第7章 首の行方

理真りまちゃん、謎が解けたって?」


 県警の捜査一課室で黒崎くろさき警部の到着を待っていた私、理真、丸柴まるしば中野なかの両刑事は、ドアが開くと同時に発せられた黒崎警部のその声に振り向いた。


「謎が解けたといっても、確証はありません。私の推理ですけど」

「ぜひ聴かせてくれ」


 黒崎警部は近くから椅子を引き寄せて私たちのそばに座った。


「クロさん、最初に訊いておきたいことがあるんですけれど、茶屋橋ちゃやはし以外に龍神会の構成員で行方不明になっている人物はいませんか?」

「ああ、それはいるな。茶屋橋の舎弟とか、数人顔を見ない連中がいる。まあ、あいつらも忙しそうにしてたから、捕まらなくても別段変に思わないが」

「その中に茶屋橋と背格好の似た人物がいたと思うのですが……」

「ああ、茶屋橋は組の中でも人気があったから、格好を真似るようなやつは何人もいたが……まさか!」

「はい、もうひとり分の首なし死体。それが行方不明の組構成員の誰かなのではないかと」

「どういうことだ?」


 理真は、あくまで推理という前提をもとに話し出した。


「事の起こりは、クロさんから聞いたロシアンマフィアの新潟上陸です。当然生まれる地元暴力団との軋轢。それを阻止し活動を円滑に進めるため、ロシアンマフィアは地元暴力団龍神会の武闘派の頭、茶屋橋暗殺計画を立てます。とは言っても、異国でロシア人マフィアが歩き回ることは避けたい。外国人の顔は目立ってしまいますから。マフィアが日本人の殺し屋を雇ったのは、クロさんたちが推理した通りの理由でしょう」

摩戸切作まときりさくだな」


 黒崎警部の言葉に理真は頷いて続ける。


「摩戸は仕事を依頼され、ここ新潟に入り込みます。ところで、摩戸とロシアンマフィアとの契約はどうなっていたのでしょう。マフィア側が摩戸が確実に茶屋橋を殺したという確証を得るには、また、摩戸がそれを証明するには。どんな手段が考えられるでしょう」

「それは、死体を見せるのが一番だな」黒崎警部。

「そうです。しかし、人ひとりの死体を運ぶのは容易ではありません。ロシアンマフィアは目立った動きはできない。恐らく、摩戸の側からマフィアの潜伏先に死体を持って行って茶屋橋の殺害を証明する段取りだったのではないでしょうか。ですが、先ほど言った通り死体の運搬というのは難儀な仕事です。大人ひとりの死体ほど大きなものを運ぶのには苦労するし気を遣います。なるべく運搬するものは小さい方がいい」

「あ! それで首か!」


 そう叫んだのは中野刑事だった。黒崎警部、丸柴刑事も、ああ、と声を上げた。


「そうです。摩戸は死体まるごとの運搬ではなく、切断した首だけを持参してロシアンマフィアの潜伏先に殺害証明をしに行くことになっていたのではないでしょうか。当然これは依頼者側であるマフィアからの指示だったと思われます。マフィア側も茶屋橋の顔は把握していたのでしょう。

 摩戸は茶屋橋を拉致、紐で首を絞めて殺害、死体の首を切断します。殺害、首切断の現場は、やはりあの阿賀町の小屋だったのではないかと思います。あの小屋から血痕は一切発見されませんでしたが、床や壁全面にシートを張って作業を行ったのでしょう。プロの殺し屋ですから、痕跡を残さないためにそれくらいの対処はしていたと考えてもおかしくありません。

 切断した体と首は小屋にあった机の上に置いておいたのではないでしょうか。当然机の上にもシートを張って。摩戸がその作業を行ったのは国道で首が発見された日の二日前だったと考えられます」

「なぜそこまで分かる?」


 黒崎警部の疑問に理真は、


「摩戸は首を切断して机の上に胴体と一緒に並べておいた状態のまま小屋を離れたんです。何か急用があったのかもしれません。摩戸が小屋を離れた時間は昼前後。その摩戸が小屋を留守にしていた時間にあることが起きました……」

