第89話

 フロイスは、ほっとした様子で笑顔を見せたイクを自宅まで送り届け、ずかずかとイクの自宅に上がり込むと、笑顔で出迎えたエリシオーネへのあいさつもそこそこにイクから受け取った良く冷えた三缶のビールを幾度かに分けて喉に全て流し込んだ。

 喉がちょうど乾いていたので、突き抜けるくらいの旨さだった。 

 それから上機嫌で二人に別れを告げて、その足でペンション風の外観をするゾーレの別荘へと向かった。

 元々別荘はエリシオーネの動向を周辺に潜ませた監視カメラを使って見張るためにゾーレが購入したもので、イクの自宅から車で二十分もいかないところにあったこともあり、直ぐに到着していた。

 別荘は周辺を森に囲まれた一軒家で、一番近い建物とはかなりな距離があったこともあり、普段から人の姿はほとんどなく。その日も周辺には誰一人として見かけなかった。

 フロイスは普段通りに建物が建つ広い庭に空から降り立つと、一目散に家の玄関へと向かった。

 家の玄関ドアには鍵が掛かっていなかった。ゾーレが開錠していたのに他ならなかった。

 フロイスはドアを開けて室内に入ると、通路から見えた広いリビングへは向かわずに、その手前にあった階段を下り、地下の一階部分へと向かった。その場所は監視カメラのモニター及びハイパーマルチスペクトル何たら画像処理装置が置かれた部屋で、果たして一方の壁際にでんと据え置かれた百インチを越える大型デイスプレイと、人の身長くらいは楽にあった更衣ロッカーそっくりなラックがその隣に置かれてあった。

 ゾーレの話では、通常のカメラやビデオには映らないエリシオーネの姿を捉えるために何か良い方法がないかと考えながら、愛読書にしていた科学雑誌をたまたまパラパラとめくって眺めていたとき、『私達はアネクト航空宇宙科学機構という名の民間団体です。これまで私達は、この世界の発展と未来のために貢献することをモットーとして数々の事業に取り組んできました。その一環として、かねてから宇宙に存在するというブラックマターの正体をつきとめるプロジェクトを立ち上げて、装置の開発にあたってきましたが、気が付くと途方もない投資となり、途中で開発を残念ながら断念せざるをえなくなりました。しかしながら、それまでの過程で蓄積したノウハウがあり、一つの装置を完成させることに成功しました。この装置を使えば、宇宙は無理でもこの世界くらいなら、ほとんどの見えないものが全て見えるようになります。ところが装置を開発して思ったのですが、私達にはどの分野でどのように使えば良いのか分かりません。それで誠に恐縮なのですが、あなた方のアイデアを募集したく思います』と題する記事がふと目に留まったことで、もしやこれは使えるかもと考えてすぐさま連絡を入れたというのだった。

 そしてパワーストーン販売業という仕事柄、霊について興味を持っていると嘘話を切り出して、幽霊や亡霊といった類を科学的に分析解析するために利用したいと交渉をまとめて総額二百万ドル以上という大金を支払い、わざわざ購入したということだった。

 そのときゾーレはというと、ノートパソコンと携帯とメモノートと筆記具と、あと飲み物が入ったペットボトルが数本置かれた事務用の長テーブルの前でリクライニングチェアにゆったりと腰掛けて大型デイスプレーを見ていた。

 フロイスがその側に歩み寄ると、チェアを回転してフロイスの方へ向き直り、少し疲れたような目を向けてくるや、「パトリシアの用事はもう済んだのか?」と訊いて来た。

 二人は交代でエリシオーネを見張る約束をしていたので、そのことは当然の流れと言えた。

 それに対してフロイスは首を軽く横に振ると応えた。「いいや。その前にサイレレに会って来たんだ。奴にはみんなお世話になっているからね。そのお返しをして来たんだ」


「忙しい奴だな、お前は」


 何のことやらさっぱり分からんとゾーレは首を傾げてそう呟くと、不思議そうな表情を浮かべて訊いて来た。


「それは一体何のことだ?」


「それはなぁ、話せば長くなるんだが、色々とあってな」フロイスはそう応じると大体の事情を話した。

 それはこういうことであった。

 昔からのお得意先であったビッグパンプキンから仕事の依頼事がきて、依頼を受けたのだが、その依頼というのが、正体不明の通称デイライトゴーストと呼ばれる犯罪組織の捜索と掃討で。

 だが、何分と正体不明というだけあって、向こうが扱いに困っていた案件らしく、手掛かりらしきものが何一つもなくって。

 それで、みんなと相談して、手掛かりを捜そうとなって、人工知能AIが導き出した、再び犯人が舞い戻って来る可能性が高い地点を参考にして過去にデイライトゴーストが事件を起こした場所に行ってみることにしたのだが、そのときどうせなら効率良く捜そうとなってホーリー達と二手に分かれることにして、こちらは新人見習いのジスとレソーと言う名の二人を引きつれて一足先に集合場所であったパトリシアの自宅を午前零時に出発。民族の違いとか宗教の違いとか利権者同士の利権争いとか権力者同士の権力争いとかいった複雑な事情で、十年近く内戦が続いているN国の地方都市へと向かった。

 そして到着してみると、その都市も戦火に巻き込まれたと見えて、通りに人が見られず、建物も無人化していた。――――そう話す内に、そのときの様子がフロイスの脳裏に蘇っていた。


 出発前にフロイスは、基本中の基本として、いかにして最新の武器や装備を手に入れるのかジスとレソーの二人に教える意味もあり、約一日半をかけて世界各地の闇の軍需品市場を巡り、必要と思われる品を買い揃えていた。

 そして現地へ出発する前準備として、ある程度は環境や人種の違うN国に合わせようとなって、ドーランを顔や手足に薄く塗って現地の人間と違和感がないように変装。

 食料は、通常なら現地調達であったが、場所が場所だけに、口に合わない或いは手に入らない場合もあると想定して非常食としての軍隊食を用意。

 服装も違和感を持たれないように、それぞれ洗いざらしの生成りやモスグリーンやカーキといった地味な色のシャツにカーゴパンツという旅行者風のスタイルにして。中でもフロイスは、サングラスを掛けた上に口ひげを付け、男として振舞っていた。名もフロイスでなく男名のフローと呼ばせていた。

 そして全ての準備が整ったところで、フロイスは二人に向かって、


「どこも腐った国ばかりで変わり映えしないんだが、私等が向かう先もその期待を裏切らないと思う。毎日が平和のお前達の国と違って日常が殺し合いにあふれているいかれた国だ」


 そう訓示を垂れると、いよいよ出発。三人が向かったのは、全ての外国人の入国を今尚禁止しているN国の中の一都市で、現地の古い言葉で、恐るべき闇の大地という意味のスフィンリ・ヤーミヤンという地名の場所。

 しかしそのような名とは裏腹に、当の都市は、砂漠地帯において地下に多量の水を埋蔵することで成立したいわゆるオアシス都市と呼ばれるもので、周辺は草木がパラパラと生えているだけの荒れ果てた大地が延々と拡がり、古代遺跡の壁や石積み構造物が多数見えていた。そして都市を取り囲むようにバゲットそっくりな色と形をした丘が幾つも連なり、中央から伸びた一本の幹線道路が丘の上を縦断して都市へと通じていた。その幹線道路上に三人は降り立っていた。

 頃合いは夕刻ぐらいかと見えて、太陽がちょうど地平線の真上にあって、空が茜色に染まっていた。もうあと一時間か二時間もすれば、辺りが暗くなりそうな雰囲気だった。

 そのような時刻になった理由は、いつもきっちり計画を立てるホーリーと違い、どちらかといえば行き当たりばったりの性格で、途中で気の向くまま、行きつけの専門店や量販店に立ち寄っては何も買わずに見て回ったからに他ならなかったが、その道のプロで経験が豊富であったフロイスは慌てず騒がずに気楽に構えていた。

 ――そう急ぐこともない。向こうに着く前に日が暮れれば明日の朝に調査すれば良いだけだ。

 わざと人がいなそうなわびしい地点を降りる場所に選んだこともあり、周辺には砂の荒野が一面に拡がり、誰一人として見かけなかった。車の往来も全くなかった。


 滑り出しは中々順調だった。

 フロイスはジスとレソーを後ろに従えると、以前にビッグパンプキンから提供された位置ナビ(gps)デバイスで場所を特定しながら、家の一つも人影もなかったその幹線道路をしばらくの間、持参したノンアルコールビールを飲料水代わりに喉を潤しながら気長に進んだ。そして民家が点在するところまでやって来ていた。が、全く同様に人っ子一人見かけなかった。更に先を進むと幹線道路から外れた一般道に入っていた。ナビによると、その先に目指す場所があるはずだった。

 ところが歩けど歩けど見えるのは壊れたまま放置された建物ばかりで。道路の周辺は、見るも無残な姿となった建物がずらりと並んでいた。そしてその全てが打ち捨てられていた。

 そしてやはりというべきか、目指す場所は、至って普通の広い空き地となっていた。つい四ヶ月前にデイライトゴーストによって多数の住民が虐殺されたという形跡はどこにもなく。そこにあったのはゴミとガレキの山と、大破したり燃えて鉄くずと化したり部品が取り外されて骨組みだけとなった多数の車両のみであった。それ以外は何もなかった。

 その光景に、せっかくやって来たのにちょっと見ただけで帰るのは何のためにやって来たのか分からない、ここは念のために一応見て回る必要があると考えたフロイスは、


「おい、お前たち。地下に通じる秘密の扉があるとか、住民が隠れ潜んでいるとか、或いは目をごまかすための障壁や結界が張られていないか、何でも良い、暗くなる前に不審なものがないか捜すんだ!」


 そうジスとレソーの二人に指示を与えると、自らも手掛かりが何かないかと捜して回った。

 しかし結果は何も発見できずに終っていた。加えて気が付くと、とうとう陽が暮れて辺りが暗くなっていた。それでもどこにも明かりが点く気配はなかった。まるで辺り全体が廃墟のように。


 その光景にフロイスは、眉をひそめて、ほんのしばらく現場に立ち尽くすとため息を付いた。

 骨折り損のくたびれもうけというわけか。あゝ、まるで遊びに来たようだな。

 そんなとき、すぐ横に立っていたジスが、フロイスに聞こえるように疑問をささやいた。


「フローさん、この辺りには人は住んでいないみたいですね」


「あゝ」


「フローさん、これからどうします?」


 続けてレソーがジスの隣から呼びかけた。その問い掛けにフロイスは、どうすると言ったってと浮かない顔で何気なく周りを見渡した。すると、ほとんどの建物が三階までの低層建築物の中にあって、一棟の高層建築物が低い位置に出ていた月に照らされてひと際目立っているのが目に入った。

 フロイスは、そうだな、あそこが良いかもな、と目をつけると、建物の方向へ向かって指を一本差して、


「あの高いビルの屋上を今夜のねぐらにしようと思う」


 そう切り出すと決断の早いフロイスらしく、「行くぞ、お前たち。ぐずぐずするんじゃないぞ」と言うが早いか、暗がりの中を二人を従えて小走りで建物が建つその方向へと向かった。

 その建物は道路脇の良く見える場所に建っていた。七、八階建ての横幅の広い建物で、コンドミニアムか学校の校舎か或いは病院かと思われたが、看板も何も無かったのでそれは分からなかった。

 が、そんなことはどうでも良く。すぐ横に建つ三階建ての建物の屋上を踏み台にして三人は当の建物の屋上へと跳び移っていた。

 そのとき、やはりというか屋上には人の姿は見られなかった。ただし、下の階では人の気配が明らかにしていた。それも一人や二人ではなく、数十人はいた。

 そのことに、良く気が回るレソーが、「何なら念のために見てきましょうか?」と提案してきた。しかしフロイスは、 


「止めて置け。私達は虐殺をやりに来たんじゃない。下に下りると面倒なことになる。ここはそっとしておこう」と却下していた。

 フロイス自身も市中の様子は気になるところだった。だがしかし、中に明かりも漏らさずに潜んでいる者達を見つけ出し、わざわざ会って事情を訊いたところで、何になるといったところだった。

 見つけ出す過程で抵抗されるのは目に見えているし、例えそれがクリアできたとしても彼等が語るのは自分たちに都合の良い一方通行的な話ばかりとなるから、結局のところ、真実は何も分からないと判断。それよりも直にこの目で確認した方が寧ろ早いし確かだと思ってのことだった。


 三人は屋上の端寄りに突き出た建屋の隅に場所を移動。本来ならお決まりのように火を起こすところを、ちょうどその辺りには食料や水や着替え等や作戦に必要な品物が入った二つの大きな軍仕様のズタ袋を並べて、その周りに三人が各自楽な姿勢で座り、食べる準備が整ったところで、


「さあてお前達、食事といこうか」フロイスの元気な掛け声が飛び、酒盛りならぬ軍隊食の食事会が始まっていた。

 そのときのメニューは、肉と野菜がサンドされてパイみたいになったパンと燻製のソーセージとエナジーバーとチョコレートとパックのコーヒーであった。

 その後、十分ほどで食事を終えた三人は、あとすることと言えば寝ることぐらいで。砂漠気候の夜は冷え込むことを想定して用意していた一人用テントを各自が設営。その中に敷いた寝袋ならぬアルミ製の袋に身体をすっぽり入れると、雑魚寝して体をしっかり休めていた。

 そして翌朝、同じ場所において三人は同じ朝食を摂ると、昼と夕方とでは見え方がはっきり言って違うからとして、再度昨日調査した地点へ出向いた。しかし、雲一つない透き通った青空の下、何も変わったことはなく、勘ぐり過ぎに終っていた。

 だがそうであっても、転んでもタダで起きない性分であったフロイスは、このままおめおめと引き返すわけには行かなかった。

 何も無かったと手ぶらで戻るのは簡単なことだけど私の信条に反する。何かしらの手掛かりを持って帰らないとね。

 そうはいっても全く以って当てはなく。

 ふん、ここはなるようになるしかないようだな、とフロイスは開き直って苦笑いすると、しばらく市中を歩いて見て回ることにして、荷物を持たせた二人を引き連れ、ぶらりと都市の中心部へ通じていると思われる幹線道路へ再び戻っていた。

 車が通った跡が道路に残ることから人の往来はあるに違いないが。そんな思いで行き来する車が皆目無いために閑散としていた道路を一時間ばかり歩いて行くと、平屋建てから五階建てぐらいまでの建物が、道路を挟んで軒を連ねる比較的大きな通りに出ていた。どこからみてもごくありふれた風景だった。ただ、ひっそりと静まり返って、往来する人が見かけないのと、建物という建物の窓や戸口や玄関がシャッターやフェンスで固く閉ざしてあったことを除けば。

 そのように何もないように見えて、レンガやコンクリでできた建物の壁面やシャッターには無数の銃痕跡がついていた。


 国の混乱がはっきりと分かる光景だ。この分じゃ、みんな逃げ出して戻ってきていないみたいだな。せっかく変装までして来てやったっていうのにね。これじゃあ無駄骨だ――そんなことを考えながらフロイスはそのようになった見当はついていた。

 国中が十年近く戦火のまっただ中にいるわけだからね。ここもその被害に遭ったってことだろうな。

 それをこの目で確かめたって別にかまわないさ。何も持って帰らないよりもマシだ。話のネタぐらいにはなるだろうしね。

 余りにも手詰まり感に、いつしかフロイスの興味は、デイライトゴーストの手掛かりをつかむことから廃墟化した都市の原因を調べることに移っていた。


 しばらくの間、三人は風の吹くまま気の向くままに通りを歩いた。が、代わり映えのしない同じ景色が出現するのみで。街全体がゴーストタウン化していると言っても過言でなかった。

