第85話

 アリストとロンド並びにホーリーとイクの四名の男女がひげ面の若い男の後ろへ付いていくと、男は地下の駐車場へと案内した。薄暗くて広いスペースにコンクリートの柱がパラパラと見えるだけというがらんとしていたそこには、パールホワイト色をした八人乗りの大型バンが横付けされた状態で停まっていた。

 中には運転手かと思われる、きちんとスーツを着こなした中年男が乗っており、五人が近付くと、サイドドアが静かに横へ開き、それに乗じるように先導してきた男が気をもんだ物言いで、


「さあさ、乗って下さい」と促すとチラッと手の平を見て続けた。


「ええと先にフランソワーズ様とローズ様、後ろの席にお願いします」


 ひげ面の男の手の平にはボールペンで文字が書かれていた。四人の名前を忘れないようにと男自らが記したものだった。


 男の意向に沿って、さっそくホーリーとイクが後部座席に乗り込むと、続いて、


「ええ、エルミテレス様並びにレクター様」


 手振りでアリストとロンドを真ん中の座席へ誘導した。二人が難なく席に乗り込むと、見届けた男は、息をつく暇もなく、駆け足に近い早足で車の後ろの方から回り込むように運転席へ向かうと、ドアを急いで開けて乗り込みハンドルを握った。そのことから考えて、先に乗り込んでいた人物は別の要件でそこに座っていたらしかった。


 ひげ面の若い男の運転で車は静かに発進。地下駐車場を出て緩やかなスロープとなった薄暗い坑道を少しの間進んだ。そして間もなくして周囲が急に明るくなったかと思うと、昨日やって来るときに見たのとほとんど変わり映えしない光景が現れた。

 一部鉄骨がむき出しになったコンクリートの巨大な柱が遥か彼方で幾つも居並んでいた。その周辺には、スクラップとなったり黒焦げとなったり、或いはエンジン部分だけが残った車両が放置されたままになっていた。更に、崩れ落ちた壁や建物が倒壊してがれきの山と化した遺構や砲弾やミサイルが爆発してできたらしいくぼ地も見られた。くぼ地に水が溜まって水溜りとなった地点もあり、近くに川も流れていた。そして砂、石、がれき、ガラス片、材木、古タイヤ、鉄板や合板の切れ端、鉄柱、電線、空き缶と、ありとあらゆるものが、不法投棄されたゴミのように一緒くたになって散乱していた。

 どうやら地上に出たらしかった。内戦の傷跡を依然として残す景色が、まだ手つかずの状態で延々と広がっていた。

 車はかなりなスピードで、それらの間を縫うように走っていた道路を進んだ。道路は後片付けや補修を終えて整備がかなり進んでいたため、何の障害もなかった。

 その間に、当初運転手と見まがった男は「私は取締役の秘書の者です」と名乗ると、後ろの席に腰掛けた老人に向かって振り向きざまにささやくように呼びかけた。


「あのうエルミテレス様、例の依頼されていた件ですが、無事運んでおきましたのことです」


 その言葉に、「ああ、そうですか。それはありがたい。これで心ゆくまでやれるというものじゃ」と老人が淡々と応えると、


「実は是非お知らせしたいことがありまして。向こうへ行けばそのような時間がありませんので、車中でお話しするようにと私が取締役から承っておりまして」


 そう言うと、用意していたメガネを掛け、これも用意していた黒革の手帳の表紙を開いて、中の細かい文字をのぞき込みながら話した。


「ええと実は皆様に存分にやってもらえるようにと、偽の本部の周辺に細工を巡らしたのことです。

 その一つとして、電波塔に見せかけた機材を偽の本部を中心として半径二十マイルの範囲に二百台程配置してあります。

 実はそれは結界を発生させる装置でして、周辺の音を吸収したり景色を反射させたりする作用があります。従ってその中では何が起ころうとも、外からは何も分からない仕組みになっております。

 その上で二つ目として、偽の本部をいかにも本物に見せかけるために、本部の上空を中心にして周辺に霧を発生させてあります。この方法は上空から直接攻撃をされるのを防ぐ意味でもあります。あと三つ目として、通信も結界を発生させる装置付属の電波妨害装置を使用して使えなくしてあります。従って通常の携帯を使った会話はできません。

 尚、分かっておると思いますが、現地に来られても出迎えはありません。段取りはそちらに全て任せますから、それぞれお好きなやり方でおやり下さい。それと、そちらがどんなに支援を望もうがこちら側からは手助けはできませんので悪く思わないで頂きたい。自力で解決を図って頂きたい。最後にお気をつけて頑張って下さい。

 もしも決着が早くつくことがありましたら、構内の入り口前で『スペランサ』と叫んで下さい。くれぐれも中に入ろうとしませんように。その入口はフェイクで、落とし穴のトラップが仕掛けてありますので。

 尚、合言葉を言い忘れますと三十秒間の時間をおいて、敵と見なして攻撃します、とのことです」


 秘書の男が話している間、運転手の男はフロントガラスの向こうをじっと見据えて運転に集中している振りをしていた。――何から何まで手が込んだ仕掛けを準備してあるということだな。口にこそ出さなかったがそう思っていた。

 途中、果たして霧が立ち込めてきて、オートバイや四輪駆動車とすれ違った。軍の特殊部隊のようなグレー系の迷彩服に身を包んだ男達が乗っていた。そんな彼等はこちらを見て完全無視してきた。それから考えるに、今回の作戦に何らかの関与をしている者達らしかった。


 そのような風にして、車はスポーツ関連の大型施設がかつて建っていたと思われる、崩れ落ちた巨大な鉄骨やコンクリートで頑丈に造られた壁の残がいが残るとともに、コンクリートパネルや鉄板でできた屋根材が断片となって散在する現地までもうあと少しというところまでやって来た。

 ところが車は、目の前に見えたそこへは向かわずに三分の一マイルほど先へ進み、全面に渡ってアスファルト舗装がされ、白い駐車ラインも車止めブロックも今だ残されていたことから元は駐車場であったと思われるだだ広い空き地に到着していた。本部の地下駐車場を出発してから五十分ほど過ぎてのことだった。

 そこには、大型のタイヤが片側だけでも十四個付いた重機輸送車両が二台、横並びに停められていた。荷台には大きな荷物が白いシートを被せられて載っていた。ただ運搬してきた運転手はどこにも見当たらなかったが。

 運転手役の男は、それら二台の車の付近で車を止めて四人を下ろすと、時間を気にするように腕時計を見て、それではよろしくお願いしますと言って一緒に乗って来た秘書の男と共に戻っていった。――これで俺はお役ごめんだ。

 ところで残された四人はというと、ほんのしばらくの間、揃って呑気に辺りの様子をうかがった。

 廃墟化した都市が遺棄されたまま、どこまでも広がっていた。そして、やはりというべきか辺りはひっそりと静まり返り、人っ子一人いなかった。

 また、ここまで来ると、偽の本部がある場所は、霧のためにもはや見えなかった。 

 あとは、秘書の男が話した通り、出迎える者は誰もいなかった。

 そうこうするうちに老人の隣に立っていた若者が空気を読んで動いた。上着を脱いでネクタイも取ってシャツとズボンだけの身軽な格好になると、脱いだ上着とネクタイを一緒くたにして手の中で丸めて、真空パックにしたような小さな塊にしてズボンのポケットにしまい、足早に二台の重機運搬車両のもとへ向かった。そうして一台の車両の荷台の方へ軽々とした身のこなしで上がると、シートを止めていたロープを解きにかかった。

 そのような具合にして二台の車両からシートが外されると、車両の荷台の上に、くすんだ白銀色をした見たことのない巨大な重機が現れた。それはどうやら二足歩行するらしく、三本爪の足と、同じく三本爪の手が付いた腕がそれぞれ対に付いていた。

 

 それら一部始終を眺めていた老人がホーリーに向かって自慢げに口を開く。


「あれはメカロボットです。こちらで設計書を出して加工と組み立てを向こうに頼んでありましてな。それがうまい具合にできているというので、さっそくそれを使おうとなりましてな」


「つまり試運転を兼ねてということ?」


「ええ、その通りです」


「何と思い切ったことを。向う見ずというか大胆なことをするものですわね。私なんかぶっつけ本番で試す度胸何てとてもありませんわ」


「まあ、そんな大したものではありませんよ」老人は長く伸びた白いあごひげをゆっくり撫でながら軽く笑うと涼しい顔で続けた。


「何しろ、あれは見掛けより簡単な構造をしておりますのでな。ただ装備した武器だけが心配なだけです。あれだけは実際に撃ってみないと分かりませんのでのう」


「ふ~ん」


「時代背景というか、あのような形をしたものが時代のトレンドですからのう。少し前なら、ロボットといえば、武装した巨人とか神話のモンスターやビーストときまっておりましたのにのう」


「……」


そんな風に立ち話を老人とホーリーの二人がにこやかにしている間、彼等から十歩ほど離れた地点でいたイクは、若者の行動に好奇な視線を送っていた。――こんなの見るのは初めてよ。この世界は何でもありみたい。


 イクが不思議そうに見ている間に、若者は俊敏な動きでくすんだ白金色をしたロボットの上に立つと、ロボットの構造が頭に入っているのか、慣れた手つきで胸部のぶ厚い装甲を開けて内部へと入った。そこで何らかの装置を操作したと見えて、すぐさま折り畳まれていたロボットの両足が徐々に伸びていき真っすぐに伸び切ると、次いでロボットの上体がゆっくりと起き上がっていった。そして遂には荷台に座った状態になっていた。その間、五分ほど。

 それが終了すると、もう一台の方へ移り、全く同じことをした。

 そこまで済むと若者は老人の側までやって来た。そして、ほっとした表情で呟くように言った。


「用意が整いました」


 その言葉に、老人は表情を緩めてにんまり笑いかけると応えた。


「ご苦労さん」


 そこでようやく若者の表情に安堵の笑みが漏れた。

 ここまで来ると、後残るのはロボットを起動させて動かすことだけのみだった。

 時刻は午後の二時をとうに回っていた。それが運転手役の男が時間を気にして逃げるように立ち去った理由であったらしかった。

 それを分かった上なのか老人は、(これがあったから引き受けたわけなのね、上手くやってるわ、私も負けられないわね)とホーリーが感服しながらも気を引き締めて静観する中、


「それでは御免」


 と彼女に向かって言い置くと、時を移さずロボットの一台に飛び乗った。直ぐに胸部の装甲が閉じ、ロボットが荷台から立ち上がっていた。

 それに続くように若者が乗り込んだロボットも同じく立ち上がっていた。

 立ち上がったロボットは、載っていた運搬車の長さと比較して六十フィート(18メートル)ぐらいの大きさがありそうで。昆虫のカマキリそっくりな扁平で三角形をした頭には複眼の電子の目と触覚そっくりなアンテナが付いており、胸部は甲冑状で首と関節部分はジャバラ仕様になっていた。

 そこへ加えて、両方の肩口の付近にはロケット弾の発射筒みたいなのが、両方の腕には機関砲が付いているのがはっきり見て取れた。

 以上のことをを総括すると、玩具フィギュアの世界においていうところの、いわゆるメカアーマーとか呼ばれている機体であった。


「なあ聞こえるか」


「はい、聞こえます」


「中々爽快だのう。この高さから眺めると見晴らしが最高だ」


「はい」


 立ち上がったロボット間で、そんな短いやり取りが繰り広げられた後、老人が乗ったロボットがホーリーが立つ方角へ向きを変えると、中から外部スピーカーを通して呼びかけるように言ってきた。


「一足先に行こうと思うが何かありますかな?」


「そうね……」腰に手を当てて、ちょっと首を傾けるようにしてホーリーは少し考えると、ロボットを見上げて言った。


「余り遠くに行かないようにお願いしますわ。そう一マイルくらいまでが良いところじゃないかしら。それ以上離れるとオトリだとばれてしまいかねないですからね」


「相分かった。その範囲内で留まることにしよう」


 そういうが早いか、二体のロボットは向きを変えて、散歩するようなゆっくりした足取りで遠ざかって行った。といっても、そのストライドは規格外で、霧が出ていたことも重なり、まもなく視界から消えていた。

 そのときロボットの後ろ姿に向かって、


「ここまで警戒している中で、果たして仕掛けてくるのかしら。まあ、それは何とも言えないわねえ。でも向こうの事前工作がうまく相手にキャッチされていれば何もないということはないと思うのだけれど」


 自問自答する独り言がホーリーの口から自然と出ていた。だが直ぐにホーリーは、そうはいっても、もうすぐ分かることだからどうということはないわと割り切ると、「それより今度は私の番ね。できるだけ目立って囮の役目を果たさなくちゃあね」などと呟きながら、何気なくイクの方へ振り返った。

 その途端、ホーリーの顔が思わずほころんだ。


「あらっ、まあ」


 ちょっと驚いた声を上げた。そんなホーリーにイクがすぐさま反応。不思議そうな顔をして訊いていた。


「はい、何でしょう」


「随分とお久しぶりですわね。ようやく目を覚ましたみたいね」


「は?」


 意味不明の言葉がホーリーから返ってきたことに、対応に困ったイクが、何か変とホーリーの視線の先をふと見ると、いつの間にか、およそ八フィート(約2.5メートル)離れた右側に薄紫色をした猫似の生き物が長い尻尾を宙でゆらゆらと揺らしながら座っていた。嘘!? セキカが元に戻ってるわ。いつの間に戻ったのかしら。

