第16話 発狂して月光(Moonlight Monster)

「何なの!? この不吉なイントロは!?」

 両耳を押さえる奈緒。


「オンニャアアアアアアアアアアア~」

 シャムが笛を吹き上げると、その小柄な身体から紫色の尿結晶エナジーが溢れ出した。

「フニャアアアアアアアアアアアア~」

 それらはたちまち集約し、巨大なBAKENEKOバケネコが像を成す――




【ぶちコロしてやるニャア……】


 実に20メートル近い体長を有する音像集合体モンスターの出現である。

 残響とともに妖しく揺れる両耳に、抽象的かつ陰陽的なフェイスライン。目と唇は吊り上がり、不均衡な歯並びのなかに尖った牙が並び立つ。

【ザア、ボクのウタをキイデ……】

 シャムは、次々と笛に息を吹き込み、神曲を形成していく。




 ――――『月面招アポロウ』――――




 不吉さを極めた笛の音と連動し、巨大なBAKENEKOが共鳴の仕草を見せる。

 その瞬間、コンサートホールの天井が、崩壊――――


「きゃああああああああああああああっ」


 ホテル・ニャンダーラの最上階は、吹きっ曝しの屋外と化した。

 上空には、ゴールデンゴールド色の満月が堂々と浮かんでいる。

【コッチダヨ……!! コッチダヨ……!!】

 シャムの操るBAKENEKOが、空に向かって妖しく手招きをおこなう。

 それに呼応するかのごとく、アキハバアラの月が、ゆっくりと下降活動を開始した。



「ばかな!? 月が落ちてきている!?」

 この超常現象に、さすがのグレンGも動揺の素振りを見せる。

「まずいわね……」

 同調した奈緒が爪を噛む。


「――あせらないで。アタシが止めてアゲル」

 そんな中、レイが冷静にベースの弦を躍らせた。


熱様SIT DOWNおちつきなさい



 レイが繰り出した地を這うような低音旋律ベースラインは、シャムの耳穴を貫通し、その体内に低温感情クールダウンをもたらした。


 つまり、BAKENEKOの額に、冷却シートが張られたのである。


【ふにゃあああああああ~?】

 発狂したシャムの神経系が冷やされ、操るBAKENEKOが手招きを休止する。

 同様に、月の下降が治まりを示した。


「奈緒っ! いまよ!」

 レイが親指で合図スラップを鳴らし、

「まかせて!!」

 奈緒がギターを振り回す。


月に代わってお塩清めセイバー・ムーンソルト』!!



【ギャニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!】

 目まぐるしいほど歪んだギターサウンドが、シャムの鼓膜を掻き乱した。

 シャムの脳内管理システムは異常警報を発令し、創り出したBAKENEKOが粉々に砕け散った。「にゃんでええええええええええええええええええっ!?!?」

 その衝撃に伴い、シャムの着ていた衣服パーカーも乱雑に破裂していく――

「ぎゃにゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」



「みゃ、みゃんころりん……」

 やがてステージに残されたのは、全裸状態ありのままのシャム。

 黄色い布繊維が、ステージ上に舞い落ちている。

 つまりそれはシャムにとって、敗北の花吹雪であった。



正義ロックはかならず勝つ」

 決めゼリフを吐き、ネックをスライドさせる奈緒。

 言わずもがな、それは終演の合図である。



☆☆☆☆☆



 ラストナンバーが鳴り止み、会場の残響は消えた。

 しかし、その幕はまだ下りてはくれない。

 ステージの上には、ハダカで天をおあぐシャムの全裸。

 同志であるまたたびと中島が、その横でただ立ち尽くしていた。


「…………」

 敗北を悟ったのか、壇上のスタンドマイクに手を掛けるまたたび。

 観客席に横たわる2000人あまりのファンに向け、ゆっくりとその口を開いた。


『『スコティッシュ・クバリス』は、今日で解散いたします』

 

 沈黙の反応を受け止め、またたびは淡々と続けた。

『2000人ものファンを犠牲にしてしまった以上、我々が活動を続けるのは困難でありますがゆえ、罪滅ぼしとして、わたくし『またたび』は自首いたします。これまでわたくしたちを応援していただき、本当にありがとうござい――』


『マテ』

 その演説に、中島が割って入った。

『オレガ、スベテノツミヲセオウ』

 中島のたくましいヴォイスが、エコーも相まって会場に響き渡った。


「……ど、どういうことですのん?」


『イママデオカシタツミノスベテハ、オレヒトリガヤッタコトニスル。インペイスル。イママデカセイダカネハゼンブオマエニアズケル。ソイツデ、コクガイニデモトウボウシテクレ。ワカッタナ?』


