第8話

 今回の出場者は、一つの組織が二名出したところが二つあり、結局のところ、八名となっていた。

 そもそもこの真剣遊戯は、誰でも、どこからでも、何人でも出場参加しても良いものだった。だが、初回にマフィアの関係者がこぞって出たために、二回目から他のところから誰も出る者がいなくなり、それ以後マフィアの関係者のみの出場となっていた。また人数に関しては、多ければ多いほど返って的になり易かったことなのか、ことごとく失敗していた。そう云ったいきさつから、五回目となった今回は少数精鋭が妥当だろうと各組織が判断した結果だった。


 集められた者達の年齢層は十代から六十代くらいか?

 服装も、容ぼうも、――――

 赤い派手なジャケットの下にカンフー使いが着る道着を身に付けた、肌の色が透き通るぐらい白い、少女のような端正な顔立ちの少年。きゃしゃで八人の中で一番背が低かった。

 黒っぽいトレンチコートの下に空手道家が着る道着の上下を着込んだ老齢の男。人相が隠者のようで、斑の髪が肩口まで伸びていた。

 迷彩柄の戦闘服の上下に身を包んだ、肉好きの良い中年男。八人の中で一番の長身で、獣のようなギラギラした落ちつきのない目付きをしていた。

 単色カーキーの戦闘服の上下に身を包んだ男。茶色の髪をオールバックにし、顔が隠れるくらいの大きなミラーグラスを掛けていた為、はっきりと年齢は分からなかった。

 ファッショナブルな動物柄の戦闘服の上下に身を包み、同じ柄の帽子を深く被った若い男。身長は青年と同じくらいだったが肩幅が広く全体的にがっしりしていた。

 頭のてっぺんからつま先までの全身をそっくり覆い隠す、赤いスパイダースーツ(SF小説に出て来るスパイダーマンの衣装にそっくりだということでその名が付いた)に身を包んだ年齢も性別も不明で、背丈も体格も全く同じに見える二人の人物。

 上着のジャケットからジーンズパンツまで全身黒ずくめの若い男。即ち、彼の青年と、てんでばらばらだった。

 だがしかし、どの者達も各組織が腕によりをかけて探してきただけあって、一癖も二癖もあるような雰囲気を醸し出していた。


 その八人が門に入り、高さ二十フィート余りで、しかもその上部に電流が流れる有刺鉄線が設けられた塀を抜け、不法侵入防止の為に設けられた構造物を避け、最初に目撃したのは、窓が一切無い黄色い建築物が天を衝く勢いでそびえ建っている光景だった。

 加えて、横の広がりも一千ヤード以上ありそうで……。残念ながらその日は曇り空で最高のコントラストは望めそうもなかったが、鋼鉄でできた垂直な壁が延々と空高くそそり立っている姿は、それでも圧巻というべきものだった。


 当然ながら、そこへやって来た全員が一時立ち止まり、これは何だと息を呑み、建物に気を取られたのは言うまでもなかった。そのとき、目立たぬように付近に建ち、守衛室かと見えた陸屋根のユニットハウスの陰から、計ったようなタイミングで一人の男が姿をみせた。


 ネクタイの代わりに蝶ネクタイをしていたことを除くと、受付で座っていた男達とほぼ同じ服装、容ぼう、年格好をしていたその男は、事務的に、「お待たせしました」と言うと、


「私の名はモレアス・ウチダ。見ての通り、私はこの国の者ではありません。別の国から来ました。つまりよそ者です。なぜよそ者の私がここにいるかといいますと、私の所属する組織が事業経営の多角化を図っておりまして。その戦略活動の一貫が世界進出でして。それでこう言った、何でも屋的な仕事も積極的に請けている訳でして。ですからこれが終了次第、国に戻ることになっております。尚、依頼主のことは知りません。余計なことを聞かないのがこの事業の肝であるからです」


 などと、緊張しているのか、笑みのない顔でたどたどしく素性を紹介した。それから、「私に付いて来て下さい。中へご案内しますから」と八人を誘導した。 そのとき八人の中から、誰も口を挟むものは出なかった。至極まともで不自然な感じを受けなかったからだった。全員が素直に従った。直ちに蝶ネクタイの男が向かった先は、彼が先ほど現れたユニットハウスだった。

 ハウスのドアが開けられ、自動的に照明が点いて室内が明るくなったとき、そこは当初想定された守衛室ではなかった。地下に通じる階段になっていた。階段は、グレー色をした、ごく普通に見られる重量鉄骨(H形鋼)製で、両側に手すりがついていて、中途で折り返ししながら上り下りする構造のものだった。


 男は、「この階段で行きます。この下に建屋の入口があります」と伝えると、先頭に立って下りて行った。他の八人も大人しく続くと、九人分の階段を下りる足音だけが周囲に低く響く中、男は全く後ろを振り返ることもなく、自分達が置かれた境遇の詳細やこれから行こうとしている建物の内部構造やゲームの規則・注意点などを、全く感情がこもっていない言葉で、とつとつと語って聞かせたのだった。


 それに拠ると、異国からやって来た彼等は、単に、裏社会の情報誌に出ていたアウトソーイング(業務請負)委託に組織が応じた形でここに来ているだけであって、どういう目的でこのゲームをしているのか知らされていない。本来の依頼主とは二、三度会ったことがあったが、どこにいるのか、何をやっているのか全く知らされていない。但し、このゲームに勝ち残る者が出れば、向こうから連絡があるのでその居場所が知らされる手はずになっている。

 また、建物に関しては、製造業務請負会社の敷地内にあるこの施設は、その会社とは全く関係が無い。

 つまるところ、この施設は新兵器開発を目的とした国立研究所に属しており、開発試験テストを行うところ、即ち室内射爆場として使われている。

 ところが、こちらの政府の軍事予算削減のあおりを受けて、現在、施設は閉鎖されて休眠状態にある。それを今回、使わせて貰っている。

 施設の内部については、天井までの高さが約千フィート(およそ300メートル)。中はほぼ長方形の形状をしていて、長いところは四マイル半(およそ7.2キロメートル)、短いところでも三マイル(およそ4.8キロメートル)ある。従って、一度見れば分かると思うが相当な広さがある。ちなみにサッカー場で例えれば、約五千個は作れる勘定になる。地面の下地は土で、その下は砂で、またその下にはコンクリートという具合に、何層にも人為的に層が造られている。

 施設内は、新兵器をテストするのが本来の目的である関係で、耐震・断音構造に優れており、迫撃砲や機関砲を何十発撃っても、振動や音は外へ漏れない。もちろん電波も漏れることはない。

 この催しは四日に一度の割合で開催していて、今回で七度目になる。当初、二時間という時間枠内で、サバイバルをして貰ったが、そのときは大量に参加者が来た。しかし、残念ながら誰も意に適う者が出ず、その結果、大量に死者が出た。二回目も三回目も同様だった。それで少し時間を弛めにした。その結果、前回ではもう少しでクリアしそうな参加者が出た。それで今回は更に時間を短くしてあるから頑張って欲しい。

 そう言うことでルールだが、一つ目は、建物内は互いに交戦するのも逃げ回るにも十分な広さが確保されているので、必ずこの中で三十五分の間、どちらかを選択してどうにか生き延びて欲しい。そして二つ目のルールは、外部からの武器の持ち込みが禁止であるということ。但し例外として、身体の一部であると認められるものや体内から出したものはその限りではない。三つ目は、一度建物内部へ入ると秘密を守る為に全ての扉がオートロックされて閉じ込められてしまう格好になるので、あとは中で生き延びるか、死んで出るかの二通りしか選択肢はない。止めるなら、今この場しかない。四つ目は、理解していると思うが、例え死んでも補償は一切しない。五つ目は、生き延びる為に互いに協力し合っても構わない。但し、複数が生き残った場合、合格者は必ず一人になるように話し合いか何かで決めて欲しい、など。

 尚、注意点として、逃げ場を失った大半が犠牲となっているので、建物の壁面や天井に近付いたり利用しようと考えないこと。


 その間に、急な階段を二十四、五回折り返し、建物約六十階分、およそ千フィート下へ下っていた。最後に、「以上です」と男が説明をし終えたときと、全員が階段を下り終え最下層へ到着したのは、ほぼ同時だった。

 その時点で、蝶ネクタイの男が一旦立ち止まると、初めて振り向いた。そして単刀直入に尋ねた。


「戻るなら今しか有りません。どなたか居りますか?」


 その問い掛けに八人は、厳しい表情をしたり、苦笑いを浮べたり、視線を宙に彷徨わせたり、周りを見渡したり、下を向いたり、馬鹿馬鹿しいといった顔をしたり、頭をかいたりと一様は反応を示したが、誰一人として口を開くものはいなかった。


 男は、「そうですか」と小さく頷くと、改めて向き直り、「それでは行きましょう。付いて来て下さい」


 そう言うと、直ぐ近くにぽっかりと開いた、人の気配がしない通路の方へ歩いて行った。そのとき、階段付近の目に付く辺りに二基のエレベーターが見えていたのだが、それについて、男は一言も触れなかった。おそらく、これまでの経験則から、狭い範囲に全員を固めると、何か具合の悪いことが起こると見たから階段を使ったらしかった。

 ともかくも九人が歩を進めた、床も壁も天井も全てが階段と同じグレー色で小さな電灯が定間隔に点っていただけの狭い通路の内部は、やはりし~んとしていた。

 全員が押し黙ったまま行くと、ものの一分もしない内に、その突き当たりに頑丈そうな鉄製の扉が現れた。だがそばまで行くと、苦も無く自動的に開いて、中は天井がやや高い空間になっていた。そこは長方形の形をしていて車が八台ぐらい縦列駐車できる広さだった。また四方がグレーの地肌が出たコンクリートで囲まれていた関係で、中にはコンクリート特有のヒヤッとした冷気が漂っていた。ところで、壁にはドアが二ヶ所に付いていて、それぞれのドアには電子錠が施されているらしく、ドアの直ぐ横の壁面に、カードリーダー装置が取り付けられていた。

 その二つのドアの中から蝶ネクタイの男は、表面に赤い矢印が描かれた方を選択すると、その前で足を止めた。それからスーツのポケットに忍ばせていた黒いカードを取り出し、カードリーダーに通した。すると自動的に扉がスライドして開き、オレンジ色の小さな灯りが天井に点いているだけのリノリウムの通路が百フィートばかり続いて行き止まりになっているのが見えた。


「これから先は、私は案内できませんので手順だけお話します。これは、建物の中が薄暗いので、事前に目を慣らすための通路です。先ず一人ずつこの先へ進んで下さい。見て貰えれば分かると思いますが中は行き止まりになっています。しかし、前まで行けば自動的に扉が開きます。一人が進んで扉の中に消えてから次の人が入るようにして下さい。扉はあと二ヶ所にありますが、同じように進んでいけば最後にとてつもなく広い空間に出る筈です。そこが建物の中です。入ってから三分もしない内に天井の照明が点き、周りが真昼のように明るくなったときが開始の合図です。

 尚、出る場合ですが。その場合、この扉から出る訳ですが。扉を開けるのには三通りの方法があります。一つは、内部から戦闘員が暗証番号を押して電子錠を解除したときです。もう一つは設定時間が過ぎて自動的にロックが解除された場合です。最後は今の様に外からカードで開けるときです。それ以外では決して開きませんので」


 と、喋り慣れた口調で、男は説明した。それが済むと、顔だけ振り返り、「最後に何か聞きたいことはありませんか?」と、わざと思い出したように直ぐ後ろに集まる男達に訊いた。


 すると一人の男が静かに手を上げた。顔が隠れるくらい深く被った帽子から上着、ズボン、下に着たシャツに至るまで、全てをオレンジのヒョウ柄の戦闘ファッションに身を包んだ若いカラードの男で、地下の最下層に辿り着いた時点で、取りやめる人がいないかと蝶ネクタイの男が尋ねた時、馬鹿にしたような顔でニヤリと笑いかけた男だった。

 ここでの男の登録名は、ミカエル・キャステル。無論偽名で、その正体は、実の名をジェリコ・グスマン。通り名を荒熊のジェリコと言い、スタン連合下においては中堅にあたる秘密結社、ヴァイパー(毒蛇)のれっきとした幹部だった。

 スタン連合。聞きなれない名称だったが、それもその筈で、表の社会でも裏の社会でもない世界。即ち、表と裏の社会の闇で暗躍する能力者や魔術師が住まう世界であるところの異能世界においてのみ知られる名称であり。しかもその世界においては、この名称を知らなければモグリと言えるような超有名な名称だった。なぜなら、裏社会の闇で生きるこの世の特殊能力者の約四割がこの連合に所属する者達だったからである。

 スタン連合以外にも大きな団体として、同盟アストラル、クロトー機構が知られていたが一番規模が大きいのがこの団体だった。異能者の中に限って言えば、世界は、スタン連合、同盟アストラル、クロトー機構の三団体が支配していると言っても過言ではなかった。それ以外の何れの団体にも参加していない団体も確かにあったが、その数は極めて少なく、それぞれが烏合の衆の集まりのようなものだった。

