第78話

 それから間もなくして、乗って来たセダンの車に三人は乗り込むと、もやのような白い煙に包まれながら地面すれすれに浮かんでいた魔物だという大きな物体が、更に十フィートほど音もなく高く浮かび上がり、車の方へ向かってゆっくり近づいて来た。

 そうして、ちょうど真上付近まで来たときだった。車へ向かって緩やかに覆いかぶさるように降下。車は見る間に押しつぶされたかと思われた。

 しかしながら、そのようなことは起こる気配はなく、単に視界が遮られただけに終わっていた。それも暗闇に閉ざされたのではなくて、明りが灯っているかのように、車外は比較的明るく、そこには魔物の体毛らしい巨大な羽毛状をしたものがはっきり見えていた。白色の中にグレーと褐色が混ざった状態で、車に何も異常がなかった様子から、それらはかなりな柔らかさをもっているらしかった。

 ――何とも言えない不思議な感じだわ。

 パトリシアは、このような体験は生まれて初めてのことだったこともあり、当然のことのように、助手席と後部座席に座る二人に、好奇な目で運転席から説明を求めていた。


「ねえねえ、これって?」


 対して二人は、面倒臭そうに曖昧な苦笑をすると、


「さあね。鳥ではないことは確かなんだけれどね」「何度も乗せて貰っているけれど、その正体は分からないんだ」と口を揃えて言って来た。

 つまり、二人とも分からないということね。たちどころにパトリシアはそう理解すると、呟くように尋ねた。


「それじゃあ、この後どうなるの?」


「ああ、それね。こうなるの」


 しれっとしたホーリーの言葉が終わるか終わらないうちに、突然パトリシアは気が遠くなるような何ともいい知れない感覚に襲われて、思わず叫んだ。


「何よ、これ!」


「ああ、これ」ホーリーが涼しい顔で応える。「魔物が急上昇したの」


 その言葉が終わるか終わらないうちに、シートベルトをした身体が今度は一瞬浮いたようになると、次の瞬間、逆に座席シートに思い切り押し付けられた衝撃を受けた。何て乱暴なのよ。この感じは遊園地にある絶叫マシーンそっくりだわ。すると、もしかして?


「上空で停止したみたいね」


 パトリシアが問い掛ける前にホーリーが軽く呟くと、切れ長の目で小さく微笑んだ。

 果たしてホーリーの言った通りだった。やがて三人が乗った車はエレベーターに乗っているかのようにゆっくりせり上がっていくと、いつの間にか視界が開けていた。気が付くと魔物の上にいて、周辺に鮮やかな色をした雲が浮かんでいるのが見えていた。それから考えて、随分と上空までやって来ているようだった。

 そうこうする間に、もやがかかった奥の方から、三人の若者がどちらかといえばふんわりとした感があった魔物の上をしっかりした足取りで、音もなく歩いてやって来ると、運転席のドアの前でぴたりと立ち止まり、その中の一人が不愛想に、どのあたりで降ろして欲しいのか窓越しに訊いてきた。

 すると直ちにフロイスが、トントンと車の後ろ窓を軽く叩いて注意を引くと、


「大丈夫だ。ここまでやって貰えれば、あとはこちらで何とでもするから」


 そう言い返すと、あとはフロイスの独壇場と言って良かった。その言葉が言い終わるか終わらぬうちに、ひとりでに車は空中に浮遊すると、魔物もろとも三人の若者を置き去りにして速やかにそこから離れていた。

 それから車は、渦を巻くようにしてたなびく雲の狭間から見えたユーラシア大陸と北極海を尻目にUターン。もはや影も形もなかったビッグパンプキンの支配地から去り、やってきた行程を逆戻りすると、数時間後にはリゾートマンション風の外観をしたパトリシアの自宅へ舞い戻っていた。その日の夕方、六時過ぎのことだった。


 ビッグパンプキンのアジトまで向かうのはちょっとした日帰り旅行みたいなものだと前もって聞かされていた関係で、こんなものだろうとパトリシアは勝手に納得しながら、施錠してあった自宅の玄関前に立つと、扉を携帯のアプリで開け、外出から帰宅するといつも行っている家の戸締りの解除に、その場でさっそく取り掛かった。

 その間にホーリーとフロイスが、まるでそこが我が家であるかのごとく、


「ねえねえ、何を食べる?」


「そうだね、その前にゆっくりしたいな」


「それもそうね。じゃあ、夕食の前に息抜きをするということで」


「そうだね、それが良い。それで行こうか」と言ったたわいもない会話を図々しくしながら、知らんふりをしてパトリシアを置いてきぼりにすると、平然と中へと歩いて行った。

 その様子にパトリシアは、半ば呆れ気味に苦笑いを浮かべた。もう二人とも、ほんとしょうがないんだから。人さまのお家を何だと思ってるの!


 そんなパトリシアの思いも何のそので、悠然と二人は通路を入って直ぐ左に見えた階段を使い、パトリシアが普段の生活活動に使っている二階部分に上がると、勝手知ったる何とやらで七、八名も入ればもろに手狭な感があったそれほど広くはないダイニングルームへと直行。そこで手分けして冷蔵庫と冷凍庫を物色して、冷蔵庫内で見つけた数種類のケーキの中からチーズケーキとチョコレートケーキとフルーツケーキのミニホールを適当に大皿に盛りつけて持ってくるとテーブルの中央に置き、ちゃっかり席に着いてパトリシアの到着を待った。後はパトリシアの役目だという風に。そしてパトリシアが少し遅れて現れると、にっこり微笑んで出迎えた。

 その光景を見せられたパトリシアは、「仕方がないわね。もういつもながら要領が良いんだから」と目を細めてぼやくと、阿吽の呼吸でケーキナイフを使って目の前のホールケーキを食べやすくするためにそれぞれ六等分に切り分け、ふたりがケーキに手を伸ばしている最中に電気ポットで湯を沸かし、ねだられるままにブラックティーとコーヒーを入れた。

 それから十五分間ほど、そこで一息つきながら滞在して軽く小腹を満たすと、今度は三人連れ立って、エレベーターを使い、下の階へ降りた。三人が向かったのは、パトリシアが一人で気分転換をしたいときや来客がやってきたとき以外はほとんど利用していなかったスパルームで。中にはシャワー施設と共に、六名ぐらいが一度に入れるジャグジーがあって、他にも岩盤浴、ミスト浴、サウナ浴が楽しめるようになっていた。そこで約一時半間ばかり滞在して疲れをいやすと、再び二階のダイニングへ戻り、時を忘れて賑やかに夕食を摂った。

 そんな具合に楽しいひとときが過ぎ、やがて午後の十時過ぎになった頃。ホーリーがそのタイミングで、


「明日は残念だけど私は来れないと思うわ。けど、必要なら連絡をちょうだい。できるだけ行くから」と切り出し、それに続いてフロイスが、


「私は明日来るからね。まあ夕方になると思うけれど。それまでに依頼の件、どうにかしておいてくれるかな」と言い残し、腰を上げた。


 しかし二人が帰る段になったとき、何か忘れ物でも思い出したのかホーリーが振り返り様に、


「そうそう、渡すのを忘れていたわ。あなたにおみやげよ」


 そう言うと、どこからか高さ二インチほどの薬の容器そっくりな茶色のプラ容器を一個取り出して、綺麗に食べた後の皿が載るテーブルに置き、更にこう言い添えた。


「あなた、確か庭に雑草が生えて手入れに困っているって言ってなかった? 私ね、ひと事でないから言えるわけなんだけれど、広い家屋敷を購入すると、メンテナンスが大変なのよね。特に世間からお家を秘密にしておきたい場合、表立って人手を呼ぶわけにもいかないからね。だからこれを持参してあげたの。

