第7話

 先ず、そうだな。国道一号線に出るんだ、そこから南に向かって車を走らせるんだ。ずっとずっと、ずっとだぞ。二、三時間も走れば目の前に小高い丘が見えて来る筈だ。一号線はその丘の下を縦断するようにトンネルで通じている。そこまで行かない内に、道路の両側に大きな工業地帯が見えて来ると思う。目印は円筒形の建屋だ。目印はどこかの工場の貯蔵庫か何かだと思うが。とにかくそれが幾つも両側に見えるから、その直後の広い交差点を右折するんだ。良いか、右折だぞ。後は簡単だ。そこをずっと行ったところに黄色い大きな建屋が見える筈だ。そこが目的地だ。時間は四時スタートだから三時過ぎまでには必ず来てくれ、と言った男からの先の連絡に従って、パトリシアは当日の午前十一時に、昨日連絡をすると喜んで来てくれた青年を伴い、白の小型セダンのレンタカーを足にして自宅を出ていた。

 その日は土曜日であったこともあって道路は比較的混んでいた。そのせいで、一般道から国道へ出るのに普段より三十分以上手間取った。が、それ以外は何もなく順調だった。

 途中でサービスエリアに三度、立ち寄った。一度目は車中で食事を摂るために軽食と飲み物を購入する目的で、残りの二度は運転休憩を取る為だった。

 行く先々で飛び込んで来た景色は、男が話したのとそれほど大差はなかった。 少し補足すると、小高い丘と男が言ったのは国立公園の入り口にあたる岩だらけの小山で、その延長線上には六、七千フィート級の山々の峰が連なるようにそびえていた。また工業地帯と男が表現したのは、そう見えなくもなかったが、寧ろ企業団地という言葉の方が合っているように思われた。と言うのも、目印と言った円筒形の建屋は、工場の貯蔵庫というのはその通り当たっていたが、白い円筒形の建物はセメント工場のサイロ塔。銀色をしていたのは製粉工場のサイロ塔で薄水色をしたのは化学工場。一方、銀色で先端が尖る形をしていたのはバイオ燃料工場の貯蔵サイロ塔と、一つの区域で多様な業種の企業が見られたからだった。

 黄色の建屋に関しては、通った路が片側二車線の道路でそれ程車の往来がなかったことと、付近にそれ以上大きな建物がなかったことで直ぐに見つかった。それもそのはずで、周囲には五十フィート(15メートル)以下の建物が多かった中、その建屋の一部はその倍の百フィート(30メートル)、ビルで言えば六、七階建てに匹敵するものだったのだから。

 どんよりした曇り空の中、午後の三時前に建物が建つ敷地付近に到着した。満足の行く時間だった。


 男はその後どうすれば良いのかについても詳細に話していた。

 普段は敷地の周りを有刺鉄線の金網で覆って立ち入り禁止になっている上に、警備会社の監視カメラが敷地内を監視している関係で人や車は入れない。だが一ヶ所だけ入れる場所がある。それは裏門だ。どれが裏門かは建屋の周りを一周すれば直ぐ分かる。開いているのが裏門で、閉まっているのが正門だ。

 非常に分かりやすい説明だった。なるほど理屈はその通りだわ、とパトリシアは素直に思った。


 聞いた通りに周囲を徐行しながら巡ると一周六十分ぐらいはかかりそうに見えた、ほぼ長方形をした建物の敷地の正反対方向で、正門と裏門がそれぞれ見つかった。

 案の定、建物が直前に見えていた正門は厳重に締め切られていた。また移動式の監視カメラ数台が周囲を監視していた。

「そこの建屋は、元はさる大企業の持ち物で、少し前に経営が行き詰って閉鎖したんだ」との男の指摘通り、門の表札にはメーカーの依頼で製造だけを請け負う、外資系の大手法人の名が残っており、およそ半年前の日付と共に、諸事情の理由で工場を閉鎖します、と書かれた看板が目立つ場所に掲げられていた。

 そして裏門に回ると、確かにそこだけは横開き式の門の一部が開いており、車一台分が通れるぐらいの隙間があった。おまけにそこにあった監視カメラは正門に取り付けられていた物と同じものだったにもかかわらず全く動く気配はなく。どうやら機能を停止しているようだった。

 門を入った直後に、おそらくは社員専用だったのだろう、三千台は駐車できると考えられた広大な駐車スペースが現れた。だが、長く放置されている為なのか舗装された地面の所々には人の腰から背辺りまでありそうな緑の雑草が茂っていた。


