第33話

 同じ頃、ダイス達の控室は何かと騒がしかった。

 というのも、飲みかけのペットボトルが三本とテレビモニターが載っていたテーブルの直ぐ隣に、二台のベンチを横にくっつけるように並べてベッドのようにして、不思議な物が一つ置かれていたからだった。

 それは焦げ茶色をした人の等身大の大きさがあるもので。行き倒れになって、或いは雪山で遭難して息絶えたときのような格好で火山灰に埋もれた人間といった表現がピタリと当てはまっていた。

 別な表現をすれば、元は青かった衣服がすっかり焦げ茶色に変色しており、衣服全体が溶けたようにやや変形して幾らか膨らんでいるように見えていた。

 土が焼けたような焦げ臭い臭いがその物体周辺から漂っていた。レソーの惨めななれの果ての姿で、死んだようにピクリとも動く気配がなかった。

 その周りにはダイス、ジス、イクの三人が立ち尽くしていた。全員がここへやって来たときと同じ薄青色のつなぎ服姿だった。

 一回戦負けしたことで、賞金はもはや水の泡と消えていた。通常なら暗いムードが漂っている筈のところが少し違っていた。

 

「まるで焼け焦げたって感じだな」


「こんな風になっていたなんてびっくりよ」


 あられもない姿を晒すレソーをジスとイクが首を傾げて見下ろしながら、口々にそう呟くと、互いに安心しきった表情を浮かべて苦笑いしていた。

 

「よくもまあ、やられたものね」


「ああ。あれだけ飛ばされちゃあな」


「どうすればこんなカチンコチンになるのかしらねえ」


「さあな。全てセキカが企んだことなんだろうし」


「そうね」


 その後も、「裏返すとゴキブリが死んでいるみたいだったわ」「やはり俺が出た方が良かったのか」などとやり取りを交わしていた二人にはジメジメした雰囲気は微塵も感じられなかった。

 そのような彼等とは対照的に、ダイスには笑顔はなかった。

 この上は身支度を整えて一旦基地の宿舎へ戻り、そこでもう一泊して次の朝一目散に帰るのみだ。振り返れば何も得る物がないまま、やっぱり骨折り損のくたびれ儲けだったのかと、レソーのことよりこれから先のことを疲れ切った表情で考えていた。

 

 無論、あのとき熱心にテレビモニターの画面をかぶり付くように見ていた三人は、レソーが場外まで飛び出て行ったとき、彼の安否を当然ながら心配した。イクなどは今にも取り乱しそうになっていた。

 ところが一緒にいたネコ似の生き物が直後に告げた、「レソーは大丈夫だ、心配はいらない。問題ない」との一言で事態が急展開。生き物は真相を見極めているらしく、その後の簡単なやり取りは全てにおいて筋が通ったもので、三人は一旦安堵して胸を撫で下ろしていた。

 果たしてその生き物は話し終わると、さっそく策を講じていた。


「ジス、気分はどうだ?」と直ぐ横のベンチシートの上に腰掛けていたジスに、穏やかな声で呼び掛けた。


「う~ん、もう大丈夫みたいな感じかな?」ジスは普段と変わらぬ声で応じていた。青白かったジスの顔色に赤みが差していた。


「そうか」


 薄紫色の生き物は、小さく頷くと言った。


「それなら良い。どうだ、歩けるか?」


「ああ、たぶん」


「それならすまないが頼まれごとをして欲しい。実はこれからイクと一緒にレソーを連れ帰ってきて欲しいのだが。どうだ、できるか?」


「ああ、なんとか」


 ジスがやや強張った顔に笑みを作ってそう応えた途端、口を尖らせたイクが口を挟んだ。


「ねえねえ、セキカ。どうしてあたしだけじゃダメなの?」


「ああ、それは信用度の問題だ。この世界では、一人より二人が。女より男の方が、信用度が高い傾向があるからだ」


「あ、そう」大人しく引き下がったイクが澄まし顔で呟いた。「ところで私達どうすれば良いの?」


「とりあえず入って来た扉から外に出てこちらが指示する方向へ向かって欲しい。指示連絡はここで提供された携帯二台で行えば良いと考えている。レソーの居場所は既に把握しているから何も問題ない。ここから十五分ぐらい歩いた地点に、気を失って倒れている筈だ。

 ただこれだけは是非守って欲しいことがある。それは、向こうまで行くのに不審な行動を絶対に取らないことだ。落ち着きのない振る舞いや急ぎ足もいけない。走るのはもってのほかだ」


「ええ、分かったわ。それで向こうへ着いたらどうすれば良いの? 直ぐに連れてくれば良いの?」


「いや、それはできない。既に周りには数人の人間が集まっている。そこでだ、そこへお前達が駆け付ると、倒れているレソーに向かってこう言うのだ。『大丈夫か、今助けてやるからな』とな。それから誰でもいいから直ぐ傍にいる人間に向かって、続けてこう言うのだ。『僕達は彼の仲間です。あれを見て分かると思いますが、何よりも先にあの服を脱がしたいのですが。あれは特殊な服で、あれ専用の工具がないとダメなのです。ところが工具は控え室に置いてあるのです。このままでは何もできません。助かる命も助けることができません。どうか友達をこちらにお渡し願えませんか』とな。すると向こうは、レソーの状態を見て知っているから、厄介払いができたみたいに直ぐに了解する筈だ。

