第5話

 同じく一ヶ月前のこと。時刻は夜の八時過ぎ。

 当日は週末の金曜日であったためか、狭い敷地内に大手証券会社、有名銀行、保険会社、老舗の音楽会社、各種放送局、出版会社、クレジット会社、通販会社、政府系の独立法人の建物、電力会社の支社ビルと云った、数え上げたらきりがない幾つもの高層建築物がそびえ立つ界隈は、帰宅に急ぐ人々やこれからショッピングや食事に出かける人々でごったがえして普段以上の賑いを見せていた。

 通りに並行して走る片側四車線の広い道路は、やはり週末とあって、上がりも下りもいつもより混雑していた。交差点で信号待ちして停まる車は運行別に三色に色分けされたタクシーとバス、ボディのでかい高級車ばかりが目立っていた。

 そのような何の変哲もない都会の喧騒を十階建ての建物の三階部分の窓から眺めながら歓談する一行があった。窓は三重構造の防弾ガラス仕様で、外からは鏡にしか見えないマジックミラーだった。内部は個室のラウンジになっており、著名な政治家、有名人等が主に密会や密談をするのに広く利用していた場所だった。


 それほど広くない室内。フロアはモノトーン格子柄の大理石。壁際には総革張りのソファがL字状に置かれていた。部屋の四面の一つ全体がまるまる窓で、それ以外はベージュ色をした大理石の壁。窓の側には四角い強化ガラス製のテーブルとイスのセット。三面の壁にはソラリゼーション加工が施されたどこかの都市の景色や花瓶の花の造形や裸の男女が折り重なる姿や色々な動物等の写真が色鮮やかに染付けされていたり、或いは白黒の状態のままで額にして飾り付けられていた。その他にも、天井部には埋め込み式の小ぶりなシャンデリア。室内にはラヴェルの曲らしき澄み切った美しいピアノの旋律がささやくような音量で流れていた

 そのようなどちらかと言えばモダンで洗練された内部に、セットされたテーブルを囲むように腰掛けていたのは、紛れもなく三人連れの男達だった。

 テーブルの上には、中身が入る茶色と透明のビンがまとめて十本ぐらいとガラスのグラスが人数分だけ置かれてあり、グラスの何れにも茶色の液体が七分目ほど入っていた。三人の内のひとりはそのグラスの一つに手を添えていた。別のひとりは、窓を正面からチラッチラッと眺めながら、一方の手に一本三百ドルは下らない高級な葉巻を、もう片方の手に携帯灰皿を持ち、壮快そうに時間をかけてくゆらせていた。煙草の高級化と喫煙場所の縮小化が進み、世の中から喫煙者がめっきり減った現在、非常に珍しい光景だった。そして最後のひとりといえば、横の窓を一切見ずもせずに向かいの男の話に耳を傾けていた。


 肌の艶、頭髪、しわの数等の外観から見て、三人の見た目年齢はそれぞれ二十代、五十代、七十代といったところか。しかし彼等は部下と上司の関係、子と父と祖父の関係では一切なかった。彼等は異業種間交遊とか言われるパーティで知り合い、お互いの利害が一致したため、必然のように仲間、友達という関係になったものだった。そういった事情などから三人は年齢が離れているにも関わらず、お互いに相手をファーストネーム若しくは愛称のようなもので呼び合う仲だった。


 ちなみに、グラスに手を差し伸べていたのは、無地の濃紺のスーツに派手な黄色のワイシャツ、ネクタイはオレンジのストライプと見掛け通り三人の中で一番若く。実際の年齢は二十代後半という、ブロンド色に染めた髪に少し頬がこけた感がある顔つき、色の浅黒いほっそりした男で、名をムハンナドと言った.

 話では、元々裕福な家庭の生まれで、十代の終わりに親から分け与えられた資産を元手に色々な事業に手を出し、現在の職業はプロジェクトプランナーと各種仲介業に落ち着いているという触れ込みで、本人は個人の実業家だと吹聴していた。だがその一方で、金で雇った三十人以上のボディガードを手足のように使い、裏社会とつながりのある仕事にも従事していた。

 一方、白いワイシャツに地味な柄のネクタイ、重厚なスーツといったオーソドックスな格好で上等な葉巻を片手に持ち、呑気に窓の外を眺めていたのは一番の年長者で、既に七十を過ぎた老人だった。名をケントジュニアと言い、ほとんど毛が無い頭。ふくよかであごが無いようにみえる顔。恰幅の良い体型をしていた。

 彼は、その姿だけを見るとどこにでもいそうな老人だったが、ひときわ存在感を持っている人物だった。それもそのはず、彼は祖父の代から三代続いた政治家の家系で、派閥の領袖も務めたかつての経歴から、らつ腕とか切れ者と恐れられた人物だった。

 その彼も、もう年なので後進に道を譲って残る余生をのんびり愛犬とともに暮らしたいと、七十歳で政界を引退したことになっていた。だが引退理由は、実は真っ赤な嘘だった。

 本当のところ、祖父の代に、祖父当人が政敵を作らないためにやってきた盗聴、贈賄。父親の代に、父親当人が当選するために支援者へやってきた買収。そして自身の代に、自身が選挙資金や贈賄の資金を得るためにやってきた利害関係者との密会談合、根回しなどの裏工作が、三代に渡って祖父から自身までを支えてくれていた秘書の残した日記からばれそうになり、もう少しで政界や財界を巻き込んだ世紀の大スキャンダルになりかけようとしたとき、政権与党のみならず我が身に飛び火することを恐れた時の実力者が司法関係者と裏取引をして彼を無理やり引退させ、ことを治めたというのが真相だった。

 現在は、ネット放送でパーソナリティーをしながら頼まれて講演活動をしたり、これから政治家になろうとする者に政治のイロハを教授する政治家養成塾の教師に雇われて暮らしを立てていた。

 最後に青年の話を熱心に聞いていたのはブラウンの髪をきちんと七三に整えた、信念の強そうな四角いあごが特徴な男で、他の二人が何れも整然とした服装をしていたにもかかわらず、彼だけはスーツも着ていなければネクタイもしておらず。白いワイシャツだけのラフな格好だった。しかもシャツの第二ボタンまで外した姿は、健康そうに見える小麦色の肌や肩幅が広い筋肉質の体形と相まって見た目より若々しく見え、彼が既に六十を回っていようとは誰も思えなかった。

 名をゴードンと言い、元軍出身で五十半ばの頃。彼が空軍大佐であったとき、ある事情により軍を退役していた。

 ちなみにある事情とは、彼の性癖のことで。普段は理論家で温和な性格と、これという欠点がなかったのだが、強いて言えば愛国心と正義感がとりわけ強く。それらが酒を飲み過ぎるとより顕著に現れるという余り良くない面を持っていたため、あるときたまたま酒宴の席において、目の前で自国のことをけなされた挙げ句に国旗をぞんざいに扱われたことに腹を立てて当の相手に殴りかかり、重傷を負わせる事件を起こしてしまい。その前に人殺しをゲーム感覚で論じていた他の軍関係者といざこざを起こしていた件も同時に露呈してしまうという不運も重なり。そういうわけで、自発的に退役に追い込まれた経緯があった。

 以後は軍時代に養った博識と幅広い交遊関係を活かし、兵器開発アドバイザー、軍事評論家。他にもライター(文筆)やコメンテイターの仕事もやっていた。


 もうかれこれ、三人が付き合いを始めて七年になっていた。当初三人の関係は、一番若いムハンナドが雇い主でゴードンとケントの二人は彼の従業員という間柄だった。だが七年の歳月は三人を対等なものとし、今では三人は年の離れた友人同士という関係だった。

 今夜この場所で会いたいと声を掛けたのは若いムハンナドの方だった。普通に二人と接触を持ちたい場合は、携帯かパソコンがあれば事が足りるはずだったが、こう云った場所で時間を決めて会うということは余程のことがあったことを物語っていた。

 この七年間、事業が上手く行き生活が安定していたにも関わらず、それだけでは満足せずに色々な事業に手を出していたムハンナドは、傍から見ればかなりの切れ者に見えていたが、実際のところ、生まれが生まれで何不自由なく育った境遇のせいなのか何も考えずに決断する思い切りの良さが悪い方向へ向かう傾向が往々にしてあり。そういった場合、必ずといって良い程、人生経験が豊富なこの二人に意見を仰ぐことにしていたのだった。

 このような日が、多いときで月に三回、平均して一回あった。もちろんタダではなく相談料として妥当な謝礼を出していたので、二人は断る理由などなく、喜んでこうしてやって来てくれていたのだった。


「ちょっと失礼して」


 ムハンナドが微笑んで手にしていたグラスを口元に持って行くと、美味しそうにグラスを空にした。最初の一杯は話を始める前に飲んでいたので、これが彼にとって二杯目だった。


 それを見たゴードンがにやっとした。「相変わらず忙しいんだね」


 ムハンナドは控えめに苦笑いしながら頷くと応じた。


「ええ、ぼちぼちと」


 今から十五分前。誰もが秘密の隠れ家と容認するだけあって案内役は無し。サービスは簡単な飲み物が用意されているだけとこれ以上無駄な物がない室内に三人は入るや否や、直ぐにソファの上に手荷物やら着ていた上着や帽子を置くと、いつものようにマジックミラーの窓の横に置かれたテーブル席に移動し夏季休暇中の近況報告をし始めたのだった。


