第95話

 ときに、一足先に飛び立ったフロイスとクトゥオルフのペアは、目的の地に到着するのも早かった。

 出発してから間もなくして、小高い山々やなだらかな起伏の地形が連なっている地帯へとやって来ると、その中に人工の青白っぽい明かりがぽつんと一つ輝いている場所を目標にして、その付近辺りにすんなり降り立っていた。

 そこは草木が一本も生えていない荒涼とした平坦な大地で、端の方に目印となっていた一基の外灯がぽつんと眩く光り輝いて周りを明るく照らしていた。またその隣には黒っぽい大きな影が見えた。見れば、三かかえほどもありそうな大きな岩の塊が一つ横たわっていた。他には何もなかった。


「どうだい、がっかりしたかい? 恐ろしいほど何もないところだろう。だけど見方によっちゃあ、そうじゃないってことがすぐに分かると思う」


 フロイスは薄暗くなった障害物が何もない辺りを見渡しながら、新しい環境に慣れるまで時間がかかっているのか、一見呑気そうな表情をしていたが、それまでほとんど喋ろうとしなかった男に向かって歯に衣着せぬ物言いで切り出すと、満足げに言い添えた。


「この辺りは、ずっと前に火山の噴火があったときに出た火山灰が降り積もってできた所なんだ。従ってかなりの時間が経っているにもかかわらず、このとおり木の一本も生えていやしない。おまけに、道のない物凄く不便な山奥ときているから、普段から誰も来やしないところなんだ」


 現に、平坦な大地を少し行くと周りは緩やかに傾斜した崖になっており、その周囲は火山灰の灰土と大小のガレキとからなる幻想的な荒野が拡がっているのだった。


「……」


 そんなフロイスの説明を男は全く興味なさそうに聞いていた。ところが話が終わるや否や視線を向けてくると、感心した様子で訊いて来た。


「見事なもんだな。俺の世界ではちょっとした場所まで向かうのに手軽な方法として、人工的に浮き雲や空中花や飛行翼や飛行マグ、マスポラミーズというものを生成するのが広く知られているのだが、こうもあっという間にやって来れるとはな。正直感動したぜ。乗り心地の良さで言えば、お姉さんの方が勝ちだ。どんなやり方をしたんだい? 差し支えなければ教えてくれないか。俺もこんなのは初めてなんだ。できれば覚えて帰りたいと思ってよ」


「あゝ、そのことね」フロイスは即座に目玉をぎょろりと動かした。


 何を訊いてくるかと思えば飛行法のことか。やれやれ、余計なことを訊いてくるものだな。とは言え、黙って無視するわけにもいくまい。そう考えると何食わぬ顔で応じた。


「他ならぬお前のことだから話すが、多分覚えて帰るのは無理だろうな」


「なぜだ?」


「このやり方は魔法でも特殊な技術でもないからだ。魔法のアイテムによって行われているのさ」


「ふーん、そうか」男は短く頷くと更に訊いて来た。「それじゃあ、そのアイテムやらを見せてくれるか?」


「困ったな。実は私の切り札的な役割もするもので、普段は原則的に誰にも見せないようにしているんだ」


 曖昧な受け答えをしたフロイスに、男は苦笑いを浮かべると、


「まあ、そう言うのなら諦めるとするよ」


 フロイスはバツが悪そうにニヤリと笑うと思った。いや待てよ。これは私が信用に足るかどうか試しているのかも知れないな。もしも相手の嘘を見抜く能力でも持っていたとしたら元も子もない。何しろ相手は予測がつかない世界のあの魔界から来ているのだからな。たちどころに信頼できないと思われてしまう。ここはそうならないよう用心するに越したことはない。とっさにそう深読みすると言った。


「すまない。その代わり、どのようなものか具体的に話してやるよ。それでもかまわないというのなら」


「あゝ、すまないな」見るからに恐ろし気な男の顔に笑みが浮かんだ。


「さて、どこから話すかだが……」


 さっそくフロイスは口を切ると『その本来の姿は巨大で凹凸のある、見るからに斬るというよりぶったたくタイプの剣の形状をしていること。また切り札というだけあって、空を飛ぶ以外にも障壁代わりになったり、光の槍と剣の中間物みたいなものになったり、引力を拡散や反転させたり、目くらましの霧や煙幕を張ったりと幅広い使い道があること』などを手短に包み隠さず話した。それから「もしここで使う機会があったら存分に見せてやるよ」と伝えて締めくくった。――これで文句はあるまい。

 そして「そちらの世界には便利なものがあるものだな」と感心する男をよそに、軽くあごをしゃくって前方を指すと言った。


「まあ、立ち話も何だから、あそこに座ってゆっくり話そう」


 フロイスが指した方向には、外灯のほかに大きな岩の塊がひとつ、ひっそりと横たわっていた。そして岩には人が余裕で座れるくらいの大きなくぼみがあるのがはっきり見て取れた。


「あれは私が手作りした岩のベンチだ。初め、木製のベンチを置いていたんだが、肉を焼こうとなって焚き火をしたら、運悪く炎がベンチに飛び火して燃えてしまってね。仕方がないから近くで見つけた手頃な岩をベンチにしたんだ」


 まもなくして二人は岩でできたベンチにリラックスした雰囲気で並んで腰掛けていた。


「どうだ、良いところだろ」開口一番、フロイスが空を見上げて楽しそうに呟いた。


「ここから眺める夜の空は最高なんだ」


 雲一つない濃紺色をした空には半分の月が出て、その周りを星々がキラキラ輝いていた。澄み渡った空気が、それらをより鮮やかに見せていた。加えて静寂が辺りを支配していた。


「たまに来ては、空に光り輝いている、こちらの世界で星と呼んでいるものを一晩中眺めるんだが、ずっと見ていたってあきないんだ。それどころか病みつきになる。実は、ここは私専用の星を見るための場所なんだ。ここなら相手を待つには最適だと思ってな」


 そう告げたフロイスに男は不思議そうな表情で頷くと問いただした。


「良いのか、このような素晴らしいところを台無しにしても?」


「まあ、仕方がないさ。ここなら全方向が見渡せることができるから、相手がどこから来ようが直ぐに分かる。ここでやらなくしてどこで待てと言うんだい。それじゃあ逆に訊くが、あんたはその恰好で良いのかい?」