 彼の男の更なる説明はこうだった。

 門をくぐったら、前方の奥の方に車が五十台ぐらい縦列駐車で止まっている場所が見える筈だ。そこまで車を移動させて、車を同じように置いたら後は歩きだ。 直ぐ目の前に一番高い建物が見える筈だから、それを目指して歩いて行くんだ。 一分も経たない内に路の両脇に監視カメラや誘導灯やらのポールがひんぱんに現れるから、ずっとその路を行けば良い。行くと、必ず人だかりがしている筈だ。 俺はそこで目印として白い手袋を着けて待っているからな。忘れるなよ。

 但しだ、その日はうちや他の組織から、そうそうたる人達が集って来てるんだ。ゲームに出る人間はどんな格好でも自由なんだが、付き添いはそういうことで目立つことは厳禁だからな。服装はどちらかと言うとフォーマルなものが良い。それで来てくれ。


 そういった理由で、出発当初は白のブラウスにジーンズとごく普段の格好だったパトリシアは、最後の休憩のためにサービスエリアへ立ち寄ったとき、そのついでとばかりに、メイクで顔を全く別人のようにした上で服装も着替えていた。

 従って車を運転していた彼女の姿は、膝丈までの長さの黒のオーソドックスなワンピースの上から黒のジャケットを羽織り、足元は黒のストッキング、黒のパンプスで決めていた。ついでに、いつもなら自然に流しているブロンドの髪をシルバー色の髪留めクリップを使って後ろの方で一つにまとめ上げ、普段は掛けていない黒縁のメガネを掛け、厚みがなさそうに見えるショルダーバッグを片脇に置いていた。見ようによっては、どこかの法人の社長秘書のような。違った見方をすれば、葬礼に向かうような格好だった。

 一方、助手席の青年の方は、元々が黒系の服を好んで着ていたこともあり、その点で問題がなかった。そのときの出で立ちは黒のシャツの上から黒のライダースジャケット。黒のジーンズに同色のブーツと、どこにもいそうな若者の格好だった。


(後は車をどこへ停めるかだけれど?)


 そう考える必要もなかった。男が言った通り、奥の方の一角、駐車スペースが丁度途切れる辺り、建物が固まって建っている付近に、聞いていた車の車列が見えたからだった。

 ゆっくりと安全運転をしながら近付くと、車はどうやら一ヶ所に停められている訳ではなく、大きく分けて七つの集まりに分かれて停められているようだった。

 その件に関して、男の話じゃ五つの組織が競争している筈なのにと不思議に思ったが、恐らく二つの見届け役の組織が別に来ている訳なのね。そういった答えを導き出すのに一秒も掛からなかった。それを物語るように、七つの集まりの各々に車の見張り役なのだろう、一人か二人の人影があった。

 もっと近付くと、黒、シルバー、ホワイト、ブラウン、ワイン系、バイオレット系とカラーが様々なワゴン車、セダン、スポーツタイプの車がずらりと停められているのが分かった。どの車もパッと見ただけで、最高級車と思われる車種だった。

 そこからパトリシアは車の方向を変えると、ずらりと並んだ車の列から横方向に百ヤード(約90メートル)ぐらい離れた先に見えた、鳥が種を運んで自然に生えたのか人以上の背丈に伸びた一本の名も分からぬ雑木に目を止めると、その直ぐ近くへ車を移動して停めた。緑の葉をいっぱいつけた木を目印にすることで、車の駐車位置を遠目から見ても分かるようにするためだった。


 彼女は腕時計で時間を確認した。午後三時十分。開始時間まであと五十分あった。時間ぎりぎりに来て俺に恥をかかすんじゃないぜ、と言った男に、余裕で来てやったわよと言い返してやりたかった。


「さあ、行きましょうか」決心したようにパトリシアは大きく息を吐き出すと、助手席の青年に声を掛けた。「はい」と青年が陽気な顔をわざと作って応じた。


 二人は車から下りると、聞いていた通りに高い建物の方向へと向かった。

 人気のない路を青年と並ぶようにして歩いて行くと、黒くて巨大な何物かが一瞬、物陰で動くのが目に入った。良く見ると、それはカラスだった。人なつっこいのか近付いても逃げる素振りはせずに、黒い目でじっとこちらをうかがっているようだった。

 改めて見回すと、物陰やら家屋の屋根や駐車スペースの辺りで、カラスが気持ち悪いほどいて、それらが群れを作っていた。さながら黒い巨大なゴキブリが多数集まっているようだった。


 パトリシアはぽつりと呟いた。「人がいなくなってカラスの棲み処となっている訳ね」


 青年は微笑んだだけで無言だった。


 路の周辺に建つ建物も一番高い建物も、外観は何れも箱型をしていた。その周囲には換気ダクトらしきものが見えるだけで窓が無かった。それらが全て明るい黄色にぬりつぶされていた。黄色になっていないのは濃いグレー色をした舗道と道端に生えた草木ぐらいなものだった。


