13.船津刑事、ハルに問い詰められ、困る
「もうー、はぐらかさないで教えてくださいよ」
フロントガラスの向こうには、駅からまっすぐに続く大通り。夕方のこの時間帯は、買い物の主婦や学校帰りの小学生がひっきりなしに通る。
遠くから、耳に馴染みのある軽快な音楽が聞こえてきた。電子音による、少々アップテンポの「アルプス一万尺」。移動販売の車だろうか。音は、駅とは反対方向に移動して小さくなった。
その音を聞くともなしに聞きながら、隣で困った顔を続ける男を横目で睨む。
彼は警察には希少な、『サイ』を知る人間だ。
その代わり。警察内ではかなりの「変わり者」扱いをされていることは、想像に難くないが。
「犯人の目星は付いてるんじゃないんですか? 防犯カメラだってあるし、目撃者だっているかもしれない。連続放火犯って、わりとすぐに絞り込めるって聞きましたけど? それを尾行して取り押さえれば早いじゃないですか」
武蔵野の放火事件は、仕事を振られた時点で被疑者がひとりに絞り込めていたので、その人物をハルとキョウで張り込んだ。通常なら警察が尾行し、証拠を見つけるなり現場を取り押さえるなりすればいいのだが、相手がサイである場合、普通の人間が取り押さえようとするのは危険だ。どんな方法で反撃してくるか分からない。
だから、犯人が絞り込めた時点で、その役はハルやキョウが引き受ける。
「その通りなんだけれどね……」
ハンドルに軽く手をもたせたまま、若い刑事は小さくため息をついた。先ほどから何事かを言おうかどうしようか迷っているらしい。
「ハルくん、笑わない?」
「何をです?」
「……あと、怒らない?」
「だから……?」
ハルは決して気の短いほうではない。言いにくいから心を決めるまで待てと言われれば、いくらでも待つ。しかし、船津の口調には話を促して早く聞いて欲しいという複雑な心境も見え隠れしていて、ハルは踏み込んでみることにした。
「分かった。笑いません。怒りもしません。たぶん。だからさっさと解決しちゃいましょう。どうぞ」
「うん……俺いま、ハブにされてるんだよね……」
「ああ、そういうことですか。分かりました。納得」
ふう、とため息をつくと、理解を示してやったはずなのに船津はますます鬱々とした顔をした。
「話が早くて助かるんだけど、そう軽く理解されると……」
「軽くなんかないですよ。『サイ犯罪』である可能性に理解が得られない。ってことでしょ? 重い問題です。でも、まあしょうがない。分からない人には分からないもの。だけど、お互い様です。そう誰でも彼でも簡単に信じちゃったら、こっちだって困りますから」
「きみらのほうがよっぽど割り切っているよね」
「慣れっこですから」
「大人だよね……」
感心しているといよりは、呆れているような船津の表情に、ハルは苦笑する。
「そんなことない。俺たちは自分のことだからあるイミ平気なだけです。船津さんはさ、自分のことじゃないから気にしちゃうんでしょ? 『サイなんか信じられない。怖い、気味が悪い』……そんな風に思われてるって伝えたら、俺たち傷つくかもしれないって。だけど、そんな気遣いは不要です。楠見なんか、もうとっくに開き直っちゃってますよ」
「楠見さんも、偉いよね……」
「楠見はずっとこの世界にいるから、『立ち位置』を心得てるんです。楠見がいちいち傷ついた顔してたら、そのほうがこっちはいたたまれないですよ」
ハルは笑って軽く肩を竦める。
だから船津にも開き直れと言いたいのだが、その「立ち位置」は楠見と同じではない。
楠見はハルやキョウたちサイのすぐ目の前に立って、それ以外の人間からサイを守ってくれる位置にいるが、船津はそれではいけない。サイから距離を取って、そんなものは信じられないという人々の側にいなければいけないのだ。周囲から、「社会から逸脱した変人」という烙印を押されてしまっては困るのだから。
「船津さんは板挟みで辛いだろうけど、ちゃんとそちら側にいてください。船津さんがこちら側に近づきすぎてそちら側からドロップアウトしちゃうと、俺たち仕事ができなくなっちゃうんで。『超能力なんてもんは俺も信じられないんだけどね』って周りに言っておいていいんですよ。まあそれでどうしても良心の呵責があるってんなら、あとからドーナツ一箱でも差し入れてくれれば」
「ドーナツ……」
「アイスでもケーキでもモナカでも。キョウは、もらえるもんはなんでも好きです。甘いものなら間違いないです」
少し肩の荷が下りたような笑い方をする船津。
「きみには何を付け届けたらいい?」
「俺は、味噌とか醤油とか、実用的なのがいいですね」
船津は苦笑気味の息を漏らして、現在の状況を語り始めた。
江戸川の放火事件の話が船津の耳に入ったのは、一週間ほど前のことだ。子供たちの遊ぶ公園の一画で、突然火が上がる。そんな事件が四回ほど続いた。ゴミ箱、ブランコの板、植木、看板。どれも大した火事ではない。が、白昼堂々、子供の多い公園でという点が周辺住民の不安を煽った。
一件だけならばこの程度の