 そんなときだった。遥か前方の方からデザート色をした複数の車両が、もの凄い勢いで道路の真ん中を進んでくるのが見えた。

 いい按配におあつらえ向きの物が来てくれたもんぜ。歩いて回るのに飽きてきたところだ。そんなことをフロイスは呟くと、すぐ後ろを歩いていた二人に指図した。


「あの車に乗せて貰うとしようか。お前達は適当な場所に隠れて見ていろ。終ったら合図するからね」


「はい」


 二人は声を揃えるように返すと、教えて貰った通りにばらけて、それぞれ異なる建物の物陰に身をひそめた。――何とかして話をつけるつもりなのだろうな。

 その間にフロイスは、道路の中央辺りに立ちはだかると、車両に向かって両手を上げる格好をした。

 そんな彼女の目の前に姿を見せたのは、迷彩を施した大型のピックアップトラックが二台とランドクルーザーで。いずれの車体も戦闘向けに全体を装甲で覆ったりして改造してあり、先頭を行くピックアップトラックのルーフ部分に設けられた台座には軽機関銃が、最後尾を行くピックアップトラックの荷台には二連装の機関砲が装備されて積まれていた。

 砂煙を上げながらやって来た三台の車両は、フロイスを目の前にしてスピードを緩めるどころか、寧ろ加速したように思われた。

 果たして、「ドーン!」と物がぶつかった大きな衝撃音が響いたかと思うと、フロイスの体が凄い勢いで吹き飛ぶと道路脇のガードレールを折り曲げて舗道まで弾き飛んでいた。

 それでも車両からはブレーキ音が一切せず、何事もなかったかのようにそのままの勢いで行き過ぎると、遥か先まで行ったところでようやくゆっくり止まっていた。

 非日常の在り得ないその光景に、ジスとレソーは目を疑った。それぞれ、「こんなの嘘だっ! 無茶苦茶だ、信じられない! こんなときは絶対に止まるのが常識なのに」「酷い、酷過ぎる! 手を挙げて合図しているのに止まらないなんて」と思った。彼等にはどうしてもそのまま行き過ぎたようにしか見えていなかった。


 間もなくして一番最後尾と先頭車から複数の男達が下りてくると、フロイスが吹き飛んだ現場へと歩いていった。彼等は軍の外衣を着ていたり半裸であったり民族衣装みたいな姿をしたりとばらばらで全員がひげを伸ばしていた。また小銃を肩に担いで、互いにニタニタと笑って会話をしていたり、苦笑いを浮かべていた。

 しかし途中までやってきて、フロイスがよろよろと立ち上がったのが分かると、少し驚いたように立ち止まった。そしてフロイスの様子を眺めた。

 だが次の瞬間、不思議なことが起こっていた。

 男達は銃を構えることも動くこともできずに、ただ茫然と立ち尽くしていた。まるで金縛りに遭ったという風に。

 何のことはない、その常人の域を越えた強烈な存在感と気導力で、自らの間合いに入った者達を金縛り状態と化して動けなくしてしまうという、フロイスが得意とする術中にはまったのだ。

 フロイスは罠にはまったそんな男達に向かって「あゝ、嬉しいね。手間が省けたよ。これで私も心置きなく殺れるよ」と呟くと、赤子の手をひねるように次々と料理していった。


 フロイスはシャツとカーゴパンツに付着したホコリを手でパンパンと軽く払うようにしながら、やって来た男達の一番近い方に近寄ると、その首根っこをつかんで、ぽいとボールを投げるように建物側へ放り投げていた。

 それが済むと、残りの男達に向かって、流れ作業をするかのようにその頭部やあごの部分や首根っこを手でつかんで同じことを繰り返した。その間男達はフロイスのされるままになっていた。

 それが終ると、物陰に潜むジスとレソーにくるりと背を向けて、遥か前方に止まる三台の車両の方へ歩いて行った。

 そして、慌てて飛び出してきた男達を同じ手法で動けなくすると、付近の建物まで放り投げていった。また車内にいた方は、車から引きずり出して同じことをしていた。

 そのようにして、ものの三分も経った頃。全て片付いたのか、「おーい」と呼びかける声がした。それまで息を殺してフロイスの様子を見守っていた二人が路上に出ていくとフロイスが手を上げて、来いという合図を送っていた。

 その合図を受けて、すぐさまフロイスの元へ走って向かったジスとレソーは呆然とするばかりだった。それというのも建物傍の舗道に倒れていた男達全員が息をしていないようであったからだった。

 その姿は目をむいていたり、半分だけ開けた口から泡のようなものを垂れ流していたり、半開きになった目や口や鼻から出血していたり、おかしな位置や向きに頭や手足が折れ曲がっていたり、異様な形に身体が変形していたりしていた。そして全然動く気配がなかった。

 ――これじゃあ誰一人として生きていそうにないな。

 人の命を何とも思っていないフロイスに、二人はショックで目が虚ろとなって、背筋に冷たいものが走っていた。そしてこちらへやって来るときにパトリシアとフロイスから別々に言われた忠告が何とはなしに思い出されていた。


「あの人はいつもやり過ぎる傾向があるの。自分では手加減をするのが苦手だとか言っているけれどね。だからね、あの人の真似をする必要は全然ないのよ」


「毎日をのほほんと気楽に生きて来たお前たちに忠告しておくが、私等の仕事に夢を見ないことだ。現実はそんなに甘くない。私等の目的にかなうなら、例え道理が通っていなくったって人の命を奪わなければならない。それが無実な者達やか弱い女子供であってもだ。誰であろうと選り好みなくやらなくてはならないんだ。それには、たかが人間の命なんて、そこらへんにいる虫けらと同じで、いてもいなくても良いものだと思い込めば良いだけだ。どうだ、簡単なことだろう?」


 それと同時に、この人をあごで使っているパトリシアさんや一緒に暮しているゾーレさんは、正直言って凄いとしか言いようがないと思っていた。 

 ジスとレソーが揃ってフロイスの元に到着すると、無人となった三台の車両の中の様子をそのとき伺っていたフロイスは、生まれて初めての経験で緊張した面持ちの二人の顔を見るや否や、


「戦時下だからあんなものだろう。人を狂気に変えるんだ。こいつ等、服装もバラバラだし、ヘルメットも被っていないんじゃあ、正規の兵士ではないな。たぶん、テロリストの戦闘員のようだね。状況から考えて、都市全体がこいつ等の支配下にあったりしてな」


 そう自分の考えを述べると共に、三台の車を次々に指差して命令口調で続けた。


「お前たち、中の荷物は私等には全部無用だ。全て道路に放り出せ。もし住民が潜んでいるなら、これだけの死体があれば、その臭いに否応にも気付いてやって来るだろう。そのとき、中に置いといたって何も始まらない。誰もが警戒して取りに来やしないからね。

 車と武器弾薬は身を守ることができる上に、いざとなったら直ぐに金にできる、日用品と食料は私等からの特別配給だ。

 あ、それと倒れている死体は放っておけ。この国はどこも戦場みたいなものだから、何人死のうがみんな慣れてしまって騒動になることはない」


「はっ」その指示にジスとレソーはこわばった顔で言葉少なに応じると、さっそく手分けして事に当たった。


 フロイスが言うだけあって三台の車両内にはかなりな量の荷物が載っていた。武器弾薬、無線機、携帯のほか、飲料水や食料やアルコールの瓶が入ったダンボール箱や、遠出でもするのかテント、テーブルセット、発電機、簡易ベッド、ソーラーライトから始まって衣服類や毛布類や、鍋やケトルや簡易コンロといった生活雑貨も積まれていた。

 それら荷物を二人は大急ぎで道路上に放り出して車内を空にしていった。その合間に倒れて動かなくなった男達の人数を確かめると、実に十三名に上っていた。


 その間フロイスは、三台の車両が一様に見える少し離れた地点で立ち、尖ったあごに手を当てるようにして視線を宙にさまよわせていた。一人で何事か考え事をしているようだった。

 言われたことを全てやり終えて、二人が、「フローさん。終りました」と報告に行くと、フロイスが振り返るや、厳かな声で、


「よし、分かった。それじゃあ出発しようか」と応じ、三台の車両の内、明らかに居住性の悪い二台のトラックを選ばずに真ん中に止まっていたスライドドアが開け放たれたランドクルーザーの方向へ歩いていった。

 そして、無言で後部座席へ乗り込んでいた。

 フロイスのその行動に、直ぐにジスとレソーが反応。仲の良い者同士、目と目で意思を通じ合うと、仕事場に向かういつものパターンでジスが運転席へ、レソーが助手席へと乗り込んだ。

 三人が乗り込んだランドクルーザーの外側は装甲でガチガチに固めて重々しい雰囲気が漂っていたが、その内部は八人乗りを五人乗り仕様にしていた為なのか相当広く、ルームランプはシャンデリア風、シートと天井部分はワインレッド色をした最高級のレザーが使われ、フロアマットは最高級ホテルの通路に用いられている最高品質のカーペットと、豪華な特別仕様となっていた。

 ハンドルを握ったジスがさっそく車のスタートボタンを押してエンジンをかけると、即座に後部座席の中央にゆったりと腰掛けたフロイスから「おい、こいつ等がやってきた方向へ向けるんだ。この都市の真相を確かめに行こうじゃないか」と威勢のいい声が飛んで車は静かに発進。

 その場で車は、言われた通りにUターンすると、やって来た方向へと向かった。 


 信号機があっても機能していない曲がりくねった広い通りをしばらく進んでいくと、やがて建物が建ち並ぶ街並みが見えなくなり。代わって古代の遺跡なのか、滅茶苦茶に破壊尽くされた建物の遺構が拡がる景色が現れ。そこを通り過ぎるとガードレールのない路が真っ直ぐに伸び、たぶんトウモロコシ畑か小麦畑か何かなのだろう、黄金色に染まる草原が延々と拡がり、その所々に緑の森や何かしらの建物がパラパラと見えていた。その間、どういう理由なのか一台も車が走っていなかった。

 そこを半時間ばかり走って越えると、低木が点々と見える荒野が現れ。荒野を過ぎると今度は何もない荒涼とした砂の大地が拡がっていた。

 そしてそこも通り過ぎると、道路を挟んで片側に巨大な宗教施設の建物群が、もう一方には居住区域なのか、似たような形状をする低層の建物が密集して建っているのが見えていた。

 そしてその直後に、無人スタンドが道路沿いにあるのが分かり。そのとき燃料が半分近く無くなっていたのでこれは助かると、そこに一旦車を止めると、バッテリーの充電とガソリンの給油を続けて行い、ついでに休憩をとり、遅めの昼食を摂った。もちろんその時も同じメニューで。

 それから改めて出発すると、程なくして比較的大きな建物や高層のビルが密集して建ち並ぶ景観が姿を現した。

 そこを縫うように伸びていた公道を適当に進んで行くと、破壊されて廃墟となった建物が次々と出現した。その一角を通過していたときだった。

 サイドガラス越しに後部座席から辺りへにらみを利かせるように殺風景な周辺を見ていたフロイスが、何を思ったのか不意に車を運転するジスに向かって命令した。


「おい、ちょっと止めろ!」


「は、はい」


 言われたジスは慌ててブレーキを踏んで車を急停止させると、後ろを振り返り、驚いた顔で問い返した。


「フローさん、どうかしましたか?」


「ちょっと気になったものがたまたま見えたのでな」フロイスは落ち着き払ってそう言うと、真横の方向を指差して続けた。


「あのあたりの暗がりに死霊か地縛霊か知らないが、たくさん集まっている光景が見えるんだ。それを確かめたくって止めて貰ったわけだ」


「はっ?」


 ジスとレソーはフロイスが指を差した方向へ目を向けると、元はリゾート施設か何かであったらしく、半壊した巨大な石積みの門と周囲を取り囲んでいた鋳物製の立派な槍型フェンスが見え。また門の先には、三日月と円の形の穴が開けられた石のプレートが右端の方に建つ以外何もない広々とした空き地が見え。その向こう側の空間には所々途中で折れたり倒れたりしていたが大きな円柱の石柱や、元々敷かれていた大理石のタイルの残骸が見え。そして、その一番奥の方には焼けたのか真っ黒に変色している外壁しか残っていない大きな建物のがらんとした遺構が見えていた。

 だがフロイスが言ったものは、そのどこを捜しても見つからなかった。

 ――うーん、そう言われても……そんなものは見えないけれど。

 ――何もないような気がするけどな……。


 ほぼ同時に首をひねったジスとレソーは、お互いにきょとんと顔を見合わせると、ジスが代表してフロイスの方に振り向き、何とも歯切れが悪そうに応えた。


「あのう、僕達には何も見えないのですが……」


「あゝ、そうかい。あれが見えないと?」フロイスはふんと鼻で笑うと、もう一度指を差して念を押した。


「いるだろうが。私にはカエルの卵みたいなのがうじゃうじゃいるのがはっきり見えるが」


「はあ?」ジスとレソーは目を凝らしてもう一度フロイスが指した方向を眺めた。だがしかし何も見えず。揃ってぽかんとした顔で首をひねった。ジスもレソーも、見えないものは見えないといったところだった。

 そんな二人にフロイスは構わず、


「どうもあの辺りが行くところへ行けなくなった魂が集まる吹き溜まりとなっているらしいね。

 周りを飛び回っていたり、積み重なって木の枝みたいになっていたり、ひとかたまりに固まっていたり、私等を観察しているのかこちらをじっと見ているのもいるよ。あの数じゃあ百や二百ではきかないだろうな。

 魂には生前の潜在意識が本能みたいになってわずかに残っているんだ。

 例えばな、小さくて元気に動き回っているのは子供のまま死んだ魂で、ひんぱんに飛び回っているのはまだ死んだ実感のない者の魂で、じっとして動かないのは老人か意識のない者の魂で、動きがスローなのは生前障害を抱えていたか怠け者だった者の魂で、ぴったりくっついているのは親子か夫婦か兄弟かあるいは一族か学校の生徒達であった魂で、ぽつんと距離を置いているのは何かの理由で孤独のまま死んだ者の魂で。

 まあ、これだけの数が集まっているということは、実際に死んだのはこの数百倍、数千倍いるとみて間違いないから、たぶんこの辺りだけでも何万、何十万という住民が死んでいると見て間違いないな」  


 などと詳しく解説すると、改めて二人の方に振り返り訊いてきた。


「これだけ説明してやったんだ。どうだい、少しは見えるようになったかい?」


「……」


 二人は何と言って答えて良いか分からず。申し訳なさそうな顔で頭をかく仕草をしたり、虚ろな目で口ごもった。


「あゝ、分かった。お前達の言いたいことは分かったよ」


 二人から返事が直ぐに返って来なかったことに、すぐさま二人の答えを察したフロイスはそう言うと、窓の景色から目を逸らして座席にどっしり構えた。そして腕組みすると二人に向かって言った。


「そんなんじゃ話にならないと言いたいところだけど、お前達はまだ新米だからね。私等と一緒に行動して経験を積めば、いずれはっきりと見えるようになるだろうさ。

 私等のターゲットはな、何も人間や同業者に限ったことじゃない。吸血鬼や魔物やモンスターのときもあれば、あのような肉体を持たない生命体の場合もあるんだ。

 ま、そのときになってどうしていいか分からないと困るからな。少し知識を教えておいてやるよ。耳の穴をかっぽじって良く聞いておくことだ。一つ対応を誤ると死に直結するから、知らない忘れたでは済まされないからね」


「はい」


 フロイスの忠告に歯切れの良い声で返事を返して真剣な表情で耳を傾けた二人に向かって、フロイスは野性味あふれる表情でにやりと笑うと、うんちくを普段の荒っぽい口調で披露した。 

 その内容は――――

 大半の生き物は、死ねば行くべきところへ行く。ところが非常に稀なことであるが、死んだときにたまたま大気の流れがぴたりと止まっていたりとか、雷が鳴っていたりとか、大勢が一度に亡くなっていたりとか、大気のイオンや地磁気が不安定であったりしたときなど、様々な偶然が重なったときに、どこへも行くことができなくなって地上に居ついてしまう場合がある。

 それを一般に死霊とかゴーストとか幽霊と呼んでいる。その死霊の中でも、死んだ場所から動かないのを特に地縛霊と呼んでいる。

 死霊自体は元々色が付いていない。そのため、生まれ立ての時は見つけることは難しい。だがしかし、この世に留まるうちに段々と色が付いてきて容易く見つけることができるようになる。