 そのような景色の中を一分も歩かない内に、男の言った通り、およそ三百十ヤード(270メートル)先に人だかりがしているのが見えて来た。想像していた通り、その全員が黒っぽい地味な服装をしていた。

 瞬間、パトリシアは人だかりを見つめたまま、嫌な物をみるように目を細めた。男達はてんでんばらばらにいるのでは無くて、固まって集っていた。しかも、目標の高層建築物を厳重に防護していた人三人分ぐらいの高さがありそうな塀の直ぐまん前、五十フィート(15メートル)ぐらいの道幅の路(ちなみにその片側は黄緑色が色鮮やかな生垣が続いていた)のほぼ三分の二を占有するように、ひとかたまりとなっていた。さしずめその付近で葬式が行われているような情景だった。


「どうやらあそこみたいね」


 餌に群がる働きアリのように、うじゃうじゃいるようだった黒っぽい集団を遠目から見た彼女は、直ちに先に見たカラスの群れと重ね合わせていた。「そのようですね」と、青年がしっかりした声で返して来たことも分からぬ程に。

 あそこにたむろしているのは全員素人じゃない、現役バリバリの組織の人間なのよ。それも中途半端じゃない方の。それを、ジョニー・ペンソンを知りませんかと一人一人尋ねて回るなんて。とてもできっこないわ。あの野郎、白手袋なんて目印にしないで、どうせならいつものように金ぴかの服装で待つとか、なぜそう言わなかったのよ。みんなカラスみたいに同じ服装をしていて、これじゃあ見つけ出すのに一苦労じゃない。などと、一足先にこの付近辺りに来て待っていてくれなかった男に恨みつらみを吐いていた。

 だがここまで来た以上は、もう後へは引き下がれない。でもどうすれば?

 あの中から男をどのようにして捜そうかと考えた彼女は、それまでの経験から一つの良案を思い付いたのだった。


 彼女はその場に一旦立ち止まるや、直ぐ横を歩いていて同じく歩を止めた青年の顔を覗き込むと、にっこり笑った。


「これから依頼主を捜さないといけないんだけど、みんな同じような服装でしょ。この調子じゃ見つけるのに一苦労しそうなの。そいつったら目印に白手袋をしているというんだけれど、そんなのじっくり見てみなけりゃ分からないし。で、一度あの中を行き過ぎようかと思うの。それからざっと全体の様子を見渡して捜した方が早いんじゃないかと思ってね。どうかしら? ソラン君」


「なるほど」と事情を聞いた青年は同意した。「良いんじゃないですか。それもありと思いますから」


「それじゃあ行きましょうか。誰とも目を合さずにね」


「はい」


 パトリシアは、さっそく視線を前方だけを見るように持って行くと、一切左右や下を見ないようにして歩き続けた。そうして、人だかりが無くなるおよそ二百ヤード半に渡って歩き続けた。青年も同じように従った。

 二人がさっそうと歩いて通過する間、共に黒っぽい地味な格好だったことと、百ヤードという短い距離の中に複数の組織の人間が集合していたことなどで、どこの集団からもとがめられることはなかった。

 あそこに集まっているのは一つの組織だけではないのだから、例え不審者が目の前を通ったって、お互いに相手の組織をけん制し合って声を掛けて来ることは先ずないわ、と考えた通りになった。

 だがその中でたった一つの想定外であったことは、男が声を掛けて来なかったことだった。それについて、――あいつは下っ端だから上役のご機嫌取りに忙しくて私達が来たのをきっと見逃したのよ、と解釈していた。

 ともかくもパトリシアが取った行動は正しかった。通行人のように普通に通り過ぎることで相手の潜在意識(無意識)に一度見たという印象を植え付ける手法は功を為したらしく。一度通り過ぎた後は近くに立ち止まって回りをじろじろ見ようが、ゆっくりと引き返しながら眺めまわそうが、どの組織の人間も二人の様子から人捜しをしていると勝手に解釈し(事実、そうであったのだが)、怪しんだり言い掛かりをつけたりする者は誰一人として出て来なかった。

 それで気持ちが一気に落ち着いたパトリシアは、これ幸いと道路に集う七つの集団をじっくり観察することができたのだった。

 だがしかし、耳を澄まして聞いたり、余りしつこく見たりする行動は、相手から疑いを持たれるからと、その点は注意していた。

 それ故、自然と耳に入ったのは、「勘弁してくれよな」「嗚呼……」「大変だな」「……どうかな」「……もらいたいね」「うんざりだぜ」のような尻切れトンボの意味不明の話し声だけで。はっきり言って一体何のことやらさっぱり分からず。耳からは男の手掛かりは何もつかめなかった。

