第81話

 その夜の十時を四十五分ほど回った頃。ホーリーとイクの二人は人里離れた寺院の裏手にあった一般道から約五十ヤードほど入った山道でいた。

 話し合いが終了したあの後、何事もなかったように寺院を出た二人は、本部から迎えの車が到着するまで何とか時間をつぶそうと、賑わっていたお祭りを二時間ほど見物。そして夜の帳が下りた七時を過ぎた辺りにそこを立ち去ると、是非立ち寄って欲しい、言付けをしておくからと初老の男が紹介した大衆レストランへ向かった。すると男が予め根回しをして予約してあったらしく、直ぐに席へと案内してくれて食事が出てきた。しかも全てが無料になっていた。そこで一時間半ばかりゆっくりすると、山道までのんびり歩いてやって来ていたのだった。

 そこは男が待ち合わせの場所として指定した地点で、二台の車がすれ違うことができないくらい道幅が狭く、その周囲は昼でも日が当たらないと分かるくらい高い木々が生い茂り林立していた。日中でもハイカーか林業作業員ぐらいしか利用しないだろうと思われた土の道だった。

 またそのとき、冷気を帯びた白いモヤがうっすらとかかり、辺りは氷点下まで冷え込んでいた。

 そのようなもの寂しくてうら寒い待ち合わせ場所で、二人は「遅いわね。これは何のマネかしら」から始まって「幾らお祭りの期間中とはいえ、ここまで用心する必要があるものかしらね」とか「真夜中にこんな場所に姿を現すとすれば幽霊かお化けぐらいなものね」とか「私達も甘く見られたものね。いつまで待たす気かしら。もしやって来たのが男だったら思いっきりきつく言ってとっちめてやらないといけないわね」とか言って今か今かとしびれを切らしつつ、一段と冷え込む寒さを凌ぐためと称して火炎の魔法などを使って暖を取りながら待っていると、約束の時間より四十分以上遅れで一台の車両がヘッドライトを眩しく点灯しながら現れた。白っぽい色をしたステーションワゴンタイプの普通車で。果たして車は、幽霊から悪霊となりかけていた二人を速やかに拾うと、元来た道までバックで戻り、そこから切り返して目的の方向へ向かって発進していた。 


 車の中にはソバージュヘアの若い女性が運転手としてひとりで乗っていた。

 初々しい風貌をした学生っぽい雰囲気の女性で、白っぽいニットセーターの上から薄めのピンクのダウンジャケットを身に着けていた。

 彼女は切羽詰まったようなおどおどした物言いで「遅くなってすみません。初めて来た道だったもので」と平謝りに詫びてくると、


「フランソワーズ様とローズ様ですね」と二人に確認を取って、消え入りそうな声で「ミモリと言います。お迎えに上がりました」と、自己紹介と要件を併せておこなった。

 相手が同性であったことと嘘を言っているように見えなかったことで、二人は腰掛けた後部座席でそれまでの怒りを忘れて普段の表情を見せると、


「このまま本部まで行くわけね?」とストレートにホーリーが声をかけた。すると女性は運転席から「いいえ」と首を小さく振り、ぼそぼそと答えてきた。


「そういうわけではありません。私が受け持っている地区までです。実は私も本部の場所は知らされていないものですから」


「ああ、そう」ホーリーは素直に受け止めると、場所を知られるのを余程恐れているみたいね。そんな想像をした。そして座ったままほんのちょっと天を仰ぐと更に疑問を問い掛けた。

 それによると、女性は連絡を受けてから五時間以上も休憩なしで車を運転してきたという話だった。だがそれ以上のこと、女性の素性や初老の男との関連性については、幾ら尋ねても、弱々しい声で「規則で何も申し上げることはできません」と応じて何も話そうとはしなかった。

 そのようなガードが堅い態度を見せる女性に、一筋縄でいかないみたいねとホーリーはうそぶくと、別に興味があるわけでもなかったのか、それ以後何も尋ねようとしなかった。

 その間にイクは精も根も尽き果てたといった口元をだらしなく緩めた表情で座席の背もたれに横たわり、死んだようになってぐっすり眠り込んでいた。

 気を張って丸一日慣れない打ち合わせにホーリーと一緒に同席したことと、もてなしを受けたときに余り食べなかったホーリーの分も頑張って食べたせいだった。

 そのようなイクに、やがて気が付いて、ほんと能天気な子ねと隣の座席から柔らかい視線を投げかけたホーリーは、そんなことよりもとゆったりと座席に腰掛けリラックスすると、初老の男から聞き出した情報をもとに、頭の中であれこれこねくり回しては想像を巡らす方に、いつの間にか心血を注いでいた。


 男の説明によれば、自分たちの団体を除くと国内にはざっと大きく分けて七つの異能者の団体が存在する。いずれもその実力と人員数は不思議なくらい似たり寄ったりでずば抜けたところがない。その七つの団体は二つに分けることができて、四つの団体はあのスタン連盟に属し、残りはライバル関係にあるクロトー機構に属している。

 ではスタン連合、クロトー機構に属していればお互いに仲が良いかと言えばそうでもない。あくまで便宜上属しているというだけである。お互いに表向きは友好的な関係にあると見せかけてはいるが、裏に回れは他の団体をライバルと見なしていて、大きな抗争はないものの、小さな小競り合いはしょっちゅうやっている。

 それは彼らの凌ぎ、つまり資金源がほぼ同じだからである。この国において、彼らの主な凌ぎは他の国の団体と何ら変わらず、表及び裏の社会からおこぼれをいただく形で成り立っている。

 ところが自分たちは違う。争い事や詐欺まがいのことに関連して収入を得ていない。至極まっとうな堅気の仕事を収入源としている。向こう(本部)へ行けばそれが分かると思う。

 そのことに関連して、長い歴史の間で、自分たちの団体は、利権を求めた七つの団体から手を替え品を替えて傘下に収められそうになった経緯が幾度かある。

 そのときも支部を襲って来たり、本部を占拠しようとしてきた。

 その都度、元から武闘派でなかったことで、まともに正面から争えば勝ち目があると思えなかったことから、どこも似たり寄ったりの実力でずば抜けたところがないことを利用して、他の複数の団体と取引をして、数の論理で危機を乗り越えてきた。

 しかし今回は違う。初のケースである。相手は、脅迫や見せしめとしてではなく、明らかに本気で自分たちの団体を潰そうとしてきているように見える。しかもである。自分たちの支部と間違ってなのか分からないが、よその団体までも襲っているらしい。その詳しい事情は入ってこないので実態は良く分からないが壊滅状態になっている団体もあるらしいと噂で聞いていて、どこの団体と取引をして良いか分からない状態が続いている。

 そういうことで、全支部及び本部の関係者一同が一致した考えとして親善団体であったビッグパンプキンへ助力を求めようとなったわけである。――そう話した男の考えは、今だ証拠らしい証拠がないので何とも言えないが、常識的に考えて黒幕は国内の団体のいずれかではなくて海外の団体ではないか、だった。

 その理由付けとして、自分たちの団体を本気で潰しに来ていること。そのことは何を意味するかと言えば、潰すことで得をすること。つまり自分たちの成功をねたんだライバル業者の仕業である可能性が高い。ライバル業者がその筋の者達に依頼してやっているに違いないだった。

 またその代案として考えられるのは、国内外を問わず自分たちの団体に対して個人的な恨みを持った人間が相当な見返りと引き換えにその筋の者達に依頼してやっているのではないかだった。


 ダットン・グリエールとか言ったかしら、たぶん嘘は言っていないと思うのだけれど。目を閉じながらホーリーは静かに呟くと思った。

 人は一本調子で話すときは必ずと言っていいほど弱みを見せまいとしているときだし。

 人というものは、往々にして自分のことは良いように言うけれど、それ以外はそれほど良く言わないものなのよねぇ。それが一番問題なのよね。

 それにしてもほんと、こんなことになるなんてねえ。えらい迷惑よ。このままじゃあ、相手の一人を捕まえて白状させない限りは何も分かりそうにないわ。もし分かったところで私にはどうでも良いことなのだけどね。

 そう呟いたホーリーから、ああ疲れるわと言ったため息が思わず漏れ出ていた。

 そのとき車内の暖房がことのほか効いていたことに加えて適度な暗さであったことで、ついついホーリーはうとうとしていた。

 その後、どれくらい経ったのか分からなかったが、長い間沈黙していた女性の細い声が突然車内に響いた。


「少しお待ちを。すぐ終わります」


 その声にホーリーは閉じていた目を開けると、車がエンジンを停止して止まっていて、シートベルトを外した女性が振り返ってこちらを見ていた。

 まさにその姿は車から下車しようとしていた。また車の前には充電スタンドらしい装置があるのが分かり、数台の車両が同じようにして止まっていて、装置から伸びたケーブルがそれぞれの車の充電キットにつながっていた。なるほど燃料のチャージのため立ち寄ったわけね。直ぐにそう判断したホーリーは、ということはその付近には決まってあれがある筈よねと、時を移さず辺りを見渡した。すると暗闇の中に明かりが煌々と灯る建物がはっきりと見て取れた。


「ねえ、ちょっと」ホーリーは女性に呼びかけた。「私も用事を思い出したの」


「はっ?」


 一瞬呆気にとられた女性に、ホーリーは暗闇の中で眩しく輝く方向を視線で指さすと、


「ちょっとあそこのお店で買い物をしてくるわね。今から一時間四十五分したら戻るから、車をあそこまで回しておいてくれる?」


 そう伝えると、隣の席で無邪気に眠っているイクの方を振り返り、いつもやっているのか手慣れた手つきでイクの小鼻をつまんだ。次の瞬間、呼吸が苦しくなったイクが慌てて目を見開くと、びっくりしたという表情で目を白黒させてホーリーを見つめて言った。


「ホーリーさん、何かあったんですか!」


 そんなイクにホーリーは冷ややかな微笑を漏らすと、お姉さん言葉で「付いてきて」と指示。「あのちょっとお待ち下さい。それは困ります」と女性が訴えるのも構わずに車のドアを開けてさっさと下車した。そして狼狽する女性の方に振り返ると、


「ついでにあなたもチャージしておくと良いわ。生真面目に運転してくれているのはありがたいのだけどね、夜中に事故でも起こされるとこちらも迷惑なのよ」


 そう冷たく言い放ち、何か言いたそうな目をした女性に向かって、尚も「それでもしあなたの上司に何か言われたら、こうでも言っておくと良いわ。あの人たちは自分たちはわがままな性格で、人の言う通りに動くのは性に合わないと言っていたとね」と言い残すと踵を返して歩いて行った。

 そんな二人のやり取りを、気持ちよく眠っているところを起こされてとんだ災難だったイクが、何を言ってるのだろうと、ぼんやり眺めていた。だが直感的に、これはホーリーさんに付いて行かないとやばいことになるかもと理解すると、きまり悪そうな顔をする女性に向かって、いたずらっぽい笑顔を見せるや、直ぐに車を降りてホーリーの後を追い、彼女の背中に向かって叫んでいた。


「すみません。すぐ行きまーす」


 それから三十秒も歩かぬうちに、二人はとある建物の前に立っていた。

 建物の傍にはスポットライトに照らされて店名が、入口の両横にはスタッフ募集中の立て看板と食べ物のメニューの一覧が載った立て看板が掲げられていた。また室内は真昼より明るく。直ぐ傍の駐車場らしいスペースにはトラックや普通車といった車両が外灯の明かりの下に数台止まっていた。

