第34話 アバレ(RIOT)

 船上で対峙する二人の女――。

『デスペラードン・キホーテ』のドラマー紅蓮寺ぐれんじ優子(17)と、『アイアンメルヘン』のギターボーカル蛇切へびきりキョウ子(19)の対バン戦争が、東京湾のど真ん中でその幕を開けた。



【ヴァヴァロアアアアッ!】


 先に音を鳴らしたのは、既に発狂済みの蛇切。

 蛇切は、手にしていた電動チェーンソーのスターターグリップを手前に引いた。

「ボン!」という爆発音を皮切りに、丸みを帯びた銀のやいばが高速回転を始める。


【アヴァランチャアアアアアアアアアアアッ!】


 蛇切は意味不明なシャウトを叫びながら、それを目の前のグレンGめがけて振り上げた。

 おびただしい轟きを纏った銀の刃が、グレンGの無骨な顔面ポーカー・フェイスに振り下ろされる――




「……あらいな」




 グレンGは、




「音が粗すぎるぜ……まるで国産の『トイレット・ペーパー』並みに薄っぺらい音楽性だな」




 その攻撃を、




「それがヘヴィメタルだって言うんなら、ものすごく生なるいよ」





 拳で受けた。





(生ハム食いてぇなあ……)






 グレンGはその攻撃を拳で受けた。

 振り下ろされた電動チェーンソーの刃を、握り拳で受け止めたのだ。


静錬血拍ブレイク・ビーツ



 曲名を囁くグレン。

 その瞬間、その拳から吹き上がった真紅色の鮮血が瞬時に凝固した。

 グレンGの動脈を流れていた赤血球と、グレンGの静脈でくすぶっていた白血球が、互いのヘモグロビンを求め合ったあげくに体外の空気中で結合して化学変化を巻き起こしたのである。

 その結果、おびただしく回転していたチェーンソーの刃は停止した。

 つまり、グレンGのせいなる拳が、鳴り響く電動刃のとどろきを止めたのだ。


(……我ながら駄曲だな)


 これは、エアドラムを極めた者だけが成せる究極の演奏テクニックである。

 そんじょそこらのへたれアーティストには決して模倣マネすることのできない、大胆で繊細なプレイングである。


「そんな勢いに任せただけの演奏プレイじゃ、おれの心は壊せないぜ」


 目の前の刃を、自らの血で染め上げるグレンG。

 チェーンソーを拳で受けながら、暴走した蛇切の粗っぽい奏法プレイングに苦言を呈す。

 そのロックな行動アクションを伴って紡ぎ出された言葉メッセージは、まるでヘヴィメタルのような重みを纏っていた。



【ガーベラアッ!】


 しかし、その重たい言葉メッセージは、蛇切の鉄の心臓メタリック・ハートには刺さらなかった。

 蛇切は謎のうめきヴォイスを上げながら、チェーンソーのスターターグリップを勢いよく手前に引き続ける。

(オマエノ拳ヲ……引き裂いてヤル……!)





【………………】


「………………」


【………………】


「………………」




 訪れたのは静寂サイレント

 蛇切が引いた電動チェーンソーのエンジンは、掛からなかった。

 故障ブレイクしたのである。

 グレンの醸し出すその威圧感にバッテリーがびびってしまったのか、単に燃料ガソリンを切らしてしまったのかは定かではないが、とにかく動かなくなった。



「……もう終わりか?」


 問いかけるグレン。

 あっけない幕切れに戸惑うことなく相手を煽った。




【……………………】


 対する蛇切は、沈黙を続けた。

 いや、正しくは、声を出すことができなかった。

 対峙する女の威圧感に沈黙を余儀なくされたのだ。

 仮にこのタイミングでシャウトを挟んでも、それがたとえ獰猛に満ちたデスヴォイスであろうと、目の前の女に対しては何も伝わらないということを、心の片隅で理解してしまったのである。

 肝の据わったロックンローラーに威嚇は通用しないということを、図らずとも悟ってしまったのである。


【…………………】


 そして、楽器チェーンソーを失った自分が、ただ叫び声を上げることしかできない単細胞的な思考回路を持ったケモノのような存在であることを認めるということが、ここにきてちょっと恥ずかしくなってしまったのだ。

