第83話

 それから間もなくして、二人は、建物内を見学させて貰ったことと商談がまとまったことへの礼を女性に述べると、早々と別れを告げて部屋を後にした。

 昨夜泊まった部屋に戻るためだった。戻って待っているとお迎えがやって来る手はずになっていた。

 帰り間際に目に留まった部屋の壁に掛かった時計で時間をさりげなく確認すると、午前十一時過ぎ。お迎えがやって来るのが午後の一時頃と想定して、昼をゆっくり食べても十分足りる時間で、そんなに急ぐほどでもなかった。

 だが先を行くホーリーが晴れやかな笑顔で意気揚々と歩いていくと、自然と足取りは速くなっていた。

 ストラップ付きのカードの中に入る建物内案内のアプリを頼りに、一旦エレベーターを使って下に降りてから通路を歩いて向かった。カードは、部屋の外に出て迷子にならないようにと、初老の男から昨夜手渡されたものだった。

 異常に明るい通路は閑散としていた。前方を見ても振り返っても人の姿がなかった。

 ただそのとき、どこからかともなくクラッシック音楽が聞こえていた。曲名は分からなかったが自然と心が安らぐゆったりとした調べだった。

 発信源は直ぐに分かった。前方にショーウインドウのような大きな窓が片方の壁側に現れたからだった。

 構わず歩いていくと、窓が途切れた辺りにブロンズ色をしたガラス扉が開け放たれていて、その奥の方にテーブル席がずらりと並んでいるのがちらりと見え。音楽はその辺りから聞こえていた。

 ――あそこが私達が泊まった部屋の筋にあるといっていたラウンジもしくは従業員ダイニングというわけね。

 ――ふ~ん、こんな場所もあるんだ。 

 そのような感想を持って二人がその前を通り過ぎようとしたときだった。二人の後ろ姿に向かって良く通る声で呼びかける声が飛んだ。


「こちらへ来ませんかな!」 


 明らかにその声は、昨日の会議で同席した老人のものだった。二人が、ほんの一瞬の出来事で何気なく足を止めて振り返ると、


「こちらです、ラウンジの中です、中でおります」矢継ぎ早に老人の声が更にかん高く響いた。

 その申し出に、二人はきょとんと顔を見合わせたが、それほど思い悩むほどでもなく。好奇に満ちたホーリーの「行って見ましょうか」の一言で、イクが「はい」と笑顔で応じて決着していた。


 中へ一歩足を踏み入れると、空と海が一日を通して変化する様子を描いた壁紙が室内の空間を明るく彩り。天井からは三角帽子風のペンダントライトが、壁際にはランプの形をした灯りが室内を穏やかに照らして、シックでおしゃれな雰囲気を形作っていた。

 室内は百から百二十人ぐらいがゆったり過ごせるくらいの広さがあり、カウンター席、二人掛け・四人掛け・六人掛けのテーブルがずらりと並び、またイスはゆったりとくつろげるようにとひじ掛け付きのものが採用されていた。加えて入り口付近にはインスタントコーヒーとスポーツドリンクがそれぞれ無料で飲める自動販売機までもが備えつけられていた。


 老人の姿はすぐに見つけることができた。

 室内の真ん中あたり、カウンター席の横にあった四人掛けのテーブルに、正面を向いて腰掛けていた。もちろんその隣には若者も同席していた。

 二人の周りには、白いシャツの上から濃ブラウン色のエプロンを身に着けた、店員と思しき若い女子が全部で五人、立ち話をしたりこちらを見てニコッと微笑んでいた。

 その中に例の少女もいた。見覚えがある面影に、片側の耳にきらりと光る銀色のイアリングをしていたことから、つい先ほど、女性幹部の元へコーヒーセットを運んできた少女と見て間違いなかった。

