第4話

 一ヶ月前のこと。

 どこか閑散とした雰囲気が漂う、とある四角い間取りの部屋。その中央付近に置かれた丸テーブルの回りに、三人の初老の男が、和気あいあいの雰囲気の中で鼻を突き合わせて腰掛けていた。四、五人が楽に座れるぐらいのテーブルはそこそこ大柄な体躯の彼等のために小さく見えていた。

 内、室内にもかかわらずベレー帽を被った二人は共にデザート柄の迷彩の服装と階級章から明らかに軍の関係者だった。が、もう一人の方は、高級そうな濃紺のスーツの上下にタータン柄のネクタイというきちんとした身なりは営業マン風で、堂々としているのはどこかの企業の重役そのものだったが、首筋辺りまであった長い黒髪をオールバックでビシッと決め口ひげとあごひげを蓄えた容貌と太目の一文字眉と彫の深い顔立ちという特徴はどこか独特で。彼を一言で例えるなら、“芸術家のような。評論家のような。学者のような”が不思議とあてはまっていた。


 部屋の明かりは、やや高い天井部分にはめ込まれたガラスブロックが自然光を柔らかく取り込むことで用をなしていた。今、そこから午後の明るい陽射しが射し込んでいた。

 四方の壁は、コバルトブルー色を基調にしたベルベット張りで品よく落ち着いた雰囲気を醸していた。今そこには十号から四十号ぐらいの絵画のレプリカ――幼児の姿をした四人の天使が飛びながら手をつなぐ図、白い翼を大きく広げた少女の天使の図、手に水差しや聖杯やパンを持つ三人の成人の天使の図、果実が実るつるのような姿をした樹木の図、星の形をデザイン化した図、黒いローブ服に身を包んだ聖母の図、一冊の書物を大事そうに持ち正面を向く名も分からぬ僧侶の像の図、翼が生えた白馬に乗る鎧武者の図、リラ(竪琴)をたなびく女性の様子が描かれた図、がずらりと並んで掛かっていた。


 テーブルの上には厚みのある黒革の鞄が、容姿から明らかに民間人とおぼしき男の側に立てて置かれていた。

 一方、軍人とおぼしき二人の胸に掲げられた階級章は、普通一般の赤や黄や青などの色鮮やかな色彩を組み合わせたものと違い、グレーと草色と橙色を基準にした地味なもので。それらから両人とも相当地位の高い高官と思われた。


 それぞれが仲良く並んで席に就いたそうそう、二人の軍人のどちらかともなく一方が半袖の薄着の服を何気なく見せながら尋ねた。「こんなに温かいのに君はなぜ冬服の格好をしているのだ。暑いだろう」

 

 その問い掛けに、芸術家風の男は別段表情を変えずに、着ている高価そうな上服を見せびらかすようにしながら、「暑いからといって薄着の服を着れば涼しくなるというものじゃない。確かにこれは厚地であるが生地に宇宙工学の研究から生まれた新素材が使われていて、体温をいつも一定に調整する機能が備わっている。だから年中着ることができるのだ」と自慢げに披露してから逆に思い出した疑問を、目の前の二人に口にした。


「ところでジョン。なぜここなんだい。私はじかに君と会えると思っていたのだけどね。それにしてもジル。君もなぜここにいるんだい」


 身長は何れも六フィート以上とほぼ変わらない三人の中で一番日焼けして色が黒く恰幅の良い男がニヤッと笑った。ジョンと名指しされた男だった。

 その横に腰掛けた一番貧弱そうな男も同様に含み笑いをした。細面の白い顔に鼻と耳が大きく目立つ男、ジルだった。芸術家風の男の記憶では、ジルは別の外郭団体で勤務している筈だった。

 二人の将校は幼友達で親友と呼べる間柄だった。その彼等は、芸術家風の男とは二十数年来の付き合いで。三人は愛称若しくはファーストネームで呼び合う仲だった。しかもジョンは、この基地で司令官の地位にあった。


「先に僕から話そう」先ず、かなり薄くなったグレーの髪を、一番偉い司令官らしくきれいに短く刈り揃えた恰幅の良い男が口を開いた。


「簡単なことだ。僕達は今、公務中なんだ。いかに君でもね、場所が場所だけに僕の一存ではどうにもならなくてね。断るのが妥当な線だったのだが君は運が良いよ。どういう伝手を頼ったのかは知らないが、ドゥーリック大将の紹介状を持って来たというじゃないか。それで僕もこうして来れたというわけだ。

 その前に、逆に教えて欲しいね。あの方は堅物で、滅多に、特に民間人には紹介文を書かないので有名なんだが」


「ああ、そのことね」芸術家風の男は余裕の表情でこともなげに応えた。「将軍は良くできた御方だよ。先日、とあるゴルフコースでお会いしたとき、話の成り行きだったのだが、この基地で司令官を務めている君の話になってね。つい私が君と三年程会っていないと言うと、民間人が官民と接触するのはたぶん余程の事情が無い限り無理な相談だ。例えできたとしても一週間ぐらいは待たされるのはざらだ。だが私が推薦状を書けば会わせてやることができると言ってくれてね、それでほんとうにできるものか興味を持ってこうしてお願いしてみたわけだ」


「ふん、そうか」


 目元だけでなく口元まで笑っている芸術家風の男の表情を一瞬、じろっと見たがっしりした体躯の男は直ぐにぷいと目を逸らした。

 どうせ裏工作をしてそう仕向けたのだろうと、隣で冷めた目をするもう一人の男と共に、このような場で全くのデタラメを言っているわけでないだろうがと、その額面通りに受け取ってはいなかった。そもそも芸術家風の男の素性は、個人投資家だった父親の膨大な資産を受け継いで、自等も世界のマーケットを股にかけた事業をしているという触れ込みだった。しかも趣味というのが世間一般の遊びの他に根っからの軍事マニアということで武器や世界の戦争の歴史に詳しく。その道楽が興じて同様の趣味を持つ世界各国の現職退役を問わずあらゆる年代の軍人と交遊があるという話だった。


「ところで、一体何の要件だね、クリーク」


「その前に。私の疑問には答えて貰っていないが」


「ああ、そのことかい。なぜここに招待したかということだな」


「ああ。一つはそうだ」


 誰もが疑問に思って不思議ではなかった。三人がいた所。そこはどういう訳なのか基地の一角に建てられたチャペル(礼拝堂)の建物だった。しかもその中に設けられた地下の部屋にいたのだった。

 その確かな証拠に、基地の通用口にて空港で行われるのと良く似たセキュリティーチェックを受けた芸術家風の男が車で連れて行かれたのは、基地の施設と余り関係があると思えない形状をした建物――日本家屋・チベット寺院・中世の城をミニチュアにしたような建物を始めとして、花や草木が壁一面に描かれた建物。妖精が住んでいそうな全体がピンク色の建物。小人が住んでいそうなリンゴやてんとう虫の形をしたメルヘンチックな建物。魔法使いが住んでいそうな複雑に形が歪んだ建物など。あたかもテーマパークにでも出てきそうなへんてこな建物が生垣や白いフェンスや塀や石壁に仕切られ、道路脇にぽつんぽつんと建ち並ぶ区域だった。

 それらの建物群の中から男が案内されたのは、周りを青い生垣で囲まれ、おとぎ話に出てくるお菓子の家のような外観が見て取れる東屋だった。

 その場所で、何が何だかさっぱり分からないまま、「この奥の方で暫くお待ちください」と案内係の兵士に告げられ一人残された男は、開け放たれたままになっていた入口から中に入ると、待ち人が現れるまでのおよそ十五分間、辺りを見渡して見つけた木製の長いすにじっと腰掛けていたのだった。

 その間に分かったことは、建物は吹き抜け構造をしていて天井が高いこと。室内は百人も入れば満杯になると思われるぐらい狭いこと。その狭い中に木製のベンチが同じ向きにずらりと並べてあること。向かい合う壁には同じ大きさをしたアーチ状の窓があること。前方の階段三段分高くなった地点の中央部にしっかりした作りの四角い演台があること。その直ぐ後ろに二メートル程の高さがありそうな、つい立のような構造になった壁があること。そして、つい立の奥側の窓一面がステンドグラスになっていて、そこには真正面を向いた状態て羽ばたく黄金の鳩の姿が描かれていたことだった。

 それらの内部の様子からここはどこなのか八割方分かった気がしたが、窓辺とつい立状の壁の狭間に隠されていた地下のこの部屋に連れて来られて中の調度品を見るに及び、ようやくはっきりと確信したのだった、自分達がいるこの建物はチャペルなのだと……。