「今日は遅かったね。いつもなら余裕で先に来ているのに」と開口一番にゴードンが口を開いた。


「ええ、飛行機の都合で今日の昼まで海外でいたものですから。おまけにここへ来る途中で酷い渋滞に遭ってしまって……」とムハンナドが応えた。


「ああ、分かるよ。今日は金曜日にあたるからな」とケントが口を挟んだ。


「実はメリッサでいたんです」とムハンナド。


「ああ。例の」とゴードン。


「はい」と頷くムハンナド。「一週間いたのですが偶然、例のデモフェスティバルに遭遇してしまって」


「じゃあ、あれを見て来たのか?」


「ええ。泊まったホテルの沿道は手にプラカードや旗を持って奇抜なファッションに身を包んだ人だかりで一杯でした」


「俺も一度行ったことがある。いや二度かな。みんなが適当なスローガンを叫びながら街を練り歩くんだ。たまには卑わいな言葉を連呼したり政治家の悪口を言い合ったりもするんだ。あれは聞くだけで面白かっただろう?」


「あ、はい。あれを見るだけで市民が何に不満を持っているか、今は平和かどうか分かる気がしますからね」


「世界広しといえど、デモがいつのまにか祭りとなったのはあそこが初めてのケースだ。(平日に)ストライキするぐらいならまだ(休日のデモをやられる方が)マシだと政府が公認したのが始めだということだが……」と二人の間でうんちくを披露するケント。


「その代り困りました」


「何をだい?」


「ええ。労働者の祭りということで、その間、ホテルから出された食事も同じように質素に合わせられていたらしく、出て来たものと云えば、味のない堅いパンにマトンのソーセージ。キャベツのマリネ。ジャガイモを茹でたもの。後は……小魚の酢漬けみたいなもの。そんなものばかりが出てきました。おまけに、アルコールも安いものなのか、ブランデーは苦っぽかったし、ワインやビールは薬臭いか、味がしないというものでした」


「ああ、そのことかい。あれは向こうへ行った者なら誰だってぼやくことだ。そういうときはホテルの担当者を呼んで、聞いてみると良かったんだ。直ぐに街の郊外で食べると良いと教えてくれた筈だ」


「は? それは抜け道ですか?」


「いいや。地元の者だって祭りの習慣だからそうしているだけであって、本当はそんなものは食べたくないんだ。その証拠に、祭りの期間中、街の郊外の食堂やホテルはメリッサの市民で大はやりなんだそうだ」


「へえー、そうでしたか……」


「それはそうと、ムハンナド。君は祭りを見に行ってきただけなのか?」


「あ、それはですねえ。実は僕みたいな若手の起業家が揃って参加するセミナーがあそこで一週間に渡り開催されることになっていたものですから、行っていたのです。それが期間の後半にあの祭りと重なったという次第で」


「ふ~ん、そういうことかい」


「ええ。新しいベンチャーを発見する試みとして、若い連中同士が集って、ある一つのテーマについて議論し合ったのです。あれは非常に有意義なものになりました」


「ふ~ん。……それで一体、何を話し合ったんだい。いや、別に話したくなければそれで構わないが」


「いいえ、全然構いません。今回の一番のテーマは、あの付近のゲッターランドという場所に原子力発電所が五基あることから、環境ビジネスについてでした。

 そうやって与えられた討論の争点は、廃炉期限を迎えた原子炉から民間業者はどうやって利益を得るかでした。核のゴミを扱う仕事は独占作業になりますし、最も良いことに契約期間が三十年、四十年と長期のスパンが適用されますから、見かけ上は旨みが幾らでもあります。でもしかし、放射能の影響が怖くて作業員のなりてがいませんし、万が一不慮の事故でも起これば保証は無限大となりますし、処理する場所も周辺に住む住民の反対に遭い中々思う通りに進みませんから、儲けるというのが難しいんだそうです。

 その問題について他のメンバーは、先ず前提として、そこの政府に協力して貰うと共に住民に何も知らせないように全ての情報を秘密にして貰うか都合の悪いデータは隠して貰う条件で契約することが鍵だ。そうでなければビジネスとして成立しない。だがそうして貰えば、独裁政権下での良い前例もあることだし至極容易だ。そうして十年も隠し通せたなら何もなかったという既成事実ができたことになるからその後に何か問題が起きても何とでもなるという意見が大勢でした。しかし僕の考えは、一切隠し事はせずに本当の情報を開示すべきだとした上で、原子炉解体のとき出た核のゴミは、全て最終的には溶かすかかさばらないように小さくプレスしてから最後に溶かした鉛ガラスで封じ込まれるのだろうがその内、致死量の放射線を発する部分は更に劣化ウランを使って完全遮蔽しロケットかミサイルの弾頭に転用する方向へ持っていき、そうでない比較的放射線量が微弱な大部分は地底深くの場所で保管するのでなくて、もっと簡単にそのまま埋めて処理して、今は役に立たなくても将来的にはリン鉱石や石炭のように宝の山になることを祈り、未来の人々に託せば良いでした。そして埋める場所なのですが、その具体例をサンゴ海諸島の端にある無人島へ持って行けばという案を出したのです。あの辺りは年々地盤沈下が進み、近い将来、島全体が海に沈むと言われているところで、住民もほとんど島を離れているんです。その中で既に無人になった島を買い取り、そこへ放射能汚染された核のゴミを運び、島を埋め立てるというものでした。もちろん自然環境と漁業の問題に影響が出ないように十分配慮してですが。

 これだと無駄がありません。ビジネスとして十分になり立つと主張したんです。

 一週間の間にこういったテーマで他にも論じ合いました。例えば、付加価値ビジネスの範ちゅうにある、飽和状態にある消費を刺激する方法だとか自然災害ビジネスのことなどです。

 ま、こういった討論は結論が出る筈のないものでしたが、出席した全員から積極的な意見がでて意義があるものになりました。

 ……そういうことで僕のことはこれぐらいにしておいて。お二人はどうでしたか?」

 

「ああ、わしはこの一週間、恒例の人間ドックに入っていたんだ。血圧は多少高めなんだがそれ以外何もなくて良かったよ」と、ケントジュニア。


「その前は懇親パーティに出席して昔の旧友と旨い酒を飲んでいたな。その前の前は、確かゴルフ場でいたような……」


「俺は家族サービスでカムチャッカ諸島へ出かけて行って養殖業と観光業が一体化した海洋牧場を見てきたよ。

 向こうの説明ではマグロとサケということだったが、今年生まれたばかりの稚魚や成魚に餌をやっているところを見てきたよ。別の区画では水族館があるわイルカとアシカのショーもやっていて孫も喜んでくれてね。妻と娘はショッピングに夢中だったけれど、俺としちゃあ、毎度新鮮な海の幸がこれでもかというほど出て来る食事が最高だったな。

 あと帰って来てから、その後は頼まれた雑誌の仕事で自宅にこもっていたな」


 などと、各々が休暇中の近況を明かしたところで続けて、「ところで、どうだい?」と、いよいよ本題をゴードンがいつもの調子で切り出した。「また都合の悪いことが起こったのかな?」


 数奇な巡り合わせと言って良かった今の立場を、彼、ゴードンはどちらかと言えば気に入っていた。

 軍を退役したとき、自分ぐらいの職歴からすると直ぐにでも民間から誘いがあると信じていたのに誰も声を掛けて来なかった。

 仕方がないので自分から求職に赴いたが、どこからも良い返事が貰えなかった。質を下げて求職先を大手から中小企業へと切り替えてみたが結果はやはり同じだった。幾つもの企業を点々とする内、ともあれ分かったことは需給のミスマッチ。即ち、相手先は即戦力となる労働力を求めていたのに対し、こちらは知識や情報と云った知的財産をアピールしていたことだった。

 そもそも、現役時代。現業並びに人事や保安や情報、報道部門に所属していたわけではなかった。そのため、航空機やヘリの操縦技術や整備士の技能を持っていなかった。また語学のスペシャリストでもなくITにも熟知していなかった。身長は平均より高く、体は人並み以上に頑丈だったが格闘技の有段者でもなかった。そのことが再就職の最大のネックになった感があった。

 そんな自身が属していた部門。それは資器材管理部門だった。そしてそこでの職種は、現業者(使用者)と納入業者の間にたって、より実用的で操作性の良いものに改良していくという、世間ではそれほど馴染みのないシステムコーディネーターだった。

 システムコーディネーターの仕事内容とはについて、代表的な例を挙げれば、航空機やヘリの機体の計器のボタンの形状や配置、安全ベルトの位置、座席の材質やデザインをパイロットの意見を取り入れながら業者と交渉して最善と思うところまで改良を加えていくのである。これ自体はほんのちょっとのことであったが、人の命を左右しかけない大切な仕事だった。

 尚、携わる品目はそれだけに留まらず、機体が積む爆弾、ミサイル、機関砲からパイロットが装着するスーツ、ヘルメット。機体に装備する非常時のときのパラシュート、サバイバルキットなどの装備、非常用の食料。シミュレーション装置、レーダー装置。航空機やヘリが離着陸するヘリポート艦、フロート艦と、空軍が所有するありとあらゆる資機材に及んでいた。

