第76話
ちょうどその頃、ゾーレは建物の庭先でバーベキューパーティーをいつもの仲間達と共に楽しんでいた。
陽が落ち、屋外灯に明りがぼんやりと灯る頃、耐火レンガで組まれたバーベキュー炉の下では、くべられたまきが赤々と燃えていた。
炉の上に置かれた金網の上では、ステーキ肉を始めとしてハム、ソーセージ、パン、トマト、トウモロコシ、青とうがらし、大玉のニンニクといった食材が並べられ、かぐわしい匂いを放っていた。
炉の周囲に設けられた丸太のベンチの上では、ロウシュ、ホーリー、フロイスの三人が仲良く腰掛け、それらが焼き上がるのを待つ間、ビールのジョッキを片手に軽く談笑に興じていた。
そのとき世話を焼いていたのは、もちろん建物の所有主であったゾーレで。肉が焼ける香ばしい匂いが立ち込める中、しばらくして美味しそうに焼けた肉と野菜をアルミ皿に人数分均等に盛り付けると、万能ソースとケチャップをたっぷり振りかけて、目の前の男女に振舞い、自らもビールを飲みつつ肉や野菜に舌鼓を打っていた。
どこから見ても、ごくありふれた普通の光景だった。ただその場所というのが、ダイスの居宅から車で二十分もいかないところにあったという以外は。
建物は、今を遡る約六週間前のこと、最寄りの不動産仲介業者に会社名義で別荘を買いたいと伝えて急きょ購入したものだった。
その際、当然のごとく、業者が紹介してきた新旧の物件を色々と見て回った。
その結果、鉄筋コンクリート造り二階建て・地下一階の築二十五年の一軒家が、周辺を森に囲まれた別荘が密集する地域にあって、車二台が往来できる真っ直ぐな道が付近に通っていたこと。隣家との距離がかなり隔たっていたこと。そのことと関連してなのか人を全く見かけなかったこと。屋根と窓の感じがペンション風でしゃれていたこと。中古の建物にしてはモダンなタイル張りの外観をしていたこと。内部の壁はコンクリート打ちっぱなし構造になっていたものの、別荘物件というだけあって一階は広いリビングとダイニングと書斎とホビールームからなっており、また二階は寝室が四室でその他が四部屋、両階にバスとトイレが二ヶ所ずつ、あと地下には多目的ルームというレイアウト、そこへ加えて見晴らしの良い広い庭と複数の車が一度に駐車できる大きなガレージを備えていたこと。ただし欠点として、長く放置されてきたせいなのか建物はやはり老朽化が進んでいたし、備え付けられていた厨房や家具や照明設備もかなり古く、また広い庭は手入れが不十分で木々が伸び放題、建物を取り囲むフェンスには植物のツルが絡みつき放題と、幾ばくかのリフォームは明らかに必要とされて難があることはあったが、それ以外の候補が近場で見つからなかったこともあり、まあ良いかと妥協して、即金で手に入れていた。
組織を再活動するにあたって不可欠であったエリシオーネの案件を一任していたパトリシアを信じないわけではなかったが、一つ間違えれば目論見が全てぶち壊しになると考えると、念には念を入れてパトリシアには内緒で彼女を監視下におく目的のためにわざわざ購入したものだった。
アウトドア料理をあてにして適度にアルコールが入ったロウシュが、口に放り込んだ食べ物をもぐもぐさせながら、
「ちぇっ、全く困ったもんだぜ。戻って来るまで待つ俺の身になれっていうんだ。あいつ等ときたら、ちょっと興味ができたと思ったら、直ぐにどこかへ消えちまうんだからな」
などと三匹の魔物への不満を口にしていた。そうは言っても、どこか機嫌が良かった。
そのロウシュの相向かいに腰掛けたホーリーはホーリーで、
「ふ~ん。緊急の用と聞いていざ来て見れば、バーベキューを囲んでの話し合いだったなんてね。このぶんなら私の弟子達も一緒に連れて来るべきだったわ。パティーと他のメンバーも呼んでいないみいだし」などと呟きながら食事に夢中になっていた。相変わらず、その身だしなみや立ち振舞いに気品がうかがえ、息をのむほど魅力的だった。
そんな二人をフロイスは同時に眺めると、全く気に留める様子もなく話し掛けていた。
「二人にわざわざ来て貰ったのは、この新しいアジトのお披露目ということもあるんだ」
そう口を開いて、エリシオーネに組織活動に協力して貰う動機付けが、まだ十分に納得させるところまで至っていないのか、「会ったその場で名前と年齢と職業を交換するだけで直ぐに友人になれるならこんな回りくどいやり方をする必要もないのだけどね」などと愚痴を零すと 物件を購入した過程をゾーレに代わって述べた。
一応は家の一階と二階とに分かれていたものの、一つ屋根の下に住んでいた関係で毎日のように顔を合わせ一緒に行動することも多く。常日頃からゾーレと情報を共有していた彼女にとっては造作もないことで。リーダーシップをとって話したフロイスに、すぐさまロウシュが納得顔で返した。
「それにしても中々立派な別荘じゃないか。やっぱり別荘というだけあって、何人かで一緒に過ごすのが似合ってるな」
「私もそう思うね。何ならロウシュ、今日からでも好きなだけ泊まって貰っても良いんだけど……」
フロイスの誘いに、ロウシュは首をすくめて苦笑いすると応えた。
「それはちょいと即決はできないな。お前のことだ、何かあるんだろう?」
フロイスはほくそ笑むと、何食わぬ顔で応じていた。
「言ったろう、二人とも忙しい身分で手が足りないってね。今は週に五日ぐらいか交替で寝泊まりしているんだが、できることなら住所不定のお前に定住して欲しいと思って言ったまでのことさ」
「ああ、そういうことね。言ってくれるじゃねえか、そんなことだろうと思ったぜ。それは悪いがごめん被るぜ。こう見えても俺は掃除や買い物と言った面倒くさいことは苦手でね。腹が減れば普通に外へ食べに行くかテイクアウトを利用するかのどちらかだからな。それに俺は片付けられないたちでよう。そんなことより俺からのちょいとした提案だが、アジトにするには出入りする別の入り口も造っておいた方が良いな」
「それは私も同感だ。お前の提案はもっともだと思う。暇を見つけて地下の出入り口を二、三ヶ所作るとするよ」
そこへ、一旦食べるのを止め、黙って聞いていたホーリーが横からぽつりと口を挟んだ。
「ところでフロイス、今は食事はどうしてるの? やはりここでも外に食べて行ってるの?」
「ああ、そのことかい」フロイスは余裕で応えた。
「ここでは今みたいな毎日キャンプをしているような食事をしてるんだ。これだと、誰にも怪しまれることはないからね」
「それじゃあ買い物なんかはどうしているわけ?」
「ここから四十分ほど車で走った先に大きなショッピングモールがあるんだ。そこへ行けば何でも手に入るんだ」
「ああ、そう」ホーリーは頷くと言った。
「ところで私達を呼んだのはどうして? ねえ、まだ他にも理由があるんでしょ?」
