第77話

「久しぶりに訪れたけれど、ほとんど何も変わってないようだね」


「そうみたいね」


「変わったと言えば、航空機や装甲車が、いずれも最新式に切り替わっている点ぐらいなものだ」


「ふーん、あなたらしい見立てね」


 そのような何でもない会話を交わしながら、意気揚々と歩を進めるフロイスとホーリー。

 そんな二人から少し遅れるようにして、パトリシアはやや緊張した面持ちで周辺をきょろきょろ見渡しながら歩いていた。この際だからビッグパンプキンのアジトとはどういうものなのかじっくり見ておこうと思って。

 周辺を原始の森に囲まれた飛行場の敷地の十数倍くらいの広さが十分ありそうな白っぽくて平坦な大地。よく見ると、半透明で粒子が細かい感じから珪砂か石英砂が主成分と考えられる砂が透明な接着剤で硬く固められて地面全体にびっしり敷き詰められたようになっていた。おそらく人工的に造られたものだろうと思われた。閑散としていて、人の気配どころか小さな生き物の姿すら見かけなかった。不気味なくらいに静かだった。加えて、温暖でカラッと乾燥していて過ごしやすい感じから、今いるこの場所が北の最果てにあたるとは到底信じられなかった。

 そんな三人を出迎えるように、白銀色に輝く大きな構造物が目の前に見えていた。

 三人は、橋を渡ってすぐ先にあった十数台の車両が綺麗な横並びに止まっていた駐車場らしき地点へ乗って来た車を止めると、マイペースで歩いてやって来たところだった。その途中で、機械色をしたAI仕様の装甲車や軍事用ヘリや垂直離陸式小型ジェット機が無造作に止められているのが見えたのを、フロイスとホーリーが話題にして喋っていたのだった。


 そのとき三人は、天空に輝く星々をデザイン化したというド派手な仮装用マスクに、足元ぐらいまでの長さがある光沢のある素材で作られたマントコート姿と、少し風変わりな格好をしていた。両側に欄干がなければそうだと分からなかった橋を渡る直前に、ホーリーの「そこで止めて」の一言で車を止めて、「ここに来るとね、いつもやっていることなのよ」の発言で着用していたのだった。

 その際、当然のことのように、「これって、カーニバル、それとも仮想パーティーにでも参加するわけ?」とパトリシアは即効で疑問を投げかけていた。するとホーリーはニヤッと笑って、


「まあ、そんなところかもね」と返すと、そこへ既に目を覚ましていたフロイスまでもが「ともかく行けば分かるさ。どういえば良いか分からないんだが、向こうの意向みたいなものでやっているんだ」などと言って来た。

 更に二人は口々に、


「お互いに、この世がどうなろうと知ったことではないという無責任な考え方が共通していてね、どういうわけか自然とそりが合って。それで、別に決まりってことはないのだけれど、相手の意向をくみ取る形で、このような奇抜な服装をわざわざすることになっているの」 


「そもそも、以前私等が秘科学協会を通して仕事の依頼を請けていたほとんどは、ここと世界導師協会とで占められていたんだ」


 などと言って来たものだから、さすがにパトリシアも、大切なお得意先ならしょうがないかとすんなり納得するほかなく。


「どう、このマスク。いけてるでしょ。私が選んだのよ」と、ホーリーが自慢げに口走れば、


「何だかは恥ずかしいわ」とパトリシア。


「もう、心にもないことを言わない! あなただって大概じゃない!」とホーリーが一蹴し、


「ふん、良く言うよ」とフロイスが苦笑いして締めると言った具合いに、三者三様に終始和やかな雰囲気でマスクとマントコートを身に着けていた。


 何度かやって来て勝手知ったるというわけか、二人は正面切って脇目も振らずにずんずんと進んでいく。その少し後を同じくパトリシアも追随。やがて白銀色に輝く大きな構造物の近くまでやって来ていた。

 ところが見たところ、行く手に見えた白銀色の構築物は、実際には淡くくすんだグレー色をしていた。周囲に張り巡らされていた、見上げるくらい高い石壁が綺麗に磨かれていて、それらが光を反射することでそう見えたらしかった。

 それはともかく、ずらりと建ち並んだ石壁の二ヶ所に、一方は閉じられているものの、もう一方は解放されている二つの巨大な石の門が、およそ百ヤードぐらいの距離をおいて設けられていた。

 それら二つの門のうち、閉じられている方は居住区へと続いている関係で今回は用がないということで無視をして、解放されていた方から中に入ると、真横方向に見えた高い石壁を挟んで居住区といわれる場所内にそびえる電波塔そっくりな高い尖塔や摩天楼のような趣がある高層建築物。また正面方向には何本もの水柱を上空へ勢い良く立ち昇らせている石造りの立派な噴水、その奥の方に中世の城もしくは要塞から全ての窓を無くしたような余り見慣れない感じの無機質な高層の建物が悠然と建ち、さらにその隣の方には何の変哲もない広場が広がっていた。

 先頭を行く二人は、噴水にも他の施設にも一切目もくれないで真っ直ぐに奥の高層の建物へ向かった。

 二人によるその場の説明では、「自分たちみたいな外来が案内されるところ」ということだった。

 目の前に見えた、一段一段の高さと幅がやけに大きかった十段ほどの階段に若干苦労しながら上まで昇り、建物の入り口まで行くと、二人の説明通りに、見上げるほど巨大で金庫の扉のような厚みのある扉が観音開きになった状態で現れた。

 しかし見た限り、その中に人の気配がなく、しかも暗かった。それでも尚も進んでいくと、自動的に明りが灯り、その全貌が明らかとなった。

 内部は工場の倉庫のように吹き抜け構造をしており、かなり広々としていた。見渡す限りがらんとしていて、天井を支えている数本の太い柱以外に何も見当たらず。加えて、やはりと言うべきか人っ子一人おらず、ひっそりと静まり返っていた。

 そのような中、奥の突き当りに唯一見えた、受付カウンターのようなものに向かって三人は整然と歩いていった。

 すると、ちょうどそこのあたり付近から「ようこそいらっしゃいました」と若い女の子の可愛らしい声が広い部屋全体に響いた。

 しかしそこには人はおらず。それに代わって一頭の白い馬がカウンターから長い顔を出していた。

 更にその方向へ近づくと、若い女の子の良く通る声がひっそりと静まり返った部屋内に再び響いた。


「奥の部屋へお入りください。皆さん、お待ちかねです」


 見れば、白い馬はロバくらいの大きさがある良くできた作り物で。更に額に角が見られたことからユニコーンと思われ。その馬の背に、全長一フィート前後で長い栗色の髪と大きなブルーの瞳と古風なレースのワンピースが印象的なビスクドールが一体乗っていた。その人形が三人の方を向くと、ブルーの瞳をニ三度パチクリさせながら口を開いて、小さな可愛らしい手で手招きをした。


「どうぞ、こちら側からお入りください」


 どうやら三人を出迎えた声の主は、その人形らしく。途端に、奥の突き当りの壁が静かに横へスライドして、一際明るい別の空間が姿を現わした。


「どうだ、面白い趣向だろう」


 先頭を歩いていたフロイスが、少し遅れて後方を行くパトリシアに向かってちらりと振り向くと、にやけた顔でささやいた。


「ええ、まあ」


 何が何だか分からずにパトリシアは神妙な面持ちで曖昧な返事を返した。そこへ、フロイスと同じようにぴたりと立ち止まったホーリーがにこやかな表情で「どう? メルヘンチックでしょ?」とささやいて来ると、尚も言い添えた。