 これはね、見ての通り除草剤よ。これは、あなたには関係がないことだから知らないと思うけれど、その筋では大変有名な錬金術師だったヴンダー・ベル、ヴンダー・シエリー夫妻が著した書物を参考に、私の弟子が調合したものなの。植物由来の天然成分が主成分で、雑草には有害だけど、生き物には全くの無害なの。これを三千倍から五千倍に薄めて使ってちょうだい。

 ああ、そうそう。ありきたりなことだけど、原液を扱う時は必ずゴム手袋を着けて作業をしてね。そうでないと幾ら生き物に無害だと言ったって酷い目に遭う可能性があるのだからね。まあ普通に使えば条件にもよるけれど、五、六年は草の一本も生えてこなくてよ」


 ほのかに赤く染まった顔で、そう説明をしたホーリーに、夫妻が毒物生成の権威で致死量の毒物を数多くこの世に送り出したことで有名であったとは夢にも思わなかったパトリシアはニコッと微笑むと、


「ありがとう、助かるわ。家の周りの雑草が伸びるの、早いこと。ほんとうにどうしようかと思っていたところなの。是非使わせて貰うわ」と感謝の言葉を軽く口にした。


「それじゃあね」


 ホーリーは笑顔でそう言うと、ふと思い出したように携帯を取り出して、どこかへ短くメッセージを送った。それが終了するのを見計らって、普段から携帯を持っていなかったフロイスが彼女の携帯を借りてゾーレと短い会話を交わすと、二人は揃って気分良く帰っていった。

 二人が去り、急に火が消えたように静かになった部屋に一人残されたパトリシアは、ほっとした表情でテーブルの上にあった透明な液体が入ったガラスのグラスを手に取ると、ぐいと半分ほど飲み熱い息を吐いた。そしてしばらく、表情を緩めながら二人の余韻に浸った。


 それにしても、さすがはホーリー。庭に生えた雑草によく気が付いたものね。

 でも、ものは考えようなのよね。彼女の言う通りにすると、芝生まで枯らしてしまうわ。それも五、六年の間。そうなると、庭が見栄えの悪い荒地になるということね。

 少し酔いの回った頭でそこまで考えてパトリシアは小さく首を振った。


「いやこんなのは考えるだけ無駄っていうものよ。面倒くさいと考えれば、ちゅうちょなく薬を散布して除草すれば良いだけだし。何でも思い切りが肝心よ」


 そしてその日はそれで終わっていた。 


 翌日、日が昇り始めた朝の六時頃。例によってパトリシアは自ずと起床すると、いつもの日課にしているストレッチとヨガを組み合わせた体操を約二十分間かけて行い、それが済むと昨夜の楽しい雰囲気から再び殺風景な雰囲気へと戻ったダイニングに場所を移動。その日は、何を食べたいかという欲求が昨夜のアルコールが残っていたせいで別になかったので普通にトーストとベーコンエッグとインスタントコーヒーを一杯用意。今日は何をしようかしらと頭の中で思案しながら約三十分ほどをかけて朝食を済ませた後、流れ作業で洗顔、メイク、着替えを行い。続いて、自身とフロイスの二人分の洗濯と洗濯ものの処理に取り掛かり。それが済むと、部屋にたまった埃掃除は確か五日前にやった筈だからと、約十日ぶりに部屋数の多い建物の空気の入れ替えを行おうと建屋を駆けずり回り、部屋の窓という窓を開けていった。


「相変わらず今日も晴天で良い陽気ね」


 そしてその合間にも、思い浮かんだ追加の雑用をこなしていた。

 そのようにして、それら全てが終了したとき、十時を少し回っていた。

 毎日繰り返すうちにかなり手際が良くなったことや、エレベーターが使えるようになり一階から四階までスムーズに上がり降りできるようになったことで、最初の頃よりも約一時間くらい早かった。

 そこでようやく仕事部屋を兼ねた寝室に落ち着くと、パソコンでネットニュースを閲覧しながら、その日は昨夜のケーキの残りと麦から作ったお茶で一息入れた。

 そのような具合に二十分間ほどそこでゆっくり過ごしたパトリシアは、やがて踏ん切りがついたように例のビッグパンプキンからもたらされた携帯と表面がハードタイプのファイルノートと筆記具、あとスタイリッシュなステンレス製のボトル型ポットとマグカップからなるお茶セットを手に持つと隣の部屋へと移動した。

 寝室と同じ広さがあったその部屋は一応調度品が置かれていた。フロアの中央には、柄物のじゅうたんが敷かれ、その上にいかにも時代遅れと思えるアンティークながら最高品質の本革張り大型ソファと重厚な造りの木製テーブルのセットがでんと置かれていた。また部屋の四隅と周辺には、時代がかった大型金庫や同じくいかにも古そうなクローゼットやイスといった家具や、色々な大きさと形状をする段ボール箱や木箱や衣装ケースが、まだ未整理といった感じで整然と置かれていたり、積まれて置かれていた。

 実際のところ、それら全ては、彼女の実家でホコリ避けのシートを上から掛けられた状態で長く放置されてきたものだった。それを、何も置けるものがなく殺風景な部屋が多いことに一計を案じたパトリシアが、建物の改修が終わり、ようやく落ち着いた頃にフロイスに手伝って貰って実家からはるばる運び出してきたのだった。

 中世ヨーロッパ地方諸侯の代表的な邸宅の趣を残していたパトリシアの豪壮な実家は、彼女の母レアンサの両親が亡くなって以来、住む者が誰もいなくなり。そのため、長く建物管理会社に委託管理して貰っていたのだが、パトリシアの父ナイヒルが亡くなったのと相前後して不審火による火災に遭い、建物の大半が焼けて母屋の一部と離れを残すのみとなっていた。

 その焼け残った建屋内のリビングにあたる部屋と離れにあったパトリシアの今は亡き両親並びに母方の両親の遺品が全てと言って良く。その中身は、衣装や靴や書籍や先祖伝来の古文書や武具や美術工芸品や占いの道具や、ご先祖に錬金術師や魔法使いや勇者がいたことを裏付けるものだというオーパーツなどで。あとは彼女の母レアンサが生前収集したというこっとうや絵画やアクセサリーや色々な雑貨小物でほとんど占められていた。

 余談的なことになるが、実家が不審火で焼けたとき、ほんとうならパトリシアはボディガード役のズードを伴い実家に帰省している筈だった。ところが運が良いというのか、現地でちょっとしたトラブルに遭い足止めされたことで、予定より丸々三日間到着が遅れたことが幸いして命拾いしていたのだった。


 ちなみにテーブルの上には、28インチサイズの業務用モニターがぽつんと一つ置かれていた。部屋にある品の中で、パトリシアが唯一購入したものだった。

 プランではこの部屋を作戦会議をする場にする予定だった。

 つい三日前のこと。ホーリーとフロイスの二人が、既にみんなと話し合って決定したことなのだけどと、ある重要な要件を伝えに来た。

 その大まかな内容は――長かった活動休止期間を経て、いよいよロザリオが本格的に復活することとなった。それに関して、お前にもロザリオの関係者として、その一翼を担って貰うことになった。それでなのだが、最初のスタートとして、私達に仕事の依頼を頼んできたとある組織のアジトまで私達と一緒に行き、向こうのお偉いさんと会って、詳しい依頼内容について意見を交わして来ることだ。――ということだった。


 二人からそのような話を伝えられたパトリシアはそのとき、「それじゃあ私は何をどうすれば良いの? 今できることがあれば教えて」と普通に頭に浮かんだ疑問を二人にぶつけた。

