第5章 殺し屋の影

安堂あんどうさん! 龍神会のやつらを投げ飛ばしたって本当ですか!」


 ドアを開けて入ってきた中野なかの刑事が室内の沈黙を破った。理真はドアに振り返って、


「中野さん、尾ひれ付きすぎですよ。あれはですね――」


 理真の言葉は、さらなる別の声に遮られた。


「理真くん! 龍神会の連中数人に囲まれたが返り討ちにしたっていうのは本当か!」


 中野刑事に次いで入室してきた城島じょうしま警部だ。


「警部までガセ情報に踊らされて。警官なんだからしっかりして下さい」理真は半ば呆れ顔だ。


「違うのか……」と頭を掻く城島警部。

「俺は、江嶋えじまさんも後ろにお婆さんを乗せた自転車で、龍神会のひとりに突撃アタックをしたって聞きましたけど……」


 中野刑事、それはどこ情報だ。私こそ何キャラだよ。


由宇ゆうくん、自転車の二人乗りは駄目だぞ」


 警部、違うから。


「違いますよ警部、中野くん。理真が自転車をヌンチャクみたいに振り回して龍神会をやっつけたのよね?」


 丸柴刑事の段階でかなり噂に尾ひれが付いていたようだ。中野刑事や城島警部の耳に入る頃には尾ひれが付きまくって、リュウグウノツカイみたいな状態になってしまっていたらしい。



「あとで黒崎くろさきのことを俺がきつく叱っておこう」


 理真の口から語られた真実を聞いた刑事たちは、理真の言った通り、警官でありながらガセ情報を鵜呑みにしてしまったことを深く反省したようだ。

 城島警部は先の台詞を言って猛省したらしかったが、黒崎警部というより、すぐに龍神会を捕縛して立ち去った組対の刑事たちが怪しいと私は思う。


「しかし災難でしたね安堂さん、江嶋さん」中野刑事が労ってくれた。

「びっくりしましたよ」私はそのときのことを思い出し、「やりすごそうかと思ったら、理真がいきなり……」

「かっこよかった?」


 自転車を投げ込んだ本人は笑みを浮かべた。


「いやー、でも見たかったなー、安堂さんが自転車放り投げるところ」

「放り投げるとか、そんな頭上に持ち上げて投げ込んだんじゃないですからね。でも、あんな白昼堂々刑事と暴力団の追いかけっこなんて、初めて見ましたよ」

「こっちもだが、黒崎のほうも大変らしいからな」

「組対の連中、かなりピリピリしてましたよね」


 城島警部と中野刑事が組対の様子を話し合った。


「何かあったんですか?」


 関係のない組対の仕事とはいえ、一応私は訊いてみた。


「ああ、龍神会の幹部のひとりが何かきな臭い動きをしてるらしいんだが、そいつが見つからんらしい。組ぐるみで匿ってるんじゃないかって、組織の人間を手当たり次第問い詰めてるそうなんだがな」

「ロシアンマフィアと戦争でも起こそうっていうんですか?」


 丸柴刑事が物騒な想像を口にした。それを受けた城島警部は、


「いや、今時そんなのは流行らんよ。ロシアンマフィアも同じ考えだろう。ドラム式機関銃を構えて殴り込みなんて時代じゃないしな。聞いた話によるとな、ロシアンマフィアのほうは龍神会に平和的交渉を持ちかけてるらしい」

「平和的、ですか」


 暴力団らしからぬ表現に、中野刑事が訝しそうな表情を見せた。


「もちろん平和的といっても、それは連中の間だけの話だ。ようは、無理に龍神会のシマを荒らして無駄な戦争を起こす気はない。少しばかりおこぼれを頂戴して、その代わり龍神会にはロシアから銃器なんかを安く提供すると。それを龍神会が他の地域の暴力団に通常価格で横流ししても十分利益が出るような仕組みを提案してるらしい」