妖艶なエメラルドグリーンの双眸を鋭く光らせて、のんびりとした口調で尋ねてきたホーリーに、心を見透かされたと感じたのだろうフロイスは口元を緩めて苦笑いをすると、ぼそっと呟いた。
「ああ、その通りだ」
「それって?」
「実はあれから再度、例の民間人の組織から依頼があってね。それに上手く併せるように非科学協会からも依頼が来たのさ、まるで連携して私等の分断を図ろうとしているのかのようにね」
次の瞬間、一杯食わされることとなった一昔前の出来事が脳裏にかすめたのか、ロウシュとホーリーの二人が顔を見合わせて苦笑いを浮かべると揃って押し黙った。
そこへ、どすの利いたフロイスの声が重々しく響いた。
「どう渡りを付けたら良いか意見を聞かせて貰いたくってね。それで呼んだのさ。本来、約束と言うものはお互いに信用できるからやるのであって、そして守られるのであって、信用できないものとの約束は、いかに拘束力のある強固な約束をかわしたって同じこと。守られたことはない。かならず裏切るのが目に見えていると、ゾーレは言っているんだ……」
「つまりゾーレはホワイトレーベルをはなから信用していないわけね」
「まあ、そういうことだ。殺し合いも戦争も結局結果が全て正義となり、その過程でどんな汚い手を使おうと卑劣な行為をしようと、後でどうとでも旨い言い訳ができるからね。正々堂々とやる奴は馬鹿野郎なのさ。必ずと言って良いほど敗け組となるのだからな。ともかくも分かり切ったことだけど、上手く言いくるめられた方が負けなのさ」
そんなフロイスの言葉に、ホーリーは深く頷くと、ぼんやり宙を凝視し、ため息をつくように呟いた。
「それなら安心したわ。所詮この世は欺まんと謀略に満ち溢れていると言っても良いし。もしかのことも考慮に入れて置く必要があるということね」
一方ロウシュはロウシュで、開き直ったぶすっとした表情で、眉間にしわを寄せて吐き捨てるように「ちぇっ、やってられねえぜ。舐め切ったマネをしやがって」と毒づいたかと思うと、ビールをわざと格好つけてあおり、何でもないという風に強がって見せた。
そんな二人をよそに、フロイスは「それで何だが」と落ち着き払った口ぶりで切り出すと話の続きを始めた。そうして三人はゾーレそっちのけで意見交換らしきものをやっていた。
かなり横暴な面がしばしば見受けられるものの、自分の意見をはっきり述べるとともに相手の意見も素直に聞くリーダーシップに優れたフロイスが自身に代わって仕切る様子に、ゾーレはそのやり取りを、金網の上の肉や野菜を片手に持ったトングでひっくり返しては、焼き上がったものから順番にそれぞれの皿に振り分ける作業を続けながら、このままじゃあ俺の出る幕はなさそうだなとすっかり安心しきって一切口を出さずに全てを丸投げした格好で放置していた。そうして、まかない作業がようやく一段落した後は、ほっとした表情で三人の話の行方を見守った。
――果たして、その二日後の白昼。
どんよりとした空の下を、シルバー色をしたセダンが真っ直ぐに伸びる平坦な一本道を滑るように疾走していた。
運転席に腰掛けてハンドルを握るのはパトリシアで。隣の助手席にはホーリー、後部座席にはフロイスがいた。三人とも、場所が訳ありの場所だったこともあり、体温調整機能が付いた薄ネズミ色のウエットスーツみたいな服装をする。ずいぶん久しぶりだから一度会いたいとの依頼主の要請に応えて、依頼主の本拠地に向かっているところだった。
幅員四十フィート内外の道路には、何らかの効果を狙ったものなのか薄クリーム色をした舗装がなされており。その両側は、枯れて干からびた草木が疎らに自生しているだけの、見渡す限り白っぽい砂と粗石からなる何もない荒涼とした大地が広がっていた。
「……というわけでパティ、お前にも手伝って貰うことになったってわけさ。これからは昔と違って現場の仕事にも首を突っ込んで貰うことが多くなると思う」
目的地に向かうまでの空いた時間を利用して、二日前に四人で話し合って決めたという内容を後ろの席から語ったフロイスに、車のフロントガラスを通してパトリシアは前方の閑散とした景色に視線を向けながら、ふ~んと頷いた。そして、ふと思い浮かんだ疑問を口にした。
「ところでゾーレとあとのメンバーはどうしてるの?」
すると、「ゾーレはお留守番よ」と直ぐ隣から澄んだ声が車内に響いた。
助手席に腰掛けて、何をするでもなく目を閉じて二人の話を聞いていたホーリーからだった。
「それとロウシュとコーはね、もう一つの依頼に応えるべく、とある国まで向かったわ。一応三週間の日程でね。二人とも自由気ままに楽しんでくると言い残していったわ。あと、ザンガーとサイレレのことなんだけど、二人は万が一の場合に備えての応援部員の役目を担って貰ってるの」
「そうなの」パトリシアは素直に受け入れると尚も尋ねた。「コーちゃんとロウシュが向かった先のその国って?」
その問い掛けに、ホーリーは何を思ったのか、にやりと冗談めかして意地悪な視線を向けてくると、
「その国はね、他言無用として依頼主の方から硬く口留めされているの。しかしあなたも私達の仲間なのだから別に教えても構わないと思うから教えてあげるわ。と言ってもただ教えたんじゃ面白くないからヒントを幾つか出してあげる。そこからあなたなりに推理すれば良いわ。あなただったら簡単に答えを導き出せる筈だから」
ちょっともったいぶった言い回しで切り出してきた彼女に、もうホーリーったら、機嫌が良いと直ぐにこんな回りくどいことを言ってくるんだからと、パトリシアは内心仕方なくその誘いにのっていた。
「じゃあ聞かせて」
そんなパトリシアの催促に、ホーリーは陽気に「それじゃあね」と切り出すと、ゲームを楽しむような感覚で続けた。
「ヒントその一。その国は歴然とした農業国でないということよ。また宗教国家でもないわ。どう分かった?」
「ええ分かったわ」パトリシアは応えた。「分かったけれど、それだけじゃあ何も分かんないわ」
「じゃあヒントその二。言葉は単一ではないわ。その国では複数の言語が話されてるわ」
「それで」パトリシアは少し語気を強めて応じた。「もっとヒントをちょうだい」
「ヒントその三。その国には世界最悪の独裁者の一人に数えられている人物が長く指導者として君臨していてね、国民に対して自身を救世主とか救国の英雄だと洗脳教育して、国内のあらゆる都市に自身の大きな銅像を建てて、自身の神格化・偶像化を図ってるわ」
「パスするわ。他にないの? まださっぱりわからないわ」
「う~ん、それじゃあね、ヒントその四として、その国の指導者というのが、デブでギャングのボスみたいな悪党面をしていて、わがままで態度がでかくて目立ちたがり屋の糞野郎でね」
「それもパス!」パトリシアは首を小さく横に振ると、少し乱暴気味に言った。
