第96話

 それはあっという間の出来事と言っても良かった。

 一瞬にして、夜の空が異常に明るくなったかと思うと、それまで上空に輝いていた星々も月も見えなくなっていた。そしていつの間にか辺りが淡い黄色がかった大気で満たされていた。ほかにも元々はグレー色であったはずの火山灰が降り積もった大地も同じように鮮やかな淡い黄色に染まっていた。

 ところが、明るくなったというのに遥か先にあったはずの丘陵が不思議なことに何も見えなかった。ただ唯一、静かなのは変わっていなかったが。

 そのような現象が突然起こったことから、瞬時に別の世界へ移動したとか、結界が局所的に築かれたとか、幻覚を見せられているとか、それともそれらをミックスしているとかが想定され。しかもそこへ加えて、その遥か前方の方向に複数の気配が明らかにしていた。


「こいつは、まさか?」


 異常に気付いたフロイスは間髪入れずに一足早く立ち上がると、酔い過ぎて幻覚を見ているのかと眠い目をこすりながら我が目を疑った。だがしかし、それはどうやら夢幻などではないようだった。実際に目の前で起こっていることらしかった。あゝ、マジかよ!? 本当にやって来やがった。来るとしたって少なくとも朝方ぐらいかなと予想していたんだが……思ったより早く来たじゃないか。

 そんな風に実感すると、急ぐように両手を伸ばして広げるや、深呼吸を立て続けに三回行った。たちまち頭のてっぺんから白っぽい蒸気がモヤのように立ち上り、難なく体内のアルコールを抜いていた。

 その間に少し遅れてクトゥオルフも立ち上がると、かなり器用な面を持っていると見えて、フロイスのやり方をそっくりまねて、息を大きく吸ったり吐いたりした。すると同じように頭頂部付近から白っぽい蒸気が立ち上ったかと思うと、酔いが醒めたとみえて、すっかり元の顔に戻っていた。

 程なくフロイスは、ようやく出会えたと安堵の表情を浮かべると、男と顔を見合わせて頷き合った。

 それとともに「あゝ、そうそう」と急いで岩のベンチに取って返すと、肩口まであった長いバトルグローブを両腕に装着して準備を整えた。その間、男はニヤニヤしながら視線を前方へ向けて立っていた。

 間もなくして二人は並んで立つと、


「せっかく良い気分になってきたところだったのに。随分と早いじゃないか。なあおい」


 フロイスはざっくばらんに話しかけた。


「あゝ、全く。その通りだ」


 すっかり酔いが覚めていた男は目をギラギラ輝かせて陽気なノリで気軽に応じた。


「それにしても大がかりなことをするじゃないか。せっかくこっちがわざわざステージを用意してやったというのに。全部がムダに終わってしまうじゃないか!」


「あゝ、その通りだ」余裕のある口振りで相槌を打った男にフロイスは尚も続けた。


「ところで余談なんだが、あいつ等の一匹か二匹を捕まえて、あいつ等のアジトを訊き出さないといけないんだが。だけど、どうも私は手加減が苦手でね」


「俺もだ。そこのところは気が合うみたいだな」


「それじゃあ仕方がない。成り行きに任せようとしようか」


「あゝ、同感だ。それで行こう」


 そう話すうちに、何者かが近付いてくると、推移を見守る二人からあと七、八十ヤードぐらいの地点までやってきて立ち止まった。そして二人をまじまじと見つめてきた。

 その者達は全部で六人いた。全員が成人の男で、見るからにありふれた平均顔をしていた。そして軽装で、どちらかといえばレスキュー隊の制服に似た格好をしていた。例のビデオに映っていたギャングやテロリストのようなラフな格好ではなかった。また何人かは、保身のためにライフルのような長尺ものの武器を手に持ち、背中に大きく膨らんだミリタリーバッグのようなものを背負っていた。

 また彼等は、見るからに戦闘服姿のフロイスと独特な格好をしたクトゥオルフを見ても、全く動じる気配はなかった。堂々としていた。

 そしてその中から一番先頭にいたリーダー格らしい男が、少し間をおいて二人に向かって呼び掛けて来た。


「お前達は何者だ! そこで何をしている!」至って落ち着いた感じの低い声が辺りに響き渡った。


 直ぐにフロイスとクトゥオルフは顔を見合わせ意思疎通を図ると、フロイスがそれに答えるように彼等に向かって叫んだ。


「何をしてるって? 私等はただ星空を眺めていただけだ」


「このような辺ぴな場所でか! しかもそのような風変わりな格好をしてか!」


「それは私等の勝手だろうがよ。それよりお前等こそ何者だ。ここへ来るには道などない。どのようにしてやって来たのか聞かせて貰おうじゃないか? ついでに空も辺りもいっぺんに明るくなったんだが、これはどうなっているんだ! お前等、理由を知ってんだろ?」


「そんなことはどうでも良い。怪しい奴め。お前達はどういう立場にあるのか分かっているのか!?」


「さあね」


「それでは、分からせないといけないようだな」


「何を言ってんだい、この唐変木! あゝ、分からせて貰おうじゃないか!」


 野太い声でどう喝するように返して開き直ったフロイスに、「うふふふ」と男が声に出して笑う声が響いた。それに呼応するように後ろの方でもこれみよがしに陰気な笑い声が起きていた。

 だがしかし、フロイスは笑い声など気にも留めずに問い掛けた。


「ところで、これは余談なんだが、あんた等、デイライトゴーストなのかい?」


 相手が何者か確証がなかったので探りをいれたフロイスに、果たして彼等は一瞬棒立ちのようになると、口を閉ざした。それまでの余裕が消えて表情がどことなく硬くなっていた。

 そんな男達の率直な反応に、これは脈がありそうだなとフロイスは見て取ると、すかさず言葉を継いだ。


「いや、なぁーに、別に大したことじゃないんだ。デイライトゴーストに酷い目に遭った者達から、もし出会うことになったら自分たちに変わってお世話になったお礼をしておいてくれと頼まれていてね」


 人を子馬鹿にしたようなフロイスの言葉に、男達はとっさに凍り付いたようになり、重苦しい空気が立ち込めた。だが程なくしてリーダー格らしい男が薄っすらと笑みを浮かべて、


「何を言っているのか、さっぱり分からないな」と、落ち着き払った口調で否定した。


「さて、どうかな?」フロイスは男がシラを切っても少しも動じなかった。それどころか、


「デイライトゴーストに遭いたがっている者は無数にいるんだ。何しろ高額な懸賞金がかかった賞金首なのだからな。私等もその中の一人なんだ!」と、あおる発言をした。


 その途端、黙って聞いていた男の額の辺りが金色に輝くと、何かしらの記号のようなものが突然浮かび上がった。その瞬間、フロイスはハッと目を見開いた。やっと見つけた。ビデオで見たタトウーとそっくりだ。こいつ等は正真正銘のデイライトゴーストでほぼ間違いないな。