「中に入ると、もっと驚くことがあるから」


「まあそういうことだ。きっとびっくりするはずだ」


 そう言った二人の説明に、なぜここまで手の込んだことをわざわざする必要があるのか分からなくてパトリシアは黙って頷くほかなかった。どうせ、あの中に行けばいずれ分かることよ。


 果たして、向かった先は、眩しく感じるくらい、暖色の色合いに満たされていた。

 二、三百フィート(60~90メートル)ほど先の向こう正面の壇のように高くなった位置に、ゴールデンオーク色をした執務デスクが横並びに整然と置かれてあり、その手前の一段下ったところにも同じ配色をした執務デスクが今度は左右の端に見え。また、ちょうどそのぽっかり空いた中央部にあたるスペースにも、同色の執務デスクが一組ぽつんと置かれていた。そして最後方にも、全く同じ色をした大型サイズの背もたれ付きベンチが高さ五フィートほどの石製の障壁を境にしてずらりと並んでいたのだった。


「何なのよ、これって?」


 パトリシアは部屋に入って直ぐに呆然と立ち尽くすと絶句した。執務デスクとベンチが特異な配置をされてずらりと並んだ光景は、写真でしか見たことがなかった裁判所の法廷に物凄く似ていたからだった。


「ここって、まるっきり裁判所の法廷そっくりじゃない!」


 思ったことをそのまま口にしたパトリシアに、パトリシアに合わせるように立ち止まったホーリーが薄笑いを浮かべて受け答えをした。


「どう、面白い趣向でしょう! 冗談抜きで裁判所の法廷を再現してあるのよ」


「でも、どうしてこんなものが?」


 ビッグパンプキンっていう組織は私達をなぜこのような場所に招待したのだろう、まだ私達は裁かれることは何もしていないのだけど。そういった思いがパトリシアの頭の中を駆け巡った。そのような中、ホーリー並びに同じく立ち止まったフロイスがしたり顔でそれぞれ言って来た。


「安心して。これって単なる形式に過ぎないのだから。この場所はあくまで話し合いの場であって、法廷はただの見せかけなのよ」


「初めてくると誰だってどぎまぎするものさ。だが慣れれば別にどおってことはない」


 二人の言葉で、パトリシアは一気に緊張が解けていた。なるほどね、そういうことだったわけね。不安が晴れて直ぐに落ち着きを取り戻したパトリシアは、再び歩き出そうとした。

 そんなとき、フロイスが目に付いた周辺を一べつして、


「さあてと、それじゃあ私はこのあたりで高みの見物とさせてもらうよ」


 何を思ったのか、そう口走ると、背もたれ付きのベンチが縦横にずらりと居並んだ中の一つにいきなりごろりと仰向けで寝そべると、腕枕をして長い脚を手前の背もたれの上に悠然と投げ出してと、我関せずという風にシカトした。

 その手際と要領の良さは、いつもやっていることなのだろうと思われ。ほんと好い気なものねとパトリシアは複雑な思いで呆れた。

 だがしかし、傍らにいた同僚のホーリーが、全く気にする様子もなく涼しい顔で、


「さあ行きましょうかパティー、フロイスを放っといて」と促すと、


「今日は私がお手本を見せて上げるからね。次からはあなたの番よ。あなたが一人でやるのよ」とパトリシアに伝えるや、前を向いてさっそうと歩いて行った。


「分かったわ」


 パトリシアはホーリーの凛とした背中にそう呟くと、素直に彼女の背後にぴったり寄り添った。

 そうして、ちょうど裁判席とベンチ席を仕切る役割を果たしている石壁付近までやってきたときだった。パトリシアはびっくり仰天して立ち尽くした。

 裁判官が腰掛ける席はもとより、検察官、陪審員並びに弁護人の席まで、鮮やかなオレンジ色と青白い色をしたものがはっきりと視界に入ったからだった。良く見ると、怖い顔やむっつりした顔や笑った顔をするお化けカボチャのコスプレをした人物と、おそらく魔女を意味するのであろう尖がり帽子を被った熟女のコスプレをした人物が、それぞれ黒い法服姿で、肩から上の部分を見せて微動だにせずに座っていたのだった。 

 その異様な光景は、エイプリルフールの当日に飛び交うジョークの中の一場面のようで、前もって想像していたとはいえ、明らかに度が過ぎていた。


「ホーリー、これって何なのよ?」


 信じられないという表情で、そう尋ねたパトリシアに、ホーリーは目を細めてにっこり笑うと言った。


「何もふざけているんじゃないのよ。あれでも真面目なんだから。これで分かったでしょ。なぜ私達がこんな格好をするのか」


「それにしてもこれは……」


 パトリシアはおそるおそる等身大の薄気味悪い者達を再び見渡しながら呟いた。


「ほんと変なところね。酷いと思わない?」


「まあ、そう言わないで。ここの人達はみんな良い人達ばかりなんだから。あれはあくまで洒落、洒落でやってるのよ」


「まあユニークと言えばユニークだけど……」


 パトリシアはそう口にしながら、ほっと溜息を漏らすと思った。なるほどね。ビッグパンプキン、つまり巨大なかぼちゃと言う意味はこのことが元になっている訳なのね。


「さあ行きましょうか。私の後ろについて来ると良いわ」


 ホーリーはさっさと話を切ると踵を返し、障壁の役目をしている石壁に沿って歩いて行った。

 それから間もなくして、二人は裁判所法廷の中央部にぽつんと見えた証人台の席の前に並んで立っていた。

 しかし不思議なことに、どういうわけなのか仮装をした人物達は、しばらく待っても一言も発することはなく、中々話し合いは始まらなかった。室内はシーンと静まり返ったままだった。やがてパトリシアは違和感を感じて、随分と久しぶりにやって来たせいなのか感慨深げに視線を辺り構わず向けていたホーリーに向かって尋ねていた。


「ねえフランソワーズ。どうしてみんな、まるで人形みたいに黙って喋らないの?」 

 フランソワーズとは、こちらでもっぱら用いていたというホーリーの呼び名だった。ちなみにフロイスはフローラという呼び名で、二人は友人同志という設定になっていると教えられていた。ちなみにパトリシアは偽名のパテシア・メルキースで構わないだろうということで落ち着いていた。

 すると、パトリシアの思考を見通していたかのように、ホーリーが振り向きもせずに何食わぬ口調で、


「ああ、そのことね。あなたの言う通り、みんなお人形だからよ」と応じた。


「えっ、ちょっとどういうことよ」さっぱりわけが分からずパトリシアは訊き返した。


「みんなお人形って?」


「だってそうでしょ。ここへやってきてから、今の今までずっと咳一つ物音一つしないのはおかしいと思わない?」


 素っ気なくホーリーが言い放った的を射た説明に、パトリシアは何も言い返すことができなかった。確かにその通りだった。

 

「それはそうね。それじゃあ、ここの人達は?」


「別の部屋にいる筈よ。そこからお人形を通じて話を伝えてくるの。みんな地位の高いお歴々ばかりだから、お忙しくって、まだ十分な用意ができていないのじゃなくって。まあいずれ向こうから声を掛けてくる筈だから、それまで気長に待ちましょう」