 瞬間、急に肌寒さを覚えてイクは目を白黒させて身震いした。嗚呼、何なのよ

 それもそのはずで、今まで羽織っていた上着が消え失せて、下のグレーのセーター姿になっていたのだから。


「ところで事態はどこまで進んでいる?」


 生き物の穏やかな声が、何か言いかけて押し黙ったイクに代わって明瞭に響いた。


「そうね、どこから話せばいいかしら」


「別に詳しく知りたいと思わない。今置かれている現状を話してくれさえすればそれで良い」


「分かったわ」


 ホーリーはいきさつを大まかに話した。すると生き物は、数秒間の沈黙の後に口を開いて、

 

「目立てば良いのだな。わけもない」


 そう言うと深く澄んだグリーン色の眼を一瞬瞬いた。

 その途端に、軽く抱きかかえられるくらいに小さかった体躯が見る見るうちに巨大化。その体長が先のロボットに引けを取らない大きさとなっていた。それにつれて体毛の色も鮮やかな青色に変わっていた。

 他にも眼光が以前よりもまして鋭くなっていた。口内には鉛丹色の舌に鋭利に尖った牙もはっきりと見て取れ、それまで存在感が皆無であったものが尋常でなくなっていた。


「これでいいかな?」


「ええ、十分よ」


「ところで話の者達はどこへ向かったのかな?」


「ええと、あっちよ!」


 生き物を見上げながら、ホーリーは片方の腕を真っすぐに伸ばすと、その人差し指でうっすらと霧がかかった彼方を示した。


「そうか。では我々はその反対側へ向かおうとしよう。それで良いかな?」


「ええ、了解したわ」


 ホーリーが頷くと、次いで生き物は驚きを隠せない表情で呆然と立ち尽くしていたイクの方へちょっこと顔を向けた。そして言った。


「イク、私の背に乗るが良い。何なら乗せてやっても良いが」


 そうして、イクの目の中に入るように長い尻尾を左右にゆっくりと動かした。


「大丈夫よ。ひとりで乗れるわ」


 イクが驚いた顔から不機嫌そうな顔になって素っ気なく返すと、生き物は小さく頷いて、ゆっくりと体の向きを変えた。

 それを見逃さずにイクは、数歩助走をつけてジャンプすると生き物の背中に跳び乗っていた。


「乗ったわよ、セキカ」


 その声にイクが乗ったことを見届けた生き物は、


「それでは我々も行くことにしよう」


 そうホーリーに淡々と伝えると反対の方向へまっしぐらに歩いて行った。その足取りは不思議なことに音がしなかった。まるで宙を飛んでいるかのような静かさだった。

 最後に一人残された形となったホーリーは、私も負けられないわ、頑張らないとねといった決意も新たに、その中間付近の方向へ足早に向かった。

 ホーリーが向かった先は、確かに大きな陥没があったり、錆びた鉄橋があったり、破壊されて鉄の塊となった戦車や装甲車が何両も転がっていたり、黒焦げとなったり破片となったがれきや廃材がそこら中に散乱していることはしていたが、比較的平坦な地形が続いていた。

 その中でも最も見晴らしが良かった、以前は大規模な公園か農地か庭園か、或いは何らかの施設付属のグラウンドだったと思われた土の地面が延々と続く地点までやって来たとき、


「この辺りで良いかもね。それでは始めるとしましょうか」


 そう独り言を呟くと、そのど真ん中付近で歩を止めて、直ちに支度にかかった。仕度と言っても何のことはない、呪文を単に唱えただけだったが。


「コビトゥス コビトゥス ナツラ コロア ナリア ロクト」


 詠唱が終わるや否や、土の地面があちこちで盛り上がり、そこから大地の色と同じ色をした直径二十フィートぐらいの巨大な円筒形の柱のようなものが出現。見る間に高く伸びていくと、目口鼻が付いた顔が前後と左右にあるのみというシンプルな外見をした土の像となっていた。その数十六体。どれも百フィートぐらいの高さがあり、唯一の特徴であった顔は、睨んでいるような、吠えているような、怒っているような、不気味に笑っているような異様な表情をしていた。

 『ウーソの支柱』と呼ばれる防御壁に、命令を理解させる目的で魔法版人工知能にあたる魔法アイテム『無名の亡霊』をカスタマイズした、彼女オリジナルの術式を発動したまでだった。

 ちなみに像の攻撃は、単純明快に相手を追撃して体当たりしたり跳ね飛ばしたり押し潰したりするぐらいで、それほど派手さがなかった。その代わりにシンプルな攻撃が故に数を創生できるというので、相手の出方を見たいときにホーリーが良く使っていたものだった。また実戦演習の折に、その標的として活用したりもしていた。


 それが終わると、出現した十六体の像を規則性がないように適当に散らせて配置。それが済むと、その一体の陰にたまたま付近で見つけた木製の長イスを置き、足を投げ出すようにゆったりと腰掛けて、ほっと一息ついた。


「ちょっと頭を使えばこんなものよ」


 当初、実体を大きく見せかけて存在感を増す魔術を発動する手はずを整えていたが、辺りに漂う霧を見て、自らが囮になるのではなくて創生した像をその身代わりに使う段取りに途中で変更したのだった。


「さあて、どこからでもいらっしゃい。こんなものが幾つも立っていると誰だって素通りはしない筈よ」


 ホーリーはエメラルドグリーンの眼をのんびりと宙に向けると、老人達とイク達のことがふと脳裏をよぎっていた。


「予想外だったわ。あのような武器を用意していただなんて、私も気合いを入れてかからなくちゃあね」


「あの子は全くダメだけれど、あの魔物だけはやはりというか侮れないかもね。タイミング良く目を覚ますなんて偶然にしては出来過ぎているもの」 


 イクもホーリーも知らなかったが、そのからくりは至って簡単なことだった。イクが眠ると生き物が目を覚まし、イクが起きると生き物が代わって眠るという行為を繰り返していたのだから。


 いずれにせよ彼女はお気楽に構えていた。完全に相手をなめてかかっていた。


「さあ、どこからでもいらっしゃい。攻撃してきたら最後、終わりにして上げるから」


 一方その頃、一足先に出発した老人と若者が乗り込んだロボットは、以前は重要な施設があったと見えて、広々とした敷地を高い壁を張り巡らせて囲うようにしてあったものが、今ではすっかり跡形もなく消失して、施設の建物が建っていたコンクリの土台部分だけが広範囲に渡って残るのみとなった地点へ差し掛かっていた。


「この辺りで待つとしようかの、ロンド」


「はあ」


「ここからが正念場だ。今度はしくじりのないようにしなければな。相手が誰にせよ、二度もおめおめと引き下がったとなると、肩身が狭いからのう」


「……果たして現れるでしょうか?」 


「さあてと。相手がよほど大雑把な者達であったなら、わし等に気付かないかも知れぬかもな。ま、それはそれで良いかも知れぬ。何しろ相手の背後を取れるのだからのう。追いかけて行って一挙に殲滅することができるからその方がわしにはありがたいな」


「それはいくら何でも在り得ないのでは……。こんな巨大なものが見えないとは抜けているというほかありません」


「まあ、そうじゃな」


「ところで、もう少し距離を取った方が良いでしょうか?」


「ああ、そうじゃな。くっつき過ぎるのは良くない。囮にならぬからのう。お互いが目視で確認できるぐらいの距離に横へ広がるとするかのう。と言ってこの霧じゃ。そう離れることはできそうもないがな」


「あ、はい」


 これまでに幾度となく修羅場をくぐり抜けてきただけあって、そのように意思疎通を図る二人の声は落ち着き払っていた。

 そんなとき、老人たちとは真逆の方角へ向かった生き物は、黄変化した雑草と芝生が寂しく生えているのみで、建物が付近に建っていたことも木が植えられていた痕跡もない平坦な一帯にやって来た。

 少し行った先に、馬鹿みたいに広い道路が一直線に走っていた。路面にはっきりと白い線が引かれてあるのが分かり、遮るものは何もなく、両端が途中で途切れている特異な形状をしていたことから飛行機の滑走路か何かであった跡に違いなかった。

 滑走路らしきものは、どう見ても二マイル以上の長さがあった。路上はアスファルトがめくれ上がったり亀裂が走っていたり大穴が開いていたりと、かなり荒れていた。

 生き物はそのちょうど手前の辺りで、何らかの異変を感知したのか足を止めると、「ねえどうしたの?」と過敏に反応して訊いていたイクに向かって応えていた。


「向こうから黒い塊がこちらへやって来る」


「ほんと?」生き物の背にまたがったまま、イクはくりくりした眼を大きく見開くと、辺りをキョロキョロと見回した。だがしかし何も発見できなかった。


「あたしには見えないんだけれど」


「霧が邪魔しているからだ。もうしばらくするとお前にも見えるようになる」


「ああ、そう」懸命に平静を装って応えたイクだったが、その表情は緊張の余りこわばっていた。


「で、それってどのくらいの大きさがあるの?」


「そう、かなりな大きさだ。目の前に見える道ぐらいは優に隠れる大きさだ」


「あ、そう。そんなに大きいの」


「まあ、そういうことになる」


 思わず目を見張ったイクはごくんと唾を飲み込んだ。いよいよ相手が大群で攻めて来たのかしら。そう考えたイクは不安や心配やらでそわそわした。本気で殺し合うのは生まれて初めての経験でガチガチに緊張してドキドキ感が止まらなかった。

 これが単なるケンカぐらいだったらどれだけ良いかと思っていた。相手は失神するか少し血を流すくらいで済むし。それにいくら何でも命を取る必要はないし。

 幾ら訓練で動物の血や死体を見慣れていたとはいえ、人の血や死体を見ない限りはことが収まらないとなると、やはりそれなりの覚悟と決心が必要だった。


「ふーん」緊張の余り凝り固まったままイクは長い吐息を漏らした。正直言って嫌な気分だった。


 そんなとき、薄く霧がかかった中から、生き物が言った通りの黒い煙の塊が、地を這うようにして音も立てずに静かに姿を現した。

 その大きさと言ったら、途方も無く巨大で、このまま行けば目の前の飛行機の滑走路をすっぽり飲み込んでしまいそうな勢いがあった。


「何なのよ、あれって!?」


 イクはびっくりして何度も我が目を疑った。


 あの真っ黒な色からして猛毒の煙かしら? それとも煙の中に隠れるように人が潜んでいたりしてね。それも十人や二十人程度じゃなくって、百人単位で、千人ぐらいが。いいや、ひょっとしてここにいるセキカぐらいの巨大なモンスターが何十頭も中にいたりしてね。いいや、その逆に昆虫ぐらいの生き物がそれはもう、何十億匹という数でやってきたりして……。

 もう考えれば考えるほど益々訳が分かんなくなってきちゃったわ。それにしても超ビッグな黒煙ね。まるで雨雲が空から降って来たみたい。


 アリスト達が遭遇して、逃げ帰るほかなかったやっかいな代物だったとは夢にも思わず。そんな考えを巡らしていたとき、下の方で生き物の穏やかな声が響いた。

 

「イクよ、お前は何もしなくても良い。私から降りてそこら辺りに隠れ潜んでおれば良い。あとは私が何とかしよう」


 ちょっと見ただけでは説明がつかない黒い煙の塊に頭が混乱して何が何だか分からなくなっていたイクの心を見透かしたらしく。イクは心底ほっとして、言うまでもなくその言葉をあっさり受け入れていた。


「分かった、それじゃあお願いしようかな」


 ああ助かった。いくら何でもしょっぱなからあんなものに対応するなんて、あたしにはとてもできそうにないもの。

 ほっとした表情を浮かべて建物の四階ぐらいの高さがあった生き物の背中から地面に一気に跳び下りたイクは、改めて生き物を振り返ると訊いた。


「じゃあセキカ、あたしはその間どうしていたら良い?」


「どこにもいかずにそこの辺りで隠れてじっとしていることだ」


「じゃあどのくらい?」


「そう心配する必要はない。時間はとらせない。一回りしてくるだけだ」


「ふーん」


「それでは行ってくる。大人しくしているのだぞイク」


「ええ。待ってるわ」


 事もなげに応えたイクに、まもなく生き物は、近付いてくる黒い煙の塊のど真ん中へ向かって真っすぐに駆けて行くと、あっという間に中に消えた。そんな生き物の後ろ姿を呆然と見送ったイクは、きょろきょろと辺りを伺うと、生き物に言われた通りに隠れられそうな場所を探した。

 しかしながら、どこまでも平坦な地面が続いているのみで、隠れられそうなところは見つからなかった。

 ――こんな何にもないところじゃ、どこへ隠れて良いのか分かんないわ。もう、穴でも掘れって言うの?

