月曜日

6.相原伊織、少々憂鬱な月曜日を迎える

 相原伊織の高校生活初めての週末は、結論から言えば最悪だった。

 金曜日の夕方、コンビニのアルバイトの面接に行った。惨敗だった。


 迎えてくれた店長は、朗らかな話し方をする中年の男性。

『高校に入ったばっかり? アルバイトして一人暮らししようなんて、偉いねえ』


 にこやかにそう言うのは、しかし、接客商売ならではのお愛想だろう。

 ワケありの、面倒な少年かもしれないと、目は伊織のことをはっきりと疑っているようだった。

 極めつけは。というか、店長は確たる不採用理由を探していたのかもしれない――履歴書の保護者欄の名前に、店長の目が留まった。


『この、保護者の方は、お父さんだよね?』

『……伯父です』

『お父さんやお母さんは?』

『子供の頃に亡くなって、中学校まで伯父の家に世話になっていたので……』

『そうなんだ、そいつは大変だったね。で、伯父さんには了承をもらっているの?』

『いえ……特に話していません』


 そう、正直に答え続けた自分をものすごくバカだったと思う。「はい」とひとこと言えば良かったのに。店長の目が光った……ような気がした。


『うぅん、雇用契約にね、高校生の場合は保証人のサインが要るんだけど、大丈夫? 最近ね、こういうことしっかりしないとウルサイんだよね』


 それは本音だったのかもしれないし、断る口実だったのかもしれないが、ともかくそれでほぼ話が終わった。

『まあ、入学したばっかりでしょ? アルバイトは少し生活に慣れてからでもいいんじゃないの?』




 甘かった――。

 アルバイトなんか、すぐに見つかるものだと思っていた。が、人手が欲しいからと言っても、高校に入学したてで一人暮らしを始めたばかりで、親もいなければ保証人になってくれる人もいない「なんだかワケありげ」な十五歳の少年が、簡単に仕事を見つけられるような世の中でもないらしい。


 土日はまた情報誌を見たり、地元をふらりと歩き回ってアルバイト募集のポスターを探したり、何件か電話も掛けたが結果は思わしくなかった。


(俺って本当に要領が悪いよなぁ……)


 不利な条件だったとしても、「こいつは出来そうだ」と思わせる何かがあれば採用を断られたりしないのではないか。どうも自分には、そういう魅力がない。真面目だとは思っているのだが、要領の悪そうな印象がそれを上回っているような気がしてならない。


 そうして迎えた週明けの月曜日。授業中に少し浮上できることがあった。

 国語の授業で指名され発表した短い作文が、教師から誉められたのだ。文章を書くことは好きだ。できたら将来、そんな仕事に就きたいと思っている。だから嬉しかった。

 嬉しいことは、その時間だけで終わらなかった。


「相原って文章うまいのな。新聞部に入らねえ?」

 後ろの席の上野うえのという男子生徒から、次の休み時間にそんな風に話しかけられた。

 上野は内部進学の生徒で、友達が多く社交的な性格をしている。何度か事務的な用事で言葉を交したことはあったが、個人的に話したのはこれが初めてだ。


「ありがとう。新聞部か……いいなあ……」

「俺、中学ん時も新聞部でさ、高校の新聞部にも先輩がいるんだ。今週から活動に参加しようと思ってんだけど、一緒にどう?」


 誘われたのは、純粋に嬉しかった。が、当面は他にクリアしなければならない問題が多すぎる。部活に入れば時間を割かれるし、部費もかかるだろう。


「行きたいのは山々なんだけど、俺、一人暮らし始めたばっかりで、アルバイトとかしないとならなくてさ。外部から来たから勉強についてくのも必死だし。部活かあ……入りたいけど、時間ないかもな……」