 ちなみに、三つの団体の起源は、能力者や魔術師などの特殊技能者が同業者間でなわばり争いや弱肉強食主義的な争いを避けて、お互いに平和裏に共存し合う目的で結成された共同体や協同組合が最初だった。そのため当時は世界中に星の数だけ存在していた。それが長い年月の間に数々の吸収合併を経て、かような巨大な三団体が生まれ、世界を三つに区分して支配する体制ができていた。

 現在、その勢力図はスタン連合が、全体の三十八から四十パーセント。次点は同盟アストラルで二十八から三十一パーセント。クロトー機構が二十から二十二パーセント。その他、何れにも組しない組織が全体の七から十四パーセントと、その年に拠り多少変動はあるものの、パワーバランスはほぼ安定していると言って良かった。

 かつて、これら三つの団体は何度も競合し合ったことがあった。だが、ここ数十年は和平協定が結ばれたこともあり、比較的落ち着いていた。とはいっても世界は広いこともあり、小競り合いは日常茶判事にどこでも起っていた。そこで考え出されたのが、三つの団体が各勢力に比例した代議員を互いに出し合い評議会なるものを作り、三つの団体の威光の元で、争いの仲裁や処罰、秩序維持、防犯の目的での情報の収集活動に当たるというものだった。


 ここへは、男は評議会の命を受けてやって来ていた。つまるところ、マフィアの組織に紛れ込んで潜入捜査をしていた。

 その動機は、世界的に名が知れた犯罪組織五団体のボスが、じっ懇の間柄の世界各地のシンジケートにそれぞれ声を掛け、相当額の契約料を支払うという約束で特殊能力者を捜している、との情報を受けて密かに潜り込んでその真相を探っていた調査員が突然消息を絶ったことに関して、その消息を絶った理由を探るのが一つ。それと並行して、この催しを推し進めている黒幕を特定するのが一つ。そして、その黒幕が結果的に何を企んでいるのか突き止めるのが事実上の捜査目的だった。

 思えば、十代の頃に同組織に所属して以来、自身の力に自惚れ気味で口の利き方がなっていない面があったが、頑丈そうな体格で事実タフであったこと。若いのに慎重で観察眼があり知恵が回ること。また、それでいて怖いもの知らずで名うての戦闘員であったことなどから、見る間に組織から頭角を現し、それがいつの間にか上部団体に知れ渡り、ついには評議会の耳に入るきっかけとなり。その評議会に見込まれて今日の任務を請けるようになっていた。

 しかもこの男。評議会から請けた業務をこなすようになってから一年余りで組織の代表、副代表に次ぐ参事の地位まで上り詰めていた。若干二十半ばで、構成員三十五名の組織のナンバー・スリーの地位に就くのは、傍から見れば大変なスピード出世だった。その理由について、評議会の影響力があったのは否めなかった。それ故なのか、男の将来の願望は評議会直属の課員以上の要職に就くこと。更にできることなら、その上を行って、スタン連合を統制して実行支配している七デスティ―(七人の運命共同体という意)の一人となることが最終の秘めた目標だった。

 その為にも、今回もしくじりは許されない、慎重にいきたいと誰もが考えるのが普通だったが、この男だけは別格で。無神経というか、その強心臓ぶりは驚くべきものだった。


 顔を上げて、ひねくれた風貌を現したその男は、尊大に構えて格好をつけながら厚い唇を尖らせると口を開いた。


「おい、ちょっと。もし生き残った場合はどうすりゃ良いんだ?」


 蝶ネクタイの男の表情が始めてやや緩んだ。男は暫く沈黙した後、微かに口元に笑みを浮かべると、


「……そう、先ず、この催しを考えた人物に会って貰います。その人物がいる居場所はまだ知らされていませんが、この催しから勝者が出れば向こうから連絡してくる手はずになっています。

 我等はその人物がいるところまでご案内するのが与えられた任務でして。たぶん、そこで例の報酬が貰える筈です。そしてその報酬の何十倍とういう報酬が得られる儲け話に優先的に参加できる権利が得られると聞いています。我等が知らされているのはここまでです。もっと詳しいことを聞きたければ、向こうへ行ったときに聞かれると宜しいかと」


「ああ成るほどねえ。全て、その名も分からぬ人物に聞けってことかい」若い男が分かったように頷いた。


「ええ」再び元の無表情の顔に戻った男が訊いた。「他にはありませんか?」


 今度は誰も手を上げなかった。誰もいなかったことを一べつして確認した男は、「そうですか」と続けた。


「では中へ一人ずつ入って下さい」


 そのとき、誰が先に行くかということで、一瞬だけ男達は互いに目でけん制し合った。が、それ以上は何も起こらず。直ぐに誰が言うともなく、ここまで歩んできた順番通りに入って行くことで決まっていた。蝶ネクタイの男の話から、中へ入ってから三分間の時間のブランクがあることだし、どう考えても不利にならないだろうと、全員が判断したからだった。

 彼等は次々と蝶ネクタイの男の側を通り抜けて通路へと入って行った。彼の青年も、若い男も同じように大人しく後へ続いた。そして、八人目にあたる全身をスパイダースーツに身を包んだ人物が入って行くとドアが閉められた。


◆◆


 天井部から冷たい感じがする青白色のカラーライトの灯りが建物内部を照らしているのであったが、広い空間を照らすには余りにも光量と数が足りず。さながら、星明りの元でいるようなものだった。しかも空気中には無臭のモヤのようなものも漂っているようであって。それが暗い照明と相まって、視界を妨げていた。中は暗く、不気味に静かだった。

 そのような中、男達は時間が来るのをじっと待っていた。視覚が効かない分、聴覚と臭覚で周辺を全員が探っていた。さすがマフィアの幹部に見込まれただけあって、誰もが信じられないほど落ち着いていて、どこから襲って来るのかさっぱり分からない敵に備えて動きを止め気配を消していた。そんじょそこらの素人衆ではなかった彼等が考えたのは、単独行動は必ず死を招くとして慎み、向こうから仕掛けて来るのを待つことだった。

 八人は、入って来た地点からできるだけ離れた位置に立っていた。これから対峙する敵が、前持って出入り口がある付近へ銃の照準を向けていてもおかしくないと考えたからだった。

 しかし、無用心に中央付近まで進むことや、壁際や四隅に背中を向けることは、いざとなった場合に対処が難しいと避けていた。

 加えて、競合相手を利用して立ち回るのが得策だと判断して、お互いに百ヤード内外の距離を取って立っていた。これ以上離れ過ぎていたのでは、万が一敵味方の区別がつかなくなった場合、相討ちになることを恐れての行動だった。

 張り詰めた空気が流れていた。誰もが蝶ネクタイの男が言った三分という時間を、とてつもなく長いものに感じていた。この広い空間の中では、時間の経過がマヒしているのかと思えるほどだった。

 思わず付近に立つ赤の他人に、「どう思う?」「まだか?」と呟きたい心境だった。だが抜き差しならないこのような状況下で話し掛けるのは野暮なことである上に、参加者の中に相手方の者達と通じた協力者が紛れ込んでいるかも知れないという疑念もあり、誰もが隙を見せないように口をつぐむほかなかった。

 そうこうしている間に、ゲームの進行を進めるのが任務だと言っていた例の蝶ネクタイの男がこの建物中に潜む者達に既に連絡をしたのだろうか。それとも当の彼等が、こちらがしびれをきらすようにわざと時間を遅らせているのでは、といった妄想が頭を駆け巡るようになっていた。

 その内、八人の我慢がピークに達したのか、中から誰ともなくひとりが回りに聞こえるように大きな息を吐き、それにつられてまた別の誰かが、ふんと鼻で笑う声を発したときだった。天井の照明がいきなり点灯し、建物内部全体が真昼のように明るくなった。そこに現れたのは、見事な赤土で覆われた地面で、どこでも見られる普通のグラウンドと変わりはないようだった。だが、聞いていた以上に高く見えた天井部分から射した黄金色の人工光が、見る間に淡いクリーム色をしていた周りの壁面に溶け込んで空間の仕切りを取り去っていた。広々としているというより、そこでいる存在がちっぽけに見えるというような印象を受ける、壮大な景色が展開していた。


 直ちにあいさつ代わりという訳でもないが、ボォン、ボォン、ボォンと、こもったような鈍い爆発音が、八人が立つ地点の直ぐ間近で立て続けに起こった。ほぼ同時に噴きあがった土砂と煙が、辺り一面を瞬く間に薄闇に変えたかと思うと、いつの間にか八人はそれぞれ散り散りになっていた。


 尚も、辺り構わず複数の銃声が間を置かずに鳴り響いた。その銃声も三、四秒ぐらいで途絶えると、再び辺りに束の間の静寂が戻ってきた。始まってから十秒も経たない鮮やかな速攻だった。

 だが、一時舞い上がった煙がある程度治まり、視界がどうにかこうにか効くようになったとき、攻撃を回避した八人が理解したのは、どうやらつい先ほどの爆発は前持って仕掛けてあった爆弾が爆発したものだったこと。また空中に響いた多数の銃声は適当に撃ったもののようで。寧ろ、真の狙いは自分達の居場所を教える為の行動だったように思えたのだった。

 その証拠に、銃声がした方向。即ち、八人が居た地点の対極の方向。鮮やかなクリーム色に塗装されていた建物内の奥深くに、得体の知れない一団が整然と姿を現しているのが見えたからだった。それらは灰色で見たことのない形をしていた。それが何十と数え切れないくらい見えていたのだった。


 実際、そこに見えていたのは、見えない場所に潜む敵をせん滅する目的で開発され、暗号名、“セイバーエイドス(姿かたちは救世主)”と名付けられたプロトタイプのロボット兵器。つまるところ、未来型戦闘車両の陣容だった。故に、誰が見ても、奇異な光景と判断して不思議ではなく。

 うがった見方をすれば、未知の世界から来た円盤型宇宙人が、そこにかたまっているように見えてもおかしくないものだった。

 ま、それはそれとして。その全体の中で一番多く見られたのは、全長十~三十フィート。体高が五~十五フィートぐらい。真上から見ると円形状か円環状(リング状)。正面からでは長方形かひし形か半球形。もっと具体的に云えば円形状をした自動運転のクリーナーロボットにやや似ているというものだった。

 その中で円環状をした機体は、最も数が多く、大きさもバラエティに富んでいた。もちろん無人で、遠隔指令と内部に組み込まれた簡単な人工知能で行動し、戦闘の際、主に先鋒の役割を担っていた。

 また重量は約五百キログラムから五トン。円型バネの特性を応用して設計されたという外部構造は衝撃や変形に強く。駆動系は、車輪がない代わりに、極秘開発された特殊振動子の波動運動を利用して地面から浮き上がった状態で自立走行する仕組みで、あらゆる方向へ素早く移動できるという特性を持っていた。またその攻撃手法は、音もなく接近して体当たり攻撃や感電攻撃や自爆攻撃を行うという単純なもので。それ故、機体の内部に自爆用の爆弾。その周囲に爪状の突起を持つ以外、武器は装備していなかった。

 その次に数が多かったのは、ドーム状(半球状)をしたもので。この機体は前記の円環状の機体の能力の他に機銃と無砲てき弾(グレネード)発射装置をプラスしたもので、戦闘の際、次鋒を務めるものだった。その他、毒ガス・生物兵器も積載可能になっていた。また、超音波センサーと赤外線センサーの触覚。画像解析カメラの目。臭いセンサーの鼻。磁気センサー、位置センサーなど各種のセンサーを装備。円環状機体を指図する役割も担っていたため、人が安易に近づけないようにドーム状の回りには鋸ザメの角のようなギザギザした突起がついており、それを自在に伸ばしたり縮めたりしながら、前述の機体の駆動系に加えて油圧式車輪でも移動できる仕組みになっていた。

 次はぐっと数が減り、僅か三台だった。全長五十フィート。全高十五フィート。幅二十フィート。超大型バスぐらいの大きさで、形状は団子虫のような形をしていた。このタイプは有人で、乗員は四~二十名まで。一般の攻撃にも参加するが、人員の運搬も併せて行うことができる未来型の装甲車だった。

 通常時は、レーダースコープ、速射砲、発煙弾発射装置、機銃を標準装備。それ以外にも、空中で子爆弾が連続爆発を起すクラスターミサイル、新種の焼夷弾を発射する装置を備えていた。

 最後に、集まりの中心付近にいたのは一台の機体だった。全長六十フィート。全高二十フィート。幅二十フィート。超特大バスぐらいの大きさで、形状はショートブーツのような形をしていた。このタイプも有人で、乗員は五~十二名まで。主に、情報収集と指揮の役割を担う作戦指揮車両だった。