 それも有りかなと思ったが、もしセキカが手間取って戻らなかったら、あの黒い煙が来る前に一刻も早く逃げなくちゃあならない。それを考えるとじっとしているのが良いのかもと思いを巡らすと、ここでじっとセキカの帰りを待っていよう、そうして何かあった場合に備えようと決断。

 名前も知らない雑草がちょろっと生えた地面に開き直って腰を下ろすと、一人で自宅でいるときにベッドやソファの上でやっているように、背中を丸めて膝を両手で抱きかかえた、いわゆる体育座りの姿勢をごく普通に取っていた。

 ほんのしばらくして、ドドーン、ドドーンと花火が爆発しているような音が遥か遠くでした。イクはわけが分からずにビクッとすると眉をひそめた。


「何なの、一体?」


 音はひとしきり鳴り続けたかと思うと、やがて止んだ。イクは何だったんだろうと疑念を持ったが、そのうちにどうでも良いこととあっさり関心を失っていた。

 そんなイクの口がやがて開くと、独り言がため息まじりにあっけらかんと漏れ出ていた。


「ああ、もう……なるようになれだわ」


 その頃、自転車の走行速度ぐらいのゆっくりしたスピードで移動していた巨大な黒い煙のほぼ中央付近では、超大型のタンクローリー車が二台、黒い煙と歩調を合わせるようにして、連なって進行していた。

 タンクローリーの運転席は二台とも無人で、荷台のタンク上部に付いたハッチが全て開け放たれており。そこから黒い煙と半透明色をした触手みたいなものがゆっくり時間をかけて排出されていた。この黒い煙の塊の正体で、前もって仕込んでおいたものだった。

 そして、二台の車両から少し間隔を開けるようにして一台の四輪駆動車が自動走行しながら追随していた。中には、二人の中年男が全身黒一色のバトルスーツ姿で乗っていた。名をクラウトンとザリムと言い、そもそも黒い煙の塊の正体は、彼等が協力し合って造り出した代物であった。


 二人は面識はなかったが同時期に組織の求人募集に応じた仲で、そのとき組織のメンバー全員が面談に当たっていた。

「この稼業(復讐代理業)のメンバーは、お互いが相手を認め合い信頼し合わなければならない」と創業者であったガーロン・ヴィーが定めた規律を忠実に守って、新しいメンバーの採用に当たっては組織のメンバー全員の承諾が必要とされていたからだった。

 ちなみにその面談とは、書類審査などは一切なかった。出生や経歴書に本当のことを書くことがまずないのが業界の常識であったためだった。

 その代わり、組織のメンバーの前でちょっとした自己紹介とともにその腕前を披露し、全員の目で合否を査定することが行われた。

 そのとき応募順で一番目にあたったクラウトンは、自身の名前を告げ、フリーの妖術使いだと名乗ると、モンスターを召喚できると公言した。

 そして、採用して貰うために、とっておきの秘術を披露した。彼が召喚したのは、一個体が象の倍くらいある、細くて長い脚をたくさん持ったいそぎんちゃくのお化けといった生き物で、全部で十体創生していた。

 クラウトンは、「これはヒュドラーワームと言って私が改良して作ったオリジナルな種で、無数の長い触手でもって相手を捕えて潰したり窒息させたり、触手の先端に付いた針で相手を刺して針の中の強力な毒でもって死に至らせることができる」と鼻高々に胸を張って説明した。

 しかし全員の反応はかんばしくなかった。冷ややかだった。

「まがまがしい生き物の召喚はある程度評価するが、その数がたった十匹では陳腐過ぎる。もっと数を増やせないものか」とか「生き物から微かにキノコ臭がする。臭いは相手に気付かれる恐れがあるので暗殺にはそぐわない」とか「触手に再生能力がないのは厳しい」とか「同じものばかりだと慣れられて対応策を取られそう」と酷評されていた。そこへ加えて、「本体の動きが何となく鈍そうだし、触手が寄生虫みたいで何だか気持ちが悪い」と、よそで批評されたことまで言われていた。

 その次の番にあたったザリムは、同じように名前を告げ、フリーの呪術使いで周囲の状態や環境を変化させることが得意だとアピールすると、即刻渾身の術を披露した。

 たちまち黒い煙が数百フィート四方の規模でたちこめると、ザリムは同じように、「これの名前はタルタロスマターと言い、空気より重い窒素化合物とプラズマ炭素化合物を主成分としているため、燃えない性質を持ち、視界が全く利かないくらいの濃密度の気体状態で長い間散乱せずに漂う。気体は人体に付着したり吸い込むと有害で窒息する場合もある」と説明した。

 しかし前任者のクラウトンと同様、反応はいまいちだった。

 ザリムに述べられた感想は「見たところ、これと言って使い道がなさそう」とか「百歩譲って陽動に利用できなくもないが、たったこれくらいの規模では容易に中を素通りされてしまったり簡単に避けられてしまう。もっと大掛かりにできないものか」とか「ただ壁みたいにじっと漂うだけでは、撤退するときの時間稼ぎぐらいしか利用価値がなさそう」とかだった。

 結果、両名に下された評価は、「残念ながら今回はこのままお引き取り願いたい。またの機会をお楽しみにしています」で。即ち体のいい不採用勧告だった。

 ところが幸運というものはどこに転がっているのか分からないもので。戻る時に中の一人が漏らした一言、「単独では難しいけれど、もし二人の力が合わさったなら十分な戦力となるのになぁ」が二人の運命を左右することとなっていた。

 ところで二人の性格は、クラウトンが陰気で虚栄心が強く、ザリムは気分屋で自己中心的と、どちらかといえば相性は必ずしも良いとは言えなかった。ただ二人が共通して独り者で年代が一緒で、どこへ行こうが採用を断られてどこにも行き場がなくて精神的に追い詰められていたことが幸いして、なりふり構っていられないとワラにもすがる思いでその言葉にかけてみようとなって二人で手を組むことを決意。

 もうこれ以上挫折を味わいたくないとの一心で、その翌日から寝食を惜しんで猛特訓を繰り返して、約一ヶ月をかけて一定の形を完成させていた。

 それが今の原型となった、黒い煙の中に触手の生き物を潜ませるやり方で。もちろん時を移さず募集に再応募して、全員から高評価を受けて見事一発合格していた。

 それからというもの、二人は創意工夫を加えて今現在の完成形とすると、数々の依頼にかかわり連戦連勝で無敵と言っても良く。たちどころに組織の主力となっていた。

 その理由というのが、幸か不幸か、黒い煙の塊の正体は二つの異能力が組み合わされたものとは誰しもが思わずに、勝手な論理で難しく考え過ぎて自滅していってくれたためだった。

 そういう訳で、これまで負け知らずでここまで連勝を更新していた車中の男達は、今日もこのまま順調にいくものと安心しきって、にこやかな笑顔で退屈そうにしていた。


 ところが、今回に限って異世界の生き物には通じなかったようで。

 それはあっという間の出来事であった。どす黒い煙をものともせずに生き物が中へ侵入するや否や、生き物の能力なのか生き物の周辺の時空が歪んで暗闇が次から次へと連鎖的に跡形もなく消滅していった。それとともに霧まで晴れて元々の景色が出現。遥か遠くまで見通しがきくようになっていった。

 併せて、内部でうす気味悪くうごめいていた無数の長い触手が、木っ端みじんにけちらされ、塵となって消えていた。

 同様に奥深くにいた二台のタンクローリーと四輪駆動車も無事ではすまなかった。

 生き物の巨体が直ぐそばを通り過ぎた衝撃で二台のタンクローリーは空中高く跳ね上がると、大きな衝撃音とともに地面に叩きつけられて横転。車体がぺしゃんこに大破していた。その後ろを追随していた四輪駆動車も、木の葉が舞うように空高く吹き飛んで地面へ落下。電子機器を地面に落としたような鈍い金属音がして、もはや原形をとどめないほどにバラバラになっていた。

 言わずもなが乗車していた男二人は、余りに突然のことで対応することも脱出することもできずに終わったらしく、行方不明となって、どこにもその姿は見えなかった。

 そのような中、悠然と生き物は速やかに消えつつあった黒煙の中を一周すると、何事もなかったかのようにイクの元へ戻っていた。


 その一部始終を息を呑んで見ていたイクは、初めて目にした生き物の能力に呆気に取られていた。


「さすがセキカね。あんな馬鹿でかい煙の塊をあっという間に消しちゃうんだもの」


 彼女の言葉通りに、少し前まで巨大な飛行機の滑走路を覆い尽くそうとしていた黒煙の塊は影も形もなく消え去ると、大規模な戦闘が行われたことを示す代わり映えのない普段の世界にいつの間にか取って代っていた。それとともに霧もすっかり晴れて目の前の滑走路がくっきりと見えるようになっており。かなり痛んでいたけれどダークグレー色のその光景は壮観な眺めといっても良いものだった。

 そんなとき、スローモーションのようなゆっくりした動きでこちらに近づいてくる生き物の姿がイクの目に留まった。

 だがその姿は、大人猫の上背ぐらいしかない、いつものセキカだった。

 あらっ、どうしちゃったのかしら。また元の大きさになってしまっているけれど。向こうで何かあったのかしら。それとも用が済んだので、自分から元の大きさに戻ったとか。そう考えている間に、生き物は目と鼻の先のところまでやって来て立ち止まると、


「イク、一先ず終わった」いつもの素っ気ない口振りで声をかけて来た。


 イクはさっそくそこから立ち上がると、にっこり笑って生き物を出迎え、あどけない顔で無頓着に訊いた。


「随分と早かったけれど、一体何をやったの?」


 ところが生き物は「見ての通りだ」と言ったきり、それ以上何も語らなかった。


「ふーん。片付いたということね」

 

 いつもなら詳しい説明をしがちの生き物が簡単な言葉で済ませたことに、普通に疑ってかかっても良かったが、状況は状況だけに何も言わない方が良さそうとイクは忖度すると、それ以上訊くことはしなかった。

 そんなイクに、「ああ、そうだ」と生き物は短く返答を返すと話題を変えた。


「イクよ、私はここまでしかしてやれない。この先はお前がやらなければならない」


「というと……」


「再びお前の裏方に回ろうと思う」そう言うや否や、獣の姿がたちまちブラウン系のレザーコートに変わっていた。

 なるほど、これを着ろって言うのねと、直ぐに理解したイクは何の躊躇もなく地面のコートを拾うと身に着け、


「あったかいわ。やっぱり上着があるのとないのとでは全然違うわ」


 口元を緩めて思わずそう感想を漏らした。そんなときだった。生き物の声がどこからか響いた。耳を通してでなく頭のてっぺんから響く感じの不思議な声だった。感覚的に言えば、頭の上の方から聞こえている感じだった。


「イク。くれぐれも油断しないようにな。お前は何も考えていないときは安心できるのだが一旦悩み出すと迷路に迷い込むきらいがあるのでな」


 その声にイクは目をぱちくりさせた。「セキカ、セキカなの?」


「ああ、そうだ」


「どこから喋ってるの? コートからじゃないみたいだけれど」


「そのようなことはどうでも良い。この姿では多くのことが制限されていてな、お前とはそう長く話せない」


「そう」


「それでは私は引っ込むとしよう。もし何かあれば私を呼ぶと良い」


「うん、任せておいて。上手くやるから」


 そう涼しい顔で話すイクに幾らか落ち着きが戻っていた。しかし勇ましい言動とは裏腹に、これから繰り広げられるのが、相手に参ったと言わせるか失神させる程度で終わるケンカなどではなく、命のやり取りを行う殺し合いだと思うと、正直なところ、それほど自信がなかった。


 しかし生き物はまだ心配なのか直ぐには引っ込まずに、イクに向かって子供に言って聞かせるように事前の指導のおさらいを少しすると、そのついでとばかりに二言三言の苦言を述べ、最後に「では頼んだぞ」と告げて、今度こそ声がしなくなった。

 そんな訳で、また独りとなったイクは、ちょうど喉が渇いていたせいもあり、ああそうそうと茶色の小ビンを取り出すと、コルクの栓を開けて黄色の液体を喉に流し込んだ。レモン風味の炭酸ドリンクで、即効で力が満ちあふれてきて気力が充実したような気がした。

「何も心配する必要はないわよ。こういうのは、最初は緊張するかも知れないけれど案外呆気ないものよ」といった励ましと共に「私が調合したエナジードリンクよ。飲むと元気が出て気分が爽快になるから」とホーリーから手渡された品で、ホーリーさんが気にかけてくれていたんだと嬉しく思って心から感謝していた。

 ホーリーのドリンク剤のおかげで気分が即座に良くなったイクは、何気なく生き物が行き帰りした方向へ子供のようにあどけなく見える顔を向けた。

 その途端に、どこかは分からなかったが、遠くの方で、銃声のような何かが弾け飛んだような音が聞こえた。イクは一瞬ドキッとして辺りを見渡した。かなり神経質になっていた。

 霧が晴れて見晴らしが良くなり、それまで見えなかった、おそらく空港の施設か何かであったのだろう、鉄骨だけになった細長い建物が滑走路の端に見え、その遥か奥には破壊された建物の残がいみたいなものがあるのが見えた。

 他は何もない荒涼とした風景が広がっているのみで、これといったおかしいと思う点は見られなかった。


「変な音がしたけれど、あれは何だったのかしら」


 イクは小首をかしげてほんのしばらく思案した。しかし結局のところ、分からず仕舞いに終わっていた。すると今度は、ほんのちょっとした気紛れでセキカが何をやったのか見に行こうと決めて、そこから出発していた。 


「ほんとセキカったら、心配し過ぎなんだから」「嗚呼もう、どうなることやら」「今度こそ、あたしがやらないとダメなのかな。やれやれ嫌になっちゃうわ」


 そのようなことをぶつぶつ呟きながら滑走路のところまで歩いていった。すると矢庭に、タイヤが焼け焦げたような刺激臭がイクの鼻面をつんと刺激した。


「これは?」


 今まではしなかったのにと、気になったイクの小さな心臓がドキドキした。

 そして少し気分が高ぶったまま、


「やはりセキカったら、何かしでかしたみたいね。そうでなかったらこんな臭いなんかしない筈よ」などとつぶやきながら辺りをきょろきょろと見渡した。


 しかしながら、内戦の舞台となった都市の成れの果ての景色がどこまでも広がっているのみで、それらしいものは何も発見できなかった。


「もっと行けば分かるのかなぁ……」


 イクはどうするべきか、ちょっと首を傾げた。「ああ、どうしようかな?」


 だが結局のところ、余り深く考えないで――ともかく、もっと行ってみよう、そしたら分かることだし。ざっくばらんにそう決心すると先に歩を進めていた。

 