だが。調べれば調べるほど、奇妙だった。
まず、燃焼促進材が見つからない。小火とは言っても、対象物は丸ごと燃え尽きているのだ。紙くずならともかく、ガソリンや油を使わずにブランコの板や植木が丸々燃えるというのは考えにくい。
燃える時間が短いのも妙だ。火に気づき声が上がり、それから初期の消火活動が始まる前には、周囲への類焼もなく燃え尽きている。対象物を丸ごと、短時間に燃やしてしまうほどの高温。そんな高温の火を発生させた原因も分からない。
さらに不思議なのは、それだけ人が多かったにも関わらず、火のついた瞬間をはっきりと目撃している人間がいないことだ。周辺にいた者は、揃って「突然燃え上がった」と証言している。
もちろんここで、「そんな放火は不可能だ、超自然現象だ」という結論に達したわけではなく、自然発火を含めさまざまな原因が検討されているのだが、中に「もしかしたら」と思った者がいて、「不思議な事件」に詳しい者がいる、ということを思い出したのだろう。何人かの人間を経由して、船津の元に話がやってきて、参考までに船津は江戸川区内の警察署に呼ばれ、話を聞いた。
胡散臭げだった所轄の捜査員たちだが、本庁の刑事ということで無下にはせず、現在得ている情報を教えてくれた。その段階で、現場の防犯カメラに何度か映っている人物がいて、解析を進めているところだ、という話も聞いた。
状況が変わったのは、木曜の夜に武蔵野の連続放火事件の犯人と思しき人物が捕まったという一件を、船津の関わっている事件として江戸川の所轄の刑事が知ったことからだ。「超能力による犯行」という、それまで
それと時間をおかず、金曜夕方に五件目の事件が発生。川沿いの、周囲に建物などのない見通しの良い公園である。野球場やサッカーコートが並ぶ河川敷と土手の散歩道には、多くの人が行き交っていた。
そんな中、野球場で練習する少年野球チームの監督が立ち上がって子供たちを指導している間に、その先ほどまで座っていたパイプ椅子が突然燃え上がった。あっという間に火柱が立ち、消火活動に移るまでもなく、スチールの部分を燃え残して火は消えた。
この五件目は、前の四件のときにはわずかに存在した「誰も見ていない隙に誰かが近寄って火をつけた」という可能性は、ほぼないに等しい。野球場には少年野球チームの子供たちと監督しかいなかったし、周囲や土手の上からは、親たちや、何気なく足を止めて少年球児を微笑ましく見守っていた通りすがりの散歩の人々の視線もあったはずなのだ。
この事件を受けて、武蔵野の事件の犯人――アキヤマ・ヨウスケなる予備校生の取調べをしていた船津は、「サイ犯罪」の可能性が深まったと見て楠見に連絡を入れた。
むろん船津とて、独断で第三者の協力を求めたわけではない。公にされてはいないが、超常犯罪の解決に楠見の協力を求めることは、警察内の一部では認められている――と言っても「黙認」というレベルだが――。
現に何度も、楠見とそのサイたちの手によって、事件が解決しているのだ。
ただし、ここで言う「解決」は日本の司法当局にとって決して気分のいいものではない。犯人が捕まりはするが、その犯人を法によって裁くことはほとんどの場合、できない。「超能力を使って犯罪行為を行った」などという自供は、取調室でも法廷でも認められないのだ。
また、本人がどれだけ真剣に「自分がやった」と訴えたところで、証拠がなければ犯行は立証されない。まれに超常能力以外の何かしらの方法を使って物的証拠を残していたり、能力を補助的に使っただけでその他の部分を「常識の範囲で」行った犯罪である場合を除いて、その多くは起訴さえされない。
最初は単に船津の存在と「サイ犯罪」という説を「胡散臭い」くらいに思っていた所轄の担当捜査員たちであったが、手がけている事件がそんなグレイな解決に導かれてしまうのは真っ平だと思ったのだろう。それまでよりも、あからさまに船津との距離を取るようになった。
ここまでの捜査で浮上していたはずの「防犯カメラに映っていた怪しい人物」は、「捜査方針が変わり、遠隔操作や自動発火装置による発火の可能性を有力視している」ということで曖昧にぼかされ、そうこうしているうちに周期から行けば今日明日には次の犯行があるかもしれない、前の事件から四日後の火曜日。
今こうしている間にも、それほど離れていないどこかの場所で放火事件が発生しているかもしれないのである。
船津の話を聞き、それは大体の予想通りであったが、ハルはひとつため息をついた。
「それで、どうします? 今からこの区内の公園を全部回ってみますか? 犯人と偶然すれ違いさえすれば、見たら分かると思うけど」
そんなことは不可能だとハルとしても分かっているので、本気の提案ではない。区内は広いし、公園の数も多い。その上、次の犯行も江戸川区内だという保障はない。
「せっかく来てもらったし、パトロールがてら、もう少し走り回ってもいいかな。それともあまり引き止めないほうがいい?」
「いいですよ。付き合います。って言っても、日暮れまであんまりありませんけどね」
