第82話

 そのとき会議は、進行役であった初老の男の手腕が優れていたのか、それともかけ引きに長けたホーリーの存在が場を引き締めるのに役立ったのか、それは分からなかったが、ともかくも円滑に進行して二時間足らずで議論が煮詰まり、初老の男の判断で終会となっていた。

 初老の男はほっとした様子でテーブル上に置いていた携帯と手帳をしまうと席から立ち、それに全員が続いたのを見届けるや否や、


「決行は明日です。我々が偽造した情報が業者の方に届いて店頭に並ぶのが午後の一時頃として、午後の二時から七時迄の五時間が勝負の分かれ目と考えておいて下さい」


 はっきりした物言いで会議で決まったことを念を押すように伝えて、腕時計で時間を見た。それから「その間、ゆっくりくつろいでもらうために各自部屋を用意してあります。付いて来て下さい」と付け加えると、急ぐのか脇目も振らずに先に歩いて行った。その直ぐ後へ五名の男女が、少し遅れて老人と若者が追従し、ホーリーとぱんぱんに膨れたボストンバッグを手に持ったイクは最後尾で続いた。

 男が用意したという部屋は、通路を出て五歩も行かぬうちに、すぐ目の前に現れた。何のことはない会議を行った部屋のすぐ隣と通路を挟んだ向かい側の部屋がそうだった。

 淡いクリーム色をして周辺と上手く溶け込んでいたスチール製のドアの前に男は立つと、気を遣うようにドアを自ら開けて五人の男女のひとりひとりに部屋を順番にあてがっていった。

 そのとき必ず、「明日、よろしく頼むよ。朝七時に先ほどの部屋に集合してくれるかな」と伝えていた。

 次いで、順番から老人と若者の番になると、二人を一つの部屋に案内した。そして老人に向かって、いかにもすまなそうに、


「すまない、苦労を掛けて。頼むよ。明日の昼ぐらいまではゆっくりして良いから。時間がきたら係の者が来ると思う。付いていけば場所まで連れて行ってくれる筈だ」


 そう切り出して、老人とにこやかな笑顔で別れ、最後にホーリーとイクをその隣の部屋へと案内した。

 ドアには、他の部屋と同様に部屋番号らしき三桁の記号が、それも目立たないように金色でプリントされてあった。

 ドアの前に立った男は、「ああ、そうそう」と思い出したように呟くと、スーツのポケットからストラップ付のカードを二人分取り出してホーリーとイクに手渡して、


「この建物内を自由に行き来することができる許可証です。建物内の道案内機能も付いています、中で迷われても困りますのでね」


 そう話すと、その場で簡単に使い方を説明した。それから腕時計で時間を確認して、こう付け加えた。


「工場見学をご希望でしたね。明日の八時に係の者を向かわせますので、それまでに準備の方をよろしくお願いします。

 御食事の方は、ここの階と下の階にラウンジが三つと従業員ダイニングが二つありますので、そこのどれかで自由におとり下さい。二十四時間営業しておりますからいつでも利用可能です。なお清算は今お渡ししたカードを見せて貰えばオーケーです。無料となります。

 下の階に行くには、この先の突き当りの角を曲がった辺りにエレベーターがあります。それをご利用下さい」


「ありがとう」ホーリーは礼を言うと尋ねていた。「食べ物やアルコールの持ち込みはダメかしら? 私達、どちらかというとファストフードの方が良くって。お酒も銘柄にこだわりがあるのだけど」


「それは別に構いません。しかしアルコールは従業員ダイニングには持ち込み禁止ですので、ラウンジの方でお願いします」


「分かったわ。あ、それと私達に門限はあるわけ?」


「一応それはご本人の自覚に任せておきます。ただし私からの提言ですが、外へは絶対に出られませんようにお願いします。防犯装置が反応して大変なことになるとも限りませんので。あと深酒はされませんようにお願いします。他には暴れるのも厳禁です」


「もちろんよ、それは分かってるわ。私にもそれくらいの分別はあってよ」


「他にございませんか? 何でもおっしゃって下さい」


「そうねえ……」


 そんな風に、部屋の前の通路で二人が立ち話に興じている間に、イクは開け放たれていたドアから、一足先に照明が付いた部屋の中に足を踏み入れていた、

 細長い間取りをしていた室内は、一見すると一般のビジネスホテルのツインルームと何ら変わらぬくらいの広さがありそうで、ベッドやソファやテーブルやイスやテレビや冷蔵庫といった調度品も一通り揃っているみたいだった。

 また、天井も壁もフロアも全てがコンクリート打ち放しで殺風景な感じがしていた先の会議室の部屋と違い、室内の壁は淡いモスグリーン色の壁紙で統一されていて、フロアも柄物のカーペットが敷かれていたりと、比較的落ち着いて過ごせるようにと考えられているみたいだった。

 だが何よりも早くこの荷物をどうにかしなくちゃあねとイクは大きなボストンバッグを持って突き当りの壁の方に見えた小型冷蔵庫の方へ向かった。

 そうして冷蔵庫の前までいくと、バッグを下ろして、電源が入っていなかった冷蔵庫のスイッチを入れ、先のファストフードのお店とドラッグストアで購入した、カチカチに凍った冷凍のハンバーガーとSサイズの冷凍ピザ各一ダースと冷凍ポテトの袋と、あとミネラルウオーターが入った二リットルのペットボトル四本とブランデーのボトル一本とチョコレートスナックの大袋を冷蔵庫に収納した。

 それが終わると、ホーリーから教わった通りに部屋の中に何があるのかを確認しながら、怪しいものがないかどうかチェックした。

 部屋の入り口付近に二人掛けのミニソファが小型のテーブルを挟んで二脚置かれていた。見た感じ、ソファもテーブルもごくありふれたもので、触っても叩いても不審な点は見つからなかった。

 その隣にあったベッドはシングルで横並びに二台置かれていた。そしてベッドの上には、バスタオルとバスローブのセットとアメニティグッズ一式がひとまとめにして置かれていた。イクはバスタオルとバスローブの生地に何か変なものが縫い付けられてないか調べた。が、タオルもローブも手触りは何の変哲もない綿の生地で、おかしいところは見つからなかった。またアメニティグッズ各種にも余計なものは混ざっていなかった。続いてソファのマットの下やベッドの下をのぞき込んでも見たが、前もって掃除がされていたらしく、ゴミもホコリすらも見つけることができなかった。

 ベッドの反対側の壁際にはイスと事務デスクのセットとダストボックスとスタンドライトと、ベッドと同じくらいの高さのキャビネットが横並びに配置してあり。キャビネットの上には薄型テレビと置時計が載っていた。一応、事務デスクの引き出しとダストボックスの中も調査したがいずれも空っぽで、スタンドライトやテレビや置時計やコンセント周りには盗聴器のような怪しいものは見られなかった。

 検証の途中、外の通路の方で、


「嘘でしょう。それはまるでサギじゃない。私達をだましたのね!」などと言って声を荒げるホーリーと、続いて「まあま」と穏やかになだめる初老の男の声が響いた。

 それを否応なく耳にして、イクはちょっと首をかしげた。それまで和やかに話していたのに何かあったのかなと思った。だがすぐに、明日のことについて打ち合わせをして、ちょっとしたことでもめたみたい。何があったか知らないけれど、まあいずれ分かることだからと知らん顔を決め込むと、作業を続行した。


 そのときイクは知る由もなかったが、ホーリーが語気を荒げたのも無理からぬことと言えた。話のついでに、本来の目的であったデイライトゴーストについて彼女が初老の男に尋ねたところ、調べていた者達とも支部が襲撃されてデイライトゴーストに関して調査した資料が全部失われてしまったと、どうしようもないお粗末な説明を男がしていたのだから。


 一番奥の突き当りの壁側にはイクがボストンバッグの中身を収納した冷蔵庫とドレッサーがあり、その隣にスチール製のドアが見えた。イクは、冷蔵庫は異常なかったとしてそのままにして、その隣のドレッサーを調べた。やはりというか、引き出しの中は思った通り空っぽで、鏡もマジックミラーのような特殊なものでなかった。ごく普通のものだった。ドレッサー近くの壁に掛かっていたドライヤーもホテルで見たものとそう変わりがなかった。

 次にドアの向こう側を調査しようと、鍵がかかっていなかったドアを開けて中に入ると、そこは洗面台とシャワールームとトイレがユニットになった小部屋になっていて、四面がタイル張りになっていた。水も温水も普通に出、異常は見つからなかった。換気口も排水溝も異常はなかった。

 それが終了すると、休むこともなしに最初の部屋に戻り、天井と壁とフロアを調べて回った。換気口は天井と壁側に一ヶ所ずつ設置されてあった。外部からマニュアル運転しているのか、部屋に温度センサーがあって自動運転しているのか分からなかったが天井部分に設置されたエアコンの送風口から温風が出ていた。壁もフロアもその全ての下地がコンクリで頑丈にできていた。


 そこまでくると、ようやく心から安堵したイクは、ほっと一息付くと、すっかり忘れていた心配事や不安感が自然と頭をもたげていた。この先どうなるんだろう、あたし?

 会議の内容は全てちんぷんかんぷんで、幾ら記憶力が素晴らしいと言っても、さっぱり頭に入っていなかった。

 しかも、これまでの様子から考えて、もはや引き返せないところまで来ているのは確かで。そこへ加えて、ホーリーの仕事が尋常ではないことは分かっていたものの、それ以上のことは今一つ分からなかった。

 しかしそのような心配も不安も、大丈夫、余計な心配しなくたって全部ホーリーさんが上手くやってくれるわとの結論にたどり着くと、今度は父親やジスやレソーのことが気になっていた。

 二人とも(ジスもレソーも)元気にやってるかな? フロイスさんは厳しいから、今頃は二人とも音を上げているかも知れないわね。

 次に父さん、エリシオーネさんと上手くやっているかな?

 父さんは元々仕事人間だから、暇になるといつだってどうしていいか分からなくなるのよね。それに、何かと融通が利かないところもあったりして。エリシオーネさんに迷惑かけていなければ良いんだけれど。

 今頃は二人揃ってテレビでも見ているのかな?