 一般のレーダースコープ装備以外にレーザー照準機関砲、ロケット弾発射装置、生命体探査レーダー、機銃が標準装備されていた。

 そして、これらの機体を操縦していたのは、元は某国の内務省治安局所属のコード名、アントヒル(蟻の塔)機動隊。通称、死を怖れない部隊と畏れられた秘密特殊部隊員の面々、約六十名。青年実業家、ムハンナドが手配した元エリート軍団で、今は彼の叔父のところで身辺警護をしていた強者達だった。

 ところが彼等は、不思議な力によって、血に飢えた機械に操られていた。表面上は主であっても実は従であった。


 以上の用意周到に準備された攻撃陣に、素手で敵の攻撃を防御しながら突破することは不可能のように考えられ、この時点で三十五分間持ちこたえることは、並みの人間の力では至難の業のように思われた。

 当初から八人の誰もが、中世の騎士達の戦いのような白兵戦は期待していなかった。世間で良く目にする戦車や装甲車両を活用した人海戦術か何かだろうと予想していた。

 しかし見事に的をはずされたようなこの光景に、普通なら誰もが焦るはずだった。だが彼等は全員ただ者ではなかった関係で、比較的落ち着いていた。

 どこから見ても一種異様な集団に向かって、彼等が先ず一歩前へ踏み出すと、百体近い先鋒の役割を担う機体が一斉にぞろぞろと移動を開始。あたかも生命が宿っているかのように一気果敢に前へ出て、攻め立てて来る。その直後にそれらをサポートする立場にあったドーム状の個体、約二十体が素早く反応。同じように移動しながら機銃の連射、砲撃を開始し、建屋内に機関銃の発射音、てき弾が風を切る音。そこかしこに破裂音が響き渡り、地面から土煙が上がる。


 これに対し、迎え撃つ側は、何も知らなかったことが幸いして各自が予めに予定していたと思われる行動を取った。

 先ずはその中から、同じ組織から参加した赤い派手なジャケットを羽織った美少年と黒っぽいトレンチコートの老齢の男が、お互いに目で合図を送り合うと、上に着たものをさっと脱ぎ捨て道着姿になって一気に前方の敵の方角へ向かっていた。

 同じくスパイダースーツの二人は、身に付けたスーツの機能でいつの間にかその場からいなくなっていた。

 残る四人はというと、八人の中で一番上背があった男は、身近に迫った敵に迷彩服を乱暴に脱ぎ捨てると、見る間に顔や上体が変貌。全身が焦げ茶色をするスリムな姿をした四つ足の獣に変身した。その姿は、頭部が魚のカジキ。胴体がアルマジロで、下半身の部分は犬のような長い足を持つ、見たことのない動物だった。そして、姿が地面の赤い色にすぐさま擬態化。消えて見えなくなってしまう。

 また例の若い男は、着ていた迷彩服と被っていた帽子とその下のTシャツを脱いで丁寧に折り畳むと、すぐ傍の地面に埋め、上半身裸の姿のまま、飛ぶように駆けて行く。その後ろ姿は、天井からの眩しい光を受けて石炭色に黒光りしていた。

 次に青年の方といえば、いつもステージ上でやっている通り、パチンと両手の指を打ち鳴らした。すると、何も手に持っていなかった筈の両手の指の間から、真っ直な羽根の形状をしていて先端が鋭く尖る黒いナイフが各四本、マジックを見ているかのように出現する。それらは、パーフォーマーとしての彼が普段使っているナイフとは別のものだった。彼はそれらを手に持つと、ゆっくりと歩いて行った。

 一番後に残ったのは、単色カーキーの戦闘服の上下に身を包んでいた男で、掛けていたミラーグラスをさっと取り、青白い光を妖しく放つ双鉾を晒すと、たちまちその目がオレンジ色に変化。二筋の赤い閃光がレーザー光線のように一直線に放たれる。途端に前方の物体の幾つかがオレンジ色に一瞬輝いたかと思うと、次の瞬間、同色をした火柱が上がり爆発。黒煙を噴き出しながら炎上した。男が放ったのは、どうやら殺人光線といわれる類いのものの様だった。


 ところで青年といえば、数十ヤードも行かない内に何を思ったのかその場に立ち止まると、不規則な動きで砲撃の合間を縫うように迫ってきていた大小の円形物体の方向に向けて、片方の手に持った黒光りするナイフを試しに投げつけた。

 元々彼はショーでナイフ投げの技を披露するとき、所属する事務所の方針で、例え練習、打ち合わせをするときであっても常に顔にマスクを着用するように言われ。その指示を素直に守って素顔を隠して来た。素顔を隠すことで、至って平凡で大人しく見える容姿がクールで格好良くてミステリアスに見えるとのアドバイスがあったからだった。よって、今回みたいに公の場で素顔を晒して技を披露するのは滅多にないことだった。

 どう見ても距離は、千ヤードはあった。普通なら届きそうにない距離だった。が、彼の本気は、音速を超えるスピードでものを投げることができるのだった。従って、彼にとってみれば銃弾と同じだったナイフはそれぞれ途中で四方向に分かれると、余裕で物体の真正面へ突き刺さっていった。

 だが何も変化が起こらなかったので、即座に、またマジックをするかのように残りのナイフに息を吹き掛けた。するとナイフの形状が、鋭利で薄い外観から丸ぼったくて厚い感じのものに変形した。すかさず青年は、それらを再び投げ付けた。

 ナイフの表面積を大きくして貫通面積を拡大し、更に脆弱性を持たせて貫通と同時に破断する機能を持たせた訳だったが、今度は成功したようだった。四本投げた内の二本に手ごたえが見え、当たった側は明らかに異常をきたして動きを止めたようだった。

 その光景から、これならいけると判断した青年は、この手で行こうと決めた。だが、敵の戦力を知らなかったことは前途多難といっても良かった。


 数が数だけに、そしてそれらが不規則な動きで詰め寄って来るものだから破壊するのはそう容易ではなかった。敵は致命傷を与えない限り、容赦なく向かって来た。

 加えて更にやっかいだったのが銃撃と砲撃だった。これらの攻撃を避ける度に地面を転がったり、生じた爆風で土煙と共に宙へ吹き飛ばされたりしたため、天井や地面が何度もグルグルと回った。

 その内、忘れようとしても忘れられず、自身の胸の奥深くに閉じ込めていたある衝動が甦った。

 それは二年以上も前のこと。とある事情から青年は能力をフルに使い、人を多数手に掛けたことがあった。それが彼の人生において、生まれて初めて人を殺した事例だった。その後も同じことを何度か繰り返したが、やはり最初の体験が最も印象的で忘れられず。そのときと良く似たような緊張、興奮、恐怖がどっと押し寄せていた。

 

 直後に至近距離での戦闘に入った。片側の手首から先を五本の指からなる鉤爪に変化させ、手足も身体も服装で隠れて見えなかったが、きちんと強化して対応していた。

 すると、トラップ地雷が仕掛けてある地点に追い込まれたり、四方から円環状の物体に挟まれ体当たり攻撃を仕掛けられたりした。だが、間一髪の差でかわした。その合間に何台もの物体の機能を止めた。同時に、幾度も地面に叩き付けられた。しかし少しも傷みは感じなかった。死に物狂いで臨んでいた集中力が痛みをどこかに吹き飛ばしていたからだった。

 その後も物体は、広範な領域を我が物顔で機敏に動き回り、攻撃は緩むどころか一層激しさを増していた。その際、一切休息をさせて貰えなかったので、いつの間にか肩で息をするようになっていた。

 大小の爆発音・さく裂音、叫び声、物体の一種独特なエンジン音、物がぶつかる音、機銃が唸る音、閃光弾が破裂した眩い光、オレンジ色がかった火柱と赤い炎火、灰色や茶色や黒っぽい煙、何かが焼ける臭い、などが五感をうるさく刺激した。暫くすると、地面の至るところに何十、何百と窪みができていた。

 しかし建物内は換気システムが働いているのか、煙が湧き上がる度に速やかに消えていき、火事の現場のようにいつまでも煙がこもることがなかった。そのため対応する側としては、煙を煙幕代わりに利用することができなかった。

 また地面の土の成分中に、熱を受けると気化して熱源を絶つような消化剤が含まれているらしく、炎は立ち上った白い気体に包まれると直ぐに鎮火していった。

 一度だけ若い男と目が合う機会があった。だが男は、ふんと馬鹿にしたような目を向けてきただけだった。それ以後、見向きもされなかった。

 誰だったか知らないが、明らかに窮地に陥っている人物のブロンドの髪が視界をかすめたことがあった。そのとき助けるべきか迷ったけれど、ある男の一言、「情が移り易い奴は長生きできない」がふと脳裏に浮かび、そうしなかった。


 対して、このような修羅場に場所慣れしていた若い男の方は、極めて冷静だった。

 つい、勢いで飛び出して見たものの、余りにも数の多さに、これは多勢に無勢と判断して、途中で方針転換。先ず敵の陣形を見ることだと、大きな弧を描く様に外へ迂回して行った。

 そうして粗方偵察し終わり、ここでの内容がなぜ秘密にされていたのが分かるような気がした男は急に立ち止まると、ニヤッと笑い、肩をすくめた。


「じっくりと行かせて貰うぜ」


 だがその呟きとは裏腹に、彼の身体は若いだけあって、早く戦いをしたいと望んでいた。

 ところで男の特殊能力とは、体の表面を鉱物のごとく硬くすることと、体の至る所に突起物を派生させられること。そして自身が受けた衝撃や熱エネルギーを自身の体の運動エネルギーに変換できることだった。それ故、その身体は銃弾を弾き、砲弾の破壊力さえ無力にできた。また、身体の表面を結晶化状態にすることで、身体の表面に幾つもの鋭い稜(角っこ、エッジ)を形成し、身体への集中ダメージを和らげる効果さえ、もたらせることができた。


 敵情偵察を通して判断分析した男の思考はこうだった。この場所は射爆場で、これから相手にしようとしているのが見たことのない兵器だったとは以外な展開だ。すると俺達は最新兵器の実験動物というわけか。前回、スパイとして潜り込んだ調査員は、おそらくこれに殺られたんだろうな。

 すると、この身体もモード1では危ないな。モード2に引き上げるべきだろうな。

 さて、これからどうするかだが、相手が正体不明の敵では何をやってくるのか判らない。ここは展開を見守り、それに対処するのが賢明だ。

 そうしながら時間がやって来るのをじっくり待つわけだが、じっとしていたのでは標的にされるのは必定。隠れるにしても俺は準備してこなかったからな。第一、俺の性に合わない。ここは一暴れが一番性に合ってる。だが相手は正体不明だ。念には念を入れる必要がある。それには一緒にやってきた奴達を利用するに限る。

 さてどう利用するかだが、一番手っ取り早いのが負担を軽くすることだ。あれだけの数を相手にするのは俺でも一苦労だからな。見たところ、どいつもこいつもある程度は戦力になることは間違いない。これを都合良く利用させて貰うのが一番だ。その場合、協力する振りをしてやることだ。そうしておいて、用がなくなったら後ろからバッサリと殺れば良いんだ。


 眉一つ動かさずそう考えた男は、合間に目に入った者なら誰にでも偶然を装い近付いて行って、わざと恩着せがましく加勢してやろうと決めていた。

 さっそく、超人モードと本人が呼んでいたモード1から怪物モードと呼んでいたモード2に男は身体を進化させた。七フィート近くまでに上背が伸び、肩幅が一段と広くなり、胸板が更に前にせり出し、首が完全になくなった。筋肉隆々の身体がそこに出来上がった。同時に、弾力性のあったがっしりした肉体が急速硬化し、細かいひし形状のタイルを多数敷き詰めたような状態になっていた。怪力も、前のモードから二倍に跳ね上がっていた。戦車は幾らなんでも無理だったが総重量七~八トンの、並みの装甲車ぐらいなら二台まとめて持ち上げることが、平気でできるようになっていた。


 そのような姿に変身した途端に、前方より銃声が鳴り響いた。だが男の身体は銃弾を難なく弾いていた。直ぐ近くで爆弾が炸裂した。すぐさま土煙が舞い、直後に数十インチの窪みが二、三ヶ所できていた。だが男は全く動じなかった。間隙を突いて大小の円環状の物体が群れを成して現れた。だが身体を結晶化状態にした男には、体当たり攻撃も感電攻撃も通じなかった。相手にある程度好きな様にやらせたあと、男はいよいよその実力を見せつけた。その怪力振りは、ちぎっては投げちぎっては投げの表現がぴたりとあてはまる大暴れだった。だがそうはいっても敵もさるもの。直ぐに男の攻撃パターンを分析解析すると、陣形を立て直し、連携攻撃を仕掛けて来た。

 五台からそれ以上が一列に行列を作り、しかも回転運動をしながら向かって来たのだ。そういうのが五つぐらい形成されていた。これにはさすがの男も、何度も吹き飛ばされる光景が続いた。これには男も舌を巻くほかなかった。

 だがそれでも、頑丈な体躯は怪我一つ負うことはなかった。短く刈り込んでいたくせ毛の黒髪が焼け焦げたぐらいのものだった。逆にこのことは考えようによっては悪くなかった。このままの状態で時間が来るのをじっと待っていれば良かったのだから。実際、受けた衝撃を自身のパワーに変えることができる特殊能力がその背中を押していた。