 ホーリーとイクの二人が直ぐそばまで近付いて行くと、老人が満面の笑みで、隣の若者もうっすらと笑みを浮かべて出迎えた。


「お二人さん、こちらの誘いに応えてくれて大変うれしいです」


 老人がにやけた顔で口を開いた。待っていたような声だった。


「先ほどはどうも。ここでおりましたの。お邪魔じゃなかったかしら」


「いいえ、そのようなことはありません。もしそうなら呼び掛けはしません。若い女性は何人いても邪魔にはなりませんし、これ以上の幸せは望みようはありませんからな」


 ホーリーは二人の周りに集ったうら若い女子達を冷ややかに一べつすると言った。


「そう。それにしても若い娘と仲が良いこと!」


「もてもてで困っておりましてのう」


 即座に弾んだ声で老人が応え、ホーリーがすぐさま皮肉たっぷりに返した。


「さてそれは本当かしら。周りが困った顔をしてるみたいだけど」


「いやそんなことはない。みんな、わしにぞっこんじゃ」


 老人は王様風な口調を真似てそう言い返すと、おおらかに笑いながら取り巻きの少女達にわざと色目を使って言った。


「なあ、みんな、そうじゃろう!」


 その途端に、容姿から同世代ぐらいに見えた少女達から、一斉にどっと無邪気な笑いが起きた。


「いや間違った。みんな、わしの孫娘みたいなもんじゃった」


 直ぐに修正していた老人だったが、彼女達は笑い終わると、「じゃあまた」「じゃあまたね」と次々に素っ気なく告げて、続いてホーリーとイクの二人に向かって、可愛らしい笑顔を振りまいてから、カウンターの奥へ物凄くうれしそうな様子で連れ立って消えていった。

 しかる後、少女達が立ち去った余韻がまだ冷めやらぬ内に、切り替え早く老人がホーリー、イクの二人に口を切った。


「どうぞ良かったらお座り下さい」


「では、そうさせていただきますわ」


 素直に受け入れて二人が揃って老人と若者の相向かいの席に腰掛けると、今度は改まった口調で説明した。


「実はあの中に見知っている娘が一人いましてな。さる支部でその娘が働いていた時に知り合いまして。本部がこちらへ移る際に人手不足で各支部に応援を求めたときに、応援員の一人と一緒に来たそうなのです」


「それで、あそこまで仲睦まじく……」


「ああ。あんな風にしていたのは、こちらでは相談する相手がないとかで、わしが話し相手になって相談にのっておったところでしてな。

 あ、それはそうと、昼は食べましたかな?」


「いいえ、まだですわ。これから食べに部屋へ戻ろうかと思っていましてね」


「ほーう。部屋で食事と?」


「はい、まあ」


「何でしたら一層のこと、こちらで食べられては? わし等は一足先にいただきましたが中々のものでした」


「そうでしたか。でも、そういわれましてもね……もしものことがあっても困りますものね。体の不調が原因で力が出せずに終わったなら悔いが残るでしょ。そういうわけでこちらでの食事はご遠慮させていただくということで」


「それは用心深いことですな」


「ええ。それに待っていると、お迎えが来る手はずになっておりましてね」


 そう応えて体よく断ったホーリーに、尚も老人が言い添えた。


「大丈夫、それは心配いりません。わしらもこちらで待っていますと自動的にお迎えがやって来る仕組みになっておりましてな。どうせ行き先が一緒な状況から考えて同一のお迎えがやって来ると予想されますし。例え違っていたとしても、車を使って向かう筈じゃから二人追加するぐらいは何とでもなりますからのう」


「なるほどね。時間までひきこもるのも良いけれど……」


「あのう」そこへ、それまで二人の会話を呆然と聞いていたイクが、気を利かして隣から遠慮がちに口を挟んだ。


「よろしければ、あたし、今から行って取ってきますが。直ぐですから」


 そんなイクの提案にホーリーは大きな息を吐いて思考を巡らせた。「そうねえ……でもねえ……」


 そこへ更に老人がたたみかけた。


「ご遠慮なさらずに。こちらへは何を持ち込もうと構わないそうですから。それにお互いに共闘するという意味で、前もって意思疎通を図っておいた方が良いと思いましてのう。向こうへ行けばゆっくりできんとも限らぬからの」


