第93話

「どんなに努力してもダメみたい。何も出てこないわ」


 小首を傾げてぼんやり宙を見つめていたパトリシアから大きなあくびが漏れた。


「嗚呼もう……どうしたものかしら」


 幾ら考えても無いものは出ないといった感があった。

 デイライトゴーストが現れた過去の痕跡を幾ら辿って調べてみても規則じみたものは何も出てこなかった。アトランダムに出現していると言っても良く。どれほどAI(人工知能)が優れていても、予想が当たらなかったのが合点がいく気がした。

 ――あゝ、嫌になっちゃうわ。ビッグパンプキンから提供された資料がこれほどまで役に立たないなんてね。この先、どう手を付けていいか分かんないわ。

 押し付けられた形であったけれど、せっかくフロイスとホーリーの代理人として張り切っていたのに、初回からこんなことじゃあ洒落にもならないわ。 

 せっかくセキカちゃんにビデオから怪しい人達の姿を目に見えるようにして貰ったというのに。それも全然役に立たないなんて、ほんと、どうしようもないわ。


 事実、全員が揃いも揃って、見た目年齢二十から四十代のどこにでもいそうな中肉中背で平均的な身長の男で、服装も一般市民と何ら変わらない私服姿であったり、警察や軍隊や警備員の制服を身に着けていたり、Tシャツ姿であったり、ランニングシャツ姿であったり、上半身裸であったりと一貫性がなかった。

 また当初には彼等を特定する決め手になると考えられた、手の甲や首筋や腕あたりに見られたタトゥーも、よくよく考えてみれば、カルチャーやファッションやゲン担ぎの一種として普通に定着してしているもので、そんなに珍しくなかったし。犯人達が仲間である印として公然とではなく秘密裏に入れていたかも知れなかった。加えて世間の目を惑わすフェイクとも考えられた。

 ――犯人達はタトゥーに注目が行くようにわざと見せつけているかもしれないし。そう考えるとタトゥーばかりに気を取られていると、相手の思うツボになっちゃうわ。


 つい三時間ほど前に、パトリシアはフロイスとホーリーと共に、彼女の実家から今暮す居宅迄戻って来たところだった。

 更に付け足すと三人はパトリシアの私邸内に作られた作戦室にいた。作戦室は、部屋内を物置きのようにすることで居心地を良くしたもので。実際、部屋の四隅に置かれた整理棚やその途切れた隙間には、古い書籍や古着や陶磁器や各種食器や両親と祖父母の遺品や価値が不明の先祖伝来の宝物やその他細々とした品が入る段ボール箱や木箱や、アンティークの家具や置き物や昔使われていた数々の道具類や武器類といった色んなガラクタ類がうず高く積まれ。その内側の空いた空間に重厚な古い長テーブルとイスとソファのセットとオフィス用ホワイトボードが普通に置いてあって、当のテーブルの上にはノートパソコンが一台と数冊の書類と筆記具と数台の携帯が無造作に載っていた。

 そこに、紺色のジャケットの上着を脱いでブラウス姿となったパトリシアが、男物のグレーのニットシャツ姿のフロイスと白のTシャツ姿のホーリーの二人と、テーブルを挟んで腰掛けていた。

 ビッグパンプキンからの依頼のデイライトゴーストの件について、環境が変われば何かしらの良いアイデアが思い浮かぶかも知れないと考えて、パトリシアの実家から戻って来て以来、約一時間半位そうしていた。だが進捗状況は、全くと言っていいほど思わしくなかった。


「これだけ手掛かりがないのでは、どうしようもないな」それまで腕組みをしてじっと目を閉じ下を向いていたフロイスが、いよいよモチベーションが続かなくなったのか、うなだれた顔を上げて相向かいからふいに呟くと、そこへホーリーが彼女の隣から眠たそうな顔で相槌を打った。


「ええ、そうね」


 そしてぼそぼそと続けた。


「とにかく相手は、ほとんどと言っていいほど決定的な証拠を何も残していないもの」


「どうやったら見つけられるのかさっぱり分からないぜ。あゝ、もう。考えるだけでストレスがたまるな」フロイスがため息混じりに吐き捨てた。次いで、ひとり言を言うような低いトーンで言い添えた。


「もうこうなったら残るは、未来予知か透視ができる霊能力者を捜し出すか、良く当たる占い師に見て貰うかのどちらかだが、そんな都合の良い当てもないし、知り合いもいないからな」


「そうよねえ」ホーリーがぐったりした表情で再び相槌を打った。「確かに……」


 明らかに情報収集能力のひ弱さが出ていた。

 非科学協会や世界導師協会のように世界中に秘密の支部をもっていなかったし、スタン連合と同盟アストラルとクロトー機構の三大団体のように配下に同胞や協力関係の組織を持っていなかった。

 つまり早い話、そもそもロザリオという組織は、信頼のおける人脈や情報提供者やアドバイザーや協力者を持っていなかったのだ。


 そのあと、しばらくの間沈黙が続いて、とうとう考えるのに飽きてしまったのか、フロイスがぎょろっとした目を細めてにやりと笑うと呟いた。


「なあパティ。お前が少しでもお前の母親の才能を受け継いでいれば、こんな苦労はしなかったのにな」


 そう言われて、きょとんとしたパトリシアに、ホーリーがふふんと微笑むと、いたずらっ子のような眼差しで追従した。


「そうよ。あなたの父親のナイヒルみたいにダウジングで犯人の居所か、次の犯行現場を探ってくれると嬉しいんだけどね」


「そんなことを言われてもね」


 二人からたらればの話を出し抜けに聞かされて、パトリシアは即座に口を尖らせてむすっとすると反論した。失礼しちゃうわね、どうして私が責められなくちゃいけないのよ。


「私だって両親の能力を受け継いでいたらと思うことはあるわ。でもね、それは敵わないみたいで、幾ら真似たところで何も頭に閃かないし、不思議な現象も起こることもないし。

 それに二人とも、私には何も教えようとしなかったんだから。両人とも後を継がせる気が全然なかったみたいよ」


「普通なら少なくとも片方の才能を受け継いでいたとしても不思議じゃないのにね」


「たぶん、お前には才能がないと見ていたのかもな」


「はいはい、そうかもね」パトリシアは苦笑すると聞き流した。二人の目が笑っていたことから退屈を紛らわす暇つぶしで言ったと思われた。よってパトリシアは本気だとは見ていなかった。