 これらと決着をつけようと思えば、身体全体を鋭い刃物に変化させるモード3という選択肢もあるにはあった。が、まだまだこれから先、何が起こるか判らない。切り札は最後まで取っておくべきだ。それより負けない事が一番大事だ。時間近くまでこの一見すると明らかに劣勢に見える状態のままパワーを蓄積しながら粘り、わざと手こずっている振りをして他の者達を油断させておいて、時期がきたら切り札で始末すれば良い。

 相手側から一方的に攻撃を受け続けながら、男はそのような方針に切り換えたのだった。

 間もなくして、たまたま読み違いがあったことが判明した。それまで男は、目算で十二台ほどの大小の機体を、もはや走行不能というところまで破壊していた。ところがどこに潜んでいたのか、直後に増援組がやって来て、数が変化していなかった。

 直ぐに、これはおかしい。自分だけに集中しているのかと周りを冷静に見渡しもしたが、他のところも同じだった。つまり、予備の機体が待機していたことになる。当初は百ぐらいと見積っていたのがそれ以上いたということだった。だがしかし、今となっては男にとって別にどうでもいいことだった。寧ろ、他の者達の力量を拝見するのに格好の材料になるかも、と考えていた。

 その間も衝突される度ごとにその反動で吹き飛び、表面上は痛がる芝居をして、さも効いているという振りをした。だがそう何度も同じことを繰り返しても芸がないと考え、時折、ジャンプしてみたり、走って見たり、足蹴りをしてみたりと、いかにも工夫して戦っているという格好をした。

 そう擬装しながら、余裕で、ふんと男は鼻先で笑った。もはや男の興味は同じように戦っている同僚達の方へ移っていた。


 どこかへ雲隠れしてしまった三人に加えて、能力者の中にナイフ使いなどはどこにでもいる、ましてや、腕を鉤爪に変化させる能力などは目新しいものでないからという理由で、青年を一べつしただけで後回しにして、一先ず注目したのは、そのとき華々しい活躍を見せていた、殺人光線を放つ男だった。見る間に、オールバックにしていた茶色の髪を逆立てながら、物体数台を大破させ、もう二度と動くことがない鉄くずにしてしまっていた。

 男のもう一つの特筆すべき能力は、その脚力と跳躍力にあるようで、並外れた素早さで難なく銃弾と砲弾の下をかいくぐり、一気に物体三、四台の頭上を跳び越え、目から光線を連続的若しくは断続的に放つと、向かって来る敵はことごとく彼の餌食となっていたようだった。それ以後も彼の快進撃は留まることを知らず、見ていて安心できる安定感があった。但し、その間、両腕が遊んでいるように思えた違和感を除いては。しかしながら、そういった違和感も、普段なら手に何らかの武器を持って事にあたっているのに、今回は持っていないからだろうと、勝手に解釈していた。


 次いで目の中に入ってきたのは、ブロンドの髪を背中まで垂らし、身長が五フィートそこそこ(150センチ弱)と低く、後ろから見ただけでは十代前半の女子にも見える、鼻筋の通った端正な顔立ちの少年と、背がひょろっと高くて黒い長髪のところどころに白いものが目立つ、一見気難しそうな顔をした老人のコンビだった。

 履いていた靴を既に脱いで裸足となっていた老人は、相当な武術の達人であるのか、その後ろ姿がやけに大きく見えた。同じく、着ていた道着の腰に巻いた目新しい黒い帯が立派に見えた。逆に少年の方は、その初々しさを物語るように、道着の白い上着も、下に履いた足首の辺りで細くなった同色のパンツも、足元の平たい靴も、その全てが絹生地のように光り輝いていた。

 両人共、肌の色であれ、髪の色であれ、容貌であれ、どれをとっても似ているというところはなく。一見すると、師と弟子の関係のように見える二人連れだった。


 宙に浮かびながら、地面すれすれを滑るようにやって来た灰色軍団がおよそ数十ヤード先に見えたとき、突然立ち止まった老人は、目の前の光景に向けて手を突き出した。

 するとあろうことか、ハリケーン並みの暴風が吹いたか竜巻並みの突風が起こったかのように、突然、宙に吹き飛ばされたり、地面に裏返ったり横倒しになったりしながら、物体が多数押し返されていったのだった。その直後には、おもちゃ箱をひっくり返したような場景が広がっていた。

 だが、衝撃に強いようにできていた相手はそれぐらいではひるむ筈はなかった。直ぐに元通りに体勢を立て直し、再び反撃を開始して来た。その際、集中砲火があった。砲弾や銃弾の嵐が吹き荒れた。だが老人も黙っていなかった。素早い身のこなしでこれをかわし、その間隙を縫うようにしてやって来ていた相手を、今度は引きつけるだけ引きつけると、真横に円を描くような横蹴り、斜めや垂直に振り上げる蹴りなどを交互の足で立て続けに見舞った。すると今回は更に効果があったと見えて、吹き飛んだ中の何台かに灰色の煙が立ち上った機体が見えたのだった。

 一方、少年の方も、老人とほぼ同じ業を使っていた。ただ少年の方は、老人ぐらいの壮大さがないように見受けられた。だが初心者でないことは確かで。そのとき若い男が持った印象は、そこそこの腕前かな、というものだった。

 二人は服装こそ違っていたが、その後も少年の方が囮になったりと協力し合い、息がぴたりと合っていた。

 襲って来た敵に向かって二人が独特な身ごなしや身構えから繰り出した技に、何らかの武術の修練を積んでいるのだろうと前持って彼等の姿格好から察していた男は、武術には数え切れない位の流派があるからはっきりとそう断定できないが、多くの場面で片方の足を一歩踏み出した半身の体勢を取り、力を静かな気合いで放っている様子などから、これは噂に聞く外気功術の一種、硬気功術かも知れない。しかも威力の凄まじさから、それを凌ぐという意味で超硬気功術だろうな、と冷静に判断分析していた。

 そう見なした背景には他にも幾つかの理由があった。かつて男が愛読した書物の一冊に“裏武術の理論体系”という主だった殺人武術について解説した秘蔵書があり。その中に載っていた外気功術に関して説明した記述によれば、外気功術とは眉間と両手と両膝頭の五点に気を錬った上で行う武術で、その奥儀は創造上の動物を自らの想像で作り出し操ることにある。そうすることにより、離れた位置から対象に一切触れること無しに力を伝えることができるようになると出ていたこと。二人が繰り出した技について、例えば、離れた地点から手足を振り抜き、一切対象に手を触れること無しに対象を鋭く切り裂いた技は、心空蹴り、心空正拳。同じ様に手をかざすことで対象に圧力を加え吹き飛ばした技は遠当て気功、心真掌打。その逆に引き寄せたのは導引気功だという風に、男がその中で学んだ技にそっくりであったことだった。


 これも近い将来、必ずこの異能社会のトップまで上り詰めてやるんだという野望を、男が持っていたからに他ならなかった。如何なるときでも最終的にものをいうのは、人格や経験よりも力であると、若気の至りから信じて疑わなかった男にとって、いざとなればどんな相手とも一戦まじえることができるようにと、知り得る限りの特殊能力、武術の情報を必然的に頭の中に入れておく必要があったのだ。

 無頼な性格であった半面、理論家で研究熱心であった男にとって、これぐらいの知識は知っていて当たり前のことで、別に不思議でもなんでもないことだった。そういう訳でもないだろうが、敗北という二文字を、男は今だかつて一度も味わうことなしにこれまで来ていた。


 刹那。そんなことを考えながら見ていた若い男の目の前を眩い光が輝いた。付近で閃光弾が破裂したのだ。一瞬視界を失った男だったが、目も硬化武装していたおかげで直ぐに回復していた。ふと見れば老人と少年が協力をし合いながら、物体をぶっ飛ばした後だった。だが相手は駆動系か電子制御系を破壊しない限り、ほぼ無敵といって良い機械集団で、しかも機械だけに命令に忠実に従い、動けなくなるまで攻撃を止めない厄介な化け物だった。また、動けなくなればなったらで自爆攻撃を仕掛けてくるし、おまけに生き物のように死んだ振りまでする始末だったからタチが悪いといっても良かった。

 それ以後、二人と物体同士間で一進一退の攻防が続いたと、外見はそのように見えていた。が、若い男の見立てでは、この二人に対しての敵の攻勢は、先手を取るというより寧ろ受けるといった感じの行動に終始している。つまり、じっくりいっているからそう見えるのだろうと解釈していた。

 果たして、時間が経つにつれ形勢は思った通り、敵に傾いていた。

 そんなとき。元々、超硬気功という業は対人向けの最強武術の一つとして評価されている。それ故、奥儀の一部には、生きている者でなければ効果が出ない内気気功という技もあるくらいだ。また、気功の中でも極度に精神力を消耗する。故に、ずっと気を抜かずに力をフルに出し続けることには限界がある。しかも、場外からの銃撃や砲撃を避けながらでは尚更のことだ、といった思考が脳裏を駆け巡っていた。

 人に対していかに最強であろうと、目の前の敵は血や涙を流さない無生物、つまり生命が宿らない物体。しかも厄介なことに衝撃に滅法強いときている。どう見ても彼等の業では、分が悪いのは明らかだった。


「はっきり言って、ツキがなかったというべきか、読みが外れたというべきか、場違いなところへ来ちまったということだな」そう呟いた矢先のときだった。これまで耳にした中でひと際規模の大きい爆発が、遥か後ろの方向の人影のない地点で連続的に起った。また逆方向の隅付近でも同様に起っていた。


 一瞬、何が起ったのか分からず、男は爆発が起った方向へ直ぐに身体を向けた。


(爆発が二ヶ所で、しかも人気のない地点で?)


 そのとき、男の勘が働いた。


「もしやあいつ等か? とうとう見つかったのか」


 その場は笑みをかみ殺していたが、抜け駆けができなかったということだなと、男の表情に安堵の吐息が漏れていた。


「地雷源でも踏んだんだろうな。だが二組が同時とはな。不思議なもんだぜ」


 そう呟いて納得した男だったが、実際のところ、合っていたのはその半分だけだった。残りは男の考えが及ばない別のところにあった。

 確かに爆発は、男の直感通り、姿をくらましていた三人を狙ってのもので、この予想は合っていた。だが彼等は運悪くワナに引っ掛かった訳ではなく、建物の正反対の地点で其々が隠れ潜んでいたところを、遠隔操作で爆薬を起爆させる形式の地雷で引き起されたものだった。それもただの対人、対車両地雷でなく。船舶を破壊する機雷と同等の破壊力のあるものが使われていた。ひと際大きな轟音が室内に響き、土煙が天井の三分の一の高さくらいまで舞い上がったのはそのせいだった。

 率直に言って、スパイダースーツの二人と獣に変身した男が考え実行した、時間が来るまで身を隠すというアイデアは、残念ながらこの場面では、初めから通用していなかった。

 というのも、三人が用いた、目の錯覚を利用したり、光を吸収反射したり、音を吸収したり、或いは熱や磁気に反応しない特殊な素材を使って身を隠すカムフラージュの手法は、光電、赤外線、超音波、磁気などのセンサーの目は誤魔化せても、ショートブーツ状をした車両に組み込まれていた空中や地中で生じた振動波を測定解析することで空間の歪みを立体的にイメージ表示する特殊レーダー装置にかかっては、無力だったのである。

 ただ少し時間を要したのは、より正確に行方不明の者達の所在を探査していたからだった。


 爆発の規模から考えて、通常なら肉片の一つも残らない筈だった。ところが二ヶ所とも、どうやらそれが当てはまらないようだった。

 後方で起った爆発の場合、枯れ木のようなものが、舞い上がった土砂と共に地面に落ちたのが分かったし、前方の爆発の場合は、同じように次々と立ち昇った土煙の中を青いものが移動して行くのが、ちらちらと見えたからだった。

 派手な格好をした二人か獣に変身した男のどちらなのか分からないが、後方で起った爆発に巻き込まれた奴がとにかく終わったというのが、男の正直な感想だった。

 それというのも、その辺りへ、砲撃と銃撃の援護を受けながら次々と集まって行く物体が多数見えたからだった。

 ほんの僅かな時間、その辺りが物体のたまり場となると、やがてどうやら成果があったと見えて、物体のどれもが不審な動きを一切せずに、一台、二台とゆっくりとそこから離れて行き、遂には全ての物体が去っていた。その後には、何も残っていなかった。


 一人目の犠牲者が出たような気配に、男はふんと視線を逸らせただけで眉一つ動かさなかった。これまで飽きるぐらい同じ光景を見て来ていて、もう慣れっこになっていたからだった。