「ああそう」パトリシアは何となく釈然としない思いで、こくりと頷くと言った。


「それじゃあ、もう一つ訊きたいんだけど。裁判所の証人席って、この位の高さがあるものなの?」


 奇妙なことに、二人が立つ席の高さは、共に五フィート八インチ(170センチ)前半の身長があった二人の胸上近くまであった。どうみても高過ぎるという印象だった。しかも、その幅は二人が横に並んで立ってもまだ十分余裕があるほどだった。


 ホーリーはパトリシアにそう言われてようやく振り向くと、一笑して言った。


「馬鹿ねぇ、あなたって。そんなはずはないじゃない」


「それじゃあどうしてこんな風に高いのよ。横幅もたっぷり二、三人分あるみたいだし」


「ああ、それはね、私が訊いたところによると、この部屋にある設備は元々あったものだそうよ。つまり、今ここを占拠している人達の前の人達がこの場所を発見したときには建物内に既にあったらしいの。

 それが意味するのは、ここを建設して暮らしていた先人たちは、現代人よりもかなり体格が良かったみたいなのよ」


「するとこの場所は、一番最初にこの場所を発見して建物を建設した人達の規格に合わせて造られているってこと?」


「まあ、そうなるわね」


「ふーん。ところでその先人たちは一体どんな人達だったのかしらねえ」


「さあね。聞くところに拠れば、最初にここへやって来た人達の証言では誰にも会わなかったという話だし」


「無人だったということ?」


「そうなるわね」


「ふーん、そう」


「まあ、そうね。そのことについて、ついでだから言って上げると、そもそもこの場所がユーフォリアムと名付けられたきっかけは、ここの場所を発見したとき、到るところで新発見の進んだテクノロジーが見られたことから、相当高度な文明を持っていた者達がいたという結論からきているのよ。

 そのとき、その者達が一体何者であるかと考えて一番最初に思い浮かんだのが未知の世界からやって来た異星人かも知れないということで、正体不明の物体、ユーフォーに乗って来た人達によって建設された都市、基地という意味のユーフォリアムと命名したって話よ」


「ふーん、ところでここの人達って、どうなの? 愛想がないとか気難しいとか横柄だとか命令的だとか?」


「ああ、そのこと!」分かったとホーリーは小気味良く頷くと言った。「そうね、そのようなことはないと思うけどね。そりゃね、中には皮肉屋や自己中の性格の人もいるにはいるけれど、そのほとんどは物わかりが良くって話し好きでお人よしでね。また、みんなユーモアが通じる人達よ」


 仲の良い二人が、すっかり時間を忘れてそのような会話に没頭していたとき、トントンと小気味良く木槌を打ち鳴らす音が、広々とした空間に響いた。

 その音に、ようやく準備が整ったみたいねと二人がにっこり頷き合うと、息ぴったりに会話を止め、音が聴こえた方向へ振り返った。

 音は、お約束通りに真正面の裁判長の席からだった。そこには、むすっとした表情をするお化けカボチャが背筋を伸ばして腰掛けていた。

 二人は七体の不気味な人形の顔を視界に入れると、ふっと安堵のため息をついた。いよいよ始まりみたいね。

 果たして、それからほんの少しの静寂があって、渋みのある老人の声が聴こえた。


「誠にすまないが、ひそひそ話はそれくらいにして貰えまいか」

 

 さっそく言われた通りに、無言でまじまじと裁判長席のカボチャ頭を見つめた二人に、かぼちゃ頭が威厳のある声で更に言い添えた。


「さあてと。改めてあいさつをさせて貰おうと思う。ようこそ、遠路はるばるとビッグパンプキンの本部ユーフォリアムへ」


 そこへ続けて、両隣に腰掛けた、怖い顔をしたカボチャ頭と魔女の姿そっくりの人形が、


「やあ、どうも。久しぶりだね」


「この地までわざわざ足を運んでいただき感謝しております」


 それぞれ軽いノリと改まった口調で言って来た。いずれも中年かそれ以上の老けた声で、魔女の人形から声を出しているのは、物静かで気品のある声の質から見て明らかに女性らしく。そんな三人の歓迎の言葉に、何とはなしに戸惑いの色を見せたパトリシアの隣からホーリーが、

 

「いいえ、どういたしまして。お招きに応じて来させていただき、感謝しておりますわ」


 板についた口調で堂々と応えた。

そこへ軽いノリであいさつをしてきた人物が、


「フランソワーズ君と言ったかな。しばらく見ないうちに、より一層色っぽくなったようだね。そのマスクはとても似合っていて魅惑的だよ。それより増して僕個人としては君のマスクの下の若い容姿とは明らかにギャップがあるその落ち着いた話しぶりに凄く興味があってね」


 などと切り出すと、ホーリーはにんまり笑って受け流した。


「何をおっしゃることやら。そちらこそお元気で何よりですわ、ミスター・トラル」


「名前を覚えていてくれてありがとう、ミス・フランソワーズ。ところでなんだが、ちょっとした息抜きに一度君とプライベートで一緒に酒でも飲み交わしたいと思っているんだがね?」


「ご冗談はよして下さい。そのセリフ、前にこちらに寄せて貰ったときにも聞いた覚えがあります」


「ああそうかい? 前にも話したかな? 僕は物覚えが良いたちなんだが……」


 カボチャ頭はそう言ってとぼけて、尚も諦めずに、「それじゃあこうしよう。携帯の通話アプリで連絡先を交換するというのは?」と誘って来た。


 しかし当のホーリーは、苦笑いを浮かべてそれを無視すると、正面の席をざっと見渡して周りに声を掛けた。


「皆さん、お変わりはありませんか?」


「そちらこそ長く近況を聞かなったが、今までどうしていたのかね?」


 軽いノリで話したカボチャ頭の席の横から、にこやかな顔をした別のカボチャ頭が年季の入った老練な声を響かせて、すかさず喋りかけて来た。


「色々あって活動を一時休止しておりましてね、ミスター・アンセス」ホーリーはすまして応えた。


「ふ~ん、どのような理由で?」


「ええ、そうですね。ごく些細な事ですわ」


「それはどういうことかな? もし良ければ訊きたいな」


 興味深そうに訊いてきた相手に、ホーリーは嫌な顔ひとつせずに淡々と語った。


「私どもの内輪の話で、まだ今尚こじれた事情もあって、詳細は申し上げられませんが、世間一般に良くある出来事ですわ。まあいうなれば、よそとの信頼関係が破綻したので、業界の慣習に乗っ取って筋を通して解決したまでのこと。その後、ほとぼりが冷めるまでのしばらくの間、活動を自粛していた次第です」


「なるほど。それはそれは、いやはやご苦労なさったわけですな」


「ええ、まあ。そういうことです」


「ところで、隣に控えるご婦人はどういった筋合いの方なのかな? 私の記憶が正しければここへは今回が初めてのように思われるのだが」


 更にそう尋ねて来た人物に、ホーリーは愛想笑いを浮かべて事も無げに応えた。


「ああそうでした、紹介しますわ。一応彼女は私共のネゴシエーターをして貰っておりますの。まあ言うなれば、マネージャーみたいなものですわ。そういう訳で、ここへ連れて来たのは新しく見て貰おうと思っていましてね」