 専門がそのような特殊なものだっため、半年が過ぎたが仕事は未だ見つからなかった。臨時的な仕事も年齢がネックとなって就くことができなかった

 自らの性癖が招いた結果だけに、家族に対する責任は人一倍重大と感じていた。それで家族に迷惑をかけないようにと、更にこれまでの生活水準を落とさぬようにと、自営することを思い立ち、軍隊が所有する武器・車輌の知識や最新技術のノウハウ論にかけては誰にも引けを取らない自負もあり、考えつくだけの営業品目を並べて個人のコンサルタント会社なるものを開業してみた。

 だが世の中はそう甘くなかった。長らく一貫して軍一筋でやってきたため、得意先はどうしても知人か知人の知り合いになり、それも常時仕事の依頼がある訳でもなく。また市場開拓にも不馴れであったことで三か月も経たない内に会社は閑古鳥が鳴く状態に陥った。

 一年後、切り崩して使っていた蓄えが底を付き始めたことで、仕方なく会社を一旦休眠状態にしておいて、再び職に就こうと思い、先ず考えられるところの人材バンクへ登録してみた。

 しかし待っていたのは、表向きはぼやかしていたが、スパイにならないかという諸外国からの誘いばかりだった。

 その理由について、自分のような軍歴が、よそから見れば軍事に広範囲な知識を持っていると評価され、スパイに適任だと判断されたのだろうと考えていた。

 スパイのエージェントが提示してくる条件は、もちろん表向きだろうが確かにれっきとした身分保障があり報酬も十分納得行くものに違いなかったが、一度でも交渉の場についたなら、もはや途中で引き返すことができないこと。交渉の場につかなくても一度目を付けられたらどんな手を使ってでもスパイに仕立てられてしまうこと。スパイになれば死ぬまで抜け出せないこと。家族まで影響が及ぶこと。そして何よりも祖国を裏切ることになることに嫌悪感を抱き、結局、人材バンクへは二度と足を向けることはしなかった。

 そんなとき、登録審査が厳しいが必ず再就職が決まるという異業種間交遊会というパーティ形式のイベントがある。もし契約できれば高額な報酬が得られるのを保証するからと知人に薦められたのがことの馴れ初めだった。だがその推薦の言には、何があるのか分からないという言葉が、今思えばなぜか抜けていた。

 だがそのときは知人を深く信用していたため、現在のようになるとは夢にも思わず、ともかく今の状態では事態が進展しないと判断し即応募することにした。すると三日後、登録審査にパスしたのでおいで下さいとの通知が来たのだった。


 当日、イベントの会場に使われたのは、さる公営財団法人が運営する多目的ホール内にあるパーティ専用の小広間だった。天井が比較的高く、百人ぐらい入る室内には白無地のテーブルクロスが掛かる丸テーブルが所々に配置されていた。また奥の方には五ヵ所の間仕切りがあり、その内部にイスとテーブルのセットが用意されていた。

 それぞれの丸テーブルの中央にはテーブルナンバーが付けられ、直ぐ近くにそこにどういう人がいるのか分かるようにネームプレートが添えられており、職を求める側はその周りに立ち、テーブル上に並べられたアルコールを含む飲料や軽食を摂りながら求人側が話し掛けて来るのを待つ立食パーティ方式のシステムを取り入れていた。

 その日の面談の会場はほぼ満員で盛況のように思われた。参加者は、男も女も全員がダーク系の地味な色のスーツ姿だった。そのようなことを予期していたのか知らないが両者の区別がつくようにと、求人側は首から青色のIDカードをぶら下げ、求職側は片方の胸に名札と、首には年代別に色分けされたカードをぶら下げるようになっていた。


 そのうち時刻がきてパーティが始まった。

 そして五分ほど経った頃。テーブル席は賑わいを見せ、求人側の担当者と求職にきた男女が積極的に会話を交わす声が室内にうるさく響き渡り始めていた。だがそのほとんどは二、三十代が集う若手の人材の席と四十代の中高年の席だった。どうやら五十代以上の熟年は人気がないと見えて誰も席の方に寄ってこなかった。さらに時間が経過しても一緒だった。

 その光景に呆然として、やはりダメなのかと落胆と諦めとが入り混じる心境で、やむなく用意されてあったシャンパンを何杯もあおっていたときだった。他の席には目もくれずに一直線に向かって来る、ブロンドの髪をした小柄な青年があった。その彼が突然目の前に立つとにこやかな顔で先ず自己紹介から始めた。これがムハンナドとの付き合いの始まりだった。

 その青年によれは、今現在は自身も家族も一族も祖国を離れて海外で暮らしている。だが、世が世なら一族から国の王が出る王族の家系だ。しかしながら祖国では軍事政権が権力を握っており、もはやそれは敵わない。

 生活の方は、祖国で変革が始まる前にかなりの資産を海外に移して措いたので何不自由なく暮らしている。

 とは言え、ぜいたくをして使うばかりでは何れ無くなる。そのことを気に病んだ父親が長子である自身を含む五人の子息に財産を分与し、これで自立するようにと促した、と言うのだった。

 そうして、そのとき一人隣に立ち、憮然とした表情でビールをついでは飲んでいた老齢の男にもにこやかに声を掛けたのだった。その人物こそ、職を辞してからの身の振り方を周りの者に相談することなどもってのほかと、他人を全く信じず、あてにせずに、自分の足で探していたケントその人だった。

 尚、青年ことムハンナドの後日談によると、当初から採用する人名も人員も予め決めていた訳ではなく。パーティ会場に入るそうそう出席者の名簿から既に足りている弁護士、経理士、医師などの職種の人達を先に除外し、次に年齢、性別、キャリアを見て条件に合わないのを除いて行った結果、最後に残ったのが二人であったというのだった。


 その後の説明はこんな風だった。


「一先ず顧問弁護士や会計士とは契約を済ませました。次に営業にあたる従業員ですが、これは僕のボディガードで間に合わせようかと考えています。今二十人ほどいます。最後にビジネスの方なのですが、歳が一つずつ違う弟達は今流行りのIT関連やマネー関連の事業をやるようなことを言っていたので、僕としては同じことをしたくないのです。それで他にも何かないかと考えて、まだはっきりと輪郭ができていませんが、一般庶民受けするビジネスより、有り余る資産を持つ人達が顧客となるようなビジネスをやろうかと。その為には僕の考えでは、その道のスペシャリストが何人か必要なのです。

 それで色々あたっていたら、こちらで人材発掘イベントが開かれると聞き、やって来たわけです」


 そのような状況下では、どう考えても青年の素性は非の打ち所がないものとしか思えなかったし。加えて、請けるか請けないかの選択権もこちらにないことは明らかであったので。親子以上に年齢が離れていると思われた青年がサラッと言った、「どうでしょう。よろしければ僕のブレーンになって頂けませんか」との甘い言葉を、形だけ一瞬ためらい考える振りをしてから素直に受け入れ、別の場所へ移動し話を詰めて提案に同意した。ケントも同様だった。彼も二つ返事で応じたのだった。尚、彼の場合。「先祖から受け継いだ広大な土地と大きな屋敷と別荘を持っていてその維持費が大変なのだ。また屋敷内には五人の使用人がいて、毎週給料を支給しないといけない。更に友人が多く、付き合いに金が掛かる。だからこの齢になっても働かざるを得ないのだ」と、この会場にいた理由を説明して、「固定資産税やら人件費やら交際費の工面に毎週頭が痛くて」と愚痴を零したぐらいだったから、青年から話し掛けられ、当の彼が自己紹介をし出したときから心はほぼ決まっていたらしかった。


 後日、それぞれの携帯に、「他にもこれはと思う人物に声を掛けて見たのですが、何れも良い返事が貰えなかったのでこのままの人数でやろうかと考えています。もしこれで不十分であるなら、事業が軌道に乗り次第、必要に応じて人材を補充しようかと思っています。ま、ともかく、このメンバー構成で船出しても、きっと上手く行く筈です」との連絡が入り、仕事の依頼が来るようになった。


 そのとき契約したときの肩書は臨時顧問。報酬は月に一度、月末に銀行振り込みで支給。基本として出来高払い制。仕事内容は当初、在宅勤務でアドバイザー的な頭脳労働を行うだけということだったが、小さな組織で良く見られるように、直ぐ臨機応変に否定され、必要とあれば自宅から現地に直接出向くという風に変わって行った。

 先ず、最初にかかわった仕事は、小銭稼ぎにしかならないと思えるものやこれが果たして金になるのかと思えるものばかりだった。例えばケントの側は、彼の専門である、――スピーチとフリートークを個人授業で指南して欲しい。選挙のノウハウについて知りたい。政治家とお近付きになるにはどうすれば良い。その場合の注意事項。政治家に贈り物をしたいのだが印象に残る贈り物とは何か、等。

 そして自身は、――臨時にヘリを操縦できる人物を捜しているので紹介して欲しい。市民の中に紛れ込んだ工作員を見つける方法はないか。テロリスト集団に入った人物を取り返すにはどうすれば良いか。過激な宗教に入信した人物の奪還方法。どこのメーカーの盗聴器、暗視装置が優秀で安価か教えて欲しい。身近な物を使って高性能爆弾ができないか。パイロットスーツの素材について教えて欲しい。新製品の評価をコメントして欲しい、等。

