第90話

 しばらく経ってフロイスの話が終わると、ゾーレは整髪料できれいに整えたグレーの髪に手をやり、何かを考えるように、ふうっと宙を仰いだ。

 そのときゾーレの背後に巨大なディスプレーがフロイスの目に入った。ディスプレーは十六分割されていて、そのいずれにもカラーで映像が鮮やかに映っていた。

 よく見ると、それらはダイスの自宅周辺と、この別荘の付近の景色で。フロイスはにやりと笑うと話を映像に向けた。


「ところでどうだい、監視カメラの調子は?」


「あゝ、まずまずだ」ゾーレは顔を向けずにさらりと応えた。


「そうすると、私とイクという娘が中に入って行くところをはっきり見たんだね?」


「あゝ、見せて貰った」ゾーレは何食わぬ顔で言った。「はっきりとな」


「じゃあ、例の方は上手く見られたかい? 中から顔を出してきたろう」


「あゝ」ゾーレは平然と応えた。「実物は無理だったが、画像処理を施せば何とかな」


 フロイスはにっこり笑い掛けながら、

 

「ほーう、現代科学も棄てたもんじゃないようだね。そうすると、あのうさん臭い話は、全くのでたらめでなかったということかい。てっきりお前が詐欺に遭ったと思っていたんだがね。世の中には良心的なところもあるもんだ。

 あゝ、本当に残念だったよ。もし悪徳業者だったら即刻乗り込んで行ってやって、必死に命乞いする姿を眺めながら、ざまぁないようにじっくりとなぶり殺しにしてやったのにねえ」


 そう口にすると一呼吸置いて、「ところで話があるんだが?」と切り出した。


「なんだ?」ゾーレは即座に反応すると無表情でじっとフロイスを見つめた。


「悪いがもう少しお前と代わってやれなくなったんだ。実はパティに報告することがあってな。ところが、あいつは今郷里にいるみたいなんだ。それで、会いに行かないといけなくてな。またホーリーにも頼まれ事をしていてね。それも助けてやらなくちゃならないんだ」


「相変わらずだな、お前ってやつは」


「あゝ。その代わり、手が空いたらその分お返しはさせて貰うつもりだ」


「分かった。好きにしろ。俺は別に構わんからな」


「すまないな」


「ところで、ここへ来るまでに何か食べたのか?」


「いいや、まだだ。今日はまだ何も食べてないな」


「そうか。それなら話が早い。一階のダイニングの冷蔵庫の冷凍室にホットドッグが入っている筈だ。いつもように好きなだけオーブンで温めて食べてくれ。それとビールが冷蔵庫に入っている筈だから飲んでくれたら良い。といっても飲み過ぎるなよ」


「すまないね、ゾーレ」


「あゝ」


「じゃあ頼んだよ」


 フロイスは笑みを浮かべて陽気に返すと、そこから去り一階のダイニングを目指した。

 ごくありきたりのブラウン色をしたソファセットが置かれたリビングを横切り、円型をしたダイニングテーブルとオープンキッチンの側を通り過ぎると、奥の壁際に置かれた大型の冷凍冷蔵庫へ直行。下の冷凍室からビニールパックされたホットドッグを二つ取り出すと、パックを開けてホットドッグを二つ同時に冷蔵庫の筋に置かれたオーブントースターの中へ放り込み、何も考えずにタイマーを回して出来上がるまでの間、冷蔵庫から良く冷えた黒ビールの缶を取り出して、立ったまま上機嫌でちびりちびりとやりながら、「あゝ、これだけは本当に癖になる味だぜ」などとひとり言を言って、焼き上がるのを待った。そして二、三分後、チンと鳴ったところでトースターから焼き上がったホットドッグを取り出し、大口を開けてかぶりついては、後をビールで流し込んでいた。

 そのようにして、ものの数分で簡単な食事を終えると、あゝ、そうそうと急に思い出したように照れ笑いした。


「パティの郷里に行くのに、この格好じゃあ、いくら何でもマズいだろう。着替えて行かないとね」


 大きな変わりようと言って良かった。その昔は服装に無頓着で、来る日も来る日も同じ格好をしていても平気であったが、パトリシアと知り合うようになってからというもの、彼女に徐々に躾けられた形で、今ではすっかり服装に気を遣うようになっていたのだった。


 フロイスはにやりと笑うと、ちょうど反対向きにあった、自分の荷物が置いてあるホビールームへ向かった。

 ホビールームは彼女専用の個室となっていた。ホビールームというだけあって室内は壁も天井もフロアも全てコンクリート打ちっぱなしのまま手を加えられていないシンプルな構造をしていた。また片側の一部の壁がアクセントとしてガラスブロックになっていて、加えて大きな窓があった。そのため室内は、外からの明かりのみでも日中は十分明るかった。

 また両側の壁の目立つ場所に、いずれも威力が半端でない大型の機関銃やハンドガンやナイフが、フロイス個人の趣味でずらりと陳列してあった。

 他にもフロアの真ん中辺りに大きな段ボール箱が五個ほど、その奥の方に石造りの寝床と古代の玉座を模したような姿をする石製のイスが一脚置かれていた。

 フロイスはそこにあった段ボール箱の一つを開けると、洗いざらしの生成りのシャツにカーゴパンツというラフな服装から男物のグレーのニットシャツにベージュのコットンパンツという地味な格好に着替え、何食わぬ顔で「それでは、そろそろ行くとしようか」と呟いた。

 そしてそれから間もなくして、ひっそりした広い庭へと出て、そこから一気に空へと舞い上がっていた。

 フロイスが目指したのは、国土の大半が平地と森で占められたことで古くから栄え、周囲を海に囲まれていたせいもあって、これまで一度も他国から侵略を受けたことがない国であった。

 その国の中心部から少し離れた郊外の、それほど辺境でもない片田舎に、裕福な人々が所有する豪邸や別荘が広い庭に囲まれてぽつんぽつんと建っているのが上空から見て取れた。

 昔から小動物の狩場となる自然豊かな森や水辺があったことや、ハイキングや軽い登山ができる標高数千フィートの穏やかな丘陵地が近場にあったり、海へも近い立地条件であったことで、自然な流れでそうなっていたのだが、その中にホーリーが暮らしている居宅もあった。

 平面の屋根をした建物と、ドーム型の屋根をした建物と、尖った形状の屋根をした建物と、古代神殿風の円柱の柱を持った建物が正方形を造るように建っている風変わりな姿をしていたことから、上空から直ぐに見つけるのが可能な豪邸であった。

 しかしながら、周辺に見られるスーパーリッチ層と呼ばれる大金持ちとか、名のあるアーティストやミュージシャンやタレントとか、有名なメーカーや宗教団体の役員とか、国や元王族や元貴族とかが所有する豪邸と比べると遥かに及ばず、そう目立っているわけではなかった。

 とは言え、当時有名な演劇作家が自らの理想のために金に糸目をつけずに建設しただけあって、その規模と豪華さはパトリシアの居宅を凌いでいた。一般庶民からすると、まさしく大豪邸、大邸宅と言っても過言でなかった。

 その見るからに大きくて贅を尽くした建物にホーリーはサンドラ・ヴィッセイと偽名を使い、来年あたりにジュニアの魔法スクールに入学する予定のユーリ、ユーニという名のふたりの少女と一緒に住んでいた。


 フロイスが付近までやって来たとき、乳白色かかった空はいつの間にか帳が下りて、何も見えない暗闇が拡がっていた。そこへ持ってきて小雨も降っていた。

 そのような中、唯一灯りが四角い形状に灯っているのが分かる地点を目標にして地上に降り立ったフロイスは、四方に建物が見えた中で唯一窓側に灯りが灯っていた、学校の校舎風の建物の中央へ真っ直ぐに向かった。

 四棟の建物の内、部屋数が二十以上と一番多いこの建物をホーリーはメインに使っていた。と言っても多くて六室程度しか常時使っていなかったが。

 タイル張りの階段を五段昇ったところに建物のエントランスとなっていたアーチ状をしたすりガラス製の扉が見え。フロイスは我が物顔で歩いていくと、扉を開けて中へと入り、自動的に照明が灯った通路を尚も進んだ。

 すると、公共施設の建物と比べても遜色のない、一度に百人以上がゆったりと集えるくらいの広いホールへと出た。天井灯の明かりでほんのりと照らされたホールは大理石が敷き詰められ、ちょうど中央付近に太い柱が間隔をおいてぽつんぽつんと建っている以外は何も遮るものはなく、がらんとしていた。

 その中、目に付くものと言えば、柱の傍らにアクセントとして置かれたおしゃれなミニソファぐらいなもので。

 実のところ、ソファは辺りが余りにも殺風景過ぎるからとホーリーが設置したものだった。

 フロイスは静寂に包まれたホールにコンコンと小気味よく靴音を響かせながら、左方向に進路を取って歩いていった。

 するとホールの突き当りに木製のドアが三ヶ所見え。フロイスはそのうちの一つのドアの前に立つと、トントンとドアを軽くノックして、無言でドアを開けた。

 そして、中へ一歩足を踏み入れると、レンガの壁に暖炉、レトロな木製の収納棚、中央には木製の安っぽい古いテーブルと同じく背もたれのないベンチ、その傍にアンティークのロッキングチェアが置かれてと、まるで二百年以上前のリビングにいるような不思議な感覚に襲われる凝った世界がそれほど広くない空間に拡がっていた。