「指導者の見てくれの悪さはどこでもほとんど一緒よ、変わらないわ」
それに対し、ホーリーは鼻で笑うと、にこにこしながら続ける。
「じゃあヒントその五として、その国は世界有数の監視カメラ大国ということかしら。その国では犯罪を防止するためよりも、寧ろ国民を監視するために使われているんだけどね。そのせいもあって、表現の自由のないところで、月並みだけど国内に厳しい情報統制が敷かれていて、体制の維持の為には人権は無いにも等しくって、政権の悪口を少しでも言うものなら反社会分子と見なされて収容所に送られて死ぬまで強制労働させられたり、時には見せしめとして残酷な公開処刑が普通に行われているらしいの」
「もうあと少しヒントをちょうだい。幾つかの国が候補として思い浮かんでいるんだけど、まだどれとは絞り切れなくってね」
「それじゃあ、あとそうねえ……長い歴史の間にはどの民族にも理由がどうあれ、人食いの黒歴史があるものでしょう。そういったわけでその国もまつりごとや要人の接待時とか疫病が流行ったときや戦争や天災で食べる物がなくなったときに奴隷や家族やその他諸々の人間を食する習慣が普通に行われていたらしいのだけど。それがね、その国では、今尚伝統的な保存食として人肉食が続いているらしいの」
「そう言われてもねえ……」
余計に分からなくなってしまったわ、本当に意地悪なんだからとパトリシアが困った表情をしたその時。
「ヒントその七だ」
やり取りをする二人の背後から強い調子で声が飛んだ。二人の会話を呑気に聞いているように見えたフロイスからだった。どうやらそれ以上聞いているのがじれったく思えたらしく、口を挟んだらしかった。
「その国の裏の大切な収入源はな、麻薬の製造卸しとサイバー犯罪とビットコインマイニングを使ったマネーロンダリングと。あとはそう、密かに支援をしている国際テロ組織から上がる報酬がそうだ。
またその国では、国家主導で民族浄化が公然と進められているんだ。そのため強制結婚は当たり前で、場合によってはこの世に存在しなかったものとして多くの自国民を抹殺しているんだ。
そして極めつけの大ヒントだ。ついこの前のことだったか、自分達の国のハイテクノロジーを余程誇りたかったのか、その国は自分達民族の優秀さを示すために、世界初の試みとしてAIつまり人工知能に国家運営を担わせることにしたと世界中に大々的に発表しておきながら、しばらくして自分達に都合の悪いことが起きたのか思い通りに行かなかったのか、突如としてAIに欠陥があったと撤回して元に戻すことにしたと修正。世界中に大恥を晒したところだ。こんなことは誰にでも分かっていたはずなのにな」
そこまで聞くと、幾らパトリシアでも分からぬ筈はなかった。直ぐに閃いて、頭の中に浮かんでいた四つ五つの候補の中から一つに絞っていた。もうこれで分かったわ。例のあの国ね。国民一人一人の命の値段がコンピューターによって数値化されているという……。
そして直ちに、答え合わせをするべく国の実名を口に出して言おうとしたとき、それを遮るようにフロイスが口を開いた。
「依頼が来たときは、当然その国の指導者とその取り巻き連中を取りまとめてあの世に送るんだと思ったんだけどね」
その瞬間、パトリシアは一瞬呆気にとられて眉をひそめた。しかしながら、直ぐに気を取り直すと、出かかった言葉を呑み込み自重。仲の良いフロイスのやりたいように任せた。例え答えが正解していたとしても別に自慢できるほどでもないからとして。
そういうこともあり、フロイスが上機嫌で語り続けた。
「向こうが出して来た指図書に記してあったのは、体制側の不満分子のテロと見せかけて、指導者と組んで実権を握っている特権階級グループの中でも、特に親衛隊とか秘密警察とか情報機関と言った幹部連中の家族や友人を殺害するか最低でも植物状態にして欲しいという依頼で、そのためには国民を巻き込んだ無差別殺人もやって構わないとなっていたんだ。
その理由付けとして、了見の狭い指導者を選んだのは、全てその国の国民に責任がある。いわばグルといって良い。よってその国の国民がどうなろうと知ったことではない、自業自得である。だが、目立ちたがりの指導者をこのまま放置して置いて、そいつが主導する数々の戦略兵器実験が地球規模の汚染を引き起こしては目も当てられなくなる。今のうちに対処しなければ、この地上に人類が住めなくなってしまう。最悪の場合には人類存亡の危機の恐れさえある。ところが困ったことに、幾らトップの首をすげ替えようと体制が維持される限りは、長い目で見ると問題の解決に至らない。よって、敢えて国の治安の確保を担っている部署をわざわざ選んで実行するに至ったということだった。
それから言って向こうさんの考えは簡単明白だ。要するにだ、国内の本当の情勢が外部に出てこない体制を良いことに、フリーの立場の私等を利用して体制の基盤を混乱、弱体化、不安定化させることで国を無法化し、この世界を舐め切った指導者を精神的に追い込んで、最終的には体制が自己崩壊する方向へと持ち込みたい魂胆なんだろうと思う。まあ、私等にとってはどうだって良いことだけどね。
あ、そうそう。ついでに付け加えておくと。言ったようにほぼ同時期に二つの依頼が来たので、こっちの件は安請け合いする気はないと伝えて断ることもできたんだが、当のあの二人がね、久しぶりの実戦経験が積めるからと引き請けるようにと強く求めて来たものだから。それで請けることにしたってわけさ。
あいつ(ロウシュ)ときたら、滞在中の間にその国がいつも国を挙げて盛大に祝う建国記念日にあたってる休日がちょうどあるからと、それを利用してどれくらい殺れるかをコーと一緒に競争できると、やる気満々でうそぶきやがるし。あのときもう良い頃合いだと思って、あんなものをあいつ(コー)に持たせていてはろくなことにならないと思って取り上げて預かっていた、例のあの物騒な武器を五年ぶりに返却してやったんだが、あのときの喜びようといったらなかったね。随分と久しぶりに愛器と対面したことで、余程愛着があったのか知らないが何度も頬ずりしては子供のようにはしゃいで武器の感触を確かめては、いつもは引っ込み思案のあいつが、人が変わったようにべらべら喋りかけてくるわ、武器の試運転をするためにわざわざ私を指名してお願いしますと一勝負挑んできたのだからね」
などと、フロイスは気分良くよもやま話を語り、良い意味で退屈しのぎの余興となっていた。しかし十五分足らずでその話題も終息すると、しばらくの間、車内に静寂が訪れていた。その間も車は一定の速度で永遠と続く一本道を進んでいった。
それから五分も経った頃。依然と続く単調な景色に目を配りながら、パトリシアは心の中で呟いていた。