 今のところはお金の心配はないから何とでもなると思うけれど、柄にもなく見栄を張って高級なお店やチケットの高いスポーツ観戦に一緒に出掛けて恥かいていないと良いんだけれどね。


 ふと気が付くと、考え事をするように片頬に手を当てたホーリーが、いつの間にか入口付近のソファの一つに足を組んで腰掛けていた。

 さっそくイクは気を利かせてホーリーの傍まで進み出ると、元気な声で報告した。


「確認終わりました。異常はないようです」


「ああ、そう」沈んだ声がホーリーから返ってきた。「ご苦労様」


 見た感じ、何となく物憂げな様子のホーリーに、これは通路でひと悶着あったのかなと勘を働かせたイクだったが、そのことはおくびにも出さずに尋ねた。


「あのう、次は何をすれば?」


「そうね……」ホーリーはそう言いながら、切れ長の目の端で室内を一べつすると応えた。


「少し早いようだけど明日のこともあるから、夕食の支度にかかって貰おうかしら」


「はい」イクは小さく頷くと訊いた「ところで今晩のメニューはどうしましょう?」


「そうね、ハンバーガー一つずつと、あとポテトが一人片手ぐらいで良いんじゃない。あ、それと食後酒とそのつまみのチョコレートキャンデイも忘れずにね」


「あ、はい、了解しました」


 すぐさまイクは踵を返して冷蔵庫に向かうと、先ず冷凍のハンバーガーの大袋を取り出して袋を開けた。すると十二個がそれぞれ二個ずつ真空パックされてあった。イクは無造作にその一つを取り出し、冷凍のポテトの袋とともにテーブルへ置いて戻ると、次いでペットボトルとブランデーのボトルを運び、最後に紙の皿と紙コップとチョコレートの大袋をテーブル上へ並べてと、自身の役割を黙々とこなしていった。

 それが済むと、紙の皿を二枚用意して、その上へ冷凍のポテトを袋から適当に取り出し、残りを冷蔵庫へ戻しに行き、それからペットボトルの水をこれも用意した二個の紙コップへと注いだ。そのついでにチョコレートスナックの袋を開けた。

 その工程が五分ぐらいで終わると、二個が一つにパックされた冷凍のハンバーガーと皿に盛りつけた冷凍ポテトをホーリーの真正面に置いて、彼女に調理を委ねるように、遠慮がち気味に呼び掛けた。


「あのうホーリーさん、準備ができました」


 そして自身は、どのようにして温めるのか見るためにホーリーの様子に注目した。

 あれは立ち寄ったファストフード店とドラッグストアが同居する店舗で冷凍のハンバーガーと冷凍ピザと冷凍ポテトをホーリーが購入したときだった。

 たまたまイクは、「これって向こうで温めるんですよね?」と訊いていた。

 するとホーリーは笑って答えた。「ええそうよ」

 そこでイクは尚も訊いていた。


「ところで、オーブンレンジはそんなに都合よくあるものなのですか?」


 そんなイクの生真面目な問い掛けに、そのときホーリーは目を細めて苦笑すると、


「面白いことをいう子ね。一体私を誰だと思っているわけ。私はこう見えても魔術師なのよ。魔術師が魔術で冷凍食品ぐらい調理できなくってどうするのよ。魔術をちょこっと応用すれば簡単にできることよ」と応えて、更に、


「イクさん。あなたは何でもかんでも魔物に頼ってばかりじゃどうかと思うわ。自身の身を守る術ぐらいは身に着けても減るものじゃないしね」と付け加えると、話が飛躍。


「何なら私が魔術を教えてあげても良くてよ。あなたが身に着けている能力からみて魔術にも十分適応力があるように思えるしね。だけどその前に自分自身の目で見て学ぶことから始めないとね。それから自分に何ができるか考えても遅くないはずよ」と、ホーリーが体験の重要性を説いていたのだった。


 そのことはさておき、イクの声に、テーブルに広げられた品を薄目を開けて確認したホーリーは、ゆっくり体を起こしてやや前かがみになると、仕度に取り掛かった。

 先ず、二個が一つに真空パックされた冷凍のハンバーガーを長くてしなやかな両方の指の先で軽くつまむように持つと、眉一つ動かすことなく両方の手のひらに魔力を込めた。 

 すると、少し勝手が違ったのか、思いのほか魔術の効果が大き過ぎたらしく、冷凍のハンバーガー自体は無事だったが、それにピタッと張り付いていたラップフィルムがあっという間に風船のように膨らんで破裂していた。

 しかしながらホーリーは何事もなかったかのようにハンバーガーから残ったラップフィルムを取り去ると、用意された二つ皿の上に温めたハンバーグをそれぞれ並べ、次いで冷凍のポテトの皿の方に視線を移すと、それぞれの皿に片手をかざした。

 次の瞬間、不思議なことに、紙の皿の上に盛られた冷凍ポテトから何とも言えない良い香りが上がるとともに、見る間にポテトのみずみずしさが無くなって干からびていた。

 そのとき目を凝らしてそれらを眺めていたイクは心の中で唸った。凄い、こんなこともできるんだ!

 何が起きているのかは、はっきり言って分かっていなかったが、それらの状況から見て、おそらく電子レンジみたいに温めているのだろうと推測していた。

 ホーリーは仕度を終えると詫びれる様子もなく、


「さあ食べましょうか」


 そう言うと、イクがかたずを呑んで見守る中、ぱさぱさに乾燥してしまっていた自分の分のハンバーグを先に手に取り、一口一口味をかみしめるように食べ始めた。

 空気を読んでイクもしおらしく、それに倣うと、ハンバーガーにかぶりついた。想像した通り、ワンズも肉のパテもチーズも乾燥しきってパサパサ感が半端でなかった。ポテトも同様で、水分が完全に吹き飛び、ハードビスケットと変わらないくらいに硬くなっていた。どう見ても、美味しいということはなさそうだった。が、食べられなくはなさそうだったので、にっこり笑って、味がほとんどしなかったハンバーガーとポテトをかじるようにして食べながら、


「あたしの家では、ほとんど料理は父さんがやってくれるんで問題がないのですが。たまにあたしがピンチヒッターで温めるとこんなのいつものことです」


 そう話した。

 どことなく息苦しい雰囲気を何とか和らげようと、当たり障りのないように軽く言ったつもりだった。

 だが言ってしまった後で、差し出がましく相手の気持ちを逆なですることをついうっかり口走ってしまったのかも知れないと思い返すと、軽率だったと思わず後悔して、何か言ってこないかと心の中でビクビクした。

 だがしかし、ホーリーはイクの話をまるで聞いていなかったようで、気にする素振りもなく黙って食べ続けていた。

 ホーリーが何も言ってこなかったことに、イクはほっと胸を撫で下ろすと思った。

 ほんと、何もなくって良かった。危ない、危ない。ここでホーリーさんの機嫌を損ねたら、もう目も当てられないわ。ホーリーさんたら、一旦機嫌が悪くなると、こっちを無視して一言も口をきいてくれなくなるんだもの。

 だがそれにしてもこれは食べにくいわ。

 イクは水の助けがないとどうしてもハンバーガーもポテトも上手く呑み込めず。何度も紙コップの水に手を伸ばしていた。

 見ればホーリーも同じみたいで、澄ました顔でコップの水を度々飲んでは食べ物を喉に詰まらせないようにしていた。

 約十五分ほどかけて、会話が全くといって無い味気ない食事がひっそりと終了すると、ホーリーは無言でブランデーのボトルを手に取り、ボトルのキャップを軽くひねって開け、イクの空になった紙コップに琥珀色の液体を六割がた注ぎ、自分の方にも同じくらいの量を注いで、


「さあ一杯行きましょう」


 一瞬心臓が縮み上がりそうな冷たい眼差しと口振りで、そう一言言って自分勝手に飲み始めた。

 そのときイクは素直に飲むべきか一瞬戸惑った。が、雰囲気からしてどうしても付き合わないわけにはいかず。ゆっくり紙コップに手を伸ばして口を付けると、合わせるように一口飲んだ。

 生まれて初めて飲んだブランデーは濃厚なマーマレードの香りが鼻につんときて、ジンジャーエールにコーラを足して甘味を失くしたような不思議な味だった。そしてやはりというか、高濃度アルコール酒独特の飲み難さは半端でなかった。

 しかも飲んだ後にアルコール臭が鼻から抜ける感じがビールやワインと同じで、どうしても変な違和感を覚え、これのどこが美味しいんだろうというのがイクの感想だった。

 そのためイクは、ごく自然に傍にあったミネラルウオーターで可能なだけブランデー原液を薄めた上で、度々チョコレートキャンディに手を伸ばして口直しをしては、口をつけていた。

 そもそも生まれて初めてイクが飲酒の体験をしたのは、忘れもしない例のフロイスの別荘へ研修に行ったときのことだった。その最後の日の打ち上げパーティで、一緒にいたジスとレソー共々ビールとワインを飲んで酔いつぶれて寝ていた。その三人の中で一番最初にぶっ倒れたのが何を隠そうイクだった。イクはたったビール一杯とワイン一杯で力尽きていた。

 従って自身がお酒に強くないことを心得て、そのような対応策を取っていたのだった。にもかかわらず、イクはものの数分で酔いが回って真っ赤な顔になっていた。

 対してホーリーはつまみを食べるのもそこそこにストレートで飲んだ。しかも速いペースでちびりちびりとやっていた。そうして、気が付けばボトルの半分ほどが無くなった頃、当然ながらホーリーも、酔いが回って白い頬が仄かなピンク色に染まっていた。


 その頃になるとイクは無性に眠気に襲われていた。眠くて眠くてしょうがなかった。

 一方ホーリーはというと、それまで物静かだったのが手の平を返したように、なぜかテンションが上がっていた。

「嗚呼、こうでもして飲まなくちゃあ、やりきれないわ」とぶっきらぼうにぼやいたかと思うと、それまでほとんど喋らなかったのが嘘のようのに、


「私達を利用するなんて一万年どころか百万年早いわよ。ほんとうにバカにしているわ」


「あれは意見の相違というものでは明らかに無いわ」


「ほんと私達を誰だと思ってるのかしらねえ。何て言ったって私達はプロなのよ。情で動くと思ったら大きな間違いなのだから。勘違いもはなはだしいわ。偉そうに国の体制をひっくり返したと言わてもねえ。私だったら、その気になれば国を滅ぼすことだってできるわよ」


「これじゃあ、何のためにこの国へ来たのか分からないわ。とんだ時間の浪費だわ。あんな奴に恩を売りたくはないけれど、とはいえ約束は約束だからミッションは果たさなければならないのだけど。この落とし前は、きっと明日付けて上げるわよ。覚えていらっしゃい」


「イクさん、あなたも本気でやるのよ。前の研修訓練のときみたいに、ちょっとでも手を抜いたら許さないわよ」


「ところで、あなたの魔物って、いつになったら目を覚ますの? 一体どうなってるわけ?」


 などと、酔った勢いで愚痴や不満をタガが外れたように零していった。

 そのときイクは、ここで眠ってしまったならきっとやばいことになると分かり切っていたので、眠いのを必死でこらえながら努めて明るく調子を合わせて対応した。ホーリーの話が全然頭に入っていなかったにもかかわらず、聞いている振りをしていた。

 そうしてホーリーから言葉が出尽くしたとき、イクはやっと解放されたと、ほっと安堵の息を漏らしていた。

 だがその頃には、二人とも、ぐでんぐでんに酔っぱらっていた。意識がもうろうとなっていた。

 その状況がどのくらい続いたのか分からなかったが、しばらく経った後に一足先に正気に戻ったホーリーが、目が虚ろとなり、ぼーっとなっていたイクを見てふっと笑うと、


「もうそろそろ寝ましょうか!」


 そう一言声をかけて、笑みを浮かべたままソファから立ち上がり、散々言うだけ言って気分が晴れたのか、どこかすっきりした表情で、奥のベッドの方へゆっくり歩いて行った。その足取りは、酔っているのか分からないくらいしっかりしていた。

 一方イクはイクで、その声に、


「あ、はい」


 少し遅れて何とか返事を返すと、ソファからふらふらと立ち上がり、眠いのをこらえるために小さめの眼を無理に大きく見開いて、ホーリーの後ろへ従った。そのときどういうわけか、背が高くてすらりとした彼女の後ろ姿がゆらりゆらりと揺れて見えていた。