 それもそのはずで。この建物を設計した人物が演劇作家という職業柄、中世の一般家庭のリビングを再現して造ったということで、この建物に幾つも造られたその一つだった。それをホーリーはそのままの状態で使っていたのだった。

 そのときホーリーはというと、ちょうど彼女は中央のベンチに腰掛けて、前のテーブル上に並んでいたテレビモニターとキーボードと携帯と書類のうち、書類を天井からぶら下がったアンティークなペンダントランプの下で眺めている最中だった。

 フロイスが入って来た途端、ホーリーはゆっくり書類から顔を上げて、穏やかな表情でフロイスを頭のてっぺんから足のつま先までのぞき込んでくると、にこやかに笑って「少しオシャレして来たみたいね」とあいさつ代わりに言ってきた。


「まあね。仕事じゃないのでね。これくらいはしなくちゃね」


 フロイスは愛想良くそう返しながらホーリーの元へ歩み寄ると、不思議そうに尋ねた。


「それは何だい?」


「あゝ、これのこと」ホーリーは薄ら笑いを浮かべると、落ち着き払って事もなげに応えた。


「事業を任している担当者の報告書を見ていたの」


 事業とは、ホーリーがこの豪邸を手に入れてから少し経って始めた副業のことだった。

 人任せにしながらであったが、彼女は虫除け用として忌避剤が入ったアロマクリームとアロマオイル、殺虫用として殺虫成分が入ったキャンドルとリキッド製品をインターネットで販売していたのだった。

 その経緯は、彼女が手に入れた中古の豪邸に住み始めて最初にとりかかった、建物の状態を調査したことが発端となっていた。

 その結果はごく当たり前のことであったが、数十年間に渡ってろくにメンテナンスをせずに放置されて来たせいで、至る所に問題点があるのが分かった。

 しかし、何から何まで人任せにすることを好まないたちで、余りお金を掛けたくなかったホーリーは、出来る範囲内で自分たちでできるところはやろうと決め、即刻一番目に付いたところから取り掛かった。その主な内容は、各部屋の掃除、ペンキ塗り、使いものにならないとか不要と思われる設備や備品の撤去、伸び放題になっていた庭の生垣や雑草の処理などで。

 そして、外壁修理だとか窓や扉のメンテナンス、雨漏り修理、水回り関係、電気配線工事、内装リフォームとかいった、作業に専門知識がいるものはどうにもならないとして、外部から業者を呼んでやって貰っていた。

 そうしていく過程で、当然のことであったが、使いどころのない余分な施設や空間が幾つも見つかっていた。

 そのようなところを遊ばせておくのはもったいない。それに建物は使わないで放置すると老朽化が速く進むというからとホーリーはちょっとした思い付きで、そこで副業ができないかと一計を案じた。

 先ず職種であったが、農場経営が順調なサイレレを参考にして、自分も同じことをやってみようとすんなり決まっていた。

 次いで何を栽培するかであったが、飼料や肥料に魔性植物の残がいや魔石が入り混ざった土を使って動植物を育て上げ、特別な人々向けに出荷しているサイレレのマネは残念ながらノウハウが無いから直ぐにできるものではないと、一般の人々向けに出荷する品を模索。

 比較的栽培が容易なうえに短期で大量にできて、市場にそれ程出回っていなくて、価格がある程度見込めること。そのような都合の良い動植物は何か見当たらないかしらと一日二日と考え続けた。


 そうやって思い付いた高級キノコの栽培は、これまでに数々の毒キノコを実験的に栽培した経験から、栽培は可能で単価だけを見れば十分満足できるものであった。だが、栽培に時間がかかるのと、一度にそれほど多く収穫できないことが難点だった。そうしてトリュフ、ポルチーニの人工栽培が先ず消えていった。

 高級な野菜や果実については、これまで作った経験がない。また高級な動物を飼育繁殖させるのは、これまで生き物を繁殖させた経験がない上に、放置して死なれては元も子もないからと断念。

 鎮痛剤や花粉症の薬や自然治癒力をアップする薬は、自然毒と薬用植物に関する知識なら一日の長がある魔術師ならいとも簡単に作れたが、個人が販売するには色々と手続きが面倒で難しい。仮にクリアできたとしても、その場合は限定的な販売経路しかない。

 あとエナジードリンク剤も作れることは作れたが、日常的に数々の業種から発売されているから競争が激しい上に、後発者が成功するのはほとんど見込めないとしてこれも断念。

 貧者をお得意先とする麻薬の栽培は、一攫千金を狙う誰もが考えることで余りにも安直すぎる。例え栽培したところでその後の販売ルートに難がある上に競争が激し過ぎる。これも後発者が勝てるとは思えない。それに、ちょっとした金儲けのために魂を売るような真似は心情にそぐわないからと一蹴。

 あれこれ考えていくうちに、最後に残ったのは、夜ごと外灯の周りに集まる羽虫の多いことにヒントを得て思い付いた虫除けの製品を開発して販売して見てはどうかということだった。

 後日、市場調査をして見ると、思い描いた製品と同じ原材料を使った防虫剤や殺虫剤は市場に出回っていなかったことが判明。そこへ加えて、効果に付いては十分自信があったため、これはビジネスになるかも知れないと、即座に実行に移していた。

 そして、まず手始めとして、豪邸に付いて来た二百四十エーカーの広い土地を同じように付いて来たトラクターを使い整備。同時進行で農場の建物も人が住めるように改装して、無料の求人サイトに、


『片田舎なので住み込みで働ける夫婦に限る。三組募集。無料住宅完備。給与は固定給プラス歩合制。休日は各自に一任。職種は軽作業。内容は各種ハーブ、薬用植物の栽培加工と製品化、出荷業務』と募集広告を載せた。

 本来の仕事に故障が出てはいけないと、初めから副業には直接かかわらないと決めていたからそうした(人任せにした)のだった。

 そして三組募集としたのは、地味な仕事だけに、どうせ六十歳以上の老齢の夫婦しか応募してこないだろうと想定して決めた人数であった。

 ところがどうしたことか、二十代後半から三十前半の若い夫婦が募集に応じて来たのだった。いずれも都会からの応募で、一人がトラックドライバーから、もう一人は経理事務所から、最後の一人は営業職からの転身だった。そこに加えて相方はそれぞれ元看護師、元会計事務員、元webデザイナーということだった。

 予想外のことにホーリーは、うれしかゆしといったところで、


「私は縁あってこの自宅と広大な農地を手に入れることになったのですけれど、これだけのものを私と娘ふたりで維持していくのは大変でしてね。それで手に入れた建物の空いているスペースと土地を有効利用して少しでも生活の足しにしようと色々考えた挙句、私が長年学んだ薬用植物に関する知識を何とかして生かして事業をしてみようかと思いまして。それで求人募集をしましたの。

 そういうわけで、事業はスタートしたばかりで、まだ何もかも白紙です。決まっておりません。

 唯一決まっておるのは、これから製造しようとしている製品がハーブと薬用植物を組み合わせた防虫剤と殺虫剤というだけで、両方とも私の頭の中にレシピが入っております。

 これから原料となる植物の栽培から始まって原料の収穫加工、製品サンプル製造、効果のテスト、それが済んだら製品のデザインや販売方法や販売ルートとかの戦略を立てて量産化を図って行く所存です。

 気が遠くなるような話ですが、全てあなた方にやって貰おうかと思っております。それでも良かったら明日にでも引っ越して来てください」と彼等の了解を取った。

 すると彼等は、面接場所に充てられた豪邸と広い土地を見せられて、かなりな資産を持った人物とホーリーをみなしていたためか即座に応じて同意した。

 それを見てホーリーは即刻全員を雇用していた。

 ちなみに彼等は夫婦揃って共働きであったにもかかわらず、ふたりとも前職を辞してわざわざ片田舎にやって来るだけあって情熱にあふれ、しかも行動力に富み、若いというだけあって発想も柔軟で、思い付いたことを次々とホーリーに進言して来た。

 その要求に、経営に関してズブの素人だったホーリーはその都度彼等の意見を尊重して実現していった。そのことが後になって裏目と出るとは知らずに。

 やがて二年半が過ぎ、製品がインターネットを通じて市場に出て認知度も何とかされて売り上げも上がって来た頃、ホーリーが全てを任せきりにしたせいで、事業主になったかのように全てを取り仕切るようになっていた彼等は事業の将来を見据えて熱っぽく語り設備の増強や人員の増員をする許可を求めて来た。

 そのときホーリーは、彼等に懐具合を探られたくない意味合いもあって、気前よく最新の機械設備を導入したり、人員を増やしたりしてやっていた。そのことが、それまで蓄えていた資金が枯渇することとなるとは知る由もなく。

 果たして過剰な投資をしたことが仇となり、やがてお金に困ったホーリーは、同じく借金をしにきたロウシュと共にゾーレの元に金策に行く羽目となっていた。そして今に至っているというわけであった。

 