 だがその一方、できるだけ相手と視線を合わさぬように少しうつむき加減の姿勢を取り、ちらちらと回りをうかがって回ったことは、各組織内の様々な形態が見られ意味深かった。


 例えば、十人以上の男達で人垣ができたその中心部分には、丸テーブルと簡易のイスが真紅色のカーペットが敷かれた上に、それぞれあつらえられてあった。だが組織によっては専用のイスとテーブルを用意していたみたいで、外で使用するには不向きにみえる豪華なテーブルや革張りのソファが並んだ集団が半分近く見受けられた。

 そしてそこには、中年ぐらいの年齢に見えた人物が、シルバー、ブラウン、グレー、ベージュ、ペールピンクと云ったスーツにカラーネクタイと、各自思い思いの目立つ服装で腰掛けていた。その一方、彼等の後ろには、真新しい黒スーツに身を包んだ若い男達が直立不動のような姿勢で控えていた。組織の幹部と考えられた人物のボディガードに違いなかった。またその直ぐ傍では、二、三人の男が、その人物に向かって何かを低姿勢で話し掛けていた。

 幹部と考えられた人物はちらっと見ただけで、ゴリラ、カバ、熊、牛、豚、狐、セイウチ、ヘビ、ヤギ、ナマズ、カエル、人造人間、ペルソナ(仮面)と、直ぐにでもあだ名が付けられそうな特徴のある顔をしていた。そんな彼等は、のんびりと煙草をくわえた姿勢で何かを考え込んでいるようであったり、ぷいと横を向きながら不機嫌そうにガムをかんでいたり、気取った風に一方にコーヒーカップを持ちもう片方に食べかけのサンドイッチを持ち手下らしき男と話をしていたり、座ったまま携帯を耳に当てどこかに連絡していたり、片手に持った杖を弄びながら隣に腰掛けた同類の男と話に興じていたり、目の前で低頭平身する男に声を張り上げて怒鳴っていたり、或いはまだ日が落ちていないというのに何食わぬ顔で酒のボトルを一本空けていたりしていた。

 見て回る中で、女性もひとりいた。二十代後半ぐらいで化粧が濃いように見えた女だったが、目尻を釣り上げた顔で、傍にはべらせた男達をあごで使っている様はいかにも組織の幹部という風格だった。その前で震えるように頭を下げて、何やら言い訳をしている彼女より年がいっていると思われたいかつい男が、本当にこっけいで哀れだった。

 そうした中、幹部等と一緒にいたトレンチコート姿の男や、一人だけ頭からブランケットのようなものをすっぽり被って立っていた不審者や、街で良く見かけるいかれた格好をして組織の男達から少し離れた場所で立っていた輩はたぶんこのゲームの出場者なのだろうと考えられた。

 ところで肝心の男といえば、男が目印に指定した白い手袋を着けている者が、どういう訳なのか知らないが、一つの集団の中に一人から三人いた関係で、誰がその男なのか一度見ただけでは判断が付かなかった。これに関して、先ず考えたのは白い手袋を着けた者達はここに集まった中で何らかの任務を与えられているのではないかということだった。そこで最初に思い浮かんだのは、白い手袋を着けた者達は車の運転役ではないかということだった。もしそうなら、男があれほど詳しくここまでの行程を話せたことも十分納得が行くからというのがその理由だった。


 そんなことを考えながらパトリシアが、一度最端の方まで男達を粗方見終わり、何とはなしに再び折り返していたときだった。丁度真ん中当りの集団の中にいて、白い手袋を着けていた男に例の特徴的な傷跡があったような気がしたのだった。男はパトリシアに背を向けて、テーブル席の人物ではない別の男達にぺこぺこしていたのだが、そのとき大きな手振り身振りを交えながら話していたので、ふいに横を向いた男の横顔に例の縦に走った刀傷があったように思えたのだ。

 奴かも知れないと思ったパトリシアは、男の傍まで近付いた。そうして背後から男の肩をトントンと指で軽く小突くと、


「あのう、すみません」と、遠慮がちに声を掛けた。


 すると、それまで周囲の男達にへつらっていた男が振り返った。そしてちょっと不思議そうな顔をした。パトリシアは、それがかなり間の抜けた感じに見えたので思わず苦笑いした。


「はあ、何でしょう?」


 一度聞けば忘れられないガラガラ声が返ってきた。

 男のそのときの格好は、普段の金縁のメガネ、センター分けのブロンドのカツラ、金のアクセサリーだらけの姿ではなかった。恐らく、その日は周りに遠慮してなのか、差し障りのない縁無しメガネに七三分けになったカツラを頭に着け、アクセサリーは時計以外に全く身に着けていないようだった。そして顔の傷は、パトリシアが施術したものにほぼ間違いなかった。それらから当の男と確信した彼女は皮肉を込めた口調で尋ねた。


