第87話

 年配の男の姿が消えると同時に、「ドーン」と火山が噴火したときのような鈍い爆発音が起こり、生じた爆風が目と鼻の先にまで年配の男との距離を狭めていた、高さ百フィート(約30メートル)ほどもある十体の円筒の柱、防御壁ウーソの支柱をことごとく後方へ押し倒し、見る間に真紅の火柱を内部に含んだどす黒い煙が、猛烈な勢いで地表の土砂を巻き込上げがら上空へと舞い上がっていた。

 その瞬間、ホーリーは何が起こったのかさっぱり分からず一瞬呆気にとられた。だがちょうど吹き飛んだ内の一体が覆いかぶさるように目の前に倒れて来たことに気が付くと、はっと我に返りひょいと横に跳んでかわしていた。

 もうそのときには、――ほんと、しらじらしいわね、これだけ殺気が強いと呼び掛けてこなくたって直ぐ分かるわよ。――そんな回りくどいこと言ってないで手っ取り早く言ったらどう? ――さあ、ご老人。あなたの実力とやらを見せて貰おうかしら。それともこれでお終いなのかしら、などと時系列的に御託を心の中で並べては相手をあざ笑っていた余裕はもはや見る影もなく。もうこれはヤバそうと真剣な顔になっていた。

 その間に、彼女が召喚した防御壁ウーソの支柱は全て消滅して見えなくなるとともに、天高く噴き上がり遂には巨大なキノコ雲と化した黒い煙は、不思議なことに時間が逆戻りするように徐々に収束していくと、黒光りする体に鋭く尖った頭部が特徴の、身の丈が千フィート(約300メートル)近くもある良く分からない生き物、大まかに言うと、見てくれはナメクジのような手足の付いていない巨大なモンスターとなっていた。

 

 その圧倒的な姿に、「ここまで規模の大きな魔術は久しぶりよ」とホーリーは思わず息を呑んだ。

 だがすぐに、このまま何もしないわけにはいかないわと思い直すと、相手が動き出さない内に先制攻撃をしようと決めて、その場から後退してある程度の距離を取った。そして、モンスターの大きさから言って、果たしてどれくらいの効果があるのかさっぱり分からなかったが、手の平に生成した特大の空気弾に魔力をまとわせると、五インチ厚相当の鉄板をへこませることが容易にできる威力にしてから、まだ動く気配のないモンスターに向かって放った。

 しかし空気弾は届く途中で破裂して見えなくなっていた。

 それを目にしたホーリーは、ならこれでどうよと、とっさに機転を利かせた。続いて手の平に気を溜め同等の破壊力のある特大の気功弾を器用にも生成して放った。

 今度は届くことは届いた。が、何も起こらなかった。あたかも水の中に吸い込まれるような挙動でうんともすんとも言わずに消滅していった。――物理攻撃も波動攻撃もなぜかダメみたいね。

 予想外の結果にホーリーは一瞬その場に立ち尽くすと首を傾げた。

 その直後に昆虫そっくりの眼をギラギラさせてホーリーの居場所を特定したモンスターはゆっくり動き始めると、ド迫力の様相で間近まで迫ってきた。

 距離をかなり取っていたこともあり安心しきっていたが、見た目とは違ってかなり俊敏な動きであった。


「思ったより動きが速いみたい」


 あのような図体のでかい軟体動物のお化けがそんなに速く動けるはずはないと思っていたのにとホーリーは怪しむと、迅速に後退しながらその理由を突き止めようと周囲を見渡した。

 その際、外部の環境を調べる、専門的にいえばセンサーの働きをする魔法アイテムを持ってこなかったことを後悔した。


「ああ、しくじったわ。こんなことになるのだったら持って来るべきだったわ」


 そうはいっても、無いものを求めてもどうにもならないとして、データとして客観的な情報を得ることはもはや困難と諦めて、目視とそれまでの経験値から大体の見当を付けていた。

 見た限り、いつの間にか地表から蒸気が上がり、直後モンスターは足で移動するのではなく、蒸気が上がる地表を滑るように動いていた。

 なぜ地面から蒸気がと思う間もなく、燃えるものがほとんどなかった地表に火災が起こっているのと、その所々が赤黒く変色しているのが見えたことで、その理由が直ぐに分かった気がした。

 詰まるところ、高熱で地表が溶けて溶岩だまりとなり、そこから白い水蒸気が上がっていたのだった。

 なるほどね、そういうことだったのとホーリーは頷くと、切れ長の眼を妖しく輝かせた。

 ――火属性の魔術というわけね。

 耐熱性能を有するスーツを着用した上に全身をバリアオーラで完全防御していたせいで熱さに鈍感になっていたが、地表が溶けて液化している状況からみて華氏二千度(摂氏1090度)どころでは収まらないかもとホーリーは判断すると、いつものように何もない空中を手でつかむ仕草をして、そこから黒いレンズがはまった特殊なメガネを取り出し、それを目に掛けて改めてモンスターとその周辺を眺めた。

 するとそれまで見えていなかったものが、思った通りに鮮明に見えるようになっていた。

 モンスターの漆黒の体表が淡い黄色に色付いていた。更にモンスターの周りの大気がオレンジかかった赤色に染まっていた。どうやら大気温度が著しく上昇してそうなっているらしかった。


「あのモンスターは相当な高熱を放出しているということ!」


 ホーリーはそう口にすると眉をひそめた。並の人間では、いるだけで燃え尽きてこの世から消滅してしまうのは明らかであった。

 

「なるほど、そういうこと。周りに高熱のバリアをまとっているというわけね。

これは正直いって相当やばそう。不用意に行っても勝ち目はないわ。ここは用心してかからないとね」


 ホーリーは頷くと、これで粗方情報を収集し終わったからもう長居は無用と、


「ここはひとまず退散した方が良さそうね」


 そう呟いてその場から速やかに立ち退いていた。

 折しも、向かってきた、辺りに充満した煙をバックに灼熱色の外気を身にまとった黒い個体は圧巻と言っても過言でなかった。

 しかし、それを眺めるだけの余裕は、ホーリーにはもはや無く。相手の追跡を妨害する目的で、大きな音響と眩しい光を放つ閃光弾を複数投げつけると、ちょうど上手い具合いに発生していた濃度の濃い煙に紛れるようにして後退した。

 その際、素直に直線的に後退したのでは、相手がなりふり構わぬ攻撃を仕掛けてきたときにまぐれに当たることがあると承知していたので、不規則な動きで転々と移動した。

 だだ広い大地は、歪んだ楕円形みたいな形状をしていて、広場か運動場か公園のいずれかであったと見えて、高低差がほとんど無く見晴らしが良かった。そんなところであったから身を隠すところはどこにも見つからなかった。

 当てが外れたホーリーはそこを出ると、道路を挟んで見えた廃墟に向かった。


 それから約十二、三分経った頃。

 元々は居住区であったらしい、同じ規模の敷地に、同じ形状、同じ高さをした廃屋が幾つも居並んだ中の一棟にホーリーは身をひそめていた。そこは、屋根は半壊して見るも無残な有り様となっていたが外壁は比較的綺麗に残っており。ちなみにホーリーがいた空間は、元々はキッチンスペースであったらしく、扉が開け放たれたままの冷蔵庫があったり、粉々に割れた食器がコンクリのフロアに散乱していた。そのような中、比較的綺麗な状態で残っていたキッチンカウンターの上に腰掛けて頬杖をすると、向かいのコンクリートの壁をぼんやりと見つめながら、どうするべきか思案していた。


「丸一日あの格好でいられないと思うのだけどね……。といって術を解くのを待つのもねぇ。やり方的には決して間違っていないのだけれど、それは余りにも面白くないわ。まるでこちらの負けを認めるようなものだもの」


 そのときホーリーの脳裏には、契約をした魔物を召喚できる魔法剣、銀の燭台並びにあらゆる魔術を打ち破るマッキンレーの実を使うという選択肢は全くなかった。

 剣は相手を互角かそれ以上と認めた場合のみに、マッキンレーの実は手詰まり感となった場合にそれを打破する奥の手で使おうと決めていたからだった。それにつけてマッキンレーの実は、上手くいけば相手に重大なダメージを負わせることが十分可能であることは分かってはいたが、せっかく苦労して手に入れた物だから今ここで使うのは何だか惜しいようなもったいない感が先に働いてどうしても使う気にはならなかったのだった。

 ところが上手い代替策は見つかっておらず。


「嗚呼、困ったわ」ホーリーは表情をこわばらせると静かに目を閉じた。「どうしたものかしらねぇ」


 だが寧ろ、非常に強力な魔術を見せつけられたことで、同じ魔術師としての血が騒いでいた。久しぶりに魔術合戦ができると内心喜んでいた。――こんな展開を待っていたの。

 それというのも、この頃は最新の武器に魔術をまとわせて戦う実利と結果を追求した面白くない戦闘ばかりが流行りで、魔術師同士ががちんこで駆け引きするロマンのある魔術対魔術の戦闘がとうの昔の時代遅れとなってしまっていて、今では滅多に見られないことであったからだった。