 ――同時刻。ザーウインは首を傾げてうーんと唸った。


「あの二人が殺られたと。とても信じられん!」


 押し殺した声が車内の空間に響いた。

 全員の配置が整うまでの間、相手側の偵察を透視能力者のマドレーンに依頼していたのだが、その彼女から想定外の報告がもたらされた直後だった。

 その彼女の一言で、キャンピングトラック内に設けられた指令室は一気に慌ただしくなっていた。

 男は一瞬の間をおくと低い声で言った。


「少し待ってくれるか。二人とつながるか確かめてみる」


『分かったわ』


 昔、彼女が人にものを教える立場にあった関係で、信用に足る正確で的確な報告をそれまで寄せてくれていた。

 例えば、今回の目標である本部の周辺には結界みたいな透視を妨害する障壁が張り巡らされていて内部を見通すことはできない。そのことから、あの中で何かがありそうな雰囲気を感じる。

 それを裏付けるように、これまでとは比べ物にならないくらいの警備体制が敷かれている。

 一つは、本部の上空には、霧に隠されるように機雷雲の一種かもしれない多数の雲のようなものが浮かんでいるのが見える。上空からの侵入や攻撃を防ぐ目的のためのものだと想定される。

 二つ目として、本部の周りには、建設機械の倍くらいの大きさがある超大型の二足歩行ロボットが二台と、上部に顔が付いた柱状のものが多数建ち並んでいるのが見える。柱状のものは何かを発生させる装置のようなものか、動くことで兵の役割みたいなことをするものか、今のところ何も動きはないので、その点は不明。

 他にも、大型恐竜くらいの大きさがあるライオンのような姿をした青色のモンスターが配置されて警戒しているのが見える。

 後は、一足先に偵察に向かったバリウスとボウアの奇襲コンビはすでに持ち場に付いて準備ができているらしい。その証拠に、あの二人は隠れてコーヒーブレイクを楽しんでゆっくりくつろいでいる。

 その中での以下のような言葉に拠っていた。


『重要なお知らせよ。今しがた、それまでずっと見えていた黒煙が消滅したみたい。当然見える筈の二台のトレーラーとクラウトンとザリムのコンビが乗った車両は、どこへ消えたのか知らないけれど見えないわ。これはもしかして殺られてしまったのかもよ』


 マドレーンの能力は、特に身内の状況をはっきり見通せるのを分かっていたので、男は信じないわけにはいかず。すぐさま専用の無線機を用いて二人と連絡を取った。黒煙の中に二人がいるときは通信ができず、そのため連絡を控えていたのだが、煙が見えなくなっていると聞いて通信が可能だと見てのことだった。しかしながら通信がつながらなかった。

 やっぱりな、マドレーンの報告は正しいということか。二人の能力が合体している分、どうしても機動性に難があるため、作戦に間に合うようにと一足先に先行させたのだが、その二人がまさか殺られようとはな。順調にいっていると思っていたのに。こんな展開になるとは、どうすれば……。

 一層のこと、この上は作戦通りに正面突破して一気に畳みかけるか、それとも場所だけを突き止めたことを良しとして一旦引き揚げて警備が薄くなった別の機会を狙うか、それとも、その間を取って相手の力量を見てからどうするべきか考えるかのどちらかだが……。

 警備が厳重に見えて実際ははったりという可能性もあり得るからな。まんまと騙されて引き返しては次の機会は無いのは世の習いだ。絶好のチャンスを逃すことになる。これまで通りでいくべきか。

 うーむ、こうなったからには作戦を少し変更して決行する以外ないみたいだな。


 魔人か邪神のような険しい表情でザーウインが腕を組んでしばらく思案していたとき、笑いを含んだおどけた調子の声が耳に届いた。


『ねえ、どうだった?』


 マドレーンからだった。普段は見せないが、命の危険が伴う緊迫した状況になると、独りよがりで周りのことにはまるで関心がない性格に変わるのだった。そんな彼女に男は短く吐き捨てるように応えた。


「ああ、ダメだった」


『ああ、そう。やはりね。それでどうする。このまま行くつもり?』


「そうだな……」


 ザーウインは直ぐに頭を切り替えて冷静に受け止めると、テーブルの航空地図をちらりと見て手際よく応えた。


「最初の予定を少し変更しようかと思うのだが」


『というと?』


「作戦通り強行突破を図るわけなのだが、その前に警備の奴らを先に片付けるのだ。警備の奴らを相手にしないでやろうと思えばやれるが、仮にでも攻略に手間取ってしまうと、相手は巨大ということで機動力がありそうだし。背後から挟み撃ちにされてはたまったものではないからな。

 お前は役目が済んだら一時待機だ。先行部隊が突入する筈だからな。ああ、それとお前の警護役の二人に先行部隊の支援に回るように伝えてくれ。アラードとグレイにも同じように伝えるから」


『分かったわ。それじゃあ私は柱状のものを片づけるとするわ。あれはどうみても魔術を使って召喚したものに違いないもの。それに、もしトラップだったら物理攻撃が効かない場合もあるしね』


「そうか。それなら残ったモンスター退治をグレイにさせるとするか。あれならモンスターの扱いに慣れている筈だから十分対応できるはずだ」


 グレイは、元の名をエレック、またの名をトロードと言い、体内で生成した電気を操る異能力者であった。

 その素性は、かつて祖国でどこの団体にも属さないフリーランスの殺し屋を一人でやっていた。だが長い不況で仕事を仲介する側からモラハラとパワハラを受けたことで、ついにはもめ事を起こし祖国にいられなくなって、生まれて初めて外国に来て不思議な縁から組織に入っていた。

 その能力は、静の電気と動の電気を使い分け、攻撃面では相手を遥か遠くまで弾き飛ばしたり、高電流を相手に流し込んで死に至らせたり、電気を熱に変えて相手を発火させたりすることができ。防御面では体表に電気シールドなるバリアを張ってあらゆるものを跳ね返すことができたりするのだった。

 ちなみにその能力は、そのスキルに自然界の雷と共通点が多く見られるため、俗に発火する雷、雷火(ライトニングファイアまたはブロンデーフィアー)という呼び名で広く知られており、男はその道では超一流の使い手であった。

 彼はこだわりが強いというべきか風変わりな性格で、任務のたびにトカゲそっくりなマスクを着用するのがお決まりだった。本人自身の言い分としては、相手に恐怖心を抱かせるためということだった。

 だがその格好が、不思議と元の名前に影響をもたらすこととなっていた。それを見た誰しもがグレイと呼ばれる宇宙人のタイプに顔かたちがそっくりだということで、元々あった名はいつしか忘れられ、グレイと普通に呼ぶようになり、グレイが男の通り名となっていたのだった。

 場合によっては一度に大勢の相手と対応することができるその能力から、どのような役割もこなせるとザーウインが頼りにする一人で。通常はやや後方にいて全員を監視する役を任せられたり、全員が退却する際には最後尾を任せられていた。


『あとはそうね、もし私達の一人でも向こうを殺り損なった場合はどうするの?』


「ああ、その件があったな。まさかお前たちが失敗するとは思わないが、最悪の場合も考えて、その場合は警護に回った者達に代わりにやって貰おうとするか」


『分かったわ。それじゃあ二人に伝えておくわね』


「それでは頼んだぞ」


『ええ、任しておいて』


 マドレーンの警護に付いていた二人は双子の兄弟でジョンとメルカルドと言い、以前は戦闘士をしていた。

 戦闘士とは、娯楽として仮想世界で行われていた対戦型戦闘ゲームやサバイバルゲームを、アンダーグラウンドの世界において実際にやってのける者達のことを言い、その多くは体の大部分を失っていたり寝たきりとなっていた陸軍の兵士で、全員が闇のルートを通じて集められ、戦闘用に改造されていた。

 また彼等は、言うことを聞かせるために洗脳が施されてあるのが一般的であった。ところが、何らかの事故が起こったらしく、二人は洗脳が解けて施設から逃げ出していたのだった。

 そんな二人を煮て食おうが焼いて食おうが好き勝手なことをして構わないから闇から闇へと葬って欲しいとの依頼がザーウインの元へ舞い込んだ、依頼主もそうなった理由も詳しい事情も何もかも聞かないという約束で。

 依頼を持ち込んだのは、何でも引き受けては依頼を仲介する、いわゆる便利屋という業種を営む組織で、正真正銘の混じりっけなしの武闘派で知られていた組織と見込んで畑違いと知っていながら話を持ってきたと言うのだった。

 話の筋から見て、依頼自体が公の目に触れるのを余程避けたいと予測でき。普段のザーウインならそのまま無条件で引き受けるか断るかのどちらかであった。

 だが、そのときに限って、「二人をこちらで勝手に処分させていただいても良かったら引き受ける」と条件を付けていた。

 その当時、組織内部で度重なる不幸が続いて人手不足が深刻化していたのが頭の中にあって、もし戦力になるようだったら何でも良いという考えがそのような条件提示となっていた。

 果たして返答は直ぐに届いた。社会から抹殺処分してくれるのならスクラップにして使おうが慰みの道具として生かそうが好きなようにしてくれたら良いと。

 条件が受け入れられたことでザーウインは早急に行動に移した。人を介して二人が潜んでいた場所を突き止め、一人で向かった。

 そして武力に訴える代わりに話し合いを二人に向かって提案した。

 そのとき、「その体では普通の生活はできない。生きていくためには我々に従うことだ」「お前たちを殺したり、身柄を引き渡したりはしない。約束する」と二人が置かれている状況を説明。そこへ加えて、「もし何なら一層のこと、我々の世界で生きてみる気はないか。今我々のところは人手が足りなくて困っている。我々のところで働いてみる気はないか、身分は保証するから」と最後は本音まで持ち出して説得にあたった。

 その説得がきいて今に至っていた。

 二人は、戦場で体の大半を失い寝たきりとなった兵士の成れの果てで、両人とも七フィートの上背に胸板が厚いと立派な体躯をしていたが、生体部分は胸から上の部分と片腕のみで、それ以外は全てメカでできていた。いわゆるバイオメタルヒューマン、メカ人間と呼ばれる存在だった。


 それから間もなくして、それぞれの地点で戦闘が始まった。

 先ず、お互いに数百ヤードの距離をおいて老人と若者が搭乗した二基のロボットが待ち構えているところに、大きな破裂音と共に幾つもの砲弾が降り注いで破裂した。

 がれきの大地が震え、土煙が至るところで高く舞い上がり、瞬く間に辺りが黒い煙に包まれていた。

 その圧倒的な破壊力はどのような障壁も突破してしまうような様相で。まるで大砲による攻撃かロケット弾が雨あられと降り注いだのかと思われ。その証拠に地形がすっかり変わっていた。

 ところが実際は、据え付け型の機関砲と多連装式の迫撃砲を続けて撃っただけのことであった。

 アラードのスタイルは、武器の破壊力を能力でもってアップさせて相手を壊滅させるというものであった。

 そしてそのやり方とは、ターゲットを正確に狙うのではなく、大体の方角へ向かって攻撃を加えるだけと、もう一つの特技であった料理を作るときに見せる異常な執着心は鳴りを潜め、かなり大雑把で適当と言って良かった。

 但しそのようないい加減なやり方であっても、当たれ当たれ当たれと魔法をかけるようにぶつぶつ念じることで命中率が百発百中とはいかないが不思議と上がるのだった。


 ところが老人と若者の側にしてみれば、簡単な話、当たらなければそれで良いだけのことで、神業に近い俊敏な動きで軽々と避けて、全く影響はなかった。

 それもそのはず。彼らが搭乗する二基のロボットには、初めから駆動装置や燃料や発電装置といった重量物が取り付けられていなかった。ロボットの重量は装甲部分と装備していた武器と弾薬だけと言っても良く。その分、ロボットを能力でもって自力で動かしていた二人にとって有利に働いていたのだった。


 約一分間ほど経ち、上空からの攻撃がやがて止んでいた。

 弾切れになったのではなく、息が上がってアラードが撃つことを止めたことに拠っていた。

 アラード本人は、全身を組織から提供された黒いバトルスーツ(手短に言えば組織のオーナーであるザーウインと同じ服装)に包み、火砲の騒音対策にとイヤーマフを耳に装着して、二十マイル以上離れた地点で止まっていた一台の大型ガントラックの運転席内にいた。トラックに機関砲並びに迫撃砲が標準装備されているのが外から確認できることから、アラードが今しがたまで中で操作していたのに他ならなかった。

 

「なぜだ。なぜ当たらん。これだけ撃って当たらないなんて、どうなってる」


 そのときアラードは険しい表情で、攻撃と攻撃の間に飛ばしておいた偵察用のドローンから送られてくる上空からの映像を車のモニターディスプレーで眺めながら、そんなことを呟いていた。

 目標が二台のロボットに変更と聞いたとき、当初、攻撃対象が本部で地下の規模がどれくらい大きいのか分からないと聞いていたことでレベルを上げていたのにと少しがっかりしたが、威力が上がった分すぐ終わらせられると頭を切り替えて、前もって準備しておいた装備のまま攻撃したのだった。それがこんなことになるなんてと、アラードは思う通りに動かない二台のロボットを苦々しく思っていた。

