次はだあれだ?

@miwa-insomnia

第1話 八月三十一日

 湯場高校の学園祭は、夏休み最後の日に行われる。そしてその夜に、去りゆく夏休みを忍びながら打ち上げをするのが恒例だ。三年二組の生徒も多分にもれず、河原に集まり束の間の解放感を満喫していた。

 いつもはとうとうと流れる志野川も、今はその鏡面にわずかに白いしぶきが見えるばかりで、その傍では生徒らが手に持った花火を振り回し、歓声をあげている。

「ねぇ桃、ほら木島のとこ行けば?」

「えー、美喜と冴香も来てよー」

 冴香は、肩を押しあう友人をほほえましい気持ちで見つめていた。この打ち上げが終われば、あとは受験勉強が待っているばかり。そんな中でも、彼女らは恋をするのを忘れることはないだろう。そういうことに関して疎い冴香にとっては、羨ましいともいえる光景だった。

「冴香も、ほら、向山もいるよ」

 金山美喜子の声に、冴香は頬を膨らませた。

「だから、違うって」

「えー、仲いいじゃん。好きなんでしょー?」

「ほんと違うってば」

 冴香は否定するのにも疲れ、二人の友人に引きずられるまま、男子が固まっている場所に向かった。

 そこには十人ほどの男子が集まり騒いでいたが、想像通り木島隆生の声ばかりが目立つ。背が高く目鼻立ちもしっかりとしていて、クラスのムードメーカーともあればもてないはずがない。今木島を熱い視線で見つめているのは、友人の田口桃だけではないだろう。

「木島何飲んでるの?」

「お前らも飲む?」

 よく見ると、木島だけではなく周囲の男子の手にも缶が握られている。メタリックに光る缶の中身は、まさかお茶やコーラではないだろう。

「えー、どうしようかな」

「やめときなよ」

 冴香の忠告など聞こえなかったように、桃も、普段はしっかりとした美喜でさえも雰囲気に流されて手にチューハイの缶を受け取っている。冴香はため息をついたが、少しの酒ぐらいはどこのクラスでも出回っているのだろうと、とりあえず温い缶を受け取った。

 アルコールでハイになった生徒らは電灯の弱い光の中、笑い転げている。その中で木島の通る声が響いた。

「洞下も飲めよ」

 冴香が目をやると、洞下怜二が木島を含めた数人の男子に囲まれていた。

「嫌だよ。俺、弱いんだって」

「そんな冷たいこというなよ。空気読めって」

 木島の声に同調するように、とりまきも騒ぎ立てる。

「ほんと、俺ダメなんだって」

「大丈夫、介抱してやるからさぁ」

 木島は洞下がかけていた眼鏡をとりあげ、ひらひらと振った。レンズに弱い光が反射して、きらりと光った。

「やめろって」

「飲んだら返すー」

「返せよ」

「ほら」

 木島は眼鏡の代わりにビニール袋から瓶を取り出して洞下に渡した。

 冴香は、その光景を痛々しい気持ちで見ていた。洞下怜二は決していじめられているわけではない。しかし、おとなしくあまり冗談の通じない質は、よく木島らのからかいの標的になる。

 瓶を受け取った洞下は、瓶を見ているようだが、暗く眼鏡をとられた状態ではよくわからないらしく、首をかしげている。

「心配すんなよ。ただのジュースだって」

 笑い声が起きる。

「おーい、洞下が一気するってさ」

 木島の声に離れていた周囲の視線も洞下に集まった。

「ほんとやめてくれよ」という洞下の声は歓声でかき消された。

「ほら、いっき、いっき!」

 木島の声に合わせるように、クラス中の声が重なる。

「ほーら、眼鏡が飛んでっちゃうぞー」

 木島はひらひらと眼鏡を頭上で振る。

「くそ」

 諦めたのか、洞下が瓶を開ける音が聞こえた。歓声がさらに大きくなる。

「いっきいっき」

 冴香はあたりを見廻した。暗くて表情が見えない。顔のない集団が、狂ったように騒いでいる。冴香は怖くなった。

 洞下は、しばらく躊躇していたが、木島を睨み付けるようにして、上を向いて瓶に口をつけた。

「いっきいっき!」

 洞下は瓶の中身をむせながら飲み下すと、膝から地面についた。

「ひゅー、洞下くんかっこいい!」

 木島は四つん這いになる洞下の後頭部に眼鏡をかけた。その瞬間、がくりと洞下の体が柔らかな芝生に倒れ込んだ。

「おーい、大丈夫かー?」

 皆が見ている中で、洞下の体が、感電したようにビーンと伸び、がくがくと震えだした。

「おい!」

「やばいって」

 洞下の体は、ぴたりと止まり、それ以上動く気配がなかった。

「ちょっと……」

「え?」

「どうすんの?」

 ざわざわとなる中、木島が無言で洞下の体に近づいた。

「おーい」

 雰囲気にそぐわぬあまりにも軽い呼びかけと共に、木島は洞下の体をぐるんと反転させた。吐しゃ物がこぼれる音が響いた。

「死んでる」

 しばらく木島は洞下の顔のあたりに手をあてていたが、すっと立ち上がるとそう言った。

「き、救急車!」

「待て!」

 誰かの声に木島が叫んだ。え? 何を待てと言うのだ? 麻痺した集団は、催眠術をかけられたかのように動きを止めた。

「でも……」

「そんなことしたら俺たち、終わりだぜ?」

「でもまだ助かるかもしれない」

「でも助からないかもしれない。酒飲んで、死人までだしたとなれば、俺たちの未来はパーだ」

「でも、じゃあ、どうすんだよ」

「捨ててこう」

「は?」

 木島は何を言っているのだろう。皆そう思っているはずなのに、誰も動くことも声を出すこともできない。

「洞下が勝手に酒飲んで、川に落ちたってことでいいじゃねぇか」

 誰か何か行ってくれ。この目の前の男を殴って目を覚ましてやってくれ。それでも誰も動くことができない。

「おい、持つぞ」

「え……」

「ほら、下山、田坂、上田」

 木島は近くにいた男子の名前を告げた。まるで死刑宣告のように名前を呼ばれた者は震えた。

「そっち持て」

 三人はおずおずと洞下の体に手を触れ、持ち上げた。まだ暖かいであろう体が、ぐにゃりと曲がった。

「ひっ」

「しっかりしろ。あっちに運ぶぞ」

 男四人は、砂袋でも運ぶように川に向かって歩き始めた。これだけの生徒がいるのに、あまりにも静かだった。

 しばらくすると、冴香の耳に、どぼん、と何か重たいものが川に落ちる音が聞こえた。そして四人は走って戻ってきた。涼しい夜にも関わらず、尋常じゃない汗をかいている。

「おい、よく聞け。俺らはここで花火をしていた。そして洞下がいなくなったことに気付かず、解散した。いいな、何を聞かれてもそう言うんだ」

 不安と恐怖で震える皆の心は、悪魔の声を簡単に受け入れた。

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