「嗚呼、まだ着かないのかしら、このままじゃ頭がおかしくなっちゃうわ」
どうなってるの、もう見飽きたわといったところだった。
もうかれこれ一時間余りが、ひたすら続く一本道を行き始めて経過していたのだから、無理もないことだった。実際、少しでも油断すると、時間の概念がまるっきり無くなって、自らを見失ってしまいそうになっていた。
ところでパトリシアは、いつものごとく車ごと空の旅をして連れてこられたこの場所が、世界最大の大陸であるユーラシア大陸の最果ての地で、もう少し行った先には、あの北極海があるとは、今更ながら到底信じられなかった。
なるほど、この地に不時着したときは、思い描いていた通りの景色が疑いもなく展開していた。一年を通じて雪と氷で覆われた真っ白い世界が見渡す限り目の前に広がり、この地帯に特徴的なブリザードが舞って視界を遮っていた。当然のようにもの凄く寒くて、前もって準備しておいた冬山登山用のフード付き防寒着を車内で装着していなければ、とても耐えられるものでなかった。ところが、行き先を知っていた二人の指示通りに、ブリザードがふぶく何もない氷原の道なき道をしばらく徐行しながら進んで見かけた、箱型建築物が数棟、目立たないように集まった集落を行き過ぎたあたりから状況が一変していた。
不思議なことに、雪と氷の大地が消え、色味的にそれほど変わらなかった砂とがれきの大地となって、舗装された道路らしいものが、その中央の辺りに突然現れたのだった。
当初パトリシアはそれを目の当たりにしたとき、目の錯覚ではないかと疑い、「道路が急に現れたんだけれど、どうなってるの?」とホーリーとフロイスの両人に当然のことのように尋ねた。すると二人から、「パティ、黙ってあの道路を行くのよ」「私等が見かけた、あの雪で覆われた建屋は、外部からの侵入者を監視している中継点なのさ。出入りを管理する役目も担っていて、普段は見えないように偽装しているんだが、私等がやって来たのが分かったので表示したのさ。あの道路は目的地まで辿り着くには必ず通らなければならないんだ」とかいった説明が次々と返って来た。
「そう。分かったわ」
わけがわからないまま、パトリシアは素直に二人の指示通りに従うと、仄かに黄金色に輝いているように見えた道路の方角に進路を取った。そのとき、周囲に少し白いモヤみたいなものがかかっていたので車のフォグランプをついでに点灯、尚も慎重を期すためにゆっくりとした速度で進んだ。その際、目の前に広がる光景に、いつの間にやら不思議な世界へと紛れ込んだ気がして、次なる疑問を投げかけた。
「ここはどこ、どこなの? 今までの雪と氷はどこへ行ったの、どこへ消えたの? ここはどこを見渡しても見えるものといったら、白っぽい色をしたサボテンみたいな植物と枯れた木々だけなんだけれど。それもどれもが変な形にへしゃげているように見えるし」
その問い掛けに対する二人のそれぞれの反応は、
「ああ、そのことね。ここはね、俗にいうカクレザトと言ったところかしらね。今風に言うと、一種の閉鎖空間、隔世スポットということかしら。この世界でも良くある事例よ。ただ知られていないか、知る手立てを持っていないかの差だけでね。この場所なんだけど、地磁気が狂っているの。難しい言葉で表現するとね、地軸の傾斜で局所的に地磁気が偏向してるということかしら。それで木々や植物があんな風に異常な姿で自生しているわけ」
「この辺り一帯は常識が通用しないのさ。ここでは渦巻の中心みたいに一種の真空地帯みたいなものが空間にできていて、周りの影響に左右されない独特な環境を作り出しているんだ」だった。
パトリシアにとって二人の回答は、ある意味理解の範囲を超えていた。いきなりそう言われても、と何のことなのかさっぱり分からないものだった。だがしかし、ただそういうことなのだろうということだけは分からないなりに理解したつもりだった。
「こんな先に目指す組織の本部があるというの?」
そんな二人にパトリシアは素朴な疑問を問い掛けた。
「ああ」
後ろの席からフロイスが機嫌良く返事をした。
「この分じゃ相当なへき地にあるみたいね」
「まあね」
今度は、横からホーリーが涼しい顔で応えた。
「それじゃあ向かっている先は、例の秘科学協会の……」
次の瞬間、「まさか……」「そんな馬鹿な」と言った冷ややかな反応が、しらけた笑いと共に二人同時に返って来た。
彼女等の発言に、パトリシアは一瞬呆気にとられて黙った。えっ、どういうこと?
そこへ二人は、口々に言い添えた。
「あそこはそんなに無能じゃないわ。元々充実した人手が揃っているもの。そのようなところが自分達が関わる仕事をよそへ出したりするはずはないじゃない。あくまで向こうがよそから頼まれた仕事よ。それを私達に依頼してきただけよ」
「早い話、私等は二次請けなのさ。つまりだ、向こうが断るに断れない仕事がこちらに舞い込んでくるのさ。この世界ではね、例え人手が足りないと言っても滅多に他の組織から応援を頼むことはしないんだ。そんなことをすれば組織の名折れだからね。それを敢えて依頼してくるというのは何かあるということなんだ。例えば、仕事を余分に取り過ぎたとか、仕事が面倒くさいとか、仕事が馬鹿馬鹿しいとか、仕事が誰もやりたがらない特殊なものとか、仕事が地味過ぎるものだとか、あとは仕事が専門外だとか言ったね」
初めて聞く二人の話に、パトリシアは小首を傾げた。そんなの聞いてないわよ。
とは言うものの、記憶を辿って、昔ゾーレがそのような依頼を取りまとめる仕事をしていたようなことが思いあたると、なるほどそういうことだったのとパトリシアはため息交じりに頷き、すぐさま訊き返した。
「そうすると、どこへ向かって?」
すると、直ぐ近くの隣の席ということで、ホーリーが先に口を開いた。
「話せば長くなるんだけど、かいつまんで話すとね、秘科学協会が仲介してきたところなの」
「ふ~ん、そう」
「行けば分かると思うけど、きっと驚くから。楽しみにしていると良いわ」
物柔らかにそう応えたホーリーに、そこへフロイスが言い添えた。
「そうだねぇ……、今ここで話してもかまわないと思うんだけれど、あれは実際に見た方が早いと思うな」
「そう……」二人の説明にパトリシアはこくりと頷いた。訊くだけ野暮みたいと思って。きっと二人して私を驚かそうとしてるんだわ。
それから以後、誰も話す者がいなくなって、会話が一旦途切れて沈黙が訪れていた。
その頃には車内が暑く感じられるようになっていた。それを象徴するように、防寒着はもはや用済みとなっていて、後部座席の片隅にまとめられて放置されていた。
それから更に数分経った頃には、いつの間にかモヤがきれいに晴れて、見晴らしが良くなっていた。