 ――あゝもう。ご両人さん、相変わらずジョークがきついんだから。


 あゝそうよ。その通りよ。私はママから物覚えが悪いと呆れられて、占いのことは全然教えて貰っていないのよ。そりゃね、生まれながら天才肌であったママに比べれば、そうだったかも知れないけれど。でもね、 あの当時ママの世話をする人が三日も持たずに入れ代わり立ち代わりするのはなぜなのか分からなかったけれど、今思えばその人達はママに弟子入りをしてきた人達で、誰一人として務まらなくって辞めていったってことらしいわ。それを考えば、私は結構普通であったんじゃないかしら。

 普段厳しかったママに比べてパパはいつだって優しくて何でも私の希望を聞いてくれていたから、私がパパのダウジングを学びたいと言ったら教えてくれていたかも知れないけれど。でもあの当時は、パパはどんな仕事をしていたのか全然興味がなかったし。そんな私が今となっては手遅れだと思うけれど、世の中のことが何も分かっていない小さい時分に、既に将来の職業をはっきり決めてしまうなんて、土台無理な話よ。


 それ以降、「あゝ」「うーん」「ふーん」と三人の間でため息のみが漏れる一方で全く進展がなかった。刻だけが過ぎていくばかりで、誰の表情からも気持ちがだれているのが見て取れた。


 十二日間に及んだパレード主体のお祭りの有終の美を飾るように、最終日の夜の八時過ぎ、広場に集められた山車の周りで最後のセレモニーが行われた。

 お祭りのフィーナーレのムードを盛り上げるように山車を彩っていた灯りや周辺の照明が全て消された後、どことなく郷愁にかられるメロデイが奏でられ、続いて夜空一面に七色の色鮮やかなレーザービームが一直線に放たれて、幻想的な幾何学模様を浮かび上がらせた。それが約五分間ほど続いたあと、最後に一発の花火が夜空に舞い上がって爆発。「ドーン」と轟音を響かせながら放射状に黄金色の光を艶やかに拡散させてと、心なしか名残惜しさが残るうちに無事閉幕を迎えていた。

 そのような具合いにして閉会式がとどこおりなく終了した然る後、お祭りを取り仕切った関係者を始めとして地方の名士やパレードに深くかかわったり資金協力した人々が自前の車やチャーターした車両や貸し切りバスを使って最寄りの市運営のイベントホールへ移動。そこの五百人程度が収容できる会場において慰労を兼ねたパーティーが催された。夜の九時を過ぎた頃であった。もちろん、その中にはパトリシア一行も含まれていた。

 会場では、先ず、お祭りの発起人であった女性の市長が代表してマイクを手に取り、


「パレードに十二日間、準備期間も合わせると約一ヶ月という長丁場の催しも皆さまの多大なるご支援とご協力により、何事もなく無事に終えることができました。そのことにつきまして先に私から感謝を申し上げたいと思います」と冒頭のあいさつを述べた。そして最後に「私共が緊縮財政の中、ここまでやれたのも皆が皆、ここにおられます大勢のお方のご理解とご協力が得られたからだと信じてやみません。来年も何とどご支援の程よろしくお願い致します」などと、来年に向けての抱負を述べ締めくくった。

 そのような具合いに、およそ十分くらいで彼女のあいさつが終わると、パレードに携わった各市町村の首長による簡単なあいさつへと続き、終わりに催しに深くかかわった老齢の政治家が代表して進み出た。そして彼による祝杯の掛け声でいよいよ夕食会が始まった。


 ちなみに夕食会の食事は低予算で抑えているのか、ファストフード中心の簡単に食べられる料理が用意されてあった。

 ざっと例を上げるなら、ラムや鶏肉の串焼き、魚介のから揚げ、ポテトフライ、各種パイ料理、クロケット・ミートボールが盛られた皿や器。白パンや焼いた各種のパンがずらりと並んだトレイ。トマトサラダ、ポテトサラダ、生ハムサラダといった各種サラダが各々盛り付けられた大皿。色鮮やかなスープ類が入る器。スパークリングワインから果実ジュース、アイスコーヒー、アイステイー、コーラ、ミネラルウオーターといった飲料水のビンが一まとめにされて各テーブル別に置かれてあった。

 しかも人件費を省くためなのか、各自がそれらを小皿に取って立ちながら或いは別のテーブル席で腰掛けて食べるビュッフェスタイルとなっていた。


 招待された大勢の人々が食事を楽しみながら談笑する中に、いつの間にやって来たのか分からなかったがズードの姿もあった。小麦色に日焼けした強面のいかつい顔にトレードマークの黒いサングラスをかけて、自警団の団長らしくフォーマルスーツをびしっと着こなし、同じような風貌の連中を数人引き連れて来ていた。

 七フィート近い上背と三百ポンド近い巨体であったことで頭一つ抜けていて、パトリシアには遠目から見ても直ぐに分かった。だがそのとき彼女は眺めるだけで留めていた。傍にまでわざわざ近付いて行って言葉をかけることはしなかった。彼には彼の立場というものがあるからとして。

 ズードも同様だった。公私の区別をはっきりつけて、奥の隅の方でいたパトリシアの姿を捜す素振りを一切見せることはなかった。

 パトリシア達一行はさっさと食事を切り上げると、ゆっくりすることもなく会場を後にした。住む世界が違う人々が集う中に長居していても、ろくなことにならないとして。

 そのあと、真っ直ぐに駐車場へ向かうと、待っていたいつもの車に乗り込み、実家の離れの建屋に戻っていた。もうその頃には夜の零時を回っていて、パトリシアはみんなと部屋で一息つきながら思った。

 これで私の役割も無事終わったことだし。それに、余りここに長居していると今や観光スポットとなった実家を見物しに訪れる人々の見世物になりそうだから今朝にもここを発って今の自宅に戻らなくちゃあね。

 パトリシアはしばらくゆっくりしてからみんなに手伝って貰って部屋の後片付けをして帰り支度を整えてから建屋を出るつもりでいた。ところがその目論見は、


「すまないなパトリシア。お前も知っていると思うが、俺が登録しているプロツアーガイドのシンジゲートに久しぶりに俺指名のオファーが届いてよう。実は物好きが二名、俺の同伴を望んでいるんだそうだ。

 その場所はどこなのか訊いていないが、何でも一人は戦地を生で見てみたいんだそうで。もう一人の方は戦争に付いてのルポルタージュを書きたいんだそうでよ。危険な場所で間違いないと思う。

 そういうわけで、もっと付き合ってやりてえんだが残念なことにそれができなくなったんだ。悪いがそういうことで許せ、ちょっくら冒険してくるわ」とロウシュが別れを突然切り出したことから狂っていた。

 そこへ加えてコーまでもが彼に続いて、「友人達に、しばらく遠縁の家族に会いに出かけるからとメモを残してきたので、もうそろそろ帰らないとみんなが心配するから」と言って、別れを告げたのだった。