「ああ、なんてばかげたことを……ジーザス」


 またたびは、その場で後ろへ振り向いた。

 そして両手で顔をふさぎ、大量の涙を溜め込んだ。

「……ううっ……ううっ……」

 またたびはまだ16歳――隠されたその表情は、当然のごとくあどけない。

 街を歩けば人気絶頂のスーパーアイドル。人前で涙なんか見せません。

 しかし、国外ではまだ無名。顔なき名もなきモブ・キャラクター。

 いまならまだ、そこでひっそりと青春を謳歌することができよう。

「……中島さん……ありがとう……」

 その健やかな将来を、中島は体を張って守ったのだ。脱帽である。



『シャム、オマエハオンガクヲツヅケロ』

 次に中島は、シャムに向かって言い放った。


「にゃ、にゃかじま……」

 反応するシャム。しかし、戦いの反動からか、その身を起こすことはできない。


『オマエニハオンガクノサイノウガアル。ダカラ、オンガクヲツヅケロ。オマエノアタラシイイバショハ、イマカラオレガツクッテヤル。アンシンシナッセ』

「にゃ、にゃかじまぁ……」

 バンドの存続は不可能――頭ではそうわかっていながらも、生粋の夢見がち少女であるシャムは、ボーカリストとして舞台に立ち続けることをあきらめたくなかった。純粋無垢なその願望は、この先ずっと無くなることはないだろう。

 そんな気持ちを汲んでの、中島の発言。

「アンシンシナッセ」

 中島は、多くを語ることなくマイクからそっと離れた。

 シャムは、申し訳ない気持ちを抱えながらも、中島の大きな背中に、期待を託さずにはいられなかった。



 やがて解散演説を終えた中島は、奈緒たちのほうへゆっくりと足を動かした。

「オイ」

「…………」「…………」「…………」




「シャムヲ、オマエラノグループニシロ」




「なんですって?」

 レイが拒絶の表情を示す。


「……おい奈緒、どうする?」

 グレンGがリーダーにさじを投げた。


「わるいけど、あたしたち、ボーカリストは求めてないのよね……」

 奈緒が丁重に断りを入れる。










 しかし、中島は本気だった。









笛吹きリコディストでいい」

 中島の言語が、途端に真剣みを帯びた。

笛吹きリコディストでいい。シャムのひょうきんな演奏スタイルは、お前らのロックに新しい風を吹き込む可能性を秘めているはずだ。どうか、面倒をみてやってはくれないだろうか? たのむ」


「あんた、その瞳……」

 覚悟を決めた中島の瞳は、晴天の青空のように澄みきっていた。

 仲間をかばい、罪を背負う。そのためにはまた嘘を重ねなければならない。

 つまり、これからの彼女は、自らの存在すべてを罪で塗り固めることになる。

 自らを枷で縛るような、そんな拷問的人生を彼女は選ぼうとしている。

 なぜ、どうしてそこまでして――?

 一体、何が、彼女をそうさせるのだろうか?

 




 スコティッシュ・クバリス。

 ドラマー。

 ノルウェイ=ジャン・フォレスト中島(25)とは――――




『私立くさむしり高校』の同級生であったシャムとまたたびが、インターネット掲示板で拾ってきたドラマーである。

 それだけである。

 たったのそれだけである。

 たったのそれだけのことであった。

 二人に特別な恩があるわけでもなく、過ごしてきた時間も一年弱と浅い。

 なのに、なぜ?

 彼女は、なんで、なぜに、どうして、自分の人生を塗りつぶしてまで、二人をかばう必要があるのだろう? 

「バンド仲間だから。他に理由がいるのかな」

 たったそれだけ? ほんとうにそれだけ?


 ――その真意はわからないが、ただひとつ確かなことがあった。

 中島の直情型な生き様は、紛れもなくロックである。

 少なくとも、奈緒たちの目にはそう映った。



「シャム、こっちにおいで」

 奈緒がギターを手前に引いた。

「しかたないわね。よろしくおねがいしようかしら」

 レイがベースをケースにしまう。

「おれはきらいじゃないぜ。お前のロック

 グレンGが右手を差し出した。



 天井の割れたコンサートホールに、スポットライトは存在しない。

 アキハバアラの夜空に浮かぶ満月が、その代わりとなって少女たちをただじっと照らし続けている。

 その月光は、世界を新たなる破滅へと導くための、感情なき祝福であった。


「にゃあ!」

 奈緒たちのバンドに、新メンバーリコーダーが加入した。

 



                         2nd LIVE finished.

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