第91話

 次の日の朝八時。あともう少しすると中の建物の管理を任された市側の職員が出勤して来るというとき。

 塀の外で、着替えの衣装が入った二個のキャリーバッグを脇に置いて五人が待っていると、八人乗りの白い大型バンが迎えにやって来た。いつもと変わりなく運転手と自警団の若い男がスーツ姿で乗り込んでいた。

 さっそくパトリシアは、緊張して硬い表情をする二十代前半かと見えた彼等に向かって気軽に声をかけると、かれこれで二人の女友達が手伝ってくれることになった、それについて市長さんに話をしたいので一緒に連れて行って良いかと尋ねた。

 すると二人は、かしこまって分かりましたと二つ返事で了承した。自警団のトップであったズードからパトリシアとの縁と関係を大まかに聞かされ、大事に扱うようにと指示されていたに他ならなかった。


 即座に五人全員が乗り込むと、その日のパレードの出発地点であった、その昔、現代で言うところの保養所的な利用をされていたという巨大な建築物『マガタ・イテン』があったとされる場所まで向かった。

 約一時間ほどかけて、倉庫の面影が残る低層、中層の古い建物が広い道路の両側に隙間なく建ち並ぶ現地に到着すると、その沿道には大型バスが何台も止まり、車道には車が何十台も列を作って渋滞ができていた。

 そしてその奥の道路の真ん中に巨大な山車がずらりと一列に並んで止められており、パレードが開始されるまであと一時間もないということで、それらを取り囲むように大勢のボランティアと一般参加の人々が集まっていた。

 また沿道や歩道には、控え室となっていたイベントテントが幾つも臨時に設営されており、ひっきりなしに人が出入りしていた。

 しかしながらパトリシア達が乗った車はそこへは向かわずに、その手前に見えた全面ミラー張りの高層オフィスビルの駐車場に入って行った。

 駐車場は、セダンやバンや市の送迎バスといった大型車両で既にほぼ半分以上埋まっており、パラパラと警備員の姿も見えた。

 実のところ、特別参加の名士に安全上の理由から何かあってはいけないとパレード開催の関係者が配慮して、一般の人々とは別に最寄りの民間ビルや公共の施設のスペースを借り入れるという形で控え室を手配していたのだった。

 ちなみに、その日は全室が空室となっていた十階建ての雑居ビルの建物の五階から上がそれにあたっていた。


「お待たせしました。着きました」


 駐車した車の助手席から自警団の若い男が身を固くしてそう言い先に下りると、


「時間が来るまで今日はここでお待ち願います。私についてきて下さい。ご案内致します」


 そう続けて、五人が下りたところを見計らい、背筋を真っ直ぐに伸ばして前を向いて歩いて行った。五人がぞろぞろとその後ろに続くと、男は奥の方に見えたエレベーターへ直行。エレベーターの前に立つと操作ボタンを押した。そのようにして、ただちに建物の十階まで上がると、通路内に並んでいた部屋の一つに案内した。その間、若い男は寡黙で無駄な話を一切しなかった。


 そのような具合いで着いた部屋は、一般的なオフィスルームといったところで、それほども広くない無機質な空間に折り畳み式のありふれたイスが十脚ほど置いてあった以外何もなく、がらんとしていた。それでも着替えたり待機するだけなら控えの部屋としては十分と言えた。


「通路の方でいますので、もし何かあれば連絡して下さい。あとは、時間が参りましたら迎えに来ます。それまでにご用意願います」


 若い男は機械的にそう伝えると立ち去ろうとした。次の瞬間、どうやら融通が利かないタイプみたいね。私が言ったことをすっかり忘れているわとパトリシアは立ち去る寸前の男の背中に向かって呼び掛けた。


「ところで市長さんに会いたいのだけど。どこへ行けば会えるのかしら?」


 その問いかけに若い男は足を止めると振り返り、「あゝそうでした。すみません」と詫びて「少しお待ちください。連絡してみます」そう言うなり急いで携帯を取り出して、硬い表情でどこかへ連絡を取った。そして三十秒ばかり簡単な会話を交わしてから最後に「分かりました。では」と相手方に返事を事務的に返すと、携帯を切り元の場所にしまった。そして言った。


「これから直接伺っても構わないということですので、ご案内させて頂きます。その間、残りの方々はここでごゆっくりしていて貰うことになりますが」


「ええ分かったわ」


「それでは私に付いて来て下さい。ご案内します」


「ええ」


 パトリシアは頷いて例の四人の方へ振り返ると、イスに腰掛けてにこやかに雑談に興じていたり、キャリーバッグからさっそく衣装を取り出していたり、窓側に立って外を眺めていたりと、それぞれがパトリシアそっちのけで自由気ままな行動をとっていた。

 パトリシアは、もうみんな自分勝手なんだからと心の中で呆れながら、誰も聞いていないのを承知で、「それじゃあ行ってくるわね」と声を掛けると、さっさと男の後ろへ続いて歩いて行った。 


「市長は五階におられます」


「そう」


 そのような短い会話を交わして二人がエレベーターを使って五階まで下りると、通路側にスーツ姿の若い男が二人立っているのが見えた。

 彼等はエレベーターから現れたパトリシアと若い男を見ると、無言で軽く手を上げ合図をよこして来た。

 もちろん若い男も同じように手を上げてそれに応えると、真っ直ぐに彼等が立つ方向へ歩いて行った。

 三人の様子を見たパトリシアは、どうやらあの二人は若い男と同じ警備を担当している自警団の団員で、若い男が連絡していたのも彼等の一人だったみたいね。即座にそう理解すると若い男の後へ従った。

 すると若い男は二人が立っていた付近に見えた部屋のドアの前で立ち止まり、スパイ映画の一場面のように、冷めた目で彼等と何事かぼそぼそとやり取りすると頷いて、パトリシアの方を振り返り言った。


「この部屋がそうです。中に市長とその友人がおられます」


「そうですか」


「私はここでお待ちしていますので用事を済ませて来てください。但しパレードまでもう時間がありませんので、くれぐれも長くなりませんように」


「ありがとう」


 パトリシアは簡単に礼を言うと、直ちにドアをノックして「入っても宜しいでしょうか?」と問い掛け、「はい、どうぞ」といった答えが中から返って来たところを見計らって、鍵のかかっていなかったドアを開けて部屋へと入った。

 すると中は、パトリシア達が案内された部屋と全く変わらない間取りと広さをしており。その中央付近に置かれたオフィステーブルにグレーの髪の若い女性が、男性一人と女性二人からなる三人と相向かいに腰掛けていた。

 パトリシアは四人共面識があった。彼等は一緒にあいさつをしにきたからだった。

 席にひとりで座っているメガネを掛けたインテリ風の女性は、このパレードを最初に企画した人物でパレード開催推進委員会の委員長でもあった市長で、相向かいに座る三人はいずれも彼女の古くからの友人で、両親のいずれかから引き継いで市議会の議員をしているということで、四人ともまだ若い二十代だった。

 そのとき彼等は何か難しいことを話し合っている最中のようで、どの顔にも一切の余裕が見られず。パトリシアがテーブルの側までやって来て立ち止まると、市長の女性が無理に愛想笑いを浮かべて、すかさず訊いて来た。


「何かありましたでしょうか?」


「そのことですが。再三、ご迷惑をかけると思いますが、実はですね……」


 何となく重苦しい空気の中、パトリシアは市長に視線を向けると、昨夜ホーリーが描いた筋書き通りに話した。

 その内容は、『昨日、二人の友人が遊びにやって来た。こちらが、慣れないことをずっとやり続けているので、疲れが取れなくなってきてもうふらふらよ、最終日まで続けられるか心配よ、と打ち明けると、同情してくれた二人が手伝ってくれることになった。特にその一人は、一日の半分程度を身代わりとなって演じてくれるというので、その許可を求めに来た』というもので。

 その話を無表情で聞いていた市長は、パトリシアが話し終わると、長い髪を撫でるようにしながらぼそぼそと尋ねてきた。


「それでもう一人の方は何をなされるので?」


「あゝそのことですか。ここへやって来たのも何かの縁だからと、仮装して列に加わろうかと言っていました」


「そうですか。ところで、その方はガタイの方はどうですか? 立派な体つきをしていますか?」


「そうですね、立派な体つきか知りませんが身長は六フィート半ぐらいあります」


「本当ですか!」


「はい」


「あゝ、それは良かった」市長の安堵した声が飛んだ。それとともに相向かいに腰掛けていた三人の男女の硬かった表情が緩み、暗かった雰囲気が何となく明るくなった。


「はあ?」


 パトリシアはわけが分からず、怪訝な顔をすると訊き返した。「何のことでしょうか?」


 すると若い市長は「実はですね」と前置きをすると、朗らかに笑って言った。


「役をお願いしていた二人の大学の教授が、自身が関与していた遺跡の発掘の件で新発見があったと報告を受けて行けなくなったと突然二人同時に連絡がありましてね。

 急に二人も欠員が出ることになったものですから、その穴埋めをどうしようかと相談していましてね。

 その役というのが、一人は神代の時代、六フィートの大剣を振るい、勇猛で知られたガンテ・ザ・ダーク・グノウ王で。もう一人も同時代に活躍した十フィートを超す長やりの使い手であるばかりでなく、あらゆる武器・体技に通じ武芸の達人でもあった長身の騎士、マークス・プレッシャー公でしてね」


 市長の女性は、相向かいに腰掛ける見事なあごひげを蓄えたショートヘアの男をメガネの奥から指し示すと、


「グノウ王は私の前の彼が代役をやってくれることになって、すんなり決まったのですが、あとの騎士の方が難解でしてね」


 そう言うと彼女は、相向かいに腰掛ける二人の女性を暗に視線で差した。


 パトリシアは市長の言わんとしたことを分かった気がして、すんなり頷いた。――確かに言う通りだわ。

 二人の女性のうち、ウエーブがかかった茶髪の女性は見るからにやせていて、もう一人のブロンドの髪を頭の後ろでまとめた丸顔の女性はぽっちゃりタイプで、しかも両人とも見るからに小柄であったからだった。


「パレード開始までもう時間がないので一層のこと、ガタイの立派な警備担当の人を選んで、演じて貰おうかと話し合っていたところでして」


「そうですか。分かりました」


「それは助かります」


「こちらこそ先日も無理を承知で二人を側に置きたいと頼んで受け入れて貰った件もありますから。確かにお引き受けしましょう」


「じゃあお願いするとして」そう言って女性の市長は思い出したように周りを見渡してパトリシアの方に振り返ると、部屋の隅に段ボール箱が三個並んでおかれた地点を指差して言った。


「着替えの衣装ですが、あそこの段ボール箱に入っていますので持って行って下さい」


「はい」


 事もなげに用事を済ましたパトリシアは、それから数分もしないうちに騎士の衣装が入った段ボール箱を持った若い男と共に、みんなが待つ十階の部屋に急いで戻ると、ホーリーとフロイスに事情を説明した。

 フロイスに無理を言うことになるけれど。彼女、受けてくれるかしら。そのときパトリシアはそれだけが気がかりだった。

 果たしてホーリーは、旨く行ったようねと言ってにっこり微笑んだ。

 そしてフロイスはというと、彼女は嫌な顔一つ見せずにニヤリと笑うと、


「面白そうじゃないか。私も一段高いところから人の注目を浴びてみたかったところだ」そう言って快く承諾してくれていた。

 そういうことで取り越し苦労で終わったことにパトリシアは一安心だった。これで何とかなったわと、胸を撫で下ろしていた。


 パレードの開始まであと十五分となったとき、過去の人物や伝説の人物に扮した男女が手ぶらでビルの各階から地階へ下りてくると、送迎用のバスが二台待っており。彼等は配役別にぞろぞろと別れて乗り込むと、山車が居並んだ場所まで向かった。

 もちろんその中には、素顔がばれないようにと顔立ちが別人のように変わるまで濃い目にメイクを施して、母親のレアンサから数えて四代前の当主で当時所有していた広範な領地を住民へ平等に分け与えた功績のみでなく毎日が平和で夜間の一人歩きが普通にできたという逸話から地元では今なお名領主として名が知れ渡るパトリシア・マロウ・ミスティークがその当時着た実際の衣装を身に着け同じく彼女が頭に被っていたベールが付いた黒いトーク帽を品よく被るパトリシアも、彼女とそっくりのメイクと格好をしたホーリーも、鋼色をした甲冑に全身を包んで長身の騎士マークス・プレッシャー公に扮し素性をばれなくしたフロイスも、マロウ・ミスティークの側近のひとりで執事長を務めていたネールズ・エデュッセンに扮したロウシュも、その他大勢の少女の一人に扮したコーも、アルカナ姉弟の鳩子に当たり二人の両親の依頼を密かに受けて純粋な精神の持ち主で世の中のことを何も知らない二人を陰になり日向になりと支えた美貌の貴婦人レネ・ルーメンに扮した女性の市長も、真ちゅう色の甲冑に真紅のマントを羽織ってグノウ王になりきった彼女の友人の男も混じっていた。

 それからあっという間と言っても良かった。思ったより速やかに到着していた。

 もうそのときには、あれほど見られた車も大型バスもどこへ行ったのか見えなくなっていて、沿道や歩道に見えたテントも残らず片付けられてすっきりしていた。

 そして二台のバスが二列目と三列目の山車にそれぞれ横付けされたとき、パレード開始まであと十分余しとなっていた。

 

 一見して山車の周辺は大勢の人々が詰めかけ、扮装した市民や地元の名士を一目見ようと人だかりができかけていた。そんな彼等は揃ってビデオカメラや携帯を乱暴に向けて来た。

 そんなわけで警備員に護られながら急いでバスから降りると、パトリシア達は前の山車へ、市長達はその後ろの山車へと、時代背景別に二手に分かれて乗り込んだ。

 二台の山車の上は階段状になっており、モンスターや古代人や柱や噴水や木々や鳥や鹿や狼や牛や羊やワニやドクロといった立体造形物がカラフルに彩られて、等身大やそれよりも大型サイズで多数載っていた。

 それらは全て歴とした意味があって、モンスターと古代人はその当時の時代背景を、柱は家を、噴水は庭園を、木々と鳥は森を、鹿と狼は草原を、牛と羊は生活環境を、ワニは水辺を、ドクロは戦場を意味していた。

 山車に上ると直ちに山車の内部に造られた八人程がゆっくり休めるスペースとレストルームからなる空間へと向かったパトリシアの交代要員であったホーリーただ一人を除いて、それぞれが各自所定の位置について、そこに装備されてあった槍や剣や花かごや杖やといった小道具を手に持ち準備が整ったところで、いよいよパレードの出発前のセレモニーとして、急に静まった会場内に祈りの歌が三十秒間ほど高々に流れて厳粛な雰囲気を作り上げたかと思うと、突然シンバルと太鼓の大響音がして、集まっていた群衆の割れんばかりの物凄い拍手とともに出発の合図として赤、青、緑、紫、橙、黄といった色とりどりの発煙筒がたかれカーニバルの演出を行った。

 次いで軽快な行進曲の音楽がリズムよく流れて、それに合わせるようにしてパレードの行列がゆっくりと動き始めるのだった。


 朝の十時をやや過ぎた頃だった。どこまでも青く澄んだ空の下、およそ四千フィート(1200メートル)に及ぶ長い長い行列が、パレードを祝うように群衆の中からパンパンとクラッカーが鳴り響く中、とうとう歩みを開始した。

 立派なあごひげを生やし、古代の賢人の格好をした三人の中年男が、ミスティーク家の紋章である白地に薄いブルーの星のマークがシンプルに一つ描かれたフラッグを手に持ちながら、先導者として一番先頭を歩き。彼等から少し離れて、古代人の質素な衣装を真似た服装をする十二歳未満の少年少女が沿道に手を振りながら二百名ほど続く。

 少女たちは大人びたメイクをして、ティアラやミニ王冠や首飾りやイアリングやブレスレットで華やかに着飾っていた。一方少年たちは勇ましくレザー製のガントレット及びレッグガードを身に着け腰には木製の短剣を差していた。

 みんながみんな、気恥ずかしそうに愛想笑いをしていたり、満面の笑顔を浮かべていたり、気持ちとは裏腹にツンとお高く留まっていたり、落ち着きがなく視点が定まっていなかったりと、そこには思春期の女の子と男の子の素朴な表情が垣間見えた。

 そしてその後ろを、色とりどりの造花で飾られた台座の上に人の二倍を優に越えるゴールド色をした少女と少年の像が三体ずつ、それぞれが異なったポーズをして立ち、その頭上や手のひらや肩口のあたりに、翼が付いた小さな妖精達が止まって翼を休めていたり、踊る仕草をしていたり、何事か会話している山車が続く。地元の美大生がデザインして制作したアルカナ姉弟の像であった。そのあとへ、華やかな衣装を身に着けた十二歳以上の男女が、十名から二十名ぐらいのグループを作って、かなり人間離れしたアクロバティックなものから斬新なもの、民族的なもの、スタンダードなもの、流行りのもの、オーソドックスなものに至るまで、ありとあらゆるダンスを披露しながら進み、少し間隔を開けて他の山車よりも厳重に警護されたパトリシアが乗る山車が続く。

 昨年まではパトリシアに代わってパトリシアに見立てた人形が乗っていたこともあり他の山車と同様の警護がされていても問題は何も起きていなかったのだが、今回ばかりは実物が乗るというので注目を集めてそうなっていたのだった。

 それだけ市長の宣伝活動が効いているに他ならなかった。そこへ加えて、パトリシアの母が著名な占い師として知られていたこともあり、その信憑性は高いとしてみなされたことから、現代に生きる本物の魔術師がパレードに出演するらしいから是非ともその姿を拝みたいと、フリーのカメラマンやオカルトマニアや、あと物好きがひんぱんに山車の前へとび出し、携帯やビデオカメラを向けては進行を邪魔する行為を繰り返したことでそうなっていたのだった。

 ところでパトリシアとホーリーの二人は、前もって打ち合わせした通りに、時期はまちまちであったが二時間から二時間半ごとに交代し合っていた。但し、史跡へ到着して何かしらの行事を行う際に限っては必ずパトリシアがあたるように図っていた。

 一人が外に出ている間に、もう一人が引きこもる空間は、レストルーム(トイレ)と共にどの山車にも設けられていた。

 内部は白とベージュをベースにして明るくて落ち着いた雰囲気になるようにコーディネートされていて、通路側には収納式のテーブルが、両方の壁際には四人がゆったりと座れるベンチシートが、通路の両端にはコンパクトに折り畳める座席が各二脚ずつ用意され、どこを通過しているのか分かるように両方の壁に小窓も付いていた。

 またオプションとして煙草をちょっとぐらいくゆらせても良いように空気洗浄機が普通に設置してあり、他にもコンパクトなカップ式コーヒーマシーンや小型のワインセラーが傍らに設置されていて、いつでもコーヒーやワインが飲める仕様になっていた。

 但し、そうは言ってもコーヒーはインスタントでワインは全てアルコールが入っていないただのジュースであったが、そのことは抜きにしても、それはまるでゴージャスな大型ワゴン車の中にいるような居心地の良さだった。

 そのせいなのか、誰もが利用しているとかで、その他の役どころの者達を初め、コーもロウシュも道中暇を見つけては訪れて、十分、十五分と休憩してはまた戻っていった。

 

 パトリシア達が乗った山車が通過した後、市長達が乗る山車が、その後からは参加賞の景品を山のように積んだ小型の山車と手のひらサイズから等身大までの色鮮やかなぬいぐるみのモンスター達が電動や機械仕掛けで動いては、表情を変えたり、楽器を叩いたり、手を振ったりする山車が続く。

 それから、おとぎの世界を再現した三台の山車が次々と進んでいくのであるが、正確にはおとぎの国で巻き起こる物語の各シーンを山車上に立体模型で再現しているというべきもので、おとぎの国の物語は、その年の流行り(トレンド)を参考にして地元の美術大生の手で毎年作り変えられていた。

 ちなみに今年は青少年の間で人気となっていた異世界ファンタジー作品、一介の木こりの身分から周りの列国を支配下に置く大国の王にまで上り詰め、それまで恒例であった奴隷制度を廃止したのを始め、数々の民を思いやる政(まつりごと)を行い、自身も百名を超える美女を妻にめとったひとりの青年の出世物語、『偽物勇者の国盗り物語』が元となっていた。

  

 物語のあらすじをざっと要約すると、――――時代背景は剣と魔法が支配する世界。とある国の一地方の奥深い山中で先祖代々木こりの仕事を生業にしていた一族に属していた、平凡で心の真っ直ぐな青年のギンドが、あるとき高い木に昇って枝の伐採作業をしていたときに不意に手が滑って木から落ちて頭を打ち三日間意識不明となったときがあって。そのとき夢枕に、赤、黄、ピンク、橙、水色の衣装を身に着けた、いずれも緑の髪のそれはそれは美しい女性が五名現れたことが事の始まりで。

 その中から進み出た、赤い衣を身に着けて長い髪を櫛でまとめた色白の女性が「我等はお前達木こりが信仰している山の神並びに森の神である」と自己紹介すると「比較的意思を伝えやすい状態にある、この場を借りて頼みたいことがある。我等の窮状を救って欲しい」と言うのだった。

 よくよく話を聞くと、「後ろに控える四名は元々別の山や森を住みかとしていた者達なのだが、人の手で燃やされたり破壊されて山や森が姿を変えて自然が消滅したがために居場所がなくなり、今はここを仮住まいとしている。

 今現在、幾多の山の神、森の神が同じような境遇となって居場所を求めて彷徨っている。だがそうはいっても山の神、森の神には縄張りというものがあり、わらわのように理解があり寛容に受け入れる者は少なく、多くは力ずくで入ってくるのを排除しているのが現状だ。

 本来、山の神、森の神は住みかとする山や森がそこにあってこその神で、住みかとなる山や森がなくなると、やがて消えゆく運命、すなわち死が待っている。住みかとなる山や森が無くなればいずれ野垂れ死にするか、よその山の神、森の神に戦いを挑んでその山の神、森の神を追い出して自分が置き換わるかしか選択肢がない。

 この状況は益々増えていく傾向にあり、わらわもこれ以上の数は保護しきれなくなって来ている。

 そうならないうちにお前がその根源となっているものを絶ち、我々の懸念を払拭して貰いたいのだ。

 なーに、お前は何も心配する必要はない。装備は立派なものが既に揃えてある。今から千年前に勇者とその仲間が魔王を討伐したとき、当の勇者が使っていた装備だ。それから幾ばくかの年数を経て、その勇者も寿命が尽きて亡くなったとき、勇者の遺族がわらわが管理するこの地に装備一式を持ち現れて、山の神であるわらわに、いつか力が蘇りますようにと祈願して、装備を偽装工作を施した石室に隠して去って行ったのだ。

 持ち主の死とともにその装備の力が失せるのは良くあることだから、いろいろと試してみてどれもうまくいかず、最後に大自然の力にすがろうとしたものだと思う。その判断は間違っていなかった。千年を経ずに再び力が蘇ったのだからな。

 お前はわらわに代わって諸国を回り、旅の先々で仲間を作りながら、勇者の仲間の子孫を探し出すのだ。そして事情を話して手伝って貰い、一緒にその根源たる者を退治するのだ。

 我等とて自由に動けるものなら直ぐにでも動いている。だが残念ながらそれができないからお前にこうして依頼をするのだ」と言うのだった。

 ギンドが素朴に、それは一体誰なんですかと尋ねると、山の神は分かったと頷いて、


「それは人間であったり魔法使いであったりモンスターであったりと様々だ。だがその実態はそ奴らに寄生をして身体を乗っ取りそうさせている一味の仕業なのだ。そ奴らの頭目はかつて魔王の副官で魔王の後継者でもあった者で、今から千年ほど前、勇者とその仲間が共闘して魔王を討伐したとき、一番の障害として二度と出てこれない強力な結界に封じたのだが、今から五年ほど前の頃に、何者かが勇者とその仲間が倒した魔王をできもしないのに復活させようとして禁呪の儀式を大々的に行ったのだ。そのとき、どういうわけか魔王の副官が封じられていた結界に異変が起こったらしく、そ奴が千年の時を経て出て来たに違いないと我等は見ている。

 なぜそ奴の仕業であると言えるかというと、今起こっていることと千年前に起こったことがまさしくそっくりだからだ。

 当時魔王とその配下は、自分たちに賛同しない同族や目障りな種族をこの世から絶滅させて、従属する者達だけを残したところに、常に生存競争をして破壊と殺りくを繰り返す世界を作る計画を進めていて、それが人間界にも及んでいた。

 そ奴はその責任者で、その手口は自分の能力と同様の力を持つ手下を何十となく造り出して、その者達を異国から来た王の使者から伝道師、商人、音楽家、曲芸師、 美容家、子供や老人の姿をした魔法使い、兵法家などに化けさせて権力者や貴人に近づかせては、従属する者とそうで無い者の選別を行って回ったのだ。

 そうやって、邪悪と暴力に満ち、強い者しか生き残れない弱肉強食の世界をこの世に作り上げようとしたのだ。

 どうだろうな、引き受けてくれまいか。タダとは言わぬ。わらわはこう見えても逃げも隠れもしない山の神だ。願いが成就した暁には、わらわなりにできるだけのことはしよう。そう、お前の望み通りの者と縁を結んでやろう。子宝も何の問題もなく授かるようにしてやろう。それでもまだ不服ならば、そう、成就してから向こう九十九年間、わらわとここにいる山の神と森の神が陰になり日向になりお前とお前の家族、お前の一族を飢えさせないと誓おう。

 どうだ! お前は何もしなくても一生自然の恵みに事欠かないで安楽に暮らせるのだ。このような好条件はどこを探しても無いと思うが」


 そういった説得に、ギンドは何も考えずに無条件で「あ、はい。何とかやってみます」と受け入れた。すると目が覚めたのだった。

 だがそのとき、ギンドは夢の中での出来事を一切誰にも話さなかった。信じて貰えないだろうと思ったからだった。さらにそこへ加えて、夢の中で山の神に「このことは誰にも話さない方が良い。誰も信じないだろうからな。それにわらわは口が軽いのは好まない。話せばこの話はなかったことにして別の者を捜すとしよう。そうして、お前もお前の家族も一族も唯一無比の運を逃がすことになるのだ」と釘を刺されていたからだった。

 そしてギンドは、生まれてから広い世間を知らないで育ったせいで、馬鹿がつくほど純粋で人を疑うことを知らなかったこともあり、夢の中のお告げを本気になって信じると、よーし確かめてみようと夜が明けると同時に、たった一人の同居人であった実の母親を残して雨が凌げる程度の質素な家を出ると、山の神に教えられた場所へ急ぎ気味に歩いて向かった。

 その際、ちょっと行って来るだけのことだけれど、かなりな遠出となりそうだと片手に山仕事でいつも使っていた斧を、腰には同じく山刀を差し、飲み水が入った革袋と獣肉の干したものと木の実を蒸したものと木の蔓で編んだロープを入れた袋を背中に担ってと、十分な準備をしていた。

 そのような按配で、途中で先祖代々猟師を生業としている集落を目の端に捉えて通り過ぎ、前方にそびえていた山々を幾つも越えて到着した目的の地は、明らかに周りとは趣が異なることから木こり達の間では全く用のない場所であった。

 それというのも、人の背丈の倍以上ある巨大な岩が山の斜面のあちこちにごろごろと転がり、その切れ間に、石切り場の跡地のような垂直に切り立った断崖絶壁が続いていたり、材木にも薪にも適さない木や、茎や枝に鋭い棘を生やした見たことのない木や、おかしな曲がり方をして大地に根を伸ばしている樹齢千年を超す巨木がやたら見られる山であったからだった。

 そこに加えて、材木にも薪にも適さない木は葉や枝に触れるだけで身体がかぶれ、茎や枝に鋭い棘を生やした木の棘には人を簡単に殺せる猛毒があり、巨木にはどういうわけか木こりの斧やノコギリが全く歯が絶たないときていた。

 それ故なのか、遥か昔の頃から木こりや猟師の間で神聖な山、女人禁制の地とみなされていて、年に一度だけ木こりと猟師の代表数名が、山の中途にある、いつ建立されたか不明の古い聖堂までお酒と供え物を持って行き、向こう一年間の間、何も変わったことが起きず、健康で健やかに毎日を過ごせますようにと祈願するのがしきたりとなっていた。

 従って普段は誰一人として訪れないところで、ギンドさえもいつも遠くから眺めていただけで、それまで一度も立ち入ったことがないところだった。

 だがそのとき、ギンドの脳裏には、さあ着いた、行くぞといった使命感で一杯で、これまで入ったことがない恐怖感や禁制の地へ入ることへの罪悪感は微塵もなかった。

 山への入り口となっていた雑木林に人が横並びに二人歩ける程の細い空間が開けていた。山へ通じている唯一の道で。ギンドは人気のないうら寂しい道を我が物顔で一目散に歩いて行った。

 そうして、しばらくして雑木林を抜けると、山のふもとへ到着していた。そこから急な石の階段が巨木と巨岩の間を縫うようにして上へ伸びていた。

 ギンドは階段を昇って行くと、途中で開けた空間へと出た。そこには石造りの小さな聖堂が建っていた。更に聖堂から少し行ったところに、大小の岩に囲まれるようにして透明な水をたたえた小さな泉があった。


 ――この辺りで一休みしようか。ずっと歩きっぱなしだったからな。

 目を細めて空を仰ぐと、いつの間にか太陽は一方の方角へ気持ち分傾いていた。

 ――この分だと今日中には戻れそうにないな。それに夜の山は物騒で何が起こるか分からないときているし。もしものことを考えて、ここで一泊することになるかも知れないな。そう判断したギンドは聖堂へ続く石の階段を昇ると、それほど古くは見えない両開き式の木製の扉を開けて中へと入った。

 すると内部は明り取りの窓が付いていて、外から陽の光が差し込んで比較的明るかった。

 それほど広くはなくてがらんとしていた正面には、祭壇なのだろう石造りの台座が見え。台座の上には長方形状をする白く劣化した古い鏡が、その手前には陶器製の大皿と水差しとコップと鋳物製の燭台が二個ずつ載っていた。

 更に台座の両隣には、かつて武器として使っていた斧や槍が何本も立て掛けてあった。いずれも相当古いものらしく、金属部分が錆びて黒ずんでいた。

 また台座の前は土間になっていて、大の大人が五、六人ぐらい、楽に横になって寝れるほどの余裕があった。加えて壁には、夜になった場合用なのだろう明かりをともす燈明皿も備え付けられていた。

 ――ここなら問題なくゆっくり過ごせそうだ。

 ギンドは満足そうに頷くと、一旦堂の外に出て泉まで向かい、泉の水面に顔をうずめて水を思う存分呑んだ。それが済むと堂に戻り、その軒下に突き出た二本の柱の一方にもたれて食事をしながら少し休息を取った。

 それから尚も上へ上へと続いていた階段を昇って山の頂上まで一気に向かった。


 山頂は比較的平坦な地形となっており、不気味なほど静かで鳥の鳴き声も獣の姿も一切見られなかった。しかも周辺は草木が一本も生えていなかった。その代わり、巨大な自然の岩が無数に転がっていた。

 その中、無数に転がる岩を人工的に丸く囲むように並べた地点があり、その真ん中辺りに先程入った聖堂みたいな石造りの構造物がぽつんと建っていた。

 ――あれが山の神様が言っていた偽装工作か!

 山の神が語ってくれた事には、勇者の遺産は、次の勇者の遺志を継ぐ者が現れるまでの間、不正な利用のされ方をしては困るとして、勇者の遺族が偽装工作したということだった。

 建物には扉が付いておらず、外から内部がむき出しになって、何か形のあるものがはっきり見えていた。

 どのようになっているのか一度見てみようかとギンドが建物の前まで歩いてやって来ると、そこにはぶ厚い石蓋の断片や、土器や陶器の破片や、何かしらの文字が刻まれた石板の一部が散乱しているのが見て取れた。

 続いて中へ足を踏み入れると、内部は先の聖堂とほとんど変わらないくらいの広さがあった。そして奥の隅の方に、巨大な岩石をくり抜いてでできた棺のようなものがやや斜めに傾いた状態で置かれていた。もちろん中には何も入ってはいなかった。千年も月日が経っているのだから当然と言えば当然のことだった。

 そのとき自然な流れで、石棺に無数の深い傷跡が残されていたことや、壁と天井に幾つもの穴があいていたことや、部屋の四隅と中央部の地面を一度掘り返した跡があったことに目がいった。

 ギンドはふっとため息を付いた。――この荒れ方だと、たぶん何も入っていなかったんだろうな。本当に旨く考えているよ。そりゃそうだろう、勇者の遺産が眠っていると知ったら誰だって黙っていないだろうしな。そして後から来た者は先を越されたと思ったことだろうしな。

 果たしてどこまでを勇者の関係者が工作したのか分からなかったが、そのあとへ誰かがやってきたことだけは、ギンドははっきり理解できていた。

 そこでギンドはほんのしばらく滞在したあと、


「さてと、本当の隠し場所を捜そうとしようか。果たしてまだ残っているのかな?」


 そう呟いて建物を後にすると建物を囲んでいた巨岩のところへ歩いて行った。

 四角っぽい建物の周囲を円状に取り囲んでいた岩石は、大小含めてざっと千個以上あった。

 しかも、どれもこれも外観はその辺りに転がる岩石と全くそっくりで、見ただけではサッパリ分からないときていた。


「あれの中からたった一人で本命を見つけるなんて難しいどころじゃない。一苦労だ。本当に宝捜しをする気分だな」


 ギンドはひとり言を呟くと、マジで気が遠くなりそうだった。


「山の神様の話だと、あの中の一つの中に勇者の遺産が収められているということなんだけれど」


 しばらくの間、茫然とギンドは立ち並んだ岩を眺めていたが、ともかくやってみようと意を決すると、さっそく作業に取り掛かった。

 その際、ゆっくり入念にやっていたのでは日が暮れてしまうからとして、木こりの経験則から持ってきた斧の背で岩石を一個ずつ叩いて大体のあたりをつける感じで調べて回った。これだと全部調べても夜になるまでにはできるさ。

 ギンドはこんなやり方ですんなり見つかるとは思ってはいなかった。が、それ以外のやり方があるかと言えばなかった。だからそうしたまでだった。これでダメなら明日また別の方法を考えてやってみよう。

 すると運が良いことに、調べ始めて十五個目を過ぎた頃だった。少しあたりがおかしい岩石が見つかった。

 それまでは硬いもの同士がぶつかる音がしていたのだが、その岩石だけはあたかも石でないような変な音がして少しへこんだのだった。

 ――どうやら石ではないものでできているようだな。

 そう結論づけると、試しに斧を大きく振りかぶり、勢いをつけて刃の部分をその岩に一気に振り降ろした。

 その途端に、巨岩に一筋の裂け目ができていた。どうやら内部は空洞になっているらしく、旨くすれば中を見れそうだった。そうと分かれば容易いとギンドは斧を何度も振るうと、裂け目を大きくしていった。

 ――やっぱりそうだ。これがその岩だ。

 やがて巨大な岩には大きな穴が開き、その内部から丸みを帯びた蓋が付いた木の箱(一言でいえば宝箱)が一つ出て来た。そして箱の上には、副葬品なのであろうか、艶やかな銀色に輝く手鏡が一つ載っていた。

 ギンドはわくわくしながら、上に載っていた取っ手が付いた鏡と箱を大事そうに取り出すと、箱の蓋に手をつけた。――さあ開けるぞ!

