位の上下関係もなく、一緒に食事を楽しむことができるんです。ただし、無礼な振る舞いをしたり、常軌を逸した行動をしたり、暴力沙汰をおこさないことが条件ですけれどね」


 男達へ向けての、そう言ったホーリーの説明に、フロイスが付け足す。


「あゝ、そういうことだ。ここでは万人が平等なんだ。老いも若いも、男も女も、人種も身分も全てが分け隔てなくな。こんなのは、あんたらの世界でもあるのかい?」


 そう言われて男達は一旦飲み食いするのを止めると、余程関心を持ったのか周りをくまなく見て回った。そしてクトゥオルフが、


「ふーん、良いものを見せて貰ったぜ。為になったよ」


 と、感想を漏らすと付け加えた。


「だがな、この世には何事も適任適所というものがあるんだと俺は思っている。特に俺の世界ではな。 姿格好や肌の色に関係なく、持って生まれた能力は種族によって決まっているのでな。これだけはどうしても越えられない壁だ。どうしたって誰でもできる能力を持つような種族は低く見られる傾向があるんだ。

 ところが世の中は旨くできているもので、ろくな能力しか持たない種族はその代わりに悪知恵が働くというか立ち回りが上手くてな。自分達より優れた能力を持った種族の者達をあの手この手を使って手なずけて自分達の味方につけるどころか従わせるのが得意でな。現実では能力の優劣では誰が偉いか決められないんだ。

 ところがろくな能力しか持たない種族は自分達が一番偉くないのは我慢ならないらしい。それで手っ取り早い方法として階級制度を率先して採用して、自分達より優れた種族の者達同士を互いに競わせ、自分達は裁定を下す側に回ってその優劣を付けることで、自分達の立場を偉く見せているんだ。

 そういった階級制を利用した支配が俺達の世界では、風潮として連鎖が止まらなくなって蔓延しまくっていてだな。それで同じ種族間であっても優劣の身分制が普段から日常的に存在するというわけだ。

 まあ、そういうこともあって、大きな争いやいさかいが無い限り、こんなふうに一ヶ所に集まることなんて考えられないのさ」


 それとなく魔界の現状を、そう言って批判した男に、高い教養を持ったイオミルが言葉を継いだ

 

「少し補足しますと、我々の世界では今現在、数万の種族が存在することが確認されています。そして、その価値観は同じ種族間であっても様々なのが現状です。

 例えば、純血を尊ぶ種族、偉大な業績を残した祖先を誇りとして血統を尊ぶ種族、自らの種族が一番優れていると考える種族、古い伝統や習慣を尊ぶ種族、力や能力が全てと考える種族、同じ考えを持つことが尊いと考える種族、規則の元で階級制度は許されると考える種族、純血や混血などはどうでも良いことで雰囲気と成り行きで何事もその都度対処すれば良いと考える種族、これらの思想が混在している種族などがあります。

 そして大概の場合、そういった種族には必ずといっていいほど階級制度が採用されています。

 そちらの世界ではどのような制度を取り入れているか分かり兼ねますが、我々の世界では身分の異なる者同士が一堂に仲良く会することなどあり得ないことなのです」


 食事の手を止めて熱心に語るイオミルをよそに、ランチプレート皿に載ったウインナーをフォークで突き刺して口に運びながら聞いていたフロイスが、傍らに置いていたロングのプラカップに手を伸ばすと、三分の一ほど残った中のビールを一気に飲み干して口を挟んだ。


「ま、何だ。難しい話はそれくらいにして楽しもうぜ。ここはそんな堅苦しいことは考えないで、のんびりと時間を過ごす場なんだからね。そのためのぼんやりするにはもってこいの見世物が幾らでも揃っているんだ」


「そういうこと。時間がくるまで心を空にして楽しみましょう。見た感じ、時間のムダに感じるかも知れませんが、長い目で見ればこの世界へ来た経験として印象に残ること請け合いですわよ」


 そのような風に四人が会話に花を咲かせていた頃。少し離れた地点から軽やかな音楽が聴こえ、ひときわ大きなざわめきと拍手が上がっていた。

 ちょうどそのとき、道路と道路が交差した地点に設置された一段高いステージ上では、十名近い有名ストリートパーフォーマーが電子ピアノ、デジタルパーカッション、デジタルサックス、エレキギター、エレキバイオリンといった電子楽器を奏でており。そこに集まった大勢の男女が、少し肌寒いのも何のその、生演奏のリズムに合わせて手を叩いたり、歓声を上げたり、のりのりでダンスをしたり、その場ジャンプしたりしていた。この宴の楽しみの一つだった。