 どんなに当たれと叫んでも、その声が砲弾に届いていないのか、虚しく二台のロボットの間に落ちて破裂していた。そこへ加えて、期待したまぐれ当たりもなかった。そのことについてアラードは不思議でたまらなかった。合点がいかなかった。


「くそー、なぜ当たらん。いつもなら上手くいくのに。当たりさえすればどうとでもなるのだが……」


 これなら普段通りに自動小銃とショットガンぐらいでも良かったのじゃないのか、そんな後悔の念にも駆られていた。

 作戦は、アラードが二台のロボットを破壊すればそれで終わりで、何の問題もなかった。次に本部を攻撃する手はずになっていた。ところがそこまで至らずに終わった場合は、アラードの警護に回っていた二名のよう兵上がりが、その後始末をすることになっていた。

 従ってロボットが無傷であることは、アラードのプライドが許さなかった。


「それにしても、おかしすぎる。武器の選択を間違えたのかな?」


 今まで動かない目標か不特定多数の相手をターゲットにしてきたためだった。不規則に移動するたった二つの目標を相手にするのはこれが初めてであった。


「もうこうなったら、直接攻撃だ。それなら難なく仕留められるだろう」


 アラードは方針を決めると、車から一旦降り、後ろの荷台側に回った。そこには彼こだわりのハンドガン、ショットガン、ライフル、機関銃、ロケットランチャー、ミサイルランチャー、グレネードランチャー、飛行機タイプのドローンと、まだまだ数多くの武器が積まれており。それらがコンパクトに整理されて置かれていた。

 そこからロケットランチャーとミサイルランチャーとグレネードランチャーを選択。

 続いて、「あ、そうそう」と荷台の四面を囲んでいた壁の開閉装置を操作して、その二つを開け放つと、ドローンの発射ボタンを押した。次の瞬間、オスプレイタイプのドローンが全部で八基、上空へ飛び立った。ミサイル攻撃の隙をついて、いわゆるカミカゼ攻撃を仕掛ける腹積もりだった。

 アラードは無表情でそれらを見届けると、ランチャーのそれぞれを取っ替え引っ替えながら、開け放たれた上空に向かって砲弾を放っていた。

 

 ――アラードが次の攻撃の準備をしていた頃。突如として攻撃が止んだことに、老人と若者はいぶかしく思っていた。が、二人とも動じている気配は全くなかった。


「ロンドや、どう考える?」


「そうですね、弾切れと見せかける陽動かも知れませんね。それとも別の方法でやろうとしているのか」


「まあ、そんなところじゃろうな。仕方がない。しばらく用心して待つしかなかろう」


「はい、そうですね」


 二人は相談して待つこと約四分。まだ土煙が収まりきってない中、複数のロケット弾が眩い閃光を放ちながらロボットの真正面に出現。凄い勢いで二台のロボットに向かってきた。

 ところが二人とも慣れたもので、上空へ跳躍したり左右へ動いてロケットの軌道を変え速度を減速させると、ロボットが装備していた銃器で、ことごとく撃ち落としていた。

 オスプレイタイプのドローンも同じようなものだった。少し遅れるようにして地面すれすれを静かに低空飛行して来たドローンをクレー射撃の要領で次々と撃ち落としていった。


 その光景を運転席の端末ディスプレイで目のあたりにしたアラードは、またしても、いとも簡単にあしらわれたことに愕然として、さも悔しそうにチッと舌打ちした。しかしながら、このまま引き下がるわけにはいかないと、肩で息をしながら気持ちを直ぐに切り替えると、


「ああ、もうこうなったらやけくそだ。あるだけの武器をぶっ放してやる」


 苦虫を噛み潰したような表情で悔しそうに口を歪めると、近くにあったガンスタンドから銃身の長い機関銃を手に取った。そして、


「俺は負けない、絶対に負けない!」と叫んで自らを奮い立たせると、機関銃を遥か彼方の上空に向けて引き金を引こうとした。


 だがその思いは叶わなかった。極度な精神疲労とストレスによって唐突に能力が限界に来たらしく体が意のままに動かなくなっていた。アラードは顔面から冷汗をたらたらと流しながら疲労困ぱいの表情でふらふらとよろめくと、持っていた銃を落とし、自らも倒れて気を失っていた。

 何としても俺がどうにかしなければならないと焦りが出た結果、つい冷静を欠いて能力の限界を超えたのに他ならなかった。

 アラードは最後の最後まで知る由もなかった。相手が同系列の能力者であったことを。


 それから四、五分ほど経った頃、警護役に回っていた、よう兵上がりの二人の男の内の髪の黒い方がアラードの様子を見るために車の方までやって来た。

 いつまでたっても次の攻撃に移らないのを不審に思って、特技である狼煙信号を使い、持ち場を離れることをもう一人に伝えてからやってきたのだった。

 男たちは、いずれも短髪で組織から提供された黒いバトルスーツを身に着けていた。

 そして、筋肉隆々の大柄な体躯の三分の二が隠れるくらいの長さの防御盾を肩に担ぎ、片方の手にはハンドガンより強力な短機関銃(サブマシンガン)を持っていた。ちなみに髪が黒くて顔に白い塗装を施した方はジャワと言い、グレーの髪で赤い塗装を施した方がシャリオウと言った。

 二人は、ユーラシア大陸の北の端と南の端の高山地帯を拠点として活動する僅少少数民族、サイキックシャーマンの一族の出身と、縁もゆかりもなかったが、ただどちらも全く同じ境遇であったことと年齢的にも同世代であったことで仲が良かった。

 二人が暮らしていた一帯は、地下資源に両方とも恵まれていたことから、平和で生活は豊かで衣食住に困ったことがなかった。

 北の地帯は、パラバイトライト、デジトマリン、ロコストーンといった魔力をためることができる希少な魔石が産出されるところで。他方、南の地帯は怪我や病気の治療に使われる薬石と呼ばれる鉱物が含まれる地層が山の斜面に露出していた。そこへ加えて、地下には薬石の成分が解けた水が豊富に存在していた。

 そのような貴重な資源があったことから、どこからでも引く手あまたで、それらを求めて黙っていても外国からの業者が取り引きをしようとやって来て、代金代わりにと世界中から集めたありとあらゆる武器や産物や工業製品や日用雑貨を置いていった。

 従って民は生活水準が高く、何不自由のない生活を送っていた。ただ二つの不安があることを除いて。

 その不安とは、その昔、戦闘シャーマンと知られていた伝統と文化がすたれることと貴重な地下資源を巡って外部から攻められた場合のことだった。

 もしこのまま平和ぼけが続けば、外から攻勢をかけられたときは幾ら武器をたくさん所有して訓練を重ねていたとしても、実戦と訓練とでは訳が違う。必ず、ひとたまりもなく民族が滅ぼされて資源が略奪されてしまう、そんな危惧があった。

 そのため、それを一挙に解決し得る策として、毎年度に才能ある大人の男女が数名選ばれると、三年とか五年とか期限を定めて居住区を出て外の世界へ武者修行に出るという慣行が行われていた。その一端で、二人とも縁があって組織の一員となっていたのだった。


 ジャワは先に運転席側をチラッと見て、誰もいないことを確認すると、次いで後ろの荷台の方へ回った。

 そこで、穏やかでも驚いた風でもなく、こわばった表情で仰向けに倒れているアラードを発見。一見したところ、アラードはまだ死んではいなかった。呼吸はしっかりしていたし、体のどこにも異常が見られなかった。意識を失っているだけだった。

 状況から考えて、誤って倒れて頭を鋼鉄の床に打ち付け脳震とうを起こしたとは到底思えなかった。幾多の場数を踏んできたアラードはそんなドジはしない。する筈もない。

 それよりもむしろ、つい意地を張り過ぎて能力を使い果たした結果、意識を失ったのだろう。そう常識的に判断すると、一時的に気を失っているだけだ、時が来ればいずれ目を覚ますことだろう、よって心配はいらないと、全く気にも留めずにそのまま放置して、そこを立ち去った。

 アラードのその様子から、ロボットを破壊するまでは至っていないに違いない。従って、一刻も早くアラードに代わって任務を全うしなければならない。そんな危機管理がジャワに働いていたのだった。

 程なくして、能力を使い果たして気を失ったアラードに、もう護る意味がなくなったとジャワとシャリオウは落ち着いた表情で持ち場を速やかに離れると、“味方が危機的状況に無い限り味方の介抱よりも敵のせん滅を先にすべし”との組織の優先順位の定めに従い、二台のロボット討伐に向かった。


 ――一方その頃。老人と若者は二度目の攻撃が止んだことで、余裕たっぷりに一息いれていた。

 二人とも、上は白いシャツ、下は濃グレーのズボンという軽装で、世界導士協会から支給された潜在能力を活性化並びに導引する成分が入ったドリンク剤を飲んでエネルギー補給をしながら、お気楽に談笑していた。しかしながら、まだまだこれだけでは終わらないだろう、相手はまだ無傷なのだから、また次もあると予想して油断はしていなかった。どこに潜んでいるのか分からない相手が正体を現わすまで静観する構えで、まだ距離をおいたまま、しばらく様子を見ていた。

 そのとき、それまで立ち込めていた霧は、砲弾やミサイルが炸裂して生じた爆風によって吹き飛ばされ、辺りはすっかり見通しがきくようになっていた。


 それから十五分ばかり過ぎた頃。遥か遠くの方で二筋の土煙が薄く立っているのが、六十フィートの高さがあったロボットの目線から見て取れた。それが障害物を避けながら急速に近づいてくる挙動から、明らかに敵の来襲に間違いなく。間髪入れずに、静止したロボットの中で老人がぼやいた。


「もっと大勢でやって来ると思ったのにあれだけとはのう。わし等も舐められたものだ。まあ、陽動か、後方からの支援攻撃があるのだろうと思うが」


 果たして、土煙の下に黒っぽいものが見えた。それは車などではなかった。どう見ても人だった。土煙を巻き上げて駆けて来ていた。

 それを見た老人は、穏やかな口調で五百ヤードほど離れた地点でいる若者に向かって呼びかけた。


「やっと現れたようじゃのう」


「はい、そのようですね」


 若者からはつらつとした声が返って来た。老人は手の大きさサイズくらいに伸びた白いあごひげに触れて軽く撫でるような仕草をすると思案気に、


「よりによって白兵戦で来るとはのう。余程自信があるのか、何か策を持ってああやっているのか。現代科学に超能力が組み合わさったわし等にどう対抗する気かのう」


 そう疑問を口にし、続けた。


「ちょこまか動かれると後がやっかいだ。先回りしてネズミ捕りでも仕掛けておくかのう」


「はい、先生」従順な言葉が若者から返って来た。 


「それじゃあ、やるとするかな」 


 それから二台のロボットは、後方へ蛇行移動を繰り返しながら機体背後に付いた武器庫シャッターを開くと、ビール缶のパックやガレキや木片にカモフラージュした強力な対戦車用地雷を落としていった。

 その数、数十個に及んだ。地雷には目印がついていて、ロボットのコックピット(操縦室)からわかるようになっており、ボタン一つで爆発させることができる仕組みになっていた。


「これからが勝負だ。いかに追い込むかが腕の見せどころじゃわい。なあ、ロンド」


 ほどなくしてトラップを仕掛け終わった老人が言った。


「はい」若者の冷静な声がコックピット内に響いた。


「地の利はこちらにある。それを生かさぬ手はないからのう」


 そう言うと老人は穏やかに笑った。

 その後、あっという間に距離が縮まり、鉢合わせするまであと数百ヤードほどまでに迫ったとき、突然ジャワとシャリオウが揃って立ち止まると、何か策があるらしく平常心の顔で前方のロボットと対峙した。

 それを証するように、立ったまま顔を見合わせて小さく頷いた二人は、それまで背負っていた内部に一振りの直剣が納められていた防御盾をいきなり揃って横の地面に放り投げると、両手を地面について跪き、下に目を落とした。それ自体は実に不思議な光景と言えた。しかし、さもあらず。その行為の意味が直ぐに現れた。

 次の瞬間、ジャワとシャリオウの二人が跪いていた地面から赤褐色色をした気体がしみ出てくると、拡散しながら彼等を呑み込み上昇していった。その大きさはロボットの背丈を遥かに凌いでいて、およそ三倍はあるように見えた。

 そうして周辺のガレキと土砂をその内部に吸収しながら、顔は人で、それも大きく見開いた目と裂ける一歩手前まで大きく開けた口は怒りに満ちた敵意むき出しの形相をしており、外観と素振りは直立歩行に進化する前の猿人のようなモンスターが見る間に二匹出現していた。

 二人はシャーマン特有の神がかり的な力でもって自然界とつながり、その地に留まる動物の地縛霊並びに大地の地霊を呼び出して具現化。憑依合体していたのだった。 


 それを目のあたりにした老人と若者は、両人とも最初の思惑が外れたことで一瞬きょとんとした。が、直ぐに元の表情に戻ると、前方を見据えていた老人が、いの一番に感想を漏らした。


「今度は猿のモンスターか。ふーん、中々やるのう。わし等に対抗してきよったようじゃな」


「ええ、そうみたいですね」


「あの分だと、敵の本隊は組織力で勝負をしてくる軍勢タイプではないようじゃのう。いくら何でも戦力を小出しにしてくることは考えられぬからな。それからして少数精鋭の集団タイプの可能性が高いな」