 そのようなホーリーの紹介に、いよいよ私の番ねとパトリシアは、はっきりした物言いで、「パテシアと言います。よろしくお願いします」と努めて明るく振る舞った。


「ふーむ」


 カボチャ頭はちょっと口ごもると、呟くように尋ねて来た。


「君はパテシアというのかな?」


「はい」


「じゃあファーストネームは?」


「はい、メルキースと言います」


「パテシア・メルキースねえ……。ふーむ……」


 偽名であったパトリシアの名前を、その人物は、表情が変わらないお化けカボチャから口にすると、いかにもがっかりしたと言うような大きなため息を、周りに聞こえるくらいのレベルで漏らした。


 次の瞬間、周りも同じように思っているのかもと敏感に感じ取ったパトリシアは、いたたまれなくなって表情をこわばらせ、さりげなく目をそらせた。ホーリーと比較されていることに憤まん遣り方ない思いだった。

 どうやら私は歓迎されていないみたいね。そういったって仕方がないじゃない。私は彼女みたいに飛び抜けた美人じゃないわよ。また、知性も魅力もそれほど持ち合わせていないし。若くも見えないし。声もきれいじゃないし。スタイルも良くないし。人生経験が豊富でもないし。

 そう心の中で呟いた。とは言え、ほんのしばらく気まずい空気に包まれたものの、パトリシアの思い過ごしに終わったのか、どこからも異論めいたものが出ることもなく、その場はすんなりと認知された形となっていた。


 そんな具合いにして疑問を呈した相手との片が付くと、今度は先ほどの魔女の姿の人形が声を掛けて来た。


「このようにして会うのは随分と久しぶりのことだったので、過去の記録を調べてみました。それで分かったことなのですが、こちらにお呼びするのは今回でちょうど十度目にあたります。それまでは年に三、四度ほど、依頼の報告がてらに会っていたのですが、今回は最後にこちらへお出で願ってから、かなりな日にちが経過しておりました。

 手持ちの日報の記録に拠りますと、最後にこちらへお出で願ったのは六年と六ヶ月前。日にちは三月三十一日、時間は午後の六時三十一分となっておりました。

 その当時の立会人は、今この場にいる五名と、今は亡き二名の計七名。そちらは今日来られたあなた様とフローラ様のお二方となっておりました。そのときの私どもの依頼内容は、異界から召喚した魔物を出しにして快楽目的で人殺しを楽しんでいた人間達の一団の抹殺。私どもは原則としてこの世にあだ名する怪物や魔物を相手にしても、人間を直接相手にすることはできるだけ避けるようにしていたので、そのときもあなた方にお願いしたわけなのですが、その結果報告を兼ねて……」

 

 などと、以前のいきさつを淡々と述べ始めた。

 その間、ホーリーは首を傾けて相手の話を聞いている振りをしながら、もうそろそろ良い頃合いと見たのか、緊張した面持ちで呆然と立ち尽くすパトリシアの耳元に、「よく覚えておくと良いわ」とささやいて、小声で分かりやすく告げた。


「今話している女性はミズ・シャキーラと言って、いつも冷静沈着で一見融通が利かない気難しいタイプに見えるかも知れないけれど、中身は世間話をするが大好きな気さくなおばさんよ。その隣の女性は、メンバーが変わっていなければミズ・シーザーズのはずよ。何しろ、これまで一度も向こうから喋りかけて来たことが無くってね。名前しか分からないの。

 そして、中央の裁判長の席からかすれた声で、ひときわ威厳のある喋り方をしたのはミスター・プラシドと言うの。

 ここでは集団指導体制を取っていてね、彼がその代表で、その両隣は副代表の席であとの席は理事よ。彼と話してみると分かると思うけれど、絶対ということは絶対にないというくらい慎重なタイプよ。

 ええと、最初にいやらしく声を掛けて来た人はね、あんなことを言っているけれど一応副代表で、一見計算高いところもあるけれど冗談が通じるし、あの通り口が上手くって、いつも愛想が良くって、いわゆる情報を発信する広報係のような役割を果たしているの。

 それから、あの印象に残るガラガラ声で喋りかけてきた人はね、ミスター・アンセスと言って自慢話をするのが大好きで、また情熱家の一面も持っていて、おまけに異性には特別優しいのよ。

 私達に相手する主要なメンバーは正面の七名だけと言って良くって、あとの席の人達は傍観者のような立場の人達みたいでほとんど口を開かないわ、ただ二人を除いてはね。そいつはシシリーとコロメと言ってマジで糞よ。シシリーはインテリで自分の意見を押し付けてくる典型的なごり押しマンで、話を聞く振りはしてもまともに相手しない方が良いわ。コロメは警護の責任者か何かは知らないけれど、いつも馬鹿の一つ覚えみたいに私達の方に向かって殺気を帯びた視線でにらんで対応してくるわ。ほんと、あれは不愉快の何物でもなくって止めて貰いたいわ」


 彼等の情報をざっくばらんに喋ってくれたそんな彼女の気遣いに、パトリシアは本当に参考になるわと感謝しつつ熱心に耳を傾けた。

 それが功を奏したのか、それまで張り詰めていた気持ちがずいぶんと楽になっていた。


 そのような具合に、簡単な質疑を交わしながら、和やかな雰囲気でしばらくの間話し合いが進み、やがて中央の席の人物がわざと周りに聞こえるように咳払いをして、


「もう時間だ。そろそろ正規の話し合いを始めようと思う」そう切り出すと、


「ええ、君たちにこのような辺ぴな地へわざわざ足を運んで貰ったのは、何を隠そう今回依頼を請けてくれたのが随分と久しぶりであったことに拠っておってな」


 などと話の穂を継いだ。


「実は君たちが実際に存在するのか確認を取るためだったのだ。それというのも、以前はこういうことはなかったのだが、時代が変わったのか知らないが、実体が無いのにあるように見せかける手口で、赤の他人が名をかたって、手付金だけを出させておいて何もしない詐欺師のような悪質な輩が最近目立って多くみられるようになったのでな。そういう訳でここまで念の為にわざわざお出で願ったわけなのだ」


 それに二人は、なるほどね、本人確認のためだったのと何も言わずに頷くと、当人は尚も続けた。


「そして、あともう一つは君たちに誠に申し訳ないことなのだが我々の個別な事情に拠っておってな。

 というのは、実はこの地で長きに渡って暮らしていると、何もかも全てが平穏平和裏に一日一日が過ぎていくことで、時間の感じ方が狂う、いわゆる時間感覚障害という不思議な病に陥る恐れがあることがつい最近分かったのだ。それでそれを改善するために色々試した結果、一番効果があると思われたのは、単にこの地をしばらく離れて気分転換を図ることだったのだ。そうは言っても、この地を離れられない我々のような者はそれは不可能に近いといって良くてな。そこで考え出したのが、外部から招いた君たちのような客人と話して生の肉声を聞くことで、さまざまな刺激を受けることだったわけなのだ」


 退屈と言う一言をおくびにも出すことはなかったが、つまりたまたまそういうことだったのだろうということは、前もってホーリーから伝え聞いていたこともあり、パトリシアは予想できていた。呑気な人達だこと。そんな人達が私達にどんな用事があるっていうの?