 それとともに大気の状態が変わった。空気が小刻みに震えた。フロイスとクトゥオルフの二人は知る由もなかったが、絶対服従の儀能が発動していたのだった。想定では、相手は精神支配を受け、自らの意思に関係なく、意のままに繰られる手はずになっていた。


「どうだ、気分は?」凄みのある低い声が響いた。


「一体何のことだい?」一瞬フロイスは内心キョトンとした。

 そのときフロイスは何が起きているのかさっぱり分からなかった。どちらかと言えば、目の奥の方に心地よい刺激がちょっと流れ込んできたぐらいのものだった。だが男の口振りからある程度は察することはできた。

 これはもしかして、あのタトウーの輝きは洗脳やマインドコントロールと関係しているのかもな。

 幻術師や催眠魔法師が良く使う手だ。あの金色の輝きが曲者で、見たら最後、目に見えない光の粒子が目を通して脳内へ侵入してきて意思決定判断を司る脳領域の回路に作用して一時的に機能をマヒさせるんだ。もしそうなったら、やられた方はもはや相手の思うつぼで、相手の言いなりに従うことになるんだ。

 だけど同じ能力持ちの私には通じやしないよ。あっ、それはそうと、あいつは、あいつはどうなっている? 罠にはまっていなければ良いが。

 ふと気になって隣に立つクトゥオルフの方をチラリとうかがうと、つまらなそうな表情で立っていた。かかったら大体はぼーっとして視点が定まらない顔になるか、目が死んだようになってしまうもんだが、こいつは大丈夫そうだな。魔人の脳内は人間の脳と違って特別な構造をしているのか、それとも鈍感なのかそれは分からないけれど。一安心して視線を元に戻すと、その場のノリで応じた。


「何を言ってるんだ!?」


 すると男は自信満々に悠然と構えると言った。


「まあ良い。直ぐに分かることだ。それじゃあ話して貰おうか、お前達の素性をな。お前達は一体何者で誰に頼まれたのだ?」


「不思議なことを訊くものだな。私等がお前らの都合の良いように応えるとでも思っているのかい?」


「これはこれは、お前達は何も感じないたちなのか?」


 スラスラと素直に応えてくるはずが、そうならなかったことで戸惑いが生じたのか男は訝しがるように小首をかしげると、呆れるようにぼそっと呟いた。


「お前達は特異な体質なのか?」


「あゝそうさ」


 余裕しゃくしゃくで口裏を合わせたフロイスに男は冷ややかに苦笑すると言った。


「まあ良い。さすがたった二人で待ち伏せしていたことはある。命知らずな度胸だけはほめてやろう。だがそこまでだ。お前達はもはや我々から逃げることができない。なぜなら我々が張った結界の中にいるのだからな。この中ではどのような抵抗をしようが無駄だ」


「ふーん、そうかい。でもやってみなければ分からないと思うんだけれどね」


 自信ありげに言い放ったフロイスに、男の周りの者達から再び笑いが漏れた。


「それじゃあ一応やってみれば良い。ムダだと思うが、悪あがきを見せて貰おうか?」


「あゝ。私等を余り舐めないことだ」フロイスは気合いの入った眼光を飛ばしながらまくしたてた。


「後で吠えづらをかくことになっても知らないよ」


 相手が手の内をばらして見せてくれたのは、フロイスにとって好都合だった。

 ふーん、なるほどね。私等は結界の中に閉じ込められているってわけか。そういうことなら話が早い。こいつらを殺れば理屈的に元へ戻ることができるということだな。

 だが魔人を引き連れただけでデイライトゴーストが釣れるなんて、一体どうなっているだろうね。これだけは私にもさっぱり分からないよ。あとでセキカに理由を訊いてみないとな。


 ところでフロイスは、結界には相手を逃さない以外に別の効果も持たせてあったことを知る由もなかった。隣に並んで立っていたクトゥオルフも同様といって良かった。

 その一つは、自律神経を乱して動きを鈍らせたり、身動きを取れなくして自由を奪ったりと目に見えない形で相手側に負荷をかけて戦闘力を奪い取る効果を持たせてあった。

 そしてあと一つは、大気の組成を変化させて酸素が少ない環境、即ち魔法使いや能力者が力を十分に発揮できない状態を作り上げていた。

 ところが偶然にもフロイスとクトゥオルフには、それらが残念ながら当てはまらなかった。

 前者については、二人とも無意識下で力任せにはねつけて無力化していたし。後者については、環境が過酷な地下での暮らしが長かったフロイスや環境が異なる魔界からやって来た男にはそのような常識は通じなかったのである。


 そしてフロイスは少し間をおくと尚も続けた。

 

「ちょっと言わせてもらうが、あんた等、無防備過ぎるぜ。こっちは準備が全て整っているというのによ」


 相手をあおるその一言で、一気に一触即発のピリピリしたただならぬ気配がはりつめ、いつ戦闘が始まってもおかしくない雰囲気となっていた。

 そのような不穏な空気の中、リーダー格の男だけは落ち着き払った様子でフロイスとクトゥオルフとを嘲笑うように睨みつけると、わざと嫌味たらしく、

 

「直ぐにでも我々とやりたいのは分かる。だが、直に身の程を知ることになるだろうよ」そう吐き捨て、一呼吸置いてから言い足した。


「それではそちらの要望通りに応えてやるとしよう」


 次の瞬間、男の言葉に呼応するように後ろに立った残りの者達の何人かが、背負っていたミリタリーバッグをほぼ同時に地面に降ろした。それがきっかけとなって、身軽となった彼等は肩に担いでいた銃身の長い小銃やランチャーを手に取ると、狙いは適当に先に仕掛けた。

 刹那。辺りに一斉射撃の乾いた銃声音が鳴り響いた。

 それを一足早く目の辺りにしたフロイスは、それじゃあ打ち合わせ通りにな、とクトゥオルフに目で合図を送ると先に動いた。かの男もようやくスイッチが入ったらしく冷静沈着な表情で身構えた。

 フロイスは、銃弾の雨を第六世代の戦車の装甲を遥かに凌ぐ重武装によって、ものともせずに弾き返すと、遅れて投網のように拡がって飛来して来た捕獲ネットを手で払うようにして避け、どうせならあいつから情報をとってやろうと目標としたリーダー格らしい男の元へ脇目もふらずに駆けた。それを見た当の男は、とっさの判断で両手に持っていた杖タイプのスタンガンを、胸元辺りにX字に交差させて防御の構えを取った。近接戦に備えたのだ。