 自身は近未来風のアーマータイプの戦闘装備を身にまとっている。即ち、完全武装をしている。対してこの男は一昔前に流行ったような独特な服装をしている。今の時代においては、普段着やスーツや下着姿や布キレ一枚の装いだけでも武装化は可能だから、まあこれも有りといえば有りなのだが、話のついでに一応訊いておくことだけは訊いておこうとしたまでだった。

 すると男は、ふふんと一笑に付すと続けた。


「あゝ、別に気にしなくたって構わない。俺が生まれる前の遥か昔に俺の世界からやって来た先人がそちらの世界と交流を持ってその当時の風俗や慣習を持ち帰ったのが、いつの間にか周辺に広まり。やがて大陸中に拡散、定着して以来、ほとんど変わらずにずっと継承されてきた格好なのだからな。従って何処へ行こうが俺が暮らす世界ではこの格好は基本的に自然だ、普通なのだ。それにこの格好自体は、いわばそう、体の一部みたいなものだしな」


 そう言い放った男の釈明に、なるほどね、その当時根付いた文明の服装をまねた格好ってわけかい。そういうことなら何とか分かるよ。そう理解したフロイスは男に視線を向けると呼び掛けた。


「じゃあ、得物は持ってきたのかい?」


「得物とは何だ?」


「あゝ、武器のことだ。つまりそう、相手と戦うときに用いる道具や物質のことだ」


「あゝ、そのことか」分かったと男は頷くと、こともなげに答えた。


「セキカから持って来れないと予めに言われていたので、持ってこなかったな。その代わりにセキカが代用品を寄こしたのだが、 だがそこまでして使うかどうかは相手を見てから考えるつもりでいる」


「ふーん」


「まあ、何とかなるだろうさ」


 気楽に答えた男にフロイスは普通に淡々と応じた。「あゝ、そうかい」

 しかし言葉とは裏腹に、実際のところは、元々武器マニアで、古今東西の武器を鑑賞したり、実際に手に入れて触れたり動作させたり、或いは武器の情報を収集することを趣味にしていた彼女にとって、男の受け答えはがっかりするものであった。せっかく魔界の武器事情を知るまたとないチャンスだったのに!

 だが落胆したそのことが、ここへやって来たときにいつも行っている習慣を思い出すきっかけとなっていた。あゝ、そうだった。大事なことを忘れていた。星を見るときの必需品を出すのを忘れていたよ。


「そこで待っていてくれるかい。今良いものを持ってきてやるからな」


 男に向かってフロイスは意味ありげにそう告げると、おもむろに立ち上がった。そしてこの状態ではやりづらいからとして両腕にはめていた肘を越えるくらいまでの長さがあったグローブを取ると、壊れ物を扱うかのように丁寧かつ慎重に岩のベンチに並べて置いていった。

 ――適当に置いて、せっかく造ったベンチを壊すわけにはいかないからね。

 そうするのも致し方のないことだった。一般に身に着けて身体を保護する戦闘装備は、頑丈さと利便性と重量の間で相関関係が成り立つのが知られており、それらを目的別にバランス良く配分して作成されるのが普通であった。ところが彼女の場合は違っていた。極端に頑丈な方向に重きをおいて、必然的に増加する重量を無視していた。従って、通常のものよりも遥かに重いものとなり、グローブ一揃いの重量でさえも、何と雄の象一頭分に相当していたのだった。

 

 それをフロイスは何食わぬ顔で済ませると、岩のベンチのすぐ近くにぽつんと置かれてあった、スリムな形状をした縦長の白い箱のところへ向かった。それは誰の目にも、どこにでもありそうなごく普通の冷凍冷蔵庫であることが明らかで。彼女は冷蔵庫の上下の扉を順番に開けては内部を物色した。えーと、何があったかな?

 それから一分もしないうちに戻ってきた両手には、コハク色の透明な液体が入った二本の中ボトルと二つのアルミ製のパックが握られていた。


「待たせたね。ただぼんやりしているのも何だから、その間一杯いこうと思ってね」


 フロイスは持ってきた品を男が座る直ぐ横に並べて置くと、改めてベンチに腰を下ろし、男が不審げに見ている前でそれらを指でさして言い添えた。


「このボトルにはラム酒という名の酒が入っているんだ。良く冷やしてあるから飲みやすくなっていると思う。本当はアルコール度数の低いビールの方が良かったんだが、あいにくと切らしていてね。アルコール度数が高いのでいっぺんにいかずに少しずつじっくり味わうように飲むのがこつなんだ。

 それと、この二つの袋はレーションで、それぞれビーフジャーキーとナッツ類が入っている」


 男はフロイスの説明をきょとんとした表情で聞いていた。そして説明が終わるや首を傾げた。


「ちょっと訊くが、酒とは何だ? レーションも分からないな。ビーフジャーキーとナッツも」


「あゝ、ごちゃごちゃ言うな!」その途端、フロイスの素っ気ない声が飛んだ。


「酒は酒だ。騙されたと思って黙って飲んだら分かるさ。レーションは戦場で食べる携帯食料のことを言うんだ。ビーフジャーキーとは、この世界で広く食べられている動物の生肉を食べやすいように薄く切って味付けしたものを保存がきくように水分がなくなるまで乾燥したものだ。ここでのナッツとは、食用の木の実を焦げないように焼いたものだ。どっちも食えば分かる」


 軽い気持ちで言ったものの、知らず知らずのうちにいつもの癖が出て荒っぽい口調でまくしたてると、


「これがここへ来たときの楽しみなんだ」声を軽く弾ませ、そうささやいて、二本の中ボトルのビンキャップを指先で開け、一本をほらよと男に少し乱暴気味に手渡して残りの一本を口元に持っていった。そしてお手本を見せるように一気にラッパ飲みして満足げに吐息を吐いた。「はあ、たまらないな」

 それから銀色をした袋の一つを開けて、中から濃赤色をした薄っぺらい板状の物を一、二枚取り出すと、くちゃくちゃとガムを噛むように食べてみせた。


「どうだい、これでわかったろう!?」


 そのとき、その一部始終を見るからに恐ろし気な表情を和ませ興味深そうに見ていた男は、「面白いな、お姉さんは。それじゃあ俺もいただくとしようか」穏やかにそう口にすると、見よう見まねで同じようにボトルの先を口元に持っていき一口呑んだ。


「ええと、そうだな。少し苦くて甘い感じがする。たぶん植物由来だろうな。このスキッとした口当たりを俺の世界で例えるとなると、そうだな、一般に山岳地帯とか荒野で自生し、そこでの貴重な水補給源となっているところのゴーダという名のツル植物の茎を直接かじったときそっくりの味だな。色具合いからみてもそっくりだ。でもこれはこれでスッといける、飲みやすい」


