第34話
構内では二人の男達の間で熱戦が繰り広げられていた。二人の迫力ある熱演に空気が揺らいでいた。
前の試合の終了後、何をどうしたのか分からなかったが、五分もしない内に構内に満ちていた氷の固まりも白い水蒸気のもやも消え去っていた。スケートリンク状態となっていた一部の凍り付いた地面も元通りの姿に戻っていた。
そのような中で、二人が共に闘志を身にまとい地面を駆け抜けていた。散発的にこだまする銃声音が辺りの空気を震わせていた。小さなつむじ風が幾つも巻き起こっていた。乾いた爆発音が単発的に轟くと、土煙があちこちから上がっていた。
今度は一転して、以前の試合とは趣の異なる距離をおいた戦いが淡々と進んでいた。
二人の内の一人は、メイクと衣装でいかにも悪人といった風に変身したソランで、全身黒ずくめの服装をしていた。但しパトリシアから提供されていたブレスレットや首飾りなどのアクセサリー類は昨日の場所にわざと忘れてきていた為、付けていなかったが。
そしてもう一人の方は、登録名エスパス・インベーダー、宇宙からの侵略者と訳される、人を小馬鹿にしたようなふざけた名前の男で、長めのブロンドの髪を後ろで束ね、小麦色に日焼けした顔の表情が隠れるくらいの大きなミラーグラスを掛けていて、ソランと全く正反対の純白色で統一した服装をしていた。
また男は、一見するとどことなく渋い感じのする美男子で、ソランより背がやや高い上に上体もいかにも鍛えているといった逆三角形の体型をしていて、年齢も三十代かと思われ。派手な服装から自己主張の強い性格のように見えていた。
そのときミラーグラスの男は、服装の表側に装備したショルダーホルスターに二丁のオートマチック銃。腰ベルトのそれぞれのホルスターにレボルバー。手にはアサルトカービン(自動小銃)を持ち、背中側にショルダーベルトで予備のアサルトカービンを吊るしていた。
対してソランの手には十八番のナイフが握られていた。
開始の合図があって二十秒近く経過していた。が、未だ優劣は見られなかった。
ソランは内心、相手の作戦に戸惑っていた。
相手の男は大量の武器らしき物を載せた大型カートを引きながら、小型の猟犬を多数引き連れてやって来た。武器の使用は好き放題にして良いという規則の元で行われたこともあり、黙って見ているほかなかったが、それを良いことに相手は、武器の補給場所を確保するという意味合いなのか、それら武器らしき物を犬共々構内のあちこちに配置していった。
武器らしき物は、コンテナーに入れられていたり、裸のままであったり、袋入りであったりしていた。裸のものだけを見れば、各種の銃、特殊地雷、ロケットランチャー類で占められていた。
開始直後、相手はサブマシンガン(短機関銃)で攻撃してきた。弾が尽きると予備らしい同じ型のサブマシンガンで。それも弾が尽きると今度はアサルトカービン(自動小銃)に持ちかえていた。
三丁とも、見た目は特別な銃でないように思われた。だがそうかといって、がむしゃらに正面から向かって行くことには明らかな危険があった。それは、銃弾が着弾した地点の様子がどうも変だったことによっていた。そこには銃弾が通常弾ではないことを物語るように黒煙が強烈な臭いを伴って必ず立ち昇っていた。従って、もしものことを考えて、敢えて自重せざるを得なかった。
更に、見る角度によって身体全体が針金のように細く見えたり、幾つもの分身が見えたりするやっかいな迷彩偽装(カムフラージュ)を使ってきた。
併せて、集中力をかき乱すように相手側の猟犬が周辺を走り回ったり、吠えてきたり跳びかかってきたりしてきた。それ自体はまさに周りが敵だらけに思えるぐらいの騒がしさだった。
相手側のこれらの攻撃に対し、例によって黒光りするナイフと鉤爪の手足で応じていた。パトリシアから大物感が漂うような立ち回りで決めちゃってねと言われていたが、相手側の手の込んだ攻撃を避けながらであったためそうもいかなかった、というのが正直なところだった。
一方、ソランをそこまで手こずらせていた相手の男は、魔法使いや能力者や魔物のような特殊な力を持っている訳ではなかった。はたまた宇宙人でも改造人間でもなかった。歴とした人間だった。
もう少し詳しく言うと、超人とまではいかないが、生まれながらに運動神経と体力が抜群に秀でている、強いて言えば亜超人といった位置の人間だった。
今現在男は、完全主義者ばかりが集まって興したゲーゲンヴォルツなる組織の一員だった。
組織自体は結成してからまだそれほど日が経っていない若い組織で、元を辿れば、異能世界を牛耳る三大団体の一角であるクロトー機構に属するメサイア・ジングルズ(救世主の言葉)と言う名の組織から独立した形で派生したものだった。
ちなみにメサイア・ジングルズとは、組織間のもめ事に絡んで仲介に入り、渦中の組織を体裁良く吸収合併したり、或いはどちらか一方へ加勢をして貸しを作ったりと、異能世界では昔から必要悪と見なされてきた異端の一派だった。そのような関係で、この男の身分は、言わずと知れた武闘系で、業界用語で言うところのシュレフ。一般的な俗語でもっと分かり易く言えば、プロのハンター(賞金稼ぎ兼任の殺し屋)だった。
その男がここまでわざわざやって来た目的は、もちろん大金を手に入れることもその一つであったが、それよりもプロのハンターとしての好奇心と功名心がうずいたというのが正直なところだった。