 即座に鍵が付いていなかった蓋は簡単に開き、中には思った通り勇者の衣装が納められていた。とはいってもギンドが予想したものとは大きく異なっていたが。――豪華な品だと思っていたのに……。武器だって小さ過ぎやしないか!?

 ギンドがそう思ったのも無理からぬことと言えた。

 ギンドは、毎年村へ税金を取り立てにやってくる一団のような格好を勇者様はしていたと思っていたのだが、そこには一団が身に着けていた甲ちゅうのようなものはどこにも入っていなかった。代わって人の身体の色と同じ色をした肌着のようなものと、ベージュ色をしたグローブと薄っぺらい革の靴のような物がきちんと折り畳まれた形で入っていた。

 また武器は剣と盾が一つになった一体型で、剣は盾の中に収納されていたのだが、いずれもまるで子供が扱っていたかのような小ささだった。――もしやすると勇者様は子供ぐらいの身長だったのかな?

 想定外の品が出て来たことにギンドはがっかりして大きなため息をつくと思った。こんなもので果たして戦えるのかな? どんなに素早く立ち回ったとしてもたぶん無理だろうな。出て行ったら即効でやられるだろうな。

 そうすると山の神様が夢の中で俺に悪ふざけをしたのかな? いや、それはちょっとないのかもな。ここまでやるくらいなら、普通は何も出てこない筈だからな。

 そうすると何か勘違いをしているのかな?


 しばらくの間、ギンドは首を傾げて考えていた。しかしはっきりした答えは出なかった。やがて彼は、これ以上考えていてもしょうがないと浮かない顔で頭をかくと、箱から剣が収容された盾を何となく取り出して、先に取っておいた手鏡を箱に立て掛けて自分の姿を映した。そしてほんの遊びのつもりで剣を盾からゆっくり引き出して決めポーズを取った。

 ――どうかな、俺って似合っているかな?

 そこには小型サイズの剣と同じく小型サイズの盾を持った青年のりりしい姿がはっきりと映し出されていた。

 ――やっぱりな。ばっちりだ。完璧だな。俺って勇者顔かな? 

 ギンドはにやりと微笑むと、何度もポーズを変えては鏡に映る自らの姿を見、そのたびに満足そうに白い歯を見せた。そうして、すっかり勇者になったつもりで、有頂天になっていた。

 辺ぴな土地柄ということもあり、これだけきれいに写る鏡が非常に珍しかったせいもあって余計だった。いつの間にか子供の頃に戻ったかのように夢中になっていた。

 そんなときだった、不可思議な現象が起こったのは。

 突然鏡に写る顔がギンドではなくなって、緑色の長い髪を櫛でまとめた色白の女性に変わったのだ。それどころか女性は鏡の中でにっこり笑うと、見る間にギンドが見ている前で外へ飛び出て来た。

 赤い衣を優雅に身に着け、背丈は若者とほとんど変わらなかった。しかしながら人間離れした独特な雰囲気を漂わせていた。紛れもない、夢の中で見た山の神とそっくりであった。

 その途端、実物をはっきり目にしたギンドは、跳び上がるくらいびっくりして、思わず後ろの地面へ尻から落ちていた。

 その姿を見て、女性は冷ややかな笑みを口元に浮かべると、ゆっくりした丁寧な物腰で、


「これで二度目だから何も驚くことはあるまい。わらわじゃ。ミウサスじゃ。お前達木こりが生きる糧としておるこの辺りの山々を治める者じゃ。わらわは鏡の中を自由に動き回ることができるのじゃ」


 そう言ってギンドが手にした小型の剣と盾を下目遣いでちらりと見ると、小さく頷いて尚も続けた。


「どうやら手に入れたようじゃな。だが、それではどうしても宝の持ち腐れだ。少しだけ使い方を教えてつかわそう。そのままでは使いものにならぬからな」


 そう告げると、女神はまだ驚きが冷めやらぬ若者に向かって「先ずはな」と使い方の手ほどきをした。

 言われたギンドは、着ていたチュニックの野良着とパンツと皮でできた粗末な靴を素直に脱ぐと何もつけていない姿となり、先ず下着のように薄くて柔らかだった勇者の衣装に腕を通した。パッと見た感じ、毎日力仕事してきた自身の体に小さ過ぎないやしないかと思ったが、いざ身に着けようとすると、思った以上に伸びて難無く着ることができていた。靴もグローブも同様で、不思議なことに大きさがぴったりだった。

 続いて、衣装を取り出した後に箱から現れた小箱に入った指輪を言われた通りに中指にはめた。指輪は黄金色をしていて中央に小さなガラス玉がはめ込まれていた以外にこれといって特徴のない品で。それから指図されるままに指輪のガラス玉の表面を、もう一方の手の指を使って軽くこすった。

 その瞬間、指輪のガラス玉が眩く輝いたかと思うと、そこから手の平の大きさぐらいの小さな生き物がグレー色をした光に全身が包まれて現れて、空中へと浮かんだ。

 その様子を女神ミウサスは悠然と見届けて満足そうにこくりと頷くと、


「あとはその者に教えを乞うが良い。これでわらわの役目は終わった。若者よ、我等の頼み、なるべく早く頼むぞよ。成就の暁には約束したこと、我等も違えぬからな」


 そう言い残すと踵を返して再び鏡の中へ引っ込んだ。そして鏡はいつの間にかどこかへ消え去って見えなくなっていた。

 その去って行く表情は、心配事が何かあるのか、どこか物憂げに見えていた。

 しかし若者は、一体何が起こったのかさっぱり理解できずにいたこともあり、そこまで詮索するどころか、女神がいなくなって一人残されたことで、どうして良いか分からず、茫然とその場に立ち尽くしていた。

 そんなとき、直ぐそばからはっきり通る老人の声が響いた。


「ご貴殿がわしを呼び覚ましたのか?」


 ギンドはぽかんとした顔で声がした方向へ目をやると、隠者の外套を身に羽織った人の姿をする小さな生き物が無表情な顔で空宙に浮かんでいた。

 

「あ、はい」


 人の言葉を話すそのような不思議な者がいるのは聞いて知っていたが、見るのはこれが初めての経験であったギンドは、緊張から来るぎこちない物言いで応じると、「あのう、実は」と、つい今しがた消え去った山の神に夢の中で会ったことから始まって、山の神に言われるまま勇者の衣装を身に着けて老人を呼び出したことまでを包み隠さずに話した。

 その間、小人の老人は真面目な顔でギンドの表情をまじまじとじっくりのぞき込んでいたが、ギンドの話が終わると、急に和やかな顔に変わり、


「ということは新米の勇者さんかい?」優しく問い掛けて来た。


「あ、はい」雰囲気に飲まれてつい勢いで応えたギンドにその小人は、


「わしは武具に宿る精霊だ。名をアクワテスと申す」と自己紹介して言った。


「分からないことがあれば全てこのわしが応えよう。何でも聞いてくれると良い。我らは勇者を加護する者。そして、みんなの中でわしが最古参であることから勇者の相談役でもあるのでな」


 老人の姿をした小人の言葉に、ギンドは何とか少し落ち着きを取り戻すと、


「するとほかにも仲間がいるんですか?」


 みんなと聞いて浮かんだ疑問を不思議そうに尋ねた。それに小人の老人は「あゝそのことか」と呟くと言い添えた。


「二人おるな。剣と盾の中にな。剣の精霊の名はサルファード。盾の精霊の名はセリーネと言う」


「あゝそうですか」ギンドはごくりとつばを飲み込むと、「それじゃあついでに聞きたいんだけど」と別の質問を切り出した。


「勇者様の衣装ってこれだけなんですか? てっきり鎧姿の勇壮な姿をしていたと思っていたんですが。もしかすると魔法で鎧部分が空中から現れるとか?」


「そんなことはない」老人はニヤリと笑って否定すると、長く伸びたあごひげを手でゆっくりと撫でながら続けた。


「魔法で出現させるのであれば、逆に言えば魔法で止めることも可能となるからな」


「……」


 意味が全く分からずに押し黙ったギンドに、老人は首を傾げると、聞こえないくらいの小さな声で、


「そのままの状態であっても防刃、耐衝撃に優れているのであるのだが……だが確かに見た目がちょいと地味じゃからのう 」そうぶつぶつひとり言を呟くと言った。


「それではお望み通りの姿にして進ぜようかな」


 その途端に、下着みたいだった勇者の衣装が膨らみながら硬くなっていき、鋼色をしたスケールタイプの立派な甲ちゅうに変わっていた。

 靴もグローブも同様だった。薄手のベージュの皮みたいだったものがしっかりと厚みを増して同じように鋼色に変わっていた。

 それ以外にも、首の後ろでぶら下がっていたフードみたいなものが頭に被るカブトへと変わっていた。


「どうだ、様になったであろう? 厚みと大きさが何倍にも増して強度が半端でない甲ちゅうに変わるのだ」


「はい!」


 ほれぼれするほど見事な変身に、ギンドは顔を真っ赤にして元気良く応えると、完成した勇者の甲ちゅうを身に着けた自分の姿をじろじろと眺めながら、何て格好良いんだろうと満足感に浸った。


 そんなところへ精霊の老人が、「どうだ、気に入ったようじゃのう」と切り出した。


「普段は下着として肌身離さずに身に着けて、いざとなったときに指輪をこするか、わしの名を呼んで、変身とか、変われとか、実行とか決め言葉を発すれば、その姿になると思っておれば良い」


「ふーん」ギンドはそうなんだと納得すると、続いて別の質問をした。


「それじゃあ剣と盾もでっかくできますか?」


「あゝ簡単なことじゃ。剣と盾に宿る精霊の名前を挙げて、現れよとか、姿を見せよとか、召されよとでも続けてあ奴等を呼び出して、して欲しい要求を伝えれば良いだけだ。やってみるが良い。

 そのとき、二人にていねいなあいさつをして意思疎通を図っておくのが良いぞ。二人とも礼儀にうるさくて、傲慢で自己中心的な使用者を嫌うからのう」


「はい、そうします」


 ギンドは言われた通りにすると、剣からバトルスーツ姿の小人の若い男が、盾から頭にティアラをつけ、足が隠れるくらい長いローブを身に羽織った小人の若い女が、それぞれオレンジ色をした光と青色の光に全身が包まれて現れた。そしていずれも小人の老人と同様、空中に浮いていた。

 それを見てギンドは、間違いない、剣に宿る精霊と盾に宿る精霊だと信じ込むと、二人の精霊に向かって、老人の精霊の助言通りに控えめな態度であいさつをした。

 ところが二人はギンドのあいさつを無視してギンドの顔をまじまじと見て来た。男の方は敵視しているかのような鋭い眼差しをして、女の方は眉をしかめて口を尖らせていた。

 機嫌が明らかに悪そうなふたりの様子に、そのときギンドはどうして良いか分からず、恐縮した顔で立ち尽くした。――あゝ、何か怒っているみたいだ。

 そんなときだった。側から老人の精霊の声が響いた。


「その者は心配いらぬ。全て山の神ミウサスの仕業じゃ。あやつが仕組んだのだ。その者はミウサスに見込まれて我等を求めただけなのじゃ」


 老人の精霊が助け舟を出したのである。そのことで二人の精霊は「ミウサスが認めたのであれば仕方あるまい」「ほんと、それじゃあしょうがないわね」そう言って警戒するような険しい表情を緩めると、それぞれ自己紹介した。

 一方ギンドは、最初どうなることかと思っていたが、何とか無事に済んだことで安堵すると、口ごもりながらも事情を話して疑問に思っていることを二人に伝えた。

 すると二人の精霊は、物分かり良く剣と盾をギンドの望み通りの大きさに変化させてみせた。そうしてから、「新米勇者よ、他にも分からなことがあれば何でも聞くが良いぞ」「右に同じよ」と言い残して再び剣と盾の中に消えていった。

 剣と盾の精霊が引っ込んで一段落付いた頃、あれほど明るく照っていた太陽が、どこかへ隠れてしまって見えなくなっていた。それにつれて空はグレー色に染まり、同時に辺りは暗くなりつつあった。

 いつの間にか山頂に風が、ヒューヒューともの寂しく吹いていた。まるで昼の終わりを告げているかのようだった。

 ――へえー、もうこんな時間? 急いで戻らなくちゃあな。

 次第に夜が忍び寄っていることをギンドは気配で感じ取ると、ちょっと戸惑ったように汗で濡れた頭に軽く手をやり、辺りに目を向けて、持ってきた斧と、食べ残した食料と飲み水とロープが入った袋を捜した。


「あれ、どこへ置いたっけ?」


 ちょうどそこへ一人だけ居残っていた老人の精霊の穏やかな声が飛んだ。


「ところで魔王を倒してからどのくらい経っておる?」

 

「あ、はい」ギンドは老人の方へ振り返ると、ほとんど間を置かずに応えた。「千年ぐらいと聞いてます」


「そうか。そのくらい経ったか。時が経つのも早いものよのう」感慨深げに老人は、目を細めてこくりと頷くと続けた。


「それで、わし等に頼らなければならぬとは、また何か困ったことができたということじゃな。再び魔王が現れたとか……」


「はい、そうみたいです」


「ふふん、他人事のように言うものよのう」老人は呆れたような笑みを零すと言った。「それで今からどうするつもりだ」


「家へ戻りたいのですが、この分だと戻るまでに夜になってしまうので、途中にあった建物で一晩泊ってから戻ろうかと思っています」


「そうか。それならちょうど良い機会だ。勇者の俊速ブーツの能力を試すが良い」


「は、はい」


 ギンドは同意すると一旦目を逸らして周りに目をやった。そして巨石の一つに立て掛けてあった斧とその傍に放置していた袋を見つけると、ほっと安堵の吐息を漏らした。

 あとは帰り支度をするだけだった。

 見つけた袋の中に一張羅の野良着と一緒に再びコンパクトになった盾を入れて、もう一方の手に斧を持った。そのあと速やかに山を下って一旦聖堂まで戻り、そこで一晩を過ごすつもりだった。――よし、戻るとするか。

 ギンドは階段を下った。

 ところがその足取りの軽いこと。勝手に足が動くような感じで自分の足でないみたいだった。

 急な階段を跳ぶようにして下ると、勢い余って山の中途にあった聖堂を瞬く間に過ぎて一気にふもとまで下りていた。


「しまった、通り過ぎてしまった!」勇者のブーツがこんなに凄いとはと感心しながらギンドは後悔した。だが今更戻ることにも踏み切れなかった。勇者の甲ちゅうを身に着けて自然と気が大きくなっていたせいもあり、これはひょっとすると、家まで何とか間に合うかもと思ったからだった。


「このまま行こう! 日が暮れるまでまだ大分ある」ほんの少し考えて覚悟を決めると、ギンドは目の前に見えていた雑木林を風を切るようにしてあっという間に走り抜けて、山の険しい道を翼が付いた馬のような人の域を遥かに超えた速度で駆け抜けて通り過ぎた。

 そうして住居がある木こりの集落を脇目も振らずに目指した。そのとき無心でいたのが良かったのか全く疲れを感じなかった。従って途中一度も休憩を取らなかった。それが功を奏したのか知らないが、集落の入口付近に辿り着いたとき、日暮れまでまだ十分な余裕があり、辺りの景色が容易に認識できていた。


「あゝ、間に合った」ギンドは集落の直前でほっと安堵の息をついて一旦立ち止まると、老人の精霊に声をかけて勇者の装備を元の姿に戻して貰った。このままの姿で行くとみんなを驚かせてしまう。場合によっては騒動になってしまうかも知れないと思ったからだった。

「これなら問題ない。よし、行くぞ!」ギンドは、背負っていた袋から取り出した野良着を元の地味な下着風に戻った甲ちゅうの上から羽織り、何食わぬ顔で家へと戻った。


 ギンドが暮す家は、この近くで伐採した丸太を使用して出来ていた。この集落でごく普通に見られる建物だった。

 リビングとダイニングと作業場が一緒になった部屋と寝室の部屋からなり。入った部屋の中央には、丸太を半分に割ってできた木のテーブルとそれを囲むようにして木のイスと木のベンチが並んで置かれ、ベンチにはちょっと横になれるようにと、獣の毛皮で出来たマットが敷いてあった。その配置は父親がいたときと全く変わらないものだった。

 また部屋の突き当りは調理場になっていて、土製のかまどの上に深ナベが、木の調理台の上にナベやフライパンや皿や水がめが置かれ、かまどのちょうど隣には売り物にならない木炭が燃料として編みかごの中に入っていた。

 他にも、部屋の一方側には別の広いテーブルが作業用として置かれ、その反対側には寝室へ向かう二つのドアがあった。


 例によって丸太の端材でできたドアを開けギンドが一歩足を踏み入れると、室内にはランプの明かりが灯り、既に夕飯の支度ができているのか豆のスープの良い匂いがしていた。そして、そのためなのか室内は暖かった。

 ほとんど何もないがらんとした部屋に何気なく目をやると、作業用のテーブルが置かれた辺りで、地味な生成り色のチュニックの作業着の上から茶系のエプロンを付けた母親が木のイスに腰掛けて、かご編みの仕事を熱心に行っていた。

 テーブルの上には、かごの材料である木のツルを束にしたものが山のように積まれており、その横には完成したかごが五つばかり重ねて置いてあった。


「母さん、戻ったよ」


 いつものようにギンドは、母親の背中に明るく声をかけると、父親がいなくなってからいつもしているように中央のテーブル隣のベンチのやや端寄りに腰を下ろした。そしてほっと大きな息をついた。

 するとギンドの母親レシャは仕事の手を止めると静かに立ち上がり、何も置かれていなかったテーブルの方へ片方の足を引きずりながら歩いて来ると、イスに腰掛けた元気そうなギンドを深くしわが刻まれた顔で見下ろして声を掛けて来た。


「どこへ行っていたんだい!」


 怒鳴るまではいかなかったが、その声はやや裏返っていた。


「心配したんだよ。もう一日ゆっくり休んで寝てなさいと言っていたのに、今までどこをほっつき歩いていたんだい。親方代理に聞いても仕事に来ていないというし。木から落ちて頭を打ったんで、てっきり頭がおかしくなって辺りをぶらついているんだろうと思って、もし朝まで戻らなかったら隣近所の人達に協力して貰って捜そうとしてたんだ」


 弟と妹二人を同時に病気で、父親を不慮の事故で亡くして以来、ギンドは母親レシャと二人暮らしだった。

 ちなみに母親も青年と同様働いていた。集落には木こり以外の仕事がたくさんあったからだった。

 例えば山間部に開いた畑で野菜や主食の麦を栽培したり、木の実や野草を採りに出かけたり、川で魚を捕ったり捕った魚を干物にしたり、製材に適さない木をいぶして木炭を作る木こりの手伝いをしたり、木の枝やツルでかごや物入れを編んだり、できた木炭をふもとの町まで運ぶ手伝いをしたり、木の実や野草や編んだかごや木炭を同じく町まで売りに行ったり、或いは水汲みに出掛けたりと仕事に困らなかった。

 当然ながら全部で二十六世帯、百名ほどが暮す集落では、誰一人として遊んでいる者はいなかった。みんな、親類や兄弟みたいに協力し合って朝早くから日が暮れる迄一生懸命に働いていた。それもひとえにいって、そうしなければ食べていけなかったからだった。

 その当時、決して平和と言えない時代背景、具体的に言えば国の支配者が必ずしも聡明で思慮深いと限らなかったことから、どこの国でも一部の特権階級を除いてあらゆる階層の皆々に重い税金が課されており、この集落でも例外なく厳しい取り立てが来ていたに他ならなかった。しかも税金は現金で納付しなければならない決まりとなっていた。

 そして期日がきても税金が支払えない場合には、自動的に労役で支払う決まりになっていて、その多くは紛争地域や国境付近に派遣されて、一定の期日が来るまで一般兵士の下で業務に就くのであった。

 とは言え、与えられる仕事は労役でなく兵士の身代わりになることが多く、大概の場合は五体満足で戻ってくることがなかった。身体のどこかが欠けているか、戻って半年か一年すると急に亡くなるとか、或いは性格がまるっきり変わっていた。

 だがそれでもマシな方で、大抵は期日が過ぎても戻ってくることがなかったのである。

 その典型的な例がギンドの父親ギルバであった。

 三年前、ギンドの父親ギルバは同じ年代の同僚二人とふもとの町まで雑貨を売りに行った帰りに馬車に引かれて亡くなったと、ギンドは母親レシャから聞かされていた。当時、帰りに三人で酒場に寄ってかなり酔っていたため、馬車が後ろから来たのを全員が避けられなかったという話だった。

 だが事実は違っていた。当時の集落は幼い子供と老人が主に重症となる流行病によって総勢十七人の男女が亡くなっていた。ギンドの六つ下の弟と八つ下と十下の妹二人もその犠牲になっていた。

 そのとき集落は病気の治療費に相当な費用がかかって税金が支払えない状態に陥っていた。そのためギンドの父親ギルバとその同僚二人が税金の足りない分の代わりとして労役に行ったのだった。そして期日の一年が過ぎても三人共戻って来なかったことから死んだものとみなされていた。


 ギンドの母親レシャは言うだけ言うと、テーブルを挟んでギンドの相向かいに腰掛け、ほっとした表情で汗とホコリにまみれたギンドの顔を、見える方の目でまじまじと見つめてきた。

 ギンドの母親レシャは、父親と結婚したての頃に川沿いを一人で歩いていて、出所不明の流れ矢にあたり片目が見えなかった。加えて、原因不明の病気にかかって片方の足も悪かった。そんな母親にギンドは、「ごめん」と素直に謝ると、


「木から落ちて気を失っていた間に夢を見たんだ。夢の中にきれいな女の人がぞろぞろと大勢出てきて、全員が山の神様と名乗ると、是非ともやって欲しいことがあるので来て貰いたいと言われたんだ。

 それが目が覚めてからも余りにも生々しかったもんだから一度確かめてみようと思って、神様に言われた通りに例の山の神様を祭ってある山まで行って来たんだ。そしたら夢で見たのと全く同じ山の神様が目の前に現れて、海を渡った大陸に住んでいる別の山の神様のところまで貴重な品物を運んで欲しいと頼まれたんだ。そしてもし上手く届けることができたら、うちの家族どころか集落の人達全員が向こう九十九年間の間、山の神の誇りに賭けて食うに困らないようにしてやると約束してくれたんだ」


 と、いなくなった事情をすらすらと供述した。無論半分作り話で、ギンド自身が考えたわけではなかったが。

 元来呑気な性格で、加えてそれ程知恵が回るたちでなかったギンドは、集落の入口付近で立ち止まると、老人の精霊に勇者の装備を目立たないようにして貰ったついでに「家を出る旨い言い訳が浮かばないんです。知恵を貸して貰えませんか」と相談して、答えてもらった具体例をそのまま使っていた。


 対して、魔法や不思議な生き物の存在が幾ら認知された世界とは言え、自分の目で実際に見たものしか信じないたちであった母親レシャは、「ふーん、それは本当かい?」と、ほとんど信じていないという風に一笑に付すと、


「私は信じられないねえ。お前、まだ夢をみているんじゃないだろうね。それとも頭がおかしくなっちまって、夢と現実の区別が付かなくなっているんじゃないのかい」


 呆れたようにそう言って懐疑の眼差しを向けて来た。

 そんな母親を、こりゃ信じて貰ってないな。そう思ったギンドは、「夢なんかなもんか。本当だ。その証拠を見せてやる。それを見たら絶対信じるよ」と反論すると、慌てるようにして持ってきた袋を開けて例の勇者の遺品を取り出しテーブル上に置いた。そして自慢気に言った。


「これさ。これが証拠だ、証拠の品だ」


「ふーん、それは何だい?」


「あゝ」ギンドは勝ち誇ったように目を輝かせると言った。「これが別の山の神様に届けるようにと俺が頼まれて山の神様から預かった勇者様の剣と盾だ。なっ、凄いだろう!」

 

「ふーん、これがねえ……」


「あゝ。行けるものなら行きたいが、海を渡ってまでは行けないから頼むと言われてな。千年前に、これで魔王を倒したんだそうだ」


 ギンドが話す間、レシャはまるっきり信じていないという風な目で、


「それにしたって随分と小さいわねえ……これが勇者様の盾と剣と言われたってねえ」「木製でも鉄製でもないみたいだけど」「ズシリとしていて重いもんだと思っていたんだけど、案外軽いもんだねえ」「お前は小さい時から嘘をつかない子だったのにねえ。どこで平気で嘘を突く方法を覚えたんだろうね。やっぱり悪い仲間ができたのかねぇ……」


 などとギンドに聞こえるようにぶつぶつ言いながら、可愛らしくみえる勇者の装備を、節くれだってごつごつとした指で触れては感触を確かめてみたり、持って重さを感じてみたり、コンコンと軽く表面を叩いて硬さをみたりした。それらが済むと元に戻して、何かを思うようにテーブルに頬杖をついた。そして言ってきた。


「仮にお前の言ってることが本当だとしたって、山の神様の目は節穴だったようだね。世間のこともろくに知らないお前にそんな大事ことを託すなんてね。お前に務まる筈もないのにねえ」


 そのようなレシャの言葉に、――これはダメだ。俺は信用無しみたいだな。自分が明らかに疑われていることに、いてもたってもいられなくなったギンドは、


「あゝ、そうそう。思い出した。そいつは自由に大きさを変えられるんだ。そのときそれ相当の重さを感じるようになるんだ。俺は見せて貰ってついでに触らせて貰ったから間違いない」


 そう言い訳すると、あの精霊を出しても俺にしか見えないということだし、どうにかして母さんを信用させるのにはやはり剣が本物だと手っ取り早く分からせる必要があるだろうな、俺もどんなものか見ておきたいしと考えて、あたかもおもちゃのように見えた盾から同じく小型の剣をゆっくり引き出すと、がらんとした部屋の中をぐるっと見回して切れ味を試すものが何かないか捜した。だが部屋の中には、これと言って適当なものは何も見つけることができなかった。

 ――あゝ、困ったな。どうしようか。

 そんなとき、部屋の片隅に見えた作業台の上に山と積まれた木のツルがふと目に止まった。

 ――そうだ、あれを利用しよう。あれを使って切れ味を見せるか。そしたら分かってくれるかも?


 ほんのちょっとした思い付きで、柄の部分を逆手に持ち変えると、細い丸太を二つ割にして組んだ目の前のテーブルの上に突き立てた。突き立てたあとで、剣の刃の部分を使ってかごの材料である木のツルを削ぎ切りにして剣の切れ味を母親に見て貰うつもりでいた。

 ところが予想外の不思議なことが起こっていた。

 軽く突き立てたつもりであったのに、剣先が木のテーブルに吸い込まれるように消え、遂には柄の部分を残して全て中にめり込んでいたのだ。

 ――あれっ? この感じって、もしかして。

 柄が付いていなかったらテーブルを突き抜けていた感じに、ギンドはおやっと首をかしげると、剣をテーブルから引き抜いて、その跡を調べた。

 中指の長さ分は楽にあった丸太のテーブルは別に白アリが食っているわけでもなかったが、剣幅と同じくらいの細長い穴がきれいに開いていた。

 テーブル自体に異常があるのかと疑い、テーブルの上を拳でゆっくり慎重に叩いたりもした。コンコンと音がするのみで別に何もおかしいところがない普段使っているただの木のテーブルだった。

 ――こんなことってあるの? 

 何が起こったのか全く理解できなかったギンドは、何かに魅入られたかのように立て続けに同じことをテーブルのあちこちで十回ほど繰り返した。が、やはり結果は変わらなかった。いとも簡単に剣がテーブルを貫通して、しかも簡単に引き抜けるのであった。

 ――何なんだ、この剣は! 全然力を入れていないのに、楽にテーブルに突き刺さり抜けるなんて。なんだか夢を見ているようだ。

 ほんのちょっとでも刃先が滑って指に触れただけでぽろりと指が落ちそうだとびくびくしながら、ギンドは切れ味鋭い剣を大事な物を扱うように盾の中にそっとしまうと、ほっと息を吐いた。


 その間レシャは思ってもみなかったことが起こったことに目を丸くすると、剣が次々と突き刺さり、面白いように穴ができていく光景を呆気に取られてずっと眺めていた。そして剣が盾の中に収まったのを見てやっと我に返ると、


「凄いわねえ。夢を見ているようだわ。何の変哲もない丸太のテーブルが、こんな簡単に刺し抜かれるなんてね。こんなのは初めて見たわ。間違いなく勇者の剣みたいね」興奮が冷めやらぬという風に感想を漏らし、そして信じられないという風に付け加えた。


「あゝ、本当に凄いものを手に入れたもんだねえ」


「あゝ」ギンドはやっと信じて貰えたと安堵すると、それまで言い出せなかった言葉を口にした。


「実は母さんに一言言ってから行こうかと思って戻って来たんだ。黙って行くと心配するだろうと思って」


「そりゃ当たり前だろ。誰だって心配するよ」


「そういうことで明日の朝に出発したいと思っているんだ。どんなにしたって山の神様には逆らえないからな」


 毎日が森の中で同じ仕事の繰り返し。そんな退屈な生活から抜け出して新天地であるまだ訪れたことのない場所へ早く行きたい思いで、その場で考えて言ったまでだった。


「それはずいぶんと早いんだね」


「うん」


「そんなに早くちゃあ、わたしゃ、お前に何もしてやれないよ。もう少し遅らせることはできないのかい?」


「うん」


「……」レシャは頬杖を突いたままため息をつくと、しばし何かを考えるように視線を宙に泳がせた。そして言った。


「山の神様がせかすんだったら、あたしはとやかく言うことはできないけれど。でも旅に出るとなるとかなりなお金が必要だよ。けど、今のうちにはそれがないの。どんなに毎日一生懸命働いても全て役人様が持っていってしまうからね。それでこちらには何も残らなくってね」


「母さん、心配してくれなくたって大丈夫さ。心配いらないよ。俺だって少しくらいの蓄えがあるんだ。それにそのことは既に考えてある。山を出るついでに山にいる獣を捕って里の街でお金に変えて旅の費用にあてるつもりなんだ。山の神様が味方してくれるからきっと大物を獲らせてくれるよ」


 分別がつく年頃であったこともあり母親の言っている意味が十分過ぎるくらい分かって見得を切ったギンドに、母親は少し物悲し気に笑みを浮かべると言った。


「そうかい。それなら良いけれど。その代わり、三日分くらいの食いものくらいなら近所を駆け回って何とかして上げられると思うんだが」


「いや良いよ。そんなことをしてくれなくたってもどうにかなるよ。俺には山の神様のご加護が付いているんだぜ。腹が減ったと言えばどこへ行こうが自然の恵みが目の前に現れる仕組みだ」


「そんなものかい」


「あゝ、そうさ。母さん、少し寂しいかもしれないが俺が戻ってくるまで待っていてくれ。きっと戻って来るさ。その時は今の十倍、いや百倍以上の良い暮らしをさせてやるよ。そう山の神様が約束してくれたしね」


「あゝ、そうかい。それじゃあ身体に気を付けて行くんだよ。私はなんにもしてやれないけれど」


「あゝ、任してくれ。きっと戻ってくるから」


「それにしてもギンド、せっかく旅に出るというのにその様子じゃぁ、まるで旅から戻って来たようじゃないか。その伸びた髪とひげを何とかしないとね」


「ああ、これね」


「食事が終わったら、いつものように母さんがやってあげるよ」


「うん」


 その日、親子水入らずでいつものつつましい夕食を摂った後、伸びた髪とひげの処理をして貰ったギンドは、次の朝早く、まだ夜が明けきらない頃に母親レシャと母親とごく親しい近所の夫婦の計五人に見送られて出発した。前もってギンドが事を荒立てたくない、そっと出発したいと言っていたので、そのような少人数となっていたのだが、見送った誰もが、迷信や不可思議なことが当然のように信じられている世界であったことで、ギンドの言動や行動を信じて疑ってはいなかった。


 そのような具合いで円満に家を出たギンドは、神聖な山へ向かうのに通った道とは正反対の、真っ直ぐ行けば里へと出る山道をはつらつとした気分で進んだ。

 そうして途中で山道から枝分かれして続いていた幾ばくかの道のうち、山道と同じくらいの道幅があった獣道に自然と進路を取っていた。

 その道は木こりと猟師の集落の者が普段から仕事のために利用している道で、元々は獣道だけあって、あるときは木立ちの中を、またあるときは草木が一本も生えていない岩だらけの荒野を、またあるときは背の高い木々が林立する山林や木立ちがこんもりと茂る森の中を通っていた。またその近くには川が流れる深い谷や険しい山の斜面が普通に見られた。


 どのくらい歩いたか分からなかったが、空はすっかり明るくなっていた。

 木々の隙間から、垂直に切り立った崖を持つ山が雄々しくそびえ、その頂きに丸太小屋がぽつんと建っているのが小さく見えていた。猟師達が泊まり込んで猟をする山小屋だった。

 ギンドは開けた平地みたいな場所にやってくると一旦歩みを止めて、近くに見つけた木立ちの茂みに潜んで一息いれた。

 辺りは湧水が出る場所で、所々に水場となる水たまりがあり、そこへ加えて餌となる柔らかい草があちこちに生えていることから草食動物のたまり場となっていた。そのことをこの場所を度々訪れて知っていたギンドは、