 しかし、ときとしてどちらとも言えない、――高貴な人物に融資した資金を上手に取り立てる方法は、とか。夫婦喧嘩の上手な仲裁の仕方、等があり。そのことについて青年は、高貴の生まれであるのが良く分かる品位のある丁寧な口調で、「ご愛嬌です」と言って笑って誤魔化していたが、事業を軌道に乗せるまでは枚挙にいとまがないように、わざと紛れ込ませていたようだった。


 だがそのような心配も、三か月が過ぎた頃、取り越し苦労になった。全くの偶然であったが転機が訪れたのだ。

 いつものように青年の依頼が、「明日は出張になります。直接現地へ向かって下さい。アンダーグラウンドカウンターという洒落た名称の企業です」と携帯に入り、翌日、指定された場所へ出掛けると、ケントも同じように呼び出されたのかやって来ていた。目的の場所は、高層ビルが立ち並ぶ一帯でもひと際目を引く高さ二百メートル、五十四階建ての高層ビルの最上階だった。依頼主の稼業は、主にSNS(ソーシャルネットサイト)を運営しているインターネット放送局で、ビルの五十四階とその下の五十三階の全フロアを占有する内部には、名もない企業の割に大小三つのスタジオ。四つの会議室。それ以外にもカウンターバーと控え室が二か所と、広いイベントスペースまであるという豪華さだった。

 着くと、通された部屋で対応してきたのは企業で五番目に偉いという幹部で、「我々は百万ユーザーに限定したSNS以外にもスタジオを使ったテレビショッピングや音楽番組も併せて提供している。だがこれだけをやっていたのではいつか飽きられる。それで、新たな試みとして専門の知識を持った人達を使った番組を考えて見た。あなた方には自由に任せるから半時間の枠内で好きなことを喋って欲しい」

 つまり、匿名の元政治家と元軍人という組み合わせで、向こうが用意した進行係兼アシスタントの女性を相手に呟くだけのパーソナリティー番組の企画だった。

 契約期間は一週間で、つつがなく番組は終了した。ところがその直後に延長が決まった。しかも半時間枠が一時間枠に延ばされて、さらに再放送までするということだった。その理由について、例の幹部からの話では、「老齢の方の、国内のみならず世界各国の政治並びに時事ニュースを適当にピックアップしては独自の視点で辛口な解説を加える手法は斬新で、世界各国の軍事力の批評やマニアックに武器の性能を語るもう一人の方は会員受けがすこぶる良い」と、どうやら過激な時事ネタとマニアックな軍事ネタが受けたらしく反響が意外に良かったからということだった。

 まもなくして、恐らく青年がその企業と水面下で取引をしたのであろう、気が付けば青年との契約が解除されていて、そこの仕事だけをすることになっていた。そうして一年も経たぬ内にそこの専属タレント若しくはコメンテイターのようなものになっていた。同時に、どのように取り入ったのか知らないが青年も当初の事業の形態を軌道修正して、その企業の社外幹部の地位に納まっていた。

 そうなると謎のベールに包まれていた企業の内情も自然と見えてくる。

 会社の創業は二十二年前。組織の構図は会長と社長と副社長が各一名と非常勤の取締役が三名。同じく非常勤の監査役が一名。インディーズとしては大手と言うべきか職員数は系列支局の人員を含めて約三百五十名。

 放送サイトのシステムは一応有料の匿名登録制だったが、百万人の会員に限定するという意味で、通常のSNSのシステムと同様、会員の紹介がないと入会できない招待制を取ると共に、会員の質を保つためという訳なのか会員全員どころか空きがあくまで待っている入会希望者までもの素性や住所を名簿の形で把握しており。更に入会には、希望者の財力、家柄、知名度などの指標を数値化して選考するという極めて異例なことをしていた。そして意外なことに、会員のほとんどが、まさかこの人かと疑うような高貴な人物や、ちょっと危ない世界の人間で占められていたのだった。

 ともあれ、やがて知名度が会員全体に知れ渡るようになると、企業の運営に関わっている幹部の豪勢な自宅や別荘へプライベートで招かれることも多くなり、そこに居合わせた人達とも知り合う機会も多くなった。尚そういった場合、通常なら名刺交換か携帯番号を教え合うものなのだが、青年から事前に、できるだけ依頼主やその関係者に住所や携帯番号を教えないようにと念を押されていたのは、もしも万が一にもいざこざが起った場合のことを考えての用心の為だろうと思っていたが、もっと奥が深いことを思い知らされた。青年が警戒していたこと。それは、裏社会の人間が仕事にちょっかいを出してこないかということだったのだ。だがその心配をよそに既にどっぷりと浸かっていることを知ってしまった。こともあろうに青年のいつもの行動がきっかけとなって。

 それは、ある日のこと。一人の幹部の自宅でパーティが開かれたとき、青年も一緒に招かれたことがあった。そのとき、いつものようにぞろぞろと幾人ものボディガードを連れてやって来た青年に対抗する訳ではなかったのだろうが幹部もまた良く似た取り巻き連中を、まるで体裁を保つかのように自宅に揃えていたことだった。祖国から持ち出した公金返還の問題で命を狙われていた青年のように、暗殺の心配がない幹部がなぜボディガードとして外見がそっくりないかつい男達を自等が主催したパーティにどうして呼ぶ必要があるのかの疑問が出て来るのは至極自然だった。それで、青年にこっそり問い質すと、彼は仕方がないと言う風にやっと重い口を開き、企業の運営に関わっていた主な幹部どころか男女を含むその関係者全てが堅気ではないと教えてくれたのだった。

 とは言え、それを知ったところで一般人のように言葉を失うようなことはなかった。だが先ず脳裏に浮かんだのは、油断をすれば何をされるか分からない不安感と、自分は良いが家族や友人に何かの拍子で禍が及ぶことだった。

 だが彼等は何れも、何かあると直ぐに牙をむいて銃やナイフを振りかざしてくる粗放なチンピラ連中と違い洗練されていた。紳士的で華麗で優雅で気品があった。特権階級がよくやる他人を馬鹿にした素振りは微塵もみせなかった。そういったところが、彼等が経営する企業の全面に出て、特殊階級の人々に人気を得ている理由のようであった

 そのような彼等がいつも会った当初に訊いてくるのは決まって、「なぜ中途でしかも大佐の要職で軍を退役したか」だった。それについて経緯を正直に話すと、“団結”とか“愛国”とか“信念”とか“正義”と云った言葉のフレーズが彼等は大好きなのか、揃って賛同するように頷き、その後の会話が気持ち悪いぐらいに不思議とスムーズに進み、いつの間にか意気投合していて、古くからの友のように仲良くなってしまっているのだった。

 もう直ぐ六十歳になろうかという時期に降って湧いたようなこのような転身に、これ以降はどのようになって行くのかさっぱり見当がつかなかったが、これはこれで楽しかった。これまで知ろうとしても知り得なかった社会の裏側を知る機会が与えられたのだから。


「ええ、まあ……」ムハンナドは誤魔化すようににこっと微笑むと頭をかいた。


「実は、セミナーに参加する前日に、スポット的な仕事だったのですが成功報酬がすこぶる良かったので請け負うことにしたのです。が、少し先走りしたようで、今になってどうしようかと悩んでいるところなのです」


「無理なら違約金を払い解約することはできないのかい?」


「はあ。実はそのう、そういう訳にも……」


「キャンセルする時期を通り越したとか? それとも君のことだからまたおかしなことになっているとか……」


「この前のことのようならいただけないな、ムハンナド」


 ぼんやりと葉巻を吹かしながら夜の街角の風景を眺めていた老人が、タイミング良く横から口を挟んだ。


「あ、はい」


 ちらっと老人の方に振り返った青年が、この前と言われて最初に浮かべたのは、およそ一ヵ月前。

 いつものように三人が部屋に入るなり、開口一番に自身が自信満々に言ったこと。それは、「みなさんも僕と一緒に食品ビジネスへ参加しませんか。きっと儲かりますよ」だった。相当な技術を持っているベンチャー企業の負債の一部を肩代わりしてそこの執行役員に修まった。これから技術屋の社長と一緒に企業を建て直そうと思っているので、どのようにすれば良いかアドバイスを求めにやって来たというのが話の筋だった。

 当の企業の本業は食品の香りの再現で、他にもどのような味にも、どのような硬さにも調整できる技術も持ち併せているということだった。ただ本物に限りなく近く再現した場合、コストが本物以上に高くつく欠点があり。そのことが、会社が危機に陥った理由だとも述べたのだった。

 そのときの自身の考えは、発想の転換をして、これまで誰も見たことも無い画期的な食品を作り出せば、企業は必ず再建できるというものだった。これに対して彼等が下した結論はそれぞれこうだった。


「君の意気込みは分かるが、君はこの世で一番難しいことをやろうとしている。模倣や応用と違って、何もないところから何かを生み出すことは大変難しいことで。それができるとすれば、全くの偶然か直感的な閃き以外の何ものでもない。ま、偶然は論外として、直感的な閃きという奴は、君も知っているように、知識の積み重ねで生み出されるアイデアと違って、千閃いたとして改めて考え直すと実際使えるものは一つか二つだ。そういったことで俺の悪い頭では絶対無理だな。悪いが遠慮させて貰うよ」


