第4章 歩行者天国の戦い

理真りま、ナルさんの読みが当たった」


 丸柴まるしば刑事からそう電話連絡があったのは、それから二日後のことだった。

 科捜研での調べでは、首と胴のDNAは一致しなかったという。すなわち、


「あの首と胴体は別人……」理真は首を捻った。


 私と理真は科捜研に向かった。

 科捜研は県警と同じ敷地内にあるため、丸柴刑事も同席して美島みしま研究員から話を聞くことになっている。



「間違いないのね」

「絶対に」


 美島の部屋に私たちが入って即座、丸柴刑事が美島に質した言葉とその答えだ。


「ちなみにね、例の小屋の外の地面から採取された血液、あれは首のものだよ。DNAが一致した」


 美島が追加情報を教えてくれた。


「じゃあ、いったいあの首と胴体は何なの? もうひとり殺された人物がいるってことよね。もうひと組の首と胴体はどこへ行ったの?」


 丸柴刑事は椅子に腰を落ち着け、美島の出してくれたお茶をひと口すすってから口にした。


丸姉まるねえ、誰か被害者に該当しそうな人物は上がってるの?」


 と、こちらもマグカップのお茶を飲みながら理真。


「駄目ね。行方不明者や捜索願が出されている人物に性別年代が一致する該当者は何人かいたけれど、あんな状態だった首はともかく、胴体を見て、関係者はみんな違うって口にしたわ。何かしら古傷とか、体の特徴が失踪者とは一致しないって」

「でも」

「そう、首と胴体が別人だったとなると、話は変わってくるわね。首のほうが失踪者なのかもしれない。ちなみに、歯の治療痕からの目星も付いていないわ。そんなに最近の治療痕じゃないそうだけど、まだカルテを破棄してしまうほどの昔のものとも思えないって歯科医の人も言ってるから、カルテは現存してると思うんだけどね。阿賀町周辺の歯科医は全滅。歯科医大も駄目。さらに範囲を広げて調べてるわ。新潟市内の歯科医もね」

「ヘアカラーのほうは、どうだったの?」


 理真が、もうひとつ科捜研に依頼していた案件のことを訊いた。これには美島が、


「一致しなかった。コンビニで扱っているものと、首の頭髪を染めていたものは、別の商品だったよ。しかも、首のは昨日今日染められたんじゃないね。結構前に染められていたものだったよ。新しい黒い髪の生え具合から見て、二、三週間は経ってるね」

「そうか……」理真は腕を組んだ。

「そうそう、ちなみに、これがそのヘアカラーを購入したお客」


 丸柴刑事が懐から一枚の写真を取り出してテーブルの上に置いた。コンビニの防犯カメラ映像を印刷したものだ。

 サラリーマン。そのお客を見て私が真っ先に思いついた印象だ。『何の変哲もない』という形容詞をつけてもいいかもしれない。


「このお客は無関係なのかしらね……」丸柴刑事も腕を組んだ。


 理真も何も喋らない。二人の会話が途切れたのを狙っていたかのように美島が、


「まあ、今回はナルさんのファインプレーだったね。私も首と胴体を見せてもらったけど、あれを見て首と胴体が別人だって言い切れるのは凄いよ」


「どういうこと?」と丸柴刑事。

「年代や肌の色合いがほぼ一致してるから、ぱっと見誰でも同じ人間の首と胴体だと思っちゃうのは仕方ないにしても、凄いのは切断面だよ」

「切断面?」

「うん、首も胴体も全く同じ位置、同じ角度で切断されてる。第四頸椎と第五頸椎の間で見事にね。もちろん同一の凶器で。あれをやったやつは、かなりの手練だね」


 そう言えば理真と丸柴刑事もそんなことを話していたのを思い出した。


「プロの仕業ってこと?」


 丸柴刑事の問いに、美島は、


「プロって、殺し屋とかそういうの? そこまでは分かんないけど、ズブの素人がやった仕事じゃないことは明らかだね」


 言い終えると欠伸をかみ殺したような表情を見せた。予想外に早くDNA鑑定結果が出たことを鑑みるに、連日夜遅くまで仕事をしてくれていたのだろう。DNA鑑定の依頼は他からも来ているだろうし、科捜研の仕事は他にもたくさんある。


 美島絵留えるの年齢は私や理真、丸柴刑事よりも上だ。三十を超しているのだが、彼女の年齢を聞いたら誰もが一様に驚愕し天を仰ぐだろう。どう見ても高校生、頑張っても大学生くらいにしか見えない。実年齢より若く見えるという社交辞令的な言の範疇を遙かに逸脱している。