「この辺りは獣の巣の筈なんだけれど……」などと呟きながら、息を殺して何か現れないかと待った。

 ――そろそろ、このあたりで何とかしないとな。

 空腹を紛らわせるために持ってきた水を飲んだのみで、とにかく高く売れるものであれば、ウサギでもイノシシでも鹿でも熊でも何でも良いと思っていた。


 それからしばらく経った頃、短い草木が固まって生えていた遥か前方にふと目をやると、猟師の鉄砲でも届きそうもない地点に、赤茶色をした首の長い動物が集団で草を食む様子があった。


「おっ、あれは! 鹿かな? でもこの辺りにいる鹿はあんな真っ直ぐな角が生えていたかな? いや、あれは鹿じゃないな。とすればあいつだ。見つけても近寄ってはいけないと言われている……」


 鹿に似たその姿からヴァイヤンと呼ばれている獣だった。雌雄とも通常の鹿よりも二回りくらい大きく、赤茶色の毛並みをして白い斑点があった。

 その中でも特に雄はひときわ巨大に成長し、大きいものになると通常の鹿の二倍以上あった。

 更に雄の額には一本から二本の真っ直ぐな尖った角があり、背中部分のたてがみが色艶やかな虹色をしていた。

 他にも特徴として複数のメスと群れを成す性質があり、大抵は五頭ほどを連れていた。

 ちなみにその性格は雌雄とも凶暴で、餌場に他の動物がいると襲って排除することさえあり。加えて一旦敵と認識すると、折れても何度でも生え変わる二列になった鋭い歯で肉食獣並みに咬みついてきたり、角や前後の脚を使って相手が動けなくなるまで徹底的に攻撃を仕掛けて来るのだった。

 その上、首や背中の皮膚はぶ厚く、頭部は石のように硬くて、槍や弓矢や鉄砲の玉でも傷すらつけることができないときていた。

 そんな無敵の獣であったが、唯一の弱点は比較的柔らかい腹部で。よって猟師達は、この獣を捕えるために落とし穴の罠を仕掛けて穴へ落としてから大勢の人出を使って身体を反転させ、そこへ手槍や弓矢で止めを刺してようやく仕留めることができていた。

 その肉質は良質な赤身で臭みもなく、煮ても焼いても蒸しても、そのまま生で食べてもとろけるくらい美味しいことから巷では珍味として人気があった。また皮は非常に丈夫であることから甲ちゅうや盾といった武具に利用されていた。他にもオスの角は薬の材料に、たてがみと尻尾の毛は高級織物や装飾品に、骨と歯は装身具にと加工されていた。

 だが用心深い上に頭が良いことからどんなに罠を仕掛けても無駄骨に終わることがほとんどで。また、上手く罠にはめても暴れられて度々けが人が出たことから、猟師達の間ではどんなに苦労して捕えても全然割が合わないと言う理由で、例え見つけてもそのまま放置する扱いをしているのが実情の獣だった。


 順番に数を数えると十頭以上いた。その中に立派な角が生えたのが一頭だけいるのが分かった。 

 

「あいつが群れを仕切っている雄みたいだな。あいつなら高く売れるに違いない。だが、あいつを一人でやるとなると、いくら勇者の武具を身につけていると言ったって不安だな。やはり本来の甲ちゅうの姿になった方が良いかもな」


 身体全体に力がみなぎっている感覚から自分一人の力でも仕留めることができそうな気がしたギンドは、さっそく指輪をこすり武具の精霊を呼び出すと、甲ちゅうの姿に予定通りして貰った。

 それが済むと剣の精霊を呼び出しにかかった。これで完璧だとして。

 ところが「そもそも剣は、悪い人間達や魔物や魔王、並びにその配下に使用するもの。野生の動物に使うような品でない」と難しい顔で武具の精霊がそこへ口を挟んできたことで、ギンドはそんなものかなとおとなしく従っていた。

 ――仕方がない。持ってきた山刀でやることにしよう。


 そのような具合いに準備が整ったところで、きょろきょろと辺りを詳しく伺うと、獣の群れがいる左右はやぶとなっており、ずっと奥の方は険しい山の斜面が拡がっていた。

 ――やぶに逃げ込まれてはやっかいだ。それだけは阻止しないと。でも相手は頭が良いから、こっちが向かって行って一人と分かると絶対に逃げずに襲ってくるに違いない。

 ギンドは簡単に考えを巡らせると、十頭以上いた中から一番大きくて立派に見えた雄の一頭のみに狙いを定めて、「よおし、行くぞ!」の掛け声とともに、木立ちの陰から一気にとび出した。

 そのとき目標の相手は、距離が遠過ぎて全く気付いた様子はみられなかった。普通に前かがみになって草を食べていた。それを見逃さずにギンドは足場の悪い地面を風を切るように駆けると、角のない雌には見向きもせずに、狙いを定めたヴァイヤンの雄がいるところまで向かった。

 ヴァイヤンの雄は、全ての雌を見渡せるようにと雌から少し間隔を置いていたこともあり近付くのは容易かった。何の問題もなかった。たちまち間近までやってくると、手に持った山刀で中途半端な高さにあった首の辺りを狙って切りつけた。

 途端に雄は、ようやくギンドの気配に気付いたのか、首を横にひねるような仕草をして顔を向けてきた。

 ただ逃げる素振りは見せなかった。見せなかったというよりも、ギンドの素早い動きに対応する暇がなかったというのが当たっていたかも知れなかった。

 剣より明らかに短めの山刀が空気を引き裂く音が一瞬したかと思うと、あっという間に屈強なはずの雄の首が切り落とされて地面に転がっていた。

 その際、使った山刀の切れ具合いが余程素晴らしかったと見えて、首のない雄の身体はそのままの状態をしばらく維持してから、ゆっくりと時間をかけて地面に横倒れとなっていった。

 その光景を山刀を振り降ろした姿勢で見たギンドは、口の中で「やったぞ!」と感極まった声を思わず上げていた。

 イノシシやウサギぐらいなら罠を使って仕留めたことがあったが、これだけの大物を山刀一本で仕留めたのは生まれて初めての体験であった。よって、どうしても気持ちが昂って押さえきれず、肩で大きな息を何度もしながら、勝利の喜びに酔いしれた。

 そんなギンドに、頼りとしていた肝心の雄が呆気ない最後を遂げたと分かった十頭を超える雌達は、一斉に狼狽してまとまりを失った揚げ句の果てに先を争うようにして散り散りになって、どこかへ逃げ去っていった。

 それを過度の緊張で見送ったギンドは、ほっとした安心感から気が抜けたかのように崩れ落ちると地面に座り込んだ。

 ――このあと雌が暴走して襲ってきたらどうしようかと思っていたけれど、何もなくって本当に良かった。

 それからギンドは倒した獣の直前でひざまずくと、ごく自然に手を合わせた。次いで、

 

「山の神様、このような素晴らしい山の恵みを頂くことになったことを感謝します。ありがとうございました」などと感謝の言葉を口にした。そして少しの間、放心したように小休憩をとった。


 それからしばらく経った頃、その一部始終を見ていたと思われる武具の精霊がどこからともなく現れると、不意に声をかけて来た。


「どうじゃな、止まっているように見えたであろう。そして武器の性能が上がったであろう」


「はい、夢を見ているようです」


 まだ気持ちの昂ぶりが残っていたギンドは、気さくに尋ねて来た精霊に、口で息をしながら首を縦に振ると応えた。


「剣士の極意はいかにして高速で動き、いかにして高速で武器を振るうかじゃ。その願いをわしはお主に供与したのじゃよ。

 まだ興奮して何も理解できていないかもしれんが、我が能力の一つは装備する者の肉体の実力値を上昇させることにあるのじゃ。何の副作用もなしにな。そこの点が他の武具にはないところだ」


 精霊は能書きを垂れると、黙って聞き流したギンドの前から消えて再び見えなり。またギンドはギンドで、まもなくして知らず知らずのうちに束の間の眠りに落ちていた。

 それからどのくらい経ったのか分からなかったが、犬の鳴き声がどこからともなくした。それも一匹でなくて何匹もだった。それらがうるさいほどひっきりなしに吠えていた。


「あれはたぶん猟師が連れている犬の鳴き声だ」


 どうにかこうにか普段の状態へ戻っていたギンドは閉じていた目を直ちに見開くと、耳を澄ました。どうやら鳴き声はかなり遠くの方からしているようだった。

 この世界の猟師の狩りは、犬を得物にけしかけて追い込んだ上で罠で捕えたり弓で射ったり鉄砲で撃ったりと至って普通で。犬の鳴き声がすることは猟師も一緒にいることを意味していた。


「早くここを離れないと面倒なことになる」


 犬は鼻が利くから直ぐに見つかってしまう。そのときこの現場を見られたら、どんなふうにして仕留めたかきっと根掘り葉掘り訊いてくるに違いない。そのときこっちが正直に答えても信じてくれないだろう。それどころかわざとらしい親切ごかしで俺をだましにかかって分け前をせびってくるに違いない。それを何人にもやられたら、いくら俺だって降参するほかない。気が付いたら旨く横取りされて俺の手には何も残っていなかったりして。

 母親の目のこともあって、猟師達に余り良い印象を持っていなかったギンドはそれを恐れたのだった。

 この場所で獲物を解体してから運ぼうかと考えていた矢先のことで、ぐずぐずしていられないなとギンドは直ぐに立ち上がると、獲った獲物をどうするか考えた。

 しかし、とっさのことで良い考えは浮かばず。思い余ったギンドは、地面に転がった獣の頭の方へ歩いていくと、山刀を使って肘くらいの長さがあった二本の角を額から切り取り、持ってきた袋に入れて腰ひもに結わえた。

 そこまで終えたところで今度は、良く肥えた牛ぐらいの重さがあるように見えていた横倒しになった大きな獲物の身体を、たぶん運べるはずはない、絶対無理だと思いながら、獣の前足を両手で持って背負う格好をやけくそでやって、そのような姿勢から曲げていた膝をゆっくり伸ばしていった。

 するとどうしたことか獣が思ったよりも軽くて楽に持ち上がっていた。

 ギンドは自分でも信じられなかった。――不思議だ。何も入っていない空っぽの布袋を担いでいる感じで何も重さを感じない。これもまた勇者の武具のお陰なのかな。

 そんなことを考えながら、獣を背負ったまま歩きだすと、元来た道を戻った。

 ところが途中で山間部の谷筋へと向かう急な坂が見えたとき、そこへ進路を変更した。誰にも出会わないようにと用心してのことだった。

 谷筋を下まで下りきると、そこには水量の豊かな川が緩やかに流れていた。

 この川から分かれた支流が里の街を縦断していることや川底が深いことで、山で切り出した丸太を始め、船を使って集落から大量の荷物を運んだりする場合に使っている川だった。

 その川に沿うように一本の獣道が伸びていた。道幅が狭い上に段差があって、山の道を行くよりもかなり遠回りになることから、緊急時以外ほとんど誰も使わない道だった。しかしギンドは山の道を行くよりもかなり遠回りになるけれど、その分急げば良いだけのことだと割り切ると、その道を急ぎ足で歩いた。そして思った。

 ――ここには猟師はやって来ないから一安心だ。何と言ったって川の周辺は木こりと猟師がお互いに申し合わせて猟をしない決まりになっているんだもんな。

 果たして、道すがら誰にも出会わなかった。それと相まっていつの間にか太陽が真上に来ていた。

 それからずんずん先に進むと、もうあと少し行ったところの川幅が狭くなった地点に掛かる丸太の橋を渡れば、深い森とようやくおさらばするという地点までやって来たときだった。

 道端に生えていた木立ちにブドウのつるが這い、紫色をした実を所々に実らせているのが見えた。しかもその実は、森で普段見かけるブドウよりも一粒一粒がいやに大きかった。

 それが否応にも目に入ったギンドはふと足を止めると、担いでいた獲物を一旦地面に下ろし、喉の渇きも手伝って何気なしに手を伸ばした。

 そのとき、どうせ酸っぱいだろうと思ったので、なっていた一房から一粒を無造作に指先でつまむと口の中に放り入れた。するとどうしたことか、何とも言えない爽やかな感じが口一杯に拡がった。

 ――それほど甘くないけれど水っぽくもない。これはいけるかも。

 そうと分かれば話は早かった。

 後は好きなだけ食べるだけだ。よーし、食うぞとギンドは良く熟れた房を選びながら丸ごと頬張った。ブドウの果汁で口や手が汚れるのもいとわずに無心に貪り食った。 

 そのような具合で、あっという間に喉の渇きを潤すとともに腹も何とか満たすと、ブドウの葉で口の周りと手を拭きながら思った。

 ――山の神様も捨てたもんじゃないな、俺が困ったときに備えて何から何まで用意してくれてあるんだもんな。

 そうして再び声に出して山の神に感謝した。


「山の神様、ありがとうございます。立派な獲物を恵んでくださった上に、喉が乾いた僕のことを考えてここまでして下さるとは。心からお礼申し上げます」


 ギンドは山の神に丁寧な礼を言うと、ついでに武具の精霊を呼び出して、元の格好に戻っても目の前の大きな獣を担ぐことができるかどうか尋ねた。

 ここまでは予定通りに誰にも出会わなかったけれど、この先はそうはいかないだろう。必ず人に出会う。そのとき勇者の格好をしていたら絶対に目立ってしまう。出会う人、出会う人にじろじろと見られてしまう。場合によっては大騒ぎとなって役人が飛んで来るかも知れない。そうなっては困る。ここは地味な格好で行かなければと考えたことに拠っていた。

 すると精霊は「今より重く感じられると思うがそう問題はない」と言ってきた。

 その言葉にギンドは一安心すると、見るからに騎士の風格が漂う甲ちゅうの姿から、みすぼらしい下着のような姿に戻して貰っていた。

 ギンドはその姿の上から普段着であった野良着を身に着けると再び獲物を担いで歩き出した。

 なるほど精霊の言う通りだと思った。野ウサギを一匹背負う感じの重さに変わっていた。だが若いギンドの体力からすると、全然苦にならなかった。

 ――あと少しだ、あと少し行くと街だ。

 果たして、歩き始めて幾らも行かないうちに急に視界が開けたかと思うと、川の幅が狭くなった辺りに丸太の橋が掛かっているのが見えた。その先には実をつけたブドウの樹が青々と葉を茂らせている光景が見えた。どう見てもブドウ畑だった。

 ――やっと着いたぞ。

 ギンドは橋を渡ってようやく深い森から出ると、辺り一面にブドウの樹がずらりと居並んだなだらかな斜面を下った。

 周りの状況を鑑みるに、先ほど食べたあのブドウは、鳥がブドウを食べて地面に落とした種が大きくなって実をつけた。常識的に考えればそういうことと言えたが、ギンドはそうは思わなかった。神様というのはいつもそういうものだ。いつも偶然を装いみんなに施しをしてくれているんだ。わざとらしいことは絶対にやらない。そう見なして山の神様の仕業と信じて疑わなかった。

 途中からブドウ畑とブドウ畑の間に伸びていた小道を下って更に行くと、周辺に倉庫みたいな大きな建物がパラパラと見え。坂を下りきると道幅が急に広くなって、道の両側に建物が普通に建っていた。

 そのとき、どこか遠くの方で鐘が鳴っているのが聞こえた。

 普段から森の奥まで聞こえてこないのでそれが何なのかギンドはピンとこなかったが、街の中央にあった教会が時間を知らせる鐘の音で、そのとき午後の二時を告げていた。

 ちなみに街の中央には教会のほか、行政官や貴族といった名士の邸宅や迎賓館や周囲の状況を監視する塔といった施設が、高い塀と川の水で満たされた堀と土塁に囲まれて、高さを競うようにそそり建っていた。そしてその周囲を街の有力者や学校や教会の出張所やその付属の施療院の建物が広い庭園に囲まれて建ち。次いで都からやってきた役人と兵士が駐留する役所や郵便所。他にも肉や魚や野菜や果実や様々な生活雑貨を売る市場や食料品店や雑貨屋や燃料屋や油屋や宿屋や酒場や大衆食堂や大衆浴場や葬儀屋や鍛冶屋や金物屋や運送屋や薬師屋や仕事紹介所や一般庶民が暮らす家屋が広場や通りを挟み建ち並んでいた。そしてそれらの家並みが消えた辺りには豊かな農地と草原が拡がり、田舎の田園風景よろしく、様々なところで牛や羊やヤギといった動物がのどかに草を食んでいた。

 国の直轄地であったそこ(一応ヴィーザルドと言う地名が付いていた)では一万六千四百人余りの人々が生活していた。そして一応防御態勢が整っていることから街というより都市と呼んだ方が当を得ていた。

 ちなみに国全体から見ると中程度の規模だった。だがギンドが暮らす集落と比べれば明らかに大都会だった。


 ところでギンドが用事があったのは、猟師が獲った獲物を主に扱っている商店で、卸と小売を兼ねていた。ギンドは大人の人に付き添う形で一度だけそこへ行ったことがあった。それゆえに商店の名前は知らなかった。だが、建物のある場所だけは大体頭の中に入っていた。

 その商店はその利便性から町の外れにあった。ちょうどギンドが来ている地点だった。

 ギンドがきょろきょろと辺りをうかがうと、先ほどまでギンドがいた森の方角の川筋に広い敷地が見え、そこに丸太が山のように積んであった。あのあたりに製材所の建屋があるはずだった。

 またその遥か向こうの建物の煙突から白っぽい煙が幾つも上がっていた。あれは木材から紙を作っている工場や土から陶器やレンガを作っている工場の煙だとギンドは教えられていた。


「よし行くぞ!」


 ギンドは心の中で叫ぶと、人気のない通りを歩いていった。建つ建物も疎らで迷うこともなかった。

 まもなくして、表の扉が開け放たれた石造りの古い二階建ての建物の前にやって来ていた。

 建物の直前と道端には空の荷車が数台止められてあり、開け放たれた扉の内部には二人ほど人影が見えていた。目的のジビエを専門に扱う商店の建物だった。

 だがしかし、ギンドは商店には立ち寄らずに、その裏手にあった猟師から買い取った動物を解体したり加工したりする作業場へ向かった。作業場は商店の建物に丸ごと隠れるように建っていた。

 歩いていくと、空き地に骨組みだけの粗末な小屋が全部で三棟建っていて、その中に通した長い棒にたくさんの獣の肉がぶら下げられていた。その隣には平かごが段になって積まれており、内臓とか皮や脂身の部分とか鳥の足みたいのが並べられて天日干しされてあった。

 冷蔵や冷凍施設がまだなかった時代。肉や魚は生で食べられることはほとんどなく。もっぱら半焼きされたり塩漬けにされたり干されたりくん製にされたものを人々は食していたのだった。


 そこを過ぎると、いよいよ作業場の建屋が現れた。窓が一切ない納屋みたいな質素な造りの建物で、左右に出入口が一つずつ見られるだけの簡単な造りをしており、肉を焼いているのか、或いはくん製にしているのか屋根の辺りから白い煙が上がっていた。

 ここがそうだなと、さっそくギンドは半開きになっていたドアの前に立つと、中に向かってへりくだった言葉遣いで呼び掛けた。


「あのう、獲物を獲って来たので買っていただけませんか?」


 前に一緒に来た人のマネをしたまでだった。すると中から「少し待ってくれ」といった大きな声が聞こえ。しばらくしてドアが開くと、ひとりの大男が姿を現した。

 男は長髪にひげ面で顔がでかく、あたかも熊みたいな大きな図体をしていた。

 男は巨大な獣を担いだギンドを見た途端、「あっ!」と一言叫ぶと開けた扉を思いっきり閉めて中へ引っ込んだ。

 何が何だか訳が分からなかったギンドは、不思議そうに「どうかしましたか?」と中へ呼びかけた。すると、その呼び掛けに応えるように扉がゆっくりと開いて、再び男が顔を現した。


「おい、若いの。びっくりさせるんじゃねえ」


 何とか事情が分かったと見えて、男は怒鳴るようにギンドに向かって叫ぶと、


「あゝ、驚いた。驚かすんじゃねえぜ。てっきり熊が目の前に現れたかと思ったぜ」と、ひとり言を呟きながら、まじまじと粗末な服装をしたギンドを見つめて乱暴に言ってきた。


「何の用だ?」


「はい」


 ギンドが落ち着いた物言いで再度同じことを伝えると、「あゝ、そうか。分かった。その前にそのでかいものを下ろせ」と荒っぽい口調で言ってきた。

 ギンドがその要請に従いその場に獣を下ろすと、ようやく大男は外へ出てきて、人差し指で鼻の下をこする仕草をしながら、獣をじろじろと眺め始めた。

 作業中だったと見えて、身に着けていたひざ下まであったエプロンに暗紅色をする血のようなものが付着していた。


「白い斑点があるな。たぶん大鹿だろうが、でもかなりの大物だな……」


 男はそう呟きながら、頭のない獣の前でしゃがむと、首の部分をじっくり眺めて手で触れたり、茶色の身体のあちこちを拳でコンコンと叩く仕草をしながら、側に立つギンドに向かって尋ねた。


「これをあんたがひとりで殺ったのかい?」


「はい」


「何を使って首をはねたんだい?」


「はい、これです。これを使いました」ギンドは正直に腰に差していた山刀を男の前に突き出すと、振り向いてそれをまるで信じていないような目でチラリと見た男は、


「あんたは猟師かい?」と訊いて来た。


「いいえ、猟師じゃありません。木こりです。木こりをやっています」


「あゝ、そういうわけかい。こいつの頭を一発で切れる山刀なんて相当な業物みたいだな。うらやましいぜ」


 適当にそう言うと再び獣の方に視線を戻して、手足を持ち上げて白毛の腹部の辺りを見たり下腹部を見たりと獣を事細やかに吟味し始めた。

 しかし肉の専門家らしく、そう時間がかからなかった。ほんの一、二分で頭を上げると立ち上がり、「ちょっと待っていてくれ」と言うなり表の商店の方に歩いて行った。

 そして間もなくして、オレンジ色をしたハンチング帽を頭にちょこんと被り、同じくオレンジ色のエプロンを身に着けた小太りの高齢の男を連れて戻って来た。そのときのぺこぺこするひげ面の男の接し方からみて、おそらく彼の上司、つまり商店の店主と考えて間違いなかった。

 高齢の男は頭のない獣を一目見てから、真っ赤に酒焼けした顔でギンドに向かうと、愛想笑いをしながら、しわがれた声で、


「これをお前さんが殺ったのかい?」と訊いて来た。


「はい」


「そうかい」


 高齢の男はギンドの返事を聞くや否や、直ぐに側にいたひげ面の大男の耳元に小声で何やらささやいた。すると大男は首を縦に振ると、建屋の中へ消えていった。

 大男が見えなくなった頃、高齢の男はまじまじとギンドを眺めると、


「ところでお前さん、この獣は何だか分かっているのかい?」と訊いて来た。


 どうやら若いギンドが何も知らないで獣を運んできたのかどうかを確かめたらしかったが、ギンドは造作もなく、


「はい、ヴァイヤンです」と答えると、高齢の男はこくりと頷くと続けた。


「分かっていればそれで良い。わしもこれを見るのは一年ぶりだ。あのときは雌のほうだったけれどね。何でも崖下で脚をくじいて動けなくなっていたのを仕留めたって言ってたな。だがお前さんが持ってきたのは明らかに雄のほうだった。しかもとても状態が良いと若いものから聞いておる。どれくらいで売りたいのかな? どうせ誰かに訊いて来たと思うが一応訊かせてくれないかな?」


「はい、そうですねえ……」


 ギンドはしばらく沈黙すると考えた。――そう言われても困る。たぶん牛一頭から二頭の間くらいにはなると思うけれど、はっきり言ってどれくらいするものか俺には見当がつかないんだ。

 だがやがて、――やむを得ない、こうなっては相手の意見を聞くのが手っ取り早いかもな。そのような答えに至ると応じた。


「そちらはどのくらい出せます?」


 ギンドの問い掛けに高齢の男はにっこり笑うと、両手を広げて親指一本だけ曲げた。そして言った。


「まあ。これくらいだねえ」


「えっ!」ギンドは驚いたような声を上げると茫然と立ち尽くした。

 せっかく苦労してここまで運んだのに、たったそれっぽちだなんてとがっかりしていたのだった。――それじゃあ牛一頭分にもならない。


「どうした、不服かな?」


「ええ、ちょっと」ギンドは沈んだ顔で正直に答えた。


「そうかい。でもうちとしてはこれが限界だ。だが、角も揃っていれば、そうさなあー、十枚出しても良い」


「それでもまだ安過ぎます」


「そんなはずはなかろう。山奥なら一家三人で一年以上は楽に暮らせる額だぞ」


「そんなことは絶対ありません」ギンドは首を横に振ると反論した。「その額じゃあ全然話になりませんよ。牛一頭も買えませんし」


「牛一頭だと?」ちょっと考え事をするように高齢の男はあごに手をやると、直ぐに何か分かったとみえてほくそ笑んで言った。


「さては何か勘違いしているということはないだろうな。もしや単位を間違えているとか。わしが出した価格は小金貨で十枚だぞ! 十枚もあれば牛が七、八頭ぐらいは楽に買える筈だが」


「えっ!?」


 ギンドは二度びっくりすると、今度は目を丸くしてその場に立ち尽くした。――小金貨って何だ? 俺は生まれてこの方、まだ見たことがないぞ!

 それも無理のないことであった。

 その世界の貨幣は全て金属貨幣で、大陸のどの国においてでも刻印されている絵柄が違うだけで重さも形も一緒だった。しかも貨幣単位も共通で、大きな額から大金貨、中金貨、小金貨、中銀貨、小銀貨、中銅貨、小銅貨、穴が開いた小銅貨からなっていた。

 そのうち大金貨と中金貨は額が大き過ぎるという理由でほとんど流通しておらず。また小金貨は役人や兵士の給与や商人間の取り引きのときぐらいに使われるだけで、一般庶民の間では中銀貨以下の貨幣がもっぱら使われていたのだった。


「すみません、てっきり中銀貨十枚だと思っていました」


 そう言って素直に謝罪したギンドに、高齢の男は冷ややかに笑いかけながら、


「当たり前だ。それくらいの値打ちであるはずはなかろう。たったそれぐらいで手に入るのだったら何も苦労はせんさ。何しろ猟師に幾ら頼んだって、人出と手間が掛かり過ぎる上に余程の幸運が無ければ無理な相談だと言って全然取り合わないのだからな」


「そうですか」


「どうかな、小金貨十枚では?」


「はい」文句のない提案に、ギンドはすんなり受け入れると元気な声で言った。「ここに角も持ってきてますから、それでお願いします。それで手を打ちます」


「よし、決まりだ。それでは」高齢の男は作業場の建屋の方へ振り返ると叫んだ。


「おーい、お前達。後は頼んだぞ!」


 途端に、その言葉を待っていたかのように建屋の中から最前の大男を始め六名の大柄な中年の男女が現れると、たちまち獣の周りを取り囲んだ。

 それぞれが背丈こそ高低があってばらばらであったけれど、お揃いのエプロンをして、まん丸に太った体型をしていた。そして手には、ギンドが持つ山刀ぐらいの長さがありそうなナイフか、骨切り用のノコギリを持っていた。

 その場で彼等は例のひげ面の大男を中心にして何事か会話をすると、そのうちの一人の男が早足で表の商店の方へ駆けるようにして歩いていき、直に荷車を引いて戻って来た。それに獣を載せて建物の中に運び込むつもりのようだった。

 果たして予期した通りに荷車へ獣を載せにかかった。だが、一人や二人や三人の力では重過ぎてどうにもならないようだったらしく、終いに全員が力を合わせて獣を荷車に載せていた。

 その様子を高齢の男はしばらく眺めていた。そして獣が荷車に何とか載ったのを見届けると、「任せたぞ、みんな。怪我をしないようにな」と彼等に声をかけてギンドの方に振り返り「ついてお出で」と言って表の二階建ての建物へ向かって歩いて行った。言われるままギンドが後ろへ続くと、男は店舗の建物の中に入っていった。ギンドも追随して扉が開け放たれた入口から中に入ると、部屋の壁際に沿って木製の陳列棚がずらりと並んでいた。ところがどの棚の上にも何も置かれていなかった。空っぽだった。どうやら全て売り切れてしまったのか、それとも次の準備をしているかのどちらかと思われた。

 そうして部屋の真ん中辺りには木製のしっかりしたテーブルが置かれ、その上には小型の天びんばかりが一台と、大きさが三種類の竿ばかりと、その分銅と、ひもが付いた丸い編みかごが三つ、四つ重ねられて置かれてあり。どうやらその場で肉の量り売りをしているように思われた。

 高齢の男は、部屋の一番奥に見えたドアの向こうに消えたかと思うと、しばらくして手提げの小箱を持って現れた。

 ギンドが見ている前で、その男は小箱を部屋の真ん中に置かれたテーブルに置くと、続いてテーブルの引き出しを開けてペンとインクと商店の名が記された冊子を取り出し、見る間に冊子をめくって、インクをつけたペンですらすらと数字らしきものを書いた。それが済むと、書いたページを冊子から慎重に切り取った。

 何から何まで勝手が分からず、男のやることをじっと眺めるギンドの前で、そこまでを流れるような無駄のない所作で男は行うと、切り取った紙片とペンをギンドの目の前に出して言って来た。


「ここにサインをお願いしますよ」


 ギンドが紙片を確認すると、思った通り数字が記載されていた。


「税金の分を引いていますので、その分、額は少なくなっています」


「はあ、そうですか」


 ギンドは疑いもせずに紙片にペンで自分の名前を書くと、その紙片を男の前に出した。すると男はギンドが書いたサインをちらりと見てからようやく小箱を開けた。中には、たくさんの硬貨と書類が整理されて入っていた。

 ギンドがじっと見ている前で、男は金色と銀色に光る硬貨をテーブル上にさり気なく取り出して慎重に二つの山に積んでいくと、最後にまとめてギンドの前に置いた。そして言った。


「どうぞ確認してください」


「はっ」言われたギンドが数えると、小金貨が九枚と中銀貨が九枚あった。


「はい、確かに」


 ギンドは全ての硬貨を一まとめにして獣の角が入っていた袋に放り込むと、対応に当たった男に、


「最後に一つ聞いても良いですか?」と、ずっと疑問に思っていたことを真顔で尋ねた。


「あゝ」高齢の男は赤ら顔で快く応じた。「一体何でしょうかな?」


「ヴァイヤンは捕獲し難いことは分かりますが、どうしてそんなに高価なんです? ヴァイアン一頭の金額が牛七、八頭と大体同じだなんてとても信じられないのですが?」


 ぽつりと尋ねたギンドに、男は小馬鹿にしたように笑うと、しわがれた声で言った。


「それは価値観の違いでしょうな。例えば皮はどの動物より丈夫で使いべりがしないときている。牛の皮をどんなに厚く並べたところで遠く及ばない丈夫さだ。角は角であの不快な酒当たりを治してくれる特効薬の材料になるとして重宝されている。対して牛の角はそんな効能はない」


「なるほど」


「あゝ、そうそう。あんた、あの肉を食べたことがあるかい?」


「いいえ、ありません」


「わしは味見するために二、三度食べたことがあるが、あの肉の味は最高だよ。牛なんか足元にも及ばなかったな。

 そういうわけでヴァイアンの肉には希少価値があって、どんなに高くたって直ぐに売れるんだ。といっても、ここでは売らないから手に入らないけどね。

 わしのところは全部、公邸の料理長様行きなんだ。料理長様とは長く取り引きをさせて貰っておってな、そこへ話を持っていけば、直ぐに全部引き取ってくれる手はずができているのさ。聞くところによれば、全部が全部、誰の口にも入らずに都への贈答品になるのだそうだ」


「へえー、そうなんですか」


 分かったような風にギンドは頷くと、もう二度と来ることがないだろうなと思いつつ、「それじゃあ、また来ます」と男にあいさつをして商店を後にした。

 次いでギンドは最寄りの市場へと向かった。市場の中には木こりの集落出身の人物が経営する雑貨屋があるからだった。そこでは斧やノコギリや山刀といった仕事道具を始めとして、農具やひもや釘や金槌やカバンや帽子や衣服や下着や手袋や靴やナベやフライパンや桶や陶器やランプや薬といった風に、あらゆる日用品が揃うということで、木こり仲間が集落から町にやって来たときにいつも立ち寄る場所になっていた。ギンドはそこで旅に必要なものを揃えようと思っていた。

 

 上空の太陽の位置から見て、時刻は夕方の四時頃かと思われた。

 ぐずぐずしているとすぐに暗くなってしまうな。そうなったら目も当てられなくなってしまうぞと、ギンドは街の中心部へと向かっている灰色の道を慌ただしく歩いた。とは言っても、急ぎ過ぎて人を驚かせる事がないようにと気をつけて、勇者の能力を制限していたが。

 右に折れたり左に折れたりを繰り返していた道を進んでいくと、次第に建物の数が増えていき、遂には通りの両側に平屋と二階建ての家屋がびっしりと建ち並んでいた。

 ただ通りはしーんと静まり、誰にも出会うことがなかった。おそらく家の中に引っ込んでいるのだろうと思われた。

 そうこうしているうちに、ある辺りまでやって来ると、ちらほやと人の姿が見え始め、次いで人が行き交う様子が見えて来た。――あともうすぐだ!