「仮にそういうものがあったとしよう。そしてできたとしよう。だがね、大衆受けはたぶんしないと思う。せいぜいゲテモノを好む変わり者に受けるぐらいなものだ。……先ず自立再建は難しいな。損をしない内に役員を辞任して手を引くべきだ」


 それ以外にも同時進行していたので相談してみて、「幾ら戦地だとか病院だとか老人ホームでの需要があるからということでも最後のメンテナンスは人がしなくてはならないだろうから人件費が思う以上に掛かる」との理由でノーと言われた、身体を全自動で洗ってくれるカプセル式全自動バスマシーンを全国展開する企業とレンタル契約するかどうかで意見を求めた件。同じく全否定された潔癖症の人達用の洗剤やポータブル殺菌装置や脱臭器具の独占販売に関しての件。生ゴミはいうに及ばず道端の雑草から動物の死骸まであらゆるものを肥料化してしまうという即席肥料製造機の販売の件。座るだけで脳に微細な振動を与えて物忘れを解消する効果があると訊いたバイブレーションイスの特許買い取りの件。

 またそれらより少し前にあたるが、スパイス、ソース、酒、催涙スプレーの材料として単品で販売しているハバネロ、ジョロキアのそれ以外の使い道を考えて欲しいとのプレゼン(企画立案)を、とあるレッドチリペッパー農園から頼まれて相談したこと。そして呆れられたこと。

 同じく、主力商品であるライオンの縫いぐるみを他のメーカーの商品と差別化してユーザーが高級なイメージで購入して貰えるようにしたいとの、さる子供向けのオモチャメーカーからの依頼に対して、縫いぐるみに本物の宝石を埋め込むか金やプラチナと云った貴金属で着飾るようにすれば良い。そうすれば高級感が出て裕福な人達がこぞって買ってくれると答えを導き出し、二人に確認を求めて、「付加価値を付けたことにあたらない」「馬鹿げた話だ」と一蹴された件など。だが結局、はっきりこれだとは察することができなかったので適当に応えていた。


「あれは失敗でした。お蔭で三万ドル程損しました」


「そう三万ドルか……」老人は吸い代がほぼなくなった葉巻を二人が見ている前で携帯灰皿の中にもみ消すと、わざと溜息をつくような口調で言った。「それはご愁傷さまだったな」


「ええ、何だかんだとやっているとそういうこともあります。仕方ありません」


 また適当にそう応えた青年は、「まあ、その件は別に措いといて」と余裕の苦笑いをしながら話題を閉じると、「ええ、何でしたか?」と続けた。

 

「ああ、そうそう、実は解約するのはいつでも可能なのですが、そのう。ぶっちゃけて言いますと、違約金の額がべらぼうに高額なのです」


「というと」


「成功報酬の十割増しです」


「成功報酬の倍払えということかい」


「ええ、そうです。それだけならまだ救いもあったのですが、その場合、キャンセルは三日以内と云う条件がついていまして。もうその三日の期日が過ぎてしまっていて……」


「それじゃあ……」


「あ、はい。更にペナルティーが発生していて十割増しがその八倍に……」


 言い難そうに言葉を濁した青年にゴードンは、またいつものように人任せにしていたのがどうやら上手くいかなかったのでこうして相談を持ち掛けて来たのだろうと思いながら、尚も尋ねた。


「それで、成功報酬とはどれくらいだい」


「あ、はい。それが何と、七百五十なのです」


「え、七百五十万ドル。それはちょっと高いな」


 と、気がつかない風に低いトーンで応えたゴードンに、その傍らからケントが驚いたような甲高い声を上げた。


「おい、冗談ではないぞ。違約金はその十六倍の一億二千万ドルではないか!」


「あ、はい。そういうことになります」心中は穏やかでなかったのだろう、それまでにこやかに話していた青年の目がどこか虚ろになり、口許から笑みが消えた。


「ついやってしまいました」


 溜息を洩らした青年に二人は内心仰天しながら呆れたという顔をした。


「幾ら何でも違約金が一億二千万ということはないぞ。そんな契約は聞いたことがない」


「個人で払うとなるとこいつはきついな」


 落胆した様子のムハンナドに渋い顔を見せたケントに対して、尚も落ち着いた物言いをしたゴードンはふと思っていた。

 どのように用意周到にやろうとも、短い期間でしかも秘密裏に大量の資産を国外へ持ち出そうとすると、必ず複数の金融商品になる上に金融機関間のセキュリティーチェック等の問題もあり限界が出てくる。はっきりとは分からないが、ムハンナドの一族が海外へ持ち出した資産は百から三百億ドルまでがその限界だろう。いやもっと少ないかも知れない。だがとにかく彼の一族が祖国から持ち出したとされる公金が、例えばその最大の三百億ドルと仮定した場合、一族の総数が百三十数人と訊いているので一人あたりに換算すると、約三億ドル。そう考えると一人でも払えない金額ではないが、これはあくまで大甘に見た考えであって、十代か二十代ぐらいの時に三億ドルという資産を分与して貰えたかは大いに疑問が残る。だが目の前のムハンナドに本当に絶望しているという様子が見受けられないことから、これは親辺りに足りない分の援助を求めるつもりなのか。

 そう考えを巡らせたとき、「ああ、その通りだ」と続けて口面を合わせてきた老人もまた同様のことに気付いたのか、青年の方を向くと尋ねていた。


「ところでムハンナド君。君の資産がどのくらいあるのか知らんが、実際、払うことができるのかい」


「それで困っているのです。無いことはないのですが僕の一存では……」


 明らかに他人に依存したような言動に、ふ~んとゴードンは軽くからかってみた。


「君でも困ることがあるのだな」


「はい、あります」


 青年はおとなしく頷いた。


「幾ら契約書に明示されていると言っても、そこまで法外な違約金が発生するのは、明らかに違約金目当ての依頼だ。わしはそのような違法な要求に応える義務はないと思うが」


 二人の会話の合間に軽く目を閉じ、考えるように腕組みをしていた老人が静かに呟いた。


「それが実はそうもいかないことになっているのです。中身をろくに見もせずに決めてしまった僕が馬鹿だったのです。その仕事の依頼はバアラおばさんのところから出たもので、ついおばさんを信じて話を進めてくれと言ってしまったばかりに……」


 そう告白すると青年はまたもや溜息をついた。一方、バアラと聞いた途端、傍らで目を閉じて聞いていた老人はハッと声を出すと一瞬不快そうな表情を見せ、ゴードンもこれは面倒だなと天井を仰いで考え込んでしまった。


 かつて青年から訊いた話によると、バアラおばさんとは、――生まれ、本名は不詳。年輩の、年を召されたという意味のアージュドを付けてバアラ・アージュドと周りから呼ばれている。

 外見は平均な身長。やや小太り。いつも目許しか見えない黒っぽいスカーフのようなものを頭にすっぽりと被り顔や髪は見えない。声は枯れた女性の声で相当な年齢のようだがかなりの威圧感がある喋りをする。彼女の妹か孫のような若い女性がいつも補佐役として五人就く。

 普段の仕事は、七、八十人の正社員、系列の社員も含めると総勢六百人程度の従業員を率いて不動産管理、不動産仲介業を営む。しかし裏に回れば、不特定多数の顧客に多量の武器を卸す卸業、いわゆる武器商人の顔と裏社会の情報と物流を商いとする流通屋若しくは物流屋の顔を持つ。

 そしてその過去とは、長くそこで暮らしているというのに青年の祖国のことや彼の父親のみならずその一族のことを良く知っていたこと。彼等一族の祖国脱出と海外亡命を手助けしてくれた援助者の一人だったこと。そういう意味から、かつて情報局か秘密警察にどうやら属しながら海外での諜報活動関係の仕事に従事していたらしいこと。

 また理論と理屈は学校で学んで頭の中に入っていたが実践経験がまだなかった青年が、実際のビジネスを始めるにあたって三ヵ月の間、そこで実務をイロハから学んだことなどから、彼にとって彼女はビジネスの恩師ともいえる存在という話だった。


 ともあれ、そのとき二人の頭の中にあったもの。

 老人の場合、――そもそも話を進めたのが、ムハンナドの一族を海外へ逃がしてくれた命の恩人ではこれは少し具合が悪かろう。もしも依頼主へ向かって違法な要求だから払う義務がないと強硬な態度を取れば、命の恩人へしわ寄せが行くことがあり得るかも知れない。仮にそうなれば命の恩人の顔へ泥を塗ることになる、いやなってしまう。

 短い期間中に裏社会でかなりの総数の、しかもその世界において有数のビッグネーム達と交流を持つようになっていたゴードンの場合、――女実業家がムハンナドに仲介した仕事は恐らく裏社会の情報源から来ているに違いない。そうなると契約はどこの国の法律も通じない。例え不文律な約束でもルールはルールだ。契約を反故にすればこれはきっともめるぞ。

 ケントの人間関係のしがらみ・恩義。ゴードンの裏社会の諸事情から考察した論理。二人の思考は違えども導き出した答えは同じようなものだった。――ムハンナドと親しい女実業家が絡んだ依頼だけに、もしも異論など唱えるなどすれば面目を丸つぶれにしてしまう。故にこれは断れないな。