 それに対する二人のそれぞれの反応は、このようなものだった。


「別にこれと言ってする必要はないわ。そうね、ちょっと寒いところまで足を運ばないといけないから、あなたは自身の車にスノータイヤを装備しておいてくれたらそれで良いの。それだけで十分よ。それ以上のことは、その都度私達が教えるからその通りにすれば良いわ」


「ホーリーの言う通りだ。何も気を遣う必要なんかない。必要なものは私等が前もって準備するからね。それでも敢えて何かするというのなら、そうだねぇ、一先ずゾーレみたいに形から入れば良いのじゃないかな」


 フロイスが最後に漏らした言葉に、パトリシアは何のことか分からずに首を傾げると、「どういうこと?」と具体的に訊いていた。その問い掛けにフロイスは、


「奴は人前ではいつだってスーツ姿だろ。それが奴の形でありポリシーでもあるのさ。それ以外の恰好をするのは、みんなに合わせるときとプライベートのときぐらいなものだ」


「それじゃあこれから私もスーツ姿のきちんとした身なりで対応すれば良いってこと?」


 パトリシアのその言葉に、フロイスは首を横に振ると言った。


「いやそうじゃない。ちょっと例えが悪かったようだね。別に奴と同じようにする必要なんかない。そう、こう言えば分かるかな。奴は通常の仕事のほかに私等をバックアップする任務を別に持っていたんだ。例えば、仕事の依頼が来るたびに現地へ先乗りして、私等がやり終えるまでの間潜伏できるアジトを確保するとかね。

 それから言って、パティ、私からお前に頼みたいのは、作戦会議ができる専用の場所を先ず確保することだ。

 こちらとしては、仕事の依頼がある度に集まる場所を一々指定するのはどうかと思ってね。一旦そこへ集まれば自動的に仕事の話だと決めておきたいんだ。

 ところでその場所の条件なんだが、どちらかというと利便性が優れていながら人目に付きにくいところで、私等でいうと十名くらいが楽に入れて、作戦会議をするからにはアイデアが次々と出てこなくちゃ意味がないから、そういうことでアイデアを浮かびやすくするために、中がすっきりしているより、どちらかというとごちゃごちゃしている方が好ましいな。そんな条件を満たすというと、地下室とか倉庫とか物置きとかに限られてきて、極端に言えば金庫室みたいな場所が雰囲気がぴったりで良いと思うんだがね」


「つまり、早い話が作戦を立てる場所を捜しておけば良いわけなのね。分かったわ、そういうことならお安い御用よ。そうニ、三日待ってくれたら、ご期待に応えられると思うわ」


 そう言って安易に承諾したまでは良かったが、実際のところ、捜す段になってみると、全ての条件がぴったり当てはまる場所は、そう簡単に見つかるものではなかった。人目に付き難い場所として例の廃墟はどうかしらと行って見てもしたが、長く放置されてきただけあってどこもかしこも崩壊が進み、直ぐに使えるとは到底思えず。従って諦めざるを得なかった。

そこで、できるだけ目立たないという条件は厳密には満たしていると言えなかったが、それ以外の条件は何とか満たしているからと、何とかこじつけたのが、現状は中央のソファセットを隠すように周りに荷物が所狭しと置かれて、子供が秘密基地として喜びそうな状態となっていたこの部屋というわけだった。


 パトリシアは、持ってきたノートと筆記具、お茶のセット、携帯を、みるからにアンティークと言って良かった猫脚テーブルに並べて置くと、すっかり暗褐色色と化していた革製のソファに腰を下ろして、さっそく解読作業に取り掛かった。

 先ず最初にビッグパンプキンから手に入れた携帯を手に取ると、電源をオン。併せて目の前に置かれたテレビモニターもリモコンでオンにすると、ササっと携帯を操作して携帯のメモリに入っているデータをモニター側へと転送。次いで、中の内容を確認して見ようとモニターのリモコンを続けて操作して取り込んだデータを再生した。

 次の瞬間、モニターの画面上部に『デイライトゴーストに関する捜査資料』とタイトル名が特徴のあるロゴ文字で出現。そのすぐ下部の方には、『要約』『事件の始まりと経過』『詳細』『写真と映像』『考察とまとめ』といったリスト化された項目がフォルダー形式で管理されて見えていた。


「ふーん、なるほどね」


 パトリシアは何も考えずに項目を順番にタッチすると、その内容を見て行った。

『要約』の項のファイルには、事件の背景が簡単に述べられていた。

『事件の始まりと経過』の項のファイルには、事件が起こった国と都市の名称、その住所番地と場所の名称、日付とおおよその日時が、その日の天候とともに古い順から箇条書きで列記されていた。

 他に追記として、AIつまり人工知能を活用してこれらデータから導き出したという次に事件が発生する可能性がある地点が十数ヶ所明記されており、その中の的中した場所には西暦と日時とおおよその時間帯が記されてあった。

『詳細』の項のファイルには事件の場所ごとの被害者の数、その性別と名前と年齢と身元と職業。死因の鑑定結果、血液型、人種までもが記載されてあった。また、事件現場と周囲との状況が事細やかに説明されていた。

『写真と映像』の項のフォルダーを開けると、幾つものピクチャーとビデオと記されたファイルが現れた。

 言わずと知れた、捜査機関が撮ったのだろう被害者の遺体の様子や現場や周囲の様子を撮った写真に、犯人が撮らせたという記録映像で。それらが二つのファイルで管理されてあった。

 どのようなものが写っているのか、パトリシアは試しにピクチャーと記されたファイルの五つばかりをたて続けに開けて中身を閲覧してみた。すると一つのファイルに三百枚を下らないと思われた膨大な量の写真が出現した。

 それらをざっと見ると、被害者の遺体の状態を写したもの、被害者が着ていた衣服並びにその所持品と殺害に使われた凶器を写したもの、その場所の状況を写したもの、そして事件が起こった周辺を写したものに分けられていた。


 写真に写された遺体は、どれを取ってみても余りにも酷い状態に損壊されていた。一般の者が見れば、誰であっても直ぐに目をそむけたくなるような惨たらしいものばかりと言って良かった。

 しかしながらパトリシアにしてみれば、仕事柄、それまでに何百体という死体を見て来た関係で、いつの間にか免疫ができており、さほど驚きはしなかった。普通に凝視して、「ここまでくると、もはや異常以外の何ものでもないわね」などと簡単な感想を素知らぬ顔で漏らしていた。とは言え、幾ら見慣れているとはいえ、余り気分の良いものではなかった。


 被害者が着ていた衣服や所持品には、ほとんどの場合、血の跡があった。また犯行に使われた凶器は、包丁やナイフや斧といった刃物類や、電動ノコやエンジンカッターや充電ドリルやハンマーやペンチやバールやトーチバーナーといった工具類や、暗殺テロで普通に用いられる鉄パイプやワイヤーや燃料用アルコールや手りゅう弾が見て取れた。状況からいってそれらは、犯人側がその都度用意したもので、しかもいずれもが一般的に手に入り易い凡庸品であろうと思われた。もしそうでなければ、捜査機関がはなから目を付けて放っておかない筈だからだった。


 犯行現場となった場所は、どこでも見られそうなありふれた場所か、或いは普段から人が集っているところばかりだった。また犯行の周辺を写した写真には、記録する目的で撮った関係なのか、ごく一般の街並みや、通行人や買い物客でごったがえす平凡な日常生活の様子を切り取った何の変哲もない風景が写っていた。


「被害者の多さから言って、犯人は人々が多く集う日か場所をわざと狙っているみたいね」

 