 他方、当のホーリーもその辺りは心得ていたようで、話の冒頭が終わるが否や、愛想笑いを浮かべて、


「もうそろそろ新しい担当者に引き継いでも宜しいでしょうか」と切り出すと、周りからこれといった異論も起こらずにホーリーの申し入れがそのまま受け入れられた形となっていた。その後彼女は、目をぱちくりさせるパトリシアをよそに、全て一任したという風に、ただちにその場からさっそうと退席するとフロイスが待つベンチへ引き揚げていた。


 一方、つい先ほどまで主導権を握っていたホーリーがその場からいなくなったことで、ひとり残された格好となったパトリシアは、何分とかような場所で交渉を行うのは初めての経験であったこともあり、何から始めて良いのかさっぱり分からず。「一緒にいてくれてアドバイスをくれると思ったのに。ホーリーったら、ほんと無責任なんだから」と口の中でぶつぶつ不満を呟きながらしばし立ち尽くした。

 その間、広い室内に沈黙が流れ。それをどう解釈したのか、幾らもしないうちに正面の裁判長の席から優しい物言いで声が飛んだ。

 

「パテシア君と言ったかな。気楽にしてくれたまえ」 


 威厳のある老練な声が響き、その声でパトリシアははっと我に返ると応じた。


「あ、はい」


「そういうときにはだな、一つ深呼吸をすることだ」


「あ、はい」何か勘違いしているみたいとパトリシアはとっさに思ったが、せっかく気を遣って声を掛けてくれたのに無下に否定するわけにもいかず。パトリシアは相手の進言を素直に受け入れると、ほっと一息つき、努めて明るく言った。


「気を遣っていただいてありがとうございます。もう大丈夫です」


「そうか、落ち着けたようだな」


「はい」まじまじとパトリシアは正面を見据えた。


「それでは続けようか。その前にここまで話したことで何か聞きたいことがあるかね。あれば何なりと言ってくれたまえ。応えられる範囲で良ければ応えて上げよう」


「はあ」


 パトリシアは一瞬視線を宙に泳がせると、その場で思い浮かんだ疑問を口にした。


「それではですね、皆さんはなぜ姿をみせないのです?」


「ああ、そのことかい。結論から言うと、相手に舐められない意味合いもあるが、お互いにミステリアスの部分を幾分か作っておいた方が、全てをさらけ出すよりも末永く付き合いができると考えたからとでも言っておこうか」


「そうですか、なるほど。それではもう一つ、あのう、そのですね、皆さんが声を出しておられるお化けカボチャと魔女の姿の人形とビッグパンプキンという名称の由来はやはりハロウイーンからきているので?」


 パトリシアがストレートにそう尋ねた途端、ずらりと居並んだお化けカボチャと魔女の人形から、馬鹿にしたような無言の嘲笑が一斉に漏れた。

 自分のことが笑われている、しかも全員から。しかし、一体どういうこと!?

 そんな風に場の空気を読んだパトリシアはどういうことなのかさっぱり分からないまま、ブルーの瞳をマスクの下から再びぱちくりさせた。

 すると、正面席のお化けカボチャから再び声が届いた。


「君はミス・フランソワーズ君から何も聞いておらぬのかな?」


「はい何をでしょうか?」


「我々の団体がなぜビッグパンプキンという妙な名称であるかということだ」


「はい、全く」


「そうか。それなら分からないのも無理ではない。まあ良かろう。こちらに招待した客人は、誰であっても我々の演出を不思議がって同じことを訊いて来るので、その都度説明して居るのだが、あくまでこれらの演出は後付けに過ぎなくてな。ハロウイーンとはほとんど無関係なのだ。

 そもそも我々の団体名、ビッグパンプキンの出どころは、この世界で確固たる地位を築いた先々代の代表のニックネームからきておるのだ。

 その代表は六フィート七インチ(約二メートル)の上背に体重が四百ポンド(約百八十キログラム)ぐらいあって、地声も頭に響くくらいそれはそれは豪快でと、一度会えば忘れることができないくらいの特徴をしておってな。しかもそれに加えて、頭のサイズが規格外の大きさで、顔も岩の様にごつごつしていたことから、誰が呼んだのか知らないが、まるでお化けカボチャが歩いているようだと付いたニックネームが巨大なお化けカボチャ、つまりビッグパンプキンだったのだ。

 その当時代表は、世界各地に点在して、ばらばらに活動していた同種の団体に率先して声を掛けては接触すると、友好的な連立化を積極的に推し進め、見事成し遂げたばかりか、その中心的な存在へと自らの団体を据え置く大成果を上げられたのだ。強いて言えば、今我々がこの地でのうのうとしておられるのは、全て代表のお陰と言っても過言でないのだ。

 次に魔女の人形の件だが、これは彼の奥方からきておるのだ。

 とは言っても、奥方の正体が魔女だっとか魔女そっくりの容姿をしていたというわけではない。

 そのようならつ腕の代表であったが、ただ一つだけ弱点があってな。プライベートでは大変な恐妻家で、奥方には頭が上がらなかったらしい。その証拠に、いつも陰では奥方を魔女と呼んで、あいつは気が強過ぎるとか手が早いからかなわないとか言って周囲に不満を漏らしていたそうなのだ。

 その魔女の出どころなのだが、その前に君たちがここへやって来る途中に見てきてもう分かっていると思うが、この辺り一帯には太古の生物が多数生息しておる。また植物や昆虫類も現代ではもはや見られなくなったものばかりだ。

 そういう訳で、その当時の我々の先人たちは、この地に生息する生物や植物の分類をしたり生態系の仕組みを解明しようと、調査研究をするチームを結成して任務に当たっておったのだ。

 ちなみに代表の奥方もそのリーダーのひとりとして任務に携わっておってな。奥方は、体重は代表の三分の一にも満たなかったものの身長が六フィート越えと代表に負けないくらいに背が高くて容姿もプロのモデル並みで。その上、魔女の帽子のような縁の広い帽子をトレードマークのようにいつも被っていて、その様子は遠くからでも良く目立ったそうだ。それで付いたニックネームが偶然にも魔女、魔法使いだったというわけだ。

 ともかく、そんな二人だったが、夫婦仲は子供はいなかったものの大変良かったらしい。

 ところがその奥方が不幸に見舞われてな。その日もいつもの日課で、取り巻きの連中と一緒に出掛けて、動植物の生態観察に励んでおられるときのことだったそうだ。何らかの事故が起こって複数の人間が亡くなり、その中に彼女もいたそうだ。

 代表が急な知らせを受けて戻った時には、もはや時すでに遅しで、既に奥方は他の犠牲になった者達と一緒に墓地に埋葬されておってな。そのときの代表の気の落ち込み様は尋常ではなく。人目もはばからずに大泣きされたらしい。それから何もなかったように職務に復帰されたのだが、精神的支えを失ったことがかなりこたえたのか、しばらくして急に体調を崩されて病床に臥されてしまってな。

 俗にいうバイタリティーあふれる健康人の最後は呆気ないものだというが、実のところ、代表も人の子、その例外でなかったらしい。それから半月も経たぬ間に奥方の後を追うように亡くなられたのだ。

 その後、亡くなられた代表のお別れの儀が既定路線で執り行われ、やがて新体制が発足した折、大変異例なケースであったのだが、在籍中にそれまで交流が皆無と言って良かった主義主張並びに目的を同じくする世界各地の同朋に接触して大連立を組むのに大きな役割を果たした故人の長年の功労に報いるために何らかの方法で後世にその名を留めるようにしようではないかという発議がなされてな。その結果、満場一致で彼のニックネ-ムを団体の名称にしようではないかという決定に至ったわけだ。