 そう感想を漏らすと、男はにやりと笑いかけながら訊いて来た。


「そちらの世界ではこのようなものが飲まれているのか?」


 男の素朴な質問にフロイスは満足そうに微笑んだ。


「あゝ、この世界で日常的に飲まれている飲み物で、飲めば気持ちが大らかになって時が経つのを忘れられるので時間つぶしにもってこいなんだ。だから、ここにはいつも常備して、一杯やりながら一晩中空を眺めているのさ」


 フロイスが話す間に男はビーフジャーキーが入る袋に手を突っ込むと、板状のジャーキーを一枚取り出して口に放り込み、ゆっくり味わうようにして食べた。そして言い添えた。


「この感じのものは俺の世界にも似たものがあるな。味も、それほど珍しくもない」


「それじゃあナッツも味見するかい?」


「あゝ、いただくとしようか。木の実というのなら、俺の世界にもたぶん似たものがあると思うのでな」


 フロイスはナッツが入った袋を開けて先に幾つかを味見すると、ほらよと袋の開け口を中身が分かるように見せた。すると男は袋に手を伸ばし、中に入ったナッツの形状と色を見て、クルミとアーモンドとカシューナッツとピーナッツを指先でつまみ出して手のひらにのせ、一つずつ口に入れては何も言わずにぽりぽりと音を立てて味わった。


「どうだい、味の方は?」


「ふむ、どれも味が淡白な気がするな。それに、どれも味が似通っている。硬いか柔らかいかの違いだけだ。俺はそれほどこだわりがある方じゃないが、一言言わせてもらえば、木の実というのはもっと風味があって奥深いというか色んな味に富んでいるものだと思うんだ」


「……」フロイスは言おうとしたことをスルーすると愛想笑いを浮かべた。「ふーん、そうかい」


 ぶっちゃけて言えば、これらはほんの一部に過ぎない。こちらの世界にもさまざまな味の木の実がある。ざっと例を挙げても、レーズンやブルーベリーやリンゴやオレンジやパパイヤやバナナやパイナップルといった風にバラエティに富むんだと言ってやりたかった。でもそれを言ったらきりがない。場合に拠っては自慢し合った揚げ句に言い争いになってもめることになり兼ねない。そんなちっぽけなことでお互いに気まずくなるのは大いに馬鹿げている。ここは何としても避けなくてはならないと判断が働いた結果だった。


 そのようなやりとりをしながら二人は友好を深め合うと、いつの間にかラム酒をストレートでちびりちびりとやりつつ仲良く空を仰いでいた。


「どうだ、月が綺麗だろう! 半分に見える大きな黄色い物体がそうだ。今は半円状に見えるが本来あれは球状をしていてな、こちらの世界から遠く離れた地点で停止しているんだが、こちらの世界も球状をしている関係で、時期によっては、あのように半分に見えたりまん丸に見えたり弓なりに見えたりするんだ」


「一つ聞くが、そちらの世界では丸いものが宙に浮かんでいる図式なのか?」


「ああ」


「実に面白い、不思議だ」


「じゃあ、そっちはどうなんだ?」


「あゝ、こちらにはそんなものは無い、一切見られない。何しろ空には、いつだって分厚い雲が見えるだけなのだからな。昼と夜とは雲の動き、具体的に言えば、何層かに分かれているうちの一番高い層にある雲で決まると言って間違いねえんだ」


「ふーん」フロイスは男の言っている意味が分からなかったが、素知らぬ顔で足を組むと続けた。


「月の横で赤く光り輝いている小さなものが火星だ。月と同様に球状をしていて、本当は月の二倍くらい巨大なのだが、月より遠い位置にあるのであのように小さく見えるんだ。

 その周辺に点々と光っている小さな物体が見えるだろう。あれらの実物は同じく球状をしていて、私等がいる世界や月や火星と比べて超巨大で自ら光と熱を放つことから星、もう少し詳しく言うと恒星と呼ばれていて、信じられないくらい遥か遠い彼方に存在しているんだ。

 あれらの星の奥にも、またそのずっと奥にも同じような星があることが分かっている。だが余りにも遠いところにあるものだから、こちらの世界まで光がほんのわずかしか届かないせいで目に見えないんだ。

 こちらに来るときに赤っぽくて丸い大きなものが見えただろう。あれはその恒星の仲間で、この世界では太陽と呼ばれていて、恒星と同じくらいの大きさと性質を持ち、すっごく離れた地点から光り輝いてこちらの世界の昼を作っているんだ。

 ちなみにこちらの世界では、古くから星に名前が付けられている。あのあたりに七つの光るものが見えるだろう。あれは北斗七星というんだ。その相向かいに五つの光るものが見えるだろう。あれらはカシオペア座といって、その中間に一個だけ明るく光るものが見える筈だ。あれは北極星といって、いずれも一年を通じて北の空に見えることから、遥か昔から北の方角を知るための目印となっているんだ」


「ふーん。そう言われてもな」怪訝そうな顔を男はフロイスに向けると、正直な感想を述べた。


「これだけ多いと、俺には全て同じに見えるのだが……」


「そうかい」フロイスは相槌を打つと一瞬思った。確かに、それは分からなくもないよ。この私だって長い地下生活からいきなり地上へ連れ出されたときに同じように思ったもの。あのとき地上は真っ暗で、遥か上空にたくさんの細かな光がきらきらと美しく輝いていたんだ。当時は右も左も分からないときだったから、何が何だか分からずにもうびっくりしてしまって、どれも同じのように見えていた星を呆然と眺めていたもんだ。不思議なもので、あれ以来このように魅了されてしまって、ずっとぞっこんだからね。

 男の言動を昔の自分と重なり合わせたフロイスは、すぐさま我に返ると、含み笑いを浮かべて言った。


「まあそうだな、一度見ただけでは無理かもな。この私だってそうだったもの。綺麗と感じるだけで何が何だか分からなかったしな。だが何度も見ているうちに分かるようになったね。要は慣れだろうな」

 

「ところで一つ訊くが北の方角とは何だ?」


「北の方角とは北の方角だ。朝方に太陽がこの世界に現われ、夕方になると見えなくなる位置を基準として決めた方角だ」


「ふーん。位置を知るために都合上決めた向きというわけか」


「ああ、そう言うことだ。ところで太陽みたいなものがないそちらでは、どんな風にして方角を決めているんだい?」


「そうだな……大地の形かな。こちらでは自然の山々や川や森とか、大地の裂け目だとか大岩だとか、そういったものを目印としているな。後は遠い昔の先人たちが残した建造物や路や戦いの痕跡の類いみたいなものかな。まあ、いずれも度を越えた自然変動が起こった場合はあてにはならなくなってしまうが」