「ええ、そうみたいですね」


「ロンドよ、あまり時間をかけている暇はない。さっさと片付けてしまおうかのう」


「はい」


 そんな話を二人がしている間に、二匹のモンスターがその能力を行使。

 一匹の太くて長い両腕に黒い色を帯びた猛烈に強い風が渦を巻いてまとわりつき、もう一匹の方にも同じようにして、赤茶色をした風がまとわりついていた。

 黒色を帯びた風は、どのような硬い物質も削り取るというダストバーストといわれるものであった。

 またもう一方の正体は、人のこの世への心残りや無念さや恨みや怒りから生み出された瘴気、悪魔の息吹き、悪魔の生気と呼ばれるもので、この世界の物質を劣化させるとともに、ありとあらゆる動植物に甚大な害を及ぼすのだった。

 そうとも知らず、老人と若者は余裕で話を継いでいた。


「待っていても何かしら相手の作戦に乗るような気がする。せっかくだから、それではこちらから迎え撃つとしようかのう」


「はい。相手が大きい分、思う存分ぶっとばしてやります」


 どう見ても搭乗しているロボットの倍以上あったモンスターに向かって、力強い言葉を放った若者に、老人はにっこり不敵な笑みを漏らすと言った。


「何はともあれ、油断は禁物じゃぞ」


「はい、分かっています」


 老人と若者は、モンスターの外側を覆っている物質が大地に転がっていたガレキや土砂類であることに注目して、付け込むところは十分あると見ていた。そして、この場合は先に攻撃した方が有利だとしてモンスターが攻撃してくるよりも一足早く正面攻撃を仕掛けていた。


 以上なわけで戦況はまだこう着状態のままと言えた。

 その頃、ホーリーはというと、少し苦戦を強いられたものの一足早く決着をつけていた。

 およそ一時間前のこと。

 ホーリーはそれまで腰掛けていたイスから立ち上がると、のんびりと自らが召喚した円筒状をした障壁の一つにもたれながら、いつ襲ってくるのか分からない相手を待っていた。平たく言うと相手の出方を待っていた。――さあて、どんな風にやってくるかしら。

 そんなとき、不意にホーリーを衝撃が襲った。

 さまざまな色をした無数の火の玉が雨あられと出現したかと思うと、ほんの少し遅れて耳をつんざく騒々しい音が周りに響いて、もたれていた障壁が粉々に吹き飛び、その反動で空中へ投げ出されていた。そのときホーリーは余りに突然なことで、何が起きたのか理解できず。対応する暇もなかった。なすがままになっていた。

 そして気が付いたとき、うつ伏せになって地面に横たわっていた。

 そのとき、どこへいったのかそれまでずっとかけていた黒縁のメガネが行方不明になっており、ポニーテールの髪形をアレンジして頭のトップでふんわりまとめてあったのが解けて元のポニーテールの髪形へと戻っていた。そこへ持ってきて、身に着けていたグレー系のタートルネックのニットシャツとベージュ色のトレンチコートと黒地のパンツとブーツとが白いバトルスーツ並びに同色のロングブーツへと変わっていた。いわゆる形状記憶スーツというもので、一定以上の衝撃を受けたことで元々の本来の姿に戻っていたのだった。

 バトルスーツとロングブーツは、遠い昔のこと、ホーリーが一人前になった証として、師であったヨハンナことデリート・モノナム・ヴァルキリアから直接譲り受けた品であった。

 相当なお気に入りだったらしく、師が何十年間にも渡っていつも身に着けていたもので、かなり使い込んでいて、彼女の血と汗と信念が染みついていた。そんじょそこらのスーツと比べて極めて頑丈で、その特性として物理攻撃、放射線攻撃、生物化学攻撃、電磁波攻撃といったほとんどの攻撃に対して強力な耐性を持っており、ホーリー自身も、これまで何度命を救われたのか分からなかった。

 今回も何もなかったのは全て師から譲り受けたスーツのおかげと言っても良く。ホーリーは倒れたまま冷静に目だけを動かすと確信した。――あらまあ、私、やられちゃったみたい。 

 状況証拠から考えて、どうやらほんの少しの間意識が飛んでいたらしく記憶がなく。普通ならパニックに陥ってもおかしくないところであった。が、至って落ち着き払っていた。戦場においては、間違いと予想外のことが、常に起こり得ることを心得ていたからだった。

 彼女は用心のためにじっとしたまま、辺りに誰もいないことを確認すると、そのまま首だけを慎重にゆっくり動かして周りをそっと見渡した。そして惨状を冷静に受け止めた。

 ――あれれ、どうしちゃったのかしら。もしや全部やられたとか……。


 つい先ほどまで直径二十フィート、高さ百フィートもあった障壁が十六体も悠然と建ち並んでいたのに。それも密にならないようにと、ある程度間隔を置いて配置していたにもかかわらず、こともあろうにその全てが跡形もなく消え失せていた。どうやら、ことごとく破壊されたらしかった。

 ――あーあ、全部やられちゃったのね。

 そこへ加えて、辺り全体がすっかり様変わりしていた。よほど強烈な爆発か何かがあったのであろう、それまで垂れこめていた霧を一気に吹き飛ばして、雑多であった周辺が一変して無残な焦土と変わり果て、何もなくなってすっきりしているのが分かった。

 実際辺りは濃グレーから黒色をした地面の地肌がむき出しになっていた。何かに例えるならば、山の斜面で地すべりが発生した後の状況そっくりであった。

 マドレーンがお家芸である魔導銃を使って、周りに拡散して被害を及ぼす特殊弾を機関銃のように連射したことに拠っていたが、そうとは知らなかったホーリーは尚も辺りを観察した。 すると、あちこちで細かい火の粉が無数に舞い地面がくすぶっていた。そして、どういうわけか砲弾やミサイルが落下したときにできるクレーターはどこにも見当たらなかった。


「よくもやってくれたものね。こんなことが起こり得るなんて、相手を甘く見過ぎていたわ。正確に狙ってきたところを見ると、使い魔でも使って情報収集していたのかも。

 そのあたりは無警戒だったわ。けれども、それらしいものは見かけなかったけれど……。余程上手くやっていたのかしらねぇ。

 ま、何でも有りの世界だし、どおってことないけれどね」


 ホーリーは割り切っていた。


「ところでどんな方法を使えばこんな風になるのかしらねえ……」


 被害が一直線に及んでいることなどから、レーザー兵器の攻撃を受けたようだった。またピンポイントでなく広範囲に被害が渡っていることからレールガン(電磁加速砲)による攻撃とも思われた。

 また別の見方、専門である魔術的見地から推定すると、超一流の魔術師か能力者の仕業である。または術師が召喚した魔物の仕業である。それとも魔術に魔法アイテムを併用して使ったか魔法アイテム単独で行ったか、或いは二人以上の複数の人数での合同作業である。でなければ術式を色々と組み合わせて魔術強化を施した上でやった。などと色々あり過ぎて答えが出ず。

 そういうこともあり、ホーリーは「余計な詮索をしたってきりがない、あれこれ詮索するより実際に目で見るのが一番と言うしね。ま、放っておいてもいずれ分かることだから」と考えるのをやめると、


「このまま何もしてこなければ良いのだけれど。そうあって欲しいものね。けれど、それは実際無理というものなのよね」


 そう呟いて、あーあとため息を漏らし、これからのことについて、あれこれ思いを巡らせた。


「もし仮にでも何もしてこなかった場合、相手はおそらく素人と見て間違いないわ。プロでもそれをやる輩はたまにいるけれど、それは傲慢過ぎるというものよ。余程の自信家かうぬぼれが強いかのどちらかね。

 ま、大抵は、この後は小型の偵察機とか、場合によっては翼を持った使い魔が飛んできて現場の様子を見に来るだとか、本人が直接出向いてくるか、それとも代理の者に来させるかのどちらかなんだけれど。

 偵察機の電子の眼も使い魔の一方通行な目も、体がバラバラになって転がっている偽装なんか簡単にできちゃって幾らでも誤魔化しがきくから、その方が嬉しいんだけれど。

 ま、本人がやってこようが代理人がこようが、待ち伏せすればそれで良いのだから何とでもなるけれどね。

 今一番の警戒すべきは疑心暗鬼がひどすぎる輩ね。念を入れてもう一度撃ってくることがあるから、それだけはやっかいなのよね、勘弁してもらいたいわ」


 そういう訳で、ホーリーは第二波の攻撃を避けるために余計なことを何もしなかった。その間、何もしないで死んだふりをしていた。

 ――さて、次は何かしら。


 気配を消して十分程待った。が、何も起こらなかった。空からも何もやってくる気配はなかった。


「無視する気かしら。それとも手間取っているのかしら。もし手間取っているとしたら、相手はかなり遠くにいるみたいね。

 もしそうなら、この分じゃあ話にならないわ。こちらから出向いて上げるわ」


 これだけタイムラグをおいていたならば、相手は今ごろ油断していてもおかしくないと、ホーリーは行動を開始した。ゆっくりと立ち上がると、「たぶん、あそこね」と方向を見定めた。

 ほぼ水平方向に砲か術を放ったらしく、相手の手掛かりになりそうな経路が一直線にできて、延々と続いていた。

 その距離たるや、ざっと見ても一マイルや十マイルどころではきかなさそうだった。遥か向こうの方までずっと続いていた。


「どこへ向かっているのか分からないけれど、ともかく行って見るほかなさそうね」


 頭の中で呟いたそのとき、否応にも老人と若者が乗る二台のロボットが展開していた辺りから、何筋もの黒い煙がもうもうと空高く立ち上っているのが見え、ドーン、ドーンと爆弾が炸裂する音が地響きのように何度も聞こえていた。

 そんな矢先、遠く離れた地点の一角が一瞬ピカッと光って、雷鳴そっくりな轟音が響いた。イクが生き物の上に乗って向かった先だった。


「この分じゃ、どこもかしこも一戦交えているみたいだし。こうしてはいられないわ。私もぼちぼちいかなくちゃね。

 相手が見えればどうにでもなるのだけれど、見えない相手には手の打ちようがないのでねえ」


 予想が可能な攻撃は避けることができても、想定外の攻撃は幾ら何でも不可能と言って良かった彼女の偽らざる本音だった。


「相手はあの辺りにいる筈なんだけど」


 ホーリーはにんまりすると、風の属性の一つで空気抵抗を無くすと同時に空気を推力に変えるエーロランという呼び名の魔術の術式を発動。風景が一変していた方向へ向かって、ポニーテールの銀髪をなびかせながらフルスピードで疾走した。

 一帯は外壁だけとなった廃墟が延々と続いていた。

 途中、敵と思われる正体不明の二人連れと遭遇。概ね数十フィートの距離を隔ててニアミスした。

 そのときホーリーは、その見た目から当事者の部下と二人を判断。想定の範囲内と別に気にも留めなかった。


「やって来るのは織り込み済みよ。でも、あなた達と遊んでいる暇はないの」と至近距離からやり過ごすつもりでいた。だが相手の認識は違った。


 全身が武器の体に魔力がなくても使える魔道具を装備して時速百マイル近いスピ-ドで駆けていたジョンとメルカルドの双子の兄弟は、猛烈な勢いで、しかも一直線に向かってくるホーリーを自分たちへの攻撃と見なして、急角度に方向転換しながら急ブレーキをかけて避ける行動を取っていた。

「確かに殺ったと思うのだけど、念のために一緒に様子を見てきてくれない」とマドレーンから頼まれて向かっていた矢先の出来事で。二人はそうしたことで、一斉にバランスを崩すと転倒。そばにあったガレキの山へ頭から突っ込み、ホーリーへの対応が遅れることとなっていた。

 それをホーリーは何食わぬ顔で、「悪いけどあなた達に構っていられないの」と言い放つと二人を置き去りにして先を急いだ。

 辺りをかような惨状にした張本人が、敵味方の区別なく第二波の攻撃を加えてくることを恐れてのことで。ホーリーはそのあとの手配りも忘れてはいなかった。

 充分先に先へ進んだあたりで前方に注意しながらスピードを緩めると、「その代わりにこれを上げるわ、貰ってちょうだい」と片方の手首を後ろに回して軽く振る仕草をした。

 間髪入れずに袖口の付近から細くて平たいロープがスルスルと出てくると地面に落下していった。その長さ、数百フィート。たちまち四方に広がりながら複雑に緩くからまると、最後に地面の色と見分けがつかなくなって消え失せていた。それが次々と四度続いた。

 ロープは彼女オリジナルのトラップであった。魔力を帯びており、触れたら最後、複雑に絡み付いて動きを封じる仕様になっていた。

 今でこそ、武闘派の趣が強いホーリーであったが、彼女がアウグスティと呼ばれていた時代、ちょうど彼女の師がまだ存命であった頃はそうではなかった。事あるごとに師や師の仲間が主軸となって彼女等師の弟子達は、修行の身であったこともあり彼等をサポートする役割に回っていた。

 そのため、剣や銃よりも魔力を帯びたロープを変幻自在に操るロープ魔術を身に着けて特技としたホーリーは、全員の中で技巧派としてならしていた。従ってロープを使ったトラップで小細工することなど昔取った杵柄で全く造作もないことで。それが終わるや再び加速しようとした。