「それは確かにそうだけど……」少しの間、ホーリーは考えてからイクに問い掛けた。


「ねえ、頼めるかしら?」


「はい、任してください」イクは元気な声で応えた。


「じゃあ、ピザの方を四枚お願いね」ホーリーは照れくさそうに笑うと言った。


「はい」


 イクはにっこり笑って返事を返すと急いで席を立ち部屋を出た。

 朝食べたピザを二倍の量、ホーリーが頼んだことに、余程美味しかったのかな、するとあたしの味覚は間違っていなかったんだと思っていた。


 イクが立ち去った後、ホーリーは老人の方に顔を向けると言った。


「ところで話って?」


 すると老人は、「それにしても……」そう言いかけてメガネを掛けたホーリーの顔をじっと覗き込んだ。


「私の顔に何か付いてまして?」


 老人の奇妙な行動に、怪訝な表情で返したホーリーに老人は首を振ると言った。


「いいえ、そうじゃありません。若いのにしっかりしておられると思いましてのう。

 わしは、死ぬのは運命だと思って割り切っている方だが、もうあと数時間後には決着がついて死んでいるのかも知れぬのに、どこからそれが来るのか知らんが、その落ち着きようときたら、あんたも中々のようですのう」


「あら、そうかしら。この仕事をしていると自然とそうなるものではないでしょうか」


「ま、そうかもしれませんな」


「ああ、そうそう。実はですな……」


 そのようなやり取りから端を発して、二人は改めて簡単な自己紹介から、酒やギャンブルや旅行や食べ歩きと言った趣味があるかどうか、単独行動を好む方か、チームワークが苦手な方か、相手が誰であってもちゅうちょなく殺れる方か、得意とする戦術は何か、或いは苦手の展開はどのような場面なのか、これまでに同じような経験をしたことがあるかどうかとかいった情報交換を始めた。


 一方、あれから二、三分ほどして何の問題もなく部屋に舞い戻ったイクは、冷蔵庫から冷凍ピザを四枚と半分ほど残ったミネラルウオーターのペットボトルを手に持つと、取り合えずホーリーが待つラウンジへ戻った。

 しかし、考えがあってホーリーの元へは直接向かわずに、カウンター奥の空間へと向かった。

 イクがにらんだ通り、少女たちが入って行ったカウンターの奥の空間は厨房になっていて、やや細長い形状をした室内には、電磁調理器やフライヤーやグリルや鉄板や大型冷蔵庫が壁に沿うように所狭しと並び、その中央に調理台やシンクや食器棚が置かれていた。

 そこではプリーツが施された白い帽子を頭に被るコック姿の男達が、深鍋で煮込んだ料理の味見をしていたり、食材が入る巨大なフライパンを振るっていたりと、忙しそうに仕込み作業をしていた。

 あの少女達はと見ると、彼女たちも一生懸命働いていた。

 焼き上がったパンを手袋をつけた手で盛りかごに移していたり、野菜サラダやポテトサラダをボールやバットに盛り付けていたり、シンクに放置された鍋やフライパンの洗い物をしていたり、食器洗い乾燥機からコップや皿をトレイに取り出して調理台に並べていたりしていた。

 そのような中、一人だけ手が空いているように見えた少女の背後からイクはさっそく声を掛けた。


「あのう、すみません。レンジをお借りしたいんですけれど」


 すると声を掛けられた少女は直ぐにイクの方に振り返ると、イクの顔を見て「はい、何でしょう?」と気安く応じた。片側の耳に大きなイアリングをした例の子で。そう言われてイクはもう一度繰り返した。