「実を言うと僕自身、単独行動は難しくてね。いつも側近連中が周りにいるわけだ。一人になれるとすれば執務室とここぐらいなのだ。だが執務室で外来の民間人と会ったとなると、周りでいらぬ詮索をする者がいるのだよ。その点、ここなら神の御前であるということで、セーフなのだ。ま、よその方は知らないがね。

 とにかくうちでは、戦争とは、あくまで人間同士の争いであって神は無関係だという基本理念が浸透している。だから、人に会うのに神を祭る神聖な場所でと言えば、例え公務中であっても、誰も疑いもせずに自由行動を黙認してくれるのだ」


 人間と神との関わりについて簡単に述べた男の深い真意を、部屋の周りの情景から気分を落ち着かせる場合には最適だが悪事を話し合うには周囲から見られている感じから落ち着けないということなのだろう、と簡単に解釈した芸術家風の男は、にやりと笑いかけた。


「そういうわけでここを選んだ訳か」


「ああ、その通り」


「それじゃあ……」


「ジルのことか?」


「ああ」


「ジルは、ジルはそう、二ヶ月ぐらい前か、ここに移動になったのだ。今は僕の補佐をして貰っている」


「それで連れてきたわけかい」


「ああ」


「だけど、もう直ぐここともおさらばさ」


 それまでニヤニヤしながら大人しく聞いていた色白の男がふて腐れたように呟いた。


「というと?」


 芸術家風の男が、そう言った彼の顔を覗き込んだ。すると、当の本人が応える前に、隣に腰掛けた恰幅の良い男が補足した。


「ジルは一応ここでは研修という立場だ。彼は事務方が長くてね。それがどうやら最近上層部から発案された組織の硬直化防止政策に抵触したみたいで。今になって、事務方の人間も現場を知っていなければいけないということになってね。

 ところが、また近く研修場所が別の部署に変わるらしい。この分じゃ、あと二、三回は移動するんじゃないかな」


 あごを擦りながら無造作にそう言った男に、芸術家風の男は頷いた。すると今度は、本人が更に補足した。


「僕も研修場所がジョンのところだったので、初めこれで助かったと思ったんだ。それがこの前きた辞令でまた移動らしいのさ。まだ次の赴任先は決まっていないみたいなんだけどね」


「それでどうなるんだい、ジル」芸術家風の男がニヤニヤしながら言った。


「研修が終わると、また前の職場に戻るんだろう? そうすると昇級でもするとか……」


「ああ、それは無いな」すかさず色白の男が首を振った。「僕みたいな古株は昇級したところで居場所がないからね。それに、この研修命令が下りたのは、不思議と若い上司が赴任してきてからまもなくだったからね。

 おっと、これ以上の内輪話は守秘義務があるからできないことになっているのでね。悪いが黙秘させてもらうよ」


 そう自虐気味に聞こえるように言ったジルという人物は、細面でひょろっとしていて、話し出すと言葉が軽めで人当りの良い印象を醸し出す男だった。

 三人の会話にはなかったが、恰幅の良い男が栄転をして某基地の司令官を務めているという情報を芸術家風の男に流したのは、実はこの男だった。

 二人が出会ったのはつい最近。およそ二ヶ月前。とある競馬場の馬券売り場だった。

 その頃、人事異動で新しくやってきた年下の上司から外部研修の辞令を受けたばかりだった男は、その上司との確執や左遷の前工程とも受け取れた研修のことで、表情には現わさなかったが胸中は穏やかでなく。そのもやもやしていた憂さを、パッと勝負事で勝って晴らそうと、自然に競馬場へ足を運んでいたのだった。

 そのとき二人は互いに、「奇遇だね」と全く偶然に出会ったことになっていた。だが実際のところ、ある意図を持って利用できそうな軍関係者の知り合いをあたっていた芸術家風の男がわざと偶然を装っていただけだった。

 「メーンレースに入れる資金を得ようと比較的堅いと思ったサブのレースに金を入れたのが間違いで、たて続けに負けて手持ちがほとんど無くなった。それでもはや帰るほかない」とぼやいた男に、芸術家風の男は上手く取り入ると軍資金の融通はもちろんのこと、予想の指南をするなどして儲けさせて所持金を十数倍に増やしてやって、彼に何気なく貸しを作ったところで、偶然にも栄転した男の近況と所在を聞き出していたのだった。

 そういうわけで、互いに思いがけないところで出会ったと思った二人だったが目を合わせた途端、共に少し驚いた風に苦笑いしただけでそれ以上何もなく。二人は知らんぷりを続けていたのだった。

 だがそのようないきさつを一切知らない恰幅の良い男は、色黒の顔で平然と言った。


「これで君の疑問は全て解決した筈だ。あ、そうそう。思い出した。要件を聞く前に僕からの質問だ。君は身分照会のとき、自身はシンクタンクの人間だと名乗ったそうじゃないか。しかもだ、僕と一緒に撮った写真を見せて信じこませていたようじゃないか」


「ああ、そうだが」


「僕が知っている君の職業は生粋のファンドプレーヤー(投資家)だった筈だ。いやマネープレーヤー(金融家)と言った方が正しいのかな。ま、どちらでも同じことだがね」


「ああ、そうだよ。君の言う通りだ。でもね、それは当然のことだと思うが。正直に本当のことを言ったのでは君に迷惑が掛かると思ったのでね、差し障りのない職業を名乗ってみたのさ。疑われちゃあまずいと思ってその準備までして来てね」


 と、言った男は、屈託のない笑顔をしながら傍に置いていた鞄を手に取ると、


「受け付けのところで内容を説明してやったら全く疑われなかったよ」


 そう二人に説明して鞄のファスナーを開け中身をテーブルに並べていった。その間、二人の将校はそれらをじっと覗き込んでいた。


 まもなくして八インチ内外の厚みがあった鞄から出て来たもの。それは、極薄タイプのモニター付きメモリカードプレーヤーに、『海外留学のマナーについて』『年金生活のしおり』『休暇の過ごし方のヒント』『家具から楽器まで手作り入門』『日曜作家のすすめ』『趣味を持とう』『定年後からの生涯学習』『国際社会の現状』『次世代の世界情勢を読み解く』『人類の課題』と云った題名が色表紙を飾るB5サイズぐらいの小冊子で。いずれも透明なビニール袋に包まれていた。


 男は全てを出し終えると、メモリーカードが中に付属していると思われるそれらを手に取りながら呆れたという顔をする男達を尻目に、「どうだ!」と自慢気に言った。


「これで疑う奴がいたら教えて欲しいものだよ」


「それで、中身はチェックされなかったのか?」


「ああ、その辺は織り込み済みだ。そう言われるかなと思って、言われもしない内に先にこちらから中身を見せてやる作戦に出たんだ。実際に入っているのを三つ用意しておいてね」


「すると」


「ああ。本物は、『海外留学のマナーについて』と『家具から楽器まで手作り入門』と『日曜作家のすすめ』だけで、あとは全てフェイクだ。君の友人を長く足止めできないだろうと読んで、この三つから二つを簡単に見せたところで思った通り向こうは信じてくれたよ」


「呆れたね、全く。君っていう奴は。まるでスパイもどきだな」


「ふん。スパイとは、良く言ってくれるよ」


 すねたように芸術家風の男が応じ苦笑した。すると向かいに腰掛けた二人もおかしいのをかみ殺したようににんまりした。まさにその姿はお互いに仲が良い関係を示す一こまだった。


 二人の将校が芸術家風の男と知り合ったのは、共に尉官であった二十代後半の頃。彼等が偶々参加したチャリティーバザーの会場内だった。

 そのとき会場には制服姿の同輩が他にも大勢出席していたにも関わらず、当の男が、「あなた方御二人は人相学的に見て将来、出世する相が出ている。人付き合いをするならそのような運命を持った人物でないと」と前置きしながらシャンパンのグラスを二人に掲げてお近付きになりたいとやって来たのが事の始まりだった。

 当初、愛想がとても良かったこと。バザーの購買額から見て相当な資産家に思えたこと。身なりが清廉されていたこと。身の回りの世話をする秘書か警護の者が数人付いていたこと。乗ってきた車がオーダーメイドらしい高級車であったこと。軍事マニアで最新の兵器や世界の戦争の歴史に非常に興味を持っていると話したこと。名前や住所や仕事先をはっきりと名乗らなかったこと。――などの印象から、外国から来た高級スパイか何かか、国内の軍需企業から派遣されたエージェントか、或いはどこかの経済団体に頼まれてやって来た調査会社の人間か、果ては変人かと男を疑ったが、当の本人は至ってすまし顔で、


「私は趣味人として軍人さんとお付き合いがしたく、おとぎの国から来たものです。ただ利害がないというのは嘘で、取り用によってはスパイとも言えます」そう大胆に公言すると、「とにかく現役の軍人さんと友達になることに興味を持っています」と言い、「使いようによっては便利な機能付です」とさり気なく名刺を差し出してきたのだった。