そんなとき、それまでサイドドアの角に頬杖をついて窓側にもたれかかり、視線をぼんやりと前方に向けていたホーリーが、何らかの異変に気付いたのか、急にエメラルドグリーンの目を輝かせると、伸びやかな口調でささやいた。
「長いことお待たせ。ようやく見えたようよ」
「はっ」
急に隣からそう言われて、パトリシアは一瞬きょとんとした。
「えっ、どこ? どこよ!」
慌てて前方を見渡した。けれども、空気が澄み渡っているとはいえ何も見えなかった。少し曲がりくねりながら続く道と、その両側の、起伏がそれほど見られない、なだらかな白い大地のみが見て取れるだけだった。
えっ、どういうこと? 何もないじゃない。
疑念を持って小首を傾げたパトリシアに、ホーリーは笑顔を零すと、白くてしなやかな指で前方の一点を指差して叫んだ。
「あそこよ。あそこの中に入ったところにあるの」
パトリシアはホーリーの指差した方向へチラッと目をやった。が、やはり何もなかった。見えるのは地平線のみだった。
全くわけが分からないわ。
パトリシアは当惑すると訊き返した。
「ねえホーリー、何も見えないわよ」
そんなパトリシアをよそに、ホーリーは笑顔を浮かべながら言った。
「ごめん、あなたには無理だったみたい。そう、もう少しすると、あなたにだって見えるかもよ」
「ああ、そう」
パトリシアは軽く笑って納得した。目の良いホーリーのことだから、きっと指差した方向に何かあるに違いないと思って。
果たして、それから一分もしないうちに、ホーリーの言葉通り、さながら大海原に浮かぶ孤島そっくりな黒っぽい塊が、遥か前方に姿を現した。
近づくにつれてそれは段々と大きくなっていき、黒っぽい塊と見えたものは深い緑に覆われた森で、その周辺には海ではないが良く似た色の草原が広がっており。道はちょうど草原の中央に向かって続いていた。
「あ、あれね、あのことね?」
「ええ、そうよ。目的地への入り口よ」
「ふ~ん」
ようやく辿り着いたみたいとほっとした拍子に、ふと車のリアミラーがパトリシアの目に入った。それまで周辺に薄く垂れこめていたモヤがすっかり消え去っていたせいで、後方の様子が鮮明に見て取れるようになっていた。すると何としたことか、やって来た道路が跡形もなく消え失せて、全域が白い大地となっているのだった。
嘘でしょう、信じられない。これじゃあ引き返せないじゃない。
パトリシアはびっくり仰天して顔色を変えると、慌てて早口で叫んだ。
「ねえねえ、来た道が消えているんだけど……どうなっているの一体?」
「今頃分かったの」
「ふん、お前らしいな」
二人から落ち着いた返事が返っていた。尚も二人は、
「別に気にする必要はないわ。向こうは悪気があってやっているんじゃないの。単に用心のためにやっているだけなのよ」
「心配しなくたって良い。私等は招待されたんだ。用事が済めば直ぐに帰してくれるさ。向こうも仕事だからね」
などと言ってのけると冷笑した。更にその口振りには余裕すら感じられたことで、パトリシアはどうにかこうにか胸を撫で下ろすと、二人がそう言うのならまあ良いかと続けた。
「あの森に向かうと良いのね?」
「ええ、そうよ」とホーリー。「ああ」とフロイス。
「分かったわ」言われたまま素直に従うほか選択肢はなさそうねと、パトリシアはぐっとハンドルを握ると前方の森を見据えて軽くアクセルを踏み込んだ。そうして真っ直ぐに草原を目指した。
それからしばらくして辿り着いた、一面に緑が広がり直径が何十マイルとありそうな巨大な草原は、当初パトリシアが思い描いたものとはまるっきり違っていた。柔らかい草が生い茂っているものとばかり思っていたのに、実際にはシダ系の植物が主に密生し、その所々に、くすんだ色の花を咲かせる見たこともない植物が群生していた。しかもその大きさといったら、車が軽く隠れてしまうくらいに伸び放題となっており、当然の様に道は、延々と続くトウモロコシ畑かサトウキビ畑の両脇を通っているかのように薄暗かった。従ってパトリシアは車のヘッドライトを点けてそこを通り抜けていった。
そのような具合で辿り着いた森は、原始の森そのものだった。辿り着く前から予想していた通りに、木々が密集して天を衝くようにそそり立った森の中は薄暗いのを通り越して、完全な闇に閉ざされていた。しかも道は、まるで迷路のように、森の内部で右や左へと複雑に曲がりくねっていた。
明らかに人為的にそうしているのだろうと思われたその中を、車のヘッドライト一つを唯一の頼りとして進んでいくと、表面に大きなシミのような斑点が所々見える、名前も知らない樹齢千年近い巨木の幹が、神殿の柱のように道の両脇に規則正しくびっしり居並ぶ様子がライトに照らされて浮かび上がって見えた。
その隙間を埋めるように、長い棘のあるツル科の植物が地面に根を張って自生していた。
そのツル科植物の見た目は、目を見張るものがあった。その幹の太さは太いところで人の胴体以上あり、葉はない代わりに槍の穂先ぐらいの大きさの鋭い棘が一面に見られた。それが大木に絡みつくようにして、我が物顔で上へ上へと伸びていた。
「ほんと、凄いところね」初めて通る道に四苦八苦しながらパトリシアは深いため息を漏らすと、隣のホーリーに向かって尋ねた。
「こんな巨木見たことは無いわ。それにその間に生えている植物のでかいこと。何なのよ、ここって?」
ところがホーリーはパトリシアの問い掛けには応えず。
「とても上手くできているでしょ。コンパスが用をなさないから空からやってくることはできないし、陸から来るにしてもこの道を通るしかないと来ているし。ある意味、森全体が難攻不落の要塞といった感じでしょ」と口を開くと、尚も言い添えた。
「この森を抜けると直ぐよ。きっと驚くわ。楽園みたいな景色が見られるから」
どうやら、ちゃっかり誤魔化された感があった。しかしパトリシアは、今はそれどころじゃないのよねぇと思い直すと、それ以上言葉を継がずに運転に集中した。話につい夢中になって、こんなところで事故って立往生したくなかったからだった。
パトリシアは、ハンドルミスがないように気をつけながら曲がりくねる道を安全運転を心掛けて進んでいった。そのとき、後部座席の方から、我関せずと言った風に寝息が聞こえていた。ほんと好い気なものね、人が苦労してるというのにねと言いたいところだけど。きっと疲れているんだわ。
やがて、二十数分間をかけてそこを何とか通り抜けると、出口らしい明るい場所に出ていた。
見れば、更に道路は森の切れ目に沿うようにして曲がりくねりながら伸びているようだった。また道路のもう片側は深い谷のようになっていて、かなりな深さがあった。そしてその底の方には南米のアマゾンのジャングルを上空から見た感じを彷彿とさせる景色が広がっていた。
がっかりだわ。ただのジャングルが広がっているだけじゃない。これのどこが楽園というの?
