第2話 新学期のはじまりでーす

 冴香ははっと目を覚ました。一瞬自分がどこにいるのかわからなくなったが、ちゃんと自室のベッドの上で眠っていたようだ。冴香は枕元にあるはずの携帯を手に取ろうとしたが、そこにはさらりとしたシーツの感触があるばかりで、どくんと心臓が波打った。

「あ、あった……」

 慌ててベッドの下をのぞき込むと、そこに携帯は落ちていて、それを拾うと冷や汗をかいた体を再びベッドに横たえ、恐る恐る携帯の画面を見つめた。とくに友達からの連絡はなく、時刻は五時を回ったばかりだった。

 昨日電灯を灯したまま眠ったために、部屋の中は明るい。ベッドに座ったままカーテンを開けると、日はだいぶのぼっていた。

‘昨日のことは全て夢だったのではないだろうか’

 そう思ってみたものの、それが夢ではないことを冴香は深くわかっていた。冴香は立ち上がると、シャワーを浴びに浴室に向かった。

 

 浴室から出ると、母親が弁当の準備をしていた。

「早いじゃん」

「うん」

「新学期だから、緊張してんの?」

 冴香の母紀子はからかうように言ったが、冴香はそれに返す元気もなく、ソファに座った。つけっぱなしのテレビからニュースが流れている。しばらく見ていたが、怜二のことは流れる様子はない。

「ごはん、出来てるわよ」

「今日は、いい」

 冴香は朝の準備をするために、母の視線から逃げるようにして部屋へと戻った。

 怜二の遺体はもう見つかったのだろうか。帰ってこない息子を心配して、捜索願いがで出ているかもしれない。もし遺体がみつかれば酒が入っていたことはすぐにわかるだろう。そして学園祭の打ち上げが行われていたこともすぐにわかるはずだ。

 制服のホックをかける冴香の手は震えていた。

 大丈夫。酒を飲ませたのも、投げ込んだのも、私じゃない。きっと、大丈夫。

 冴香は自分を慰め、鼓舞しながら重い体を引きずって、学校に向かった。


「おはよー。あぁ、学校だるいねー」

 下駄箱の前で冴香は背中を叩かれた。振り向くといつもと変わらない美喜があくびをかみ殺していた。

「おはよ」

「宿題終わってる? まぁ、冴香は終わってるよね。桃は絶対終わってないだろうな」

 美喜は何かを忘れようとするかのように、早口でまくしたてる。しかしその手が冴香と同じように震えているのに冴香は気付いてしまった。

「そうだね。また一緒に残ってって泣きつかれるね」

 冴香は、美喜をなぐさめるように肩を叩き、二人で支え合うようにして教室に向かった。

 冴香は普段より十分ほど早く教室についたのだが、いつもより多くの生徒が登校してきていた。

「おはよー」

 みな笑顔で挨拶をし、返す。それは義務のように、またはロボットのようにも見えた。みなが、あったことをなかったことにするのに必死だった。教室の廊下側、一番前の席はまだ空いたままだった。木島の席だ。予鈴がなり、皆がぽつぽつよ席に座り始めた中、木島が現れ席に着いた。その横顔は、冴香には誰よりもおちついているように見えた。

 まだ何人かが立ち上がっている中、担任の八幡告が入って来た。半袖のシャツに背広のズボン、年は四十は超えているだろう。いつものように冊子をぱんぱんと手に打ち付けながら教室に入って来た。

「座れよー」

 冴香には八幡がいつもと変わらないように見えた。もし怜二の遺体が見つかっているのなら、もっと悲壮な顔をしているはず。やはりまだ見つかっていないのだろうか。

「今日は何人か欠席があるな。初日から残念だが……あれ、洞下はどうした? なんつって」

 八幡の言葉に皆が固まった中、八幡一人だけがからからと笑った。

「お、なんだ。そんなに怖い顔するなよ。冷たいやつらだなー。冷たいと言えば、お前ら昨日どうせ打ち上げしたんだろ? 先生を呼んでくれないなんて、寂しいじゃないか」

 やはりまだ見つかっていないのだ。皆時間が過ぎ去るのを待つように、体を縮めている。

「ん? おい、洞下。お前いつからそこにいたんだ。早く座れ。今度は遅刻にするからな」

 え?

 がたがたがたっ

 一斉に振り向いた皆の目に映ったのは、教室の後ろの隅に俯いてたたずむ洞下怜二の姿だった。

 そんな……

「ん? みんなそんなに洞下が珍しいか?」

 怜二は皆の視線を浴びながら、ゆっくりと真ん中にある自分の席へと座り、座った。

「よし、じゃあ、朝礼始めるぞ! 会長、号令」

 こうして、冴香らの最後で最悪の高校生活が幕を開けた。

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