「もし間違っていたらごめんなさい。あなたはジョニーさんですわよね!」


「は? そうですが……」


 男はまだ分かっていないようだった。ぽかんとして、「どなた様でしょう?」と訊いてきた。それについてパトリシアは、――それはそうでしょうね。メイクで誰が見ても私とは分からないようにして来たんだから。ソラン君にも確かめて完璧だと言われたんだから間違いなくてよ、とにっこり微笑んだ

 だが彼女は勘違いしていた。

 男がパトリシアに連絡を入れたのは顔見知りであったからという理由ではなかった。単にたまたま携帯に履歴が残っていたのでそうしたまでだった。一度ぐらい会っただけの彼女の顔や特徴など、はなから知っている訳でも、覚えている訳でもなかった。

 男の考えとしては、自分の特徴さえ伝えて措けば、勝手に向こうから捜し出すだろうと、たかをくくっていたのである。そんな男のしたたかさを彼女は知る由もなかった。そこが彼女のお粗末というか抜けている点であったが、彼女の性分だからどうしようもないことだった。


 そこまで抜け目のない男だったとは露知らず、パトリシアはちょっと勝ち誇ったように男を見下ろすと、男に小声でささやいた。


「私よ、パトリシアよ。例の、頼まれていた人を連れて来たわ」


 途端に男のぼんやりしていた表情がひょう変した。話し口調がいつもの威勢が良いぞんだいな喋り方に変わった。


「やっと来てくれたか。すまねえな。助かったぜ」


「ねえ、これからどうすれば良いの?」


 男はそれには答えず、パトリシアの直ぐ近くにいて、「彼がそうよ」と彼女がさらっと指で指示していた青年を疑うように見た。


「これがそうかい?」


「ええ」


「話はあとだ」


 男はそうパトリシアに短く伝えると、すぐさま振り返り、それまで話していた周りの男達に目で合図を送って、「すみません。ちょっと」と、遠慮がちに頭を下げると、二人を直ちに少し離れたところまで連れて行った。そこで改めて青年を、頭のてっぺんからつま先までじろじろ眺めた男は、


「これが例の代役なのか?」


 そう切り出すと顔を歪めた。それにパトリシアは平然と応えた。


「ええ、そうよ」


 確かに青年は男より上背があったが、その見掛けは裏社会とは無縁のように見える素人っぽい容貌に、外観から肉付きはそうあるように思われず。どう見ても頼りない感があった。

 それらをさすがに微妙に感じ取ったのか首を捻る男に、パトリシアはすかさず続けた。

 

「若いけど、中々の腕前なんだから。どのくらいやれるか、ここであなたが体験してみる? そうすれば彼の強さが分かる筈よ」


「いいや、止めておく」男が簡潔に応えた。だが余程うれしかったのであろう、ほっとした顔に薄気味悪いほどの笑みを浮かべると言った。


「実はこう言っては何だがな、あれからお前のところ以外にも二、三当たって見てだな。どこからも快く了解を貰ってたんだ。ところがよ、今になってもまだどこも現れもしねえ。その中で二つばかり連絡をして見たんだが、向こうさん、寸前で怖気づいたのか知らねえんだが、全く携帯が通じねえ。連絡が付いたところもこれから行くって言うだけで、道に迷った、事故があって遅くなるからっていう連絡を寄こすばかりでらちがあかなくてよ。

 お前んとこが来てくれて助かったぜ。でなきゃ、最後の手段として兄貴の伝手を頼ってみようかと相談していたんだ。そこは連絡を入れりゃ直ぐにでも命知らずの人間を派遣してくれるという話なんだが、ところがよ、仲介料とか契約料やらで、どえらい金が要るという話でな。ちょうど兄貴達とどうしようかと頭を痛めてたところだったんだ。

 だが、これで俺も安心だ。有難うよ、感謝するぜ。兄貴達にも……」


 機嫌良く男が話している間、金の亡者で相手によってコロコロ変わる性格で人を丸め込んで騙すのを常套手段としていることから、巷ではペテン師のジョニーと評されているこの男を元々信じていたわけでなかったパトリシアは、どうせそんなことだと思ったわ、と納得済みの表情で平然と聞いていた。だが、いい加減一方的に話されると、こちらへやって来るまでに温めていた疑問を聞けなくなるわと、途中で容赦なく男の話を遮った。