 死霊は喜怒哀楽と言った感情を持つ。またが固まって出没するところには、食べ物が腐ったような臭いがしたり硫黄臭のような異臭が大抵する。

 死霊の中には人やその他の動物にとりついて悪さをするものや、生気を吸い取り、終いに死に至らせたりするのもいる。

 その死霊が何らかの理由で変異して狂暴化したものを一般に悪霊と呼んでいる。

 悪霊には感情や心というものはもはや無く、同類を食らい、あらゆる生き物に悪さをして死をもたらす。

 その中でも究極的に進化したものを悪霊と区別して邪霊と呼んでいる。

 邪霊は様々な悪霊が組み合わさったもので、目の前にあるありとあらゆるものをちゅうちょなく食らい尽くす。いわゆる災害みたいなものである。

 ちなみに死霊や地縛霊をいなくするのは、そう難しいことではない。居ついている地点から離せばそれで良い。ところが悪霊や邪霊はそういうわけにはいかない。すぐに退治しなければ後で取り返しのつかない被害が必ず出る。―――といった話で。

 フロイスは話し終わると、喋り疲れたのか腕組をしたまま座席のシートに深く頭を横たえ、ややダルそうな口振りで呟いた。


「さあ終わった。行ってもいいぞ。見たところ、あそこに見えたのはみんなザコだ。こちらが余程のことをしない限り放っておいたってどうってことはない。無害だ」


 次の瞬間、三人が乗ったランドクルーザーは時をおかずに動き出していた。


 廃墟と化した建物が集まった地帯を通り過ぎてしばらく行くと、通りや通りから分岐した公道に人の姿や車の往来がまばらに見られた。

 この地にやってきて初めて見る住民の姿だった。が、突然現れた三人が乗る車を見た途端に、クモの子を散らすようにどこかへと消え去ってしまった。走っていた車もしかり。いつの間にか見えなくなっていた。


 行った先に十字路が見えるところまでやってきたときだった。


「フローさん、ど、どうしましょう。ま、前が行き止まりになっているみたいなんですが? 前に人が立っています。じ、銃を持っています」


 どこか自信がなさそうな弱々しい声が車内に響いた。それまで一言も喋らずに前方に目を配って運転していたジスからだった。それも無理からぬことで。上背が六フィート以上もあって体格も恵まれている割に生まれつき怖がりでやや臆病な面があったジスは、先ほどフロイスが殺った男達の姿とフロイスから人が死んだ後の話を聞かされたダブルパンチで、ついつい変な妄想がまぶたに思い浮かんで頭から離れず、すっかりビビりまくっていたのだった。


「構わん。そのまま行くんだ。但しスピードを緩めてな」


「あ、はい」


 それから幾らもしないうちに、十字路の交差点がはっきりと分かる地点まできたときだった。

 交差点の付近に大型の重機・工事作業車が交互に止められて車両が直進することができないようになっていた。

 またその奥の方に黄色や赤色のバリケードが幾重にも並んでいた。そしてバリケードの前とその付近に建つビルの前では、銃で武装した複数の男達が立ち、周辺を警戒していた。

 どうやらそのビルがテロリストのアジトか何かになっているらしかった。

 

 交差点まで、もうあと五百フィート(約150メートル)弱というところまでになったときだった。


「おい、ここで止めろ!」フロイスの怒鳴り声が車内に響いた。


「あ、はい」ジスが慌ててブレーキを踏んで車を止めると、フロイスは身を乗り出してフロントガラス越しに前方の様子を眺め、


「臨時で作った検問所らしいね。あの先に何か重要なものがあるのだろうな。ま、行けば分かることだけどね」


 そう呟くと、ジスとレソーの二人に向かって指示した。


「お前達は私が合図するまでエンジンを止めてそこで待ってろ。私が上手く話をつけて来るからね。終ったら手を振って合図する。そしたら車を出せ」


「は、はい」


 二人が分かったと首を縦に振ると、見る間にフロイスはサイドドアを開けて車外へと出、その場で両手を上げるや、交差点の方向へ歩いて行った。

 旅行者風の身なりをしたフロイスが自分達所有の車から下りて来たのを怪しく思わないのは在り得ないことで。即座に武装した数人の男達がフロイスの元へ駆け寄っていった。

 そしてフロイスの術中に陥っていた。彼女の間合いに入った者は誰もが金縛りに遭って抵抗できなくなっていた。

 ただし今度は、金縛りに遭って動けなくなった相手を放り投げることはしなかった。投げた直後に物音が周りに響くのを意識したものと思われた。

 それに代わって、片手でプロレス技のネックハンギングツリーやアイアンクローを相手に仕掛けると、反応がなくなったのを見越してから手を放していった。 

 ただそれだけのことであったが、相手は力なく下に落下。ピクリとも動かずに地面に横たわっていった。

 軽くやっているように見えて、その威力が半端でないことを、フロイスと一緒に行くにあたってパトリシアから「あなた達、フロイスは短気な性格だから、彼女の前では絶対になれなれしくしたりため口をきいちゃあダメよ。彼女はね、千ポンド(約450キログラム)以上ある野生のヒグマののど首を一つかみしただけで息の根を止めることができる握力の持ち主なのよ。それもそのまま軽く投げ飛ばすんだから。もしも私の忠告を破ったらどうなっても知らないから」と釘を刺されて記憶にとどめていたジスとレソーは、その光景を止めた車の中から目にして、改めて大げさでも冗談でもないと分かり表情がこわばっていた。

 車の中でじっと息を殺してその様子を見つめるそんな二人をよそに、フロイスはものの一分もかけることなしにその場の全員を始末すると、誰もいなくなった交差点を通り警戒が厳重なビルに向かって平然と歩いて行った。

 それから程なくして、ビルから出てたフロイスは片手をゆっくり上げた。

 終ったから来いという合図で、直ちにジスはレソーと顔を見合わせて間違いないかどうか確かめると、急いで車のエンジンをかけ勢い良くアクセルを踏み込んで車を発進させた。

 途端に、タイヤをきしませて急発進したジスが運転するランドクルーザーは十字路の手前に止められた大型の重機や工事作業車を避けるようにして交差点へ侵入。ものの数秒でフロイスが待つ地点に到達していた。

 そのときフロイスが立っていた付近やビルのエントランスの辺りに多数の人が倒れているのが目に入ったことで、ビルの内部は結構な修羅場と化していると見てまず間違いなく。

 このまま行くと、この人は一体どれくらいの人を殺すんだろう? 衝撃と恐怖が入り混じったそのような思いがジスとレソーの脳裏に自然と湧き上がっていた。


 ジスとレソーが呆然と見つめる中、フロイスは顔色一つ変えずに車に乗り込んで来ると、指定席の後ろの席へと座り、いつもの乱暴な物腰で、


「あいつ等から本部の場所を訊き出して来たよ。真っ直ぐに行くんだ。そうするともう一ヶ所検問所があって、そこを通過すると工場が集まった地域に出る筈だ。その中にある一つの工場の建屋があいつ等テロリストのアジトだ」

 

 そう言われたジスは、勢い良く「はい」と返事を返すと、速やかにフロイスの指示に従い、通常の二車線路の倍の道幅があった広い道路をまっしぐらに進んだ。それから間もなくすると、もはや建物の影も形もなくなり。代わって砂漠の大地が辺り一面に拡がっていた。

 だがそれも束の間で、程なく行く手に二つのトンネルが連なり、その両隣には堤防のような高い土塁が築かれているのが見えた。

 またトンネルの向こう側には監視塔や電波塔やレーダー塔がそびえているのが見えていた。

 そしてトンネルの隣に詰所のような小さな建物が一つあり。その前に、麦わら帽子を頭に被りグレーっぽい粗末な衣服を身に着けた老人がうつむいて身じろぎもせずにイスに持たれ掛かっていた。その隣には白い毛並みをした一匹の大型犬がぐったりした様子で寝そべっていた。

 そのときフロイスは、トンネルまでもうあと千フィート(約300メートル)という辺りでジスに車を止めさせると、車内で待機する二人に背を向けて、ごく普通に唯一の人影の元へと歩いて行った。

 あのような場所にトンネルを作る意味などない。あれは聞いていた検問所の可能性がある。いや、限りなく検問所だと疑って、様子を見ようとしたのだった。


 フロイスが徐々に近付いていき、ふたりの距離が三十フィート内外となったとき、ようやくフロイスの気配に気付いたのか、老人は真っ黒に日焼けしたしわだらけの顔を上げると、建屋に立てかけてあった木の長い棒を杖代わりにしてイスからゆっくり立ち上がった。

 それに同調するように老人の近くでじっとうずくまっていた犬が頭を上げると、老人の傍に静かに歩み寄っていた。犬は上手く飼い慣らしていると見えてフロイスの姿を見ても一切吠えなかった。

 そのタイミングでフロイスが足を止め、腰に手を置いた姿勢で何やら話し掛けた。老人がそれを受けるようにぶつぶつと応え、ふたりの間でキャッチボールするみたいに会話をしばらく交わしていた。

 しかし十分もしないうちにフロイスは、どういう気紛れなのか老人をそのまま放置したまま踵を返すと車に戻り、指定席の後部座席に深く腰を下ろすなり、あの老人が殺されなくて良かったと胸を撫で下ろしていた運転席のジスに向かって開口一番、


「良いというところまで引き返すんだ、早くしろ!」


 それだけ言うと、何かを考えるように頭の後ろで手を組んだ。

 一方指図されたジスは、どうして引き返さないといけないのか、その理由がさっぱり分からなかったが、ともかくも一つ返事で従うと、急いでエンジンをかけて車をUターンさせ、元来た道を戻った。

 そのようにして三人が乗ったランドクルーザーがトンネルからかなり遠ざり、黒い点にしか見えなくなったとき、フロイスは改めて口を切った。


「あの年寄りに、道に迷った、このトンネルを抜ければ良いのかと話し掛けて、あの年寄りが反応して来たのを良いことに、色々と訊き出してやったんだ。あのトンネルは間違いなく検問所だった。

 元々あの年寄りは検問所で長く働いていたらしい。だが、検問所がフルオートメーション化されたせいでリストラされて、今はあそこでアルバイトの守衛兼交通誘導係として食いつないでいると言っていたな。

 そいつが言うのには、人を見かけないのは人工知能AIが監視カメラで管理しているからなんだそうだ。無理に通り抜けようとしたり不審者だと認定されるとサイレンを大音響で鳴らして周辺に注意を喚起するらしい。

 それで一旦引き返す振りをしたんだ。

 周りから見張られているのが諸分かりだったので、ずっといて、いつ不審者と認定されるか分からなかったからね」


 その言葉で、老人を殺らなかったことや、なぜ速やかに離れたのかへの謎が全て解けたとしてジスとレソーは共に納得して思った。

 ――なるほど、そういうことだったんだ。

 ――さすがフロイスさんだ。そつがないな。


「そういうことでだ、途中で車を放置して上空から中に入ろうと思う。一緒に向こうまで乗って向かう手もあるにはあるが、車が見つかった場合がやっかいだからな」 


 フロイスの提案に二人は全く異存がなく。速やかに同意すると元気にあふれた声で返事を返していた。

 やがて先に通過した廃墟と化した建物が集まった地帯にさしかかったとき、フロイスから「もうこの辺りで良いだろう」と声が飛んだ。

 ジスは言われた通りに道路の端に車を寄せ、エンジンを切った。そしてふと浮かんだ疑問を訊いた。


「車はどうします、このままにしておきますか?」


「ああ、放っておくと盗られる恐れがあるからね。まだ利用価値もありそうだから保険でも掛けておくとしようか」


「あ、はあ」


 それからフロイスに促されるまま、ジスとレソーは理由も分からず荷物だけ持って先に車から降りると、最後に下車したフロイスは何を思ったか、装甲や特殊なタイヤを装着するなどして元の重量より相当重くなっていたランドクルーザーの車両の下部分に両手を掛け、その怪力で持ってゆっくり車体を持ち上げて行き、終いに道路端の砂の地面に車体を横倒しにしていた。


「これで少しは持つだろう。運転を誤って転倒したとしか見えないように偽装したからね」


 それを見て何という恐るべき怪力なんだと目を丸くしていた二人の前で、フロイスは何食わぬ顔でそう言うと、その場で飛行の魔法を時を移さずに発動・展開し、ジスとレソーと共に空へと一気に舞い上がった。

 フロイスの飛行の魔法は一種独特で、別にこれと言った詠唱なしにいつでもどこでも発動し、おまけに単に自らが飛行するだけでなく物を一諸に運ぶことができるのだった。また空中で一時停止することも小回りな動きも可能だった。

 その乗った印象を一言でいえば、転倒や転落や滑るのを防止する安全装置が付いた無色透明な板状のものの上に乗り、あらゆる大気の変化からガードする無色透明なバリアに囲まれた状態で空中を移動している感じだった。従って、ふと気が付くと空中に浮かんだ状態で前進していて、空中を飛行しているという感じは全くしなかった。


 道路のちょうど真上付近を飛行しながらトンネルや色んな鉄塔がそびえ立っていた地点を通過して尚も行くと、じきに道路とフェンスに囲まれた広い敷地内に幾つもの大きな建物が並んで建っている光景が見えてきた。中には球状や丸いタンクが整然と居並んでいたりソーラーパネルが敷き詰められた一角もあった。

 フロイスが言っていた、工場が集まった地域に違いなかった。 

 しかしながら、上空から見た限り、単調な色をする建物の屋根と多数の車両が駐車する広い空き地ばかりが視界に飛び込んでくるばかりで、どれもこれも同じように見えていた。

 そういうこともあって、フロイスは建物が建つ広い周辺を二周して、その一帯に見えた工場の中でも、ひときわその敷地と建物が半端でなく広大で大きかった工場がそうだろうと目星を付けると、その上空で一旦停止し、今度はどの場所に降りるか、腕組みをして選定しにかかった。

 そのようにしてようやく降り立った先は、全部で三棟並んで見えていた細長い形状をした建物の内、ちょうど真ん中に位置する建物の屋上で。その建物は同じように建つ周りの建物から判断して、十階建てで、外観から考えて住居専用の建物らしかった。

 できるだけ監視の目が届かないところと、フロイスが選んだ結果であった。


「どうやらこの建物は、両隣の二棟と同様に集合住宅らしいね」


 降り立ってしばらく屋上から周辺を見回したフロイスはそう一言感想を漏らした後、直ぐに下の階に通じている階段に目をやると、


「さあ行こう、お前達。荷物を置いて付いてお出で」


 そう言って先に歩いて行った。

 フロイスのその言葉に、どうやらこの場所が今夜の宿営地になるようだなとジスとレソーは揃って想定すると、持ってきた二つの軍仕様のズタ袋を急いで屋上の隅に隠してから、そのあとを追うように続き、屋上から下に下りる階段を進んだ。

 そして下の階に下りると、左右にドアが並んでいた通路を注意を払いながら進んだ。が、どこも出払っていると見えて、いずれのドアにも鍵がかかり、中には人の気配が全くしなかった。その下も、またもう一つ下も同じで。やがて一階までやって来ていたが全く同じであった。生活感があるのに誰もいなかった。


 何も収穫のないまま三人は地上まで下りると、建物の物影に立ち、今後の予定について打ち合わせをした。といっても発言をするのはフロイスばかりで、ジスとレソーは聞いて頷くだけであったが。

 そのときジスとレソーは、建物の中に人の姿がなかったことに正直ほっとしていた、誰も死なずに済んだからとして。

 しかしフロイスは全く意に介していないという風に「みんな外出しているみたいだね。その方がこちらも好都合だ」


 苦笑しながらそう言うと、ああ、そうそうと思い出したように声を上げた。


「さて、ここからが問題だ。監視の目に触れないように忍び込まないといけないからね。

 先に言っておくが、私等は酔狂で正面から堂々と乗り込んで殺りにいくまねはしない。あくまで隠密裏に私等の正体どころか存在すら相手に知られないようにして殺るんだ。

 そういうわけで、工場の建屋に侵入するのに正面からは行かない。

 また私等は泥棒や強盗のように屋根や窓や壁を壊したりトンネルをわざわざ掘って入ったりもしない。

 ではどうするかというと、この場合は比較的監視の目が緩くて荷物や人でごたごたしている倉庫や集荷場や出荷場を経由して入るんだ。つまり人や荷物が出入りする隙をついて忍び込むのさ」