 そう思いながら尚も行くと、脇道の辺りで人が集まっていた。ギンドは迷うことなくそこへ入った。すると、これといった目印も立て札もなかったにもかかわらず、市場は一目でわかった。

 通りの両側に、入口の扉を開け放した店舗が数多く軒を連ねていたからだった。それ以外にも路上に敷いた粗末な織物の上に陳列したり、台の上に並べる様式で商いをしている業者もいた。屋台で商売している者もいた。

 そして市場というだけあって、そのほとんどが食べ物を扱う店で、焼きたてのパンや、採れたての野菜やキノコ類や、保存食である肉や小麦や乳製品や豆類やイモ類などが売られていた。屋台ではパンや魚や肉や野菜やソーセージといったものを揚げて売っていた。

 その隙間を埋めるようにして営業していた居酒屋や家具屋などと一緒に雑貨屋はあった。


 思っても見なかった大金を手にしたことで、うれしくてたまらなかったギンドは、ほくほく顔で店に入った。

 店内は、何でも揃うということで棚や床にたくさんの商品が積まれて雑然としていた。しかも、それほど大きな店舗でもなかったこともあって通路は狭く、ほとんど身動きがとれなかった。

 そのような場所では、時間をかけてじっくり見る気であれば何も問題なかった。が、時間がなかったギンドは、かなり割高になるのを知っていたものの、手っ取り早い方法を選んだ。

 応対に当たって来たギンドと同じくらいの年頃の若い店員に、「急ぎの用事があって都へ行かないといけないんだ」と適当なことを言って、欲しいものを指定して持ってきて貰っていた。

 その結果、直ぐに欲しい品物がギンド以外に客がいなかったせいもあり揃っていた。

 そこでギンドは、新品のチュニック、マント、ズボン、革のベルト、布の帽子、背負い袋、肩から掛ける布製のバッグ、鉄の鍋、一人用のテントなどを買い揃えると、二枚の中銀貨を代金として支払い、購入した新しい衣服に着替えて店を出た。


「あゝ、きちんとした服装をしたら急に腹が減ってきた、何か食べたくなってきたな」


 それからギンドは、市場の筋を少し行ったところにあった『グベルマート(グベルの店という意味)』という名の大衆食堂へ自然と足が向いていた。

 そこは木こり達の行きつけの店で、屋根裏も含めると三階建てのまあまあ大きな建物だった。一階部分は居酒屋を含めた食事何処となっており、二階と三階部分は宿泊できるようになっていた。要するに、食事もできる宿屋であった。

 そこへはギンドは二回来たことがあった。もちろん自分より年長の人達と一緒であったが。その二回とも、一晩だけ泊まって夜が明けるとともに集落に戻っていた。


 歩いていくと、荷馬車会社と革製品を製造販売する会社の並びに大衆食堂はあった。隣は公衆浴場と武器屋と質屋で、相向かいには三軒の遊技場と印刷所と便利屋の建物が建っていた。


「まっ、ここで構わないだろう。この前も来たことだし」


 扉が開け放たれた入口を通って食堂の中に入ると、近所の常連客や旅人でそれなりに賑わっていた。全部で六十席ほどあった席のほぼ七割がたが埋まっていた。

 ぐるっと中を見回して見つけた、空席になっていた壁際の一人掛けの席にギンドは腰掛けると、反対側の壁に掛かる木製のメニューを眺めた。

 ホール内では、頭に白いヘアキャップ、ドレスぐらい長いチュニックの上から白いエプロンを身に着けた給仕の少女が二人、テーブルの周りを回りながら客の注文を訊いたり料理を運んだり精算を行ったりと忙しく働いていた。またホールの突き当りの壁側には二階へ向かう階段。その横には十人ぐらいが座れるカウンター席があり、二人の若い男女が立って客の相手をしていた。

 腰掛けて少しの間待っていると、二人の少女のうちの一人が席の前にやってきて、あどけない声で注文を取って来た。ギンドは載っていたメニューの中から、この前と言っても二ヶ月前のことだったが、そのとき食べた料理を注文した。少女はかしこまりましたと言って小さく頭を下げると、カウンター奥の調理場へと去って行った。

 その後、立て込んでいるのか中々料理が出てこなかった。

 だが、給仕の女の子が思いのほか可愛らしかったのと、周辺の見るもの全てが物珍しく、いつまで見ても飽きることがなかったので、ギンドは全然気にしていなかった。

 例えば、壁の窓に半透明のガラス板がはまっていたことが不思議だった。集落では窓にはあんなのはない。鎧戸だったり、草木で編んだ薄い織物が掛かっている。それが普通だ。

 酒を呑む容器もだった。一部が透明なガラス製であった。集落では土器か木製と決まっているのに。

 客や食堂の店員に色白の人物が見られるのも珍しかった。集落では男も女もみんな褐色に日焼けして白いものは誰もいないんだ。

 ホールが石畳であったことも不思議だった。集落ではどの家も下は土なんだ。

 料理の味付けも変わっていた。集落では、何も味付けしないでそのまま食べるか、単に塩か香草味か、甘みのある果実やはちみつで甘味を付けているか、草の根で作ったすっぱい味のどれかであった。ところがここの味付けはこっていて、肉汁から作ったり絞ったブドウカスから作ったり麦と塩から作ったソースとやらでコクのある味付けをしていたり、卵と色んな野菜を混ぜ合わせたり、エビや小魚から作ったというドレッシングとやらでさっぱりした味付けが加わっていたのだった。今日は楽しみだ。ソースとやらが料理にかっているんだ。

 そして何よりも、昼間から女性が酒を飲んでくつろいでいるのが不思議だった。女の人がお酒を飲んでゆっくりしているなんてとても考えられない。

 室内には余計なものは何もなく、案外質素な空間だった。しかしながらギンドにとっては、物心ついた頃より仕事一辺倒で励んできたせいで、この空間は異世界と言って良いものとなっていた。


 多忙で少女達の手が回らなくなったのか、調理場の方からも一人の若者が現れて、料理をテーブル席に運んだり注文を訊いたりと彼女等の手助けをしていた。

 三人共、首に黒い輪っかみたいなのがはまっているのが見え隠れしていた。それを見たギンドはおやっと思った。この前に来たときは全然気付かなかったけれど、あの子たちは奴隷の身分なのかな?

 町には人口の約一割強の奴隷がいたため、それほど珍しいことではなかったのだが、集落には奴隷を見なかったせいもあり、それとなく興味を示したギンドだったが、身に着けた勇者の武具の力によって観察眼が飛躍的に向上していたとは夢にも思わなかった。

 更に言えば、それまでろくな教育を受けてこなかったギンドが、いつの間にか読み書きがすらすらとできるようになっていたのも、また不思議にもここまで冴えた思考ができるようになっていたのも全て武具のお陰だった。


 ときに、この世界では奴隷制度が公然と存在していた。

 奴隷のほとんどは、戦争捕虜であったり、異国から連れてこられたり、奴隷が産んだ子で、残りは他国からの貢ぎ物であったり、親に売られたり、犯罪組織に拉致されて売られた者達だった。

 そのようなことから、一般に奴隷は国や地方の諸侯や、国や諸侯から認可を受けた業者が管理し、その証として奴隷は国や諸侯や業者の紋章が入った首輪や足輪を強制的に付けさせられていた。従って奴隷の売買相場も国や諸侯や業者によって大体決められていた。そのことはどの国でも同様で変わりはなかった。

 また奴隷は一旦奴隷の身分になると一生奴隷で、子や孫やひ孫も同じく奴隷であり続けるのが決まりとなっていた。

 ついでに言うと、奴隷の身分から解放されて自由になれる方法が二つ知られていた。

 一つは、奴隷の身分を大金を積んで買い取ることだった。そうすることで奴隷の証である首輪や足輪をはずすことができた。しかしながら元奴隷であったという事実は消えることはなく、何かといえば世間から冷たい視線を向けられることを甘んじて受け入れる覚悟が必要だった。

 あともう一つは、国や諸侯の領地から逃亡して、奴隷の管理名簿から自動的に名が消えるのを待つことだった。そうはいっても、名簿から消えるのは行方不明になってから五十年先とか百年先とか気が遠くなる期間に設定されていて、ほとんど死ぬまで奴隷の身分が無くなることはなかった。そして見つかれば、捕えられて重刑に処せられるのが決まりだった。

 しかしながら、どの国でも奴隷の買い取り価格が高価であったことで、ほとんどの場合において大切に扱われるのが通例となっていたことや、教養があったり、技能があったり、若かったり、美男や美女であれば、尚更大事されるので、一度奴隷となると誰しもが心が折れてしまって死ぬまで奴隷の身分で日々を過ごすのが、この世界のありふれた光景となっていたのである。 


「外の世界は本当に怖いのよ。物取りだってただ盗んでいくんじゃなくって命も一緒に取っていくんだから。向こうでは奴隷商人という職業の人達もいてね、旨いこと言ってだましては、首に輪っかを付けてどこかのお金持ちに奴隷として売るのよ。そうなっては一生奴隷として暮らさなければならないの。旅先でお前もそうならないように気を付けるんだよ、旨い話には乗っちゃあダメだよ」と母親が忠告をしてくれたことを思い出して、この子達もそんな境遇なのかなと思っていた頃、注文しておいた魚のフライと豆のシチューと二種類のパンとビールを、首に輪っかが付いた当の若者が、ようやく運んできて調理場へと去っていった。


「あゝ、これで何とかなった」


 さっそくギンドはビールで喉を少し潤すと、白いソースがかかった魚のフライにかぶりついた。たちまち口の中に爽やかで甘酸っぱいソースの味が広がる。

 旨い! これなら幾らでも食べられる。

 それから、羊肉の大きな塊が入ったスープをスプーンですくって一口呑んだ。

 辛い! でも旨い。この味は、ここに来ないと食べられないな。ギンドは満足そうに微笑むと、いつもの習慣で早いペースで食べ始め、あっという間に皿に盛られた魚料理とシチューをたいらげ、そのついでに二つのパンも腹の中に消えていた。そして最後にビールで締めていた。

 そのようにして全てを食べ終わった後、しばらく待っていると少女が現れ、料理の代金を可愛らしい声で請求してきた。ギンドは彼女に言われた料金を支払い勘定を済ませると、少女に向かって尋ねた。


「あのう、すみません。ランプの油を置いてますか?」


 当時の宿屋は、単に泊まるところではなく、必ず郵便の代理業務や集会所や仕事斡旋所みたいな業務や売店を兼ねていた。そういうことで、雑貨屋で購入したランプに油を入れて、その灯りを頼りに、町を出て次のところへ向かうつもりで尋ねたのだった。

 すると少女は手慣れた様子で、「はい、かしこまりました」と応じると、ギンドの身なりをちらりと見て訊いて来た。「旅人さんですか?」


「はい」ギンドは頷くと言った。「幾らになります? これから出発しようと思って」


「今からどこへお出かけですか?」


「はい、街を出るつもりですが」


「こちらへは初めてで?」


「は、はい」


「お一人で?」


「はい、そうです」


「そうですか。それはおやめになった方がよろしいかと思います」


「どうしてです?」


「危ないからです」そう言うと、少女は芯のしっかりした物言いで続けた。「今はまだ明るいですが、街を出る頃には夜になっています。そこに加えて、真夜中に街道を行くなんて山賊に襲われにいくようなものです。お一人ならなおさらです。街道筋には山賊の巣があるという噂で。この前も夜中に街道を通っていて殺されたという事件が起こっているんです」


「あゝ、そうなんですか」


 少女の忠告にギンドは唖然として目を見開いた。

 ――しまった、俺としたことが計算違いをしていた。勇者の武具で山賊ぐらいは何とでもなるけれど、この辺の土地を、そういやあ知らなかったんだ。初めての土地を真っ暗の中で歩いて行くなんて、良く考えたら馬鹿げたことだぜ。

 そこへ間髪を入れずに少女が、


「もし何でしたら、一晩泊まっていかれたらどうです?」


 宿泊することを勧めて来た。ギンドは「ありがとう、そうします」と丁寧な礼を言うと、席から立ち上がり、カウンターの方へ真っ直ぐに歩いていった。確かにそのほうが無難だ。

 そこでは五名ばかりの男女が席に腰掛け、ビールやワインを飲みながら賑やかに食事をしていた。

 その中、カウンター内でぼーっとした表情で暇そうに立っていた店員の女性に、「あのう、すみません」とギンドは声を掛けて尋ねた。


「一晩泊まりたいのですが部屋はありますか?」


 途端に女性はギンドの方に振り向くと、事務的な物言いで、


「お一人ですか、それとも何人かでご利用ですか?」と逆に尋ねてきた。


「一人です」


「はい、かしこまりました。今から空きがあるかどうか調べますので少々お待ち下さい」


 そう言って女性はカウンター席の端に重ねて置いてあった薄っぺらい二冊のノートのうちの一つをさっそく手に取ると、開いて中の文字を指でなぞりながら何かを確認した。そしてそれが終わると、「はい大丈夫です」とギンドに伝えて、直ぐにもう一冊の方を開いてギンドに差出し、言い添えた。


「ここにお名前と年齢と職業をお願いします。できれば出身地を?」


 宿泊台帳だった。書く欄を一目見て、ギンドは緊張した面持ちで一緒に渡されたペンを持つと、本名の『ギンド・ランドルス』ではなく。こちらに来るまでにずっと温めていた偽名の名前『ギンドロス・プレシエンス』(せっかく魔王退治にいくのに平凡な名前では相手に軽く見られてしまうとして考えたもので、ギンドロスは本名のギンドを勇者らしくかっこよくしたもの、プレシエンスは千年前の勇者の名前『ナイズ・プレサイス』のプレサイスを参考にしていた)を記入した。ついでに年齢も、若いと舐められるとして五つ誤魔化して、あとは空欄のままにして女性に返したのだった。

 女性は戻された台帳をちらりと見て、


「ギンドロス・プレシエンスさんですね」とギンドが書いた名前を読み上げて、ギンドに確認を取って来た。ギンドが「はい、そうです」と同意すると、幾らになりますと言って一晩の宿泊代金を請求して来た。

 ギンドが言われた通りの代金を支払うと、女性はもう一人の男の店員に目で合図を送り、


「私の後へ付いて来てください。部屋までご案内します」そう言ってカウンター内を出て階段の方へ歩いて行った。


「はい」ギンドは女性のほっそりした背中に向かって言葉を返すと後へ続いた。


 女性はギンドを先導して二階に上がると、そこに現れた細い通路を進んだ。通路を挟んだ両側には四つずつドアのノブが並んでいた。即ち、全部で八つの部屋があるということだった。


「どこまで行かれるので?」


 歩きながら訊いて来た女性に、ギンドはその場の思い付きで答えた。


「はあ、一応王都まで行こうかと」


「そうですか」


 女性はそのうちの一番端の部屋にギンドを案内した。ギンドは初めて来たところだった。この前来たときは、確か三階の屋根裏の部屋だったっけ。

 女性は部屋のドアを開けて何も変わったことがないのを確認すると、


「明日の朝までごゆっくりして下さい」


 そう言い残して、足早に下へと降りて行った。

 部屋の中は、単身用というだけあって、こじんまりしていた。窓があったが、カーテンが掛かっていた。入った中央に質素なベッドが一台と、その足元にイスが一脚とランプが一つ載ったサイドテーブルが置かれているのが見えていた。

 どこの宿屋でも、ごく普通に見られる光景だった。


 ギンドは中に入ると荷物を下ろして、手に持っていた帽子をイスの座席に置いた。そして自身はベッドの端に腰掛け、しばらくの間ぼんやりと宙を眺めては、頭の中で考えを巡らせていた。

 俺はずっと山奥で生活してきたから世の中がどうなっているか皆目知らない。それをこれから知りに行くんだが。さてどうしたものか?

 しばらくそうしているうちに、いつの間にか部屋の中がすっかり暗くなっていた。

 ――夜だ! 夜が来た。

 ギンドはふっと我に返ると、まだまだこれからだ、そう慌てることはないさ、また明日考えようとベッドに寝転がった。かくして両目を閉じると自然に寝入っていた。


 翌朝。身支度を整えて荷物を持ち下に下りて行くと、良く目立つ純白の制服を着た総勢十四名の男達のグループが、ホールの真ん中の四つのテーブルを占有して、賑やかに酒盛りをしていた。

 テーブル上には飲んだと思われるワインの瓶が林のように立ち並び、その横には食べたと思われる皿が山のようになって積み上げられていた。

 併せて、まるで二歳か三歳の子供が食べた後のように汚く食べ散らかされているテーブルが見えた。

 ギンドが近くまで行くと、いずれの者達も、ブラウン系のソースをかけられて上品に盛りつけられたステーキ肉や丸焼きにされた鳥肉をつまみにワインやビールをあおってはワイワイガヤガヤと楽しそうに喋っていた。

 牛肉も鳥肉もこの食堂では一番高価なものの一つだった。ワインもビールも安い方のでなく、濃度の濃い上等なものを飲んでいた。そのことに、朝っぱらからぜいたくな食事ができるなんてどんな身分なんだと思いながら、ちょうど空いていた真ん中近くの席にギンドは腰を下ろすと、周辺を見渡した。そうしてホールの薄暗い隅に立っていた給仕係の少女を見つけると、あのうと声をかけて、パンとソーセージと色んな野菜が入ったミルクスープのセットと、ワインやビールは朝から飲む習慣はなかったので、香りと味が炒った大麦そっくりの温かい飲み物を注文した。

 他の客も十人ばかりいた。いずれも隅の席で小さくなって、彼等の振る舞いを見て見ぬ振りをしながら食事を摂っていた。

 しばらく待っていると、少女がトレイに載せて料理を運んできた。ギンドはそれを受け取ると黙って食べた。その間も隣のテーブルでは、男達が大声で話しながら盛り上がっていた。それはギンドが食べ終わっても続いていた。ギンドが食べた皿を少女が下げにきたときも一緒だった。変わらなかった。ギンドが少女に代金を支払ったときもまだ続いていた。それどころか、近くに来た少女にビールとワインの追加注文を出していた。


 少女はやや緊張した面持ちで、「はい、かしこまりました」と答えると、一瞬戻ろうとした。が、空になったビンや皿や、肉の食べ残しやこぼれたワインやビールで汚れた男達のテーブルがちょっと気になったのか、その方向に歩いていった。

 その様子を横目で見ながら、ギンドはイスから立ち上がると、出口の方を眺めた。朝の静寂に包まれてひっそりとして、人通りは無かった。奥の方に遊技場の建物と『ゴーラント』と記された看板と固く閉じられたアーチ状をした門が見えていた。


「あ、さて。そろそろ出発しようかな」


 ギンドがため息まじりに呟いた次の瞬間、「やめて!!」と、甲高い少女の悲鳴とともに、ワインのビン同士がぶつかる音と皿が擦れ合う音がして、次いでビンと皿が下の石畳に落ちて割れる音が響いた。

 その叫び声と音に、何が起こったんだとギンドは少女の方に振り返ると、少女は身をよじった状態で男達のテーブル近くの石畳の上に座り込んで固まっていた。

 そしてその周辺では、飛んできたビンや皿に載っていた食材から出た液体で純白の制服が汚れたのを見て男達が唖然となったまま固まっていた。

 が、一瞬の沈黙のあとに彼等は我に返ると、「私の身体を触って来たんです」と涙声で訴える少女の声をかき消すように、少女と周りに向かって、


「おいこらっ、何をするんだ!」「なんということをしてくれたんだ!」「早く拭くものを持ってくるんだ」「直ぐに宿の主人を呼べ!」 


 といった怒声を口々に浴びせた。その声が聞こえたのか、直ぐに調理場から若者が急いで駆けつけると、低頭な姿勢で水が入った桶と粗末な麻のタオルを差し出した。

 男達はそれらをひったくるように受け取ると処理にあたった。麻のタオルに水を含ませると、

汚れた部分をこすって回った。しかしながら一部は完全にはとれずにうっすらとシミとなって残っていた。

 そのことに、当の被害を受けた男達は怒りが収まらない様子で、目から滝のように涙を流してすっかりおびえた少女に向かって、強い口調で「おい、お前!」と名指しすると、


「奴隷の分際でよくも我が誇りある制服を汚したな。この落とし前はどうつける気だ!」「泣いただけじゃ済まないことは分かっているだろ!」「奴隷め、一層のこと、死んで詫びろ!」などと罵声を浴びせたり、つばを吐きかけたり、蹴りつけたりした。

 そこまで行くと、集団によるいじめと言っても過言でなかった。しかしながら誰一人として仲裁に入る者はなく、もはやこの状況では宿の主人が出てきて、低姿勢でひたすら謝った上で服の弁償と迷惑料を支払う他なさそうな雰囲気だった。


 だがその瞬間、ギンドの叫び声が室内に響き渡った。


「もういい加減にしろ!」


 その声に男達の視線がギンドに向かった。そんな彼等をギンドはにらみつけると、


「その子は全然悪くない。その子にちょっかいを出したから起こったことだ。俺は一部始終を見ていた」


 そう言って、あごを振って来いと合図を送ると、


「文句がある奴は外に出ろ。この俺がまとめて相手をしてやる」と言い残して、さっそうと出口の方へ歩いていった。先ずはあいつ等をあの子から引き離すのが肝心だ。それには外が良いだろう。朝早い路上なら誰にも迷惑を掛けないだろう、と考えて。

 そのときギンドは自分の意思でそうしたわけでなかった。『勇者の守護者であるわしが味方をしてやろう。お前は正しいことをなせ』といった武具の精霊の声が頭の中に響いたので、それに従ったまでのことだった。

 それはともかく、馬鹿にされたと思ったのか、それとも生意気な奴めと思ったのか、ギンドの発言に載せられるように、「直ぐに終わらせてやるぜ」「ふん、格好つけやがって。よそ者が!」「我等を知らないとは可愛そうな奴だ」「馬鹿な奴。あとで謝っても遅いぞ」「でしゃばって正義の味方を気取ると痛い目に遭うぞ」などと口々に呟きながら、若くて気の荒そうな輩が五人ばかり、ギンドの後ろに続いた。


 路上の真ん中で、ギンドが一足先に待っていると、少し遅れて赤毛の若い男を先頭に、ガタイの良い男と背の高い男と坊主頭の男と無精ひげを生やす男がぞろぞろと歩いてやって来て、少しの距離をおいて立ち止まった。

 その時、お互いに目が合い、たちまちにらみ合うと、両者の間に火花が散った。そのような張り詰めた空気の中、


「もう一度繰り返す。お前達の中の一人が一方的に悪い。仕事中の給仕に手を出すなんて破廉恥極まる行為だろうが。文句は手を出したそいつをとがめてからが先だろう。それどころか、よってたかって、たった一人の女子に悪態をついて陰湿ないたずらまでするとはどういうことなんだ!」

 

 こおばった表情で先に口を開いたギンドに、赤毛の男が反応すると、吐き捨てるように言ってきた。


「面倒くさい奴め。お前は馬鹿か。あれは奴隷だ。お前の理屈は通りやしないんだ」


「その通り。何も知らないくせに正義面をしやがって、タダで済むと思っているのか?」「よそ者め、格好つけているんじゃねえぜ」「てめえ、俺達のことを何も知らないようだな。もし知ったらここにいられなくなるぜ」赤毛の男の後ろからも柄の悪い声が上がった。


 男達が何を言っているのか、ギンドはさっぱり分からなかった。


「あゝ、済むと思っている」


 こいつら何を言っているんだと思いながら断言した。すると五人は、「そんなわけがないだろうが!」とギンドの言い分を呆れたような顔で全否定。立ち所にギンドを取り囲んで逃げられなくすると、鋭い眼差しで威嚇して来た。


「うるさい、黙れ。ガタガタ言うんじゃない! こんなことで俺が引き下がると思っているのか」どうせ、こんなことだろうと思ったギンドは大声で叫んだ。「お前ら、恥を知れ!」


 その言葉を若いギンドに吐かれてカチンときたのか、「何を訳の分からぬことを言ってやがるんだ。この野郎!」と赤毛の男が叫びながら、やる気満々に距離を詰めてくると、かなりケンカ慣れしている様子で、拳を振り上げて殴りかかると見せかけて下半身へ強烈な蹴りを見舞って来た。

 次の瞬間、ギンドの膝裏に蹴りがまともに入った大きな音が響いた。

 しかしギンドは微動だにせずに立っていた。代わって蹴りを放った赤毛の男の方が傷ついたらしく。片足を両手で押さえて地面に転がると、酷く痛がる素振りで悶絶した。

 間髪入れずに残った四人が一斉に仕掛けて来た。一人一人の動きが不思議とはっきり見えていたギンドはそれらを小細工なしで正面から受けた。正直なところ、武具の精霊に全て頼り切っていたのだった。

 ガタイの良い男と背の高い男と坊主頭の男の三人が、明らかに素人ではない動きでそれぞれ間合いを取ると、ガタイの良い男が低い姿勢で突進。組み付いてギンドを倒しにかかってきた。ギンドが組み付いて来た男の後頭部に肘をみまい男の顔面を地面に直撃させると、続いて坊主頭の男が勢いよく走り込み、一気に飛翔。空中からギンドの顔面目がけて跳び蹴りを放って来た。ギンドが男の足首をつかんで放り投げると、その隙を突いて背の高い男が長い足でハイキックを放って来た。ギンドは同じく男の足をつかむと放り投げた。それらを見た無精ひげの男は、パンチや蹴りでは勝てないと思ったのか、距離をおいたままナイフを投げて来た。ギンドはひょいと身をかわしてそれを避けると素早く男の直前まで接近。男の胸元を手の腹で軽く押した。途端に男は遠くまで吹っ飛んで路上で大の字になって転がっていた。

 

 思いのほか呆気なく完全な勝利に終わったことに、ギンドはほっと一息ついた。

 いつの間にか、ぱらぱらと人が行き交っていた。朝っぱらから派手な立ち回りをやったとみて、自分たちはかかわりたくないと思っているのだろうか、その誰もがギンドや路上に倒れた男達を見ないようにして、よそよそしく過ぎ去っていった。

 そのときギンドは、過ぎ去って行く人々には目もくれないで、あっけなく地面に倒れ込んだまま立ち上がることができない男達を見ながら、自分でもびっくりしていた。信じられなかった。

 それまでケンカらしいケンカをしたことがなかった俺が五人を相手して倒しただなんてと不思議な気分だった。


「嘘だろう、これを俺が本当にやったのか?」


 ため息を漏らしながらギンドが自分に酔いしれていたとき、その間隙を突くようにギンドの周辺に複数の気配が、人知れず背景に溶け込むような身のこなしで忍び寄ったかと思うと、あっという間にギンドを取り囲んでいた。


「あっ、何だ?」


 ギンドがそれに気付いたときにはもう既に遅く。三本の鋭利な剣先が、白い冷気のようなものを発生させながら喉元近くに突きつけられていた。

 剣先を辿ると、にやりと微笑む三人の男が目に入った。他にも、逃げられないためなのか、左右からも背後からも一本ずつ剣先が向けられていると気配から判断できた。

 しまったとギンドが思ったとき、果たして前方から気合いの入った声が続けてした。


「そこまでだ。大人しくしろ!」「抵抗すると死ぬぞ!」と。


 その状況に、ギンドは自分の顔から血の気が引いていくのを一瞬感じた。これはもうダメかも? そう思って諦めかけたときだった。

 ギンドの意思に関係なく両手が手刀に構えて勝手に動くと、ぐるっと一回転。たちどころに向けられた剣の全てをなぎ払うと、柄の部分だけを残して剣の刃の部分が粉々に砕けて散っていた。更にその威力は、剣を向けていた男達の身体を一斉に後方へと吹き飛ばしていた。


「一体何が起こったんだ?」


 ほんの一瞬で形勢が逆転したことに、ギンドは自分のやったことが信じられずに首を傾げた。

 ギンドがそう思うのも無理のないことであった。勇者が得意とする百九十九通りの技(スキル)の内の一つがギンドの意思に関係なく発動していたのだから。

 そのことを知らなかったギンドは考えれば考えるほど理由が分からず。かなりなダメージを負って立ち上がることがほぼできないでいる男達をぼんやりと眺めながら、またしても立ち尽くした。ちょうどその矢先だった。


「それまでだ! 勝負はついた」怒鳴る声が、あたかも地響きのように響いた。


 直ぐにギンドが声が聞こえた方向へ振り向くと、食堂の入口の手前で四人の男が険しい表情で立っていた。

 間もなく四人はギンドが立つ辺りまで歩いてくると、立ち止まり。その中から角ばったいかつい顔をした男が目をギラリとさせたかと思うと、凄みがきいた低い声で言ってきた。


「ほーう、剣を破壊して使えなくする魔法か。初めて見たぞ。それにしても魔法が込められている護身用の剣を難無く壊してしまうなんてな、お前、中々やるな」


 そこまで言って男はいったん言葉を切ると、周辺に倒れた男達をちらりと見た。そして、しかめっ面をしながら続けた。


「今日は我等の完敗だ。大人しく引き下がろう。ところでお前の名前はなんという?」


「ギンドロスだ、ギンドロス・プレシエンスだ。そちらは?」


 ギンドの問い掛けに、男は「私はネド・ブレーク」と名乗ると横に立つ男を目で指して言った。


「隣はヴァナート・ハーレンだ」


「よろしくな」


 立派な口ひげを生やした男が凄みのあるガラガラ声で応えた。


「そしてアセブとドナウニルだ」


 二人の男の側に寄り添うように立っている男が、それぞれ無言で頷いた。


「見たところ旅人のようだが、ここにはあとどのくらいいるつもりだ?」


「今日立つつもりだが」


「どこまで行くつもりだ?」


「一応、都まで行こうかと思ってる」


「急ぐのか?」


「いや、別にそう急ぐこともないが」ギンドは首を横に振って答えた。


「それなら好都合だ。悪いが六日待って貰いたい。そして再戦をやろうじゃないか。我等も十人も地面に這わされては面目が立たないのでな」


「そう言われても……」


「逃げるつもりかい。勝ち逃げはいけないねぇ」


 傍から立派な口ひげを生やした男がギンドを見下したような嫌味たらしい物言いで付け加える。

 ギンドは、四人の内のこの二人をまじまじと無言で見つめた。

 俺が相手をした男達の制服の襟の色がブルーであったのに対して、この二人は赤だ。そして二人に寄り添うように立っているのはオレンジ色だ。そのことから考えて、この二人はリーダー格のようだな。


「あゝ、実は、こんな回りくどい言い方をしたのはな、時間も時間だし、これ以上やると周りに迷惑が掛かると思ったからなんだ。それに私達四人はこれから出勤しなければならないのだ」


 まだ黙ったままのギンドに、いかつい顔をした男は眉間にしわを寄せて更に付け加える。


「それじゃあ、これではどうだろう。滞在している間の費用はこちらが全部持つというのは。それにもし応じてくれるのであれば、今回の件はなかったことにして不問にしてやっても良いが、どうだろうな?」


「でも俺には何も得るものは無いと思うが?」


「そうかな。格闘術ができて魔法も普通に使えることから、どうせあんたは今流行りの武術の修行をする目的で全国を旅して回っているんだろ。そんな志の高いあんたが酔っ払い相手に勝ったとしても何の得にもならんだろう。私達だって不満だ。本気を出して負けたわけじゃないのだからな。そこを汲んで貰いたいのだ」


 ギンドは、男の話を聞きながら思った。

 この男、俺が武術の修行をするために旅をしているなんて大いに勘違いしているな。でも、ここで怖気づいて受けなかったとしたら、この先、魔王を倒すことなんてとてもできやしないしな。よーし、決めた。乗ってやろうじゃないか。

 ギンドは決断すると口を開いた。


「それだけ言われたら仕方ない。分かった、受けるとしよう」


「それなら話は早い。場所はナルラ広場でどうだろう。あそこなら誰からも邪魔が入らない。食堂の店員に訊いて貰えれば直ぐにでも教えてくれる筈だ。我々も何分と準備があるのでな、時期は六日後。この宿にいてくれたら、その前日に知らせを寄こそう。時間は今日ぐらいの時間帯でどうだろうな? そう、朝の七時過ぎだ」


「俺は別に構わないが」


「じゃあ、決まりだな。それまでこの町を観光するなりしてゆっくりしておいてくれたら良い」


「頼むから逃げないでくれよ。もし逃げたりすれば全国に手配書を回すからね。そうなればあんたはお尋ね者だ。賞金稼ぎの格好の餌食になるからね」


 立派な口ひげを生やした男が、いかつい男の傍から冷ややかな目でにっこり微笑みながら付け足すと、


「安心して欲しい。俺は逃げやしない」


 ギンドは男の下劣な言い方にぶすっとした表情で応えた。ギンドの答えを聞いた二人の男は口々に、


「そうか。それなら安心だ」「じゃあ、また会おう。そのときはきっとこの借りを返させて貰うよ」と言うや否や、いかつい顔の男が周りに倒れた男達に向かって、


「おい、戻るぞ!」


 と声をかけ、それから四人は、後ろを振り返らずに肩で風を切って歩いて行った。そのあとを、残された十名の男達が、別れの捨て台詞よろしく、ギンドを恨めしそうににらみつけると、自力で歩ける者は歩いて、そうで無い者は歩ける者の肩を借りて続いた。


 そんな風にして男達が遠ざかっていくのを呆然と眺めながらギンドは思った。そう言えば、あいつ等は何だったのだろうな。いかにも高価そうな白い制服を全員が着ていたことから大金持ちのドラ息子の集まりだったりして?