 ところが、もうあと三十フィートほどでという地点で突然スピードを緩めて立ち止まると、身構えた男の腹部辺りに向かって、どう考えても届きそうにない横一直線の回し蹴りを放った。その結果、当然のように蹴りは空を切っていた。

 しかしながら蹴りは、いわゆる残撃という形でガードががら空きの男の腹部に見事にヒット。途端に、直接当たらなかったにもかかわらず、「ドスン」と大きな岩の塊が地面に落ちたような鈍い音が響いたかと思うと、男の体が直角に折り曲がって六、七十フィ―ト先まで吹き飛んだ。

 直接当てるのもだけど、頭を狙ったんじゃ幾ら手加減をしていても一たまりもなく死んでしまうからね。そう言った配慮が働いていた。

 よし、何とか上手くいった。これで心置きなくやれる。

 ふとクトゥオルフの方に振り返ると、彼は器用にもフロイスの真似をして、同じく前衛にいて刺叉と呼ばれる敵の動きを封じる武器を持っていた男を蹴り飛ばしたところだった。

 ――クトゥオルフのお兄さんもやるじゃないか。打ち合わせ通りにやってくれたみたいだな。これで最低限の人数は確保できた。あとはいらない。邪魔だ。ぶち殺すまでだ。

 フロイスとクトゥオルフは互いに頷き合うと、直ちに次の行動へと移った。

 それからというもの、圧倒的な力を見せつけた二人の独壇場と言って良く。仲間二人があっけなくやられて呆然となった四人は手にした銃を狂ったように乱射したものの、二人はお構いなしに突っ込んでいくと、キック、パンチ、手刀を強引に繰り出してめった打ちにした。もちろん直接当てはしなかったが。そうして四人に何もさせることなく、ものの数秒で終わらせていた。

 二人は造作も無く決着を付けると、それぞれが生かしておいた者の方へ向かった。一ヶ所に集めて知っていることを白状させるためだった。

 二人が仕留めた男達はいずれも体を折り曲げた状態で地面にうずくまっていた。彼等は死んではいなかったし気を失ってもいなかった。一人は鼻で息ができないのか口をパクパクさせていた。あともう一人は口から血の混じった泡を吐きながら時折りせき込んでいた。両人とも、どうやら骨折どころか内臓にも重大なダメージを負って動けないようだった。おまけに傷みの感覚がマヒして状況を冷静に判断できないのか、きょとんとした表情をしていた。

 そのような状態であったから男達はかたくなだった。フロイスが何度声をかけてもニヤッとしたり不気味に笑って何も答えようとしなかった。そこへ加えて思った以上に重傷だった。率直に言うと死にかけていた。果たして、それから程なくして二人の男は相次いで息を引き取リ動かなくなっていった。

 それを目のあたりにしたフロイスは、死んだ彼等をぞんざいに足蹴にしながら、呆れたとため息を付いた。


「何だろうな、この弱さは?」


 正直なところ、彼女は意味が分からなかった。相手が仕掛けたトラップのことなど微塵も知らなかった。

 あゝ、興ざめだ。こんな弱っちい相手にビッグパンプキンを始め教会も裏シンジケートの三団体までもが振り回されて、血眼になって追っていたとはな。

 いつの間にか周辺は元の暗闇に戻っていた。しかし二人にとって大したことではなかった。二人の目の前には夜行性の動物が見ているモノクロの世界が鮮やかに拡がっていたのだから。


「あゝ、手加減は難しいね」


 本音のようなものを漏らしたフロイスに男は苦笑いを浮かべて頷くと応じた。


「ちょっと力の入れ具合を間違えると相手に避けられてしまうからな。そのあたりのコツが難しい」


「あゝ、その通りだ」フロイスは素直に同意すると言った。「ま、良いさ。生け捕りにした奴等がダメであってもまだ手がある。こいつ等が残した荷物がね」


 だがそのときフロイスの脳裏に、全てがモノクロに見えるのでは、もし荷物にトラップが仕掛けてあった場合は見分けるのは難しいかもなといった不安がちらりとかすめた。


「でもここは慎重を期して明るいところで確認しようかと思うんだが。どうだろうな? 何せ触ったら爆発するトラップが仕掛けれているとも限らないからね。もしそうだったら手掛かりが全て吹き飛んでしまって何をしているのか分からないと思うんだ」


 そう言ったフロイスの提案に、男は直ぐに「なるほどな。確かにそうかも知れない」と物分かり良く同意すると、「それでどうするつもりだ?」と疑問を投げかけた。すると間髪入れずにフロイスはにやりと笑いかけると言った。


「あゝ、便利なものがあるんだ。私に任せろ。その間あんたは、まだ残党が隠れ潜んでいるかも知れないからその監視を頼むよ」


「あゝ、分かった」


「じゃあ、お願いするよ」


 さっそく男に周囲を見張らせると、フロイスは依然として眩い光りを放っている外灯の方向へ足を向けた。そして、地面と同系色のグレー色をしたシートがかかってこんもりと盛り上がっている箇所までやって来ると立ち止まり、前屈みとなって覆っていたシートの一部をめくった。すると、小ぶりのレンガが山のように積んであった。

 フロイスはその一つを無造作に取り上げると、その表面に付いたヒモのようなものに火をつけて、ひょいと軽く前方へ投げた。レンガは地面に落下すると、すぐに綺麗なオレンジ色をした火柱が四フィートぐらいの高さまで立ち上り、周りを明るく照らした。

 それ自体は木炭と石炭と酸化剤からなる燃焼物に火属性の魔石クズを混ぜ込んで成型したもので、昔から魔石の二次製品として魔道具や魔法雑貨を取り扱う商店で、煙が出ない松明として、またはちょっとした夜の雰囲気づくりとしての照明として、或いは焚き火の種火として普通に売られているものであった。従って、それほど珍しいものではなかった。

 それからフロイスは同じことを十回ほど繰り返すと、闇に包まれていた景色が見る間にキャンプファイアを所々でしているような程よい明るさとなっていた。


「よし準備が整った。始めるとしようか」


 見事なものだなと感心しながら、辺りに立ち上る灯りを腕を組んで見つめる男をよそに、フロイスは立ち上がると、時をおかずに作業へと取りかかった。ま、何だかんだと言ったって油断は大敵というし。もたもたしてて次が来たんじゃ目も当てられないからね。

「先ず、こいつ等の後始末をしなくちゃあならないとはな。あゝ面倒くさいぜ」とぼやきながらセオリー通りに男達の亡骸を引きずってきて適当に一ヶ所に集めると、目ぼしいものを持っていないかどうか型どおりに確認した。それと同時進行で彼等の遺留物であるミリタリーバッグを回収。慎重に中身を取り出してあらためた。

