第32話 エラザベス・豪(Queen's Battleship "Go")
「着いたぞ!!」
焦るオヤジに煽られ、だらだらと降車する。
車から降り立った四人の目の前にあったのは、特殊スピーカー内臓のプライベート・クルーザー『エラザベス・豪』であった。
純白の外装をまとった全長30メートルの大型ボディが、雲ひとつない青空を背景に堂々と構えている。
「か、かっこええにゃあ……」
シャム、失禁する。
青黒い東京湾に浮かぶ純白に、エクスタシーを感じてしまった。
船に乗るのは初めての経験である。
「行くぞ!! 出港だ!!」
車を乗り捨て、クルーザーへと乗り込むオヤジ。
メンバー四人を扇動する。
「……海の嘆きが聞こえるわ」
ギターを片手に後につづく奈緒。
海上での演奏に意欲を示す。
「それにしてもいいお天気ね。ロック日和ってやつかしら」
車内にて、日焼け止めクリームを大量に塗りたくったレイ。
ベースを抱きながら船内へと進む。
「わくわくするにゃあ~」
リコーダーを舐めながら後につづくシャム。
唾液の分泌量が増幅し、下半身の興奮も治まらない。
「今日はオフショアか……いい波に乗れそうだ」
サーフィン用語を漏らしながら手ブラで船に乗り込むグレンG。
オフショアとは、陸から海へ吹きつける風のことである。
☆☆☆☆☆
クルーザーに乗り込んだ五人は、誰に言われるでもなく三方向へと散った。
それぞれが、それぞれに相応しいポジションに向かったのである。
「オーライ!」
クルーザーの運転を担当する。
言うまでもなく、船舶免許など持っていない。
「ここがライブルーム?」
「そうみたいね」
操舵室の後ろに位置する、船の中央部分にあたる船室に、奈緒とレイ。
このカラオケボックスのような小さな部屋で、弦楽器を担当する。
この部屋の壁に垂れ下がっているシールドケーブルに楽器を繋いで奏でると、船外の半径500メートルの範囲に音が鳴り渡る仕組みになっている。
「ジャックイン完了~」
「こっちはいつでもオーケーよ」
そして、屋外。
「にゃあっ!」
船の先頭に立ち、その楽器を大きく掲げる。
リコーダーはアンプに繋げないので、屋外での演奏に臨むことにした。
「……嵐が来そうだな」
最後方にはグレンG。
シャムと同様、屋外での演奏を担当する。
全てを見渡すことのできる最後尾――ドラムとはそういうポジションであった。
拳を楽器とする彼女にとって、電動の機材などなんの価値もない。
船舶に打ち寄せる波のリズムに乗りながら、目下に広がる青黒い海をただじっと見つめている。
「おいオヤジ! さっさと船を出せや!」
『よし! シャム、出港の合図を出せ!』
操縦室からマイクで指示を飛ばすオヤジ。
酒と煙草によってしゃがれた声が、半径500メートルの範囲にまで及ぶ。
「ぽっぽー!」
指示を受け、
崇高たる出港の音色が、真っ昼間の東京湾一帯に響き渡った。
「ぽーーーーーーーーーーーー!」
『時は満ちた!!!! 走り出せ、エラザベス・豪っ!!!!』
出港の汽笛を受け、怒号を上げながらアクセルを踏み付けるオヤジ。
ステレオ内臓クルーザー『エラザベス・豪』が、始動する。
――ブイーン。
その速度、10ノット。
ノットとは。
船の速度を示す単位である。
1ノットは1時間に1海里進む速さを示し、1海里は1852メートルの海域を表す。すなわち、一般自動車の時速に換算すると、1ノット=1.852km/hということになるがゆえに、10ノット=1.852×10という計算式が生みだされ、同時に、18.5km/hという答えが導き出される。
つまり、
『ちっくしょおおおお速度が足りねぇ!!!! こんなちんたらしたスピードじゃ『レインベイ・ブリッジ』にたどり着く前に世界が終わっちまうよ!!』
操舵室で
ガラスの向こうに目的地の橋を捉えてはいるが、その距離は遠く離れている。
「がたがたぬかしてんじゃねぇ! おれが
甲板の後方から激を飛ばすグレンG。
眼前に広がる青空と青黒い海との境にある水平線に向かって拳を構え、殴った。
『
波打つ海面。
渦巻く潮風。
空舞うカモメが嘔吐する。
その汚物が海面に触れたとき――
『エラザベス・豪』は、陸に白波を浴びせながら前方へとぶっ飛んだ。
その速度は、たちまち30ノットを記録。
約55.6km/h――高速道路を走る車のそれである。
「よっしゃああああああああああっ!!」
「うおにゃああああああああああっ!!」
沸き立つオヤジとシャム。
目的地へ向け、船は勢いを増していく――。
☆☆☆☆☆
一方、ライブルーム。
「…………」
ギターの先端にエチケット袋をぶら下げる奈緒。
「うええ……」
レイ、船酔いする。
酔い止め薬を飲み忘れた。
船は、そんな彼女たちを大きく揺らし、渦中の橋へと確実に迫っていた。
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