実のところ。今から数年前の頃の出来事であったが、その当時極悪非道として異能世界に悪名を轟かせ、ある日を持ってこつ然と姿をくらませたロザリオとか呼ばれる組織のメンバーがここへ来れば見られるという噂を聞きつけたのが発端だった。
男には、ある野望があった。それは有名になることで。有名になって世間から一目置かれることだった。
とはいえ、並々ならぬ瞬発力と敏しょう性を持つことからロケット、相手の隙を突くことに長けていることと常に相手の死角から攻撃を仕掛けることから対角線上の魔術師若しくは貴公子と、いつの間にか周りから呼ばれているなど、男の評判は世間ではそこそこのものだった。しかし男は自身の知名度をまだまだ物足りなく感じていた。請け負う仕事の内容やその報酬や処遇面でそれが何となく分かるからだった。それではどうすれば知名度を上げることができるのか考えてもみた。しかし答えが出なかった。その理由は、年齢がまだ若く実績が乏しいと世間に思われている。世間がアッと驚くような現場に未だ出くわしていない。引き立ててくれる後ろ盾がない。有名人の知り合いや親せきがいない。所属する組織の知名度がない。組織の資金力がない、等とほとんど解決策のないことが障害になっていたからだった。
かような現実から、有名になるという夢は、どのような努力をしようとも無残に消え去ってしまうのかと、日々焦燥感に駆られながら悶々と過ごしていたときだった。救いの手が現れたというべきか、たまたま目に付いた広告はまさに千載一遇のように思えた。
無論、見るだけでは面白くなかった。サシで対戦してみて、もしもあわよくば倒すことができれば、今や半ば伝説化している超大物を殺ったことになり、名声と地位が一挙に手に入るのではないか。――そう考えると、これ以上に自分の名を世に知らしめる機会はない、と結論づけていた。当然ながら、抜け駆けされないために組織には何も伝えていなかった。独断で決めていた。
だが一つ、致命的ともいえる問題を男は抱かえていた。それは、ロザリオのメンバーの顔を知らなかったことだった。
一人歩きしていた噂から得た情報では、メンバーの顔を知る者は全てあの世にいっているらしかった。その上、顔や風体が分からないことを良いことに組織名やメンバーを語る偽者もいるらしかった。
その中得られた信用度の高い情報は二つ。ロザリオとは数人の男女から構成された組織で、メンバーの年齢は不詳。あと一つは、その実力で。大げさなのか本当なのかその点は不明だったが、『一人一人が、構成員二、三十名ぐらいの中堅の組織を赤子の手を捻るように簡単に潰すことができる』というものだった。
そのため、従来の案件なら愛用の銃と予備の銃。そして、替えの小銃か短機関銃が一、二丁あれば事足りるところを、今回に限っては、目を付けて措くだけでは終わらずに不意を突いて襲う下心もあって、念には念を入れて過剰とも思える下準備をしていた。
それが何としたことか、奇跡が起こったというべきか、目ぼしを付けていた相手とこうして堂々と戦えることになったのは、何だか凄い運命の巡り合わせなのだろうかと思っていた。
男は白地に黒いエリが付いた派手なライダージャケットを羽織っていた。そして下半身は上に合わせてコーディネートした細めの白のズボンに同色の長いブーツを履いていた。これらの服装は、一般的な防刃・防弾機能はもちろん、見る者に錯覚を起こさせる機能や赤外線どころか殺気やオーラさえ遮断してしまう機能まで組み込まれていた。
銃はありふれたものを使っていた。が、銃弾はカスタムメードだった。銃弾は、当たれば幾ら人外、能力者であっても無事では済まないマッハ7(約秒速二千四百メートル)以上の初速度で撃ち出されるハンター用の特殊なもので、どんな相手にも適合するようにと、出血を促進する銃弾、再生機能を阻害する銃弾、強力な殺傷作用がある銃弾の三種類を、いつもの通り準備していた。ただ余りに特殊な品であったため、銃の消耗がはなはだ激しく、銃弾を全弾撃ち終わった後、若しくは途中でも新しいものと交換しなければならなかった。
また男はこの日の為に三つの秘密兵器を準備していた。
一つは、男が構内へ入ってくる途中に一緒に引き連れてきた十数頭の小型の猟犬だった。猟犬は黒い毛並をした足の短いダックスフンドで、黒い防弾装備が二リットルペットボトル容器ぐらいの小さな身体全身に施されていた。犬達は暗殺用に良く訓練された戦闘兵器だった。
二つ目は、最先端の技術で作られたナノ火薬という爆発物だった。何でも特殊な火薬の種の中に別効果をもたらす物質を埋め込んだ化合物ということで、比重は鉛ぐらいある代わりに威力はその分半端ではなかった。問題はその価格で、グラムあたり数百ドルと金より高価だった。てき弾やトラップとして使っていた。
そして三つ目は、非常に特殊な銃弾で、最後の最期、どうしても必要であるときにだけ使おうと予定していた。まさに切り札といって良いものだった。
それ自体は破裂弾の一種で、自然界に存在するありとあらゆる生き物に効果があるのに周りに不快な影響を一切与えない極めてクリーンな銃弾という振れ込みだった。