 ロウシュは非正規のツアーコンダクターを副業に持っていた。

 つまるところ、車のドライバー兼ボディガードとして、顧客によって指定された場所(大概は、戦闘行為が行われている地域や治安の悪い危険地帯といった誰もが行きたがらないところ)を専門に巡るのであった。

 一方コーは、二年生大学を卒業して、それまで住んでいた学生向け賃貸マンションから郊外の別荘地に建つ築年数二十年の二棟建てコッテージハウスへ移り住んでいた。幼女体型であった彼女のためにわざわざゾーレが現地を訪れて購入したもので、二棟の内の大きな棟には、料理、洗濯、掃除といった家事と留守中の家番をして貰う見返りとしてコーの学生時代に親交があった級友やその友人たちを無料でシェアさせて住まわせていた。コーの身の回りの体裁と整えて彼女の正体をカモフラージュするためと、一人きりが原因となってコーが何かの拍子で暴走して事件を起こさないようにするためにゾーレが立案したことであった。

 そのことをゾーレから聞かされ知っていたパトリシアは、コーちゃんが正体を知られずに仲良くやっているのなら残念だけど仕方がないことだわね、と両人の申し出をすんなり容認していた。


「それじゃあ俺達は先におさらばするぜ。後は任せるから適当にやってくれ」「それではまた」


 ロウシュとコーの二人が薄笑いを浮かべてそう言い残し、ロウシュの魔物の一匹が変身したロケットそっくりな飛行物体に乗って空高く飛び去った後、残されたパトリシアとフロイスとホーリーの三人は、ひとまず一休みをしてから帰り支度を整えると、朝方、管理を任された係員が通勤してくる頃合いを見計らうようにして、市の所有物となっていた実家の敷地の出入口の門を正々堂々と出て、それから真っ直ぐにパトリシアの居宅へ舞い戻っていた。


 それ以後、誰もが一言も口を開かなくなると、またもや辺りがしーんと静まり返り、何とも言い難い空気が漂った。

 ちょうどそのときだった。そのような重い空気を切り裂くようにフロイスが突然「あゝ、もう無理だ!」と叫び声を上げ、座っていたソファから急に立ち上がりプイと横を向いた。


「どうしたのよ。どこへ行く気?」おやという顔を向けてパトリシアが彼女の背中に呼び掛けると、


「トイレに行ってくる」フロイスはそう一言伝え、肩で風を切るような勢いで、勝手に部屋の出口の方へ歩いて行った。


 そこへホーリーも続いた。「それじゃあ私も行きたくなったみたい」などと、謎の言葉を吐くと、「それじゃあ行ってくるわね」とパトリシアに笑って告げて、フロイスを追いかけるようにして立ち去った。


 そんな二人をパトリシアはぽかんと口を開けて見送り、そして思った。「ほんと、仲が良いこと。彼女等らしい逃げの一手だわ」


 それから気が抜けたような顔でため息を一つ付いた。「仕方がないわねえ」

 出て行った二人をパトリシアは何となく分かる気がした。二人とも、どちらかと言えば現場主導タイプで、イスに座ってずっと考えるタイプじゃないもの。


「でも、このままではいつまで経っても良いアイデアが思い浮かびそうにないわね」


 二人を指揮するというこのような役回りは生れて初めての経験であったパトリシアは、余り気乗りしない顔で呟くと深いため息をついた。「はあ、疲れた」


 十分ほどして、二人はすっきりした顔で戻って来た。パトリシアは再びソファに腰掛けた彼女等を前に、「ねえ、このまま続けても一緒のような気がするわ」と切り出すと「それよりも気分を変えるという意味で、一時閉会としない? 実際には、のんびりやっている暇はないんだけれど、急がば回れということもあるから」と二人に提案した。すると二人は、


「それが最善の選択肢ならそれで良いんじゃない。私は構わないわよ」「私も同じだ。このままじゃあ埒が明かないからね」と口々に言って同意した。


「そう。分かったわ」パトリシアは小さく頷いて頭の中を整理すると言った。


「それじゃあ、この次は明日と行きたいところなんだけれど、それだけじゃあ余りにも時間が足りなさそうだから、次は四日後というのはどうかしら?」


「四日とはまた随分と中途半端なこと。パティー、何かあるの?」


 さっそくホーリーが訝しげな目で訊いて来た。


「ええ。実は私の方にちょっとした用事ができてね」


「それは何よ?」


「ええとイクさんがらみのことなんだけど。こちらに残しておいた携帯の一つにあの子からメールが届いていてね。てっきり妹のことかと思ったんだけど、何のことはない、パートでも住み込みでも何でも良いから雇って欲しい女友達がいるとのことでね。それを手っ取り早く片付けてしまおうかと思っているの」


「ふーん」ホーリーが鼻で嘲笑うと述べた。


「あの子、自分のことは置いといて、他人の心配をしてやるなんて、おかしな子ね」


「全くだ。お節介にも程がある。変わった奴だぜ」そこへフロイスが苦笑いを浮かべると、


「ま、世の中がまだこんなんじゃあね、しょうがないんじゃないの」あっけらかんとパトリシアは呟いた。


「それで採用すると決めたの?」ホーリーが訊いて来た。


「いいえ、まだよ。一応、素性を訊いておいたんだけど。その子はイクさんと同じバイト仲間で年齢も学歴も一緒。イクさんと同様にハイスクールを中途で辞めているみたい。ただ住んでいるところや家族のことは話したがらないみたいらしく。イクさんも知らないみたいなのよ。だから、念のために一度面接をしておこうかと思ってね。

 それからこちらへ来て貰おうかと思ったのだけど、イクさんの家からだと、ここまでの道のりは何といっても遠いでしょ。それで私が直々に車で向かいに行こうかと思っているの。そのついでに妹に会っておこうかと思ってね。ラインやチャクターやニンクで毎日連絡を取るようにはしているんだけれど、全然会っていなかったら、突然私の手の届かないところへ去られても困るしね。