「相原、なにお前、一人で住んでんの?」


 せっかくの誘いを断ったら不愉快な思いをさせるだろうか……と心配しながら答えたのだが、上野はそこには頓着せず、別の部分に食いついた。


「え、うん。従兄弟がここの卒業生で、やっぱりアパートから通っててね、その部屋を出ることになったから、そのまま借りたんだ。俺、神奈川だから、家からだと通学二時間半もかかってさ……」

「へぇ……すげえな。じゃあ今度、遊びに行っていい? 俺一人暮らししてる友達初めてだわ」


 何気なく発せられた「友達」という言葉に、少々ジーンと来てしまった。


「いいよ、もちろん! 大歓迎だよ!」


 そう答えると、上野はたまたま席に戻ってきた隣の女子生徒に顔を向ける。

「なあ衣川きぬかわ、こいつ、相原。一人暮らしでバイトして生活してんだって。すごくね?」

「い、いや、アルバイトはまだ探してるところで……」


 話しかけられた女子生徒は、衣川きぬかわあおい。まだクラス全員のフルネームを覚えているわけではないが、彼女のことは入学後間もなくから知っている。何しろ目立つのだ。美少女なのである。


 黒いブレザーの背中のあたりまで伸ばした髪はふわりと軽く、凛とした姿勢と明るく大きな瞳は意思の強さを感じさせるが、それでいて厳しい印象は与えない。

 アイドルのようにちやほやされるタイプの美少女ではなく、「深窓の令嬢」というか、どこか手の届かなそうな「高嶺の花」というか、そんなイメージがあるものの、話しかければ気さくに笑顔で応じる。


 華があるといえば、委員長の神月悠こうづきはるかもそうなのだが、一度この二人が並んで話しているのを見たときは、思わず「ずるい!」と思ってしまったほどだ。しっくり来すぎていて、俗人では入っていけない空気をかもし出していて。


 そんな衣川あおいが、こちらを向く。話し相手に対する微笑も、体ごと向き直る姿勢も、たかが伊織ごときにそんな……と思わず慌ててしまうくらい、一切の骨惜しみもない完璧なものだ。

「そうなんだ。えらいのね。大変じゃない?」


「い、いや、ぜんぜん……っていうか、一人暮らしは先週始めたばっかだし……アルバイトもなかなかいいのが見つからなくってさ」

「ふぅん……どんなお仕事を探しているの?」

「えっと、コンビニとかそういうので、なんでも」


 衣川あおいの明るい瞳が真っ直ぐにこちらを向いていて、受け答えがつい、しどろもどろになってしまう。


「コンビニだったら、そこらへんにいっぱいあんじゃん。どっか電話かけてみたのか?」

 上野が口を挟む。


「うん、面接も受けてみたんだけどさ、なかなかね」

「相原くんだったら、真面目そうだからすんなり採用してくれそうなのにね」


 あおいが微笑んで言う。


「え! そ、そう……?」


(俺、誉められたの? 衣川あおいに? 真面目そう……真面目そう……真面目って誉め言葉だよなぁ?)


 顔が赤くなっていないだろうか……と心配になる。

 上野は伊織の反応を気にした様子はなく、

「俺もバイト募集してる店とかないか探しといてやるよ。俺、家が杉並すぎなみでさ、チャリで通ってて、いろんな店通るし」


「え、いいの? ありがとう、助かるよ」

 そう言ったところで、チャイムが鳴って英語教師が入ってきたため、会話は終わってそれぞれ席に向かうことになった。


 上野ともこんなにたくさん話したのは初めてだし、もちろん衣川あおいとも……というか、彼女と会話ができるなんて思っていなかった。上野には、そういう開放的な社交性がある。最初は二人だけの会話でも、誰かを巻き込んだり、誰かが参加してきたりして、輪が広がって。

 一緒にいたら楽しい友人かもしれない。


(新聞部にも入れたらいいのになあ……)