「レンジをお借りしたいんですが」


 途端に少女は、イクが手に持っていた冷凍ピザをチラッと見て不思議そうに問い掛けてきた。


「それを温めるのですか?」


「はい」


「それならレンジよりコンベクションを使うと直ぐです」


「じゃあお願いできますか」


 コンベクションて何なのと思ったが、イクは難しいことは何も分からなかったので適当に少女に合わせていた。


「はい。それじゃあ……」


 少女はイクから凍ったピザを受け取ると、調理台の上で専用の特大プレートにそれらを並べてからパン焼き機のような大きな機械の方に持っていき、手慣れた様子で機械の蓋を開けて、明るいオレンジ色をした内部へプレートごと放り込み蓋を閉じた。

 そしてイクに向かって言った。


「すぐに焼き上がりますから」


 彼女の言った通りだった。それから待つこと三十秒もかからなかった。少女は一部ガラス製の蓋を通して中を覗き込んでいたかと思うと、素早く蓋を開けて厚めのグローブをした手でプレートを取り出していた。

 温まったピザは程よく焼き色がつき、見た目はチラシやテレビの映像で見るピザとほとんどそん色はなかった。

 更に少女は、温まったピザを親切にも専用のナイフを使って六等分にカットしてくれていた。


「ありがとうございます。本当に助かりました」


 イクは少女に向かって丁重に礼を言うと、別皿に載ったピザを持って一目散にホーリーが待っている席へ向かった。

 戻ってみると、例のテーブル席において、ホーリーは老人と和やかに話に興じていた。

 イクはテーブル席の直前まで行って立ち止まると、ホーリーに向かって「ちょっと温めて貰ってきました」と伝えてからホーリーの手前と空いた自分のテーブル上へ、温まったピザが二枚載った皿を置いた。


「ありがとう」待っていた食事が来たことに、ホーリーは一旦話をやめてイクに簡単な礼を言うと、ピザを覗き込み満足そうに微笑んで言い添えた。


「あなたもお座りなさい。一緒に食べましょう」


「はい」


 言われてイクが席に座ると、次にホーリーは、「すみません。そういうわけで、また後でお話しましょう」と老人に向かって丁寧に断りを入れた。それからピザの一枚をしなやかな白い指で上品に手に取ると、やや内側に丸めるようにして尖った部分から食べ始めた。その後へイクも倣って続いた。

 焦げ目の苦みがアクセントとなっていて、朝食べたものとはまた違った美味しさだった。


 そのような具合でホーリーとイクの二人が昼食を食べ始めた頃、何を思ったのか老人の隣にいた若者が動いた。急に音も立てずにすっと立ち上がるとどこかへ向かった。

 その後しばらくして若者は戻って来たが、そのとき彼の両手には茶色の液体が入る紙コップがあった。

 気を利かして部屋の入口付近に置かれた無料自販機のところまで行って来たのだった。

 若者はその一つを老人の手前のテーブルに、残りを自分の席の前に並べると、再び席に着いていた。

 それから二人は紙コップに入ったコーヒーをちびりちびりと飲みながら、ホーリー達の食事が終了するのを静かに傍観していた。


 そのようにして十五分も経った頃、二人の食事は終盤に差し掛かっていた。イクはちょうど食べ終わったところで、部屋から持ってきたペットボトルのミネラルウオーターを紙コップに移して飲んでいた。

 一方ホーリーは、あとピザの二切れを残して既にお腹が一杯なのか、食べ終わったイクを見て、


「ねえ、食べる?」


 と訊いていた。イクは皿の上に残ったピザを見て、食べられぬこともなかったので、二つ返事で、


「それじゃあ、いただきます」と言って即座にピザの皿を引き取った。それをホーリーが見て満足そうに頷くと、口直しにイクが紙コップに入れたミネラルウオーターを何度かに分けて飲み、思い出したように老人を和やかな表情で見て尋ねていた。


