5.楠見、ハル、キョウ、理事長室でドーナツを囲む
「ええ分かりました、――はい、よろしくお願いします。失礼します――」
「表の仕事」の数件の電話を掛け終えて、
思った直後、ノックもなしに勢いよくドアが開いて、詰襟の学生服を着た
「楠見ー、ハルまだ戻ってない?」
「キョウ……部屋に入る前にノックをしろと、何度言ったら……」
引き寄せていた電話機を机の奥の定位置に押し戻しつつ、楠見は額に手を当てる。
「あのさ、ハルのクラスって……」
楠見の小言を完全に無視して別の話を始めかけたところで、キョウは入り口と執務机の間にある、応接セットのローテーブルに置かれたドーナツに気づき言葉をとめた。
「……ああ……食っていいよ。ついでにコーヒーでも入れてくれないかい?」
「ん。いいよ」
なにやら機嫌良さそうに笑って、通学カバンをソファの上に放り捨て、キョウは隣の給湯室へと姿を消す。
机に広げた「表の仕事」の書類を片付けこれからの段取りを考えていると、片手で器用にコーヒーカップを二つ持ったキョウが、理事長室に戻ってきた。間を置かずドアをノックする音がして、返事を待たずに「ハルでーす」とドアが開く。
「ハル、コーヒー入ってるよ」
「そう? サンキュ」
キョウの言葉に一旦姿を消した
「二人とも、ご苦労さま。ドーナツ食っていいよ。……それで、どうだった? 何か分かったかい?」
FAXで送られてきた謎の名簿に載っている人物たち。その家を訪ね、実在するのかどうかを調べてもらった件である。
水を向けると、まずハルが、「ぜんぜん」と首を横に振った。
「分かった範囲では、七件中少なくとも六件は別の人間が住んでたよ。そのうちの二件は
やっぱりな、と楠見は思う。ハルも同じ思いだろう。大して期待もしていない様子でキョウに目をやった。
だから、
「こっち、一人だけいたよ」
と、会話よりも手にしたドーナツに集中している様子で答えたキョウに、二人同時に「えぇ?」と大声を上げてしまった。
「ん? 『1-7、アイハラ』? その、リストん載ってた住所……第三シンカワコーポ・一〇二号室の。なんでか誰かに追いかけられてた。……もうひとつ食っていい?」
「いいよ、みんな食って。それより、ちょっと待てよ。一年七組のアイハラ?」
調べた限りでは、リストに載っている名前は在学生名簿にはなかった。見落としか? 調べそびれた名前があっただろうか。後でもう一度調べてみよう――そう考えて、もうひとつ引っかかった点を尋ねる。
「誰かに追いかけられてたっていうのは?」
指についたチョコをペロリと舐めて、キョウが首を捻った。
「よく分かんねえんだと、本人も。知らない男たちに、なんかいきなり『ちょっと来い』って呼び止められて、腕を掴まれて連れてかれそうになったって。で、アパートまで逃げ帰ってきたとこで、会った」
「知らない男たちに……?」
眉を顰め、考えながら視線をさまよわせたところで、同じような反応をしているハルと目が合った。お互いに首を捻って、三つ目のドーナツに手を伸ばしているキョウに質問を重ねる。
「追ってきた相手を見たか?」
「俺は遠目に後姿見ただけ。三人。『サイ』じゃねえな。なんか追いかけ方も探し方も雑な感じだったし、プロっぽくなかった」
「プロっぽくない?」
「ん、だって見るからにヤバそうな格好で近づいてきて、腕掴んで『ちょっと来い』だぞ? 行かないだろ普通。現に逃げられてるし。本気で誘拐とかが目的ならさ、もっと、こう……」
「物陰に潜んで、まずは声もなく突然後ろから襲い掛かって、口をふさぐよね」
ドーナツを片手に、ふわりと微笑んでハルが言う。
「ほうほう、とりあえず動けねえようにふるかな」手にしたドーナツを頬張りながら、キョウが頷く。「逃げられる程度の中途半端な捕まえ方ってのはなあ」
「せめて抵抗しないように刃物をちらつかせるとか」
「三人もいんだから、両側から問答無用で拘束すりゃいいのに」
「……お前たちは。いつもそういう風に、仕事をしているのか……?」
少々危険な予感がして、楠見は口を挟んだ。そのうち警察から呼び出しの電話が掛かってくるのではないか。
「やだなぁ、俺たちはわりと穏便な方法で仕事してるよ」
「楠見はドラマの見すぎなんじゃねえの?」
どうだか、と楠見は思う。たぶん絶対にやっている。
「……まあ、ともかくそれで、そいつらは何者なんだ? 『至急保護』っていう件と関係あるのかな」
「どうだろ。目的は分かんねえけど、追いかけてきたヤツらに関しては……そんな真剣な目的があるみたいに見えなかったけどな」