 あと、イクさんの猫ちゃんそっくりの魔物に知恵を借りようかと思ってね。ロウシュの魔物から中々の策士だと聞かされているのでね」


「ふーん、本当はそっちが本命だったりして」


「まあ、そうかもね。それはともかく利用できるものなら何でも利用しないと、この件は解決できないんじゃないかと思っててね」


「ま、そうかも知れないわね」


「さてと、それじゃあ、そういうことで。お願いするわね二人とも」


「ああ」「分かったわ」


 途端に二人の表情がパッと明るくなった。

 それを見て取ったパトリシアは、表情を緩めてほっと息をついた。肩の荷が下りた気分だった。そして思った。幾ら考えたって出ないものは出っこないしね。

 それと共に、これまでにたまっていた疲れがどっと出ていた。彼女なりに神経をすり減らしていたのだった。


 ――――それから四日経過した昼下がり。

 ノースリーブのニットシャツにジョガーパンツ、サンダル。洗いざらしのシャツにデニムのパンツ、ワークブーツといった軽装姿でホーリーとフロイスのふたりが軽やかな足取りで現れると、パトリシアが普段リビングに使っている二階の部屋の中へいつものごとくずかずかと遠慮なく入ってきた。そして、グレー色の部屋着姿でゆっくりくつろいでいたパトリシアを見つけると、


「元気していた、パティー!」「やあ、パティ!」と陽気に話し掛けてきて「さあデイライトゴーストの件について続きをしましょう」とホーリーが歯切れのいい口振りで言ってきた。

 どうやら四日間間隔を開けたことで何かしらの進展があったらしく、二人の表情にはっきりと余裕が見えた。


「ええ、分かったわ。二人とも、四日の間ご苦労様」


 ソファに腰掛けたままパトリシアが、あいさつ代わりに首を振って、にこやかな笑顔で同意すると、二人は何かを捜す様子で部屋内をちらりと見回し、フロイスが不思議そうな表情で訊いて来た。


「ところで、お前が言ってた家政婦見習いは来たのかい?」


「あゝ、イクさんが紹介してきたパートさんのことね」パトリシアはソファから立ち上がると事もなげに言った。


「昨日着いたところよ ついでにイクさんと妹も一緒に連れて来たわ。今は、そう……イクさんが家の外を案内して回っている筈よ。予めこの辺りがどんな風になっているのか知っておいてもらわないと、後でホームシックになられても困るしね。

 陽が落ちるまで戻ってくればいいからゆっくりしてらっしゃいと言っておいたから、向こうでのんびりしているんじゃないかしら。あの子は根が正直だから」


「なんだ、見ないと思ったらそういうことかい」フロイスは軽く頷くと話題を変えた。「それで、務まりそうかい?」


「それはまだ何とも言えないわ。来てからたった一日しか経っていないもの。ただ一生懸命にやろうという気遣いは、見ていてはっきりと伝わってくるから慣れれば何とかなるんじゃないの」


「ところでお前。お前自身と私等の正体をばらしたのかい?」


「馬鹿ねぇ、そんなこと言えるわけないじゃない」にっこり笑ってパトリシアは一蹴すると言った。


「もし言ったら、たぶん恐怖で固まってしまうわ。下手をすると卒倒してしまいかねないわ。だから機転を利かせて、医療とか金融とか軍事に関連したブローカーの仕事をしていると自己紹介しておいたわ。向こうは意味がさっぱり分からないみたいで目を丸くして聞いていたみたいだったけれどね。

 あと、あなた達のことについてはまだ話していないわ。けれど、紹介するとなると、仕事上のパートナーとかになるんじゃないかしら」


「なるほどな」フロイスが薄笑いを浮かべて頷くと、その隣でホーリーが笑って呟いた。


「ふふん、良く言ったものだわ。物は言いようね。よくもそこまでオブラートに包んで言えるものだわ」


 いつもの悪い癖が出て余計な一言を言ってきた、そんなホーリーに、別に盛っているわけじゃないのだから良いじゃないとパトリシアは心の中で反論してスルーするとフロイスに催促した。


「内輪の話はこれぐらいにして、それよりもここでは何だから……」


「あゝ、分かってる」


 直ぐに暗黙の了解で三人は部屋を出ると、作戦室として使っている部屋に連れ立って向かった。


 それから数分経った頃。三人は四日前と全く代わっていないしんと静まり返った室内に入ると、四日前と同じ席に着いて、先ずホーリーがふふんと笑って口を切った。


「いよいよ、妹さんと一緒に暮す気になったの?」


 興味深そうに訊いて来た彼女に、パトリシアは表情を引き締めて首を振ると言った。


「いいえ、まだよ。まだ準備が整っていないもの。まだまだハードルが高いわ。だってそうでしょ。私も忙しい身だし。いつも一緒にいてやれる保証はないし。私がいないときに急に気が変わって向こうへ帰られもしたらゾーレに合わせる顔がないしね。一緒に連れて歩くという手もあるんだけど、行く先々で事件を起こされても困るしね。何しろ、もう普通の人間じゃないのだもの。それを考えると、もう少し様子を見てからではないと何とも言えないわ」


「まあ、それが賢明な判断かもね」ホーリーは微笑すると、


「慌てるとろくなことにならないというものね。逆にあなたがネピの都へさらわれてしまうかも知れないし。そうなると、あなたとは永遠のお別れになるし。私達も寂しくなるもの」


 そう言って一旦言葉を切り、一緒にやってきたフロイスと顔を見合わせ互いに目くばせしてにやにやすると、


「前置きはこれぐらいにして。実はね、あのあと戻る途中で、二人でもう一度話し合ってみたの」と口を開いて話題を変えた。


「すると、環境がいっぺんに変わったのが良かったのか知らないけれど、もうこうなったら、やけくそで有名どころの頭脳明晰な探偵さんを五、六人見繕って世界中から拉致してきて、私達の代わりをやらせるほかなさそうだとか。魔道具販売業者にかけあって、予知や透視能力に関する代用品が何かないか探してみるのはどうかとか。それとも悔しいけれど、今回ばかりは申し訳ありませんが辞退させてくださいとビッグパンプキンへ謝りに行こうかとか。そんな風に話が弾んでいたときに、あなたに面会にやってきた教会の関係者に少し違和感を覚えてね。あのときは何も感じなかったけれど、改めて思い起こしてみると、あの夜、派閥同士交流がないはずの教会が揃いも揃ってやって来たことや、やって来た全員が教会の正装であるローブ姿でやって来たのが、どうしても不思議で気に食わなくってね。

 まあ、どれほど片田舎に在住していても名門であれば誠意を示すのがマナーであると言ってしまえばそれで終わりなんだけれど、普通なら二人内外で来るのが釣り合いが取れてるわ。それがどの教会も四人連れ、五人連れでくるなんて、些細なことなんだけれど、どうしてもそれが腑におちなくってね。通常ローブには戦闘服としての機能を持たせてあることから、まるで戦闘態勢でやって来たように見受けられたの。