 二つの大きな爆発は、どうやら建物の壁付近で起っていた。そのことから、ここへ来る前に蝶ネクタイの男が壁の隅や壁際へ近付かない方が良いと言ったのは、超強力な爆弾がそこに仕掛けてあると言いたかったのだろうと推理していた男は、それだけではない筈だ。他にもきっとまだある筈だ。この建物の隅や壁伝いにはかなりのトラップが仕込んであると見てたぶん間違いない。俺も同じような立場だったら絶対そうするからな、といった憶測を逆にしていた。

 そのときだった。突然、息が詰るような刺激が男を現実に引き戻した。気がつくと、それぞれ直径三十フィートはありそうな円盤状をした物体が回転しながら目の前にいた。しかも逃げられないように四方を塞ぎ、回転する突起を何度も押し付けていた。身を削られるような強い衝撃が再び何度も男を襲った。これにはさすがの男も本気を出さないわけにはいかなくなり、「うるさい野郎め」と、すぐさまモード3に身体を移行した。

 先ず、水晶の結晶のような形状をした先端が尖る六角柱の角を両方の腕の辺りから長く突き出し、つっかかってきて一番邪魔だと思った物体の二つを串刺しにして動きを止めると、相手の自爆攻撃を警戒しながら、残りを足蹴にして弾きとばし、そこから見事脱出。そのとき、相手に犯行の手口と全貌を見せないように黒い煙幕を張り、伸縮自在の角の存在を隠すのも忘れなかった。男がいつも習慣的にやっている、負けないための巧みな駆け引きだった。

 その後は、余裕がないように見せかけるために、身近にまで迫ってきた他の物体から慌てて逃げるような素振りをした。そうしながら、煩わしくまとわり付いて来る小さな物体の幾つかを偶然を装い破壊することも、数を減らす意味で至極当然のごとくやっていた。


 それから、改めて余裕ができ周りを見回したとき、建屋の奥の方から複数の物体に追い立てられるように逃げて来る人影がちょうど目に入ってきた。その人影は二人連れだった。おまけに見覚えのあるスパイダースーツのようなものを着ていた。直後に、後方の方で殺られたのは獣に変身した男だと確信した。

 だが二人共、あの爆発に巻き込まれて、やはり無事ではなかったと見えて、青と赤といった鮮やかな色に彩られていた彼等のコスチュームはすす色に薄汚れ、至るところに破れが目立ち白っぽい肌のようなものが見えていて、見る影もなかった。そこへ持ってきて初めて見る素顔まで晒していた。

 目を凝らして見ると、肩あたりまで届くブロンドの髪をした男とも女ともつかない中性的な顔立ちをする若者で、特徴といえば、二人とも両耳一杯にピアス。両腕に紋章のようなタトゥーをしているようだった。

 そんな二人が中途で立ち止まり後ろを振り返ったかと思うと、迫って来た敵に向かい手を突き出した。

 この二人連れは格好があんな風であったから、手からクモの糸でも出すのだろうかと呑気に構えていると、何と、二人が目くばせして出したのは、一人は突風を伴う黄色い炎で、別の一人は真っ赤なガス体のような炎の塊だった。

 刹那。黄色い炎がその突風と共に相手の動きを封じていた。すると、後出しのようにもうひとつの赤い炎がそこに覆い被さるように伝播し、相手構わず物体を駆逐していた。

 その破壊の状況というのが一風変わっていて、物体が爆発もせずに突然燃料切れのように動かなくなるというもので。そのことに関して、黄色い炎の方は何かさっぱり分からないものだったが、別の男が放った炎には一瞬にしてパッと閃いていた。当事者の男の全身から一種独特の赤いオーラ炎、――様相と色合いから紅炎(プロミネンス)と呼ばれていた、が沸き起こったのを見たからだった。

 男の記憶では、あれは電荷を帯びた炎で、炎自体には熱のような実害がないが、しかし一旦くらうと、人なら神経系に作用し運動能力や自立系神経が異常をきたし、機械なら電子頭脳(電脳)の部分に誤作動が起るのだ。

 何分と遠くからでは、それ以上のはっきりとした見極めは難しく、推察は合っているかどうか分からなかった。だが、たぶん、それじゃないかと考えていた。


「中々やるじゃないか」


 見事な連携プレイに、男はかすかに笑みを浮かべた。直ぐに、二人とも、そのような立派な特技を持っているのに、なぜそれで勝負せずに隠れる方を選んだのかと疑問が湧いた。が、人それぞれに考えがあってやっているのだろうさ、と即座に答えを出し、そんなことより今は誰が最後まで残るかの方が重要だと、もはや深く考えるのを止めていた。


 そんなとき、若い男が知らないところで大番狂わせが起っていた。最後まで生き残る可能性が高いだろうと男が思っていた、殺人光線を目から放つ例の男が殺られたのだ。

 この局面に一番ぴったりと適合して戦っていた彼の男は有頂天になったということでもないだろうが、目の前には敵なしと考え、これらの物体を遠隔操作していると思われた四台の車両のほうへ照準を合わせるのに、それほど時間は掛からなかった。能力は無限に出せるものではないから、このことは至極自然のことだった。

 だがしかし、地面すれすれと天井部という目が届かない死角に敵が潜んでおり、そう易々と突破できないことを男は知らなかった。

 実は、ドーム状をした物体の中には攻撃用とは別に、守備専用の機体が存在しており。それらは地面の上並びに、チタンのマトリックス(ベース、母体)にカーボン繊維、ボロン繊維を複合化させた繊維で鋼鉄の約百倍の強度を持たせていた目に見えないぐらい細いラインを通じて天井部の中程付近からぶら下がる形で身を潜めていた。無論、地面の上に潜んでいたのは周囲の色に溶け込むようにカムフラージュしており。天井からぶらさがった方はあたかも天井部の備品のようにカムフラージュしていた。

 それらは、体高が約十フィート、直径が約二十五フィートと他の機体と比べてもほとんど変わらず。車輪というような移動装置がなく、通常は固定して使われる。円盤状になった周囲には砲身が短い機関銃がぎっしり五百門並び、機体内部は機関銃の弾倉でほぼ占められている。攻撃型タイプの各種センサー機能に加えて、目に見えないレーザービームや赤外線を弧状に張り巡らせることで、不審者を面で監視探知する防護システムを持つ。不審者を発見したときは、標的をせん滅するまでか弾薬が尽きるまで無差別に発砲する、などといった特徴があった。


 そのようなワナが仕掛けてあるとは夢にも思わなかった男にとって、虚をつかれた形になった。空中高く飛び上がり、目の前の敵を置き去りにしたのは良かったが、無警戒が仇となった。

 目にも止まらぬほど機敏に動ける上に、何十発もの弾丸をくらっても平気なように身体を装甲化していた男だったが、思わず調子に乗って持ち前の脚力で何度も高く飛び上がり移動することを繰り返す内に監視網に引っ掛かり、避けることが不可能な空中で一瞬の間滞在していた瞬間を狙われたものだからひとたまりもなかった。上と下から数千門の機銃が火を噴いたかと思うと、あっという間に蜂の巣状態になって地面に叩き付けられていた。そうして、また一つの命が呆気なく終わりを告げたのだった。


 十数秒の間、凄まじい銃声が轟くや、少し離れた上空に弾幕でできたグレー色の筋雲が出現したその鮮やかな光景を若い男は目撃していた。誰かに向けて行われ、誰かがやられたのだろうかと、そんな思考がふいにひとごとのようにもたげたが、そのときの関心は老人と少年のコンビの方向へ向いていたこともあり、それ以上の進展がなく終わっていた。

 そのとき男は、このままじゃあ二人は殺られるのは目に見えている。普通なら助けてやるべきだろうが……。だが、このまま助けても役に立ちそうにないなと思い、どうするべきか迷っていた。

 その内、ここはやはり方針転換をして見殺しにするべきだろうなと、ほぼ気持ちを固めていたそんな矢先、幾つもの乾いた破裂音が別の場所でした。耳に付く特殊な音は物体が自爆したときの爆発音だった。その音はそれまで余り気にかけていなかった少年の方からだった。もしや遅過ぎたかと疑い、少年が確かいたと思われる地点へ振り返った男だったが、立ち昇った土煙の隙間からはっきり見えていた光景に一瞬言葉を失っていた。

 普段からでも余程のことがない限りほとんど驚くことがなかった、例え人がどれほど殺されようが全く表情を変えなかった男が見たもの。それは建物の天井の高さと比較して身の丈百五、六十フィートはあろうかと思われる半透明をした巨大な化け物の姿だった。しかも三匹もいて、それらがかたまるようにしていて、更にその異様な姿形から、微生物が突如巨大化して出現したかの印象を受けたものだから、平静でいろというのが無理な話だった。

 物体が次々と破壊されたり半透明な体内に飲み込まれているのが見える状況などから、化け物は決して幻影ではなく、実際に実在していることを確認すると、しまったという顔で、興奮を抑えるかのように、男は思わず大きく息を吸い吐いていた。

 男が見た化け物とは? 一匹は、ゼリー状をしたイソギンチャクのような体をしていて、その上部に四つ出ていた頭部がナメクジにどこか似ていた。二匹目は、ミミズのような細長い姿をする透明な生き物で、体の回りにたくさんの長い触手を持ち、体内に紫色の模様がスパイラル状に見えていた。そして三匹目は、ノミかエビに似た巨大な頭部が短い体に付いた生き物で、どうやら体の下に付いた、タコの足のような弾力のある複数の長い足を使い移動するらしかった。


 実物自体を見るのはこれが初めてだったが、一度見ただけでも印象に残り易い特異な姿、特徴をしていたため、三匹の化け物の正体を、男は知識としてある程度持っていた。

 この男の場合、荒熊のジェリコという通り名をそのまま受取ってはいけなかった。実際、今風の若者らしいその風貌や言葉使いなどから腕力だけの乱暴者、はね返り者と見られがちだったが、元々、荒熊のジェリコという通り名は、特殊能力に目覚める以前のわんぱくだった幼少時に、人一倍の恵まれた体格並びに短気で猪突猛進的だった気性にものをいわせて、十数人の子分を周りに引き連れ街でブイブイいわせていた、世間をあまり知らなかった頃の愛称であり、今現在のその中身は、中々どうして、大した知能を持つ知謀家であり、攻撃より防御が得意という老練なくせ者だった。

 それ故か当然のごとく、きちんと整理された頭の中の引き出しから、以前にその手の詳しい概要を収めたライブラリーで得た知識を素早く引き出していた。


 そうして思い起こしたことは、あれらは原生虫類という名で呼ばれている。その姿形から単細胞巨大生物と考えられ、顕微鏡下に存在する微小な単細胞生物が巨大化、立体化したようなものかという説もあるが、その点は良く分かっていない。通常の生息地は幽界と現世の狭間にある時間の狭間といわれている。

 形や色や大きさは個体の種類によって決まっている。普通の一般的な大きさは百五十から二百フィート(45~60メートル)ぐらい。尚、特に巨大なものは数千フィートに達するのも存在する。

 雌雄がなく、単純な細胞分裂で増えるため、子も親の個体も全て同じ姿形をする。移動手段は通常の脚と見られるもの以外に触手や繊毛や吸盤や、その他の特殊な器官を使い行われる。

 食性は雑食性。満腹という概念が存在しないのか、普通に自己の体の数倍もの食べ物を摂取する。種類によっては、体の数百倍の食べ物を摂取するものもある。

 消化は普通の生物と同様、体内運動で食物を細かく細分化し混ぜ合わせて、消化液で消化して行われる。

 ちなみに、どの固体も目や鼻や耳などといった特定の感覚器官を持たない。物理的刺激に傷みを感じない。再生力が非常に強い。熱にも寒さにも紫外線にも放射線にも強く、あらゆる毒も効かなければあらゆる薬品にも犯されない。などの理由から、現世では退治することが難しい。

 だがしかし、現世では環境にそぐわないのか、生存することは難しい。例え間違って出現したとしても、直ぐに免疫機能不全の状態に陥り、自らを消化して自然消滅してしまう。

 ところが例外も知られている。長い年月をかけてこれらの生き物を現世で一定期間生かし続け、尚且つ、飼い馴らして使役する人々が存在することがそうである。彼等はその特殊能力の上、古来より時の治世下において特権的な地位を占めて現代に至っており――――。そういった意味で、彼等は古い伝統と格式がある名家と能力社会では一般的に認知されており――――。そして今尚その影響力は甚大であり――――。


 そのようなことを脳裏で統合した男は、ひょっとしてあの小さい子供は、今風でいうと、貴族の家柄のような、さぞ名のある名門の一族の者かその系譜につながる出の者なのだろうかと思っていた。

 事実、その推察は誤っていないようだった。エビのような頭を持った生き物の透明の体内奥深くに小さな人らしい姿があることを、遠い天体を見る望遠鏡のごとく目のレンズを変化させた男の眼が捉えていたからだった。

 そのとき、武術の達人と見ていた老人の方へどうしても目がいきがちで、少年を軽く見ていた自分の人を見る目のなさを反省した。もし別の場所で、差しで少年と対峙していたならと考えると寒気が過ぎった。根本的な解決策がないあれら三匹の化け物を、最後に相手にしなければならないかと思うと気分が億くうだった。


「やっかいな奴が参加していやがったもんだぜ。まさかあの若いガキがそうだったとはな」


 あれは高貴な家柄に代々受け継がれてきた能力。しかも三匹もあのようなものを従えていることなどから、あの少年は相当な名家の血縁者に違いない。そうなると、あの老人は何だ? 少年の爺やか付き人の類か? それとも世話役、お供ということか?