 これからの予定をこじつけたような説明をしてフロイスは辺りを一べつすると「さあ行くよ。私の後へ付いてくるんだ」と告げるや否や、付近で顕著に目立っていた、工場の建物辺りから出て敷地の外へ向かって伸びていた巨大なパイプラインの方へ駆けて行った。

 当然ながら二人も遅れてはいけないと続くと、フロイスはそのパイプラインに沿うようにして、大型バスと自家用車が複数止まっていた広い駐車場の横を通り、遥か先に見えた、緑の木立に囲まれるようにして建っていた巨大な工場の間近まであっという間に到達していた。

 工場は淡いグレー色をしていて、見上げる程の高さで、窓を始めとして非常階段や排気ダクトといった付属施設が一切見受けられなかった。その他に目立った特徴として建物の壁面に三日月と丸い円が並んだ大きなロゴが描かれていた。同じロゴはそこ以外にも、すぐ前に立つ広告塔にも見られた。

 そのロゴは、この都市名スフィンリ・ヤーミヤンの紋章を現していた。つまり早い話、この工場自体がスフィンリ・ヤーミヤンの支配下にあることを意味していた。

 だが三人は単なる企業のロゴマークぐらいしか認識せずにスルー。打ち合わせ通りに、人気のなかったブロンズガラス張りのエントランスやそれ以外の出入口には見向きもしないで工場の外周を回ると、大型のトラックが数珠つなぎに並ぶ地点へとやってきていた。

 そこでは複数のフォークリフトがひっきりなしに動き回り、先頭の車両から順番に荷物の積み込み作業が行われていた。フロイスが目指した場所で。フロイスとジスとレソーはその作業の合い間の一瞬の隙を突くと、難無く建屋の内部に侵入することに成功していた。

 三人が入った工場の内部は薄暗く、人の気配は確かにあることはあったが疎らで。何かしらの機械か装置が稼働している振動音が聞こえた方向へ向かうと、そのうちに天井が高い広い空間についていた。

 そこでは見たことのない巨大な機械装置が何台も横置きに並んでいて、同じ数量の大型のポンプと共に轟音を響かせながら動いていた。

 その他にも、小さな発電所の役割ができる大型の燃料電池や超特大のタンクがずらりと並び、その周辺を大小の配管が走り。また壁際にはダクトやパイプ類が多数見られた。


 そんなとき、ずっと緊張した面持ちで歩くジスとレソーと対照的に、自信満々にゆったりと機械の騒々しい音がする中を歩いていたフロイスが、何を思ったのか、


「お前達。どうだい、この工場で製造しているものは何だか分かったかい?」と二人に質問を唐突に投げかけた。 

 フロイスの直ぐ後ろを歩いていた二人はそれまで積んできた長年の経験から、この場所は機械室か動力室ぐらいまでは分かったが、それ以上のことは何も思い浮かばなかった。

 二人は当然のように黙り込むと、しばらくしてジスが口を切り、正直に答えた。「分かりません」

 それにつられてレソーも、「僕も同じです」と続いた。


 二人から答えが出なかったことに、フロイスはにやりと笑うと、


「まあ、これだけのヒントじゃあ分かりづらかったも知れないが正解は水だ」そう告げて先の老人から仕入れたうんちくを披露した。


「この下の地面に水資源が豊富に埋蔵されていてな、ここで一旦汲み上げてから外のパイプラインで周辺に送ったり、付加価値を付けたりして別の都市へ輸出しているんだ。

 従ってここを押さえられたら最後、都市の住民はなすすべもなく従わざるを得ないんだ。何と言ったって、水が手に入るか入らないかは住民にとって死活問題だからね。

 それにしてもテロリストの野郎め、上手いことやったものだよ。都市の心臓である水資源を人質にして居座っている限り、住民ににらみが利くし、外部から攻撃しづらいからね」


 そんな雑談を交わしながら、そこを過ぎると通路に出ていた。通路の向いには透明なドアが見え、その中ではヘルメットに作業服姿の男達が何人もいるのが目に付いた。どうやら通って来た部屋にあった器械類を運転したりメンテナンスをする要員なのだろうと思われ。その彼等に隠れるようにして、隅の方にカーキ色の戦闘服姿の男が数人、銃を持って立っていた。


「あれは戦闘員とここの従業員だろう。従業員は、たぶん家族でも人質にとられて無理やり働かされているのだろうな」


「……」


「気付かれないように、もう少し中を探索しよう」


 そのような会話をしながら、三人は見つからないようにさらっとその場を通り過ぎると更に奥を目指した。

 ところが十歩も行かないうちに先頭を歩いていたフロイスが、何を思ったのか急に立ち止まると、「良い考えが思い付いた」と口を切り、二人に向かって男子用のトイレの場所を捜すようにと命令を出していた。

 その不可思議な命令にジスとレソーはわけが分からないと顔を見合わせたが、ともかく言われるままトイレの場所を直ぐに見つけて報告すると、二人の案内でその場所に向かったフロイスは、その辺りを物色。そこで見つけた物置きか道具入れに使っていた小部屋を指差すと、「私等じゃあ目立つから身代わりを立てようと思ってね。この中で待ち伏せしよう」そう伝えると、三人でその中に身をひそめた。


 すると何と一分もしないうち内にトイレにやって来る足音が聞こえた。それも一人でなく複数の。

 さっそくフロイスは、しめしめ良い按配にカモが現れたよと舌なめずりすると、相手がトイレに入って出て来たところを、ジスとレソーを巻き添えにするのも構わずに小部屋の中から金縛りの術を発動。一瞬で身動きできなくして、そこから飛び出すと、白い布で顔を半分隠してよれよれのシャツにアーミーパンツとラフな格好をしていたり、民族服みたいな衣装を着ていたり、きちんと軍隊の服装をしていたりと、それぞれ思いのままの格好をした三人の男が目の前に立ち、そのいずれもが起こった状況を理解できないのか目を白黒させていた。

 そんな三人について、身代わりは何人いたって構わない。どうしたって結局は使い捨てにするわけだしとフロイスはニヤニヤしながら近付くと、「お前達に秘密の命令を与える。好きなルートで工場内を一周して戻ってくるんだ。そのとき、決して立ち止まってはいけない。誰にも命令を話してもいけない」と、時を置かずに『強制暗示、フォルストソウル』を発動して解放していた。

 その際、便利なものは分け隔てなく取り入れれば良いという、道具や手法にこだわりのないタイプだったフロイスは、はいていたカーゴパンツの複数あったポケットの一つのチャックを開けると、実に地味で泥臭い手法であったが、中に入れていた盗撮用の小型カメラが付いた備品の内、これがしっくりいきそうだとドクロのブローチを選んで彼等の服地にピン止めして、ジスとレソーが持っていた携帯を通じてライブ映像が見えるようにセット。彼等が一周して戻ってくるまでの間、小部屋に隠れて工場の中の様子をつぶさに観察して数々の情報を得ていた。

 例を挙げれば、――――

 休憩所なのか、広くて明るい空間に大中小のガーデンテーブルとイスが何十セットと置かれてあり。若い者から老年までの広い年齢層の男女が皆思い思いの服装でそこに腰掛けてゲームや賭け事に興じていたり、何かしらの書物や冊子を読んでいたり、手持ち無沙汰そうに煙草を吹かしていたり、紙コップに入った飲み物を飲みながら会話を楽しんでいたり、或いはフロア上で横になっていたり、胡坐を組んで居眠りしていたり、武器の手入れをしていたりと各自好きな風に時間をつぶしていた。

 見た感じ、倉庫らしいところに段ボール箱とセメント袋が山と積まれていて、男達が手作業でそれらをパレットに載せる作業をしていた。

 体育館みたいな広い部屋にトレーニングマシーンがずらりと並び、揃いのトレーニングウエアを着た二百名近い男女がそこで汗を流していた。その続きの部屋では、それぞれ十人ぐらいがバスケットやバレーボールに興じていた。

 薄暗くした個室ではざっと二十名の男達が雑魚寝をしていた。そのような部屋が通路の両隣に十室ずつほど並んでいた。

 明るい照明の部屋では武術の鍛錬をしているらしく、道着を身に着けた五十名ほどの男達が規律よく身体を動かしていた。

 製造ラインだろう、ペットボトルに次々と水が注入されていく光景があり、その傍に全身白い作業着に身を包んだ女性がそれを傍観していた。また別のラインでは氷を袋詰めにしていて、その近くで白い作業着に長靴姿の男達が箱詰め作業をしている光景があった。他にも赤、青、黄色とカラフルな色が付いた液体が機械を通って出てくると、自動的にパック詰めになっていく光景が見えた。

 イスと机がずらりと並んだ講義室みたいな広い部屋の中では、思想教育でも行っているのかヘッドホンを付けた十代前半の少年少女が目を閉じて何かを静かに聴いていた。その数、数百人はいた。

 飛行機の格納庫ように広い倉庫に、装甲車を始め、装甲車に改造した各種車両からミサイル自走発射台車や自走砲がずらりと並んでいた。

 その中には三人が途中で放置して来たランドクルーザーやピックアップトラックも当然のように含まれていた。またその隣には、まさに狂人に刃物というべきか、特攻用と人攻撃用のヘリコプターや飛行機やロボットの姿をした各種最新式ドローンが、それぞれ百機以上置かれてあった。

 古代ギリシャの建築様式を真似たような豪華なプールでは水着姿の男女が水泳を楽しんでいた。

 また別の倉庫には、段ボールや木の箱が山のように積んであった。蓋や横の面に喫煙禁止のステッカーが貼ってあったことから、火器を嫌う物がどうやら入っていると思われた。

 その中でも特に注目したのはエレベーターだった。工場建物の規模からみて三階くらいまではあるだろうと見ていたが、実際は地下三階、上の階は五階まであった。

 そのことは、かなりな量の人がいることを示していた。だがフロイスは、「人が何百人増えようがこれから行なおうとしていることには何の影響もないけれどね」と平然と構えていた。



 程なく十五分が過ぎようとしていた。果たして三人の男達はフロイスの命令通りに次々と戻って来た。――最後まで暗示が解けなかったみたいだね。

 『強制暗示、フォルストソウル』は即座にかけられる分、比較的長期間効果が見込める『洗脳、メディトール』と異なり、肉体的に強いダメージを受けたり、ある程度の時間が経つと効果が消滅してしまうため、フロイスはニヤッとほくそ笑むと、時間差で戻って来た男達と、ちょうど運悪く通りかかった二人の男達をその化け物じみた怪力で持って情け容赦なく毒牙にかけては、ぐったりしたところを潜んでいた小部屋に引きずり入れた。

 それ自体、一寸の無駄もなく。まさにプロの暗殺者の所業といっても過言でなかった。

 そして、その行為の一部始終を呆然と見つめていたジスとレソーに向かって、「内部のことも粗方分かったことだし、ここからが本番だ」平然とそう告げると、再びカーゴパンツの一つのポケットに手を入れ、半透明をした柔らかい物体を取り出して二人に手渡し命令した。


「お前達、これを顔につけるんだ」


 それは、目にあたる部分がミラーグラスになっていて、鼻にあたる部分に二本の短いチューブが付き、口にあたる部分がフィルター構造になっていた。どうやら目元から口元までカバーする樹脂製のフェイスマスクのようだった。だが二人にはわけが分からず中々付けるのに踏み切れないでいると、それをじれったく思ったのか、強い口調で、


「これはこう付けるんだ」


 フロイス自らが顔に装着して手本を示した。それによって戸惑っていた二人がフロイスに倣うように何とかマスクを顔に装着すると、それを見届けたフロイスは、目の前に折り重なるように積み上がった五人の男達の死にたての身体を指差すと言い放った。


「大抵の強力な毒というのはタンパク質由来という理由でな、薬草から水薬を製造する要領で、今からこいつ等を使って猛毒を生成するからな。

 人助けをする気はさらさらないけれど、これ以上テロリストに付け上がらせるわけにはいかないのでね。脅されて無理やり働かされている者達には悪いがこの際は運が無かったものとして犠牲となって貰い、この中の全員を皆殺しだ」


 そう断言して、男達の上に両手をかざし、「シェオルフューム、冥府の彷徨える風よ……」と何やら呪文のようなものを詠唱し始めた。

 途端に、五人の男達の身体から薄っすらと黒っぽい煙が立ち上り始め、マスクを装着した三人には分からなかったが、腐敗した生ごみが放つ強烈な臭いそっくりな刺激臭が辺りに漂った。


 そのときジスとレソーは口にこそ出さなかったが、大変なところへ来てしまった、早く帰りたいと思っていた。  

 だが幾ら悔やんだところで、ここまで来た以上は既に手遅れと思われ、この上は成り行きに従うほかないと思っていた。

 ふたりは感情が抜け落ちた目で、余りにも手際の良いフロイスの行為を呆然と見つめながら、


『これまでに一体どれくらいの人をこの人は殺して来たんだろう?』そんな思いがふと頭をよぎっていた。


 ところがフロイスは、始めて五秒もしない内に、なぜか突然詠唱を止めて手をかざすのを中止。


「あゝ、そうだった。私としたことが浅はかだった。こんなんじゃ、私等には何の得にもならない。実に滑稽だ。もう少しでタダ働きするところだった」


 自嘲めいた笑みを浮かべて反省の念を吐露すると、二人に向かって、


「皆殺しはやめだ、取りやめだ!」乱暴にそう言い放って言い添えた。


「もっと良いことを思い付いてね。ここを無傷で制圧するぞ。ま、それについてはお前達に働いて貰うが。良いね?」


「……」


 余りにも急なことに、ジスとレソーは共に何と反応して良いか分からず。一番無難な方法として何も反論せずに首を縦に振った。するとフロイスはそれに頷いて応えると、ややきつめの口調で、


「お前達二人には陽動を担当して貰う。しょぼい役だけど、お前達の一人は誰にも気づかれないようにしながらあちこちでぼやを起こすんだ。早い話が放火だ。ただしゴミ箱への火つけといった自然に消えるか直ぐに消せる単純な放火に限定だ。深刻なものはダメだぞ。後でこちらが消して回らなくちゃあいけなくなるからね。

 もう一人は建物の天井や通路の下に通っているセキュリティーと通信関連のケーブルを燃やしてショートさせて回るんだ。切断すると向こうは警戒するけれどショートしただけじゃあ事故としか思わないからね。その間の仕事がし易くなるというものだ。

 どれがセキュリティーと通信関連のケーブルか分からなければ、束になったケーブル全体を燃やせば良い。

 当然として火災警報器が作動して機械が止まり、中でいた者達が全員異変に気付いて騒いだり立往生すると思う。そのときが私の出番というわけだ。

 火事のときとそっくりな煙が建屋の中に充満するはずだから、お前達はすぐさま屋外に非難するんだ。煙は有害だから決して吸うんじゃないよ。吸ったら最後、丸一日間は目が覚めないからね。そのためにマスクをして貰っているんだ。仕掛けた者が同じ目に遭ったんじゃ何をしているのか分からないからね」と段取りを事細かに説明してから、あゝ、そうそうと何かを言い忘れていたのか更に付け足した。


「事が済んだら私は一旦戻るからね。用事を済ませるまで、そう四時間から四時間半ぐらいは帰ってこないと思う。その間、お前達にして貰いたいことがある。

 一つは、そこいらに転がって眠っている者達を何ヶ所かに分けて固めて並べていくことだ。別に無理して一つの場所に集める必要はない。

 何しろ、都市一つを支配下に治めるくらいだからテロリストの戦闘員の数はどれくらいひいき目に見ても五千はくだらない筈だからね。ひょっとしたらその倍はいるかも知れない。