 結果、彼等が撃ってきた銃は殺傷能力が無いに等しいショットガンやランチャーだった。そこへ加えてリーダー格の男が持っていた二本の杖やクトゥオルフが倒した男が持っていた刺叉といった名の武器も致命傷を与えるまでいかなかった。

 また放置されていた四個の大きく膨らんだバッグからは、予備の着替えと靴と帽子とメガネ、皮手袋・指紋防止手袋ニダースから始まって、散弾とネット弾の予備や拷問に用いる帯電ムチ。同じく拷問に用いる万能ナイフ、携帯式の小型スタンガン、使途不明のカプセルが入ったガラスの小ビンが四個、 重量物運搬用のチェーンフック、万能ロープ、遺体を収納する袋、捕縛用の催涙ガスや強力接着剤が入ったスプレー缶タイプのハンドガンが全部で五丁出て来た。そして一番待ち望んでいた、各種クレジットカードと電子マネーと外国の紙幣とコインと免許証と会員証カードとメンバーズカードと領収書とレシート類が入った六個のポシェット、パスワードロックがかかった携帯も全部で六台、通話履歴が残らない無線機も一台含まれていた。

 捕獲用の武器に、ショットガンにランチャーか。いずれも殺傷力は無いに等しいから、どうやら私等を生け捕りにするつもりで来たらしいね。そう思いを巡らすと、フロイスは得られた戦利品を遺体袋の一つにまとめて放り込み岩のベンチのところまで運んだ。

 その間、男はフロイスの指図が理にかなっていたせいもあってか、異論を挟むこともなく黙って監視業務を務めていた。そして時折り、フロイスがやっていることをチラリと見ては、感心するようにニヤニヤ笑っていた。


 およそ三十分ほどかけてそれらの作業を済ませると、最後に死んだ者達の後始末にかかった。適当な場所に複数の数量を埋めるのに見合った、ざんごうのミニ版のような横に長い深めの溝を簡単に一つ掘ると、次から次へと放り込んで、最後に土を上から被せていった。それが終わると、休憩しようと男に声をかけて一緒に岩のベンチの上に仲良く腰掛け次の襲撃を待った。

 これら六人の男達は自分たちを生け捕りにしに来たと想定して、思ったより行動が早かったことから、もしそのことが失敗した折りには、次の選択として再度の襲撃が近いうちにあるのが一般常識だといった経験則が働いてのことだった。

 その間、フロイスは気を利かして冷蔵庫が置いてあるところまで向かい、甘いソーダ水が入ったよく冷えたペットボトルを二本、手にして戻ってくると、男に説明を加えながら一緒にラッパ飲みして一息入れた。そしてその後、二人でのんびりとたわいない雑談に興じた。

 そのうちに夜が明けたと見えて、藍色一色に染まっていた空がいつの間にか白んで、あれだけ綺麗に輝いていた星々が何処へ消えたのかほとんど見えなくなっていた。月も然りで、知らない間に白っぽくなってどこへ行ったのか分からなくなっていた。また暗い辺りをそれまで照明代わりに明るく照らしていた無数の火柱も全てかき消えてしまっていた。

 そのような頃のこと。突如として周りの景色が再びあの淡い黄色がかった色へと切り替わった。それも前回より心持ち程度、やや濃度が濃い目で、しかも霧まで発生していた。

 ちなみに二人は気付いていなかったが、結界内は並の人間が即座に卒倒してしまうほど空気が薄くなっていた。


「また同じ結界か。待ってみるものだね。本当に来たみたいだ」「こうこなくてはな。物足りなく思っていたところだ」


 フロイスとクトゥオルフの二人はそれを目の当たりにして思わず苦笑した。

 刹那。霧のせいで遠くまではっきりと見通せなくなっていた彼方から、「ダダダダーン、ダダダダーン、ダダダダーン、ダダダダーン」と、かなりな数の機銃の発砲音がそれまでの静けさを破るように連続して鳴り響いた。時を移さずに、上空から「ヒューン」と風を切りながらロケットドローンが弧を描いて飛来した。

 ――ま、何だかんだと言ったって、私等はついているみたいだ。

 とっさに二人は、座っていたベンチから跳び上がるように立ち上がると、反射的に左右に分かれた。

 次の瞬間、二人がいた辺りから数フィートから十数フィート離れた地点に「ドーン、ドーン、ドーン」と大きな爆発音が複数連続して周囲に鳴り響いたかと思うと、火柱が十数フィートの高さまで立ち上り、同時に生じた黒煙が辺りを包み込むように上がった。それらはまさに集中砲火といっても良かった。


「中々やるじゃないか」「さてどうしてやろうか」


 二人は二方向から銃撃音が響いた地点を目指して戸惑うことなく一目散に駆けた。一発や二発はくらおうが何でもないという態度で撃ってきた銃弾の軌道をかいぐぐると、閃光を走らせながら降って来たロケット弾を手の残撃の反動を使って打ち払い、立ち止まることなく突進。

 そのような具合いにして、いきなり銃撃して来た者達の元まで距離を詰めていくと、果たしてそこには武器を身構えた十数名の、全身黒ずくめの服装をして、いずれも装甲ギア(いわゆる金属製の仮面みたいなもの)で顔全体を隠した不審者がいた。

 ところが二人が近くまで行くと、彼等は撃ち方を止めて三つのグループに別れるや、立ち込めた霧を上手く利用して瞬く間に姿をくらました。

 それを目の当たりにしてフロイスとクトゥオルフは一瞬立ち止まると、呆気に取られて顔を見合わせた。そのときだった。再び銃声音が閃光とともにいきなりこだました。今度は三方向からだった。二人は困惑した目で頷き合うと、直ちに別々に銃声音がした方向へ向かった。その後、襲撃者は目まぐるしく動き回って遠くから攻撃を仕掛けては直ぐに別の方向へ逃げるという戦法に出た。それはまさにイタチごっこのような、切りのない追いかけっこと言っても過言でない様相を呈していた。至近距離での戦闘を避けていることから、かく乱戦法を取っているのか、持久戦を挑んでいるかのどちらかと思われた。

 それからというもの、フロイスは相手のなすがままになっていた。それほど時間が経たないうちに、何と十回近く取り逃がしていた。銃から出るマズルフラッシュを目印に間合いを詰めて捕まえに行こうとすると、人間離れした感覚で気付いて直後に攻撃を止め、さっと身を翻すや、霧で視界がそれ程利かないことを上手く利用して、自分の庭のように結界内部を思うままに駆けて何処ともなく逃げ去るのだった。