 やがて思い出したようにゴードンが、苦り切ったような顔で口を開いた。


「ムハンナド。それじゃあ、仕事の依頼の件はどうしたんだい。できなかったということか」


「あ、はい。色々あたってみたのですが全然手掛かりが無くって」


「何だい、それは。さっぱり意味が分からないな。もっと具体的に話してごらん」


「はい、実は」


 そう口を切ると青年は、約半時間をかけて、一部始終を手振りを交えて語ったのだった。


 それによると、彼が請けた仕事とは、本来はバアラという女実業家に直接来た匿名の依頼だったらしいこと。そしてその内容は、特殊階級の人々にある事をそれとなく宣伝活動する仕事で、付帯条件として最低五十名の屈強で規律正しい傭兵を用意することだった。またその成功報酬は破格の七百五十万ドルという額だった。だができなければ、できそうな個人若しくは法人を紹介することという交換条件が付けられていたこと。そういう経緯で、今回は向こうの親切心から特別に回ってきたものだったこと。

 そして引き受けて見て、先ず傭兵の方は、かつて共に祖国を脱出した者達で今は叔父のところの身辺警護をしている元内務省治安局所属だった秘密特殊部隊の面々の一部を借り受けることで直ぐに目途が立ったのだが問題は宣伝活動の方で。

 依頼主が予め裏社会の専用チャンネルに出した、とある陸軍基地で開催される対テロ実戦演習への参加者を募る広告に沿って、参加者の中に依頼主が指名する者達を必ず一人以上そこへ参加させるように持って行くことと、千人ばかりの見物客を呼びたいので、その宣伝活動をして欲しいというものだったこと。

 ところがそこには難しい課題が課されていたこと。

 一つは依頼主が指名した者達のことで。一応、彼等は今から五年前まで裏の世界で暗躍していたロザリオという組織の六人組だということだったが、現在音沙汰なしとなってしまっていることから生死は不明。素性も顔も年齢層も性別も一切情報はない。ただ一つ言えることは彼等の職業は殺し屋だということのみだったこと。

 そしてもう一つは見物客の質の問題で。一般市民を始め、富だけは有り余るくらい持っている成金趣味の人物。犯罪者。裏社会の半端者。財界人や政治家や俳優や歌手みたいな虚栄心の固まりのような人達も呼んで貰っては困る。望ましいのは民間並びに国家の実質的なVIP待遇の人物、例えば国家の機密を知る立場にある軍の関係者、その道の専門家が推奨する有識者、宗教指導者のような見識のある人物に限るとなっていたこと。

 そうした場合、どこまでをVIPと見なすのかというボーダーライン(線引き)が難しい上にロザリオという組織のメンバーをどのようにして捜し出すかの難問も併せて抱かえていて、これと言った良いアイデアが浮かばぬまま、そうこうする間に期限の一ヶ月の半分が過ぎてしまい。それで困ってこうしてお二人に来て貰い、双方の意見を聞こうとしたというのだった。


 話を聞いた二人は内心唸った。まさにどこから手を付けて良いか分からなかったからだった。

 だがその考えは双方ともほぼ一致していた。

 いかに破格の報酬が得られるからといって、それはあくまで生きていてこその話であって。それがこともあろうに実弾を用いた対テロリスト訓練の、しかも死の危険が大いにある標的として正規の軍隊のそれも精鋭の部隊に立ち向かうなど、どう考えても無謀、無茶苦茶、狂気の沙汰としか思えず。おまけにそのような募集に果たして人が集まるものなのか、どうしても想像できなかったし。また、そのような必ず死者が出る、下手をすれば募集に応じてやって来た全員が冗談ではなく殺されるのが分かっている催しを興味本位で見物しにやって来るような輩もいるようには思われず。

 そして、ロザリオとか言う正体不明の殺し屋をテロリストの一員として参加させる意味について、たった六人の殺し屋が中に入ると、ほぼ八方塞がりと言って良い局面に、ある種の奇跡劇でも起こるというのか。或いは裏社会の掟にその六人が背いたということで見せしめに殺ってしまおうと考えているのか。それらの疑問が定かではなかったことに加えて、予めに五十人ばかりの傭兵を用意することがこれらの事柄にどのように関わっているのか意図が全く読めず。その全てが謎としか思えなかった。

 だがともかく、そのようなことは差し置いて。すぐさま携帯を取出したゴードンはどこかへ連絡を入れてはその応答をディスプレイ画面で見てチェックし始め、他方、老人の方は黙って軽く腕組みをすると、いつの間にか背景のBGMが、壮麗な感のあるクラシック音楽から軽快なラテンジャズのリズムにすり替わっていることにも気付かぬまま難問の解決に向けて知恵を絞っていた。


 そうして五分ばかり経った頃、ようやく老人の方が、「ムハンナド君」と青年を名指しすると、ある提案をした。


「例の極秘資料を参考にして、これはと思う会員にプレゼン(提案・紹介)してはどうかな?」


「ああ、あれですか?」


「ああ、そうだ。あれだ。社外取締役の君ならどうにかなるんじゃないのかと思ってな」


「でも。果たして来てくれるでしょうか?」


「それはわしにも分からんよ。だがとにかく正直にそのまま伝えるしかなかろう」


「でも、それで果たして」


「それじゃあ他にあるのかい? ムハンナド君」


「いいえ」青年の黒色の目が微かに瞬いた。そのようなとき、


「それじゃあ俺は撒き餌でもするかな」


 ゴードンが口を挟んだ。


「ケント。君がパーソナリティーをしている“政治チャンネル”という人気番組に俺をゲストとして呼んで貰えないかな。

 ええ、そうだな。特殊部隊の兵力についてと云ったタイトル名で、特殊部隊が使う兵器、装備について話してやる」


 すぐさま二人は、なるほどと頷いた。

 老人が担当していた、“政治チャンネル”という番組は、限定された会員が集うSNSと違いブロードキャスト(不特定多数)放送だったこと。しかも休日に二時間枠で放送され、マイナー・メジャー関係なく彼が独断で色々な方面からゲストを招いては歯に衣着せぬ物言いで放談をするという設定で常に高視聴率をマークしているお化け番組だったことなどから、会員へ直接プリゼンを発信する前に、その当事者の記憶に何気なく刷り込みをしておく気なのだなと気付いたからだった。


「あ、それとだな」とゴードンは尚も言った。「俺は俺なりにロザリオとは何者なのか色々と調べて見て回ったんだ、ともかくも分かっているのは殺し屋というだけでは話にならないからな。するとどうだ。並の検索では引っかからなかったが、俺の知り合いの中にそれについての記述を見たことがあるという奴がいたんだ。今それを見て貰おうと思う」


 そう告げると、彼は正面の青年へ向かい、「ムハンナド。今、パソコンはソファの上かい?」


 と尋ねた。これに一瞬、きょとんとした表情をした青年が応えた。「ええ、はい」


「小さい奴だったね。確か小冊子ぐらいの」


「ええ、そうです」


「ここに持ってきて貰えないかな?」


「はい」


 そう応じて素直に従った青年は、すぐさま奥のソファの方へ戻ると、座面上に置いてあった有名ブランドの手提げ鞄から黒く艶光りしたやや小ぶりのパソコンを取り出し、テーブル席まで持って来た。


「直ぐに起動させて見てくれないかな?」


「あ、はい」


 まだはっきりと事情が呑み込めていないまま青年は画面を立ち上げた。


「できました。次はどうしましょう」


「ああそうだな……」


 傍らから不思議な顔で覗き込んでいる老人をよそにゴードンは、「やはり小さいか」とひとり言を呟くと、ひょいと左を向いて、部屋の四面の一端を占めている巨大な窓を見た。夜のシルエットがぼんやりと見えていた横に長い一枚窓は、外観から妙にすっきりした感があった。

 ゴードンは更に視線を走らせた。すると窓と壁の境目辺り、ちょうど四フィートぐらいの高さ付近に、赤いLEDが点灯した携帯電話の形に良く似るコンソールパネルらしきものが見えていたのだった。


「確か、この横の窓はテレビの画面に切り替わるんだったよね」


「あ、はい、そのように思います。他にそれらしいものは見当たりませんから」


 何十度とこの部屋を訪れているのにそのような設備をこれまで利用したことがなかったことから、簡単に部屋の中を見渡しそう言った青年に、ゴードンは続けた。


「すまないが窓のテレビにそのパソコンの画面を映し出してくれないか」


「あ、はい」


 高級なイメージのあるホテルやお洒落な商業施設では、他の施設との差別化を図るために、各部屋に巨大な画面のテレビ装置を設置しているのがごく当たり前のことだったので、何の迷いもなく言われるままに立ち上がった青年は、壁の角辺りにゴードン同様、目立たぬように備え付けられていたコンソールパネルを発見するや直ぐ側まで行き、器用にタッチボタンを操作すると窓をテレビの画面へと変換。後はテーブルの上に置いたパソコンとの間を二度ほど往復してパソコンのディスプレイの画像を窓一杯に映し出していた。

 これにゴードンは、「窓一面に映す必要はない。三人で見れるぐらいの大きさで構わないから」と注文を付けて、およそ五フィートの距離から見やすい大きさに調整させると、それが終わり次第に再び席に就いた青年に、自等は携帯の画面を見ながら、次の指図をして行ったのだった。