「ふーん。それで上手くいっているのかい?」


「まあね。追加投資がかなりかかったから、今のところはトントンか、ややマイナスだけど、このまま順調に行って、あと半年もすればプラスになるはずよ」


「あゝ、そうかい」フロイスは頷くと言った。「それにしてもプロの魔術師のお前が副業を持つ時代になるとはね。おかしな時代になったものだね」


「あらっ、そうかしら」


「ふん、よく言うよ」フロイスは一旦ホーリーから顔を背けると「ところであの二人は?」とユーリとユーニのことを尋ねた。


「あゝ、あの二人だったら上の階でいるわ。自分たちの仕事をこなしているわ」


 ホーリーは涼しい顔で応えた。


「来年度から学校の寮生活が始まるから、その下準備よ。何でも一人でできるように教え込んでいるの。

 私が留守の間は、学校生活のシミュレーションをする意味で、スケジュール通りに起床することから始まって部屋の掃除、洗濯、食事の準備、食事、その後の片付け、その合間に毎日日課にさせている作業と規則通りにやって貰っているの。 

 あの子達、初等科の教育を受けさせていないからその分ハンデがあるでしょ。それにいくらパティーのミスティーク家の推薦があるとはいえ所詮は一般庶民の出だから、もしや向こうで態度が悪いと意地悪をされたり、いじめられないかと思ってね。

 それに伝統校と言えば、どこの初等科を出たかによって学閥があって、それ以外の出身校や初等科をパスしている子は、どうしても下に見られるきらいがあるというしね。

 私ができるとしたら、それとあとは魔術の実力をつけさせるぐらいなものだからね。

 今頃は私が師から受け継いだ記録版を謄写して紙の本にする作業をしているわ。あれをやることで少しでも魔術の知識のすそ野が拡がれば、将来あの子たちのためになるかと思ってやらせているわけなんだけれど」


「ふーん」フロイスはにっこり笑ってこっくりと頷くと言った。「お前も色々と大変だな」


「ええ、まあね」


「それじゃあ、そろそろ行くとしようか!」


「ええ、そうしましょうか」


 ホーリーは屈託のない笑みを返すと監視カメラの映像が流れていたモニターの画面を閉じて、ベンチから立ち上がった。

 コットンのキャスケット帽を手に持ち、白のTシャツにジーンズ、足元は黒のパンプスとカジュアルな軽装で、艶やかな唇には淡いピンクのルージュが引かれてあったりと、あたかも日帰りツアーに行くといった感じにきちんと支度を整えていた。


 それから間もなくして、二人はパトリシアの郷里まで一目散に向かった。

 そうして小一時間もしない内に、周辺全体に無数の白い十字架が突き刺さっている、真夜中の小高い丘の頂上へ到着していた。

 そこは丘全体が霊園となっており、ありとあらゆるところに大小無数の十字架と墓標と墓碑が建ち並んでいた。

 そして当然のことのようにシーンと静まり返り、ドライフラワーの香りを含んだ気持ちのいい夜風が吹いていた。

 そこに加えて、その夜はひと際大きな丸い月が出て、眩く輝く星が空一杯に広がっていた。

 そのような壮大な星空のパノラマに感動したのか、空を見上げてフロイスは呆然と立ち尽くした。そうして感慨深そうに呟いた。


「今夜は月が出て最高だ。空気が澄んで何ときれいなんだろう。あゝ、たまらない。いつまでも見ていたい気分だ」


「そうね」


 突然柄にもないロマンチックな言葉を吐いたフロイスに、ホーリーは不思議に思いながらも合わせた。

 フロイスったらどうなってしまったのかしら? ホーリーは何が何だかさっぱり訳が分からなかった。思わず首を傾げた。

 そんなホーリーにフロイスは更に訳の分からない言葉を呟いた。


「ほんと、きれいだな。心を持っていかれるようだ。何も考えられなくなる」


 そしてうんうんと頷きながら尚も夢中に眺め続けた。仕方がないわねと、ぼやきながらもホーリーも付き合った。――ほんと、久しぶりに見る月だわ。向こうではこんなきれいな月の夜は望めそうにないものねえ。

 いつの間にかホーリーも素晴らしい月夜を楽しんでいた。

 それからしばらくの間、二人は見晴らしの良い丘の上から満天の星々の夜景にみとれた。柔らかい月の明かりに照らされて、その後ろ姿は身長差から見てカップルのように見えなくもなかった。

 ところが五分経とうが十分経とうが、いつまでもうっとりするような眼差しを向け続けるフロイスに、そこで初めてホーリーは、嗚呼そうだった、分かったわと心の中で頷いた。彼女ったら、星を見る変わった趣味があったんだわ。

 何でも生まれてから長く地底人みたいな生活をして来たので、地上で星空を一目見たとき酷く感動してそれ以来虜になったということみたいだけど。

 ホーリーはこのまま付き合ってはらちが明かないと空から視線を下に向けた。

 すると眼下に、一筋の黄色っぽい明かりが伸びている光景がふと目に止まった。

 ――市街地の辺りかしら。普段はひっそりしていて明かりなんてほとんどないのに。やっぱり例のフェスティバル効果かしら。

 それから周辺を一べつすると、霊園内での犯罪を防止する意味合いで園の要所要所に設置された外灯の明かりをわざわざ避けるかのように、遠く離れた道端とか駐車場の隅にぽつんぽつんと車が何台もライトを消して止まっていた。こんな辺ぴな場所に車を止めておくとは考えづらいところから明らかに人が乗って来たに違いなく思え。

 夜中に人気のない墓場へ車を乗りつけること自体異常なことなのに、それでもわざわざやって来るとすれば、若いカップルがデートしているか、不倫のカップルが密会しているか、それともそういった者達の行為をこっそりのぞいて悦に入る変態野郎か、または不良共が群れて悪ふざけをしに来たか、或いは武器や麻薬の売買といった公に出来ない闇取り引きをしている輩とか相場が決まっていたから、たぶんそんなところだろうと見ていた。

 ホーリーはため息を一つ付くと切り出した。


「ねえフロイス。そろそろ行きましょうか!」


 ひっそりと静まり返った中にホーリーの澄んだ声が響いた。


「私達は星を見るためにやって来たんじゃないでしょ!」


 更に、わざと冷たい口調で「ねえ、聞いているの?」と念を押したホーリーに、フロイスはようやく気が付いたのか空から目を逸らすと苦笑した。


「あゝ、すまない。分かったよ」


 大人しく従って、やっとのことで重い腰を上げたフロイスに、ホーリーは何食わぬ顔でさっさと歩き出すと、後ろを振り返ることなしに言い放った。


「分かってると思うけれど、いつものように行きましょう」


「あゝ」ホーリーの直ぐ後へ続きながらフロイスは静かに応じた。


 二人は連れ立って、大小の岩の塊が至る所に見え、更に草木や十字架等遮るものが何もない急な崖のようになっている地点まで歩いていくと、ごく当たり前のように人の気配がないことをにこやかに笑いながら確認。下に見えた手ごろな着地場所へ向かって先にホーリーが、その後へフロイスが続いてそこから跳び下りた。

 そのようにして、通常なら千フィート(約300メートル)ほどの標高があった丘を下ってふもとまで下りるのに、車を使っておよそ半時間は十分かかるところを、数回に分けて下ることで、あっという間に直下の道路まで下りていた。

 道路は見通しの良い直線道路で、街灯が点々と灯り、白い光を明るく投げかけていた。そして両側は畑になっていて、背の低い庭木のような植物がずらりと植え付けられて葉を伸ばしていた。その中には青や赤い実がなっているのも見られた。

 またその周辺には、樹齢数百年を経たと思われるオリーブ、オーク、コルクガシといった大木が黒々とした葉を広げていた。


「どうだい、このまま人通りが多いところまで行ってみようか?」


「そうね、それもありかもね。でも行き違いになっても困るしね」


「そうだな。じゃあどうする?」


「そうね、ここは一先ず彼女の実家に立ち寄ってはどう? どうせ戻るところはあそこしか考えられないし。それに、フェスティバルは明日も明後日も続くはずなんだから、そう慌てることはないわ」


「それもそうだな。こちらからわざわざ出向くことはないな」


「本当にあの子ったらそそっかしいんだから。携帯を自宅に忘れていくなんてね。これじゃあ連絡したくても、どうにもならないわ。ま、ロウシュとコーがいるからなんとかなりそうだけど」


「そうだな。あいつ等のことだ、合流しているだろうからな」


「まあ、遅かれ早かれ何とかなるわ」


「あゝ」


 そのような内輪話をしながら、二人が人気のない夜道を歩いて行くと、道端に行き先を示す道路標識がさり気なく現れた。行き先を文字と矢印で表示してあり。一方は霊園行き、もう一方は市街地区となっていた。二人は市街地区の方角へ向かっていた。

 それから間もなくして人家がぱらぱらと見えて来た。どの家にも広い駐車場が見え、車が二台からその倍の四台止められていた。

 そして再び人家が途絶えた辺りで、そこに現れた左に折れる道を選ぶと歩いて行った。道はなだらかな坂になっており、折れ曲がりながら続いていた。そこを過ぎたあたりで、漆喰とレンガからできた高い塀が道端に沿って真っ直ぐに伸びる光景が目の前に現れた。パトリシアの実家の建物は、その塀の内側の広い敷地の中に建つ三角屋根の建築物がそうだった。