「このー、ふざけやがって!」「てめえら、馬鹿にしているのか!」ついつい不満を爆発させていた。正直言って、やりきれない思いだった。


「ちぇっ! 何てあざとい野郎たちだ。こっちを罠にはめるためにわざと時間を稼いでいるのか、それとも時間をかけてこっちの弱点を探ろうとしているのか、或いはこっちを焦らせて隙ができるのを待って逆襲に出るつもりなのか? いずれにしたって、この状態だといまいましいがどうにもならない。相手の意のままに動かされている。何とか対策を立てないと……」


 そのようにフロイスが彼等に翻弄されて困惑し切っていたとき、あろうことか結界が消滅して元の景色に戻ったらしく、淡い黄色一色の辺りの景色が忽然と消えて早朝の清々しい光景に切り替わった。それを如実に物語るかのように、少し先にあった、同じく降り積もった火山灰の影響で不毛の大地と成り果てていた一帯や、その遥か先にあった小山が連なる峰々までもがはっきりと見渡せることができるようになっていた。


「おい、嘘だろう。結界が消えちまった。あいつがやったのか?」


 何が起こったのか分からないままフロイスが目を凝らして周辺を見渡すと、ずっと先に人影がひとつ立っているのが見えた。その特異な姿格好から魔界からやって来た男、クトゥオルフに間違いなかった。しかも男の直ぐそばに人の姿をした黒っぽいものが複数転がっていた。どうやら襲ってきた者達であろうと思われた。 いずれも死んでいるらしく、微動だにしなかった。そして、ちょうどその反対方向にも、またそこから幾ばくか離れた地点でも、そのほかにも別の二ヶ所でも同じように人のようなものが複数転がっている光景が見て取れた。


「へえー、やるじゃないか」思わずフロイスは感嘆の声を漏らした。


 ほうー、全部で五ヶ所か。三つのグループに分かれたと思ったんだが、実際は五つのグループに分かれて私等を手玉に取っていたってわけか。上手く考えたものだな。

 もう笑うほかなかった。男がどのような方法でやったのか不思議でたまらなかった。戻ってきたらあいつに絶対に訊いてやろう。

 そう思うまもなく、堂々とした足取りで男は戻って来た。何事もなかったかのように平然とした顔をしていた。フロイスは男を笑顔で迎えると、開口一番に問い掛けた。


「で、どうやったんだ。あんなすばしっこくて連携の取れた連中をどうやって一人でやったんだい?」


「あゝ。別に目新しいことはしていない。普段通りのことを普通にやったまでだ」


 男から素っ気ない返事が返って来た。


「それって、どういうことだい? できればもう少し詳しく知りたいな」


「知ってどうする?」


「あゝ、参考にしたいと思ってね」


「知ったところで一概にマネできるものではないぞ。この俺だって習得するのに何年もかかったのだ。それでも知りたいか?」


「あゝ、もちろんだ。私は不思議なことは確かめないと気が済まないたちなんだ」


「そうか、わかったよ。本来これは、俺自身の生活が立ち行かなくなってしまうので向こうでは絶対話すことはないのだが、競争相手がいないここでなら、まあ話しても別にさしつかえないだろうしな 」


 そう言って、何かを考えるように一呼吸おくと、にっこり笑って続けた。


「ただし、その交換条件として、そうだな、先にくれた気分が爽快になる水を頼みたいな」


「あゝ、あれのことだね。たぶんまだあった筈だ。あんなもので良ければ構わないが。ただ、もう少しゆっくり味わうようにして飲んで貰わないとね。あんな速さじゃあ、終いに酔っぱらってぶっ倒れてしまうぞ」


「あゝ、その点は注意する。あのときは飲んでいるうちに気分が良くなって加減ができなくなってしまったのだ」


「ところでちょっと聞くが、そっちの世界ではそのようなものはないのかい?」


「あゝそのことか。あることにはあるが、こちらの世界みたいに味わって飲むような習慣はないのだ。大概は水の代用品としてとか、身体の栄養となるからとか、やる気を引き出すために飲むために、臭いと味が全然なかったり、臭いも味も糞みたいだったりするのだ」


「そうかい。それじゃあ、また座って待っていておくれ。準備するから」


「あゝ、分かった」


「それはそうと、その前に私はあいつ等の後始末をするから、あんたには悪いがもう一度周辺の監視を頼みたい。あのまま奴等を放って置くわけにはいかないのでね。なーに、簡単に済ますからすぐ終わるさ」


「あゝ、了解した」


「それじゃあ、よろしく頼むよ」


 そう言い残すと、フロイスは複雑な気分で直ちに作業するために現場まで向かった。あゝ、ここまで気を遣うのは生まれて初めての経験だよ。それにしてもあいつは動きも力も半端じゃない。私とやっても良い勝負かもね。

 現場まで向かいながらフロイスは、五ヶ所に固まって死んでいる襲撃者をどう処理するべきか考えた。その結果。前回は人数が少なかったせいもあって一ヶ所に集めて埋めたが、今回は人数が多かったこともありその場で穴を掘り埋めることが合理的で手っ取り早いと判断。


「あーあ、ご愁傷様。せっかく策を巡らせてうまいことやったのにね。どうやら相手が悪かったようだ」などと悪態をつきながら即座に実行に移した。そのとき彼女はクトゥオルフに隠れて乱暴な一面を顕わにすると、付近の地面に散らばっていた遺体となった男達を、サッカーボールを蹴るように手を使わずに足蹴にしながら、


「手間を掛けさせてくれたね」「おい、何とか言えよ」「あゝ死んでるのか」「すまなかったね、物言わぬ死人に話し掛けて」「私としたことが、あゝくだらねえ」「あゝ面倒くさい」「本当なら軽く燃やして灰にして終わりなんだけれどね」「そうすりゃこんな邪魔くさいことをしなくても良いんだけれどね」「でもそのあと、利用価値が出てきたら後がうるさいからね」「埋めるだけにしておいてやるよ」「後で何も問題がなかったら燃やして灰にしてやるからね、それまでの辛坊だ。それまでそこで大人くして死んでろ」などと毒づいて、掘った深めの溝に次々と粗っぽく放り込んでいった。強いて言えば、フロイスはどこまでも用心深い同僚のロウシュと並んで死者に対しても容赦がないのだった。


 その折りに分かったことは、襲撃者の人数が何と二十五名に上ったことだった。二手に分かれてホーリー達の側にも同じ数が向かったとなると、それ自体けっこうな人数になるな。

 また襲撃者の誰もがキャットスーツとかゴディスーツなどと昔から呼ばれている身体にぴったりフィットしたウエアを着用していたことだった。このタイプはポケットらしいものが付いてないんだ。素性や身元が割れそうなものを捜したってたぶん無理だろうな。

