第3話一人目はまっさかさま

 ねぇ、なんで怜二がいるの?

 やっぱり生きてたんだよ

 でも何も言わないのおかしくない?

 木島たちのいたずらだったんじゃない?あの時本当は洞下を落としたりしてないのかも

 きっとそうだよ

 そうそう 

 ねぇ、そうだよね。木島?

 

 朝礼から引き続き行われた八幡教諭による数学の時間が終わり、皆の視線が、まだ席に着いたままの怜二と木島に集まったが、怜二はただ俯いたままで、青い顔をした木島は椅子を蹴とばすようにして教室を出ていってしまった。残された皆は、納得できる理由を捜して、うろうろと視線をさまよわせている。

 怜二は休み時間もずっと席に座ったままで、昼時間はふらりと出て行って、授業の始まる間際にまたふらりと戻ってきた。一時間目のあとに出て行った木島はそのまま戻ることはなかった。

 重苦しい一日を終え、冴香が教室を出ると、桃と美喜子が冴香を待っていた。しばらく無言で歩いていたが、学校を出ると気が抜けたのか、桃が一気にまくしたてた。

「ねぇ、あれ、絶対おかしいよ。なんで一言もしゃべらないの? ずっとうつむいたまま、木島もどっかいっちゃうし」

「うん」

「おかしくなりそう……」

 美喜子の言葉に冴香も桃も俯いた。このままでは、きっとクラスのみんなの神経がまいってしまう。

「でも、きっと何か理由があるんだよ。きっと大丈夫だから」

 冴香は必死に明るい声を出し、二人を慰めた。そしてこのままではいけないと、道が分かれ歩いていく二人の後姿を見ながら、決意を固めた。

 私が、桃と美喜子を守らなければ。


 いったん自宅に戻り、自転車で河原へと向かう。曇り空のためそれほど気温は高くないが、じんわりと背中や汗が汗ばんでいく。

 自転車を止め、あの日花火をしていた場所に向かうと、花火の残骸が残り、缶が一つ落ちていた。

 あの日全てを拾ったつもりだったが、こんなにも証拠が残っている。なんてずさんな犯行計画だったのだろう。冴香は笑いたい気分だった。あまりにも私たちは馬鹿だった。そしてそれを扇動した木島が憎かった。

 冴香はごみを拾うと、怜二が落とされた場所に向かい、川の流れを見つめた。怜二の姿はない。ゆったりとした流れは、あの日の私たちの罪を流してくれたのだろうか。

「おい」

 冴香は急に声をかけられ、飛び上がった。振り向くと木島が一人で立っていた。制服のままだ。

「城本」

「木島」

「なんでここに」

「あんたこそ」

 木島はいつもの飄々とした表情ではなく、真剣なそれでいて泣きそうな顔をしている。ふっと、さっきまでの憎しみが弱まるのを感じた。

「木島、あんたなにか隠しているんでしょ? 怜二になにをしたの」

「わからない」

 木島の声が消え入りそうだった。

「わからないって、木島はやっぱり生きてたんでしょ? それしか考えられないじゃない」

「生きてるわけないんだ! 少なくとも、あんなにきれいな顔をしているわけない」

「なんで……」

 木島は冴香の腕を取った。冴香は一瞬、自分も怜二のように投げ落とされるのではないかと思ったが、木島は少し歩いて止まった。

「ほら」

 木島が指さした先を見ると、大きな石に黒い汚れがついてた。あれは、血だろうか。

「あれに当たったんだ。怜二が」

「え?」

「あれに当たって、頭を打ったんだ。音を聞いたんだ。ごん、ぐちり、って」

 冴香は聞いたはずのない音が蘇るように感じた。

「ごん、ぐちり、ごん、ぐちり、ごん、ぐちり」

「やめて!」

「あの日からずっと聞こえるんだ。耳の奥で」

 冴香は、吐き気をこらえるように口に手をあてた。

「生きてるわけないんだよ……」

 木島は冴香の腕を握ったまま、俯いた。熱い手は震えていた。冴香の中に、生暖かい感情が湧いた。それは、もしかしたら母性だったのかもしれない。

「大丈夫。きっとこれは神様が助けてくれたんだよ。怜二が生きてるんなら、それでよかったんだよ。誰も捕まることもないし、罪悪感を持つこともない」

 ね? なぐさめるようにそういうと、木島が泣き始めた。

 そう、これでよかったんだ。でも、そんな都合のいい神様なんて、いるわけはなかったのだ。


 昨日とはまた違う緊張感が教室に漂っている。怜二の席はまだ空いたまま、八幡が入って来た。

「おい、洞下。またか。ぎりぎりはよくないぞ」

 今度は誰も振り返ることはなかった。ただうち履きがリノリウムの床にあたる、ぺたぺたという音だけが耳に入ってくる。

 がた、がたん。怜二が席についた。

「よし、あれ? 中島がいないな。誰か聞いてないか? おい原田」

 中島京子と仲の良い原田真理は、びくりと体を強張らせた。

「何か聞いてないか?」

「い、いえ」

「そうか」

「よし、朝礼始めるか、会長」

 起立、礼。

「昨日も言ったけど、打ち上げで近所から煩いと言われたクラスもあるみたいだから、お前らもこころあたりがあれば反省するようにな。これからは受験が控えているんだから、大人としての自覚を持たないとダメだぞ」

 八幡の何気ない言葉が、皆をちくちくと傷つけた。

「あとは、昨日の職員会議で……」

「きゃあああああああああ」

 唐突な叫び声に皆の視線が窓際に集まった。悲鳴の主は椅子に座ったまま、顔を手で覆っていた。

「どうした、北野」

「ま、まど、きょう、こ」

「京子? 中島か?」

 北野春子はコクコクと頷いた。

「窓の外を京子が落ちていったんです!」

「え?」

 驚いた八幡は窓に近づいて外に顔を出した。

「うわぁ」

 八幡は声を上げると、焦った顔を皆に向けた。

「あ、と、とりあえず皆はここで待機しているように。窓の外を見るんじゃないぞ」

 八幡は黒い遮光カーテンを閉めると、走るように教室を出て行った。誰もが八幡が出て行った瞬間、席を立ち、窓に張り付いた。冴香も皆の間から顔を出した。そしてアスファルトの上で卍のような形で倒れている女子生徒の姿を見た。視力のよい冴香には、京子の背中と顔がはっきりと見えた。そう、京子の首は、ぐるりと反転し上を見上げ、血の流れる口元は笑っているようにも見えた。

「ひとり」

 最初のその声の正体がわからなかった。しかし窓に張り付いたまま振り向いた視線の先にいたのは、一人まだ席に座っている怜二だった。

「ひとり」

 もう一度怜二が、そう言い、みなにじわりとその意味が伝わった。

 そう、これは怜二の復讐なのだ。

 しばらくして別の教諭が顔を出したとき、生徒がみなちんまりと席についていることに驚いた。そして中島京子が屋上から落ちて病院に運ばれたことを告げた。死んでいるとは言わなかったが、もう息がないのは明らかだった。

 みな、吐き気をこらえるように黙って教師の話を聞いていたが、頭にあるのはただ一つのことだった。

 次はだれだ?

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