 その証拠に、遥かに年がいっている老人が、少年の前側に時折出ては見せていた、師弟間の関係らしからぬ、どちらかといえば主従のような関係をにおわせる、どこかよそよそしくかばうような仕草は合点が行くものだった。


「これは手ごわいぞ!」「一体全体、どうなっていやがるんだ。もう……」


 などと正直な気持ちを口に出しながら、もし仮に向こうが残った場合、あの生き物を倒す手立てがない以上、どうにかして持久戦に持ち込み、操っている少年の体力を奪う以外に常識的にいって勝ち目がないだろうな、と対戦した場合の場面を想定して、身を引き締めていたそんな矢先のことだった。若い男の声で、「助けて」と叫ぶ声が響き渡った。


「ふうん?」


 声がした方へ振り向いた直後、その付近で銃声と爆発音が同時に響いた。ドーム状をした物体が一斉射撃をした合図だった。立ち昇った土煙で、たちまち視界が遮られた。

 ほどなくして空気が澄み出すと、確か先ほどまでスパイダースーツを着込んだ二人がいたと思った地点に、例のごとく、卓上クリーナーのような形状をした物体が、蟻が餌に群がるように集まっているのが見えた。だが二人の姿はなかった。

 そのときまで、見るからに見栄えがする派手な技で、二人に勢いがあったことなどから、そうそう殺られはしないだろうと思っていたのにと、一体何が起こったのか分からず、男は唖然となった。

 助けての叫びの後、銃声や砲撃音や爆発音で直ぐに打ち消されてしまったが、「助けて」に続いて「姉さん」と呼ぶ声が聞こえたような気がしたが、気のせいだろう、とスルーした。

 実際、二人が性転換した女であろうと、またその逆であろうと、どちらかが女だったとしても、死んでしまえば皆一緒だという考えからどうでも良かった。これ以上推察すること事態が面倒臭かったし、意味がなかった。

 またそのとき、二人が芝居をしてもう一度姿をくらましたのかとも閃いたが、二手に分かれた物体が勢い良く集まっている光景から、中心付近に何かがあることは間違いないと判断して、二人はあそこにいるのだろうな、と思っていた。


「二人とも、殺られたというわけか」男の冷徹な眼にはそう映ったのだった。


 足と腕とを忙しく動かしながら、そう呟いていた男の方にも新たな銃撃と砲撃があった。これに対し、一回転、二回転、三回転と受身を取るように地面を勢い良く転がり攻撃を交わした。そのとき撃って来た数発の砲弾は破裂弾だったらしく、乾いた爆発音が耳元に響いた。それと相まって、直後に寄って来た数台の大小の物体を、邪魔するなと、足で蹴とばした。それでようやく難を逃れた男が次に焦点を合わせた先は、先ほど見た三匹の化け物の方向だった。

 見れば、先ほどまで一ヶ所にかたまっていた筈の三匹の化け物が、それぞれ離れた場所で敵と対応しているところだった。建屋のずっと奥に控えた四台の車両から、砲撃並びにミサイル攻撃が行われていた。化け物の周辺に縦長の大きな土煙が幾つも立ち昇っていた。的が大きいからやっているのだろうが、流れ弾でも出れば建物の壁を撃ち抜いてしまうのではないかと、爆発の威力の凄さから、男が心配するほどだった。

 すると、ここまでのあわただしい出来事の中で違和感として持っていた一つの疑問が男の脳裏を過ぎ去っていった。それは、これまで頻繁に砲撃やら銃撃が繰り返されたわけであったが、一度も建屋が破壊された形跡がないことだった。

 これだけ派手に撃って来ているわけだから、どう見てもどこかに当たっている筈だし、穴の一つや二つ、いやそれ以上の被害が建物の天井や壁にあってもおかしくない。しかし、何もないということは、何らかのトリックが働いているというのか。何ならこの俺の手で確かめてやっても良いんだが……。

 いや、忘れてたぜ。今はそんなことにかまっている暇はないんだった。これが片付いてからだな。そのときはその謎をゆっくり解明してやるさ。


 そんなことを考えながら化け物の方に、ふと目を移したときだった。痛みを感じない筈の三匹が三匹共、体を無駄に伸縮させたり、震わせたり、大きく揺らせたりと、どうも様子がおかしかった。性質的にじっとしていることができないのか、或いは無敵である化け物がミサイルや砲弾の直撃を受けて苦しんでいるようにも見えた。その傍では円盤状の物体が頻繁に自爆攻撃を仕掛けていると見え、土煙が立っている付近から乾いた爆発音が絶えずしていた。

 そのうち、男は目を見張った。


「おい、何かの間違いじゃねえのか!?」


 束の間の出来事に、信じられないと再び唖然となった。

 それもそのはず。男が見ている前で、どういう理由があったのか知らないが、見上げるほど巨大だった三匹の化け物が、共に真っ白い泡のようなものに変わって、あっという間に蒸発して、どこかに消えてしまったのだから。


 次の瞬間、そこを突くように、周囲に待機していたドーム状の物体が五、六台、すぐさま尖った突起を伸ばすや、高速回転しながらにじり寄って行った。そして各機体がターゲットらしき目標に襲い掛かったと思ったときだった。一つの人影が、そこへ飛び込んで行ったように見えた。だがその後、うんとも寸とも反応がなく何も起こらなかった。気が付けば、四台の車両からの攻撃も止んで、幾分か静かになっていた。

 やがて、一ヶ所に固まって何らかの用事を済ませたらしい五、六台の物体は、直ぐに方向転換をすると、今度は男の方へ向かって来た。そのとき低速回転を繰り返していた突起部分に、当然といえば当然だが、何かがついているのが男の目にはっきりと確認できていた。

 そして、男から見て目と鼻の先の距離だった、およそ百ヤード付近までに物体が迫ったとき、その中の二台の表面部分や鋭い刃物と何ら変わらなかった突起部分に、衣類の端切れや髪の毛やらが血液らしき色に染まって付着しているのを確認すると、二人が殺られたのかの疑問から、殺られたんだろうな、とほぼ確信に変わっていた。

 ほんのわずかな間に、強敵とみなしていた四人の者達が脱落したことに少し面食らった男だった。だが、逆に消えてくれたお陰で気分が楽になり心に余裕ができていた。悠然と構え、残るは殺人光線を放つ男とナイフ投げの男のどちらかだな。仮にどちらかが生き残ったとしても、自分の方が能力的に有利だと考えていた。


 今の男には、常時二十数台の物体が、まだ回りに付きまとっていた。ずっと追いかけっこ状態で、合間に何度か物体を破壊して数を減らしたつもりだったが、その度ごとに補充されるので実数は変化していなかった。そのことがどうやら幸いしたのであろう、今まで四台の車両から直接攻撃を受けたことがなかった。幾ら正確に狙いを定めても先に味方の犠牲が避けられないと、向こうがそう判断して攻撃を仕掛けて来ないのだろう、というのが男の見解だった。

 だがしかしターゲットの数が減った今、向こうもそんなことに構わずやってくる可能性を、先ほどの化け物への攻撃で見た気がした男は、このまま同じ行動を繰り返していたら、きっと同じ目に遭うに違いない。もうそろそろこの芝居も限界だなと、いよいよ敵の本陣へ突撃する決心をかため、どうでもよかったがいつもの癖で、用心深く回りを見渡すと、もはや隠す必要はないかと、身体を男の最強の姿だったモード3に変化させ出撃体勢を整えた。

 身体全体から尖った突起が浮き出てくると共に額付近に牙のような角が横一線に冠のように出現し、ショートの髪やひげまでもが結晶化していた。


 そのような姿となった男は、直ちに行動を起こすことにした。先ず周辺と奥の方向を一べつした。そして、実際に動けるものはもっと少ないだろうが、と想定しながら、見えたものをざっと数えて、物体の残りは大小合わせて三、四十台。その多くがこの付近へ集まっている。いや集まろうとしている。先ほどまで一ヶ所にかたまって一斉射撃をしていた四両の車両が二台ずつ、二手に分かれていることを確認した。そうしてショートブーツのような形状をした車両と団子虫状の車両の方に目標を定めることにした。もう一方の車両の方は、周辺に土煙が頻繁に立ち昇り、銃声音、爆発音が響き渡っている状況などから、先に相手をしている者がいると判断したからだった。


 もうここまで来れば運じゃない。強い方が最後に勝つんだ。そっちは任せるから勝手にやってて貰おうか。俺は向こうの方を一足先に血祭りにあげてやるからな。


 選択は妥当な線だな、と判断し、目前に見えていた数台の物体の中央を突破しようとしたときだった。いつもながらの計算の高さと冷静沈着な性格が出ていた。


(だが、ちょっと待てよ)


 確かに次にするべきことは、唯一人間が載ると思われる車両にこのまま突っ込むことで、これは間違いなく正解だった。だが、一つ分からないことができていた。このことは、どうしても背を向けて放っておくわけにはいかないことだった。今、確認しておかなければ、今後、自身の身に同じようなことが起こる可能性がある、重要な問題だった。


 そのとき男の脳裏に浮かんだもの。それは、男の前にここを訪れ、殺されたのか消息を絶った前任の潜入捜査官のことだった。女性であるが、捜査歴およそ七年のベテランで。その能力は、幻を自在に操る幻界師で、魔術にも造詣が深く、おまけにインビジブル・デスアッシャー、アンタッチャブル・デスラインといった謎の必殺技を持つ。総評すれば攻守に均整の取れた優秀な人物だったと、この任務を依頼してきた担当者から聞いていた。そのような名うての人物が殺られたのには油断や技量・運だけでは片付けられない何らかの事情があったからではないだろうか、という憶測が、先程の四人のやられ方からふと浮かんだのだ。


 どんな強固な身体、ずば抜けた能力を持っていようが、強い衝撃などを受けて意識がとべば無防備といっていい状態になる。そうなればひとたまりもない。

 しかしスパイダースーツの二人連れは不意を突かれたということはあっても、叫び声を上げた奴もいたぐらいだから、そのような理由から殺られたのではなかった筈。ましてや、あの三匹の化け物が消えた事情は今持って不明だ。


(何がここで起こっていやがるんだ?)


「……よし!」若い男は、抜け目のない目を瞬かせた。


 先ほど見た出来事を顧みて、ある可能性が閃いた男は、その裏付けを取るために再現テストをしようと考えたのだった。

 その心境は、前任者の技やあのような化け物を操っていた少年や硬気功術の奥義を極めていた老人のような真似はできないが、スパイダースーツ姿の二人のような真似事なら、何とかできないかというもので。結論は、炎系の技はとても出せそうにないが、それに代わるものでやってみようで落ち着いていた。


 男には、誰にも公言していない秘密の特技が二つあった。

 腕に覚えのある者なら誰でも、強くなりたい、誰にも負けたくない、一番になりたい、といった欲求を必ず持つものだが、この男も例外でなく。そうなりたいと毎日毎日、鍛錬に明け暮れ、己が能力の限界を見極め超えようとしていたときがあり。その時期にいずれも偶然見出した能力だった。

 一つは身体の一部、例えば頭部や胴部や腕や足を自在に切り離すことができるというもので。偽りの血と組み合わせることにより、わざと負けた振りをしたり死んだ振りをして、窮地から脱出したり敵を油断させて措いて一転攻勢に転じたりと、臨機応変に使える便利な能力だった。

 またもう一つは、鉱物状態にした身体の一部をレンズ代わりにして、体内に蓄積したエネルギーを光熱エネルギーに変換して体外に放出するというもので。男にとっては、唯一使える放出系の能力だった。しかも訓練により体の至るところから繰り出すことができた。 

 その結果、手先や手の平といった比較的照準が合わせ易い部位からの射出は一般的な狙撃用として、その他の部位の照準が合わせ難いところからのは敵の意表を突きたい場合や不特定多数を相手にする場合と、使い分けをしていた。

 そしてその威力は、およそ百ヤード先の鉄を赤くすることまではできたが溶かすことはできなかった。だがその距離の木材や生き物の類なら直ぐに灰にしてしまうことができた。そのことから、熱線としての威力は華氏1800度から2750度(摂氏1000度から1510度)の間と見ていた。


 それら二つの能力のうち、言わずと知れた放出系の方を男は選んだ。そうして、直ちに目の前の相手に試そうとした。

 但しそれには、射程距離をパラメーターとする条件を考えていた。威力は男をしてもこれ以上上げようがなかったが、届く範囲なら力の加減が容易で調節ができると考えたからだった。


「さあて、どうなるか見ものだぜ」


 落ち着き払った男は、地面にできた窪みに足をとられないように気をつけながら横走りすると、それまで貯め込んだ力を片方の腕にみなぎらせるや、前方に並んで現れた同じような大きさをしたドーム状の機体の一つへ狙いを定めて、エネルギーを手の平から断続的に三回射出した。この形をした物体はほとんどの場合、離れた地点から攻撃を仕掛ると男の頭の中にちゃんと入っていて、距離をとってくる相手は、テストをするのにまたとないチャンスだと思ったからだった。

 距離は百ヤードちょっと。一度目は百ヤードまで届く普段通りの力で。続いてはその倍の二百ヤードまで届く力で。三度目は普段の四倍の四百ヤードまで届く、男としては精一杯の力でと、到達距離だけをアップするやり方で試みた。

 結果、クリーム軟こう容器のフタぐらいあった最初の太い線光は急速に減衰して半分の距離まで行かぬうちに消えていった。二度目も同様で中途で消滅してしまった。三度目はようやく届いたと見えて、セラミックか何かでできた物体の装甲の一部が一瞬赤く変わったように見えた。


「そういうことか。やはりそうだったか」


 たったそれだけのことで、ついにはっきりとした理由が分かったような気がした男は、呆れたように首を捻ると、茶色の目を輝かせてちょっとだけ優越感に浸った。


「この中で能力を使うと消耗が早いっていうわけねえ。これじゃあ、どんなタフな奴でも直ぐにエネルギー切れになるって寸法か!