 火属性の魔術といってもあんなのは初めて見たわ。まず正統派ではないことは確かね。言うところの異端の魔術といったところかしら。それにあの規模じゃ、まあ並みの魔術ではたちうちできそうにないわねぇ。やはりこちらも気を引き締めてかからなくちゃあね。

 ホーリーが息を潜めて考えに没頭していた頃、壁一つ隔てた向こう側では大きな破裂音がひっきりなしにしていた。どうやらすぐそこまで追っ手が迫っているらしかった。

 一体何が起こっているのかホーリーには分からなかったが、ザーウインの化身であったモンスターが、――相手はそれほど遠くに行っていない筈、きっと付近に潜んでいるに違いないと見当を付けて、ワニのような大きな口を開くと、光線みたいに霧状になった黒い液体を手当たり次第に吐いては辺り構わずの無差別攻撃を行っていた。

 霧状の黒い液体は超高温の油粒子で、地表で水分子と出会うと激しく反応して蒸気爆発を起こし、猛烈な爆風を伴ってあらゆるものを破壊し尽くして何もない世界へと変えていた。


 そんなとき、ホーリーがいた建物の付近でも凄まじい轟音がとどろき、地震が来たかのように建物の壁が激しく震えて、その一部が落下。煙幕のようにホコリが立ち上った。


「もうそろそろ、ここも危ないみたいね」


 ホーリーはため息をつくと、険しい視線を宙に投げた。

 普通、炎を消すには、水や砂で熱を奪って空気を遮断するか、大きな力で吹き飛ばしてしまうかと相場が決まっているのだけど。

 水といったってね……。砂が山ほどあったグラウンドはこの感じじゃ、今ごろ高熱で溶かされてムリっぽいし。それに、あれだけの大きなものを吹き飛ばすにはどれだけの魔力がいることか。


 間もなくして、思い返していたホーリーのエメラルドグリーンの瞳が仄かに妖しく輝いた。


「ああ、そうだわ。確か水路には橋もあって、水が満タンに溜まっていたような……」


 この場所まで逃げ延びて来る途中、グラウンドを囲んでいた高いフェンスをひとっ跳びして道路に着地していたのだが、道路とフェンスのちょうど中間あたりでふと目にした水路のことを思い出したのだ。

 記憶では水路は道路幅よりやや広く、それがグラウンドを取り囲むようにして走っていた。しかも、途中でせき止められているのか分からなかったが満杯の水をたたえていた。


「ふーん、もうこうなればやけくそで、あの水を使って消火しちゃおうかしら」


 冗談めかしてホーリーはそう呟くと、明らかに真剣な眼差しで腰掛けていたテーブルから立ち上がった。

 過ぎると反動で丸一日から二日間、魔術がろくに使えなくなるので余り使いたくなったが、禁断の魔術を使えば、やりようによっては十分可能かもと見ていたのだった。


 いつの間にか耳をつんざくような破裂音が止んで不思議と外は静かになっていた。不気味と物音一つしなかった。

 そのような気配に、ホーリーは敏感に反応すると、一瞬身構えて、いつでもそこから脱出する態勢を取った。――これは絶対に何かありそうね。

 果たして次の瞬間、ホーリーの頭の中に、余裕に満ちた口調で呼びかける男の声が響いた。


「どうかな。まだ元気にやっておるのかな?」


 直ぐ側から話し掛けられたような感覚に、これはテレダイアログ、略してTD(遠隔対話術)を使っての仕業ねとホーリーは察すると、応えれば気配で居場所を突き止められる恐れがあるからとして、直ぐには返事をせずに、その間考えた。


 この様子じゃあ私を見失って私の居場所がまだ分かっていないみたい。それで呼びかけてきたってわけなのね。不用意に返事をすると居場所を特定して襲うつもりかも。

 そんな手には乗らないと言いたいけれど、ここで何も応答しなければ、きっと偽の本部に向かうつもりだわ。そうなれば中に隠れているあの人達は、この分だとひとたまりもなく全滅するわね。

 そうなれば色々と面倒臭いことになりかねないし。やはり、ここは私が何とかして上げないといけないみたいね。


 そして素っ気なく言った。「ええ、それ相応に元気よ。元気にやってるわ」


「ああ、そうか。てっきり逃げ出したかと思ったが、まだいたとはな」 


「せっかちね。私が逃げ出すと思ってるの。私はこう見えてもプロなのよ。黙ってこそこそと逃げ出したりはしないわ」


「ではなぜ隠れた、なぜ向かって来なかったのかな?」


「ああ、そのこと。それはあくまで作戦よ。作戦でやったの。あなたの能力を分析するためにね」


「それでわしの能力は分かったのかな?」


「それは秘密よ。今は言えないわ。それにしても本当に不格好なモンスターだこと。センスの欠片もないわね」


「わしにしてみれば、姿かたちは戦いに無関係だと思うが」


「ああ、そう。あなたがそれで良いというのならそれで良いんじゃない。ところで何だけれど、節度というものをわきまえて貰いたいわ。私はこんなにちっぽけなのよ。それなのに、その大きさは反則ではなくて……」


「それはすまぬな。わしもこの魔術に関しては、まだそれほど詳しくなくてな。大きさの加減は残念ながらできぬのだ」


「良く言うわ」


「それはともかく。手っ取り早く言うが、死にたくなかったら手を引け。速やかに去れ。ついでにお前の仲間にも同じことを伝えよ」


「もし従わないと言ったら?」


「その時はお前を殺るまでだ」


「ああ、そう。じゃあやってみれば? 私だってそう簡単に殺られはしないわよ。ねえ、魔術対決と行きましょうか。あなたのような術師に出会えるなんて久しぶりよ。貴重な体験ができる気がするわ」


「ふん、馬鹿者め」あざ笑う声が耳に轟いた。「この姿は、考えられ得るあらゆる弱点を取り除いて行き着いた姿でな」


「つまり完全無欠の姿ということ?」


「ああ。そういうことになるな」


「面白いこと言ってくれるわね。じゃあ、それが果たして本当なのか試して上げる」


「ああ、それでは待っておる。そう言って逃げ出すことのないようにな」


「分かってるわよ。私はそんな卑怯ものじゃないわ。相手して上げるわよ、待っていて。正々堂々と出て行って上げるから」


「なら待っておるぞ」


「ええ」


 さらりと受け流して会話を切り上げると、もはやここに隠れていても無駄みたいねとホーリーはそこを離れようと歩きかけて、ふと疑問が思い浮かび立ち止まった。


 ああ、そうだわ。こちらの準備ができるまで相手は待ってくれるとは限らないわ。私が向こうの立場ならリスクを避けるために相手に準備の機会を与えないかもね。例えば、姿を現わした途端に攻撃を仕掛けてくるとかね。特に経験豊富なベテランが良くやって来るのよね。

 それに大がかりな魔術の発動に限って時間がどうしてもかかるのよね。これはやはり時間稼ぎをする必要があるわ。

 そのためにはオトリを作っておかなくちゃあーね。


 ホーリーは、手持ちの発煙弾全てと超小型の時限爆弾とサッカーボール大の球体を取り出しテーブル上に並べると、袋に一緒に入れ、手際よくロープで縛ってひとまとめにした。それが終ると、外に出していた時限爆弾のタイマーを六十秒後に爆発するようにセット。ニヤッと含み笑いすると、すぐさま作動させて外へと出た。

 サッカーボール大の球体の正体は、何を隠そう防護用にと所持していたエアーバッグで、拡がると超大型旅客機を縦横に五機ずつ、余裕で受け止めることができるほど超巨大なものであった。


 折から外は、遠くの方からもうもうと上がっていた黒い煙の影響で薄暗く変わっており。加えて、ものが焼け焦げた異臭が辺りに漂っていた。

 だがホーリーは、そんなことなど御構い無しに、ほぼ垂直に曲がりくねった無人の路地を足早に進むと、目指す道路が見えるところまでやってきていた。

 すると計ったように、背後で小さな爆発音がして、大量の白い煙が物凄い勢いでもくもくと立ち上った。先ほどホーリーが仕掛けた置き土産が作動したのだった。


 道路の遥か向こう側が真っ赤に染まっていた。どうやら地表全体が熱で燃えていると思われ。

 こんな短時間で辺りを溶岩地帯にするなんて、どんな高熱があのモンスターから放出されているのよと、これにはさすがのホーリーも唖然とするほかなかった。

 そのときモンスター自体も直ぐに認識できていた。異様な姿をしたモンスターはそれほど遠くない地点で高層ビルのように堂々とそびえ立っていた。

 どうやらホーリーの言葉を素直に信じたらしく、しばらく様子をみるように尖った頭をその方向に向けて見入っていた。

 見る間に白い煙が空高くまで立ち込め、爆発の衝撃で作動したオトリのエアーバッグが煙の中に見え隠れするようにして巨大化していき、モンスターを遥かに凌ぐ大きさまでになったとき、モンスターは動き始めたかと思うと、少しして再び立ち止まり、すぐさまそこからホーリーが仕掛けたオトリに向かって攻撃を加えた。