「ふーん、なるほどね……」フロイスは思わず唸った。よく考えられているじゃないか。大地の形状で位置情報を得ているわけか。


「遥か昔からのやり方だが、今もってこれ以外に手だてがないのだから、ずっと受け継がれてきている。先祖代々、地形の地図を専門に作るのが仕事になっている者達がいるくらいだからな」


「ということは、あんたの世界には恒久的に変わらない位置を知る手だては無いということなのかい?」


「あゝ、そういうことになるだろうな。何しろ一度体験すれば分かると思うが、どんなに行こうが果てが見えないんだ。その証拠になるかどうかわからねえが、遥か昔から数えきれないくらいの物好きが大地がどれくらい広いか確かめに旅立ったらしいんだが、みんな途中で挫折したか寿命が尽きたか災難に遭って死んだかで誰一人として確認して戻って来た者はいねえのだからな」


「ふーん」フロイスは男が何を言っているのか理解した。そのあたりはセキカが言っていたこと『大地の特筆すべきは途方もなく広いということだ。加えて山脈や峡谷やクレーターなどの一つ一つの規模は尋常ではない』と同じか。


「だけど空を飛んでいけば、いつかは果てまで辿り着けるような気もするけどね」


「いいや、理屈はそうだがそんなに甘くないのさ。例えば(巨大で分厚い雲の塊が何階層にも渡って漂流している)高高度の上空を飛行するのは、ヤバいというもんじゃない。自殺行為だ。

 そう、いつの頃だったか忘れたが、それほど遠くはない時期に、高高度の上空はどのようになっているか興味本位で調べようと向かった者達が、行って戻って来たらしいんだが、そいつ等はその後どうなったか分かるか! 

 聞いた話ではな、そいつ等が戻った時、どんな恐ろしいを体験したのか知らないが、どいつもこいつも口がきけなくなっていたそうだ。その後、ある者は発狂して自ら命を絶ち、またある者は発狂はしなかったものの精神と体に異常をきたして醜い姿へと変わっていったそうだ。また別の者は居眠り病そっくりな症状を繰り返したそうだ。他にも自傷したり奇声を発して穴を掘り続けるとか奇怪な行動をしたそうだ。

 そういうことで症状はさまざまだったが、いずれも共通していたのは、それからまもなくして死んだということだ。

 また、そのすぐ下を飛ぶのもダメだ。聞くところに拠ると、行く手に大地から噴き出た色々なものからなる残がいが落下せずに浮遊物となって立ちふさがっていたり、何の前触れもなく突風が吹いてきたり、空中に大渦が発生して呑み込もうとしてくるらしい。それらを何とか避けたとしても、その時には既に遅しといったところで、いつの間にか方向感覚を完全に失い、半永久的にどこを飛んでいるのか分からなくなってしまうらしい」


「それは高い位置を飛ぶからだろ。何なら下の地面がはっきり分かる低いところを飛べば良いのでは?」


「それができるならもうとっくの昔にみんなやっている。低空には空中に住みかや巣を持つ肉食性のやっかいな奴等が集団で待ち構えているんだぜ。

 そいつ等は浮浪雲や千切れ雲や周りの色に擬態化して待ち伏せしていたり、空中に透明な網のようなものを張って待ち構えていたり、幻覚を見せてあらぬ方向へ誘導してきたり、ねばねばした液体を雨に似せて噴射してきたり、不意に光って視界を奪ってきたり、いきなり前後左右から何十何百という数で現れたり波状攻撃を仕掛けてくるんだぜ。それをやられてどうやって避けろというんだ。対策なんてほぼ皆無だ。運よく下の地面に退避することができたとしても、気が付いたらどこでいるのか分からなくなってしまうしな。

 それ以外にも、同じ姿勢でずっと飛んでいると飛行酔いというものになり易い。最初に頭がぼんやりしてきて、やがて気を失ってしまうんだ。

 また余り長く飛んでいると空酔いなるものにもなり易い。俺は実際なったから言えるんだが、あれは一旦なると三、四日は頭が痛くなる上に目がぐるぐる回って、立つのもままらなくなる。場合によっちゃあ症状が重くて死ぬことさえあるらしい」


「それじゃあ、手っ取り早く空間転移みたいなものは?」


「ほんの短い距離や知っている場所までなら可能だが、知らない場所への移動となると、それこそ一生迷子になるというものだ。それにあれは頻繁に行うと、記憶や感覚を始め、思考力や反応力や回復力を奪われる。やり過ぎて生きているのか分からねえ生き方はしたくないからな」


「あゝ、確かに」フロイスは苦笑いを浮かべた。

 魔界の地上はヤバいかもしれないが、空に関してはこちらの世界と同様に比較的安全だと思っていたのに、そうでもないとはね。私としたことが、何か勘違いしたようだ。だがちょっと面白い話が聞けたかもね。そう理解すると話題を変えた。

 

「ところで、そっちの世界では、セキカみたいな四本足の生き物があんたらと普通に生活しているわけなのかい?」


「あゝ、ごく普通にな」


「ふーん、こちらの世界では私等みたいな二本足の人の種族が上位種なんだ。その下にセキカみたいな四本足の生き物や私等とは進化が異なる二本足の生き物が続いている」


「ほーう、そうか」男はちょっと肩をすくめると、


「俺は専門家じゃないし、おまけにおつむがちょいとアレなんで、詳しいことはからっきし分からねえが、 ま、一部例外があるが二本足と四本足が上位種じゃないかな。二本足と四本足は互いに両立するからな。

 要は見た目じゃなくて、どれだけ知能が回るかで決まると思うんだ。普通に日常会話ができて意思疎通が取れるなら相手がどんな姿だろうが何も問題はない、関係がない」


「国を治めている王様っているのかい?」


「何だ、それは?」一瞬不思議そうに男は首を傾げた。


「力でもって並み居る屈強な者達を自由に動かして、広い土地と多数の住人をその支配下に置いている者の総称だ」


「ふーむ」少し考えてから男は納得がいったように「あゝ、そういうことか。分かった!」と呟くと、


「そのようなものは太古の昔にはいたな。だがもうとっくの昔に無くなってしまっているといって良い。今尚、力で支配するやり方をしているのは、過去の幻想に憑りつかれたほんの一握りのあほう共か、一人では何もできやしない軟弱者共ぐらいなものだ」