 パトリシアは普通にそう感想を漏らすと、流れ作業のようにして写真を一通り見て回った。続いて、先に結果を見てみようとビデオ映像が入ったファイルをとばして、『考察とまとめ』の項のファイルを開けた。

 ところが『考察とまとめ』のファイルドキュメントには、意図的に削除したのか知らないが何も記されていなかった。空欄のままになっていた。


「ふーん、なるほどね。肝心な捜査情報を一切教えないで私達に丸投げってとこかしら。すると、しらみつぶしに見て行かなくちゃあならないみたいね」


 勝手にそう解釈したパトリシアは、一つ手前の『写真と映像』のフォルダーに戻り、「いよいよ犯人が撮ったというビデオね」と、ひとり言を呟くと、ビデオと記されたファイルを開いた。

 ファイルは、それぞれ別の個所で撮られた、短いもので五分程度、長いものになると二十分ぐらいの映像が、四つ五つつながれて一つに構成されており。その中には、映像の始めに、赤やら青系のショッキングカラーで『ショータイム』というふざけたタイトル名を付けられたものも混じっていた。

 自動的に再生が始まると、生前の被害者の生々しい肉声とそのときの様子を映し出した動画が次から次へと耳や目に飛び込んできた。それに反応するようにパトリシアは思わず息を呑み訳もなく口走っていた。


「えっ! 何これっ?」


 実に摩訶不思議な光景と言って良かった。そこは周辺に障害物らしいものが何も見当たらない広場のような場所で、普通に外で見かける服装をした大勢の老若男女がその中で大きな輪になって佇んでいた。その顔はいずれも恐怖におびえたというか、絶望したというか、放心したというか、生気のない虚ろな表情をしていた。

 それも無理のないことだった。輪の中央では地獄さながらの痛ましい光景が繰り広げられていたのだから。

 そこでは、どこでもいそうな何の変哲もない男女が様々な凶器を持って、どちらかが死ぬまで決闘のような真似事を順々に演じていく様子や、複数の男女に無理やり羽交い絞めにされたり地面に無理やり押さえつけられた男女が血の涙を流して懇願するのを構わずに直ぐにとどめを刺すというのではなくわざと時間をかけるようにしながらじっくり苦しめ抜かれて息の根を止められていく様子や、幼い子供たちが不安そうに佇む様子や泣き叫んでいる様子。或いは狂ったように絶叫しながら、いかにも苦しいやり方で自ら命を絶つ男女の姿があった。

 そのようなショッキングな場面が終了すると、今度は最終の結末と思われる、全身が血まみれとなっただとか、腕や足や首が千切れて無いだとか、脳みそや内臓がむき出しになって外へ飛び出ているとか、身体が焼け焦げているとか、縦や横二つに裂かれているとか、串刺し状態や穴だらけとなっているとか、皮膚が剥がされているとか、或いは肉塊となってもはや人と判別できなくなった変わり果てた男女の肢体が、うつ伏せや仰向けや、幾人も山のように折り重なって転がっている映像があった。


 パトリシアは、生きた人間が残虐な方法で殺されて物と化していく過程を見るのは、これが初めての体験で、結局のところ、刺激が強すぎた。それ故、まっとうな人間として当然のように良心の呵責に苛まれて息苦しさを覚えると、一旦モニターから目を逸らした。


「嗚呼、何なのよ、これって。犯罪組織が敵対する組織へ見せしめとして送りつけるビデオと何ら変わらないじゃない。こいつ等がやっていることは無差別虐殺と何ら変わらないわ。こいつ等の精神状態は尋常ではないわね」


 立て続けにそう呟くと、いかにも疲れ果てたという放心状態で、ブロンドのショートヘアーを指でかきあげる仕草を無意識のうちにしながら、しばらくぼんやりとため息をついた。


「よくもまあ、こんな酷いことができるものね。まさに鬼畜の所業ね!! ほんと見るに堪えないわ」


 それからどれくらいそのようにしていたのか分からなかったが、一体私は何をしているのかしら。何をしようとしていたのかしら。そう言った何とも言い難い疑問が、やがてパトリシアの脳裏にふっとよぎった。そこから端を発して、

 ――嗚呼ほんと、私って何とお馬鹿さんなんだろう。そうよ、こんなことで感傷に浸っている場合じゃないわ。これが私に与えられた仕事なのだから。

 そのような答えに言わずもなが思い至り、一気に目が覚めた気がしたパトリシアはすぐさま自らの情緒を頭の片隅に追いやると、毅然とした態度で再びモニターへと向かった。それから、犯人を突き止める手がかりが何かないものかと、昼を食べるのも忘れて没頭した。


ビッグパンプキンの上級幹部の人が語ってくれた話では、犯人は数々の現場で犯行を重ね続けたにもかかわらず、生き残った人間は一人としていなくて、そのことが捜査を難しくしているということだった。

 それから言うと、映像に映った人達は後に全員死んでいることを意味していた。また、一緒になって殺人の手伝いのようなことをしていた人達も同様に犠牲となっていることを意味していた。


「それから見ると、(ビデオの)中で殺人の手伝いをしていた人達は、常識的に考えて、脅されて仕方なくそうしていたか、意志と関係なく操られていたかのどちらかね」


「まあ話では犯人は能力者だということだし、操られていたというのが的を射ているかもね」


 またビデオ映像の中では、犯人らしい怪しい人物は映っていなかった。声も入っていなかった。


「被害者となった人達は克明に映っているのに、犯人の姿がビデオに一切映っていないなんてね。編集して消してあるのかしら。それか、離れたところから接写撮影しているのかしら。いずれにしても頭が良く回るというか、かなりずる賢いわね」 


「被害者となった人達の複数の携帯に入っていたという話だから、親機となる撮影機で撮影と編集をして、後でそれぞれの携帯にデータを移植した可能性が高いわね。そんなわざわざ手の込んだことをして犯人は何を考えているのかしら。世間に存在をアピールすることで何かしらのメッセージを送るためにそんなことをやっているのかしらねぇ……。

 その点に関しては捜査機関も馬鹿じゃないわ。きっと調べている筈よ。それでも手がかりがつかめていないということは、良く分からないけれど、全く目的無しにやっているってこと?」


「ほんと、長い期間の間、これだけの数の事件を起こしておきながら、しかも今なお継続中で、おまけにこれまで一度も尻尾をつかまれたことがないだなんて、犯人の正体は一体何者で、何人いて、どのようなやり方をしているのかしらねえ」


 といった風に様々な疑問が湧いて来た。だが結局のところ、素人の私が考えそうなことは捜査の段階で既に分かり切ったことなのだろうとひとり合点して、そのまま進展なく消えていった。そうして、いつの間にか時間が経ち、ふと喉の渇きを覚えて、無意識のうちに横においてあったマグカップを手に取ると、ひとくち口を付けた。気が付くと、斜め向かいのブラインドが半分開いた窓から陽の光が木漏れ日のようになって部屋の中に射し込んでいた。その色が仄かな山吹色をしていたことで、既に夕方にさしかかっているらしかった。もうそろそろね、彼女がやってくる頃だわ。

 彼女とはフロイスのことで。この部屋のことは、直前になって決めたこともあり、彼女には伝えていなかった。

 その代わり、入り口のドアをきちんと閉めずに十インチほど開放していた。こうしておけば、彼女がやって来るときに、いつも立ち寄る隣の部屋の通り道にあたるこの部屋にきっと気付くだろうと想定してのことだった。


 そんなときだった。

 