 長い髪により作り出されるヘアスタイルのバリエーションは豊富で、今日はポニーテールにしている。髪型も相まって、今日の美島はことさら若く見える。年齢はこの中で一番上だが、身長は一番低い。丸柴刑事とは頭ひとつも違う。この小ささも若く見える所以だ。

 髪型のバリエーションが豊富と言ったが、どのスタイルにしても共通するものがある。綺麗なおでこを出しているということだ。このおでこと掛けている細身のメガネ、そしていつも羽織っている白衣が頭の良さを感じさせる。白衣の下はTシャツにショートパンツだ。裾から伸びる脚の白くて細いこと。


「ま、科捜研で手伝えるのはここまでだね。あとは警察の捜査と理真の推理に掛かってるよ」


 美島はそう締めくくった。


「プレッシャー掛けられてるよ、丸姉」

「理真もだ」

由宇ゆうも大変だね」


 言い合う理真と丸柴刑事をよそに、美島は私に笑いかけた。そして丸柴警部に向くと、


しおり。今夜飲みに行かない? 理真と由宇も一緒に」

「私はいいけど、理真と由宇ちゃんは駄目でしょ?」


 丸柴刑事が私たちに顔を向けて言った。栞、というのは、丸柴刑事の下の名。

 そうなのだ。私と理真は事件に関わっている間はアルコールは厳禁としている。いつ何時、捜査のために車を運転することになるか分からないからだ。頭も常に素面に保っておかなければならないし。美島もそのことは知っているはずだが、よく忘れて、事件の最中でもこうして飲みの誘いを掛けてくる。お酒好きであることがそうさせるのかもしれないが。

 丸柴刑事の言葉でそのことを思い出したらしい美島は、


「ああ、そうだったね。仕方ない。栞、二人で行くか」

「勘弁してよ。絵留と差しで飲むほど命知らずじゃないわよ」


 美島はそのかわいらしいルックスからは想像できないが、かなりの酒豪だ。屈強な県警の刑事たちの中にも、彼女と最後まで付き合って飲めるものは存在しない。

 しかも、どんなに飲んでも美島のその頭は、いつも通りのスマートさを保っている。酒の神に愛された女性なのだ。そんな彼女と酒でタイマンを張るような死に急ぎでは丸柴刑事はなかった。


「命知らずとは失敬な。私、何キャラだよ」


 美島は少しむくれた。丸柴刑事の発言に腹を立てているというより、飲めないことが残念だというような口ぶりだった。



 その翌日。私と理真は新潟市繁華街の古町ふるまちまで買い物に出ていた。

 事件の捜査はどうした、となるかもしれないが、あれ以来有力な手掛かりは見つかっていない。

 昨日は科捜研を出たあと、もう一度阿賀町の現場まで行って例の小屋、胴体が埋められていた場所などを入念に捜索したが何も見つかりはしなかった。

 まあ、警察の鑑識が調べたあとで何か発見できるわけがない。理真も鑑識の調べに手落ちがあったかも、などと思ってはいない。一旦捜査依頼を受けた以上、何かしていないと不安という理由からだ。

 聞き込みなども少し行ってみたが有力な情報は聞けていない。


 鑑識や聞き込みもそうだが、基本的な犯罪捜査で素人探偵が警察を凌駕する結果を得られるなどということはまずない。捜査に加わる人員数はもとより犯罪捜査に対する年季と場数が違うのだ。

 素人探偵が自分で基本的な捜査を行う必要があるのは、陸の孤島だとか吹雪の山荘だとか、外界から遮絶され警察が乗り込むことができなくなった特殊環境に閉じ込められたような時くらいだろう。

 探偵は警察が調べ上げた確かな手掛かりをもとに推理を組み立てていけばいい。とか言いつつ、買い物に出ちゃう言い訳にしてしまっているかな?