しかし銃弾の一般名称は、重鎖重合プルトニウムセラミック弾。商品名、スーパーポイズンブレット(超強力毒弾)と言い、対象物に衝突すると、一瞬だがこの世界に100ミリ秒しか存在しないギュスタニウム、300ミリ秒のオーグスニウム、同じく3000ミリ秒のエドニウムと云った元素を生成し、そのとき多量の重中性子線が放射されることで効果が現れるということらしかったが、何分と理解を超える理屈の為、何のことやらさっぱり分からなかった。だがともかく銃弾には商品名の通り猛毒の成分が含まれることは確かなようで、その証拠に、常時中程度レベルの放射線を銃弾が放つため、専用のジルコニウム鉛合金カプセルに厳重に保管して持ち歩いていた。
この銃弾だけは、男は未だ試射をしたことがなかった。
まだ試用段階で市場に出ていなかったこともあり、一発当たりの価格が百万ドル以上とべらぼうに高価だったせいだった。男も二発しか所持していなかった。
そんな男に思わぬ誤算が生じていた。一緒に連れて来た犬達だった。犬達には可哀想なことをしたというのが正直な感想だった。
吸血鬼・獣人・魔獣・ゾンビといった人にあらざる者及び同業者の暗殺を主に請け負う場合が多く、いつも特殊な銃弾・てき弾・トラップ類を使っていた男は、頻繁に武器類を取り換える手法を取っていた。そのため迅速に交換できるようにと、先回りして各所に武器類を配置しておくのが男のやり口だった。
それで今回も同様なことを考えていたのだが、一つの問題ができていた。あいにくと辺りの見晴らしが良過ぎたことで、同じことをやったのでは相手の目標にされ兼ねないと感じたのだった。
それで一計を案じていた。それは本来、連携を取りながら四方八方から襲い掛かる手はずになっていた犬達にできるだけ見張りにつかせることだった。無論、犬達に装備した防弾着は防刃機能も備わっていた。それなのに今回の相手の攻撃には為すすべがなかった。既にほとんどが敵の攻撃で血祭りに上げられてしまっていた。
それは全くの想定外のことだった。
単なるスチール製に思われたナイフが銃弾より遥かに威力があるとは驚きだった。
「ふん、ナイフの使い手か! おもしろい」と、当初鼻先で笑ったのを後悔していた。
二人は絶えず高速で動くのではなく、緩急自在の動きを繰り返しながら戦っていた。
とはいえ、ソランは自身の作戦や成り行きからそうした訳ではなかった。昨夜、そのような形式のトーナメントが告げられどうして良いか分からなかった彼は、次の朝、師であるロウシュへ魔物を通じて連絡を入れ、対応を訊いていた。そのとき返ってきたロウシュのアドバイスとは、
「とりあえず周りを良く見ることだ。そして邪魔だなと思ったもの、不審に思ったものには気をつけろ。うかつに近付くんじゃねえぞ。ワナという場合もあるからな。
一先ず遠くから探りを入れてみることだ」
「既に分かっていると思うが、相手の話をまともに受けないことだ。決着がついてもいねえのに、本当のことをベラベラ喋る馬鹿は古今東西探してもいねえよ。酷い奴になると、死んでまでも嘘を突き通すひねくれ野郎もいるくらいなんだからな」
「向こう見ずに行くんじゃなくて、相手の動きをじっくり見て動くんだ。相手を見下す感じでやれば自然とそうなる」
「あとはそうだな、気を抜かないことだ。といったって緊張し過ぎるとポカが出やすいし、全力でやろうとすれば最後まで息が続かなくなる。そうならないようにするには、強弱を付けながらやれば良いんだが……これだけは場数がものを言うんでな。
ま、そうだな、強弱の付け方の簡単なやり方としてはだな、立ち止まっては動いて、また立ち止まることを慌てずに繰り返すんだ。ま、そんなところか」と言ったことだった。
それを彼は忠実に守って、その通りにやっていた。それが良かったのか分からなかったが、ここまでは冷静さを保って、ほぼ順調にきていた。
一方、ミラーグラスの男は余裕の表情で、
「こいつらは賞金首にならなかったらしいな。その理由は、本当に笑えない話だが、賞金首をかけても賞金を支払う側が真っ先に目を付けられて殺られてしまうからだったらしい。何とも発想が無茶苦茶で恐ろしい奴等だぜ」などと独りごちながら、それに付き合う形で隙をうかがっていた。
実は、男は巧妙なトラップを仕掛けていた。犬達に守らせていた荷物がそれだった。
武器と見せかけていた荷物のほとんどは、本物に偽装した偽物で。現物は透明化シートでカムフラージュして別のところに避難させていた。
残念ながら離れたところから相手が攻撃を仕掛けて来たせいもあり上手くはいかなかったが、仮にそこに近付いたとき、犬達が襲い掛かり、もっと近付けば、爆発物を仕込んでいた荷物が起爆して巻き添えにする計画のはずだった。
そうはいっても男は、計画は失敗したが相手が見せかけの武器をほとんど破壊尽くしたと思い込んでいる今なら必ず油断しているに違いないと思い直していた。
少し前のこと。
ほぼ同時に構内に入って来た二人は、開始の時間となる前にほんの少しの間、短い会話を交わしていた。
だがその始まりは一風変わっていた。
ゆっくりと接近した二人の内、最初に立ち止まったミラーグラスの男が、銃口を下に向けた状態のまま手にしていたサブマシンガン(短機関銃)を、何を思ったのか上空に矛先を向けてぶっ放したのだ。
無論、ダッダッダッと乾いた連続音が沈滞した空気中に響き渡った。それに警戒を強めたソランが歩みを止めるや否や、後ろ手にナイフを数本握って身構えたのは言うまでもなかった。
そのこと自体は、ミラーグラスの男が相手の注意を引くのに習慣的にやっている、いわゆる威嚇射撃というもので、“そこまでだ、止まれ!”の合図だった。