そのような意識で、どうもここじゃないみたいと判断すると、軽い調子で「まだなの?」と隣に向かって催促した。するとホーリーがさらっと言い放った。
「もう少し行くと橋があるからそこを渡ったところがそうよ」
「そこで楽園が見られるわけなのね?」
「うふふふ」
いたずらっぽい笑いをしながら、ホーリーがパトリシアの方へ妖美な眼差しを向けてくると、思わせぶりにぽつりと呟いた。
「あなたは何か勘違いしているみたいね」
「どういうこと?」パトリシアは車のハンドルを握ったまま、真正面を見据えて普段通りの落ち着いた口調で反論した。
「それじゃあどこにそれがあるっていうの?」
「そうねえ……」考えるようにホーリーは、ほんのしばらく前方を見つめていたが、やがて「あそこが良いかもね」と一言呟くと、低地へ下っている斜面がひときわ緩やかになっている前方の地点を指差して、得意げに話した。
「あのあたりまで行って止まってちょうだい。良いものを見せて上げれると思うわ。きっと驚くはずよ」
「分かったわ」
パトリシアは素直に従うと、ホーリーの意向通りに、緩やかに下っている斜面のあたり付近まで車を進めて、そこで一旦車を止めエンジンを切った。一体こんな場所で何があるというのと思いながら。
するとホーリーは、いつもやるように手品師のような怪しい手つきをして、直ぐにどこからか手の中に収まるくらいの大きさがある金属製の器具を取り出すと、パトリシアに手渡して、涼しい顔で言った。
「これで見ると良いわ。ただし、何かあったときに困るから車の窓を開けて行わないこと」
それはどう見ても黒塗りのごくありふれたオペラグラスだった。これを使って何を見ろというの?
パトリシアは訳が分からなかったが、言われるまま受け取ったオペラグラスを手に取ると一べつした。
彼女の持ち物だけに、ただのオペラグラスでないことは明らかなのよねぇ。そう思ったが、どう見てもコンサート会場やスポーツ観戦やアウトドアで使う軽量コンパクトサイズの折り畳み式のオペラグラスだった。別に外見上、変った様子は見られなかった。
そうすると、このオペラグラスを用いると何か面白いものが見えるのかしら、それとも何か不思議なことが起こったりして……。
何分と初めて使うので、それ以上のことはパトリシアにとって推測の域を出なかった。だが、どうやらこれを使って低地になっている方向を見れば良いのねとだけは理解すると、あんなジャングルにそのような見るべきものがあるのかしらと疑いながら、ともかく見てみようとオペラグラスを目に押し当てると、車の窓越しに熱帯のジャングルの入り口そっくりな景観を眺めた。
しかしながらホーリーが貸してくれたオペラグラスは、上部のボタンスイッチを指で軽くタッチするごとに倍率が自動的に二倍、四倍、八倍と、単に遠くのものを普通に拡大してはっきり見せてくれるだけだった。それが証拠に、遥か奥の方に背の高い木々が居並ぶ濃い緑色をした茂みが鮮明に見て取れた。
一、二分の間、ざっと眺めた感じ、そこには、やって来るまでに遭遇したシダ系の植物はもとより、カラフルな細長い実や丸い実をつけた緑の樹木があちこちに散らばるようにして生い茂っていた。球状や葉状をしたサボテンみたいなもの、黄色っぽい長い実を沢山つけたバナナの木のようなものもあった。また地表の辺りにはひまわりの花に近いもの、食虫植物みたいな不思議な姿をするものも見受けられた。
しばらくの間、パトリシアは食い入るように眺めて、思わず眉をひそめた。何よ、これ?
世界中から色んな植物を一ヶ所に集めて、混ぜこぜに植えたような、一貫性がないというか、何かしらごちゃごちゃしているというのがパトリシアの印象だった。
そんなとき、隣からホーリーが笑って尋ねて来た。
「どう、パティ。良く見える?」
「ええ、きれいにはっきりと見えるわ」
「それは良かった。じゃあ、何かおかしいところはない?」
「別にないみたいよ」
「そう」ホ―リーはニヤニヤしながら頷くと、パトリシアにわざと聞こえるようにぼそぼそと呟いた。
「そのオペラグラスはねえ、そんな風に普通の使い方もできるんだけれど、本来は、相手が敵であるかそうでないかを見分けたり、目に見えないトラップを検出したり、場合によっては暗殺に使ったりと多用途に使える一品なのよ」
自然と耳に入って来るささやきを聞きながら、やっぱりね、ホーリーのことだから何もないことはないと思っていたけれど、そういうことだったわけ。オペラグラスで周辺の様子を観察しながら、そうパトリシアが思っていたとき、急にホーリーが前方の一点を指差すと、子供の様な無邪気な口調で叫んだ。
「ほらっ、あそこ! あそこよ。あそこに何かいるでしょ!」
「えっ? どこよ!」
パトリシアはオペラグラスでホーリーが指した方向を眺めた。すると、黄緑色の実がたわわに実る名も知らない大木のちょうど背後側に同じような色をした生き物らしきものがゆっくりと動いているのが見えた。その生き物は縞柄模様があって、かなり大きくて、木のてっぺん付近に実った実を、長い舌を使って葉っぱごと食べているようだった。
蛇? いやトカゲ? 草食性の蛇やトカゲがいたっけ?