 昔、この辺りを治めていた彼女の先祖が千四百五十年から千五百年前頃に築いた建築物で、屋根裏部屋を含めると地上三階、地下一階からなり、晩さん会や室内ゲームなどを催していた小ホールと来賓室を有し、普段は当主とその家族が暮らす母屋と、一度に二、三百名ぐらいがゆったりと入れ、普段はパーティや儀式などを催していた大ホールと家臣達が待機していた部屋を有する離れと、従者と使用人が暮していた別宅と、主に馬を他には犬やロバや伝書バトといった家畜も飼っていた馬屋と、主に休憩用と物置きに使っていた納屋からなっていた。

 しかしながら、約七年前、原因不明の失火が起こり、母屋と納屋を除く全てが焼けて消失してしまっていた。

 そのうちの残った母屋は、燃えた離れと接していたため、飛び火や消火の際の放水で室内や家財が燃えたり水浸しになったりで、五分の一ぐらいが住める状態で無くなって、雨漏り対策と泥棒対策だけ施してそのまま放置してあった。

 その代わり、納屋は主な建屋とかなり離れた場所に建っていたおかげで無傷で、パトリシアが里帰りして実家に戻ったときはいつも定宿となっていた。

 二人が邸宅の表門にあたる場所まで来てみると、以前の出入口であった重厚で古めかしい鉄製の門が固く施錠されていて、その隣の普段は車両の出入り口となっていた場所に、全自動開閉式で、監視カメラが周辺に複数付いた近代的な門が新しくできていた。

 当然ながら二人は、新しい門の前で立ち止まると、揃って首を傾げた。


「変ねぇ」


「あゝ、変だ。あのような門はなかったはずなんだが。いつの間にこうなったのだろうね」


「ええ、私も知らないわ。不思議ねぇ」


 よくよく見ると、門の前に立てられた看板が、その付近に設置された外灯の明かりに照らされて浮かび上がって見え。『今日の見学は終了しました』とそこに記されてあった。

 途端にそれを見た二人は何かを連想したのか顔を見合わせると、思わず爆笑した。


「パティったら隅に置けないわね。ちゃっかりお金儲けしているわ」「利用できるものは何でも利用するということか」

 

 そのような感想が漏れていた。詰まるところ、時代物の古い建物とその内部を公開して見学料を取るビジネスでもしているのかと思い描いていたのだった。


「行ってみようか。行けば分かるさ」


「そうね」


 その場で二人は簡単なやり取りをすると、再び歩き出した。そうして二つの門を通り過ぎ、高い塀のところにやって来ると、いつもやっているように一瞬にして塀を跳び越えて中に入っていた。

 すると、新しくできた門の背後にプレハブハウスが、ハウスから約五十フィートほど離れた地点にコンクリート打ちっぱなしの頑丈そうな二階建ての建物が建っているのが見えた。

 いずれもやはりというべきか内部は真っ暗で人影はなかった。

 二人はプレハブハウスは見覚えはなかったが、コンクリの塊と化していたもう一つの建物は知っていた。かつてズ―ドが自警団の若い衆とシンとで暮していた建物だった。後からパトリシアから聞いた話では、シンの一件があってから以降、全員がそこから立ち退いて、市内のとあるマンションに引っ越したということだった。

 静寂に包まれた広い敷地内にはオリーブ等の大木が幾本もそびえ、その付近に以前になかった巨大なキノコをかたどったコンクリ製のオブジェが設置されてあるのが見え、その近くにベンチもあった。それらが地面に埋め込まれた照明によってライトアップされていた。 

 そして、その奥に薄レンガ色をした大きな建物が、建物側面に設置された複数のポールライトに照らされて堂々と建っていた。唯一焼け残った母屋だった。


「なんだこれは? 公園になったみたいだな」


「そうみたいね。まあ、ちょっと不思議な光景ね」


「まあ、私等にとってはどうだっていいけれどね。全てパティがやることだからね」


 それ以後二人は塀に沿いながら脇目もふらずに歩いていくと、敷地の端の方角に目隠し用のフェンスに囲まれるようにして、三角屋根をした窓のついていないやや細長い建物が柔らかい月の明かりに照らされてぽつんと建っているのが見えた。二人が目指していた、かつて納屋として使っていた建屋だった。

 小さな明り取り窓がついた白壁が輝きを放っていた玄関口に二人がやって来ると、さっそくホーリーが「戻っているかしら」と一言呟いて、試しに両開き式のドアに手をかけた。やはりというか施錠されていて開かなかった。

 それならばと二人は建屋の背後に回った。そこには、物置きに使っていた納屋を住めるように改造したときに一緒に作った秘密の出入口があった。

 秘密の出入り口というだけあって扉にはドアノブも取っ手も付いておらず、通常の押したり引いたりスライドさせる方法で開かない仕組みになっていた。それを知っていた二人は、扉を下から上に持ち上げる形で建屋の中へとすんなりと足を踏み入れていた。

 すると薄暗い中にうっすらと覚えのある香水の甘い香りがしていた。パトリシアがここに来た動かぬ証拠と言えた。

 更に壁側に付いていた照明用のタッチパネルが蛍光色に輝いていたことがその確信に変わっていた。――この建屋を長く使わないときはいつもオフになっている電源ブレーカーがオンになっているということはパトリシアがこの建物で寝泊まりしている証拠だ。

 果たしてタッチパネルに触れると、天井のシーリングライトがパッと白く輝き、たちまち部屋の中が明るくなった。それとともに内部の様子が手に取るように良く分かった。

 がらんとしたワンルームの中央にネットオークションで安く買ったという、中古品ながらその部屋にはどう見ても不釣り合いな高級感あふれるレザー張りのソファセットが、その続きに同じようにして買った高品質のダイニングテーブルセットとオープンキッチンが見え。それ以外にもIHコンロ、オーブンレンジ、冷蔵庫、洗濯機、エアコンなど生活するのに必要な電化製品は一通り揃っていた。また一方の壁側に家具類がバランス良く配置されていた。そのような中、ダイニングテーブルの上にはメイクポーチが無造作に放置されてあったり、衣類を収納するチェストの隣に大型のキャリーバッグが置かれてあったり、ハンガーラックに衣服が普通に掛かっていたり、吹き抜け天井になった屋根裏に作られたロフトにマットレスが出したままになっていたりと、滞在している状況証拠がはっきりと見て取れた。 


「やはり思った通りだ」


「ええ、そのようね」


 もう間違いがないと、二人はここでパトリシアが戻ってくるまでしばらく待つことに決め。

 さっそくホーリーが、普段から料理をやらないフロイスに気を利かしてキッチンまで歩いていくと、冷蔵庫を開けて中から使えそうな食材を調達。ものの十分ほどで、ベーコンのブロックを適当に切ってオーブンで焼きクレイジーソルトをかけたもの、納豆に細かく切ったパプリカを混ぜたもの、薄切りにしたビーフステーキと厚切りにした野菜のナスを焼いてスパイスと万能ソースをかけたもの、冷凍イカとポテトのから揚げの四品を仕上げていた。

 その間フロイスはダイニングテーブルに気長に腰掛けて、ぼんやりとホーリーの手並みを眺めていた。そして料理ができ上がるとイスから立ち上がり、冷蔵庫からワインとビールとミネラルウオーターを取り出して運ぶついでに料理が入った皿をテーブルまで運ぶ気遣いをみせた。

 そのようにして準備ができたところで、二人は和気あいあいに酒宴を始めた。

 それから二時間ほどが経過し、軽く酔った二人がソファ席に移動して、ゆったりと身体を預けたり上に載ったり横になったりと、のんびりくつろいでいたとき、外の方で陽気に喋る男女の声が聞こえたかと思うと、表のドアが開錠されて開く金属音がして、間もなく三人の男女が目の前に現れた。

 まるで遊び人のように白のニットシャツの上からグレーのジャケットをラフに羽織ったロウシュと、清楚なホテルの受付嬢のように白いブラウスの上から紺色のジャケット、スカート姿で決めたパトリシアに、ボーダー柄のシャツの上からデニムのオーバーオールを三フィート半ほどの小さな体に身に着けボーイッシュに決めたコーだった。

 三人を目にしてフロイスとホーリーはソファからゆっくり起き上がると、前の方にいたロウシュがにやけ顔で片手を中途半端に上げながら、あいさつ代わりに声をかけて来た。


「やあ、お二人さん」


 そのすぐ背後には、にこやかに笑うパトリシアと無表情な顔をしたコーが立っていた。

 二人が勝手に上がり込んでいたことについてロウシュの異能力で前もって分かっていたらしく、どの顔にも驚いた様子はなかった。平然としていた。

 それに応じるようにフロイスとホーリーがニヤリと微笑むと、さっそくフロイスが、


「ここまでどうやって来たんだい?」と口を開いた。


 その問いかけに三人の中からパトリシアが明るい声で即答した。


「あゝ、そのこと。自警団の護衛付きで大会の関係者の人に車で送り届けて貰ったの」


 そう言って辺りをさっくり見渡すと、付け加えた。 


「ところで二人とも、食事はもう済んだの?」


「あゝ、見ての通りだ」


「冷蔵庫にあったものを適当に使わせて貰ったわ」


「ああ、そう。それは良かったわ」パトリシアは軽く頷くと笑顔で愛想良く言った。「実は私達、向こうで食べて来たの。ずっとそれが続いていてね。こちらでは朝だけ食べているの。忙しくって料理する暇がなくってね。代わってシンが予め食材を持ってきて料理を作り置きしてくれていて、私達はただ温めるだけで良いんだけれど」