 だがそれで異論を唱える者がいたならこう言ってやれば良い。『あれを見てあなた方が何とかできますか。あの状態のまま、後三十分もすれば、きっと手遅れになってしまいます。それを避けるにはどうすれば良いかは直ぐに分かりますでしょう』とな。

 そのとき、その状況に合わせた芝居をするのも忘れるでないぞ。ほんの些細なことで疑われては元も子もないからな。

 最期に帰りは、『一刻を争いますから』とか言い、走ってでも構わないからできるだけ急いで戻って来るのだ」


 あたかもこれから起こることが既に目に見えているような口振りで告げた生き物の言葉を信じて、二人は言われるまま行動に移した。すると全くもってその通りだった。

 事実、レソーは土まみれになって倒れていた。硬直した状態で全身がやや黒く焼け焦げていた。それは既に死んでいると言われても反論できないものだった。

 その傍には、顔に白マスクをした白衣姿の男達が三人、レソーの具合を観察するように見ていた。誰もが途方に暮れたように立ち尽くしていた。

 そのような状況下であったから、簡単なやり取りのあと、レソーを難なく無事回収することに成功したのは言うまでもなかった。


「セキカ、大丈夫なんだろうな」


 向かい側でにこやかにささやき合う二人の声を聞くともなく聞きながら、ダイスは浮かぬ顔で生き物に話し掛けた。

 ずっと目立たないようにピクリとも動かなかった生き物はいつの間にか、痛々しい姿態と化したレソーが横たわるベンチの上に乗り、じっとレソーを観察していた。その生き物が振り返らずに応えた。


「無論だ。まあ、見ていろ。直ぐ分る」


 その落ち着いた声の響きに、三人の視線が自然にレソーへと流れた。

 次の瞬間、いつの間にかベンチの上に足を揃えて座っていた生き物が何をしたのか分からなかったが、焼け焦げたように見えていた衣服が見る間に雪が解けるように消えてなくなり、その中から作業着姿のレソーがうずくまったままの状態で現れた。

 レソーが無事なことは予め生き物から聞かされて知っていたが、思わず全員の口許が緩んでいた。

 生き物の話によれば、レソーが気を失った場合に限り、彼の身の安全を守るため、手酷くやられたような姿に衣服が変化するのだということだった。


「さて起こすとするか」


 薄紫色の生き物からそのような言葉が漏れたかと思うと、後ろの方にだらんと遊ばせていた生き物の長い尻尾がゆらゆらと宙に浮かんでいた。

 そのとき、


「ちょっと待って、セキカ!」


 何を思いついたのか、いたずらっぽい笑顔でイクが後ろから口を挟んだ。


「起こすのはあたしではダメ?」


 これから薄紫色の生き物が何をするのか分かったからだった。

 このまま尻尾の先が被験者の身体に触れると、軽い電気ショックと共に意識が戻る手筈だった。ここまでやって来る途中、気持ちの悪い物を見て気を失った自身を簡単に正気に戻したやり方だった。


「いや、別に構わないが」


 一旦尻尾を宙に立てたまま、生き物は穏やかに応えた。


「ほんとう。じゃあ、そうさせて貰うわ」イクはにんまりした。「レソーには貸しがあるのよ」


 そう言って、うふふといたずらっぽい笑い声を出して指をパチンパチンと鳴らしたイクに、場の全員が、もしやあれ(罰ゲーム)のことかと察して頷いた。


「おい、本気でやるなよな。今度こそ死んでしまうからな」


 ジスが横から苦り切った表情でささやいた。


「ふん、そんなの、分かってるわよ」イクは一蹴した。「あたしだって馬鹿じゃないもの」


 そう言うとイクは、手加減はもちろんするわよと呟きながら前屈みになると身構えた。

 其の罰ゲームとは、学校時代に遊びでやっていたデコピンだった。

 とはいっても、彼女に言わせれば、どちらかがネを上げるまでやり合うことで、自分にちょっかいを出して来る男共や生意気ないじめっ子共をやりこめていた当時の最大の手段であり、彼女にとっては余り自慢することではなかったけれど真剣勝負そのものだった。

 年長だったジスもレソーもそれ故、彼女のデコピンには酷い目に遭っていた口だった。何といってもその威力は中途半端でなく。それはもう跳び上がるぐらい強烈に痛いもので、恐怖心さえ抱くほどのものだった。

 

 こんなときに行うのは不謹慎かなと考えたが、約束は約束だからと早くケリをつけた方が良いと決めていた彼女はそのとき、レソーの額へデコピンを一発見舞うため、うつ伏せに寝ていたレソーを取りあえず反対向きにさせようかと考えた。が、レソーの安らかな寝相を見ていると、ついどうでもよくなり、そのままやることに決めていた。心配をかけた罪と負けた罪は許せないと思ったが、ジスのような怪我もなく無事戻ってきたことだしと、少しおまけをしてやったつもりだった。