「物騒な話ですね。そんなことされたらたまったものじゃないわ」


 丸柴刑事が眉間に皺を寄せた。


「それで、その捕まらない幹部ってのは、何をしようとしてるんですか?」


 中野刑事が組対が追っているという幹部に話を戻した。


「まあ、龍神会にも地元の意地があるからな。はいそうですかと、易々と外国マフィアの言うことを聞くわけがない。その先鋒に立っているのが、組対が追ってる幹部の男だそうだ」

茶屋橋ちゃやはしだよ」


 輪になって城島警部の話を聞いていた私たちは、声のした方向を一斉に向いた。捜査一課室に入ってきたのは組対の黒崎警部だった。


「黒崎、お前な、理真くんの話が何だかとんでもないことになってるぞ」

「聞いたよ俺も。悪いな理真ちゃん」


 城島警部のクレームに黒崎警部は理真に手を挙げて謝った。


「いや、うちの若いやつらが、あの時の理真ちゃんの男っぷりに、いや、悪い、かっこよさに惚れこんじまってね。口伝くちづてに広まるうちに尾ひれ背びれが付きまくったらしい。アジが鯛くらいになっちまったかな」


 もうリュウグウノツカイですよ。


「それと、巻き込まれたお婆さんに怪我はなかった。もう帰宅したよ」


 それは良かった。理真も安堵の表情で私が思ったのと同じ言葉を口にした。


「クロさん、それでその、チャヤハシっていうのが、その幹部の名前なんですか?」


 リュウグウノツカイ、いや、理真が訊いた。


「ああ、茶屋橋荒太あらた。龍神会幹部。俺たちが茶屋橋を追ってるのはな、単に捕まえるってためだけじゃねえ。保護する目的もあるんだよ」

「保護?」

「そうなんだ。ロシアンマフィアの連中が、茶屋橋さえいなければ交渉がスムーズに進むと考えて、命を狙っているという話が漏れ聞こえている」

「命を狙う? でも、ロシア人は目立ちますよね、そう大手を振って町を歩けるとは思えませんけれど」

「理真ちゃんの言うとおりだ。だから連中は日本人の殺し屋を雇ったそうだ」

「殺し屋?」

「ああ、雇った殺し屋も分かってる、摩戸切作まときりさく。警視庁を始めいくつかの府県警にも名前が知られているプロの殺し屋だよ」

「殺し屋……殺し屋……」


 予想外の展開に一同が驚きの表情を見せる中、理真ひとりは、ぶつぶつ呟きながら人差し指で下唇を触っていた。これは理真が考え事をする時の癖だ。呟きをやめ顔を上げると、


「クロさん、その追っている茶屋橋って言う男の年齢、特徴は分かりますか?」

「ああ、もちろん分かるよ。年齢は四十三。武闘派らしく背の高いがっしりしたやつだ。背中に竜の入れ墨が入っているほか、体中抗争の傷跡でいっぱいだって話だ」

「入れ墨……じゃあ、胴体のほうじゃない……」


 それを聞いた丸柴刑事は、


「胴体のほうって、理真? あの首切り死体の、首のほうがその茶屋橋じゃないかって言うの?」

「何だって?」

「どうして?」


 城島警部と中野刑事も揃って声を上げた。


「首なし死体って、じゅんさんたちが追ってるあの事件のか?」


 黒崎警部も驚きを隠せないようだ。理真は頷いて、


「死体を見た絵留えるちゃん――美島さんが言っていました。切断面の見事さから、プロの仕業なんじゃないかという話になって、殺し屋とかって」

「もう茶屋橋は殺されていると? 淳さんたちが追ってる事件の生首がそうじゃないかと……?」


 黒崎警部の言葉が途切れた隙を狙ったかのように中野刑事が、


「じゃあ、あの胴体のほうは一体誰なんです? どうして、その茶屋橋と胴体の主は首を切られなきゃならなかったんですか?」

「クロさん」


 理真は中野刑事の疑問には答えず、


「暴力団の人って、病気になったりしたら、普通に保険証を持って医者に行ったりしますか? 知り合いのヤミで診てくれる医者なんかに極秘に治療してもらったりするんじゃないですか?」