 その後、ホーリーと何を話して何をしたのかはイクには記憶がなかった。

 だが、気が付いたとき、普通に部屋の天井が見えたことから、イクは掛かっていたブランケットをはね除けて跳び起きると、きょろきょろと辺りを見渡した。

 そして、薄ベージュ色のニットセーター姿でベッドにいることが分かると、再び辺りに目をやり、


「あれれ、セキカは? セキカったらどこへ行ったのかしら?」と呟きながら、昨夜確かに羽織っていた、生き物が変身したブラウン色をしたレザーコートがどこへいったのか気になって捜していた。そんなイクの視線に、前方のキャビネット上に載ったテレビの横の置時計の数字が飛び込んできた。午前六時十分を表示していた。

 隣のベッドどころか部屋にはホーリーの姿はなかった。そのような具合で、ぐるりと部屋を見渡して最後に後ろを見たイクは、死角となっていた背後の壁にレザーコートを発見すると、ほっと安堵の吐息を漏らした。

 普通にコートは、背後の壁のフックに掛かったハンガーに吊り下がっていた。

 もしかして、あたしが掛けたのかしら? 掛けたんでしょうね。そうとしか考えられないわ。状況証拠からイクは苦笑いしてそう判断すると、ああそうそう忘れていたわ、どこへ行ったのかしらと、次いでホーリーの行方を捜した。

 そして直に、奥の突き当りのドアの向こう側から水音がしていることに気が付くと、なるほどと頷いていた。

 ホーリーさんたら、今シャワーを浴びているみたいね。ということは、あたしが起きた時間よりそれほど変わらないってことかも? そう勝っ手に決めつけると、それほど寝坊はしていないということね、とイクは口の中でにこやかに呟いた。そして、


「えっと、確かタオルとバスローブがベッドの上にあった筈なんだけれど」


 見えなくなっていた品を捜そうとベッドを出てきょろきょろと辺りを見渡していた。

 すると、直ぐに見つかった。何のことはないベッドの下の隅に固まって落ちていた。どうやら寝ている間にベッドから落っこちたらしかった。

 イクはそれらを拾い集めるとベッドの縁に並べ、自身もベッドの上に腰を下ろすとほっと息をついた。次、あたしも使わせて貰おうっと。正直なところ、トイレに行きたいと思ったが我慢していた。


 それから二、三分ぐらいの間、ホーリーが出てくるのをじっと待っていると、静かにドアが開く音がして、果たしてホーリーが中から出て来た。思った通り、シャワーを浴びていたと見えて、ベージュ色のバスローブ姿で、頭にタオルをターバン状に巻いていた。

 それを見てイクは一先ず安心すると、直ちに声を掛けた。


「おはようございます」

 

 イクがあいさつすると、ホーリーはちょっと立ち止まって、きょとんとした顔でイクの方をちらりと振り返り、昨夜のむすっとした感じと違うにこやかな雰囲気で「あらっ、起きたの。ふーん」と呟くと言ってきた。 


「イクさん。あなたも入ってくると良いわ。すっきりするから」


 想定した言葉が無事返ってきたことにイクはあどけない少女の顔を目一杯ほころばせると、


「はい、そうさせていただきます」


 そう答えて、ぺこりと頭を下げ、バスローブとタオルとアメニティグッズと、あと着替えの下着も忘れずに持ち、何食わぬ顔でドレッサーの前に座って半渇きの髪を付属のドライヤーで乾かし始めたホーリーの背後を通って、慌ててシャワールームへ駆け込んだ。


 それから十五分後、シャワーを浴びてすっきりしたイクが体を粗方拭いてから薄ベージュ色のバスローブに着替えて出てくると、部屋の戸口に置かれたソファセットの一角にホーリーが伏し目がちに腰掛けて待っていた。

 そして、何においても手際の良い彼女らしく、テーブルの上には簡単に食事の仕度がされて載っていた。

 それを見てイクは、これ以上待たせるわけにはいかないと急いでドレッサーの前に立つと、ドライヤーで仄かにリンスの香りがする髪をササッと簡単に乾かし、ホーリーが待つ場所へ小走りで向かった。

 そうして昨夜と全く同じ席へ罰が悪い顔で腰掛けると言った。


「すみません、お待たせしてしまって」


 するとホーリーは、うっすらとイクに笑いかけると、何も言わずに紙の皿の上に既に載っていたSサイズの冷凍ピザに視線を移動。イクが身じろぎもせずにのぞき込む前で、白い手をかざして二枚の皿に載ったそれぞれのピザを同時に温めにかかった。

 それはあっという間の出来事と言って良かった。たちどころに二つのピザからチーズとトマトソースの良い匂いが香ってきたかと思うと、見る間にピザがふっくらと膨らみ食べ頃となっていた。

 さすがホーリーさんね、昨夜の失敗を見事修正しているわ、ようやくまともな食事ができそうとほっとするイクを尻目に、昨夜と違って首尾よくいったのだろう、ホーリーは満足気な笑みを浮かべると、続いて宙に浮かした手の指の間からペティナイフそっくりな小型のナイフを、マジシャンが何もないところからトランプのカードを取り出すような素振りで取り出し、最後の仕上げとばかりに円形のピザに向かって小型のナイフをサッサと振るって器用に六つに切り分け、「さあ召し上がれ」と、内の一皿をイクの前に差し出して勧めた。そしてイクが迷った顔で手を付けないでいると、自身は素知らぬ顔で残った皿に載った一切れを軽くつまみ、先に食べ始めた。

 ホーリーが気を利かして先に食べ始めたことに、イクは許可を得たとばかりに、「それじゃあ、いただきます」と明るい返事をすると、さあ食べようと背をかがめて皿に載ったピザに顔を近づけた。ピザからプーンと食欲をそそる独特の匂いがしていた。

 うーん、美味しそうとイクは思わず低い鼻をひくつかせると、切り分けられた一切れを手でつかんで、口を全開してむしゃぶりついた。

 その様子が不思議と面白かったのか、そのときホーリーからクスクス笑いが漏れた。

 そんなホーリーをよそにイクは黙々と食べ続けた。食べるのに夢中になっていた。

 表面が焦げていなかったので、こおばしさこそなかったが、チーズも良く伸び、全体が非常に柔らかく、店舗で食べるのと何ら変わらない味と言って良く。この分ではもう一枚ぐらいは余計に食べられる感じだった。それくらい美味しかった。

 その後イクは五分もかからずに食べ終わっていた。余りに美味しかったので、物足りない気分だった。

 お向かいはどうだろうと顔を上げると、ホーリーが最後の一枚を皿に残して、手に持った一切れを品良くほおばっていた。――今こそ、ここで名誉挽回しなくちゃね。

 紙コップに入った水を一息に飲んでイクはホーリーの顔色をうかがうと、まだ食べている最中の彼女に向かって、ここぞとばかりに、


「ごちそうさまでした。後片付けは、あたしがしますので……」


 タイミング良く声を掛けた。その申し入れを、ホーリーはピザを食べながら、


「ああ、そう。じゃあ、お願いするわね」格好つけて言ったイクの顔を見ずに聞き届けていた。


 イクは彼女のあっさりしたその声に、嗚呼良かった、話し掛け難いオーラが全開だった昨夜とは別人の、普段と変わらないホーリーさんだわと安堵すると、元気な声で応えた。


「あ、はい」


 そんな風にして小一時間も経った頃。

 もうそろそろ担当者がやって来る頃合いだろうと、二人がやって来たのと全く同じ私服に着替えてから部屋をきれいに片付けてソファ席で待っていると、外の通路側で普通に歩いてくる足音がしたかと思うと、足音はドアの前で立ち止まり、ドアをトントンとノックする音と張りのある女性の声がたちまち響いた。


「おはようございます」

 

 その威勢の良い声に、座ったままホーリーが明快な声で、


「はい、どなた」と応じると、「確か工場見学をご要望だと。入ってもよろしいでしょうか?」と訊いてきた。


「どうぞ。鍵は開いていますわ」


 手にした地味なメガネを掛けてホーリーが伝えると、ドアがゆっくり開いて、失礼しますと言って一人の女性が静かに入ってきた。

 その姿といったら、まさに完全防備といって良いもので。白い化学防護服に全身を包み、頭は同色の作業帽、顔にも白い大きなマスクと、まるで半導体メーカー、医薬品メーカー、食品関連メーカーの工場スタッフかという感じだった。

 顔は大きなマスクで隠されていたので分からなかったが、先ほどの声の質感とやや小太りの体型から中年の婦人かと思われた人物は、部屋に入ってくるそうそう、二人を見て意外と言う風にちょっと首を傾げると、軽い口調で思ったことを口にした。


「お二人ともお若いのですね。普通、見学をご希望される方は、大概の場合、取引先の幹部か同業種の立場のある人達で、年齢層も高いのですが」


「それはどうも」女性の疑問に、ホーリーはにこやかに笑って対応すると応える。


「個人的に興味がありましてね、こういう機会はまたとないと思い希望しましたの。実験レベルでありますが趣味と実益を兼ねてそちらと似たようなことをしておりまして。何かの参考になるかと思い希望しましたの」

 

 理路整然と応えたホーリーに、女性は、「なるほど、そういうことですか。分かりました」と、あっさり了解してそれ以上何も言わずに話題を変えた。


「ところで、見学されてから私共の製品を購入されるとお聞きしましたので一応カタログを持参してきました。吟味して品が決まったなら直ぐに用意させますのでお言い付け下さい」


 そう言って、一インチぐらいの厚みがありそうな冊子を二冊、ホーリーへ手渡した。受け取ったホーリーはイクに向かって、「あとで見るから預かって貰えるかしら」と要請。イクの前に冊子を置き、結局のところ、イクに渡っていた。それを速やかに確認した女性は、


「私の後ろへ付いて来てください。これからご案内いたします」


 良く響く張りのある声でそう伝えると、踵を返して、プリントされた団体のシンボルマークの下に女性の名がはっきり印字された背中を見せながら先に歩いて行った。二人がその後ろへ続くと、当の女性は歩きながら、


「あ、そうそう忘れておりました。私、製造部副部長のマーシャ・キートンと言います。今現在、担当の者は別の要件で忙しく手が離せないということで、急きょ、この私が案内することになりました。よろしくお願いします」そう話して、


「これから工場内をご案内するわけですが、製品ができるまでの工程を順次説明していきたいと思いますので最下層の階から参ります。あ、そうそう、工場内はビデオ、写真の撮影はお断りしておりますので守られるようにお願い致します」などと話を継いだ。


 女性が話した注意すべき点はどこでも話されるお決まりの文言であったため、ホーリーとイクの二人はしおらしく頷いて分かった振りをすると女性の後へ従った。

 

 見る間に中年の女性は通路をそそくさと歩いて行くと、奥の突き当りを右に曲がった。そこにはエレベーターが三基並んで設置されていた。女性は一番端の一つを惑わずに選択。閉まった状態にあった扉が開くと何食わぬ顔で乗り込んだ。そのエレベーターは十人程度が定員の通常のものではなく、室内の広々とした様子から言ってその十倍くらいの輸送力を持っていた。二人ががらんとした中に入ると、扉が自動で閉まり、ものの数秒で下の階に到着していた。