「……地震!」


 真っ先に叫んだのは丸柴刑事だった。それを聞いた中野刑事、黒崎警部は、ああっ! と声を上げた。当然私もだ。


「首が見つかった日の二日前のお昼? それって、地震が起きた時間じゃない?」


 改めての丸柴刑事の言葉に理真は頷いた。


「ああ、確かにそうだ。だが、その地震が事件とどう関係が……」


 黒崎警部の疑問に答えるように理真は話を再開する。


「経緯は恐らくこうです。摩戸が死体を持ち込み首の切断作業を行うと、付近に住み着いていた野犬が血の臭いを嗅ぎつけ死体を狙って小屋の周りに集まってきました。摩戸が気付いていたかどうか分かりませんが、気付いていたら追い払っていたでしょうが、腹を減らした野犬はまた集まってきたのだと思います。そして摩戸が何かの用事で小屋を空けます。その隙に野犬は小屋の中まで入ってきた。あの小屋にはドアが付いていませんでしたからね。しかし、狙うべき獲物は犬の背丈より高い机の上です。犬は縦方向の動きを得意としませんから飛び上がって食らいつくことも出来ずにいた。そこへ地震が来る。揺れで首が転がり落ちる。野犬がその首を咥えて……」

「小屋を出たってことか」


 中野刑事の言葉に理真は頷き、


「小屋の外の地面に血痕がありましたよね。あれは、野犬が首を咥えて歩き去る時にしたたり落ちたものでしょう」

「……戻ってきた摩戸は驚いただろうな」


 と黒崎警部。理真も頷いて、


「そうですね。帰ってみると首がない。摩戸がどこに行っていたのかは分かりませんが、地震が自分のアジトがある阿賀町を襲ったことは知ったでしょう。あの地震は新潟県中央部から北部一帯が揺れの範囲に収まっていましたからね。ニュースでも報じられています。それを知って慌てて戻ったのかもしれません。

 小屋に帰って中を見た摩戸は、何があったか瞬時に察したでしょう。棚が倒れていた。机の上から切断した首が消えていた。地震の揺れがこの小屋を襲い何が起きたのか。小屋の床にシートを張っていたのであれば、土足で入り込んだ野犬の足跡も残っていたでしょうから、転がり落ちた首が何者によって持ち去られたかも知ったはずです。

 仕事を完遂した証の文字通り首印がなくなった。恐らくマフィアに首を差し出す日時はすぐそこまで迫っていたのでしょう。摩戸の心境はどんなものだったでしょうか。まさか首を野犬に持って行かれて紛失しましたなんて言えるわけがない。茶屋橋の背中には入れ墨があったそうですから、それを見せて間違いなく茶屋橋を殺したと言うことも考えたでしょうが、依頼主から首を持ってこいと言われたのにそんなことは出来るわけがない。プロとしての沽券に関わります。かといって正直に話したら、それこそプロとしてありえないミスです。最悪の場合、摩戸自身の命を奪われるかもしれない。謝って許してくれる相手ではないですからね。

 一番いいのは野犬から茶屋橋の首を取り返すことですが、広い林の中から野犬を探し出すのは並大抵の労力ではない。運良く首を取り返せたとしても、食い荒らされて人相が分からないくらいにまで変貌していたら、そんな首を差し出すわけにも行きません。替え玉の首なのではないかと勘ぐられてしまう」

「替え玉……」


 丸柴刑事が何か閃いたように声を出すと、理真は、


「そう、替え玉。逆に茶屋橋そっくりの人間の首を替え玉として差し出せばいい。相手がロシア人だということもこの計画を後押ししたのではないでしょうか。ロシア人に日本人の詳細な顔の区別をつけることは難しいだろうと」

「それが、もうひとつの死体!」


 黒崎警部が叫んだ。


「そうです。摩戸は再び新潟市へ向かい、龍神会構成員の中から茶屋橋に似た人物を捜し出した。茶屋橋は組の中でも人気があって姿格好を真似する構成員が何人もいたそうですから、探し出すのにそれほど苦労はなかったのではないでしょうか。