 そう言って吐き捨てた。


「だが今はそんな時代じゃないのさ。そんなのはもう古いんだ。今は、集団の統率者と住人との間は、どんな形であろうが持ちつ持たれつの関係で成り立っていると言って良いんだ。

 例えば、住人から上がってくる地代や納品物や労働力と引き換えに、住人の代表として他の地域の代表と色んな交渉をしたり、住人の要求を聞き届けたり、悪意を持ったよそ者や害獣が入り込まないうに地域の警備や整備を行うといった風にな」


「なるほどな」フロイスはまたもや唸った。こりゃ驚きだ。魔界とは強い奴が弱い奴を服従させている世界だと思っていたのに、そうではないとはね。なるほど、想像と現実は違うということかい。そうなると、これまでの偏見を改めなきゃならないな。


「あ、そうそう」と男は尚も続ける。


「そのついでと言っちゃあ何だが、今ちょっと思い出したことなのだが。遥か昔、王と自分から名乗ったり称された連中は、遠い昔のことで嘘かまことか確かなことは分からないし。おまけにかなりな分、話をもっていると思うんだが。ともかく俺が伝え聞いている話では、並み居る者達の上に立つ王と言う奴は、飛び抜けて武勇に優れ積極性と主体性を併せ持つ者か、半端じゃないくらいの知識と実行力を持つ者か、桁違いの能力や才能で不可能を可能にしてしまう者か、誰もが驚くような発明や創意工夫を再三にわたってできる天才肌な者か、執着心が全く無くて己の身を犠牲にしてまでも行き届いた気遣いができる者のいずれかを言ったらしい。

 ま、それくらいの奴でなければ、俺の世界では大勢の者達を従わせる事は到底できやしないからな。

 そして、そのような奴は決まって自分から望んで周りに取り巻きをはべらせることをしなかったらしい。仮にそうすると、必然的に取り巻き連中全員の面倒をみなくちゃならないし。また自身も面倒を見られることで何もすることができなくなって退屈な日常を過ごすことになってしまうからな。

 そこへ持ってきて、いつ何時そいつ等の裏切りに遭うかも知れないとの考えも押さえておかないといけないし。それに力が衰えてきたとき、使う側から使われる側に落ちぶれたりする可能性もないとはいえないし。どう考えたって、いつも気が休まる暇がないからな。

 他にも、大勢の取り巻き連中を放っておくと何をするか分からないから、ある程度のご機嫌取りや付き合いも必要だし。自分の手足として動かすにはそれ相応のほうびを目の前にぶら下げなければならないし。おまけに、ゆっくりできる暇がなくなって、欲求不満がたまる一方になるからな。

 昔の王と呼ばれた連中は、大勢の頼りとなる支援が得られる代わりに、実際そう言った気苦労が絶えなかったのだろうなと思ってる。そのためなのか知らないが、そのほとんどが最後に頭が変になって無茶苦茶なことをやったり、過度に思い上がってしまって呆れるくらいに態度がでかくなったり、誰も信じることができなくなったり、思い付くだけのぜいたくをしてみたり、思い付くだけのでたらめで野蛮な行為を慰みとしてやってみたりと、遂には破滅への道を辿っている。

 それに当てはまりそうな奴等を今でも俺は何人か知り合いで知っている。そいつ等は、誰も来れなさそうな山奥で人目を避けて一人か家族か気の合った仲間たちと悠々自適の生活を送っている。

 その並外れた能力故に、怖がられたり疎まれたり、或いはご機嫌取りをしてきたり血生臭い争いに利用しようとして来るのを嫌ってのことだと思う。

 そいつ等は世間が忘れかけた頃に何の前触れもなく姿を現しては空気のような存在感で用事を済ませて住みかへ戻る生活を繰り返している。世界を征服するという自らの野望のために一生をかけて波乱万丈の生き方をした過去の先人達が結局どうなったのか学んで、和やかに暮すことを選んでのことだと思う。

 つまりこういうことだ。飛び抜けて優れた才能や実力を持つ者は、世の中が乱れていない限りは滅多に人前では目立つことをせずに、その能力を普段から見せびらかしたりはしないものなのさ」


 そこまで話して、一息入れるように男は熱い吐息をはぁっと漏らして満足そうに顔をほころばせた。片やフロイスはきょとんとした目でそんな男を覗き込んだ。何を言いたかったのか知らないが、随分と理屈っぽいことを言ってくれるじゃないか。悪いが私にはさっぱり分からないよ。

 そしてそのとき頭に浮かんだ疑問をふと口にした。


「それじゃあついでに訊くが、そっちの世界では、あんたぐらいな知識をみんな持っているのかい?」


 冷ややかな目で問い掛けたフロイスに、男は「うーん、それは無いな。無いと思う」やんわり否定すると続けた。


「俺やイオミルは別格なんだと思う。ほとんどの者は生まれた地を一生出ることがないのだからな。それに外の世界のことを教えられる者も少ないし。よそのことや生活に関係のないことを自ら進んで身に着けようと思う者もそういないからな。

 俺とかイオミルが生きるのに直接関係のない知識を一杯持っているのは、小さいときから外の世界へ連れて行ってくれて色んな体験をさせてくれたあのセキカのお陰なのさ」


「ふーん。それじゃあ、これが終わったら、どこか行きたいところはあるかい?」


「そちらに任せるよ。何しろ、この世界へ来たのはこれが生まれて初めてで、右も左も分からないのだからな」


「そうかい」フロイスは足を組み替えると、思い出したように続けた。


「あ、そうそう、どうしてあんた等は直接こっちへ来ないで、あのような人に憑依するという面倒臭い方法を取るんだい。こちらまでの距離が余りにも遠過ぎて、それ以外の方法がなかったからなのかい?」


「あゝ、そのことか」少し考えるように男は沈黙した。


「ま、それもあるかな。しかしセキカが言うには、そちらの世界と俺達の世界は根本的に矛盾していて両立しないということだった。俺はセキカの説明が難し過ぎて理解できなかったので、それだけじゃ分からない、何が違うんだと言ってやったら、あいつが言ったのには、その何だ、二つの世界と中の物体はその構造が真逆で、二つが接触しただけでお互いが完全に無になるんだそうだ」