「縞柄模様の蛇、いやトカゲみたいなのが見えるわ。そうね、あの姿からみて、もしかするとカメレオンかしら? それにしても変ね。ちょっとサイズが…… 新種なのかしら」
目に映ったものの説明を見たまましたパトリシアに、ホーリーはいたずらっぽい含み笑いをすると言った。
「あれはカメレオンの祖先と言ったところかしら。このへんじゃあ、あれくらいは小型の部類よ。もっと奥の方に行けばさらに大型のものが見られるから」
「えっ」
ホーリーの言葉に、パトリシアはオペラグラスを目から離すと、ホーリーの方へ向き直り、訊き返した。
「それってどういうこと?」
しかしホーリーは何も答えずに別の方向を指差すと、
「あそこを見て! あそこに決定的なものがいるわ」
「えっ?」
そう言われてパトリシアはとりあえずその方向へ向き直り、再びオペラグラスを即効で目に当てた。すると何としたことか、その方向あたりに緑色の皮膚をした象かサイのような図体のでかい生き物が、今しがた木々の陰へ消えていくところだった。
そのときは後姿だけしか見えなかったものの、生き物は象にしてもサイにしても何となく違和感があった。背中から尻尾にかけてギザギザの背びれのようなものが付いていたことに拠っていた。しかもそのデカさは、周辺の木々と比べるとかなりなものだった。
「あれは何よ、まるで恐竜みたいだけれど……」
ふと思いついたことをそのまま口にしたパトリシアに、満面の笑顔を浮かべてホーリーは、
「あれは恐竜みたいじゃなくって正真正銘の恐竜よ。種を明かすとね、この辺り一帯に恐竜が放し飼いになっているの」
「えっ、どういうこと!」
パトリシアはオペラグラスを目から外すと、ポカンとした顔でにんまりするホーリーの方向に向き直り、念を押すように尋ねた。
「嘘でしょう、そんなこと。まだ恐竜が生きているなんて」
「嘘でも何でもなくってよ。現実よ」ホーリーは笑って応えた。
「だから言ったでしょう、楽園が見られるって。ここ一帯で見られる動植物は全て、すでに絶滅してしまって、今では化石でしか見られないものばかりでね。ちょっとした自然動物園になっていて。私達はここを恐竜サファリパークと勝手に呼んでいるの。
ここからじゃあ実感が湧かないと思うけれど、傍まで近付くとそれは凄いんだから。さすが恐竜というだけあって、どれも半端なく巨大でどう猛で、不意に襲い掛かって来られたら、この私だってただじゃ済まないくらいよ。
でも安心して。今車がある道を逸れない限り襲って来ることはないわ。
私達が向こうから聞いた限りでは、ここら一帯にいる恐竜もだけれど植物も昆虫も、今はやりの遺伝子操作などの最新の技術を使って現代に生み出されたまがいものじゃ決してなくって。何百万何千万年もの間、ここが現世と隔てられてきたために、環境が一切変化しなかったことで、太古の昔から今日に至るまで食物連鎖の法則がきちんと守られてきて。そのおかげで絶滅せずに、また進化することもなしに恐竜の子孫が生き永らえてきたらしいそうなのよ」
「ふ~ん、そういうこと」
「何なら帰りにゆっくりして見て回ると良いわ。私達も付き合って上げるから」
「ああ、そう」パトリシアは小さく首を縦に振ると、さっさと別の話題に切り替えた。実のところ、誰にも話していなかったが、パトリシアは虫とハ虫類が見るのも嫌なくらい苦手だった、嫌いだった。
「ところでちょっと聞いても良い?」
そのときのパトリシアの余りにも素っ気ない反応に、ホーリーは酷くがっかりした顔をした。しかし直ぐに、今は組織の幹部に会うのに集中していて心に余裕が無くって、楽しめる雰囲気ではないのだろうとひとり合点したらしく。げんきんなもので、見る間に薄ら笑いを浮かべて、若い女の子が喋るような口調で返して来た。
「ええ、なーに?」
「向こうに着けば、おのずとわかると思って何も聞かないでいたんだけれど、私達を待っている組織は一体何て言う名前なの?」
途端にホーリーが不思議そうに小首を傾げて逆に尋ねてきた。
「パティ、フロイスから訊いてなかったの? てっきり訊いているとばかり思っていたんだけれどね」
「ええ」パトリシアは正直に応えた。「彼女は何も言ってくれなかったのよ。それで……」
「ふ~ん。彼女、ああ見えてそそっかしい一面もあるからね」
ホーリーは首だけでチラッと後ろの座席を振り返り、安らかな表情で目を閉じて熟睡しているフロイスの様子を冷ややかにうかがうと、にこやかに笑って言った。
「まあ良いわ、教えてあげる。ビッグパンプキンって言うの」
「えっ、ビッグパンプキン?」
「ええ、そうよ。ビッグパンプキンよ」
「ふ~ん、そう。ビッグパンプキンって直訳すれば巨大なかぼちゃって言う意味だけど。おかしな名前ね、どういうことかしらねぇ……ハロウィーンと何か関連があるのかしら」
「そのへんは向こうで訊くと良いわ。向こうに着いたら、あなたを最近新しく入った古株の新人で今回私達のマネージャーをすることになったと紹介する予定にしてるからね。みんな暇を持て余している暇人だから試しに何でも訊いてみると良いわ。何でも親切に教えてくれると思うから」
ホーリーが言った思わせぶりな進言にパトリシアはふ~んと頷くと思った。どうやら二人の目的は、これから向かう組織の幹部に私を紹介することにあるみたいね。
良いわ、そっちがその気ならばとパトリシアは、何の興味も感想も持たない口振りで、誰にでも思い付くごくありふれた簡単な質問をしていた。
「このような原始時代の生態が残る一帯を支配下に置いているところを見ると、そこはかなりな老舗の組織みたいね」
「まあ、そうとも言えるかもね」
ホーリーから曖昧な返事が返ってきた。更にどういう風の吹き回しか、片手で軽く頬杖をつく仕草をすると、尚も口を開いた。
「でも私が聞いたところに拠るとね……このカクレザトが発見されたのはそれほど昔じゃないって話よ。確か、今から百六十年前の世界大戦中に、全くの偶然に発見されたみたい。その第一発見者というか、最初にこの場所を訪れた人達は六十名の兵からなる小隊の一団だったそうよ。
何でも大隊の一員として雪の中を軍用車で行軍していたとき、主力部隊と離れ離れになって全く偶然に辿り着いたということみたい。
一方、六十名の兵からなる小隊が急に消えてしまったことに、最初は道に迷ったのだろうと見て、捜索が普通に行われたみたいなんだけれど、何分と戦時中のことだったので、それほど詳しく調べずにそのまま放置されていたみたい。
すると約百日過ぎた頃に、突然どこからともなく戻って来たの。そのときには、始めいた六十名が四分の一の十五名に減っていて。戻って来た兵の中で一番階級の高かった人物が隊を代表して、電波障害で連絡が付かなかったので戻ってくるのが遅くなったとと事情を話した上で、約百日間の間、軍の規律を乱してどこへ行って何をしていたかを説明したの。そしてそれが本当であることを証明するために、向こうで見聞きしてきたことを報告して、そこの風景写真と、そこで採取したという植物を押し花にした冊子と、おそらく恐竜だろうと思われると発言して、そこで捕えたという数体の動物の写真とそれらの肉を塩漬けにしたものを証拠品として提出したんだそうよ。
そしてそのついでに、その百日間の間に起こった災難で仲間の大半が死んだ経緯を話したそうよ。
だがしかし、その当時は、まだ戦時中であったこともあって、彼等の不思議な体験談は軍部の上層部には興味の対象として受け取められることはなかったみたいで。戻って来た兵士達は簡単な健康診断のあと、健康と判断された者は別の部隊に配属されてしまい、不適格と判断された者は病院か故郷に送られてしまって、また彼等が提出したという証拠の品も、戦争のどさくさに紛れて、どこかに消え失せてしまって。その事件は結局、闇に葬られて忘れ去られてしまったの。