 一呼吸遅れてモンスターが吐いた黒い霧が白い煙で満たされた中へ消えると、耳をつんざく破裂音が起こり、立ち込めていた煙とともに周辺の建物が跡形もなく消し飛んで、乾ききった不毛の大地のように全く何も残らない景色へと変貌させていた。

 それを物陰から見物していたホーリーはチャンスとばかりに、道路を横切り、水路に掛かる橋のうちの一番先に目に止まった方へ真っ直ぐに向かった。

 果たして使えるかどうか、橋の上から水の状態を見ようとしたのだった。


 実際のところ、水路の上限から約三、四フィート(約1メートル)下に見えた黒褐色に濁った水面は、完全に流れが止まっていて静かで。またその長さは、ざっと見た感じ、三、四千フィート(1000メートル内外)はありそうだった。

 ――まあこんなものでしょうね。これくらいの水量があればなんとかなりそう。

 橋の欄干に立ったままホーリーは安堵の色で頷くと、急ぐように召喚呪文を詠唱した。


「現世が生まれし前の混とんとした世界にあって、不変なるものを唯一変化させるものとして あらゆるものを焼き払う紅蓮の炎。それに相並ぶものとして生まれし、あらゆるものを滅し尽くす紺碧の炎。

 闇を食らうわけでもなく闇を照らすわけでもない、有情を救うわけでもなく加護するわけでもない唯一無比の術の使い手たる我が身の願い聞き届けて、巡る因果に弄ばれて名もなき大地の深淵の底に眠りし水竜の霊異、シアーナ並びにルナウエイの器にその御力を望むらくは転じ、あらゆるものを灰塵に帰する化身となりて、ここに御姿を顕わさん」


 しかし何の反応もなかった。何も起こらなかった。ところが「ウトーヒャ アヴィラビッチ

 ヴィラレーグモール ミーブ フォンティア」と続けた途端に、水路の濁った水面が突然激しく波打ったかと思うと綺麗な透明色に変化して、中から頭の先から尾の端までの全身が鋭い棘に覆われたタツノオトシゴの親戚のような外観をする二匹の白い大蛇が、他ならぬ青い炎を全身にまといながら対極の方角より出現。

 サメのような尖った細かい歯がずらりと並んだ大きな口を半開きにしながら頭をもたげるとモンスターを挟み撃ちする形で対峙した。その胴回りはモンスターと比べて七分の一にも満たないと遥かに見劣っていたが、その長さといったらどちらもモンスターに匹敵するほどであった。


「お待たせ」


 二匹の大蛇に挟まれて一瞬動きを止めたモンスターに向かって、今度はホーリーの側からテレダイアログを使って呼び掛けていた。すると、


「あれは何だ! 何だったのだ!!」


 すぐさまザーウインの化身であったモンスターから、つい今しがた攻撃を加えた物体について説明を求める声が訝し気に届いた。


「ああ、あれのこと」橋の渡り口の付近に身をひそめながら、ホーリーは事もなげに応じた。


「あれは単なるダミーよ。万が一を考えて保険を掛けたの。だってそうでしょ。この私がそう簡単に殺られると思って!」


「なるほどな。だが見たところ、召喚したモンスターはどうせ氷か水の魔術で錬成したもののようだが所詮無駄なことだ。そのようなものではわしに通用しないぞ」


 外観だけを見て言ったのだろうザーウインに、ホーリーは含み笑いをすると、落ち着き払った口調で言い放った。


「あらっ、そうかしら。やってみないと分からなくってよ」


 途端に、「あははは」とあざ笑う声がしたかと思うと、見下したように、


「ふん、どうやらわしの化身を見くびっているようだな。直ぐに決着がつく。それをわからせてやるからやって来るが良い」と言ってきた。


「ああ、そう」ホーリーはお返しと言わんばかりに「うふふふ」と笑って応じると、


「じゃあ思い切り行かせて貰うとするわ。その前に一つ言っておくけれど二匹は高熱が大好物ときてるの。直にその巨体を喰い尽くしてあげるから」


「やれるものならやってみろ。その前に八つ裂きにしてくれるわ」


「じゃあそうやって貰おうかしら」


 開き直ったようにホーリーがぞんざいに言い返し、「では行くわよ」と短く告げると、機動性に富み小回りの効く大蛇と、どっしりと身構えてそれを受けて立つモンスターの戦いが始った。

 先ず二方向から二匹の大蛇が先制攻撃を仕掛けようとじりじりと間合いを詰めながら隙を伺う様子を見せると、異様な姿をしたモンスターは改めて戦闘モードに入り力をみなぎらせた。

 途端に辺りは灼熱の地獄と化し、人などあっという間に蒸発してしまうような環境となっていた。

 にもかかわらず、青い炎をまとった大蛇は平気な様子で、口が裂けるのではないかと思うくらいに口を大きく開いていきなり跳びかかっていった。

 ところが、自らの化身であるモンスターには弱点がないと、かの男が豪語しただけあって、モンスターの黒光りする体表は弾力性に富み、加えてスベスベしており。従って大蛇の最大の武器であった鋭い歯による咬みつき攻撃は一切通じず。ことごとくはね返されていた。幾度試みても結果は同じだった。歯の跡さえつくことはなかった。

 そのため大蛇はまもなく方針を転換。モンスターの体に巻き付くという行動に出た。すると今度は効果がてき面で。巻き付かれたモンスターの体表の部分が見る間にくすんだグレー色へ変質していくと、やがてガラスが割れるように粉々となって消失していた。

 だがモンスターもしたい放題にさせていた訳ではなく。これ以上好き勝手にさせるわけにはいかないと反撃に出た。

 体の周りに触手のような長い腕を何十と発生させ、イソギンチャクが水中を泳いで近付いてきた小魚を捉える要領でつかみにかかった。

 瞬く間に、黒い色がつかまれた大蛇の白い部位を浸食するように拡がると、その部分が薄っぺらい紙が燃えるような挙動を示して蒸発していった。

 もちろん大蛇もそのままなすがままになって終わることはなく。体を反対に捻ったり、回転したりと抵抗しては、逆にやり返して上手くかいくぐっていた。そのようにして脱出すると、今度は離れた地点からの攻撃に切り替えていた。

 即ち、空中から体当たりして巨大なモンスターを横倒しにしてから、ゆっくり料理しようとしたのである。

 当然ながらモンスターもそれをただ手をこまねいて見ていたわけではなく。モンスターは、一撃で相手を仕留める魂胆で蒸気爆発を引き起こす黒い霧を口から吐くタイミングを図っていた。

 一方、それを知った大蛇は、二匹からその倍の四匹、またその倍の八匹へと数を増やしてかく乱することで対抗していた。

 そこに加えて、お互いに欠損した部位の再生を体が若干小さくなるのと引き換えにその都度繰り返したため、どちらが勝つとも分からない際限のない戦いが続き、時間だけがムダに過ぎていった。


 以上のようなことがモンスターと大蛇の間で繰り広げられていた頃。アリストとロンドの組は、ジャワとシャリオウとの戦いに終止符を打っていた。


 手っ取り早く片づけてしまおうとコクピットの中でお互いに示し合わせた通りに一対一の戦闘手法を選択して、馬鹿正直にも正面攻撃を仕掛けた二人は、別に相手を甘く見たわけではなかったが、すべり出しから敵の術中にもろにはまって、アリストが乗るメカアーマーは片腕をまるまる失い、ロンドが乗るメカアーマーは機体が錆びついた状態となったことで、思った通りの操縦ができなくなった上に装備した武器類が使えなくなっていた。

 けれども二人は、ゴリラと猿人の中間物みたいなモンスターの体が外見通りに堅固であったことや、自分たちが乗るメカアーマーの倍以上のでかさの割に予想を上回る機敏な動きをすることや、自己再生機能及び強力な攻撃力を持っていることが分かったからと全く意にも介していなかった。ミスを犯したと判断していなかった。

 それというのも、二人が能力で操っていたロボットは構造が簡単にできていて、どこが壊れようが修復が容易であったからだった。

 それに二人は仕事柄、世界中を巡って、この手の巨大化変身の術は何度も見てきて知っていた。従って、対処法を心得ていた。つまるところ、どのような具合いなのか、先ず簡単に様子見をしてから攻略にかかろうとしたのだった。

 二人はお互いに連絡を取り合い、わざと敗走した振りをすると、二体のモンスターを誘導。一対一の戦いから二対二のペア戦に持ち込んでいた。

 そのとき向こうもそれには異存がなかったと見えて共闘して臨んできた。そしてお互いに連携を取り合いながら二回戦が始まっていた。

 けれども相手の能力が分かった以上は、アリストとロンドの独壇場と言って良かった。

 肝心なところで二人が得意とするサイコキネシスとテレキネシスが威力を発揮。必要以上に強力過ぎる相手の攻撃力を反対に利用することで、自滅に追い込んだり同士討ちを誘発していた。