 また別の交差点付近では、プロのマジシャンが、道路の中央に作られたステージ上で一般人を被験者にして不思議な現象を見せていた。その隣では、プロの犬調教師が十何匹と言う犬たちを自在に操るパーフォーマンスを行っていた。そこから少し離れた場所では、自転車や一輪車を使ったアクロバットや剣や槍や棒を使った剣舞や、古くからある投げナイフ並びに斧投げや、クロスボウを使った射的のような見世物をプロの演者が次々と披露しており、それを見ようと集まった人でごった返して熱気に包まれていた。

 それ以外にも、キリスト教の一流派の説教師が集まった人々を前に宗教の教えについて分かりやすく説明していたり、もしここで注目されるとプロの道へ進めるとのことで豪華景品と副賞をかけてダンスコンテストと一芸コンテストとが盛大に行われていた。

 その他にも、誰かともなく歓声が上がっていた付近では、推定五十フィート以上の身の丈があると思われた人型と宇宙人型とモンスターの姿をしたロボットが、愛想を振りまきながらゆっくり進んでいた。

 そこへ加えて、別の方向へ視点を転ずると、また異なる人だかりができていた。

 そこではバーベキューコンロやガスグリラーや鉄板や大鍋や調理台や専門の調理器械がずらりと設営されており。白いコック服姿の男女が、ムダのない見事な手さばきで料理の腕を振るうパーフォーマンスを行っていた。

 例を上げるだけでも、バーベキューコンロやガスグリラーや鉄板の上では肉の塊がローストされたりグリルされており。終わればその場で無料で振舞われることから肉好きの者達が周りに集ってまだかまだかと待ちこがれていたし。大鍋には色んな種類のソースが仕込まれていたり、そこで使用する食材が茹でられており。調理台では、ハンバーガーやホットドッグやワッフルやクレープを作ったり、寿司を巻いたりおにぎりを握っていた。

 また専門の調理機械が勢揃いしていたところでは、例えばガス窯ではピザが焼かれていたし、巨大な鉄釜ではクリや落花生やトウモロコシをローストして焼き栗や焼き落花生やポップコーンが作られていた。更に油が入った釜では地元で食べられている各種スナック類や具を包んだライスやトウモロコシや小麦粉の生地が揚げられていた。加えてドラムミキサータイプの調理ロボットが、大量にクリームパスタやチーズパスタの仕上げをしていた。

 他にも専用の機械で艶やかな色をした綿菓子やキャンディなどの砂糖菓子やチョコレート菓子や焼きケーキやりんご飴やソフトクリームを作っていた。そういうこともあり、辺りでは押し寄せた子供連れや婦女子の長蛇の列ができており、時折り黄色い歓声が上がっていた。

 無論、当然のことながら四人も例に漏れず、飲み食いしてくつろいだ後は、イベントをあちこち見て回った。そしてときには一緒に参加して楽しんだ。

 

 だがそうはいっても、楽しい時間は早く過ぎるの例えの通りに、それから加速するようにあっという間に時が過ぎていった。

 そうして、提供する食材が無くなったところから食べ物関係のブースが順番に店じまいし、持ち時間の一時間ごとに演者が入れ替わっていたパーフォーマンス関係のブースは、演者が出尽くした時点で終わりを告げ、コンテスト関係は審査結果が発表後に役割を終えていた。

 そのうち、夕方の七時過ぎとなっていた。それでなのか、空の端に弓のような形をした白い月がうっすらと浮かんでいた。

 その頃になると、予想よりも人出があったせいで、あれほど人々に食べ物や飲み物を大量に提供していた軍所有のキッチンカーも、役目を終えたのかどこも無人で、カウンター口にシャッターが下りていたり車体の側面にソールドアウトの張り紙がされていた。ストリートパーフォーマーがライブを行っていたステージや、数え切れないくらい用意されていたイスやテーブルやベンチもすっかり片付けられ、トイレと医療ルームとなっていた大型コンテナハウスも運搬車両に積まれて次々と姿を消して見えなくなっていた。おまけに、あれほど集っていた人々もさっさと帰路につき、いつの間にか疎らとなっていた。もはや多めに見積もってもピーク時の数百分の一といったところだった。