 その名刺というのが極薄のカード電卓のような形状をした手の平サイズの大きさのもので。銀色をした表側に男の名前と簡単に職種・趣味の記述があり、その裏側には星占いの機能が備わっていた。

 占いは生年月日と性別。他にも名前や現在の職業などを入力すればカードに内蔵された性格診断や近未来予測の情報が出て来るというもので。入力値が多い程詳しい情報内容が出て来るという非常にユニークな機能を持つものだった。

 余りに奇抜な名刺であったためなのか、暇なときや決定に迷うときがあったときに遊び感覚や参考程度で利用する内に、データをより多く入力すれば良く当たることに気付いた二人は、芸術家風の男に自然と連絡を取り装置の詳しい内容を尋ねるようになり、いつの日にか三人は懇意の仲となって行ったのだった。

 そのようなほんのちょっとした縁で仲が良くなった三人であったが、こと芸術家風の男に限っては、彼の本意はあくまで官民間の付き合いという浅い範囲に留めておきたかったのか、二人に対しては、世間から不審な行動と見られることは一切何もしないと宣言した通りいかなるプレゼントも金銭の授受も接待もしてくることはなかった。

 だがそれにもかかわらず、その後、他の同輩が羨ましく思えるくらい順調に彼等が出世街道を歩んで行ったことを見ると、芸術家風の男の人を見る目はあながち間違いではなかったように思われた。


「ま、とにかくだ。そこまでして僕に会いに来た理由とは一体何だい?」


 そう月並みに訊いた色黒の男だったが、実は、ここまで手の込んだことをして芸術家風の男が直接会いに来た理由について、おおよその心当たりがあった。基地の司令官に赴任する前、ある事情でこの男に助けて貰ったことがあったからだった。たぶん、その貸しを取りに来たのだろうと思っていた。

 それはおよそ五、六年近く前。別の師団で準副官として勤務するかたわら戦争障害者自立支援協会、戦争未亡人支援協会、同母子家庭生活支援機構、平和遺族会などと云った複数の非営利団体で理事を務めていた彼は基金の損失金の穴埋めに奔走していた時期があった。

 当時、団体の一つで経理を担当していた女性のベテラン社員が七百万ドルに及ぶ基金を横領して、遊興費や彼女の内縁の夫(実はこの男。軍にとって非常に具合が悪い軍内部の汚職を摘発する内務査察課の元職員だった)が投機に失敗して作った借金の穴埋め費用に使っていたことが内部監査で発覚したからだった。そのとき出た欠損金の補てんを、色々な緒事情――当時の世の中は好景気から不景気へ向かう過渡期であったため、穴埋めする資金をぽんと寄付してくれるところも低金利で融資してくれるところも皆無だった。――から隠密裏に仰いだのがこの男だった。

 そのとき相談を持ちかけられた芸術家風の男は、「君の窮状を救うためにタダで金をくれてやることはた易いことだ。だが、それでは私に恩を作ることになり、君の立場がなくなるというものだろう。それよりも私が恐れるのは、君に大口の資金提供者(パトロン)がいたとなることで、逆に君のキャリアが傷つく原因ともなり兼ねないことだ。例え、私腹を肥やす為でないにしても、後々になってこれが分かり痛くもない腹を他人に探られるのは君だって嫌だろう。

 だから友人である君の為を思って資金提供は断る。しかしながらそれでは君の立場もないだろうからここは一つ、金を得る助言を与えたいと思う」


 そう告げて彼が薦めてきたのが、特定の物品・権利の価格が近い将来にどう変わるかを予想してその物品・権利の売買を行い、その間に変動した価格の差額を正負の利益として得るという投機の話題だった。その中でも比較的短期間で儲けられると推薦したのが、底値で買い値上がりしたところで売るという、難しいテクニックも何もいらない極めて簡単な買占め手法だった。

 それを聞いた恰幅の良い男は、そのついでに言われた、そういうことで元手も用意できないから最低でも五万ドルを準備して貰いたいとの要請にはまあまあ妥当な話だと受け入れたが、投機でほぼ失ったようなものだった損金をまた投機で取り返すこと自体危険な賭けだと複雑な思いだった。だがそれ以外に方法が無いのならば、と応じないわけにはいかず。結局、失敗したときの危険を顧みずに承諾していたのだった。

 ところでその男が指南してくれたのは、一種の品目に絞って買い占めるという手法でなく。少ない資金でも十分儲けることが可能な仕手筋に乗るという手法と、人が売るときに買い人が買うときに売るという手法と、世間が気付かない品を先に買い集めるという手法だった。その為、一年間に売り買いした品目は、トマト、じゃがいも、にんじん、カカオ、コーヒー豆、ムール貝、エビ、キャビア、スクワレン(肝油)と云った農作物・魚介類から、ゼオライト、ヨウ化カリウム、水銀と云った薬品。チャコール(木炭)、浄化便器のような製品に至るまで広範囲に上ったのだった。

 男の指図通りに売り買いして一年と五ヶ月経った頃。後から更に不足分が出て来て総額八百万ドルに達していた損金の穴埋めが全て完了していた。そこできっぱりと取引を止めたわけであったのだが、その止めた時期と直後の昇進の話がほぼ重なったのはまんざら偶然ではない。図らずも非営利団体から出た不祥事を、合法的な手段でしかも表ざたにならぬように処理した功績に対して、軍の最高意思決定機関が二階級昇進という形で報いたのだろう、と思っていた。


 芸術家風の男は直ぐに応えずに、なにくわぬ顔でゆっくりと息を吐いた。その間、尋ねた当人は彼をじっと覗き込んでいた。他方、その隣では、我関知せずという風に色白の男が視線をあさっての方向へ向けていた。

 そのような中、急に芸術家風の男が座ったままで背筋を伸ばして姿勢を正すと、「ああ、それなんだが……」と少し言い難そうに切り出した。


「実は、この基地の施設を一部で良いから期間限定で。う~ん、そう。三日間ぐらいで良いから借り受けたいんだ。もちろん軍の装備、兵隊込みでなんだが。無論、その間の設備使用料、人件費弾薬などの経費は私が計算した予算内なら君の要求通りに支払わせて貰おうと思っている」


「……」


 話を持ち掛けられた男は一瞬ぽかんとしていたが、やがてかなり怪訝な物言いで口を開いた。


「それはどういうことかな?」


「ああ。分かっている」


 芸術家風の男が彼の警戒心を見抜いたように急いで笑みを見せると言った。


「君が戸惑うのももっともだと思う。実は、これには訳があるのさ、深い訳がな」


「というと」


「それは、こう言ってはなんだが、とにかく信じ難い話なんだ。君もどうやら忙しい身らしいし。ここは黙って引き受けてくれないかな?」


 言葉を濁した男に、恰幅の良い男は疑いの目を向け、


「それはできないな。幾ら君の頼みでも、金を山ほど積まれても、例え上官の命令でもだ。これは僕個人で決められる問題ではないのでね」


 と、厳しい物言いで断言した。それを、やはりなという顔で見つめていた芸術家風の男が言い難そうに切り返した。


「ああ、分かっている。だがね……」


「僕も忙しい身なのでね。悪いんだが……」


 要求自体が無茶な上に詳しい理由も告げずに基地の施設と要員を借りたいとは話にならないと、その場で男が、四十代の頃に肘と膝を故障するまで趣味でやっていたウエイトリフティングで鍛え上げたという大きな体躯をやや折り曲げ、イスを引いて立ち上がる素振りを見せた、そのときだった。慌てたように芸術家風の男が「ま、聞いてくれ。これは君の方にだって悪くない話なんだ。聞けばきっと考えが変わるから」と叫ぶと、その声で動きを止めた男から「手みぢかに頼むよ。ゆっくりしていられないんだ」そう指示が掛かる中、「すまない、ジョン」の言葉と共に何かを決心したように一呼吸おいてから口を切った。


 それによれば、――この基地、陸軍第二十七師団は兵士の男女比率が、およそ四:六と他の基地に比べて女性の方がやや多い事。

 また同基地は、兵器や衣類と云った装備品の修理・整備、車輌や航空機のメンテナンス、負傷者の救護、橋梁の建設、鉄道のレール・各種道路の敷設、各種ケーブルの敷設と云った本来の後方支援の教育訓練を行うばかりでなく。基地の広大な敷地を利用して掘削作業技術者、牧畜・農業・林業・漁業の技術指導員、土木建築技術者、電気通信技術者。他にも通訳や調理技術者やスポーツ指導者の養成も行っていること。更には、一般的には余り知られていなかったが、占領した地域の治安を守るという目的で、一旦郊外に逃れたり市民に紛れ込んだりしながら襲ってくる反体制派のテロリスト達を掃討するという特殊な戦闘訓練も実馳していること。そのため、後方支援部隊を教育する現場にしては珍しく、最新式の戦車・装甲車・戦闘ヘリに加えて数々の特殊トラック、各種船舶、果ては戦闘仕様のバイクまでが揃う。無いものと言ったら治安維持に関係がない潜水艦ぐらいなもの。――など基地の概要を一通り調べた上でやって来たと言うのだった。