 その道すがら女性は――ここでは六千名を超える男女が働いている。その男女比はほぼ半々で、男女の区別なく、その適性に応じた作業を昼夜を問わずにこなしている。ただ何かの間違いがあってはいけないので、昼の部は女子が夜の部は男子が受け持つように分けている。従って、今働いているのは全員女子と見て差し支えない。

 またその仕事は、人が何をおいても戦力なため、現状はこれ以上減らすことはできない。従って、オートメーション化、ロボット化されて、ほとんど人の姿が見えない現代の職場と違い、どの部署も人、人であふれている。――といった予備知識をホーリーとイクに伝えていた。

 ――凄い。社員数から言ってどう見たって大企業じゃん。根が単純なイクの、それがそのときの感想だった。隣のホーリーは、心ここにあらずと言った、じっと澄ました表情から何を考えているのかうかがい知れなかったが。


 エレベーターから出ると、通路にはどこにも照明が見当たらず、誘導灯の明かりだけがぼんやりと灯っているのみで、正直言って薄暗かった。目を凝らして、その中を少し行くと、通路がエアカーテンによって区切られている地点に出くわした。

 女性の説明によると、外部から有害な菌の持ち込みを防止するためと臭いを除去するための装置ということだった。

 事実、エアカーテンで区切られた内部は、水蒸気そっくりな白い煙がうっすらと周辺に漂っていた。エアカーテンを挟んで、そこを通り過ぎると天井と言わず左右の壁側に開いた無数の小穴からエアーがシャワーのように勢い良く噴出していた。さらにそこも通り過ぎると、今度は青白い光と赤い光のライトが交差するように点灯していた。

 そのような、距離で言っても百フィートあるかないかの特殊な構造をする通路を越えると、女性は直ぐ角口にあった部屋へと二人を案内した。

 その室内は十数人も入れば満杯といった具合いの狭い空間で、壁伝いにスチール製のオフィスロッカーがずらりと並んでいて、中央部の辺りにベンチが二つ置かれていた。

 女性は慣れた様子で部屋には入らずに、その入口付近で立つと、丁寧な口調で「少しの間違いがあってもいけないので、規定で指定の衣服を身に着けていただくことになっています。ロッカーの中にそれが入っています」と言ってきた。

 すんなりと女性の言葉を受け入れた二人が中に進んで、適当にロッカーの扉を開けると、マスクと帽子のセットとポリエステル素材のレインコートそっくりなコートが入っていた。マスクと帽子のセットはフリーサイズで、コートは用意の良いことにスモールサイズからスーパービッグサイズまで一通り揃っていた。二人が素直に従い、それらを身に着け準備を整えると、それをみた女性は、「さあ、参りましょう」と促し、さっさと歩いて行った。

 そこを離れて間もなく、空港などで見られるような金属探知機のゲートを少し大きくしたような装置が通路の中央にでんと置いてあった。そこを通ると霧のようなものが自動的に周囲から噴き出して全身に降りかかった。「中に入る前に、念を入れて消毒をしています」というのが女性の説明だった。

 そこを難なく通り抜けると、直後に大きな扉が現れ。三人が傍に歩み寄ると、たちまち厳重に閉ざされていた扉がスライドして自動で開き、いよいよ中の全貌が明らかとなった。

 何とそこは、まるで闇夜を見ているかのような漆黒の闇だった。天井には明かりが付いておらず、どれほどの高さがあるのか分からなかった。周辺もどこまで奥行きがあるのかさっぱり分からなかった。加えて辺りは、異様なほど静けさに包まれていた。


「なーんにも見えないわ」余りに暗過ぎて何も見えなかったことにイクは思わず本音を漏らした。


 そこへ愛嬌たっぷりの落ち払った声が響いた。「なーに、ご心配いりません。すぐに慣れます」


 イクの素朴なささやききが耳に入った中年女性が直ぐに反応して応えていた。

 なるほど女性の言う通りだった。明るいところから徐々に暗いところにやって来ていたおかげで、ものの十秒もしないうちに目が慣れて視野が広がっていた。

 目の前には、沿道を挟んで片道二車線の道路が横一直線に走っていた。その向こう側には多量の色鮮やかな何かが暗がりの中にくっきりと見えていた。


「ね、見えて来ましたでしょ」中年女性は振り返らずにイクに確認を取ると、色鮮やかな方向を指さし、


「あのブルー、イエロー、レッド、バイオレット、オレンジと派手な色で輝いているものは私共が育てている魔性植物です。できるだけ歩留まりの高い品種を選んだ結果、うちではベリアル系とスプリツス系が主に栽培されています。

 行ってみましょう。間近で見た方が手っ取り早いと思いますので。付いて来て下さい」


 そう言って先に歩いて行った。ホーリーもイクも全く異存がなかった。黙って後へ続いた。

 道路を三人は、行き交う車がないのを目で頼らずに感覚で確認すると、駆け足で渡り、魔性植物を育てているという場所へ向かった。少し歩いてその近くまで来ると、魔性植物と伝えられたものは、車が二台分通れるくらいの小道が格子状に走ることで綺麗に四角く区画化された土地に一品種ずつ植え付けられていた。それらが重なり合ってあのような色鮮やかな輝きとなって見えていたのだった。

 そこでは一般的な平ボディのトラックを始めとしてピックアップトラックや昇降台を持ったトラックやワゴン車が止まり、女性と同じ格好をした何人ものスタッフが、植物の花冠を摘み取る者、電動カッターを使って枝を切断する者、同じく葉を刈り取る者、台車でトラックの荷台に積み込む者、給水タンクが載ったトラックから伸びたホースで植物への水やりを行う者と手分けをして作業を行っていた。

 道すがら女性は自信たっぷりに語った。


「十名前後でチームを組んで行っています。作業と言っても扱う品は違えども農作物の栽培収穫と何ら変わりません」


「知ってのようにさまざまな環境下で魔性植物がこれまでに見つかっておりますが、一般に私共のところが育てております魔性植物は太陽光の当たらない時間が停止しているような静かな場所を好む種ばかりです。ですからこの場所は、このように真っ暗な環境にしておるのです」


 そう言った途端に斜め後ろを歩いていたホーリーから、


「それにしては、灯りがなぜかついているみたいだけれど」と素朴な疑問が出ていた。


「そう、例えば植物の傍らだとか道路上にわずかだけれど灯りが見えるわ」


 観察眼に富んだホーリーの言った通り、魔性植物が植え付けられた側辺りにはポール灯がパラパラと立ち、淡い光を心持ち投げかけていた。また道路の路肩にも埋め込み式の明りが点々と灯っていた。


「ああ、あれですか、あのことですか」ホーリーの指摘に女性は少し考えてからにんまりすると、事もなげに応えた。


「ポール灯はわざと灯しています。本来なら完全な真っ暗闇の環境にすれば最適なのですが、それを実際しますと植物が野生化して手が付けられないくらいに繁殖してしまいますもので、私共のところでは暗さを微妙に調節してある程度植物にストレスを与えることで生育をコントロールしています。他にも作業をやり易くするためでもあります。手元や足元が見えなくては作業ができませんからね。それと道路の路肩の灯りは、単に事故防止のためです。道路を通る車はヘッドライトもスモールライトも点けませんので間違いが起こって道路からはみ出たり、車同士がぶつからないようにするためにああしています。

 植物を育てている場所から離れていますし、あれくらいの程度の灯りの強さなら何の問題もありません」


「ああそう、なるほどね」薄ら笑いがホーリーから漏れた。「生育率が悪くなるのを覚悟でブラックライトを使わなくったって良いのね。良いことを聞かせて貰いましたわ」


 二人のやり取りをイクは難しすぎて何も分からなかった。ちんぷんかんぷんだった。そういうわけでイクは適当に聞き流すと、暇に飽かして歩きながら植物を目のあたりにしては自分なりに植物を評して悦に入っていた。

 ブドウ農園を見たことがあるけれど、あれなんかよく似てるわ。ツルが巻き付いてアーチの棚を作って下にぶどうの房なんかなってるし。

 何て変てこりんな形をしてるの。色も形もツイストド-ナツそっくりなんてね。白いグラニュー糖がかかっているところまでそっくりだわ。

 縞模様にペイントされた石ころか何か知らないものがただ転がっているようにみえるけれど。あれも植物かしら?

 あれはどうみてもヤシの木よ、茎も葉も実もその全てが青空のようなブルーに輝いているけれど、そっくりよ。

 その横は、どの木にも葉っぱが一枚も付いてないけれど。全部枯らしてしまったのかしら、それとも葉っぱだけを刈り取ったとか?


 イクが評した以外にも、何と言って良いか言葉では言い尽くせないような植物。例えば、呼吸しているかのように非常にゆっくりと実が膨れたり縮んだりを繰り返すものや、茎と言わず葉や枝の表面にメロンの網目模様状のものがくっきりと浮き出ているもの、色合いを除くと特別外観が珍しくないものも当然ながら見られた。そこへ加えて、どこからやってきたものやら分からなかったが、少々きつめの香水の香りや昨夜のブランデーみたいなアルコールの匂いなども、歩いているとマスク越しにつんときた。


 中年女性は道路を渡って二百ヤードほど歩いたとき、突然足を止めて二人の方に振り返ると、


「構内は広いもので、このままでは時間がかかり過ぎます。車で行きましょう」


 と言って予定を変更すると、来た道を引き返し始めた。二人もその言葉に従うと続いた。そして半分ほど戻ったときだった。三人の背後からストレッチャーを押す白い作業着姿の二人のスタッフが急ぎ足でやって来ると、三人を追い越していった。

 ストレッチャーには簡易の酸素マスクを付けた一人のスタッフが乗っていた。しかも気を失っているのかぐったりとした状態で身動き一つしていなかった。

 彼女達は見る間にそのまま広い道路まで向かうと、道路の沿道に縦列に止められていたオレンジ色をしたジープタイプのオープンカー五台の内、後部が荷台になっているものを選択。ストレッチャーを手慣れた様子で積み込むと急いで発進。どこかへ去って行ってしまった。

 まさにあっという間の出来事で。イクは思わず立ち止まってその一部始終を唖然としながら見送ると、隣を歩くホーリーの方を心配気な顔で見た。するとホーリーもそのとき同じ思いだったらしく。ちょっと眉をひそめて立ち止まると、すぐ前を歩く女性に向かってぽつりと呟いて問い掛けていた。


「事故でも起こったのかしら?」


 すると女性は、平然と首を横に小さく振って否定。即座に応えた。


「いいえ、あれは事故などではありません。

 ご存じのように、魔性植物は栄養源の一貫として空気中から生き物の魔力や生気を取り入れる性質があります。植物数個体ぐらいでは吸い取られる量は高だか知れています。ほとんど生き物には影響がありません。ですが植物が密に集まったところではそういうわけにはいきません。

 作業員のその日の体調や植物の密度具合いや作業時間によって魔力と生気を吸い取られて、一種の気を失った状態に陥ります。

 といって与えなければ、植物はやがて枯れて死んでしまいますから、そこが中々難しいところでして。

 まあ丸一日も放置すれば問題ありですが、特殊な魔石で造られた部屋の中で三十分ぐらい安静にしていればすぐに回復しますから害はありません。返って耐性がつき魔力の保有量が上がりますから良いことでもあります。