 男達の正体を、正直言って皆目知らなかった。だがしかし別に気にしていなかった。まあ、良いさ。宿の人に訊けば分かるさ。

 ギンドは、男達がもはや見えなくなったのを確認して、何もなかったかのように荷物を取りに食堂に戻ると、中にいた客の全員が笑顔で出迎えた。ギンドが無事な顔を見せたことが余程不思議であったのかじろじろ見てくる者もいた。

 みんな、俺が酷い目に遭うと見てたのかな? それは残念でした。あれくらいで負けたら終わりだ。

 周りから尋常でない注目を浴びながらも一切動じることなくギンドが中へと進んで行くと、言わずもがな、男達が騒いでいた中央のテーブル席は、余すところなく片付けられてすっきりしていた。

 そしてその側に、白いブラウスの上からエンジのジャケット、スカート姿の十代の若い女の子と、フリルが付いたロングチュニック姿の三十過ぎぐらいに見える銀縁のメガネを品良く掛けた女性と昨日見た給仕係の少女が寄り添うように立っていて、ギンドが近付くと、にっこり微笑みかけて来た。

 少女の横にいるあのふたりも宿屋の関係者か何かだろうとギンドは見ていると、果たしてその通りで。一斉に頭を深々と下げて、それぞれ丁寧な物言いで礼を言ってきた。


「お客様、妹をかばって頂いてありがとうございます」「お客様、娘が大変お世話になりました。この御恩は決して忘れません」「お兄ちゃん、ありがとう」


「はあ、どうも」とギンドは戸惑い気味に応えると、真ん中に立っていた理知的な顔立ちをする女性が、「今現在、宿の主人は不在でして、代わって私達が応対させて頂きます」そう言って「さあさ、こちらへ」と、もう一人の大人っぽい顔立ちをする女の子と一緒に歩いて部屋の隅の階段下へ向かった。

 その間も次々と客が入ってきて中が混みかけていたのを見て、どうやらそうしたらしかった。

 ギンドが二人の後ろへ従うと、階段下に見えた質素なドアを開けて中へ招き入れた。

 中は狭い通路になっていた。両側に書棚が並んでいて、宿の帳簿か宿泊者名簿なのだろう、冊子と書類が多量に保管されてあった。

 通路を行くと、それほど広くない部屋に出た。部屋の三分の一ほどがカーテンで区切られていて、残りの空間に四人掛けのテーブルとイスが置かれてあった。他にもカーテンの向こう側から寝息がかすかに漏れていた様子などから、ベッドか何かが置いてあるらしく。従業員の控え室若しくは休憩室のような部屋かと思われた。


「ふーん」


 感心しながらギンドが辺りを見渡していると、理知的な顔立ちをした女性がテーブルのイスを手前に引いて、


「大変だったでしょう。どうぞお座りください」とギンドにイスへ座るようにと勧めて来た。


「はい、どうも」言われるままギンドがイスに腰掛けると、奥から若い女の子が飲み物が入った木製のコップをトレイに載せて運んできた。


「喉が渇きましたでしょう。どうぞ一杯召し上がって下さい」


 ギンドは女性に言われるまま、テーブルに置かれた木製のコップを控えめに手に取ると口に運んだ。中身はビールだった。しかし、喉が渇いていたせいか、かなり水っぽく感じられた。

 ギンドは一気にその全てを飲み干すと思った。――本当なら、もっと欲しいところだが……。

 その間に二人の女性がギンドの相向かいの席に腰を下ろすと、年長の方の女性が、ギンドが飲み物を飲み干したのを見届けて、興味ありげに訊いて来た。


「どうでした?」 


「はあ、何とか向こうはどこかへ去って行きました」


「そうでしたか。誰も死んだり大怪我を負っていないんですね」


「はい」


「そうですか」こっくりと頷いて、女性はほっとしたようなため息をつくと、そこで初めて自己紹介した。


「私の名はマルシア・グベルと言います。隣はドナです。あなた様に助けて頂きました子は私の娘でマルキアと言います。今主人は仕事で外出していて、昼を回った頃には戻ってくると思います」


「そうですか」ギンドは頷くと言った。「僕はギンドロス・プレシエンスと言います。王都でちょっと腕試しをしてみようかと思って旅しています」


「なるほど、事情が分かりました。冒険者か旅の武芸者さんなのですね。それで無事で帰られたわけなのですね」


「はっ?」一瞬ギンドは目を見開くと、事情が呑み込めないという風に尋ねた。「どういうことでしょう?」


「何も知らないようですのでお教えしますが、あなたが相手をした人達は、実はこの街の建物火災の鎮火と治安を預かる、王都直属の、確か魔工化兵団というところに所属する役人なのです。従ってあの人達に怪我を負わせたとなると、大問題になるのです」


「でも、とてもそうには見えませんでしたが。僕はてっきりお金持ちの子息が暇に任せて集まって遊んでいるのかと思っていました」


「あれを部外者さんから見れば誰だってそう思っても仕方がありません。あの集まりは火事の時や防犯に日頃お世話になっているということで、その労に報いろうと地元の商工所の集会で決まったことで、週に一度、無料で食事を提供させていただいているのですが、どこでも問題を起こすようになって、みんな正直言って困っているのです。

 以前はそのようなことがなかったのですが、近頃は団員の質が落ちたというか。これもみんながみんな、地元の出身でなくって、都や都近くの良家の出身で、しかもこの辺境の地に派遣されて数年でまた別の地へ赴任していくものですから、そう長くいるわけでもないからと後はどうなってもかまわないと軽く考えて、好き放題にしているようなのです」


「あいつ等は本当に酷いんです」隣からドナと言う子が、しれっとした顔で付け足す。


「無料だと思っていつも高いものしか頼まないし、おまけに全部飲み食いしないで食べ残すし、周りに遠慮しないで大騒ぎするし。

 どんなに問題を起こしても役人だから誰も止める者がいないことをいいことに、それはもうやり放題なんです」


 そのとき、年長の女性の首には奴隷の証である黒い輪っかがあったが、ドナという子にはどうしてなのかなかった。それについて、少し気になったギンドであったが、そのことをおくびにも出すことなく、ばつが悪そうに頭の後ろへ手をやると言った。


「その代わりに約束をさせられました」


「それはどのような?」女性は当惑したような顔で訊いて来た。


「はい、それはですね」ギンドは口を切ると、男達とのやり取りの一部始終を包み隠さず話した。


 先に向こうが手を出してきたので軽くあしらってやったら次から次へと向こうが向かってきた。それも片付けてやると今度は集団で剣を向けて来た。それも難無くケリをつけてやると、リーダー格らしい四人の男が現れて「これ以上騒ぐと周辺に迷惑がかかることになるから」と言って話し合いを申し込んできた。その話し合いの内容とは、六日後にもう一度再戦しないかということで。もし受けてくれたら服を汚したことを無かったことにしてやっても良い。ついでにその間の宿泊費も全部持つ。しかし断ったら、逃げたとみなして賞金稼ぎに頼んで追手をかけると言ってきたので、もちろん分かったと了解した―――――と。


 ギンドが話し終わると、女性はため息を一つついて、暗い表情でギンドの顔をじっと見ながら言った。


「あなたが言ったナルラ広場は、一般人が入るのを禁止されている区域で、私も詳しくは知らないのですが、あそこには実際の通りや建物が本物そっくりに建っていて、それを使って消火訓練をしたり魔法の実験をしていると訊いています。早い話、あの人達の本拠地みたいなところです。

 それから考えて、おそらくあなたをこの街から生きて出したくないようですね。幾ら部下が酔っぱらっていたからと言っても、ふがない負け方をしたものですから、それを隠ぺいする気のようです」


「そうですか。でもお構いなく。僕が勝手に修行のために選んだ道ですから」


「今回は相手側に油断があったからあなたの方が勝ちましたけれど、次はそうはいきません。魔工化兵団の名の通り、本格的に魔法を使ってきます。私はどんなものか見たことがないので具体的にどんな威力なのか知りませんが、火事を消したり泥棒を捕まえたりするぐらいですからそれは凄いものだと思っています」


「その点は大丈夫です。相手が十人だろうと二十人だろうと僕は負けません」


「でも、怪我をさせたり最悪死なせてしまったりしてもいけないのですよ。それに相手は魔法も使って来るのですよ」


「それについては何とか考えてみます」


「それにあの人達は、はなから宿泊費をもつ気はありません」


「それも大丈夫です。お手数をお掛けいたしません。一週間や二週間の宿賃ぐらいは持っています」


 ギンドは断言すると、二人に向かって小金貨を数枚見せた。それを見せられた女性は納得の表情を浮かべて、


「そうですか。それなら宜しいのですけれど」


 そう言ってイスから立ち上がり、メガネに手を添える仕草をすると言った。


「それでは六日間の間宿泊する部屋の段取りをさせていただきます。主人と相談して、その間の宿泊費と食事代はもちろん一切頂かないようにさせていただきます」


 その時、隣から元気の良い声が響いた。女性とほぼ同時に立ち上がったドナだった。


「私も協力させて貰います。その間、街の観光でもしていてくれと言われたんですよね。それなら私が案内して差し上げます。付いて来てください」


 ドナはそう言うと、座っていたギンドの腕を積極的に取り、外へと連れ出した。年頃の女性と一度も接したことがなかったギンドはどういう対応を取って良いかさっぱり分からず、彼女の言いなりになっていた。

 通りは昼前とあって、道を行く多くの人々で賑わっていた。

 数人のお供を連れた貴人や役人や、男連れや女連れや親子連れがぶらぶら歩く姿が随所に見られた。その風袋や所持する持ち物から、外から来た人と直ぐに分かる者達が往来する姿も普通に見られた。

 商店の中や前には、立って店番をしている者、立ち話をしながら商談をしている者も見られた。

 大通りに出ると、乗合馬車や荷馬車が行きかい、ヤギが巨大化した体高の高い動物ケーネルやイタチが巨大化した胴長の動物ミンドレットが荷台を引いたり荷物を運んでいる姿も見られた。

 更に、上空には見たことのない大きな鳥が飛んでいた。四本脚の巨大な大鳥レジユが人を乗せて空を飛び、郵便物を運んでいたのだった。

 そんな感じで通りをずんずん歩いて行くと近代的な石造りの高層建築物や石の橋や石が一面に敷き詰められた道路が普通に見られた。また石のベンチがずらりと居並んだ広場では、昼間からぶらぶらする老若男女が普通に見られた。ベンチに横になったり路上に寝ている者もいた。

 それを見たギンドは、何て自由なところなんだろうと思った。

 俺達のところなんか、朝から晩までずっと仕事だもんな。疲れて家に帰ると飯を食って寝て、朝起きてまた仕事と、その繰り返しだ。休めるのは怪我をしたときか重病で動けないときか家族が死んだとき、それと自身が死んだときぐらいなものだ。

 ところでドナは、宿屋の娘だけあって人の扱いがさすがに旨く。ぶらぶらと通りを歩いて街の中を案内して回る間中、笑顔を絶やさなかった。そこへ加えて楽しいおしゃべりをしてギンドを飽きさせることがなかった。

 そんなドナにギンドは、その日のうちにすっかり心を許していた。

 次の日もドナは付き合ってくれていた。ギンドは気を配って「忙しいんだろ。大丈夫かい?」と訊くと、ドナは首を横に振り「気にしないで。毎日、同じ道筋で仕入れに行く父についていったり母と帳簿をつける仕事をしているから、気晴らしにあちこちを出歩くのも良いものよ」と言って全く取り合わなかった。

 ドナは気さくな性格で、よく気が付き、朗らかで、行動的だった。

 その日ギンドは初めて普通にドナと言葉を交わすと、偽りの年齢を先に言って彼女の年齢を訊いた。すると、大人っぽく見える割に年齢はほとんど変わらなかった(ドナがギンドの実年齢より一つ年上だった)

 そのようなこともあってギンドとドナはたちまち意気投合して、よそよそしい関係から友人同士のような親しい関係となっていた。

 三日目。隣が旨い具合いに乗合馬車の停留所であった関係で、その日は街の外れまで行こうとなって馬車に揺られながら周辺を巡った。

 四日目も馬車を使って遠出した。その帰りにギンドはドナを誘って比較的大きな薬師屋に立ち寄ると、ドナとドナの家族用にと、小金貨二枚を使って比較的高価な手鏡や櫛や口紅やイヤリングや髪飾りを買い求めてプレゼントした。

 道行く若い男女のカップルの女性の方がきれいに着飾っているのをふと目にしたことで、ドナもドナの家族もそれほどオシャレしていないことに気が付いて、あのような装飾品をプレゼントすればみんな喜んでくれるかなと思い、実行に移したまでだったが、その日ドナはギンドを父親に紹介した。ドナの父親カナンは接客業をしているせいなのか人当たりの柔らかい好人物で、趣味が仕事と護身剣術であったことで、直ぐにギンドを気に入ったのか、「しっかり者の娘ですが、私から見ればまだまだ未熟です。どうぞ娘を頼みます」と言って交際を認めてくれていた。

 その晩ドナは、ギンドが泊まっている部屋を初めて一人で訪れると、内輪の話から始まって身の上話をした。 

 落ち着きのある物言いで「うちの宿は、私の家族と父さんの十二歳離れた妹で、一度結婚して戻って来たシルビーおばさんと、父さんの知り合いの伝手で働いて貰うようになったレアンさんと私が生まれる前からずっと料理番をやってくれている奴隷身分のカラザスさん一家と元剣闘士で用心棒としては頼りにはなるんだけれど、お酒が大好きでたまにしか働かないディオンおじさんとで営んでいてね。

 ええと、私の父カナンについてだけど、父は仕事人間だから、父のことを話したってつまらないと思うから、その話は一旦脇に置いておいて、私の母と私の妹がなぜ奴隷の印である輪っかを付けているか知っていて?」と切り出すと、


 自分は病気で亡くなったラナの娘で、今の母親マルシアは二人目にあたる。

 父親は自分の母親と一緒に宿を切り盛りしていた関係で、母親が亡くなった時、どうしても亡くなった母親と同じくらい頭が良くて頼りになりそうな人物が欲しくて、色々と伝手を頼った揚げ句、手っ取り早い方法として奴隷を購入することに決め全国各地の奴隷市場を巡って、自分の希望にあう奴隷を捜し回ったところ、ようやく目にかなったのが今の母親であるマルシアである。

 奴隷の身分になる前のマルシアは、異国で最高学部の法学を治めた学生で、次の年に政治家を志す学生が多く行く学校の講師をする予定になっていたのだが、その年、国に内乱が起こり新しい政権ができたとき、大々的な粛清が行われて裕福だったマルシアの一家もその中に巻き込まれてしまい。それで命の危険を感じた一家が親族共々海外で暮している知人を頼って逃亡を図ったのは良いが、そのとき乗った船が海賊の襲撃を受けて、みんな捕まってばらばらに奴隷に売られてしまった、と言うのだった。更に、こうも付け加えた。


「今の母さんは素晴らしい人よ。私は学校へ行ったことがないけれど、全て母さんが何から何まで教えてくれて、これまで不便を感じたことは一度もないわ。

 でも私と母さんとマルキア、ローシャの二人の妹達を隔てているあの奴隷の印はどうにもならなくてね。こればかりは、この国が亡くなるか奴隷制度が無くならない限りは無理みたい」


 そう言ったドナの告白に、ギンドはそこはかとなく心を打たれて、「僕も本当のことを話そう。旅が旅でも、王都を通って、ずっと先の国まで行かなければならないんだ」と思わず口走ると、


「君にだけに話すけれど、これは嘘みたいな本当の話だから誰にも言っては困るんだ」と念を押して続けた。


「僕は、ここから少し行ったところの山奥の集落の生まれなんだ。母さんと二人暮らしで、木こりをやって生活していたんだが、この四、五日前に木から落ちるへまをやって、頭を打って半日ぐらい意識を失っていた。その時、夢の中に山の女神様が現れてミウサスと名乗ると、私は住んでいる山を離れられないからと言って、ある依頼を頼んできたんだ」


 そこから母親のレシャに語ったことそのままに、


「その依頼というのが、ある貴重な品物を海を渡った大陸に住んでいる別の山の神様のところまで運ぶ仕事なんだ」と作り話を告げた。これから魔王とその部下を倒しに行くんだと本当のことを言っても絶対に信じてくれないだろうと思って。

 そして手荷物から例の小さな盾を取り出し剣を引き抜くと「これがその品さ」と言って、母親に披露したように、その抜群の切れ具合いを自慢げに見せた。

 そのときドナは、目を丸くして「何よこれ! 嘘みたい。信じられない切れ味ね」と思わず口走ると、すっかりギンドを信じ切ってしまっていた。

 五日目。最後の日。明日の再戦に備えてドナの案内でナルラ広場の下見に行った。そのときギンドに接するドナの目の色が見違えるようにがらりと変わり、むんむんと大人の色気を醸す魅力的な女性となっていた。

 途中まで乗合馬車で向かい、しばらく歩いたところにナルラ広場があった。周辺には赤茶色の高く切り立った土塁が築かれ、出入口とおぼしき門の前には鋭く尖った槍の穂先のようなものがずらりと並んだ柵が。また門の両側には軽甲ちゅう姿の兵士が立っていて、不用意に中に入ることができないようになっていた。

 その帰り、「最後にとっておきの場所を案内してあげるわ。一人や同性同士では入れなくって、私も来るのがこれが初めてなの。地元の人に大人気の秘密の場所らしいわ」とドナは言って、再び乗合馬車に乗ると、街はずれにぽつんと建っていた、それほど大きくない大理石造りの建物へと案内した。

 そこはかつて宮殿であった遺構で、角口の左右に、それぞれが人の二倍くらいの大きさがありそうな巨大な像が並んで立っていた。

 一つは、長い髪をなびかせた女性が手を大きく広げるようにして立ち、もう一つは、髪を後ろでまとめた女性が天を指差していた。

 ドナが言うには、遠い昔、ここは大地の女神を祀っていた場所ということだった。

 入口で高めに設定された入場料を支払い中へ入ると、ランプの明かりに照らされて一本の細長い通路が続いていて、突き当たりに石の扉があった。その扉の向こうは地下へと降りる階段となっていた。

 二人が仲良く手をつないで下まで降りていくと、壮大な空間が目の前に出現した。

 どうやら自然にできた洞窟らしく。白いモヤのようなものがかかる中に、剣のように鋭く尖った大小の色水晶や鍾乳石が天井の壁や地面に突き刺さる光景があった。また透明に澄んだ川らしきものも見えていた。

 二人が用心しながら奥に進むと、色水晶の結晶が艶やかに輝いて、ホワイトやバイオレットやブルーやレッドやイエローやグリーン色といった光を洞窟全体に放ち、幻想的な世界を作り上げていた。

 また、ほぼ中央付近には、にこやかに微笑んだ女神の石像が鎮座し、その周囲には円型状になった水たまりが四ヶ所あり、そこから白い湯気のようなものが上がっていた。どうやら視界を遮っていたのはその湯気が犯人らしかった。

 そのような中、目を凝らすと、何とも言えない熱気が渦巻いていた。女神の石像の陰や水たまりの付近や地表から突き出た水晶や鍾乳石や壁際の岩に隠れるようにして、全裸や服を着たままの男女が何十組も性の交わりを行っていたのだ。思う存分行為を堪能したのだろうか、ぐったりして横たわる姿もあった。

 若かった二人には知る由もなかったが、そこは不妊症や倦怠期に悩む夫婦だとか、深い事情がある男女が集う場所だった。

 そんな訳で、ギンドはそれらを目の当たりにして、言葉にならない不思議な気持ちだった。

 ――まいったなあ。えらいところへ来たものだ。

 一方ドナも大体の事情が飲み込めたらしく。「何なの、ここって!?」と呟いて、しばらくの間呆然と立ち尽くしていた。

 だがそのうち、ドナの様子がおかしくなっていた。


「これって何なの? 何も考えられなくなって、おかしくなってしまいそう」


 そう呟くと、いきなり呼吸が荒くなってギンドに抱きついて来た。そうして虚ろな目で、


「好きよ、好きよ、大好き。抱いて、抱いて、強く抱いてちょうだい。もうたまらないの」と言って、ギンドの首に手を回して強く唇を重ねて来た。

 何があったが知らないが、ドナは興奮しているのは明らかで。それからギンドの身体に手をはわせては、物欲しそうな目で訴えるように「ねえ、お願い。して」とはっきり声に出して行為を迫って来た。

 ここまで来ると、誰から見てもドナは明らかに発情をしていた。

 そんなドナの変わりようを見るに及んで、割高な入場料に見合う効果がこれだったのかとギンドは思った。

 ここでいても俺は深い森にいるようなすっきりした気分でどうもないが、ドナや周りのカップルはそうではないらしいな。

 そうは言っても、ここでドナの要求に応えられないようでは、ドナの顔に泥を塗ることになる。それどころか、ドナを辱めることになる。そうなればドナは俺を一生恨むことだろう。そんなことで俺はドナに恨まれるのはごめんだ。ここはドナの要求に応えてやらなくてはならないかも。

 冷静な思考でギンドはそう結論を出すと、抱きついて離れないドナと口づけを交わしながら、彼女を優しく抱きかかえて目立たない場所まで運び男の本能を解放。一匹の獣と化して対応した。


 ところでギンドは、毎日ドナと街の観光に名を借りた逢瀬にうつつをぬかして、六日後の男達との約束を忘れていた訳でなかった。きっちり策は怠りなくやっていた。

 ギンドはドナの母マルシアに「相手に怪我をさせたり最悪死なせてしまったりしてもいけないのですよ。それに相手は魔法も使って来るのですよ」と追及されたとき、つい勢いで「それについては考えてみます」と言った手前、後には引けなくなって、その日の夕方、宿屋の部屋に戻ると、手の指輪をこすって武具の精霊を呼び出して、どうすれば良いか相談した。

 すると精霊は冷めた目で「そんなことか、そんなことで悩んでいるのか」と呆れると言った。


「勇者には相手を傷つけないで捕縛する術が何通りか用意されている。その中から無差別に捕縛する技を教えてつかわそう。アップリング若しくはアプリットと呼ばれる技だ。

 だがそれには、練習相手として人間よりも素早い動きをする生き人形をできるだけ多数用意しなければならない。

 通常、生き人形の身体は、一般にアンデッド(死体)や土や泥や木材や包帯などを材料にして動物の骨や屑鉄や半端物のキレやらを組み合わせて作られる。ついでだから、その生き人形を作る手ほどきもしてやろう」


 そう言った精霊の要請に応えるために、ギンドは次の日のドナと会わない時間帯に一人で街をぶらぶら巡った。そして、質屋と修理屋と不用品買い取り屋が居並んだ筋で見つけたジャンク品やガラクタ類を売る店舗で、ギンドしか見えない武具の精霊と相談しながら、ボロ生地や古いロープや壊れた甲ちゅうの部品等を買い求めた。それと相前後して練習する場所も捜した。その結果、川堤で見つけた、長い年月放置されてきて、建物と壁の石積みのみが残り、もはや原形を留めていなかった古代の城跡が日中にかかわらず閑散として人気がなさそうだったので、あそこが良いだろうと向かった。

 間もなくして、石畳の石板がはがれてしまってほとんど残っていなかったが元は庭であったであろう場所にやって来ると、ギンドはすぐ側に浮遊する武具の精霊を無言でちらりと見た。

 ――次はどうすれば?

 その瞬間、大の大人が楽に入れるくらいの大きさがある壺が四つ連結したような不思議な形をした物体が出現。武具の精霊がそれを説明するように口を開いた。


「これが生き人形を製造する装置だ。上を向いた口から材料を放り込めば下の口から生き人形が出てくる仕組みだ。

 初動時は生き人形のひな形取りを行わなければならないのだが、今すぐお前にこの中に入れと言っても気が引けるだろうし。できた人形に大体の行動パターンを覚えさせる意味合いもあるのでな。だから今回はそれを省くために前の勇者の形を使わせて貰うとしよう。

 だが生き人形は使い方によっては替え玉や身代わりともなるからな。いずれはやって貰うことになると思う」


 そう告げると精霊は「早く材料を放り込め」とギンドに命じた。ギンドは分かったと頷くと、言われた通りにその辺に転がっていたレンガや石板と共に購入した材料を上を向いた口へ放り込んだ。すると少しして反対側の口から全身が真っ黒で体型の異なる生き人形が一体ずつ全部で三体出て来た。

 かくしてギンドは、精霊の指示の元、前の勇者の行動パターンで動く生き人形三体を練習台にして、相手を傷つけることなく相手に敗北を認めさせる技の習得に励んでいたのだった。


 そうして六日目。いよいよ再戦の当日。ドナの父親で宿屋の主人でもあったカナンが、客を送り迎えするときに使っている箱馬車で広場までわざわざ送ってくれることになっていた。

 当の本人は早い段階から送ると計画的に決めていたらしく。当日は宿が臨時休業する準備がなされていた。

 朝の六時を過ぎた頃。宿屋前を出発した馬車は、静寂に包まれた通りを進んでいった。

 早朝であったため、折りからあちこちの建物で白い煙が上がっていた。

 馬車には、鋼色をするスケールタイプの甲ちゅうを身に着けたギンドのほか、ドナとその家族全員がよそ行きの服装をして普段よりめかして乗っていた。ギンドを応援するために家族総出で来てくれていたのだ。

 どの表情も笑顔にあふれ余裕が見て取れた。とても勇ましくてりりしい姿をするギンドが必ず勝利するものと思っているのか、疑っている様子は微塵も見られなかった。

 

 目的地までの道すがら。


「どこで誰が聞いているのか分からなかったから言えなかったのだけど、ここなら大丈夫みたいだから話すけれど」と、馬車の中が密室で誰にも聞かれていないことで安心したのか、マルシアは重い口を開くと、対戦相手について知ってることを包み隠さず話してくれた。


 それによると、これから対戦する相手は、この街に駐留する王立魔工化兵団の全部で八部隊あるうちの第一部隊と第八部隊である。

 どの部隊も、リーダーとサブリーダーが一名。その部下が五名からなる七名編成になっている。そして交代制で、二つの部隊が街を北と南に分けて分担し合って、その日の火事や不審者がいないか監視する業務にあたっているのだが、この二つの部隊は、他の部隊と比べて評判がすこぶる悪い。特に二つの部隊が共同して任務に当たる時には悪い噂しか聞こえてこない。

 火事を見つけて消してくれたり、そのついでに街をうろつく不審者を捕らえてくれるのは確かにありがたいが、ぼや程度の火事でも建物を破壊して使いものにならなくしたり、未火災の必要と思われない建物までも一緒に破壊し尽くしてしまう。また手癖が悪いというか、彼等が去った後の建物から金品や貴重品が無くなっている場合が多い。

 不審者を捕える件も、無実な人々をたびたび捕えてみたり、無実と分かっても直ぐに放免するどころか長時間拘留したり、犯罪者に仕立てて牢屋送りにしたりと、行き過ぎた場合が多々ある。

 その上、この二つの部隊は、普段から品行素行に問題がある。例えば役人風を吹かせてはいきなり怒鳴ったり威張り散らかしたり見下したり、酒を飲んで暴れては物を壊したりわざとケンカを吹っ掛けてきたりと、たちが悪い等々。

 それらを神妙に聞いていたギンドは憤まんを感じないではいられなかった。次第に不愉快になっていた。

 ――大体のことは分かった。そんな相手なら遠慮なくやれる。


 そうしている間に、前方の方角に昨日見た赤茶色をした土塁が小さく見えるところまでやってきたとき、ギンドは馬車の手綱を取るカナンの背中に声をかけた。


「すみませんカナンさん、この辺りで結構です。余り近くまで行くと御迷惑がかかるとも限りませんので」


「分かった。ここで待っていることにする」


 カナンは了解すると馬車を止めてくれた。


「じゃあ、行ってきます」


 ドナの家族に見送られて馬車から下りたギンドは、石畳の上をしっかりした足取りで歩いていった。

 それから間もなくして、大型の馬車が難無く出入りできるくらいの立派な門の前まで到着した。だが土塁と同じ赤茶色をする門は、朝早いということもあって固く閉じられていた。

 ――仕方がないな。開けてもらうとしようか。

 門前でギンドは深く呼吸すると、中へ向かって叫んだ。


「誰か居ませんか? 約束通りやってきました!」


 早朝の澄んだ空気の中、ギンドの声が元気良く響き渡った。するとすぐに、鉄と木を組合わせてできた頑丈な門の扉の片方をわずかに開けて、一人の兵士が顔を出した。

 兵士は真新しい甲ちゅうを身に着けたギンドの精悍な姿を一目見て、酷くびっくりしたのか、呆気にとられた表情で固まると、腰が引けたような弱々しい声で、


「どうぞ、お入りください」と言って門の両方の扉をゆっくり押し開けた。


「じゃあ、そうさせて貰います」


 ギンドは開けられた門から正面切って中へと入った。

 途端に、どこにも身を隠すところがないだだっ広い空間が現れ、その遥か先の方に白銅色の服装をする集団が二つ、少し離れて立っているのが見えた。

 ――あれだな。

 その方向へ向かってギンドが歩いて行くと、併せて総勢十四名がいた。全員が目の部分だけが見える覆面頭巾を頭からすっぽり被り、首から下の全身に魚の鱗を模したような柄の分厚い上下の服を着込んでいて、手斧やハシゴや両刃のノコギリや槌や柄の長い鎌のようなものを持っていた。

 どうやら建物の火災に当たるときの格好らしく。その外観から見て、ある程度の炎なら熱くもかゆくもないと思われ。ちょっとぐらいの剣や拳や蹴りによる攻撃も同様かと思われた。

 ギンドは知らなかったが、それ以外にも準備がされていた。男達が手にしていた武器には小さな魔石がはめ込まれ、魔法強化されているか、或いは魔法が付加されていたのだった。


 それから程なくして話ができるぐらいの距離まで来てギンドが足を止めると、唯一見えていた双眸をギラギラ光らせて立っていた集団の中の一つから聞き覚えのある低い声が飛んだ。


「よく来てくれた。待っていたぞ」


「さあ、始めようか!」ほぼ同時に聞き覚えのあるガラガラ声が別の集団から飛んだ。


 そのことでギンドは思った。するとここがナルラ広場ってことなのか? 

 それと同時にマルシアから聞いた街を模した建物が一切見当たらないのが気になった。が、直ぐに合点が行っていた。たぶん、魔法の実験か何かで全部壊してしまったんだろうな。いやそうに違いない。

 そう思う間もなく、予め決めてあったと見えて、二つの集団の一方から一人の男が進み出て来ると、


「その格好だけは認めてやる。さあ、やろうぜ」


 そう言って、手に持っていた長い柄の先に鎌のような鋭い刃が付いた武器を身構えたかと思うと、威嚇するように目にも留まらぬ速さで振り回しながら、じりじりと間合いを詰めて来た。ギンドも応じると、両手をぶらりと下げたまま、ゆっくり近付いていった。

 その間に残りの者達がばらけて遠巻きに囲むような配置を取っていた。少しでもギンドが逃げる素振りを見せれば、それに対処できるようにと、そのような布陣を敷いたらしかった。

 すると突然、男は長鎌を振り回すのを止めると、長鎌の刃の部分を相手側に向ける構えで身構えた。そして言ってきた。


「おい、抜かないのか?」


 腰に差したギンド愛用の山刀のことを指していることは明らかだった。


「あゝ、そこまでする必要が無いと思ったのでね」


「あゝ、そうかい。それじゃあ行かせて貰うぜ。何を考えているのか知らないが、痛い目にあわしてやるから覚悟するんだな」


「さあ、来い」


 ギンドが山刀を素早く抜いて真横から切りつけて来るのを予想した上でそうは行くものかと、男が長鎌を身構えたまま回り込むと、一気に二人は激突。

 男が満を持してギンドの頭上目がけてに長鎌を振り下ろしてきた。その瞬間、ギンドは山刀を抜くことなくそれをひょいと避けると、機敏な動きで男のがら空きの背後に回り、強烈な足払いを放っていた。途端に男は、足を払うという戦闘セオリーにない技に、何もできずに地面に叩きつけられて動かなくなっていた。

 まさに一瞬で勝負は決していた。ギンドは不思議な気分で立ち尽くすと、まあこんなものかと思った。

 戦う相手が人間の場合、どんなに強力な装備をしていようと中に入っているのは貧弱な人間だ、倒せば何とかなるからと精霊から聞いた教えを忠実に守ったまでのことで。ここまで旨く決まるとは思ってもいなかった。


 そのとき、怒鳴り声が地鳴りのように辺りへ響いた。「次だ!」

 途端に、また一人の男が前に進み出る。男は肩に長いハシゴを担ぎ、腰には手斧を差していた。

 男は、その場でぼんやり佇むギンドが隙だらけなのを見て取ると、いきなり長いハシゴをグレイブ(ナギナタ)のような横になぎ払う使い方をしながら迫って来た。

 ――しまった! 余りに上手くいったので余裕を持ち過ぎた。

 不意を突かれたギンドはとっさのことで避ける暇がなく。仕方がないので男の力任せの攻撃を勇者の武具を信じて受け止めると、次の攻撃を許さず男の側面に回り、一挙に男の両足を払うや否や、この男も同様に、一瞬にして脳が揺さぶられて目が回り気を失っていた。

 ――何とか仕留めることができたようだ。それにしても何て丈夫な武具なんだろう。痛くも痒くもなかったぞ。

 ギンドがほっとしたのも束の間、再び声が飛んだ。「次だ!」

 その声の後に現れたのは、分銅鎖にノコギリ刃の剣を持つ男で。次いで柄が長い戦斧を二本持つ男が前に進み出て勝負を挑んできた。だがギンドは相手が重装備であるのを利用して、背中を手で強く押して突き倒したり、首に手を回して引き倒したりと手法を変えて、いずれもいとも簡単に料理していった。

 ――あと残りは十名か? でもこのままじゃあ、せっかく教えて貰った技が使えなくてらちがあかない。

 そう思い立つや、ギンドは次が来る前に男達に向かって、「話にならないな」と吐き捨てると、わざと余裕を持った涼しい顔で嘲笑って呼び掛けた。 


「もういい加減にしたらどうだ。一人ずつでは相手にならない」


 そして、相手を侮辱するように手招きする仕草をすると叫んだ。


「おい、もっと大勢できたらどうなんだ。俺は別に構わないんだぜ」


 そんな挑発的な態度を取ったギンドに、凄まじい殺気を放ちながらひとりの男が進み出ると、強い口調で応えた。


「何を言っている。面白い余興はこれからだ。この私が相手をしよう」


 話し振りから見て、リーダー格の四人の一人に違いなかった。

 男は両手にはめていたグローブを速やかに外すと、


「後片付けが面倒なので使いたくなかったのだが、使わせて貰う」


 そう言い、地面に向かって両手をかざして何事か呟いた。

 途端に、周りの空気が冷やされ白い煙となって男の辺りに渦巻いたかと思うと、同時にできたと思われる地表の氷がバリバリと割れる音がして、中から六角柱をした氷の結晶が出現。結晶は周りの氷の粒を吸収しながら成長すると、ついには球体を半分に割ったような姿をする、見た目が何となく可愛らしい雪の塊となっていた。

 その塊は人の倍は優にあり、目も鼻も耳も手足もなく。唯一あった身体の半分以上を占める大きな口を絶えず開閉しながら、停止したままぐるぐると回ったり、ジグザグ運動をしたり、円を描いたりと生き物らしい動きをするのだった。

 その生き物の正体とは、スノウベビーと呼ばれるモンスターの亜種だった。男が召喚魔法を使って呼び出したのだ。

 スノウベビーはその可愛らしい名前と見かけの単純な外観とは裏腹に、その凶暴ぶりは尋常でなく。目の前で動くものや呼吸をするものがあれば近付いていき、あっという間に大きな口で捕えて瞬間的に凍らせた上でかみ砕いてしまうという習性を持っていた。おまけに再生能力や分裂増殖の能力まで普通に持ち併せていた。

 そのスノウベビーが全部で三体出現すると、ギンド目がけて襲い掛かって来た。

 ギンドはこのモンスターのことを何も知らずに愛用の山刀を腰から引き抜いて身構えると、すぐ間近まで迫っていた三体のうちの先頭の二体を、ヴァイヤンの首を切り落としたときのようなイメージで切りつけた。

