第35話 脱国(Prison Break)

 無事、『アイアンメルヘン』の三人を救出した奈緒たちの船は、巨大鉄橋『レインベイブリッジ』の真下を抜け、東京湾の片隅にある小さな埠頭にたどり着いていた。


「よし……警察や報道陣は見当たらねぇな。お前らはここから逃げろ。俺がお前らのプロデューサーとしてやってやれるのは、残念ながらここまでだ」


 甲板。

 オヤジは、意味深なセリフを添えながら、『アイアンメルヘン』の三人を船から降ろした。

 現在の自分のプロデュース力じゃお前らを世に出してやれないというような意を込めた、事実上の解雇宣言である。



「ありがとう、おっさん。なんだか迷惑をかけたな……。恩返しになるかはわからないけれど、これからはみんなが喜ぶような音楽を目指して、またいちからがんばってみるよ」

 

 暴走状態から解放された蛇切は、すぐにそれを受け入れた。

 オヤジの事務所を離れ、いちから音楽活動をやり直すことを決めたのである。

 本来ならば清々しいであろうはずのその表情は、未だに被っている無骨な仮面ジェイソンマスクの下に隠されていた。


蛇姉へびねぇ、まずは楽器を買いにいきましょうぜ。チェーンソーやマシンガンじゃ、人を幸せにするような音は鳴らせそうにない」


 隣に立つスナイパーまきも、ごく当たり前のことにようやく気が付いた。

 その声もどこか優しさを帯び、蛇切と共に新たなスタートを切ろうとしている。



(アイス食べたい……)


 蛇切の袖を引っ張る少女A。

 お面の下の表情こそ窺い知れないが、どうやら二人についていく趣向のようだ。



「よくわからねーが、元気でな」

 三人に別れを告げるグレンG。

 演奏終えたばかりのその表情は、夏風のような清々しさで溢れていた。


「……元気でにゃ」

 シャム、同調する。

 状況をよく飲み込めてはいないが、なんとなくその場の雰囲気で発言した。

 その表情は、まるで全てを飲み込んだかのような神々しさを纏っている。


「………………」

 奈緒は、何も言わずにそっぽを向いた。

 三人が音楽を続けていく限り、きっとまたどこかであいまみえるだろう――

 そう思っているがゆえに、わざわざ三人へ別れの言葉を送ることもなく、手元のギターの弦を興味なくいじり続けた。


「これ、受け取ってちょうだいな」

 レイは、三人に『日焼け止めクリーム』を手渡した。

 


「……ありがとう」

 

 レイの唐突な贈り物を受け取った蛇切は、被っていたマスクをいきなり海へ投げ捨てた。

 ほんの一瞬、奈緒たちに凛とした笑顔を見せた後、すぐに振り向いて走り出した。


「ま、まってよ蛇姉へびねぇ!」


 まきも、マスクを放り投げ、後に続く。

 その顔は、お世辞にも美人とは言えないが、なんだか嬉しそうな顔をしている。


「まってー!」

 少女Aは、お面を被ったまま二人の後を追った。

 その後ろ姿は、年の離れた姉を追う、夏祭りの少女そのものである。



 こうしてアイアンメルヘンの三人は、真昼間の街並へ紛れて行った。

 ヘヴィメタルとはかけ離れた無邪気な笑い声が、入り組んだ路地の隙間を縫いながら。




               ☆☆☆☆☆





「……よし。これでライブは無事終了だ。おれたちもオダイバアのハーバーに戻るぞ」


「オーケー」


 ことを成し、操舵室へと戻る一同。

 契約的な都合により、『エラザベス・豪』を出港した場所へと戻さなければならない。

 そんなオヤジが勢いよく船のエンジンを掛けた、その直後、


 ――ババババババババババババババ!!