 その結果、相手は修復が十分できないくらいにダメージを負った体で暴走状態となると、こん棒に変えた腕をやみくもに振り回してきたり体当たりを仕掛けてきたりと悪あがきを繰り返した。が、それほど挽回するにはなっていなかった。

 二人は相手の攻撃力を削いだあとに続いて動きを封じると、大地に転がっていたガレキや土砂類でできていた相手の体を建設機械さながらにロボットの手足の爪で削り取る作業を続けた。

 面倒なことは一切いらない。形状が残らぬくらいに破壊し尽くすか、狙う対象の部位を決めておいてそこだけ重点に破壊を行って活動不能にしようとしたのである。

 そしてそのような過程で、潜んでいた男達を発見した二人は、情け容赦なく彼等を殺害していた。



 一方その頃、飛行場跡地では、ようやく気が付いたイクが一人会話をする声が聴こえていた。

 その光景は、何も知らない人が見れば、頭がおかしいと勘違いしても不思議でなかった。だがイクの頭の中には、彼女が身に着けたスペシャルスーツに変わった生き物からの声がはっきりと聴こえており、それに返事をしていただけのことであった。


「へー、そんなことがあったの。あたしと違ってさすがセキカね」


 イクが気を失ってから起きた出来事を別に自慢するわけでもなく淡々と語った生き物に、また助けられちゃったみたいとイクは恐縮しまくりだった。

 そして最後に、


「イクよ、あれだけ気を抜くなと言っておいたのに。本当にどうしようもない奴だ」


 小言が生き物から漏れたことに、イクはばつが悪そうな顔で唇を尖らすと返した。


「そう言ったってさ。セキカ、あんまりあたしをいじめないでよ。そう言ったって、しょうがないじゃん。好きで気を失ったわけじゃないんだから。

 出合い頭であんな目に遭って、体が上に浮いたら誰だって頭がおかしくなるわよ。

 ふわっとなったとき、これは死んだなと思って何とはなしに気分が良くなって、ついうとうとして眠ってしまって。あと気が付いたら目を回していただけじゃん。

 次から上手くやるわよ。ね、もうこれで良いでしょう」


 彼女流の言い訳をちゃっかりしたイクに、生き物はそれ以上何も言わなかった。

 そんなとき、遥か彼方をぼんやりと眺めていたイクの目に、謎めいた情景が飛び込んできた。遥か遠くの方が赤く輝いて見えていて、明らかに何かありそうだった。


「ああ、そうだった。思い出した。フードが眼と耳代わりになるんだっけ?」


 さっそくイクは押し黙った生き物に向かって、


「確か、この格好だと、セキカあなたの探知能力が使えたわよね」と呼びかけながらフリースのジャケットのフードを頭からすっぽりと被り、仄かに赤く輝く辺りを眺めた。

 すると、夕焼け色そっくりに染まった背景の中で、黒い物体と青白く輝く細長い物体が戦っている様子がイクの目にはっきりと映り込んでいた。


「ワァーオ、向こうで凄いのが見えるわ。ここから十九マイル(約30キロメートル)行った先で、何だか知らないけれど、モンスター同士が戦っているわ」


 イクは思わず絶句すると、ほんの少しの間見とれた。そして思った。

 状況から言って、きっとどちらかは、たぶんホーリーさんだわ。他には考えられないもの。これは見に行く価値があるかも。

 ホーリーの手ほどきを受けて、イクは初歩の魔術くらいは使えるようにはなっていたが、早い話、まだ見習い程度でしかなく、彼女の本格的な魔術をこの目で見たことが一度もなかった。それが見られるチャンスがとうとう訪れたのかと思うと何とはなしに心が躍っていた。

 ああそうそうとイクは思い出したように被っていたフードを取ると、全く同じ映像をイクの目を通して同時に見ているであろう生き物に向かって、


「ねえセキカ。これまであんたに迷惑かけっぱなしで言いづらいんだけれど。あのね、向こうまで行っちゃあダメかしら。ほんのちょっとだけ滞在してこちらへ戻るだけなんだけれどね」


 すると間髪入れずに生き物から怪訝そうな声が返って来た。


「持ち場を離れて行くつもりか?」


「うん」イクは正直に頷くと言った。


「だってさ、もしかしてあそこにホーリーさんがいたらちょっとでも手助けしたくってね。それを通じてあたしだってできるところをホーリーさんに見せたくってね。

 ねえ、どうかしらセキカ。ダメかしら?

 ひとっ飛びで行って、ちょっとだけ手助けして、直ぐに戻れば良いでしょ。そんなに向こうでいないし。ね、構わないでしょ、セキカ」


「……まあ、良いだろう」


 生き物から少しの間をおいて答えが返って来た。


「ほんと!? ありがとうセキカ。恩に着るわ」


 イクは満面の笑顔で生き物に礼を言うと、ではさっそく(このまま空を飛んで行こうと)行きかけて、ぺろっと舌を出して照れ笑いを浮かべた。

 ああそうだった、肝心なことを忘れてたわ。あたしとしたことが、何ておバカなんだろう。一番大事なことを忘れていたわ。見に行くんじゃなくって応援しに行くんだった。


「行く前に、こっちも準備をしとかなくちゃあね」


 イクは思い立つと、向かう前の下準備として、フリースジャケットのフードの中に手を入れて、中から見かけ上は何の変哲もない二フィート(約60センチ)未満の長さのロッドを取り出し、カギとなる部分にちょっと触れた。

 途端に長さが三倍以上に伸び、同時に一方の端の部分が二本のアームからなる、いわゆる遠くにあるものをつかんで取る場合に用いる、マジックハンドと一般的に呼ばれるものとなっていた。自宅でも刃物をほとんど扱ったことがない上に、一度に大量の血を見るとパニックに陥るイクの性格を考慮して、そのような仕様に落ち着いていたのだが、紛れもないイクのスペシャルスーツに付属する武器だった。


 続いてイクは、直ぐにでも使えるようにするために武器の機能確認作業に取り掛かった。

 見かけはどこから見ても遠くのものをつかんで取るマジックハンドであった。が、自由自在に伸び縮みすることから、長杖や槍代わりにも使え、銃器の機能も持っていた。

 アーム部分を開いたロッドの中心部が砲口となっており。ロッドを手にして構えると、自動的に瞳の中に丸や四角や三角といった記号が映り込み、それが照準代わりとなっていた。

 ちなみにその名をレッコウと言い、単なる機械装置の類でなく、生き物の体の一部ということであった。

 そのような風にして二、三分後に作業を終えたイクは、最後にロッドを立てて持ち石突きの部分を地面にコンコンと軽く打ち付けると、すっかりその気になっていた。

 これで準備ができたわ。いつでもオーケーよ。

 イクは半分ほどの長さに調整のし終わった武器を縮めて背中の方に回し固定すると、いよいよ出発ということでにっこり笑い、その場から最小限の助走を付けて勢い良く跳躍。一気に空高く舞い上がっていた。


 それから、ものの五分足らずで目指す地点まであと一マイルもない付近へとやって来ていた。ところがそこからが問題で、突如として我が身に降りかかった、熱湯が顔にまともにかかったような耐え難い熱さと、今までに経験したことがない規格外の息苦しさに、イクはその場で悲鳴を上げると、急ブレーキをかけて立ち止まっていた。


「ああ、何よこれ!? 猛烈に暑くって息ができないわ。これ以上先に進むと焼け死んでしまいそうよ。先に火山でもあるのかしら」


 思わず弱音を漏らして、疑いの目で周辺を見回していた。すると、航空写真そっくりの景色が視界一面に拡がる中、イクが行こうとしていた方向の地形のみが、なぜか濃い色をした煙がもうもうと湧き上がっており、加えて赤茶色に輝いて見えていた。


「それにしてもほんと、サウナにいるみたいよ」 


 片方の手で額の汗を拭いながら、生まれて今の今までサウナに入ったこともなかったのにそうぽつりと呟くと、イクは一旦空中に留まったまま腕組みをして、どうしようかと思案した。


「今のあたしじゃあ、これ以上行くのはヤバいかも? もっと高いところを飛べば何とかなると思うけれど。その代わり空気が薄くなって息が苦しくなるのよね。おまけに向こうへ着いて降りられなければ結局一緒だし。ああ、困ったわ」


 そして最終的に、こういうときに頼ることができるのはやはりセキカね、とイクは生き物に伺いを立てようとして、気さくに声をかけていた。


「ねえセキカ,どうしたら良いと思う?」


 しかし生き物から何の反応もなかった。

 そのことに、さてはまた何か難しいことを考えているんだわとイクは推測すると、再度同じ調子で呼びかけた。


「ねえねえ、セキカ。セキカったら、聞いてんの?」


 だが同じことで、生き物から全く応答が返ってこなかった。

 そのことにイクは一瞬イラッとした。何でないのよと合点がいかなかったが、何のことはない、イクの希望通りに生き物がしてやっただけのことであった。が、そうとは知る由もなかったイクはそう思っていなかった。