 そしてナイフやハンドガンや閃光弾や発煙弾といった武器を所持していた。武器に自分の住所や名前を書く物好きな野郎なんていないしな。

 他にも、その中には付けていたマスクが外れた者もいたりして、偶然にも襲撃者の顔を見る機会があった。だが、いずれも黒い肌をしたただの人間の男の顔であった。全然特徴のない野郎なんて私は苦手だ。こんな場合はどうしろと言うんだ。

 よって、彼等からは何も得られなかった。たった一つだけ確信したこと以外は。こいつ等は確実に私等を殺りに来たみたいだ。


 間もなくして、フロイスは全ての作業を終えると、監視役を頼んでいた男の元まで足を運んだ。

 そのとき男はぼんやりと辺りを眺めて暇そうにしていた。「こちらは片付いた。さあ行こう」とフロイスが声をかけると男がニヤリと微笑んだ。「あゝ、分かった」


 それから二人が一緒に向かった先は、何も変わりがない景色が拡がっていた。

 そこには、明るくなったので自動的に消灯していたものの、外灯が一基、破損している様子もなく整然と立っていた。

 その隣の岩のベンチも変化が見られなかった。破壊されてはいなかった。その周辺も同様で別に変ったところがなかった。どうやら一切は結界の中の出来事であったらしかった。

 二人は岩のベンチの前までやって来て立ち止まると、さっそくフロイスが口を開いた。


「準備するまで、そこに(岩のベンチに)腰掛けて待っていておくれ」


 そう伝えながら急いでバトルグローブを再び脱いで武装を一部解除すると、一目散に冷蔵庫が置いてある場所へ向かった。

 そして男に約束した通りにラム酒の中ビンを自らの飲みさしの分を含めて二本と、そのついでとしてレモン風味の微糖炭酸水が入るボトルとシェラカップと呼ばれる野営やキャンプのグッズで定番の金属製のカップを二個持って戻った。

 それから、「今からまた別の飲み方を教えようと思う。きっと気に入って貰える筈だ」と前置きすると、男が好奇な眼差しで見ている前でシェラカップの中にラム酒を少し入れ、そこに炭酸水を八分目まで注いでラム酒のレモンソーダ割りを作って披露した。

 そのとき、炭酸のきめ細かい泡がカップの中にじわじわと立って、レモン果実エキスの酸っぱい香りが仄かに鼻をかすめたことに、男は「ほーう、くだもののような良い香りがするな」と感嘆の声を上げると、「のど越しが良いからスキッと飲める筈だ」と勧めたフロイスへ向かって、「ものは試しだ。味合わせていただく」と言って一口呑んだ。

 そして、いっぺんに気に入ったらしく、「これは美味い」と叫ぶと、こんな飲み方もあったのだな、この味を俺の世界に持って帰りたいくらいだと感心しながら、数口で一気に飲み干した。

 そこへホーリーが気を利かして「ほーう、そうか。それじゃあもう一杯いけ」と勧めると、男は「それじゃあ、もう一杯頼む」と応じた。「はい、ほらよ」とフロイスがラム酒のソーダー割りのお代わりを作ってやると、ものの数口で飲み干してしまっていた。よっぽど気に入ったらしく、男はそんな具合いにして立て続けに五杯あおると、すっかり上機嫌となっていた。そして六杯目にかかったとき、ようやく思い出したように、


「あゝ、そうだった。約束だったな。仕留めたやり方を教えるのだったな」と、フロイスの前で切り出すと、口も滑らかに語った。


「なーに、あれは親父直伝の必殺技を試したんだ。そうしたらそのものずばりで上手くいったというわけだ。

 あのような視界の悪い中で俺達を的確に攻撃して来るには何か訳があるなと踏んでな、これは俺達の体から出ているわずかな気配や熱を感知しているか、それとも予めに不可視の印を付けておいてそれを目印にして攻撃をしているのではと思ったんだ。

 そういうわけで、詳しい方法は省くが、俺が普段身に着けている身の回り品の小物から俺の模造品を五体ほど作り上げて、そいつらに殺気をまとわせたんだ。しかも強弱をつけてな。偽物だと分からなくさせるためと別の新手がいるのかと勘違いさせる意味もあってだ。

 それから不規則な動きをするようにして一斉に解き放ったのさ。そうすると効果てきめんで、直に俺がいた地点でない見当違いの方向へ向かって攻撃があってだな。その機に乗じて攻撃をして来た場所を突き止めてだな、その背後に回ったという寸法だ。

 親父はこの駆け引きを使って、普通何人もの人手をかけてやる狩りをたった一人で難無くやっていたのさ。

 用心深くて逃げ足の速い獲物や屈強な獲物を狩るのに、真正面からいったのでは直ぐに逃げられたり、こちらが逆に殺られてしまう。そんなときは地味なやり方だが、ひとまずオトリを作って相手の気を引き、その間隙を突いて仕留めるのさ。ただそれを普通にやったまでのことだ」


「なるほど」話を好奇の目で聞いていたフロイスは納得すると思わず唸った。「凄いな、あんた」


 そういうことか。単純に魔法で分身を作り出すというのは良く聞くが、それに何と高等生物のような気配を持たせるなんてな、そんな魔法があるとか聞いたことも見たこともないよ。さすが向こうの世界でモンスターハンターの仕事をして生活しているだけのことはある。


「あゝところで、ついでにいっておくけれど、これであんたへの依頼の件は全て終わったとみて間違いないと思う。後はあんたの希望を聞き届けるだけなんだけれど、行ってみたいところとか体験してみたいことはあるかい? あったら今ここで話して欲しい。無茶なことや不可能なことを聞き入れることはできないが、私にできる範囲ならある程度は融通するつもりでいる」


「あゝそのへんは、あんたに任せるよ。俺はそちらの世界のことをさっぱり分からないままに来たんだ。どこへ行けば良いか皆目分からないし、体験するにも短い滞在期間で範囲は限られてくると思う。あんたの思う通りにしてくれたら良い。俺は気にしない」


「そうか。それじゃあ、お任せということで良いのだね」


「あゝ。ただしセキカから既に聞いて知っていると思うが、俺の世界とあんたの世界じゃあ、時間の進み方が根本的に違う。たとえ、あんたが眠る時間帯であっても、俺は眠らなくたって全然平気だ。そのつもりで案内を頼みたい」


