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  菫台の住宅街に、内緒話のような静かさで【OPEN】の看板を出している喫茶店――名前を『屡塔るとう』という。

 塔と言うには高さがない。隣の住宅となんら変わらない高さの、二階建ての店舗であり、さらに夢がないことに二階はマスターの居住空間である。


 屡塔という名前の由来はまだ、綴られていない。

 時刻は夕方に差しかかり、自分が座る鏡の椅子が橙一色に染まる頃。


 Aホールのカウベルがなり、新たな客が入店をした。

ちなみにそれまでの間に、トマトのタルトがもうワンカット、お腹に入りました。


 ……いい。カロリーとか、いい。

 どうせ帰りもちょっとした運動性能の限界に挑戦なんだ。栄養補給の何がいけない。見せてやろうではないか、自分のダウンヒル性能を!


 などと我ながら頭のイタい自己弁護をしているところに、


「なんだ、シラモト。不機嫌な顔じゃん。ハズレ引いたん?」


――と。遠慮のひとかけらもない声がかかった。


「……や。引いたのはアタリだったのです。なので困ってたんです。こんばんは、ヤマイさん」


 ナンダソレマスターホットコーヒー。

適当きわまるリアクションと注文を同時にこなしつつ座る屡塔の常連その2(暫定)ヤマイさん。


「おかえり、ヤマイ」とマスター。

「はいただいま」とヤマイさん。

この辺に自分とヤマイさんの経験値の差が如実に出ていると思う。


 この、顔見知り以上知り合い以下みたいなラインギリギリの人がヤマイさん。山井さんなのかどうか良く解らない。

 ついでに言うと何をしているかも良く解らない人で、格好だけで言うなら路上ミュージシャンをやっていそうな二十代前半。ただし楽器を持っていた姿は一度も見ていない。

 

 更に言うなら今日はAホールに入ってきたけど日によってはBホールでコーヒーを飲んでいることもままある良く解らない人。

 自分の中のヤマイさんの総評は『良く解らないけど多分フットワークは軽い人』である。


「で、マスター。もしかしてもう終わっちゃった?」

 コーヒーカップを受け取るタイミングでそんな質問。

「今日はまだ始まってないよ」

 とマスター。

「……どうやら、トマトのタルトがヒットしたみたい」

 とマスター続ける。

「ナイスだマスター」

 とヤマイさん。



「そろそろ始まるんじゃないかな」

とマスター。自分の平らげたケーキ皿を下げつつキラーパス。

「…………」

 深呼吸、二回。

 緊張とかじゃなくてさ。


 これは、今のこの、こう、自分の感情に折り合いをつける為だから。





「――では、暫しのご静聴、願います」




 Bホールから流れるピアノの旋律が止む。

 拍手や相の手も勿論不要。


【地元の走り屋の聖地にして自殺の名スポット。“根崩海岸ねくずれかいがん”の下に、小さな漁村があるのを、ご存知で?】



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