「あ、そうそう。ところで、あなた達が命を懸けてそこまでやる動機を聞いていなかったわねぇ。それについて、いくら何でも、ただ何となくということはあり得ないことだし。

 やはり私達のように成り行き的な事情があってだとか、何かしらの借りがあってだとか、何かしらの取引をするためだとか、そういったことから始まっているのかしら」


 すると老人は、余り考えることもなく気楽に応えて来た。


「ま、表向きは、きざな言い方かも知れませんが、友情のため志願したと言っております。でも本当は最前のあの娘達がひどい目に遭わぬようにと思いましてのう」


「えっ、何ですって。たったそれだけの理由で」ホーリーは即座に老人へ冷ややかな視線を向けると、わざと皮肉るように言った。


「このようなところでご冗談を言われては困りますわ」


「冗談などではありません。わしの本心ですわ」にっこり笑ってそう答えた老人の目は笑っていなかった。


「何かおかしいですかな?」


 老人のその言葉にホーリーは正直に応えた。


「はい、もちろんですわ。何の見返りもなく人助けをするだけでも信じられないのに、特定の者を守るためだなんてもっと信じられませんもの」


「そうですか」


 ホーリーの言葉に老人は深いため息を一つ付くと、五インチほどまで伸びた白いあごひげに軽く触れながら物静かに続けた。


「実はですな、あの子達はみんな、不幸な境遇の子達でしてのう。身寄りがないか、親に虐待を受けていたか、親がジャンキーか犯罪者でどこにも行き場がなかったか、或いは身体に障がいがあるかのいずれかで、おまけに能力を全く持たずときている子達なのです。いわゆる、能力者として失格の烙印を押された子達でしてのう。

 因みにそうですな。無邪気にひと際笑顔を振りまいていた娘がいたでしょう。あの娘などは能力を持たずに生まれて来たばかりに長い間両親から虐待を受けていた娘でしてな。そのストレスからでしょうか顔を除く全ての箇所に自傷行為の跡が残っています。

 また、あの娘は両親の愛情に飢えた結果でしょうか、今もスムーズに会話ができないという発達障害の気があります。

 手を叩いて大笑いして、ひと際モーションが大きい娘がいたでしょう。あの娘は早く両親を亡くし身寄りがなくて施設に引き取られ、そこから逃げ出したところに悪い奴に引っかかって奴隷として売られそうになったんだそうです。そこを何とか逃げ出してきたとかで。その証拠だと、本来二つあるべき目玉や肺や腎臓が販売目的で採られて一つずつしか残っていないと言ってましたな。長い間孤独でいた為か、さみしがり屋さんで、人の気を引きたいと無意識に思ってああしているらしいのです。

 片方の耳にイアリングをした娘がいたでしょう。あのイアリングはオシャレのためにしているのではありません。あれは魔法アイテムでしてな。あの娘はかわいそうに生まれながらに両耳が聞こえないので、イアリングタイプの魔法アイテムで言葉を理解しているのです。能力を継承するために親子、兄妹といった近い血族間での結婚を続けた結果、起こった弊害です。

 なぜそんなことを知っているかと言いますと、あの子等が将来の身の振り方について、わしに相談を持ちかけてきたからですわ。

 あの子等が言うには、ここの団体は、人情に厚いというか慈悲深いというか、中々気の利いたことをしてくれている。本来なら行き場がなくて路頭に迷い野垂れ死にしてもおかしくない自分たちに働き口を与えてくれて世間並みの暮らしができるようにしてくれていると言うのですわ。

 でも今の生活がずっと続く保証がない。それに備えて何でもいいから外からの知識が欲しいと言ってましてね。わしらのような外から来た他国人を見ると、何でもかんでも質問攻めですわ。

 そんな子等を見ていると、人の性というか、なぜかは分からぬが一度ぐらいは助けても良いのではないかと思いましてな。一肌脱ぐことにしたのですわ。

 とはいえ、わしはどちらかと言うと、ええ格好するのは性に合わぬたちでのう。わしが助けるのはあくまでわしが助けてあげたいと思った者達に限ります。知らない者まで助ける義理はありませんからのう。