 ホーリーはこくりと頷くと、入口のガラスのドアを開けて中へと入った。イクも後へと続いた。

 充電スタンドのような高価な施設がある付近には、いたずらや盗難を防止するために防犯カメラ・防犯ライト・防犯ブザーといった各種対策以外に当然と言って良いほど有人の店舗が置かれていると合理的な観点からにらんだホーリーの目に狂いはなく、そこでは薬・化粧品及び日用雑貨や食料品や飲料水を販売するドラッグストアと、一度に十二人ぐらいが腰掛けることができるカウンター席とテーブル席が十ばかりからなるファストフード店が同居する形で営業していたのだった。


 そのとき店内には三、四人の男女しか見かけなかった。その全てがドラッグストアの売り場に集中していた。

 ホーリーはざっと店内を見渡すと、誰もいなかったファストフード店の方へ向かった。そして人気のなかったカウンター席の真ん中あたりに腰を下ろした。イクも同じように続くと、そのちょうど隣に座った。

 ――なるほどね、ここで休憩するってわけね。この方が楽ちんだものね。イクは何となく分かった気がした。

 さっそくホーリーはカウンターのメニューを眺めるとミーディアムサイズのハンバーガーを一個とホットコーヒーをオーダー。一方、お腹が空いていなかったイクはホットコーヒーのみをオーダーした。

 カウンター正面奥の壁にさり気なく掛かった丸時計の針が二時の後半辺りを差し示していた。

 間もなくして、それぞれの品が運ばれてくると、二人は一緒に飲み食いしながら、たわいもない話やら、すぐ傍のマガジンラックに並べて置いてあった地元の週刊誌や新聞を見て約一時間ばかり過ごした。

 そのとき店内には、意外と音楽は流れていなかった。また車の中よりも寒く感じられた。が、別にそんなに気にするようなものでなかった。

 その間に、ファストフード店には十人ばかりの来客が、ドラッグストアにも同数ぐらいの客があった。ドラッグストアの方はすぐにいなくなっていたが、ファストフード店の来客はみんな、ホーリーとイクの二人と同様、一旦席に着くと、食事が済んでからも中々腰を上げようとしなかった。

 二人が隣のドラッグストアで買い物をして店外へ出ていったときも、そのほとんどがまだ居残っていた。


 一時休憩を終えて二人が晴れやかな表情で店舗の外に出たとき、一台の白いステーションワゴン車が暗闇を照らしながらゆっくりと近付いてきた。そして見る間に二人の直ぐ手前で停止した。かの若い女性が運転する車だった。

 たちまちステーションワゴンのサイドドアが自動的に横へスライド。中から女性の声が遠慮がちに聞こえた。


「気を遣って貰ってすみません。どうぞお乗りください」 


「ありがとう」「それじゃあお願いします」二人が適当な返事を返して乗り込むとドアが自動的に閉まり、車が発進した。

 それから三時間ほど走ると、いつの間にか夜が明けて朝が来ていた。そうして車は、とあるドライブインに立ち寄っていた。

 どこにでもあるような至って普通のドライブインで、飲食店の建物と休憩所の建物が並んで建っていた。また建物前の駐車場には、朝七時前後ということもあって、普通車を始めとして観光バスや各種トラックが多数止まっていた。それから言ってかなり賑わっているようだった。

 女性は入って直ぐのちょうど空いていたスペースに車を止めると、エンジンを停止して、


「本当ならこちらで時間までゆっくりしていただく予定にしていたのですが。でも結局は首尾よく運ぶことができて感謝しています。これで私の任務は終わりです。後は次の方にバトンタッチするだけなのですが」


 自分の役目が無事終了したのでほっとしたのか、ようやく口元が自然と緩んで口調も滑らかにそこまで言うと、駐車場の一点に視線を投げかけて続きを話した。


「たぶん、あの車じゃないかと思うのですが。私があなた方に話すように伺っていたのは、次の方は車のリーフに梯子を積んだ車に乗っているのがそうだと教えるように、でした」


 ふ~んと二人が揃って、そのとき初めて作り物でない笑みを浮かべた女性の視線の方向に顔を向けると、普通車の間に挟まれるようにして止まっていた一台の白いワンボックスカーが、リーフの上に工事用か何か知らないが長梯子を確かに積んでいた。

 更にオレンジ色のカラーコーンが二、三個ほど積んであるのが、車のリアウインドウから見えていることから工事業者か何かの車だろうと思われた。


「なるほどね。念には念を入れて偽装しているわけね」


「はい、たぶんそうだと思います。たぶん間違いないと思います。他にそれらしい車が見当たりませんから」


 はっきりした口調でそう言いながら女性はシートベルトを解いてシート越しに二人の方へ振り返ると、


「これから私は車を離れてしばらく戻ってきません。私が出た後、二、三分経ったら今度はあなた方が出て下さい。それに合わせるように私の仲間がちょっとした結界を張る予定になっていて、あなた方は誰にも見えなくなっている筈ですから、真っすぐにあの車の方に向かって下さい。

 そして向こうに行ったら、このようなものを運転手に見せて下さい。もし本部からの使者であるなら直ぐにドアを開けて中へ入れてくれる筈です」


 そう言って女性は、二人が見ている前で両方の手の親指と人差し指を使って輪を作り、それぞれをチェーンのように一つにつなげてみせた。


「これが私達の組織間のみで通じるサインです。これを見せて反応があれば私達の仲間ということなのです。ただし間違っても今日は他の指でやらないようにくれぐれも気を付けてください。ふざけたりうっかりしてそれをなされますと大変なことになりますから」


「ふーん、なるほどね。それが賢者の後継者オアクルグの印というわけね。日によって輪のバリエーションを変えて仲間を識別しているわけなのね」


 たちどころに女性が言ったことの意味を解き明かしていたホーリーに女性はにっこり笑うと言った。


「はい、その通りです。どうでも良いことですが今一つうんちくを述べますと、オアクルグという言葉は我々の国の古代語ハガン語では知恵の輪を意味しておるのだそうです。知恵の輪の意味するところは簡単に外せないことから人と人との結びつきを表しているのだそうで、言い換えると助け合うとか支え合うということらしいのです」


 なるほど、何でも意味があるものなのね、とホーリーが。そうなんだ、とイクが無言で頷くと、女性は「それではわたしはこれで」と言って、ドアを開けて車を降り、何事もなかったかのように休憩所の方へ歩いて行った。

 残された二人は、言われた通りに三分ほど待ち車から離れると、ホーリーを先頭にはちきれんばかりに膨らんだナイロン製のボストンバッグを持ったイクがそのすぐ後に続くという構図で、数十ヤード先に見えた例の車まで向かった。

 ボストンバッグの中には冷凍のハンバーガーとSサイズの冷凍ピザが各一ダースと冷凍ポテトの五ポンド(約二キロ)の袋とミネラルウオーターが入った二リットルのペットボトルが四本入っていた。他にも有名銘柄のブランデーのボトルが一本とチョコレートスナックの大袋が一つ入っていた。それぞれ、先のファストフード店とドラッグストアでホーリーが「当座の私達の命の綱よ。覚えておくと良いわ。食料と水は自分たちで賄うのが基本なの。他人がタダでくれる食べ物や飲み物に毒が入っているとも限らないでしょ。そのための用心よ」と言って購入した品で。そのときイクは、それまで出されたものは全部頂いていたことを思い出して、「それって、いけないことだったの?」と初めて驚き、とても気恥ずかしい思いをしていた。

 ちなみに手に持っていたボストンバッグは旅慣れしていたホーリーが前もって用意してあったもので、盗難防止用として魔力を帯びたアクセサリーが普通に付いていた。それに買い物した品を車中で移し替えていたのだった。


 イクが目の前で見ている前でホーリーはゆっくり車に近付いていくと、濃紺の作業服を着た短髪の男が普通に運転席に腰掛けていた。そのとき男は建物の方角をぼんやりと眺めていた。ホーリーに全く気付いていないようだった。

 その様子にホーリーは冷ややかに笑うと、相手に気付かせるために車のサイドガラスをコンコンと叩いた。

 途端に男は何の用だという風に顔を向けて来た。太くて濃い眉に鋭い目つきをするひげ面の男で、年は三十絡みかと思われ、一見すると怖い系の人物に見えていた。

 しかしホーリーはそのような男を気にも留めずに、先の女性に教えられたとおりに手で輪を作って見せた。

 次の瞬間、男は慌てた様子で車の後部のドアを急いで開けると、姿相応の迫力のある地声で、


「どうぞ、中へ」と言って車の中に入るように促した。男に従ってホーリーとイクが車の後部座席に落ち着くと、男は好奇の眼差しで、二人の姿をルームミラーで何度も確認した。次いで男は、


「お二人は思ったよりお若いんですね」そう呟くとニヤニヤしながら車を発進させた。

 そのときの男の言動や振る舞いには、嬉しい戸惑いがありありと見えていた。

 果たして男は、発進してまもなく、明らかに年下に見えていた二人に、「このような薄汚い車ですみませんね、何と言いましても本部まで行くにはこの方が怪しまれずに済みますのでね」とか、「これから本部へノンストップで行くわけですが、四時間もすれば着きます。それまでごゆっくりして下さいね」とか、「暖房はこれぐらいでよろしいですかね」とか、「何か音楽を流しましょうか」とか、「ラジオでもおつけしましょうか」とか言って、二人に何かと声をかけてきた。

 その都度ホーリーは、道端で異性に声をかけるような軽いノリで気安く話し掛けてきた男をうっとうしいと感じていたのか、面倒臭そうな物言いで適当に応じていた。だが終いに二人のプライベートなことまで聞いてきた男に、怪訝な表情で、


「余り図に乗らないでくれる。あなたは私達の世界の掟を知らないようね。何ならそのべらべら喋る口に教えて差し上げましょうか」と、最後通告ともとれる強烈な言葉を吐いて、さらに容赦なく、


「何も冗談で言っているわけじゃないのよ。私達を一体誰だと思って見てくれているのかしら?」と人知れず男に迫っていた。

 男はホーリーのその言動に、二人の素性が超一流のプロの暗殺者アサシンであると知らされていたらしく、しばらく言葉を失い沈黙した後、


「申し訳ございません。これから気を付けます」


 丁寧な口調でそう言ったきり、それ以後二度と話し掛けて来ることはなかった。

 他方、ようやく静かになったことでこれで落ち着けるとホーリーとイクは顔を見合わせて茶目っ気たっぷりに微笑み合うと、ほっと一息ついていた。

 その間にも男が運転するワンボックスカーは本部に向かう路を進んでいた。前方には赤茶げた原野が広がっていた。


 それからどれくらい経ったか分からなかったが、かなりなスピードを出していた車が、突然大きく傾いた。急ぐ余り、スピードを緩めないままカーブを曲がったと思われ。

 そのような男の荒っぽい運転に、その反動でうとうとしていた状態から薄目を開けたホーリーは顔を上げて真っ先に運転席の方を見た。すると男は知らんぷりをして運転を続けていた。運転に集中していた。

 その様子にホーリーはにこりともしないで直ぐ隣へ目をやると、前方の景色がフロントガラス越しに見えた。道路の両側に何の変哲もない森林が永遠と続いていた。その整然と立ち並ぶ様子から、どうやら森林を切り開いて道路はできたらしく。加えて、その片方の森林が時折り途切れた辺りから、黒々とした水をたたえた湖が広がっているのが分かった。どうやら道路は湖の近くを通っているらしかった。