「何をしている?」


 入口のドアの付近から、どこか聞き覚えのある威厳のある声が物静かに響いた。けれど、期待していた声とは明らかに異なる声だった。


 ――ふふん、誰かと思ったら。


 パトリシアはにんまりしてモニターから目を離し、声がした方に振り返ると、果たして薄紫色の毛並みをした一匹の猫が、ドアの傍でぽつんと鎮座して、新緑色の眼でこちらをじっとのぞき込んでいた。ダイスの自宅に長く住み着いている、セキカと言う名を持つ生き物だった。

 あらまあ、どうしたことかしら。向こうから話しかけて来るなんて、ほんと珍しいこともあるものね。パトリシアは首を傾げながら、ひよっこり現れた生き物に素知らぬ顔で愛想良く応えた。


「ええ、ちょっとね。お仕事中よ。このビデオの中に犯人が映り込んでないか調べているの」


「そうか」


 生き物は宝石のような冷たいまなざしでパトリシアを見つめたかと思うと、鹿のような優雅な足取りで音もたてずに傍までやって来るや、長い尻尾をしならせて一気に跳躍。瞬く間にパトリシアが腰掛けた長ソファの背もたれの上へちょこんと乗ってきた。

 そのことにパトリシアは別に驚きもせずに生き物をちらっと見ただけで、あたかも無関心という風に気にも留めずに作業の続きをした。

 実は生き物とは顔見知りであった。とは言え、友人とまではいかず、いわゆる知り合い程度の間柄だった。例えるなら、ロウシュの相棒であった三匹の魔物、トリガとの関係と全く同じと見て良かった。

 遡ること、ゾーレから「三日と言わず、一週間でも十日でも、一月でもいいから、好きなだけ、そのダイスという男のもとに居て貰え、居て貰うんだ。良いか、逃すんじゃないぞ。かかった費用は幾らでもこの俺が持つ。絶対引き留めるんだ。分かったな」と要請を受けた日を境にして、パトリシアは自分なりにエリシオーネをネピの都に帰らせない色々な策を講じていた。その一貫として、エリシオーネが生き物に敬意を払っていることをダイスを通じて知ると、良い機会だから生き物をそれ相応に利用しようと考え、先ずロウシュに根回しをして彼の相棒であったトリガに近付き、何とかして生き物を紹介して貰おうとした。そしてそれが敵わないと見るや、今度は生き物と一番仲が良いイクに近づき、どのようにすれば知り合いになれるか相談を持ち掛けていたのだった。

 すると当のイクは、 


「セキカはああ見えて大変な人見知りで、おまけに頭が良すぎて扱いが難しいんです。ですから、あたしが直接言っても素直に聞いてくれるかどうか分かりません」


 そう、あっけらかんとした顔で言うと、しばらく考えてから、舌足らずな口調で取りも直さず応えたのには、


「そうですねえ、ここは食べ物で釣るというのはどうでしょう? セキカにごちそうすると言ってパトリシアさんの自宅へ呼んでみたらどうでしょうか。そうすれば自然と打ち解けて親しい仲になれるんじゃないでしょうか」だった。


 そのようなイクの突拍子な進言に、当然ながらパトリシアは開いた口がふさがらなかった。先にダイスから人間より知能が優れていると聞いていたのに、そのような単純なことで果たして乗って来るものか大いに疑問と言わざるを得ず。言うまでもなくパトリシアは疑いの目で問い返した。


「果たしてそんなことでなれるの?」


 しかしながら、イクは子供っぽい笑みを浮かべると、「パトリシアさん、ご心配無用です。セキカはああ見えて受けた恩は必ず返す律儀な性格ですから、きっと心を開いて口を利いてくれます」そう言って得意げに続けた。


「実を言いますとねぇ、セキカの食生活はあたし達と違って大変変わっているんです。どれだけ変わっているかと言いますと、パンや肉や野菜とかを食べる習慣はなくって、壊れた電化製品とか古着とかもう使えそうにないがらくた類を好んで食べるんです。それもどういうわけか知りませんけど、真新しいものやまだ使えるものは一切口にしません。

 それで、うちではもう何も食べるものが無いらしくって、この頃では一切食事をしないんです。

 それで、聞いたことがあるんです。外で食べてくるんだと言ってましたけれど、人の了解を得なくちゃならないから、毎日お腹が一杯になるところまでいかないって言ってました。

 ああそうそう、先に言っておきますが、呼んだとしても大丈夫、安心してください。セキカは何も悪さはしません。うちではセキカはいつもいるかいないか分からない空気みたいな存在なんですから。向こうが気を遣って呼び掛けて来ることもほとんどありません。

 例えて言うなら、着信通知を切った携帯みたいなものかな? こちらから呼び掛けなければ、何も応えてきません」


 そのとき自宅の庭や部屋の一部にはリフォーム工事に使って余った資材やら撤去した廃材が山のように積まれた状態で放置してあった関係で、パトリシアは全く異論はなかった。

 まあ、相手は魔物で人間じゃないのだから、正直やってみないと分からないけどね。そう考えると、「冗談で言っているわけじゃないわね?」とイクにやんわり念を押してイクの反応を見てから、直ちにイクを介して実行に移していた。

 その際に、何かあったときの用心のためにとフロイスに一緒に付き添って貰っていた。

 そこへつけて、フロイスから話を伝え聞いたホーリーまでもが「そんなことなら私も会ってみたいわ。実をいうと、私のお家にも不用品が山とあるの。それがもし処分できるなら大変助かるわ」と、悪乗りして調子よく言ってきたものだから無下に断るわけにもいかず。結局のところ、その当日は三人で応対した。

 対して生き物は、「私は一体何者でどこから来て何をしようとしているとか言ったその手の質問は今は受け付けることができないが」と断りながら三人と接し、その日一日だけで、会話が成り立つ程度の仲にまでなっていた。

 その結果、イクの言った通りに生き物と顔見知りとなるとともに、それ以降、生き物はパトリシアの自宅の敷地の内外にちょくちょく姿を見せるようになっていた。もちろん、ダイスとイクの二人から得た情報通りに、いるのかいないのか分からない空気のような存在で、例えばったり出会ったとしても、決まって生き物は無視して立ち去るか、一言二言あいさつをする程度で興味がなさそうにどこかに去っていくのが常態化していた。


 それからしばらくの間、生き物はパトリシアの隣でモニターの映像を無言で見ていたようだったが、パトリシアが目を離した隙にどこへ去ったのやら、いつの間にか消えて見えなくなっていた。 

 はからずもそのことにわずかな時を経て気付いたパトリシアは携帯で時間を確認した。

 すると、時刻はなんと午後の四時をとうに回っており、もう少しすると五時になろうとしていた。

 ええ、もうこんな時間! もうそろそろ現れても良い頃なのに。パトリシアはブツブツひとり言を言いながら、いかにも疲れた、うんざりしたという表情で、


「いつもと何ら変わらないわね。ほんと、いつになったら心を開いてもっと喋ってくれるのかしら。このままじゃあ、妹の秘密を訊き出すことは前途多難だわ」


 そう本音を漏らすと、それじゃあ良い機会だから私もと、一旦作業を中止してソファから立ち上がり、ぬるくなったお茶が入るポットを持ってドアの方へと向かった。 嗚呼、まいったわ。気分転換でもしないと、このままじゃあ、やってられないわ。


 それから十五分ほどして、パトリシアは何事もなかったかのようにすっきりした表情で人けのない部屋へと舞い戻ると、元のソファの背もたれにもたれかかって、


「ほんとうに趣味の悪いビデオだこと。世の中の全ての快楽をやり尽くした権力者か大金持ちの連中が暇に任せてこういったビデオを闇の業者に作らせてそれを鑑賞して楽しんでいると聞いたことがあるけれど。そういった類と何ら変わらないわ。そんなビデオを目を皿にして見ていると思うと、ほんと頭がおかしくなっちゃうわ」