「なるほどね」分かったと頷いたホーリーに、相向かいに腰掛けたフロイスが再び尋ねた。


「こちらに来るとき、中の建物がライトアップされていて、周りもきれいに整備してあるのを見たんだが、私等に隠れて新しいビジネスでも始めたのかい?」


「あゝ、あれのこと? いいえ、そうじゃないの」パトリシアはにっこり笑って指を左右に振って否定すると「実はね。聞いてくれる!」そう言って更に続けようとしたとき、ホーリーが言葉を遮った。


「ねえ、立ち話も何だからお座りなさいよ。疲れているんでしょ」


 あなたは話し出したら止まらないんだからと言ったまでだったが、それを気遣いと感じたのかパトリシアは素直に応じた。


「ええ、まあ。そうさせて貰うわ」


 すぐさま、テーブルを挟んで向かい合せに腰掛けたホーリーとフロイスの席以外の空いた席の一つにロウシュがひとりで、パトリシアとコーが残りの空いた席に一緒に並んで腰掛けと、そこにあった四つのソファ席の全てが五人で埋まると、パトリシアがいつもの早口で話の続きを始めた。


「みんなに言ってなかったけれど、私の実家の敷地と建物、といっても建物は母屋の部分だけしか残っていないんだけれど。今現在は市の史跡に指定されていて、私ではなく市側の持ち物となっているの。

 そういうわけで、あれは市側が勝手にやっていることであって、私は一切知らないし、かかわっていないの。

 私が今現在所有しているのはね、建ってから日が浅くって中が改造してあるという理由で指定から漏れたこの建物と、ここまで自由に歩いてこれる権利くらいなものよ」


 補足すると、今から四年前のこと。今から約千四百五十から千五百年前頃に建てられ、火事から唯一焼け残ったパトリシアの実家の母屋の建物と、焼けてしまったが離れと別宅が建っていたことを示す石畳と壁と礎石の部分が、先祖の墓所の約半分ほどとともに、本人が知らぬまに市の文化遺産に指定されたことが事の始まりだった。

 後になってそのことをズードから偶然知らされたパトリシアは、市側にどうすれば良いか直接確かめたところ、『文化遺産に指定された時点で所有者は文化遺産の保存・管理に務めなければならない。その場合、費用は一定の補助が出るがそれ以外は当然として所有者の負担で行われることになる。またそのとき、修復して現状を維持するのは良いが勝手に改造してはいけない。他にも、野放しにしたまま放置して建物自体の景観を損ねてはいけない。周辺にいかなる建築物も建ててはいけない。消防設備の設置を義務として負うことなど』そう言った答えが返って来た。

 市側の要求をそっくりそのまま聞くと、一時的なことで終わらずに毎年多大な出費になることは疑う余地はなく。処置に困ったパトリシアはズードに相談すると、彼は二つの案を出してくれていた。

 一つ目は、建物もお墓も一層のこと壊してしまえばどうかという案だった。そうすれば指定もくそもなくなって、いらぬ出費がかからないというのである。

 次いで二つ目は、信頼のおけるところに引き取って貰うという案だった。

 一つ目の案を採用したとすると、建物だけでなくお墓まで壊してしまうことになる。そうなると先祖に申し訳ないわ。

 二つ目の案では、直ぐに思い浮かんだのはズードが在職している自警団しか考えられなかった。だがそうなるとズードに迷惑をかけることになる。と言って、それ以外ではタダ同然でなければ引き取ってくれそうもない上に、その後どうなるか分からない。ひょっとすると一つ目の案と同じ結果になってしまうかも。

 パトリシアはしばらく考えた上でどちらも気が引けてできないわと拒否した。

 するとズードは少し考えて「それでしたら全然得にはなりませんが」と前置きするとこう切り出した。


「壊す気も誰かに売る気もないのでしたら、特に大事なものだけを運び出して、一層のこと、後を市側に寄付する形で全てを任せてはどうでしょう。そうすれば市側が建物を取り壊さすに何とかしてくれますから」


 そういった提案にパトリシアは、今現在一大霊園となっている丘陵地を買い戻した上で市側に無償で贈与したママの例もあることだしと、母親レアンサの行いを参考にして、全てを丸投げすることで維持と管理を市側に任せるほかないのかもと妥協すると、それにするわと承諾。無償で市側に譲渡していた。

 そして唯一指定に入っていなかった、 建てられてから百年足らずの比較的新しい建物であった納屋を住めるように改造すると、郷里に戻る度に、いつも落ち着き先として利用していた。

 一方、無償で譲り受けた市側は、今も現存する見た目が面白くもなんともない古代遺跡群と遺跡から出てきたありきたりの出土品を展示する博物館以外、市内に目ぼしい観光スポットがなかったことから、パトリシアの実家の建物をそれにしようと計画。しばらく経ってから敷地を囲む塀を改修したり新しい門を建設したり敷地内を公園のように整備した後、幾ばくかの見学料を聴収して内部を公開していたのだった。


「そんなことより、そちらこそどうなのよ。収穫はあったの? その分じゃあ、両人とも手掛かりすらつかめなかったみたいね」


 いきなりパトリシアはそう尋ねた。すると、ホーリーとフロイスの二人は顔を見合わせて何とも言い難い笑みを浮かべるとそれぞれ言葉を濁した。


「まあ、そういうことになるかもね」


「ときにはこんなこともあるさ」


 素直に認めた二人にパトリシアは、「やっぱりね。どうせそんなところだと思ったわ」


 そう言って内心ほくそ笑んだ。そして思った。思い通りに相手が動いてくれるなら、わざわざビッグパンプキンが私達のところへ依頼してくる筈はないものね。

 そんな彼女へホーリーが、


「でもね、私達が依頼に着手していることはビッグパンプキンは把握している筈だから心配はいらないわ。実は色々とあって、ビッグパンプキンと友好関係にある組織を助けるはめになってね。そこからビッブパンプキンへ連絡がいっている筈よ」と余裕の表情ですかさず言い返した。


「あらっ、そう。それなら良いけれど」パトリシアは安堵したように頷いた。さすがホーリーだわ。抜かりのないこと!

 そこへ今度はフロイスが続けた。


「ところでロウシュとコーは来てからずっと見学をしているわけかい?」


「あゝ、そのこと」パトリシアは質問を理解すると、首を横に振り言った。


「いいえ、二人は私と一緒に行動して貰っているの。かつてミスティーク家に仕えた人達の末えいということにしてね。そうやって私の側にいて貰っていると何かと心強いと思ってね」


 パトリシアの言葉に、黙ってじっと聞いていたロウシュとコーがうっすらと笑みを浮かべた。


「二人が来てくれたのは本当にラッキーだったわ。この辺りにはズードを除くと顔見知りも頼れる友人もいないし。そのズードも忙しいらしく稀にしか姿を見せないし。周りはみんな、お役所のお偉方や会社の社長、会長、元王族、元貴族と立派な肩書きをもった人達ばかりでね、それも初顔ときていたから、何かと心細くってね。

 あと、みんながみんな、私にあいさつしに来てくれるのは良いんだけど、色々しつこく聞かれると何と答えていいか分からなくってね。本当に困ったわ。本当のことは言えないし」


 パトリシアがそう話すや否や、ホーリーがエメラルドグリーンの双眸を妖しく輝かせながら興味深そうに訊いて来た。

 

「それで、何を訊かれたの?」


 全くもって油断も隙もないといったところか、言葉に魔力を吹き込んで相手を思い通りに誘導するホーリー得意の小手先の魔術だった。それを知ってか、その向かいでは笑いをこらえているフロイスが。両隣ではわざと知らん顔でぷいと横を向いて聞き耳を立てているロウシュと、同じく知らん顔でじっと見守るコーがいた。

 だがしかし、気が良いパトリシアはホーリーの手の内にはまって良いように操られているとも知らずに、少し考えて記憶を振り返ると、正直に応えた。


「そうね……例えば、今のお仕事は何をされていますかとか、どこにお住まいですかと訊かれたわ。あとは結婚はされていますかとか、お母さんのように占いはできますかとか突拍子もない質問や、魔法は使えますかとか、それに関連した知り合いか友人はいますかとか、こちらがドキッとする質問をして来たわ」


「で、何と答えたの?」


「仕事と住まいの件は、へたにぼろを出して変な眼で見られたくないので、普段から私は人の前に出ることが苦手で、仕事はしていません。別にしなくても父母が残した遺産があるので何とかなります。でも何かしないと退屈なので今は父が残してくれた無人島に住まいを移して限られた人達と一緒に自給自足みたいな生活をのんびりしていると適当に誤魔化しておいたわ。

 結婚と占いの件は正直に答えて、魔法の件は残念ながら私は今まで不思議な体験をしたことがないのではっきり言って魔法を信じてません。魔法とは空想世界の産物ではないかと思っています。従って、夢を壊すようで悪いのですが、それに関する知り合いも友人もいるはずはありませんととぼけておいてやったわ。

 そんな具合いにしてお偉いさんの方の質問はたわいもなくかわすことができたんだけど、問題はマスコミやメディアの連中でね。地元のテレビ局からラジオ局、国内外の新聞社や情報誌、インターネット関係、なぜか海外からの通信社からの取材がひっきりなしにきてね。あいつ等は取材と称して、こっちの都合も考えずに長い時間インタビューをしてくるし。しかも代わる代わるまた同じことを同じように訊いてくるものだから、もううんざりよ。