 約十分後。先程まで窓だった場所の一角に青年のパソコンの画像が投影されていた。画面の中央付近に、長方形の枠に囲まれた状態で、“ディクショナリー”と読める文字列が見え、その直ぐ下にはゴブレットの形状をした台座が描かれ、両端には牡牛らしき動物が立ち上がった姿勢で盾と剣を持って鎮座しており、背景には草木模様が薄いモノトーンで描かれているというもので、画像自体はそれほど変わっているという風ではなかった。

 画面の中央の文字列はこのウェブサイトのタイトル名でサイトの表表紙にあたる部分だった。

 だがここまで辿り着くには一風変わった手順を踏む必要があった。

 ゴードンに言わせれば、目の前のウェブサイトの画面は、裏社会のかなり上層部組織の人間だけが知るもので、ウイルバー・システムと呼ばれている手法で普段は何かしらの制限が加えられているために、どのような手段を取ろうとも見つけ出すことができないということだった。だが彼がどこかに携帯で連絡を入れてから検索してみると容易にその入り口の画面を捜し出すことができ、そのとき現れたパズルの形をしたパスワード記入欄に、『悪魔が舞い降りた、片手に辞書を携えて』と言うような暗号文をインプットしてようやく辿り着くことができたのだった。


「では少し話しておこうか」


 テーブル上に肩肘を付いたゴードンが、携帯とテレビを交互に見ながら落ち着いた口調で言った。


「このウェブサイトは裏社会の人間が専用に利用することからブラックホールサイトと呼ばれているものの一つでね、通常では手に入らない情報や物品を金や物々交換で手に入れることができるんだ。他のウェブサイトでは、ガセがほとんどだがここだけは全て正真正銘の本物の情報や物品が手に入ることで知られている。ま、百聞は一見にしかずというからね。先ずはそれを君達の目で確かめて貰おうか。さあ、やってくれたまえ。ムハンナド」


 そうゴードンに告げられた青年が、機械的に見出し項目を順番に開けて行くと、彼の言葉通り、そのサイトは一種独特のものだった。

 先ず現れたのは商品カタログで。カラー写真と、それを説明した文字と数字の羅列――年式、中古か新品かの区別。現在の状態。製造者の企業名。匿名か代理人の名前なのだろうが現在の所有者名、希望売却価格――からなっていた。

 最初の一覧は、何の変哲もない工事用のフォーク車やショベル車やローラー車や軍用トラックなどの車輌が列記され、次いで重油やガソリンがドラム缶単位で販売されていた。そこまでは極めて普通だったが、グロス単位で販売していたインスタント食品、コンテナー一個単位で販売していた食料や水が売り物となっていた頃から商品の内容が少しずつ様変わりして行った。

 その兆しとして真っ先に現れたのは、短銃から小銃、マシンガンに至る各種の銃と弾薬、色々な形をしたスタンガン、ハイテク機能を持った特殊警棒、軍用ナイフの数々だった。手りゅう弾や地雷はケース単位で売られていた。

 次いで各国の軍服・迷彩服、帽子、バトルスーツ、毒ガスマスク、防弾服、旗がずらりと並び、懐古趣味的な飛行船、馬、犬ゾリ、鎧、剣、槍までもが売りに出されていた。

 それらが一段落した後は、スパイ用具の一覧だろうか、通信機、盗聴器、暗号解読器を始めとして、変装用に使うのだろうか医師、警官、消防などの専門職の服から結婚衣装、法衣までもが揃って出ていた。偽装の為の人工傷・タトゥーのステッカー、人工皮膚。あとカツラや付け髭や目だし帽、メガネなど。そして、お決まりのメーキャップ道具一式。各国で使われている紙幣もあった。最後には、偽装旅券にパスポートに身分証明書。その下の欄にはそれを請け負うという業者の名前と携帯番号が載った広告とチラシがずらりと並んでいた。

 その項がようやく終了すると、今度は二桁も三桁も販売価格が違う高価な品物が勢揃いしていた。

 大型の迫撃砲、各種ミサイルとその運搬車両。ロケット弾、軽飛行機、海洋調査用の潜水艦。果ては装甲車、軽戦車、軍用ヘリに排水量一万トンクラスの巡洋級の軍艦、長距離戦闘爆撃機までもが元所有国の印が付いたまま出品されていた。最後には、武器商人と予想される個人・法人企業の名がずらりと列挙されていた。


 ケントとムハンナドの二人は、その内容をざっと見ながら、「ここに出品されている食料品の多くは各国が被災国へ無償で与えた援助物資さ」とか、「ここでは世間に出回っていないプロトタイプ(試作モデル)の武器も多く出品されているんだ」とか、「ここの軍需用品は総合デパートのような品揃えをしていて商品は全部で数十万点はある。一つ一つ見て回るだけで四、五日ぐらいは直ぐに経過してしまうだろう」など、ゴードンから説明を受ける度ごとに思わず驚きの声を漏らしていた。


 高価な品物のコーナーが終了すると、地味だが兵器の取り扱いを解説した沢山の書籍が売られていた。

 その後は、圧倒されるぐらいの薬品と薬の材料となる植物や樹木のオンパレードが待っていた。用途別にタブレット、粉末、カプセル、一斗缶、三十キロ入り袋と分類化されたものを含めると、その数量は前記の軍需品の数倍以上あると思える程だった。

 なので、この部分をそっくり飛ばして次に行こうとしたのだが、操作上のミスがあり、そうもいかなくなり。簡単に見て行くだけなのに時間が五分、十分と過ぎ、その数量の多さにいつ終わるのかと、もういい加減嫌になりかけたときだった。マイナーな薬品企業、化学企業、研究所の広告が目に付いたかと思うと、そのコーナーが突然終わりを告げ、次に現れたのは報道写真のように、まるでその現場に居合わせたような迫力と臨場感がある画像の数々だった。

 一つのディスプレイ画面を六分割した一つ一つに、通常では絶対に見られないような生々しい事故の模様や殺人現場の画像が幾つもアップされていた。ときには被害者や加害者らしい顔を写したものもあった。

 画像の下には、何れにも日付と場所がはっきりと記入されていた。日付は今日の日時になっていたが、毎日更新されているらしく、画面をスクロールして行くと昨日の分も一昨日の分もあった。どれもブレのない鮮明な画像だった。

 まもなくして画面が六分割から二分割へと切り替わり現れたのは、その前のリアルな暗い色と打って変わって、色鮮やかな原色使いのグラフィックスや商業写真風の画像の数々だった。


 日曜画家が描いたような稚劣な街角の風景や人物像が十点程、画面上に並んでいる画像。

女性の乳房のような形をしたものが木箱に入ってずらりと並んでいる光景の画像。

 白、ピンク、赤、黄と云ったバラの花ビラを沢山浮かべたバスタブの中で、裸の白人女性が優雅にくつろぐ画像。

 透明な箱に入った状態で、頭部がツルツルのマネキン人形の頭部が、段状に棚の上に並べてある画像。

 濃い紫色をしたベッチンの布地の上にハードロッカーが着けるような奇抜な形をした首飾りやブローチやブレスレットが綺麗に並べてある画像。

 色数だけで二十色以上あると思われる色鮮やかな固形セッケンが山のように積まれて並べてある光景を写した画像。

 呪いの儀式に使うような気持ちの悪い顔立ちをした木製人形がずらりと並ぶ光景の画像。

 モダンな帽子を被る手足の長い女性像や清楚な感じがする少女のイラストが描かれた画像をバックに、かつて録画媒体に使われていたディスクメディアがひび割れた状態で歴然と並ぶグラフィック画像、等々。


 それらにゴードンは、「俺は初めてこれを見たとき、世の中にはこういう商売もなり立つのだなと感心したよ」と告げると画像に一々注釈を加えて行った。


「ごく普通の人物画か風景画にみえるかも知れないが実はそうじゃない。キャンバスに人の皮膚を使い、絵の具に人の体液と脂肪と血液を混ぜ合わせて描いたものだそうだ。中には人の骨を粉末にしたものを使っている絵もあるらしい」


「乳房の形をしたオブジェは樹脂でできたものじゃない。切り取った本物の乳房に樹脂と防腐剤を添加して永遠に腐食しないように加工したものなのだそうだ」


「良く見て貰うと分かると思うが水面が赤いだろう。あの赤いのはワインが入っているからでも入浴剤が入るからでもバラのエキスでそうなっている訳でもない。あれは人の血液を象徴していて、血液を売る広告という話だ」


「髪が無くて人形顔のようなド派手な化粧を施してあるが、あれはマネキンじゃない。本物の人の頭部だ」


「細かい彫刻を施してあるピアスやブレスレットは人や動物の骨が使われている。ネックレスの先にペンシルペンダントが見えるだろう。あれは男性の局部を干して作ったものらしいということだ。その横にウズラの卵状のブローチがあるだろう。可愛い子犬を浮かし彫りしてある素材の近くだ。良く見ると目玉みたいなのが見えるが、あれは本物の人の目玉を加工したものじゃないかな」


「誘惑するように赤い唇を尖らせている若い女性が派手な格好で写っていたり、カラー石けんが幾つも並んでいたりする光景は業者間の隠語で麻薬を意味するんだそうだ。つまり、あなたが好きな色とりどりの麻薬がありますよ、という意味の広告だ」