 酷い仕掛けがしてあったもんだぜ。なるほどねえ……。俺のような、地味な内面強化に重点を置いた者はどうやら何もないようだが、放出系の技を得意とする者は力がいるって訳だな。呪文系も、あれも同じようなもんだろうな。

 いよいよ、これを仕組んだ黒幕に会って、何のためにこんなことをしたのか聞いてみたくなったぜ」


 この中で能力を使えば威力が半減すると分かっても、他の者達の目がある限り弱みを見せるわけにはいかず。といって、それ以外の解決方法も見つからず。仕方なく能力を目一杯出し続ける方向へ追い込まれて、最後にスタミナが切れたところを殺られた。前任の調査官もスパイダースーツの二人連れも老人と少年のコンビも、全員がそんな風に自滅して行った……。

 おそらく、硝煙の臭いと土の臭いと塗料の臭いと、その他諸々の化学物質が複雑に入り混じったこの大気中か、この黄色っぽい明るい照明の光の成分中か、でなければ天井や壁か地面の下に、そのような作用をするもの。例えば呪力無効薬、集中機能阻害薬、封印・呪符の類、呪水・魔石の類、アンチ能力者具現化生成遮断・阻害剤のどれかが予め仕込んであるんだろう。――男が短時間で導き出した答えだった。


「よし、そうと分かれば中央突破だ」


 その直後、複数のてき弾が男の斜め方向の空中と、前後の地面で破裂した。男が標的にした一群から発射されたものだった。舞い上がった土煙や爆風で、たちまち行き場を失った男だったが、直撃を避けていて、全く何ともなかった。間をおかずに機銃の連射が起こった。周囲が見えなくなったことでややバランスを崩したが倒れることはなかった。風を切るように回り込んでいた。

 爆弾の直撃を受けて意識を失えば終わりという能力者の弱点を旨く突いた、実に理に適ったアクションだった。

 そのことを知ってか知らでか、急に慎重になった男の足取りは、先ほどの呟きとは裏腹に、何者かが先駆けて辿ったと思われ、安全と考えられたルートの方角へ、自然と向かっていた。


 同じ頃。青年は、ゆっくりとであったが着々と前進していた。

 とはいえ、そこまで来るまでは苦難の連続だった。

 これら機動性に富んだ物体を操っている者を倒しさえすればこのゲームは必ず終わるに違いないと、誰もがそう考えていたように青年も例外ではなかった。当初は、向こうの守りが比較的手薄そうに見えた壁伝いを辿って行こうとしていた。だがそうしようとする前に、団子虫状をした車両側から正確に狙いすましたように撃ってきた榴弾が幾度も直ぐ横をかすめた。その度に巻き起こった爆風で吹き飛ばされ地面に叩きつけられた。何度も意識もうろうとなりかけ、生きた心地がしなかった。

 というのも、壁には電流が流れているのか、一緒に吹き飛ばされた土砂や小石が壁に当たる度に、バチバチと云った耳障りな音と共に青白い火花が散ったからだった。そのため、壁に沿って進むことは、その時点で諦める他なかった。

 そうなると正面からしか向かう以外なかったが、砲撃はなくなったものの、今度は円環状をした物体が多数で待ち構えていた。それも群れでかたまっていてくれるのであればまだやり易かったが、それらが前後左右と広範囲に展開して、周りを囲むようにして襲ってくるものだから、防戦を強いられてばかりだった。

 もう夢中だった。いつしか口がカサカサに渇いていた。自分の意思で動くというより体が勝手に反応して動くという条件反射で動いていた。その思考回路は、こんなところで死んでたまるか、といった自分のことだけで精一杯で心に余裕を持てなくなり、他のことなど考えられないようになっていた。


 そんな中、気を強く持とうと青年を奮い立たせたものがあった。こういった風な命の危険が伴う場面での経験が乏しかった彼は、とっさにどうすれば良いか分からなくなったとき、いつもそれを思い浮かべることで心の支えとしていた。

 それとはやはり、とある男が語ってくれた教訓のような彼自身の体験談や戒めの言葉で。例えば、「先ず、若いうちは年寄りのように力を出し惜しみしないことだ」とか、「殺し合いをすると誰だって初めは死ぬのが怖くなったり、いつ死んでも良いというように開き直ったりするものさ。そこから経験を積むと、死ぬことに冷静になって平気になれるようになる。そこから更に行くと、もう何も判らなくなるもんだ」とか、「余裕が無いときこそ運が転がっているもんだ。だが、そいつをつかむかつかまないかは、これまた運よ!」とか、「能力をより良く使いこなすにはその日の気分に左右されない強い信念が必要だ」とか、「いつも愛想良く喋り掛けてくる女は二枚舌の尻軽女だから、気をつけろ! 但しパトリシアは、あれは別だ。あいつは単なる生活習慣病だ。おまけに世話を焼くのが大好きときてる。心配いらねえから大いに信用して良いぞ。但しな、利用しようと思うんじゃねえぞ。あいつの後ろにはいつもおっかねえ化け物が付いてるんだ。あれとまともにやりあったら、命が幾つあったって足りねえんだからな」など……。

 また、臨死状態から目覚め超人的な能力を得た青年が、裏の世界で役に立つことで命を助けて貰った恩を返そうとしたが、諦めざる得なくなったのも、彼の男の一言、

「ちょっとやそっと力を得ただけで、安易に俺みたいな生き方をしようと思うんじゃねえ。一生懸命やれば裏の世界でやっていけると思ってるんだろうが、世の中、そう甘いもんじゃねえ。お前ぐらいの腕なら世間に五万といるんだぜ。

 例え肉親、恋人の命が危ないときでも、いざとなったら平気で見殺しにできる奴でないと、裏の世界で生きていけないんだぞ。これは長生きしたければの話だがな。

 あれもこれも、ほとんど全て、この俺が体験して学んだものだから大したことは言えねえんだがよ。

 ま、ともかく、情に流されやすい奴、何でも直ぐに信用する奴は、裏の世界に向いちゃあいねえんだ。例え、死んだ人間でさえ死んでいると決め付けてはいけねえ。死んだ人間の頭や急所を蹴り飛ばしたり、唾を吐きかけてでも起そうとするぐらいの気骨というか用心深さが必要なんだ。そうでもしないといつ背中からズドンとやられるか分からない。分かるか? 頭で判っていたって、中々これができねえものなんだ」


 が、きっかけだった。しかもその話し振りが乱暴で飾り気のない素朴な言い回しであった分、余計に彼の脳裏に強く印象に残るものとなっていた。

 そこへ持ってきて運が味方したらしかった。何者かに向かって相手が地上と上空から一斉射撃した銃声と、そのときできた弾幕の筋雲を目撃したことだった。一見、艶やかに見えた光景とは裏腹に、情け容赦ない攻撃を垣間見た気がした青年は、一瞬その場で棒立ちとなって動揺した。しかしそのことが、それまで慎重にいくことなどとうに忘れ、前に突き進むことしか頭になかった青年に、冷静さを取り戻すきっかけを与えていた。

 事実、奥の車両と円環状の物体以外にも隠れ潜む敵がいると、冷静に理解した青年は対応策を講じた。

 先ず地上の方においては、敵が潜んでいそうな地点へ当たりをつけると、探りを入れるために何本ものナイフを地面すれすれに投げつけた。すると、センサー部分だけ地表に出して周りに溶け込むように偽装化した物体から、ある反応があることが分かった。センサーの目がナイフを追尾するように動くため、地面の土が僅かに動くのだ。その点を、鳥のように鋭い青年の目が見逃さぬ筈はなかった。隠れ潜む物体を突き止めては例のナイフを投げつけると、元々内部が弾薬庫のようだった物体は、ことごとく自爆していった。

 上空の方は更に簡単だった。天井の高いところでぶら下がっている物体を狙えばそれで良かったのだから。だが直接狙ったのでは、物体との距離が比較的あることもあり、反撃に出られるとやっかいだった為、機転を働かせて物体を吊り下げている細いワイヤーを狙うことにした。三本のナイフをY字のように組み合わせた形にすると、物体を吊り下げている細いワイヤーを目掛け、手裏剣のように投げつけた。すると、Y字状のナイフは回転しながら不規則な軌道で天井高く舞い上がり、物体のセンサーに捉えられずにワイヤーを無事切断し、手当たり次第に物体を地面へ落としていったのだった。

 次々と迫ってくる円環状の物体並びにドーム状の物体からの銃撃・砲撃に対応しつつ、それらを実行したのだから、表向きは冷静に対処しているように見えていた。だが、無表情の奥底は、実はそうでなかった。正気に戻り事態を良く把握できるようになったことで、逆にその胸の内は、本当のところ、不安と緊張から来る厳しい興奮の高まりで心臓がばくばくと悲鳴を上げていた。


 その間、放たれたロケット弾が空中で炸裂して生じた爆風の反動により数十ヤード横に吹き飛ばされた。が、たまたま飛んで来た金属の破片で擦り傷を負ったぐらいで、ほとんど怪我はなかった。そのとき移動中だったショートブーツの形状をした車両から、ほぼ水平状態になった発射装置が見えていた。

 ぶつかってくる相手を前後左右、上方と避ける度に、ドーンと物体同士が衝突する音が何度も聞こえた。互いに鉢合わせした物体は、その反動で元来た方向へ吹き飛んで行った。

 砲撃や銃撃が治まった地面のあちらこちらからは赤土が付いた靴や衣類の切れ端が人の骨や肉片らしきものと一緒にのぞいていた。おそらく以前にここで死んだ者達のもので、爆発で地面が掘り返されて出てきたものらしかった。

 そうこうする内に、てき弾や機関銃での激しい攻撃を受けた。中々、そこから前に進めぬほどだった。見れば、遥か前方に停止していた車両のやや斜め後方にざんごうのようなものが築いてあり、その中にエンジ色のヘルメットに黄色と茶とグリーンの三色から構成されたデザート柄の戦闘服に身を包んだ一団がいた。彼等はロケットランチャーや軽機関銃や狙撃目的用らしい長い銃を構えていた。


 そのような足止めに遭っているときだった。不意に後ろを振り返ったとき、一瞬大気が淀んだかのように景色がぼんやりとぼやけたかと思うと、突然、目一杯膨らんだ風船が一気にパンと割れたような爆発の轟音が後方で響き渡った。すぐさま見えない業火が襲ってきた。次の瞬間、とっさに目を閉じていた。熱さで顔が硬直して息が全くできなかった。それまでの爆発で受けた高熱より遥かに熱いものだった。

 だが、そのときも運が良かった。爆発の予兆をいち早く目にして反応できたからだった。

 爆発の影響を諸に受ける前に反射的に天井高く飛び上がっていた。背中部分から、広げると浮力を生み羽ばたけば加速するという、両翼が身長ぐらいあるコウモリそっくりの黒い翼を出して。


 かつて死の淵から奇跡的に生還を果たし意識が戻ったとき、身体を失った知的生命体と取り引きした形になっていて、並みはずれた感覚と運動神経が青年の身体に備わっていた。今や得意技になっていたナイフ投げのパーフォーマンスもそのときからできるようになっていた。

 だが彼は、それ以外にも幾つかの能力を身につけていた。例えば、服の下で見えなかったが衝撃や高熱や冷気から身を守っていた黒い体毛。両手両足を鉤爪に変えられる能力。今回、無意識に出した翼もその一つだった。

 ただ青年は、これらの能力を、あと尻尾と角が付いていればどうみても悪魔そっくりに見えてしまうことから、とても嫌だった。故に、人前では絶対に見せないことにしていた。けれどもそうはいってられない非常事態の場合は、話は別であった。