 またそれ以外にも、このように外から来客を迎えるときに、代表をかたどったお化けカボチャの人形で迎えようとなったわけだ。そして時を経て、代表一人では寂しかろう、奥方も一緒の方が良かろうとなって、奥方の魔女というニックネームを思い出して魔女の人形も一緒に登場させたという次第だ。つまり、君たちが見ている二種類の人形は驚かすとかたぶらかすとか威嚇するとかの意味でやっているのではない。故人に深い敬意を表してそうしているのだ」


 淡々とそう語った現代表に、ふーんとパトリシアはこっくり頷いた。なるほどね。ま、嘘ではなさそうみたい。言葉がスラスラと出て来た経緯からみてかなり喋り慣れているみたいだけれど。

 

「どうかな、分かってくれたかな?」


「はい」


「それなら良い。他にも疑問があれば言ってくれたまえ」


「今のところはそれくらいです。また何かあればお聞き致します」


「そうか、それなら良い。いよいよ本題に入ろうとしよう」中央の席から男はそう言うと、すぐさま隣の席に声を掛けた。


「トラル君、君の役目だ。次語ってくれたまえ」


「はい、それでは」


 どうやら役割分担ができていると見えて、今度は副代表が口を切った。それまでの砕けた言葉遣いが影を潜め、改まった口調になっていた。


「誠に唐突ですまないが、そう……、今から五年ほどくらい前頃からかな。宗教関連の施設や一般の集会場や公設市場や公共の広場やショッピングモール、コンサート会場といった比較的人々が集まるような場所に忽然と出没しては、人々の集まりの中に巨大な爆弾が落ちたかのような凄惨な殺人ゲームを楽しんでは、どこともなく去っていく輩が、とある国に現れてね。

 こういった事案はテロリストやマフィアが日常的に引き起こす事件とそれ自体似たり寄ったりで、それほど取り立てて珍しくもないのだが、そのあとに何の声明も出さない上に、また犠牲者はどこでもいるような一般市民でマフィアとの因果関係は全く無しときていたのだ。その結果、その両方の線は消えて、残忍な手口から見て元軍人か傭兵くずれか、または新興宗教の狂信的な信者か悪魔を崇拝する者達の仕業なのだろうと当たりをつけたらしいんだ。でも、物取りでも儀式を行った形跡もないことから、何の理由で行っているのか、とんと見当がつかなくてね。それで、そうでないならばと、猟奇殺人をおかずに快楽をむさぼる変質者の仕業か最近よく知られるようになったサイコパスの症状を持つ人間の仕業なのかと言った推察も出てきてね。そんな具合に当地の警察が犯人を決めかねている間に、殺りく現場が警察関係の建物やら軍事基地であったりと、ますます挑戦的と言うべきか犯行が過激にエスカレートしていったらしいんだ。

 でもそれくらいなら他国から侵入した精鋭の殺人部隊が、狂った者達の仕業と見せかけて、その国の治安を乱すためにやっているとみて、それほど驚くべきことでもないのだが、問題はその手口の異常性にあってね。

 協力者の手を借りて分かったことなのだが、犯人の凶行は昼夜を選ばず行われて、寧ろ昼間に行われたことの方が多いときていたんだ。また、怪しい人間も付近の防犯カメラに一切映っていなかったらしい。それ故、付けられた犯人の識別名が、人呼んで”デイライト・ゴースト”つまりだ、真昼の幽霊というわけだ。

 それに加えて、何のためにそうするのか分からないが犯行の一部始終を映した携帯を残していくらしいんだ。しかもその携帯というのがね、犠牲になった人達の所有で、そのことは無理やりに撮影させられていることを示していて。また、わざと仕向けたとしか考えられない犠牲者の絶叫音が映像の中に必ず入っていたらしいんだ。そのことからは犯人の異常性が伺えるし。その上、そのような大惨事が起こっているにもかかわらず、不思議なことに周りで犯行に気付いた者が誰もいないときていたのだ。

 その為、事件の捜査は行き詰まり、ただ成り行きを見守るほかない状態となっていたのだ。

 すると、それからしばらくして、その地域から騒動はなくなったんだが、変わって別の地域並びに別の国で、また同じことが起こったんだ。

 その犠牲となった中に、何と我々と友好関係にある同朋も含まれていたんだ。聞くところによると、全く偶然に居合わせたということらしいんだが。そのことは何を意味するかと言うと、犯人はただの人間ではないということだ。

 従って被害を受けた同朋の団体は、当然のごとく犯人を危険分子と見なして、スタン連合をはじめ同盟アストラル、クロトー機構の三大連合体にそれとなく問い合わせたらしい。しかし我々は三つの連合体のどこにも合流していないこともあって、どこからも心当たりはないと、つれない返事が返って来たらしく。それで独自に色々と調べ上げてみたらしいんだ。

 それから分かったことは、犯人達はどこの連合体にも属していなかったことだ。つまり、半端者同士がグループを作って犯行を繰り返していると考えられたんだ。そしてその目的なんだが、やはり予想した通り、快楽目的でやっているのだろうと思われたんだ。

 それでなのだが。その前に、ええと、パテシア君だったね。フランソワーズ君から我々の仕事の内容を聞いていなかったかな?」


「あ、はい、聞いています」ほんの一瞬、不意を突かれたパトリシアは慌てて応えた。


「ええと、自然のことわりに従って地面や空中から水や空気を取り出したり、薬で治らない病気を治したり、災いから身を護る方法を伝授したり。他には、死んだ人たちの魂を鎮めたり、この世界に現れて悪さをする魔物を退治したりするお仕事をされていると伺っています」


 次の瞬間、パトリシアの生真面目な言動がなぜかしら面白く聴こえたらしく、パトリシアを嘲笑する薄笑いが周辺から漏れた。ところが当のパトリシアにはその訳が分からず、呆然自失の表情で立ち尽くした。私、何か間違ったことを言ったのかしら?

 しかしそのような周りのざわめきなどどこ吹く風と、


「そうか。大体その通り、合っている。我々は君が言った伝統文化を古より黙々と継承しているんだ。それなら話が早い。それでは、君達は犯人を適当に見つけ出して、いつもの通りにやってくれたら良い。これ以上放任するわけにいかないのでね。あとそう、いつものように後から結果だけを知らせてくれたらそれで良いと思う」副代表の男の落ち着いた声が響いた。


 真摯なまなざしで分かったとパトリシアが小さく頷くと、男は、

 

「本來なら我々がやるべきことなのだが、今の時期は我々にとって非常に都合が悪くてね。はっきりありのままに話すと、誠に不埒に聞こえるかもしれないが、今の時期は我々にとって仕事依頼が舞い込む書き入れ時なんだ。昔からのしがらみで、それで無下に断るわけにはいかなくてね。

 そこに加えて、おととし、去年、今年と三年続けて世界各地で紛争や大規模な自然災害が相次ぎ、それに伴って多くの人々が犠牲になったせいで、ことさら無駄に忙しくてね。

 まあ、我々の仲間が何もできずに殺られるくらいだから、犯人は手ごわいとみて間違いないんだが、腕の確かな退魔師連中はどこでも引っ張りだこで出払っていて。といって祈祷術師や祓い屋ごときでは余り役に立たないときているしね。それでやむを得ずに君達に依頼することにしたんだ。