 刹那。十分な手応えがあり、モンスターは動きを停めた。だが切り口から何も出ていなかった。

 しかも、モンスターのガタイの幅が思ったよりあった関係で、ヴァイアンのときのように二分することはできていなかった。

 ギンドは深く切ったモンスターの傷口が再び元に戻りかけているのを見て取ると、動きを止めた二体の後ろの方で不規則な動きをするもう一体の方には目もくれずに術者と考えた男の元へと一目散に向かった、あいつを倒すほうが、訳の分からないものを相手するよりも楽そうだと思って。 

 そのとき男は長方形状をする盾を手に持ち、事態の推移を傍観していた。ギンドが山刀を手に向かって来たのが分かると、手にしていた盾を構えて防御の姿勢を取った。盾でギンドの攻撃を受け切るつもりのようであった。

 だがギンドは男の寸前で山刀を腰にしまうと、地面を蹴って跳躍。あっという間に男の上を跳び越えて男の背後に回ると、男の首根っこをつかんで地面に男の顔面を押し付けた。

 すると男は抵抗する素振りもなく動かなくなっていた。

 ――よし、上手くいった。

 ギンドは男の首根っこをつかんでいた手を離した、俺の予想が間違っていなければ、あのモンスターはこれで消える筈なんだがと思って。

 だがどういうわけか、消える様子は見られなかった。三体のモンスターは、ギンドと気を失った男には気付かない様子で、ふらふらと当てもなく動き回っていたかと思うと、やがてバラバラになって男達の方へ向かった。

 次の瞬間、ばらけるようにして立っていた男達は、ギンドが見ている前で二つの塊に結集すると、一斉に手にはめていた分厚いグローブを投げ捨て、三体のモンスターに向かって諸手をかざして魔法による攻撃を決行。

 途端に岩の壁や石柱や氷柱やらが幾つもモンスターの直前に出現してモンスターの進路を塞いだ。だが、それらの障壁をものともせずにモンスターが破壊して前を出ようとすると、黒い煙が周辺を包んた。

 その包まれた中に、轟音や爆発音が響き、火柱や土煙が上がったり青白い炎光が光ったりした。

 それから間もなくしてモンスターと男達を覆っていた黒煙が晴れて辺りに静寂が戻り、視界が開けたとき、モンスターの姿はどこにもなく。代わって地面に大きな穴が四ヶ所できていて、その縁に男達が勝ち誇ったように立っていた。


 ギンドが唖然として男達の方へ視線を向けると、集団のちょうど真ん中に立っていた男が、


「余計な邪魔が入った結果、時間がなくなってしまった。拠ってそちらの要求通りに全員で行かせて貰うことにする」


 と、おもむろに口を切った。続いて「待たせたな。さあ始めようか!」とガラガラ声が隣から飛んだ。それが合図となって、ギンドの返事を聞くこともなしに、一斉に男達が手をギンドに向けて身構えた。

 間髪入れずに、真ん中に立つ男の手の辺りから黒い煙が勢い良く噴出すると、ギンドの方へ向かってきた。その隣の男からも白い煙が出現すると、地面を這うようにして向かってきた。

 それに同調するように他の者達が続いた。


 次の瞬間、ギンドは反射的に避けようとして、立っていた位置から跳び退くと大きく右に走った。そのとき何も障害物がなかったので、常人の域を遥かに超えた快足を脇目も振らずに飛ばした。

 少し遅れて閃光がギンドの横をかすめていった。ほぼ同時にギンドがいた地点に煙が到来。辺りが煙に包まれた。そこへ火球や爆発系の物体が飛来して爆発音と共に煙の中が炎に包まれた。

 そのような具合いにして相手の攻撃が届かない領域まで逃げ切ると、ギンドは一旦立ち止まり、攻撃がやって来る方角から男達の居どころを手際よく探った。――あのあたりがそうみたいだな。

 それから急ぐように山刀を抜いて地面に突き刺し片方の手を振ると、手の平から半透明をする細長いテープ状のものが出現。ギンドはそれを引っ張り出すと、山刀の先端部に貼り付けた。

 ――よし、これで準備は完了だ。あとは囲むだけだ。

 ギンドは心の中で呟くと、半透明をする細長いテープ状のものを手の平から出しながら再び猛スピードで走り出し、男達の攻撃を軽々とかわしながら、直線的な動きで彼等の周囲を一周した。そして最後にテープ状のものを一つにつなげると、二、三度強く引っ張って離して、やり方によっては一息に数万規模の敵を一網打尽にすることができる勇者の技(スキル)を発動した。

 刹那、空中にひらひらと漂うように浮いていたテープ状のものが、突然ゴムに変わったかのようにあっという間に収縮していくと、立っていた男達全員の身体をひとまとめに絡めとっていた。

 そのとき誰しもが逃れようと焦ってもがいたことで余計にテープ状のものが絡まり、一人が足を取られて倒れると、ドミノ倒し的に立て続けに他の者達もどっと倒れて、遂には全員が折り重なってひと塊となった状態となっていた。


 ほどなくギンドは、お互いに密着したまま動くことができなくなっている男達の前まで歩み寄ると、茫然自失となっていた彼等を眺めながら満足そうに、


「どうだい、くっついて離れないだろう! 俺も経験したから分かるが。そうだなあ、強力な鳥もちにかかった感じだろうと思う。それは時間の経過とともにくっついて離れなくなるんだ。

 そうだなあ、このまま放置したとすると、俺が解かない限り一昼夜そのままの状態が続く筈だ。もしその格好が辛いというなら、あとで腕の良い魔法使いにでも頼んで解いて貰うと良い、もしそれだけの魔法使いがいたときの話だが」


 そう告げると、気を失って地面の上で寝ている他の五人もまとめて、九人が折り重なったところに、お前達も仲良く揃ってくっついてしまえとばかりに積み重ねた。そして余裕たっぷりの表情で、


「悪いが、もうこれ以上長くいると、誰かが来そうだからね。それじゃあ、この辺りでおさらばさせて貰うとするよ。

 もしも、今のことが悔しいと思うなら、この街を離れずに俺が戻るのを待つことだ。時期は分からないが三年以内にまたここに戻ってくるから、そのときやろう。そのときまで腕を磨いて待つことだな」


 一方通行的にそう言って、何もなかったような平然とした顔で、だだっ広い広場を歩いて出口へと向かった。

 ギンドが戻ってみると門は閉じられていた。警備の兵士はどこにも見当たらなかった。誰かを呼びに行っのたか、それともどこかに隠れているかのどちらかと思われた。


「急ごう。ぐずぐずしていたら面倒なことになる」


 ギンドは自分に言い聞かせるように呟くと、閉じられていた門の扉を開けて外に出た。そのとき甲ちゅう姿では目立つので、元の地味な下着に戻した上で服を身に着けて。


 頃は朝とあって、通りで様々な人々が行き交い、日々の生活が始まっていた。

 通りの中央を何台もの二輪馬車が騒々しく走り回り、山になるほど大量の荷物を積んだ馬車や、十名ほどの男女を載せた幌馬車が二台連なってどこかへ向かう様子が見られた。

 その両端には、荷物を積んだ荷車を引く中年女や背に荷物を背負い獣避けの杖を手にした男達や真っ直ぐに前を向いて急ぎ足で歩く男が黙々と通り過ぎていた。

 ギンドは足を速めると、誰にも目を合わさずに、ドナとその家族が待つ馬車の方へ向かった。


 馬車が見えるところまでギンドが来てみると、馬車は方向転換して、来るときと反対の方向を向いて止まっていた。

 ギンドが馬車に近付いていくと、馬車の傍で立って待っていたドナの父親のカナンがギンドの姿を見るなり、びっくりした顔で「お怪我はありませんか?」と訊いて来た。


「はい、大丈夫です」


 ギンドがしっかりとした口調で答えると、


「それは良かった」カナンはほっとした表情を見せると矢継ぎ早に問い掛けた。


「それで、向こうは誰も死んではいないので?」


「あ、はい。ちょっと懲らしめてやりましたが手加減しましたので、気絶しているか動けなくなっているかのどちらかです」


「それは良かった。さあさ、急いでお乗り下さい。街の外れまでお送りします。早くしないと後々面倒なことになりますので」


「どうもすみません」


 ギンドが手短に礼を言って馬車に乗り込むと、馬車は速やかに動き出した。


 馬車に揺られて街の外れに到着するまで、およそ二時間半ばかりの道のりだった。

 その間ギンドは、ドナとドナの家族を前にして、広場で起こったことを話した。

 そのときの一同の反応は簡潔で、にこやかに笑って聞いてくれた。誰もがギンドを信じ切っている目をしていた。そのあとの余った時間は目を閉じて眠った振りをした。

 馬車は街の外れまでやって来ると、宿屋や居酒屋や食堂やとばく場や娼館がある通りや、検問所や、兵士や役人の詰所の施設がある筋は素通りするか避けて、人気のないうら寂しいところをわざわざ選んで進んだ。

 すると、何もない殺風景な景色が拡がる道の一端に、古びた教会がぽつんと建っているのが見えた。馬車はそこを通り過ぎると、見えて来た幹の太いニレの古木が枝をしならせている付近で止まった。


「ここは街はずれの一番辺ぴな場所でして。周囲は行き倒れの人や疫病で死んだ人や処刑された人が眠る墓地となっています。そして付近一帯の野原は公開刑場として利用されています。

 それでは、もしものことがあったら困りますので、目立たずに街の外へ出る安全な道を紹介させて頂きます」


 カナンはそう言うと、指を差して続けた。


「あそこに立つ木のところまで行って、木の後ろに回ると、元は水路だった秘密の抜け穴があります。そこを通ると、直ぐに周りを高い土手に囲まれた野道に出ます。野道は通称、ならず者道と言われて、大手を振って街に入ってこれない犯罪者や凶状持ちが利用している道です。そこを行かれますと広い一本道に出ます。都まで通じている道です」


「カナンさん、こんな僕のために、わざわざここまでして貰ってありがとうございます」


 馬車の手綱を握るカナンに、ギンドは感謝の言葉を述べると、隣に座るドナの顔をちらりと見て荷物を持ち馬車から下りた。すかさずドナがその後を追うように急いで馬車から下りた。

 そんな若い二人を、ドナの家族は気を回して、するように任せていた。別れはどんな時でも辛いもの。その中でも好き合った者同士の別れは格別であることを知っていたからだった。

 ギンドとドナの二人は、仲良く腕を組んで、とぼとぼと歩いて行くと、馬車から次第に遠ざかり、ある地点まで来た時に息を合わせたかのように急に立ち止まって抱き合った。そして、どちらかともなく口づけを交わした。それから二人は晴れやかな表情で顔を見合うと、


「ねえ」


「なんだい?」


「これを持って行って」


 ドナは、手の平より少し大き目で厚みのある冊子を手渡した。


「これは?」


「父さんが普段使っているこの国の地図の原本よ。これを渡すのはね、道に迷って戻って来れなかったら嫌だからよ」


 冊子を開くと、小さく折り畳まれた何枚もの地図が閉じられて入っていて、周りの様子を絵と文字で大まかに書き記してあり、パッと見ただけでは子供が描いたような地図であった。だがどこの国においても、国策上、国の地図は最高機密にしていたため、とても貴重な品だった。


「きっとよ。待ってるわ」


「ありがとう、恩にきるよ」ギンドはドナに礼を言うと、「あゝそうだ、僕も渡そうと思っている物があるんだ」そう呟いて、やにわに巾着タイプの財布を取り出してドナの前に差し出すと、はつらつとした物言いで言った。


「これを君に預けておくよ」


「それは?」


「僕の財布さ。僕の全財産と君への贈り物が入っている。開けてごらん」


「ええ」


 ドナはギンドに言われるままに巾着袋を開けると、金貨と銀貨とゴールドに光る指輪が二つ付いたネックレスが中に入っていた。


「これを君に預けておくよ。何年かかるか知らないが、きっと僕は戻ってくる。そのときはその指輪を交わして式を挙げよう。金はそのときの式の費用だ。ドナ、それまで悪いんだけれど、待っていてくれないか。

 そう、もし三年経っても戻らないときは、別の男を選んで一緒になるなり好きなようにしてくれても構わない。僕は全然恨まないからな」


 ギンドは男のけじめをつけるつもりで言ったつもりだったが、ドナは目尻を指で撫でると、わざと作った笑顔で、


「ええ、待ってるわ」


 そんな気丈な態度で振舞ったドナの目を、ギンドはまじまじと見つめると言った。


「ドナ、お別れだ」


 そう言ってドナに別れを告げると、ギンドはドナに見送られて旅立っていた。


 それからしばらく経った後、ギンドは広い一本道に立っていた。

 道は、所々で曲がりくねりながら、遥か前方の小高い丘へ向かって続いていた。王都へ通じている公の道ということだった。道の両側は荒れ地で、旅人の姿もぱらぱらと見えた。

 ――この道を行けばいいんだな。

 暮していた山奥とはちょうど正反対の方向にあったため、ギンドにとって来るのはこれが最初で、生まれて初めて体験する一人旅であった。

 知らない土地と道であったことや、武具の精霊に「滅多なことで勇者の能力を見せてはならぬ」と固く釘を刺されていた関係で、並みの旅人と変わらぬ速度で歩いていくと、自分と同じような旅人と出会ったり、見たことがない景色に巡り合えたりして、最初の出だしは中々快調と言えた。

 食料は五日分、水も十分準備して来ていたし。日が暮れれば、そこら辺の焚火ができる場所で野宿すれば良いと思っていた。

 ところが長く歩いていると次第に心配事が頭をもたげてきた。ドナに全財産を預けて来たために、無一文だったことである。

 周りの荒れた大地で見かける生き物は、山犬かヤマアラシか大カラスかハゲタカか、群れから離れたはぐれ狼を見かける程度で。あんなもの食べても絶対マズいだろうし、第一売り物にもならない。あゝ、まいったな。金がない。


 それだけがどうしても気になって、ギンドはとうとう足を止め地面に座り込むと、「街の特産物のお菓子よ、どこでも売ってるわ」とドナに教えられて購入した、甘く味付けして焼いた鶏のササミに形と色合いと味がそっくりな小麦粉を揚げて作ったお菓子をかじってちょっと一息つくがてら、肩からぶら下げていた布製のカバンからドナから貰った地図を取り出して広げ、武具の精霊を呼び出し相談した。


「もう一度お金を稼ぐために、前の森まで獲物を獲りに戻ろうかと思うんです。この地図によると、勇者の能力を使えば夕方ぐらいには何とか行けそうなんだけれど」


 そう切り出したギンドに、老人の精霊は長いあごひげを撫でながら、


「お前も前の勇者と同様、つくづく人が良いというか、さっぱりしているというか気前が良いのう。その点はわしも嫌いじゃないが、だがしかし無一文ではのう。この先が思いやられるからのう。

 とは言え、そんなことをしてぐずぐずしていたら、あの山の神にきっと嫌われるぞ。あ奴は聖獣の中でも短気で嫉妬深いので有名であるからのう。そのことを知ったら、必ず激怒してお前に災いをもたらすだろうな」


「それじゃあ、どうすれば?」


「そうなるとだなぁ……」


 ギンドがじっと見つめる中、老人の精霊はギンドが広げた地図にふと目を止め、はたと手を打つと、何か妙案が思い付いたのか、にっこり笑うと続けた。


「仕方があるまい。前の勇者に教えてやった方法を伝授してつかわそう。なーに、きっと上手くいく。千年過ぎても人の民度はそう変わっていないようだからな」と呟くと、「良く聞くが良い。わしのいう通りにすれば良い」と言って金を稼ぐ知恵を授けた。

 その方法とは、定期的に整備がなされているために比較的平坦で、おおよそ安全無事に行ける道を行くのではなく。近道になるが地理的に険しい上に、野盗や追いはぎが出没する危険な道を選んで行くというものだった。

 そして、その者達に出会ったなら、有無を言わせずに迎え撃って、その者達から金品を奪い取れという奇抜なものであった。


「なるほど、そんな手がありましたか」


 分からぬなりにギンドは思わず唸った。

 ギンドは全く知らなかったが、主要道は丘の裾野や平野部の余り傾斜のないところを通っていた。また一定間隔で兵士が駐在する詰所が設けられていて割と安全であった。

 対して、その脇道は丘と丘の谷間を抜けて行くために近道であったが、主要道より明らかに道幅が狭い上に、崖の傍を通っていたり幾つもの橋を渡らなくてはいけなかったり、周囲に誰も人が住んでいない環境上、山犬や狼といった肉食の獣に出くわしたり、魔物や盗賊も出るという危険をはらんでいた。


「分かりました、やってみます」


 素直に承諾したギンドに、また老人はこうも付け加えた。


「大概相手は多数の人間を手にかけているに相違ないから、容赦はいらぬ。思い通りにやれば良い。この際だ、剣を試す良い機会ともいえる。存分にやっても構わぬからな」とギンドに勇者の剣を使用するお墨付きを与えていた。


 ようやく、この先どうすべきかが決まったところでギンドは、


「それでは行くか!」


 と自分に言い聞かせるように呟くと、地図を折り畳んで冊子に戻し、手下げのカバンに入れた。そして、それからしばらく歩いて現れた大道から分かれて続いていた脇道に進路を取って進んだ。

 地図上、次の大きな街まで行くには近道となっていたその道は、ギンドが暮していた山道の道幅を少し広げて大型の馬車が一台通れる位にしたくらいの道幅があった。更にその道は比較的真っ直ぐな道が多かったが、途中に崖があったり、坂があったり、道に大きな石ころが転がっていたり、枯れた木が道をふさいでいたり、道の所々が陥没していたりと、男の独り歩きや男連れでは全然問題ないものの、中型以上の馬車や老人や女連れや子供連れでは少々難があると見受けられた。

 ギンドは歩きながら思った。

 上手く出会えると嬉しいんだけど。そう上手く行くものかなぁ? まあ、良いさ。夜になったら目立つところで焚火でもして待ち伏せしてやるさ。いたらの話だけど。

 そのうち、日がやや傾き始めていた。

 もうこんな時間かと、ギンドは今夜野営ができそうな場所を捜しながら歩いた。そのときになって、かなり遠くから誰かに付けられいることに気付いていた。歩きながら、たぶん盗賊だろうと思ったが、全部で何人いるのか分からない限りは手を出すことはできないからとして好きなようにさせていた。しかし中々襲ってくる気配は見られなかった。

 この分だと昼はたぶん無理みたいだな。全員で襲ってきたら直ぐに片付けてやろうと思ったのに。あゝ、しょうがない。このぶんだと、やはり夜かもな。


 そう思ううちに、ちょうど道の片端に人の倍以上ある丸い巨岩が転がっている地点に差し掛かったとき、ギンドは急に巨岩の傍で足を止めると、周りを見渡した。

 ま、この辺りで良いだろう。一方の道から丸見えだ。だが背後は岩が壁になって何も見えない。道の両側は荒れ地で雑草が生い茂っている。

 ギンドは巨岩の下を今夜のねぐらと決めると、さっそく荷物を下ろして、野営の準備に取り掛かった。

 先ず、そのあたりに転がる石を拾ってきて、丸く組み上げ、かまどを作ると、続いて焚火の材料となる枯れた木や枝や枯れ草を集めた。

 そこまで準備をすると、岩に背中を向けて腰を下ろし、さっそく火を起こした。その合間に、隠すようにして盾から剣を抜いて本来の長さに戻した。

 そして、火が起こったところを見計らって、その上に金網をのせ、持ってきたくんせい肉とニンニクとジャガイモとズッキーニを焼いた。

 そのようにしてでき上がった肉と野菜に、ギンドは何食わぬ顔でそのままかぶり付いた。その間も相手は襲ってくることはなかった、かなり用心深いと見えて。

 そのうちに、辺りがすっかり闇に包まれていた。

 ――あゝ、じれったいな。

 感覚を研ぎ澄ますと、例え暗闇であっても、遠く離れていても相手の動向が手に採るように分かった。

 でもここは慎重にいかないとな。ちょっとでも間違いがあった場合は目も当てらないことになるからな。相手は複数いる。一人や二人ならどうってことないが、それ以上になると逃げられてしまう恐れがある。ここは相手が動いてくるのを待つほかないだろうな。

 ギンドは食事を終えると、簡単に後片付けをした。そのついで盾も本来の大きさに戻すると、相手から見えなように透明化して傍らに置いていた。

 その間に於いても、相手は何の動きもしなかった。

 あゝ、仕方がない。もうこうなったら焚火の火で向こうから見やすくして寝たふりをするほかないみたいだな。

 そうギンドは決めると、燃えている火の中に更に木をくべて炎を大きくした。それからそのままの格好で仰向けになって頭を荷物の上に載せ、身体の上に透明化した盾を置いて寝たふりをして様子を見た。さあ、やって来いと心の中で呟きながら。

 が、相手はそれでも何もしてこなかった。

 今か今かと待ち構えていると、向こうもやり難いのかな。一層のこと、相手に背中を向けてやろうか!

 いつまで待っても相手が仕掛けてこないので、ギンドは寝返りを打って、わざと相手側に背中を向けた。 

 その刹那。ヒューと風を切る音がしたかと思うと、弓矢が立て続けに三本飛んできてギンドが寝ていた付近で跳ね返った。それに続くように、五本の槍が同時に飛んできた。

 そのあとに、「ウオー!」「ワァー」と野太い叫び声を上げながら、五人の男が剣や槍や戦斧を手に現れると、勢い良く走り込んできた。

 男達は、目だし頭巾か金属製のカブトを頭に被り、上半身は甲ちゅうか鎖帷子で身を固め、手と足にはそれぞれ金属製のガントレット、すね当てをしてと重装備の姿をしていた。

 ――もうこれは間違いない、あの格好から盗賊に違いない。

 さっそくギンドは即座に起き上がり、地面に敷いた布の下に隠すように置いていた剣を片手で持ち、その場から一気に跳躍。ちょろちょろと燃え続けている焚き火の炎を跳び越えて、やって来た男達のちょうど真ん前に着地すると、片手に持った剣を横一直線に振るった。そして更に折り返そうとして不思議そうな顔で手を止めた。

 何のことはない、剣の切れ味の凄いこと。空気を斬ったぐらいの軽い手ごたえであったのにもかかわらず、五人の男達をたった一振りで甲ちゅうと鎖帷子ごとまとめて一刀両断して、あっけなく決着がついていたのだから。そのことはギンド本人も驚くほどだった。

 ともあれ、あと一人いる筈だと、剣を手にギンドは直ちに暗闇の中に足を踏み入れると、離れた地点で弓矢を構えたまま呆然と立っていた男に近づいて、その男の首に手を回して転倒させ気絶させた。

 そのあとギンドは、生かしたたまま捕らえた男の足を持ち、焚き火の近くまで引きずって戻ると、襲ってきたひとりの男が持っていたロープを使って、木にロープを結ぶ要領で男の身体をがんじがらめに縛って身動きできなくして焚き火の傍らに転がして放置。そのついでに頭に被っていた頭巾をはぎとって男の素顔を晒した。黒髪の太眉で鼻の大きな中年男だった。

 続いて、短く切ったロープで男の口に猿ぐつわをして、男から奪った弓と矢をへし折って焚き火にくべると、斬った男達の後始末にかかった。道の端に穴を掘ると、胴を真っ二つにされてショック状態にあり、まだ息のあった男達と彼等が持っていた剣を一緒に放り込み埋めた。放っておいても到底助からない上に、そのままにしておくと血の匂いを嗅ぎつけて肉食動物が寄ってくるのを避けるためだった。それから夜が明けるまで待った。


 そのようにして朝が来るまでじっと待つこと自体は、ギンドに取っては気持ちを落ち着かせるのに良い機会と言えた。

 それというのも、いかに悪党とはいえ、五人の人間を人生で初めて手にかけて平気でいられるはずはなく。俺もこれでとうとう人殺しの仲間入りだとの思いがこみ上げてきて、いつまでも興奮が収まらず、神経が高ぶり呼吸も乱れて、自分自身の意思ではどうすることもできなかったのだから。


 ギンドが一睡もせずにいる間に夜が開けて、辺りがうっすらと明るくなっていた。あわせて焚き火の火もいつの間にか消えていた。中の真っ赤に燃えていた炭も白い灰となっていた。

 その頃になって、ようやくギンドは何とか落ち着きを取り戻すと、辺りに落ちていたのを拾ってかためておいた槍の一本を、捕らえて動けなくしておいた男の頬に持っていき槍の刃の部分で施していた猿ぐつわのロープを切り、それからやや大きめの鼻先へ刃を軽く押し当てながら乱暴な口調で呼び掛けた。


「おい、起きろ。起きなければその立派な鼻を削いでやるぞ!」


 途端に刃を押し当てた鼻から血がにじむと、そのはずみに目を閉じて眠っているようにしていた男がびっくりしたように顔をぶるぶると振るわせるや否や、大きく目を見開いて、


「おい、てめえ。何てことしやがるんだ!」


 汚い口調で怒鳴って来た。相手が若いギンドだったことで尚更だった。さらに罵声を浴びせた。そんな男をギンドはにらみつけると、


「黙れ。今お前は俺の手の中にあるんだ。どうしようが俺の勝手だ」と一蹴。強い口調で命令した。


「おい、縄を解いてやる。だから俺をお前達のアジトまで案内するんだ!」


「案内すればどうなるんだ。俺をどうするつもりだ!」


「大人しくしていれば何にもしない。 黙って見逃してやろう」


「嘘じゃないだろうな?」


「あゝ、本当だ。俺は嘘はつかない。約束したことは必ず守る。神に誓っても良い」


「あゝ、そうかい。それじゃあ縄をほどいて貰おうじゃないか。こんなにきつく縛られていたら血が止まって死んでしまうぜ」


「分かった。だが逃げられると思うなよ。お前の仲間のようになりたくなかったらな」


「あゝ」


 ギンドはある程度ロープを解いて男を立たせると、男の腕をねじ曲げて後ろ手に縛った。それから、逃げられない用心のために縛ったロープの端を自分の腕に結わえると、


「先に言っておくが逃げても無駄だぞ。この槍が黙ってみていないからな」


 そう言って、鎖帷子を身に着けた男の背中に向かって、わざと槍の穂先を当てると突いてみせた。


「一突きであの世行きだ。それとも、わざと急所を外しながら苦しませて殺してやろうか?」


 荒っぽい言い方であったが、そのこと自体は効果てきめんで。男は怖気付いたのか逃げる素振りは見せなかった。ギンドが荷物を持って、石で組んだかまどを足で蹴り壊して後始末をしている間も大人しくしていた。

 そのような具合いで、いよいよ出発の準備が整うと、先頭を男に歩かせて、その後ろに槍を持ったギンドが続くという態勢で男達のアジトへ向かった。

 その道すがら、男はため息をついたり舌打ちをしたり、或いは「こんなことになるんだったら、止めときゃ良かった」「本当についてないぜ、最悪だ」「あゝ、もう参ったねぇ」などと、ふてくされたようにぶつぶつ不満を垂れながら歩いた。

 若いギンドに無残な負け方をしたことを、余程悔やんでいると思われた。

 そんな男に、人を監視するという慣れない作業に退屈で仕方がなかったギンドは「おい!」とやにわに声をかけた。


「何だ?」と、すぐさま男が咬みつくように言ってきた。「何か不満な点があるのかよう」


「いや、そうじゃない」ギンドは首を横に振ると問い掛けた。


「お前に訊きたいことがある」


「何だ?」


「なぜ、お前達は直ぐに襲ってこなかったんだ? 俺のあとをずっとつけてきて、俺が野宿している間もじっと見ていたんだろう? あれはなぜだ? なぜやって来なかった。用心深いにもほどがあるっていうもんだ」


 ずっと思っていた二つの疑問のうち、『誰が六人の頭目なのか』の件は、聞いたところで絶対に正直に応えてこないだろうとして、残りの一つを尋ねたギンドに、男は薄ら笑いを浮かべながら、「あゝ、それね」と軽く受け流すと事もなげに応えた。

 それによると、あの日、ギンドが十人の男達と路上で立ち回りを繰り広げたとき、全く偶然に六人のうちの二人が現場を通りかかって見ていたというのだった。

 その男の姿格好がギンドに良く似ていたので、もしもその本人なら、襲って怪我をしてもつまらないからと、昼間は警戒して襲うのを止めて、夜になるのを待って実行したということだった。

 そう言った男の説明に、ギンドは納得すると思った。そうすると、こいつ等は普段から自由に街へ出入りしていたということか。


「どうだ、分かったか」男はへらへらと笑うと言ってきた。「知ってることは全部喋ってやったんだ、それじゃあこっちからも聞いて良いか?」


「あゝ何だ!」


「あんたが剣を一回振っただけで俺の仲間が五人共殺られたのは、あれは剣に魔法を施していたからじゃなのか? 全員重武装をしていたのにあんなことになるなんてよう、並みの剣の切れ味じゃなかったからな」


「あゝ、そのことか」間を置かずにギンドは応えた。「あゝ、そうだ」


「やっぱりな。そうだと思ったぜ。でなきゃ、あんな芸当はとてもできそうにないからな。するっていと、あんたは騎士様ってことかい?」


「いいや、そうじゃない」ギンドは首を振ってきっぱり否定した。


「それじゃあ、何だって言うんだ?」


「俺はタダの旅人だ、旅人さ」


「ふん、よく言うぜ」男は鼻で笑うと吐き捨てた。「何かいわくがあるようだが。まあ、言いたくなかったら、それでも良いさ。俺には全く関係ねえからな」


 そのような雑談を交わしながら、二人が殺伐とした景色が周辺に広がる道を歩んでいくと、ギンドが野宿した場所にあった巨岩に似た岩が、辺り一面にごろごろ転がっている地点に差し掛かっていた。

 男はその辺りで見えた脇道へと入った。ギンドも後に続いた。

 脇道は通って来た道よりやや狭くて、小型の馬車がギリギリ通れるくらいで、ゆったりと曲がりくねりながら続いていた。その道をしばらく行くと、前方に自然にできたような岩のトンネルが見え、木の枝で封鎖してあった。木の枝を脇にのけて、その中を通過すると、四方を巨岩に囲まれた広い空間が出現した。  

 ――何て素晴らしいところなんだ。ここが盗賊のアジトだなんて、とても信じられない。

 ギンドは、まるで自然の岩でできた砦の内部にいるような錯覚を覚えるその光景に思わず目を疑った。

 だが程なく現実に視線を向けると、目の前に周りを柵で囲んだ広い広場が見え、その端の方に小屋らしい建物が建っていた。二輪馬車が二台、その小屋の傍に放置されてあった。更に小屋の外の柵には馬が五頭つながれていた。

 男は柵を避けるようにその外側を歩いて行った。ギンドも続いた。

 そして、とうとう突き当りの岩の壁の直前まで歩いていくと、急に立ち止まり、大きな顔で言った。


「ここだ、ここが俺達の隠れ家だ」


「これがか?」


 ギンドは肩をすくめて見つめ直すと、大きなため息を付いた。嘘だろう!? これじゃあテント暮らしと変わらないじゃないか。

 ギンドがそう思ったのも無理からぬことだった。そこには車輪のない幌馬車が一台放置されてあるだけだった。

 中をのぞいても、見えるのは幅広のベッドが二台と木桶ぐらいなもので、それ以外に目に留まるものはなく。

 いくら何でも、これがアジトとはな。第一、人数が合わない。一台のベッドに二人で寝るとしても、残った二人はどこで寝るんだ。まさか三人の男が一つのベッドで寝るとか!? それはとてもありえない、と素朴な疑問を抱いて立ち尽くしたギンドの耳に、そのとき男の声が響いた。


「おい、入るのか入らないのか返事をしろ!」


 その乱暴な物言いに、ギンドは我に返ると男の方へ振り返った。その際に見えた前方の岩の辺りの色が若干おかしかった。周りの色と違和感があった。よく見ると、それは土を貼り付けた布地のようだった。


「なるほど、そういうことか。入り口を偽装していたってわけか」


「まあ、そんなところだ」


 ギンドがやや厚めの布をめくると、人為的に掘って作った、まあまあ間口の広い通路が現れた。


「それじゃあ中を案内して貰おうか」


 さっそく男の案内で通路を進むと、内部は大きく分けて四つの部屋からなっていた。

 一番手前の部屋は寝室兼リビングに利用されていて、広幅のベッドが五台と、木製のテーブルとイスとベンチと最小限の家具が置かれていた。

 次の部屋は食糧庫になっていて、肉類やパンや酒のビンが木の棚に並んでいた。

 三番目の部屋は武器保管庫と戦利品置き場となっていて、剣や槍や甲ちゅうといった武器武具類が壁にかけて陳列してあったり、中身の入った袋や木箱が整然と積まれて置かれていたりした。

 そして一番奥の部屋は牢獄として使っており、鉄の檻でできた牢屋が設置されていて、牢屋の前には拷問用のイスが三つと鉄製の手かせと足かせとロープの束と鉄の鎖が無造作に置かれ、牢屋の反対側には、木をクロスに組んで作った磔台があった。


「これで全部だ。さあ、俺をどうするつもりだ?」


 最後にギンドを牢獄の部屋まで案内すると、男は疑いの目で訊いて来た。ギンドは男の質問には応えずに、そこで初めて当初の目的を口にした。


「人から奪った金をどこに隠しているんだ!」


「ふーん、金か、金が目的で俺を隠れ家まで案内させたというわけか?」


「あゝ、そうだ。有り金全部貰おうか。そしたら命までは取るとは言わない。それどころか逃がしてやる。それとも死に急ぎするか!」


「そういわれてもよう。そんなものはねえよ。あるはずはないさ」


「嘘つけ!」


「嘘じゃないさ。俺達は、入った金はパッと使うたちなんだ。貯め込むような無粋な真似はしない。だから慢性的に金欠なんだ。でなきゃ、あんたみたいな者まで誰が襲ったりするもんか!」


「煩い。大人しく入ってろ。ちょっとでもおかしい真似をすれば、何もしないでお前を逃がすという約束は帳消しだ。分かったか!」


「あゝ。大人しくしていたら解放してくれるんだな?」


 能書きを垂れた男を信用ならないとみて、ギンドは男を牢屋に閉じ込めると、牢屋もあって拷問の道具も揃っていたところを見ると生きたまま捕えられてあそこに連れてこられた人達もいたんだろうなと思いながら、自ら洞窟内の粗捜しを始めた。

 先ず、金の隠し場所として一番信憑性の高い寝室兼リビングの部屋に行くと、ベッドの下やら調度品の中を調べた。それから意外な可能性のある食糧庫の部屋に行き、空ビンや棚の隅を調べ、次いで武器保管庫兼戦利品置き場の部屋を調べた。

 結果、ベッドの下からは中銀貨が八枚と小銀貨が一枚。食糧庫からは小銅貨一枚以外何も見つけることはできず。最後の部屋からは中銅貨が五枚と小銅貨一枚が見つかっただけだった。

 ただ最後の部屋からは、積み上げられた袋や木の箱の中から、数々のものを発見した。その全てが、人から奪った戦利品と考えられ。ざっと見ただけでも、男性物の礼服からシルクハットや革のブーツやステッキ。女性物のドレスから靴や帽子や衣服や下着やショールや手袋やメガネや櫛やネックレスや指輪や長い髪の毛を束ねたものや人形や子供のおもちゃに至るまで、ありとあらゆるものが詰め込まれて入っていた。

 ギンドはそれらを見ているうちに、自然と怒りがこみあげてきてどうすることもできなかった。――こいつ等、一体どれほどの人達を殺めているんだ。これは許すわけにはいかない。

 途中、たくさん出て来た身分証明書らしい書類や、名前と出身地と性別と生まれた日付と簡単な経歴を刻印した小さなプレートに、ギンドはふと目を留めると、これらも六人の悪党の毒牙にかかって殺された人達の所持品だったのだろうなと思った。

 小さな村くらいなら出入りするのに何もいらないけれど、大きな街だと入るときも出るときも許可がいるとドナから教えて貰っていた。街の外れに検問所があって、そこでお金を支払って許可して貰うということだった。

 そのとき見せないといけないのが、教会や国王や領主や国王並びに領主が委託した業者が発行する身分証明書や、軍人協会が発行してよう兵や賞金稼ぎや失業軍人が持っているキャリアシートつまり認識票である。それは以前どこにいたかを示す許可証でも代用できるとも聞いていた。

 ――あいつ等、街に自由に出入りできていたのはこれを使っていたからなのかな?

