第6話 駆け堕ちる稲妻(salaryman meets HITODUMA)
『
奈緒が鳴らした一音に、
間髪いれず、二回、三回とギターの弦を
その音の連破に、会場の
「おれたちは、おまえのライブを見にきたわけじゃない」という意志が、彼らの足を地に結びつけた。
負けじと奈緒が、「じゃあこれはどうかしら?」と心の中で思いながら、トレモロアーム(※ギターのわき腹あたりについている変な棒。さわると音がびょい~んってなるやつ)を引き上げる。
歪みを増した
最初に倒れたのは、入り口のすぐそば――会場の左奥にいたサラリーマン(39)であった。
このリーマン、実は、『KAMASE-DOGMANS』のファンではない。
娘がファンなのだ。
娘が塾かなんかで観に行けないらしく、「グッズだけでも買ってきてくれ」と朝一の寝ぼけたテンションで言われ、仕事帰りにしかめっ面でちょっと寄ってみたが最後、この状況に巻き込まれてしまったのである。
(とんでもない所に来てしまったな……)
つまり、何だかよくわからない心理状態のまま「とりあえず周りの雰囲気に合わせよう」という生半可な気持ちでわんわん吠えていただけなのである。
(やっかいごとはごめんだ。周りに合わせてやり過ごそう。本音なんて押し殺せ。俺はこれまでもそうやって難を逃れてきた。空気を読んで、余計な事さえしなければ、俺の人生は平和であり続ける。そうだろ? 神様……)
そんな中途半端な精神は、奈緒の音楽に乗って天国へと旅立った。
娘との約束は、来世に持ち越されてしまったのだ。
(嘘だろおい!? こんな……ところで……?)
しかしこのリーマン。
仕事に対しては、強い信念と責任感を持って真面目に勤めていた。これは、娘を愛するがゆえの心構えであったと言える。
その感情が来世まで残っていれば、きっとまたどこかで会えることだろう。
(オーマイガッドネス……)
――が、このリーマンが最期に想ったのは、愛する娘の顔ではなかった。
牛丼の並。
昼間に食べた牛丼屋のそれが、あまりにもうますぎた。
もちろんこの牛丼、特別高級なものなどではない。280円くらいの定番メニューである。米も炊きたてのものではなかった。
しかしこのリーマンにとっては、厳しい小遣い制限のなかで食う牛丼が格別の味だった。妻の料理の腕がイマイチだったというのも起因しているのかもしれない。
(俺を癒してくれるのは、いつもアイツだけだった……)
果たして、この男が愛しているのは、娘か? 妻か? 牛丼か?
来世は牛か? 人間か?
そのクイズの答えは、現在では誰も知りえない。
(がんばれサラリーマン!)
と、奈緒はちょっとだけ感情移入しながら同じギターフレーズを繰り返す。
二番目に倒れ込んだのは、会場右奥にいた若い人妻(34)だった。
この人妻も、『KAMASE-DOGMANS』のファンなどではない。
ただの不倫帰りの人妻である。
昼間におこなった夜の営みが予定よりも長引いてしまい、夕食の仕度に間に合わなくなった彼女は、「今夜は同窓会に出席します。夕飯はてきとうに食べてください」と旦那にテキトーなメールを入れて夜の東京をさまよった。
もともと犬好きであった彼女が、ブサイク犬Tシャツを着た人だかりのほうへ吸い込まれていったのはごく自然な流れである。犬嫌いな旦那のせいでペットを飼えない鬱憤を晴らすように、彼女は当日券を購入した。
「わんこのファッションショーでもやるのかしら? おもしろそう!」
しかしいざ入ってみればそこは、人間がわんわん叫んでいるだけのモノマネ選手権会場であった。地獄絵図である。
(くるとこまちがえちゃった……)
しかし人妻は、そんな戸惑いを振り払い、我を忘れて吠え散らかした。
「時間がつぶせりゃ何でもええわ! 旦那の顔を見るよりましじゃい!」
不倫女性の魂は、冥府へと旅立った。
旦那を欺く罪の意識が、天国の扉を跳ね返る。
不倫に費やした時間を、料理の練習にでも注いでいれば、結末は変わっていたのかもしれない。
話は大きく脱線したが、奈緒のメロディコードは予定通りに進行中。
曲の展開が激しくなるにつれ、観客たちが次々と耳汁を吹き晒す。
やがて演奏は終わりを迎え、奈緒がネックをスライドさせる。
「ご静聴、ありがとうございましたー」
その余韻を聴くことができたのは、たったの四人だけであった。
サングラスをかけたプロデューサー風のオヤジ(55)。
前髪を垂らした幽霊みたいな女(21)。
リーダー、
計四名である。彼らは、奈緒の奏でる音楽に見事耐えきってみせたのだ。
……ちなみに、
その四人のなかで、ひときわ威勢よく吠える若者がいた。
「アオオオオオオオオオオオンッ!」
ケンエイ(18)である。
かつては『広島の狂犬』として名を馳せたが、いまは『東京の番犬』としてがんばっているケンエイである。
「ワアアアアアアアアアアアンッ!」
その過去を物語るように、ケンエイの額には沢山の傷あとが残っていた。
顔をくしゃくしゃに歪め、いまにも傷口が開いてしまいそうだ。
「ガルルルルルゥ……」
「その傷口、アタシがふさいであげる」
レイが、あぐらをかいた。
ベースを抱き、エロティックな手つきで弦を
『
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