 それで二人で一緒に調べてみようとなって。すると、意外なことが分かったの。

 かつて二人でかかわったことなんだけれど、ビッグパンプキンの依頼で、白魔術師派のとある教会のお偉いさんの暗殺と破壊工作をしたことがあってね。そのとき私達に内部の情報を提供してくれて、おまけに手引きまでしてくれた関係者の居所と顔と身分を覚えていてね。弱みを突くようで悪かったけれど、この際仕方がないことだと割り切って会いに行ったの。そして行ってみると、かなりな地位まで出世していてね。これは手っ取り早いと、四人から五人の複数の者達が教会の正装姿で外を出歩くことは頻繁にあるのかどうか探りをいれて見たのよ。

 すると、さすが教会の事務方に在籍するだけあって、儀礼式のときと、重要人物を迎えるときと、例えば教会の代表が他団体への外遊や外交を行うような場合に周辺を警戒にあたるときに相当すると、至極まっとうな答えが返ってきてね。

 しかし私達のところにやって来たのは、そのいずれにもあたらないけれど、それはどういうことかと疑問を投げかけてやったら、本来教会は過激な武闘派集団でない。何事も平和裏に解決を図る穏健派の集団である。だがもし教会に何かあったときにはそうは言っていられない。そのため、教会内に特別に設けられたその地域担当のテロや犯罪を扱う部署が動いて事に当たる。危機管理室の監査官一行がやってきたというなら恐らくそれにあたり、そのとき全員が正装姿である場合が多いという話でね。

 つまり、あのときにあなたに面会しに来た教会の関係者は全て、話し合いをしに来たんじゃなくて、いざとなったら事を構える覚悟を持って来たみたいなのよ。そこにいた私達が予想した者達でなかったから何も起こらなかったけれどね。

 そういうわけで、一体あなたを誰と見ていたのか事情を聞いていくうちに、向こうからポロッと出て来たのは何とデイライトゴーストの話だったの。

 一連の犯行の様子からデイライトゴーストの犯人像を、私達が想定したように、教会側も目立ちたがり屋で世間を騒がせて喜ぶサイコパスの一面を持つ集団ではないかとみて、一躍世間に知られるようになったあなたに目をつけてやって来たらしいのよ」


「つまりは、私のところがデイライトゴーストじゃないかと向こうが勝手に疑って、念のために武装してやって来たってこと?」


「まあ、そういうことになるわね。状況から言ってビッグパンプキンだけでなく、どこの教会側も陰で被害を被っているらしくって、躍起になってデイライトゴーストを探し回っていたようだもの。それに一緒に揃って来ないで別々にやって来たことから見て、独自に犯人捜しをしているみたいよ。おそらくお互いに相手に知られたくない機密情報や内情があるからでしょうね。

 どこの教会にも透視や予知や千里眼といった能力を持つ者がいてもおかしくないのに、それが全然機能していないなんて、相手を褒めるわけじゃないけれど、相手は想像以上に一枚上ということね」


「ふ~ん」


 なるほどとパトリシアが頷くと、


「そのついでというか、他にもやってきた、いかがわしい奴等の素性も調べようとなって。実は彼女がね」


 ホーリーがそう言って隣に腰掛けるフロイスの方にちらりと目をやると続けた。


「良く利用している武器屋の主人が、口が堅くて裏の世界の事情に顔が広くて詳しいからということで、いきさつを話したら何か分かるかも知れないとなって、そこに行ってみようと二人で向かったの。

 するとこれが、ひげ面のこわもての顔に似合わずに中々の好人物で。これこれこう言う事情で人捜しをしていると説明すると、しばらく考えて心当たりがあったのか『もしかしてあそこかも知れないな』と言って、『そのような連中が寝ぐらにしている都市と普段利用している仕事の紹介所と彼等がたまり場としている場所を何ヶ所か知っている。そこへ行かれてみては』と丁寧に教えてくれてね。そしてその通りに行ってみると、案の定、その場所にターゲットの一つだった、出版社の記者だと名乗ってやってきた二人連れの若い女がその目に付きやすい奇抜なスタイルとルックスでいたってわけ。後はお決まり通りに捕縛してやって、あなたのところへやって来た理由を白状させてやったら、『評議会からの請負仕事で行ったまでだ。中の様子をできるだけ探ってサイコパスの性格を持った集団かどうか報告して欲しいと頼まれた。それ以外のことは何も知らない、聞いていない』の一点張りで。ま、嘘は言っていないようだったけれどね。

 またそのとき時間にまだまだ余裕があったので、結婚仲介業と名乗った男もついでに捜し出して捕えてやったんだけど、そいつも三団体から金で雇われた回し者で、全く同じ返事が返って来てね。

 この分だと三つの団体の中にも被害が出ていて、怪しいと思われる事案をあちこち嗅ぎまわっている気がするわ。教会のみが被害を受けているなら、あそこはこれ幸いときっと高みの見物を決め込んでいる筈だもの。それが同じように動いているとなると配下や協力関係にある組織に被害が疑いなく及んでいると見た方が良いかもね」


「ふーん、そう」頷いたパトリシアは、少し間をおいて頭の中を整理すると訊いた。


「すると、どこも今もって手掛かりらしい手掛かりはつかめていないということかしら?」


「ええ。信じられないことに、そうみたいね」


 ホーリーがこっくりと頷くと、そこへフロイスが言葉を継ぐように口を挟んだ。


「この分だと、まだまだ被害が出るだろうな。だが私等としちゃあ、その方がありがたいけどね。相手が良い気になってポロっとミスを犯したときが勝負だ」


「それじゃあ、それまで気を長くして待つということ?」


「あゝ」「まあ、そういうことになるわね」


 口を揃えて応えた二人に、パトリシアは憮然として口を尖らせると叫んだ。「何よ、それ!?」


「仕方ないだろう。それ以外に手がないのだからな」


「その通り。結局のところ、この件は相手が大きなミスをしない限りはどうにもならないんじゃないかしら」


「もうこうなりゃ、相手を褒めるほかないだろうな。教会と三つの団体が全力を持ってしても未だに解決できないんじゃあな」


「ま、犯罪事件で言えば、たくさんの物的証拠と状況証拠がありながら未解決のまま迷宮入りで終わるパターンね。事実そのような方向に進みつつあるみたいだし。

 まあこう言ったらなんだけれど、現実なんてこんなものよ。最後に必ず犯人へ辿り着ける小説やドラマのストーリーのようなわけにはいかないわ」


 苦笑しながらそれが当然だという風に、あっけらかんと信じ難い言葉をまたもや揃って口にしたフロイスとホーリーに呆気にとられたパトリシアは、直ちに眉を寄せて不快感を示すと促した。