 そういうことで、手間がかかると思うがこれもお前達の仕事だ。私が再び戻ってくるまでに、手を抜かずにやるんだ。

 あともう一つは、どこかに潜んで、運よく逃げ延びている者達を見つけて捕えることだ。

 そうは言っても、お前達は新米で慣れていないと思うから、一つ知恵を授けて置いてやろう。

 持ってきた袋の一つに、確かシルバー色をしたハンドガンそっくりなスプレーガンがカートリッジと一緒に入っている筈だからそれを使って相手を眠らせて捕えるんだ。

 スプレーガンだがカートリッジを取り付けると普通のガンと同じで引き金を引きさえすれば直ぐにガスが発射される仕組みになっている。

 カートリッジの中身は単なる催眠ガスだから、そう、六インチから十二インチの至近距離から相手の首筋から頭の側面にかけて噴霧すると良いだろう。直ぐに目を回して気を失う筈だ。並みの人間だったら約五時間ぐらいは効果が見込めると思う。

 ただし間違っても顔を目がけてやるのはやめておけ。窒息して死ぬことがあるからね。

 あ、それとお前達は新米だから必ず二人で行動して、お互いに見落としがないか確認し合ってやるんだ。分かったね、忘れるんじゃないよ!」


 などと一方通行的に話すと、「さあ行くんだ。行ってお前達の役目を果たすんだ」そう促して二人を行かせたフロイスは二人の姿が見えなくなったあと、不敵な笑みを浮かべて舌なめずりしながら自らの準備を始めた。

 ――いいねえ。こういうのが欲しかったところだ。これだけの人間が一ヶ所に集まって、突然消えたとしても誰も何とも思わない状況が。

 あゝ、これで、せこい誘拐をしなくて済むというものだ。


 フロイスは、別に頼まれもしないのに誘拐事件を頻繁に起こしては、捕らえた男女をサイレレに提供していた。

 そのとき誘拐するターゲットを、もしいなくなっても捜索願いが出なければ警察も動かない人間、すなわち下っ端の犯罪者に絞って犯行に及んでいた。

 その手口は単純で、比較的新しい大型のワンボックスカーを一台用意して、遠隔操作で炭酸ガスが噴出する装置を運転席に載せるだけだった。そして、運転席側のロックをしない状態で、本通りから少し外れた人気のない通りやダウンタウン周辺の道路に止めて準備が完了。

 それから物陰に隠れて五分から十分も待てば、十代から二十代の何も知らない大馬鹿野郎が、一度に一人か二人現れてロックのかかっていない車に乗り込み、ものの十数秒でトラップにひっかかっていた。

 後はそのタイミングで物陰から出て行き、一時的に二酸化炭素中毒になり、頭がもうろうとした自動車泥棒をその場で簡単に拘束してから、頭から麻袋を被せて袋詰めにした上で、後ろの荷室部に放り込めば一丁上がりだった。

 その行為を場所を変えながら繰り返し、総数が二十名に達したところで誘拐は終了。最後にサイレレの元へ運んでいた。


 フロイスはゆっくり歩いて通路へ出ると、またもやカーゴパンツのポケットの一つのチャックを開けた。

 そこには、それぞれの色が異なるエナジードリンクサイズの金属カプセルの容器が三本、キャップをしたまま未使用で入っていた。

 フロイスのオリジナルで、黒と乳白色をした容器には擬似の煙、『煙の素』が入り、キャップを開けるとその色と同色の煙が噴出する仕掛けになっていた。

 ちなみに黒い色の煙は本格的な火災が発生したと思わせて恐怖心をあおるのに対して、白い色の煙はちょっとしたぼやが発生したと思うくらいの程度で相手を油断させることができるとして、用意していた。

 あと、残りの青い容器には『砂の妖精の欠片』が入っていた。これもフロイスのオリジナルで、星状をする微細な砂を一旦浴びると目を開けていられなくなり、あっという間に深い眠りに陥り、丸一日ぐらいは決して目を覚ますことがないのだった。


 ほくそ笑みながらフロイスは、せっかくの獲物が外に逃げ出されるとやっかいだとして、乳白色の容器と、この作戦の中心となる薬剤が入った青色の容器をその中から取り出すと、今か今かと立ち尽くした。

 しかしそれほど時間がかからなかった。ほんの三分もしないうちに、火災報知器の独特な警報音がどこからともなくけたたましく鳴り響いたのだ。


「ふん、これくらいできて当然だ。それじゃあ私の番だな」


 フロイスは軽く呟くと、それを合図に乳白色色の容器のキャップを一気に開けた。

 たちまち容器から多量の白い煙が物凄い勢いで通路内にあふれ出た。その量は通常の発煙弾の倍以上で、たちどころにフロイスの姿を完全に隠していた。

 そのような中、フロイスは残った容器のキャップも開けた。

 次の瞬間、中から粉末状の青いものが金属粉のようにキラキラと艶やかに輝きながら容器から勢いよくほとばしり出てくると、直ぐに煙に交じり合うように拡散して見えなくなっていた。


「これで準備ができた。あとはこの煙を操りさえすれば良いだけだな」


 フロイスはにんまりすると、白煙をまといながら通路を進んだ。「さあ行くぞ、 どいつもこいつもさっさとおとなしく眠り上がれ!」


 そのとき目に付いた扉やドアや窓をフロイスは片っ端から少しずつ開けて回った。

 当然として通路に充満していた煙が、通常の煙の十倍以上の速いスピードで音もなくその隙間を通り内部へ侵入。加えて、臭いもほとんどしなかった関係で、火災警報器が鳴ったのでどこかでぼやでもあったのかと油断していた者達を次から次へと呑み込んでいき、そのあとにはおびただしい数の男女が気を失って倒れていた。

 フロイスは山のように辺りに転がる者達に向かって、顔をほころばせ見下すと、


「恨みっこなしだよ。と言っても恨むこともできないか。何て言ったってお前達の行き先はあの世でも、漆黒の闇でもない。思考停止の全くの無の世界だものね。アルカディック魔術によって一度魂が弾け散ってしまうと、欠片となったまま、もう元に戻るのは難しいらしいからね。せいぜい生まれ変われたとしても一番下等な虫けらが関の山だろうな」


 そう放言しながら、そつなく立ち回った。


 その間、銃声の一つも聞くこともなく、また一滴の血を流すこともなく、そして建物が傷付くこともなかった。慌てたようにとび出してくる者もいなかった。

 そうして三十分もしないうちに工場全域を呆気なく制圧していた。それとシンクロして煙も消失していた。

 フロイスは静まり返った工場を後にすると、最後の仕上げとして外に出た。工場に侵入する途中で見かけた車両にも同じことをするためだった。

 建物のない空き地ばかりが目立ち、見晴らしの良かった外では大型トラックが三列から四列ずつ横並びに止められ、その付近をフォークリフトや作業員達が相変わらず忙しく行き交い、荷物の積み込み作業が普通に行われていた。

 そして荷物を積み終えたトラックは次々と工場の正門や通用門へと向かっていた。

 しかし門が閉じられたままなので、敷地の外に出られないらしく。何台ものトラックが道路上に連なって立ち往生している光景があった。

 その様子を遠目から見たフロイスは、


「ふふん、運悪く出られないみたいだね。これじゃあ、かごの鳥だな。どうやら工場側が敷いていた厳格なセキュリティが仇となっているらしいね」


 鼻で笑ってそう呟くと、警棒風の武器を持った手を肩の上で軽く上下に振った。

 警棒風の武器に見えたものは、攻撃用に特化したバトン型スタンガンだった。しかも最新式で、安全装置を解除すると、バトンの先端部を相手に触れさせるだけで自動的に放電が起こりインパルス電流が流れるオートパワーオン方式になっていた。

 たまたま何の変哲もない場所を通りかかり、そこに見えた部屋の扉を少しだけ開けた折りに、怨霊がいるような異様な気配を何気なく感じて扉の奥をのぞき込んだとき、誰も中にいなかった代わりにテーブルの上にムチの棒と共に置かれてあったのがふと目に付いて持ってきたのだった。

 そのとき、武器の国際見本市を少し前に訪れた際に軍隊の装備品のコーナーで展示されていたのを偶然覚えていたので、「『砂の妖精の欠片』が種切れしても、これを使えば何とか生かして捕えることができるかもね」と、もしかしたらの場合に考えていた、骨を折って動けなくするという方法に保険を掛けたつもりだった。

 ちなみにその部屋は閑散とした雰囲気が漂っていた。天井から鎖やロープが吊るされ、フロアには古そうな鉄パイプベッドがぽつんと二台置かれてあった。

 それらのことから考えて、普段は拷問室として使われているようだった。それを裏付けるようにテーブルの引き出しには、ペンチやノコギリやハンマーやガムテープやインシュロックの束が入った工具箱や、医療メスや注射器セットが入ったケースが。その他にもカセットガスバーナーや手錠が無造作に入っていた。

 

 太陽がジリジリと照り付けていた。

 そのような中、待ちきれないのか後ろのトラックから下りたドライバーが門の前に集まって何かを話していた。携帯で話している者もいた。


「あの様子じゃあ、何も知らないようだから放っておいてもいいけれど……。でもいずれ分かることだし。そのときになって騒がれても困るしね。やはりここは何とかしないとね」


 フロイスは思い立つと早急に実行に移した。

 先ず近めにいた者に目標を定めると、フェイスマスクを取り、その辺を通りかかったテロリストのように堂々と振る舞って自分の間合いに入るまで近寄って行った。あとは動きを止めて、スタンガンを押し当てるだけだった。

 本格的な軍仕様のスタンガンのその威力は抜群で。心臓と脳の近くを避けるようにして衣服の上から当てたにもかかわらず、ハンドガンの銃声そっくりの擬音を発しながら気を失わない程度の電気ショックを与える護身タイプのスタンガンと違って、ほんの一瞬で音もを立てずに相手を失神させていた。

 そのついでにフロイスは、このスタンガンを使うとあらゆる車のエンジンを強制停止させることができるという、もう一つの利用法を活用して、止めてあったトラックを次々と動けなくしていった。

 トラックを使いものにならなくして、ドライバーの逃げ道を絶とうとしたのだった。

 ――みんな、ちょろいもんさ。

 フロイスは秒速で事を行うと、そのような物騒な人間が近くにいるとは誰一人として思っていなかった油断を突いて、ものの一、二分で工場の側に並んでいたトラックのドライバーとその周辺で動き回っていた作業員の全てを眠らせていた。

 そして残るは逆方向の二つの門の傍に止まるトラックのドライバーだけと、


「あとは、あれとあれとを何とかすれば終了だね」とフロイスが正門と通用門の辺りに数珠つなぎになって止まるトラックの方向へ目をやったとき、見晴らしの良い敷地内を別の方向から駆けて来る二つの人影が目に入った。

 人影は、それぞれフェイスマスクを付けて、催眠ガスのカートリッジが銃の上部に付いたハンドガンを手に持っていたことからジスとレソーとみて間違いなかった。

 二人は直にフロイスの側までやって来ると、ジスが「ここでしたか、きっと外に出ていると思って待っていたんですが、どこから出て来るのか分からなくって」と言い訳して、変わり果てた姿となって地面に倒れた男達に目をやり、愕然とした顔で尋ねて来た。


「これはもしかして……」


「ふん、死んでなんかいないよ」フロイスは鼻で笑うと言った。「ちょっと気を失っているだけさ。これでやったからね」


 手に持った警棒のような形状をしたスタンガンを二人に分かるように見せ、それを見てきょとんとした二人に言い足した。


「最新式のスタンガンさ。もちろん非合法のね。だから、ちょっと工夫すれば殺人も行える仕組みになっているが、ここに転がってるのはみんな死んじゃあいない。私が何とか手加減しておいたからね」


 その答弁にジスとレソーはほっと胸を撫で下ろすと、ついジスがぽろりと本音を漏らした。


「てっきり、みんな死んでいるのだと思ってました」


 しかしフロイスはジスの話を聞いていないかのように無視すると、


「お前達、いいところに来たね」


 そう言って、二人で手分けして二つの門の前でたむろする男達を、手にしたスプレーガンを使って眠らせるように指示。それに二人が「フローさん、後は任せてください」と声を揃えて応えたところで、


「後のことは任せるから頼んだよ。もし何だったら十や二十殺って貰っても構わないからね」そう言い残して、自らはたちまちひらりと空へと舞い上がり、とある国を一直線に目指した。

 幾ら新米だからと言って、これくらいはできなくては使い物にならないとして、二人に後始末を丸投げしたまでのことだった。


 ところが中途まで来たところで、もっと大事なことを思い出して、フロイスは目標の修正をしていた。

 あゝ、そうだった。何て言ったって私等はビッグパンプキンの依頼で動いているのだった。一足先に結果はスカだったことをパティに報告しておいた方が良いだろうな。このまま身勝手に動くと、後であいつに何を言われるか分かったもんじゃないからね。

 細かい操作が苦手で直ぐに壊してしまうからと携帯を持たぬ主義であった彼女は直接パトリシアの自宅を目指したのだった。

 それから一時間もしないうちに、パトリシアの自宅がある新緑の樹木に覆われた地帯へとやって来ていた。

 だが辺りは日が暮れて何も見えなくなっていた。

 その中、ある一点だけが幾つもの小さな明かりで空の星のように煌めいていた。パトリシアの自宅の場所を空から識別するために屋敷の周辺と屋上部に設置された、暗くなったら自動的に灯る外灯の明かりだった。

 それを目標にして、フロイスはいつものように屋上に降り立つと、エレベーターを使ってパトリシアが普段いる二階の普段寝室兼ワークスペースにしている部屋へと向かった。

 ところが、鍵のかかっていないドアを開けて中を覗き込んだが、室内はきれいに整頓されていて、テーブルの上にもテレビのリモコン以外載っているものは何もなかった。もちろん誰もいなかった。もぬけの殻だった。


「まだ戻っていないのかな?」


 二、三歩ほど中に入り、ひょいと部屋の壁側に掛かった時計を見ると、もうすぐ夜の七時になろうとしていた。


「もうこんな時間かい。こうあちこち動き回っていると、時間がまちまちで頭が混乱しそうだよ」


 フロイスはそう呟くとため息をついた。そして少し考えを巡らせた。

 ――いつもなら居ようと居まいが好き勝手に飲み食いして居座るんだが、今日だけは用事できたため勝手が違うからね。

 すると居そうな場所が、ふと頭の中に浮かんだ。


「あゝ、そういえばあそこかもな」と、フロイスは踵を返すと、同じ二階の筋にある部屋へと向かった。


 そこは色んな雑貨が所狭しと積まれ置かれた、一見物置きとしか見えない部屋であった。が、フロイス自身が「秘密の隠れ家みたいな、みんなが集まって落ち着ける雰囲気の場所が何かないか?」とパトリシアにリクエストして彼女が応じたものだった。

 ドアを開けた途端、人の気配がしないことは直ぐに分かったが、フロイスは構わず中へと入った。どうせパティのことだ。抜けているところも多々あるが、ああ見えて非常に几帳面なたちだから、きっと何かしらの手掛かりを残しているに違いないと見てのことだった。

 両側に色んなガラクタ類や木箱やダンボール箱が、棚や直接フロアに山のように詰まれた狭い通路を歩いていくと、ちょうど部屋の真ん中にぽっかり空いたスペースが現れ、いかにも古そうな長テーブルとソファがそこに置かれてあった。

 フロイスはテーブルの前で立ち止まると辺りを見回した。するとテーブル上の一目で分かる位置に、いかにも見てくれと言わんばかりに複数の携帯と一冊の電子ノートが載っていた。

 フロイスは何気にノートを腰をかがめて引き寄せると『活動記録』と表にタイトルが付けられたカバーを取り電源を入れた。そして予め教えて貰っていた四桁のパスワードを付属のペンを使って入力すると、A4サイズのディスプレー画面一杯に文字が現れた。

 その文字を目で辿ると、パトリシア当人の居場所となぜそこにいるかについての記述が話し言葉で詳しくなされてあった。

 そしてパトリシア・ミスティークとサインがされた後に少し隙間を空けるようにして、「面白そうなので二人でパトリシアさんのところへ行きます」と記されてあった。


「この文体の感じからすると、おそらくコーが書いたものだろうな。そうすると、 ホーリーの組はまだ戻っていないみたいだね。


 フロイスはつぶやくと、にっこり笑ってペンを取り、いずれホーリーが戻ったら見ることだろうとコーの文章の下に一筆書き記した。


 ホーリーへ。私もちょっとした野暮用を済ました後に見に行こうかと思っている。ところで例の件だが当てが外れた。全く収穫無しに終わったよ。そうそう、新人見習いの二人は心配いらない。無事に家まで送り届けておいたからね。