 時折り見せる悪い癖が今ここで始まったみたい。セキカったら慎重というか深く考え過ぎるのよねえ。さっさと答えを出しちゃえば良いのに。これは考え過ぎてとうとう思考が止まってしまったみたい、いやきっとそうに違いないわ。本当に困ったセキカなんだから、と変な方向に理解すると、


「あゝ、そう。それじゃあ、あたしの好きなようにさせて貰うわね」


 少し素っ気なくそう言って、別に気にかけることなしに行動を起こした。――これはもうあたしの判断でやらないといけないみたいね。

 イクはそこを離れると、立ち込めた煙のために見通しがほとんど利かない周りを、モンスター達に気付かれないようにと用心しながら遠巻きに一周した。自分なりに考えて、もっと詳しい情報を得ようとしたのだった。

 その際イクは、ジャケットのフードを被ったり取ったりするのをひんぱんに繰り返した。

 ずっと被り続けると色んな情報がごちゃごちゃと次から次へと入ってきて頭が痛くなる上に、終いにはお酒に酔ったみたいに頭がくらくらとなってきて目を回しそうになるからであった。

 ともかくもそのような具合いにして、木が一本も生えていない地上において、まるで宇宙生物みたいな見たことのないモンスターと、全身に一杯棘が生えた新種の大蛇が全部で六匹、臨場感のある戦いを繰り広げているのを目の当たりにしていた。

 そのとき「ドーン、ドーン」と大口径の砲門が火を噴いたときのような大音響と「ドドーン」と爆弾の破裂音みたいな轟音と「ドシーン、ドシーン」と何か大きなものが地面にぶつかる地響き音を間隔を置いて響かせていたのだったが、「ドーン、ドーン」という音は大蛇が黒いモンスターにぶつかったときの衝突音で、「ドドーン」という音は黒いモンスターが大蛇に反撃を加えているときの音で、「ドシーン、ドシーン」という音は大蛇が地面に転がる音であった。


「ほんと、やってるやってる、ガチでやってるわ。でもまだ両者とも互角みたい。どっちが勝っているのかさっぱり分かんないわね」


 そんな感想を漏らしながらモンスター達の動向を観察したイクは、その合間にホーリーらしき人影も同時に捉えていた。

 モンスター達がいた場所からそう離れていないところに見えた道路の真ん中に突っ立っていた白い人影がそれで。

 彼女は戦いの展開を見るのに忙しく、イクのことは全く気付いていないようであった。

 折しも彼女がいる近くまで真っ赤に溶けた溶岩が迫ってきていた。そこに加えて、わりと濃い煙が周りを取り囲んでおり。

 それを見たとき、ホーリーさん、あんな近くにいて熱くないのかな。煙で息苦しくないのかなとイクは思った。たぶん、あたしには分からない特殊な方法であんなことが出来るんだと思うけれど。

 ところがもう一方の相手に限っては探知の範囲外にいるのか、いくら探しても残念ながら見つけることができなかった。不思議ねぇ、モンスターの姿しか目に入らないわ。

 続いてイクはモンスター達の方に自然の流れで関心を寄せると、フードを被ったまま、


「どちらの方がホーリーさんが召喚したモンスターかしら?」


 そう呟いた途端に、ホーリーらしき人影の上部辺りから全ての大蛇の方へ向かって、半透明色をした細い糸のようなものがそれぞれ伸びているのがイクの目に捉えられていた。


「やっぱりね、思った通りだわ。あれがそうなのね」


 これだけ分かればもう十分よとイクは頭に被ったフードをとると、さっそくホーリーの援護に取り掛かった。

 そのとき、本人の許可を取らずに黙ってやって良いものかといった疑問が一瞬頭をもたげていたが、許可を取りたくてもあそこまで行くことが厳しい上に、この場面で伺いを立てるのは状況的に見て的外れとしか思えない。それよりも黙って見過ごすことの方が罪が大きいという判断に至っていた。


「声を掛けたくっても、これじゃあどうみても無理のようだし。それで黙って見ていたんじゃ、あとでどんな文句を言われるか分からないものね」


 イクは背中に手を回してマジックハンドのロッドを手に取り、格好をつけるようにして長く伸ばすと、遥か前方に向けて閉じていたアームを目一杯に広げた。それにより砲口が露出して、いつでも射撃する準備が整っていた。あとは撃つだけだった。

 イクは息をゆっくり深く吸い込むと、教えてもらった通りに息を止めて、その時をじっと待った。


 イクはこの武器を使うのは初めてではなかった。今回で三度目であった。従ってその威力の凄まじさを目の当たりにして知っていた。

 初回は、高収入のアルバイトがあると父親に言われて付いて行った先の仕事現場がふとしたきっかけで火事となり、あともう少しで隣の家屋とその奥の森林へ燃え移ろうとなったときのことで。

 そのとき運が良いことに生き物も一緒に来ており、このままでは後で責任問題となって多額の賠償金を取られて会社が破産してしまうと父親のダイスが騒いでパニックに陥ったのを、知恵を出して助けてくれていた。その際に使ったのが最初で、生き物から使い方を手とり足とり教えて貰いながら何とか使いこなすと、水を使わずに火を消して穏便にすますことに成功していた。

 なぜそのようなことができるのかについて、そのあと生き物が説明してくれたことによると、空間と空間をつないでいる物質の配列に影響を与えることで、マイナスのエネルギーを局所的に発生させると、その場に存在する同程度のプラスのエネルギーが吸収されて、何事もなかったように収束する。簡単に言えば、この世界で常識として知られている、電子が移動するとその逆方向に電流が流れるのと同じ原理だということだった。ただイクに限っては、難し過ぎてさっぱり理解できていなかったが。

 そして二度目は、自宅の一帯を百年に一度という巨大な勢力を持った嵐が接近してきたときだった。このまま通過して行くと住む家が無くなるかも知れないと父親のダイスが嘆いて、ともかく通過する前に急いで車で逃げようと言ってきたものだから、何とかして助けてと生き物に相談すると、やってみるかと提案してきて使っていた。

 そのとき雷が鳴り響き豪雨と強風が激しく吹き付ける中で、しかもまだ夜が明けない頃に、必死の思いでやったがためにやり過ぎて超巨大の嵐を不自然にも一瞬にして消し去ってしまい、生き物に面倒をかけていた。

 生き物は「やり過ぎだ。急に無くなったとなると誰しもが不思議に思うではないか」と呆れたようにイクに呟くと、急いで雲一つない空へと駆け上っていった。それからどんなふうにしたのか分からなかったが、再び黒雲を呼んで雷鳴も響かせて雨も降らせて風も吹かせてと規模が小さいながらも嵐を創り出して何とか体裁を整えてくれていた。

 それが自然に勢力を弱めて行き、やがて数時間後には消え去って事なきを得ていたのだった。


 的はじっと止まっているのではなくて体をくねらせたり向きを変えたりと絶えず動いてはいたが、何分と巨大でほぼ目線と水平方向にあったため、狙いがし易かった。

 だがここまで来てイクの手が止まっていた。

 幾らイクが意識して止めようとしても、手に持ったイクの背丈より長いロッドの先端が、風になびいているかのように小刻みに揺れ動いたのと、この武器の特性に拠っていた。

 揺れ動いたわけは、モンスターの周りをホーリーが召喚した大蛇がひんぱんに動き回って視界に入り、よもやすると誤射する恐れがあると慎重に狙いを定めたからと、宙に浮いたままの不安定な状態でいたため、照準が中々定まらずにいたことに拠っていた。

 そして武器の特性とは、この武器には機械式のトリガーは付いておらず、それに代わって精神力や集中力がトリガーの役割を担っていたことに拠っていた。従って少しでも迷いや戸惑いがあっては、いつまでたっても一発も発射出来ない仕組みになっていた。

 そのときイクは、ホーリーさんに認めて貰うのには失敗は許されないという思いが一抹の不安となり、緊張と焦りが出て発砲する機会を逸していた。


 そのまま時間が経ち、やがて息が苦しくなったイクはもうこれ以上は無理と息を止めるのを一旦やめると大きく深呼吸をした。嗚呼、もうちょっとで死ぬかと思ったわ。

 それから気分転換になるかもとフードをそのついでに被った。もう破れかぶれよ。何が上手くいくか分からないしね。

 それらの行為が良かったらしく、力が抜けて頭を空っぽにすることに成功して不思議と迷いがなくなったイクは、集中力を高めると何もかも忘れて、


「お願い、上手くいって!!」


 と叫び声を上げて、自然体でロッドを握る手に力を込めた。

 その途端、イクの願いに応えるように遂にそのときが訪れ、砲口よりエネルギーの塊が灰白色のどんよりとした光を放ちながら音もなく射出されていた。

 その一撃は、モンスターと大蛇が争う地点まであっという間に達すると、狙っていたモンスターの体から外れてモンスターの足元近くの地面に着弾。

 その結果にイクは絶句すると、あたふたした。ああ、やっちゃったみたい。つい力が入ってしまって手元が狂ったみたい。

 今更後悔しても既に手遅れと思われた。ところが地面上でモンスターの大きさぐらいまで灰白色の光が爆発的に拡散。魔法陣にも見えなくもなかった、水の波紋模様のようなものが地表上に出現したかと思うと、モンスターの体をそのままブラックホールのように内部に呑み込んでいた。その巻き添えを受けた形で、その傍にいた大蛇も一番遠目にいた二体を除いて同じく次々と呑み込まれていた。