それから数年経って、長かった戦争が多数の死者を出して終わり、国の復興が始まったんだけど。しかし案の定、経済はどん底で失業者があふれてと国中が疲弊しきっていて、食料や仕事を求めて各地でデモや暴動が起こったりと、今度は国内が不安定化してしまっていたの。ひょっとすると体制が崩壊して無政府状態になるのではないかというほどにね。
それで、ときの政府はこれらを何とか打開しようと考えて、ありきたりだけど、公務員の大量採用や農地改革や特権階級の一部是正や壊れたインフラの再整備や移住の斡旋政策のほかに、どこの国でもやることは同じだけど、映画や音楽や演劇やギャンブルやスポーツといった娯楽に慌てて力を入れて、国民の目を別の方向に向けさせ国民の不満解消にあたったんだけれど。よっぽど追い込まれていたらしくって、例えそれらが怪しい案件であっても、何もしないよりはマシという当時の風潮から色んなことに首を突っ込んで利用していこうとしたらしいの。
当然、その中には戦時中に起こった、あの不思議な出来事も含まれていて。もしも恐竜が存在するという未知の世界が発見できれば、一躍世間の注目の的となって国民の意識を逸らせることができる上に、それを利用した開発が行われて雇用が生まれるのではないかと考えたのはごく自然の流れだったわけでね。
それで、その出来事に関連した兵士を集めにかかったんだけれど、その多くは戦死したり病死していたりして、生き残っていたのはたった三人になっていたってわけ。
でも三人もいれば十分ということで、彼等を水先案内人にして、延べ一万人の人員を動員し、数ヶ月間に渡って陸と空との両面から懸命な探索が行われたんだけど、しかしどうしても辿り着くことはできずじまいで。その内、決められた資金が尽きてしまい、残念ながら中止せざるを得なくなったの。
また、そのとき案内役を務めた三人も探索中止からしばらく経って、行方知れずになったり、或いは病死したり交通事故死したりと次々と亡くなってしまい、とうとうこの案件はこの世から完全に忘れ去られてしまったの。
それから五十年ばかり経った頃。もうその頃には不思議な体験をした兵士の証言資料も、もはや風化した状態で。うろ覚えなので間違っているかも知れないんだけれど、そう確か政府機関の国立公文書機密文書記録管理局内の図書保管所という部所だったかと思うわ。そこで他の多量の書類と共にひっそりと埃をかぶっていたらしいのよ。
それを掘り起こしたのが、その頃、図書保管所の分所であった図書研究課とかいう何をやっているのか分からない実態不明の部署に在職していた職員達でね。彼等の正体こそ、今現在ここを支配しているビッグパンプキンの前身の組織の者達だったというわけよ。
彼等は、何を隠そう先祖代々能力者の家系でね、例えどのような地位の人間であっても決して侵すことのできない存在で。そのときも政府から独立して活動していたってわけ。
それというのも、彼等がこの世に生を受けて天から授けられた能力というか使命は、一つは、死んだ人間の怨霊を鎮めて生きた人間にたたらないようにすること。今風に言うなら除霊と浄霊を専門に行う霊能師といったところかしら。二つ目は、人間ならざる者から人間の魂が汚されるのを防ぐと共に魔の手から人間を護ること。強いて例えるならば、エクソシストと退魔師を併せたようなものかしらねぇ。そしてこれが一番肝心なのだけれど、彼等は国家の束縛と支配を嫌い、自分達の使命以外の事には全く無関心だったことよ。
つまりね、まつりごとに一切関心がなくって国を支配しようとする野心をこれっぽっちも持ち合わせていなかったことなのよ。そのことが、己の私利私欲のために多くの民に酷い仕打ちをして恨みを買うことが常態化していた時の権力者にとってはまさにこれ以上ない格好の救世主みたいな存在だったらしくって、どれだけ時代が流れて国が次々と変わろうとも、崇められ重宝がられ頼りにされこそすれ、ないがしろにされたり弾圧されたりすることはほとんどなかったみたい。
でもそうはいっても、長い歴史の間では何が起こるか分からないと言うか、例外もあることはあって。そのような場合は歴史の教科書を紐解いて、ときの権力者やその取り巻き連中が、突然歴史の表舞台から姿を消したり、不可思議な最後を遂げている事実を見て貰えれば参考になると思うんだけれどね。
まっ、そういうわけで、その当時彼等は独立性と自主性を認められた形で、政府の一機関に職員として在籍していたってわけなの。
それがあるとき、彼等の何人かが、いつものようにデスクワークを日課としてしていたとき、たまたまであったのだけど、小規模な火事が付属の物置倉庫内であって、その際に他の部所の職員と協力して倉庫内にあった物品を手当たり次第に外へ持ち出したことがあったらしいの。
その中に、長いこと行方不明になっていた植物標本の冊子とホルマリン漬けにされた肉片の一部があったことが発端となって、約五十年ぶりに兵士たちの証言を記録した資料と写真が彼等の手で日の目を見ることになったというわけらしいの。
その発見が運命というか、これといった目的もなく漠然と興味を持った彼等は宝探しをする感覚で、準備期間を含めて約一年程をかけて現場の調査を十分にすると、いよいよその場所を発見しにかかったそうよ。
そして、粘り強く来る日も来る日も探索したお陰で、それまで誰一人として見つけることができなかったこの場所に入る道を見つけることに成功。やがて本拠地をそれまでの政府の部所からこの場所に移して今現在に至るとともに、世界各地に散らばって存在していた同系の組織全体をまとめ上げて、その総元締めとして君臨してるの」
少し長い時間をかけて自分達を招待した組織のあらましを言い終えると、ホーリーは目を細めて締めくくった。
「とまあ、大体そんなところかしら」
その言葉で、じっと耳を傾けて話を聞いていたパトリシアは、はっと我に返ると、大きな吐息を静かに漏らした。それから努めて明るく言った。
「なるほどね、そういうことだったのね」
良くもこれ程まで向こうから情報を仕入れていようとは頭が下がる思いだった。ほんと恐れ入るわ、さすが抜け目のないホーリーといったところかしら。果たしてこの私にも彼女の真似ができるかしら。そういった一抹の不安がよぎったものの、結局はなるようにしかならないのよと前向きに割り切るのも早く。パトリシアは不敵な笑みを浮かべると、いつもの調子で礼を言った。
「ありがとうホーリー、本当に参考になったわ」
「いいえ、どういたしまして」
ホーリーは軽く返してくると、普段の澄ました表情に戻って促した。
「さてと行きましょうか。余り向こうを待たせるわけにはいかないでしょ」
「ええ、分かったわ」
「それじゃあ出発よ」
その言葉が終わるか終わらぬうちに、パトリシアは気を利かせて、車のエンジンを手際よくかけ、ハンドルを軽く握ってまっすぐに前方を見据えると、アクセルを踏み込んだ。
そんなパトリシアの横顔をホーリーは見ながら、満足そうににっこり微笑むと叫んだ。
「オーケー!」
スムーズに加速が付いて走り出す車の車内に、ホーリーにしてはちょっと珍しいすっ飛んだ声が響き、思わずパトリシアは笑いを漏らした。ホーリーったら、柄にもないことを言うんだから。
果たして、してやったりのホーリーは、その場を取り繕うように照れ笑いを浮かべると、
「さあ行きましょうか、もうすぐよパティー。ビッブパンプキンの本部ユーフォリアムは」
その瞬間、パトリシアは屈託のない笑顔で気取るように叫んだ。
「オーケー!」
機転を利かしたその言葉に、こらえきれずにホーリーが、ぷっと吹き出し、目を細めて苦笑いした。それにつられてパトリシアも思わず笑っていた。
何事においてもてきぱきと対応しないと気がすまないという点で、お互いに気が合う似た者同士であったこともあり、意思疎通がうまくとれていた、本当に仲の良い二人だった。
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