 続いてその下のカーナビのディスプレイに自然と目が行くと、ディスプレイの左上に小さく時刻が表示されており、十時五分となっていた。

 ホーリーは思った。ドライブインを出たのが朝七時半頃だったから、それから四時間後に到着するとして、もうしばらくかかりそうね。

 最後に隣の席に目を戻すと、気持ちよさそうにイクが爆睡していた。


「ほんと、呑気なものね。全然緊張感というものが感じられないわね。こんな子がロウシュのトリガに匹敵する魔物の契約者だなんてね。とても信じられないわ」


 ホーリーはため息まじりにそう呟くと、その後は別に大した感想もなく再び目を閉じていた。ホーリーは知らなかった。イクはそこまで神経が図太いわけでも非常識でもなかったことを。

 ただそのときに限って乗車していた男の車がイクの父親の車と同じ白のワンボックスカーで、しかもシートや背もたれの硬さだとかコンパクトな車内の様子がほぼ一致していたことで、気分的に思いのほか落ち着くことができて、つい自然の流れで深い眠りに落ちていたのだった。

 ――どこへ連れていかれようと関係ないわ。それにしてもけっこう謎だらけの団体みたい。この団体の特異な能力って一体何なのか、全くもってその欠片もまだ見せないだなんて。何かしらの秘密にしておかないといけない事情があるのかしら。

 

 次にホーリーが異変を感じて目を開けたとき、三人が乗った車は動いたり止まったりを繰り返していた。

 見れば、前も後ろも長い車列ができていて、そのほとんどが荷物を積んだ中型・大型のトラックとワゴン車で占められ、普通車は皆目見受けられなかった。

 また、それまでの木々や崖に両側を囲まれた片側二車線の道路が、いつの間にか見晴らしの良い三車線の幹線道路に変わっていて、二百ヤードほど行った先の方に車両が停滞する原因が見えていた。

 果たしてそれは有料道路の料金所ゲートそっくりな姿をした高架状の建築物で。その付近に停止した車両の周りでは、濃紺のジャンパーに頭にはキャップといった服装をする複数の男女が忙しそうに走り回っていた。――なるほど、あの人達はトラックが積んでいる荷物を調べているわけなのね。

 これはもしやと更にホーリーが目を凝らすと、その視線の先に、『ようこそ、ミランボンの都へ』と記された文字が高架上になった建築物の上部に躍っているのが見て取れ。加えて遥か前方の方には、見覚えのあるような無いような高層ビル群がそびえていた。

 ――すると元に戻ってきたわけってことかしら。それから言うと、ほんとうに不思議な縁ね。


 そのようにして待つ間に、やがて男の車の順番が巡ってきたとき、男は慣れた様子でサイドウインドウを開けて許可証のようなカードを係員に差し出した。

 係員は男からカードを事務的に受け取ると、カードの目視はもちろんのこと、すぐさま腰のベルトに装備したカードリーダーにカードを通して真偽を確認した。それが済むとようやくカードを男に返却した。

 その間に別の係員が車の中をちょっとのぞき込む仕草をした。だが、それ以上のことは何もせず、何も言ってこなかった。かくしてものの数分間で一連の検査が終了。それまで車の行く手を遮断していたゲートの棒が上にあがり、スムーズに都内へと入ることができていた。

 その場所はホーリー達が入った入口とは明らかに違って人の出入りは全くなく。こういう風な入り方もあるのだと言う見本とも言えた。


 その後、男が運転する車は見知らぬ通りや場所を次々と通過。やがて昼近くになったと見えて周辺がやたら混雑するようになっていた。そして車は、見上げるくらい高いくろがね色をしたフェンスが厳重に張り巡らされていて、その中に大学病院そっくりの白くて巨大な建物がそびえ立っている、どこかで見たような場所へ辿り着いていた。

 中々見ることのない景色に、建物は、ツアー旅行で来て以来、まだ目に焼き付いていた革命博物館とみてほぼ間違いなかった。

 本部はこの辺りにあるのかしら? 到着時間から考えて、たぶんそうかも知れないわね。そんな思いがホーリーの脳裏をかすめた。

 それならばと、それまで寝たふりをしていたホーリーは、エメラルドグリーンの目を見開くと、フロントガラスを通して車の前方を眺めた。一般車に比べて車高が高いワンボックスカーからそれなりの景色が見えていた。ふん、あそこが良いかもね。

 そうして、信号待ちで車が止まった頃合いを見計らうと、運転席の男の方に向かって素知らぬ顔で問い掛けた。


「ねえ、ちょうど昼時みたいだし、この辺りで昼休憩をしたいのだけど。構わないかしら?」


 そう言われた男は、ホーリーの余りにも唐突な要求に面食らったのか、当然ながら「それは困ります」と難色を示し、


「もう少しです。もう少し待っていただければ到着します。向こうに着けば歓迎いたしますので、それまで我慢していただけませんか?」


 と思わず口を滑らせた。そんな男の返事に、どうやら推測があたっているらしいと実感したホーリーは心の中でほくそ笑むと、


「私達の言うことを訊けないってこと? 私達を舐めないで貰えるかしら。

 確かにあなたの言うことは分かるわよ。けれど私達は会うことに同意しただけで引き受けるとはまだ言っていないの。それまでは誰の束縛も受けないわ。それにね、これはわがままで言っているわけじゃないの。災害に遭わないための長年の知恵みたいなものかしら。私達は仕事柄、敵が多くてね。時間通りに行動することは相手に絶好のチャンスを与えているみたいなものなの。時間通りに行動していると、いつか日頃私達を良く思っていない者達の待ち伏せに遭って、あっという間にこの世からおさらばだからよ。

 ねえ、暗殺者が暗殺されちゃあ様にならないでしょ。このことは分かって貰わないとね」


 低い声でねちねちと言った。すると男は戸惑いの表情で、


「それはそうですが……予定にないことなので私の一存ではどうにもこうにもなりません。それにあとで何かあると私の責任となってしまいますので……」などと全く要領を得ない返事を繰り返すのみで。明らかに返答に困っているのが丸わかりだった。


 その様子にホーリーは、男の声で眠りから既に覚めて目をぱちくりさせていたイクを横目に、冷ややかな笑みを浮かべると言った。


「私達も無理なことを言うつもりはないわ。ほんの三十分ほどの時間があればそれで良いのよ」


「はあ……」あくまでマイペースなホーリーに男は運転席からぐるっと辺りを見渡して、どこにも食べ物屋がないのを確認すると、


「そう言われましてもですねえ、この辺りには食事をするところはないようですが。それに今から向かうとなると三十分くらいじゃとても時間が足りません。おまけに今の時間帯じゃあ、どこも混んでいて食事をするどころではないと思うのですが?」と異論を挟んだ。

 そんな男にホーリーは涼しい顔でぽつりと呟いた。


「あらっ、そうかしら」


「と言いますと?」


 不思議そうに首を傾げた男に、ホーリーはにこやかに笑うと言った。


「この先の二番目の信号をさらに行った右側にファストフード店のドライブスルーがあるわ。そう、ここからざっと見た感じ五、六百ヤードくらいあるかしら。ええと、サーヴィーズという名のお店みたい。今は二台ほど止まっているけれど、あそこならテイクアウトするだけだからそんなに時間がとらないわ。そこへ向かって貰おうかしら」


 あたかもこの付近の地理を見知っていると言う風に話したホーリー。ホーリーの超異常な視力がさせた結果だったが、そうとは知らない男は呆気にとられると、今度は信じられないと言う風に首を振った。その狼狽振りは前の車が動き出したのに気付かぬほどだった。

 だが結局、そこまでホーリーに詳細に言われては男は文句のつけようがなく。黙って従うと、そのようなものがこの辺りに果たしてあるのだろうかといった様子で車を進めた。

 すると何としたことか、ホーリーが告げた辺りにサーヴィーズという名前の店舗が現実に存在して営業していた。

 その成り行きに、「やれやれ、何と言ったって相手は異能力の持ち主だ、千里眼のような力を持っているのだろうな。これは全てをお見通しのようだな」と男は観念すると、ドライブスルーに並んで順番を待っていた最後尾の車両の後ろに自身が運転する車を付けた。

 そのようにして十分ほど待つこと、ようやく順番が巡ってきたとき、自分はいいですと辞退した男が見ている前で、ホーリーは惣菜入りのパンとコーヒー、イクはアップルパイとコーラをメニュー表からオーダー。ドライブスルーの駐車場に車を止めさせて昼食を摂っていた。

 その後、ようやく目的地に向かって出発。男が運転するワンボックスカーは革命博物館が建つ広大な敷地の周囲を半周すると、人目につかない脇道に入っていた。そこは博物館の裏手方面にあたり、不思議なことに人や車の往来が皆目見られず、わびし感が漂う路だった。

 そこで目につくものと言えば、防波堤のように何万フィートにも渡って途切れ途切れに続くコンクリートの壁と高架やトンネルとつながりながら幾つにも分岐する道路と、後はスクラップになった車両や廃タイヤや壊れた家具類やコンクリート廃材が山積みとなった光景だけで他に何もなかった。草木一本生えていなかった。まさに殺風景と言って良かった。

 だがすぐにその理由がなぜか分かったような気がした。その遥か前方に、以前大規模な内戦があったことを示すように、がれきしか残っていない荒涼とした世界が限りなく広がっているのが見えたからだった。


 男が運転する車は、途中で途切れていたり有刺鉄条網で遮断されていた道路を避けると、地面に大きな陥没があったり亀裂が走るなど半壊していたり、置き石があったり廃タイヤや様々な廃材が放置されていたりと、内戦の傷跡が今なお残る路を綱渡りをするように進んだ。

 男が、この方(工事車両に似せた方)が目立ちませんし怪しまれないのでと言い訳したのもうなずけるものだった。

 だがそうはいっても、相当な厚みのある巨大なコンクリートの壁が、道路全体を塞いで、それ以上通れなくなっていた地点へと最後は差し掛かっていた。

 ところが、その行き止まりになった手前で車を止めた男は、なぜか「お疲れ様でした」と嬉しそうに言うと、首にぶら下げていた弾丸型をしたペンダントを取り出し、その先を口に加えて息を強く吐きかけた。音は何もしなかったが、それでも効力はすぐに現れ、目の前のコンクリートの壁に大きな坑道が突然姿を現した。その内部は真っ暗で見るからに奥行きがありそうで。男は直ちに車のヘッドライトを点灯すると、徐行しながら坑道の中へと車を進めたのだった。


 それから一、二分もしないうちに、三人が乗る車は地下の広い空間にいた。

 坑道の一角がうまい具合に地下へ降りるエレベーターとなっており、車ごと自動的に辿り着いていたのだった。

 そこは比較的高い天井部にスポットライトの明かりがパラパラと灯るのみで、薄暗いと言って良く、都心にある大型商業施設の地下駐車場と何ら変わらなかった。そして、やはりというべきか、一般の普通車両からワゴン車、大型バス、貨物自動車といった商用車、フォークリフト、ショベルカー、ブルドーザー、トラックといった各種工事車両がずらりと並べて止められてあった。その数、ざっと見て百台近くはあった。

 その空いたところへ車を移動したところで、「さあ行きますよ。付いて来て貰えますか」と男は告げると、先に車から降りて歩いていった。言われるまま二人も追随した。

 全て監視カメラで事足りているらしく、辺りは静寂に包まれており、全くといっていいほど人の気配がなかった。


 男は、「移転して間もないものでして、私もまだ中のことはそれほど知らなくて」と言いながらエレベーターを使い、さらに下の階へと二人を案内した。そこはフロアも壁も天井も淡いクリーム色に統一されていて、しかも天井に埋め込まれた照明が眩しいほど光り輝いていて一種独特の雰囲気を創り出していた。また目印になりそうな案内看板とか矢印の記号とかは何もなかった。加えて所々に袋小路になった箇所もあったりと、ある意味迷路の様相を呈していた。