現に銃口をすぐさま下向きに下げた男の口から、「悪いがこれ以上の接近はご遠慮願うぜ」と穏やかな声が漏れていた。
二人の距離はまだ百ヤード以上あった。
ソランは一旦止めた息をゆっくり吐き出しながら口許をへの字に結び、目と眉を同時に吊り上げると男をじろりとにらみつけた。いかにも不快、怒りに満ちたというソランのその表情に、肝心の男は苦笑いを浮かべると、純白色をしたジャケットの胸元のポケットから、こより若しくは綿棒状をしたものを一本、何気なく取り出し、片方の鼻の穴へと突っ込んだ。それ自体は、鼻タバコ或いは嗅ぎタバコの類だろうと思われ、気分を落ち着かせる為なのか自己陶酔に浸る為にそうしたと考えられた。
その男は二、三秒後にそれをフッと鼻息で吹き飛ばすと、
「登録名はあんなふざけた名にしたが、本当の名はピョートル・バシリコフだ。仕事は、普段は某よう兵養成学校の上級技官をしている。そのような関係で個人的に腕を磨くためと実践の感を養う必要があり、年に四、五回ほど学校の許可を取って色々な軍事訓練や賞金が出る腕自慢大会に出ている。今回も同様な件でここへやって来たのさ」と切り出した。当然ながら外からは聞き取れない手法を使って。
いかにもそれらしい雰囲気と聞き取りやすい弁舌から、ソランには真偽のほどは分からなかった。それほど、堂々とした自己紹介だった。
そのとき言葉が出ず応えられないでいたソランに、ミラーグラスの男は彼の心を見透かしたようだった。更にこう付け加えた。
「俺は職業柄研修生達に実技を教える以外にも、そいつ等の前で話をする機会が多々あるんだ。そのとき研修生達の興味を一番引くのは自身の昔話や自慢話だ。 最近どこどこで誰々を見た、会った。誰々に食事を誘われた、食事をした。どこどこの国の部隊と遭遇した、一緒に訓練合宿をした。昔或いはちょっと前、誰々と戦って勝った、引き分けたという具合に話すと研修生達との間に信頼感や尊敬の念が生まれ、授業がスムーズに進むのさ。
その中でも最も効果があるのは、世間に名の知れた部隊や個人に関して話したときだ」
そう話すと、ソランを覗き込んできた。
そして、男の思惑を詮索することより、不審な行動を取りはしないかと男の手元ばかりをじっと見つめていたソランと目が合ったとき、
「ところで……」と、切り出すと、話題を変えた。
「あんた、俺の感が正しければ、ロザリオとかいう組織の人間だろ。どうだ間違いないか?」
ソランは意識して不敵に笑うと、わざと声を低くして応えた。
「ああ、そうだ。それがどうした」
「ああ、そうかい」ミラーグラスの男は含み笑いをした。「で、名は何という?」
「……」
「俺は戦う前の習慣として、いつも相手の名前を尋ねることにしている」男はソランが口を開く前にそう唐突に告げると、困った表情を見せた。
「どうだろうな、あんたの名前を訊かせてくれないか。今あんたの名前の確認をしておかなかったら、後で誰と戦ったのか分からない。それでは俺の一生の不覚になるんだ。ここまでやって来た意味がなくなる。
組織で呼ばれている名でも良い、何て言うんだ?」
「組織で呼ばれている名……」一瞬考えるような仕草でそう言葉を繰り返したソランは、すぐさまこのときの為に用意していた答えであった登録名を応えた。
「組織ではアバドン。アバドンと呼ばれている。これで良いか」
「アバドンか。そうか、登録名通りか」頷いた男は、これで安心したとほくそ笑んだ。
「ああ、すっきりした。これで心残りなく戦えるというもんだ。お互いに恨みっこなしだぜ、俺が勝っても、あんたが負けてもな」
「ああ」ソランは短く応じた。一生懸命芝居をしたつもりだった。
「さてと……」さっそくミラーグラスの男は、ソランの方へ銃口を向け身構えた。何を考えているのか分からない笑みがこぼれていた。
その一瞬、一本の細長い針金様の姿に男が変化し、周辺の景色に溶け込むように、そこにいるのかいないのか分からなくなった。しかも気配がさっぱりしなくなっていた。男がいよいよ服装に装備したカムフラージュ効果を発動して支度にかかったのだ。
その動きに誘われるように、ソランも両手の指に漆黒のナイフを挟んだ状態で身構えた。ちょうどその時が開始の時間だった。息も尽かせぬ戦いの始まりだった。
アバドンとは地獄の王、破壊王、イナゴの王のこと。その名が本当なのかは直ぐに分かることだ。さあ見せて貰うぜ――とミラーグラスの男から呟きが漏れた。
その刹那。「ダダダダダーン」と小気味好い連射音が、サブマシンガン(短機関銃)の引き金から男の指先が離れる度ごとに、辺りへと響き渡った。
次の瞬間、ソランの姿はそこにはいなかった。そのときミラーグラスの男が垣間見たものは、助走を付けずにその場から宙に跳び上がっていたソランだった。
味な真似をしやがる野郎だぜ。
直ぐに銃口をその方向へ向けた途端、遥か十数ヤード上空からソランが一回転しながら手にした漆黒のナイフを投げ付けて来るのが目に入った男は、その場に軽機関銃の射出音を残し、疾風のようにそこから去っていた。
それを目の当たりにしたソランは、一瞬目がおかしくなったのかと疑った。男はさっと方向転換したかと思うと、その姿が幾つもの分身に分かれて四方へ散ったのだ。しかもどれが本物の男なのか目で見て皆目見当が付かなかった。
その間隙を突いて、今度は背後から銃声音がした。すかさずソランは横に動いた。どうやら相手は迂回行動をして後ろに回り込んだらしかった。