 そしてここまでわざわざやって来る気になったのは、後者の最先端技術を駆使した対テロ訓練が基地内で日々実施されているという情報に非常に興味を持ったからで、直接会いに来た理由はメールや電話で話を伝えただけでは説得できないと思ったからという理由だった。

 そう言った彼が果たして語ったこと。それは、毎月定期的に繰り返されている本番さながらの模擬訓練(シミュレーション)について、本物の重火器・正規の軍隊を使うのはもちろん一緒だが、そこに少し手を加えて、賞金を餌にして外部から集めた者達をテロリストに見立てた紛れもない本番実戦を行うという思いがけない計画だった。

 そのような死傷者が出ること間違い無しの馬鹿げたことをする動機について、もしこの案が採用された場合、募集に応募してくる者達の中に今現在捜している人物が紛れ込んで参加してくる可能性があるからというのがその理由だった。

 ちなみに、男が用意できると言った資金の総額は、基地を最大三日間借り受ける緒費用と無事にその試練を突破した者達への褒賞金を併せて最大四千五百万ドルということだった。そしてその内訳は基地の使用料が一日当たり六百万として三日間で千八百万ドル。賞金は一人に付き八百万でそれを三名までに贈るとして二千四百万ドル。よって四千二百万ドルがおおよその順当な額と計算していた。

 我が命と生き残れなければ全く手にすることができない賞金とを両天秤にかけて、お金の方がその際に重いとやって来る者。常識的に見てもその人物は並の職業・経歴の人間ではないことははっきりいって明らかで、その時点までの話のいきさつから考えて、芸術家風の男がその人物に会いたがっているのは、その人物に何らかの恨みを持っていて、多額の賞金を出すワナを仕掛けて基地へと誘い出し完全に抹殺する気なのかと思われた。

 そのとき同時に湧き出て来た、わずかな人数の者達へ復讐することのためだけに何千万ドルという膨大な費用をなぜ出すのかという疑問は、金持ちという人種は執着心の固まりのような人間がほとんどなのだから、この男もその類に漏れず、目の前のことだけに考えが行って他のものが見えていないのだろう。だからこのような浪費をしても全く平気なのだろうと受け止め、全然気にも留めていなかった。

 だがその直後に芸術家風の男が自信満々で公言した、「どのような絶望的な局面であろうと私が捜している人物は、怪我一つせずに生き残る筈だ」の一言で二人の将校の推察は見事外れてしまった。

 そう話した理由を聞かれる前に男は、「そう言った理由は、私が今現在置かれている立場にあるのだ」と意味不明の発言をし、改めて自身は軍と全く利害関係の無い者である。従って世界を股に掛ける国際スパイでも武器商人でも軍需産業界の回し者でもない。自身の正体は、強いて言うならマネーゲームのちょっとしたプロだと、これまで二人に明かしていた従来の主張と余り変わらない答えを繰り返しただけだった。 

 そして今現在、ある事情があって、資金を提供してくれていたところの代表を務めているとも付け加えていた。

 その頃あたりからか、何かを気にし始めた芸術家風の男は、やがて周りの絵を見て、「何か不思議な感じだな」

 そうポツリと呟くとそれ以降、それまでと違って小声でささやくように話し始めた。一方、二人の将校は共に質問を最小限に控えて、語る男の目をしっかり覗き込み、良いように任せていた。二人とも公務中であったため時間を無駄に遣う訳にいかないと考えていたからだった。

 基地内で実施されている訓練のあらましや男が捜しているという人物の安否などを話題にしながら二十分ぐらい経った頃か、その内これを話さないとどうにもならないからと男の話題は内情の話へと移って行った。

 それによると、彼から数えて二代前。つまり祖父の代までは一族郎党で堅気でない仕事を生業としていたこと。だがこれ自体は、先祖が昔、海賊をやっていたとか大盗賊であったというのと全く同じでそれほど珍しいことでない。即ち、その時代背景が生きて行くためにそうさせただけで、先祖が根っからの悪者であった訳ではないと擁護すると、祖父の代まで続いたのは時代のなりゆきがそうさせたに過ぎないと、さらりとかわしたのだった。

 次いで話したのは、歳の差がおよそ三十歳と、親子ほども年齢の離れた男と兄の関係についてだった。話の冒頭で、「もし兄が奇行に走らなければ今の私はなかったろう」と切り出した男は、その理由を、若い頃から腕っ節が強く親分肌でしかも根っからの遊び人だった性分のために堅気でなかった祖父の生き方に憧れた兄が金融ブローカーをしていた父親の仕事を継がずに二十代の初めに祖父の知り合いを辿るようにして家を飛び出し、最初の一、二年間は連絡を寄こしたのだがそれ以後は音沙汰なしとなってしまったことによると位置付け、そのことにより将来のことを憂えた両親が、万が一のために遥か昔に冷凍保存したまま取ってあった受精胚のことを思い出し、自分を誕生させたのだと自身の出生の秘密を明かしたのみならず、「もう三十年以上前のことだが鮮明に覚えている」と、そのとき祖父はおろか父親も亡くなっておらず。生活のために仕方なく父親の知り合いのところで働いていた昔の自分を回想すると、突然前触れもなく、二十数年振りに現れた兄が、年齢が相当離れていたにも関わらず若々しく、自分と良く似た顔形や背丈をしていたことから不思議に思い、年老いた母親に向かい問い質してみて、初めて兄と自分が一卵双生児と分かったことなど逐一述べたのだった。

 また男は、兄が戻ってきたことで人生が百八十度変わってしまったとも言うのだった。


「あの頃、私も若かった。つい兄に甘えてしまい……」


 そう呟いた理由を、そのときの兄は、その日しか滞在せずに、また来ると言い残してどこかへ去って行ってしまったのだが、帰る間際に何も言わずに帯封をしたままの札束と暗唱番号を書いたキャッシュカードを差し出すと、祖父の代に建てられ古くなっていた自宅を改築したり生活費に充てたら良いと言って、あのとき信じられないと思った大金、今の価値で言えば五百万ドルぐらいに相当する額を置いて行ったこと。そのお蔭で暮らし向きが一気に上がり、自宅も新築に建て直すことができたし、一度は諦めていた上の学校へ通うことができた。そこで学んだ学問が今のビジネスへつながっているのだとも述べたのだった。


 最初から裕福な家庭に生まれたわけではなかったのか、と二人の将校が顔を見合わせた中、話は尚も続いた。


「私が兄の正体を知るきっかけになったのは次にやって来たときだった」


 兄が初めてやって来た日は徒歩で、しかも一人でぶらりとやって来た様子で。服装も、ありふれた白いキャップを頭に被り、上は濃紺のアノラック。下は黒のズボンに革のブーツ。片方の肩にはナップサップをぶら下げ見かけは旅人のようだったが、その当日は違っていた。

 新築したての自宅の前に横付けされた車体の長い車輌を見たとき、その陶器のような輝きと重厚な感じから車はVIP(要人)向けが主で一般には販売されていないセラミック製のリムジンのようだったのでびっくりした。しかもそこから、銀色っぽいコートスーツに身を包んだ兄が下りて来たので二度びっくりした。どれだけ偉くなったんだ、どれだけ金があるんだと正直思った。

 そのときの兄の印象を、凄く威厳が漂っていて眩しすぎる程だったと表現した男は、その中でももっとも驚いたのは、兄の回りを囲むようにして現れた若い男達だったと言い、実際、兄のボディガードだった彼等のことに触れると、服装は皆、揃いのダークグレーのスーツ姿だったが、一人一人自己主張が強いというかその中に着ているシャツの色だとかネクタイの種類だとか髪の形や色がバラバラで、しかもそれぞれ美意識・価値観が違うようで。それはもう各自で額や首筋にタトゥーを入れていたり、耳ピアスをしていたり、サングラスをしていたり、アクセサリーで全身を目一杯飾っていたりと、独自なファッションセンスをしていたことから、これはまさに通常の企業や集まりでは有りえないと思えたこと。

 それで恐る恐る訊いてみたところ、何れ分かることだからと教えてくれたこと。そうして分かったことは、――――

 兄の素性は思った通り堅気の人間でなく、諜報活動・暗殺・破壊工作を専門とする“秘科学協会”という名の犯罪組織(秘密結社)の所属で、しかもそこの中心人物であったこと。