「分かった。了解した」フロイスは同意すると、こっくり頷いた。ということは昼夜関係なく案内して回らなくちゃあならないってことかい。こりゃ面倒だな。


「それじゃあ時間が許す限り案内させて貰うよ」


「あゝ頼む。良い手みやげができそうだ」


 そう言うと男は手に持っていたシェラカップを口元へ持っていき、一気に中に残っていた液体を飲み干し口をぬぐった。そして満足そうににんまりした。その光景を目にしてフロイスは薄笑いを浮かべると思った。

 本当はこのようなことをしている場合でないのだけれどね。一刻も早くこの地を発ってホーリー達と合流しなくちゃあならないのだけれど。しかしこの状況ではほとんど無理だ。

 でもまあ良いさ。これまでの緊張をほぐす為にもこのような余興は無いよりあった方が良いだろうし。ここはホーリーに連絡しておくぐらいで大丈夫だろう。

 そう思い立つと、フロイスは飲みかけのラム酒のソーダ割りが入ったシェラカップを一旦ベンチの上に置き、ホーリーと交信する作業に取り掛かった。

 ちなみにフロイスは、すぐ壊れるからという理由で携帯を普段から持っていなかった。もし連絡が必要なときは携帯を持つ者に頼んでいた。そうは言っても連絡をしなければならない場面でそのような頼める者がいない場合は、その代わりとして、携帯やインターネットがまだ普及していなかった時代に頻繁に使われていたのだが、――契約した相手一人としか交信ができない。不特定多数の相手とは不可能。メールと同様に文字での交信で、しかも一度に送れる文字数が十文字程度と限られている。従って簡単な会話しかできない。交信の記録が残らない。交信ができるようになるまではある程度の練習が必要。――といった理由から、現在に至って余り使われなくなっていた交信魔法の一種を発動させて使っていた。


 先ず手始めとして、人差し指の先を口に入れて唾で湿らせると、自らの腕の付け根辺りを唾で湿らせた指先でトントンと三回ほど軽く叩いた。

 すると叩いた辺りが黒っぽく染まった。実を言うと、電話の呼び出し音の代わりをする行為で、相手は同じ箇所を誰かに触れられたような不思議な感覚を覚える運びになっていた。――これでホーリーが気付いてくれれば同じように返してくる筈だ。

 それを十数秒の間隔を開けつつ三度繰り返した。そうするとフロイスの腕に太字のマジックインキで書いたような文字が三個浮かび上がった。向こう(ホーリー)からの返事だった。――二人とも無事だったみたいだね。

 後は腕から手の甲迄の文字が書ける範囲で、筆談で応えていくだけだった。それからは指を舐めては腕に簡略化した文章を書くという方法でやり取りをして、お互いに情報交換をし合っていた。

 ところでフロイスのその様子は目だたない筈はなく。横にいた男は気になったのか、不思議そうな目で覗き込んでくると、フロイスの腕に現れた奇妙な記号の羅列を目にして訊いて来た。


「それは何かのまじないか?」


「いや」フロイスは男を見ずに首を横に振ると応じた。「向こうと連絡を取り合っているんだ。二人とも無事だと返事が返って来たよ」


「ふん、そうか」


 男は素っ気ない返事をすると、ぷいと横を向いて再び飲み始めた。どうやら全く興味がなさそうな雰囲気だった。


 情報のやり取りはものの数分で終わっていた。返ってきた返事に、いっぺんに気が楽になったフロイスは、これで一区切りついたと腕に現れた文字を消去するために交信の魔法を解除すると、思い出したように一旦その場を離れて冷蔵庫へ向かった。一安心したらどうしてお腹がすくんだろうね。あゝ困ったものだ。

 そして、ものの一、二分もしないうちに、小腹が空いたときに用にと備蓄してあった大振りのドライソーセージが半ダース入った大袋と中型サイズの白身魚の切り身をビネガーオイル漬けにしてからくん製に加工したものが四切れ入った袋と、あと生地にじゃがいもを練り込んだホットドッグパンが真空パックされて四個連なったものを持って戻ると、一緒に持ってきた使い捨ての紙の皿に中身を出して並べた。それから、特に意味がなかったが「ラム酒のソーダー割りにはこれが一番合うんだ」と無理やりこじつけると、前と同じようにそれが何であるかの説明を加えながら、それらの先端を少し千切り取っては実演して食べて見せた。

 そしてさらに、


「今みたいにそのままで食べてくれても良いし、何なら温めて食べてくれても構わない。そっちの方が美味い場合もあるのでね。また何ならパンに挟んで食べてくれたって構わない。その方が単体で食べるよりも味に一層深みが出て美味しさが増す場合もあるんでね」


 そう付け足すと、手本を見せるように、端っこだけ食べたホットドッグパンに開いた切れ目に同じく端っこだけ食べたドライソーセージと魚の切り身を一緒に挟み込むと、口を大きく開いて一口食べてみせた。そして、呆気にとられて見ている男に、


「どうだ、騙されたと思って食ってみろ。美味いぞ」と勧めた。


「ふーむ」


 フロイスにそう言われて男は一呼吸おくと、明らかに戸惑いの表情で口を開いた。


「あゝ、分かった。それにしても滅茶苦茶な変わった食べ方だな」

 

 男はフロイスがやった通りのことを最初から真似すると、手始めに皿に載ったドライソーセージの一本の先端を指先でつまむようにして千切り取り、鼻先に近づけて慎重に臭いを嗅いだ。そして肉片の断面をじろじろ見ながら率直な感想を漏らした。


「ふーむ、この臭いは俺の世界でヤンバタルと呼ばれている、羽根があるのだが飛べない鳥の肉の臭いに似ている。ヤンは深い森の奥のアルベニアの木がうっそうと生い茂る辺りを好んで四、五頭から二十頭ぐらいの群れで生活していて。俺の倍以上の背丈があって、凶暴で縄張り意識が特に強くて、凶器となるギザギザ棘が付いた長くて鋭いくちばしと、これも凶器となる飛べない代わりに自分の背丈の十倍以上跳び上がれる頑丈な足を持ち、羽根の中にさらに凶器となるかぎ爪の手を小さく折り畳んで隠し持っていてな、不用意に近づこうものなら相手かまわず襲い掛かって来るのだ。おまけに昼の眼と夜の眼を使い分けて眠ることを知らないから一度目をつけたら最後、どこまでも執念深く追いかけて来る習性があるのだ。

 そんなやっかいな奴だが、上物の獲物と言って良い。皮は硬くて食えたものじゃないが、丈夫なことから色んな用途がある。肉はもちろん美味で卵もそれに劣らず美味い。羽毛もくちばしも爪もみんな利用価値がある。そういう鳥だから、今では野生のヤンを捕獲して飼育しているところも出ているぐらいだ」