 口を尖らせて、そうひとり言を呟きながら目薬を点眼した。部屋を出たついでに寝室へ立ち寄り、その際に持って来たもので。直ちに目の乾燥と疲れを和らげると、これも寝室から持って来たスナック菓子の袋をテーブル上で開けて、温かくして持ってきたポットのお茶で、ささやかなティーブレークをつかの間楽しんだ。

 その間も待ち人は一向に現れる気配はなく。パトリシアは冗談めかして、


「ちょっと遅いわね。何かあったのかしら。ああ見えて案外気分屋だから、また変なところに首を突っ込んで寄り道をしているのかしら」


 などと愚痴を零しながら暫しの休憩をとり、「さて、続きをしましょうか」と気持ちを引き締めて再び作業に臨んでいた。


 それから十数分ばかり経った頃、不意に聞き覚えのある明るい声が響いた。


「ここが例の作戦会議の……」


 ソファに座ったままチラッと振り返ると、直ぐ目前に、濃いエンジ色のニットシャツの上からカーキ色のジャケットを羽織り、その下は同色のボトムスと、いつもの男のようなラフな格好をしたフロイスが、首を少し一方に傾けて何食わぬ顔で立っていた。

 ――やっと来た見たい。

 パトリシアはビデオ再生を一時ストップすると、遅くなった理由を尋ねる代わりに、さわやかに微笑んで応えた。


「ええ、まあそんなところかしら」


「ふーん」フロイスはぐるりに高く積み重ねられた未整理の荷物が所狭しと並ぶ部屋をサラッと見回すと納得した様子で頷いた。見てくれは、どう見ても物置きだった。そしてそこにあった品は全て、フロイス自身がここにいるパトリシアに頼まれて、彼女の実家からはるばる海を渡って運び込んだものだった。


「あれから候補を幾つか当たってみたのだけれど、条件を全て満たす場所はそうそう見つからなくって。それで灯台下暗しというから、ダメもとで自宅の中をあたって見たところ、たまたまあなたが示した条件を満たしていた部屋があったもので」


「それがここというわけかい」フロイスは笑顔を見せながらそう言うと、目に付いたテーブル上のモニターの画面へと目をやった。


「ええ。少し手狭かと思うんだけれど、この部屋でどうかと思ってね。まだここにするとはっきり決めたわけじゃないのだけれど。この場所でこうしていると妙に落ち着く気がしてね。ねえダメかしら?」


「いや、ダメッてことはないけれど……」


「そう……」


 がっかりしたようにトーンを下げたパトリシアに、


「いいや、そういうわけじゃない」苦笑いしながらフロイスは軽く首を横に振ると言った。


「ここで良いんじゃないかな。いるだけで適度にリラックスできそうだし、飲食に心配しなくて済むし、場合によっては泊まることもできるし。まあ唯一難があるとすれば、便利が良すぎて退屈するくらいなものかな。ただね、私一存の意見では決められないんだ。ここはやはりみんなの同意がいると思うんだ」


「ああ、そう」


 素っ気なく返したパトリシアに気を回したのか、


「なーに大丈夫さ」とフロイスは一笑に付すと言った。「他のメンバーだって、きっと賛同してくれるさ。あのサイレレはゾーレのコンパクトな住宅を気に入っていて、肩が触れ合うくらいの距離感がより親近感が増し打ち解けた話し合いができると言ってるし、放浪癖のあるザンガーはどんな環境でも気にならないらしいし、ロウシュに至っては何て言ったって狭ければ狭いほど落ち着くと言ってはばからないのだからね。あとの二人も体面にこだわらないたちだから問題はないだろうと思うし」


 そう言って、「ところで、どうだい。何か分かったかい?」と話題を変えながら、回り込むようにしてパトリシアが腰掛けるソファ席まで辿ると、ちょうど隣の席へと腰掛けた。そして優しく問い掛けてきた。


「犯人の目ぼしがついたかい?」


「いいえ、全然よ」パトリシアはやんわり首を横に振ってそう返すと、もうお手上げと言う風に力なく両手を広げて見せた。


「そうか。そうだろうね。捜査のプロが幾ら見たって分からないくらいのものが、そう簡単に犯人の目ぼしが付けられるなら、プロの捜査官は今すぐに廃業だからね」


「ありがとう、そう言ってくれて」


「ま、ともかく、一度見せてもらおうかな」


 ブルー表示になっていたモニターの画面を見ながらそう言ったフロイスに、パトリシアは軽く頷くと応えた。


「ええ、分かったわ。それじゃあ見てちょうだい」


 パトリシアは、一時停止状態にしていたビデオを一番最初の冒頭の部分、『デイライトゴーストに関する捜査資料』から再生すると、自らが辿った過程を早送り機能を駆使して振り返っていった。その際、その内容に簡単な説明を加えながら、感じた感想を一言二言述べた。


「色んな死人を見て来たこの私でも気分が悪くなるくらいだから相当ね」「人間のあさましさ、罪深さが出てるわ」「常識に考えてよくもこんな非人間的なことをやれるものね」「犯人は間違いなく精神異常者よ」


 そのようにして、途中まで見終わったとき、突然フロイスは何食わぬ顔で「もう良い」と一言言うと画面から目を逸らした。


「なるほどな、こいつは一種のいじめだな。私も参加したいぐらいだよというのは冗談だけどね。私としては、いじめがいがない人間を相手にするのはちょっと勘弁してほしいね。もうちょっと歯ごたえのあるキャラじゃなくっちゃねえー」


 そのような感想を漏らすと、ほんとそうねと笑うほかなかったパトリシアを尻目に、更に言った。


「これ以上見たって無駄だろうな。犯人は映像を編集しているみたいだし。あとやれることと言ったら、ビッグパンプキンの連中がやったことぐらいなものだろうな」


「……」


 パトリシアはフロイスの言葉から真意を読み取ると、黙って首を縦に振った。百戦錬磨のフロイスが言うのだからそうかもね。

 そのとき二人は同じ認識を持っていた。

 ビッグパンプキンは常套手段としてAI分析から得た情報をもとに、将来的に被害に遇う人達の中に前もって紛れ込んで犯人を突き止めようとしたのではないかと。


「だけど、犯人を突き止めるために連中と同じことを不用意にやると、私等だって同じ轍を踏みかねない。連中は自分達が被った都合の悪いことをほとんど言わなかったが、余程暇だったのか、相当な時間と労力をかけて五年間もずるずると関わっていたんだ。それから察するに、かなりの数の被害が出ている筈だ。そうでなければ、わざわざ私等みたいな者に依頼を寄こす筈はないからね。

 それから考えて、相手は相当手ごわいとみて間違いない。ここは慎重にじっくり作戦を立てる必要があると思うんだけどね。

 それにつけて一番の問題は、いかにして犯人と早く出くわすかなんだが、まさにその確率は、AIが予想しているとはいえ、普通に考えて当たるか外れるかの博打みたいなものだしね。  

 それから言うと、ロウシュがいてくれたら心強いんだが、あいにくと奴はコーと別行動の真っ最中だし。今になって呼び戻すとなると、奴のことだ。かさにかかって恩着せがましく減らず口を叩くに違いないし。私もホーリーもメンツ丸つぶれだ。それにつけて奴に借りを作ることになる。それだけは絶対何としても避けなくちゃあならない」