「もう二人とも。そんな悠長なこと言っていないで、もっと真剣に考えてちょうだい!」


 何呑気なこと言っているのよといったところだった。そんなパトリシアの生真面目な表情に、二人は長テーブルを挟んで穏やかに微笑すると、フロイスが、


「それじゃあ、ビッグパンプキンにそれまでの経過を説明して開き直ってみてはどうだろうね」と口を開いた。

 そんな彼女の提案にパトリシアは一瞬絶句すると、目を見開いて、少しいらだった物言いで言い返した。


「それって全然問題の解決になってないじゃない。それに、それって何か格好悪くない?」


「じゃあ、どうすれば良いと思う?」途端にホーリーがにやりと笑って逆に訊いて来た。「ねえ、教えて貰いたいわ」


「そう言われても……」さすがにパトリシアが言葉を詰まらせると、代わってフロイスが口を開いた。


「それだけ、今回ばかりは手に余るのさ」


「ほんと、困った話ねぇ」


「あゝ確かに」「そうかもね」


 諦めムードの二人に、パトリシアはうんざりして心の中でため息をついた。

 あゝもう。何てことよ。二人とも謝罪するのが私だと知っていて本当に無責任なんだから。このまま何も分からず仕舞いならば、本当に私がビッグパンプキンの本拠地まで出向かなければならなくなっちゃうわ。

 それにしてもほんと前代未聞よ。あらゆる手を尽くしましたけれど無理でしたと謝って、本当に向こうは許してくれるのかしら?

 そう考えたところで、ちょっと思い浮かんだ疑問が言葉となって口から出た。


「ところで、こんなことは以前にもあったの?」


「いや、ないな」フロイスが即座に答えた。


「私等が引き受けたときには既にお膳立てができていて、後はこちらの流儀でこなせば毎度何の問題もなく片付いていたし」


「それじゃあ今回は特別ってこと?」


「いいや、一概にそうとは言えないんじゃないかな。あれだけ資料が揃っていたし。向こう側(ビッグパンプキン)はすんなりケリが付くと思っていたんじゃないかな」


「それがここまで手こずるとはね」


「あゝ」


「……」確かに彼女の言う通りだろうと思われた。パトリシアは大きく息を吐くと、静かに目を閉じた。あゝ、この分だと、本当にビッグパンプキンまで謝りに行かなくちゃあいけないわ。


 そのようなときだった。不意に、それ程若くない男の声が、ひっそりとした室内に響いた。


「みんな、集まっているようだな」


 声が聞こえた方へ三人が揃って振り返ると、果たしてネコの姿そっくりな薄紫色の生き物が、ピンと背中を伸ばした状態で、気配を感じさせずにぽつんと佇んでいた。イクと契約するレッコウセキカという名の魔物で。何のことはない、最後に入ったパトリシアがわざと開けっ放しにしておいたドアの隙間から入って来ていたのだった。


「あっ、ちょうど良かった」


 パトリシアはにこにこすると、嬉しそうに手招きした。


「こっちへ来て聞いてちょうだい。あなたの知恵を借りたくってね」


「相分かった」


 上から目線で即応した小さな生き物は、中の様子を観察するかのように視線を送ったかと思うと、見る間に空いていた別のソファの中央にちょこんと載り、グリーンの瞳でパトリシアを覗き込んだ。そのタイミングでパトリシアは、ここまで至った以上は隠し事をしても始まらないとして、それまで知り得た情報を包み隠さず話した。

 生き物は冷ややかな表情でじっと聞き入っていた。が、やがて話が終わると、


「ふーむ、分かった」


 そう言うなり、堅苦しい物言いで聞きただした。


「お前達のみならず、被害を被った同業の者達の関係者がよりによって総出で探索をしているにもかかわらず、今もって手掛かりの一つもつかめていないというのか?」


「ええ、まあ……」パトリシアはこっくりと頷くと言った。「それで何だけれど、あなたならどうにかならないかと思ってね」


 そのとき、興味深そうに静観していたフロイスとホーリーが息を合わせてぼそっと呟いた。


「猫の手も借りたいというところだな」「そういうところね」


 明らかにふざけて言ったのだろうと思われた。そんな二人に本音を突かれたわけではなかったがパトリシアは心の中で、あゝそうかもねと自虐めいた対応をして肯定すると、神妙な表情で生き物の返答を待った。

 明らかに無理な要求と知っていたが他に頼れそうな者はいなかったのだから仕方がないことであった。

 すると生き物は素知らぬ顔で静かに頷くと言った。


「ふん、何かと思えば理不尽なことを言ってくるものだな」


「ええ、無理な注文だということは重々わかっているわ。そこを何とかできないものかと思ってね。もうあなた以外に頼れそうにないの」


「そうか」当の生き物は、ちょっと考え込むように沈黙すると、数秒も経たない内に考えがまとまったのか再び口を開いた。


「それについて、少し確かめたいことがあるのだが。良いかな?」


「ええ、何でも」ほっとしたようにパトリシアが頷くと、生き物は身じろぎ一つせずに続けた。


「それでは、その言葉に甘えて一つ手伝って貰いたいことがある。良いかな?」


「ええ、何でも言ってちょうだい。できることなら何でも手伝うわよ」


「そうか」生き物はホーリーとフロイスにちらりと視線を送ると言った。「ならばその二人に手伝って貰おうとしよう」


「それで二人は何をすれば良いのかしら?」


「なーに、そう難しいことではない。普段やっていることをするだけで良い」


「というと?」


「実はな、例のビデオに映っていた者達の体に垣間見えた模様が、私が知る者の眷属の印である気がしてならないのだ。それを確かめようかと思っている。

 そしてもし私の予想があたっていたならば、一戦交える可能性もないとは言えぬからな。その対応を頼みたいのだ」


「ふーん、興味深い話ね」


「なーに、私の記憶違いなら何も起こらずに終了する」


「それでどんな風にして確かめる気?」


「なーに、簡単なことだ。こちらの世界に、お前達が一般に魔界と呼称している世界から私の知り合いを三名ばかり呼んで来て囮になって貰うだけだ。それだけで相手は異変を感じて直ぐに食いついて来る筈だ」


 生き物の言葉に、パトリシアは目を大きく見開くと思わず叫んだ。


「えっ! 何よそれ。どういうこと!?」


 併せて、それまでリラックスした様子で足を組み二人のやり取りをのんびり眺めていたフロイスとホーリーの目の色が急に変わると、お互いにきょとんと顔を見合わせた。


「セキカさん。あなた、そんなことできるの?」


 パトリシアは訳が分からないという風に目をぱちくりさせると訊いた。あゝ、信じられない。この魔物は魔界から自分の知り合いを呼び寄せることができるっていうの?