「なるほどね」フロイスは神妙に頷いた。もしかしてプラスの世界とマイナスの世界、物質と反物質の関係みたいなことを言っているのか? もしそういうことなら合点がいくな。でもそういうことなら、逆にこちら側からも行けないってことか。そうだとしたらがっかりだな。そのような結論に思い至ると、フロイスはがらっと話題を変えた。

 本当のことを言うと、その他にも魔界の事情、例えば魔界には一体全体どのような種族がいるのかとか、貨幣というものがあるのかとか、どのような職種があるのかとか、宗教みたいなものはあるのかとか、普段は主食は何を食べているのかとか、水以外にどのようなものを飲んでいるのかとか、ギャンブルや酒場や遊園地やショーやゲームやスポーツ・劇鑑賞といった遊びや娯楽があるのか無いのかとか、面白いとか不思議だとか馬鹿馬鹿しいと思われるしきたりや行事が魔界にあるかどうか訊きたいことは山ほどあった。しかしながら、その流れで逆に訊き返されると、答えるのが面倒臭くてイライラするからとして取り止めたのだった。なーに、焦ることはない。相手は逃げないのだからな。慌てて訊くよりも少しずつ小出しにして訊けば良いことだ。


「こうしていると、運が良ければの話だけれど、流れ星も見えたりしてね。この世界の神秘のひとつで、小さな白い光が突然夜空に現れては、尾を引くようにして空を斜めに横切って消えて見えなくなるんだ。

 流れ星と言ったって先に言った星とは全くの別物で、今いるこの大地からずっと離れた遠い先の空間をもの凄い速度で漂流している小さな岩石のことを言うんだ。それがたまたま何かの拍子でこちら側へ落ちてきて、空気の摩擦で途中で燃え尽きるだ。そのとき白く発光しているように見えるのが流れ星と呼ばれているんだ。

 ただ毎晩空を眺めていたって滅多に出くわすことがないから、見えたときは幸運というほかなくってね。それ故なのか古くからこちらの世界では、流れ星が見えると良いことが訪れるとか、祈れば願い事がかなうとか、またその逆に誰かの死を暗示しているとか、何か大きなことが起こる前兆だと言い伝えられているんだ」


「ふーん、なるほど。そちらの世界の先人達は相当想像力が豊かだったんだな」


「あゝ、そうかも知れないな」


 その以降話すことが出尽くしたのか二人はどちらともなく押し黙ると、フロイスはいつもしているように何も考えないで頭を空っぽにして自分の世界の中に引きこもり。一方男は腕組みをして自分たちの世界にない光景に見取れてと、共に無言で夜空を眺め続けた。

 それより後、しばらくの間、沈黙が流れた。

 それからどれくらい経ったのか定かでなかったが、突然ゆっくりした物言いで男が呟く声が辺りに響いた。


「こうして見ていると、何となく吸い込まれそうな気分になるな。何とも不思議な感覚だ」


 何を思ったのか、ぶっきらぼうに話し出した男に、それまで空の星々に意識を集中していたフロイスがちらりと男の方に目をやると、男は空を見上げたまま、あくびを一つして更に続けた。


「お姉さんらのことはセキカから聞かされている。お姉さんらの世界がおかしいところへいかないように根回しする集団の片棒を担いでいるんだってな。俺にとっては別にどうでも良いことだが。

 そしてもう既に聞いて知っていると思うが、俺とイオミルとあとナティーハの三人は小さい頃に死にかけていた時にあのセキカに助けられたんだ。いわばセキカは俺達の命の恩人なんだ。それどころか俺達三人の引き取り先まで身内同然に世話を焼いてくれたし、ただ預けたまま放置しないで何度も様子を見に来てくれては、これから先の人生に必ず役に立つからと色々なことを教えてくれてな。それがあるからこの俺もあの二人の今もあるんだと思っているんだ」


 そう明言した男にフロイスは不思議そうに感心を寄せた。すると男が飲んでいたラム酒の中ビンが早くも空になって直ぐそばに放置してあるのが見て取れた。

 それを見てフロイスは一瞬眉をひそめると目を大きく見開いた。こいつ馬鹿か。ペースが早過ぎるだろ。あれだけ時間をかけて飲むんだと言ってやったのに、こんなに早く空けるなんて。単なる水じゃないんだぞ、六十八度も度数があるのだぞ! 本当に無茶をしやがるな。この私だってまだ五分の一もいっていないというのに。

 即座に、こいつは悪酔いしているなと気をもんだ。しかしながら時をおかずに、やってしまったことはどうしようもない、なるようになるさと、いつもの調子で都合が良いようにとらえると、魔人でも酔うことがあるのだなと思った。

 そんなフロイスをよそに男は、「俺はお姉さんが気にいったぜ」素知らぬ顔でそう言ってきた。


「……」


 フロイスは何と答えていいのか分からずにちょっと戸惑った。が、相手は酔っ払いだし適当にあしらおうが別に問題はなかろうと、愛想笑いをして「そう言ってくれて私も嬉しいよ」と、抜かりなく相手に合わせるように応じていた。すると男はニヤリと笑うと上機嫌で続けた。


「俺がこちらの世界へやって来たのはだな、あのセキカに頼まれたこともあるが他の世界の事情にも興味があって冒険気分でやってきたんだ。これが縁となって、視野が拡がれば良いと思ってな。

 今の時代、若いうちは力だけでもやっていけるが、その先を考えるとそうでもない。やはり頭の良し悪しが物をいうんだ。だがそのような能力があいにくと無い場合は、誰も見たことがなく経験したことのないことを達成して、周囲から認めて貰うことが手っ取り早いんだ。

 例えば、大陸の端を求めて冒険するとか、地底深く潜って探検をするとか、魔物だらけの森林や山岳地帯を単独縦断するとか、未踏の地を踏破するとかして名をとどろかせて周囲から尊敬されるようになることさ。当然として異世界の調査もその一つだ。

 今のところ、俺は『ペイズリー・クランマート・ロズロ』という名の団体に、ランナイトの肩書で会員登録している。ランナイトというのは直属の所属組織を持たないという意味で、『ペイズリー・クランマート』というのは地名で、周辺が岩だらけで迷路のようになった地域という意味だ。また『ロズロ』は力を貸し与えるという古代語から名が来ている。

 『ロズロ』とは、要するに依頼人から頼まれた仕事を口利き料を取って引き受け手に取り次ぎするところだ。『ロズロ』は大陸中に散らばる住人の居住区には、必ずと言っていいほど一つか二つ見られる。なお場合によっちゃあ、それ以上あるのも全然珍しくもない。まあ、それだけ俺の世界では無くてはならない存在と言って良い。俺はそこに来る依頼を受けて生活しているんだ。