 こちらで作業しているスタッフは必ずと言って良いほど同じ洗礼を受けています。これはどうしても避けられないことで、魔性植物を扱う者の宿命なのです。そう心配するべきことではありません」


 きっぱりとそう明言した女性に二人が納得して頷くと、それではと彼女は先を進んだ。先ほどの女性達が向かった箇所へ真っすぐに向かうと、残った車の中から後部が座席になっているものを選択。ホーリーは助手席に、イクは後部座席に乗るように勧め、二人が無事乗ったのを見届けると、自身は運転席に着き車を発進。車のハンドルを握りながら口を切った。


「ただいま就業中なので、比較的スムーズに回れると思います」


 果たして道は空いていて、行き交う車には出会わなかった。車は時速二十から二十五マイルの間のスピードで、びっくりするほど広かった構内を進むと途中で右折。同じ道幅があった道路をさらに進んだ。

 すると、行く先々に天井を支えている天然の巨大な岩の柱や壁が右左と現れては過ぎ去っていき。その間の広い空間には、普通に植物の幹がまっすぐに伸びたもの、枝や葉を広げているものや花や実をつけるもの、ちらちら光るものや七色に染まるもの、乳白色をするものや半透明な姿をするもの、一フィートに満たない植物の若い苗が一定間隔をおいて整然と植え付けられている光景とともに、思いのほか樹木が生い茂り、あたかもジャングルとなっている状景が見え。そこの傍には数台のトラックが止まっており、ジャングルを現地人が切り開くのに使っているような山刀や大型サイズの苅込バサミを持った大勢の者達が寄ってたかって事に当たっていた。


「植物は毎日の管理が大変でして。放っておきますと、あのように植物同士が生存のために縄張り争いをしまして、互いに葉や枝やツルを伸ばしあったり根を絡み合わせたりして目も当てられないことになるので、毎日が目が回るくらい忙しいのです」


 そこを過ぎて尚も行くと、作業服姿の集団が歩いていたり、植物が植え付けられていない耕地とともに表のシャッターが下りた施設や窓のない高い建物や煙突のような塔が建っている光景が見えた。


「あそこに見えます、シャッターが下りた建物には収穫した植物を一時保管してあります。

 その隣の建物は、管理がやっかいな植物の収容場所となっておりまして。中では、そうですね、擬態化して姿をくらますものや、肉食性のものや、動き回るものや、目に悪い光を発するものや、不快な臭いを発するものや、毒性の気体や液体をまき散らすもの。毒の鋭い棘をもったものや、寄生するものや、猿くらいの知能をもったものや、私共や他の植物に対して悪影響をもたらすものが入っています。後は……

 ああ、そうそう。雨を降らしたり霧を発生させたりする植物も困った存在なものですから、あそこに隔離してあります」


 以上のことを、その都度女性は車を一旦停止して、はっきりした口調で説明した。

 そのようにして三十分ほどをかけて構内を一通り回り元の場所に戻ると、「次へ参りましょう」と促し、その上の階へと向かった。


 次の階は、体に付いたホコリや臭いを静電気とエアーを使って除去する通路は通過したものの、先ほどのような厳格な制約もなく、比較的スムーズに中に入ることができていた。

 そこは、下の階と違い比較的明るかった。外灯ポールが数倍あり、周辺を明るく照らしていた。

 また、普通に道路が下の階と同じように走り、その所々に下の階で見たのと全く同じ柱と壁が今度はくっきりと見え、その間の広い空間に砂みたいになった石や岩みたいな大きな石が至る所に山と積まれていて、見た限り、砕石置き場の様相を呈していた。その周りをフォークリフトやホイールローダやショベルカーといった重機やトラックが何台も行き来していた。しかしなぜか人影はなかった。 


 三人は近くの路肩に止められていた五台の箱型をしたミニバンの内の一台に乗り込むと直ちに発進。辺りを見て回った。

 車が少し進んだところで、行きがかり上、その山と積まれた石の塊の側まで来ると、何らそこらの砂利やバラスと変わらないものから石炭のように金属光沢のあるもの、水晶のように結晶化したもの、或いは宝石のように光り輝くものまで色んな種類のものが山と積まれて放置してあった。

 女性はそこの場所で車を一旦止めると、現地を説明するために口を開いた。 


「ここには魔石の原石が集められて保管してあります。スピリトウス、ダークマターと呼ばれる鉱石が代表的なものです。我が国で産出されるものもあれば、中には外国から輸入しているものもあります」


 冷静沈着な声が車内に響いた。分かったと二人が首を小さく縦に振ると、


「お二人は異常がないようで安心しました。これだけの魔石の原石が集まる場所にいますと、幾ら原石とはいえ、魔力を持たない者や体の弱った者などはタダでは済みませんから。高熱を出したり体が動かなくなったりと変調をきたして、終いに倒れてしまうところです」


 そう言うと、ほっとしたようにため息を一つつき車を発進させた。  

 次に見えてきたのは、化学プラントのパイプラインのごとく、何十本という銀色に光る大小の配管とダクトが複雑に組み合わされて走り、外の複数の大型タンクや地下や上空の方へと通じている光景で。

 車が側まで近付くと、天井まで伸びていた天然の岩壁から配管やダクト類が突き出ているのが分かった。


「中では三つの工程が行われています。すぐ手前が、下の階からリフトを通じて上がってきた魔性植物を加工する作業場になっています。

 専用の機械と装置が並んで、裁断乾燥粉砕したり、エキス分を抽出したり、油脂化したり、重合したりと用途別に植物を加工しています。中には企業秘密な箇所が多々ありまして今回は残念ながらご案内できません。

 厚い壁を隔てたその隣が、魔石の精錬場となっています。中には専用の炉が幾つも並んでおります。

 ご存じのように、そもそも魔石というものは、それ自体エネルギーの塊と言っていいもので、それを精錬して純度が増しますと扱いが非常に難しい代物となります。

 その眩しい輝きで目がつぶれるわ、体の細胞が活性されるどころか死滅してしまい、その場で即死です。まさに強い放射線を浴びた状態に陥ります。

 私共でもそれなりの特別な防護服を着用しないとただでは済みません。そのような危ないところへはご案内はとてもできませんので今回は除外させていただきます。

 あとの一つは、これまた何を行っているのか言えない場所でして。そういうことでご案内できません」


 見られては困る秘密の部分があるのか、施設の概要を説明するだけに留まった中年女性に、


「ふーん、そう」とホーリーはメガネの奥から薄ら笑いを浮かべると、事もなげに同意。続けて尋ねた。


「ところでちょっと訊いて言いかしら?」


「はい、なんでしょう」


 すぐさま女性がハンドルを握ったまま、ホーリーの方へ顔を向けると、


「こちらでは魔石の歩留まり率はどのくらいなのかしら?」そう問い掛けた。


「あ、はい。それはですね……」


 そのようなやり取りをする二人の後ろの席で、イクは自然と腕組みをすると、したり顔でなるほどと頷いていた。

 ホーリーさんて、何と凄いんだろう。ズバリその通り、先を見通しているわ。それはそうよね。赤の他人にそこまで教える義理はないものね。

 連れて行きたくないところを女性が上手くごまかして秘密のベールに包んだことにピンときたイクだった。

 あれは、つい三十数分前のこと。

 女性がやって来るまで待つ間に、それまで積極的に喋りかけてくることが余りなかったホーリーがどういう風の吹き回しなのか珍しく、


「あなたはまだまだ素人同然だから、向こうに行けば分かると思うけれど、ここで少し説明しておいてあげる」と切り出すと、


「これから私達は、魔法使いや能力者が自らの力を強化したり弱点を補強するために使っている魔道具とか魔法アイテムとか、魔装具、アルティマツールとも言ったりしている品がどのような過程を経て造られているのか見に行こうとしているの。

 おそらくは教えたくない技術や見せたくないところは案内してくれないと思うけれど、それでも古くからのやり方をどれくらい守りながら近代化をはかっているのかを見るのにまたとないチャンスだし。こういう機会は滅多に体験できないことだと思うから、楽しみにすると良いわよ」


 そう言って、更なる予備知識をイクに授けていた。

 そんな彼女の説明に拠れば、一般に魔性植物は能力の属性と質を決定する指標を併せ持つ。対して魔石はエネルギーの量と質を決定する。この両者をうまく組み合わせることで魔道具や魔法アイテムができ上がる。ところが双方とも自然界において安定していて、性質の異なる金属を混合して合金を造ろうとするのと同じでお互いに相容れない。ところがそれを比較的容易にするのが人や魔物が生まれながらに持つ魔力であって、そのノウハウが一部の特殊な人々によって代々受け継げられてきている。

 話では、魔道具や魔法アイテムが生み出す炎や風や雨の能力は、本来は魔性植物が持つ能力であるということだった。


 その後、見学できそうな場所がそれほど見当たらなかったため、三人は十五分ほどでその階を程なく切り上げると、速やかに上の階に移っていた。

 入ってざっと見たところ、そこは組み立て工場もしくは作業場といった感じのところで。

 青みがかった明るい昼光色の光を天井の照明が投げかける中、周辺の真新しい機械や装置類に幅を利かせるようにどんと据えられた、いかにも古めかしい巨大な機械や装置の周りや、作業台の周辺や、作業台とベルトコンベアが組み合わされて生産ラインができたところで、案内役の中年女性と全く同じ服装をした女性達が、わき目もふらずに与えられた仕事に専念していた。

 搬送車とか移動台車とか言われる有人でも無人でも動く車両が行き来していた道路というより通路といった方が違和感のない路を三人が歩いて行くと、何人かの女性が視線を向けてきたぐらいで。それ以外の女性達は関心がないのか作業の手を止めることはなかった。

 見慣れない人がやって来たぐらいにしか思われていないのだろうとホーリーもイクも受け止めていた。

 尚も歩いていくと、壁で仕切られたスペースにドラム缶の容器が隙間なく置かれていたり、スタッフが工作機械を使って作業をしていたり、段ボール箱や収納ケースが載ったスチール棚がずらりと並んでいたり、天井クレーンが設置されてあった下にどういう液体が満たされているのかさっぱり分からない四角いプールが数ヶ所あったり、ガードレールや手すりが設置されてあった内側に機械や装置類が所狭しと置かれていたり、休憩室なのか会議室なのかそれは分からなかったがテーブルがたくさん並んでいたりした。

 そのような場所は、女性は知らん振りをして素通りした。

 また女性は、口を開けば「見ての通りです」の繰り返しで、何も説明せずにさっさと先に歩いて行った。

 そこへ加えて、歩きながら何かを気にする素振りで、頻繁に腕時計で時刻を見ていた。広い構内を車を使用せずに歩いて回るのであるのだから、時間の配分を当然のことながら行っているのだろうと思われ。

 そのあたりはホーリーも心得ていて、何もいわずに自由にさせていた。

 終いに三人は、立ち止まることもなく周辺を見て回っていた。


 そのようにして一時間近く歩き続けて、ようやく最深部らしい行き止まりの壁が見えた頃、超ド級の大がかりな装置が、向かって左側に現れた。

 少し歩いて横に回ると、円筒形状をした巨大なタンクが数百ヤードに渡って伸び、あたかも本物の潜水艦がその場に横たわっているかのような威圧感があった。

 それも二つも見られたことから、圧巻というよりほかなかった。

 一つはステンレス製なのか銀色に光り輝いていて、比較的新しく見え。あともう一方は真ちゅう製なのか黄金色をしているにも関わらずくすんで黒みがかって見え、一回りほど小ぶりで、ややいびつな形をしていた。