「あゝ」生き物は平然として応えてきた。


「その前に直接向こうへ出向いて段取りをする必要がある。私がやろうとしているのは、所在地と合言葉と名前を呼ぶと現れると言ったそんな簡単なものではない。向こうの世界に赴いて目的の者に会い、意思の疎通を図って了解を得て初めて可能となるのだ」


「あら、そう」パトリシアがこっくりと頷くと、相向かいに座るフロイスとホーリーが身を乗り出すようにして生き物に向かって仲良く催促した。


「面白い話だね」「もう少し詳しく聞きたいわ」


 二人に誘導されるようにパトリシアも何かを言おうとした。が、それを制止するように更にフロイスが好奇心に満ちた表情で問いただした。


「セキカ。お前、本当に魔界へ行くことができるのかい?」


 俗に、本体ではなく非肉体部分の精神を召喚する手法であったが、魔界からこちらの世界に魔物を呼び寄せることは広く知られていることだった。

 それ故、古今東西を通じて魔界から悪魔や魔王や魔物を召喚したという記録や話は、遠い昔から現代に至るまで数多くあった。だが、魔界へ行ったというそんな話は聞いたことがなかったのだから当然の反応と言えた。


「あゝ」


 生き物が静かに淡々と答えると、フロイスは「何の問題もなくかい?」と念押しして来た。


「あゝ」


「ふーん。それじゃあ一つ聞くが、私等でも行くことができるのかい?」


「答えは無理と言わざるを得ないな」生き物は首を横に振ると言い添えた。


「精神部分だけなら何とか可能かも知れないが、肉体部分に限っては、残念ながらそれはできない相談だ。一般にこちらの世界の者も向こうの世界の者も一緒だ。不可能だな」


「あゝ、なるほどな」


 フロイスとホーリーの口元から自然と薄ら笑いが零れていた。

 魔界とこちらの世界を自由に行き来できるなんて、さすがに得体のしれない魔物だけのことがある。一体どうなっていると言ったところだった。


「ところでお前の知り合いとは誰のことだい?」尚もフロイスが問い掛けると、


「あゝ、そのことか」あっさり応じた生き物は、一瞬気を持たせるような間を置いてから続けた。


「幼いころより私が面倒を見た子供達だ。向こう側の世界とこちら側の世界では一日の時間量と一年の日数が異なるので余り参考にならないと思うが、そう、こちらの世界の尺度で言うと、今から五百年ほど前のことだ。諸事用があってその地へ降り立ち周辺を徘徊していたときのことであった。思いがけず、そのあたりで暮らしていたと思われる住人の亡骸が、かなりな範囲に渡って多数散在している凄惨な現場に出くわしたのだ。いずれも体がばらばらになっていたり土砂に埋もれていた状況から考えて、何かしらの自然災害に遭ってそうなったか、或いは争いに巻き込まれたのかのどちらかと思われた。

 そのことから考えて生存者はいないと判断したのだが、念のために見て回ってみると、果たしてまだ生きている幼子を発見するに及んだのだ。そこで更に詳しく捜して見ると、あと二名の子供が、もはや息がなかった親に抱かれたままで運よく生きているのが分かったのだ。

 しかし見つけて保護したのは良いが、当時私にとってはその地は初めての場所であったがためにその先のことを心配する羽目になって。結局のところ、現地にいた協力者の手を借りて、代理の養父母を見つけることに成功して、三人が独り立ちする時期まで育てて貰ったのだ。

 無論、私も自然の流れに任せてであったが三人を保護したという責任があったから、いやが上にもかかわらないわけにはいかなくなって、三人に対してそれ相当の役目を果たした。

 その地では、持って生まれた才能と努力と精神力と高度な教育と経験値と食性と置かれた環境が後の成長に顕著に影響を及ぼすことが分かっていたので、時折り様子を見にいっては一緒に生活をして信頼関係を築きながら、その世界で生き抜く術を教え込んだ。

 かくして時が流れ、独り立ちする時期になった頃には、その所産として三人はその界隈では抜きん出た存在となっていた。

 その後、現地を離れた私は、それ以後百年ごとに会いに行ったが、いずれも元気に生活していた。そして今回は二百年振りに当たる。仮に何事もなければ、年齢的にもきっとたくましくなっている筈だ」


「ふーん、なるほど。そういう事情かい」フロイスが頬に手をあて小首をかしげると呟いた。


「それで魔界とはどのようなところだい?」


 そして尚も、ぎょろりとした目で生き物をじっくり見つめると言い添えた。


「あ、それと。ついでにそこに住んでいる者達のことも聞かせてくれないか? 何しろ魔界の様子なんて、どう考えても聞けるものじゃないのでね」


 そこへ、それまで呑気に頬杖をついて微笑んでいたホーリーまでもが、エメラルドグリーンの瞳を妖しく輝かせると同調した。


「そうよ、私も聞きたいわ」


 そんな三人のやり取りを、ソファにへたり込んだまま、パトリシアは目を半開きにして聞いていた。

 ――全部あなた達に任せたわ。為になるとかならぬとか別にして私の専門外のことだから口を挟む立場にないもの。それにしても、どうなってしまうのかしらね。全然先が読めないんだけれど。


「まあ、お前達ぐらいなら良かろう」生き物は小さく頷くと、「例え話したところで、この世界の歴史が、どうのこうのと変わるものではないからな」


 そう続けて、フロイスとホーリーが興味深そうに耳を傾ける中、時間をかけて淡々と語り始めた。


「そう、こちらの世界で魔界と呼称されるだけあって、こちらの世界と向こうの世界の狭間の次元空間には、その象徴として暗黒の闇が何層にも拡がっている。

 そこを通り過ぎたあたりで、魔界の昼と夜を作り上げるとともに魔界に過酷な環境を造り出す原因ともなっている、相当な厚みがあるガス状物質の層が、多岐な色を呈しながら渦を巻いていたり淀んていたり輝いているのが見て取れ。そこを越えると、こちらの世界のように普通に水とか電気とは限らぬが、雨や雷や氷や雪を降らせたりする雲が浮かんで見える。そして、その遥か下に魔界の住人が暮す大地がある。

 大地には、こちらの世界と同様に起伏に富んだ地形が拡がり、山脈や峡谷やクレーターや砂漠や森林地帯や荒野が普通に見られる。また地表面とその地下には河川が流れ、最深部へ行くと、さまざまな気体と液体が凍結した巨大な海と高温高密度のせいで地下の物質が液状化した層が無尽蔵に存在する。大地が内部に持つエネルギーで、向こうの世界の力の源と言っても良いだろう。