「ああ、そういうケースもあるな」

「分かった理真。歯の治療痕ね」


 丸柴刑事の言葉に理真は頷いて、


「ヤミで受けた治療なら、カルテを医院に残したり、ましてや警察の捜査協力に提出するなんてするはずありませんからね」

「……よし、龍神会の連中がヤミで使ってる歯医者があるか、締め上げてみよう」

「クロさん、あの首は茶髪でした」

「それは茶屋橋と一致する。あいつはいつも茶髪だった」

「これは、決まり?」


 神妙な顔で丸柴刑事が言ったが、理真は再び考え事をする表情になり、


「でも、どうして首が切られたのか、どうしてそのまま放置されたのか、胴体はどこへ消えたのか、そして……」

「もうひとりの胴体は誰のものなのか、なぜ殺されたのか」


 語尾を小さくした理真の言葉を丸柴刑事が受け継いだ。

 謎は残っている。



 翌日、黒崎警部は茶屋橋が使っていたヘアブラシを押収、そこから本人のものと思われる毛根付きの毛髪を入手し、科捜研へDNA鑑定依頼を出した。加えて組対の通常捜査の合間に、龍神会がヤミで治療をやらせていた歯科医の情報を聞き出すための聞き込みも行ってくれている。組対が捜査一課の手を借りたいと言っていたのに、一課が組対の力を借りる形となってしまった。


 私と理真は県警に足を運んでいた。

 捜査一課のほうも阿賀町での成果が芳しくないため、また被害者の身元を洗うために、県警に詰めている時間のほうが多くなっていた。手の空いている組対の刑事を捕まえて話を聞こうとしているのだ。


「茶屋橋がすでに殺されている可能性があるそうですね」


 捕まえた組対の刑事――名前は西田にしだと名乗った。――は、会議室の椅子に腰を掛けるなり言った。同席した丸柴まるしば刑事は、


「そうなんです。その茶屋橋と思われる首を黒崎警部が龍神会の構成員何人かに面通しさせたそうなんですけれど、首があの状態でしたから、茶屋橋本人と特定できる証言は得られなかったそうです」

「ああ、腐敗と野犬に食い荒らされるだかして酷い状態だったそうですからね。でも、恐らくそれを幸いに連中、龍神会のやつらは茶屋橋ではないと言い張ったんだと思いますよ。連中にとって茶屋橋は、ロシアンマフィアとやり合う際にはいなくてはならない人物ですからね。死んだなんて認めない、認めたくないと考えているでしょう」

「組対の考えではどうなんですか。やはり茶屋橋はすでに殺されていると?」

「正直、その考えを否定する材料はないですね。組員を吐かせても、あいつら、本当に茶屋橋がどこにいるか知らないような態度なんですよ。匿っているというふうじゃない。我々の捜索でも全然尻尾を掴めていませんしね。茶屋橋以外にも、その取り巻き連中も何人か姿が見えないんです。

 俺たちはそいつらが茶屋橋を連れて逃げ回ってると考えていたんですけれどね。例の首を、茶屋橋をよく知るうちの刑事が何人か見せてもらいましたけれど、あれが茶屋橋だと言われたら信じられる、と言っていましたからね」

「その、茶屋橋っていう人は、どんな人物なんですか?」


 理真が行方不明の暴力団員の詳細を訊いた。


「そうですね。ひと言で言えば、昔ながらのヤクザのイメージそのままって感じですかね。血の気が多くて手が早い。でもその分、舎弟からは信頼されてたようです。茶屋橋みたいなイメージを持って暴力団に入るやつも少なくないでしょうからね」