 ゆっくりと片方の手の指を折り曲げた彼女はレソーの頭の部分に狙いを定めると、黒メガネの奥から、まあ何でも良いといった無関心な顔をするダイス。キョトンとする薄紫色の生き物。興味深そうに息を呑むジスをよそに、レソーが案外石頭であったことを思い浮かべながら、迷わず一撃を放っていった。

 途端に、パチンと鈍い音が室内に響き渡った。レソーの身体が反射的にビクッと震えたのと、「おおっおおっ!」と彼が頭を手で押さえて悲鳴じみた叫びを上げたのがほぼ同時だった。イクの一撃でたちどころに目が覚めたレソーは、「お、痛え!」と言いながら引きつった顔を上げて周りをきょろきょろうかがっていたが、直ぐに大体の状況が呑み込めたのか、動揺した顔から怒ったようにも苛立ったようにも見える顔になると、頭を痛そうに押さえたまま上体をさっと起こして、直ぐ傍に立っていたイクをにらみつけ訊いていた。


「お前がやったのか!」


「もちよ、当然でしょ。あんたは負けたのよ」


「あ……」


 ほんの少し考えて、理由がわかったのか神妙な顔で小さく頷いたレソーは、「そうか、やはりな」と独り呟くと、やがてイクに向かって、「悪かったな」と一言謝った。続いて、


「社長、すみません」「ジス、悪い」「セキカ、負けてしまった。ごめん」と、他のみんなの顔色を気遣いながら、しどろもどろな口調で詫びていった。

 もちろん、誰も負けた追及などしなかった。「もう済んだことだ」「気にするな」「仕方あるまい」といった励ましか許しの言葉で返していた。

 その言葉に一安心したのかレソーはベンチの上に膝を折って腰を下ろすと、生きていることを実感するかのように大きく深呼吸をした。それからテーブルにもたれたイクとジス、腕組みをして立つダイスへ、それまでのいきさつを語っていった。


 途中、話し出してほんの一分も経たない内に、喉が渇いてひりひりするのかレソーが喋り難そうにしているのに機転を利かせたイクが、自身が出場したときに飲むつもりで特別に持って来ていたスポーツドリンクを「あ、そうそう、思い出したわ。これを飲んで貰わないとね」と言って彼の面前に差し出すと、


「実は、あんたでもジスでも弱気の虫が出て怖気づいてしまったときに備えて、密かにネットからそうならないようなドリンク剤を調達しておいたのよ。蜂のサナギに唐辛子とにんにくとしょうがと砂糖をたっぷり加えてコーラで煮込んでからジュースにしたものらしいのよ。更に栄養価を考えて親の蜂をすり潰したのも一杯入ってるらしいわ。

 せっかく手に入れた物なんだもの。今使わないと使うところがないんじゃないかと思ってね。あたしたちに心配をかけた罪よ、さあ、覚悟を決めてこれをぐっと飲んでちょうだい!」


 と口から出まかせを言ってレソーを困らせた後にネタ晴らしをして笑いを誘うと、イクが得意としていたデコピンつながりで学校時代の昔話に花を咲かせたり、また三人の中では誰が最も怖がりなのかを話し合ったりと、ひとしきり散漫な会話を時間が経つのも忘れて話し込んでいた。

 それ自体は毎朝、出勤時の和気あいあいとした和やかな雰囲気とほとんど変わらない調子で、いずれの顔の表情もにこやかで、目は明るく輝いていた。


 一方ダイスは、全てが終わったことだし反省会などはもはやどうでも良いことだ、と思われて一切言葉を交わすことはなかった。それでも当初は、昨夜は興奮して眠れなかったが今夜はぐっすり眠れるかも、いやそうはいかないかもとか、残っていた材料を考えに入れて今夜の夕飯は何を作ろうかと、どうでも良いことを一々考えては気を紛らわせようとしていた。だが五分もしないうちに、


 こいつらにはついていけない。


 頭の中でそう漏らしながらその場から立ち去っていた。その彼が向かった先は扉一枚隔てたレストルームで。そこで誰にも邪魔されずに一人になると、メガネを外して、すっかり血の気が失せた自分の顔を鏡に映しながら、大きなため息を何度もつき、うなだれていた。

 

 事業を拡大させるという夢も、これではかなく消え失せたわけか。それどころか明日から厳しい現実が待っている。資金繰りも大切だが仕事の方も大いに励まないといけない。

 二人には悪いが今の週四日制の就労勤務をその半分の週二日に変更しなければならない。そしてその埋め合わせをどうするかを考えなくてはならない。そうでなくちゃあお互いに食っていけないからな。

 仕事内容も慣れない分野の仕事を積極的に率先してやっていかねばならない。時には訪問営業もしなくてはならない。

 

 考え出すと気がめいり、嫌な気分だった。

 ダイスはどうしてこれほど運がないのかと自分自身にうんざりして、無意識に何かを小さな声で呟いていた。だが、まだ(仕事を)投げ出すわけにはいかないと自身に言い聞かせてもいた。


 

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