 そのせいか、かの男も進む方向を何度か誤っては、行き止まりになった場所から引き返すことを繰り返していた。

 そのような具合いで、ようやく辿り着いたのがシルバー色に光る両開きの扉が入口になった部屋で。その前で立ち止まった男は頑丈そうな扉やレバー式になった特殊な取っ手を見て納得いった表情で、


「ここで間違いないと思うんだが?」


 そう呟くと、気になったのか一度周りを見渡して改めて確認を取った。次の瞬間、


「本当にここなの?」


 ホーリーの冷静な声が男の背後に響いた。

 その声に男は振り返ると断言した。「たぶん、ここです」


「本当にこの場所で良いのね」


 ホーリーは更に念を押した。そう言うのも無理からぬことだった。男がここまで来るまでの道のりで何度か行き場所を間違えていたのだから。


「ここで間違いないはずです」男は自信ありげにきっぱり応えた。


「ふーん、そう。それにしても誰もいないんじゃないの?」


「なーに、心配いりません。すぐに会えます」


「この扉、鍵がかかってるの?」


「たぶん。開錠ボタンを押しても開きませんから」


「ふーん、何とも段取りの悪いこと」


「どうも、すみません」


「それにしてもここまで来るのに誰にも会わなかったけれど、人はいるんでしょうね?」


「はい、それはもう大勢います」


「じゃあ、どこにいるの?」


「あ、はい。この下の階です」


「あ、そう。どれくらい?」


「えーと、それは秘密です」


「あら、そう。ところでその人達はどうしてこちらに一人も姿を見せないの?」


「ああ、そのことですか。今の時間帯はまだ就業中なものですから」


「じゃあ、あなたはどうして外に出られるわけ?」


「私は渉外担当ですから、その点は自由に動けるんです」


「ふ~ん。それにしてもここは何だか特殊な場所みたいね。通路がこうまで明るいのは理由が何かあるのかしら? あなたが迷うほどだから防犯対策でやっているわけ?」


「たぶんそれもあると思いますが、下の階では薄暗い中での作業が中心になりますので、しかも二十四時間体制の作業となりますと、どうしても体内時計が狂いがちになりますものですから」


「なるほど。それでここの階を眩しいくらい明るくしているわけなのね」


「はい」


「それにしても、あなたのところは謎だらけね。今までに色んな人達と接触する機会を持ったけれど……」


 といった具合に、六フィート以上の背丈があった三十絡みのひげ面の男が、男より身長が低くて明らかに若く見えるホーリーから上から目線で尋ねられて、神妙な顔で応えるというこっけいな光景がしばらく続いた。

 そんな二人の会話をイクは内心笑って見ていた。これはもうホーリーさんのペースね。このおじさん、すっかりホーリーさんの術中にはまっているみたい。

 ところがそのようなのどかな雰囲気もそこまでで、コンクリートのフロアを歩いてくる複数の靴音がどこからともなく聴こえてくると、二人はピタッと立ち話をやめ、イクともどもその方向へ振り返っていた。

 果たして、ブラウン系の高級そうなスーツにストライプのネクタイといった、いかにもビジネスマンといった身なりの男がしっかりとした足取りで堂々と歩いてやってきた。しかもそのすぐ後ろには、同じくスーツ姿の取り巻きを従えて。その様子は会社の社長とその部下と言った感じで、この建物内に入って初めて出会う者達だった。

 ちなみに、彼らがちょうどよいタイミングで現れたことは、全ての通路が監視カメラで見られていると考えれば、別に不思議でも偶然でもないことと言えた。


 先頭を歩いてきた男は、五、六十代の年齢層で、きちんと整えたグレーの髪に同色の口ひげを生やし精悍な顔つきをしていた。身長もひげ面の男ぐらいあった。

 当の男がニコニコしながら近付いてくると、「お二人をお連れしました」とホーリーとイクを案内してきたひげ面の男が、妙にかしこまった顔つきで先に口を切った。


「やあ、ごくろうさん」


 グレイの髪をした初老の男からよく通る声で返事が返ってくると、男は直立不動でそれまでのいきさつを説明した。そして任務が終わってほっとしたのかホーリーとイクに対するあいさつも忘れて元来た方向へ歩いていった。

 ひげ面の男が立ち去った後、初老の男は残った二人に目を細めて微笑みかけてくると何かを話そうとしてきた。そんなところへ、先にホーリーが抑揚のない声で口を切った。


「あなたが私達を招待したわけなのね」


「あ、はい、その通りです」


 不意をつかれたのか一呼吸置いてから初老の男が口元に笑みを浮かべて丁寧に応えてきた。


「この私が今この組織を任されております者です。と言っても名ばかりですが」


 冗談とも本気ともつかない台詞を吐いた男に、ホーリーが小さく頷くと訊いた。「それで私達は何をすれば良いのかしら?」


 分かったと男はこっくりと頷くとニコニコ顔で応えた。


「ここで立ち話も何ですから、中でゆっくり話し合いましょう。そちら様も我々に用事があるということのようですから」


「それもそうね」


「では……」


 そう言うと男は、後ろに従えてきた男女とホーリーとイクが見ている前で扉の正面に立つと、人差し指に指輪をはめた手でレバー式になった扉の取っ手に触れた。次の瞬間、カチッと軽い金属音がして鍵がかかって開かなかったはずの扉がいとも簡単に左右に開くとともに、暗かった内部に明かりが点灯。一瞬にして通路と何ら変わらないくらいに明るく変わっていた。男は片方の手で白く光り輝く扉の奥を指し示すと、


「お二人とも、さあさ中へと入って下さい。遠慮はいりません」


 そう促して、一足先に中へと入って行った。そのあとをお供の男女が続き、二人は最後に入っていた。


「何もありませんが、私が是非欲しいと無理を言って作らせた部屋です。これくらいのスペースがないと何もできません」


 先頭を歩く男が自慢げに語った。男のその言葉に、最後尾の方を揃って歩きながら、中に一歩足を踏み入れたホーリーとイクは思わず頷いた。全くその通りね。ほんとだ。

 事実、室内はがらんとしていた。天井が先の駐車場くらい高かった上に何も置いていない空間は広々としていて、まるで倉庫の中に入ったようだった。

 男は脇目も振らずにずんずんと奥の方に進んで行くと、部屋の最深部付近まで来てようやく立ち止まり、キョロキョロと辺りを伺う仕草をした。

 その目と鼻の先には、二十名ほどが一度にゆったりと座れるくらいの大きな楕円形のテーブルとイスのセットと、あと同じ規模のソファとテーブルのセットが横並びに置かれてあり。どちらを選ぶか思案したらしかった。

 果たして、「こちらの方が良いな」と呟くとテーブルとイスのセットの方へ向かった。その後へ総勢七名のお供の男女がぞろぞろと続き、ホーリーとイクも彼らに追随した。

 それから間もなくして、男は親近感を与えるためなのか上席に向かわずに、テーブル長辺部の端から四番目の席の前にわざと立った。それに呼応するように七名の男女は相向かいの席に一列に並んで佇んだ、長である男が先に腰掛けるのを待つかのように。ホーリーとイクも仕方なく彼等に倣うと、テーブルの直前で立ち尽くした。

 すると当の男は、にこやかに微笑んでざっと全員を見渡すと、


「みなさん。ごゆっくりして下さい」そう伝えて先に席へと着いた。一斉に男女が男の言葉に従うように席へと腰掛けると、二人も同様に彼らの続きの席に腰を下ろした。

 楕円形をした長テーブルの上は思いのほかすっきりしていた。何も置かれていなかった。そのせいか周りに自然と目が行った。

 ただし、そこで見えるものと言えば、隣の総革張りのソファセットと、あとは部屋のディスプレイなのだろう、壁際に置かれたガラスのケースの中に、年代物の民族衣装や防護服のような不細工な衣服を身に着けた成人のトルソーとマネキン人形が二十体ほど陳列されているのが見える程度で、それほど目を引くと言うものではなかった。


 相並ぶ他の男女が静かに目を落としてテーブルの一点をじっと見つめている中、他にすることもなかったのか、例によってホーリーはほんのしばらくの間、それほど趣味が良いとは言い難い上に、取り立てて面白くもなく暇つぶしの材料にも大してならないそれらをぼんやり眺めていた。ところがある時点から急に目を輝かせたかと思うと、初老の男に向かって、


「ちょっと良いかしら」


 そう話し掛けると、相手の同意も得ぬまま勝手に席から立ち上がり、ショーケースの方へ歩いて行った。

 そのようなホ―リーの不思議な行動に、何のことやらさっぱり分からなかったがイクも急いで席を離れると、ホーリーの後を追った。ホーリーさん、どうなっちゃたのかしら? もうさっぱりわかんないわ。

 するとホーリーはケースの前に立つと、中を興味深そうにのぞき込んでは、周りの目など気にせずに感嘆の声を上げていた。


「コロデヲンの革鎧、防弾防刃ジャケット、アーマースーツ、防弾防刃ベストみたいね。

 ジャンク品しか出回っていなくって、こんな新品なんてお目にかかったことがないわ。

 ブカンドーのシュートボウ、インターセプトガントレット、ブレードガントレット。フロックスのコートアーマー、コロナカッター。タグはないようだけどメタルハート社のゲールかしら。

 わあ凄い! この品、スリーセブンマートで売っていたのを買いそびれたのよ。やっと巡り合えたと思ったら他人のコレクションになっていたとはね」


 ホーリーはガラスケース内の人形を一通り見て回ると、次にその近くにあった、それまで目立たなく存在していてただの木製の収納ボックスにしか見えていなかったボックスタイプのショーケースに場所を移動。中に陳列されていた、シガレット・パイプ・ライターと言った喫煙具。各種弾薬とハンドガン。ライフル。手りゅう弾。ナイフ・特殊警棒・防弾盾・衝撃吸収盾・防刃手袋といった品にシンバル・ベル・横笛・ホイッスル・ハンドハープ・ラッパといった楽器。動物のぬいぐるみ。カラフルな紐の束。ブレスレット・ブローチ・ネックレス・指輪・アンクレット・ティアラ・ベルト・イヤリングといった装身具。色とりどりの薬品の瓶。聖杯・香杯といった器など、その数はざっと五百点はくだらないと思われた品を熱心にのぞき込んでは、またしても感嘆の言葉をざっくばらんに漏らしていた。


「これは確か、コヨーテ社の革ひものようね。ホームトセンガンの腕輪、ソロンジンの指輪。グローバリーアンチモンのサバイバーナイフも揃ってるわ」


 ホーリーの後ろでそれがどういうものなのか分からないまま呆然と見ていたイクは、余りに彼女の機嫌が良さそうだったことで、何となく思い浮かんだ疑問を尋ねていた。


「それって何ですか?」


「あなたは初めてみたいね。これはね、魔法のアイテムと呼ばれるものよ」


 振り返ることもなしに応えたホーリーに、「へえー」と声を上げるとイクも陳列品をじっと眺めた。

 これがあの魔法のアイテムというものなの? そういったって魔法の杖はどこにもないみたいだけど。


 そこへホーリーが口も滑らかに続けた。


「ただしこのままじゃ、それほど役には立たないけどね。手を加えて自分だけのオリジナルなものにしてこそ初めて効力を発揮するの。だってそうでしょう。誰が使っても同じ効果が得られるなら、ちっとも面白くないでしょ。他の誰よりも優位に立とうと思うならそこへプラスアルファーして効果を上げないとね」