 そのような大地の特筆すべきは途方もなく広いということだ。加えて山脈や峡谷やクレーターなどの一つ一つの規模は尋常ではない。

 例えばクレーター一つを取ってみても、こちらの世界が軽く入るのがざらに点在する。

 ところで大地は、概ね大半が生物の生息に適していない。自然環境が過酷なせいだ。例えば、地震の発生で地割れがちょくちょく起こったり、火山活動の影響で大地が燃えていたり火柱や熱水や高温の蒸気が上がっていたり厳しい暑さだったり有毒な液体やガスや電磁波が発生していたり、気流に異常が生じて暴風雨が雷を伴い吹き荒れて洪水が起こったり何十何百という巨大な竜巻が我が物顔で自走していたり。或いは大地が地下の海の影響で凍り付いていたり極度の寒冷化が起こったり、有害な光で包まれたり、大地を取り巻く磁場や電離気体や引力が遥か上空のガス状物質の影響で不安定化若しくは異常となったりするからだ。

 従って生き物は、わずかに残った良好と思われる環境の場所に集まるようにして生息する。

 そこでは多種多様の生き物が見られる。無論、その世界の住人もだ。

 住人は多岐に渡る種族から構成され、過酷な自然をほぼ思い通りに利用する形で生活基盤としている。

 またそこでは捕食者と被捕食者の関係は全くの平等であった。即ち、油断をしていると、例え住人であろうと本来は食料である生き物の餌食となってしまいかねないのだ。

 住人は昔から人口が増えるたびに、その少ない生息地と自然に新しくできた開拓地を巡って同じ住人同士で争いを繰り返す歴史をずっと続けてきた。従って非常に好戦的な特徴がある。

 また住人は、大陸各地から集めてきた建築資材で築かれた堅牢豪華な館で暮す一部の権力者や特権階級は例外として、大抵の場合、自然にできた洞窟とか穴ぐらを住みやすく改造して住んでいる。住居をわざわざ新しく建設しなくてもそのような場所がどこにでも見られ、おまけに、ちょっとやそっとではびくともしないくらい頑丈にできているからだ。そのような生活を遥か昔から続けている。

 そうだな。食べ物であるが、向こうの世界は途方もなく広い上に、そこに暮す種族も多岐に渡ることから、こちらの世界のように主食が何であるか一概に言えない。ただ一つ言えることは、その土地ごとに、周りの自然界において、ありふれて見られる動植物や有機物や無機物やらを主に食べているように思う。

 経済であるが、こちらの世界が貨幣や黄金が基準となって回っているように、向こうの世界でも基準となるものがある。辺境の地や地下深くで採れる、薬にもエネルギー源にもなる鉱石や寿命を延ばす効果がある結晶がそうだ。それらの鉱石や結晶を通貨代わりに使っていた。

 他にも服装や風俗や生活文化はこちらの世界の模倣が多いように見受けられた。おそらくはこちらの世界の住人が向こうの住人を召喚したことが影響して、文化交流のようなものが昔からなされたのであろうな」


 そこまで話したところで、「あとは、そう……」と、生き物はちょっと考えるようにひと呼吸置くと更に続けた。


「私の見た限りでは、彼等のほとんどは、信じられないくらい現実的で夢を見ない風潮があったように思う。

 そのことについて、一応理由を調べてみた。すると、魔界の時代背景がどうやら関係しているらしいことが分かった。

 魔界の歴史は他の異世界の歴史と比べてもそれほど変わりはなく、何十億年にも及んだ大陸統一を目指す覇権主義が幅を利かせていた時代が未達のまま終わりを告げ、弱肉強食の混迷の時代を経て多数の都市国家が乱立することとなり、国家内でそれぞれ独自な支配体系、例えば実力主義社会とか専制主義社会とか派閥社会とか階級社会とかが構築されて栄え、時が経ち権力闘争とか悪政とか世襲制の問題などが起こり再び混迷の時代を迎えて、私が訪れた時期には、現実的な共存共生の社会体制へと、どこもかしこも移行していた。

 その体制では、それぞれの特性、例えば小柄であるとか、また逆に巨人であるとか、身体能力がたいへん優れているとか、戦闘のみに特化しているとか、空を飛べるだとか、駆けるのが一様に速いだとか、力がそれほどでもないが利口で一つか二つ秀でた能力を持つとか、のんびりした性格であるとか、手先が器用で物作りが得意であるとか、個々は取るに足りないが組織力になるとこの上なく優れているとかなどに応じて天職が本人が拒否しない限り自動的に決まる仕組みになっていた。

 どうやら、長い争いの歴史を通じて種族滅亡の危機感を感じた住人の中の生存本能がそのような妥協に至ったように思われた。それ故なのか分からないが、みんな平穏に暮せることに満足しているように感じられたな。

 魔界を訪れて見て、ただ一つ問題があったとすれば、粗暴病とか堕落病とか野心病とか退屈病とかいった突発的な病に精神を犯されて、かつての力さえあれば何をやっても許される自由気ままな世界の復活を目論み、広い大陸中を荒らし回っている粗暴な厄介者連中が多少なりにいたことだな。

 まあ私が知る限り、魔界とはそのような世界であったと記憶している」

 

 続いて生き物は、魔界を行き来するのにはおよそ三日間を要することと、基体となる者に三人の精神を乗り移らせることで召喚しようかと考えている。その基体としてイク、ジス、レソーの三人を考えている旨を述べて話を締めくくった。

 そして最後に生き物は、改まった言い方で「付き合わせて悪いがよろしく頼む」と告げると、確認をとるかのようにパトリシア並びにフロイス、ホーリーのほうへ軽く視線を向けた。

 するとすぐさま、ずっと熱心に聞いていたフロイスとホーリーが、


「発想の転換で、同じことばかり繰り返し検討していたってダメということもあるからね。ここはお前の言うことに従ってみるのも有りかもな」


「当たり前だけど、このままじゃあ何も進展しないしね。まあ良いんじゃないかしら」


 などとそれぞれ応じた。生き物の話を二人に任せっきりにして、ぼんやり上の空で聞いていたパトリシアも少し遅れて、


「セキカちゃん、分かったわ。あなたに任せるわ」と追随。生き物の要請を受け入れた。


 だが、そのあとから生き物と二人のやり取りの回想をすると、別の心配がふと脳裏をよぎった。

 話に拠ると、セキカちゃんと知り合いの魔物三人は親と子のような関係だというけれど。でも、よくよく考えると魔界から呼ぶわけだから、あゝ、ほんと、不安で一杯よ。それにみんな、実年齢が五百歳だなんて。どう対処して良いか分かんないわ。

 パトリシアは、ビッグパンプキンの本部まで謝罪に向かうことから、魔界から魔物を召喚した場合の心配へと関心が移って悩みが尽きなかった。

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