 そう話したフロイスに、パトリシアが間髪入れずに、


「そんなことを言ってられるわけ? ここは耐えて妥協すればと言いたいところだけど、ロウシュのあの性格ではねえ、私も敬遠するわ」


 パトリシアの気の利いた返しに、フロイスは口元に笑みを浮かべると言った。


「それでなんだけど、あいつに頼らない方法として、この際だ、ホーリーと二手に別れることで、出くわす確立を二倍に上げて事にあたろうかと思うんだが。でもそこにも一つ問題があって。たった一人で土地勘が全くない都市のエリア全域をカバーするのは大変と言って良くって。何ていったって人手が足りなくてね。そこで考えたのだけど、お前が手下にしたあの三人を私等の手伝いとして一緒に連れて行こうかと思うんだ。まだまだ経験が足りず、役に立つとはいい難いけれど、いないよりはマシだと思ってね。それについて、お前の意見を聞きたいんだが……」


「ああそのこと。それは別に構わなくてよ。しかし問題は直ぐに片付くかということよ。三人とも家族や仕事があるから、そんなに長く無理強いはできそうにないわ」


「ああ。もちろん十分分かってる。ま、それは置いといて、その前にビッグパンプキンに連絡を入れて、近況を聞いたり情報収集しないといけない。先ずはそれからスタートだ。

 それが終わってから、向う場所の選定をして、いつ取り掛かるか決めるわけだが、その間にある程度の下準備が必要だし……」


 そこまで話して何を思ったのか、フロイスはぷいと顔を逸らせて別の方向を向き、ぼそりと呼び掛けた。


「セキカ、お前も来ていたのかい?」


 パトリシアがその声につられて同じ方向へ振り向くと、果たして先ほどパトリシアの前に姿を見せた猫そっくりな生き物が、テーブルを挟んで向かい合ったソファの上にいつの間にかいて、こちらをじっと見つめていた。


「セキカちゃん、直ぐに見えなくなったけれど、どこでいたの?」


 愛想笑いをして適当に合わせたパトリシアに、何も答えずに生き物は前のテーブルにゆっくりと昇ると、威厳のある物言いで尋ねて来た。


「ところでパトリシア。お前が捜していたという者達は無事見つかったのかな?」


「ああ、そのこと。もう片付いたわ。結局、犯人が自分達の証拠を編集して消してあったということでね」


「つまり見つからなかったということか?」


「ええ」


「そうか」分かったと言う風に、生き物は小さく首を縦に振ると言った。「ところで今小耳に挟んだのだがイクとジスとレソーの三人を連れて行くというのは本当か?」


「まだ決まったことではないけれど、このままでいくと、そうなるかしら。人手がどうしても足りないものでね」


「そうか。イクには私が付くので一先ず問題がないのだが、ジスとレソーにはやや荷が重い気がする。少し待って欲しい。対応策を考えてみようと思っている」


「どういうことだい、セキカ。まるで未来が見えているような口ぶりだねぇ」


 二人の会話を黙って聞いていたフロイスが横から口を挟んだ。


「ああ」生き物はフロイスの方に新緑色の眼を向けると、抑揚のない物言いで応えた。


「実は映像の中に少し気になったものが映り込んでいたものでな」


「それは一体何だい?」


「複数の人間の男達だ」


「恐らくそいつ等は私等が捜している者達だと思う。でも、私も見たがそれらしいのは見かけなかったが?」


「そうよ、セキカちゃん。そんなはずはないわ。そんな人達はいなかった筈よ」


 口を揃えて否定した二人に、生き物は冷ややかな眼を向けるや、


「そう言うのであれば、もう一度映像を再生すると良い。そうすれば指摘できると思う」と断言した。


「じゃあ、そうしてみるわ」


 パトリシアはそう言い返すと、生き物の目の前でテーブルの上に置いていたリモコンを手に取り、すぐさま操作した。そして再生映像をモニター画面に映し出すと、適当に早送りして任意の位置で設定を自動再生にした。

 モニター画面の中では、二人の若者がカッターナイフを互いに手に持ち、必死の形相で全身血まみれになりながら迫力満点の殺し合いを演じていた。

 着ている衣服はカッターナイフによって鋭利に裂かれて、もはやボロボロの状態で、顔や手と言った外にはみ出た部分からは鮮血が勢いよく噴き出ていた。

 二人はカッターナイフを振り回しながら、一進一退の中々タフな戦いを繰り広げていた。そして、遠目に複数の男女の姿がぼんやりと見えていた。

 そのような中、ぶしつけにフロイスが生き物に問い掛けた。


「今何人いる?」


 すると生き物は、フロイスの言葉を理解したのか、映像をしばらく眺めていたかと思うと、やがて口を開いた。


「時折、二人の若者の戦いの様子を周りから撮影する二人の男の姿が映り込んでいる。よってこの映像は三人で撮影が行われて編集されたものだ」


 生き物のその言葉に、フロイスは思わず眉をひそめ、その隣でパトリシアは絶句した。

 嘘っ!? 決闘している二人しか私に見えないけど……。


「それじゃあね、セキカちゃん。他のところでも同じように見える?」


 そうパトリシアはすかさず提案した。


「ああ」生き物はすんなりと同意した。


「そう。ふーん」


 そう言った生き物とパトリシアのやり取りをきっかけに、それ以外の残虐シーンにおいても同じように見て回った。だが、やはり結果は同じで、生き物から良く似た答えが再び返って来た。

 そうすると、私達の目が節穴だったってこと!

 それでもまだ信じられなかったパトリシアは、さらなる裏付けを得るために、ダメもとで生き物に問い掛けた。


「ねえ、ところでセキカちゃん。どうすれば私達にも見えるのか、何か良い方法がないかしら?」


 生き物は少し沈黙した後に「何も問題はない」と口を切ると、「私がお前たちにちょっとした工夫を施すと、一時的であるがお前たちにも見えるようになると思う。何なら試してみても良いが。もし疑うのであれば、無理には勧めはしないがどうする?」と逆に二人へ是非を提案してきた。

 あのトリガちゃんの知り合いというからには悪い方向にいかないと思うけどと、ロウシュと契約していた三匹の魔物のことがそのとき頭をよぎったパトリシアは、さっそくフロイスの顔を覗き込み心の中でささやいた。ねえ、どうする?

 そんなパトリシアに、フロイスはニヤッと笑って返して来た。それを見て了承したと直ちに受け取ったパトリシアは軽く頷くと言った。


「分かったわ。やってちょうだい」


「分かった、何も問題はない。すぐ終わる」


 生き物はそう呟くと、生き物の背後でそれまでピンと立っていた尻尾が長く伸びて宙にふわりと浮かび。それがフロイスとパトリシアの頭上付近まで音もなく近付いたかと思うと、その瞬間、尾の先端が二つに別れて、一瞬まばゆい閃光が走った。それが終了すると尾は再び元の状態に戻り、何もなかったように生き物の方に帰っていった。その間、数秒。あまりにも呆気なく終わっていたことに、それを目の当たりにしたパトリシアとフロイスはというと、二人とも、拍子抜けした表情で思わず顔を見合わせた。


「何これ?」


「さあね」


「思ったより呆気なかったけど。ねえ、これって、おまじないみたいなものかしら」


「そうかもね」


「そんなことってあるの?」


「さあね」


 そのような冗談とも本気ともつかない適当なやり取りを二人はしたかと思うと、目の前の生き物に向かってパトリシアが、


「こんな簡単なことで本当に見えるの?」と確認を取った。すると生き物は、パトリシアの問い掛けに、こう応えた。


「もう一度、映像をみると良い。そうすれば効果が分かる筈」


「あら、そう」


 本当に大丈夫かしら、変わった様子はどこにも見られないけど、と自らに施された効力を疑ってみたパトリシアだったが、ともかくこの魔物がそう言うのなら、だまされたと思って信じてみようと、生き物の指示に従い、適当にビデオを選んで再生した。