 そう思ったとき、出身地と経歴が同じで名前と生まれが異なるプレートが三枚、全く偶然に目に付いた。

 ――ヘルメス・マティセ、デービット・マティセ、ソルブ・マティセか。おそらく年が離れていることと同じアデニール国立士官学校を出たとなっていることから親子か三兄弟だったのだろうな。良い機会だ。三人共、もうこの世にいないだろうから、俺と生まれた年月がそう変わらないソルブって奴の認識票を使わせて貰うとするかな。どうせ街に入るまでのことだ。入ってしまえば、また元通りのギンドロスで通せば良いんだ。

 ギンドはソルブという人物に成りすますことに決めると、認識票が付いた鎖を首にかけ何食わぬ顔で作業の続きを行った。


 その後、ギンドは洞窟の外まで出ると、二台のベッドが並べて置かれていた壊れた幌馬車の中まで見て回った。が、何も見つけることができなかった。空振りに終わっていた。


「あゝ、何てことだ。見つかったのはこれっぽっちとはな。一層のこと、あいつを拷問して金の在りかを吐かせてやっても良いが、大人しく従ったら、何もしないで逃がしてやると約束してしまったからな」


 途方に暮れたギンドは、あゝ困ったと深いため息をつくと、何とはなしに辺りをぼんやり眺めた。

 すると、遠くの方に見えた小屋の付近で、馬が五頭、木の柵につながれて放置されているのが偶然目に入った。


「あゝそうだ、良い案が思い付いた。あれを代用品にしよう! 地図では途中で村があったはずだから、あそこまで馬を連れて行って馬を売れば良いんだ。五頭なら少なくても中銀貨四十枚くらいにはなるだろう」


 ギンドは目を輝かせて満面の笑みを浮かべると、直ちに洞窟へ戻り、一番奥の牢獄の部屋まで直行。


「おい、これっぽっちしか無かったぞ。六人もいたのに中銀貨が八枚だなんておかしいだろう。まだどこかに隠しているんじゃないだろうな?」と牢屋の中にいる男に向かって中銀貨を見せると男をしつこく責めた。

 そんなギンドに、男はやれやれといった呆れた顔をすると、


「お前なあ、若いくせにどうしてそんなに金のことを言うんだ? 有り金全部落としたとか盗まれたとかしたので、俺達の金をあてにしているとかか?」と逆に訊いて来た。


「いいや、そうじゃない」ギンドは首を横に振ると言い訳をした。


「くれてやったんだ。命と交換にな。そうでもしなければ収まらなかったのさ。実は今日の早朝に一週間前の再試合をやることになっていたんだが、とても勝てそうに思えなくってな。それで試合の中止を掛け合って、俺が酷い目に遭わせた者達全員に詫びを入れる形で頭を地面について丁寧に謝り、さらに全財産の金貨十枚を支払い、速やかに街を出て行くという条件で折り合いがついてここにいるというわけさ」


「するってえと、てめえは惨めに逃げ出してきた負け犬というわけかい」


 そう言って勝ち誇ったような薄ら笑いを浮かべた男に、「あゝ、何とでも言え!」とギンドは吐き捨てると付け足した。


「誰だって分かることだろ。何ていったって相手は街の治安も預かっている役人だぞ。あのとき相手が誰なのか分からなかったのと全員が酔っ払らっていたから運よく勝てたけれど、相手の正体がわかったからには勝てる可能性はまずあり得ないことをな。それで逃げる方を選んだのさ。

 それで、有り金全部取られた分をどうしたら補てんできるかと考えた結果、お前達と同じ方法を選んだというわけだ。それで、物騒だと聞いていたこの道を行き、旨い具合にお前達に出会ったというわけさ」


「悪党の上前をはねる悪党というわけかい?」


「あゝ」


「それなら手っ取り早く俺の仲間にならないか? 俺も仲間がいなくなって、これからどうしようかと思っていたところだ。お前が仲間になるっていうなら今回の件は水に流そう。お前みたいな奴がいれば心強いってもんだ」


「嫌だね。俺は中年男は信用しないたちなんだ。俺より年寄りは偉そうにする上にお荷物にしかならないからな」


「あゝ、そうか。分かった。それじゃあ一つ聞いておくが水飲み場の付近も調べたのか?」


「水飲み場って? それは何だ?」


「調べていないみたいだな」


「そこに何かあるのか?」


「あゝ、そうだ。一人の奴がそこの付近の置き石の下に金を隠していたんだ。そいつは変わり者でよう、一人殺るたびに決まった金を壺にいれて貯めていたんだ。この分じゃ、もう金貨五十枚を越えている筈だ」


「ほーう、それはありがたい」


「でも水飲み場の場所を知らないんじゃ、どうにもならないな」


「水飲み場ってどこにある?」


「外だ、外にあるんだ」


「外っていったって広いぞ」


「だからよう、俺が案内してやると言ってるんだ。ただし金が見つかったら山分けだぜ」


「よし、わかった。それで手を打とう」


「それじゃあ、ここから出してくれ。ついでに縄も解いてくれ。お前と約束したよな。大人くしていたら解放してくれるって」


「あゝ、約束した」


「じゃあ、そうして貰おうか」


「分かった」


 ギンドは男を檻から出して後ろ手に縛っていたロープを解くと、


「さあ案内して貰おうか。ただし、おかしな真似はするなよ」


 そう言い残し外の方へ歩いて行った。そのとき、背に大きな荷物を担ぎ、狭い洞窟内では扱い難い長い槍を手に持ち、更に男に背を向けていたギンドは誰の目からみても油断しているとみるのが妥当で。

 無論、それを知ってか男はニヤリと笑うと、その辺りに転がっていた棘の付いた拷問用の棍棒を背中の後ろにこっそり隠し持ち、ギンドの後ろへ続いた。

 そうして男は、ゆっくり間合いを詰めていくと、今こそ殺る好機ととらえたのか、いきなり走り出して「くらえ、この負け犬め!」と叫びながら背後からギンドに襲い掛かった。

 途端に、ドスンと大きな音がして、男が背後に吹き飛んでいた。後ろを振り返らずにギンドが、槍の石突の部分を勢い良く後ろへ突き出した結果、男の腹部を無事にとらえたからだった。まさに一瞬の出来事だった。


「この悪党め!」


 ギンドは改めて振り返ると、もんどりうって仰向けに倒れた男がぐったりしているのを確認。


「何もしなければ見逃すと言ったが、襲ってきたら別だ。それ相応の報いを受けて貰う」


 男に向かって冷たく言い放つと、次の作業に取り掛かった。

 これら全てはギンドが仕組んだことであった。男の前で作り話をして、わざと隙を見せる一芝居をうっていた、人殺しをしても何とも思っていない人でなしのゲスな人間なら、きっと何か仕掛けて来る筈と見て。その結果として男は本性を見せたのだった。

 ギンドは牢獄の部屋で目にしていた鉄の手枷と拷問用に使ったと思われる金槌と鉄の杭を持ち、気絶した男を引きずって外に出ると、おそらくこの辺りのどこかにたくさんの人達が殺されて埋められているんだろうなと想像しながら、岩のトンネルを抜けて少しいったところにあった巨岩が点々と見られるところまで向かった。そして、一番先に目に付いた巨岩の前で立ち止まると、男の腕に鎖が付いた手枷を装着してから金槌と鉄の杭を使って岩に固定した。

 その頃になってようやく気が付いたのか、男は目を見開くと、自分の両腕が岩に鎖でつながれていると知って大声で怒鳴って暴れた。しかしギンドは聞く耳は持たないといった風に吐き捨てた。


「お前にはそれ相当の罰を受けて貰おうと思って、ここまで連れてきたのさ。そうでないとお前達に殺された多くの人達の恨みが晴れないからな」


 そう言って男をにらみつけると、


「あんた、六人の頭目だろ。俺の目に狂いがなければな。

 だって、あんたは自分の命が助かることより、俺の命を取ることを優先しただろ。そんなことは手下がやることじゃない。そこに加えて、俺が五人を殺ったことを知っていたにもかかわらず怖がらずに襲ってきた。このことはそれまで相当危ない場数を踏んできた証拠だ。俺を仲間に誘ったときもそうだ。まるで頭目のように振舞っただろう。あれもピンときたんだ」


 などと、言葉巧みに鎌をかけた。すると男は「あゝ、そうであったら何だ!」とふてぶてしく言ってくると、ぷいとギンドから目を逸らし、ギンドに聞こえるようにぼやいた。


「ごちゃごちゃ言いやがって、このガキが。そんなことを知ったところで、てめえに何の得があるっていうんだ。この馬鹿野郎め!」


「その通り、俺には何も得もない。だが悔しい思いで死んでいった多くの人達には大ありだ」


 ギンドは男のたわごとにも落ち着いた物言いで応えると、尚も「この野郎、正義漢ぶりやがって、この負け犬野郎が! 俺にはまだ大勢の仲間がいるんだ。そいつらが戻って来たらタダじゃおかないからな。きっと落とし前をつけてやるからな。忘れるなよな、その時になって逃げ出したってもう遅いんだぜ。地の果てまで追いかけて行って殺してやるからな。覚えてろよな、この大嘘つきめ!」などと声を絞るように怒鳴って吠え続ける男に向かって、「お前は捕らえた人達にこんなことをやって面白がっていたんだろ」と告げるや、最後の仕上げとして男が着ていた防具をはぎ取り、男の革靴ごと鉄の杭を打ち込んで動けなくしていた。

 そして「お前は魔物以下の存在だ。その報いとしてこのまま野たれ死ぬか、獣の餌になると良い」と、吐き捨てるように言い放つと、目を見開いて断末魔のようなうめき声を上げて苦しんでいる男を放置して、そ知らぬ顔でその場から立ち去り、予定通りに馬がつながれていた地点へと戻った。

 相手が盗賊だけに、馬を使い捨てと見なして、荒っぽい扱いをしているかどうか心配だったからだった。怪我をしていたり、病気になったまま放置していたり、どこかに不具合があったりすれば売り物にならないからな。


 調べてみると五頭の馬はいずれも栗毛で雄だった。苦しそうに呼吸していることもなく、足元に異常も見られなかった。大きな外傷もなかった。毛づやが悪いこともなかった。

 ギンドはほっと安堵すると、さっさと馬を引き連れてここを出ようとした。

 ところが、柵に囲まれた広い空き地を見ているうちに、ある思いが頭をよぎった。それは、ギンド自身がこれまで一度も馬に乗ったことがないことだった。

 これから馬を利用する機会が多くなるだろう。そのとき馬に乗れなかったら格好悪いだろうな。ちょうど良い按配に練習できる広い場所もあることだし、ここを利用して乗れるようになっておこうかな。山の神様だってこれくらいは魔王を退治にしに行くまでの準備期間だと大目に見てくれるさ。

 ギンドは自分の都合の良い方向に解釈すると、その日のうちに馬に乗る練習に励んだ。

 確かにギンドは、これまで馬に乗ったことがなかった。が、乗っている人々をちょくちょく見る機会があって、どのような乗り方をしているのか見て知っていた。拠って、それを参考にして見よう見まねで試みた。

 けれども例のごとく、頼りない乗り方をするギンドを馬は嫌がって、ギンドの望み通りに動いてくれなかった。中々動こうとしなかったり、急に動いて急に立ち止まったり、突然走り出して見当違いの方向へいったりとギンドを手こずらせた。

 だが、山奥育ちで動物の扱いはある程度知っていたギンドは、諦めることなく一生懸命にやり続けた。力ずくで手なずけ繰ろうとした。

 そんなギンドに根負けしたのか、馬は徐々に大人しくなって言うことを聞くようになっていた。

 やがて、その日の夕方になる頃には中々様になっていた。そして次の日には柵の周りを自在に走り回れるようになっていた。

 ――よし、これだけ乗れるようになればもう良いだろう。

 すっかり自信が付いたギンドは自分自身に合格を与えると、次いで五頭の馬をどのようにして一度に運ぶかを考えた。

 その結果、この分だと一番近い村までの道のりは険しいに違いなさそうだから、途中で馬に何かあっては売り物にならなくなる恐れがあるからとして、馬には乗らずに荷物を担がせて一列に並ばせる格好で、馬に寄り添うように歩くという方法を選択していた。

 それから、自分の荷物と盗賊のアジトで見つけた売り物になりそうな品物と生活必需品とをまとめて馬の背に積み込むと、馬の手綱を引いて出立。岩のトンネルを出て、元の道まで戻った。もうその頃には昼過ぎとなっていた。

 その途中、男を拘束してすっかり忘れていた巨岩のそばを通った。が、男の姿はなかった。代わって岩に鎖でつながれた両手首と杭で打ち付けられた一組の革靴が残っていた。それをギンドは平然と認めると、何も感想を漏らさずに通り過ぎていた。


 道すがら、誰とも出会わなかった。男達が相当あくどいことをやって、悪い噂が拡がっていたのだろうと思われた。

 そのときギンドは、馬の歩幅に合わせて歩きながら、村に行ってからのことを考えた。

 村の規模にもよるけれど、全部買って貰えないかも知れない。その場合は隣村まで足を延ばしてみようかな。地図によると、五つの村がつがっているみたいだから一頭ずつ売っても良いし。売れなかったら売れなかったで、盗賊のアジトで見つけた鉄製の武器や道具を村の鍛冶屋に持っていって売れば何とかなるだろう。そして馬は村を越えたところにあるシュリザードの都市まで行って売れば良いんだ。領主様が治めているあそこなら買ってくれる人も多いだろうし。 


 またそのついでに自身がして来たことを振り返り、余りにもスムーズに事が運んだことに行き当たっていた。なぜあれだけスラスラと喋れて、高度な思考と行動ができたのだろう? 

 その理由を考えたギンドは自分自身が不思議でたまらず、分からなかった。しかし考えにふけるうちに、これはもしかして、勇者の品を身に着けているせいで、前の勇者が乗り移ってそうさせたのかもと結論付けると、この旅が続く以上は千年前の勇者のことを少しでも知る必要があると判断。直ちに武具の精霊を呼び出すと、


「勇者について色々と訊きたいんだけど?」と呼びかけた。


 そのとき老人の精霊は、何を今更という顔をすると、長いあごひげをゆっくりと撫でながら、


「まあ良かろう。話してやっても良いが」と言ってきた。


「それじゃあ訊きます」


 ギンドは老人の精霊に向かって元気良くそう告げると、「勇者って何ですか?」と初っ端からぶしつけな質問をした。

 そんなギンドの問い掛けに、老人の精霊は「うーむ、勇者とはか?」と呟くと、視線を宙に彷徨わせて口を切り考えを述べた。


「勇者とは、誰から見てもおかしく感じる、或いは不条理に思われる世の中を正す者といったところか。ただ腕が立つとか、魔物を多く倒したとかは勇者ではない。どれほど勇敢で恐れ知らずであったとしても強靭な肉体と底知れない精神力の持ち主であったとしても、明晰な知性の持ち主であったとしてもだ。

 勇者は己の目で見、己の耳で聞き、己の心で感じ、己の頭で考え、思ったことを己の意思で実行できなければ勇者ではないのだ。権力者や知識人や巷の民のいいなりになってはならぬのだ。

 だがそれはあくまで理想論であって、勇者も人の子、完全無欠ではない。勇者の中身がこの世の森羅万象を司る神や悟りを得た聖人ではなくて、ただの感情で動く人間であるがゆえだ。拠って中々うまく行かぬ。大抵は妥協してしまうか、流されてしまうかのどちらかだ。

 前の勇者もそうであった。見返りを求めず深く人を愛したが故に、やがて人に失望し、人を全く信じなくなって、遂には人を遠ざけ、ひとりでいることが多くなり。やがて、わずかな身内に見守られながら、静かに最期を遂げたのだからな」


 分かるような分からないような理解に苦しむ答え方をした老人に、ギンドは深く考えずに「そうですか」と頷くと、次の質問をした。


「魔物って何ですか?」


「魔物とはそう、人に非ざる者、畏怖される存在の者の総称じゃ。本来は、人間を基準として、それよりも優れている者という意味じゃったのだが、時が流れて人間の見地から見るようになってからというもの、事実が悪い方へ歪められて、人間をたぶらかす悪者、恐ろしい者、得体のしれない者を言う例えとなったのじゃ。

 魔物には幾つもの系統があってのう。大きく分けて、人間から進化した者、その他の動物から進化した者、植物から進化した者、スライムから進化した者、神の体の一部が変異した者、自然の物質が変異した者、異世界から来た者、動植物の魂が変異した者がある。これからわし等が相手にしようとしておるのはスライムが進化した者達じゃ」


「それじゃあ、僕が山の神様から教えられたその魔物はどんな姿をしているんですか?」


「皮膚の色はアクアブルーと異なるが、普段はこの世で最も普通に見られる人間そっくりな姿をして暮しておる。また稀には別の種族の魔物の姿をする者もおる。そして人間やその他種族の身体を乗っ取ると、外見からではほとんど見分けがつかぬようになることができるのじゃ」


「それじゃあ身体を乗っ取った魔物と人間とをどのようにして見分けるんです?」


「そ奴等の体内にはスライムと同様に臓器も骨も存在せぬ。中にはどろどろとした溶液が詰まっておるだけじゃ。更に心臓の代わりをする鉱石の核が一つか二つあるのみじゃ。おまけにスライムと同様に自己再生能力も持ち併せておる。だから切れば分かる。あとは心臓がないから鼓動が聞こえぬ、脈もない。但し、高等な者になると心臓音や脈拍は簡単に偽造できてしまうので当てにはならぬがな。

 また、過酷な環境に強く、何も飲み食いせずとも何百日も平気で生きられる特徴を持っておるな。他にも体内が溶液で満たされておる関係で、同じ体格の人間と比べて体重が倍くらい重く、水には浮かない。だが水中に沈んでも溺れ死ぬこともなく平気でおるから、たちが悪い。

 だが死ぬとスライムと同様にあっという間に腐敗が進んで、見ている間にわずかな粘液を残して消えてしまうのじゃ。まあ言うなれば、生きているときは頑丈で、死んだら脆いということだ」


「それじゃあ外見からは分からないということなのですか?」


「あゝ、そうじゃ。その通りじゃ。普通は区別はつかぬな。だが安心せい。医療現場で体の内部を観察する目的で使っている投影石を用いれば比較的簡単に見分けることができる。ただし、投影石が掘り尽くされておらなければの話じゃが。

 それに、わし等の目は誤魔化すことはできぬ。わし等は全ての魔物の種族の偽装を見分けることができるのだ。

 剣の精霊サルファードは刃に映る影から。盾の精霊セリーネは表面に伝わる大気の息吹から。そして、わしアクワテスは触れることによる感触から常に真実を見わけることができる。相手がどのように偽装しようが簡単に区別がつく。

 更に付け加えるなら、人間の心とて同じじゃ。よこしまな者かそうでないか、貪欲な者かそうでないか、信じるに足りる者かそうでないか、わし等は手に取るように分かる。ついでに言っておくが、勇者とは仮に周りからちらほやされることはあっても、所詮は孤独な運命を背負う存在とな。周りの気持ちが見えてしまうのだからのう。どうしようが抗えぬことなのだ」


「あのう、相手は魔法が使えるんですか?」


「もちろんだ。人間ほど多彩ではないが、より本格的で強力なものを使ってくるな」


「あゝそうですか。実は山の神さまから、勇者の仲間の子孫を捜し出し、事情を説明して手伝って貰えと言われたんですけど、やはり捜した方が宜しいでしょうか?」


「あゝ、わしもミウサスと同意見だ。もし前の勇者の仲間の家系が千年経った今も続いておって、その意思を継いだ子孫がいるのなら、あれほど心強いものはなかろうと思う。今はどうだか知らぬが、あのときの彼等の実力は、前の勇者と比べてもそん色はなかった。同等かそれ以上であったからのう。まるで勇者が何人もいるようじゃった。ただし、残念ながら持久力はそうでなかったが。

 何しろ、前の勇者には、わし等三名の加護が付いておったのに対して、相手側の加護の人数は一人から二人だったのだからな。これだけはどうにもならぬことよ」


「そのことに付いて一つ訊いても良いですか?」


「何だ!」


「前の勇者には子孫がいないんですか? そのことを山の神様はひと言も言ってませんでした」


「あゝ、そのことかい。いないな。勇者ナイズの血筋は千年前に途絶えた筈じゃ。なぜかというと、ナイズと結ばれナイズより先に逝った正騎士アデルネート、聖女アンドリッタ、名もなき娘イルネ、シーナ、ミアヘルミナ。ナイズの最期をみとった魔導師コーニャ並びに魔法騎士シャロンは共に子供が授かれない身体であったのじゃからな」


「そうですか。ところで山の神様はどうして僕達人間に魔王を倒すことを頼んできたのでしょうか? 人間よりももっと強い種族に頼めば良かったんじゃないのでしょうか?」


「それはもっともな話だ。ま、わしが考えるに、頼み辛かったのではないかと考えておる。他の種族はスライム型魔物に比べて余りにも数が少ない。唯一匹敵するは人間ぐらいなものだ。もし依頼した種族がこの世から撲滅してしまったときのことを考えて、依頼できなかったのだろうな。そこへ加えて相手の目が人間達の方へ向いておることも一因であろうな」


「ついでにお聞きしたいんですが、なぜ僕みたいな何の教養も素質もない貧乏人が、そんな大役を命を懸けてやらないといけないんです。ほかにも適した人達がいるのに。例えば、教養があって毎日のように戦いの訓練に励んでいる身分の高い人達とか……」


「それは素養に拠っておるからだ。恵まれた環境の中で育った者は、得てして自分より下位の心は分からぬ、分かっても分かろうとしない、若しくは限界に突き当たって何もできずに終わるのが常だからじゃ。

 これからわし達が相手をしようとしている魔物達は一枚岩では無かろうと思う。中には争いを好まず、平和に暮したい者も少なからずいる筈じゃ。

 だが、そのような輩に任したのでは、争いを好まぬ魔物達まで一緒くたにして殺りくを行うのは必定。そうなれば、簡単に収まるものも収まらなってしまう。事態は長引き収拾が付かなくなり、やがてはどちらか一方が残るまで殺りくが繰り返されるとも限らぬ。

 その点、それ以上の下がない環境で育った者の中には、例え相手が敵の魔物であろうとも、どのようなしがらみもものとはせずに情けをかける慈悲深さが少しぐらいはあろうかと賭して、そのように割り当てたのでないかと、わしは見ておる。その良い例が、千年前の勇者ナイズとその仲間達だ。

 ナイズは、元をただせば富裕層や高貴な身分の家の出などではない。貧困層の出だ。元々孤児で、家々の壁を造る石工職人の両親と兄が無実の罪を着せられて処刑された暗い過去を持っていた。それが縁があって勇者に選ばれたのだ。

 他の仲間の者達も同類だ。

 千の傷を持つ不死身の化け物と魔物達に恐れられたナイズの親友で片腕でもあったオートスは、異国から連れてこられた女奴隷が、魔物の元にいけにえに出されて生まれた子だった。

 他にも、酒と賭け事が好きでいつも家が借金で火の車であったろくでなしの織物職人夫婦の娘、悪徳商人がむりやりに妾にした女に産ませた子、貧乏農家の十人兄弟の末っ子、市場で野菜を売る手伝いをして生計を立てていた移民の息子、親が娼婦でもう片親が魔物の娘とさまざまだった。彼等を陰から助けた聖女もしかり。占いをしたり楽器を演奏したり泣き女の仕事をしてその日その日を生きていた盲目の女乞食の連れ子だった。

 生まれた時点で人生が決まる世にあって、運命は平等でなくてはならないと天がそのような選択に至ったのだと思うが、全員がそのような境遇にあっても真っ直ぐな心で人生をあきらめずに生きたからこそ運の巡り合わせが彼等を選び、やがて世に名を残すこととなったのだ」


「ふーん。この先、僕は魔物に出会えますか?」


「大丈夫だ。お前が心配することではない。勇者は世を正すことが宿命付けられている。拠って行くところ、必ずといっていいほど悪党や魔物に出くわす。それを何とかしない限りは先に進めぬようになっておる」


「そうなんですか」


 それ以外にもギンドは、「僕に勇者の役割が務まりますか?」とか「前の勇者ナイズは魔法が使えたのですか?」とか「なぜどの国も戦争ばかりしているんですか?」とか「剣術なんて我流でも良いのですか?」とか「こう見えて僕は人と話すのが苦手なんです。どうすれば?」とか「僕は誰でも直ぐに信じてしまうたちなんです。これってどうにかなりませんか?」と言った風な質問を精霊の老人に繰り返した。

 すると精霊の老人は、的確な答えをその都度分かりやすく出してくれていた。


 そうこうする間に、いつの間にか陽が落ちていた。

 かくして質問を出し尽くしたギンドは、「今日はためになりました。またお願いします」と丁寧な礼を精霊に伝えると元の指輪に戻ってもらい、急いで今夜の野営をする場所を捜した。そして道そばの馬の餌となる草ぐらいしか見えない何もないところを選んだ。

 馬を横に並ばせて、一頭に積んで持ってきた革袋に入った水を同じく持ってきた木の桶に入れて順番に与え、続いて付近の草を食べさせた。その間に周辺に獣避けの臭いの素を巻いて、馬の方の準備を整えると、今度は自分の方の準備に取り掛かった。木の枝と枯草を集めてきて道端の地面に穴を掘り、その中で火を起こした。それから用意した干し肉を火であぶってかじり、同時に鍋で温めた牛乳に硬いパンを浸して食べ、最後に星を眺めながら眠った。


 次の日の早朝、ギンドは時を移さず支度を整えると、馬の手綱をとって出発した。昼も休憩せずに歩き続けた。村中での野宿何て余り気分の良いものでは無いとして、どのようなことをしても日が暮れるまでに村に入るためだった。

 地図によると、五つある村の中で二番目に大きな村らしいけれど。

 たぶん村では馬は買って貰えないだろうな。馬は人や荷物を載せて速く走れるだけで、農作業にはほとんど役に立たないからな。まあ良いさ。その代わりに鍛冶屋を捜して、鉄製の武器と道具を売れば良いんだ。

 下りになった真っ直ぐな道を行くと、色鮮やかな赤や黄色や緑や茶系の実を付けた果樹の森が一面に広がっていた。そして遠くの方にようやく人里が見えた。木造並びに石造りの建物が一ヶ所に寄り集まるように建っていた。周辺には、人が住んでいることを示すように、きれいな筋状に耕された農地が拡がっていた。


 ずっと歩き続けたことで、昼の半ばでギンドは村へと入っていた。

 村のまん中を縦断している大道を進んで行くと、村の中はひっそりと静まり返って人っ子一人見られなかった。

 そのようなもの寂しい雰囲気を漂わせていた村を通り過ぎたあたりで、ようやく鍛冶屋の建物へと辿り着いていた。

 建物は石と木を組み合わせてできた平屋で、その外観はその辺りの農家と何ら変わらなかった。が、建物の外側に金槌とトングが描かれた絵看板が出ていたのと、軒に丸太を割った薪が山のように積まれていて、更に鉄が焼ける匂いがしていたので直ぐに分かった。

 建物の筋に見えた木の柵に荷を積んだ一頭の馬がつながれていて、その傍に一人の若者がぼんやりと立っていた。

 ギンドが近付いていくと、気が付いたのか若者は不思議そうな顔でギンドの目をのぞきこんでぷいと視線を逸らした。見たところ、従者らしく、肩に大きな剣を背負っていた。馬と馬に積んでいる荷の番をしているらしかった。

 ――どうやら先客が来ているみたいだな。

 ギンドは、暇そうにしていた若者の横の柵に五頭の馬を横一列に並ばせてつなぐと、建物へ歩いていった。

 ギンドは頭に被っていた帽子をとり、一つ大きく息を吸ってから、「あのう、おられますか」と言って扉が全開に開け放たれた作業場に入ると、比較的明るい中央あたりに、特大・大・中と三種類の金床と二台の木製の作業台が整然と並び、周辺の壁や柱や棚に独特の形をしたハンマーやトングやハサミや、タガネ、やすりといった鍛冶屋の道具一式が陳列するように多数掛かっていたり並べられていた。そして一番奥の隅の方に四角い形状をした炉が築かれ、黄色い炎が豪快に上がっていた。

 

 そこには六人の男達がいた。うち三人は、頭に汗取り用のキレを巻き、長袖のチュニックの上から革製のエプロンをしてと、明らかに職人といった格好をしていて、残りの三人は洗練された姿格好からして客らしかった。尚、作業を一時休止しているのか、思いのほか静かだった。やはりな。思った通りだ。

 ギンドが一歩足を踏み入れると、その場で熱心に話し込んでいた二人を除いた四人がおやっという顔でギンドをのぞき込んできた。話し込んでいた二人も少し遅れてギンドに気が付いたのか、話をやめてギンドの方に目を向けてきた。

 そのタイミングでギンドは、先ほど話し込んでいたこの鍛冶屋の親方と思しきひげ面の中年男に向かって「あのう、鉄の道具と武器を買って貰えませんか?」と話し掛けた。

 ひげ面の男は気難しい表情で旅人の姿をするギンドの顔を一目見て、


「あんた、この辺りで見かけない顔だな」とぽつりと呟いて、「売り物はどこにある?」と言ってきた。


「馬に積んで外にあります」


「あゝ、そうかい。じゃあ見せて貰おうか」


「ええ」


 ギンドが外に向かって歩いて行くと、中年男とそこにいた三人の客までもが、なぜかぞろぞろとギンドの後ろへ付いて来た。

 かくして馬をつないだ柵の地点まで向かったギンドは、三頭の馬に積んだ荷を指し示すと、


「これなのですが」と言った。


 すると、後ろに付いて来た四人がほーうとのぞき込むと、その中で一番身なりが良かった、色白、面長の顔、高身長の、いわゆる好男子、色男と言われる若い男が「もっとはっきり見たいので一つ下ろしてくれませんか?」と丁寧な物言いで言ってきた。


「はい。それじゃあ」


 ギンドは合意すると、三頭の馬に六つに分けて積んだ荷のうち、一頭に積んだ三十本ばかりの槍をひとまとめにした荷を地面に下ろして四人の前に置いた。

 たちまち四人は行動を起こすと、腰をかがめ、荷をまとめていたロープを解いて槍を一本ずつ手にとっては熱心に査定を始めた。そして三つの山に分けていった。それが終了すると、他のものも是非見せて欲しいと希望して来た。それに対してギンドが、


「それは別に構いませんが、僕も忙しいので、見るだけならお断りします」


 そう要求を素っ気なく突きつけると、一番身なりの良い若い男の横にいた、目つきの鋭い中年男が、


「お兄さん、どこでこれらの品を手に入れたんだい? やはり戦場かい?」と訊いてきた。


「ええ、はい」


 どう応えて良いか分からずに言葉に詰まって曖昧な返事を返したギンドに、男はにやりと不敵な笑みを浮かべると、


「そうだと思ったぜ。これだけの数の槍がかたまって落ちているところは戦場しか考えられないからな」


 そう言って愛想笑いをすると続けた。


「なっ、悪いようにはしないから、他のも見せてくれないか? 俺達はシェサード領国のメイムラント地区から来た商人なんだ。中古の武器、古着、骨とう、古物を扱うコーギ商会という小さな会社を経営していてな、俺は主に品物の目利きを担当していて、隣は我が主人だ。

 ちょうど、この辺りの古道具屋や鍛冶屋やガラス工房を回って掘り出し物を捜し回っていたところで、うまい具合にあんたに巡り合ったと思っている。全部引き取るから、頼む。俺が約束する!」


 どうやら目利きのみならず交渉も任されているらしかった男に、ギンドは「そうですか。それなら」と軽く了承すると、二頭の馬に積んだ、長い剣ばかりを一まとめにしたものと、短剣や棍棒や弓や弓矢を一まとめにしたものと、甲冑や兜といった武具を一まとめにしたものと、その他の鉄製の品を一まとめにしたものを地面に下ろして要望に応えてやった。

 すると四人は再びそれらを査定し始め、今度は四つの山に仕分けしていった。

 その様子をギンドは何食わぬ顔で眺めながら、どのくらいの値段で売れるのかとの期待でドキドキする反面、盗賊を一日やったらやめられないというけれど、これがあるからなのだろうなと思うと、何か複雑な気分だった。


 小一時間ほどかけて全ての査定が終了すると、商人一行の主人らしい若い男がギンドに向かって丁寧な物言いで言ってきた。


「供の者とも相談しました結果、荷を全部引き取ることにさせて頂きます。ただしそうしましても、何分と運ぶ手段がありませんので、どうせなら馬も譲って頂けないかと思いまして」


「あゝそのことですか」本当は願ったり叶ったりの好条件であったがギンドは表情を変えずに言った。「ええ別に構いませんが、それで全部で幾らになります?」


「そうですね、馬三頭を合わせて金貨十枚と中銀貨五枚でどうでしょう?」


「そうですか」ギンドは頷くと思った。俺には馬も武器も相場は分からない。だから妥当な値段なのかそれとも安く買い叩かれているのかさっぱり分からない。こうなったら、精霊の老人から訊いたあの方法を試させて貰うとするか。

 そのような考えに至るとギンドは快く応じた。


「はい良いですよ。但しその前に、あなたが提示した金額が適正かどうか調べさせて下さい」


「と言いますと?」


「なーに、簡単なことです。僕が持っている短剣に聞くだけですから」


 途端に若主人の男は、当惑した表情を見せた。そんな男にギンドは、


「少し、お待ちを。直ぐ済みますから」


 そう言って自分の荷物が載った馬の方へ歩いていくと、荷物の中から例の盾を取り出して短剣を慎重に引き出し、剣の精霊の名をぼそぼそとささやいてバトルスーツ姿をした精霊を呼び出した。それから、精霊が自分以外に見えないことを良いことに、「今からちょっとおもしろいことに付き合って欲しいんですけれど」と、ささやいて精霊から了解を貰い、何食わぬ顔で短剣だけを持ってその足で丸太を八等分してできた薪が山と積まれた場所まで向かった。そしてそこで手頃な一つを片手に持つと、一同が立って待つ地点まで戻った。

 

「お待たせしましてすみません」

 

 ギンドが戻ると、全員の視線がギンドが持つ短剣と薪に集まった。

 その中、ギンドは彼等の前で、


「僕はだまされやすい性格なもんで、それを心配した僕の上司がこの短剣を貸してくれました。先ずこの短剣の切れ味を見て貰います」


 そう言って、短剣を使ってもう片方の手に持った薪を野菜を縦切りするように楽々と薄切りにしていった。それが終わると、剣の精霊が宙に浮かんで見ている前で、


「どうでしょう、よく切れますでしょう。あと、この短剣にはもう一つ、優れた点があります。短剣には不思議な魔法が込められておりまして、信じられないかと思いますが、嘘をついたり、誤魔化したり、言い訳したり、他人のせいにしたりすると、たちまち剣先が伸びる性質を持っています。今、それを証明したいと思います。見ていて下さい」


 と言うと、短剣の剣先を真上に向けて、「では行きます」と言い放ち、


「僕は男です」と続けた。そして少し間をおいて付け足した。


「はい、その通りです」


 しかし短剣は、何も変化が起こらなかった。


「次行きます」


 ギンドは同じように「僕は男です」と言うと、少し間を置いて「いいえ、違います」と今度は違う言葉を口にした。その途端、短剣の剣先が瞬時に一直線に伸びて長剣並みの長さに達していた。そしてもう一度「訂正します、はい、その通りです」と言うと、元の長さに戻っていた。


「どうです、面白いでしょ。これを使って適正な価格かどうか見たいと思うのですが、宜しいでしょうか?