 ところが、延々と続いていた一本道は極端に狭くなって見る間に見えなくなっていた。


「もうあと少しみたいね」


 ホーリーは再びスピードを緩めると、いけそうな地点を目視で探しながら進んでいった。

 そんなとき、レーザービームのような青白い光線が幾本もホーリーを目がけて音もなく進んでくるとホーリーの傍を通過していった。

 どうやら気付かれたらしく。それにホーリーも反射的に応戦した。

 相手が見えていないにもかかわらず、両方の手を前方に向けると、手の平から空気を圧縮した空気弾を続けざまに発射。空気弾は乾いた発射音とともに一直線に前方へ向かうと、大きな音を発して破裂していった。

 だがその瞬間、それまで冷静に対応してきたホーリーが、しまったと舌をかんだ。


「ああ、しくじったわ。こちらから見えていないことは向こうからも見えていない筈。向こうは勘で撃ってきたに違いないのに、空気に色が付いているわけがないと思って反応したけれど、音で相手に居場所を教えてしまったみたい」


 果たしてホーリーが想定した通りに、恐ろしく正確なビームによる集中攻撃がすぐさま返って来た。その何度かは体を一瞬かすめていった。

 そこで本来なら地面にじっと身を伏せて攻撃をかわすところを、不敵にもホーリーは意表をついた行動に出た。相手に狙いを正確につけさせないために、もう一度空気弾による反撃を行うと、助走をつけて跳躍。空高く跳び上がっていた。

 ともかく相手を見つけなければ何も始まらないと思い、危険を承知でしたまでのことで。四、五百フィートは跳んだであろう地点からの地上の眺めは、微かに霧がかかっていたせいでそれほどはっきりしなかった。それでもホーリーの高感度の視力は、破壊された建物の残骸が残る周辺の様子と、その中辺りを横断する道路と、その道路に隣接する空き地に止まっていた一台のスポーツタイプの四輪駆動車と、その傍に立っていた一人の全身黒ずくめの格好をした人影をあっさりと捉えていた。

 

 黒とグレーのツートンカラーのストレートの長い髪をした外見から人影は女で、背が高くてすらっとしていた。そして両方の手に黒っぽいものを持っており。一つはハンドガンで、もう一方はワインのボトルのようだった。

 それを一目で確認したホーリーは、――嘘でしょ、一杯やりながら何て。ほんと舐めているわねと舌打ちすると、自然落下しながら空気弾を今度は片方の手だけで連射。もう片方の手はぶらっとさせて、袖口から再び細長いロープを、何につけても手堅い彼女らしく、今度は予備の四本を入れて八本取り出し、空中へ放った。

 ロープはたちどころに羽根のように空中で広がると風に乗って直ぐに見えなくなっていた。――これで良いわ。

 そのまま地上に降りたったホーリーは、続いて回り込みながら再々度、空気弾を放った。それに対し最初こそ反撃があったものの、なぜか続かず。それ以後無くなっていた。静かになっていた。


「効果てきめんね。ケリがついたみたい」


 ホーリーの想定はあたっていた。

 マドレーンがホーリーの攻撃に気を取られている隙に、透明化したロープは下の地面に落下するとヘビのように動いて忍び寄り、遂には襲い掛かると絡み付いてマドレーンの動きを封じていた。その厳重さは手足や首は優に及ばず、目から口に至るまでの全ての箇所の動きを止めていた。

 自らも銃を扱い、これまで多くの経験を積んで、銃使い(ガンマン)の長所も短所も知り尽くして分かっていたからであった。――意外と細長いもの、そしてぐにゃぐにゃ曲がって動くものに弱いのよね。


 細長いロープによって頭のてっぺんから足の爪先までがんじがらめに拘束されたマドレーンを目のあたりにして、意外にあっさりと勝負が決したことに、ホーリーは昂然と胸を張って彼女を見下ろすと、冷たい目で、 


「悪いけれど、私とあなたとでは完成度が違うの」


 そう言って聞かせて命令口調で付け足した。 


「ロープには運動感覚を麻痺させる効果があって脱出は不可能よ。ま、殺されないだけマシだと思いなさい」


 そして、悠然と立ったまま、ぷいとそっぽを向くと、考えるように天をぼんやり仰いだ。


「ああ、そうそう。そういえば向こうの連絡先を訊いていなかったわ。困ったわね。取りに来て貰うのにどこへ連絡して良いか分からないわ。

 ということは、直接持っていかなければならないということ? 容易いことだけど、手の内はみられたくないし。ああ、困ったわ。このまま何もしないで放置ということも有りだけど、まだ残党がいるかも知れないし。一層のこと、隠しておいて後で引き取りに来て貰おうかしら。

 そうね、それが良いかもね。この辺りだと、そう、地面に埋めて置くのがベストかもね。その上に目印として旗など立てておいたら良いんじゃない。いいや、旗の代わりはあそこにあるわ。あれで代用して、あの付近に穴を掘って埋めておけば良いのよ。気道さえ確保しておけばそう直ぐには死にやしないわ。丸一日は持つはずよ」


 およそ二百フィート先に放置されてあった、ホーリー自身の攻撃のせいで前輪部分が壊れて動かなくなっていた四輪駆動車を視野に入れて、ホーリーが余裕たっぷりで、生かしたまま捕えたマドレーンをどうしようかと思案。

 間もなくして方針を決めると、複雑に縛り上げた女の足元から出たロープの端を片手で持ち、軽々と引きずって例の車が止まる地点まで意気揚々と歩いて行った。そのとき、途中に残してきた者達を目の前の女の手下とみなして、全く気にも留めていなかった。無視していた。


――遡ること、約三十分前。死んだふりをしていたホーリーが行動を開始したときより少し前のこと。

 滑走路の真ん中あたりまで歩いてやって来て突然立ち止まったイクは、少し上体を反らして背伸びをすると、緊張感に欠けた大きなあくびを一つした。


「あーあ。早く終わらないかな?」


 何気なく本音を吐いて、続いて羽織ったコートをちらりと見た。


「この格好でもやれると思うけれど、やっぱりあの姿の方が安心できるかも。何て言ったって動きやすいし、それに武器も使えるようになるし」


 そう呟くと、後ろ手を組み両方の手の人差し指を立てて重ね合わせた。イク独特の変身ポーズだった。

 ちなみにポーズを定めるに当たって、生き物から「派手な動きのものや、複雑な仕組みのものや、多頻度にやってしまうものは止めておいた方が良い、後で後悔することになる」との忠告を受けたイクは少し考えてからこれなら良いかもと決めていた。 その仕草は、バイト先の上司から命令口調で言われたり、きつく怒られた際に、頭を垂れて自然に取る態度で。もう二度とすることはないと思うからと選んだものだった。

 果たして次の瞬間、変身がなった姿は、フードが付いた柄物のフリースのジャケットに同色のパンツにショートのブーツと、ただ単に着替えをしたに過ぎないように見えていた。しかもそのデザインはどこでも見られる若者のカジュアルな服装と何ら変わったことがなく。さらに護身用の銃やナイフといった装備は一切付いていなかった。

 だがこうみえてもイクのスペシャルスーツであることに変わりがなかった。

 そのような姿になぜ決まったかと言えば、もちろんイクの思い付きがそうさせていた。

 あれは陸軍基地での予選が終り勝ち残りが決まったときのこと。先のことを考えると、このままの状態では不安だからと「身を保護する装いについてお前の意見を聞きたい」と生き物がレソーのときと同じように希望を尋ねて来たとき、イクは深く考えもせずに、


「そうね、ネットショッピングで見た着ぐるみのパジャマみたいなのが良いわ」と頭の中にあったパイル地のトラの着ぐるみパジャマをリクエストしていた。


 それ自体は、安くて良いものが何かないかとネット通販で色々物色していた際、可愛らしいわ、部屋着として一枚持っていても良いかもと、ふと目に留まった品であった。

 そんなイクの無茶振りに、生き物は一切意見を言うことなくイクの携帯で出所元を確認すると、造作もなくイクの希望を叶えていた。

 だがイクが実際に身に着けて見ると、色目や格好について、数々の気に入らない点が出て来た。

 そのことについて、イクはいつもの馴れ馴れしい調子で、


「セキカ、他の色目もみたいんだけど」「ねえセキカ。頼みがあるんだけど。その日の気分によって自由に色目を変えることができないものかしら」「セキカ、全体的に生地がダブついていて太ったように見えるわ。もっとスマートに見えるようにしてくれない」「セキカ、フードについた顔が子供っぽくていらないわ。無くしてくれない」「セキカ、足が短く見えて格好が悪いわ。長く見えるように直してくれない」などと好き勝手に注文を付けていた。


 それに対して生き物は全く異論を挟むことなしにイクの要求を聞き入れていた。その結果、ほとんどトラの原形を留めておらず。背中の部分と手足の付近に特有の黒っぽい縞模様が残る程度のみになってしまっていた。


 続いてイクはぶつぶつとひとり言を呟いた。それが終るや後ろに回した手を戻すと、変身した姿がキマッているかをチェックして、再び後ろに手を回して歩き始めた。――やっぱし、この場所に合わせるとなるとグレーの迷彩柄がぴったりみたいね。

 歩いているとアスファルトの地面のあちこちにガレキが散らばり大小の縦穴が開いているのが分かった。黒焦げになったエンジンの部品のようなものや錆びた飛行機の胴体の破片のようなものが落ちており、遠くの方では薄い煙が狼煙のように上がっているのが見えた。


「ふーん」


 全く代わり映えのしない、のどかとは程遠い単調で面白みがない景色に、いつしかイクはぼんやり下を向いて歩いていた。「あーあ、もう。参っちゃうわ」


 そんなイクを災難が襲った。

 刹那。ピカッと辺りが一瞬眩く光ったかと思うと、しんと静まり返った中に、バリバリと雷が鳴ったような大きな音が轟き、ほぼ同時に目の前に眩い光のようなものが突如現れた。

 それにイクはびっくり仰天すると、本能的に避けようとした。その場でとっさに身を低くしてかわした。かわしたつもりだった。

 そのときイクは、これで何とかなった、どうにかこうにか避けられたと思っていた。 

 ところが彼女の想定とは裏腹に眩い光は真っすぐに遠ざからずに、途中で山なりの軌道を描いてイクに衝突。その際、直撃は何とか避けられてはいたがイクの体をかすめると足元ぎりぎりに落下。その衝撃やすさまじく、はずみで辺りに砂塵が煙のように舞い上がるとともに、イクの小柄の体は地面を弾みながらその場に散らばっていたガレキや廃材もろとも吹き飛ばされていた。そのときイクは、自らに何が起こったのか全く理解できていなかった。


 それから三、四分ほど経ち、一旦舞い上がって飛散した砂塵がようやく落ち着いて、濃い霧が掛かったようになっていた視界がどうにかこうにか晴れた頃、トカゲ風のマスクを被った怪しげな輩が、たった今できたばかりで、まだ内部が熱を帯びて蒸気が立ち上っている直径が四フィート弱、深さが三フィートぐらいまで達していた縦穴の辺りで、キョキョロと何かを捜す仕草をしていた。

 グレイと呼ばれる男で。頑固でちょっと融通が利かない面があったが性格がそれほど悪いわけでも変人奇人でもなく。また、その道(暗殺)のプロらしく報酬面と待遇面が良好である限り、与えられた役割には個人事業主のように黙々とそつなく忠実に励み、そして実年齢が中年の域に達して物の道理をわきまえていて冷酷なことも残虐なこともためらうことなくこなすことから、ボスであるザーウインがマドレーンとともに全幅の信頼を置いている一人で、「クラウトンとザリムの消息が途絶えた。どうなったか見てきて欲しい。もしそこで巨大なモンスターとモンスター使いを見かけたなら十分気をつけるように。そいつ等に二人が殺られたと思って間違いない。そういうことで、そいつ等の一掃をいつものことで悪いのだが頼みたい」と、ザーウインの命を受けて様子を見に来ていたところ、モンスター使いと思われる人影がモンスターを連れずにたった一人でいるのを遠くから発見。これ幸いと先制攻撃を加えていたのだった。


「どこへ行った。まともに当たった筈なんだが……」


 万が一にもまだ生きていたなら止めを刺すつもりでいた。が、辺りはいやに静かであったこともあり、既に相手はバラバラになって死んでいるのかと思っていた。とはいうものの、しばらく経ってもそれらしい痕跡は何も見つけることができていなかった。


「まさかあの攻撃から逃れたと? いや、それはあるまい」


 放った一撃は自在に軌道を曲げながら相手を攻撃できることから、グレイは確信を持っていた、絶対に逃げられない、絶対にやったと。


「深手を負って、まだこの辺りに潜んでいるのでは?」「俺は百億ボルトの電撃を放ってやったんだ。並みの人間ならショックでそのまま即死か吹き飛んでおしまいだ」


 そんなときだった。左前方へ向かって五百フィートほど行った辺りからため息をつくような人の声がした。それを逃さず、何だとグレイがすぐさまその方向に振り向いて目をやると、アスファルトの地面に開いた縦穴からホコリまみれの少女がひょっこり姿を現した。茶色の髪と着ていたパーカーの迷彩柄の色目から考えて、狙い撃ちしたターゲットに間違いなさそうだった。――しぶといやつめ。まだ生きていたか。

 とっさにグレイは、これといって特徴のない風貌をした相手を、いかにも不愉快というようににらみつけて身構えると、いつでも隙さえあれば次の一撃を放てる態勢を取った。

 それに対して、一旦立ち尽くした少女は落ち着いた様子でパンパンと頭髪や衣服に付着したほこりを簡単に払い落とすと、何もなかったかのようなゆっくりした足取りで近付いて来た。