 それと同時進行で、周りの環境が劇的に変化。あれだけ熱を帯びていた大地が一瞬にして急速に冷え固まり、真っ黒に焼けた土や岩石がごろごろする、ちょうど火山が噴火したあとの周りの景色そっくりな殺伐とした世界へと変わっていた。それとともにすっかり気温が下がり、やや冷え込んだ感じの元の空気に戻り、焦げ臭いにおいまでもがすっかり消え去っていた。

 そうして不思議な模様はいつの間にか自然消失していた。また唯一残った二体の大蛇はというと、もう役目を終えたとでもいうのか、少し経ってから半透明化すると、やはり目の前から見えなくなっていた。

 そのてん末にイクは、本当はモンスターの正面を狙ったつもりだったのに、と思いがけずの結果に終ったことにほっと胸を撫で下ろすと、こんなこともあって良いんじゃないとピチピチした初々しい顔を満面にほころばせ、ロッドを長いまま肩に担いで即座にホーリーの元へと向かった。


 それから、ものの十数秒でホーリーの傍へと着地していた。視界を遮るように立ち込めていた濃い煙がすっかり消え去っていたので一気だった。

 イクは小さな眼を輝かせながら頭から被ったフードを一気に取ると、まっすぐ伸びた道路のちょうど真ん中に座り込んでいたホーリーの元へと駆け寄り、その背中に向かって元気よく呼びかけた。

 

「大丈夫ですか。怪我はありませんか?」


 その声に、突然の出来事に張り詰めていた緊張の糸が切れて自失してしまい、地面に尻もちをついていたホーリーは首だけで振り返ると、拍子抜けしたような顔を向けてきた。

 彼女は戸惑ったように目を白黒させてちょっと笑みを見せると、声の主が誰なのか直ぐに分かったらしく、


「ええ、大丈夫よ」


 素っ気なくそう応えて、すっかり静まり返って様変わりした辺りをきょろきょろと伺いながら何事もなかったようにゆっくりと立ち上がり、逆に不思議そうに問い掛けた。


「ねえ、一体どうなったの?」


「あ、はい。全部終りました」


 イクはロッドを手に持ったままホーリーの目の前で直立不動の姿勢を取り、したり顔ではきはきと応えた。そんなイクをホーリーは疑い深くまじまじと見つめると疑問を口にした。


「ということは、あなたがあれを倒しちゃったの?」


「あ、はい」


「そう……」うれしそうに応えたイクに、中途半端な大きさのものではなかったあのモンスターを一挙に消し去ってしまうなんてどうなっているの、意味が分からないわね、とホーリーはほんのしばらく首を傾げた。

 ほんと、すっきりさせてくれちゃったわね。この子が外野から余計なことをしなくても私が勝てていたから結果は同じになっていたと思うけれど、というのが彼女の偽らざる気持ちであった。だが、そのことをおくびにも出さずに礼を言った。


「ありがとう、助かったわ」


 礼を言われたことにイクは目をぱちくりさせると、晴れやかな表情で元気よく返した。


「いいえ、あたしこそお邪魔だと思ったのですが、ついお助けしなくちゃあと思いまして。もしお邪魔だったならすみません」


 おせっかいなことをして文句でも言われるのかと思っていたのに、ホーリーさんから何も言われずに逆に感謝されちゃったわ。

 そんなイクに、いつもなら気に入らないことがあると直ぐにへそを曲げる傾向があったホーリーであったが、状況に合わせた対応をするのがセオリーだからイクの行為は間違っていないと、この時ばかりは何のわだかまりも持っていなかった。


「いいえ、そんなことはないわ。謝る必要は無くてよ。あなたは当然のことをしたのだから」


 そう言って相手を立てたホーリーにイクは嬉しそうに笑った。


「はい、ありがとうございます」


 イクの笑顔をよそに、そのときホーリーは猛省していた。

 危ない、危ない。私としたことが、つい夢中になり過ぎて、何もかも忘れるところだったわ。 このまま続けていたら、例え勝っていたとしても、魔力量が底をついて帰りがグダグダになってしまって、みっともない格好をみせるところよ。

 ホーリーは心の中で自虐めいた苦笑を浮かべると話題を変えた。


「それで、ここまでやってきて、あなたの方は大丈夫?」


「ああ、そのことですか」イクは造作もなく応えた。


「それなら大丈夫です。襲ってきた奴らは、セキカがみんな跡形もなくやっつけてしまいましたから」


「あら、そうなの」


 そこで初めてホーリーは納得したように頷くと、素っ気なくイクに促した。


「まあ、良いわ。それより急いで戻りましょう。偽の本部が襲われていないか心配だわ」


「はい」


「それじゃあ行きましょう。私の後へ付いてくると良いわ」


「あ、はい」


「あゝ、そうそう。その前に確認は取っておかないとね」


 そう言ってホーリーは、何か気になったのか「と言っても急いで戻らなければならないから、そう長くやってられないけれどね」と続けて話を切り上げると、一息つくこともなく足早にそこを離れ、先ほどまでモンスターがいた地点へと向かった。無論、イクもその後に従ったのは言うまでもなかった。


 辺りは、つい先ほどまで未曽有の戦いを繰り広げていたとは思えないほど静まり返っており。手付かずのまま放置されていた朽ち果てた建物群やガレキやインフラの残がいは、高熱で溶けたり粉々となって吹き飛んでしまったらしく、跡形も無く消え失せて、洪水と地震と爆弾の投下が同時にやってきた後のような、空から大きな流星が何百と集中して降り注いだ後のような、惨たんたる有り様となっていた。よくぞここまで破天荒にやらかしたものだ、といったところだった。

 二人は、時間がそれほど取れないからという理由で、休む暇もなく手分けして広い大地を駆け回ると、目視でざっと見て回りながら相手の消息並びに痕跡を探した。

 すると本来の目的から逸れてはいたが、後で回収するつもりでいたのだろうか、黒と白のツートンカラーの長い髪をした女が乗っていたスポーツタイプの四輪駆動車が、幸運なことに無傷で残されていた。従ってその周辺は何の被害も受けていなかった。そのことにホーリーは、グッドラック!! 生きたまま捕虜が回収できるわと表情を緩めた。

 だが肝心の男は遂に発見することができなかった。居場所を相手方に特定されるのを承知の上で気配を強めて呼びかけもした、まず応えてくることはないだろうと見ていたが。やはり予想した通りの結果になっていた。


 あの爺さん、上手く逃げ延びたのかしら? 逃げ延びていたのなら少なくとも何かしらの痕跡は残っていてもおかしくないのだけれど……。それがないということは、逃げ遅れて蒸発しちゃったか、土にでもなってしまったのか知らねぇ。そんな思考が、ホーリーの頭の中をそのとき駆け抜け、どのようにやったのかイクに聞いてみたいと思った。が、今は先に優先すべきことがある、それが済めば好きなだけ聞けば良いことよと思い直すと、そのことについて一切触れなかった。


 十分近く、そこに留まったものの、あいにくと何の確証も得られなかった。

 そのことにホーリーは、あれ自体が陽動だったらマジヤバいわ。早くしないと面倒なことになりそうと、はい終わりと早急な踏ん切りをつけると先を急いだ。

 そのときホーリーは、イクが空を飛んできたとは夢にも思わず、普通に陸上を走行することを選択していた。

 そのことに、イクは何も触れずに黙って彼女の指示に従った。

 ホーリーにつき従って道なき道をしばらく行くと、地面が掘り下げられて川底のようになった道へと辿り着いていた。その道には焼け焦げた跡が全面に見られ、遥か先まで真っ直ぐに伸びていた。

 途中、前を行っていたホーリーが、何か不審なものを見つけたのか急に進路から外れると、その付近で一番先に目についた、有事の際に防護壁として使われる、かなり厚みのあるコンクリートブロックの塊の陰に一旦身をひそめた。

 これは何かあったみたいとイクも遅れずに後へ続くと、その途端に連続した射撃音がけたたましくこだまして、つい先ほどまで進んでいた辺りに土煙が二筋、高く舞い上がっていた。

 そのことからいって敵側の攻撃であることは、火を見るよりも明らかで。一人以上の敵が機関銃のような殺傷力が半端でない大型の銃器を用いて狙い撃ちしてきたと思われた。

 それから銃撃は、狙い定めたように何度も繰り返され、そのたびに土煙が高く上がり、二人がいた周辺が粉々に吹き飛ばされ破壊し尽くされて行き、二人が隠れていたコンクリートブロックの塊までもが、例外なく木っ端みじんに砕け散って半分ほどの大きさとなっていた。このまま攻撃が続けば二人に被害が及ぶのは時間の問題と言えた。