 催しの関係者からのたっての依頼で、できるだけ愛想良く受け答えして欲しいと言われてたから、嫌な顔を見せずに対応してたんだけど、気が付いたら、丸二日間昼と夜抜きでスポーツ栄養ドリンクだけで過ごしていたのよ。

 そんなときに、旨い具合にふたりがやってきてくれたの。ねっ、ロウシュ!」


「えへへ。なーに、俺はパトリシアの身内だと言って、ちょっと口出ししてやったまでだ」


 自由奔放にソファの中央でチンピラのような座り方をして、じっと下を見つめていたロウシュが、パトリシアに名指しされて目を上げると、ニヤリと笑って応えた。


「見ていると取材陣が代わるたびに全く同じことばかり尋ねているものだから、本人は芸能人でもスポーツマンでも政治家でもありません。ズブの素人ですのでこういう雰囲気に慣れていません。それでひどく疲れて、このあとの役回りに障ります。それでなのですが、質問時間は御社の方一人十分内外でお願いしますと言ってやったんだ」 


「あれで本当に助かったわ。途中で私から中々言い出すことができなくって、ほとほと困っていたところだったのよ。

 そこに加えてコーちゃんも、一役買ってくれていたしね。さすが演技巧者だけあるわ。取材攻勢を受けている間中、その小さな愛嬌のある身体をフルに使って良いタイミングでわざと話を邪魔してくれるんだから。あれは中々の演技だったわ」


 そうパトリシアが言った途端に、見た目は子供でも中身は立派な大人のコーの口元が少し緩んだ。彼女は人前で話すのは別に苦手でも何でもなかったが、フロイスが近くにいる場合だけは別で。なぜか口を閉ざしてほとんど喋らないのだった。


「あれでみんなから自然と笑いが零れて、硬い雰囲気がいっぺんに和んでスムーズにインタビューを終わらせることができたんだもの。ほんと、見ていて良いストレス発散となったわ」


「なるほどね、良くわかったわ。二人はあなたの付き人みたいなことをやってるわけね」


「ま、そうかもね」


「それじゃあ、あなたは一体どんなことをするわけ? あなたの役回りは連絡に書いてあったから大体分かったけれど……」


「あゝ、そのこと。大勢で市内をパレードするの。そのパレードというのが、はっきり言うと世界中のお祭りの良いとこどりをしたみたいなもので、最前列にきらびやかな衣装を身に着けた未婚の女性の集団が笑顔を振りまいて進み、その後をダンスを披露する一団。続いて私の祖先の立像を載せた山車と、祖先と関係が深かった人物に扮した市長さんや副市長さんや教会の人や商工会議所の会長さんや警察署長さんや色んな役所の所長さんといった地元の名士と、四、五代前の女の領主パトリシア・マロウ・ミスティークに扮した私を載せた山車が続いて、その最後尾に、その当時の貴族と騎士の服装をした一団と一般参加の人達が続くっていう感じなのよ」


「ふーん、なるほどね」ホーリーは頷くと続けた。「立像やあなた達が乗る山車は馬か牛が引くわけ、それとも人が引いたりしてね」


「あゝ、そのこと。催しはつい最近始まったばかりで伝統とか時代性はないの。つまり流行りでやっているみたいなもので。だから電気式で動く仕掛けになっているわ」


「ふーん、すこぶる合理的ね。じゃあ、あなたは山車に載っているだけで良いの?」


「あゝ、そのこと。それだけなら楽なんだけれどね。実際はかなり重要な役を任されていてね」


「面白そうね。訊かせてちょうだい」


「別に良いわよ」パトリシアはいつもの調子で快く了承すると口を切った。


「そうね、市内と市外の一部に残っている、私の祖先ゆかりの史跡を毎日巡って、そこへ到着するたびに簡単な儀式を行うの。併せて行列を作ってる全員が一旦休息するわけなんだけれど。儀式をするほうの私達は休息するどころじゃなくってね。山車を降りると、史跡の前に立ってお祈りをする真似をしなければならないの。それも神聖な儀式に見せるために面倒臭いんだけど時間をかけてね。それが終わると催しの世話役の人達と一緒に並んで、周りを取り囲んでいる人々に向かって聖水に見立てた塩水をひしゃくで撒いたり、隊列を組んで行列をしてくれている人達には『ご苦労かけます』と言って接待することになっているの。

 接待といっても、史跡に到着するたびに関係者が準備してあるものを単純に振舞って回るだけなんだけれどね。

 私達以外は、みんな歩きでしょ。それで喉が乾くからと、そこには冷たい飲み物、例えばレモンジュースとか雑穀コーヒーとかソーダー水とかオレンジジュースが大量に作って大きなバケツに入れて準備してあって、私達はひしゃくでもって飲み物を汲んでは紙コップに入れて、ご苦労様と言って配るわけよ。

 その合間に食事も準備されてるわ。といっても余り豪華なものは出ないけどね。

 当時の庶民の生活習慣にのっとってということで、直火で真っ黒に焼いた肉や魚に、野菜くずと塩がベースのスープとか、はちみつ入りのバターにパンとか、スモークチーズにパンとかドライフルーツをたっぷり入れたライ麦パンといったものが出されるんだけれど。外で食べる味は中々格別で飽きのこないものよ」


 そうあっけらかんと語るパトリシアから笑顔がこぼれる。


「ちなみに私の場合はそれ以外にも仕事があってね、周りを取り囲んで深々と頭を垂れた信者に扮した人々に向かって、魔法の杖に見立てた星が先っぽに付いたステッキを軽く振って『何事も事なかれ、何事も病むなかれ、何事も無事であれ』と唱えなければならないの。

 リハーサルを何度もやったから完全に決まっていると思うけれど、中々どうして演技力がいるのよ。

 それが後半になると更に仕事が増えて。今度は信者に扮した人々の何人かの額に指を押し当てて長ったらしい癒しの呪文を唱えるパーフォーマンスをしなくてはならないの。

 私の祖先がそうやって、人々から怒りや憎しみや恨みや不安といった感情を取り除いたという故事から来ているらしいんだけれどね。もう大変よ、色々とやることが多くって。頭が痛いわ」


「それで報酬は貰っているの?」


「いいえ、タダよ。今回はズードの顔を立てるということでね。今回出ることに決めたのはズードが困り切った様子で頼み込んで来たからなのよ」


「やるじゃない」ホーリーは感嘆の声を軽く上げると言った。


「ところであなた。ミスティーク家が色んな雑誌やネットやテレビで取り上げられて物凄く有名になっていることを知ってる?

 ちょっと世間の情報を得ようと、昨日たまたまネットサーフィンをしていて目にしたんだけれど。たくさんのメディアに取り上げられていて驚いたわ」


「いいえ」パトリシアは肩をすくめると、きょとんとした表情で尋ねた。「知らないわ。それがどうかしたの?」


「どうかしたのとは無粋ね。ローカルな範囲内で知られているならまだしも、全国区で知られることになったってことよ」


 それまでにこやかに話していたホーリーの表情が心なしか険しくなっていた。パトリシアは意味が分からず、再び肩をすくめると訊いた。


「それで何かあるの?」


「それで何かあるのと言われてもね。非常に大有りなのだから」ホーリーは眉間にしわを寄せると言った。 


「いきさつから言って、あなたが知らないところで話が進んで実行に移されたようだけど。けれど、それが分かった時点で放置しておいたのはあなたのミスよ」


 そう言うと訊いて来た。「パティ、あなたの身の回りに何かおかしいことが起こらなかった? そう、誰かに付けられているとか、怖い目にあったとか、脅迫文が届いたとか、写真やビデオに執拗に撮られたとか、一部身体の調子がおかしくなったりとかしなかった?」


「いいえ」パトリシアはかぶりを振ると正直に応えた。「別にそんなことはなかったわ」


「そう」


「面白そうだな」横からロウシュがそう呟き、好奇の目でふふっと笑った。その場の雰囲気からフロイスもコーも、リラックスしたややうつむいた姿勢で聞き耳を立てて、二人の会話にじっと関心を寄せていた。だがそんなことには構わずホーリーは真面目な顔で続けた。


「それなら運が良かったということかしら。通常であれば、私達魔術師の世界で名が通った家系が大々的に人間世界に知られたとなるとかなりヤバいのよ」


「それで、どのようにヤバいのよ」少しきょとんとした顔でパトリシアは訊いた。


「魔術師仲間でも、特に事あるたびに名門の出であることを鼻にかけてくる輩はみんな妬みやひがみや嫉妬が、それはそれは酷いってものじゃなくってね。格上のところにちょっとでも落ち度が見られた時には、揃って引きずり落そうとあれこれ画策してくるものなの。

 一般に魔術師の名門とは、過去に有名どころの優れた人物を輩出し、今現在に至っても実力者を多数抱える集団のことを言うの。そして、決して人間界には姿を見せないものなの。それがどこでどうなったのか知らないけれど、何万年という間、ミスティーク家は人間と融和して、平和で争いのない理想郷を築いて曲がりなりにも人間界で現存していることが認知されている点で、極めてレアなケースであるのよ。人間界ではローカルな一領主であってもね。

 そのような格式の高い由緒正しい名家が、大々的に人間界で知られるミスをやったとなると、自分のところの家柄を序列上位にしたくって、追い落としを図る魔術師も少なからずいるから注意が必要なのよ。

 そこに加えて、あなたに魔術師のスキルが全然ないと分かったら名門の称号がはく奪される可能性さえ出てくるわねえ。そうなるとどうなると思う? はく奪されることは家系の断絶、つまり一族の滅亡を意味するの。そうやって魔術師界の暗黙の了解の元、名もなき者として歴史から消えていった名門の家系が数知れずあるんだから」


 ホーリーはそこまで話すと一度言葉を切り続けた。


「ええと、もう終わったことだし仕方がないこととしても問題はこれからよ」


「それじゃあどうすれば良いのよ?」パトリシアは尋ねながら心の中で自問自答した。嘘でしょう、ミスティーク家が魔術師の名門の家系であっただなんて? 