「丸姉から何も連絡ないね」


 歩行者専用アーケードの中を歩きながら理真が言った。それを受けて私は、


「便りがないのはいい便り、って言葉はこの場合は当てはまらないね。連絡がないってことは、何も手掛かりがみつかっていないってことだよね。歯の治療痕からの身元割り出しも出来ていないんだろうね」

「もういい加減、阿賀町とその周辺、新潟市内の歯科医までくらいは当たり終わってるだろうしね。それでも身元が割れないってのは、それ以外の場所の歯科医で治療したのかもね。県外という可能性も」

「首のほうはそれで身元が分かる可能性があるけどさ、胴体のほうはやっかいだね」

「……そうねー。目立った外傷や古傷、身体的特徴もないっていうし――」

「待てコラぁー!」


 理真の声は、後方から聞こえてきた蛮声にかき消された。

 何事かと振り向くと、背広姿の数人の男が必死の形相で走ってくるのが見えた。そのさらに後ろにも、同じく背広姿の数人の男が。どうやら前方のグループを後方のグループが追いかけているようだ。


「由宇、後ろのグループの人たち、組対の刑事さんだよ」


 退避とばかりに道の端に私とともに体を寄せた理真が教えてくれた。さすがに探偵だけあって記憶力がいい。あまり絡まない組対の刑事の顔まで憶えているとは。ということは、組対の刑事が追いかけている前方のグループは、


「逃げてるほうは、ロシアンマフィア……ではないね」


 私の言葉に理真も頷いた。どう見ても日本人だ。クロさんが言っていた、地元の暴力団、龍神会とかいうグループの構成員だろう。


「待てやぁ!」「おらぁ!」「おーごらぁ!」


 組対の刑事は口々に蛮声を発しながら追いかけている。一方逃げるグループは無言のまま足を動かすのみ。やっぱりどちらが本職か分からない。


 平日の昼間、アーケード内に客足は多くはないが、その少ない客も、さすがにこの状況に誰もが私たちのように道の脇に除けて、この集団が通り過ぎるのを待っているようだ。

 いや、このアーケードは歩行者専用であるため、道中央よりにベンチがしつらえてある。そのベンチに逃げ遅れたと思われるお婆さんが座っている。

 お婆さんはようやく状況を把握したのか、ベンチから腰を浮かし買い物鞄を手に道の脇に避難しようとするが、恐怖に固まってしまったのか覚束ない足取りで、一向にその体はベンチのそばから離れる様子はない。


「どけババア!」


 今まで無言で走っていた先頭の男が、その老人が自らの進路を塞ぐ形になったのを見ると、怒鳴り散らしたまま構わず駆け抜けた。一瞬お婆さんが体を引いたため衝突には至らなかったが、男の腕が接触し、お婆さんは後ろに倒れてしまった。

 それを見た瞬間理真は、傍らに駐輪されていた自転車の中から一台を両手に取り、お婆さんを倒した男の足下目がけて地面を滑らせるように投げつけた。ちょうど男が私たちの横を通り過ぎる直前だったのだ。


「おわっ?」と頓狂な声を張り上げながら、男は突然足下に滑り込んできた自転車に文字通り足を掬われてもんどり打った。先頭の男がそうなったからには必然、後に続く男達も次々に転倒し、手足やら背中やらをしたたかアスファルトの路面や固い自転車の上に打ち付けた。

 すぐさま起き上がり逃走を再開しようとした男たちだったが、追ってきた組対の刑事たちが追いつくほうが早かった。


「大人しくしろおらぁ!」「公務執行妨害だこらぁ!」「逃げんじゃねぇらぁ!」


 刑事たちは口々にドスの効いた声を張り上げながら、倒れた男たちに覆い被さり次々に手錠を嵌めていった。手錠を嵌めた男たちを立たせた刑事たちは、


「ありがとうお嬢ちゃん」「おい、さっきの人は確か探偵の……」


 などと口にしながら理真の姿を探す。当の理真はと見ると、先ほど倒されたお婆さんのもとに行き助け起こしていた。私も慌てて駆け寄り、


「怪我はありませんか?」と声を掛けた。


 お婆さんは元のようにベンチに腰を掛け、理真に肩を抱かれていた。


「ええ、ええ、大丈夫です」


 お婆さんは、まだ落ち着かないのか言葉とは裏腹に額に汗を浮かべ、しきりに頭を縦に振っている。


「助かったよ理真くん」


 私たちの後ろから声を掛けたのは、


「クロさん」


 理真がその姿を見上げた。黒崎くろさき警部はお婆さんの前にしゃがみ、


「お怪我はありませんか? 私は県警組織犯罪対策課第一係の黒崎です」と警察手帳を開示し、「救急車の手配をしました。到着するまで安静になさっていて下さい。御迷惑をお掛けしました。御協力感謝致します」