 組織の構成員は百名足らずと意外に小規模だったこと。そういう訳で世間には組織の名前がほとんど知られていないこと。

 しかしながら組織が依頼を請けて標的とする対象は一般市民を極々排除し同じ業界の人間に限定すると云った特殊性から長年競合相手が出て来ず。そのためこの業界ではほぼシェア百パーセントの老舗であり続けていたこと。

 いずれにしても手強くて油断ならない相手である裏社会の人間を標的とするため、組織のメンバーはそれなりに、“科学魔術”なる特殊な技術を持っていたこと。


 そこまで芸術家風の男が淀み無く話していたときだった。ずっと沈黙を守っていた二人の将校の内、色白の男、ジルが柔らかい物腰で、「すまないが科学魔術とは何だい?」と口を挟むように訊いてきた。元の肩書が指令部付きの戦略解析局技術室技官だった彼は、長年の技術屋の習性で、分からないことをそのままにして聞き流すことができない性分になっていたのだった。


「ああ、そのことか」男はテーブル上で腕を組み少し考える表情になったかと思うと、「ええ、そうだな」と口を切った。


「実際、直接見たことがないので、はっきりこうだとは言えないんだが。聞いているのは科学魔術の名の通り、最新の科学技術。つまり、今風で言うところのレーザー光線だとか電磁波、磁力、各種の電波を応用した武器を、心理トリックと組み合わせて使う技術を言うらしいんだ。

 そう、例えば手品師が良くやるイリュージョン(大掛かりな仕掛けの手品)に、大勢の観衆が見ている前でアシスタントの女性に布を被せて瞬時に消してしまったかと思うと、予期しない場所から出現させるようなマジックがあるだろう。そのようなものを敵の前で見せて、敵の思考が混乱したときを見計らって攻撃するんだと聞いたことがあるな」


「なるほどね」と二人が同時に頷いた。


 男の説明から察するに、目の錯角を利用して相手を幻惑している間に決着をつけるらしいことから一種の目くらまし戦法のように思われた科学魔術という技術は、確かに多くの戦闘において、先手必勝が一番効果をもたらすことは紛れのない事実であることから優れた技術に違いなかったが、果たして手品のトリックのようなものごときでそれ程効果が得られるものなのかが、軍事が専門の二人にとって不思議というか疑問だった。

 それからすると、この男の発言の中に隠したい何かがあるのか、それともこちらの推察に間違いがあるのかのどちらかと考えられた。

 だが、男も実際に見たことがないと曖昧な表現をしている以上、もっと突き詰めて聞いて見ても出て来るのは恐らく代わり映えのしない答えだろうし、こちらも基地を貸し出すとはまだ言っていないのでそこまで訊く必要がなかろうと、公務中に民間人と密かに会っている後ろめたさもあり、早く話を進める方が先決だと頭を働かせた二人は、気の合う者同士、阿吽の呼吸よろしくちらっと目を合せ、ここはひとまず納得したのだった。


「それじゃあ、続きを話して良いかな?」


 そう告げた芸術家風の男の青い目が軽く瞬いた。


「ああ」


「それじゃあ、えーと。そういうことで」


 催促するような視線を送る二人に向かい、次の話を組み立てようとするように続きを語り出した男は、今度は兄と対面してからどうなったかについて言及し始めた。

 それによると彼の兄は、別に自身の仕事へ協力を求めようと思っていない。寧ろ、残った者達に心配をかけた償いとして金銭の面での協力は惜しまないつもりだと言い残すと、二度と家族並びに親族の前に現れることがなかったと話し、更に、今所有する資産の元になった資金の出所は、全て兄から出たものだとも告白したのだった。


 そこまで聞いた二人の将校は、そうすると今回は恩あるその兄に頼まれて来たわけかと、揃って勘ぐったが、実は話には続きがあった。


「君たちは兄が私をここへ来させたんじゃないかと思っているようだが、実はそうじゃない。兄はもういない。既に亡くなっている。もうかれこれ五年は経つだろうか。殺されたのだ」


 双方の思考を読んだ男の発言に彼等は思わず絶句した。それを尻目に男は、あれは五年ほど前。目の前に突然現れた兄の組織の関係者だと名乗った者達に、「組織の混乱を招くとしてまだ伏せられていることなので他言しないように」と釘を刺されながら、組織の事実上のトップであった兄が死んだという事実と死んだ理由を伝えられたこと。そして背丈から容姿、声質。あろうことか指紋、掌紋、虹彩までもが全く同じということで、死んだ兄の組織コード、つまり組織内での呼び名“ヘルムダイム”を与えられ、組織の混乱が落ち着くまでの間という条件付きで否応なく替え玉に仕立て上げられたこと。その内にどういうわけか組織の一員に祭り上げられていて組織から抜けることができなくなっていたこと。そうして四年経った頃。即ち一年ぐらい前の頃に、何があったのか知らないが急に兄の遺品だと黒い鞄を与えられ兄達を殺した犯人を捜し出す任務を命じられたことなどを打ち明けたのだった


「目の前にあるこの鞄がそうだ。兄が唯一残した形見の品だ。渡されたとき、さすが一卵双生児の兄だけあって性格が私と全く一緒で、中には何冊もの書類を几帳面にファイルに閉じたものと……」


 そう男は言いながらテーブル上に広げてあった小冊子の中から、『日曜作家のすすめ』という名の品を手に取ると、手際良く透明な袋を開け中身の雑誌を出し、その裏表紙の方から鉄道切符ほどの大きさと厚みがあるカードを取出して二人に分かるように見せた。


「これと似たタイプのメモリーカードが一枚一枚番号と日付を付けて丁寧に整理された状態て入っていたんだ」


 そう言って再びカードを小冊子に戻した男は、尚も手を動かしながら続けた。


「今さら親友と呼べる君等に隠しだてをしたって始まらないから話すが、そのとき向こうから出された条件は三つ。一つ、捜す方法は問わない、だ。どのようなやり方であろうが構わない、自由に任せる、費用も適正であれば幾ら使おうと構わないということだった。二つ目はそう、あくまで私の任務は相手を捜し出して話し合いの場に引き出すことで、直接手を下したり、金で人を雇い報復などしたりしないように言われているんだ。そして三つ目が、これが一番やっかいな話で。つまり期限付きなのだ。ここ一年以内に見つけ出せと言われている。もしできなかった場合は、任務に失敗したとして組織の規律に従いそれ相応の懲罰を受けて貰うと伝えられている。恐らくタダでは済まない筈だ。これまで自由気ままに好き勝手なことをして生きて来れた特権は、たぶんはく奪されるだろうな。ひょっとすると命の危険も十分あり得ると思っている。

 そういう訳で、兄を殺した犯人を捜す任務を組織から受けた私は、先ず思いついたことを実行した。兄が残した資料を基に世界中を巡り、行く先々で資料から見つけた情報屋だとか密告屋の住まいを訪れてはその手の情報がないか尋ねて回ってみたんだ。そのとき、捜索者になぜ私を選んだのか、尋ねて見て初めて分かった気がしたよ。兄の地位と顔の広さだ。さすが組織のトップであったことはある。私が尋ねて行くと、誰もが懇切丁寧に対応してくれて何でも聞いたことを包み隠さず話してくれたよ、私が兄の偽者とは知らずにね。だけど、捜している相手の情報だけはこれっぽっちも得られなかった」


 そううつむきながら話す間にテーブル上の小冊子を全て鞄の中に戻し終わった男は、顔を上げると、向かい側に渋い表情を見せた。これに二人の内、色の黒い方が分かったという風に、「ふ~ん、それで」と応じていた。


「そうこうする内に半年が過ぎたのに収穫は全く無しだ。そこで、この方法でやっていたのでは見つけられないのかと思い始めてね。それで半年が過ぎた今、諦めて。それならばと発想の転換をして」


「それでここへやってきたわけか」


「ああ、その通り。捜しても見つからないのなら、向こうからやって来るように仕向ける方法ならどうだと思ったのさ」


「ふ~ん。果たして君の思う通りに行くのかな?」


「さあて、それは私にだって分からない。やってみなければね」


 芸術家風の男は今にも笑い出しそうな意味不明の笑みを浮かべると言った。


「だが十分勝算はある」


「というと」


 そう尋ねた男も隣で黙って訊いていた男もさっぱり分からないという表情で芸術家風の男の顔をちらっと覗き込むと、当人は、かなり神経質な性格らしくきちんとした理由を筋立てて並べて行くのだった。