「その茶屋橋が殺されたとするなら、殺した犯人は、ロシアンマフィアが雇ったという殺し屋なんでしょうか?」

摩戸切作まときりさくですね。それは大いにありえますね。鑑識から聞きましたが、かなり手際のいい首切りだそうじゃないですか。プロの仕業と言えるくらいの」

「その摩戸という殺し屋は、必ず殺した相手の首を切断するというような癖や決まりを持っているんですか?」

「いえ、そんな話は聞いたことがないですね。大体、摩戸切作というのは、名前だけは知れていますけれど、年齢、外見、一切不明なんですよ。依頼人とは絶対にじかに接触しない。携帯電話やインターネット、顔を合わせずにコミュニケーションを取る方法に事欠かない今の時代は、摩戸のようなやつらにとっては大変都合がいい世の中でしょうね。その殺し方も決まってはいない。ある時は刺殺、ある時は毒殺、立件されない、事故としか思えないやり方で殺されたターゲットも何人もいるって話です」


 益々、理真が普段扱っている事件とは縁遠い話になってきた。その理真は、さらに西田刑事に話しかけ、


「恐ろしいやつですね。で、例の首が茶屋橋のものだったら、摩戸はすでに仕事を終えたということになりますね。もうどこかへ消えてしまったんでしょうか?」

「ええ、そうかもしれませんね。ここ数日、あまり姿を見せなかったロシアンマフィアの連中が結構町中に出没しているんですよ。武闘派最右翼の茶屋橋がいなくなったため、大手を振って出歩くようになったんじゃないかって考えられています。しかし、ちょっと変な話もあるんですよね」

「それは、どういう?」

「ロシアンマフィアの連中が殺し屋を捜してる、みたいな話があるんですよ」

「殺し屋? 摩戸ですか?」

「それは分かりません。茶屋橋がすでに殺されているなら、あいつらはもう摩戸に用事はないはずですからね。別の殺し屋を雇ってまた誰か殺そうとしているのか。でも、それなら摩戸にまとめて依頼したほうが手っ取り早いはずですし」

「そうですね」

「組対の刑事には、分かる限りのロシアンマフィア構成員の顔写真が配布されていますが、外国人の顔って正直見分けが付きにくくて。この前なんて、マフィアとは何の関係もない一般のロシア人の方を間違って尾行しちゃいましたよ」

「ああ、それ、分かります」


 私は同意した。私は人の顔を憶えるのが苦手だ。日本人からしてそうなのだから、外国人ともなると。洋画を観ていて登場人物がごっちゃになることさえある。


「すみません。私はこれで」


 西田刑事は腕時計で時間を確認して部屋を出た。


「マフィアに暴力団、殺し屋まで出て来て、益々私の範疇の事件じゃなくなってきたね」


 私が先ほど思ったことを、理真自身が口にして腕を組んだ。


「でも、依然謎は残っているわよ。それは解いてもらいたいわ」


 丸柴刑事は理真をこの事件から降板させる気はないようだ。当の理真も、もちろんそのつもりだろう。


「そうだね。もうこうなったら、あの首が茶屋橋という暴力団員なのかどうか判明するのは、クロさんたちの調べに掛かってるね」

「そうね。もちろん、だからといって捜査一課や鹿瀬署も捜査の手を緩めるようなことはないわよ。胴体のほうの身元が皆目見当付かないってのは変わらないしね。と言うわけで、私も、もう出るわよ」


 丸柴刑事は立ち上がり、私と理真と挨拶を交わして部屋を出た。


「さて、組対も捜査本部も忙しなく動いてるけど、我らが素人探偵はこのあと?」


 私は理真を見た。素人探偵は腕を組んだまま少し唸っていたが、


「……よし。家に行こう」

「家って、アパートに戻るの?」

「違うよ、安堂あんどう家だよ。今夜は家庭の味をご馳走するわよ」

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