 ああ、そうそう。それについてなのだが……実は君に持ち帰って欲しいものがあるのだが……」


 その言葉が終わるか終わらないうちに、どこからやって来たのか円盤型ユーフォーの姿をした淡いメタル色の小型ドローンが比較的静かな羽音を立てながら天井付近に出現すると、見る間にパトリシアが立つ講壇の真上まで来て、ゆっくり着地。何をするだろうとパトリシアが見ている目前で再び飛び立ち、どこかへ去って行った。ドローンが飛び去った後には、運んできたものだろう、A4サイズくらいの薄い段ボールケースが一個放置されてあった。

 パトリシアはドローンが残していった段ボールケースを冷ややかな目で見つめながら、これが渡したいものなのと思ったそのとき、


「どうぞ、遠慮なく開けてくれたまえ」


 そう男の声が響いた。


「中に我々と直通会話ができる特別あつらえの携帯が二台入っている筈だ。携帯は我々との身分証明書にも使うことができるから、用があって我々の同朋と接触する際に示すと良いよ。大抵の事なら力を貸してくれる筈だ。それを持ち帰ってくれるかな。 あとそうだねえ、中には依頼のデータが全てインプットされている。他にもテレビモニターやプロジェクタースクリーンにデータを転送する機能も備えている」


 そんな具合いに男が説明する間に、パトリシアはさっそく手を伸ばすと、ケースをスライドさせて中身を確認した。そこには、メタル色をした二台の同型の機種が男の言った通りに並んで納められ。その傍には、いかにも子供が喜びそうな、ぬいぐるみ風のお化けカボチャの人形カバーがちゃっかり添えられていた。

 まあ、素敵。中々いけてるじゃない。パトリシアはそう思いながら、その中から一台を無造作に手に取るとじっくり眺めた。

 外見は携帯そのものでそれほど変わっているということはなかった。ただ、防弾装備か何かがなされているのか、ずしりと重く、触った感触から考えて相当頑丈にできているようだった。


 それから男は慣れた口振りで、


「使い方だがシンプルな構造をしているから直ぐに使いこなせるようになると思う。尚、中にもマニュアルが入ってるので詳しいことはそれを参照して貰えたら良いと思う。それじゃあ、始めようか」


 そう告げると使い方を簡単に説明した。パトリシアは言われた通りに携帯を操作しながら使い方を学習、確認していった。

 十五、六分ぐらいかけて、それが粗方終わると、


「まあ、そんなところかな」と男は締めくくった。するとその直後に、「面倒をかけるようで悪いのだが、それではお願いする」と、その経過を見届けていた隣の席から重々しい声が続いて聞こえ、パトリシアはそれに応えるように首を縦に動かした。


「はい。確かにうけたまりました」


 その途端、今の今まで眩しいくらいに明るかったがらんとした広い室内が急に薄暗くなった。それに一瞬違和感を覚えたパトリシアは、一体どうしたのかしらと戸惑いの表情で、「あのう……」と周りに向かって呼び掛けた。しかしその思いとは裏腹に全く反応がなかった。どうやらぽつんと一人だけ取り残された感があった。そのような一種独特な雰囲気に、直ちに何が起こったのか理解したパトリシアは、


「こんな私でも何とかなったみたいね」


 そうひとり言を呟くと、ほっと安堵のため息をついて、ほんのしばらく呆然と立ち尽くした。しかし一分もしないうちに、思い出したように手に持っていた携帯を元のケースにしまうと、ケースごと小脇に抱えるようにして、何はともあれその場を後にした。

 そのときの思いは、ただ一つ。一刻も早く二人と合流することだった。しかしながら、かような相手のテリトリーではどこでどのように監視されているのか分からないから、こういう場合は急がず慌てず堂々とするものよと自分に言い聞かせると、何事もなかったかのように振舞っていた。

 そのようして二人が待っているであろうベンチ席へ悠然と向かうと、いつでも戻れるようにとでもいうのか、わざわざ二人は立って待っていてくれていて、その場でお互い目で気脈を通じ合うと、「行こうか」とのフロイスの素っ気ない合図で揃って出口へと向かっていた。

 

 やって来た人気のない建物を真っ直ぐに出て階段を下ると、行く手に現れた噴水や他のモニュメントに目もくれずに突っ切って、開いたままになっていた門を抜けた。あとは草木が一本も生えていないだだっ広いグラウンドを一直線に歩いて、止めておいた車まで戻るだけだった。

 気が付くと三人は、パトリシアを真ん中にして仲良く並んで歩いていた。

 そこまで来ると、ようやく警戒心も薄れたのか、ホーリーがいつもの砕けた感じで人懐っこく話しかけて来た。


「ねえねえ、どうだった?」


「ええ、まああんなものかしら」パトリシアは涼しい顔で粋がって見せた。「有意義な話し合いだったわ」


「あらっ、そう?」ホーリーがにっこり笑うと返した。「私なんか、最初に行ったときなんか、とても緊張したのよ。緊張して息が詰まりそうだったわ」


 ホーリーの口から出たたちの悪い冗談にパトリシアは一瞬絶句した。ホーリーったら、心にもないことを言って。幾らなんでもこんなときにからかうのはよしてよ。


「ああ、そう」パトリシアは内心むすっとしたが素知らぬ顔で応じた。そこへ、隣からフロイスが、ホーリーの無邪気な冗談に薄ら笑いを浮かべながら口を挟んだ。


「なっ! 何でも懇切丁寧に応えてくれる浮世離れしたところだろ?」


「ええ、まあ」


 苦笑いをしながら適当に応えたパトリシアに、ふふんとホーリーが、いつもの小意地悪な含み笑いをすると言った。


「でも先に言っておいて上げるけれど、親切なのはあそこぐらいなものよ。他のところはそうでもなくってよ。あんな風に上手く行くはずはないと思ってね。

 それはそうと私達ねぇ、一番最初に招かれたとき、ごく普通に頭のてっぺんから足のつま先まで全身黒づくめのタイトな服装で行ったの。いわゆるアサシンモードというやつよ。そうしたらあんなんでしょ。次から向こうのユーモアに付き合う形でこういう風な服装をするようになったってわけ。

 そのとき私は純な乙女という設定にしたの。ちょっと無理があるかと思ったけれど年齢を十六歳ということにしてね。すると向こうは全く疑わないですっかり信じ込んじゃってね。ほんと、笑っちゃうでしょ。

 この際だからみんなばらしちゃうとね、フロイスったら、名前は女性だけど実は男性なんだと自身を男と自己紹介したのよ。それも、とびきりの低音ボイスで言ったものだから、とても様になっていてね」


 軽妙な語り口で内輪の話をばらしたホーリーの言葉を、パトリシアはなるほどと素直に受け取ると頷いた。すると案の定、そこへ落ち着いた低音ボイスが隣から響いた。


「仕方なかったのさ。一向に向こうが姿を現す気配がなかったからね。女の二人連れでは相手に舐められちゃあいけないと思って、成り行きでそう言ったまでのことさ。向こうさんだってすっかり信じ込んでたしね。

 そんなことより、帰りは楽だぞ。空を飛んで直に帰れるからね」


 急に話題を変えて人差し指で上空を指す仕草をしたフロイスに、何のことなのか分からず、パトリシアはぽかんと口を開けて訊き返した。


「えっ、何。どういうことよ?」

 

 そんなパトリシアに、ホーリーがパトリシアの疑問を払拭するように、言葉を補足した。


「この地に来るには正規のルート以外に幾つもの秘密の抜け穴があるらしいの。その一つを向こうが特別に開けてくれるのよ。来るときに航空機が止めてあったのを見たでしょ」


 彼女の分かりやすい説明に、パトリシアは、なるほどと納得すると、ほっとため息をついた。苦労してようやくここまで辿り着いたのに、帰りはあっという間だなんて。嬉しいような、気が抜けたような不思議な気分だった。