 そのようにしてホーリーへメッセージを書き込んだフロイスは、閉じると確か電源は自動的に落ちる筈と、ノートを閉じて元の場所へ戻すと、ここでぐずぐずしていられないと急いで部屋を立ち去り屋上へ向かった。

 そして屋上から直ちに上空へ飛び上がりパトリシアの自宅を後にすると、初めの方針通りの方角を目指した。


「さてと、本来の目的地まで行かなくちゃあな」


 それから一時間半ばかり過ぎて、仄暗かった空がいつのまにか青空となり、複数の国と地続きで接しているとある国の上空へとやって来た。

 ところがフロイスは、人口が集中した都市部や豊かな緑や水をたたえた平野部や森林地帯には向かわずに、人里離れた地の三千フィート級の高さの山々が幾つも連なる山岳地帯へと進路を取っていた。


 山岳地帯は景色が壮大で素晴らしい眺めの地形がどこまでも続いていた。その反面、余りにも険しくて草一本も生えていない不毛な大地でもあった。そのため、人がほとんど立ち入らないところだった。

 その証拠に、そこへは一本の立派な道路が整備されて山の斜面から山頂へ向かって通じ、その中途には鋼鉄製のアーチ橋も見て取れたのだが、一台の車両も通行していなかった。

 それもそのはずで。がけ崩れが多発する上に、有毒ガスが発生しているのが分かったという理由で、長く道路が通行止めになっていたからだった。

 そこへ加えて、もし何かあった場合に救助に向かうことができないとして、山岳地帯に入ることも上空を飛行機やヘリで飛ぶことも禁止されていた。

 それを裏付けるように、確かに道路は途中で何ヶ所も寸断されて通れなくなっていた。また、生き物が生活できる環境でないのか、周辺には鳥やネズミといった小動物どころか虫さえ見かけなかった。

 だが実際は、公になってはいなかったものの、それより遥かに深刻といっても過言でなかった。

 それというのも、その国は核兵器の開発を極秘裏に押し進め、できた核爆弾の実証実験を、かつてそこ一帯で行っていたのだが、 何回目かの実験のときに臨界前実験でない本格的な核実験を行ったところ、爆発の威力が予想外に大きく。計算上では地下抗内で爆発して終わるはずが、地上まで爆発が及び、終いには山腹に巨大な横穴を開けると、生じた放射性物質を空気中に撒き散らして大地を覆っていたのだった。

 ところが山岳地帯が強濃度の放射能に汚染されても、当事者であったその国は色々な諸事情(例えば、世界中に核兵器を研究開発していることがばれてしまうとか、汚染物質を取り除くには莫大な費用と人員が必要となるとか、汚染物質を処理する技術も施設も持ち合わせていないとか)から、そこでの実験を放棄した以外は何も対策を講じようとしなかった。そのまま野放しにしていた。

 そして真実を覆い隠すために、一見あり得そうなデマを流して人の立ち入りを禁止していたのだった。

 そのような禁断の地に、いつの頃かどこからともなく魔法使いや能力者の類が現れると、誰も近付かないことを利用して、アジトとして、或いは生活基盤としてのコロニーを作って友人同士や家族や一族とともに、地上や地下や山復部分に住みつくようになり。それが年を経て、すっかり魔法使いや能力者の居住区となっていた。

 その一端にサイレレと彼の友人達が運営する農場があった。

 だがしかし、上空から見た感じでは、どこを見ても同じに見える単調な景色がどこまでも広がっているのみで、目指す農場は全然見当たらなかった。影も形もなかった。

 それもそのはずで。一帯に張られた結界が、農場を大地の色に溶け込ませて存在を分からなくしていたのだ。

 だが、それは至極当然のことと言え。いかに人が近付かないとは言え、表立ってその存在を露呈することは、いつ何時、どこから、誰が干渉してくるか分からなかったからだった。


 何度もこちらにやって来ているフロイスは、「いつ来ても出るのは容易いんだが、入るのには一苦労するんだ」


 にやりと笑ってそう呟くと、手慣れたもので特殊なフィルターをレンズに挟み込んだメガネを取り出して掛け、いつもやっている通りに広大な山岳地帯周辺を巡って回った。

 そうしている間に、何もなかった大地や山裾辺りに、メガネを通して明らかに地面の色とは異なる、黄や緑や青や茶や乳白色やらの色が点々と現れた。

 しかもそれらは不思議な形状をしていた。例えば、円や四角や十字や三角といったオーソドックスのものから、動物の形や文字の形といったユニークなものまでがあった。

 それらは全部、この山岳地帯に住まう魔法使いや能力者等を識別するツールみたいなものだった。

 以前は皆バラバラにカモフラージュをしていたのだが、数々の諸問題が起きて来たことで、最近になってそこに住まう全員で話し合い、一律に手法を統一することに決まり、同じ結界を張っていたのだった。


 フロイスは、その中で見つけたオレンジ色をした四角い形に目を向けると、一気に下へと降下。またたくまに、ヘリポートと同等の規模で、ヘリポートとそっくりな四角い形の中に円が描かれた空き地に降り立っていた。

 それからフロイスは、いつもしているように何か変わったことがないかと辺りを何気に一べつすると、そこから出ていた広くて真っ直ぐな道をいつものように通り、サイロに似た住居の建物へ向かって歩いて行った。


 魔術師のスローライフ、第二の人生といったところの農場は巨大な箱庭と例えて良いものだった。

 四方を高い壁で囲んだ中に、農場の細長い建物と、家畜の飼料と肥料を蓄えるサイロと、倉庫と、サイロに似た住居と、農地がきちんと計算されて配置されてあった。別な表現をするなら、外から敵の侵入を防ぐような構造をしていた。

 何か変わったことがあるとすれば、四方を囲む壁の内側に植えられた乾燥に強い落葉樹がこの前に来た時よりも緑の葉を茂らせていたことと、植えられていた麦が刈り取られた後らしく敷地の大部分を占める農地が麦わら色のじゅうたんと化していたことと、今日は農地には人影が見かけなかったことと、農地の端寄りに建っていた農場の建物が一つ増えて全部で三棟となっていたことぐらいだった。


 農場で働く者達が住居にしていた建物は、サイロに外観が似ている通りに円筒形をした細長い構築物で、地下一階と地上の階を併せると全部で十一階部分まであり。その内、地下一階部分は物置き兼シェルターとして、地上一階から三階部分までをオフィスとして使い、その上の階は住居区域となっていた。

 ――大抵あいつははあそこにいる筈だからな。

 フロイスはスタッフが働いている一階と食堂と休憩室となっている二階には立ち寄らずにスルーすると、重役室と客間と会議室からなっていた三階へエレベーターを使って直接向かった。

 今現在、サイレレは農場の運営や生産活動には直接タッチしないで、オーナー兼農場運営の総括責任者兼渉外責任者という肩書で、資金面の工面をしたり、企画立案やアイデアを出したり、トラブルの解決などをしていた。くだけた言い方をすると、顧問みたいな役職に就いていた。 

 農場の運営や生産活動は、彼が仲間と呼んでいる、農場創業時に募集して採用した五名の男女が全てやってくれていた。

 創業当時はサイレレも知識だけはある程度自慢できるくらいあったので、見よう見まねで積極的に参加していた。が、何分にも、人生が二度あれば二度目に何をするかと考えたことがきっかけで、「一度農業でも始めて見ようか」とちょっとした思い付きで事にあたっていたため、生産現場では素人そのもので全然役に立たず。返って足を引っ張っていた。そして気が付けば五人の男女にその全てを一任していた。

 五人は、過去の大怪我がもとで身体が不自由になり何十年と無職だった者や、能力が貧弱過ぎてどこへ行っても直ぐに解雇となりこれまで職を点々として来た者や、まだ働けるのに老齢ということで若い者と入れ替わりにリストラされた者や、勝手気ままにその日暮らしの生活を続けている間に生活が困窮してしまい切羽詰まった者や、病気にかかったせいで能力が消えて無くなった者で、全員が現役を引退しているのと何ら変わりはなかった。ちなみに年齢は老いも若きもといったところで様々だった。

 ただ彼等は共通して、生きるために自給自足の生活をした経験があったり、今もしており、飢えて死にかけたことが何度かあった。また、育てたり作ることが大好きなようだった。

 ところがサイレレにはそのどれもがなく、育てたものが成長していくのに興味があっただけだった。従って、その違いに間もなく気付いたサイレレは、理想と現実はほど遠かったと、諦めよくあっさり身を引いていた。


 呆気なく三階へと着いたフロイスは、通路の一番奥に見えた重厚な扉の前まで行くと、いつもの乱暴な口調で、


「サイレレ、いるかい? 私だ、フロイスだ」と軽く声をかけた。


 すると扉の奥の方から落ち着き払った男の声が響いた。


「入ってくれ」


 そう言われてフロイスは遠慮なく扉を引いて中に入ると、最低限必要な調度品しか置かれていないすっきりした部屋の奥に、ブルーのワイシャツに格子のネクタイ姿の大男が執務デスクを挟んで黒革のリクライニングチェアに足をゆったり投げ出すようにして腰掛けていた。

 フロイスを遥かに上回る長身に同じ小麦色の肌、彫像のような顔立ち、三十代の風貌。サイレレだった。本当の名は本人が言おうとしないので不明のままであったが。


「やあ、元気かい」


 手帳らしき冊子が二冊とあと筆記具、それ以外に蓋が閉じられたノートパソコンと三台の携帯が無造作に置かれていたデスクの上で軽く手を組んでいたサイレレに、フロイスは笑顔でそう声をかけると、執務デスクの手前に置かれてあった応接セットに向かい、いつもの本革のソファにゆったりと腰を下ろして、いつものように遠慮なく口を開いた。


「それは奥方の見立てかい?」


「ああ、これか」


 直ぐにフロイスの言葉の意味が分かったと見えて、ネクタイの辺りを指差して涼しい顔で微笑んで頷いたサイレレに、フロイスは「いやなあ、その格好を初めて見たのでね」そう釈明すると、ゆっくり足を組みながらにこやかにぼやいた。


「ふん、いい気なもんだ!」そして思い出したように尋ねた。「どうだい、新婚気分は?」


「あゝ、上手くやっている。上々だ」


 手を組んだサイレレの長い薬指の両方に、小さなエンゲージリングがゴールド色に光っていた。

 サイレレは結婚していた。そのことをフロイスだけが今のところ知らされていた。


「あれからもう一月か、お前が私に奥方を紹介したときは本当にびっくりしたよ。二人も来るんだもんな。よくよく考えてみりゃ、お前が生きていた時代ではごく普通のことなんだろうけど。これじゃあ益々俗世間に出て来たくなくなるな」


「……」


 無言で屈託のない笑顔を向けてきたサイレレに、フロイスはニヤッと笑いかけると問い掛けた。


「ところでサイレレ、今奥方は何をしているんだい? 農場で働いているとか……」


「いいや」サイレレは首を横に振ると、


「一人はさる組織の副代表の秘書をしている。秘書と言ったってボディガードも兼ねていると言っていたな。

 またもう一人の方は子持ちのシングルマザーで、育ててもらった祖父母が、介護が必要となって二人の世話をしているとか言っていたな」


「何だ、そりゃ?」


「仕方がないだろう。私のような者のもとに嫁に来るのだ。何か込み入った事情がないとな。

 なーに、心配はいらない。取り決めに従って週に三回戻ってくることになっている。問題ない」


 先にサイレレが気さくに話してくれたことによると、取引先から嫁を世話するからと結婚を薦めて来た。そのとき何か魂胆があるのだろうと思って冗談で頼んだところ、後日になって冗談でなくなった。二人を連れてきてどちらかを選べと言ってきた。それでごく自然に二人を選んだということだった。


「ふん、不思議な関係だな」


「こちらも無理言って結婚して貰ったのだ、止むを得んさ」


「ふーん、あれがか? 二人とも顔とスタイルはまあまあだったけれど、背丈が私とほとんど変わらなくって、おまけに一人は何を話しかけてもずっと下を向いたままだったし。

 もう一人の方は、私を無視したようにそっぽを向いて一切目を合わそうとしないのだからね。そして口を開けば、一言か二言しか返ってこなかったし。それに余り若くは見えなかったが」


「仕方がないのだ。結婚する条件として、私と釣り合う身長の女性と言ったのだからな。そこへ物静かで歴史が好きなと付け加えて、年のことを条件に出さなかったらあのような二人に決まったのだ」


「まあ、何でも良いけれどな。まっ、騙すのはお互い様だからね。

 まだ一月ぐらいじゃ分からないと思うけれど、お前の中身が爺さん、それも二百歳に手が届くと分かれば向こうもびっくりするだろうね」


「その点は大丈夫だ。歴史の好きな女は得てして頭が古い男が好みなのだ」


「よく言うよ。どこでそんなことを仕入れたんだい?」


「まあ、色々とな」


 そう言って目を細めて嬉しそうに微笑んだ男に、フロイスがソファに腰掛けたまま、ふんと宙を仰ぐと、話題を変えた。


「ところで、施設がまた増えて、二つが三つになっていたようだけれど……」


「あゝ、あれのことか。従業員の住居として使おうかと思ってね。色々と手を出していたら建物が手狭になって来てね。それと今年採用した新人のことを考えると、どうしても必要と提言されたのだ」


「それはそうと、今年は何人入ったんだい?」


「男女合わせて二十八名だ。十五から十八の何も知らない子達で、全部がこの近隣に住んでいる」


「そうすると、今何人ぐらいいるんだい?」


「私も含めると、そう二百名に到達しているかな」


「相変わらず経営は順調にいっているみたいだね」


「あゝ。ほんの気紛れで始めたものが、ここまで上手くいくとは。私には経営の才能があるらしい」


 軽くそう言ってしたり顔で笑顔を見せたサイレレに、フロイスがからかうような口調で反論した。


「よく言うよ。お前はお前だ。腐っても本質は戦さ好きの魔導師だろうが。戦さの中でこそ光り輝くな。そんな戦さ魔導師に農民の真似なんか似合いっこないよ。お前には戦場(いくさば)の方がお似合いだ」


「相変わらずだが無茶苦茶なことを言う奴だのう。私はこうみえてもかつては宮廷魔導師の一角を担っていたのだが……」


「ふん、それこそが場違いだったんだ。お前は政にかかわる宮廷魔導師のタイプじゃない。だからこそ追われたんだ。お前を(相手が)恐れてな」


 二人は腹を割って話し合えるくらい仲が良かった。

 両人とも、遥か昔に滅んだ人類の生き残りで、この時代では天涯孤独であったこともあり、妙に馬が合い、普通に打ち解けて話をする関係となっていたのだった。


「そんなことより、何の用事で来たのかな?」


 サイレレは鼻先で笑うと問い掛けけてきた。フロイスはにやりと笑いかけると言った。


「嗚呼、そうだった、忘れるところだった。例の魔術の材料だけど、今回ばかりは数が多過ぎて私ひとりだけじゃあ手に負えなくなってね。それで手を貸してほしいと思ってやって来たんだ」