コーヒーを一口すすって、キョウは少し考えるように斜め上に視線をやりながら言った。
「本人は、『肩でもぶつかったんじゃないか』って言ってたし」
「ふむ……」顎に手を当てて、楠見は考える。「『至急保護』……か。少し様子を見るか……」
キョウの、この手の対人「危険度」感知は信用できる。少なくとも、さっき追いかけてきたという三人組に関しては、それほど危険は感じなかったということだろう。
「けど……」と、キョウが言葉を繋ぐ。「相原。そいつ『サイ』かもしんねえ」
またも、ハルとともに目を丸くする。
「そうなのか?」
「よく分かんねえ。そうかなって思ったんだ。けど、違うような気もする……」
歯切れが悪い。
「お前が分からないって、どういうことだ?」
「んー……でも本人もそう思ってないみたいだったな……反応悪かったし……」
「あのね、キョウ……まさかその彼に、いきなり『お前サイか?』なんて聞いたんじゃないだろうね……」
「まずいか?」
釈然としない様子のキョウに、軽くため息をつくハル。その様子を目の端に収めながら、
「リストの人間はやっぱり『サイ』か? ……にしても」楠見は腿に肘を乗せて顎に手を当て、つぶやくように声に出してみる。「一人しか見つからないってのが……いやむしろ、一人だけ見つかったっていうのは妙だな」
気になる点はそこだ。どうも、すっきりしない。誰もいなかったなら、リストは緑楠の学生とは関係なかったものと見て別の調査を始めるのだが、ひとりだけ実在するというのはどういうことだ?
同じように考え込んでいたハルが、ふと顔を上げる。
「ねえ楠見。全件訪問してみて思ったんだけどさ……」
「なんだい?」
「うん、行ってみたうちの六件が、単身向けのアパートやマンションっぽかったんだよね。でさ、もしそのリストが本当に緑楠高校の生徒だとしてさ、うちってそんなにひとり暮らしの生徒が多い?」
「ん、それこっちも」キョウも頷いて、「学校の周りの小さめのアパートが多かったな。相原んちもアパートだし」
「ふむ、割合としちゃ、たしかに妙だな。高校生までなら、家が都内でなくても親元から通っている生徒のほうが多いだろう。大学生にしたって、そこまでは……」
「ちなみに残りの一件は、江東区のマンション。ファミリー向けの物件で、管理人さんに『友達を訪ねてきた』って聞いてみたんだけど、そのマンションにはその名字の家はなかった。管理会社の連絡先を控えてきたよ」
「教えてくれ」
メモ用紙を取りに席を立ちながら、また考え込む。一人でも実在した、そして誰かに追われていたという事実がある以上、もう少し調べてみる必要はあるだろうか。
しかし、さらに突っ込んだ捜索となると、高校生の二人には難しいだろう。
餅は餅屋だ――。協力関係にある調査会社の所長の顔を思い浮かべつつ、執務机のペン立てに手を伸ばしながら、
「キョウは……しばらくその、相原くんの動きを軽く追ってくれ。また誰かに襲われたりしないようにな。リストの件の、今のところ唯一の手がかりだ。様子を見て、週明けにでも声を掛けてみたい」
「ん。いいよ」
「ほかの十三人はどうするの?」
「続きは『
マンション管理会社の連絡先をメモしたところで、執務机の上の電話が外線の着信音を鳴らし始めた。
二日前の晩にFAXが届いたのと同じ、理事長室直通の電話が掛かってくるのは、ごく限られた用件のときのみだ。学園副理事長・楠見林太郎に宛てた用事ではなく、楠見の「裏の仕事」に関する用件――。
電話の相手は、警視庁の
「なんですって? また?」
楠見の鋭い声に、ハルとキョウもわずかに緊迫した表情になり、さっと目を合わせる。
用件を聞き終え受話器を置くと、こちらを見ている二人の緊張した視線とぶつかった。
「……船津さんから。江戸川区で、ここ二週間ほど不審火が続いているそうだ。出火原因も火元も燃焼材も不明。超自然現象、あるいは超常能力による連続放火事件の疑いがある」
「はあっ?」
「またっ?」
眉間にシワを寄せて言う楠見に、二人の高校生は同時に驚きの声を上げる。
思うところは、楠見と同じだろう。
「つまり……また、
「けどそんなん、何人もいるもんか?」
首を捻る二人。
「武蔵野が解決したばかりだってのに――今度は江戸川で連続放火事件――どういうことだ……?」
妙な符丁に眉を顰めながら、ため息混じりに楠見はつぶやいていた。
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