 だから蛇切は沈黙した。




【……あ…………あ……あ……あ…………あ……】


 やがて、蛇切の苦悩が始まった。

 暴れることでしか自己を表現できない悲しみが、蛇切の全身を隙間なく支配した。

 虚勢を張るのはもう疲れました。

 何かを壊すことでしか欲求を満たせない自分が可哀想にも思えた。

 暴れても、壊しても、叫んでも、何も手に入らないのに、何も変わらないのに、なのに、なぜ、無性に叫びたくなるのはなんでなの?

 なんでなの? 誰か教えてよ!


(イタイ……! クルシイ……! タスケテ……!)



 心に思うことがありながらも、蛇切は声を出せずにいた。

 ひねくれ暴君ガールの蛇切にとっては、自分の素直な気持ちを表現することが、何よりも苦痛でたまらないのだ。


【………あ!……………あ!……あ!……あ!……あ!……あ……】


 まるでリハビリテーションのような悶えを続ける蛇切。

 その声には、もう何のメッセージ性も込められていなかった。







「たすけてー!」


 苦悩を続ける蛇切の後方で、幼い声が助けを求めた。

 この声は、『アイアン・メルヘン』の重機担当ドラマー、少女A(5)の叫びである。

 少女A(5)は、奈緒たちが放った荒波に対抗するため、後先考えずに橋上から海へと脱線ダイブしてしまったその結果、重機と共に海中に飲み込まれつつあったのだ。沈みつつあったのだ。溺れつつあったのだ。

「たすけてー!」

 役割を果たした少女の声は、デスを失ったただのヴォイスになっていた。



【……あ……少女……A……】


 その声を受け、蛇切は声を絞り出した。

 後ろに振りむき、蚊の鳴くような金切り声で仲間メンバーの名前を呟いた。

 その声は、既にヘヴィメタルバンドのヴォーカリストとはかけ離れた声である。


 無能。


 名前を呼ぶことしかできない。

 名前を呼ぶことしかできない自分が悔しい。

 仮にその声を届けたところで、相手を助けることなどできやしない。

 チェーンソーを持つ手で出来ることなどたかが知れている。

 名前を呼ぶことしかできない自分を切りつけたいとも思った。

 そのとき――





【少女Aえええええええっ!!】

 橋上に残っていた最後のメンバーが、目下の海へとダイブした。

 スナイパーまき(19)である。

『アイアンメルヘン』の機関銃担当ベーシスト、スナイパーまき(19)である。

 最年少メンバーの少女A(5)を救出するべく、意を決して海に飛び込んだのである。

 しかし、重たいマシンガンによって疲弊した両腕に、水を掻く力などは残されていなかった。

「た、たすけてええええっ!」








「なあ、これがお前らのヘヴィメタルなのか?」


 グレンG、質問する。

 あまりにも衝動的かつバラバラな敵の合奏に違和感を覚え、疑問をぶつけたのである。

 対する蛇切は、反射的に沈黙を破った。


【チガウ……!】



「…………」



【ア、ア、ア、ア……、ア、アタイがヤリタイ音楽は……】



「……ほう」



【ダ、だ、誰かを救うための……音楽デス……でした!】



「……救うだと?」



【ハイ……】



(そう。あたいが本当に鳴らしたかったのは、もっと優しい音楽のはずだった――)


 蛇切は日本語を喋った。

 蛇切が日本語を喋ったのは、実に八か月ぶりの出来事である。

 蛇切が最後に誰かと会話をしたのは、高校卒業後、とある有名音楽プロダクションの面接に行ったとき以来である――

 


            ☆☆☆☆☆



「ヘヴィメタル? そんなの絶対に売れないよ」


 そんなことはわかっていた。

 理解してくれるファンや仲間と、細々とやっていければそれだけでよかった。

 数は少なくとも、理解してくれるファンや仲間と楽しくやっていきたかった。


 しかし、当時の蛇切は、それすらもまだ持っていなかった。

 蛇切は、ヒトリボッチだった。

 無鉄砲な蛇切キョウ子は、丸腰で音楽事務所のドアを叩いたのである。


(………………)