「ふーん、そうなんですか」アニメとファンタジー映画から得ていた知識を参考にしてイクは何となく分かった気がした。なるほどね、魔法の杖は個人で作るものなんだ。


 そのような会話を二人がしていたとき、二人の背後に男の低い声が響いた。


「どうですか?」


 七名の男女を引き連れて来た初老の男だった。独断専行に一人だけ勝手な行動をしたホーリーが気になって見に来たのだった。


「素晴らしいコレクションですわね。これほどまでのコレクションを良く揃えることができましたものです。専門のアイテム屋でも滅多にお目にかかれない希少な品が揃っていますもの。私も幾つか同じものを持っていますけれど、これだけの品を揃えているマニアは見たことがありませんわ。ほんとに素晴らしいコレクションですわねえ」


 陳列品を見つめながら、まるで後ろに目が付いているかのようにホーリーは応えた。


「喜んでいただいたら幸いです。ですがコレクションではありません。ここで展示してあるのは色合いや包装は皆様々ですが中身は全て我々のところで製造したものです」


 男は嬉しそうにニコニコ微笑んで言った。


「へえー、知らなかったわ。そうするとプロトタイプを造っていらっしゃるということかしら?」


「依頼主の希望に応じてそういうものも製造しますが、我々のところはどちらかというと量産品が主力です」


「すると、世界展開していたりして?」


「ずっと以前は国内だけで販売していたのですが、時代が変わって今は欲しいという要望が世界各国からあるものですからその方向に販売を広げております」


「なるほどね……」


「そうですか。すると我々が何を凌ぎにしているのか、向こうでお聞きになられなかったので?」


「いいえ、聞くことは聞いたわ。でも向こうに行けば分かることだからと、曖昧に応えてきただけで、全く話をしてくれなかったわ」


「お二人はこの国は初めてで?」」


「ええ」


「我々のことを調べられたことは?」


「ああそのこと。ありませんわ。存在していることすらも知りませんでしたわ」


「ああ、そうですか」


「ところで、基になる材料はどのようなものをお使いかしら。これだけの品を製造するからにはかなりな規模だと思うのだけど」


「それはご想像にお任せします」


「あ、そう。キャンドール系、ジャバラ系、スルホデニール系、ナゾダウン系のパラサイト植物かトランスミルト植物の果肉や根の繊維を使ってるとか?」


「よくご存じで」


「個人的にラボ(実験室)と製造工房を持っていて、自作したり合成したりしているものでしてね」


「その系の植物は幻覚作用や中毒性が強いですからね」


「ああ、確かに」


「ずっと以前は使っていましたけれど、今は使っておりません」男は笑って受け流した。


「ともかくここでは何ですから座ってお話をしましょう」


「そうね。ところで私達がこの国にやってきた理由を聞いて貰えたかしら」


「はい、もちろん聞いています。そのことならここでは何ですから、後で別室にてお話しましょう。何しろ、我々にとっては余りありがたくない話ですから」


「ああ、そう」


 それから間もなくして、二人が何食わぬ顔で席に戻り、初老の男は腰掛けた全員と面談するような形で口を開いた。

 何も置かれておらず、殺風景と言って良かったテーブル上には、ちょうど五人の目前に来るように全紙サイズのシート用紙が一枚置かれていた。それは、どこからみても本部一帯の地表を上空から写した航空写真で。男がホーリー達を見に席を外したついでに、多くのファイルが整理されて入っていたキャビネットの引き出しから抜き出して持ってきたもので。「今はこれしかなくてな。しかし辺りは少しも変わっていない筈だから何も問題はないと思う」と言って置いたものだった。


「皆さん、お待たせいたしました。そろそろ始めたいと思います」


 どこか醒めた雰囲気の中に、穏やかであったがしっかりした声が響く。


「初顔の方もおいでになりますから、先ずは自己紹介から始めようかと思うのですが、部外の方々も列席しておりますので、ここは私が代表して一人一人を紹介させて頂きます」


 男はそうあいさつするとテーブル上に置いた携帯をちらりちらりと見ながら続けた。


「えーと、先ず最初に私ですが、コードネームはテンダー。えーと、皆さんご存じのように、営業部門の統括責任者をやらせてもらっています。次に私の真向いに腰掛ける彼ですが、彼はコード―ネーム、メイス。ポーワ州の支部所属で、普段は業務部に属して他の支部の支援を主に担当して貰っています」


 そう紹介されて、それまで頭を垂れて聞いていた当人が無言で顔を上げた。両サイドを短く刈り上げて立派なあごひげを蓄えた四十代ぐらいの男で、一見落ち着き払っているように見えていたが表情は硬かった。


「その隣に腰掛ける彼ですが、彼はコードネーム、デール。コーフラント州の支部所属で、普段は配送部門の責任者をしております」


 同じように男がスーッと顔を上げた。髪を短く刈り上げ、吊り上がった両目が血走っていて怖い表情をしていた。三十代ぐらいかと思われた。


「そしてその隣は、コードネーム、ヒル。ポサート州の支部所属で、普段は私と同じく営業活動を行っています」


 男はほんのわずかな時間だけ顔を上げたが直ぐにうつむいてしまっていた。男は鼻から顎まですっぽり隠れる黒いマスクをしていて、目をぎらつかせていた。デールと紹介された男と同じ年代ぐらいだろうと思われた。


「それから女性の方ですが、順番にセラ、フォンテーヌです。セラはトゥロピアテ州の出身で、フォンテーヌはレニー州の出身で、いずれも本部に所属して、セラの方は、新商品の開発と品質管理の部門を担当して貰っています。フォンテーヌは本部内外で予期しない障害が起きたときに対応に当たるクレーム関係の職務に就いて貰っています」


 次の瞬間、初老の男に紹介された二人がむすっとした表情で顔を上げた。いずれもブロンドのショートヘアで、セラと紹介された女性は黒っぽいサングラスを掛けていた。一方フォンテーヌはメタル色のゴーグルを掛けていた。二人とも表情が分かり辛かったが、二十代の中程から後半ぐらいかと思われた。


 三人の男達に続いて二人の女性達もまた一言も話さなかったことに、初老の男は苦笑いを浮かべると、


「いずれも頼りにできる者達だと私は信じています。そして最後に私ですが、長年に渡ってクライアントに製品を売り込む間に、にわか仕込みで覚えた芸ですが少しぐらいはこの中の戦力になろうかと思っています」


 実のところ、五人の男女はホーリー達の目を盗んで連絡してきた運転手役の男から、二人が若いせいもあって世間知らずで自分勝手で短気でわがままで扱いにくいというデータを予め得ていたのだが、二人の行動が全くその通りだったことで、より警戒を強めて神経をとがらせていて、それが無言という行動に現れていたのだった。

 一方、そのようなこととは知る由もなかったホーリーとイクは知らん顔で傍観していた。


「以上で我々のところの紹介はこれで終わりです」そう言うと初老の男はおもむろにスーツの内ポケットから黒革の手帳を取り出してテーブル上に置き、広げて中を見ながら言った。


「えーと、続いて我々にご協力していただける方々の紹介ですが、隣の席に腰掛けるお二人は、エルミテレス氏並びにレクター君と言います。

 中でもエルミテレス氏は、何分とプライベートなことなので、この場で話すのははばかるのですが、正直に話しますとゴドーと共に昔からの飲み友達でしてね」


 ホーリーとイクは知るすべもなかったがゴドーとは団体の本部長の本名で。ゴドーと気安く呼ぶあたり、男は団体内では大きな存在と言えた。


「おまけにラシ州並びにグッディ州の支部長と副支部長とは盟友といっていいぐらい長い付き合いで、たまたまグッディ州を訪れて支部に滞在していたところ、災難に遭われて、支部長等共々部下を逃がすために協力して下さいました。その際、支部長と副支部長は深手を負い、他にも出合い頭に三名の犠牲者を出したものの、それ以外の者達が無事に逃げ出せたのは、お二人が活躍して下さったからに他なりません」と二人を持ち上げた。対して黙ってそれを聞いていた当の二人は和やかな笑みでもってそれに応えていた。


「また二人とも、あのビッグパンプキンからの紹介と身元は確かで。おまけに二人は敵と戦った唯一の生き証人でもあります」


 ビッグパンプキンと耳にして、ホーリーがちょっと二人の方を振り返り、直ぐにふんと顔をそむけた。知らない顔ね。誰かしら。

 エルミテレス氏と名指しされた人物は、産毛のような毛がわずかに残る程度のほとんど禿げ上がった頭をして、顎の下に手で撫でられるくらいの白髭を伸ばしていた。ちょっと小太りで、見るからに、そこにいた全員の中で一番老けて見えていた。

 レクター君と紹介された方は、短く刈り上げたグレイの髪を今風に逆立てた、年の頃は二十代前後あたりかと思われる若者で、意志の強そうな精悍な顔つきをしていた。

 他でもない、とある陸軍基地で開かれた催しに、世界導師協会の一員として命を懸けて出場したアリストとロンドだった。

 ソランと対戦して、あともう少しというところでソランの中に住まう異世界の住人、ソランデュ・ギア・ザ・マグテーンによって、自ら操縦する人型巨大ロボット、ゴーレムが自爆する形で吹き飛び敗れた老人は、もはやこれまでかと思ったものの奇跡的に生き延びていた。

 というのも老人がいた場所は金庫のような密室構造になっていて、爆発の影響によっても焼け死んだり五体がばらばらにならずにどうにかこうにか済んでいた。それでも勢い良く外へ投げ出されたことで、生死の境をさまようはめになっていた。

 そして気が付いたときは、秘科学協会が準備した簡易の病室にいて、その後すぐにロンドの手配で導師協会の息がかかる病院へ移送されていた。そこで下された診断は、最初に診た担当医の処置が的確だったせいで命に別条はないものの肋骨の圧迫骨折と全身打撲。あと、能力者に特有な意識障害が見られるということで、約一ヶ月の安静と二ヶ月間の予後観察が必要とされていた。

 ところが、持ち前のサイコキネシスを行使して回復速度を促進。驚異の回復力でたった一週間で退院していた。ロンドも同様だった。ものの二日で骨折とやけどを完治させていたのだった。

 そんな二人に協会はまだ利用価値があると見たのか、休む間もなく次の任務を与えていた。

 その任務とは、協会がセレクトした今現在世情が安定していると思われる国家十ヶ国から自由に一ヶ国を選んで赴き、向こう三か月間現地に滞在して、表裏の社会の現状について感じたことをレポートにまとめて送るといった、命の危険が伴わないどころかバカンスにほぼ近い楽な指令だった。

 そのことについて、確かに敗れはしたものの下位のクラスながら良くやったと協会の上層部が評価して、そのほうびとしていきなはからいをしたのだろうと二人は思っていた。

 そのため二人は相談して一つの国を選択すると、直ぐに赴いてその国を観光して回っていた。その途中で、アリストの知り合いがいた支部を訪問して気楽なひと時を楽しんでいたときに運悪く災難に出会ったと言うのが事のてん末であった。

 それにしても不思議な巡り合わせであると言わざるを得なかった。今尚ホーリー達の組織ロザリオと世界導師協会は険悪な関係が続いていた。お互いにそうとは知らなかったとはいえ、そんな敵同士が協力し合うために同席するとは。


「それについて後で二人に語っていただこうかと思っています。最後に若いご婦人達方ですが、お二人もビッグパンプキンつながりで、この地へ別な用事で来ておられたのを、旨い具合に我々のところにコンタクトを取ってきたのをこれ幸いと協力していただこうとここまでお連れした次第です。