「ねえ、そんなことより少し聞いて措きたいことがあるんだけれど」


 絶妙なタイミングで口を挟んだパトリシアに、男は一旦喋るのを止めると、彼女の顔をじろっと見た。


「何だ!?」


 すかさずパトリシアは言った。「それじゃあ聞くけど、このゲームをクリアしたら報酬はどこから貰えるの?」


「ああ、そのことね」ふ~んと男は上目遣いで考える仕草をすると邪魔臭そうに応えた。


「当然、このゲームを仕組んだところだろうな。俺も詳しいことは知らねえが、兄貴の話だと、このゲームを企画した奴から豪華なホテルか個人の自宅へ招かれて、そこで金を受け取る仕組みになっているらしい。そんなところだ」


「ふ~ん。じゃあ次ね。ゲームが行われている間、私はどうしてたら良いの。二時間の間、ここで立って待つ訳?」


「ふん、そんなことか」馬鹿らしいと言う風に男が続けた。「その辺でじっと待っていたら良いんだ。終われば直に連絡が来ることになってる。あ、そうそう。二時間は訂正させて貰う。実は始まった頃は確かに二時間だったが、余りにも結果が早く出てしまうもんで、三度目から一時間。そして、ついこの前は四十五分に引き下げられたんだ。だがよ、それでもスタートしてから三十分も経たない内にゲームオーバーよ。それで今回は三十五分に短くなったんだ。これぐらいなら待っていられるだろう?」


「ええ、まあ。それぐらいならね。けど、それって出場者が全滅したということよね?」


「ああ。そういうことになるな」


 他人事のように冷静に応じた男に、思わずパトリシアは訊いていた。


「すると今回も、そうなると?」


「さあな。それだけはやってみないとな。今回はどの組織も気合が入ってるんだ。情報ではどこも相当な人材をスカウトして来たって話だ。なんたって組織の意地とどえらい金が絡んでいるんだからな。

 確か前に話したような気がするんだが。どこの組織の人材が、このゲームをクリアするのか、組織同士が賭けをやっているんだ。ところが前回までこのゲームをクリアできた者が現れなかったので、賭け金がキャリーオーバーされていて。それが今回またしても誰も出て来ない場合は、それまでキャリーオーバーされてた金が全てパーとなっちまうのさ。つまり、談合して無駄な競争をしていると見なされ、賭け金が没収されて第三者の方へ行くっていう寸法さ。そういうことで、どこもそうならないように必死というわけだ」


「じゃあ、あなたのところも必死じゃなくて?」


「俺のところか?」男は白い手袋をした手で傷跡のある片頬に触れて撫でながら、またもやにやにやして言った。


「俺のところは、そうそう、言ってなかったかな。俺のところは、争いをしている組織の連中とは直接関係が無いのさ。つまり競合している組織が不正をしないように見届ける監査の役目を引き受けているんだ。その都合で賭けに参加できないんだ。

 そういう訳でよ、賭けをやっている組織の連中程、うちは切羽詰まっちゃいねえのさ」


 そんな風に、嘘をついていたことを詫びれずにとぼけて誤魔化した男に、パトリシアは内心面白くなかった。それじゃあ、騙したということ? こいつ……舐めたことをするわね。

 そう思ったときだった。急に男が言葉を切ると、周りを気にするような不審な行動を取った。それから軽く腕組みをしたかと思うと、ささやくように話し始めたのだった。


「ところがだ、止せば良いっていうのにうちのボスときちゃあ、ただ見ているだけでは面白くなかったみたいで。賭けのこととは別に、前回から出場する人間を出すようにと下の幹部連中に命じたってわけよ。苦労するのは俺達のような下っ端とも知らないんだからな。良い迷惑だぜ、本当によう」


 その言動に、そう言えばこの男には自己中心的で口が軽いという風評もあったわねと、パトリシアは思い出していた。男は縁なしメガネを片方の指で触れて位置を調節すると、更に続けた。


「そりゃよ、確かに競合している連中達を出し抜いて勝ち抜けすればボスの格が上がるのは間違いねえことよ。それは誰からみても明らかだ。めでたいことだ。だがよ、恩賞が及ぶのはどうしたって命令を聞いた幹部連中だ。幹部達はかなりのほうびと地位を確保するのは間違いねえ。それに比べて俺や兄貴分はどうなると思う? ほんのちょっとの金だけが入る程度だ。組織とはそんなものと言われれば仕方ねえがよう。