横に身体が縮んで一本のワイヤーほどにしか見えなくなった不思議な相手に、おおむねそのような状況が続いた。感と足音と銃声音を頼りに近接戦に持っていこうにも相手が応じず、素早く身を翻すと再三距離を取って撃って来るのだった。
そのとき、ソランには心臓の高鳴りが不思議となかった。
相手の戦法は正面から攻め込んでくるのではなく。どちらかといえば、手ごたえがあるまで用心深く探りを入れて来るという感じで。おそらく隙を伺っているのだろうと、冷静で迷いのない判断ができていた。
そういったこともあり、合間に相手の補給路を断つという意味で、周辺のあちこちに見えた目障りな荷物にナイフを投げつけ始末していった。途中襲い掛かって来た犬達も、鋭い鉤爪に変えた片手と両足の前ではどうということもなかった。
ソランは風神が乗り移ったような軽やかな動きで相手の弾筋を避けては、ナイフを放った。一方、ミラーグラスの男は、ナイフの軌道が見えているのか全てかわすと共に、変幻自在な動きに加えて直ぐにトップスピードに入ることができる瞬発力で対応してきた。ソランが幾ら男を追っても捉えるまでは至らなかった。
そうこうする間に、既に一分半ほど時間が経っていた。だがまだ優劣の差がなかった。
しつこい割につかみどころのない男の戦い方を見るに及んで、ソランはいつまでこの戦いが続くのかと訝った。このまま続けて、もしどちらにも決定打がなければ、最後には時間切れの引き分けになるかも知れない。――そのような予感が脳裏に浮かんでは消えた。
そのようなことをソランが考えていた頃、ミラーグラスの男は弾を全て撃ち尽くしたアサルトカービン(自動小銃)と腰のホルスターに装備していた二丁のピストルを適当な場所に捨て、オートマチック銃を両手に握って応戦していた。しかもそのときには、両銃とも弾の半数以上を撃ち尽くし、残りはわずかだった。
だがその間に多くの情報を得ることができたことは収穫だと思っていた。
例えば、相手の手足が変化して鉤爪になったのを見て、こいつは魔物か変身系の術者かのどちらかだろうな、と見なしていた。
ナイフを片手で投げる場合は止まってでも動きながらでもできるが、両手投げの場合は一旦止まってでないとできない。
投げ分ける位置と順番がいつも決まっている。頭、胸、腹部の中心を同じパターンで正確に狙って来る。
投げ方に一定のリズムがあるようだ。
足の運びが直線的。平行移動はまずまずだが斜めの動きに難がある。
素晴らしい跳躍をするが着地してからの動きがぎこちない。――とソランの動作の癖を直感的に見切っていた。
そうはいっても男の方も、もうそろそろ危うくなって来ているのは確かで。だがその対策に関して、男は抜かりがなかった。
それまでわざと消極的な戦い方を続けながら、その一方では、獲物をワナに追い込む手法を頭の中でパズルを組み合わせるように考えていた。
その前提として、隠しておいた爆薬の位置を少しずつずらしていったり、新たに仕掛けたりしていった。ちょっと種明かしをすれば、男のミラーグラスには、周辺にとけ込むように見えなくしていた武器弾薬を探知できるセンサーが内蔵してあった。
そのとき爆発音がどこかでして空気が震えた。ふと振り返ると、末期の悲鳴と共に、連れて来た最後の猟犬が土煙と一緒に宙に飛ばされていた。男は耳栓をしていたので何も聞こえなかった。けれどもその情景だけははっきりと目に刻んで、あいつの仕業だなと直ぐに理解した。見れば、構内に放置した全ての荷物が破壊されてしまっていた。
男は気付かれないように回り込みながら、肉食動物が獲物に狙いを付けるときそのままに、相手との距離をおおよそ見定めた。
「距離は約百四、五十ヤードといったところか」
すると、向こうがちらりとこちらを見て振り返った。直ぐに、
「これで追いつめたつもりか!」と、唇を舐めながら皮肉気味にあざ笑った男は、もうそろそろ良い頃合いだと、さっそく両手に持っていたオートマチック銃をショルダーホルスターに一時納めると、大胆な行動に出た。勝利の方程式が完成したのだ。
「見てな」
ミラーグラスの男は即行で偽装効果を無効にすると、時間をおかずに斜め後方へ駆けた。途中わざとつまずいて転んだ。そして、そこに隠しておいた煙幕弾とスタングレネード弾とを両手に持てるだけ持つや否や、急いで後方に放り投げた。次の瞬間、目がくらむほどの眩しい白色光と共に爆竹が次々と破裂したかのような甲高い爆発音が続けざまに鳴り響き、同時に濃厚な灰色の煙が周辺にもうもうと立ち上り、たちまち男を隠そうとした。
だがそれをソランが黙って見逃すはずはなかった。
何であるかは分からないが、きっと男に都合の悪い事が起こったに違いない。でないと急に逃げ出すなんて有り得ないことだし。ともかくこんな好機はないと、目がくらもうが酷い耳鳴りがしようが何のその、白い残像めがけて指に挟んだ三本のナイフを、迷うことなく投げつけた。
たちまちナイフはもうもうとした煙の中に消えていった。その瞬間、ソランは手ごたえを感じた。ナイフが何かに刺さって貫いた感触があったのだ。さっそく彼は距離を詰め、あっという間に現場付近に辿りついた。
だがそこには男の気配がなかった。ソランはその場で呆然と立ち尽くした。嫌な予感がした。そのとき初めてドキッと心臓が波打った。
(しくじったのか。それとも、もしや一杯喰わされたのか?)