「頭部に人間の生首を乾燥させたものを使っているから気持ち悪く見えるのさ」


「ひび割れたドーナツ盤が意味するものは女性の断末魔の叫びということらしい。これは、ひたすら女が泣き叫ぶ様子、苦痛で顔を歪める様子、恐怖で震える様子が映った映像を編集したソフトを販売しているという広告だ。

 猟奇的な趣味のある人間に好まれるとかで良く出るんだそうだ。で、一度見せて貰ったことがあるんだが、身の毛もよだつ酷い悪趣味だ。これが好きとは正真正銘の変態か筋の通った殺人鬼ぐらいなものだろうな」


 そう云った知識をゴードンが披露していたとき、オートスクロール機能で移動していた画面の表示内容が画像から一覧表のようなものに変わると、そこへ現れたのが“世界ランキングベスト20/100”と題した太文字の見出しだった。


「あ、ちょっと待ってくれ」


 そう言ってゴードンは素早く青年に機能を停止させると、不思議な顔をした二人を尻目に、


「もうそろそろ出てきてくれても良いと思っていたんだが」


 お目当てのものが見つかったということなのか、表情が和らいでいた。


「聞いた話ではここだということなんだ」


 ふ~ん、とゴードンの方に半信半疑の目を向けた老人が尋ねた。「こんなところに出ているというのか? ゴードン」


「ああ、そうらしいな」


 さっそくそれを確認すべく青年が、左の端にずらりと並んだ、グルメ、観光地、景勝地、ゲームと云ったごく普通の選択項から、言われるままに最後尾あたりに出て来た歴史上の人物を選択した。

 すると後は自動的に選択項が出現した。

 神代、古代、中世、近世、近代、現代、最近の時代区分の選択肢には最近を。

 国の選択肢には世界全般を。

 宗教家、政治家、作家、武人、軍人、職人、実業家と云った職業の選択肢には、殺し屋に近いものとして一番下にあった犯罪者をピックアップした。

 また、単独か複数かとの問いには複数を。続いて訊いてきた“男”か“女”か“男女”かの問いには分からないので空欄にしておいた。

 さらに“偉大な”か“最悪な”かを問う質問には“最悪”を選択。そういう具合に入力して行くと全ての準備が終了した。


「さあ、見てみよう。出て来るぞ」


 だがそうして現れた結果は三人をがっかりさせるものだった。但し書きに、これは一週間毎で更新されるという文言。左端に現在の順位と過去の順位。中央に犯罪者の名前(この場合は組織名だった)と、あれば写真かイラストが添付されていた。右端には素性、時代背景、足跡。そして、どうしてそのような順位に至ったかの簡単な説明が加えられていた一覧表には、どういう訳なのか上位二十位どころか百位にも名が載っていなかったからだった。

 ほんの四、五秒もかからなかった。釈然としない顔でゴードンは再び携帯を取ると、どこかへ連絡した。直ぐに相手が出たと見えて、唐突に会話に入った。小さく頷いたり、分かったと返事をしていたあたり、どうやら水面下で良いアドバイスを貰っていたに違いなかった。その合間に、老人と青年は気分を一新しようと黙ってビールへと手を伸ばしていた。

 やがて、会話がものの数分で終わると、ゴードンは電話口に短く礼を述べて携帯を切った。そして携帯をテーブルの上に静かに置くと、晴れやかな表情で言った。


「ムハンナド。悪いがもう一度最初からやって貰えないかな。そのとき、最後の方に空欄があったろう。キーワードを入れる項目欄だ。そこへこういう文章を入力して欲しいんだ。“パンドラの壺が開けられた”、と」


 検索キーが押された。その瞬間、キーワードであった本来開けてはならぬパンドラの壺が開けられたという意味を、三人は知ることになった。

 というのも、犯罪指数比較ランキングというタイトルと共にロザリオという組織の名がランクの上位に出てきていたからだった、しかも順位は堂々の一位で。


 ランク一位:ロザリオ:男女混成の六人グループ。一人一人が特殊技能者。暗殺、破壊工作を得意とする。二週間という短期間の間に世界五か国の軍事施設並びに軍港、六十ヶ所以上を襲撃。軍施設、軍船、兵器の破壊のみならず軍民、延べ三十万人以上を無残な死に至らしめる。これらの行為はまさに悪逆非道といっても過言ではない。


「そんな馬鹿な!?」「一位だと!」「なぜ?」


 三人からそのような呟きが思わず漏れていた。

 その直ぐ下の二位、三位、同率四位に入っていた、SLCC・シャークユニット、SLCC・ブラッドユニット、ブルドッグフォース並びにSLCC・ラブスネークユニットと云われる組織は、殺害した数だけを比べれば、それぞれ六十万人、五十万人、三十五万人と、一位のロザリオを断トツで上回っていたが、殺害した対象者を見れば、ほとんどが民間人と記されてあったことから、それを考慮して下位に甘んじているようであった。

 それ以降百位まで目を通したが、どの組織も殺害した人の数は五万人を下回ることがなかった。最初に閲覧したランキングでは、一位でも五千人規模であったことと比べると雲泥の差だった。

 ともかく結論付けると、どの組織も殺害した人の数が多過ぎ、普通でないのは確かだった。これだけの人数を殺害できるとすれば、世の中が平穏な時期はまず無理で、国が内乱状態にあるとき若しくは他国と戦争をしている時ぐらいだろうと考えられ。そうすると、犯罪者として区分されている以上、何らかの罪を犯したことになる。上位百位までに入る組織のほとんどが構成員百人未満の小規模所帯である。何れも多数の人数を殺害している犯罪者としての扱い。これらから考えられることは、フリーになる前に傭兵のように政府に雇われていたか、或いは特殊部隊の現役の軍人であったものが軍上層部か政府の実力者からの命令に従い数々の非人道的な行為を働いたのが理不尽にもその後で濡れ衣を着せられた格好で犯罪者として名を連ねることになったか、又は虐殺に関連した秘密を知ってしまったために犯罪者として追われる身となったかのどちらかと思われた。

 そういう点で言えば、ロザリオという組織は追っ手をかけられていることから見て後者のようだった。


 目の前の画面をもう一度注意深く覗き込み、たちまち画面に釘づけになった三人は一分間ほど、誰一人として言葉を発することができなかった。


「おい、どうするのだ。ゴードン」


 ようやく一足先に我に返った老人が横からささやいた。


「どうすると言ってもな」


 目で答えを問いかけてきた老人に、さすがに良い案が浮かんでいなかったゴードンは、軽く視線を逸らせると深い溜息をして黙り込んだ。


 そもそもこの依頼の目的を、逃げ出して行方が分からなくなっている六人の殺し屋の一人か二人を陸軍基地へと誘い出して、いもづる式に全員を捕えるために仕組んだ作戦だと考えたのは浅はかだった。

 依頼では、六人は殺し屋となってはいるが、単なる人殺しじゃない。三十万人以上の兵士を殺害していることなどから実は戦争犯罪人なのだろう。そういうことで民間より寧ろ国家がこの依頼の黒幕だろうな。その場合、一つとは限らない。六人によって被害を受けた国は全部で五ヶ国あるからな。また第三国も有り得る。第三国が六人の元の雇主で、五ヶ国に向かってそのようなことをするように仕向けたとも考えられるからだ。

 無防備な民間人を殺害するなら凡庸の兵器でも三十万人の殺害ぐらいは可能だが、立派な装備を備えた兵士をそれだけ殺害することは容易ではない。大量殺りくが可能な兵器、例えば生物・化学兵器を使用して奇襲をかけたとしても、兵士達は訓練で対応する術を知っているから、殺れても一、二万がせいぜいというところか。三十万という数字は無理だ。そこで考えられることは、どのような装備でも対応しきれない未知の大量殺りく兵器の存在だ。しかもその兵器はたった六人で持ち運びが可能で、コンパクトにできていると考えられる。

 恐らく、その未知の武器を巡る各国間のかけ引きと陰謀が、このような訳のわからない話となって出てきた可能性がある。

 だが表向きは銃器を使って大量殺りくを犯した凶悪犯に六人は見なされているから、命の危険を顧みず勇気を出して密告しようとする者は出て来なかった。それで困った黒幕の国家はこう云った依頼を自等の息がかかった秘密機関を経由してどこかにさせようとした。――――そこまでは読み解いたと思っていたゴードンだったがそれ以外のこと。なぜ彼等を外から上客を招き入れた陸軍基地へ誘う必要があるのかということと、なぜ傭兵を五十人集める必要があるのかということはどう考えてみても説明がつかないものだった。

 そうは言っても、依頼してきたところが秘密機関というのなら、一筋縄ではいかない問題をはらんでいてもおかしくはない。そんじょそこらで内容が分かるような柔な小細工をしていないはずだからと、終いには無理やり自分を納得させざるを得なくなっていたのだった。


 その後、全くお手上げだなと、しばらく硬い表情で口をきく気がしなかったゴードンとケントの二人だったがここで何も言えないようでは頼られる側として面目が立たない。そのことを良く知っていた二人は巡り巡って、諦めて一億を超える違約金を払うくらいならダメ元でも良いから、声を掛ける者達の中にそのターゲットを知るのがいることを期待して事を進めるのが賢明であろう、といったあたり障りのない至極まともとも取れるアドバイスをムハンナドにしたのは、その後、数分経ってからのことだった。

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