 えーと、フランソワーズ様とローズ様でしたね?」


 手帳をちらりと見て確認を取った男に、ホーリーとイクは無理にニコッと笑って応えた。

 その瞬間、ホーリーとイクに向かって隣の席にいた老人と若者が一瞬視線を向けて来た。ビッグパンプキンと聞いて気になったらしかった。


「何かございますか?」


 初老の男が、彼等に構わず知らんぷりをするホーリー達に向かって話を振った。


「別に。続けて下さらない」ホーリーが返す。


「では先にお聞きしたいのですが、私共にご協力願いませんか?」


「……」


 何も応えず押し黙ったホーリーに男は、


「お隣のお二人は、今回この話を持ちかけると心良く引き受けると言って下さいました。そちら様はどうなので? 私共にご協力願いませんか?」とアリストとロンドを名指しして問い掛けて来た。


「そうねえ……」ホーリーはほんの少し考えるように沈黙すると言った。 


「長く束縛されるならお断りよ。私達も忙しい身なのでね、この地でいられるのはあと少し。そう四、五日といったところなの」


「ああ、そのことなら、安心してください。そう手間は取らせません」男は口元に笑みを浮かべて応えた。


「明日は無理でも明後日には片が付く手はずになっています」


「ふーん」ホーリーは宙に視線を走らせると、さり気なくささやいた。「私達もプロなのでね。それに個人事業でやっているわけでもなくってね。分かっていらっしゃると思うけどボランティア活動はできそうもないわ」


「ああ、そのことでしたら、ここで要求をおっしゃって下さい。余りに法外な要求は受け入れることはできませんが、できるだけのことをします」


「あ、そう」ホーリーはあっさり言葉を返すと、頬に手を当て、ちょっと考える仕草をして言った。


「そうねえ、前払いとして、そう十万の現金が良いわ。現金と言ってもそちらの通貨じゃなくって、コンチネンタルドルの方でお願い。それと金の延べ板を十万ドル分ね。あと成功報酬として、そちらの製品を貰おうかしら。

 といってもまだどれが良いか決めかねているの。カタログか何かなーい? あればそれで品定めしたいのだけど」


「はい、もちろんカタログはあります。どの手のものがよろしいでしょう?」


「そうね、一応全て見せて貰おうかしら。あとはそうね、できれば工場見学をしたいのだけど。中々こういう機会がないものでね。すごく興味があるの。あとそれが終わったら貰う品を決めるとするわ。総額で二百万ドル分ぐらいのね」


「中々大きく出ましたな」


「あらそうかしら。これでもサービスしたつもりなのだけれど。不服かしら。それなら説明して上げるけれど、私達のクラスになると何と言っても一人当たりの魔法アイテムの装備が予備を含めると普通に戦車二両分は掛かっているの。

 それに加えて、どうしても使い捨てとなる弾薬や爆薬といった消耗品代も全部こちら持ちになるから馬鹿にならないし。

 よって、今回の依頼だって、余程うまくやらないと利益が出るかどうか怪しいものなのよ。あなた達も魔法アイテムを製造販売しているのだったらそのところは十分承知していることと思うのだけれどね」


 ホーリーに痛いところを突かれて、男はぐうの音も出なかったらしく。少し考えて、


「分かりました、お受けしましょう」と大人しく受け入れていた。「それではこれでお仲間ということで宜しいでしょうか」


「ええ、どうぞお好きなように」


 ホーリーは平然と応えた。ふん、ちょろいものよ。だって全部ほんとうのことなのだから。


 二人きりのやり取りだけで決まったホーリー達への報酬額に、ため息にも似た息遣いが誰からともなく漏れ出た。しかしながら、そのとき出席した誰からも不思議と異論が出なかった。すんなりと容認されていた。初めて聞くプロの暗殺者への報酬がこの程度のものかと評価された結果だった。

 そのようなところへ、咳払いとともに落ち着き払った声が初老の男から漏れた。


「それではこれからの方針を説明したいと思います」


 年相応にしわがれていたが張りのある声が響く。


 男は、「途中で質問や意見があれば遠慮なく自由に発言してくれて結構。あくまで君らと本音で話したいのでね」と口を切ると、団体の重鎮であると思えない低姿勢な態度で、手始めに被害を受けた建物や車両や人員の具体的な数字を簡単に挙げながら被害状況のあらましを述べた。続いて被害地域を検証して分かったことや、そこを襲った犯人達のおおよその人数や犯人像についてこう話した。


「えーと、敵の正体だが、人数ははっきりいって不明なのだ。我々の仲間の遺体の状況や相手の足跡の数などから考えて分かっているのは少なくとも五人以上いるということだけだ。

 被害の状況から、敵の中に凄腕のスナイパーやネクロマンシーの使い手や火炎を操る能力者か魔術師がいるらしい。

 上手く逃げ出すことができた者の供述によると、急に息苦しくなって体の自由が利かなくなったということだから気体を操作する能力者もいるらしい」


 そのとき、老人と若者が証人としてそれぞれ発言した。


「皆それぞれに相性というのがあるが、あのときは最悪じゃったな。死ぬかと思ったよ。

 ほんとうに逃げるだけで精一杯じゃったな。ともかく反撃しようにも周りが真っ暗で何もみえないのだからどうにもならんかった。それに気配すら感じられなかったし。そのような相手をどうしようと言うのかのう」


「得体のしれないものが下や真上や背後やらと予期せぬところから攻撃して来ました。切っても爆破しても相手は影響ないようで、一度は引き下がるのですが再び攻撃してきました。つかまれた感触は氷のように冷たくて、スライムのようにぬるぬる感が半端でなかったです」


 果たしてその後に質問や意見が次々と出た。


「この顔ぶれと話の内容から大体の見当はついているのですが。改めてお聞きします。我々は何のために集められたのでしょうか?」


 メイスと紹介された男が、思いつめた表情で先ず口を開いた。対して初老の男は、

「その質問は愚問だな」と一笑に付すと言った。


「君の中で思い描いている通りだよ。これで良いかな?」


「はい、そうですか。分かりました」


 余りにもあっさり引き下がった男に、初老の男は少し考えて付け加えた。


「これらメンバーをまとめるリーダーとして君には期待をしているんだ。団体を救うためと思って力を発揮していただきたい」


 するとそこへ、メイスのちょうど反対側にあたる席に腰掛けた若い女性フォンテーヌが不満そうに口を挟んだ。


「なぜ私達なのです。他にもいるんじゃないでしょうか?」


「確かに君ら以外にも優秀な人材はいるよ。しかしね、君らは私じゃなくて団体が直々に選んだ優秀な人達なのだよ。そこのところを汲んで欲しい。ところで君は珍しい異能力を持っているそうだね。その能力を今は我々は必要としている。ぜひ力を貸して欲しいんだ」


 次に、今にでも切れそうな怖い表情のデールがやや早口で、


「なぜそんなに急ぐのです。性急過ぎないですか。それに情報が少な過ぎます。もう少し情報を収集して万全を期して対策に当たってはどうでしょう?」と威勢よくまくし立てた。


「支部や旧の本部が次々と襲われている現実を見れば、そんな悠長なことを言っていられないだろう。このままでは、いずれこの場所も突き止められてしまう。今のうちに先手を打って敵を排除しないといけないのだ。ここを突き止められたら、正直我々は終わりなのだよ。

 奥さんにお子さんが生まれるそうだね。初めての子だということで忙しいところを来て貰ってすまない。ぜひとも力を貸して貰いたい。よその団体に長くいた君の経験がどうしても必要なのだ」


 穏やかに初老の男がそう応えると、そこへ黒いマスクをしたヒルが遠慮するようにぼそぼそと尋ねた。


「取締役も現場に出るおつもりですか?」


「私は逃げも隠れもしない。もちろんそうするつもりだ。君は私が教えた中でずば抜けた才能の持ち主だった。だから私が是非と推薦して中に入れて貰ったのだ。よろしく頼むよ」


 そこへ続くように黒っぽいサングラスをかけた若い女性セラが、


「これだけの人数で事態に臨むのは理解に苦しむ。もっと多くの人数を確保すべきでは?」緊張した堅苦しい口調で尋ねた。初老の男はにべもなく、


「君は几帳面で人一倍責任感が強いと聞いている。それに君は他の者達に指導する立場の人間なのだろう。君の実力はよその団体に出しても引けを取らないと評価されている。いわば他ならぬ選ばれた存在なのだ。そのような君が弱気なことを言って貰っては困るよ。それに人員を多く揃えたとしよう。そうするとどうなると思う。それだけ被害が多く出るということだよ。ここは何としても少数精鋭で対処しなければならないのだよ。そのために頼りになる君に来て貰ったのだ」


「それで、もし我々が全滅したらどうなります?」


 五名の男女の中で一番年長と考えられたメイスが再び口を開いて気になったことを尋ねた。


「そのことなら問題ない。第二第三の準備がとってある。我々はいわば先駆けのような存在なのだ。ただ私は一人で死ぬ気はない。必ず敵の何人かを道連れにするつもりだ。

 我々の犠牲で大勢の仲間の命が一時的であるとはいえ助かれば良しと思わないかな」


 初老の男が冷静にそう話したところで、一瞬、沈黙が流れた。誰一人としてそれ以上差し出口をしてこなかった。全員から意見や質問が絶えたことに男は、


「他にないかな? なければ先を進めるが……」そう問い掛けると、頃合いと見たのか話題を変えた。


「ではどのようにして相手をおびき寄せるかだが。これは私とゴドーの二人だけで話し合って決めたことで。敵を欺くには先ず味方からだと言うから、まだ誰にも話していないのだが、この先に本部と見せるのに適した場所を用意してあるのだ」


 そう言って初老の男はテーブルに頬杖をつくと、記憶の糸をたぐるように話した。


「そう、今我々がいるこの本部とほぼ同時期ぐらいに発見されて、一度は本部にしようと検討された物件でね。

 手狭になっていた本部を移転するのに適当な場所がないか探していた頃の話だからもう三年ぐらい前のことになるかな。調査に当たっていた担当員からこのミランボンの都市の近郊に最適な場所が見つかったと連絡が来てね。更に詳しく事情を訊くと、巨大な鉄骨の梁や照明塔や座席やらの残がいが多数散乱していて、周りに広い駐車場跡があることなどから、かつてドーム会館のような娯楽施設があったと思われる場所の一角に地下に通じる入口を見つけた。中に入ると地下ビルのような構造をしていたというのだ。

 それを訊いたとき、おそらく地下に造られたホテルか緊急の避難場か何かだろうとピンときてね、周辺が無人かどうか確認しながら更に調査を続行して報告するように命じたのだ。そのとき一緒に報告を受けた中に、あの無鉄砲なレヴランドがいて。あいつめ、まだそこを本部にすると決まったわけでもないのに配下の工務担当の部署に、今すぐ現場に飛んで調査員の仕事を手伝うようにと、気の早いことに命じたのだ。

 すると、各階に通路が縦横に走っていて、その壁側が部屋になっている構造をしている、故障して動かないがエレベーターやエスカレーターも普通に完備されていたとか言った報告とともに、廃墟の周辺や駐車場跡に地雷や不発弾を多数発見しただとか、通路内に内戦時に仕掛けられたと見られるトラップを幾つも発見しただとか、奥の倉庫みたいになった場所にまだ時限装置が生きていていつ爆発してもおかしくない危険な状態の爆薬が山ほど積まれて置いてあるのを発見しただとか、余りありがたくない報告もありのままに上げてきたのだ。

 ま、それくらいなら我々の技術力を持ってすれば取り除くのはそう難しくないから驚きもしなかった。問題は、そのあとに偶然見つけた隠し扉の向こう側にたくさんの人が死んでいるのを発見したと報告がきて事態が変わったのだ。

 その区域で起こった内戦で地下に逃れた人々の遺骸だろうとすぐにピンときたから、どれくらいの人数なのかと調べさせたところ、数え切れないくらい人骨に混じって、折り重なってミイラ化した遺体が数千体あると言ってきたものだから、幾ら何でも墓地と化したそんな場所を新しい本部にするのはいかがなものかとなってね。最後は全員の総意で断念したのだ。