 空中に飛び上がったタイミングで、爆発物の成分が不完全燃焼を起こした黒い熱風が鼻を突く臭いと共に入道雲のように湧き上がった。色が着いた熱風は、直ぐに天井付近で拡散すると、雲のように少しの間漂って消えていった。

 爆発の威力は凄まじかったらしく、下の地面がえぐりとられてすり鉢状になっていた。まるでミニクレーターができたような惨状だった。そのあちこちに、すっかり形を残さぬくらいに断片化した物体の機体が、埋もれた状態でくすぶっているのが見えていた。

 身体の方はどうやら無事のようだった。が、着ていたジャケットや靴は全て高熱で焼け焦げてしまってボロボロになっていた。瞬間、あの場でいたら身体が焼けるか吹き飛んでいたかも知れないと思った。

 だがそのとき、早く全てを終わらせてしまいたいという焦りだけがあった青年にとって、じっくりと構えている余裕はなかった。

 尚も百度を超える高温に熱せられた空気が吹き荒れていた大気の中を一気に翼を羽ばたかせて飛ぶと、砲撃と銃撃が止んでいたこの機会を逃さず、陣を構えていた地上の一団の背後へと回り込んだ。この状況下では既に生きていないだろうと相手が油断をしていたのだろうか、そこまではスムーズに事が運んだ。


 そこには十二、三人はいたようだった。だがしかし、数えている暇はなかった。片っ端から殺るだけだった。

 彼等は、地面を掘り下げ一段低くしたところに身を潜めて、爆発の余韻を眺めているところだった。おそらく熱さ対策であろう、全員がごわごわしたベージュの迷彩柄のブランケットを頭からすっぽりと被っていた。その為、どのような服装をしているのか、どのような武装をしているのか、はっきり分からなかった。

 そんな中、一人だけ他のメンバーと四、五十フィート離れて待機しているのが見えた。どうやら周辺監視と補給の任務に就いているらしく、その傍らにあったケースに真新しい砲弾が整然と並んでいた。

 そこを青年が逃す筈はなかった。唇を一文字に引き結ぶと、この男から殺ろうと決め、息を殺して近付いた。

 そのようなとき。


「人を殺るってことは、いかに非情になれるかで、その後の立ち居が変わるんだ。いかに非情になれるかで、そいつの良心が分かるってもんよ。他人から見れば残酷と映るかも知れないがな。……つまりだな、これから殺るものへの心遣いとは、手抜きをしたりためらわないことだ」


 などと彼の男が語った、人殺しをやることに関しての気構えを、青年は忘れてはいなかった。

 尚、この話にはまだ続きがあり。今から思えば恥ずかしいことだが、その時分は何も分かっていなかったせいもあり、どのくらいの程度でやれば良いんですかと訊いていた。

 すると、


「そうだな……。交通事故に遭って即死ってところかな。あれは、あっという間だからな」といった反応が返ってきた。その後に続いた言い訳はこうだった。


「死ぬってことは必ず苦痛を伴うというのはお前も分かるだろう。同じ死ぬならその苦痛を少しでも軽くできないものかと考えるのが普通だ。それなのにだ、いずれ死ぬと分かってるのに長く生かして苦痛を与え続けるてっのは、人でなしのやることと大して変わらないんじゃないのかな」


 即、男の話は随分身勝手な発言だと思って見たりもしたが、何分と自身がまだ人を殺すということを行ったことがなかった事実と、それに反論する適当な言葉が浮かばなかったため、そのときは熟練者の意見に耳を傾ける振りをしていた。 そして今尚、それに反論する言葉を見つけられてはいなかった。


 鉤爪に変化させていた左手の五本の指の内、人差し指と中指を伸ばしその他を丸める形を作ると、背後からその二本の爪を斜め下の方向へ一気に振り下ろした。

 途端にブランケットの表面に斜めの線が鋭く入り、被っていた相手は一瞬丸めていた背中を反ったかと思うと、マスクをしているのか特徴あるくぐもった声を発して、うつ伏せに倒れていった。ほんのわずかに早く、手にしていた短機関銃がそのすぐ傍らに落ちたようだったが、土の上であった為、ほとんど音がしなかった。

 背中に深手を与えた黒い鉤爪の先が液体で濡れていた。傷が浅かったのかと気にしつつも、動く気配が無いことを確認すると、さっそく機械的に次の行動にでた。並んで前方を向いたまま、まだ気付く素振りのない他の者達へ強引に襲い掛かった。

 すると、あっという間に終わっていた。そのときの青年は彼等に一発も反撃させなかった。いや彼等が撃てなかったというのが正しかった。それほど思いがけずに襲われたことを物語っていた。

 けれども辺りに静寂が訪れ、狂人のように変わっていた青年の双眸が正常に戻り、無我夢中だった自我意識が落ち着きを取り戻したとき、彼のやや混濁した視界には、十数ヤードに渡って惨殺された数え切れない遺体が映っていた。


 傍らに落ちた二つに切り裂かれたブランケットの隣で、仰向けに倒れ息絶えた男。肩口から首辺りにかけて深い傷が見え、蒼白な横顔をしていた。

 無事に締まったウエストと形の良いヒップをした体型から女と思われた死体。ヘルメットを被った頭部が地面の方に前のめりになっていて顔は見えなかったが、半袖の迷彩服から出た腕は日焼けして、細い割に筋肉質だった。

 仰向けに大の字になった男。迷彩服の上下に乱れがなかったが、被ったヘルメットが縦に割れ、ヒゲ面の顔面が真っ赤になった状態で死んでいた。

 腰を九の字のように曲げた状態で横たわる首なし死体。片方の手首がなかった。

 頭にヘルメットを被った首。ガスマスクをしたまま地面に転がっていた。

 皮手袋をして軽機関銃を持つ片腕。傷口から血がドクドクと流れ、骨の部分が見えていた。

 二つに分かれた胴体。流血に染まった内臓が飛び出ていた。その他は、例外なくほぼ全て、うつ伏せになった姿勢で折り重なり合うように絶命していた。


 人を殺害したことを意識した瞬間だった。過去にも同様の経験があったので震えが出たり、叫びはしなかったものの、一瞬恐怖に顔が歪みたじろいだ。息が荒くなり、息を吸うのと吐く順番を間違え、吸う方がやや多くなった。血の気が失せて吐き気までした。

 もはやこれ以上直視することができなくなった青年はほんの暫し目をそむけて沈黙した。


「……」


 すると両方の手が鉤爪に変わっていたことに気が付いた。何も覚えていなかったが無意識に右手も鉤爪に変化させていたらしかった。各爪先から血らしき液体が地面へしたたり落ちていた。他にも心配になって身の回りを見回すと背中に翼はなかった。はいていた黒のデニムのパンツは半パンとなっており、むき出しになった両足の回りを黒い剛毛が覆っていた。だが、ぼろぎれのようになっていた上着のジャケットはどこへいったのか分からなくなり、穴がところどころに開いた黒いTシャツ一枚の姿になっていた。履いていたブーツも消えていた。両足は共に裸足だった。

 しかし、このまま呆然と立ち尽くしている暇はないことを青年は分かっていた。まだやることが残っていると直ぐに肝に銘じると、祈りのときのように目を伏せ、「悪い」と素直な一言を殺害した者達へ漏らして、気を強く持つんだと自身に言い聞かせた。そうしてすぐさま次にすべきことを実行しようとした。

 その間中、ドキドキと心臓が脈打っているのを感じていた。それを沈めようと、呼吸を深くゆったりと意識して行っていた。


 敵の装甲車を破壊する為にふと思いついたのは、先に見たロケットランチャーの砲弾を利用することだった。砲弾といっても種類が幾つかあり、どれが何やら分からなかったのでまとめて使うことにした。

 ちょうど旨い具合に、ここでの出来事は車両側の方に気付かれていないようだった。先の爆発の結果に目がいっていたのか、それとも別の要因があったのか良く分からなかったが……。

 ま、ともかく、味方が待機している方向から、敵が破壊工作をまさかして来ないだろうという隙を突いた作戦を推し進めた。


 青年は動いた。違う種類の砲弾を空のケースに適当に混ぜて詰めると、その場にあった移動カートに乗せ車両の直ぐ近くまで運んだ。そのとき、同じく見つけた迷彩柄のブランケットを頭からすっぽり被って役立てた。

 後は、停止して動く気配のなかった各車両の下に仕掛けるだけだった。念には念を入れて、別に見つけていた手榴弾や地雷も傍に置いた。

 こうすると何もする必要がなかった。十分な距離をおいて、相手から奪った手榴弾を車両の足元目掛けて投げつけるだけで良かった。

 あっという間に爆竹が弾けるような音と共に車両の直ぐ下のそこかしこからオレンジ色やら赤い色をした短い火柱が見えたかと思うと、車両が宙に四、五フィート舞い上がった。非常に短い時間で種類の違う砲弾が誘爆した瞬間だった。本来の使用法でなかった為、一つ一つの爆発の威力は弱かったが、数の多さがそれを補った形となっていた。二台の車両が、いずれもいとも簡単に半壊から大破したのだから。


 見る間に空中で三、四度跳ね飛んだ車両は、地面に落ちるや否や転がり、逆さまの状態になって止まった。直後に車体の裏側から黒い煙と共に火災が起こった。タイヤのほとんどが吹き飛んで無くなっていた。数秒待ったが、中から誰も出て来る気配はなかった

 おそらく、逃げ出すことができない状態になっている、例えば、全員が中で負傷をしているとか意識を失っているとか、或いは脱出口が閉ざされて出られないのだろう、と思った青年はそのまま放って措くことにした。

 ここでも、最後まで非情に徹することができない面が出ていた感は否めなかったが、彼の注意が別な方向に移っていたからに他ならなった。

 そのとき青年の視線を釘付けにしたもの。それは、残りの二台の車両の方向から立ち昇っていた灰と黒の二色が混ざり合った濃い煙だった。何らかの異変が起こっていると見て間違いなかった。おそらく、何者かが攻撃を加えているのだろうと想定していた。


 ここまでくればもう慌てる必要がない、と大きく息をついた青年は、身体を元に戻すと、ゆっくりと歩み出した。どれくらい経ったのだろう、と初めて時間を気にする心の余裕すら生まれていた。


 このままいくと、問題の敵がいなくなって、相手は七人の内の誰かに決まることだろう。そして、それからの対決で、どちらかが残るんだ。そうなると、もはや殺し合わなくても時間が解決してくれる。時間がきてこちらが優勢ならそれで良いんだ。そんな思いが彼を気楽な気持ちにさせていたのだった。


 できることならそのようであって欲しいと祈りながら歩き始めてそれほど行かない内に、前方で煙を上げていた車両の陰から、急にがっしりした体型の人影が現れた。その距離、およそ二百ヤード弱。思いが叶ったことに内心ほっとした青年は無表情で頷いた。その人影はこちらを向いて立っていた。

 風変わり、地味、意味深と個性的なメンバーが揃った八人の中で、一人だけ頭のてっぺんから足のつま先までおしゃれな格好に決めていた、確かそう、肌が鉛筆の芯ぐらい黒かった若い男。登録名、ミカエル・キャステル。しかしてその正体は、ジェリコ・グスマン。通り名、荒熊のジェリコ本人だった。


 二人は共に歩みを止めることなく近付くと、見る間に間隔が詰まり……。やがて二、三十ヤードの距離までになったとき、どちらかとも立ち止まった。そして必然のごとく鉢合わせした、あたかも西部劇映画に出てくる決闘の一場面のように。


 そのとき若い男は、意外な展開に、内心は非常に驚いていた。

 というのも、暗い表情をして亡霊のように歩いてきた青年を、――目にも止まらぬ速技で狙った的に当てられるという百発百中のナイフ投げの特技と手を鉤爪に変化させられる、どちらかといえば地味な能力を持つ男。それほど筋肉質でない体付きから、猛きん系かサウルス系の能力者だろう。八人の中で一番生き残る確率が低い男。――と見ていたからだった。

 そのような者が最後まで生き残ったこと自体がどうしても男には理解できなかった。

 だがその反面、こいつはラッキーだったとも感じていた。自分のような者には、そのような陳腐な能力ではどうあがいても通用しない、という思いが強く胸の中にあったからだった。


 一時立ち止まった青年は、一度、大きく息を吸って吐いた。他方、普段の身体に戻っていた若い男は、厚めの唇をなめる仕草をした。

 あいかわらず天井の灯りは、影ができぬくらい明るく照らしていた。周囲の大地は砲弾、爆薬などですっかり荒れたものとなっていたが、そこの周辺だけはタイヤの跡が残るぐらいなもので、比較的平坦のまま残っていた。

 そのような中、これから彼等は、それとなく死闘を繰り広げようとしていた。


 それまでやかましかった銃声や爆音やその他諸々の轟音が止んで、不気味なほど静まり返っていた。初めてここへ入って来たときにリセットされたようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る