「いつも悪いな、フロイス」


「別に良いってことさ。いつものように、でき上がったら幾らか回してくれたらそれで良いんだ」


「了解した。それくらいなら何でもない」


 それからフロイスは、それまでのいきさつを簡単に説明するとそこへ付け加えた。


「その人数だが、男女一まとめにして少なくとも五千ぐらいにはなると思う」


「ほーう、それは凄いな」サイレレはちょっと息を呑むと、まじまじとフロイスを見て言った。


「だが、それ程の人間が一度に消えて騒動にならない訳はないと思うが?」


「ま、普通はそうなるだろうね。だがその点は安心しろ、大丈夫だ。どいつもこいつもいなくたっても問題ない奴らだ。

 何しろ、みんなこの世から居なくなってくれたら良いと思われている鼻つまみ者ときているのだからね」


「もしそうであるならこちらも助かる。ありがたいことに、これで出し惜しみする必要がなくなる」


「どうだい、のるかい?」


「あゝ、のろう」


「それじゃあ決まりだな。今から現地へ案内するよ。ここから一時間ぐらいのところだ。

 パティが私用で今年仲間に引き入れた二人の新米が今頃見張っている筈だ。二人に運び出しやすいように何ヶ所かに固めて並べておけと伝えてあるから、直ぐにかかれる筈だ」


 次の瞬間、サイレレは何かを考えるように宙を仰いだ。「うーん。そうなると……」


 ちょうどそのとき、部屋の扉が静かに開いて、純白のブラウスにグレーのタータンチェックのベスト、漆黒のスカートと事務員の姿をしたうら若き女性が一人、ただ者でないことを印象付けるように気配を消して足音も立てずに入ってくると、気を遣ってか一言も話さずにサイレレの前の執務デスクとフロイスが腰掛けるソファの前のテーブル上に、小型のペットボトルを一本づつ置いて去って行った。


「よし分かった」女性が立ち去ったのと相前後してサイレレは態度を固めると、チェアから立ち上がり、フロイスの手前のテーブル上に置かれたペットボトルをあごで指して、


「それでも飲んで待っていてくれるか。この私が商品開発に参加して、この度発売となったものだ。私の生きた時代にお茶代わりにと広く飲まれていたジンジャー飲料に炭酸とレモンを加えてすっきりした口あたりにしたものだ。

 何なら私の分も飲んでも構わない。これからちょっと支度をしなければならないのでな。

 それだけの人数を収容する入れ物を先ず用意しなければいけないし。そのあとの段取りもあることだしな」


 そこまで言うと、サイレレはデスクの上に載っていた携帯の一つをさり気なく手に持ち、慌ただしく部屋を出て行った。


「ふん、これが、あいつの時代の飲み物ねえ。正直言うとビールの方が良かったんだが……」


 一人残されてそうぼやいたフロイスは、テーブル上に出されたドリンクをほんの数口で飲み干し、すっきりとした表情でソファの背もたれにゆったりと身体を預け目を閉じた。


「さあてと……」


 何もすることがなかったフロイスは、気長にそれまでの出来事をぼんやりと思い浮かべていた。


 ところで二人が話していたのは、それだけの数の人間を何も生きたまま奴隷に売りとばすとか、慰み者にするとか、食すとか、モルモットとして実験台に使おうということではなかった。

 とはいえ、考え方によっては、それらに匹敵するか、それ以上に無慈悲で残酷で非道かも知れなかった。

 では何をするかといえば、サイレレが得意とする魔術が関係していた。

 その魔術は、かつて存在したということは名称とともに伝わっていたが、どういうものなのかをはっきり知っている者は皆目いないと言っても良かった。

 アルカディック。聖なる、神聖なと称されたその魔術は、遥か昔、魔法や魔術の類が一部の知識人と支配層の間に広く浸透して認知されていた時代。病気も怪我も魔法や魔術の力で治せ医者がほとんどいなかった時代。魔術や魔法を使える人々が特別な存在とみられていた時代。あまた存在した魔法や魔術の中で、特に社会の支配階層の人々に好まれ、厚く保護されて受け継がれていた秘中の秘の魔術であった。

 それというのも、他の魔法や魔術のように長期に渡る辛い修行や努力をしなくてもよかったことや、長い呪文を覚える必要もなかったし、複雑な魔法陣を描く工程を必要とせず。ただ生まれつき負けず嫌いだとか、精神力が並外れているとか、魔力の許容量が大きいとか、魔力の持続力が平均以上あるとか何らかの才能が有りさえすれば、それだけで楽に発動できたからだった。

 それでいて他の似たような魔術や魔法、例えば使役魔術、召喚魔術、転位魔術、変身魔法よりも遥かに優れた力、(魔術属性で分類される相性というものは存在しないだとか、自然の節理の法則を一切受けないだとか、ある意味で型にはまらないとか)を得られ。また術者の肉体と精神や心を反転させて神化するという他の魔術や魔法には見られない特性があったことから、神の子孫だとか神が降臨したと錯覚させることが容易にできたので、支配階層の人々にとってこれほど願ったりかなったりの魔術はなかったのだった。

 そのような素晴らしい魔術であったが、三つの負の面も持ち合わせていた。

 一つは魔術を発動するには霊薬を摂取する必要があったことである。その霊薬とは、元々錬金術師が生命の改ざんという狂気な手法を用いて不老不死の秘薬を製造しようと試みた過程で全くの偶然に発見したのが起源とされ。生きた人間、正確に言えば霊肉、つまり人の霊魂と肉体を原料にしていたのだった。

 後になって人間以外の動物でも代替が利くことが分かったが、実際のところ、人の命をそんなに重く見ていなかった時代背景や、何百という民族と数え切れないくらいの国家が乱立して奴隷や戦争捕虜が常日頃見られたことや、他にも未開の深い森や谷や岩山へ行けば、火と石器を使いこなし、わずかながらも言語も話すが、それ以上の知能を持ち合わせていない人間もどきが幾らでもいたこともあり、効率を優先して人間になっていたというのが真相であったが。

 また一つは霊薬を製造できる技術者が極めて希少な存在であったことであった。多くは技術を門外不出の秘術として、一子相伝みたいなごく限られた者の間で継承していたからだった。

 拠って、霊薬を製造する継承者が途絶えたときに魔術も自然消滅する宿命をもっていた。

 その中、サイレレはアルカディック魔術の使い手であり、唯一無比の霊薬を製造するノウハウを持つ貴重な存在であった。

 そして最後の一つは、濫用し過ぎると、死んで生まれてくる子供が魔術の弊害で増加するというものだった。

 そのことは急激な人口の減少を意味し、実際に幾多の超文明国家がこの世界から消えていったことから、戦争や食料不足や天災と並んで国家が滅亡する一つに数え上げられていた。


 その後フロイスはまだ喉が渇いていたのでサイレレの分も遠慮なしに手を付けると、今度はソファの上に寝転がって七フィート近い長身を投げ出し更に待った。

 それからどれくらい経ったか分からなかった。部屋内に人影が入ってくる気配がして、すっかりリラックスして、のんびりしていたフロイスの背後に男のしっかりした声が飛んだ。


「待たせたな。準備ができた。さあ行こう」


 その声はもちろんサイレレだった。サイレレはつい先ほどの堅苦しい事務姿でなく、デザート色のミリタリーシャツに同色のパンツ、ショートブーツの格好に着替えていた。今生きている時代は自分が生きた時代でないと学習した男は自分が生きた時代の服装ではなくその時代に合った服装をセレクトしていた。


「あゝ、分かった」とフロイスは部屋を出て行く男の広い背中へ返すとソファから起き上がり、その後へ続いた。

 間もなく建物を出た二人が、相並んでヘリポートそっくりな外観をしていた地点へと向かうと、そこには長さ六十フィート(約18メートル)、高さ九フィート(約2.7メートル)と規格外サイズのコンテナ容器が全部で二十個、五列四段積みになっている壮大な光景があった。

 ちなみに、来る途中でサイレレが話したことに拠ると、その中には、作業の学習をさせた二十体のオートマタ(自動人形)と、捕らえた者達の逃亡防止と運搬をし易くするためにPPバンド自動結束機が四台と、生かしたまま運ぶためにと液化窒素と液化酸素のボンベが積んであるということだった。


 ――これだけの準備をするために時間がかかっていたということか。


 たちどころに心の中でそう理解したフロイスはにやりと笑うと、「さあ、行こうか」とサイレレに声をかけ促した。

 そして瞬く間にそれらの荷物とサイレレを伴って上空に舞い上がり、周囲を高いフェンスに囲まれた広々とした敷地の一端にハイテクの巨大な工場が幾つも建ち並ぶ地帯まで一気に向かった。

 かくして一時間足らずで現地へ到着すると、二人が降り立った地点からは、円筒形をした巨大なタンクが幾つも建ち並び、一本の巨大なパイプラインが敷地を出て遥か遠くまで伸びている光景が見て取れた。そして、点々と散在する形ばかりの木立ちに囲まれるようにして工場の建物が見えていた。

 またその反対側には、大型トラックが二ヶ所の出入口の方へ向かって列をなして止まっており。出入口の付近辺りに人らしきものが多量に倒れているのが分かった。 


「ここがそうか?」


「ああ」


 いつの間にか空の澄んだ青色が茜色に変わっていた。ぐずぐずしていると直に夜になってしまう気配だった。

 そのためフロイスは到着するや否や外の様子の説明もほどほどに、淡いグレー色をした工場の建物へ直行した。サイレレもそのことは十分心得ていたと見えて周辺を一べつしただけで平然と従った。

 建物内部の目に付きやすい広い空間には何百人という男女が固められて、折り重らないようにきれいに並べられていた。そのいずれもが、深い眠りへといざなう煙にやられて完全な昏睡状態となっていた。息はしていたが、死んでいるように反応がなかった。

 あの二人、言った通りにやったみたいだね。フロイスは満足そうに頷くと、サイレレと共に先を急いだ。

 すると、そのような光景が建物内に何ヶ所も見られた。


「どうだ、気に入ってくれたかい?」


「なるほどな。運び出せば良いだけかと、これは助かる。一々集めて回る手間が省けるのだからな」


 二人は地下から上の階までエレベーターを使って移動して、どの階も同じようになっていることを一通り確認。一応の方針が定まったところで、ブロンズガラス張りのエントランスから一旦駆け足で外に出、コンテナ容器が固めて置いてある場所まで向かおうとした。

 そんなとき、百フィート(約30メートル)も離れていない先に見えた木立ちの下のちょうど日陰となった辺りに、二つの人影がうつむいてへたり込んでいるのがふと見えた。着ていた衣服と風貌から見て、明らかにジスとレソーだった。

 ところが彼等は、実に無用心というか、現れたフロイスとサイレレに気付いている様子はなく、じっとしていた。

 そのことに、どこにもいなかったのでどこへ行ったと思っていたらこんなところでいたのかと、フロイスは目をぎょろりと見開くと、当然のことのように強い調子で呼び掛けた。


「おーい、お前ら。何をしているんだ!」


 いきなり響いた怒声に不意を突かれた彼等はフェイスマスク姿の顔を上げて二人の姿を見つけると、びっくりしたように立ち上がり、小走りで二人の直前までやって来た。そして緊張したような様子で、見知らぬ人物と一緒にいるフロイスの顔色をうかがうように言った。


「あのう、すみません。何とか言われた通りにできたのでここで一休みしていました」


「僕も同じです」


 二人の受け答えに、フロイスはサイレレと顔を見合わせると苦笑いを浮かべた。

 生真面目に水分補給をろくにせずに一生懸命作業をし続けたのか、二人の声はいずれも弱々しくかすれていた。

 それを物語るように、短か目の髪と着ている衣服が、水を浴びたように汗でびっしょり濡れていた。――実に正直な奴らだ。

 

「あれで良かったでしょうか?」


 さらにジスが心底疲れたという風な力のない口振りで訊いて来た。


「あゝ、上出来だ」フロイスは応えると言った。「おい、お前達。マスクを外して良いぞ」


「あ、はい」


 二人はマスクを取るとほっと息をついた。その表情にフロイスはにやりと笑うと、隣に立つサイレレに、


「こいつ等ふたりはパティの舎弟だ。今回ビッブパンプキンから受けた仕事がやっかいでね、それで私等の手伝いをして貰っているんだ」


 そう紹介すると、今度は二人に振り返り言った。


「紹介するよ。私の友人のサイレレだ。いずれお前達も大変世話になると思うから、あいさつしておくんだ」


「あ、はい」


 言われたジスとレソーはほぼ同時に頷くと、それぞれ「どうもジスです。よろしくお願いします」「レソーです。よろしくお願いします」と規定通りのあいさつをしてきた。が、ふたりとも余程疲れているのか、声が弱々しい上に目は虚ろで生気がなかった。おまけにレソーときたら、見るからに立っているのがやっとという風に、ややもすれば今からでも倒れそうな雰囲気で佇んでいた。


 ふたりのその様子から、かなりへたばっているなと見たフロイスは「お前達はそこで休んでろ」と二人に向かって言い放つと、隣に立つサイレレにぽつりとささやいた。


「二人とも限界らしい。このまま手伝わせても足手まといになりそうだから、一足先に送って来ようかと思うんだ。どうだろう?」


「あゝ、それは別に構わない。こちらは手が足りていないことはないからな。それに私の時代になかった文明の利器があるからな。打ち合わせ通りにいくと、お前が戻ってくるときまでには粗方終わっているか、すっかり片付いている筈だ」


「そうか、すまないな」


 フロイスとサイレレはそのような会話をすると、その場にふたりを残してコンテナ容器が固めて置いてある場所へと足早に向かった。


「それにしてもお前って奴は、相変わらず忙しい奴じゃのう」


 歩きながら呆れたという風にため息をついたサイレレに、フロイスは鼻で笑うと、


「まあな。ここで潰したんじゃ、後でパティから何を言われるか分からないからね。この私も気を遣ってるんだ。

 その代わり、私に手伝えることがあれば何でも言っておくれ」


「あゝ、それならコンテナを四段積みから二段積みにしてくれないかな。クレーンを使うよりお前なら手っ取り早くできるだろうからな」


「まあ、それくらいならわけはない。ワイヤーは用意してあるかい?」


「あゝ、もちろん。コンテナの屋根に取り付けたままになっている」


「あ、そうか」


 二人は会話を交わしながらコンテナ容器がずらりと並んだ現場に到着すると、さっそく支度に取り掛かった。


 即座に空中に跳び上がったフロイスは、そのまま浮いた状態で一台のコンテナの屋根の部分に放置されていたワイヤーロープのフックを手でつかむと、頼まれた通りに三トンは優にあろうかと思われたコンテナを軽々と持ち上げ地面に下ろした。それが済むと更に別の一台を同じワイヤーを使って下ろし、それを次々と繰り返した。

 その間にサイレレはコンテナの一つの扉を開け、中に積まれていた十五フィート(約4.5メートル)近い長さがあった四台の自動結束機を外に出し、その奥の方に並べて積んでいた、サイレレと変わらぬくらいの背丈があり、足は短めでがっしりした体つきをしていた二十体のオートマタ(自動人形)を起動させた。

 途端にオートマタは面長の顔に付いた丸くて大きな双眸を見開くと、サイレレの「立て!」の指示で立ち上がった。続いての「付いてくるように」との指示で、コンテナの外へ歩いて行ったサイレレの後ろへぞろぞろと続いた。

 五分ほどかかってフロイスがサイレレに頼まれたことをやり終えた頃、サイレレはずらりと居並んだオートマタを四つの集団に分けて指図した。

 すると一組は居残り、他の三組はフロイスがサイレレの元へやってきたのと入れ違いに三方向へ別れて歩いて行った。


「どこへ行ったんだい?」


 サイレレの側でオートマタを見送りながら不思議そうに尋ねたフロイスに、サイレレは涼しい顔で応えた。


「私が指示した持ち場に向かったのだ。先ず外に倒れている者達から片付けようと思ってな」


 そして事もなげに付け加えた。


「その間にコンテナ内を冷やしておかんとな。死なれると元も子もないからのう。

 後は私と人形達がやるからお前は行ってくると良い。帰りに寄って貰いたいところがあるのでな」


「それってどういうことだい。農場へは戻らないと?」


「あゝ。農場へは戻らぬ。農場から離れた先に、お前に手伝って貰って掘ったトンネルがあっただろう?」


「あゝ、せっかく掘ったのに使わないのはもったいないからと地下貯蔵庫にしたと言ってたあれかい?」


「あゝ。あの一つだ。あそこまで運んで貰いたい。実はな、お前どころか誰にも話してはいないのだが、あそこで霊薬を造っておるのだ」


「なるほどな」フロイスは頷いた。何ヶ所か試掘を行った中の一つということかい。


 かつて生まれ育った故郷が忘れられないのか知らないが、たびたびサイレレは自身が生きた時代の祖国があったという場所の目星をつけては、フロイスに手伝って貰って、その時代の遺物が何かしら出てこないか試掘を行っていた。だが結局のところ、何も発見できずに終わっていたが。