ふと気が付けば、視覚と聴覚が一時的に麻痺した状態で、煙幕の煙がどんよりと漂う中にいた。
(嗚呼、耳がガンガンする。目の前も真っ白だ)
そのとき、後ろ辺りに轟音と共に鈍い閃光が走った。ほんのわずか遅れて、直ぐ前方からも左右からも同じようなことが起こった。瞬間、地面が揺れた。
即刻危険を感じたソランは、一刻も早くそこから離れようとした。終いには翼を出し空を飛んででも逃げようと試みた。だが、身体の力が抜けるような原因不明の強烈なしびれを下半身に感じた。
果たして、あっという間に巻き起こり高熱風と化した爆風が、動けなくなった状態のソランの元へ凄い勢いで大量に流れ込んできたかと思うと、彼を乱暴に手玉にとって、遥か上空の彼方へと連れ去っていた。
その頃、ミラーグラスの男は爆発があった地点から遠く離れた壁際辺りにいた。一時的に避難をしていたのだった。四隅の方は万が一のことがあった場合、逃げ場がないとして避けて、その地点に決めていた。
ここまでは全て上手くいっていた。故意にトラブルが起こったように見せかけて相手をおびき寄せたところに強力な爆弾を爆発させるという筋書き通りだった。爆弾が爆発するまでの足止め用に使った煙幕弾やスタングレネード弾やダミー人形や輪の中に入れば一時的に拘束をするトラップなどの小道具はいずれも有効的に働いていた。
だが男は必要以上に用心深かった。
男の片側の肩には、およそ四フィートの長さの円筒にロケット弾が装弾されたロケットランチャーが載っていた。もちろんロケット弾は、人外殺傷に多大な効果をもたらすという魔石を含有した特殊弾だった。
そして、既に撃ち捨ててしまい空っぽになっていた腰のホルスターの一方には真新しいレボルバーが納まり、それ自体は色鮮やかな赤銅色をしていた。またレボルバーには、彼の切り札である銃弾が一発だけ装填されていた。
あの爆発を見て、これで終わったと男は見ていた。今までの経験からいうと、あの爆発の威力からしてタダで済むことは先ず考えられないことだったからだった。
並みの人間なら蒸発しているか炭化している筈だったし、強固な身体をした人外は黒焦げになっていた。防御系の能力者は干からびてミイラ状態になっていた。例え耐え抜いたとしても空高く飛ばされ地面に叩きつけられた時点でほぼ終わっていた。
だがこれくらいのことで終わるのであれば、話は簡単だった。他の誰かが既にやっていてもおかしくなかった。ところが誰もが倒せず逆に殺られたとなると、それは運がなかったのか、相手が悪かったということになる。そしてもし相手の力が一枚上であったとすれば、おそらく誰もが敗れた要因は自己過信か詰めの甘さであったのではないかと男は考えていた。そういった理由で、まだ相手を侮ることができないと、このような極めて慎重な行動を取っていたのだった。
そうして案の定、男が考えた最悪のシナリオ通りになっていた。
一分ほど経って、それまで淀んで視界を妨げていたほこりっぽい空気がようやく見通しが効くようになった頃、ちょうど反対側の壁際に相手が立っているのが分かったからだった。
「あれを喰らってもまだピンピンしていられるということは、いよいよ本物のようだな」
重苦しい表情で苦笑いしたミラーグラスの男は、直ちに敵に照準を合わせるとロケットランチャーの引き金を引いた。切り札を使わなくても、これだけでも十分勝算があった。
ミサイルと同様、先端に目標識別センサーがついたロケット弾はほんのわずかなタイムロスがあったものの、炎と煙の尾を引きながら、目標であったソランに向かって真っすぐに飛んでいった。
実際のところ。男が目撃した通り、ソランは生きていた。但し、目も耳もまだ元に戻っていない上に、立って居られないほどふらふらの状態だった。
気が付いたとき、地面に倒れていた。直ぐ傍に高い壁があった。どうやらここまで吹き飛ばされて来たと思われた。
身体がスッと浮かんだところまでは覚えていたが、それ以上のことは何も分からなかった。その間の記憶は欠落していた。
ふと気が付けば、身体はほとんど傷ついていなかったが、パトリシアに用立てて貰った服がズタズタに避けて黒い体毛が覗いていた。そして、身体が重く疲労がピークにきていた。身体を強化することは体力を必要以上に消耗するのを知っていたから、どうやら必要以上の防御行動を無意識に取ったのが原因で、そうなったらしかった。
周辺の視界はやや悪かった。発煙弾の煙は先の爆発から生じた爆風で一掃されていたようだったが、爆発の際に発生した土煙や細かいチリが周辺をさまよい視界を妨げていた。
視界が悪かった事と敵の気配がなかった事を良いことに、片膝をついた状態でソランは一息つくと、ぼんやりした頭の中を一旦整理してみた。
相手のワナにかかったが運よく助かった。だが体力はもうそろそろ限界にきている。身体を動かすのもおっくうだ。この上は普通に戦うことはできない。ではどうすれば……。
短い時間で導き出した安直な答えは、こちらが動けないのなら向こうも動けなくすれば良いというものだった。
直ぐにソランは、思いついた案を実行に移した。
鉤爪に変えた指の間から漆黒色をした円盤を取り出した。それは直径二フィート(約61センチ)ぐらいあり、内側に指が五本十分に入る楕円形の穴が幾つも開いただけのもので、刃は付いていなかった。
その武器は、鉤爪の超微細振動を使って駆動する関係でナイフと違って直ぐに投げられるものでないことと、極めて高速回転で飛行する分、動きが遅い傾向があり。従って、相手に直ぐに避けられてしまう欠点があった。しかしながら、少しの力で駆動でき、しかも自在に遠隔操作できるといった優れた点を持っていた。
実際、この武器で相手を攻撃するには、自身が囮となるかして相手の注意を引きつける必要があったが、そこまで深く考えてはいなかった。それまでのいきさつから、あの男は狙って倒せる相手でないと認識していたので、それなら出合い頭にやるのはどうかと考えて、使って見ようとしただけのことだった。
ソランは、鉤爪の指の間で円盤を高速回転させると、右の方向に向かって飛ばした。同じ方法で作成した二つ目を反対の方向へ飛ばした。彼が同時に操れるのは二つまでだった。二つは地面すれすれを旋回しながら飛ぶと、ゆっくり遠ざかっていった。