 命知らずの人材を手配することがどれほど難しいか、上はなんで分かっちゃいねえんだろうな。このゲームはとんでもないゲームだということもだ。

 幹部も幹部だぜ。なぜボスに、止めて措きましょう。もし出し抜いたら出し抜かれた組織の連中に恨みを買います。それまでの友好にもヒビが入らないとも限りません。そんなことになったら良いことではありませんとか言って止めさせなかったのかねえ。戦争なんてことになっちまったら、また資金集めが忙しくなるのが目に見えてるんだ。そうなったら最終的にあおりを食うのがこっちの方だっていうのによう。こんな世知辛い世の中で、そんなに旨い金儲けなど、転がっている訳がない。毎月納める上納金を確保するだけでも大変なんだぜ。毎日金のなる木を捜し求めて、ちまちまと歩き回り……」


 最期は愚痴にも取れる、男のとりとめもない話に、パトリシアはなぜ私にそんな話をするのと思ったが、直ぐにこれもこの男の手なんだわとたまりかねて、直ちに口を挟んだ。


「じゃあもう一つ聞いて良い?」


「な、何だ!」瞬間、男は少し嫌な顔をした。「言って見ろ」


「もし仮にゲームをクリアしたとして、そのとき大怪我を負っていたら、治療する病院か何かを手配してくれるの?」


「ふん、そんなものはない。全部自己責任だ」


「あ、そう」


 不満げに声を尖らせたパトリシアに、男が何ならお前が(治療して)やれば良いだろうと言う風に、意地の悪い目を向けてきた。直ぐにパトリシアは視線を逸らしたので、自然と青年の顔の方へ目がいった。てっきり落ち込んでいるか、深刻な表情をしていると思っていたのに、ほとんど変わった様子はなかった。目を伏せたまま、精神統一をしているかのように黙って立っていた。

 その間に、突然思い出したように白手袋の上から着けた腕時計をちらっと見て時間を確認していた男が、素っ気なく言い放った。


「それくらいか?」


「……」


「じゃあ、こっちから一つ言って措かないといけないことがある。主催者側から出されているルールなんだが、言ってなかったら後で困るのがこっちなんで言っておく。このゲームには武器は全て持ち込み禁止だ。タバコ、ライター、時計のような小物は元より、例え、調髪用のくし、髪留めのピンでも、プラスチック製のボールペンでも、クレジットカードでも、小銭の硬貨でもダメなんだそうだ。但し、これには例外もあって、身に着けて体の一部になっているもの。例えば、外れなくなった指輪とかイヤリング。入れ歯、メガネは許可を貰えば良いらしい。それでもし、ルールに違反していた場合は、例えゲームをクリアしたとしても後で失格になると言うんだ。そういうことで、時間までに念入りに身体検査をさせて措いてくれよな!」


 そう伝えると、今度は青年の方を振りむき、「終わったら直ぐに俺のところへ来てくれ。兄貴分に紹介するからな」


 命令口調でそう言うと、元いた集まりの中へ、男は戻って行った。


 男が指摘したもので引っ掛かるものと言えば、腕時計と財布ぐらいなものだった。青年はパトリシアにそれらを全て預けると、「お願いします」と微笑んだ。 彼は人見知りをするたちで、見知らぬ人物が傍にいるときはいつも無口で無愛想だったが、パトリシアには特別に心を許していた。

 二人きりになったことで、これだけは言っておかなければと、パトリシアは彼の耳元に早口でささやいた。


「こんな危険な目に遭わせてごめんなさいね。中で、もしヤバイことになったら一目散に逃げ出して来るのよ。なーに、心配いらないんだから。私が直ぐに親友を呼ぶからね。彼女ならものの一分もしない内に駆け付けて来てくれるわ。そうなったらこんなへなちょこマフィアの連中なんか何も言わなくても一発で掃除をしてくれる筈よ。

 ついでに私がちょっと頼めば、こいつ等の組織の五つや六つ、喜んでこの世から消してくれる筈よ。あなただって彼女の強さは知ってるでしょう! どうせこいつ等は、この世でいてもいなくてもどうでも良いような存在なのだから」


 そのとき青年は笑って頷き、「だいじょうぶです、心配いりません」ときっぱりと言い切ると、わざとふざけてウインクまで見せて歩いて行った。

 その間、距離にしてほんの二十フィートばかり。時間にして五秒もなかったが、後ろ髪を引かれる思いで送り出したパトリシアにとってみれば、それはそれは長く感じるものとなっていた。


 青年が向った先には、男と二人の兄貴分らしい男が待っていた。揃いの黒服姿だった二人は共に彼の男より上背があり、下腹が目立つ体型をしていた。ただ二人はそれ以外に特徴があるとは思えかった。それでも、強いて特徴を探せというなら、ひとりは色黒で額が広い。もう片方は丸刈りで、口ひげをうっすらと生やし二重あごである。まあ、その程度だった。