 ヘリコプターの風切り音が、上空で渦巻いた。




「……なに?」


 すぐさま反応を示す奈緒。

 音に対してはとても敏感である。


 そして、まるでその質問に答えるかのように、ヘリコプターのクルーが顔を出して叫んだ。


『渦中の東京湾上空から中継です! 『レインベイブリッジ』で暴動を起こしていた音楽グループ、『デスペラードン・キーコング』の三名を乗せた船が、オダイバア埠頭に向かって現在逃走を図っている模様です! それに伴い、警察関係者が陸での包囲網を固め始めています!』


 テレビの前のみんなにありのままを告げるリポーターガール。

 最近忙しすぎて恋人に逃げられた影響からか、その口調は激しさを帯びていた。



「……いや、暴動を起こしたのはあたしたちじゃないんだけど。……しかもバンド名違うし」

 文句クレームをつける奈緒。


「……アタシたちが実行犯だと勘違いされちゃっているみたいね」

 取り違えられた状況を察するレイ。


「上等じゃねぇか。視聴者ごとぶち壊してやるよ。一体どこの局だ?」

 空に向かって暴言を吐くグレンG。



「落ち着け! 騒ぐんじゃねぇ! とりあえずほとぼりが冷めるまで太平洋側へ船を走らせる!」

 慌てて舵を切るオヤジ。

 陸地から船を遠ざからせる。


「逃げるなんてロックじゃない」

 オヤジの行動にも文句クレームをつける奈緒。


「アタシたちはまだれるわ。舐めないでよ」

 同調するレイ。


「見損なったぞ。オヤジ」

 同調するグレンG。


 乗り気な三人に対し、オヤジは、前を向きながらこう言い返した。


「……シャムの股を見てみろ」








「…………!?」












「にゃ、にゃああ……ああ……ああん……にゃん……ああにゃ」


 シャムのホットパンツからは、大量の水が滝のように漏れていた。

 演奏時間、38分。

 ずっと船の先頭で難解な楽曲を鳴らし続けていたシャムの股間は、絶え間ない音の波と波の揺れによってとうに限界を迎えつつあったのだ。

 垂れ落ちるその液体は、どこか赤みすら帯びている。


「……シャム、あんた……」

 奈緒、心配する。

 室内で演奏していた自分には到底理解できない疲労が溜まっていることを肌で察した。



(みんにゃ……すまにゃい……!)



「…………」

「……ちっ」



「これ以上ライブを続けたらシャムの下半身がどうなるかわかるだろ? ここは、一旦引いてみるのがロックだと主張するぜ」


 シリアスな空気の中、オヤジは前を見ながら話をつづけた。

 メンバーの体調管理に気を配るのは、プロデューサーとして当然の役目である。



(……すまにゃい、みんにゃ。ちょっと、休ませてくれにゃあ……。少し休んだら、ボクもまた、れるはずだから……)


 シャムはそのまま、眠るように床に倒れこんだ。






「……奈緒、どうする?」


 シャムを見下しながら口を開くグレンG。

 今後の方針をリーダーに求めた。


「……あたしたちのロックは、もはやこの子なしじゃ成り立たないわ」


 レイもすかさず助言を加えた。








「やむをえないわね」


 奈緒はフロントガラスに唾を吐き、そのままギターを枕代わりにして自分も寝始めた。

 それはつまり、休息の合図である。

 オヤジに舵を委ねることを決めたのだ



「……決まりだな」


 アクセルを強く踏み込むオヤジ。


「このまま太平洋へ突っ込むぞ。訂正しておくが、これは『逃げ』なんかじゃない。お前らのスキルアップのための『偉大なる休息』だ」


 オヤジ、宣言する。



「そうね。このままちょっと海外ツアーと洒落込みましょうか」


 レイ、同調する。



「ちっ、しょうがねぇな。まあ、国外の空気を壊すのも、たまには悪くねぇ」


 グレンG、賛同する。




 かくして、奈緒たちを乗せた船『エラザベス・豪』は、東京湾の狭っ苦しい海を抜け、だだっ広い太平洋へと旅立った。

 つまりこれは、国外逃亡――――否。

『デスペラードン・キホーテ』の、狂気に満ちた海外旅行ライブツアーの始まりである!




                         5th LIVE finished.

 

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