 それがこれまで生きてきた人生の中でわしが学んだ人生訓と言いますかな、わし自身の人生哲学でしてな」


「そうですか、なるほどね。その考えには私も同調しますわ。不特定多数の者達をへたに助けて、礼を言わないばかりか、返って助ける方が悪いと逆に恨まれたら本末転倒ですものね。そんな義理を欠いた者を助けるのは全く無駄なことです。ろくなことにならない。助けるのは信頼がおける者と利用価値がある者に留めておくのが賢明です」


「中々、筋の通ったことをおっしゃる方のようですのう。若く見えるのにそこまでの考えをお持ちとは。わしに劣らず、人生の表裏を分かっておられるようですのう」


「いいえ、それほどでもありませんわ」


「ところで話が変わりますが、ここの(団体の)人間は、わし等のような波乱万丈の生き方より波風経たぬ平凡な人生を送りたいと願っておる者達ばかりみたいでしてのう。そんな者達を見ていると、全く馬鹿げたことと思われるかもしれませんが、おせっかいを焼きたくなるのですわ。

 隣は分かりませんが、わしの場合は、この年になると、野心はもはや無くなって、金や忠義や責任感や身内の幸せのために命を懸けるのは馬鹿馬鹿しく思うようになりましてな」


 はっきり言って老人の言いたかったことは、自分の身の回りの者達だけを守るといっているようなものだった。

 だがしかし、ホーリーは意に介さなかった。凛として応えた。


「あなたの言うことは私には否定も肯定もできません。どうせこの世に一つしかない命だもの。それを懸けてやるものですし。私がとやかく言うことはできませんわ。返って、他人に流される方を選ぶよりも、自分の信じる方を自分で選んで突き進む方が悔いが残らなくって良いんじゃないかしら」


「そう言っていただけると、わしも間違っていなかったと大義が立ちます。あんたとは不思議と気が合いそうじゃ」


 そのようなやり取りを二人がしている間、老人の隣では若者が、何もない宙にじっと半開きの目を落とし、静かに話に聞き入っていた。

 一方イクも大人しい点では若者とそう変わらなかった。テーブルの端の一点をぼんやり眺めては、もうこれ以上何もすることがないわ、早く終わらないかなと呑気に思っていた。

 そんなときだった。「あのう、おられますか。お迎えに上がりました」砕けた物言いで男の声が入口付近から響いた。


「あれっ?」


 どこかで聞いたようなその声にイクはきょとんとして、すぐさま座ったまま振り返ると、短髪ひげ面の若い男が愛想笑いを浮かべて立っていた。

 着ていた服は濃紺の作業服からグレー系のジャケットに白いニットシャツ、カーキ色のスラックス、革靴と少しラフな感じの服装に変わっていたが、平均的な身長と、目鼻立ちがはっきりした濃い顔、言うなれば悪党面をしていた特徴から、昨日、車で送ってくれた人物だった。

 男はイクと目が合うと、遠慮がちににやっと笑い、


「お二人さんもここにいらっしたとは手間が省けました。ちょうどお迎えに上がろうと思っていたところです」


 そう言いながら近付いて来た男に、同じく振り返っていたホーリーから皮肉な声がボソッと飛んだ。


「ふーん、あなたがねえ……」


「あ、はい。この案件は、どこにも絶対に漏れないようにしなければならないとの本部長のお考えで、この私が再び任されることになりまして」


「ああ、そういうこと」


「はい」


 程なく男はテーブル席の手前まで来て立ち止まると、これから起こることを予見しているのか、若干落ち着きのない様子で、ちらりと腕時計に目を落として時間を確認。それから四人に向かって礼儀正しい口調で言った。


「そろそろ参りましょうか?」

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