 しゃがんだまま敬礼した。


「あの男たちは龍神会の?」


 理真の声に黒崎警部は、


「ああ、面目ないが職質の途中で逃げられてな。本当に助かったよ理真くん。捜査一課だけじゃなく、うちの仕事も手伝って欲しいくらいだ」

「それは勘弁して下さい」


 程なくして到着した救急車にお婆さんと付き添いの刑事ひとりが乗り込んだ。

 サイレンを鳴らしながら遠ざかる緊急車両を見送った後、理真と黒崎警部は先ほどの捕り物について話をしていた。


「あの自転車の持ち主にも謝っておかないとな」


 黒崎警部は理真が放り投げた自転車を見た。今はすでに路面から起こされ、道の脇に立てられている。みたところ傷などはないようだが。


「いいんじゃないですか。どうせ違法駐輪だし」理真。


 最初にその自転車が置かれていた場所には、〈駐輪禁止〉の立て札が掛かっていた。



 買い物の帰りに県警に寄った。

 電話をしたらちょうど丸柴まるしば刑事が県警にいるということで、顔を出しに寄ったのだ。


「聞いたわよ理真。大活躍だったそうじゃない」

「たまたまうまくいっただけだよ」


 私と理真、丸柴刑事の他には誰もいない捜査一課室で、理真は丸柴刑事に囃された。


「それはいいけど、どうなの丸姉、捜査のほうは」


 それを聞いた丸柴刑事は一転表情を曇らせ、


「駄目ね。今日で新潟市内の歯科医まで当たり尽くしたわ。明日からは県北、県南に捜索範囲を広げることになるわね。行方不明者のほうもさっぱりよ」

「県外は?」

「そっちも手配することになるでしょうね。で、理真。今得られている情報から、何か考えつくことはある?」

「難しいね……」


 理真は缶コーヒーのプルタブを上げた。

 三人しかいないのにコーヒーメーカーを動かすのが憚られて今日は缶コーヒーだ。丸柴刑事の奢りで。


「……まず」と、しばしの黙考の後、理真は口を開き、「被害者は二人。これはDNA鑑定の結果間違いはない。それぞれ頭部と胴体だけの状態で発見されていることから、言うまでもないけど両名とも首を切断されている。首と胴体に残されていた跡から、どちらも死因は紐状のもので頸部を絞められたことによる窒息死。首の切断は死後に行われている。切断に使われた凶器も同じ。同一犯の犯行と見てまず間違いない。死亡推定時期も同じ。二人ともほぼ同時か、ほとんど間を置かずに殺されている。

 初見で私たちは、発見された首、そして掘り起こされた首のない胴体を見て同一人物の首と胴体だと思ったわ。それはなぜか。首と胴体から推察される被害者像が酷似していたから。性別はもちろん、年齢、肌の色合いまで。切断面の位置まで同じ。第四頸椎と第五頸椎の間をきれいに狙ったように切断されている。謎は……せっかくだから書き出そうか」


 理真は部屋の隅にあったホワイトボードを引っ張ってきて、トレイからペンを手に取りボードに書き込んでいく。


1 二人の被害者はなぜ首を切断されたのか?

2 二人の被害者が似通った外見だったのはなぜか?

3 現場にはなぜ首と胴体が一体ずつしか残されていなかったのか?

4 その首と胴体が別人同士の組合せだったのはなぜか?

5 胴体は埋めたのに首は放置されたのはなぜか?

6 胴体を埋めた跡にカムフラージュの類を一切しなかったのはなぜか?

7 胴体が埋められていた近くの小屋は犯行に関係があるのか?

8 首が切断された場所はどこか? 小屋なのか? 血痕は一切見つかっていないが。

9 小屋の外でわずかに首のものである血痕が採取されている。これに意味はあるのか?

10 消えたもう一対の首と胴体はどこにあるのか?

11 首が発見される前日コンビニでヘアカラーを買った人物は事件とは無関係なのか?

12 二人の被害者は何者なのか?

13 犯人の殺害動機はなにか?


「……ざっと、こんなところかしらね」


 理真はペンにキャップをしてボードのトレイに戻した。丸柴刑事は腕を組んでボードを睨むように見つめる。

 私は手帳を取り出してボードの内容を書き込んだ。携帯電話で写真に撮ってもいいが、肉筆で書き込んだほうが内容を憶えやすい。ワトソンとはいえ、少しは探偵の推理の役に立ちたいという思いはある。

 しかし……書き終えて改めて内容を黙読したが、どれひとつたりとも答えを、いや、推測すら出せそうなものはない。私だけでなく、丸柴刑事、理真までもひと言も口を開くことなく、ボードを凝視し続けている。

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