それが済むと、もうちょっとの辛抱だと自分に言い聞かせ、くたくたの身体で立ち上がった。
その瞬間、バズーカ砲の発射音のような音が聞こえたのと、前方から何かがやって来るのが分かったのがほぼ同時だった。
ソランはとっさに鉤爪の方の手でそれを受け止めていた。あっという間に、ソランの身体のほぼ中央付近に赤い火柱が立った。ロケットランチャーから発射された特殊弾が彼に命中したのだ。
その衝撃で、彼の身体は軽く後ろへもっていかれていた。彼は放心したような表情で、およそ二、三十ヤードほど吹き飛ばされ、最後に壁へとぶち当たると、そのまま壁下へ崩れ落ちていた。
一方、突き刺さったような格好で彼を壁まで押しやった赤い柱状のものは、そのときには燃え尽きたように白い灰状になって地面へ落下していた。
その光景を、約四百ヤード近くあった距離からじっと目を凝らして見ていたミラーグラスの男は、身の丈三十フィートのモンスターぐらいは一撃で風穴を開けてしまう強力な対人外用の特殊弾でも無事だったのかとうがった見方をすると、直ちに撃ち終わったランチャーを捨てホルスター内の真新しい赤い銃を抜き、背筋を真っ直ぐに伸ばし半身に身構えた姿で立ち尽くした。そうして、表情なく壁にもたれかけるように座り込んだソランに向かって銃口を向けた。
ただ男は直ぐには撃たなかった。一先ず息があるかどうか慎重に確かめた。銃弾は高価な品であったことと、銃に一発しか装填していなかったからだった。
しかもそのとき、視界が余り良好とは言えなかったこともあり、より正確さを期す意味で銃に標準装備したレーザーサイトを使った。
そのこと自体は自身の居場所をはっきりと晒してしまう危険性があったが、再び身体全体にカムフラージュを施していたこともあり、とりあえずは大丈夫だろうと見ていた。
そうしてレーザーサイトの緑色のビームが、すっとその場から立ち上がり、頭を振った標的を捉えたとき、
「やはりな」
奴は生きていると、即座に断定した男は銃の引き金に指をかけた。
百パーセント俺の勝ちだ。これで成り上がれる。
そのとき、勝ちを意識した男の頭の中で集中力が研ぎ澄まされて、全ての雑音が一瞬だけ消えた。次の瞬間、
「ダーン」「あっ!」
銃声が鳴ったのと、ミラーグラスの男が思わず小さく叫んだのがほぼ同時だった。
正確に狙いを定めた筈なのに、なぜか一番肝心な銃口が斜め上を向いていて、銃弾が上空の彼方に消えていった。
一発で決めるつもりで集中していた為、男には何が起こったのか直ぐに分からなかった。突然足払いされたように身体が宙を跳んでいて、斜め向きにもんどりうって地面に叩きつけられていた。
そこで初めて息が詰まるようなしびれ感と共に鈍い痛みを下半身の付近に感じた男は、痛みを感じた方向にふと視線を向けた。
「こ、これは……」 男は急に表情を硬くすると、額に冷や汗がにじんでいた。
ソランは凄く疲れていた。本当は今にでも立ち止まってほっと一息つきたかった。が、もしそんなことをすれば相手に弱みをみせることになるからと、そのような気持ちを抑えて普通に小走りで駆けていた。
すると数十ヤード先に、カムフラージュ効果が完全に消えたミラーグラスの男が、肩で息をしながら、疲れ切った表情で地面に座り込んでいた。
「……」
これだけうまく行くとは思ってもいなかった。
いきなり壁まで飛ばされたのは正直驚いたが、痛みが感じない鉤爪で受け止めていたので何の問題もなかった。
攻撃を仕掛けてきた相手に向かって当初ナイフを投げ、相手が右か左へ避けたところを、その付近で待ち伏せさせていた円盤で仕留める計画だった。はっきり言って運頼みに近かった。ところが先に向こうから居場所を教えてくれたのが幸いした。しかもわざわざ立ち止まってくれたので狙いが定まった。直ぐに予定を変更して左右から狙って行く作戦に移行し、一つは地面すれすれを、あともう一つは胸辺りの高さになるよう二段構えにして強襲した。
その結果、直ぐに相手がおかしな倒れ方をしたので、もしかしてやったのでは、と思った。
それが確信に変わったのは、倒れた男の付近に二つの物体を発見したことだった。それは男が履いていた白いブーツで、二足とも血だらけの生身の足が中に残っていた。
実際のところ、目の前の男はかなりの深手を負っているようだった。
彼は特徴であったミラーグラスを外した状態で片方の手にオートマチック銃を持ち、もう一方の方は上体を支えるつっかい棒にして地面に座り込んでいた。見たところ、両方の足首はやはり欠如していた。他にも、男の胸の付近が血に染まっていた。といっても、純白の衣装は液体を弾く性質を持つらしく、流れ出た血は全て下に落ちて地面に吸い込まれていた。
もはや息をしていないか虫の息なら、その方が都合は良かったが、まだそうもいかないようだった。
よって、いつでも攻撃に移れるように、警戒は怠っていなかった。
あともう少しで普通に会話できる、十五ヤード(約13.7メートル)内外の距離まで近付こうとしたときだった。
「近付くな。それ以上近付くんじゃねえ。近付けば道連れだぞ!」
ソランの方向に振り向いた男の声が鋭く響いた。次の瞬間、戦いが始まる直前のような緊張感が走った。
ソランは反射的に立ち止まると、指先で二本のナイフを弄びながら、落ち着いた低い声で言い返した。
「何だ!」
すぐさま男は、苦味走った精悍な顔で暗い表情のソランをにらみつけると、
「それ以上近付けば強力爆弾を爆破すると言ってるんだ」
男は直ぐ近くの地面に置かれた、トランプケースぐらいの大きさの銀色に輝く箱にオートマチック銃の先を向けていた。
「このケースはな、爆弾の起爆装置だ。それを爆破すると言ってるんだ」
目が血走った男の額から大量の汗が溢れ、それが頬へ伝って地面へ滝のように流れ落ちていた。
男が銃で狙っていたケースには切り札の銃弾の残りが入っていた。起爆装置ではなかったがそれに近かった。男の一世一代の勝負手だった。
ちょうどそのとき、男にとって明らかに不利な戦況だった。
気が付けば、両方の足が足首のところから吹き飛んでいて、立ち上がろうにもそれができなかった。
いつものように吸った精神高揚ドラッグのおかげで、怪我の痛みは麻痺していてそれほどではなかったが、動脈の太い血管が切れているのか出血量が生半可でなかった。