 ホーリーはそんな相手に見覚えがあるのか、物陰に潜んだまま「あゝ、忘れてたわ。もうこんな忙しいときに嫌になっちゃうわね」とぼやくと、イクに向かって「少し待って。すぐ終わらせるから」

 そう告げて、片方の手を広げて上に挙げた。何をするのかとイクは見ていると、そこから何の変哲もない小型のカラスが六羽続けて出現。次々と飛び立って空高く舞い上がると、見る見るうちにカラスは空中で迂回して射撃音がした方向へと羽ばたいていった。

 それから少し経った頃、急に射撃音がしなくなり、静かになっていた。

 そのあと更に三十秒間ほど耳を澄まして待ったホーリーは、「もう良い頃でしょう」と呟くと物陰から出た。イクも同じく後に従った。

 すると、二つの黒い人影が、視野が開けた遥か前方で動いているのが見えた。


「ふん、トラップから上手く逃れたようね」


 そんな彼等に向かってホーリーは冷笑すると、在来のハンドガンとは形状が明らかに異なる銃を取り出して構えた。そして「行くわよ」とイクに一言伝えて、先に人影の方へ歩いて行った。

 彼女は経験上、こうなることは分かり切っていた。複数のカラスを飛ばしたのは、概ね重火器というのは破壊力は半端でない分、小さな的を狙うには難があるという弱点をついたものであった。

 ちなみに銃は、敵の女から奪った戦利品で、既に新しいマガジンに取り替えて試射まで済ましてあり、敵の武器は敵の味方に通用しない筈はないと、機会があれば使って見ようと準備しておいたのだった。

 ――自前の武器を使えば、弾薬、燃料といった消耗品費用がその分だけかさむし、魔力量も無尽蔵じゃないから少しでも節約するのにこしたことはないわ。


 一方イクはというと、何のことか分からないまま、「はい」と短く返すと、遅れないように後へ付いていった。

 ホーリーとイクが近付いていくと、二つの人影の正体は重武装した全身黒ずくめの男達で、片手に長刃の軍用ナイフを持っていた。

 早い話 銃撃中に突然上空からカラスが来襲したので、二人がそれに応戦すると、カラスがロープへと変化。あっという間に二人の体に絡み付き自由を奪っていた。しかしながらこれで二度目とあって、今度は用意周到にナイフを取り出すと、今しがたまでかけて体中に巻き付いたロープをお互いに協力し合って切断して、ようやく脱出したところだった。

 男達はホーリーとイクに気が付くと、二人の方に顔を向けてきた。

 そこを逃さずホーリーは、男達にしっかり狙いを定めると、銃のトリガーを続けて引いていた。

 次の瞬間、棒立ち状態の男達に向かって、青白い光線が目にも留まらぬ速さで音もなく直進すると命中。甲冑のような形状をした、頑丈そうに見えた防護服を貫いて、拳が入るぐらいの大きな風穴を開けていた。

 だが男達は一瞬何が起こったのか理解できない様子でそのまま立ち尽くした。そこへ再度ホーリーが容赦なく銃のトリガーを引いて二人の体を複数の光線が貫通すると、ようやく効き目があったと見えて、二人同時に地面にどさっと倒れた。

 ところが男達は、そのような痛手を受けても、まだ何とか動こうとしてじたばたしていた。

 その光景にホーリーは、「なるほどサイボーグね。これぐらいじゃあ直ぐに死にやしないということね。それじゃあ仕方がないわね。二人とも生かしておいても役に立ちそうにないみたいだから、本当の死をくれて上げるわ」


 冷ややかにそう呟くと、面倒くさそうに男達に銃を向けた。

 その瞬間、ホーリーが持っていた銃が輝きを放つと、二人の顔面を光線が正確に撃ち抜いた。 それとともに彼等の動きがピタリと止まった。

 その様子をホーリーは平然と受け止めると、きょとんとした顔で佇むイクの方へ振り向いて声をかけた。


「さあ行きましょう。こんなところで油を売っている場合じゃないわ」


「あ、はい」


 イクが応じると、止めを刺した男達を置き去りにして再び先の進路へ戻り、先を急いだ。


 それから間もなくして、ようやく元の持ち場に戻ったとき、人工的に造り出された霧はすっかり晴れて視界が開けていた。

 そのとき辺りはしんと静まり返り、何も変わったことがないと言いたいところであった。が、偽の本部がある辺りの方向から、火事でもあったのか黒煙がもうもうと立ち上がっており。それを目のあたりにしたホーリーとイクの二人は唖然とした表情で立ち尽くした。


「これはしくじったのかも?」「あれれ、やっちゃったかも?」


 二人は悪い意味に解釈すると、考える間もなく急いで煙が上がっていた場所へ向かったのは言うまでもなかった。


 偽の本部まで至る道路をそれほども行かないうちに、ホーリーは駆けるのを突然止めると立ち止まった。何かあったのかしらとイクも続いて立ち止まると、彼女は道路の片側に向かって、「スペランサ」と叫んだ。


 あゝ、これって例の合言葉だわ、とホーリーの直ぐ後ろでイクが思ったとき、道路脇に見えた崩れた石壁の陰から一人の人影が姿を現した。

 人影は黒いバトルスーツを身に着け、特殊部隊が装備しているような、片手で持つタイ プの防護盾(ロングシールド)と特殊警棒を持っており、盾の中央部には二つの輪がつながったオアクルグのロゴが銀色に輝いてはっきりと見てとれた。

 人影は押し黙ったまま頷くと、警棒を持った手で行けと合図を送って来た。

 顔をマスクで覆っていたため、一体誰なのか分からなかったが、すらりとした均整の取れた体型から男でないことは明らかで。

 もっと詳しく詮索すると、今日の作戦はごく少数の限られた人間しか知らされていないことに加えて単独で行動しているらしいことから、かなりの腕前の持ち主であることが想像でき。そこから考えて、昨夜の会議に出席していた二名の女性、セラかフォンテーヌのどちらかである可能性が高かった。

 しかしホーリーは、そのようなことは興味がないという風に、人影をちらりと見ただけで何の反応も示さずにスルー。人影の指示に従い、再び風を切って道路を駆けた。イクも遅れずに追随した。

 それからまもなくして、二人は偽の本部へ通じる入口があるという、巨大な娯楽施設の建物が倒壊した現場に到着していた。

 辺りは、何事もなかったかのようにひっそり静まり返り、あれだけ勢い良く立ち上っていた煙が既におさまったのか見えなくなっていた。

 そこでは巨大なコンクリートの柱や壁や鉄骨の梁が至るところで高く積み重なり、その周辺には石、コンクリート、鉄筋、パイプ、ボードといった色んなガレキが散乱していた。

 そのような中、周りに溶け込むようにして比較的無事に残っていたコンクリート造りの小さな箱型の建物の前で、黒い格好をした三人と白いシャツ姿の二人組の計五人の人影が輪のようになって立っており。その様子は、ただならぬ気配で何かを話し合っているようだった。

 また、その直前の見晴らしの良い地点では、二台のロボットが座り込んだ姿勢で停止して白銀色の機体を休めていた。いずれのロボットも敵と激しい戦闘を繰り広げたことを現すように、至る所がはっきりとわかるくらい傷つき破損しており。そのことから考えて、五人の輪の中でいるシャツとズボン姿の二人組はエルミテレスと紹介された老人とレクターと紹介された若者とみてほぼ間違いないように思われた。

 そして輪の中心でいた人物はグレーの髪と口ひげの風貌から今日の作戦を企画した責任者の男、テンダーであろうと考えられた。


 呼びかければ自然と声が届きそうな距離まで二人がやって来たとき、急にホーリーが立ち止まると振り向き、


「イクさん、少しここで待っていてくれる。事情を説明してくるから。ああそれと、何が起こったのかも忘れずに聞いてくるわ。あの煙のこともね」


 そう言い残して、五人が固まって話し合いをしている方向へ堂々とした足取りで向かった。 それを受けてイクは何も言わずに呆然とホーリーを見送ると、しょんぼりうつむいて、言われた通りにその場に居続けた。

 そのとき彼女の小さな胸は後悔の念でいっぱいだった。――ああ、もう。持ち場を離れたのが失敗だったのかなぁ? この分だと、全部あたしが悪いことになっちゃうのかなぁ?