 すると、あろうことかそれまで全く見えなかった者達が、生き物が言った通りにはっきりと姿を見せた。

 いずれも姿形は明らかにごく普通の人間で、警察や軍隊の制服を着ていたり、一般市民と何ら変わらない私服姿であったり、労働者の格好であったり、犯罪組織の人間の服装であったりと、どちらかと言えばてんでんばらばらと言って良く、統一性がなかった。

 そのような状況を眺めながら、二人はあっけからんと感想を漏らした、ときには生き物を巻き込んで。


「何とも不思議なものねぇ。怪しい男達が高笑いする声や命令する声もはっきり聞き取れるわ。馬鹿は死なないと治らないというけれど、過激な洗脳を受けて一般市民をターゲットにテロを繰り返しているのかしら」


「ああ、そうかもね」


「こんな惨たらしいことを平気でできる人間はもはや人間じゃないわね」


「そうでもない。私に言わせれば、人間は太古の昔から同じようなことをやって来たんだ。そう珍しいことでもないと思うけどね」


「あなたはそう言うけれど、それは人間が未開であった大昔のことで、今は許されることではないわ。人道無視も甚だしくって前代未聞のことだわ」


「お前が人道面を持ち出すとはね、そう言ったら私等のやって来たことも同罪だ。お前はまだこの世の中を知らな過ぎだよ。世の中はそんなに甘いものじゃない。

 本来持って生まれた性なのかそれは知らないけれど、人間と言う生き物はいつの時代においても、自分より格下の人間を酷い目に遭わせて快楽を得るようにできているらしい。人間なんてものは、所詮この世で最低な生き物なんだ。

 その証明として、この私が人づてに聞いた話を一つ二つ話して聞かせてやろうか」


「いいえ、今は良いわ。遠慮しておくわ。そんなことより、この人達の中に、タトウーみたいなものがはっきりと見えるわよ」


「ああ、確かに。魔除けの刻印か魔法の印のようにも見えるな」


「不思議ね、目の錯覚かしら。消えたり現れたりしてるみたい。偏光インクを使ってるのかしら」


「そうだね」


 二人がそう言うのも無理からぬことだった。怪しい男達の手首や手の甲や首筋辺りといった箇所に網目模様をした不思議な印がはっきりと見て取れ、それが見る角度によって見えたり消えたりしていたのだから。


「でもこれだけのことではねえ」


「ああその通り。もっと決定的なものが何かなければ、犯人の目ぼしは付かないよ」


「そうよねえ……」


 タトウーは、一般市民が普通にファッション感覚で入れている。身体への刻印は、能力者において、ざらに見られるからそれほど珍しいものでない。従って、犯人らしい怪しい者達の存在が分かったところで、問題の解決にまだ至っていないと、二人の認識は一致していた。 

 そんなとき、矢庭にフロイスが、ぎょろりと鋭い眼光を生き物の方へ向けると、問い掛けた。


「ところでセキカ。これらは幻覚じゃないだろうね」


「そのようなものを見せて私が何か得するとでも」生き物は凛として返した。


「それもそうだね」フロイスはにっこり笑ってこくりと頷くと、思い出したように言った。


「ちょっと聞くが、セキカ。こいつ等は一体何者だと思う?」


「それは私にも分からない」生き物は落ち着き払って告げると、「ただ少し気になったまでのこと」そう言い訳した。


「それはどこでそう思ったんだい? 動物的な勘か、それともあのタトウーみたいな印かい」


「そのことか」


 生き物は、ほんの少し考えるように沈黙すると、やがて口を開いた。


「それも多少はあるかも知れない。それよりも、私の取り越し苦労であれば良いのだが ギラギラ輝く目が不思議と気になったものでな」


「人相ではなく目ん玉ねえ……」


「ああ、そうだ。目の奥底から何ものにも屈しないくじけない心とか強い精神力を表わす意識力、またはスピリットパワーと言われている指標が出ているのがうかがえたのだが、その力はそれぞれ固有の波長を持っていてな、その波長が私にはどうも見覚えがあってな」


「ああ、そうかい。それでお前が考えてる者の正体は一体何だい? 聞かせて貰おうか。あいつ等はお前やトリガみたいに別世界からきて、この世で悪さをしているんだろ?」


 そう言ってかまをかけたフロイスに、生き物は冷ややかに首を振ると、それとなく言葉を濁して応えた。


「いや、他人の空似ということもあるからな。それに……」


「何だい、セキカ。つれないじゃないか。もったいぶっていないで、ちょっとぐらい話してくれても良いだろう。あくまで参考のためだ、なあセキカ」


 さらに突っ込んだ言い方をしたフロイスに、


「そうだな……」考えるように生き物は口の中で呟いていたかと思うと、


「あり得ないことだと思うが、万が一のこともあるかも知れないし。少しぐらいは話しても構わぬと思うから話してやろう」


 そう静かに告げると、淡々と語り始めた。


「見たところ、この映像に映る者達は、お前たちの世界で言うところの超人の類にあたる。人を器としているところから考えて、お前たちにも十分対応できるかも知れない。

 問題はその上位に位置し、あれらを操っていると思われる者達なのだ。中でも、その最上位に当たる者とその直属の者達は別格だ。

 最上位、即ち親玉の名を、総じて女儀子、ナーギスと呼んでいる。お前たちの世界の基準に合わせると女神とでもいわれる存在だ。しかも厄介なことに、戦神の方のな。

 私が知るところ、ナーギスは、守備に特化した者、攻撃に特化した者、或いは両方を併せ持つ者の三つのタイプが知られておる。

 いずれも私より上の等級に位置する存在だ。

 ナーギスの直属の者達は、ナーギスが直々に異世界から抜擢してきた者達で、通常は三個体がけん族として付き従いナーギスを補佐しておる。そしてその下に多数の配下を束ねる構図をしておる」


「何だ、それ!?」


 そこまで話した生き物に向かって、フロイスが何を思ったのか急にそこへ口を挟んだ。


「そいつ等は手ごわいのかい?」


 ふざけているのか真面目なのか全く分からない物言いでそう尋ねたフロイスに、生き物は冷ややかな視線を送ると、


「永遠の同朋が故に、これまでに一度も戦いを交えたことはないのだが、もし仮にでも出くわすことになれば、すぐさま対決を思い留まらせ、尚且つ避けて逃げ帰る口実となり得るかも知れぬから話すと、そうだな、戦えば私単独では勝てる気はしない」


「ふ~ん、そうかい」フロイスはニヤッと笑い舌なめずりをしたかと思うと、しれっとした顔で臆することなく言った。


「まあそうだねえ、頭に入れて置くよ」


「ふーん、そうか」生き物は懐疑的な物言いで小さく頷くと続けた。


「そうは言っても、余りに戯れが過ぎる。ナーギスが裏で糸を引いているとは違う気がする。

 何しろ私が知る限り、ナーギスは公明正大で、聡明実直の輩。あのような悪ふざけを好まないし、命令することもあり得ない。また指導力に定評があることから、配下の者達に自由気ままにさせているとは考えにくい。おそらくは、全く偶然にナーギスそっくりな波長を持つ人間達がいたということであろう」


 先ほどの話の続きのようなものを語った。それを聞いたフロイスは軽く腕を組むと、小首を傾げて、


「はっきり言ってこの案件は、先が思いやられそうだね」 


 率直な思いを漏らした。

 そう言った生き物とフロイスの会話を、パトリシアは眉をひそめたやや困惑した表情で、苦笑いを浮かべながら聞いていた。

 やっぱり聞いた通りだったわ。理解の範囲を超えていてチンプンカンプンよ。

 それにしても、セキカちゃん。いつもより存在感があるけれど。何なのこれって?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る