第7話 鎌瀬VSグレンG(One Night Howling)

神伴奏膏ゴッド・バンドエイド


 レイがその長いネイルで弦をはじくと、ケンエイ(18)の頭上に、絆創膏ばんそうこうまみれの巨大な拳が現れた。

 周りの者たちからは、この拳を視認することはできない。


「アオンッ!?」

 しかし、ケンエイには見えている。

 癒えない傷を持つ者だけが、この巨大な拳と対峙することを迫られるのだ。


「やってやらああああああああっ!」

 ケンエイは、その右拳で迎え撃つ。

 もちろんはたから見れば、ただのガッツポーズをする若者でしかない。


 目を見開いたケンエイの額から、赤黒い血がじわりと滲み出た。

 古傷が開いたのだ。

 これは、ケンエイが、珍走集団『イヌカキ探検隊』に属していた時代に、関門海峡での戦い(2013)ですっ転んで負った傷である。

 ケンエイにとっては、忘れたい過去の記憶のひとつでもあった。


「もういいよ。楽になりな」

 その傷をふさぐように、レイの奏でた拳が、ケンエイの身体をすり抜けた。


「ざまあみさらせええええええええいっ!」

 ケンエイは拳を掲げたまま、勝ち誇った顔をしている。

 そして、そのまま、動かなくなった。



「…………」


 ケンエイの魂は、地下帝国へと旅立った。

 今後はその古の歴史アンタッチャブルを守る忠犬として従事することになる。

 地底人たちは人見知り。そうとうルックスに自身がないのか、その姿を目撃した冒険家たちはみな石にされ、帰らぬ人となっている。

 ケンエイと地底人――互いに秘密を抱える者同士、その傷を舐め合い続けていく長い歴史がはじまる。


「いたいのいたいの、沈んどけ」

 レイは、ベースを優しく抱き締めた。






 これで残るは、三名となった。


 サングラスをかけたプロデューサー風のオヤジ(55)。

 前髪を垂らした幽霊みたいな女(21)。

 そして、『KAMASE-DOGMANS』のリーダー、鎌瀬(24)。


「ワンワンワンワンワン! ワンワンワンワンワン!」

 鎌瀬は吠え続けた。

 仲間を失い、ひとりになっても。

 楽器であると主張する己の声帯を武器に、必死に吠えた。

 その姿は紛れもなくロックである。鎌瀬なりのロッカーとして生き様なのだ。


「きゃんきゃんうるせぇな」

 グレンGが前へ出る。その巨体を揺らしながら。

 彼女はドラマー。単調な音の連なりに関してはプロフェッショナルである。

 つまり、これはダメだしであった。

「いぬっころ。おれが調教してやるよ」

 彼女が歩くと、会場は揺れる。

 屈強な精神を持つグレンGにとっては、鎌瀬の生き様など、ミニチュアダックスフントのプラモデル程度にしか見えていない。


「ワンワンッ! ウッー! ワンワンッ!」

 鎌瀬、吠える。

 かまわず吠える。

 覚悟を決めた男の前に、敵などはいない――そう信じていた。





31拍子の雨嵐サーティワン・スクリーモ』!!

 グレンGは、空間を殴った。

 ライブハウスに漂っていた生ぬるい空気そのものを殴った。






「ワ……ワン……」

 やがて洪水がはじまった。

 鎌瀬の全身から、冷や汗が、滝のように次々と溢れ出る。

(な、なんだこりゃあ……)

 鎌瀬の肉体は、常軌を逸した空気の歪みに、ただならぬ悪寒をひきおこしてしまったのだ。

 汗の一粒一粒が、ぼとぼとと『イヌゴヤーン』の床にこぼれ落ちる。

「ワ……ウウウウウウウウウウッ! ワンワンッ! ワンワンッ! ワンワンワンワンッ!」

 それでも、鎌瀬は吠えに吠えた。

「女子高生なんかに負けてたまるか! この声帯ひとつでお前を追い払ってやる!」そんな気持ちを剝き出しにした圧巻の吠えハウリング。脱帽である。

 


「あいつ、やるじゃん」

 奈緒、賞賛する。


「やるわね」

 レイ、同調する。


「そうかい? おれはもうあきちまったよ。今日は、食後のデザートアンコール抜きでいいや」

 グレンGは、観客席にダイブ。

 大きな地響きを鳴らしながら、鎌瀬の正面へと降り立った。




「舐めろ」


「ワアン……?」


「てめぇの汗を舐めろ」


「ワ、ワンワン? ワンワンワンッ! ワンワンワンッ! ガルルルルルルウッ!」


 次の瞬間。

 グレンGは、鎌瀬の身体に倒れ込んだ。



 


 鎌瀬の華奢な身体は、グレンGの豊満な肉体によって押さえ込まれた。

 鎌瀬の目の前は、汗まみれの床である。

「どうだ? うまいか? てめぇが流した汗は?」


「ガルッ! アウッ! ワンワンッ! ワンワンッ! ワンワンワンッ!」

 鎌瀬は抵抗を続ける。たとえその身をつぶされようとも、ロッカーのプライドだけは失いたくない――そんな魂の吠えである。周りに横たわっている観客たちが無事ならば、拍手喝采が巻き起こっていたであろう。


「ところで、知ってるか?」


「ワウ……?」






「……美味うまい汗っていうのはな、一生懸命なやつにしか出せないんだぜ?」

 





 鎌瀬は、鳴くのをやめた。

「うう……」

 そして、泣いた。

 

「Gさん……オレは、一生懸命やれてますか?」

 鎌瀬、聞く。


「……しらねぇなあ。てめぇの汗にきいてくれ」

 グレンG、答える。


「オレの汗……なめてもらえませんか?」

 鎌瀬、う。

 グレンGの言葉と肉体に、ロッカーの底しれぬ圧力を感じてしまったからである。自分のロッカーとしてプライドはどれほどのものだったのかを、確かめるためのせがみであった。


「ちっ……手をだしな」

 グレンG、舐める。鎌瀬の泥臭い汗を舐めた。









「まずい」




 鎌瀬の魂は、三叉神経をたどって中枢神経に迷い込み、左肺をめぐって肝臓を漂った。やがて腎臓を通過したそれは、膀胱を一回転してアキレス腱に潜り込み、足裏の汗腺から流れ出た。そしてイヌゴヤーンの床上で観客たちの汗と混ざり合い、消えてなくなった。



「おれは偏食家なんだ。ごめんな。でもまあ、ほかのやつが食ったら、うまいっていうかもな。……そんなつまらねぇ味してるよ」


これで残るは、二名となった。

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