 その彼が打ち明けている間、二人の男は、さてどうすればと思案していた。

 先ず、相手が必ず出て来る根拠の一つに挙げた生活基盤の問題について、成る程もっともだと、ひとまず頷いたのだった。

 男が述べた言葉をそのまま借りるなら、殺された兄の遺品から相手は六人組と分かった。生活手段の確保は彼等が独自にやりくりしていたわけでなかった。雇主と雇用契約を結び、そこから収入を得て生活していたのだ。そしてその雇主というのは、既に死んでこの世にいないことが分かっている。おまけに彼等六人は殺し以外に取り得がなかったらしい。それらから考えて、通常なら早い段階で日常生活に困って何らかの行動を起こしていてもおかしくなかった。だがこれまで何もないということは、何らかの事情があると考えるのが妥当だろう。

 ではその事情とは? 先ず考えられるのは、彼等に新たな雇主が見つかったことである。だが新しい雇主が何年もの間、彼等の能力を利用せずに飼い殺しのような状態で置いておくかというと、それはどう考えても疑問を感じる。

 では、そうでないとすると、予めある程度の蓄えがあったと考えるのが妥当である。その場合、全員が万が一のために蓄えていた、或いは前の雇主が残していたとも考えられ、おそらく後者の方が、かなり有力な気がする。


 男が次に挙げたのは時期だった。

 月の満ち欠けが人間の感情を不安定にするのと同様に、半年後、一年後、三年後、五年後、十年後といった区切りの数字もまた同様の変化を起こさせることが知られている。そう考えると、半年、一年と短いスパン(時間の幅)で暴走しなかったのは、十分な蓄えがあったことの他に、おそらく仲間が六人と少数であったことで各々の意志の疎通がとれていた、または全員をまとめるリーダーらしき者がいた、或いは仲間同士が家族や兄弟のように結束が固かったことが原因と考えられる。だが今年はちょうど五年目。五年という歳月は、その中でも一番しびれを切らす節目の時期にあたるのだ。


 そして、最後の根拠として挙げたのが彼等の挙動だった。

 理性の中で殺人を容認している彼等が殺した人の数は百や千といった中途半端なレベルで終わらない。それはもう数万に及ぶことが分かっている。もちろん大量殺りく兵器の、例えば毒ガス兵器や生物兵器を使ってやったのではなく。彼等の特異な能力がそうさせたのだ。その能力こそ科学魔術に他ならない。

 尚、六人は引退するような年令でないことが分かっている。蓄えがほぼ無くなった頃、生活費を稼ぐためにもうそろそろ動き出そうかという気持ちが出てきてもおかしくない。

 例え、蓄えが十分にあり優雅な生活を送っているとしても、それだけの人間を殺しておいて、それ以後に何も動きを見せないのはどう考えてもおかしい。

 これらを総合すると、金の面か凶暴な気性の面か、それは何とも言えないが、ともかく何らかのきっかけを向こうに与えてやれば、ひょっとすると気紛れでも現れる可能性がかなり高いと言える。

 そういうわけで、訓練用のテロリスト達をこちらが集めるから君達はただそいつ等をどんなやり方でも良いから拘束すれば、それで良いだけだ。その過程で君達は実際のケースにおけるのと全く同じデータが得られるというわけだ。ま、これによりシミュレーションでは出て来なかった幾つかの問題が発覚するかも知れない。また、本当の本番ではできない色々な作戦を試せる良い機会だし。何れにしても先々のことを考えれば参考になることは間違いないと保証する。

 だがその中に、もしもだが私の捜している者達が混じっていたらそう簡単にはいかないと思う。実戦訓練中に少なくとも数百人の死者が出るのを覚悟して欲しいというのは、……冗談だ。心配しなくてもそのようにならないような方法を考えてある。

 尚、こういう訓練は、大体の場合、同じ軍内部からの告発だと思うんだが、とにかく一旦外部に漏れると倫理上・人道上の理由から、君に迷惑がかかる場合が多分にある。その辺りについて、鉄壁のかん口令が敷かれるような案を別に考えてあるから、君達は心配しなくて良い。


 芸術家風の男のそう云った提案の合間に、基地の司令官という立場上、恰幅の良い男は幾つかの思いついたことを質問にして尋ねていた。

 例えば、――――「果たして来なかった場合は?」とか「本当はまたの機会にして欲しいんだけどね」とか「僕の側として、メリットはそれだけか」とか「返事はすぐにしないとダメなのか?」

 すると男はその都度、「そのときはそのときだ。また別の案を考えて見るだけだ」、「ま、そう言わないでくれ。私もこの首が掛かっているのだ。命懸けなのだ」、「ああ。……確か君のところから実戦へ行った部隊はまだなかった筈だよね。それを考えると今回のこの申し出は、実戦とはどのようなものかを知るまたとない機会だと思うんだが……」、「いいや。三日ほど待とう。君も立場があるからね。私もそんなにすんなりと返事が貰えると思ってやって来た訳でないのでね」と的を射た答えで切り返すと、まだ何かが足りないと思ったのか最後に、「これを見て欲しい。私がホラを吹いているかどうか分かる筈だ」と言って、まだ釈然としない目をした両人に向かい、折り畳まれた地図のようなものを鞄から取り出すと、テーブルに広げて見せたのだった。


 そのときでもまだ二人の将校は、話の内容からみて無頼の殺し屋のように考えられた者達ふぜいが対テロリストの特殊精鋭部隊を手玉に取ることができるのだろうかと半信半疑だった。しかも、たった六名で数万の人間を殺したという話については、これははったりをかましているのか大げさに述べているのだろうと考えてほとんど信じていなかった。


「これは何かな?」少し間を置き、恰幅の良い男が尋ねた。


 芸術家風の男が出して来たものは、光が当たると折りじわが消えるタイプの紙らしく、テーブルに広げた途端にしわの一つも見られなくなっていた。縦三フィート、横三フィート半ぐらいの長方形の形をした紙面は、ある特定の場所を説明した図のようなものらしく、ほぼ中央部分に四分割した地形図が描かれ、その地形図から周囲へ線が放射状に引かれ、添付されたカラー写真と説明文につながっているというものだった。


「科学魔術の使い手はどんなことでも可能にするという、それが分かる見本だ」


 男の説明に二人が何のことだと身を乗り出してその紙面を見つめた。すると、見た目は複雑そうで専門の知識が要るように思えたが良く見ると、二次元の地形図とそれを立体に起こした地形図が描かれてあり、それらを詳しく解説するように写真と文章と各種の数学的な方程式と、時間のようなものが綿密に記されていることから工程表みたいなものとマークシートのようなものとフローチャート・データフロー図が付いているのだった。

 文章は見知らぬ外国語の言葉でつづられていた。出してきた芸術家風の男も読めない言語ということだった。だが、中で使われていた数字や記号や略語は万国共通に使われているものと一緒だったこと。仕様が、仕事上見ることが多い戦略地図(ストラテジーマップ)にどちらかといえば似通っていたことで、大体何が記されているのか読み解くことは、暫く眺めていれば彼等にとってさほど難しいものではなかった。


「兄の遺品から見つかったものだ。どうやらこれはその殺し屋連中を一まとめにして一度はワナにはめた計画書らしい。

 兄は自分から動くときには、こういう計画書を作って綿密な作戦を立てていたらしく、他にも数十枚見つかっている。その内の一枚がこれというわけだ」


 そう言うと男は尚も短い言葉を一言二言継いだ。けれども、好奇心旺盛な子供のように目を輝かせた二人は、男の話など聞いていないように熱心にテーブル上の紙面に視線を落としていた。彼等は、これまでみたことのない余りにも良くできた計画書に、この手の専門家のような者として目を疑わざるを得なかったからだった。

 時折、二人は内輪間でささやき合ったかと思うと、そうだと頷いたり、或いは違うと首を横に振ったりしながら、また図面を覗き込む仕草を繰り返したのだった。


 記載された地名がはっきり言って読めず、どこの国のどこの場所なのかさっぱり見当がつかない地形図を眺めながら、二人はこう推察していた。


 どうやら歪な五角形の図が示しているのは相当広そうな地下の空間らしい。

 見ようによっては古木の切り株のようにみえるその場所は、縮尺比から考えると、広いところでは約二マイル。狭いところでも一マイルぐらいはありそうだ。

 真上から撮った写真から見ると中央部には白い建物群がある。更に詳しい写真で見ると、工場のような建屋、発電設備、燃料タンク、水路、グラウンド、道路があるのが分かる。そのことなどから、これはたぶんどこかの国の刑務所の施設を示したものだろう、それもかなり規模の大きな。