 このことは死体を見て報告してきた現場の者と我々幹部連中しか知らないことで、君らももちろん知らないと思う。

 あの場所を利用することになろうとはね。あのときは無駄に時間と人件費を浪費したものだと思ったが、それが今になって役に立つとは、何とも不思議な星の巡り合わせだよ。

 そういうわけで、あそこの周辺や地下の内部にはトラップや地雷や不発弾一式がそのまま放置されたままになっている筈だから、それらを上手に有効利用してやろうかと考えているのだ。

 次に本題の相手をおびき寄せる方法なのだが。その前に相手が我々の支部どころか他の団体のアジトや事務所まで無差別に襲って壊滅的な被害を与えているところを見ると、相手はこの国の実情を知らないよそ者の可能性がするのだ。

 そう考えると、我々に関する情報を手っ取り早く手に入れる方法として裏裏のネットワークに広告を出している広告代理店、通信社、探偵社や情報屋の類から手に入れているのではないかと言う線にたどり着いてね。情報源があの辺りからではガセネタをつかまされたとして上手く理由付けができるからね。

 それで裏を取ろうとなって老舗の業者に接触を試みたのだが、どこも守秘義務があるから話せないと拒否してきてね。

 しかし我々のことに関する情報を買った者が最近いることまでは聞き出すことに成功したのだ。

 それからしてかなり信憑性が高いと判断して、今回我々は業者を利用させて貰うことにしたのだ。

 そのやり方は、なーに単純だ。業者に我々の最新の情報を売るだけだ。深夜上空からドローンを使ってミランボンの都市とあそこ一帯を高感度カメラで撮った写真と、日中に車両が止まってそこから数名の男達が出てきて地下の中に消えていく様子をリアルタイムで映したビデオ映像を持ち込めば良いのだからね。いずれも撮影日時と時間を親切に添付してやってね。

 そうすれば、必ずや我々が流した情報を手に入れて、すぐにあの場所を特定してやって来るだろう。それも、我々のところを襲ったのもよその団体を襲ったのも決まって日中だった事から考えて、日が暮れないうちにね。

 上手く考えられたものだよ。手早く片付ければ直ぐに現場検証ができて、やったかどうか分かるのだからね」


 初老の男はそこまで言うと、満足そうに口元に笑みを浮かべて話を結んだ。


「ま、いい加減な人間、気の長いぼんくらの集まりでない限り、我々の思い通りに絶対にやって来るはずだ」


 いつの間にか堅い雰囲気が消えていた。

 その典型が五名の男女で。彼等は喋り終えて一息ついた初老の男に理解を示したのか、誰ともなく一様に口を開いては、目の前の写真を見ながら協議を始めていた。


「建物内で待ち伏せをして迎え撃つという籠城方式で果たして上手くいくかそれは分からない。しかし敵は話し合いが通じそうにも思えないからやらざるを得ないな」


「そこへ追加して、周辺の視界を全く失くした中に、トラップを地中、空中と言わず考えられるあらゆる場所に仕掛けてはどうだろう? 上手くいけば敵の数を減らせると思うのだが」


「視界を失くしてしまったら、相手に警戒感を持たせることになる。トラップの場合も同じだ。うまく全員が引っかかってくれれば良いが、たぶんそうならない。それにそう易々と姿を現してくるとは考えづらい。むしろトラップが至る所に仕掛けてあるのがばれれば、待ち伏せをしていると言っているみたいだ」


「その通り。警備の範囲内なら良いが過度にやり過ぎると、敵はおかしいと疑ってくるに違いない。警戒をして方針を変えられて、また支部が襲われてはたまらない」


「それなら周辺に濃度の異なる霧を発生させてはどうだろう? 敵は視界の効く方向を通ってくるだろうから上手く誘導できると思うのだが」


「ま、それくらいなら良いかもな」


「ともかく場所を見てみないと始まらないわ」


「そうかもな。でも一つ大事なことを忘れているぞ」


「それって?」


「上空から無差別攻撃をしてきた場合だ。そのとき敵が最新式の武器を持っていたなら霧ぐらいじゃあごまかせないぞ」


「それじゃあどうするのよ?」


「そうだな……分散タイプの結界を張るぐらいなものだろうな」


「いやそれだけでは不十分だ。併せて結晶タイプも追加するべきだ」


「やはりこれが終わり次第、実際に現場を訪れてみないとね、状況が呑み込めないわ」


 皆が皆、気持ちが振っ切れたのか、あたかも宴会の席の会話のように、わいわいがやがやと元気な声で賑やかにやっていたときだった。それまで関係ないと言う風に蚊帳の外に置かれていた中から冷めた女性の声が響いた。

 

「ねえ、私にも一言言わせて貰って良いかしら」


 その言葉に、それまで話していた一同が話をやめてその方向へ目をやると、


「大体のことは分かったわ。うまく考えられていると思うけれど、そのやり方だとじっくり時間をかけてやって来られるとつらい気がするわ。ここは手っ取り早く終わらせることを考えるべきじゃないかしら」


 ホーリーの澄んだ声が潮が引いたように静かになった広い空間へ響いた。


「それではどうすれば?」


 五人の中から一番の年長のメイスが口を開いて問い掛ける。


「そうねえ、こういうのはどうかしら。隠れ潜むだけじゃなくって、こちらからわざとらしく出向いてやるの。しかも気配を消すことなしに正々堂々としてね」


「それでは諸に格好の標的になります。死にに行くようなものです」


 ホーリーの勇ましい発言に皆が皆困惑の表情を示した中、それまで黙って聞いていた初老の男までもが、


「それはちょっと無謀ではないでしょうか。それでは向こうに殺ってくれと言っているものです」と口をはさむと、


「確かにそうかもね」ホーリーは白々しく応えた。「でもその代わり、相手は警戒心を解くんじゃないかしら。どうダメかしらねえ?」


「確かにそうですが、非常に危険です。賛同できません」


「誰もその姿を見たことがないという話から考えて、相手は相当なやり手揃いの集まりみたいだし。相手が何人いるか、相手の規模が分からない以上は、これしか方法が無いような気がしてね。それで提案してみたのだけどね」


 ホーリーは隣のずっと黙ったままでいた老人と若者の方にちらりと顔を向けると、


「その役割なんだけれど。私達二人と、ねえちょっと、そちらはどうかしら? 私の勘が間違っていなければ、かなりな修羅場を切り抜けてきたようにお見受けするのだけれど」老人と若者の方に水を向けた。

 別に勘でも心眼で見抜いて言ったわけでもなかった。ビッグパンプキンの紹介と聞いて、あのビッグパンプキンが自らの代理として仕事を頼むのにそんじょそこらのどこの馬の骨とも分からない連中を送り込むはずはないと考えて、誘ったまでのことだった。

 果たして老人と若者は、座ったままホーリーの方ににんまりした朗らかな顔と無表情の顔を向けてくると、老人が、


「わしらはあんたの意見に異存はない。別行動や単独行動は慣れておるからのう。ま、そのう、その方が思う存分力が出せるし。わしらのは荒っぽいやり方だから、巻き添えにしないように心配しなくても良いからのう」


 ひょうひょうとそう応えた瞬間、それならばと五名の中からも当然ながら、「私にもさせて」「俺がやる」「ここはくじ引きで決めよう。それなら文句はあるまい」などと志願する者が出。それに対してホーリーは苦笑いを浮かべると軽くたしなめるように、


「やれるところを見せようとするのは勝手だけど、へたを打って命を失うのはつまらないでしょ。それなら訊くけれど」と言うと、五人の男女のひとりひとりに、五十人はハードルが高いから三十人を基準にそれ以上の人間または人外が殺害された或いは殺害した場面に遭遇した或いは居合わせたことが、これまでにあるかどうかを問い掛けた。

 当然ながら五人の誰一人として満足できる答えを言い出せず。しまいには「運がなかった」とか「仕事がそのようなことを体験できる場でなかった」とか「その条件はどう見ても不公平だ。その条件で言うと、あんた達、殺し屋でもない限り無理と言うものだ」とか理屈までこね始めたのだった。

 そのことにホーリーは冷たく「あなた方の言い訳なんて所詮は何の役にもたたないわ。これは経験を積むための場じゃなくてよ。殺るか殺られるかの修羅場よ!」と一蹴すると、代わって今度は隣の老人と若者に同じ質問を尋ねた。


 老人は長く伸びた白いあごひげをゆっくり撫でると、場所と日時と目的は言えないがと断りながら、破壊活動、テロ集団の殺害といった三つばかりの体験を上げた。

 続いて若者が、僕も場所と日時と目的は言えませんがと言うと、老人の話に付け足して、九死に一生を得た冒険小説そっくりな体験談を喋った。


「外部の人間がこう言っているのだけど、皆さんはどうかしら?

 ある意味オトリと同じ役回りだから、ここは専門家に任せるのが妥当な線よ。悪いようにはならないから。

 例え、私達が失敗して殺害されたとしても、あなた方が最初の方針通りに作戦を実行すれば良いことだし、何も問題はないと思うけれどね」


 最後にそのようにまとめたホーリーに、すぐさま五人の中から冷ややかな声が飛んだ。一人の男が赤い顔をして凍り付いたように固まって見えるイクを指して、


「あんたの隣はどうみたって頼りなさそうに見えるが、大丈夫なのでしょうね」と言い返してきた。

 そのとき男が指摘した通りに、ホーリーの隣でテーブル上に目を落として押し黙っていたイクの表情は、過度に緊張してガチガチに硬く固まっていた。

 彼女はそれまで体験したことのない一種独特な雰囲気に呑まれて逃げ出したい気分でいたのだった。

 逃げ出したいと思ったことと言えば、――社員応募の面接会場が都心の一等地にあるビルやオーナーの大邸宅であったことで、場違いな場所に来てしまったと思ったとき。面接にきたのは男性ばかりで女性はイク一人だったとき。自身が普段着だったのにテーブル上にずらりと並んだ面接官が立派な服装をしていたとき。仕事の面接に落ちて、いくあてもなく周辺ををぶらぶら歩いていたとき。せっかく受かったのに、仕事中に邪魔者扱いされたとき。

 朝の通勤時間帯内に、人で混雑する通りをひとりで歩いたとき。遠くまで来てお腹が空いていたのにお金がなかったとき。好みのタイプの異性と目が合ったときや声を掛けられたとき。自分と同年代の男女が上の学校へ通っているのを見たとき。同じく男女が仲良く歩く姿を見て孤独感を感じたとき。何とはなしに何もかも嫌になったとき。父親の留守中に家の中で食べるものが何もなくて水だけを飲んで一日を過ごしたとき。もうどうしようもなくなって父親に借金ををねだったとき。借金返済の催促がきたとき。急いで入ったトイレがひどく汚れていたがそこしかするところがなかったとき。

 人並外れた能力を披露したことで周りから変な目で見られて警戒されたとき。色々とあり過ぎてどういう理由だったか忘れたが人前で笑われたとき。――と、さまざまであったが、彼女の頭ではその衝動をどう例えて良いか分からずにいた。それを上手く見透かされていたのだった。


 男のその言葉にホーリーは五人の方をじろりとにらんで不敵に笑うと、「その通りだけど何も問題がなくてよ」開き直るように応じた。


「この子は特別で、この子が戦うわけじゃないの。この子は先祖代々受け継いだ特権で、この子が契約している魔物が全部代わってやってくれるのよ。地獄の番犬ケルベロスそっくりな姿に、足に水かき、背中に翼を生やしていて水中や空を自在に進んだり飛べてね。またその魔物は人間の霊魂と肉体が大好物ときていて、食べられたら最後、この世から完全におさらばよ。