 その点は心残りだったが、それまで重苦しい気分だったのがいくらか浮上したのを感じた。




 上野とはその後も何度か話をすることができたが、神月悠こうづきはるかとは、結局一日話ができなかった。


 金曜日に誰かに追われていたところを助けてくれた少年について、聞いてみたかったのだが、悠の周りは一日中人が絶えず、あるいは教室におらず、話しかける機会を見つけられずに放課後になってしまったのだ。


(まあ、明日また機会があるさ……)


 これから新聞部に行くという上野と別れの挨拶を交わし、学校を出て正門から続く道を歩き出す。

 帰ったら、またアルバイト応募の電話をどこかにかけてみようか。多少は気分も持ち直したし。そう思いながら、最初の角を曲がろうとしたときだった。


 突然――。両側から誰かに肩を叩かれて、心臓が跳ね上がる。


 左右の肩に一人ずつ、二人の手が掛けられている。心臓を高鳴らせながら、恐る恐る右側の肩に手を置いている人物に目を向けると。


「い、委員長っ?」


 一日中話しかけそびれていた神月悠が、にこやかに伊織の右肩に手を置いている。


「相原くん、いま帰り? 一緒に帰ろうよ」

「え、えっと、うん……」


 すると左側は?


「あれ! 先週の――?」

「よ、また会ったな」


 伊織の左肩に手を置いてそう笑うのは、まさに金曜日に誰かに追われる伊織を助けてくれた、あの少年である。

 やっぱり二人は知り合いだったのか。なんだか妙な状況だが、一緒に帰るのはもちろん大歓迎だ。が、伊織が答える前に――。


「相原くん」

 委員長・神月悠が、先ほどよりもだいぶ声を落として耳元に囁きかけてきた。


「悪いんだけど、このまま何事もないように歩いてくれる? いま家に帰ろうとしてるとこだよね?」

「え? うん、そうだけど……?」


「……あのね」悠は少しばかり、言いにくそうにして。「誰かに後をつけられてるんだよね……」


「……えっ?」伊織は笑顔のまま固まった。


「たびたび災難だなあ。お前、何やらかしたの?」


 左の少年がそんなことを聞いてくるが、まったくもって身に覚えがない。追われたり、つけられたりするような、そんな特殊な状況に陥るような人生は送っていない。


「あのさ、キョウ、まさかと思って聞かなかったんだけど……」

「ん?」

「キョウが金曜日に会った相原くんって、この相原くん?」

「ん、そうだけど? あ、ハルと知り合いなんだよな。同じクラス?」

「うん、あのね……」


 伊織を挟んでそんな会話を交わしていた二人だが、唐突に、揃って背後を警戒するように少しだけ首を動かした。


「まあ……いいや、それは後だ。少し急ぐよ」

 そう言って、悠とキョウと呼ばれた少年は少し足を速める。伊織は両肩に手を置かれたまま、押されるような形で足を進めた。


「相原くん、帰り急いでる? 悪いけど、今日はこのまま帰らないほうがいいと思うんだ」

「余計なお客さん連れて帰りたくねえもんな」


 問われて、身を硬くする。いまひとつ現実感がないのだが。


「お、俺は、構わないけど……急いでは、いないよ」

「じゃあ、ちょっと遠回りするよ。キョウ、相原くんの家知っているよね。少し離れよう」

「いいけど、学校戻ったほうがよくねえ?」

いてからのほうがいいだろうな。後でまた学校から出るときにつけられる」

「ん。分かった。……二人か」

「だね。金曜日に追ってきたってのと同じやつらかな」

「違うな、今度はプロだ。……『サイ』だな」


 キョウのリードで、伊織の家とは別の方向にいくつか角を曲がる。このあたりの地理は熟知しているのか、細道や行き止まりの多い住宅街を迷うことなく難なく進んでいく。


「しつこいな。走るか?」

 キョウが、舌打ちをしながら言う。


「まったく。キリがないね」

 そう悠が答えた瞬間だった。


 頭上でものの弾けたような派手な音がし、何か白いものが粉々になって、三人の頭上へと降リ注いできた。

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