 というのも、長引く不況のためなのか、世界各地において犯罪が多発し、刑に服する人間の数が異常に増加した結果、どの国も刑務所についての悩み、例えば、収容者に対する刑務所の数が足りない。刑務所の運営費用が掛かり過ぎる。あの手この手と、手を変えての脱走劇がひんぱんに発生し、警察官の手が足りない。刑務所自体が従来の怖い場所、二度と来たくない場所という印象から、食いはぐれの無い場所、一時的な憩いの場所と映るようになってきているなど、を抱かえており。どの国の政府も刑務所本来の威信を取り戻そうと幾つかの方策を打ち出していた。

 その一つとして推進されていたものに、従来の地上の場所から、無人島、人工島、地下への移転があった。

 それは何故かというと、無人島・人工島なら、周りが海に囲まれている事情で先ず脱走は不可能な上に、海底資源開発プラント設備の建設やそこでの生産作業の仕事が多々あること。自力発電が可能で電気代は無料であること。必要なら海の周りに建物の建設が自由にできること。

 また、地下なら前述と同様に脱走は不可能な上に、服役囚の仕事も、光を嫌う有益植物の栽培や光に弱い繊細な電子部品の製造など地下でしかできない特殊なものがあり、それ故仕事が途切れることがないこと。場所自体も、かつて建設されそのまま使われずに放置されてきた地下シェルターや今は使われていない山腹のトンネルを利用したり、自然にできた地下洞窟を利用したりすることで建設費用がそれほど掛からないこと。気温が一年を通じて一定であることから過ごし易い。――などの理由があったからであった。

 何れの場所も非常に隔離されたところなので、時間の概念がなくなり服役囚の脳の老化が早く進み、彼等の社会復帰の妨げとなる。仕事の選択権が更にないことで、適応できない者にとっては地獄の拷問を毎日受けているように感じる。中で非人道的な行為が行われていても容易に外部に漏れてこない、との批判も出たが、なにぶんと刑務所の運営費用の問題。従来の刑務所周辺に住む住民からの苦情や要望などもあり、更には刑務所本来の役割を果たせるならば黙認すべきだとの声がこれを後押しする結果となり、どこの国でも刑務所をそのような場所へ建設するのが普通になっていたからだった。


 それを知っていたので、当初、安易にそう見なした二人だったが、直ぐにそう考えたことを否定していた。地下空間がおおよそ四千フィートとかなり深いところにあることに気付いたからだった。これだけ深い場所に刑務所は造られることはない。二人の一致した意見だった。それでは何だろうと相談した結果、宇宙関連の実験施設、古い時代に製造された核廃棄物・毒ガス・化学兵器、発がん性物質の一時貯蔵保管庫。或いは、どこかの国の戦略指令室、未知の実験施設かと冷静に判断したのだった。

 そういった考えをもとに、ざっと地形図と写真を見渡して、――洞窟の天井部がおよそ三百フィートと思ったより高く、ほぼ平らであったこと。そこから半マイルほど行った先の地上部分に湖か海のような巨大な水源が見られたこと。そのことから広い洞窟は太古の昔、水源と何らかの関連があってできたものだろうと思われたこと。

 洞窟から大小のトンネルが幾つも伸びて地上周辺部や水源の付近まで達していたこと。

 場所が場所だけに洞窟の中は青っぽい灰色の大地ばかりで緑のものは一切見られないようだったこと。また、人が写り込んだ写真は一枚もなかったこと。

 洞窟の中央付近の天井には、換気口らしきトンネル状のものと、冷たい白色に光るLED照明とやや黄色っぽい光の光ファイバー照明の二種類の照明が配線されて設置されていたこと。前者は正方形状に配置されており、後者は円状に配置されて設置されていたこと。写真を見る限りでは、二つの照明は同時に点灯せずに交互に点灯しているようだったこと。それで、太陽が出ているときは光ファイバー照明を利用し、天候不順の場合や夜になるとLED照明に切り替わるのだろうと考えたこと。

 真上から撮った写真から電子部品製造工場の建屋にも見えた一番大きな白い建物からは、直径十、七、五フィートクラスの、何に使われているのか予想がつかない太いパイプが何本も長くつながって洞窟の壁面へ向かっていたこと。――といった情報を得た二人の視点は、最後にこの紙面の主題ともとれる欄にあった。

 そこの冒頭に記載されていたのは、爆薬を扱った者なら直ぐに分かる爆薬の商品名の記号だった。それらがずらりと並んで記されており、地図のあちこちに簡略化され載っていた。

 その下のアルファベットと数字だけで示された表記は素人目には何が書いてあるのか分からないもので、一見すれば見逃してしまうようなものであったが彼等はそうでなかった。

 瞬く間に二人の目には、射程が三十キロの凡庸タイプの巡航ミサイルが五基と映っていた。それらの記述の一つ一つに、通常兵器にはないシリアルナンバー(認識番号)が打ってあり、その中に軍関係者しか知らない世界共通の秘密のコードが含まれていたことから、巡航ミサイルではないかと分かったのだった。

 そうして、一介の民間組織が巡航ミサイルを所持していることに正直驚きつつも、爆薬と巡航ミサイルと地下四千フィートの洞窟の関係が分かったような気がしたのだった。

 というのも、その下の項に、その考えを証明する記述があったからだった。その文字自体は読めなかったけれど、最後に記された単位から液体と判断し、地図と写真を見比べながら推理して、一つは黒いタール状のかたまりから原油らしいこと。もう一つは写真を見ても海水か淡水か区別がつかなかったが、とにかく水らしいと読み説いていた。

 それを裏付けるように、その横の列には、オゾン水、液体窒素、純水といった特殊な物質に紛れて、水と反応して水素や炭酸ガスを発生させる薬品の記載があった。


 その後、十分ほど費やして工程表、各種のフローチャートを読み解き、つまりこの洞窟は、どういう事情があったのか知らないが、たった六人の人間のための棺桶であったこと。

 そしてその仕組みというのが、五基の巡航ミサイルと大量の爆薬を使い出入口を塞いだ上で地下四千フィートにある巨大な洞窟の天井を崩落させるとともに、同じく爆薬を使い大量の水と原油を注入して残った隙間を埋め、更には万全を期してなのか水と薬品との相乗効果で残った空気を有毒化或いは失くすることで、広い地下空間を完全な死の場所にするというものだと気付いた二人は、どの計画一つをとってみても助かることは万の一つもないことなのに、それを三つも同時に仕組むなどとはどれだけ完璧主義なのだと、暫く呆然として声が出なかった。


 それを見透かしたように、それまでニヤニヤとしながら、髪を撫でたり腕時計を見たりして彼等の様子を伺っていた男が、これ見よがしに口を開いた。


「見ての通りだ。どうかな? 分かって貰えたかな」


「ああ、内容は大体分かった」


 男はテ-ブルの上に傾けていたがっしりとした身体をようやく起こすと、「全く謎だな」と横でぼやく色白の男をよそに、冷静を装った声で尋ねた。


「ところでこの計画書がどうして、その科学魔術とやらの証明となるのかな?」


 芸術家風の男は涼しい顔で目を細めると、


「それじゃあ聞くが、君達がもし、このような場所で出入口を爆破されて中に閉じ込められたとして、果たして抜け出して外へ出て来ることができるかということだ」


 そう言って改めて向かいの二人の顔を見渡すと告げた。


「彼等はこの中に閉じ込められ生き埋めにされたが無事に生還してきたのだ。しかも誰の手も借りずに、たった六人の力だけでだ。このことはどれくらい凄いことか君達だって分かるだろう。これが科学魔術の力というわけだ。

 それを考えると君達のテロリスト討伐の訓練なんて、彼等にしてみればたかが知れている。そう思わないか、二人とも!」

 

「ふ~む。でもどうやって……。どのような魔術を使って……」


「それは私にも分からない。どんな魔術を使ったと聞かれてもだ。でもね、生きて戻ったのは確かなのだ。その証拠に兄は仕返しをされて殺されたのだからな。あの用心深かった兄がだよ」


 恰幅の良い男はコーヒー色に日焼けした左腕にしたデジタル時計をちらっと見た。話をし始めて四十五分が経過していた。

 一時間は掛からない。三、四十分ほどで終わると周りに伝えていた手前、これ以上時間を延ばしたくなかった男は、少し間を置いて鼻からゆっくりと息を吐き出すと言った。


「君の話は大体分かった。だがしかし、その申し込みを受けるかどうかは、なにぶん軍の事情もあり私個人だけの考えでは今ここで応えられないんだ。先ずは会議を招集してどうするか決めてからになると思う。それでも良いかな?」


「ああ、いいとも。良い返事を期待しているよ」


 男が即時の回答を保留したので芸術家風の男が苦笑いを浮かべながら応えた。その会話を、向かい側で軽く腕組みをした色白の男が、浮かぬ顔で聞いていた。一見して得体の知れない何者かが何らかの理由で目論んだオトリ捜査とも思える余りに良くできた話から見て、ここは用心深く断るのが妥当な筋だと思ったが、彼の親友がなぜか即座に断ろうとしなかったことに内心疑問を抱いたからだった。