 残った人々は道路上で寝そべるか座り込んでいるのがほとんどと言っても良く。周辺には吐しゃ物が普通に見られたり廃棄された食べ殻やゴミがあふれて散らばっていたせいもあって、まるで弓折れ矢尽きた敗残の兵のようなありさまか様子だった。

 それから尚も時間が経ち、午後の八時過ぎになった頃には、陽はすっかり暮れて辺りは静けさに包まれていた。街灯の灯りのみが、唯一夜の闇の中に光り輝いていた。その段階で、そこで普通に活動しているのは、あちこちに設置されていた大型のダストボックスをクレーンで吊り上げて回収していた運搬車両と路上の清掃を行っていた作業車両と、会場の入場者が忘れていったり放置していった仮装の衣装やウィッグや衣類や下着や帽子や靴やカバンや杖やぬいぐるみやゲーム機器といった粗大ゴミの後片付けを一緒にしていた保安担当スタッフ並びにイベントスタッフの面々ぐらいなものだった。

 食べ過ぎたり飲み過ぎたりして道路上でぶっ倒れて意識を失ったり、苦しそうにうずくまっていたり、気分が悪くなってぐったりして座り込んでいた者達や何かの拍子で怪我をした者達は医療関係者によって応急手当を受けた後にどこかに連れ去られてしまい、今そこに残っているのは夢心地で良い気分に浸っている何も問題のない者達といって良かった。その彼等の多くは建物の谷間を吹き抜けていく冷たい風を避けるように建物や車両の陰に隠れるようにじっと潜んでいた、あたかも忍耐強く耐え忍んでいるかのように。

 彼等がそうまでして最後まで居残るのにこだわりを持つのは、それなりの理由があったからだった。

 それは前夜、作った鍛冶職人の銘からシルヴェチアスピアと呼ばれていた長槍で人形の胴体部を勢い良く串刺しにした際に、当たり所が悪かったり、それとも何かの拍子で折れて使いものにならなくなった長槍の穂先の部分を求めてのことだった。

 というのも、折れた槍の穂先を手中にすると、向こう一年の間、病気にかからず健康にいられる恩恵を受けられるとともに幸運を呼び込めると信じられていたからだった。

 そのため、居残っているのは色々と訳アリの者達で占められていると言っても良く。今年は全部で八本の穂先がダメになったので、一人一回のくじ引き抽選で八人がそれぞれ恩恵にあやかることとなっていた。

 ところで四人もそこに居残っていた、他の者達からポツンと離れた道路の中央分離帯の上に一列に並ぶように腰を下ろして。そこでは、ホーリーとフロイスが、イオミルとクトゥオルフから次々と繰り出される、きょう目のあたりにして疑問に感じたことについて交互に応えていた。それが程なくして終わると、イオミルとクトゥオルフの二人は、ホーリーとフロイスが買い求めて与えた品の中身や外観や質感を熱心に吟味したり観察したり分析しにかかった。もしも持って帰れない場合に備えて頭の中に記録したいということで。二人とも滞在時間が限られていたことから、それはもう貪欲だった。周りのことなど忘れて自分の世界に入り込んでいた。 一方その間、ホーリーとフロイスはそういうことなら邪魔しては悪いと申し合わせると、隣で目を閉じて静観していた。そうしながら一時の休息を取りつつ、宴の終わりをいつもの通りにじっと待っていた。

 さりとて二人は別に槍の穂先を欲しいわけではなかった。二人とも、お祭りが終わった後の余韻が何となく気に入って好きだからという理由でそうしていたまでのことだった。


 建物の谷間に吹く寒風が、ひゅうひゅうと音を響かせながら四人がいた人影のない道路を幾度となく吹き抜けていった。

 けれど四人は今宵の寒さなど何とも思っていなかった。気にならなかった。

 そのうち、時間が経つのは早いもので、九時間近となっていた。偉い人が、堅苦しいあいさつをするのでも来年の抱負を伝えるのでもなく、単に例の岩山から放たれた二発の号砲から始まった壮大な宴は、もうまもなく終わりを向かえようとしていた。あと少しすると宴の終了を伝えるオリジナル曲がテンポよく流れてくる予定になっており。それから抽選が行われ、その段階で八名の勝者とその他大勢の敗者が決定する運びとなっていた。

 その後はバリケードが片付けられて信号機が復活してと順次作業が進められて、午前零時を回ったころには元の道路に現状復帰する手はずとなっていた。


 ところがそのとき、予想もしていなかった異変が既に起きていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

レプリカ 尾岸和奇 @okishi-abc

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