 摩戸は替え玉にする人物を見つけ首尾良く拉致に成功します。当然移動には車を使ったでしょうから、意識を失わせてトランクに放り込んだのでしょうね。その替え玉として白羽の矢を立てられた男は、背格好、顔つき、皮膚の色合いまで茶屋橋にそっくりだった。少なくとも摩戸が外国人を騙せると思える程度には」


 誰もが黙して神妙な表情を浮かべている。ひと息ついた理真は、さらに、


「そして、ここから先は完全な推測でしかないのですが、摩戸が替え玉に選んだ男は背格好は茶屋橋に似ていても、ひとつ決定的な違いがあったのではないでしょうか。替え玉の男は髪を染めていなかった。黒髪だったのでは?」

「あっ! ヘアカラーを買った男!」


 真っ先に反応したのは中野刑事だった。


「はい。もしこの推測が当たっているのであれば、現場近くのコンビニでヘアカラーを買った人物。あれが殺し屋摩戸切作である可能性があります」


 私は見せてもらった写真を思い出した。『何の変哲もないサラリーマン』そう形容した男。あの男が恐ろしい殺し屋?

 理真は続ける。


「再びアジトの小屋に戻った摩戸は替え玉の男も茶屋橋と同じように絞殺。先ほどの推測を加えれば、髪の毛を染めて首を切断します。仕事は完璧でした。二つの死体の切断面、その位置とも、全く見分けが付かないくらいでしたから」


 だが、歴戦の鳴海なるみ医師の目は誤魔化せなかったのだ。


「こうして摩戸のもとには、替え玉の首と二人分の胴体が残されました。首はこのままロシアンマフィアのもとに持参します。元々茶屋橋を殺す計画だったため、ひとり分の胴体だけは処分する手筈を用意してあったのでしょう。問題は残るもうひとり分の胴体の始末です。どちらか一体の胴体しか始末できないのであれば、当初の予定通り茶屋橋のものを処分することにしたでしょう。茶屋橋の背中には入れ墨があります。なるべく個人を特定される恐れのあるほうを処分したいと考えるでしょうから。

 替え玉の胴体はどうするのか。ゆっくりと処分する計画を立てている時間はなかったものと思われます。おそらくこのまますぐにアジトを放棄して、マフィアとの待ち合わせ場所に向かわなければならなかった。かといって、このまま胴体を小屋に放置していくのも気持ちが悪い。いくら誰も近づく恐れのない場所だとしても。野犬が死体を食いちぎって持って行ってしまい、それが人目について犯行が早くに発覚してしまうかもしれません。そこで摩戸は、とりあえず人目に触れさせないように胴体を埋めてしまうことにした」

「あの埋め方がいやにぞんざいだったのは、そういうことか」


 中野刑事が納得したように顎に手をやった。


「最後に小屋の中に張ったシートを回収、替え玉の首を持って摩戸はアジトを後にした」


 長い話を終えた理真は、ふう、と息を吐き出した。


「それでは」後を継ぐように中野刑事が、「ロシアンマフィアは摩戸に騙され、替え玉の首を茶屋橋のものと勘違いして受け取った。摩戸はさっさと逃げ去ったってことですか」

「そこまでは推測のしようもありませんね。ただ、マフィアが殺し屋を捜しているという情報があるそうですね」


 理真に目を向けられ、黒崎警部は頷いた。理真はまた全員に顔を向け直し、


「それが気になります。マフィアは差し出された首が替え玉だと気付き、摩戸を探しているのかも――」


 理真の言葉は携帯電話の振動音で遮断された。黒崎警部が懐に手を入れて携帯電話を取りだして着信を受ける。


「おう、今本部だ。……何? そうか、分かった」黒崎警部は電話を切って、「理真ちゃんの推測が当たったらしいぞ。ヤミで龍神会の連中を診ていた歯医者だがな、数日前ロシア人に脅されて茶屋橋の歯の治療カルテのコピーを渡したそうだ。さっき白状した」