 あゝそうそう思い出したわ。ホーリーが、子供達を学校へ進学させようと思うので、それには保証人がいるからと私にミスティーク家の紋章が入った推薦状を書いて欲しいと言ってきたのはこのことだったのかしら。

 名門といわれる学校ほど推薦者の家柄の善し悪しで内定率が変わる傾向があると言われているから、てっきりそれを期待してなのかと思っていたのに。

 ミスティーク家は神話の時代から続く名家で、この辺りを長い間治めていた領主であったことは知っていたけれど、魔術師の名門でもあると降ってわいたように言われても直ぐには信じられなかった。


「そうねー」


 しかしホーリーは、直ぐに答えずに、何かしら考えるようにゆっくり腕を組んだ。次の瞬間、


「じらさないでよ、もう。ホーリーったら」パトリシアはイライラした声で叫んだ。


 どこからともなく冷ややかな笑い声がそこはかとなく起こった。だがしかし、パトリシアは聞こえなかったという風にやや語気を強めて問い詰めた。


「ねえホーリー、どうすれば良いの?」


「そうね、先ず第一にあなたはあなたを大物感漂うように見せることだわ。烏合の衆、強者に倣うの例えから、まあ、魔術師連中ににらみを利かせておけば何とかなるんじゃないかしら。

 それには、魔術師の息のかかった輩がきっと接触してくるはずだから、有無を言わせず排除して名門の証であるところの実力を見せつけて上げるの。

 それについて、コーとロウシュのみならず私達二人があなたに協力して上げても良いわ」


「それは別に構わないけれど。何といっても私には何の力もないし。でもそんなこと、現実にあり得るのかしら」


「さあて、それは私達にも分からない。でも、ないとも限らないのよ」


「分かったわ。じゃあ、お願いするわ」


「そう。これで一つは何とかクリアできるわ。後もう一つの一番厄介なほうなのだけど、これはもう手の施しようがなくって、どうしようもないわ。

 ただ唯一言えることは、これ以上のミスティーク家にかかわる真実の情報をメディアに提供しないことと、このまま何も手を打たないで放置して現代のミステリーとかいった都市伝説みたいなもので終わらせて処理するのが得策と思うんだけれど。

 ま、所詮非科学的な話は、人々はしばらくは噂することはするけれど、心底信じはしないものだからね」


 そこまで話すとホーリーは再び言葉を切り、一つ深いため息をついた。そして何とも言い難い渋い表情をして言った。


「それにしても、ほんと迷惑な話よね。向こうは話のネタになりさえすれば、別に正しくなくたって構わないのだろうけれど、こちらは全く偶然の産物とは言え図星を突かれているからそうはいかないのよねえ」


「あゝほんとそうね」 


 素直に同意したパトリシアは、「あゝ、話してたら喉が渇いちゃったわ」そう言って席を立つと、口を尖らせて冷蔵庫の中のビールとスパークリングワインを人数分取りにキッチンへと向かった。

 私がやったんじゃないのにどういうことよ、ほんと気苦労が絶えないわ、といったところだった。

 その間に、ロウシュのいつもながらの良く通る声が、部屋内に威勢よく響いていた。体験談か自慢話で盛り上がっているらしく、意味は余り分からなかったが、以下のようなことがそれとはなしに話されていた。


「俺達は向こうではまさしくパーフェクトだった。何の問題もなく依頼人の意向をくんでやったぜ。

 あっちが俺達に指図して来たのはな、終わった今だから話せるが、向こうに着いたら目に付いた人間を片っ端から殺せという汚れ仕事だった。

 但し条件が四つあってな。なーに、そんなに難しい話じゃないんだ。一つ目は誰がやったか特定される証拠を残さないことだ。こんなのは朝飯前だ。二つ目はできるだけ人が多く集まる目立つ場所で騒ぎを起こすことで。三つ目は、一ヶ所に留まらずに各地を転々として行うこと。最後の四つ目は、そのうちの何人かは生かしたままにして、薬を盛れということだった。

 その薬というのが、強制的に重いうつ病を発症させるという話でよう。どうやら、時期が来ると頭がおかしくなって自殺や無差別殺人みたいな異常な行動を取るらしいんだ。

 恐らく異常な行動を何らかのウイルスのせいにして、俺達がばらまいているようにしたい魂胆があったんだろうと思う。

 それで俺はコーと話し合って、その国で一番大きな空港へ向かったんだ。空港というのは何か起きたときは目立つからな。

 空港に着くと、何があったのか知らねえが、警備がそれはそれは厳重でな。外も中も銃を見せびらかすように持った兵士と警備員で一杯で、その数は空港にいた観光客より多いくらいだった。

 だがよ、年寄りのアジア人とその孫に化けた俺とコーは簡単にもぐりこむと、殺った証拠を残さないように、そいつ等から銃を奪い取って大暴れしてやったんだ。面白いように人間が吹っ飛んで血の海ができていくもんだから一瞬のうちに空港の中が修羅場と化したな。

 翌日、その件は、あっちが想定した通りに外国からの無差別テロとして海外のテレビや海外ネットを通じて大々的に報じられてよう。

 続いて武器を調達しに最寄りの陸軍基地に向かったんだ。そこで武器を調達した俺達は、またひと暴れしてやったんだ。 

 えへへ、基地が俺達の破壊工作で大爆発を起こして炎上している様は、それはそれで面白かったぜ。

 武器をしこたま手に入れた俺達は、それから地方の大きな都市を選んで、五日間ほどをかけて回ったんだ。最終日が首都に辿り着く段取りにしてな。

 地方で人が多く集まる所と言ったら、大概エリートが通う総合大学や士官学校だったり、政府系の施設や政府直轄の役所だったり、特権階級の国民が暮らすコンドミニアムやタワーマンションであったり、或いは強制収容所か製造工場あたりだ。

 それで立派な建物が建つ辺りを陸軍基地から奪った手投げ弾や爆弾を使って適当に襲撃して、出て来た奴等を血祭りにあげてやったよ。

 その間、同業者から何かしらの邪魔が入るかと思っていたんだが、体制につく旨味がないのだろうな、そんなものは全然なかったな。案外スムーズにいったな。

 恐らく、どこも考えることは一緒さ。自分たちさえ良ければそれで良いんだ。

 それからは武器と弾薬を補充しては通り魔の真似事をやる毎日だったな。

 基地や治安部隊が駐屯している施設や警察にいけば、簡単に手に入るんだからな、案外楽なもんだったぜ」


 そのとき、キッチンの壁にかかったアナログ時計に、パトリシアは何気なしに目がいった。十一時十分。


「もうこんな時間!」パトリシアは意外だと言う風に目を瞬いた。

 ――あゝ、ほんと、ズードに頼まれて事情も知らずに来たんだけれど、みんなとこうも賑やかにできるなんて、何というか不思議な気分ね。

 久しぶりに何でも話せる友が揃い、パトリシアは心地よい充実感に満たされていた。

 そんな彼女であったから知る由もないことだったが、実際のところ、こうなったいきさつの真相はこういうことだった。

 

 遡ること四年前のこと。『娯楽のない市に娯楽を作って住民が熱狂できる楽しみを作り活気を与える。市の経済の底上げを行い失業率を下げる。人の交流を図ることで寂れた商店街を活性化させる。未婚率を減少させて人口の減少を食い止める。特徴のない市を特徴のある市にする』といった公約を訴えてその年に初当選した若干二十歳の女学生市長が、公約を果たすために提案した案の一つ、『行列を作って練り歩くパレード形式の市民祭りを行う』という企画案を議会側が受け入れたことが発端となっていた。そして話がみるみる進み、どのようなものにすべきか話し合いが持たれたとき、世界で親しまれているカーニバルのような催しがどうだろうかとなって一発で決定していた。

 だがそこで問題となったのは、どのような催しもお祭りにも『いわれ』があるように、どういう理由、テーマをつけて行うかであった。

 そのとき、観光客を誘致する目的として、革命記念として、建国の祝い事として、宗教行事の一貫として、人々の不満のはけ口として、など幾つもの案が出た。そのような中、地元の歴史愛好家の一人であった、とある市会議員が出した案、『災い除けの聖人、幸せを呼び込む聖人とみなされて崇められている郷土に残るアルカナ姉弟の逸話をもとにしてパレードを行ってはどうか?』が、ある意味意外で斬新に思えたことから全員一致で採択されていた。

 