「ところで送りついでに七日間私に付き合う気がないか。いい機会だからお前に製造術を伝授しておこうかと思ってな」


 その申し入れにフロイスは思わず目を疑うと言った。


「どういう気まぐれだいサイレレ。あんたはそのために奥方を貰ったんじゃないのかい?」


「あゝ、一応はそう考えてはおる。だが貰って一月しか経たぬ者に秘伝を教えるのはまだまだ早過ぎる。

 その点、私とお前は気心が知れた仲だし。それに万が一にも私に何かあったときには製造術は誰にも分からなくなり、魔術も絶えてしまう。それを回避するためにお前に教えておこうかと思ってな。

 それに魔術を使いこなせるお前なら、覚えておいても損にはならないと思うが」


「分かったよ。あいつ等を送って来るまでに考えておくよ。でもな七日間か、ちょっときついな」


「全工程を終わらせるのにどうしても七日間掛かってしまうのだ。これだけは曲げられない相談だ」

 

「なるほどな」


「そう簡単に霊薬が製造できるならみんな真似をしておるよ。簡単にできないからこそ、霊薬は秘薬とも言われ、伝承者のみに受け継がれてきたのだ」


「ふーん」


「それでは良い返事を待っておるぞ」


「あゝ」


 フロイスはサイレレに一旦別れを告げると、工場のエントランスへ向かって歩いていった。

 そして、その途中の木立ちの下でジスとレソーがぐったりして地面に座り込んでいるのを見つけると、「お前達!」と二人にいきなり呼び掛けた。

 その途端、いきなり横の方から響いたフロイスの声に、ジスとレソーはびっくりしてあたふたすると、病人のような落ち込んだ顔を向けてきた。


「本当に世話の焼けるガキどもだ。約束通りに送ってやるよ」


 フロイスは呆れながら二人に吐き捨てると、間もなく彼等を伴って空を飛んでいた。

 途中、ジスとレソーの二人は、口を開いては、


「もうクタクタです。瞬発力を上げ続けると、これだけ疲れるとは、はっきり言って思っても見ませんでした」


「もし仕事があればダイスさんのところでいつものように働いていた方がよっぽど楽です」


 などと言い訳をしたり弱音を零した。そんな二人にフロイスは、


「馬鹿野郎。私等の仕事は時間まで働いて終わりという世界と訳が違うんだ。ノルマを必ずやり遂げないといけないんだ。今度からは気を付けて、もっと要領良くやるように頭を使え」


 そう怒鳴りつけて、ともかくも彼等をダイスの自宅先まで送り届けていた。

 それから直ちに折り返して戻って来ると、既に日が暮れ、当然のように空が濃紺一色に染まり、星も出てきらきらと輝いていた。また暗くなったせいで、工場と広い敷地のあちこちを、外灯が空港の夜景のように明るく照らしていた。

 そのような状況の中、敷地の一角に見えたコンテナ容器がずらりと並んだ地点を目標としてフロイスは地面に下りると、コンテナ容器は当初の四段に積まれていた。どうやら早く事が済んで時間ができたのでクレーンでも使って積んだらしかった。

 そのコンテナの前でサイレレが一人で待っていた。首尾よく事が運んだと見えて、その表情には余裕が満ちあふれていた。


「サイレレ、待たせたね」


 すぐさまフロイスは声をかけると促した。「それじゃあ行くよ」


「あゝ、やってくれ」


 サイレレは笑顔で返してくると、思い出したように付け加えた。「ああ、そうそう。行き場所はもう忘れていると思うから私が案内しよう」


「あゝ、分かったよ」


 フロイスは素直に頷いて承諾した。そこへサイレレが感心したように、


「それにしても、本当にお前の飛行アイテムは使い勝手が良いな。これだけかさばる上に重量がある物を一気に運ぶことができるのだからな。その上、いつでも武器や盾にも使えるときている」


 そう続けて呑気に微笑んだ。そんなサイレレに、本当にお世辞が上手いんだからと、フロイスはにやりと笑って応じていた。


「そんなほめ方をされてもね、それは御門違いというもんだ。これ本来の使い方はあくまで武器なのだからね」


 程なくして、サイレレの指示に従い向かった先は、農場からかなり離れた、三千フィート級の高く切り立った山々が連なる山岳地帯のまっただ中にあって、複雑に入り組んだ地形をしていた、いわゆる峡谷と呼ばれる地帯の一角であった。

 とは言え、その辺りは、今から百万年以前の遥か昔は、豊かな水をたたえた河川と平野が拡がり、超古代文明が栄えていたと、サイレレが昔の記憶から判定したところだった。


「あの辺りが良かろう」


「分かった」


 フロイスはサイレレが指さした辺り、二つの切り立った崖の間に見えた平坦な場所に、自分たち諸共、コンテナ容器を下ろした。

 すると、一方の崖下から百フィート(約30メートル)ばかり上ったところに、直径が十五フィート以上あるトンネル状の穴が口を開けているのが見えていた。かつてフロイスがサイレレを手伝い試掘した横穴だった。

 てっきり農場の中に秘密裏に造ってあると思ったのに、このような場所に造ってあったとはね。


 フロイスはちょっと呆気にとられて、ぽっかり空いた穴を下から眺めると思わず唸った。


「ふーん、あそこを霊薬の製造拠点にしていたってことかい?」


「あゝ」


「なるほどねえ……」


 呟きながら、果たしてあそこの中へコンテナ容器がすっぽり入るだろうかと値踏みをしたフロイスに、横からサイレレが余裕の表情で、


「まあ、見てなさい。アルカディック魔術を使って検体を上のトンネルに上げて見せるからな」


 そう告げると、フロイスを残してコンテナ容器の方向へ近付いて行った。そして、いきなりコンテナの上に跳び上がり、そこを踏み台にしてトンネルの中に入っていった。

 それから三分ほどしてトンネルから出てきたとき、サイレレの背後に白っぽい煙が尾を引くようにしてトンネルから長く伸びていた。

 その煙は、幅がサイレレの胴幅くらいあり、不思議なことに拡散する様子もなく、帯状に形を保っていた。しかもよく見ると、彼の片方の腕から発生しているのだった。

 サイレレは煙を引き連れたまま地面へ跳び下り、コンテナ容器の近くで煙の元の腕を煙から遠ざけて煙との相関関係を断ち切ると、呆気にとられたフロイスがそれが何だと訊く前に口を開いた。


「空気の塊からできた、いわば運搬装置みたいなものだ。この上に物を載せると、自動的に目的の場所まで運んでくれるのだ」


「ふーん」


 それを聞いたフロイスは感心するほかなかった。なるほどな、工場でもこれと同じような作業をしたみたいだね。

 アルカディック魔術の道を究めると、神化する以外にこのような使い方もできるようになるというのか。そんなことを考えながら呆然と立ち尽くしたフロイスを尻目に、サイレレは悠然とコンテナ容器の一つへと近寄ると、扉を開け、現れたオートマタを起動して何事か命令した。

 次の瞬間、その半数がサイレレが辿ったのと同じ行動をとるとトンネル内へ消えた。

 そして後の残りは、昏睡状態のまま微動だにしない老若男女を彼等が現れたコンテナ容器の中から運び出しては、空気の塊とやらの上に載せ始めた。

 載せられた老若男女は、ベルトコンベアで運ばれていくかのように、一本の棒きれになって流れていくと、見る間に垂直な崖を昇ってトンネル内部へ消えて見えなくなっていた。

 間もなくして、そのコンテナが空になると、続いてオートマタは別のコンテナの扉を開けては同じことを繰り返した。

 その間サイレレはというと、現場の管理者として、オートマタが上に載せ易くするために、空気の塊の長さや角度をその都度変えては、作業の効率化を図っていた。


 その光景を眺めながら、フロイスはつい見入ってしまっていた。

 サイレレめ、いつもながら抜かりがないね。手はず通りに一人ずつ足首と胴部を縛ってコンテナに積み込んだようだね。あの空気の塊とやらは端の方で長さや角度が変えられるのかい? それにしてもあの空気の塊とやらは、幾ら魔術が常識にとらわれないといっても、考えられない動きをするもんだね。


 そんな感想を漏らしていたフロイスに、いつの間にやって来たのか、サイレレが晴れやかな表情で促した。


「ここでじっと見ていても時間のムダだ。後のことは任して、我々は中に入ろう」


「あゝ」フロイスは頷いた。


 二人が、細長い形状をした空気の塊の上を老若男女が流れていくさまを横目で見ながら、スポットライト照明が赤い光を仄かに投げかけるトンネル内をおよそ千フィート(約300メートル)奥へと進むと、その突き当りに広い空間が開けているのが見え。そこへ全員が向かっていた。

 その場所は自然にできた洞窟で、その先は行き止まりになっていた。だがそうは言っても、徐々に狭くなりながら、およそ一マイル半(約2.4キロメートル)も続いていた。

 そのことを知っていたフロイスは、目の端で中の様子を覗くと、照明がぽつんぽつんと置かれたやや薄暗い空間に、先ほど運ばれていった老若男女が折り重ならないように並べて置かれてあり。その傍では、先ほどいなくなったオートマタが黙々と積み下ろし作業を行っていた。

 そうするとあの近くに製造する設備があるということか。その様子からそう思ったフロイスに、サイレレが突然立ち止まると、にやにやしながら穏やかな物言いで口を切った。


「さてと、もう気が付いていると思うが秘密の製造現場へご案内しよう」


 そして何の変哲もない横の壁に軽く触れた。

 途端に壁だった部分が横にスライドして、奥行きのある空間が現れた。その中へサイレレが一足先に入り、フロイスがその後へ続いた。

 中に入った感じは、霊薬の製造所というだけあって、錬金術師の研究室のような、薄暗がりの部屋の中に試験管やフラスコやビーカーや顕微鏡や、その他諸々の実験器具で埋め尽くされた重厚なテーブルがあったり、巨大な深鍋がのったコンロやストーブが置いてあったり、魔法陣がフロアや壁に描かれていたり、科学計算をしたり記録をするボードがあったり、壁際にたくさんの書物や薬品のビンや陶器のつぼが並んだ棚が設置されているのをフロイスは当初想像していた。

 だが実際は、極めて現代風に刷新されいて。比較的明るい照明の下、広い空間にステンレス製のタルやタンク類がずらりと並び、その周辺を配管が縦横に走っていた。どちらかといえばビールやワインの醸造所のような趣がそこにあった。

 ――どうなっているんだ。想像していたのとは全然違うよ。

 両側にそれら装置類が並んだ通路を好奇な目をみはって歩くフロイスに向かって、サイレレは「私の指示に従っている間に自然と分かると思うが」と切り出し、自慢げに内部を案内して回った。

 そして、製造に必要な器具や容器や薬品類や魔石や魔性植物の類をその都度詳しく説明したサイレレに、フロイスはふと浮かんだ疑問を口にした。


「あれだけの数を生かしたまま全部処理できるのかい?」


 そう言ったフロイスの問い掛けに、サイレレはにっこり笑うと事もなげに応えた。


「あゝ、それは心配無用だ。一度に五十体収容できる容器二つに百五十ほど、大型の百体収容できる容器に百五十詰め込んで、一回辺り処理に四時間は必要だから、一日で千八百体できる勘定だ。それで行くと三日もあれば十分可能だ」


「あゝ、そうか」


「ともかく生かしたまま魂さえ抜いてしまえば、後は何とでもなるからな」


「ふーん」


「それに水さえ切らさないで与えておけば、三日ぐらいはみんなぴんぴんしておることだろう」


 しばらくしてサイレレは一通り内部を案内し終わると、この霊薬の製造の急所は、いかにして人を生かしたままで霊魂を取り出すかであるとフロイスに力説して、その日のうちに二十体のオートマタと共に、生きた人間から霊魂を取り出す作業から取り掛かった。

 もちろんフロイスも、その日から一緒に洞窟に寝泊まりしながら、見よう見まねで少しずつ手伝った、サイレレから霊薬の製造技術を学ぶために。


 そのときサイレレが話した霊薬の製造理論と製造法はこういうことだった。 

 人の背丈の倍くらいありそうな巨大な円筒をしたステンレスのタンク内に捕らえた状態の人間を入れ、彼等が目覚めていることを確認した上で上からすっぽりと蓋を被せて密閉した上で内部に酸素と特別に配合した芳香族化合物ガスを送り待つ。

 そうすることによって、その間に肉体から霊魂が出てくる。霊魂は最初、ある種の興奮状態にあり、元気良く飛び跳ねたり他の霊魂とぶつかったりと暴れるが、何分と特殊なコーティングを施したタンクを貫通することができないのでやがて勢いを失くし、加えて空気よりやや重い傾向があるので、最後に疲れて下の方に沈む。

 そして経験則的に四時間経つと、全ての霊魂が休憩をするために動きを止めて下の方にかたまるので、中に充満したガスとともに吸引機を用いて霊魂を集める。

 その際、ぐずぐずしていると元の肉体に戻られてしまうので、この処理は特に迅速に行われなければならない。

 その時点での霊魂はというと、無色透明で目に見えない。触れることもできない。

 そこまでは基本中の基本で、いつどこで誰がやろうとも大体同じである。これ以降の工程が各流派によって違いが出てくる。

 ちなみに我々の場合は、魔性植物から抽出した色素を加えて色を付けて、目で見えるようにする。そのとき色素の効果で霊魂の成分の変換が行われ、生命体としての機能が一部失くなり触れることが可能になる。ここまでが一段階で、次の段階で霊魂を極低温で硬化させて粉砕溶解し、生命体としての機能を失くしたうえで、他の霊魂と混ぜ合わせて濃度を上げて、霊薬がほぼ完成する。

 一方、普通に呼吸して心臓も動いている、残った生暖かい肉体は、霊薬に有効利用されるために別の工程に送られる。そこでは精気と本能荷電と残留思念が抜き取られ、それらは加工されて霊薬の補強剤として使われる。併せて完全な死体となった肉体は保存できるように加工されて、霊薬製造の燃料となる魔性植物の養分となったり、乗り物やしもべとして飼っている肉食系の動植物の飼料となる。

 

 だが実際に体験してみると、細かな手順や複雑な設定が目白押しで、一度くらいで何もかも覚えるのは、そう簡単なことではなく。さすがのフロイスも果たして覚えきれるのかと、一日目で弱気になっていた。

 そんなフロイスを次の日にサイレレが察したらしく、


「そんなにめげる必要はない。私の時代では、誰が行っても一通り覚えるのに少なくとも一年間は師匠に付いていなくては覚え切れなかったものだ。

 だがこの時代には、私の時代になかった文明の利器や何を作成するにも手本となる文献がある。

 そういうわけで、霊薬の製造知識を受け継いだ者が代々継承して来た製造方法を一切記録に残してはならないという暗黙のルールから逸脱するが、これを進呈しよう」


 そう言って、製造の全工程を記録したビデオとカラー写真と細かな説明で埋め尽くされたマニュアル本とトラブル回避と対処法が記載された冊子を手渡し、


「この七日間が終わったら復習する意味で何十回とこれを見て覚えることだ。それが早道だ」と助け舟を出してくれていた。それで何とか助かっていた。


 それからというもの、何の問題もなく順調に推移して、あと一日経てば最初の霊薬の完成品が出来上がるところまできたときだった。

 作業中であったフロイスの片方の手の甲に、『フロイスへ。頼みたいことがあるの、ホーリー』と文字が浮かんだ。

 携帯がなかった時代に使われていた、魔術に拠る通信手段の一つで、契約した者達同士が短い文章で情報交換できるのだった。

 元々流されやすい性格ではなかったが、義理堅い性格であったフロイスにとってホーリーは唯一の命の恩人で無二の親友であったことから、そのとき無下に断ることができず。それから四回やり取りをすると、あっさり引き受けていた。

 あとは月並み通りに霊薬が完成するのを見届けると、サイレレに別れを告げてパトリシアの居宅に直行。そこで待っていたイクを自宅へ送り届けて、すぐさまゾーレが滞在する別荘へやって来たというのがてん末であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る