「何ですって! じゃあ……」


 丸柴刑事が小さく叫んだ。


「ああ、ロシアンマフィアは摩戸が持参した首と、入手した歯の治療痕を合わせてみたに違いない。首が替え玉だったと知ったはずだ」

「それで摩戸を探している? やはりやつらが探しているという殺し屋は、摩戸のことだったんだ」


 中野刑事が緊張を孕んだ声で言った。それを受けて黒崎警部は、


「そうだろうな。そんなへまをした殺し屋をロシアンマフィアがただでおくはずがない。摩戸はマフィアに命を狙われている」

「摩戸はどうするつもりなんでしょう?」

「自分が間違いなく茶屋橋を殺したんだと証明するしかないだろうな。そのためには……茶屋橋の首が必要だ。腐乱していてもマフィアが歯の治療カルテを持っているというのであれば照合できる」

「茶屋橋の首は今、どこに?」


 中野刑事の質問には、丸柴刑事が答える。


「科捜研じゃないかしら。DNA鑑定の依頼に出してそのままのはずだわ」

「行こう」


 黒崎警部はそれを聞くなり出入り口を飛びだし、全員がそのあとに続いた。


 科捜研は県警と同じ建物内にあるため、すぐに行くことが出来る。


「クロさん」


 理真りまが小さく叫んだ。


「理真ちゃん。由宇ゆうちゃんまで。ここから先は危険だ。戻りなさい」


 振り返った黒崎くろさき警部は、理真と私まで付いてきていることに気が付かなかったらしい。諫めるような声を出したが、理真はそれに構わずというふうに、


「あれ」と前方を小さく指さし、「あの男。コンビニのカメラに映っていた男に似てませんか?」


 その言葉に全員が足を止めた。理真が指した男はグレーのスーツを着て科捜研の方向に向かって歩いている。こちらから見えるのは横顔。人の顔を憶えるのが苦手な私も、その顔には見憶えがあった。いや、正確には見憶えがない故に憶えていたと言ったほうが正しいかもしれない。『何の変哲もないサラリーマン』そうとしか形容のしようがない顔だ。


「似てるな」


 黒崎警部が呟いて、丸柴まるしば中野なかの両刑事も頷いた。男の足取りは少し速くなったように見え、廊下の角に姿を消した。


「理真と由宇ちゃんは戻りなさい」


 丸柴刑事のその言葉を残して、三人の刑事は男が消えた廊下に向かって音を立てないように早足で向かった。

 返事はしなかったものの大人しくその場に留まっていた理真だが、刑事たちの姿が廊下の角に消えると、ゆっくりと同じ方向に向かって歩き出した。やっぱりね。当然私も続く。

 角まで来て、理真は顔だけを向こうに出して廊下の先を窺う。かえって怪しいぞ。警察の館内で変な行動取るなよな。こっちが捕まるぞ。


「もういないよ」


 理真は怪しい行動をやめ普通に廊下に出ると、「行こう」と走り出す。忙しい素人探偵だ。



 科捜研のエリアに入った。私と理真は廊下を歩いていると、〈B3〉とプレートの掛かった部屋の前まで来た。ここは美島みしまの部屋だ。いつも行き慣れたところに来てしまうな。ドアは半開きだ。私と理真はそっと中を覗く。

 部屋の中では、先ほど私たちを置いていった三人の刑事が立っている後ろ姿が見えた。ただ立っているのではない。おかしなポーズをしている。三人とも頭の後ろで両手を組んでいる。その姿越しに私と理真はとんでもないものを目にした。


「誰だ?」


 部屋の中から声がした。始めて聞く声だ。


「静かにさせてこっちに来させろ」


 同じ人物の声が続いて聞こえた。


「理真、由宇ちゃん……」


 ゆっくりと振り向いた丸柴刑事が私たちの姿を見て呟いた。

 理真は半開きだったドアを開き切り部屋に入る。私もそのすぐあとに続いた。


「……こういうことだったのね」


 理真がため息をついた。

 私は絶望的な気持ちになった。私たちが目にしたとんでもないもの、それは。


「よお、理真、由宇……」


 美島絵留えるの声。

 その美島は、背後から男に左腕を首に回され身動きを封じられている。美島が動けないのは、腕を首に回されているせいだけではない。男は残る右手にナイフを持ち、その切っ先を美島の喉に突きつけている。美島の自由を奪っている男は……


「やっぱりあなたが摩戸切作だったのね」


『なんの変哲もないサラリーマン』に向かって、理真がため息混じりに声を掛けた。

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