 だが周りの雰囲気は、話がまとまった感があった。やがて其々が表向き晴々とした表情で席から立ち上がると、戻る支度を始めた。


「私だ。お客さまがお帰りになられるそうだ。宜しく頼むよ」


 部屋の片隅に設置されてあった内線電話の受話器を耳に当てた色黒の男の冷静な声が響いた。すると、ものの一分もしない内に部屋の扉をノックする音が聞こえたかと思うと、「参りました」「入りたまえ」「入ります」との形式ばった外と内側の声の掛け合いと共に、三人に劣らぬくらい長身で面長の若い兵士が姿を現した。カーキー色のベレー帽、同色系統の迷彩服姿で、片方の袖口には渉外課と記された腕章が見えていた。彼こそ芸術家風の男を案内してきた当人だった。


「彼を門のところまで送ってくれないか。あ、それと僕達も直ぐに行くからと伝えておいてくれるかな」


「はい」


 二人の将校にやや緊張気味の顔を向けた若い彼が、非の打ちどころのないはっきりした声で応えた。


 その後はごくありきたりな情景だった。

 テーブル上に広げていた紙面を元のパンフレットぐらいの大きさに折り畳んで鞄にしまい込み、スーツの下ボタンをきちんと留めて帰り支度を終えていた芸術家風の男は、立ったままで、


「では私はこれで。例のお話、宜しくお願いします」


 と、友人の顔からセールスマンの顔になりきって、二人の将校に帰りのあいさつをした。

 そうしてにこやかな顔を向けた。

 すぐに二人の将校の内、恰幅の良い男が「ああ、分かった。考えておくよ」と事務的な返事を返すと、目的を果たした芸術家風の男は何もなかったように若い兵士の後ろへ続いて部屋から立ち去って行った。二人が出て行った後、たぶん芸術家風の男のものと思われるさわやかな香木の香りが周辺から漂ってきた。


 再び部屋の扉が閉じられ、室内の中が二人の将校だけになったときだった。彼等も早く公務へ戻ろうと、部屋の空調を切ったりテーブルの上や周囲にゴミなどが落ちていないかをチェックしたりと事後処理をしていたのだが、二人だけになったことで別段周りを気にする必要がなくなったと思ったのか、そのときほんの少し彼等の口調は、公務を離れたときに交わす普段の会話になっていた。


「おい、ジル」


 ふいに恰幅の良い男が、直ぐ横に立ち部屋の中を見渡していた男に声を掛けた。


「どうするつもりだ?」


「どうするつもりって?」少し驚いたように色白の男が振り向きざまに聞き返した。


「このまま研修が終わったその後だ」


「ああ、そのことね」男は眉をひそめると続けた。「どうもこうもないさ。上の命令に従うだけさ」


「というと、前が次局長クラスだったから……そう、士官学校の副校長辺りか施設整備部門か広報部門の……」


「気を使ってくれてありがとう、ジョン。けれど私は次局長といっても代理の方だったからそんな大したところへは行けない。年も年だし、行けるとしたら外郭団体の方面が関の山だ。たぶん年金管理センターの支部に出向ってとこだろうな。そこで定年まで過ごすんだ」


 男は向き直ると目を細めて寂しく微笑んだ。


「あそこを君は詳しく知っているかい? 私は良く知っている。

 大抵、ダウンタウンの一角にある雑居ビルの一室に支部があるんだ。規模は、そう、都市によってまちまちだが、一支部三十から五十名ぐらいが普通だ。しかもその九割から九割強はパートか臨時の職員で占められていて、正職員は三名くらいだ。

 職務内容は、負傷軍人や退役軍人を対象にした監査で、当事者の家を一軒一軒、個別訪問して年金の受領が正しく行なわれているか調べて回るんだ。だがこれは全てパートの職員がやってくれる。

 それなら正職員は楽かというととんでもない。正職員は正職員でアフターケア職という職務がある。これは、形状はパート職員の指導教育となってはいるが、実際には指導教育は古株のパート職員がやってくれるから、もう一つの職務、年金受領者の不満を聞いて解決してやるクレーム処理が主な仕事だそうだ。確かにこれ自体は大切な仕事だと思うよ。それは私も理解している。だけど……そのクレームの内容といったらねえ。

 資料によると、――――

 娘と孫が言うことをきかないので何とかしてほしい。

 近所の子供の泣き声がうるさいからどうにかならないか。

 ゴキブリの駆除を手伝って欲しい。泥棒を捕まえるのを手伝ってくれ。

 呼んだら他のことはほっておいて直ぐに来い。逆に、もう来ないでくれ。

 トイレが詰まったのはお前のせいだから何とかしろ。

 担当者の顔が気にくわないから替えろ。

 借金取りが来ているから助けて欲しい。

 急に金が要るようになったので年金の前借りをしようとしたら断られた。

 担当者に交際を断られた。配偶者を紹介しろ。――みたいな相談ばかりらしいんだ。もう、なぜそのようなクレームが出て来るのか全く意味が分からないよ。これらのクレームを受けた担当者はどうやって解決したか知らないが、これじゃあまるで便利屋だよ」


 そう自らの将来の不幸話を語っていても、表情を余り変えない穏やかな顔とひょうひょうとした軽い語り口がどこかこっけいに見えて、何となく人間味と親しみを感じてしまうあたりは、この男の人徳だった。どういう訳なのか自然と手を差し伸べたくなるのである。このことはもちろん、恰幅の良い男も例外ではなかった。

 さすがに詳しく調べ上げてあるが、まだ決まってもいないことをよくもしゃあしゃあと言えるものだ。ジルの奴め、本当に困った奴だ。悲観論者じゃあるまいし、直ぐに悪い方向へ考えてしまう癖があるのだからな、と呆れながら男は口を開いた。


「明日、中央へ出張する用事があるのだが。そのとき官庁の方へ立ち寄ってクリークの話をしてみようかと思うんだ。関係者の中に話の分かる人がいてな、何かしらの助言をくれると思う」


「ジョン、それは本気かい?」


「ああ、本気だ」


「何のために」


「何のためだと言われても。それはお前のためさ」


「私のため??」


「ああ。分からないか、ジル。この俺が現在の職域に就けたのはどうしてだと思う。俺の体験談からだが、たぶん結果的にそうなったような気がするんだが評議会の推薦が大きくものを言ったようなのだ。それでお前だって評議会の目に留まればあっという間に今の状況が変わるんじゃないかと考えたんだ」


「というと?」


「評議会へアピールすれば良いのさ。例えば、このようなシナリオでな。

 もしもこの基地でそのような実戦形式の訓練が開催されるとなれば、評議会のメンバーも必ずやこちらへやって来る筈だ。もし来なければ招待すれば良い。そのとき、訓練の実行本部長がお前だ。この俺が会議で前持って推薦しておくからほぼ決まりだ。それからテロリスト側の方だが、命のことなど顧みずに金に釣られてやってくるからには、そいつ等は軍のことを熟知した元軍人や傭兵、軍と全く関係が無いがそれ相当の修羅場をくぐってきた経験豊富な人間が集まると予想される。

 そこでお前が指揮する部隊が海戦山千のそいつ等を速やかに一網打尽にして一件落着となれば評議会はどう見ると思う。けっこうやるじゃないかと見ると思わないか」

 

「でもそんなことをして、私が下手をした場合。君に迷惑がかかるんじゃ……」


「その点は大丈夫。俺の部下はそんなへまをしたりはしない。この俺が保証する」


「そうかい。でもねえ、果たしてそんなに上手くアピールできるものだろうか」


「それはやってみないと分からない。だが何もしなければ、お前の置かれた立場は今のままで変わらないということだ」


「それは困るな」


「じゃあ、やるか?」


「……君ってそこまで私のことを考えてくれていたのか。すまないな、ジョン。私は、うさん臭いクリークの話をなぜ断らないんだと思っていたんだ。そういう理由があったのか」


「ああ。あいつの話はどこまでが本当なのかさっぱり分からない印象だった。だが出す物は本当のことのようだった。決まったら手付けとして六百万ドルを指定する外郭団体へ送金すると約束して行ったのだからな。それから見て本気らしいと思ったのだ。

 どうだ! やるか、やらないのか?」

 

「もちろんやらせて貰うよ。私だってこのまま何もしないで飛ばされるのは嫌だからね。やれることがあれば何でもやるよ」


「そうか。よし、決まったな」


 まだ実現するかはこれからだったが、二人はほんの一瞬、にこやかに微笑み合った。


「そろそろ持ち場に戻るとするか」


「ああ、そうだな」

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