 また、通路を挟んで右側の方向には、各種大型ポンプが一式と、あともう少しで天井まで達するくらい大きな円筒形をしたタンクが幾つも居並び、その隣には同型のタンクが横向きに並べて置かれていた。

 そして、そこから少し行ったところには奇妙な光景があった。

 約百フィート離れた先に、SF映画に良く出てくる冬眠カプセルのような桿状をした一人用のポッドが百近く整然と並び、その中にローブのような白い薄着の衣装を身に着けた人形がイスに腰掛けた状態でそれぞれ目を閉じて入っていた。またその手前にも同じようなポッドが何十と棺のように横置きに置かれていた。そして、その前で四、五人ほどの案内役の女性と同じ白服姿をした女性スタッフが三人の方に背中を向けて立ち、その奥の方にも数人が立っているのがちらりと見えていた。

 だが、人形の顔をよくよく見てみると、どの顔も肉感的に生々しくて決して作り物の顔などではなかった。どうみても雰囲気から正真正銘の人間の顔だった。しかもうら若い女性ばかりの。

 加えて、ホーリーとイク達の方向からは見えなかったが、棺のような置き方をされたポッドの中にも人が入っていた。全く同じ姿をした女性が胸のあたりで手を組んで納まっていた。

 余りに衝撃的な光景を目の当たりにしたイクは、立ちどころに驚きの表情で立ち尽くすと、頭で考えられるだけのことを口の中で叫んだ。

 えっ、あれって。全員人間よね。みんな揃って人工冬眠でもしてんのかしら。いや下で見てきた状況から言ってそれはないわ。

 では、みんな死んでるのかしら。いやそれもないわ。だってすぐ横に付いた生命維持装置みたいなものの数字と波形が動いて見えるもの。死んでいたならああならないわ。

 じゃあ何なのよ。中に入って医療行為をしているとか? でもあれだけの人数が同時に治療を受けてるなんて考えられないわ。そうすると、あれは魂だけを異世界に送り込む転生装置? それともクローン人間を製造するマシーン? それとも多数の人達をいけにえにして何かやってんのかしら?

 他方、その前を歩いていて、一足先にあざとく見つけたホーリーは、へえーと感嘆の声を小さく上げると、興味深そうにメガネの奥のエメラルドグリーンの眼を光らせながら、もっと詳しく見ようと、そこへ向かおうとした。


「いけません」


 次の瞬間、案内役の女性の手厳しい声がホーリーのすらりとした背中の辺りに飛んだ。


「今就業中ですのでお止めください」


 その言葉で足を止めたホーリーに女性は一呼吸おいて続ける。


「ここから先に行かないようにお願いします」


 当然ながらホーリーはその場で振り返ると、至極自然の流れで女性に疑問を呈した。


「あれは何なの?」


「あれはですね、みんなから少しずつ魔力を集めているのです。今現在、みんな催眠状態にありますから、こちらから話しかけても何も聞こえませんが、万が一のことがあってはいけませんので」


「ふーん、その装置ってこと?」


「はい。よくご存じだと思いますが、この手法が確立される前は、魔力を持つ人外生物の体内から直接魔力物質を取り出して使ったり、人の魂を材料として合成したこともあったようです」


「じゃあ魔力を集めてどうしているわけ?」


「人の魔力は非常に様々な使い道があります。先ず動力源として使えますし。魔性植物を育てる栄養分としても使えますし、物を加工するにも使えますし」


「それじゃあ、あそこに立っている人達は?」


「ああ、あれのことですか。全員、うちの医療班の部署のスタッフ達です。あの装置の中でスタッフの魔力を強制的に抜き取っているのですが、余りあの状態で放置していると、次の日までに体の回復が追い付かなくなって色々と困るので適当な時期を側の計器から判断して起こすタイミングを図っております」


「ふーん、そう。それであの状態でどのくらいいれるわけ?」


「そうですね、平均して九十分間くらいでしょうか。九十分間経つと一旦起こして三十分の休憩を挟んで再度中に入って貰っています」


「男性の場合はどうなの?」


「全く同じです。性別は関係ありません。魔力量は身体能力やスタミナ量とは無関係ですから」


「そう」


「少し前までは科学技術もそれほど進んでおらず、今のような便利な計器がなったもので、つい被験者の体に負担をかけてしまったことから、導き出した方式です」


「ふーん、そう。今はこのやり方一本で行っているわけかしら?」


 ポッドの内部を一つ一つ確認するように眺めながら尋ねたホーリーに女性は不思議そうな顔で尋ねた。


「と申しますと?」


「私が聞いていたのと違うから口を挟ませて貰ったの。私が聞いていたのは、カプセルの中を液体で満たしたり、被験者の体に触針を刺して行っているとかだったの。てっきりその方式で行っていると思っていたのだけどねえ……」


「ええ確かにその方式は以前は行っていました。効率的に魔力を収集できますので。そうですねえ、十数年くらい前までは」女性は言葉を濁すと続けた。


「ところが被験者の健康管理をしていく上で被験者のその後の状況を追跡調査してみたところ、死亡平均年齢がそれ以外の部署に比べて十五歳ぐらい若いことが判明しまして。それ以外にも脳へのダメージが原因となって起こる記憶障害も高い確率で発生していることが分かりまして。それ以来、人道的な意味合いから取りやめることになりまして、今は行っておりません」


「それにしても凄い光景ね。何だか怪物の卵が産みつけられているようね」


「あ、はい」


「それにしても世の中も変わったものね。弱肉強食による自然淘汰が当たり前だった時代がいつの間にか個々の命がどうのこうのという時代になっているのだもの」


 そう言って立ち話する二人に、イクは自らが想像したことが全て間違っていたことにほっと胸を撫で下ろすと、尚も聞き耳を立てた。


「ところで直前にあった巨大な装置の件だけど、あれは何をする装置なのかしら?」


「ああ、あれですか。あれはですね……」


 余り話したくないものと見え、女性の声のトーンが下がった。しかし、それまでのホーリーの言動からホーリーがずぶの素人ではないと判断したのか、少し間をおいて重い口を開いた。

 

「ご存じのように、遠い昔から人は魔性植物の能力や魔石の力を手に入れたいと考えて、移植という形で実現してきました。しかしながら、そのやり方では必ずと言って良いほど、命にかかわるくらいの重大な副作用の問題や、宿主と化して人間でなくなってしまう危険性が伴いました。その解決を図るために、やがて道具に魔性植物の能力や魔石の力を与えて道具として使いこなそうと挑戦し始めました。

 ところが、命のないものに魔性植物の能力や魔石の力を付与することは簡単に見えて中々やっかいなことで。

 それが集めた魔力を媒介としてあの装置を通しますと、不思議なことが起こってできるのです。古代人の執念とは恐ろしいもので、今もって私共にもその原理は分かりませんが、理屈抜きにしてできるようになるのです」


「ふーん、なるほど」深い知識を披露するようにして装置の説明を行った女性にホーリーはこくりと頷くと言った。


「ということはあの大きな装置の仕組みは今もって謎だということですね。じゃあどうしてここにあるわけですの。それも二台も。あのような巨大なものはその状態のまま運び入れるなんて至難の業であったのじゃなくて」


「ああ、そのことですか。私共の知識を越えた存在と言いましょうか、どうしてあのようなことができるのか今もって分かりませんが、設計図が残っていますので作ることができるのです」


「ふーん。未だに原理が分からず謎だらけの魔術を私達が普通に使ってるのと同じ原理というわけね」


「はい」


「ところでこの階で物を作っているわけですわよね」


「はい、そうですが」


「それについて一つ腑に落ちないことがあるのだけれど。ここまで来たのに製品らしき物を見かけなかったの。それはどういうことかしら?」


「製品らしきものを見かけなかった。ふーん、そうですか」女性は周りにちらりと目をやると首を傾げるようにして疑問を投げかけた。


「あのう何か勘違いされているのではないでしょうか」


「そうかしら。私が見た限り、大規模な工房だということは分かったのだけど、製品ができているという様子はなかったわ。何しろ、みんな職人さんみたいに木材に彫刻したり石を研磨していたり、木の枝で何かを編んでいるみたいだったから」


 そのようなホーリーの話を聞いた女性はマスク越しに朗らかに笑うと言った。


「分かりました。見当がつきました。たぶんあれです。完成品を見る機会がなかったからでしょう」


「ふーん」


「私共のところでは、大きく分けて二つのやり方で魔法アイテムを生産しております。

 一つは原材料から調達して仕上げる、つまり一から生産するやり方です。そしてもう一つは他所から半製品を調達してそれに付加価値を付ける形で生産するやり方です。ここでは前者の生産を主に行っています。

 しかも、この階では昔ながらの魔法の杖を生産していますし。基材から作り上げていきますから、生産途上を見られたのでは何が生産されているのか予測がつかなかったのでしょう」


「なるほど、そういうことでしたの。分かりましたわ。何かおかしなことをしているみたいと思っていたのだけど、そういうことだったの」


 ホーリーはしらっとした表情で淡々とした受け答えをすると、付け加えた。


「ところで魔法の杖は一つでき上がるのにどれくらいの期間かかります?」


 ごくありふれたことを何気なく口にしたホーリーに、女性は「そうですね……」と言いかけて応え難かったのかちょっと口ごもったあと、こう切り出した。


「魔法学校の学生さんが使う入門品ですと一週間から半月ぐらい、誕生日のお祝いだとか結婚式の記念品として差し上げたりする品ですと大体一、二ヶ月ぐらい、一般の人達が使う凡庸品ですと六ヶ月ほどでしょうか。尚、専門の人達が使う業務用品ですと一年、手の込んだオーダーメイド仕様品ですと三年から十年は見て貰わないとできません。何しろ期待に応えることができる資材がそうそう集まらないものでして」


「ふーん、なるほどね。じゃあ、材料を持ち込めばどのくらいでできます?」


「そうですねえ……ものにもよりますが、十日も頂けば仕上げることができます」


「なるほど。じゃあね、魔法のほうきは作っていないのかしら。魔法の杖ときたら、ほらっ、ほうきも定番ですものね?」


「ほうきは、ほうきはですねえ。魔法学校が教材として使っている品が全てで、注文が頂けても五年か六年ごとにメンテナンスを兼ねて補充の品がまとまってあるくらいです。世間では滅多に需要がありません。その代わり、同じ飛行アイテムとして魔法の翼とか魔法の木馬とかが人気があります。両方とも普段は手提げバッグとしてコンパクトに持ち運べて、飛行するときも、魔法の翼は手提げバッグをそのまま肩に担げば、翼がバッグから自動的に飛び出す仕組みになっていますし、木馬はカバンを開ければ組み上がる仕組みになっていて、飛行するときもほうきに比べて安定性が良くて長時間乗っても疲れにくい、おまけに三人まで乗れるという利点から、私共の商品の中では売れ行きが上位の品物です」