この身体と残された武器で何ができるのか考えたとき、怪我をした状態のまま戦う。潔く負けを認めて為されるままになるか、又は自殺する。どうにかして相手を道連れにするなどであった。
だが男は、生まれながら諦めが悪かった。どんなことをしても生き残ろうと決めていた。
「すると」冷やかな目でソランは男を見た。対して男はにやりと笑うと、
「ああ。このまま時間がくるまでじっとしていて貰おうと思ってな」
「なぜそんなことを」いぶかし気に尋ねたソランに、男はいかにも不快という顔をすると声を荒げて応じた。
「見れば分かるだろう。どう見たってこれでは俺に分が悪いんだ」
「……」
確かに男の言う通りだった。
しかしながらソランは、これには裏があるのではないかと疑い、ナイフを指先でぎゅっと握っていた。もし不穏な動きが少しでもあれば即刻殺るつもりだった。そこにはロウシュの忠告が良く効いていた。
そんなとき、男がソランを再びにらみつけると、苛立った声で叫んで来た。
「おい、黙っていないで答えろ。さもねえと、お前の連れの女も一緒に道連れだからな。あの真っ赤な服装をした……」
相手の動向からこのままではヤバいと水を向けてきた男に、赤い服装の女とは、パトリシアを差していると見て間違いないと感じたソランは、鋭い目つきで急に表情を硬くすると、強い口調で叫んだ。
「おい、どういうことだ!」
「どういうことかって。ふん、分かり切ったことよ」
馬鹿にしたような笑みを浮かべてそう応じた男は、歴戦の強者らしく、ソランのそのような挙動を見逃すはずはなかった。これは訳ありだな、と察すると、頭の引き出しの中を直ちに探り、それまで蓄積したかけ引きのパターンから、この場面に最適だと思われる話を取り出し、言い添えた。
「俺はな、先回りして、どの部屋とは言えないが、ともかく手当り次第に、威力が半端じゃねえシート状の爆弾を一部屋あたり五枚ずつ仕掛けて回ったのよ。それがこの起爆装置と連動しているという寸法だ。いかにお前の仲間が強くたってよう、不意を突かれりゃひとたまりもないはずだよなぁ」
「なぜそんな馬鹿な真似を」一瞬凍り付いたソランの表情に憤りと当惑が走り、ナイフを持った指先が小刻みに震えた。
「だろうな。だが俺はある事情があって負けるわけにはいかねえんだ」
「じゃあ、どうすれば良いんだ」
「簡単なことよ。先ずは両手を頭の上に上げろ。もちろんナイフをしまってな。鉤爪の手も足も元に戻すことを忘れんな」
「それで良いんだな」目を吊り上げてソランは冷静に訊いた。
「そうだな。それから、そのまま時間が来るまでじっとしてろ。その間、俺の質問に答えて貰おうか。拒否はもちろん許さねえ。正直に答えるんだ。その間、ちょっとでもおかしな真似をしやがったら……分かっているだろうな」
「ああ、分かった」
ソランは歯がゆい思いだった。だが、パトリシアさんの命という弱みを握られている以上、ここは我慢するところだ、と自分に言い聞かせた。
そうはいっても、こいつは二人とも葬ろうとしている危険な奴に違いないのだから、これ以上無茶苦茶な注文を言ってきたらそのときはそのときだ。そのときにはこの命を懸けても絶対始末をつけなければならないと覚悟を決めていた。
「これで良いか」
乱暴にそう伝えると、さっそくソランはいまいましげに男の命令通りに従った。それを見た男は無表情で小さく頷いた。ここで不意を突いて一戦交えたとしても、動けない身ではおそらく良くて相打ちが相当だろうと想定していた。
「それでは訊くぜ」
「ああ、好きなようにしろ」
身じろぎもしないで、ソランは吐き捨てるように言った。男はやや青ざめた顔で苦笑いすると、切り出した。
「それでは一つ訊きたい。お前達は二人だけでこの基地へやって来たわけか?」
「ああ、そうだ」
「他のメンバーはここへはやって来ていないわけか」
「ああ。そうだ」
「連れの女の方も、もちろんロザリオのメンバーだよな」
「ああ」
「まじか。それじゃあ、女の名前は、何て言う名だ」
――――そのようなやり取りが、残りの六分足らずの間、淡々と続いた。
その間、このような近い距離でやり取りをすること自体は、情報を取る以前に、相手に考える余裕を与えない、不審な行動を監視するという目的でそうするのだと考えたソランは、途方もなく不機嫌という顔で、いい加減な返事を繰り返した。
もちろん、相手が隙を見せないかと注意を払うことも忘れてはいなかった。少しでも隙があったなら、目の前にいる卑怯者の息の根を止めるつもりでいた。
一方、男の方はというと、本当は勝負を決したかったが、予想もしなかったことが続いた結果、展開の綾で運悪くこういうことになってしまってはどうしようもない。引き分けに持っていったとしても、自身の経歴が傷つくことがないことから止むを得ない選択かと、自身にとって都合の良いように解釈をしていた。
そしてやり取りを、時間稼ぎのためにそうやっているように見せかけようとしていた。
実は、男が負った怪我は想像以上に重症といって良かった。通常なら失神していてもおかしくなかった。だが男は不屈の精神力で対処法を講じていた。怪我を負った直後に要領よく、鎮痛効果がある薬を相当量鼻腔から吸引した。薬の効果で、直ちに痛みがひいていた。
ところが、多量の出血からくるショック症状で意識の混濁が起きていた。特に、傾眠が酷かった。これだけはどのような薬の効果をしても完全に抑えることができなかった。じっとしていると徐々に意識が遠のいていく感じだった。
ソランから聞き取りをする行為自体は、その眠気を何とかして断ち切ろうとした苦肉の策だった。
やがて男の注文通りに事が運ぶと、待望の時が来た。
男は紫色になった唇に笑みを浮かべると、勝利者の顔でソランを見た。ソランは少し戸惑いの表情を見せて咳き込むと、悔しそうに唇をかんだ。
例の車両が到着するまでの間、男の意識ははっきりしていた。気丈に振る舞っていた。ところが車両が直ぐ傍に停止し、係員が下りてきて間もなく、それまでの無理がたたったのかひきつったような笑い方をすると、目を見開いたまま気を失っていた。
その光景を、ソランは抜け殻のように立ち尽くして見ていた。
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