第5話 ドラマーは希少価値(drum player is the status)

 闇に包まれた舞台上へ、奈緒たちは足を踏み入れた。


 そこには、本来演奏しているはずの『KAMASE-DOGMANS』の姿はなかった。

 観客席のほうも、真っ暗で何も見えない。

 しかし、そこからはたしかに、多くの人の気配を感じ取ることができる。

 

「波乱のステージの幕開けね」

 奈緒がギターを構える。

「楽しい夜になりそうだわ」

 レイがベースを構える。

「客ども、姿を見せな」

 グレンGが両手を構える。



 そして、ステージ上の明かりが点いた。


「わんわんわんわんわん! わんわんわんわんわん!」

「わんわんわんわんあ……アオオオオオオオオオン!」

「ワンアッーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

 観客席では、100人ほどの観客たちが、四つんばいになりながら一心不乱に吠えていた。中には、ふざけて組み体操に興じているやからもいる。

 

 これがロックの現場ライブである。

 この場において、人は皆自由。人間であることを忘れ、魂だけでその身を動かす。


 その最前列で吠えていたのが、ほかでもない、今夜の主役である『KAMASE-DOGMANS』の面々であった。

「ワンワンワンッ! ワンワンワンッ!」

 リーダー、中吠えセンターハウリング担当の鎌瀬かませユキナリ(24)。


「ガルルルルッ!」

 右吠えライトハウリング担当のケンエイ(18)。


「わ、わうおーん!」

 左吠えレフトハウリング担当のアマガミ(33)。

 

 そう。彼らは、その鋭い嗅覚から、部外者が自分たちのライブ会場犬小屋に侵入してきたことを察知していたのだ。

 そして、部外者である奈緒たちを追い返すために、こうして観客たちに混ざって吠え散らかしている次第である。

「ワンワン! ワンワン!」

「アッオオオオオオオオン!」

「わんアッーーーーーーー!」

 その鳴き声ハウリングは、「出て行け!出て行け!」「ここから立ち去れ!」「帰れ!帰れ!」と言わんばかりのものであった。



「あんたら、なんで楽器もってないの?」

 それに対し奈緒は、間の抜けるような質問をぶつけた。

 四つんばいで吠える彼らの手には、楽器など見当たらなかったのである。


「ア、アウ……」

 その言葉に、鎌瀬がひるんだ。

 そう。彼ら――いや、彼らも、全国のバンドマンが避けて通れないに、例に漏れることなく直面していたのだ。






『ドラマーいねぇよ』問題。

 

 バンド結成を志す誰もが、その単語を口にしたことがあるであろう。

 人がバンドを始めようとするとき、その多くは、まず店内でいちばん安いエレキギターを購入する。「ありがとうございました~」

 それが手に馴染んできたころ、いよいよメンバー集めに奔走するのだが、周りに寄ってくるのは同じギタリストか、カラオケ感覚のボーカリストばかり。「バンドやろうぜ!」

 それらを断るわけにもいかず、ギター三名にボーカル三名という独特なバンド形態が構成される。

 やがて「ギター三人もいらないよね」ということになり、ちょっと控えめなタイプのひとりが、「じゃあわたし、ベースでいいよ」とその座を譲ることになる。

 こうして、ベーシストが生まれる。

 ギターが弾けるからといってベースも弾けるというわけではないが、同じ弦楽器なのでがんばって練習すれば一応かたちにはなる。


 しかし、ドラムに関してはこうはいかない。

 ドラムは、手足を使ってそれぞれ違う感覚で叩かなければならないので、高度なリズムセンスと独特な運動神経を要求される楽器なのだ。

 ゆえに、そのドラム椅子スローンに座った者たちのたいていはこう口にする。

「わたしには無理です」

 そんなドラマー不在の状況を打破できずに足踏みしていると、そのうちボーカリストたちが「塾が忙しくなってきた」というよくわからない理由で脱退しはじめる。

 取り残された弦楽器使い三名は、「創造のはじまりは、いつの時代においても常識を捨て去ることからはじまる」という投げやりな結論に至り、やがては楽器を粗大ごみ置き場へと捨て去ってしまうのである。



 つまり、『KAMASE-DOGMANS』とはそういうバンドであった。

 自らの声帯を「楽器である」と主張し、吠える角度やタイミングなどに工夫を凝らした結果、ただワンワン鳴きわめくだけの珍奏集団へと進化を遂げたのだ。

 その泥臭いハーモニーが全国の愛犬家たちに評価され、キャパシティ100人程度の小さなライブハウス『イヌゴヤーン』を埋め尽くすほどの名声を得る運びとなった。

 彼らは今、そんな心あるファンたちの声援を背中に受けながら、その前線でともに四つんばいとなって吠えているのである。


「ワンワンワンワンワンワンワンワンワンワン!」

「ワンワンオ! ワンワンオ!」

「きゃっわーーーーーーーーん!」






「かわいそうなたちだわ……みんなまとめて人間に戻してあげる」

 奈緒がギターを揺らめかせた。


「ま、まってくれ! せめて、このステージ犬小屋の中にいるあいだだけは、犬でいさせてくれ!」

 鎌瀬が日本語で返した。

「たのむから帰ってくれ! ここにいるやつらは、みな日常を忘れ、犬であることを楽しんでいるだけなんだ! じゃまをしないでくれ!」



「それって、現実から逃げてるだけじゃん? だっさ」

 つばを吐くように奈緒が言った。

「ださいわね」

 レイが同調する。

「野菜食えよ」

 グレンGも同調した。

 


 その言葉に、鎌瀬たちは鳴くのをやめた。

 静かに立ち上がり、奈緒たちを強くにらみつける。

 その目はまるで、理性を失った狂犬のようだ。

 


「いいよ。相手してあげる」

 奈緒が右手を振り上げた。


「この日のために作った新曲、聴いてください」

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