 それから十分ほど経った頃。にこやかな表情でホーリーが戻って来た。何か良いことでもあったのかなとイクが思っていると、ホーリーは、


「イクさん、ようやく帰れそうよ。事情を話したら納得してくれたわ。これで私達は用済みよ。直ぐにお迎えの車を寄こすように交渉しておいたわ。それまでここでゆっくりと待つことにしましょうか」


 そう穏やかに口を切ると、落ち着いた口調で続けた。


「ああそうそう、それとやはり侵入者がいたみたいよ。それも二人。でも全員で撃退したから、何も被害は出なかったそうよ。結果一人は深手を負って死亡。もう一人は自殺したらしいわ」


「本当ですか」ホーリーのその言葉に、イクは驚いた声を一瞬上げると目を輝かせて言った。


「あゝ良かった、何もなくって」


「そして例の煙の件なんだけれど。あれは聞いた話に拠ると、敵の侵入者が逃げるために地下の坑内に放った爆薬と煙幕の煙だったそうよ。それが外に漏れ出たってことらしいわ」


 尚もホーリーは五人が集っていた直前の地点を指さすと付け加えた。


「あそこに穴みたいなのが見えるでしょ」


 ホーリーに言われてイクはその方向へ視線をやると、確かに五人がいた直ぐ前には穴のようなものが開いていて、そこからその痕跡なのか、透明近くになった煙がわずかに舞い上がっていた。


「はい、見えます」


「敵は入口を通らずにあの穴を掘って侵入したらしいの。あそこから煙が上がったって言ってたわ」


「そうなんですか」


「この分だと、順調に行けば今夜にでも帰れるわ」


 矢継ぎ早に、いかにも嬉しそうにささやいたホーリーに、ようやく終わったみたいとイクはほっと胸を撫で下ろすと、合わせるように再び目を輝かせて明るく言った。


「本当ですか!」


「ええ」


 それから待つこと三十分。集っていた者達も、どこへ消えたのかいつの間にか見えなくなっていた。さらに十数分過ぎたが、車はなぜか現れなかった。


「遅いわね。ちょっと行ってくるわ」


 全く現れそうにない気配に、待ちくたびれたホーリーが文句を言いに行こうとしかけたときだった。

 立派なあごひげを蓄えた男がひとりで姿を見せた。先ほど話し合っていた五人のうちの一人で、テンダーからリーダー役を任されていたメイスだった。


「どうなってるの? 遅いんだけど」とホーリーはやってきた男にさっそく不満を漏らした。

 そして、どのような言い訳をするのだろうかと見た。すると男は慌てる様子もなく、落ち着きのある丁寧な口調で、「これから団体の首脳陣が揃いweb会議を開催するのですが、そこで報告会議も合わせてします。その中でうちの本部長が直々にお礼を言いたいとのことで、是非お出で願いたいのですが」と言ってきた。

 そう言われてはさすがのホーリーも断る理由はなく、「そう、分かったわ」と二つ返事で受けると、男の後ろに付いて行った。言うまでもなくイクも後を追うように続いた。


 周りに一切目をくれないで歩く男の後ろへ付いてしばらく行くと、いつの間に止められていたのか、大型バスを改良したキャンピングカーの車両が一台止まっているのが分かった。

 そしてやはりというか、内部は格別ゴージャスに金をかけてあり。それを踏まえて例えるなら、鉄道の客車のラウンジカーと何ら変わらぬ高品質な内装が施されていて、二十名ぐらいがゆったりとくつろげるスペースがあった。

 そのような豪華な内装の中に置かれた大型モニターを通じて相手側とリアルタイムで中継。web会議が催された。

 出席者はというと、こちら側(現場)は、この作戦の責任者であったテンダーとその執行人であるところのホーリーとイクと老人と若者とテンダーからリーダーを任されたメイスの計六名。

 むこう側(事務方)は、団体の本部長であり実質的トップのゴドーと彼の側近の男女計三名で、初めてゴドーなる人物が姿を現した。

 ゴドーは白髪を短く刈り揃えた鼻の高い人物で、濃紺のジャケットにエロ―系のネクタイという装いにスポーツマンタイプの精悍な顔立ちをしていた。しかし病人のように顔色が悪く、いやが上にもひと際老け込んでいるように見えていた。

 また側近の二人は性別こそ違えど、いずれもそれ程若くはなく、色白で、メガネを掛けていて、目が鋭くて座っているぐらいしか目立った特徴のない人物だった。


 冒頭、ゴドーは団体の代表らしく、威厳に満ちた堅苦しい口振りで、


「今日の作戦について、一人の犠牲も出さずに敵を撃退してくれたことに感謝する。また敵の二人を生きたまま捉えたことにも重ねて感謝する」


 そういかめしく切り出して、出席していた六名の一人一人に向かって簡潔に礼を述べると、続けてあいさつをした。

 そのあいさつの内容と言えば、このような場所から伝えなければならないのは屈辱であるとか、一人だけ生き残って死んでいった者には申し訳ないとか、実力を出すことさえできていたのならこのようなことにならなかったのだがと言った反省か自虐めいた言葉でほとんどが占められており。それを物語るように、ゴドーは側近と離れた場所にいて、車椅子に乗っているのが映像から見て取れた。

 それが終るや否や、本題に入り、今度はゴドーの側近とテンダーとのやり取りが行われた。

 その内容は、―――


「(相手側の)戦闘員の数がどうみても少な過ぎるのでは?」


「あゝ、確かに。まだ残党もしくは主力が潜んでいる可能性がある。知恵の回る悪党になると、最初の襲撃を下請けにさせて、下請けが全滅して相手が油断したところを襲撃して来る場合もあるからね」


「捉えたという二人の捕虜から直ぐに自白を引き出すことができるか?」


「いや、今すぐに自白を引き出すことは難しい。一人は捉えてここで確保しているが、もう一人はまだ向こうでいる。これから移送してこなければならない。それに相手はそうやすやすと自白するとは思えない。時間がかかるのは目に見えている」


「ということは敵の正体が今もって分からないということか?」


「その通り。従って今もまだまだ安心ができなくて警戒を緩めるわけにはいかないでいる。一般的に悪さをしようとする輩は、人が寝静まる夜から明け方にかけて活動を行うものであるからね」


「車も確保したということだが?」


「あゝ、二台ね。もちろん車からも敵の正体を探るつもりだ。だから応援を要請した。明日、陽が昇ったらレッカー車でこちらの現場まで運んできて、手掛かりがないか調べるつもりだ」


「人員は足りているかい? 何なら保安課の人員を何人か要請しては?」


「それは正直言ってありがたいが、何分とこのことが漏れると、中の作業員に動揺が拡がって、生産に影響を及ぼしかねないからね。でもどうしたものかと思っている。何しろ人手が足りないのは明らかだからね。もし出してくれるのならできるだけ口の堅い人間が良いな。あとはできるだけ腕の立つ方を願いたいな」


「そうか。さっそくこちらのルートから信用のおける人材を送ることにしよう」


「それはありがたい」――――といったもので、他の者はただ聞いているだけといったところだった。


 十数分後、三人による話し合いが終わり、議論がまとまったところで、部外者であった四人へと番が回っていた。

 彼等は視線をわざとらしく一斉に向けてくると、「そういうことでお願いしたい」「是非協力して貰いたい」と簡略に言って、もうしばらく監視を延長するように求めて来た。

 その申し入れに、老人と若者は呆れたような苦り切った表情を浮かべた。が、最後に老人の一言、「仕方がないのう。昔のよしみで、それじゃあもうひとサービスしてやろうかの」で終止符を打っていた。

 その様子を相向かいの席で目の辺りにしたイクは、そんなものかなぁと思った。あたしが働いたアルバイト先と一緒でサービス残業が普通なんだと変に納得していた。

 一方ホーリーは、足元に目を落として、少しの間一言も口を開かなかった。

 とは言え、結果的に納得の表情で頷くと、


「工場見学という貴重な体験させていただいて、貴方に大変興味を持ちましてね。

 実は、知り合いに個人で貿易会社を経営しているものがいるのですが、無条件でそのものを通じて取り引きをさせて頂けるのなら喜んでお引き受けしますわ」という条件を出していた。


 あなた達、私達を舐めているわけ! 私達をタダ働きさせるつもり! ほんと人使いの荒いところねと切れて、私達には関係ないことだわと突っぱね、関係を終わらせることはいつでもできる。容易い。しかしそうしても得るものは何もない。それよりここで良い関係を作っておけば利用価値は十分あるからと、この場合は目先の利益を優先すべしとして、おくびにも出さずに大人の対応をしたまでだった。

 ――相手の言いなりになるのはしゃくだけど、あれ(施設の内部の様子)をみせられたら関係を絶つのは得策ではないわ。 

 幾つもペーパー会社を持っていたゾーレをダシにして、オアクルグから製品や製造情報を入手する魂胆だった。

 対する相手は、全く割が合わないことでもない上に、返って付き合いを続けることで、その後にメリットにならないことはないと合理的に判断したらしく、快く受け入れて話はまとまっていた。


 それから間もなくして会議は終了。その間の食料及び水を提供するという申し入れを、いつもながら丁重に辞退してバスを退席したホーリーとイクは、それぞれの持ち場へ再び向かった。

 そして別々に野宿すると、何もすることがないので、空気中から採取した水で喉を潤しながら、満点の星空をぼんやりと眺めていた。そのうちに夜は刻々と更けていき、朝となっていた。が、どちらのところでも異常は何も見られなかった。

 その中、唯一の出来事は、朝方、ホーリーがいた辺りに、迷彩が施された装甲車に先導されるようにしてレッカー車が車列を組んでやって来て通り過ぎていったくらいなものだった。それが昼頃になって戻って来ると、どこかへ去って行った。送迎車がやってきて役回りから解放されたのは、それから二時間ほど経ってからだった。

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