 さすが向こうの世界で狩り師をしていただけあって、男は口も滑らかに獲物の専門的知識を披露すると、断片を口に入れてよく噛んで味わった。そして言った。


「確かにそちらが言った通り、肉をすり身にして固めたものだ。味はヤンには遠く及ばないが、別物の挽肉と考えればそれほどマズくはない」


 次いで魚の切り身のくん製の端の方を少しだけ同じく指先で千切り取ると鼻先に近づけた。


「あんたが言ったように、この匂いは、さばいた水棲獣の肉を生の草木を燃やした時に出る煙で蒸し焼きしたものに似たかぐわしい臭いだ」


 そう述べて、口に入れゆっくり味わうと言った。


「ふーむ、あっさりした味だが何となく旨味が感じられる」


 それからホットドッグパンも試食すると、ちょっと不満気に「ふーむ、これは余り味は感じないな」と感想を漏らした。そして最後に、食べ残したホットドッグパンに同じく食べ残したドライソーセージと魚の切り身のくん製を挟み込んで一口食べた。

 その途端、男の表情がびっくりした表情にがらりと変わると叫んだ。


「美味い。これは美味い。どうなっているのかは知らないが不思議なくらい美味い。別々に食べた感じではそうでもなかったのだが……不思議だ。実に不思議だ。上手いことに味が混ざって美味く感じる」


「な、そうだろ。結構いけるだろう? こっちの世界では味の違うものを一緒にまとめて食べる調理法が普通に普及しているんだ」


「ふーん」


「実に効率的で賢いやり方だろ」


「あゝ確かに。そうかも知れないな」


「実際のところは食事を簡単に済まそうと横着して、皿に載った食べ物を適当に一まとめにして食べたという故事から来ているんだけれどね」


「なるほどな。そういうことか。でもこう言う食べ方があったとは、良いことを教えて貰った。これは新しい発見だ。俺の世界でこの発想はなかった。帰って是非やってみようと思う」


「あゝ。参考になったのならやってみてくれ」


 フロイスは一口食べたパンを更にもう一口食べると、飲みかけのラム酒のソーダ割りが入ったシェラカップを再び手に取り喉に流し込んだ。そして微笑んだ。これで空腹が満たされて本当に一息つける。


 それ以後二人は、朝がきて現れた殺風景な周りの景色を淡々と眺めながら、特製のホットドッグをつまみに酒を酌み交わした。

 それから小一時間ほど経過した頃には当然ながら酒量もかなり増えていた。

 そのうち、男のペースについて行けなかったフロイスが、岩のベンチの背もたれに良い気持ちで寄りかかってぐったりしていた。そんなフロイスが終いにうつらうつらとし始めて、


「あんなに殺ったんだ。幾らなんでももうこれ以上は来ないだろう。ひとまずは休憩させて貰うよ」


 両まぶたを閉じたまま薄ら笑いを浮かべて、寝言を言うように、ぶつぶつ呟いたかと思うと、とうとう寝入ってしまっていた。

 一方、話し相手となっていたフロイスが酔いが回って応じられなくなっていたせいで、その横で暇を持て余して長く退屈そうにしていた男は依然として意識が飛んではいなかった。けれど、いかにも野性味感にあふれていた風貌は魂の抜け殻のような、心は今ここにあらずといった感があった。

 実のところ、男は一時の夢を見ていたのだった。

 向こうへ帰ったら、真っ先にロズロに行って、事務書記官かその下の相談官に会って、こちらの世界で見聞きしたことを話してロズロの大鑑であるギムワアクト(諸事事記録誌)へ登録して貰うように申請するんだ。そして上手く申請が通れば、俺は晴れて到達者か達成者か伝導者のどれかの仲間入りができる。そうすりゃジンロム(信用力格付け)が飛び級で上がるとともに各地にあるロズロに名が広く知られるようになる。そうなれば今と比べて依頼も引く手あまただ。黙っていても向こうから勝手にやって来る。そうなれば、今までのようにわざわざ仕事を捜しに行く手間もなくなるだろうし、依頼人に下手に出ることからも開放される。全てが良いこと尽くめに事が運ぶようになるのだ。


 それからしばらく経った頃。フロイスが目を覚ますと、真っ青に澄み渡った空に棚引いていた雲の切れ間から太陽が顔を出して輝いていた。まだ真上までは来ていないところを見ると、昼までもう少し時間があるようだった。

 そんなとき、クトゥオルフについて嫌な予感がフロイスの頭をよぎった。

 そうだ、あいつは? まさか目を離した隙に勝手にうろつき回っていないだろうね。こんなときにいなくなられちゃあ困るんだ。予定が狂ってしまう。

 もしかしたら、これはやばいかもとフロイスが慌てて視線を戻すと、相変わらず男が隣で座っているのが見て取れた。なーんだ、いるじゃないか。あゝ、良かった。迷子にでもなられたら、捜すのが一苦労だからな。

 フロイスはほっと胸をなでおろすと、上体を起こし、矢継ぎ早に男へ話し掛けた。


「どうだい、気分は? すっきりしたかい?」


 そして、顔だけを向けて振り返って来た男に向かって悪びれる様子もなく更に続けた。「寝てたのかい?」


「いいや」男は虚ろな目で首を振ると応えた。「こちらの世界の昼が中々おもしろく思えてな、周りの風景を見るのについつい夢中になっていたのだ」


「ふん、そうかい」


 何の変哲もないありふれた返事が男から返って来たことに、フロイスはそれ以上は何も訊かずに話題を変えた。


「そろそろ行こうと思うんだが。これから連れて行くところは私の相棒とあんたの同僚が向かった先の国だ。話し合ってそこで合流しようとなってね。行くと分かると思うが面白い見世物が見られるんだ。多分気に入って貰えると思う。

 実は、私等は毎年見物しに行っているんだけれど。もう何百年と長く続いているもので、みんな思い思いのへんてこな格好で行列を作って行進してバカ騒ぎするんだが、この世界のちょっとした非日常の様子が見えて楽しめること請け合いだ。異世界から来たあんた等が見ても損がないと思っている」


「ふーん」


「どうだい、納得して貰えたかい?」


「あゝ」


 無表情で口数少なく応えた男に、フロイスは薄笑いすると言った。


「それじゃあ、悪いが少し待ってくれるかい。また訪れるから、あとはどうなろうが知ったことじゃないと放っておくわけにはいかないのでね。ちょっと綺麗にしておこうと思ってるんだ。なーに、直ぐに終わるさ」


 そう伝えると立ち上がり、できたゴミや空ビンの片付けなどを手際よくしてから、最後に忘れ物がないかどうかを確認した。

 それから間もなくして、いよいよ目的の地を目指して、二人は夜空の星を見るための地を飛び立った。

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