 グレイは少女の視線を捉えた。宇宙人と見分けがつかないおどろおどろしいトカゲ風のマスクを被ったグレイを見ても、伏し目がちのその目には全く動揺が見て取れなかった。平然としていた。

 ――ハッタリではないようだが。それにしてもこの落ち着きようは何だ。それにあれだけ吹き飛んで怪我一つしていないとはな。やはり超人系の能力者ということか。

 そんなことを考えながら、じっと様子見をしていたグレイに向かって、すると今度は少女が歩きながら頭を上げ正面を向くと、高圧気味に呼びかけて来た。


「お前か、私に手を出してきたのは?」


 化粧っ気のない様子から、どうみても十四、五才にしか見えない童顔の娘から放たれた高慢な言葉に、グレイは一瞬ムカッときたが黙ってゆっくり頷いた。


「あゝ」


 言葉にこそ出さなかったが、態度のでかい奴めと思っていた。


「ふーん、そうか」少女は分かったと小さく頷くと、それから尚も歩を進めた。


 当然ながら二人の間には、一触即発の一瞬でも気が抜けない雰囲気が漂っていた。

 だがそのような中、こんな貧相なガキンチョに下に見られるとなぁ、とグレイはマスクの中で不敵な苦笑をすると、次こそ決めてしまうつもりで、実行に移した。

 少女が歩いてくるのを構わずに、身構えた姿勢から、前方に開いた片手を突き出し、もう一方の手を拳にして後方では突き上げた攻撃の構えへ移行すると、およそ八十ヤードまで近付いて来たターゲットに向かって渾身の一撃を見舞った。


「食らえ!」


 真っすぐ前方へ突き出されたグレイの拳から、バリバリと破裂音を伴なって勢い良くサッカーボール大の眩い光の塊が放出されると、空気を震わせながら真正面にいる少女へと向かった。

 グレイは、相手が現れた状況から判断して、上手く逃げ延びたのだろうと見なしていた。そういうことなら合点が行く。ならばこれではどうだ。さっきは距離があった分、気付かれて失敗したが、今度はそうはいかない。直撃だ!

 攻撃をし終わった姿勢を保ったまま、これで決まったなとグレイはにやりとほくそ笑んだ。


「超高電流の動の電気を放ち一気に生き物の息の根を止める雷轟(ブルメンス)には死角はない」


 しかし安堵したのも束の間で、バチンと衝撃音が小さくしたのみで、想定したような大きな衝撃音が響かなかった。

 それどころか返って一瞬ヒヤッとすることになっていた。

 何が起こったのか分からなかったが、先ほど放った一撃が、その直後に少女が何かやったらしく、はね返されて戻って来たのだ。

 瞬時にグレイは両手を体の前で開く格好で、防御系の技である電磁シールドを正面に展開。受けに回った。

 エネルギーの塊はシールドに触れた途端、勢い良く弾むと、空のかなたへ向かって塊を構成していたエネルギー物質を四方八方へ散らせながら消えて見えなくなった。


「同じ技は二度と通じないということか」


 嗚呼やれやれ、自分が放った技でやられるなんてさまにならないぜ、と思わず呟いたグレイはその瞬間ピンときた。そうか、わかったぞ。通常のモンスター使いならモンスターに力を借りるくらいだから力は弱いはず。それからして、こいつはただのモンスター使いなどではない。こいつ自身がモンスターか或いはモンスターの力を宿しているようだ。そうでければ今のような芸当ができるわけはない。

 彼の推理は当たらずともいえども遠からずと言え、あながち外れてはいなかった。

 肝心のイクは目を回して、いまだに意識がなく。代わって生き物が身代わりとなってイクの体を意のままに操っていたのだから。

 普段ならあれくらいの衝撃はイクには何でもなかった、屁とも思わなかった。が、不意を突かれたショックで頭が混乱してナイーブな思考回路がショート。遂には気を失っていたのだった。

 一方、まさかそのようなことになっているとは夢にも思わず、


「相手を甘く見て正直に行き過ぎた」


 そんな捨て台詞を吐いてグレイは、受けに乗じた隙を突いて相手が攻撃を仕掛けてこなかったことを良いことにシールドを急いで解除。その場から離れた。正面から攻撃を仕掛けてもまた同じことになるだけだと考えてのことだった。 

 グレイがモンスター退治の適任者と思われていた理由は、彼がモンスターの行動パターンを読むのが上手かったのとモンスターの大半が電気に弱かったことに拠っていた。

 だが相手が動かないことには行動パターンが読めない。しかも電気に強いらしいように見える。はっきり言って目の前の少女は彼が苦手とするタイプだった。


 従って何とかして攻略の糸口を見つけ出さなければならないとして探りを入れる手法を採用。距離を取りながらやや斜め方向に回り込むと、同じフォームから先の二度に渡ったのとは違った超超超高電圧の静の電気を解き放ち発火現象を引き起こす、滅炎(トニトランス)と称される、同じく一撃必殺の技を少女の肩口辺りを目がけて放った。

 そうして何をやって来るのかを見ようと少女の挙動に目を凝らした。――今度こそ見届けてやる。じっくりとな。

 ところが、放たれたサッカーボール大の火球がほとんど音もなく上下左右に不規則に揺れるという予測不可能の軌道を辿り少女の直前まで迫った瞬間、相手は何かをしたという素振りは見えなかった。棒立ちしたまま振り向いてくることもなくじっとしていた。にもかかわらず、信じられないことが起こっていた。

 今度は跳ね返ってくることはなかった。その代わり、まるで空気中に吸収されたのか或いは拡散されたのか、それともマイナスのエネルギーで中和されたかのように音もなく少女の寸前でかき消えるという現象が起きていた。

 グレイはそれを目の当たりにして訳が分からなかった。


「俺が電磁シールドで防御するように、こいつもあのタイミングで防御をしたということか。それにしても、どんな防御をやったのだ!」


 そんな疑問を持ったまま意地になって、続けて雷を模した技、雷亜(セミライトニング)の一撃を放った。

 バリバリバリと光の塊が静寂を突き破って鳴り響きながら上空からターゲットを狙うと雷が落ちたような挙動が走った。にもかかわらず、少女の頭上で消滅して何も起こらなかった。


「おのれ、化け物め! 上からの攻撃でもダメなのか」


 それでもグレイは頑固にも諦めなかった。場所を移動しながら、遂には雷に炎を合体させて、具現化した大蛇が上空を自在に舞って攻撃するという大技、雷火(ライトニングファイア)まで出し惜しみすることなく繰り出した。

 たちまちグレイの意に従って、胴回りの直径がドラム缶の三倍ぐらいで長さが数百フィートに及ぶ巨大な大蛇が出現すると、身にまとった炎で空気を震わせて空中をぐるぐると舞いながら突進していった。けれども、またしても少女の直前で、大蛇の長い胴体が忽然と消えて見えなくなっていた。


 そこまでやったところで、


「これはどう考えても反則だぜ。何というシールドだ。どこにも隙が無い。これじゃあどんな強力な攻撃だって通ることはない。全てムダだ、ムダに終ってしまう」グレイは吐き捨てると顔を歪めて絶句した。


「底なしに得体のしれない奴め。きっとあの二人を殺っているな」


 粗い息をしながら気が付くと元の位置へと戻っていた。どうやら少女が立ち位置を変えなかったせいで、その周りを一周していたらしかった。


「嗚呼、こんな屈辱は始めてだ。この俺があんな小娘に弄ばれるとはな」

 

 そんなぼやきが、マスクの中で汗まみれとなったグレイから、はからずも漏れ出ていた。


 とは言え、この期に及んでも攻撃を止めるという考えは永久に無かった。

 じっくり様子を見てくる相手を攻めに転じさせた場合、十中八九負けが確定することを長い人生から学んでいたからであった。 

 継続こそ最強最善の戦法と言われるように、このタイミングで相手に攻めを明け渡すわけにはいかない。もし受け側に回ったなら絶対不利だ。あいつ等(クラウトンとザリム)のようになる恐れがある。俺はそうなるのは御免だ。ここは攻め続けなければならない。そう自らに言い聞かせたとき、再びピンときた、俺が疲れたところを仕留める気かもなと。

 そうはいってもな、そんなありふれた見え見えの手をやって来るとはとても思えん。

 俺一人に、そんな悠長なことをやっていては非効率でどう考えても賢いやり方ではないからな。そうすると何を意図してのことだろうな……うーん、分からん。だがこのままでも相手の思うままだが、さてどうすれば……。


 どう判断すれば良いか一瞬分からなくなって、身構えたままグレイが立ち尽くしたそのとき、いきなり不意を突いて呼び掛ける声がした。


「もう諦めたらどうだ。お前に勝ち目はない。降参するなら今だ。悪いようにはせぬから」


 前方に立つ少女からで。グレイは手詰まり感もあって、すぐさまそれに反応すると乱暴な物言いで応じた。


「悪いようにせぬとはどういうことだ?」


「そうだな」少女は腕組みをすると、考えるようにちょっと首を傾げて少し沈黙した。そして言った。「降参して協力してくれたならば……」


 次の瞬間、グレイがいかにも不快という風に叫んだ。「どちらも嫌だね。そんな取り引きを誰が受けると思っている!」


 老練なかけ引きのテクニックの一つで、わざとそう言って相手の反応を見ようとしたのだった。――誰が降参して捕虜などになるもんか。ここまで来た以上はもう後戻りはできない。行くところまで行くまでだ。

 元々誰にも頼らずに一人で生きて来て、俺は窮地に強いんだと思い込んでいて、少々のことでは動じなかったグレイにとって諦めるという文字はなかった。

 そんなグレイが疲労の色が濃く現れていた目で見た少女は、そう言われても別段表情を変えることはなかった。


「まだ何も言ってはいないが」


 平気な様子で淡々と応じてきた。その顔はまるで人形かオートマタ(機械ドール)のように表情がなく、声も平坦で感情がこもっておらず。グレイは手ごたえがまるっきりなかったことに、破れかぶれで相手の言葉もきかずに、殺気をはらんだ目でにらみつけると一蹴した。


「ガキの癖に俺に命令するのは百年早い。お前の指図は受けない。俺は俺のしたいようにするまでだ」


「ということはまだ続けるというのだな」


「あゝ、そうだ」


 もうその時には、可能性が少しでもあるならば、どんなことにも賭けてみることが生き延びるこつだと信じて疑わなかったグレイの腹が決まっていた。何か手がないかと探していたところに良い案が閃いたのだ。

 ――人形か、人形ね。もしかして、あそこから動けないのかもな。そういうことか、なるほどね。見切ったぜ。

 あれが立つ地面の下に何か隠してあって、それが俺の攻撃を皆無にしているに違いない。

 それでああ立っているのだろう。まあよくあるトリックだ。

 もしそうであるなら、あそこから一歩も動くことがないということだな。それならこちらも対策が立てられる。

 防御力が幾ら半端ではなくったって万全ということは在り得ない。近くからだと必ず綻びが出るものだ。


 そう心に決めると、疲労は相当量あったものの、プロの暗殺者としてのプライドをかけて。そこへ輪をかけて、電気そのものは、扱い方さえ確かならば、機械を動かす動力源となることは元より、照明にもなり、火を作ることもでき、遠隔で物を動かすこともでき、見えない物や隠れている物の探査もでき、病気や怪我の治癒を早めることもでき、衝撃で物を破壊することもでき、高温を生み出して物を焼いたり金属を溶かすこともでき、空を飛んだり水面を歩くこともでき、狩猟にも使え、障壁(シールド)代わりにも使え、爆弾と同じ効果を生み出すこともできと、数え上げればきりがないほどバリエーションに富み認知度もずば抜けていて、これ以上の優秀な能力はない、自分の能力こそ史上最強だと信じて疑っていなかったため、ここで諦めるわけはいかないと不屈の精神で事に当たった。

 直後にグレイは腰に携帯していた振り出しナイフと特殊警棒の中から、特殊警棒を手に取り、振って五フィートぐらいの長さに調整してから走り込んだ。

 今度は間合いを詰めて戦う、いわゆる白兵戦へ戦法を移行していた。

 直に俺のありったけの大電流を特殊警棒を通して食らってタダで済む奴なんかいるはずはない。それがましてやモンスターならばな。あっという間にケリがつく筈。


 ところがまたしても想定外のことが起きていた。

 少女まであと二歩半と迫ったところで、グレイは硬くて弾力性がある正体不明の見えない障壁にぶつかった感触で、後方彼方へと勢い良く弾き飛ばされていた。そしてその揚げ句に百フィートほど離れた地面に放り出されると、ぐったりした格好で動けなくなっていた。


 その直後にグレイに向かって良く通る声が響いていた。


「何と愚かな、馬鹿なことをしたものだ」


 少女即ちイク、イクといってもイクに成りすましたセキカからであった。


「あらゆるエネルギー及び高次元生命体は無条件に通過することができるが、この世界の物質及び生命体はそうはいかない。通過するどころか触れることさえ難しい。もし無理に触れようものならそれは無に帰することを意味するというのに」

 

 その言葉を裏付けるように、倒れたグレイの身に思いも拠らないことが起こっていた。

 体から無数の眩い炎が勢い良く噴き出すと一瞬にして燃え尽きて呆気なく消滅。まさに何も残らない状態となっていた。

 つまるところ、人の人智を越えた高次元のキューブが周りに展開されていたことを知らなかったグレイの悲劇で。この世界から別次元へ通じる境界の狭間に少女は立っていたのだった

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