 そういうわけで俺が受けている仕事は、賞金がかかった犯罪者や逃亡者を捕えたり、警備や監視の交代要員や補充要員や道案内が主で、たまには頼まれて害獣や危険獣を狩ったり、傭兵みたいなこともやっている。俺達の世界では分業制が進んでいてな、守る側と守られる側の住み分けがきっちりできているんだ。

 そして依頼が無い暇な時期には、経験を積むために単身若しくは同じ境遇の者達と組んで、郊外のまだ未開拓の森や岩場や砂漠や川辺へ遠征に出かけたりもしている。

 そもそも俺達三人は育った環境が違うんだ。それというのも、セキカが頼った相手というのが幾つもの人脈を持っていて、事情があって子供を欲しがっていた相手先を懇意にしているところから優先して斡旋していったからなんだ。よって、ばらばらに引き取られたわけだ。

 やり始めて、もうかれこれ十年ぐらいになるな。今のこの稼業をやっていられるのは、二親を失くした俺を引き取り育ててくれたゼノトゥスの親父のおかげと言って良い。俺は親父には感謝している。クトゥオルフの名を付けてくれたのも親父だ。その親父も昔の古傷が悪化したことが元となって死んでしまった。それ以来、俺は仲間を作らずに一人で生きて来た。

 親父は狩り師を稼業にしていた。狩り師とは、その名の通り、食用となる生き物を狩って市場へ卸す仕事をしている者達の意で、通常は集団で狩りをするものなんだが。中でも親父だけは、ほとんど単独で狩りをする名の知れた狩り師だった。またその傍ら、頼まれては薬用植物や食用土を採りに行く一団の護衛や遠出をする者達の道案内をしてやったりもしていた。あんたらの世界は知らないが、俺達が住む世界は一歩外へ出ると危険だらけなんだ。つまりその、一旦住居区から離れると、行く手に起こるべきことが当然のように起こって、考えられないくらい命は軽いものになって、力の弱い者や無い者はあっという間に死に至るのさ。

 それに親父はちょっと変わった面を持っていてな。普通狩り師というのは仕事柄、無口や変わり者の一面があって無愛想でけち臭いのがほとんどなんだが、親父は全くその正反対でよ。親父は人当たりが良くて太っ腹でよく喋り。それに煩いくらいの教え魔で、こちらが頼んでもいないのに何でも教えてくれたんだ。

 この俺が引き取られたときは、跡継ぎに考えていた俺と同じ年頃のクトゥオス、ゼノンドの二人の実の息子を事故で同時に失ったことによる失望のどん底からようやく立ち直った頃で、それはもう三番目の我が子ができたかのように可愛がってくれた。子供ながら俺は一生ついて行こうと決めたぐらいにな。でもまあ、どこにでもあることだが、いざ稼業のこととなると、どうしても目の色が変わり厳しかったがな。それも今となってはいい思い出だ。そして親父が持っていた技能のほとんど全てを身に着けた。それから色々あって、俺は自由気ままな今の稼業に落ち着いている」


 どうやら頭に思い浮かんだことを、そのまま言葉にしているらしく。おおよそ脈絡のない話しぶりであった。

 まるでロウシュが酔った時のような喋りだね。こういう場合には、へたに余計な波風を立てるよりも、相手に合わせて聞き役に徹するに限る。もしも絡み癖があったりしたら、うざったいからね。まあこの調子のままでも大体のことは十分理解できるし。フロイスは薄笑いを浮かべると、気持ちよく男が話すのに任せた。それが良かったのか知らないが、男は虚ろな目で夜の空をぼんやり眺めながら尚も気分良く語っていった。


「一緒に来たイオミルだが、あいつが預けられた先は、ちょうど子がいなかった学者夫婦のところだった」


「ふーん、そちらの世界にも学者がいるんだね」


「あゝ」


「どんなことをしているんだい。歴史を研究しているとか、新医療や新薬の研究とか、新技術の研究とか、軍事の研究といったものかい?」


「いいや」男は素っ気なく否定すると、何かしら思い当たることがあったのか眉根を寄せて言い添えた。


「家系や種族や体型や個々の能力や成長具合いを調べて、仲間や男女間の相性を助言したり、能力や才能を伸ばす方法を伝授するのさ。

 俺達の世界では、相性の良くない者同士がくっついたり親密になるとろくなことにならないというのが定説となっているんだ。また俺達が生まれつき持っている特異な能力や才能は、そのまま放っておいたんじゃあ、何も変わらなくって全然役に立たないんだ。誰かが適切な指導をしてやらない限りはな。みんな役立てずに終わるんだ。だからその指南役をしてやる必要があるのさ。

 そういうわけで、その中で育ったあいつは知識ばかりが詰まった頭でっかちになりやがって、おまけに物凄く理屈っぽい性格でよう。そこへ加えて、どうやって知り合ったのか分からねえが有力者の娘と結ばれて子ができてと、守るべきものがきっちりできてからというもの、人が変わったように自分を大きく見せたがるようになりやがってな。

 もともとあいつは、俺と違って世渡りが上手くって何でも要領が良くて隙が無かったのだが、とうとう自己顕示緑の塊のようになっちまいやがった」


 声を荒げて感情を表に出した男に、フロイスはうんうん分かったと頷くと関心を持って見守った。明らかに男の様子が少し変だった。話しぶりから見て、この男、クトゥオルフは一緒に召喚されてきたイオミルのことを相当意識しているらしかった。

 ――おやおや、何を言うかと思ったら。こいつ、やっかんでいるのか?