 確か、あなた達が懇意にするビッグパンプキンのお家芸は、色んな魔物を手なずけて自在に使役することだったわね。

 ま、私に言わせると、あそこの魔物の比じゃないわね。何といっても人より頭が良い上に自らの判断で動くことができるのよ。しかも体の大きさを自在に変えることができるの。

 今ここでそれを証明してあげたいのは山々なのだけど。あなた達も知っているように、手の内を見せないことがこの世界の一般常識みたいなものだから残念ながらそれは無理として。その代わり少しヒントを上げると、その大きさはこの部屋には到底収まり切れないと思うわ。ちょっと動くだけで天井を軽く壊してしまうわね」


 まるで見知っているかのように次から次へと口から出まかせを言ったホーリー。その彼女の表情にはどこか余裕が感じられたことから、聞いていたどの顔にも驚きの色が浮かび、誰一人として反論できず。場を仕切る者として初老の男が、


「そちらがそれで良いというのなら我々は別に構いません」と口を開くまで重苦しい沈黙が流れていた。

 結果、自身の希望に沿う形で案が採用されたことにホーリーは、


「厳しいことを言うようだけれど、私達の世界は実力と経験値がものをいう世界よね。年功序列だとか意気込みなんか全然関係ないわ。そのことは皆さん、聞き分けのない子供じゃないのだからよく心得ていらっしゃる筈よね。今回はそういうことで残念ながら断念していただくとして、もっと気楽な局面で経験を積んでからにして貰えたらありがたいのだけど」


 凛として静かにそう口を切ると穏やかな口調で、


「じゃあ、そういうことで」と素っ気なくまとめて続けた。「あのう、ついでに一つ聞いても良いかしら?」


「はい、何か?」呼びかけられた初老の男が応じた。


「実は教会で会った確かダットンさんと言ったかしら。その人から裏で糸を引いている黒幕の正体はあなた方のライバル業者か、あなた方に個人的な恨みを持つ者達の仕業だろうって聞いたのだけど。ライバル業者が商売仇を潰そうとしての犯行なら十分に分かる気がするのだけど。ただの個人の恨みでそこまでするのかは、とても考えられなくってね。

 恨みだけの復讐劇にしては余りにも大げさ過ぎて、私には何かしらしっくりいかないのだけど。やはりライバル業者の仕業と考えて良いのかしら。

 こんなことはないと思うのだけど、後になってから何かと問題がこじれて、こちらに災難が降りかかっては身も蓋もないのでね。一応は納得いく説明をして貰うようにしているの。

 それからこれは運次第だけど、黒幕の関係者が一緒に居合わせている場合も良くあることだから、もし良かったら捕えて差し上げても良いのだけど」


「ふーん、西部のチーキ州の支部長がそう言いましたか」小さく頷いた初老の男は緩く腕組みをするとホーリーを見つめて言った。


「確かに個人の恨みによる犯行説は理由付けとしては弱いかも知れません。しかし私達本部の幹部の見解ではそちらの方かと今はなっていましてね」


「というと」


 好奇の眼差しで訊いたホーリーに、深い吐息をゆっくり付いた男は、心積もりができたのか続けた。


「このような非常時にご協力して下さるあなた方だから申し上げますが、相手が必要以上に我々を襲うのは、我々によって国の体制をひっくり返され、自らも殺されそうになったことによる恨みだとするとどうでしょう?」


 初老の男のその言葉に、つぎの瞬間、その場にいたほとんどが初めて聞く話だったのか戸惑いの表情で耳をそばだてた。そのような中、


「それは大きく出ましたわね」


 ホーリーは全く動じることなく、口元に冷ややかな笑みを浮かべて呟いた。それに呼応するように初老の男は視線をあさっての方向へ向けると語った。


「今現在、この国の政治は長らく続いた大統領制が廃止され試行的にネオ共和制が採用されています。正常に動くかどうかはまだ未知数で見てみなければわかりません。しかし国民の印象は良いようで。以前のような言論統制がなくなったので、市中に自由な発言が見られるようになりました。また国の運営も順調のようで、増税などで国民に負担を掛けずに済んでいます。そのことで、以前のようなデモやストライキや暴動はどこにも見られなくなりました。

 これらは皆、奇跡でも偶然でもありません。全て我々が裏工作をしてお膳立てをしてやったからです。

 常識から考えて、そもそも確固に統制が取れていたものが、たかだか国民のデモくらいで倒れると思われますか? 諸外国が本格的に攻めてきて、戦争になったときでもびくともしなかった筈です。それを我々が裏から工作をして、政権内外に広く不安と懐疑を与えたからこそ、あのような出来事がなったのです。

 我々は本来、国の政には全く興味も関心もありませんでいた。長らく放置して、かかわらないできました。国民がどうなろうと長い歴史の一コマとみなして黙認してきました。そのことはこの国だけに限ったことではありません。どこの国でも同じです。我々のようなものが国の政にかかわってはろくなことにならないことは、世間の歴史でない方の歴史が一番良くそれを物語っています。

 が、もはや一刻も猶予がないと思って、長い規律を破って国の体制をひっくり返すことに踏み切りました」


 そこまで話して初老の男は一旦押し黙ると、頭の中に埋もれた古い記憶を呼び起こして尚も言葉を選ぶようにして続けた。


「えー、あれは忘れもしません自称錬金術師のルディと自称白魔術師のポリシャと自称異能者のアヴリルと名乗る男女三人組が、どこで知ったのか知りませんが直接我々の支部を訪れてコンタクトを取ってきました。

 三人は今、賓客の待遇でこの国の大統領の側に仕えていて、大統領から神聖伝道師という役職を貰いアドバイザー的な仕事をしていると自己アピールすると、話を聞いて貰えれば、組織をもっと大きくすることができるとか、生活環境の改善を図ることができるとか、それまで人間社会から隠れるような生活から解放が図られるようになるだとか、何でもいいことづくめになるとか調子の良いことを言ってきたみたいです。

 支部からそのような報告を受けたとき、我々はたまたま時間が空いていたので、ゴドーと私と他三名で、そのとき魔が差したというか一度会ってみることにしたのです。

 三人が言ったのには、自分たちはいずれも外国からこの国の大統領によって直接招かれてここにいる。そちらにやってきたのは、あなた方の技術と製造設備を借り受けたいからだと、今となっては何を造らせようとしたのか分かりませんが是非協力願いたいと言ってきました。

 我々の技術を使って何を造るのかと一応訊いてみましたが、それはまだ言えないとの一点張りで最後まで答えませんでした。

 それで我々は普通に断りました。すると、ようやく答えたのには、この世界を争いのない平和な世界に作り変えるために必要な物質を製造するためだと言うことでした。

 争いのない平和な世界と口では何とでも言えますが、そんな世界は実際は夢幻の話ですし、裏を返せば自分たちに刃向う勢力を排除して自分たちの都合の良い世界にすることに他なりませんから我々はまだ情報が足りないと言って断りました。

 すると今度は、一度大統領に会って欲しい。今、大統領は大きなことを成し遂げようとしている。それが実現すると世界が根本から変わることになる。それを聞いてから判断して欲しいと言ってきました。異能力者の三人組が口をそろえて大統領に会うように余りにしつこく求めるので、普通の人間が何をしようとしているのか気になったので、やむをえず我々は一度会うことにしました。そして指定された、そう、この近くに建つその当時迎賓館として使われていた施設で会い、短い会談を持ちました。

 そのときの印象は、歯切れのいい言動から頭はかなり切れるようでした。鋭い目つきや迷いのない話しぶりからカリスマ性を感じました。その中でただ一つ気になったのが、周りがはれ物に触るように気を遣っていたことでした。

 会談は日常の会話程度でそれほど目新しいものはありませんでした。ところが最後に、いつの間にそうなっていたのか知りませんが、臣下となって協力するように迫ってきました。

 我々は、突然のことで今すぐには決断ができない、後から答えを出させて頂くと言うと、気分を害したのか、周りを一瞬にらんですぐに席を立ちどこかへ行ってしまいました。

 その後、一緒にいたあいつ等が突然高圧的な態度に変わると、『要求を呑まなければ、お前たち全員の正体を世間に知らしめて人間の社会でいられなくしてやる』とか、『今は名前を出せないが、ある団体も仲間に加わった。残った団体も次々に加わることになるだろう。その時になってはもう遅い。力ずくでも従わせるがそれでも良いか』と我々を脅迫してきました。

 そのとき、さすがに痛いところを突いてきたものだと思いましたよ。

 我々は人の社会と完全に隔絶すると、生活基盤の弱い者達は特に死活問題となりますからね。

 それに、国内の団体の一つがそいつらの傘下に降ったというそのような噂を聞いて知っていましたし。他の団体までがそうなると言う話は真に受けませんでしたが、ともかく考える時間をくれと言ったのですが、向こうは効き目があったと見て、一日だけ猶予をやるからそれまでに答えを出すように言って来ました。たった一日では少ないと粘ったのですが結局受け入れられませんでした。

 仕方がなく我々は本部に戻るとその日のうちに受け入れるか拒否するか協議をしました。それと並行して連携関係にあったビッブパンプキンに意見を仰ぎました。向こうが言うのには、話し合いで解決を図るよりは強硬手段に出るべき、でした。それに関して直属の要員をこちらが希望するだけ無償で送ると言ってくれましてね、腹が決まりました。

 あとは策を練り実行するだけで。向こうはそのような奥の手があったとは思っていなかったようで、何の問題もありませんでした。大統領の手足となっていた異能者連中は応援要員に任せて、我々は大統領一派の追い落としにかかりました。非合法な暗殺ですと、世間が納得しないのではないかと判断してです。どうしても民衆が改革を起こしたようにする必要がありました」


 そこまで述べて男は言葉を一旦切ると、じっと聞き入る五名の男女にちらりと目をやり、何も言わずに先を続けた。


「今でも我々が下した判断は間違っていなかったと信じています。あのような人物に国を任していたなら、今頃、国がどうなっていたやら」


 良く通る声が力強く響く。


「作戦を実行がてら、大統領本人の素行が分かって、なるほどと思いましたよ。

 あの人物は、我がまま放題に育てた家の方針が悪かったようで、独りよがりで機嫌が日に何度も変わり、短気で強欲で傲慢で常に支配欲の意識が高く、みんな仲良くしようは当てはまらない存在のようでした。

 また忠誠心を常に疑い平気で人を裏切る、悪意と恐怖の塊のような存在でもあるようでした。そのような輩を世間は時代の寵児と呼んでちやほやするみたいですが、私には分かりません。理解不能です。

 あのとき我々は権謀術数に長けた者を集めるだけで良かったのですがね、今回はそういうわけにもいかず……」


 そこまで話が及んだところで、このままでは話がだらだらと続いてらちが明かないとみたのか、それまで素知らぬ顔で黙って聞いていたホーリーが不意に男の方に顔を向けると、「ふーん、なるほどね」と感心したように相槌を打ってちゃっかり話を遮り、


「早い話、その当時に取り逃がした人物がいて、その人物が時を経て仲間を集めて復讐に来たってことかしら?」何食わぬ顔で問い掛けた。


 男は急に話を中断されたことで、呆気にとられたような顔で頭を曖昧に揺らすと応じた。


「ええ、おそらくは……」


 そこへ間を開けずに知った風な口振りでホーリーの落ち着き払った声が響いた。

 

「ま、この問題はそんなに単純じゃないみたいね」


 そう言って、上手い具合にそつなく話をまとめたホーリーに、初老の男は思わず苦笑いを浮かべた。

 その瞬間、ようやく長い話は終わっていた。

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