 それは太古の昔。力だけが全ての世界で、人々の心に良心というものがまだそれほど育っていなかった時代。王族の生まれでありながら世俗に下って民衆のために尽くした、マーム・アルカナ、マハネーブ・アルカナ姉弟の民間伝承にあやかるものであった。

 一卵性双生児で幼少時から不思議な力を持っていた二人は、平均寿命が二十歳に満たない時代において、その力で病気や怪我を治すことで有名で、生前から生き神さまと民衆から崇拝されていた。

 そこへ加えて、将来起こるであろう他人の不運や事故を予め知ることができ、それを回避させる不思議な力も持っていた。それがいつの頃からか知らないが、運命を書き換える事ができると解釈されて、別名災い除けの聖人、幸せを呼び込む聖人とみなされていたのだった。

 そのような二人であったから自らの領地に留まっていることに飽き足らなくなり、やがて広い世間に出て困っている人々を救おうと旅立つのであるが、二人の行いを快く思わない権力者やその取り巻き連中や医療関係者や神官達の罠にはまって殺されたのか或いは監禁されたのか、それとも不慮の事故か流行り病が原因で亡くなったのかそれは定かではないが、不思議なことに途中で行方知れずとなり、以後音沙汰が絶えるのである。それ以後、二人が活躍したという記述はどこの伝承にも伝わっていなかった。――とまあ、たったそれだけの短い話であったがため、歴史の史実には一切登場せずに民間伝承のみに残されており。それを知るのは地元の歴史家かそれに準ずるアマチュアの歴史好きか、或いは家柄にこだわる一部の高貴の家柄の人々ぐらいなものであったのである。

 ともかく、そのような風にして催しの大まかな枠組みが決まったことにより、先ず参加者の人選は地元の人々のボランティアと一般市民と観光客の自由参加でまかなうことにする。開催日は自由に調整が可能で今決める問題でもない。開催期間は原則として二日間。開始時間は朝の十時で、終わりは夜の八時頃。どこを巡るかについては、市内に残る史跡から選んだ五ヶ所ぐらいが妥当。財政難のために、大砲や鐘を鳴らしたり夜の花火は一切なし。路上で飲酒してのバカ騒ぎやクラッカーを鳴らすのは犯罪を招きかねないからと禁止、と残された問題が次々と解決されていった。

 その中で唯一残ったのは、どのような隊列を組んで行進するかということで。これだけは誰からも良いアイデアは出ず。結局のところ、その道の専門家に任せようとなって、プロのプランナーとコーディネーターに依頼。その彼等が立案したのが、民間伝承により伝わった故事を現代風にアレンジした隊列を中に加えるというもので。

 先ず先頭は揃いの艶やかな民族衣装に身を包んだ未婚の女性の一団が笑顔を振りまいて進み、次いでダンスを披露する集団。そのあとの中団には、マーム・アルカナ、マハネーブ・アルカナ姉弟の像を載せた山車と、ふたりと関連が深い人物に扮した人々が乗る山車と、子供が好きそうなぬいぐるみのモンスターが複数乗る山車と、きらびやかなイルネーションで飾られたおとぎの世界を再現した山車が音楽を大音響で鳴らして続き、後方をその当時の風俗をした一団と仮装した一般の老若男女の集団が続いて進む。そして最後尾には、飲料水が入ったクーラー容器や塩が入った布袋やイスや花束が載ったカートを民間信仰の信奉者が引いて続くという、ちょっと見れば不思議にも思える構成の行列になっていた。

 だがそれらには彼等なりのれっきとした理屈があり。最後尾を進む人々の姿は、当時姉弟は病気や怪我の治療にあたって貧しい人々から一切代金を受け取らずに、その代わりとしてそこいらに転がっていたレンガや石ころや木材やイス・テーブルといった家財道具や花や水を代金の代わりにしていた故事に拠っていた。その際、レンガや石ころや木材はインフラの建物の建設に使われて民衆の役に立っており、花や水は消毒剤や薬水に変えられて治療に役立てられていた。

 また二番手のダンスを披露する一団は、原因不明の疼痛で長い間身体を動かすことができずにいた少女が治療が終わり傷みが消えて動けるようになったとき、余りの嬉しさのあまりに我を忘れて踊りを舞ったことに由来し。先頭の笑顔を振りまく一団は、代金の代わりに治療が終わったあとの嬉しそうに笑う笑顔でも良しとした逸話に拠っていた。


 そのようにして構想が固まると、日を定めてその年に第一回目のパレードが実施された。

 言うまでもなくテーマとなったアルカナ姉弟の直系の子孫であったパトリシアにも、これこれこういう企画をしますがやっても宜しいですかと言った許可を求める旨と、できることなら参加して欲しいというオファーを出していた。結局のところ、お好きなようにしてくれたら良いですと許可のみ来て参加の方は断られたが。

 またそのとき、資金難のため積極的に広告を出すことはせずに、ローカル新聞とローカルテレビ局に告知しただけに留め、少ない予算を参加者の飲食と参加者が抽選で必ずどれか一つが貰える参加賞にあてていた。

 ちなみに参加賞は、さすが女学生の市長だけあって柔軟な発想で、テレビゲームソフトや記念のオリジナルサッカーボールや文房具セットやコスメセットや地元の民芸・工芸品やレトルト・インスタント食品やスナック詰め合わせや災害用救急セットや地域医療券や地域クーポン券等といった若年から中高年層までのし好を考えた品で。

 そのような、あの手この手の知恵を絞った景品作戦で人を呼ぶ作戦を取ったことが瞬く間にネットの口コミで広まり。そこへ加えて、アルカナ姉弟ゆかりの史跡へ到着する度に、聖水に見立てた塩水を周りの群衆に向かって放水したり撒いたりする手法が、キリスト教以前の風習で物珍らしかったのか二日間で十万人ほどの人出となり中々の盛況のうちに終了。パレードは一応成功したと言っても良かった。

 それに気を良くした市側は、正式の行事に昇格させると次の年も続けることを決定していた。

 それと並行して、不景気の影響で賑わいを失った地域をどうにかしたいと考えていた周辺の市町村がそれに便乗する形で参加を表明。

 無論、パレードの規模が大きくなればなるほど資金面にも余裕ができる上に地域の活性化がより図られると、いいことずくめで断る理由がなく。来年度は合同で行うことが決定していた。

 それに伴って、行進する人々は日替わりで代わっていく様式で折り合いがついていた。また巡る史跡の数も自然と増え、開催期間も十二日間に延長されていた。

 そのような具合いで、二年目、三年目と続いて気が付くと、パレードがすっかりその地域に根ざして振興のメジャーな目玉となっていた。


 そして四年目となった今年。

 任期が四年目の最後の年であった女性の市長が、来年は市長の改選の年として再選を目指すにはパレードをこれまで以上に華やかにする必要がある。それにはパレードのシンボルとして、子孫であったパトリシアをどうしても参加させなければならない。更にそこへ加えてパレードをより世間の目に触れさせる必要があると画策。

 先ずパトリシアの件は、同じく来年度に改選を向かえようとしていた知事へ根回しして、知事を通じて自警団の団長のズードの元へ、ズードからパトリシアへ話が行くようにお膳立てして貰っていた。

 次いでパレードをより世間の目に触れさせるため、マスメディアに対して大々的に広報活動を行ったのだった。

 その結果、ほんの十秒程度の長さであったが、楽しいイベント、ユニークな奇祭として全国放送でパレードが取り上げられたのだった。

 そして、たったそれだけのことがひょんなことから世間の興味を引く話題を探していたメディアの目に止まったことにより、思いもよらぬ方向へ進むこととなっていた。

 その出身母体であったミスティーク家について調べていくにつれて、大変興味深い事実をメディアが発見したのである。

 それは、国の成立から幾多の変遷を経て現代に至るまでを記した歴史年表において、ミスティーク家についての記録や記述が地方の一豪族であったにもかかわらず一切存在していないというのに、民間伝承にミスティーク家の記録や記述が残っていると矛盾を含んでいたことだった。

 そして、中世の封建社会が終わりを告げ、その後に起こった全世界を巻き込んだ大きな戦争が終わり、世界に平和が訪れたときにミスティーク家が世間に忽然と現れていることだった。

 そのことは、何かしらの力が働いて、ミスティーク家が治めていた領土が長期間の間、周囲の世界から隔離された状態にあり、何人も入り込めないようになっていたのか、それとも知られないような仕掛けがなされていたのか、或いはあり得ないことだったがその存在が人々の記憶から忘れ去られていたという憶測を呼ぶものだった。

 他にも、国立資料館に残るミスティーク家の家系図から、アルカナ姉弟以外にも病人を治す能力や予知とか千里眼とか霊が見えたりする能力を有する人物がいたという記術が見られたことだった。

 結果、もうそれだけでミステリーとしては十分で。科学情報雑誌や週刊誌やテレビやインターネットが未確認飛行物体や怪奇現象や超能力や超古代文明といったオカルト(神秘的なもの)を扱う枠で、『スクープ! 魔法使いが確かに存在した』とか『今も現存する魔術師の家系』とか『世界の不思議。ミスティーク家の正体の謎が解けた』とか『紀元前から続く伝説に富んだミスティーク一族』とかいったかなり誇張した表現で、隠された歴史のロマンとして神秘のベールで隔絶された場所が存在したと一斉に伝えたことがミスティーク家が一躍世界に知れ渡ることになった要因となっていたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る