「あいにくと行方知れずとなって一緒に来れなかったナティーハのことだが、あれは俺達と違って同じような境遇の子女が多数在籍していた養護施設に引き取られた。そこに入ると独り立ちできる年齢まで保護してくれて、おまけに適性に合った仕事まで自動的に世話してくれる体制ができているんだ。

 手っ取り早く言えば、子を産めるからという理由で俺達よりも優先されたんだと思う。それに女は裕福なところは養育係が付くから安心だが、そうでないところは自然の成り行きに任せて放っておいたら、物心がつく年齢にまで育つのは十人に一人ぐらいときているからな。

 あれ(ナティーハ)はそこで何年か共同生活を送ったあと、抜群の運動力と異能力を買われて、地元の幼い子供を預かって教育する学校の現場職に就くことになったんだ」


 ――ふーん、魔界では女は貴重というわけかい。そのように受け止めるとフロイスは矢継ぎ早に聞きただした。


「そちらにも子供が学ぶ学校があるんだね」


「もちろんだ」


「こちらの学校は教養をつける為だとか職に就くことを目的として学ぶんだが、そちらは何を学ぶんだい?」


「俺は学校へは行っていないから詳しいことは言えない。だが聞いたところによると、世の中の一般常識や読み書きや計算を始めとして自然界で見られる現象や野生の動植物の知識や、あと身を護る術や生き延びる方法などを学ぶらしい」


「なるほど……」魔界に学校があるとは驚きだ、新しい発見だ。魔界の教育事情が少しのみ込めた気分だよ。フロイスは相槌を打つと、媚びるような口調で続きを促した。


「それで彼女はどうなったんだい。よかったら先を続けてくれるかい」


「あゝ」男は相も変わらぬ上機嫌で聞き入れると続けた。


「そう、ものの数年もしないうちに、その才能が認められたのだろうな、それまでよりも年長の男女が学ぶ学校に上級幹部待遇で引き抜かれて、あとは黙っていたって学校の要職にいずれは就くのが約束されていたんだ。それがよう、たぶん魔が差したのだろうな。あろうことか全く偶然に知り合った一人の野郎のせいで全部台無しになっちまったんだ」


 そこで男はふうとため息をついて、過去の記憶を辿るように少し間を開けると、


「あれ(ナティーハ)が俺に話してくれたことには、学校の休みの日に、趣味と実益を兼ねていつもやっている獲物狩りを行きつけの森で一人で楽しんでいたときに知り合ったらしい。

 何でも湧き水が湧く場所を捜すうちに道に迷ったからと道を教えて欲しいと尋ねて来たらしいんだ。

 それで親切に教えてやったら、そのついでにその場所まで案内させられたらしい。そのときそいつは、他にも四人の男女と一緒でな、自称、探検家と名乗ったらしいんだ。

 そして自分たちは、頼まれたり自らから進んで未開の地へ赴いては経験したことを記録にまとめて報告したり、旅行記として販売したりしていると話したらしい。またそれだけでは食っていけないので希少種の動植物を採取しては専門業者に買い取りして貰って生活資金としているとも話したらしいんだ」


 そこまで淡々と話したところで、唐突にぞんざいな物言いへと男の口調が変わった。


「だがよ、探検家なんて俺に言わせれば、一攫千金を狙うために危ない橋を渡るならず者と何らかわりやしない。裏では何をやっているか分かりやしないんだ。遺跡破壊や墓荒らし、俺達狩り師の間で禁止されている不当な狩りにも手を染めているのかも知れないんだ。

 俺の考えでは、そいつ等の正体は、大陸内に散らばるように見られる過去の住人が暮していた建物跡を荒らしては、出て来たお宝を売買して生計を立てている盗掘屋か何かだと思ってる。

 余り煩く言うと怒って口をきいてくれなくなるので余計なことを言わずにいたが、今考えると、ナティーハは利用されたんだ。

 誰もが信じて疑わないようなまっとうな理由付けをして近付いてから親しくなるのは詐欺師の常套手段だからな。偶然出会ったとわざと見せかけて、罠にはめたに違いない。世の中そんなに甘くないってことさ。 ま、探検家であろうと盗掘屋であろうと、どちらにしたって命の危険が伴う。大抵、目指す場所には得体の知れない化け物が巣を作って集団で待ち構えている場合が多いんだ。

 俺も何度か経験したことがあるから分かるのだが、信じられないくらい頑丈な体付きをしていたり、目が付いていけないくらいに俊敏に動き回ったり、爪や棘に毒を持っていたり、毒の霧を吐いたり、傷みや熱さを全然感じなかったり、とんでもない数が固まっていたり、はたまた死んでいるにもかかわらず動きを止めようとしなかったりと非常にやっかいだった。 

 それらの相手を全部、ナティーハに引き受けさせようとしたに違いねえんだ。死なれても全然痛くない戦力として仲間に引き入れてな。それに、よそ者にとっては目指す場所まですんなりと行くのは難しいから道案内も兼ねさせてだ。

 小さいうちからあのセキカに散々鍛えられたせいで、その圧倒的な力は、幾度も修羅場を乗り越えて来た歴戦の強者共が束になって挑んだって敵わないくらい群を抜いていたから、どこかでそのことを知って騙しにかかったのだろうな。

 それにしてもあいつもあいつだぜ。もう少し知恵が回ると思ったのによう。ずっと女ばかりの世界で何の苦労もなく育ったせいで余りにも心が真っ直ぐで騙されたことも分からないとはな。どんなことをふきこまれたか知らねえが上手いこと騙されて、のこのことついて行ってしまいやがった。俺達に何も相談することなしにだ。一言でも良いから声をかけて知らせてくれたら、やめておけと忠告してやったのに。だが今となってはもう遅い。手遅れだ。今ごろはどうしていることやら。良いように使われて野垂れ死にしていなければ良いんだが」


 などと未練がましく愚痴のようなものを零す男に、ラム酒を時折り舐めるようにして飲みながらフロイスはうんうんと相槌を打って聞いていた。そして思っていた。こいつ、もう一人の奴にライバル意識でもあるのかい。そして女には特別な思いがあったりして。こうしてみると、人生模様は魔界でも何ら変わらないみたいだ。ま、知ったことじゃないけれどね。

 それとこの後のことだけど……。さてと、これからどうしたものか。このまま良い気分になって動けなくなったり、寝られたりすると後々困るからな。まあ、相手は人間じゃなくて魔人だから、その点は何とかなると思うが。だが念のために、酔い覚ましの特効薬としてラジカル水素水を飲ませるのが常套手段なのだが……。

 そういえばビールと並んで水素水もミネラルウオータも切れていたような。でもその代わりとして、パティーのところから失敬して来たプリンとゼリーの詰め合わせと炭酸水が確か(冷蔵庫の)中に入っていたな。あれを代用品として出してやろうか。そうなると、また説明しなくちゃあならないから面倒臭いが。まあ、良いか。なるようになるさ。


 辺りがすっかり暗闇に覆われていた。それと共に、少し生暖かい風がいつの間にか吹いていた。何かしらの異変を告げるかのように。

 しかしながら二人は、すっかり緊張感がアルコールのせいで薄れていたこともあり、そのことを気付くところまではいっていなかった。

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