 尚、僕が細工をしていると思われては心外ですから、何でしたら誰でも構いません、僕の代わりに短剣を持ってやってみて貰っても結構です。どうです、僕は見ていますからやってみられては?」


 ギンドはそう言うと短剣をちらつかせて言い足した。


「あゝ、そうそう。そうでした。言い忘れていました。この短剣は余りに切れるので取り扱いが大変でして。扱いをちょっとでも誤ると、指どころか腕までも無くなってしまうのです」


 そう言って、次の瞬間、わざと短剣から手を離した。果たして短剣は剣先から地面に落ちると、柄の部分だけを残して見えなくなっていた。


「こんな具合いです。扱う側も慣れるまで慎重に扱わないと大怪我をすることになります」


 ギンドは自重だけで地面にめり込んだ短剣を引き抜き手に持つと、次いで若主人の男の胸の辺りに短剣の剣先を向けた。


「なるほど……それは面白い」


 ギンドに短剣を向けられた当の男は、緊張した表情でごくりと唾を飲み込むと、ゆっくりと息を吐いて言ってきた。


「あ、そうそう、それも譲って頂けませんか?」


「すみません。この短剣は僕のものじゃなくって借りものなので返さなければならないんです」


「そうですか。それは残念です」


「では行きたいと思いますが、いきなり喉元なんかに突きつけると、万が一の場合、即死してしまいますので、最初は手の平なんかはどうでしょう。大怪我はするかも知れませんが死にはしません。では手の平をこちらに向けて、もう一度お願いします。何ならそこにおられるお供の方に僕の代わりをやって貰って構いません。どうします?」


 何も知らないからといって相手の言いなりになることは良くないと、道すがら老人の精霊に諭されたことを思い出して念入りにやったまでだったが、その効果は抜群と言って良かった。

 ギンドのその言葉に、若主人の男とその供の二人がお互いに顔を見合わせて無言のまま頷き合うと、直ぐに若主人の男が、


「ちょっと、お待ちください。正確を期すために、もう一度計算してみますので」


 とギンドに伝えて、三人で声を潜めて少しの間話し合いをした。それから間もなくして意見が一致したのか、全員が無言で首を縦に振った。そして改めて若主人の男が口を開くと言った。


「ええ、やはり計算間違いをしておりました。正確には金貨十五枚でした」


「そうですか。それじゃあ、手の平をこっちに向けて下さい。そして僕が間違いありませんねと言ったら、はい間違いありませんと言って下さい。ではどうぞ……」


 ギンドの言葉に若主人の男は、疑惑の目でギンドを見ると、恐る恐る片方の手の平をギンドの目の前に向けた。それをギンドは確認すると念を押した。


「間違いありませんね!」


「はい、間違いありません」


 その刹那、狙いすましたように剣先が若主人の男の手の平に向かって伸びていくと、あともう少しというところで止まった。

 その光景を直に目にした若主人の男は、ほっと大きな息を吐くと、さっと手を引っ込め立ち尽くした。

 同じく目にしたギンドは、自分にしか見えない剣の精霊の方にちらりと視線をやり、精霊がにこりと笑っている姿を確認すると、改めて振り向いて若主人の男の方へ声をかけた。


「ちょっと食い違いがあったみたいですが助かったみたいですね。短剣はしばらくすると元に戻るので、もう一度同じ事をやってみても良いのですが、僕が聞いていた最低価格に何とか届いていましたので、それで手を打ちます」


 ギンドはそう言うと、長く伸びた剣を何気なく上に掲げ、宙に浮いて佇んでいた剣の精霊を見ながら数を十、九、八と数えた。そしてそれがちょうどゼロになったとき、途端に剣が縮んで元の短剣に戻っていた。

 ――あゝ、どうなることかと思ったよ。もう驚かすんだから。


 それから全員が鍛冶屋の建物に場所を移すこととなっていた。小金貨十五枚は大金なので、建物内で決済した方が安全だからという理由であった。

 そこは作業場のちょうど隣に作られた、でき上がった製品を展示して販売している店舗のようなところで、壁や棚には、製品となった鋤や鍬や鎌や鋏やノコギリや山刀といった農具、馬の蹄鉄、各種備品類等が多数並べ置かれていた。

 部屋の隅に置かれていたテーブルに鍛冶屋の主人と三人の商人とギンドが仲良く腰掛けたところに、馬番をしていた若者が中に入ってくると、若主人の男に包みのようなものを手渡した。よく見るとそれは革製の財布で、かなり入っているらしく大きく膨らんでいた。

 ギンドは、なるほどと思った。大金になると持ち運ぶのは難儀だからな。特に金貨になるとずっしりと重いからな。


 若主人の男は財布を受け取ると、中を開けて金貨を一枚ずつテーブルの上に出していった。その間に、隣に座る色白でむっつりした顔つきの男が書類にペンで文字と数字を記入していった。

 やがて十五枚の金貨を二つの山に積み上げた若主人の男は、隣の男が記入した書類に目を向けて内容を確認すると、ペンを走らせてサインをした。それから紙面を書類から切り取ると、ギンドの前に差し出した。


「受け取り書です。確かめて下さい」


 そこには、日付と品目と数量と金額と男のサインが、コーギ商会という社名とともに入っていた。


「はい確かに」


 それから、そのついでとして鉄の鎖や鉄の杭や鉄のハンマーといった鉄製品を鍛冶屋の主人に買い取って貰い、更に幾らかの金を手にしたギンドは、ほくほく顔で鍛冶屋の建物を出ると、残りの二頭の馬とともに商人がやってきたというシェサード領国を目指した。あとガラン村、ラリア村、ジラ村を抜ければ、領主様が支配する国だ。


 その途中、両側に黄色い花が咲き誇る道を馬の手綱を引いて歩いていると、道端でじっとうずくまっている若い女性と、それを腰を屈めて心配そうに眺めている若者に出会った。

 ギンドが通り過ぎようとすると、若者の方から「どこへ行かれるので?」と声をかけて来た。

 ギンドが立ち止まって話を聞くと、片割れの女性が足をくじいて動けないというのだった。よくよく聞くと、二人きりでギンドがやって来た街へ向かう途中ということで。そのときの親密度、若者の女性に対する仕草や女性の恥じらいの様子などから判断して、二人は恋仲であるのは明らかだった。

 それを見るに及んで、ヴィーザルドの街に残してきたドナのことがふと思い出されたギンドは、


「それはお困りでしょう。馬に乗ることができますか?」と自ら進んで持ち掛け、「はい少し」と若者から返事を受け取ると、


「それは良かった。実はこれから馬を売りに行くところでして。それなら馬を一頭お譲りましょうか?

 あゝ、そうそう。その代わり、もし山手の方までいかれるのでしたら、市場の筋道を少しいったところに『グベルマート』という名前の、二階と三階が宿になっている比較的大きな大衆食堂があるんです。そこの店員の人に『ギンドロスは元気にやっています。もうじきシェサード領国に入るところです』と伝えて欲しいんです。

 実は僕も何年かして旅から帰ると、そこの食堂の娘と結婚する予定なんです。もし路銀に困ったらそこの隣に荷馬車の会社がありますから、そこで馬を売ると良いです。かなり儲かるはずですから」


 そう言って、いつもの調子で気前よく、タダで若者に馬をくれてやっていた。

 それから間もなくして二人に感謝されながら分かれたギンドは、最後まで売れ残った馬を引き連れると、村を越えて遂に生まれて初めて別の支配者がいる領域に足を踏み入れていた。


 その後ギンドは認識票を使い失業中の軍人ソルブという肩書で検問所を通過すると、いよいよ城壁と土塁で囲まれたシェサード領国に入ったのだったが、不思議なことに中央の都市まで続く道の周辺は、深い森が続き、そばには草木が生い茂る小高い丘があるとなっていた地図とは違い、草木一本生えていない荒野と丘と化していた。


 ――――そこから『入って間もなく馬が荷物ごと盗まれ、荷物の中に金貨と勇者の装備である盾と剣が入っていたため大騒ぎする話』『ようやく犯人を捕らえてみたものの時すでに遅く。何も戻ってこなくて途方に暮れる話』『冒険者の若い男女と知り合い、仕事紹介ギルドについて知る話』『横暴な手数料を取るくせにろくな仕事を紹介しない悪徳なギルドに紹介されて行った先が悪党の巣で、彼等の片棒を担ぐことになる話』『やがてお尋ね者となり、冒険者や賞金稼ぎから何度も命を狙われる話』『それまで見たことがなかった人以外の種族や魔物と遭遇する話』『正体を現した山の神と森の神によって命を救われる話』『逃げた先で泊まった宿屋で起こった若い女性グループとのドタバタ劇』『逃げる途中に知り合った盗賊の首領が元貴族であった話』『反領主の集団に味方して領主の軍と一戦交える話』『全く偶然に盾と剣が戻ってきて一安心する話』『領主側の将軍の娘に好意を持たれる話』『領主側の将軍が領主を裏切って部下二千名を引き連れ忠誠を誓ってくる話』『新領主の後見人の一人に選ばれる話』と本格的な騒動に巻き込まれていきながら、千年前の勇者の仲間の子孫であった五名の男女、トーマス・ダッシュリー(愛称トーマ)、アルバート・シャフトナー(愛称アル)、バローズ・フィヤット(愛称バロ)、ソフィーナ・アルバ(愛称ソフィー)、スー・レーヤ(愛称スー)や幾多の友人や協力者や国家の実力者や地方の名士との出会いを通じて、無知で野暮ったくて世間知らずであったギンドが一人前の人間として成長していき、やがては新魔王を倒すとともに、同時進行で大陸にあった国々を支配下に置くか次々と倒しては、自分が信頼できる者に任せて大陸をついに統一することになるのである。

 そして物語の最後の展開は、旅先で知り合ったり協力者であったり友人同志であったり仲間であったり相談者であったりした関係から恋仲となっていた美女百十数名と合同結婚式を盛大に挙げ、その祝いとして奴隷の身分の廃止と奴隷制度の廃止の御触れを大陸中に出して、民衆が歓喜に沸いている中でハッピーエンドで終わるようになっていた。



 話を元に戻すと、おとぎ話を再現した山車の後には、その当時の風俗を模した一団と思い思いの格好に仮装した一般参加の人々の行列が、パレードの雰囲気を楽しみながら通り過ぎていき。最後尾に、伝統的な巡礼の作法で行進する民間信仰の信奉者の集団が続いていた。


 そして山車が史跡へ到着すると、いよいよ儀式の開始となるのであるが、史跡は巨石であったり、樹齢が数千年経た巨木であったり、小さな神殿の形をとっていたり、地下の洞窟のようなところだったり、後世に造られた二人のモニュメントであったりと様々で。しかもそれらは民家の狭間や公園の隅っこや道路沿いや畑の真ん中や森の中にぽつんとあるのだった。また、いずれも周囲を柵で囲い、二人の小さな記念碑が建っていた。

 だがパトリシアにしてみれば、そのいずれもが初めて訪れるところばかりで、はっきり言ってそこがどういういわれのものかさっぱり知らなかった。だが別に何も思っていなかった。最終日まで黙々とこなすだけよと気にも留めていなかった。

 ともかくも、そのようなところへ魔除けのハーブが焚かれて、白い煙がもうもうと辺りに上がりハーブ独特の香りが立ち込めてと神秘的な演出がなされた中に、沿道に立てた燭台のろうそくに火がともされて儀式の準備が完了。あとはそこへパトリシアが、うやうやしく儀式の杖を持ったロウシュと花束を持ったコーを後ろに引き連れて史跡までの道のりをゆっくりした足取りで歩いていき、信者が持ち込んだ色とりどりの草花で飾られた史跡の前に立って申し合わせ通りの事を運び、続いて民間信仰の信者が神妙な顔でおずおずと続いて祈りの言葉を唱え、そして最後に市長を始めとする地元の名士が伝説の人物に扮した姿で続いて、信者と同様のことをするのだった。


 そのとき、アルカナ姉弟の血統の子孫が拝礼するのはやはり一種独特なのか、パトリシアが厳かに歩みを進めると、沿道の群衆が水を打ったように静まり返り、固唾を飲んで見守っていた。中には手を合わせている者もいた。

 だれもが皆、目の前で不思議な現象や奇跡を見たいと願っている以外の何者でもなかった。

 事実、パトリシアが史跡の前まで歩む過程で、パトリシアの頭上に黄金色をした亡霊のような不可思議なものが浮かんだり。史跡の前で彼女が杖を振ると、もうもうと上がるハーブの白い煙の中に小さな光球が見え隠れするように飛び交ったり、光の筋が尾を引くように横切ったりするのが目撃されていた。

 本当のところ、「あいつが祖先になりきって演じているっていうのに、実際は能力無しだなんて恥ずかしいじゃないか。ちょっとぐらいらしさを演出して花を持たせてやろうぜ」とロウシュがパトリシアに内緒でコーに提案したのを、「分かった」と同意したコーが魔術を使ってやったことだったが。


 どこの場所でも、儀式はおおよそ小一時間ほどで終わっていた。その間、行列を形作っていた老若男女がその周辺でひと時の休息を取るのだった。

 従って、当日もパレードの世話人の接待で食べ物と飲み物が配られて賑わっていた。

 ちなみにそのときは、棒状のパンの中にチーズや肉を入れて油で揚げた揚げ菓子と冷たいソフトドリンクが振舞われていた。


 しかる後、午後の八時も過ぎて、すっかり辺りが真っ暗になった頃。ようやくその日も何とか事故もなくパレードが無事終了して解散となっていた。

 そしてその日も大会の関係者が用意した車で送ってもらい、午後の九時を少し回った頃には仮住いにしている建物に辿り着いていた。

 それ以後、余り広くない部屋の真ん中に置かれた豪華な中古のソファに腰掛けると、全員がアルコールをたしなんだ。ちなみに夕食は、戻りの車中でラザニアやハンバーグといったファストフードで済ましていた。従って何の問題もなかった。

 そして酔ったついでに、今日の反省会ならぬ感想会が始まり、今日も誰も現れなかったことやパレードの話題でわいわいがやがやと盛り上がっていた。 

 その賑やかなこと、人数が二人増えたことで、パッと花が咲いたような華やかさだった。

 それからしばらく経った頃。時間にして夜の十二時を少し回った頃。明日のことを考えて、宴の後片付けをしながら就寝の準備をしていた頃。

 空きビンや出したガラスコップを片付けるのを手伝っていたロウシュが突然険しい顔をすると、その近くに置かれたシンクで洗い物をしていたホーリーに聞こえるように呟いた。


「誰か来やがったみたいだぜ。しかも四人連れだ。それに揃いも揃って昼間の仮装そっくりな格好をしているんだとよ」


 ロウシュの相棒であった三匹の魔物からの連絡が来たのだった。

 元々、人の輪の中に入るのを好まなかった魔物は外にいる機会が多く。それをロウシュが利用して、パトリシアの実家内のみならずその周辺に不審者が現れたとき、テレパシー能力で知らせて欲しいと頼んでいたのである。


「ふーん、こんな夜分にここを訪れるなんて、ただ一つの真理しかないわね」


 ホーリーが眉をひそめて呟くと続けた。


「さっそくお迎えしなくちゃあね。大事なお客様だもの」


 ちょうどそのとき、一足先に建物地下のシャワールームへシャワーを浴びに行っていたパトリシアとフロイスとコーの三人が戻ってきた。二人が後片付けをしているのを見て取ると、パトリシアがホーリーに向かって、


「ありがとう、ホーリー。そこまでしてくれる必要はないのに」


 朗らかに笑ってそう呼び掛けると、隣にいたロウシュにも、


「ロウシュ。あなたも隅に置けないわね。片付けてくれるなんて天地がひっくり返ったみたいだわ」と感謝のお礼を述べた。それに二人は、


「いや、気にしないで。ついでだからやったまでよ」「俺だってまめだってところをみて貰おうと思ってな」と返すと、「あ、そうそう」と事情を交互に告げた。


「パテイ、噂をすれば何とやらで、本当に来たみたいよ」「同じ格好をした魔法使いが四人もこっちへ来るようだぞ」


 そこへフロイスが割り込むと、ぼそっと呟いた。


「あゝ、なるほどな。やはり来たか」


「ふーん、そう」


 さっそくパトリシアは前に立つホーリーに向かって、


「それじゃあ、私は打ち合わせ通りにすれば良いのね?」と尋ねた。


「ええ、そうしてくれる」


「分かったわ」


 パトリシアが了承すると、間髪入れずに直ぐ後ろにいたコーが、打ち合わせ通りに前方の部屋の壁に向かって魔術を発動。途端に壁の部分が楕円状をした青白い光に包まれたところで、その光の輪の方向に向かってコーがゆっくりした足取りで歩いていくと、中に吸い込まれるように消えていった。

 その後へパトリシアも続いた。「それじゃあ、後のことは任せたからお願いね」と言い残して。

 何かあった場合に備えて、前もって話し合いが持たれたとき、ホーリーとフロイスの二人の提案で、最も危害が及ぶ恐れがあったパトリシアにはコーが構築する魔術結界の中に避難して貰う事に決定してそうなっていたのだった。


 コーとパトリシアの二人の姿が壁の中に消えたのを見届けると、今度はホーリーとフロイスとロウシュの三人が打ち合わせ通りに、ホーリーが玄関を正面に見る方向に、ロウシュとフロイスがその両側に腰掛けて来客を出迎える態勢をとった。それから、万が一の場合に備えて、


「さてと、もったいないけれど、酒を抜くかな」


「そうね、残念だけどそれに越したことはないわね」


「チェッ。せっかく良い気分になったっていうのによう。あゝ面白くねえ」


と、三人が三様にぼやきながら、飲んだアルコールを抜きにかかった。

 次の瞬間、三人の露出した頭や肌の部分から白い蒸気が上がり、たちまち周りがアルコール臭い匂いに包まれていた。その光景にホーリーは、


「あゝ。それにしても思った以上に酷い臭いだわ」


 顔をゆがめて感想を漏らすと、二人の痕跡を消すついでに部屋にこもった悪臭を消しにかかった。

 空気をつかむようにして空中から六角柱の形をした青い魔石を取り出してテーブル上に置くと、魔石に向かって片手をかざして魔力を込めた。

 刹那、魔石の内部が鮮やかな黄色に輝いたかと思うと、淡い黄緑色をした光が部屋全体に拡散して消えた。魔石を使って消臭と除菌と消毒を同時に行ったのだった。

 ――これで準備完了よ。

 その間にフロイスとロウシュは、打ち合わせ通りに変装用の油取り紙を使って、自らの肌の色を変えたりニセの傷やしわを作っていた。名門と言われる魔術師が直々に現れた場合に備えて、二人は話し合いを短時間で終了させるために、居心地の悪い環境を作る役割を請け負っていたのだった。

 それから少し遅れてホーリーも同じようなことをすると、いよいよ支度が出来ていた。


 しばらくの間、三人が素知らぬ顔で待っていると、建物の入口のドアを外からトントンと叩く音がして、すぐさま落ち着いた男の声が響いた。


「今晩は。どなたかいらっしゃいますでしょうか?」


「はーい」ホーリーがさらりと応じた。「こんな夜分にどなたでしょう?」


 外の男が「広い敷地内で、こちらだけ明かりが見えたものですから、誰かおられるかと思いやって参りましたが、おられて良かった」と述べると続けた。


「白魔術師教会から参りました」


「その白魔術師教会が何の御用でしょう?」


「実は至急にお尋ねしたいことができまして、やって参りました。中に入っても宜しいでしょうか?」


「断ってドアを壊されても困りますので、どうぞ遠慮せずに入って下さい」


「ではそうさせて頂きます」


 そう言うが早いか、即座に玄関のドアが開いて、表情のない顔をする四人の男達が現れた。

 それも、高位の宗教者そっくりな洗練された純白のローブに全員が身を包み、片方の手にドラムのスティックぐらいの短い杖を隠し持っていた。


「これはこれは、昼間のパレードに参加された方々かしら?」


 そこへホーリーの声が飛んだ。そう言った彼女のジョークに、一番前にいた男が「ご冗談を」と一笑に付すと、元のむっつりした顔で物静かに尋ねて来た。


「御当主様はどなたでしょうか?」


「ここにはいませんわ」ホーリーがさり気なく首を横に振ると言い返した。「明日もあることですから、もう寝に就いている筈ですわ」


「そうですか。ところであなた方は、御当主様とはどのような関係で?」


「その前に、そちらこそどちら様でしょう?」


「あゝ申し遅れました。私共は白魔術師教会から派遣されて来ました。私は西大陸方面管轄、危機管理室監査課に属しております上級監査官のヒストリー・サンデーと申します。

 そして隣は、一等監査官のレトリック・ウインドで、後ろに控えるのは係官のヒギンとゼッズです」


「そうですか」ホーリーは苦笑いをかみ殺しながら頷いた。あゝ、こんなこともあるのね。よりによって想定外の大物が来たみたい。


 白魔術師教会(別名アルバカオス)とは、その名の通り、相手を害することなしに魔術を用いて願いを叶えたり、相手から害されないように魔術で身を守ることを教義とする者達の団体の総称を言い、黒魔術師教会(別名マルフィカオス)や呪術師学協会(シャーマニスツ)と並んでその歴史は古く。これら三つの団体より遅れて生まれた全知全能教会(別名アルパンテーアス)や聖統一教会(別名ユニテラス)や新統一教会(別名ネオユニフォス)や信徒教会(別名ユニフロンティア)と共に世界中に活動拠点を持っていた。

 同じく、異能者の親睦団体として知られていたスタン連合、同盟アストラル、クロトー機構の三つの団体とは、いわゆる政治と宗教みたいな関係で、お互いに持ちつ持たれつの独立した存在として認知されていたのであった。


「私はフランソワーズ・キィルティス。ミスティーク家の関係者で当主パトリシア・ミスティークから全権を委託されたものですわ。そして両隣は同じくミスティーク家の関係者でロイドとフローラですわ」


 ホーリーはそれだけ伝えると、玄関のドアの前で立つ四人の男達へ向かって改めて訊いた。


「それで何の御用かしら?」


「実はお尋ねしたことがありまして」ヒストリー・サンデーと名乗った男が代表して応えた。


「それは長くなりそうですか? 実は私達も明日のこともあるので、反省会が終わり次第、寝に就こうかと思っていましてね」


「いや、返答によってはすぐ終わります」


「ふーん、そうですか」ホーリーはテーブルの上に片手で頬杖を突き、少しの間、思案げに小首を傾げると言った。


「それじゃあ、こちらに来てお座りください。お話を聞きましょう」


「では、お邪魔します」


 男達は足音も立てずにすみやかにやって来ると、空いたホーリーの相向かいの席へテーブルを挟んで腰を下ろした。そして身じろぎもせずにホーリーと対峙すると、中央寄りに腰掛けた先の男が、


「既にご存じのことだと思いますが?」と口を開いた。それにホーリーが、例のごとく、わざとシラを切った。


「さて、何のことでしょう?」


 しかし男は気にも留めずに背筋を伸ばして冷静に続けた。


「私共が調べたところ、あなた方は私共の教会どころかそれ以外のところにも所属しておられません。そう、言わば私共はあなた方にとって部外者と言えます。

 ですが、この世には常識というのがあります。人間社会に魔術師の存在をあからさまに知られることをしたのは非常にまずいことと言えます。

 その対応をどのようにしてつける気かについて、お考えを訊きに参ったわけです。せんえつながら私共は、場合によってはあなた方が存在する証拠を消し去ることも考えております」


「なるほどね、それを聞きにわざわざ来られたわけなのですか。私達をこの世から抹殺するとか。何と恐ろしいこと。私達をそのような目でみておられるわけなのですか。

 なるほど、世間に私達の正体を大々的に報道された件は、はからずも私達の知らないところでそうなっていたのを探知できなかった私達の落ち度に間違いありません。従って何の釈明もしませんわ。ご迷惑をかけたのなら、ここで謝罪させて頂きます。

 あなた方が聞きたがっている対策の方ですが、あらゆる手段を使ってもみ消すよりも、こうなった以上は逃げも隠れもしません、普通に否定も肯定もしないで、自然に形骸化するのを待つほかないと思っています。そう言った事情で、お祭りにも積極的に参加しているわけです」


「いや、それぐらいでは全然対策になっておりません。もっとして貰わないと!」

 

 男は語気を強めると言った。


「あ、そうですか」分かったとホーリーは軽く腕組みをすると、少しの間、宙に視線をさ迷わせた。


「そうですわねえ……そう言われましても困りましたわ……」


 そして何かを思いついたのか、やがて切れ長のエメラルドグリーンの目を男達に妖しく向けると、


「ではこういうのはどうでしょう。ミスティーク家についての情報がこれ以上漏れないように、ミスティーク家について記されたあらゆる文献資料を黒塗りするか暗号化して読めなくします。

 それと、世間がもっと気になる情報を流すことぐらいでしょうか。

 例えば、現当主の亡き母親が著名な占い師であった関係で、顧客先であった世界各国の要人や有名どころの大企業の役員や経営者から手に入れた極秘資料をマスコミに流すといったところでしょうか。

 何なら現当主の亡き父親がプロのダウザーであった関係で、たまたま知り得た世界の国々が秘密裏に建設した軍事基地や研究所の所在地とその内部の様子を撮影した映像や写真をマスコミにばらまいてはどうかと思っています。

 他にも新しいところでは、私達が某所から依頼を受けてサイバー攻撃の犯人について探っていたとき、全く偶然に手に入れました、証券取引や電子マネー決済システムの防御に関する闇の部分をマスコミに吐露しようかと考えております。

 それでもまだ物足りないというのでしたら、とっておきのものがあります。

 余り詳しいことは言えませんが、私達がある国の兵器開発の実情を調査するようにと依頼を受けて、その国の軍需品を専門に納入している民間企業の研究機関をハッキングしていたときに、たまたま仕入れた情報なのですが。その国は、従来の統治や領土占領を目的としたものではなく、そこに暮らす住民のみをこの世から根絶やしにするという新しいタイプの兵器の開発を行っているみたいなのです。

 しかもその国というのが核保有国ではないとしたらどうなるでしょう。おそらく世界中が疑心暗鬼となって、パニックになること間違いなしでしょうね」


 ホーリーのそう言った明言に、四人の男達は眉一つ動かさずに聞いていた。そうして話が終わると、


「ま、そういうことでしたら、確かにあなた方のことなど忘れて世間が大騒ぎすること間違いなしですから、有りだと思います」


 代表の男が感想を述べるとともに、隣に腰掛ける男達をちらりと見てサインを送り、きっぱり言った。


「ひとまず安心致しました。これで私共の用事も終わりのようです」


 そして、こう付け加えた。


「ところであなた方の当主の祖先筋に当たるアルカナ姉弟は、教義は違えども、私共白魔術教会と同系の魔術師と言っても差し支えないかと私共は存じております。従ってもうこれ以上は、あなた方の詮索はしません。全てあなた方にお任せします」


「はあ、そうですか」ホーリーは笑みを見せると礼を言った。「ありがとうございます」


「ところで最後に一つ訊いてもよろしいでしょうか? ちょっと気になったものですから」


「はい、何でしょうか?」


「あのう、御屋敷はレンタルに出しておられるので? それともお売りになったとか。いやぁ、こちらへ寄せて貰う前に立ち寄ったのですが、厳重に外から鍵が掛けられていて、内部は人の気配が全くしなかったものですから」


「あゝ、そのことですか」ホーリーは事もなく応えた。


「レンタルに出しているわけでも売ったわけでもありませんわ。ええと、一昨年前ぐらいに、この辺りで一番古い建築物だということで市の文化財に指定されましてね。指定されますと色々と建物の維持管理に制限がついてしまいまして、扱いが大変になったものですから、一層のこと寄贈してはということになってタダで上げちゃいましたの。そのお陰で、屋敷の敷地内で唯一時代が新しい、この元物置きだった建物だけが残りまして。今は仮住いとしてこうして利用していますの」


「はあ、なるほど。それで……」


 真実を交えた、いかにももっともらしい作り話をしたホーリーに、そのあと男達は満足そうに帰っていった。

 それから数分を待たずに再び来客があった。

 今度は「おはようございます。おられますか?」との問い掛けと共に全身黒ずくめの男達が五人でやってきた。黒魔術師教会から来たという話だった。

 先と同じようにホーリーが受け答えをすると、同じように満足して戻って行った。

 続いて、遠い昔に黒魔術師教会から分離独立した全知全能教会の関係者が五名で訪れた。ホーリーがそつなく神対応すると、誰一人として不満や反論をせずに帰っていった。


 そして次の夜も再び訪問客があった。

 昨夜来なかった、聖統一教会と、そこから分かれた新統一教会がそれぞれ五名ずつ姿を見せた。

 その他にも、二人の若い女性が、揃いのタイトな黒色のジャケットにブラウン色のショートスカート。スカートからすらりと伸びた斑柄のストッキングを履いた足には黒のブーツと洗練された奇抜なファッションで現れた。いずれも人形のように顔は小さい割に目は大きくて鼻筋がきれいに通っていた。そんな二人が言ったのには、


「魔術師を始めとして異能者向けの機関紙を発行している出版社の者です。年に四度改定される季刊年鑑に載せるインタビューをしたいのですが。よろしいでしょうか?」


 また、黒いアタッシュケースを手に持った老齢の男がやって来ると、 


「私は魔法具工房から来た者です。古い衣装や書籍や壊れたものでも構わないので魔法アイテムか何かありませんか。高価で買い取りしますが?」と言ってきた。


 更には、きちんとしたスーツ姿の男がキャリーケースを引きながら訪れると、聞いたことのない社名を出して、


「我が社は、ネット結婚サービス『ロマンス』や結婚相談所『ホネスト』や『ベスト結婚相談所』や結婚結社『フライングムーン』や異業種交流結婚相談所『サンタマリア』や出会いの情報発信基地『プラットホーム』などと協賛しております結婚相談所です。

 素晴らしい伴侶をお捜しの方へ良い結婚話を持ってまいりました。どのような結婚相手をお探しでしょうか? 何も心配いりません、安心してください。入会をしていただければ私共が懇切丁寧にお手伝いさせて頂きます」と、言葉巧みにセールストークを並べて中に入り込もうとしてきた。


 それ以外にも、普通の老人と老婆の格好をした男女が現れると、

 

「私共は古くて由緒ある魔術師の家系と伝統を守る会なる団体から来ました。旧家の者同士が協力して友好や交遊を図る目的でこの活動をやっております。それで是非アンケートに応えて頂きたいのですが」と言ってきた。


 だがしかし、これら本当の素性を名乗らない客は、ホーリーはほとんど信用していなかった。

「良い迷惑よ。どうせ誰かに頼まれてきた回し者だわ。信用調査をしにきたか、刺客として暗殺の機会をうかがいにきたかのどちらかよ」と疑ってかかると、その都度、「いいえ、間に合っていますから」と断って、中まで入らせずに玄関先で帰って貰っていた。

 それでもまだ食い下がってきた場合は、両隣に腰掛けたロウシュとフロイスの二人に合図して、「おい、地獄へ送ってやろうか」「悪いが、死にたくなかったらまた日を改めて来てくれるかな」などと殺気を込めた声で代弁させて帰って貰っていた。

 そうして、それでもダメな場合は、最後の手段を取っていた。即ち、力で解決を図っていたのだった。

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