「そうら、噂をすれば影だ。担当者がお見えだ」


 フロイスがささやいた。パトリシアは前方を見据えながら応じた。


「ふーん」


 シンと静まり返った周辺にはそれらしいものが何も見えず。もしかして常人では見えないのかもと思ったそのとき、出し抜けにホーリーが、「ああ、疲れた」と横から口走ると、


「帰ったらパティのお家で一先ず息抜きね。ねえ、パティー!」と語りかけて来た。


 彼女のその言い草に、パトリシアはほんと好い気なものだわと思いながら話を合わせた。


「ええ分かってるわ」


 そこへ横からフロイスがちらっと目を向けてくると、「ビールは切れてないだろうね?」と念を押してきた。いつものことなんだからと思いながらパトリシアは余裕で応えた。


「その方はたぶん大丈夫なはずよ」


「それなら安心だ」


 さっそく目を細めたフロイスに、今度はホーリーが、


「私もスカッと一杯いきたいわ。ところで食べるものは何かある?」と話を継いだ。


「そうねえ、出来合いもので悪いんだけれど、ラザニアとピザとシュリンプとタラのフリットに芽キャベツのクリームグラタンでしょ。ほかにもフライドポテトと焼き鳥とパスタとガーリックトーストと選り取り見取りよ。サラダはフルーツと野菜のマリネが常備してあるわ。あとデザートだけど、色んなケーキ類が用意してあるわ。いずれもあらかじめに試食しておいたから味は確かな筈よ」


「ふ~ん」


 などと三人が仲睦まじく話しながら歩いて、深い森との境界がはっきりわかるところまでやって来たとき、すっかり地表の色に溶け込んでいた乗って来た車と他の車両がようやく見えた。するとその辺り付近に、空軍の輸送機のクルーがフライトに着用するのと何ら変わらない服装をした三人ばかりの人影があった。

 更に三人から少し離れた地点に、ドライアイスの煙のような白い気体がモヤのように薄く漂っており、その中心部に内部がぼんやりと黄色に点滅する得体の知れない大きなものが、地表すれすれに浮かんで見えていた。


「あれって?」


 その何とも不思議な物体が浮かんでいる光景に、思わずパトリシアは呆気に取られると不意に立ち止まり、二人に問い掛けた。二人はそれが何なのか知っているとみえて、揃ってパトリシアに合わせるように立ち止まると、含み笑いをした。そして先にフロイスが、


「どうだい? 驚いたかい」と尋ねて来た。


「ええまあ」パトリシアは素直に即答すると、当のフロイスが続けた。


「言ってなかったかな、あの連中は異怪の家系だって。連中は古来から魔物使いの異名を取っていてね。あの雲のように見えているものは、実は空を飛べる巨大な生き物なんだ。あれを使って私等を外まで連れて行ってくれるんだ」


「ふ~ん、そう。そうすると、あの人達が案内してくれるわけなのね」


「ああ、その通り。まあそういうことで、ここの連中を余り調子に乗って甘く見ないことだ。何だかんだと言ったって太古の昔から人の言葉を理解できるくらいの知能を持った魔物を飼い慣らして、今みたいに足として使ったり、番犬代わりに使ったりしているのだからね」


「ふーん、そういうこと」


 そうと分かれば話が早いとパトリシアは更に歩を進めた。そこへホーリーとフロイスも足並みを揃え、前方に立つ三人の姿がはっきりと確認できるところまでやってきたときだった。


「おばさん達、早くこちらへ来てくれるかな」


 三人の中の一人から、明らかに声変わりがしていない若者の落ち着いた声が甲高く響き、矢継ぎ早に「早くしてよ。僕たちも忙しいんだ」と、ため口混じりでせかすような声が響いた。別の若い一人からだった。


 いきなりのぞんざいな言葉に、「えっ、何よ? どういうこと!」とパトリシアは我が耳を疑い、足取りを緩めて前方の三人をのぞき込んだ。

 三人はいずれも銀色のミラーグラスをかけ身なりも本格的な乗組員の格好をしていた。だがよく見ると、その正体は身長の低さと一種独特な雰囲気からして、どこから見ても十代前半の子供のようにしか見えなかった。

 果たして、三人の真ん中にいた若者が生意気な口調で乱暴に呼びかけて来た。


「僕達があんた達を外まで連れて行くように言われた者だ。そういうことでよろしく頼むぜ」


 そこへ持ってきて、他の二人もふてくされた態度でメンチを切って、ほとんど聞き取れなかったが若者言葉みたいなものを呟いていた。

 そのような若者達のあからさまな無礼な態度に、パトリシアはもっとましな人はいなかったのと一瞬苛立ちを覚えると、ニヤつくホーリーとフロイスの狭間で、険しい表情で不満をあらわにして嘆息を漏らした。

 何なのよ、あの子達。年端もいかないくせにませた口を利くなんて、躾がなってないみたいね。人手が足りないからと若年層に経験を積ませるためだと分かっているけれど、幾らなんでもこれはないでしょう。ほんと軽く見られたものね。


 ついつい感情が顔に出て、口を尖らせて仏帳面をしたそんなパトリシアに、すぐさま両隣からホーリーとフロイスが彼女の心中を察したのか、耳元へ向かって優しくささやいてきた。


「放っておくのが正解よ。あれはあれで精一杯気を張っているのよ。このくらいの年代辺りが一番命の大切さが分からない年頃なんだから、まあ大目に見て上げないとね。世間を知らないということほど強いものはないというしね。きっちり世間を知れば、言葉使いなんか直ぐに直るわよ」


「ふん、勝手に言わせておけばいいさ。若いときはみんなあんなもんだ。威勢が良くて生意気で怖いもの知らずでいい加減で。みんなああやって成長して、一人前の大人になっていくんだ」


 二人が冷ややかに言い放った寛容な言葉に、パトリシアは二人の意外な面を見た気がして、その胸中は何となく複雑だった。

 普段なら後顧の憂いを絶つことが裏の世界で長く生きていくコツだと断言して、年齢性別の区別なく容赦しないのが、この二人のポリシーだった筈なのに。まあ良いわ。分かってるわよ。今一番大事なことは、ここからすみやかに出ることなのでしょ。


 二人の考えを即刻そう理解したパトリシアは、「ありがとう、気を遣ってくれて」


 そう感謝の気持ちを二人に述べると、これからのこともあるからここは波風を立てずにすまして上げるわと大人の対応をしていた。

 目の前の三人の若者に向かって、にこやかに愛想笑いをしながら近づくと、へりくだった物言いで、


「はいはい、分かりました。遅くなってすみません。あなた達の通りにしますのでよろしくお願いしますわね」


 そのような謙虚な姿勢を見せたパトリシアに、三人の若者は揃って腕組みをすると、勝ち誇ったように無言で首を縦に振った。 

 そんな彼等を冷静な眼差しで眺めたパトリシアは思った。


 ふーん、この子達、ほんと態度がでかいわね。年齢からいって、あそこのお偉い方のお孫さんかしら。まあ、どうでもいいことなのだけどねぇ。

 何でも前向きにとらえるパトリシアらしく、既に次のことを考えていた。

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