 初め、戸惑った感じだったものの、絶妙なタイミングで商品の宣伝までちゃっかり行った女性に、ホーリーは思わず笑みを零すと、すかさず言った。


「ありがとう、良いことを聞かせて貰いましたわ」


 女性に上手く返答された感があったが、そのときは別にどうでも良いことだったと見えて、ホーリーは言い訳もせずに大人しく引き下がっていた。


 その後三人は、奥の突き当りに見えた扉からその階を離れると、更に上の階へと向かった。


 果たして案内役の女性が言った通りに、段ボール箱や収納ケースが並べて置かれていたスチール棚を挟むようにして製造ラインが全部で五列構築されてあり。その両側に配置された、女性と全く同じ姿をしたスタッフが作業にあたっていた。

 一つのライン上には、ガントレット、甲冑、バトルスーツ、グローブといった色んな武具一式が並んでいた。また別のライン上には指輪や腕輪やネックレスやイヤリングやメガネといったアクセサリー類が並んでいた。何に使うのか不明な球状や柱状をした物体や人形や絵画や動物の置物や彫像が載ったラインもあった。

 それらのことから多品種の生産が行われていることは明らかで。また、流れ作業的なエリアとそうでないところがあった。


「半製品に魔性植物の能力と魔石の力を持たしただけではまだ未完成です。最後に能力の発動のオンとオフを切り替えるスイッチと力の強度の切り替えを行う回路を取り付けて初めて完成です。その作業とできあがった製品の品質管理をここでは行っています」

  

 案内役の女性が前もって話した内容だった。

 通路を三人が歩いていくと、下の階同様、見学者があると連絡が回っていたのか、通路には誰も歩いておらず。作業を行っていたスタッフの誰もが知らぬ振りをした。


 案外規模がそれほどでなかった製造エリアを、それほど時間をかけずに通り過ぎると、通路を挟んで四方を厚い壁に囲まれた部屋が二棟現れた。

 案内役の女性の話では「得意先からの依頼によって、製品のメンテナンスや修理をしたりする部屋と、クレームがあった製品を再検査したり製品の開発をする部屋です。従いまして中はお見せできません」ということだった。

 入口のスチール製の頑丈なドアが固く閉ざされていて、中の様子はうかがえなかったが、それを裏付けるかのように耳を澄ますと、片方の部屋から機械が稼働する重低音の音が微かに漏れ出ていた。

 そこも過ぎるとがらんとした広い空間が現れた。女性のおおまかな説明では、この場所で完成品を一時保管しているということだった。

 果たして、製品の型番が記号と数字で側面に小さく印刷された木箱や段ボールの箱が樹脂製パレットの上にずらりと積まれて載っていた。

 そこから少し行ったところに電動フォークリフトが二台止められており。そのうちの一台はパレットに爪を差し込んだまま放置されていた。

 その傍らの空いた空間は、物置として使っているのか、コンクリートの塊やら板状やアングル状や棒状をした鋼材を束ねたものやら脚立やら何らかの測定装置や巨大な送風機やいかにも古そうな機械や大型の箱みたいなものがおおよそ見えていた。


「以上です。別に見るべきものはありません。戻ります」


 ホーリーとイクの二人に中の様子を見せたあと、女性はさらりとそう言うと、さっさと引き返して見学の最後の階へ向かった。二人も後へ追随した。

 エレベーターを降りて通路を左に少し行くとタッチ式のドアが片側の壁に二つ、三つ見え。女性は一番手前のドアのところまで歩いていくとそこで立ち止まり、


「お疲れさまでした。この辺りにまで来るとマスクも帽子も必要ありません。もうマスクと帽子とガウンをお取り下さって構いません。脱いだものはあそこにある回収ボックスにお入れ下さい」


 そう言って、ドアの隣に置かれていた、同じ箱型の形状ながら横幅の異なる二つのダストボックスを目線で示すと、自ら近寄り、わずかな時間で着ていた上下一体型になっていた防護服の前ファスナーを一番下までおろして脱いでから大きい方のダストボックスへ放り込み、次いで身に着けていたマスクと帽子を取り小さい方のダストボックスへ放り込み、最後にグローブを脱いで同じように放り込みと手本を見せた。

 身に着けていた品を全て取り去った女性の素顔は、ウエーブがかかった赤褐色のショートヘアで鼻先がツンと高くて彫りが深い顔立ちをしていて、ピンク色の長袖のTシャツに黒のスラックスというカジュアルな服装をしていた。

 ざっくり見て、女性は四十代半ばの熟年美女といったところだった。

 それを目のあたりにしたホーリーとイクは、なるほどと、見よう見まねでガウンのように羽織っていた薄いコートのマジックテープをはずして脱ぎ去り大きい方のダストボックスへ放り込み、続いてマスクと帽子を取って小さい方のボックスへ放り込んだ。

 それを確認した女性は表情を緩めるとドアの方へ振り返り、ドアの取っ手に軽く触れてから手前に引いて開け、

 

「さあ、入って下さい」と二人に向かって丁寧に促した。言われたまま二人が先に中へと進むと、入った直後に、すぐ隣の光景に目がいった。

通路と何ら変わらない明るさの下に案外広い空間があり、十五人ほどがゆったりと腰掛けることができるテーブル席が設けられていた。

 その正面の壁には、光る素材できらびやかな星空を描いた絵画がかかり、その横にはバトルスーツらしき黒い衣装一式と装備ギア(武器)が一緒に展示されており、そこから少し離れたところに、もう一つのドアが見えた。

 また奥の上席側の壁際にはスチール製のロッカーと書棚が置かれており。同じく見えた80インチワイドスクリーンのディスプレイの機材から、会議をしたり打ち合わせに使っている部屋かと思われた。

 それとなく立ち止まってぼんやり眺めた二人に、女性は歩きながら流れるような所作で戸口のハンガーに掛かっていたスラックスと同色のジャケットを羽織って団体の幹部らしい威厳に満ちた姿となると、「では参りましょうか」と口を切って中へと進んだ。

 ところが向かったのは、そのテーブル席でも突き当りに見えたドアの方向でもなく。ちょうどテーブル席の隣の、パーテーションで仕切られた中にあったこじんまりとした空間だった。そこには四人掛けのソファセットが置かれ、片側には大きな窓があり。そこから外を眺めることができた。

 先に女性が奥の席に腰掛け、「どうぞお座りください」との呼びかけで二人が女性の相向かいに腰掛けると、女性は言った。


「どうぞ遠慮なくおくつろぎ下さい。この場所は私の仕事部屋ですから」


 その言葉にホーリーとイクは、この場所がどうして最後の見学コースなのかと疑ったが、直後に女性が、


「本当ならば直接現場に案内すべきなのでしょうが、中はいつも立て込んでいましてね、そこを無理にお連れしても興味を引かれるようなものは何もなくてがっかりされるのは目に見えていると思いまして。それよりもここの窓から現場を眺めながら説明をして内容を分かって貰える方が合理的かと、見学される方々が来たときにはいつもそうさせて頂いています」と、言った途端に自然と謎が解けたような気がした。

 話では大きな窓から地下一階の様子が見えるということで。果たして倉庫らしい風情が見えていた。


「あそこでは外からの荷物の受け入れと配送を一手に行っています」


 そう話した女性の説明通りに、天井照明の灯りが部屋全体を暗くない程度に照らす中、一袋が七十から百十ポンド(三十キロから五十キログラム)はありそうな丈夫な合成繊維製の袋が、山のように積み上げられていた。他にも木箱や段ボールの箱もあった。いずれも山のように積み上げられて列をなしていた。そのような光景が空間の八割がたを占め、残りの空いた隙間を人と車両が行き来したり、入出荷ラインが構築されて、仕分け作業や出荷作業を行っているのだった。


 少しの間、女性は雑談をして、何か用事を思い出したのか、ジャケットのポケットから携帯を取り出し、腕時計で時間をちらりと見て直通でどこかへ連絡を入れた。

 そして相手を呼び出し中に、二人に向かって、


「お二人とも、コーヒーでもいかがですか?」と呼びかけた。

 二人に気を遣ったのは明らかで、そのときホーリーが代表して応えた。


「ありがとうございます。でもあいにくと今日一日はダメな日でして。実は二人とも、普段からあの自然療法を実践していましてね。ご存じだと思いますが、その中でお水しか飲めない日がありましてね、その日が何と今日ですの」


 そう言って、喉が渇いたときのために、コートのポケット内に隠し持っていた手の平サイズのペットボトルの容器を彼女に分かるように見せた。

 何事においても手抜かりのないホーリーらしく、半分程残ったミネラルウオーターのペットボトルから移し替えて持ってきていたのだった。


「そうですか。分かりました」女性はすんなり聞き入れると通話相手と話し始めた。


「私です。キートンです。いつものを一つお願いします。ええと場所は私の部屋で、第二会議室の方にいるわ。よろしく」


 それが終わると携帯をしまい、ふたりの方へ向き直り言った。


「ええと、どこまで行きましたでしょうか。ああそうそう」


 そう口走ると、窓面を指でさして外の様子を説明した。


「あの木箱とダンボールの箱は私共のところで生産した製品です。それからあそこに見えます、あのたくさんの袋には二種類あって、一つは魔性植物の断片や利用したあとの残りカスが、もう一つには魔石を取り出したあとの廃石が入っています。

 昔は捨てるか限られたルートしか行き場がなかったものでしたが、時代が進んで、利用される範囲が広がって、今や色んな業界から引く手あまたで、皮肉なことなのですが今現在あちらの方が主力になりつつあります、いやなっています」


 女性が指さした方向をふと見ると、私服姿でパワードスーツを身に着けた女性が荷を軽々と運んで台車に載せていたり、作業服姿の女性がフォークリフトを自在に操って運搬作業やトラックへの積み込み作業をしていた。


「服装はばらばらみたいだけど……」程なくしてホーリーから素朴な疑問が漏れた。


「外への配送もありますので、それなりの服装をしています」


「ふーん、そう」感心したようにホーリーは頷くと訊いた。


「魔性植物と魔石の残がいは具体的にはどこへ行って、どのようなものに加工されるのかしら。もし知っていたならお聞きしたいわ」


「ああ、そのことですか。そうですねえ……」女性は首をひねって少し考えてから応えた。


「どちらも棄てるところが全くなくって、魔性植物の残がいは、糸工場や紙工場に行って糸や紙や不織布の原料となったり、薬工場に行って薬品や健康食品の材料となったり、刃物工房へ行って武器の刃の部分や柄の部分へと加工されたり、或いは単に肥料工場で肥料とかに加工されるみたいです。

 対して魔石を取り出した残がいは、薬品や健康食品の原料や電子部品の材料、建築資材とか照明関係にと用途は数えきれないくらいあって具体的にどこへ行くとかははっきり答えられません」


 そう話していたところに、表のドアが開く気配がして、「失礼しまーす」といった明るくてさわやかな声とともに、白いシャツの上から濃ブラウンのエプロンとカフェのウエイトレスそっくりの服装をした一人の少女が入ってきた。そして、あっという間に三人がいた部屋の入り口に立っていた。

 少女は平均的な身長でややきゃしゃな体つきをして、初々しくてあどけない雰囲気からイクとそう変わらない年頃かと思われたが、編み込みヘアに、自分の顔に自信がないのか、それともメイクが下手なのかそれは分からなかったが、頬にチーク、唇にはオレンジ色のルージュと、どちらかと言えば濃いメイクをしていた。またお洒落として片方の耳側にシルバー色のリングをしていた。