 それに比べて、三人が青年を引き合わせるために振り向いた先にいた人物はそうではなかった。そこには楕円形の白いテーブルがあり、直ぐ側には組織の幹部である二人の男が腰掛けていた。

 ひとりは、短い灰色の髪をしたいかつい顔の男で、目が中央に寄っていて、口を開けばカミツキガメにそっくりだった。

 そして、もうひとりは白髪頭を隠すようにチェック柄のハンチング帽を深く被り、ネクタイは水玉模様でスーツも異例なチェック柄だった。顔はセイウチのようなずんぐりむっくりで。おまけに、それに似合わないちんけな丸メガネを掛け、おっとりした感じに見える男だった。

 もちろん、その背後には、全身を黒っぽい服装で固めた長身の男達が数人、並んで立っていた。

 そのときの二人の幹部は、習慣性のものなのか気持ちの問題なのか、ひんぱんに煙草をふかしていた。それ故か、テーブルの真上には濃い紫煙が渦を巻いて舞い上がっていた。そこの前へ青年と男達が立つと、二人の幹部の内、カミツキガメの顔をした方が、青年の方へじろっとにらみを利かせて、何かを言ったようだった。

 それを遠目から見ていたパトリシアは、幹部の声が相当に低い声だった関係で何を言っているのか良く聞き取れなかった。しかし男の独特な口の動かし方から、「死ぬなよ」何とかと言ったように理解していた。

 そんなとき、各組織で動きがあった。各々の組織から組織の関係者と、服装から出場者とおぼしき男が出て来ると、目の前に建つ建物の出入り門の方へ集まり始めたのだ。どうやらゲームが始まろうとしているらしかった。直後にその前には人垣ができていた。一時期騒がしかった周辺がいつの間にか、ものの見事に静まり返っていた。時計で時間を確認すると、開始時間である午後四時までにあと十分となっていた。

 見れば、建物に通じているスライド式の鉄製の門がいつの間にか半開きになっており、その直前に黒いサングラスを掛けた三人の中年男が、これもいつの間に持って来たのか長方形をした簡易テーブルに腰掛けていた。彼等は紛れもなく黄色人種系であるということと何れも立派なあごひげを蓄えており。明らかにそこに集まった組織の人間とは違うタイプの人種のようだった。

 見た感じでは、テーブルの上に白い紙面が広げられていた。前に立った男達がそこにペンを走らせている様子などから、どうやら何かを書き込んでいるようだった。

 組織の関係者は何れも黒服姿だったが、出場者は普段着、制服、道着、奇抜な服装と、様々だった。

 記入が済むと出場者だけが半開きになった門を通り建物の中に入って行った。

 青年を伴った一行がそこにやって来たのは、周りに気を使ったのか一番後の方だった。時間が迫っていたのか、手続きもそうそうに、一番最後に青年が門の向こう側へ消えて行った。


 そのような光景をぽつんと眺めながら、「私みたいな付き添い人は誰もいないみたい。他の出場者は何れも組織の関係者が集めたみたいね」「中の様子が見られるのかしら」などと、ひとりだけ浮いたように周りから孤立して呟いていたパトリシアの元へ、どうしたはずみか彼の男が、青年を送り出した後でほんの側までやって来た。そして、例のガラガラ声で、


「実際に中でゲームが始まるのは午後四時三十分頃だ。今日は他の組織のお偉いさんもわざわざお出でになっているんだ。ひとりで待つより、どうだ、こっちに来ないか」


 と誘って来た。それにパトリシアは、どうせここには女性がほとんどいないからお酒の相手でもさせるつもりねと疑い、「大丈夫。四十分ぐらいならここで待たせて貰うから」と、やんわり断った。

 その瞬間。とうの昔に忘れていた、――ヤクザ者の常套手段はあっさり引き下がる振りをして後で裏工作してくるとか、或いは逆に、その場で開き直り脅迫をしてくるとかだけど、との不安が一筋の冷たい風となって頭の中をよぎり過ぎて行った。だが、そのときに限り、思い過ごしに終わった。


 男は、「ああ、そうかい」と意外とあっさり引き下がり、そのまま自身の組織の集まりへ合流してしまい、何もしてくることはなかった。

 そのことについて、後から冷静に考えれば、男にズードのことが頭にあったとか、二人共、瞳の色がブルーなので青年を親近者と勘違いして大人しく引き下がったのだろうと予想が簡単についたのだが、そのときはそこまで考える余裕はなかった。むすっとした表情でパトリシアはじっと青年が戻るのだけを信じて待っていた。


(きっと大丈夫よね。でないと私、困るのよ)


 ひょんなことから、青年を危ない目に巻き込んでしまった彼女の偽らざる心の叫びだった。

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