 そんな蛇切キョウ子ではあったが、ただひとつ、強烈に秀でたを持っていた。





「脱げよ」





 現状、音楽で食べていくには、圧倒的な実力でもない限り、女を売る以外に選択肢はない。

 受けるかどうかもわからない音楽性で人を惹きつけるよりも、女としての魅力で人を惹きつける方が何倍も手っ取り早いのだ。


 蛇切キョウ子は、それほどに美しい『顔』を持っていた。

 愚かなる面接官は、既にその魅力に憑りつかれてしまっていたのである。

 

 

【ヴォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!】


 結果、蛇切は暴走した。

 鉄製の机で面接官を殴りつけ、そのまま夜の繁華街へと流れていった。

 これが、蛇切の長い闇の始まりである。




             ☆☆☆☆☆






(蛇切……すまねぇ。俺がふがいねぇばっかりに)


 そんな蛇切に声を掛けたのが、当時ハシゴ酒をしていた音楽プロデューサーのJDB55オヤジである。現在は海の上にいる。

 オヤジは、同じような経緯でスカウトした二人の少女と即興でバンドを組ませ、なんとか世に出してやろうとは思っていたが、全く結果を出せずに現在に至っている。

 現代のオヤジは想う。

(それぐらいデスメタルっていうジャンルは国内じゃ流行らねぇんだ。特に無名の新人のそれなんて、誰も観にきてくれやしねぇ。ましてや、俺みたいな無能なプロデューサーの下ではなおさら食っていけねぇ……続けていくのが困難な音楽なんだよ……)





「たすけてー!」

「たすけてええええええええっ!」


 現代の荒波に沈みゆく少女A(5)とスナイパーまき(19)。

 ジャブジャブと微弱な波音を立てながら、必死に助けを求めている。

 



「…………!」

 その波音を聞いて何を思ったのか、船室の奈緒がギターを弾き裂いた。


「…………!」

 慌ただしいその演奏に合わせ、レイも無言でベースを合わせる。


「…………!」

 甲板の床に倒れ込んでいたシャムも、仰向けのまま失禁しながら天に向かって笛を吹いた。


(みんなで音を合わせれば、この世に不可能なんてにゃいんだ……)



海猿通信レスキュー・チャット




 

 三人によって鳴らされた淡いメロディは、東京湾の海面を静かに波立てた。


 それだけである。

 ただそれだけであった。


 音楽は魔法じゃない。

 音楽が、直接誰かを助ける術にはならない。

 音楽は、何かを突き動かすだけの形なき衝動の塊でしかないのだ。






「ふぅ。なんとか間に合ったか……」


 海面にて、少女A(5)の小さな身体を抱き上げるオヤジ(55)。

 その小汚い背中には、くたびれたスナイパーまき(19)が身体を預けている。


 オヤジは、少女たちの溺れる姿を見た瞬間、何も考えずに海に飛び込んでいた。

 奈緒たちの奏でたメロディは、必死でクロールを続ける五十五歳の中年にエールを送るだけの、単なるファンファーレでしかなかった。

 

 


 船上。

 その一部始終を目撃した蛇切に対し、血まみれのグレンGがコメントを残した。


「これが音楽の正しい在り方ロックンロールだ。音楽は、いつの時代も身体が資本になる。もっと冷静クールに音を鳴らしたほうが、健全で健康的ヘルシーだと思うぜ。健康な身体があれば、世の中の全てを壊していけるからな」


 それは一見わけのわからない暴論ではあったが、仲間を助けられたばかりの蛇切には、何か伝わるものがあった。

 












「あたいらの負けだ」


 持っていたチェーンソーを手放す蛇切。

 刃よりも鋭利な音楽が、蛇切の暴力衝動を切り裂いた。

 そして蛇切は、自分の素直な気持ちをようやく声に乗せることが出来たのだ。


「ご静聴ありがとう」


 床に落ちたチェーンソーが、「ゴトン」と重たい鉄製の音を奏でた。

 それは蛇切キョウ子にとって、紛れもなく終演の合図であった。


 

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