 そこに加えて、片方の手に丸いトレイを持って表れた。もちろんトレイの上にはステンレス製のポットと白磁のコーヒーカップが伏せられて載っていた。女性から電話で注文を受けてやってきたのに違いなかった。

 少女はソファに腰掛けた三人をはにかむように一べつしてから、女性の方に目をやると、元気の良い声で言った。


「いつものブラックで良かったのですね」


「ええ、そうよ」


 短い受け答えの後、少女はポットとカップを女性の前に並べ、女性の「ありがとう。ご苦労様」の言葉に口元に笑みを零しながら小さな声で「それでは、これで」


 そう言うと、向かいのホーリーとイクに向かって無言で愛想笑いをして、急ぎ足で風のように去っていった。

 時間にして一、二分の出来事だった。

 そんな少女を穏やかな表情で見送った女性は、何事もなかったかのように二人に向き直ると、


「以上で見学は一応おしまいになりますが満足して頂けましたでしょうか?」と問い掛けた。


「ええ、色々と参考にさせて頂きましたわ」


「そうですか。そう言ってくれると嬉しく思います」


 そのとき二人が、落ち着いた表情でペットボトルのミネラルウオーターをちびりちびりと飲んでは口の渇きを潤しながらくつろいでいるのを見て知っていた女性は、


「さてと、私も少し失礼させていただいて」


 そう呟くと、熱いコーヒーをポットからカップへ注いた。それから湯気の上がるコーヒーを味わうようにして、一口一口、ゆっくりと飲んだ。そのようにして一分ほど一息つくと、やがて顔を上げて、リラックスする二人に切り出した。


「ところで、私共の製品を購入していただけるとかで、そろそろ話し合いといきたいのですが?」


 次の瞬間、話を向けられたホーリーの目の色が生き生きと輝いた。


「ええ、良いわよ。時間がないから今すぐにやりましょう!」


 時間を気にするように言ったホーリーに、イクがここぞとばかりに気を利かした。タイミング良く持ってきたカタログをホーリーの前のテーブル上に出すと言った。


「はい、どうぞ」


「ありがとう」


 要領の良いイクにホーリーは目を細めて簡単に礼を言うと「さて何から行こうかしら」と呟きながらカタログの一冊を開いてぱらぱらとめくった。一方イクは、そうやって購入する品を検討し始めたホーリーを傍観者の立場で見ていた。

 その間に女性は、自身が腰掛けていたソファの背後の壁際に置かれた事務用スチールキャビネットに手を伸ばすと、上の引き出しを開けて筆記具と付せん紙を取り出し準備を整えていた。


 そのときホーリーは予め購入する品を絞っていたのか、迷いがないようだった。

「営業部の統括本部長をしているという人から話を聞いていると思うのだけれど、二百万ドル分の買い物をさせていただくわね」と、女性にささやきながら、カタログのカラー写真に目を落とすと、とある箇所に来たときに、「これなんか良いわねえ」「これにするわ」「これに決めたわ」と製品の写真を指さして、次々と女性に伝えていった。

 それを受けて女性は機械的にホーリーが指摘した製品の写真にカラーペンで丸印をつけ、そのページに付せんを貼り付ける作業をそつなくこなしていった。

 一冊目が終わると二冊目に移ったが、やはり同じだった。

 その内訳は、実戦に使用するためのもの、単なる消耗品としてのもの、魔術の未知の領域への探求という趣味と実益を兼ねた目的のためのもの、興味が湧いたものとしっかりした理由付けがなされていた。

 そのようにしてあれよあれよという間にカタログでの商品購入は終わっていた。あとは購入した費用を出すだけとなっていた。


「よろしいでしょうか。それでは集計を始めさせて貰います」


 頃合いを見て女性は顔をほころばせてそう言うと、再び背後のキャビネットに手を伸ばして引き出しを開け、中から二つの物体を取り出しテーブル上に置いた。

 それらは小型のポータブルプリンターとタブレットパソコンからなっていた。女性は、二人が見ている前で付せんを頼りにカタログを開いてはホーリーが選んだ品の型番をタブレットパソコンへ入力した。タブレットパソコンに受注管理ソフトでも入っているのか、そのたびごとにプリンターの用紙に製品の名称と価格が印刷されていった。

 そのような作業を女性は淡々とこなしていくと、時間にして十分ほどで集計ができていた。

 女性は集計が終わった用紙をプリンターから切り離すと、ホーリーへ示して言った。


「集計が終わりました。これが請求書になります」


 用紙には購入した品と価格が列記されてあった。それを一目見てホーリーは納得の表情を見せて頷いた。


「ふーん、なるほどねえ」


 魔力を帯びたロープと鎖をサイズ別にドラム巻きしたものがそれぞれ合わせて五十万ドルでしょ。同じく魔力を帯びた布地の巻物が三本で五万五千ドルで、魔性植物の花や果実や根から抽出した精油が入ったポーションが全部で二十五本で五万ドル。高純度に精製した魔石の粉末が五十万ドル分で、儀礼用ローブ、防塵眼鏡、装甲シューズ・ブーツ、装甲グローブなど日用雑貨品が全部で十五点で総額が七万五千ドルで、飛行翼と飛行木馬が各十点ずつとメンテナンスキットとで合計六十万ドル。そして魔法の杖が……


 次の瞬間、唖然とした表情に変わり、程なくして不満を示すように口を尖らせていた。

 何なのよ、これって。魔法の杖ってこれくらいもするわけ? 信じられないわ。確かにプレミアム価格となっていたけれど……。たかだか五十万くらいだと思っていたのに百七十万なんてね。それなら最初に価格を載せておくべきよ。


 全ての製品にはオープン価格が記されていたが、一部の製品はプレミアム商品となっていて価格が付いていなかったのだった。 

 しかしながら、魔法の杖が五十万ドルであったとしても、総額は予算を二十八万ドルオーバーしていた。

 それについて、どうせこのような特殊な商品は出回る範囲は限られているから、値があってないようなもの、少しぐらいオーバーしたって何とかなるわよと、ホーリーは故意にやっていた。まさに確信犯と言って良かった。


「総額三百四十八万ドルになります。残金百四十八万ドルを補てんなさいますか?」 

 穏やかな表情で女性は口を開くと訊いてきた。そこへホーリーが、


「魔法の杖のことなのだけれど、プレミアム価格となっていたのは知っていたけれど、ここまで高価だったとはね。でもいくら何でも百七十万はないわよ」と反論。ふたりの間で、やり取りが始まった。


「そういわれても困ります。高価なものほど一生ものの性格が強いですから、良心的な価格だと言えます」と女性。


「でもねえ……」


「玉の核や杖や台座の材質に長年かかって集めた極めて希少な品が使われていますし。こういう品は滅多に手に入らないことを考えますと、きわめて妥当な線です」


「ふん、そう。ところであれくらいの業物になると何種類くらいの魔術が使えるのかしら? 杖の紹介欄に、火属性以外に木属性と蟲属性と界属性、三つの珍しい属性の魔術が使えるとあったけれど、具体的に言って、どのような種類の魔術が使えるのかしら」


「その件は私もカタログを見てみなければはっきりしたことは言えません。ですが価格相応に強力な魔法が使えることは確かです」


「そう、そういうのならそれでも良いわ。ところで総額のことなのだけど、どうにかならないかしら。こう言っては何だけど、あなた達幹部が直接購入する場合、かなり有利な割合で購入することができるのでしょ。一応あなた達の団体にも規律というものがあるから、どのくらいとは訊かないけれど、かなり安く購入できる筈よね。その特権を使って総額を二百万ドルに収めることができないものかしらねえ」


「そういわれましても。その特権は部外者には適用できないと規約で決まっているもので。それを幹部の私が破ったとなると……」


「そこを何とか。無理かしら?」


「無理です。無理というほかありません」


「ああ、そう。じゃあ、一括購入に関しての値引きはどう? 何といっても二百万ドルよ」


「それに関しては幾らか値引きさせていただきます。けれど百万以上の値引きは到底不可能です」


「それじゃあどのくらいまでいけるわけ?」


「そうですね、既定の定めにより十パーセントから十五パーセントまでなら既定路線で、努力して二十パーセントでしょうか」


「すると二百七十から三百あたりということ?」


「はい」


「それじゃあ、どうすれば総額を二百万ドルに収められると思う? 知恵を拝借したいわ」


「そうですね、魔法の杖はあきらめられてはいかがでしょうか」


「そういわれてもね……」


「そういわれましても、私にもそれ以外に良案はありません」


「あれって本当は、人気の品は既に売れてしまって最後に残った売れ残り品じゃなくって」


「いいえ、そのようなことはありません」


「どんな時代においても、魔術の流行りは火属性、風属性、水属性に、あと星、時みたいな珍しい属性を加えてなり立っているわけなのだけど、あの杖は火の属性の魔術こそ使えるみたいだけれど他の属性は今一つな属性ばかりのように思えるわ。

 私が見たところでは、あなた方の企画ミスでできた品じゃないかと思っているの。おそらく奇をてらって作ってみたのは良いけれど、それが逆効果となって人気がなくって売れ残ってるとかね」


「いいえ、そのようなことはありません」


「それじゃあ、型落ち品じゃなくって。現在は左右対称のロッドタイプが主流なのに、あれはステッキタイプだったし。映画で悪者が使うあれじゃない。それとも悪趣味のマニア向けとかね」  


「いいえ、それはありません。わざとレトロ調にしているのです」


「そうかしら。でもね、言わせてもらうとバランスが悪いみたい。購入しても一度バラバラにして大胆な改造が必要じゃないかしら」


「そこまで言われるなら、もう購入して貰わなくって結構です。こちらからお断りします」


「あなたって商談が下手というか慣れていないみたいね。商談というものは、お互いに対等のときもあれば、どちらかが得するときもあるし。お互いに傷をなめ合うようなときもしばしばあって。あなたは売りたい側で、私は買いたい側であるわけなのだし。お互い腹を決めて妥協し合えば、何とでもなるものなのよ」

 

 ホーリーのその言葉に女性はこわばった顔で目を一旦遠くに投げると言った。「ではどうせよと?」


「簡単なことよ。私は欲しい品を幾つか削ることにするわ。あなたは百歩譲って在庫処分だと思って杖の割引きをしてくれれば良いの。

 これは私の勝手な解釈なのだけれど、あなただって、心の中ではすっきりした気分でこの商談をまとめたいと思っているのではなくって。でなければあなたに私達の扱いを任せた人の面子を潰すことになるものね。といって、安易な妥協はできないと心の中で葛藤をしているのだと思うのだけれど、ここはお互い歩み寄って上手くまとめましょうよ。そうすればお互いにウインウインよ」


「……」女性は無言でふっと息を吐くと言った。「そうですねえ……」


 声の調子から、明らかに迷っている様子だった。


 だが結局のところ、成果を求められていたのだろう、十数秒間考えた末、女性がホーリーの提案を呑んで、ホーリーは人気商品と聞いていた飛行翼と飛行木馬が各十点ずつとメンテナンスキットの総額六十万ドル相当をあきらめることにする。その代わりに女性は魔法の杖を加えた総額を二百万ドルになるように調整することで決着がついていた。

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