このまま帰っても構いはしないが、今まさに次の犯行が起こっているかもしれないとなると、何もせずに帰るのももどかしい。
「俺、来週からは部活が始まるから、あんまり長い時間付き合えません。こっちで抱えている事件もあるし、新宿の新しい放火事件のことだってあるんでしょ?」
先ほど船津から、新たに発覚した新宿の放火事件について、さわりだけ聞いていた。
「だから、今日明日でちゃちゃっと片付いちゃうのが理想なんですけどねえ」
「協力してもらっている立場なのに、こんなことになって申し訳ない」
「それはいいけれど、この状況がずっと続くのはちょっと困りますね。このまま船津さんが例の防犯カメラに映っているっていう人のことを教えてもらえずに、本格的に『遠隔操作の可能性』なんてピント外れの方向に進んじゃったら、永遠に犯人捕まらないよ」
「そうだな……」
「俺やキョウみたいにサイが見える人間が百人くらいいたら、ひとつの公園に一人ずつ配置すればいいんですけどねえ……」
「ハルくんやキョウくんが百人か……」
想像したらしく、船津はぷぷっと小さく笑ったが、ハルにしてみたらそれは笑い事ではなかった。
「大変だ。キョウがいっぱいいたら、俺と楠見は過労死しちゃうよ。今のナシナシ」
ははは、と笑いながら、船津は車を発進させる。
「ともかく、その『怪しい人物』っていうのだけでも、どうにか調べられませんか? 一人に絞り込めていなくてもいい。ヒントがあれば、あとはこちらで調べます」
「悪いね。本当に、こちらからお願いしている立場なのにね……」
「いいですよ。正直そんな、ハブなんて大人げないことしてる刑事さんたちが事件を解決できようができまいが、俺は知ったこっちゃないけれど。でもサイに犯罪を重ねさせるのは、こちらとしても具合が悪いんです。ここの刑事さんたちが的外れな捜査をしている間に、こっちはこっちで犯人を見つけちゃいましょう」
船津は仕方なさそうに小さく笑って、請合った。
車は大通りを走り、公園の多い住宅街に入る。「パトロール」に付き合うことになったハルは、窓の外を眺めて、ため息をついた。
「それにしたって、パイロの連続放火事件が三つも続くって……いったい、どうなってるんだ?」
江戸川区内で六件目の放火事件が発生したのは、ちょうどハルと船津刑事が現場の確認を終えて車で走り出したその頃だった。
発生現場は、二人の車が走り出した場所から直線で二キロほど離れた団地の中の児童公園。もしも船津刑事がその場で報告を受け、ハルを連れて現場に直行していれば、ハルは周辺を行き来する人々の中から犯人を見つけていたかもしれない。それ以前に、もしも犯人と目される人物が知らされていたら、五件目が起きてからの数日の間にハルとキョウが犯人を突き止めていただろう。そうすれば、六件目の事件は起こらなかったはずだ。
そんな可能性の話をしてももはや仕方のないことではあるが、それでも夜になって船津から事件の報告を受けた楠見は、憤りを抑えることができなかった。
――サイ犯罪として片付いちゃ都合が悪いから、詳細を隠していた? 不都合な方面に捜査を導こうとしている船津刑事に、事件をすぐに知らせなかった?
現実を見ろ、と言っても仕方のないことは、楠見も長い経験からよく知っている。彼らには、そちらのほうが「現実」には見えないのだ。当然のことである。
それでも――楠見は唇を噛む。怒りを鎮めることができないのは、六件目にしてとうとう、怪我人が出てしまったからだ。
発生時刻は午後五時過ぎ。団地の西側にある一際高い数棟のマンションに日が沈み、この街は早めに夜を迎える。パンや乳製品を売る移動販売車が、軽快な音を鳴らしながら通りすぎるのを背中で聞きつつ、母親が、公園の遊具で遊んでいた五歳の娘を呼ぶ。娘は母親の元へと駆け出す。途中で躓いて、靴が脱げた。脱げた靴に少女が手を伸ばしたとき――。
火がついたのは、その靴だった。靴と、そこに触れている少女の指先を焼いて火はすぐに消え、後には高熱で溶かされたゴムの破片とかすかに焦げた地面が残った。
母親は、泣き叫ぶ娘を抱いて、近くの病院に駆け込んだ。
処置を待つ間に、母親は先ごろから区内の公園で発生していると聞いていた連続放火事件のことを思い出した。受付係が警察に電話をし、娘の処置が終わる頃には警察が病院に駆けつけていた。
問われるがままに状況を説明しながら、母親は自分を責めた。公園なんかに連れていくんじゃなかった。連続放火事件のことは聞いていたが、まさか良く知っているはずのあの公園でそんなことが起きるなんて。しかも。これまでに怪我人が出たことはなく、すべて小火で済んだと聞かされていた。心配はしても、自分の身にこんなことが起こるなんて考えていなかった。それでも、行くべきじゃなかった。
後悔しながら、どうか娘の指先に、心に、傷跡が残りませんようにと。誰にともなく必死に祈っていた。
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